休息はなぜ増えないのか|森本哲郎『ゆたかさへの旅』#49
2026-09-23 21:25

休息はなぜ増えないのか|森本哲郎『ゆたかさへの旅』#49

一冊の本をお茶とともに味わう読書Podcast「本茶本茶」。

今回は一保堂の京都限定抹茶「京極の昔」を点てながら、森本哲郎『ゆたかさへの旅』を紹介します。

▼ 今回のテーマ

なめらかな日々/排除の文明/雨安居の瞑想

1972年のインド旅行記から、休日が増えても休息が増えない理由を、お茶を片手にゆっくり考えます。文明論や生き方、時間の使い方に興味がある方におすすめのエピソードです。

🍵 本日のお茶

一保堂茶舗 京都限定抹茶「京極の昔」(京都・宇治)


📕 本日の本

『ゆたかさへの旅──日曜日・午後二時の思索』

森本哲郎(著)/ダイヤモンド社(のち角川文庫)





👤 話し手

Fuyuto

「静けさのデザインとケア」をテーマに、コーチング・プログラム開発を行うStudio Stillness代表。

note → https://note.com/honcha_honcha

感想

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サマリー

Fuyutoが抹茶を味わいながら、森本哲郎『豊かさへの旅』を紹介する。1972年のインド旅行記を通じて、物質的に豊かになった日本人がなぜ日曜日の午後に憂鬱になるのかを考える。行為の量が増えて質が薄まり、SNSや動画の刺激が記憶に残りにくいことで時間が短く感じられるという話から、「なめらかな日々」を考察する。さらに、不要なものを排除する文明が自由や幸福、苦しみとともに喜びまで排除してしまうという「排除の文明」を取り上げる。最後に、雨季に外出せず瞑想するインドの「雨安居」と、現代社会に精神的な豊かさを支える生活の形をつくる可能性について語る。

森本哲郎『豊かさへの旅』と今日の抹茶
こんにちは。本茶本茶へようこそ。
毎回一つのお茶を味わいながら、一冊の本をきっかけに、生き方の問いを一つ持ち帰る時間です。
静けさのデザインとケアを通して、創造性の器を育む、スタジオスティルネスのFuyutoがお送りします。
毎週水曜日、19時に更新しています。
と言いつつ、だいぶ久しぶりの更新になってしまいました。
1ヶ月近くですかね。ちょっとまたバタバタしてしまって、間が空いてしまいましたが、
今日も本を一冊ご紹介していこうと思います。
今日ご紹介するのは、森本哲郎さんという方が書かれた、『豊かさへの旅』という一冊になります。
複題がありまして、日曜日、午後2時の詞作。
思い考える方の詞作です。
実はですね、この本、かなり昔の本になります。
というのも、著者の森本哲郎さんは1925年の生まれで、
2014年に残念ながら88歳で亡くなった評論家の方、そんな方が書かれた本になります。
この本自体もですね、1972年なので、
今から半世紀以上前に書かれた、インドの旅行記のようなものになっています。
実際に森本さんがインドに旅行したところの内容が書かれているんですが、
それがですね、少し物語風というか、
様々な登場人物が出てくる小説のスタイルで書かれているものになります。
そんなこともあって、非常に読みやすい形で、
インド哲学の話だったり、宗教の話だったり、あるいは文明批評みたいなことも、
軽やかに語られている、そんな一冊になっています。
去年ですね、一年もうちょっとほど前ですかね、
朝日新聞に堀堀の言葉という哲学者の和志田清和さんが書かれている、
コラムというか連載のようなものがあるんですが、
その中でもですね、この本の一節を引いて、
休日は増えるだろうが休息は増えないのであるという引用をしながらですね、
語られていたことも記憶にあります。
僕がこの本と出会ったのはですね、
実は関西方面にある宿のことをちょっと調べることがあったんですけれども、
その時にその宿主さんが触れていた、
この豊かさやの旅という一冊を読んで宿業を始めたということを書かれていた、
そんなストーリーを読んだことがきっかけになっていました。
かつですね、もしかしたら何回か前にこのポッドキャストでもお伝えしていたかもしれないですが、
最近、スティールリーディングブッククラブというブッククラブを東京で開催しているんですけれども、
そのですね、第2回のテーマがあり得る未来というものをテーマにして、
参加者の方は僕も含めてなんですが、
そのあり得る未来というテーマに何らかしら関連がありそうな本を持ち寄る読書会なんですけれども、
そこに僕はこの豊かさへの旅というものを持参した、
そんなきっかけから今日ご紹介しようと思います。
紹介したいポイントは3つあって、
なめらかな日々、そして排除の文明、
最後にウワンゴの瞑想、
その前にまずは一緒に楽しむお茶から。
今日は京都一方堂茶穂さんの京都限定抹茶、京国の昔というものをたててみました。
今日はお抹茶ですね。
実はこれは頂き物の抹茶でして、先日京都に行かれた方から頂いたんですけれども、
今日の本の紹介の切り口の中でも、なめらかな日々というものがありまして、
この場合なめらかというのはちょっとネガティブな言い方なんですが、
どうしてもなめらかに過ぎていってしまう日々の中で、
お茶をたてるとかお茶を入れる時間自体をお土産に頂くような気がしてとても嬉しかったので、
今日はこちらをお飲みながらお話をしたいなと思います。
ではここから本の紹介に戻ろうと思いますので、
皆様もお気に入りの飲み物と一緒にお楽しみください。
冒頭も触れた通りですね、この本はインドの旅行記になっています。
と言ってもですね、物語調に書かれていて、
主人公がですね、友人の旅行会社に勤める人から、
8月にインドに行きませんか?とお誘いをされる、というか営業をされるですかね、
というところから物語が始まっていきます。
その中でですね、日本でずっと怠けながら過ごしているキャラクターであったり、
一緒にインドに旅行をする仲間たちであったり、
あるいは現地で会うヨガの師のような方たちの中で、いろんな会話がなされていきます。
テーマとしてはこのタイトルの通り、豊かさですね。
物質的には豊かになったはずの日本人が、何で日曜日の午後に憂鬱になるのか、
その問いをですね、インドの特に田舎町の風景に持ち込んで語られていく、
そんなような物語になっています。
なめらかな日々と時間の感覚
一つ目の切り口が、なめらかな日々。
これはですね、インドに旅行中に、同行者から私たちの生活には苦、苦しいの苦ですね、が欠けていると言われた主人公が、
いろいろと試作を深める中の一節からいきたいと思います。
少し引用します。
じゃあ、どうしてそんなに無感動になってしまったのだろう。
おそらく生活のテンポが早まり、すべての物事に対してじっくり考える暇がなくなってしまったからに違いない。
行為の量はやたらと増えた。が、同時に質はすっかり薄められてしまった。
だから、行為の一つ一つが、それほど深い意味を用えなくなったのだ。
すべての行為は機械的に、ただなめらかに滑っていくだけである。
誰も自分の今日の行為の意味を反省しない。
よく覚えてさえいない。
行為が本来の意味を失っているのだ。
日々の行為が、ただなめらかに滑っていくだけ。
その結果、日々が無感動になってしまうという、そんな一節なんですけれども、
1970年代ですね、僕らが生まれるだいぶ前に書かれたとは思えないほど、
その後50年経った今にも刺さる、そんな一節かなというふうに思っています。
ちょっとだけ脱線しちゃうんですけれども、僕ですね、このポッドキャスト以外に
スティルネスレターという、メールマガジンというかニュースレターも最近書き始めたんですが、
そこで紹介した記事の話を一つだけさせてください。
時間の近くは実際に歪んでいるという記事なんですけれども、
これ何かというと、コロナ禍以降ですね、時間の進みがやけに早くなった。
それはコロナ禍の様々な特殊事例だと思っていたんだけど、
コロナ禍が終わってもなお、それが元に戻らない。
そんなことを思う方いらっしゃいますかね。
そういったテーマについての記事だったんですが、
実は脳、脳みそには、この時間というものを測る時計のようなものはないんだそうです。
頭の中にストップウォッチだったり、時計のようなものがぐーっと回って、
それを時間間隔に活用しているということではないそうで、
周囲で起きた変化の量とか、後から思い出せる記憶というものを手がかりに、
時間の長さを判断していると。
非常に主体的な時間間隔というものがあるんだそうです。
そうなると、新しかったり、あるいは身体を伴ったり、
あるいは感情を動かす経験が多いほど、
記憶の中に目印というか参照点が残って、
振り返った時に時間が長く豊かに感じるということがあるのと同時に、
SNSとか動画、あるいはスマートフォン上で行われることというのは、
刺激は多いのに記憶に定着しない、その参照点になりづらい。
だから、やっている時は退屈で長かったはずなのに、
振り返るとあっという間という逆説が生まれるんだそうです。
何かですね、この森本さんが言ってた、
全ての行為は機械的にただ滑らかに滑っていくということ。
行為の量はやたらと増えたが、質はすっかり薄められてしまった。
もちろん、この文が書かれた時にはこういうことを想定してなかったと思いますけれども、
何か通ずる、そんな話だなというふうに読んでいました。
もう一つ本文から引用してみると、
時間というのは魂の関数ですからね。
時間が豊かだというのは、魂が豊かだということですよ。
腕時計ばかり気にしているようじゃ、魂は太りません。
最近、皆さんの時間はどんなふうに流れているでしょうか。
あるいは、どんなふうに滑らかに流れていってしまっているでしょうか。
排除の文明が失わせたもの
二つ目の切り口が、排除の文明というものになります。
これは、なぜ僕らの日々はどんどん滑らかになっていったのか、
というところにもつながる部分なんですけれども、
これはですね、本のだいぶ後半のところで、
実は主人公が二回目インドへの旅行をするパートがあります。
そこでですね、主人公は旅行団の一行から離れて、
一人でクシナガラという場所へ行こうとします。
このクシナガラというのは、お釈迦様が若滅した、
ねはんに入られた場所だそうなんですけれども、
そこに行く前ですね、乗り換え駅のゴーラクプルという場所で、
一泊した時の話になります。
このゴーラクプルというところで、駅前のホテルで一泊をするんですけれども、
ボロボロのホテルであったり、ゴミの山が中心にあったり、
なんて言うんでしょうかね、悲惨というか、
なかなか目をつむりたくなるような状況だったんですが、
逆にですね、主人公はそこに何か自分たちが失ったもののヒントを見つける、
そんな場面になります。
一節引用してみます。
私たちは、東王の昔に白身を捨てた。
トタン小屋を捨てた。
林卓を捨てた。
コンロを捨てた。
町から牛もカラスも豚も追い出した。
だが同時に、広い空を捨てた。
夕べのハズレの音を捨てた。
爽やかな朝と無意の午後と平和な夜を捨てた。
方針と剣体を捨てた。
不条理なもの、役に立たぬもの、剣をするものを片っ端から捨てた。
そしてそれと一緒に自由と幸福を捨てた。
人間にとって一番大事なものを捨ててしまった。
一見してみると、とても悲惨なインドのこの街の暮らし。
日本、あるいは東京にいると、そういった汚さや嫌悪みたいなものからは離れて生きていけるんだけれども、
そういったものを一個一個排除してしまった先に、自由も排除してしまったんじゃないか。
そんなことを語りながら、これをですね、排除の文明と呼びます。
文明とは、不要なものを排除する機構であり、排除することで自分を確立する。
でも、排除は必ず自分自身の排除も秘めている。
そんなことが語られていきます。
もう一節引用すると、苦しみっていうのはゴミと同じね。
だからみんなそいつを片付けようとするわけね。
だけどね、人間が生きている以上汚物を出すのと同じで、
人間は生きている限り苦しみから逃れられないわけね。
片付けようとすりゃキリがないよ。
それなのに夢中で片付けようとしてるんだ。
それで人生を片付けることだけに使ってしまって、苦しみと一緒に喜びもどっかへやっちまって、
片付けを片付けようとしているうちに自分が片付いちゃったのさ。
そしてこの排除の文明という考え方が、副題の日曜日午後2時の試作というところにもつながってきます。
エピローグにおいて、著者の森本さんが語っている一節を引用します。
おそらく、日曜日の午後の憂鬱とは、私たちが排除の文明の中に住まわされているというそのことなのではないだろうか。
片っ端から排除していくという気候の中に座らされているからではあるまいか。
不条理なもの、不要なもの、金と物とにつながらないもの、そういうものは何一つとして許容されない。
そういう社会に閉じ込められているからではないのか。
一見豊かそうで、実は本当に豊かではない世界の住人だからではないか。
1972年、今から50年以上前の森本さんの問いかけ、どのように受け取るでしょうか。
雨安居と精神の豊かさ
最後の切り口は、「うあんごの瞑想」というものになります。
この、「うあんご」ってご存知の方いらっしゃいますかね。
漢字では、「雨に安全のあんに居場所のい」と書いて、「うあんご」というふうに読むんだそうです。
インドでは、雨が降るときには、「であるかざに生者にこもって瞑想にふけると、それをうあんごというんだ。」と本文ではご紹介されています。
仏教辞典によると、インドでは春から夏の3ヶ月間ほど雨季になるので、外出がしづらかったり、あるいは外に出ちゃうと草木のわかめを踏んだり、昆虫を殺したり、摂生してしまうと。
なので、外に出ずにこもる、それをうあんごというふうに言うんだそうです。
そこに関連した一説を引用すると、
うあんごというのもなんと面白い生活の形ではないか。
雨季に雨宿りをして人生を考える。
どうしてこうした生活の形態がもっともっと現代社会に作り出されないのだろうか。
私たちの生活は物質的には豊かであっても、精神の豊かさを保障する生活の形においてなんと貧しいことだろう。
私たちはもっともっと生活の形というものを探求していかなければならない。
その他にもですね、インド人の人生が4つの木に分かれているみたいな話も本文に書いてあるんですね。
1つ目の木が学問をする時期、学生時代。
2つ目の木が家庭生活期、結婚して家を持って家族を養う時期。
その後に第3期、森に住む期間、森の中に入ってそこにいおりを立てて試作生活を始める。
生活のために悪せく働いてきたのを一区切りをつけて、人間とは何か、人生とは何か、反省、探求する、そういう木があるんだそうです。
その後第4期というのは、そのいおりも捨てて遍歴して歩く。
何かそういうようなですね、4つの木を持っているんだという話にもありますけれども、
何か雨が降ったら雨宿りをして考え事をしてみる。
そんなような、日本で言うと成功うどくとも言うんですかね。
そういう暮らしの在り方とか、そういうもののサポートの仕方みたいなことを考えていきたいなと思っております。
最近ちょうど東京では雨続きですね。
あとは台風なんかもよく来る季節になってますが、そんな中の過ごし方の参考になれば幸いです。
ということで、今日は一方堂佐穂さんの京都限定抹茶「京極の昔」をいただきながら、
森本哲郎さんの書かれた「豊かさへの旅 日曜日午後2時の詩作」という一冊をご紹介しました。
SpotifyやApple Podcastで聞いてくださっている皆様、ぜひフォローのボタンを押していただくと、
最新号が出た時に通知が行くと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
それではまた。
21:25

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