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#175 珈琲、手話、オデュッセイア、山守、待つ、因果倶時(2026.10.22
2026-10-23 24:45

#175 珈琲、手話、オデュッセイア、山守、待つ、因果倶時(2026.10.22

#175 珈琲、手話、オデュッセイア、山守、待つ、因果倶時(2026.10.22)

【報告】2026年10月21日「だいたい水曜日〜珈琲飲み比べワークショップ〜珈琲と音楽」
https://gingnang.jp/archives/34965

【報告】2026年10月21日 「ゆるふわ手話」開催致しました。
https://gingnang.jp/archives/34988

【告知】2026年11月18日「だいたい水曜日〜日本蜜蜂のお話と蜜蝋クリーム・ロウソクづくり」
https://gingnang.jp/archives/34587

映画『オデュッセイア』
https://odyssey-film.jp/
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00:13
23時50分、10月22日、木曜日、青森県五所川原市、法営自住職を山田です。
今日で175回目の配信になります。
前回が20日火曜日の配信でしたので、結構いいペースで収録できているなと思いますね。
昨日水曜日ですね、前回の配信でも紹介しましたけど、大体水曜日で、コーヒーの飲み比べワークショップ、コーヒーと音楽っていうテーマでですね、
自由国民族コーヒーの板橋亮さんをお迎えしてですね、ワークショップを開催したんですけど、
そんなに参加人数は8人ということなので、そんなに多くはないんですけど、楽しかったですね。
コーヒーを飲みながら、いろんな音楽を聴いてですね、
どの音楽にこのコーヒーが合うみたいな感じのワークショップだったんですけど、
多分世界でも法営寺でしかやってない貴重なワークショップだったんじゃないかなという風にして自負してますし、
やっぱりやって良かったなと思いますね。
やっぱり結構感覚的なことなので、全然みんなそれぞれが違うっていう、
それぞれが違うっていうことがお互い理解できる時間って本当に貴重だなと思ってて、とってもいい時間だったなと思いますね。
でまたですね、それを終わってですね、夜はですね、ゆるふわ手話がありましたね。
先月のゆるふわ手話が終わった後に確か配信してるんですけど、
その時もゆるふわ手話について話したんですが、ここ何回かですね、すごく雰囲気が変わってきてるんですよね。
というのも聴覚障害の方が参加してくれるようになってですね、
昨日はお二人いらしてましたね、若い方たちですね。
その彼らがですね、非常に魅力的な人たちでですね、すごく場所の空気感変えるというか、
それにゆるふわ手話には、うちだと海外の方が何人か参加してるので、手話と日本語と英語が混じり合ってるような感じで。
03:15
そのコミュニケーションを見てるとですね、本当にとってもいい場所だなって思っていて、
これがまただんだん変化していくんだろうなと思うと、ちょっと僕は楽しみにしてるし、
僕はすごく描いていたこの世界観に近づいてきてるなって感じてて、楽しみですね。
次回ですね、来月のだいたい水曜日は11月18日でですね、
去年と一緒にゆきふら氏の猿田千穂さんが来てくれて、
日本蜜蜂の話とそれから今回は蜜蝋クリームと蝋燭作りがしたいということなので、
そういうワークショップになりますね。こっちも楽しみですね。
またゆるふわ手話の方は来月はですね、11月の25日になりますね。
ちょっと昨日も話したんですけど、この時はたぶん手話カルタで遊ぼうみたいな感じになると思うので、
僕もちょっとやったことないんですけど、きっと楽しい時間になるんじゃないかなという風にして思ってますので、
興味ある方はぜひ参加していただけたらなと思ってます。
ここまでが昨日ですね。
今日ですね、いろいろあったんですけど、午後時間があったのでですね、
ずっと見たい見たいと思って気になってたオデュッセイアを思い立って見に行ったんですよね。
見たい見たいと思ってた時は結構1日に2回ぐらいは上映されてたんですけど、
それが1回になり、しかも昼間の回になりでなかなか行くチャンスがなかったんですけど、
きっとこのオデュッセイアって3時間の映画なので、たぶんですね、家じゃ見ないですよねきっと。
なので絶対映画館で見なきゃと思ってて、今日はですね、たまたまこの隙にと思ってですね、午後行ってきたんですよね。
さすがにですね、この木曜日の昼間に3時間の映画を見る人なんていないだろうなと思ったんですけど、
06:06
結構行ったら行ったでですね、何人かいらしてですね、びっくりしましたけど、
3時間なんですけど、全然飽きないで見れましたね。
今回のクリストファー・ノーラン監督がですね、全編IMAXフィルムカメラで撮影ということなので、
それを受け取る側は、IMAXのシアターで見るのが礼儀なんだろうなとは思うんですけど、
残念ながらですね、青森県にはIMAXのシアターがないのでですね、仕方ないので近くの映画館見に行きましたけど、
それでもやっぱり、IMAXで見てないので比較もできないですけど、
やっぱり迫力のある映像として、音でもですね、グイグイくるような感じでですね、あっという間の3時間でしたけど、
内容的にはですね、細かいことを抜きにしてですね、トロイア戦争の英雄ですね、オデュッセウスっていうのが主人公なんですけど、
彼がですね、ざっくり言うと20年かけて、ふるさとに戻るっていう話なんですよね。
だけど、これですね、僕にはですね、奥さん、妻のですね、ペネロペが20年間待ち続ける映画っていう風にして見えてですね、
ずっと20年間生きているかどうかもわからないっていう、何の根拠もないし、一体何をモチベーションにして奥さんはペネロペは旦那さんの帰りを待ち続けているのかっていうのばっかりずっと追ってた感じがしますね。
見ながらですね、数年前に繰り返し読んでた、和志田清和さんの「待つということ」とか、太宰治の「待つ」とか、
それから今もずっと読み続けてますけど、ベケットの「後藤を待ちながら」とか、そういうのを一緒に思い出しながら、
奥さんのペネロペに寄り添うような見方をしてたかなと思うんですけどね。
その奥さんのペネロペがですね、映画の中にも出てきますけど、
09:02
義理のお父さんのラエルテスという方の教科旅らですね、亡くなった人に着せる衣をずっと追っているシーンがありましたけど、
これがですね、旦那さんのオデュセウスが戻ってこなくて、帰らない屋敷にオデュセウスはもう死んだんだからということで、
自分と結婚してくれっていう旧婚者たちが仕掛けてきてるんですよね。
それが100人以上の旧婚者がいたっていう話なんですけど、
それに対してペネロペは義理の父親のラエルテスの教科旅らを織り上げたら誰かを選びますっていう約束をしてるんですね。
ところがですね、その妻のペネロペはですね、この昼間はずっとその衣を織り続けてるんですけど、夜になるとですね、それを解いてるんですよね。
また朝になると織り始めるっていうことをずっと続けてる。
いつか帰ってくるっていうふうにしたかたく信じられる時もあったでしょうし、やっぱりその希望が由来が日もあったと思うんですよね。
もう帰ってこないかもしれないって思う日もあったと思うんですけど、その教科旅らを織っていく、でそれを完成させないっていうことで時間を保ってた。
その待つっていうことを毎日の手の仕事にしてですね、その気持ちを保ってた。
それがきっとそのペネロペを支えてたんじゃないかなっていうふうにして思うんですよね。
余談ですけど、英語だとペネロペズウェブっていう言葉があって、それがいつまでも終わらない仕事っていう意味らしいですね。
今回のこのオジセイアでいうと、このいつまでも終わらない仕事っていうことにこそ意味があって、
そのいつまでも終わらない仕事が彼女を支えてたっていうところがあるんだろうなと思ってました。
ちょっと昨日の話に戻るんですけど、
12:01
昨日そのうちのお寺でですね、コーヒーなど飲み比べワークショップしてくれた自由木民族コーヒーの板橋涼さんですね。
彼はですね、山盛りをしてるんですよね。山の手入れをしてる方でもあってですね。
手入れしてる山はですね、野辺地町にある山なんですけど、僕も結構何度か行ってますけどね。
なんで山の手入れをしてるかっていうと、
山っていうのはですね、雨が降るわけですよね。
雨が降ると、当然水は高いところから下の方に流れていくわけですよ。
その山に降った雨の水がですね、もし山の土が硬すぎてそのまま下の方に流れてくると、
それがやっぱり今のいろんなところで起きてるような崖崩れてあるとか山崩れてあるとか、
それが街に直撃するみたいなことが起こってくるわけですよね。
だから山に降った雨は、ちゃんとですね、その山の土の中に染み込んでいかなきゃいけないわけですよね。
その染み込んで、それが美しくですね、街の方に流れていくっていうのが理想で、
その土の中のですね、水路みたいな、水脈っていうんですかね。
そういうのをリオくんたちは整えてるんですよね。
それは何でかっていうと、ちゃんと山に降った雨の水が土に染み渡って、
それが栄養をたっぷり含んでですね、下の方に流れていくわけですね。
そうすると、街の方の田んぼであるとか畑は、その山の栄養がたっぷり入った水が流れてくるわけですよ。
だから作物もいいわけですね。
野辺地町は海どこなので漁師町ですからね、それが最終的には海に流れていく。
その海に流れた水が山の栄養をたっぷり含んだ水がまた畑、田んぼ、そして海に流れる。
15:05
そうすると海の生物たちもすごく豊かになるわけですよね。
僕もリョー君からの受け売りで喋ってるだけなので、あんまり間違ってるようなところもあるかもわからないですけど、
基本的にはそういう意味でずっと山の手入れをしているのがリョー君たちなんですけどね。
言葉にしようと簡単なことですけど、本当に山の手入れって言っても本当に大変な仕事でですね。
しかもですね、これリョー君ともよく話するんですけど、
今やってることの結果って、見れるのって多分、その恩恵を受けれるのっていうのは50年後とか100年後の人たちなんですよね。
それが結果的にいい結果になってるのか悪い結果になってるのかもわからないけども、
その結果を受け取れる人は50年後か100年後か。
その時には僕らはもうこの世にいないっていうことなんですよね。
じゃあその時に何をモチベーションにしているのかっていうのはすごく僕は興味あるところでですね。
さっきのオデュセイアのペネロペは、死んでるか生きてるかわからない夫を待ち続ける人だったわけですけど。
山盛りに関して言うと、それ以上でその結果っていうのをもう自分は受け取れない、受け取らないっていう覚悟があった上で、
今日も山の手入れをしているっていうことなんですよね。
本当にすごいことでですね、僕はいつも頭が下がる思いでいるんですけど、
僕の周りにはこういった考えを持って暮らしている人って何人かいらして、
僕はすごくそれから影響を受けてるんですよね。
じゃあお寺ではどうだろう、どう考えたらいいんだろうっていうところはやっぱりずっと考えてることだし、
お寺だからこそこういった考え方っていうのをですね、扇動していかなきゃいけないんじゃないかなっていう風にしても考えるし、
18:01
これは前にもちょっと話したことあるかもしれないですけど、
お寺にもやっぱり参謀ってありますよね。
うちの流行斬法永治、何々斬、何々治みたいなやつあるんですけど、
その参謀はですね、僕はりょうくんがやってることとすごく重ねて考えていて、
じゃあ僕らは何を水ですね、水として受け取って、
それをどういう風にして広げていくかということですね。
ずっと考えてるんですよね。
ちょっと話がずれそうなので、末っていうことですよね。
末っていうと、未来のある地点が目的としてあって、
今はそこに至るまでの空白っていう形をしているように考えるんですけど、
そうなるとですね、今日っていう日、今っていう時間は、
それがまだ来ない時間、時でしかなくて、
そうすると本当にすり減ってくるように思うんですよね。
でも、お寺のペネロペは強化たびらを毎日持っている。
そして夜になるとほぐしていくっていう、
そういったことでその時間を満たしているわけですよね。
山盛りっていう仕事も、もう自分ではその結果を受け取れないっていうのを分かりながらも、
その日その日で山の手入れをしているっていう行為で、その時間を満たしているっていう。
なので、一つ一つを何かのための手段であるっていうことをやめて、
その日その日で完結しているっていう。
そうすると、結果が来なくても、あるいはもう受け取れないって分かってても、
その日は無駄にならないっていうことなんだと思うんですよね。
もうちょっと具体的に言うと、明宝蓮華経がまさしくそうですけど、
蓮華っていう花ですね、これが花と実が同時に付くっていう意味が託されている花でですね、
普通の花っていうのは咲いて散って、それから実が成るっていう時間があるわけですけど、
でも波数に関して言うとですね、花が開く時にはもう実を抱いているっていう、
21:06
つまり原因と結果が同じであるっていう、同時であるっていうことを言いますよね。
これを因果駆持って言ったりしますけど、
つまり、種を蒔くような行為の中に既に実が含まれているっていうような考え方ですよね。
もうちょっと日蓮宗に寄せて言うと、
お題目ですね、波宝蓮華経っていうのを何かを得るための手段として考えて唱える時っていうのは、
それはもう待つ時間でしかなくなっちゃうわけですよね。
それはもうお題目を唱えながらひたすらすり減っていく時間でしかないっていう、
いつかなるんだろうとか、まだかなとお題目が唱えるのが足りないのかなとかね、
そういうふうにしてどんどんどんどん自分をすり減らしていくような行為でしかなくって、
でもさっきの蓮華っていうの例えですよね。
その花と実が同時につくっていうことで言うと、
唱えていることそのものが実りであるっていう、
唱えることがそのものが実りであるっていうことですよね。
だからここにもう待つ時間ってないわけですよね。
原因と結果は一緒である。
唱えることがそのものが実りであるっていうふうにして考えますよね。
これがさっきの山守でもそうだと思って、
山守のこの手入れっていうのも100年後、50年後の人たちのための種まきであると同時に、
今この山と関わっているっていうこと、
今この山と関わっているっていうことは、
つまり代々この山を手入れしてきた人たちとの関わりでもあるし、
それから未来の世代の人たちとの関わりでもある。
この関わりっていうのが、それ自体が実りであるっていうふうにしても言えるわけですよね。
オデューセアのペネロペに関しても、
昼間に折って、そして夜に解いてっていうこの繰り返しの日々ですね。
これもただ無駄な空白の時間ではなくて、
きっとその時間っていうのは夫との関係を生きているっていう、
その実りの時間だったのかもしれないですよね。
24:04
待ちながら会っているっていう状態ですよね。
だからそこにはもう待つっていうのがなくなっちゃうわけですよね。
ということでだらだら話したら25分くらいになっちゃったので、もうそろそろ終わりにします。
最後まで聞いてくださったあの気徳な皆さんありがとうございます。
今日はこの辺で終わりにします。皆さんさようなら。
24:45

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