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『オデュッセイア』二千年後の君へ、2026年のホメロスより #277
2026-09-21 57:52

『オデュッセイア』二千年後の君へ、2026年のホメロスより #277

『オデュッセイア』の話をしました。

社会的テーマを交えたノーラン作品の現在、全編IMAX撮影と実物を使った撮影効果の面白さ、自我を抑えたストーリーテリングの中にもにじみ出るノーランらしさなどについて話しています。

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サマリー

クリストファー・ノーラン監督による『オデュッセイア』映画化について、出演者たちが劇場での体験と作品の構成を語る。全編IMAX撮影による一貫した画角、海や実物を使った特撮的な表現、怪獣映画のようなスペクタクルが高く評価される一方、アクションの見せ方や終盤のカタルシスには意見も分かれる。オデュッセウスの帰還を、英雄の脱神話化と戦争責任、自罰、故郷に戻れない兵士の物語として捉え、キルケやペネロペら女性たちの描写、ゼウスの掟の破綻にも注目する。『オッペンハイマー』との比較では、本作は重い社会的テーマをエンターテインメントの中に包み、ノーランの自我を抑えたストーリーテリングになっていると論じられる。古代から語り継がれてきた物語をノーランが2026年時点の解釈として再演し、現代のホメロスになったのではないかという話で締めくくられる。

ノーラン版『オデュッセイア』の第一印象
今日のテーマトークは、オデュッセイアです。 はい、ではマリオンさん解説お願いします。
はい、映画ドットコムより解説を読ませていただきます。 西洋文学の原点とされる古代ギリシャの詩人、ホメロスの序詩師、オデュッセイアを
オッペンハイマー・インターステラーのクリストファー・ノーラン監督が映画化した超大作。 ノーランが20年越しの念願として、長編映画として史上初となる
前編アイマックスフィルムカメラでの撮影を完工し、 トロイア戦争後の英雄オデュッセウスによる10年に及ぶ帰還の旅を描く。
トロイア戦争を終えたイタケの王オデュッセウスは、妻と息子が待つ故郷への帰還を目指す。 しかし神々の怒りを買った彼の前には一つ目の巨人や魔女、荒れ狂う海の怪物といった
いくたの試練が立ちはだかる。 一方、王の不在が続く故郷では王妃ペネロペに旧婚者アンティノースの影が忍び寄り、
まだ見ぬ父を思う息子テレマコスも窮地に追い込まれていた。 愛する家族のもとへ帰り着くためオデュッセウスは過酷な運命に立ち向かっていく。
オデュッセウスと妻ペネロペをインターステラーにも出演したマットデイモンとアンハサウェイがそれぞれ演じ、息子
テレマコスをノーラン作品初参加のトム・ホランド、旧婚者アンティノースをテネットのロバート・パティンソンが演じた。
その他、女神アテナ役のゼンデイアをはじめ、ルピタニョン語、シャーリーズセロンら5個キャストが顔を揃えた。
撮影はオッペンハイマーのホイテバンホイテマン。音楽はルドビク・ゴランソン。
はい、ではここから内容に触れる話に入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら是非見てから聞いていただけたらと思います。
では最後の感想、マリオンさんいかがでした?
そうですね、ノーラン作品ということでエキスポシティのレーザーアイマックスGTで見てきまして、すごい人が多かったんですけどもっていう状況で見ました。
最後ちょっと拍手とかもちょっと起きたりとかするような環境でしたかね。
感想としてはそうですね、ノーランにしては見やすいなっていう。
混ぜた?混ぜた?
うんうん、混ぜた。
そうですね。
前作のオッペンハイマーとかめちゃくちゃ凝った過去、現代とか時系列をごちゃ混ぜ入れ替えたりとかめっちゃしてというか、
今回も入れ替えてるというか、いろいろ二軸で話が進むのでちょっとトリッキーではあるんですけど、
かなりストレートに結構やってる方というかそこまでいじったりしてない感じっていうのは印象としてはあって、
それもあって見やすかったのもあるっていうのと、
あといい意味で怪獣映画的でもあるというか、
いっぱいわけわかんない奴らが出てくるので、
こんなちょっと楽しいんだという、ちゃんとスペクタクルもすごい結構味わえたというか、
っていうのはありましたかね。
同じくこういう古代ギリシャが舞台みたいな話だと僕はなんかあれですかね、
タイタンの戦いとか思い出しましたけど、
すいません、レイ・ハリーハウゼンの方じゃない方ですけど、
全然最近の方のやつでしか僕は見てないんですけど、
ああいうのとか思い出したりとかして、
あれも確かにいっぱいいろんなモンスターとかわけわかんない、
神話上の怪物とかいうか怪奇みたいなのが出てくるので、
そういったものを味わうという意味でもすごい良かったなっていう部分はすごいありました。
あとこれまでのノーラン作品っぽさもやっぱすごいあるというか、
そもそも題材となってるホメロスの女子誌っていうのが、
いろんなもう西洋文学に限らず、
いろんな物語の原点というか構造の原点みたいなものはあるので、
なんか似てるだろうみたいなのはあると思うんですけど、
個人的にはすごい前作のオッペンハイマー的でもあるし、
あとダークナイト三部作っぽいかなってすごい僕は思ったりしました。
途中オデュッセウスが試されるニタックとかすごいトロッコ問題的な感じとか、
ダークナイトっぽいなとか思いましたし、
あと自分が地略の才を持つ王でありますけど、
自分のやった行いが後々どうなっていくのかじゃないですけど、
みたいなのを試されるあたりとかがすごいやっぱり、
オッペンハイマー的というか感じはすごいしたりとかして、
やっぱりそういうのにずっと影響を受けてたんだろうなというか、
ホメロスの女子誌自体にやっぱり影響を受けてて、
ようやくここに来て原点に挑戦してここまでやり切ってるっていうのは、
やっぱ素晴らしいかなというふうには思いました。
という感じですかね。
大井さんいかがでしたか?
劇場、私はレザーアイマックス、
いわゆる普通のアイマックスというかGTじゃないやつで見たんですけど、
悔しがりながらなんだよ面白いじゃねえかって思って帰りましたね。
面白かったよみたいな感じで帰ったんですけど、
ノーラン文脈っていうなら、
オッペンハイマーの後にこれ撮ってるっていうのがすごい、
なるほどなってなるというか、
ほとんど話オッペンハイマーだなと思ったんですけど、
ただやっぱりオッペンハイマーではむしろ抑制的に語られていたせいで、
メッセージが逆に先走ってたような印象があったんですけど、
本作はそこをしっかりエンタメで包んであるというか、
元々がギリシャ神話の女子誌から始まっているところもあるので、
偏って面白くなってきたような物語であるっていうのが、
やっぱりすごいノーランにフィットしたんだろうなっていう感じはしました。
だから脚色も一部あるっていうのは色々調べてみてわかったんですけど、
とはいえまあそもそもギリシャ神話のオデッセイヤという話が、
まあそもそも面白いよねっていうところに対して、
そこにある意味オッペンハイマーで描きたかったことっていうのを乗っけることができたっていうところは、
すごい彼らしい作劇だなというのは見てて思いましたね。
で、マルさんもおっしゃってましたけども、
序盤の怪獣映画的な面白さは見ててすごい良かったんですけど、
やっぱその、帰りたい男というか、
オデッセウスの脱英雄化の段階というか、
戦争描写が2回出てきますけどそこの映してるものの違いとかっていうところの、
脱英雄化のところとかは本当によく撮れてるなと思うし、
現代アレンジというかお話として英雄たんを脱英雄させた上で、
現代に合わせた形で語り直す、
することで、まさにジョジシがもう一度蘇るというか、
現代として残っていくっていうようなことに、
正直で成功してる作品かなっていうのは見てて思ったりはしましたね。
そう、悔しかったな、面白くて。
っていうのが感想だったかなと思います。
正直全然期待してなかったっていうと失礼かもしれないですけど、
正直そこまで期待せずに、
ここで正解かと思って見に行ったんですけど、
面白かったじゃないかっていう感じでしたねっていう、
そんな感想です。
全編IMAXと実物を使った撮影の魅力
僕はですね、めちゃくちゃ面白かったです。
今までのノーラン映画の中で一番素直に映画だって感じで楽しんだ感覚がありました。
僕も大阪エキスポシティのレザーMXに初日に行ってきまして、
本当に良かったなっていうのはあったんですけど、
今回特に良かったなと思ったのが、
前編IMAXカメラで撮ってる初ってことで、
僕は画角変わるのあんま得意じゃなくって、
すごい嘘を意識しちゃうんですよね。
そのIMAX画角とそうじゃない画角が変わるのって結構ノーラン映画であるあるだと思うんですけど、
僕もあんま好きじゃなくって、
嘘であることを言われてしまったってちょっと冷めちゃうとこがあって、
ただむしろそれがあることですごみみたいなのも出てたと思うんですよね。
今回ずっとIMAXだなって思いながら見てて、
ずっとそれであることによってだんだんそれを意識せずに済むようになって、
すごいというかもうそういうものって感覚で見てたんですよ。
なんかあの凄みではなくなっていくっていう、
もうそういうものを描いているっていう、
そこにあんまり凄みを付与してない感じに受け取って、
それがすごい良かったんですよね。
なんか今までで一番ノーランの自我を感じずに見れたなっていう感覚が。
実際にはねIMAX前編なんてもう自我の塊ですよ。
こんなことを成し遂げるなんて。
でも結果的にはそれを意識せずに、
オデューセイヤーを見てたっていう感じがむちゃくちゃ良かったですね。
あと、あんまCGを使ってなくて、
特撮的なもので表現していることが多くて、
キュクロプスが後ろにいるところとか、
キリケイで兵士が変身させられるところとか、
でっかい兵士たちがあれ撮り方の工夫でやってるとかっていうのが、
むちゃくちゃ良いやんと思って。
なんかね、撮る楽しさがあるんですよね。
で、撮る楽しさが見る楽しさになっているなと思って。
で、実際海で撮ってるとか、もうバカだろうと思うんですけど。
いや、それが本当に良いですよ。
ちゃんと画面の中のことを信じて見られているなと思って。
それはもう前編IMAXも聞いてます。
嘘である瞬間はあんまり意識せずに見れたから、
前編、本当のこととして語ってくれているっていう、
その喜びがありました。
なかなか得難い喜びだったなと思いましたね。
怪獣映画的な演出と映画館体験
あとは、およいしゃべっていこうかなと思います。
では、お便りいただいてますので紹介させていただきます。
では、まず大石さんお願いします。
はい、光小太郎さんからです。
オデュッセイヤですが、家のテレビで見ていたら、
モンスターが出るとこだけ見て終わっていたなと思います。
2時間運転して県を越え、高い料金を払ってIMAXで見る。
だからこそ前の目になって3時間映像にぼっとする。
その果てに訪れるほんの一瞬の高揚と苦い後味。
時間と感覚を操れる芸術が映画であり、
こういう体験を比較的サクッと味わえるから、
自分は映画館に行くのだなとしみじみ思いました。
ただ、時間とお金をかけた分、アクションのダサさや
ラストのピンボケにいつも以上にがっかりも、
気持ちよく終わらせてくれないのがノーランらしいなとも思いますが、
皆さんが映像に注目するのかストーリーに注目するのか
ドキドキしながら配信を待ちます。応援してます。とのことです。
ありがとうございます。
僕はエキスポのアイマックス行くときって、
絶対にエナジードリンク飲んでから行くんですよ。
絶対に全力で集中したいから。
カフェインと糖分がっつり取ってから行くんですよね。
でも時間もかかるし、あそこまで行くの。
そうですね。
やっぱね、かけたコストを回収したいって気持ちが
ぼっとうどに貢献しているなと思います。
そうですね。
こういう環境で見るっていうこと自体が特別な体験?
それはノーランめちゃくちゃ意識しているからこそ
ずっとアイマックスアイマックスって言ってると思うんですけど、
本当に甲太郎さんのお便り読んでると、
それはもう絶対何が何でも見るぞみたいな気が乗りますよね。
2時間運転して高い料金も払ってっていう部分から。
そうしてもらえてるのはノーランとしても嬉しいことだと思うんですけどね。
ノーラン映画、もちろん映像も素晴らしいんですけど、
ここ最近というかダンケルク以降なのかもしれないですけど、
なんか音がどんどんでかくなってるなと思って。
今回とかめちゃくちゃ爆音じゃなかったですか?
そうですね。雷の音とかね。
そんな音するかなってくらい雷すごい音しません?
バーンって来たりとかね。
そうそうそうそう。
嵐に巻き込まれるとか大体やばいですよね。
そもそも冒頭はホメロスの女子子の語りから始まって、
銀雄詩人の語りから始まりますから、
あそこの杖で地面を叩く音がタンタンタンって音が爆音すぎて、
何が始まったのかと思うぐらいには。
なんか音声調整間違ってるってぐらいにはでかくて、
そこもまた没入させてくれる1個のキーになったなと思ってますね。
アクションのダサさ。
僕あんまりそこ意識しなかったですけど、
普通かなって。
すっごい際立ってたって感じもないっていうか、
ラストとかね。
結構制約多い中での大立ち回りで、
しかも上の階から武器が穴から落ちてくるみたいな。
どういうステージギミックなんかなみたいな。
昔の横スクロールアクションみたいなね。
武器投げてくる画面がいっちゃう。
なんかすっげー盛り上がってるものとは別のものかなって言われたら、
そうかもしれないなと思うんですけど。
僕本作、アクションあんまかっこよくなくてもよかったなって気はしたんですけど。
そうですね。
そうなんですよね。
確かにこの話でアクションウオーってされてもなっていう話でもそもそもあるからっていうのはあるんですよね。
だから特にオデュッセウスのすごいところって、
弓の技がすごいっていう展開があるじゃないですか。
あれも斧のところ12本くらいのところを通して撃てるぞみたいなやつとかも、
あんまよくわかんないじゃないですか。正直。
けどあいつがすごいところってどっちかって言うと、
あの弓張るところすごいみたいなところですか。
そこですよね。
そこ?みたいな。
弓張った後にボンって鳴らすとこ?みたいな。
あのボンって鳴らすところに多分めちゃくちゃ重きを置いてる映画だから、
不思議なんですけど、そこは。
あそこめちゃくちゃ引っ張ってましたもんね。
弓引っ張るって言うのもそうですけど、展開としてというか。
そうそうそうそう。ようやくこいつがやるぞみたいなところね。
しかも一回やってあ、だめそう。大丈夫?みたいなのがあってからのみたいなね。
そうそうそうそう。
え、お前まさかオデュッセイドキュッみたいな感じになるわけじゃないですか途中でね。
こういう展開なんですけどね本当にね。
なんかほんとね、ミト高門がこの高門が目に入らぬかっていう感じのね。
あそうそう。本当に最後のあたりすごい時代劇感感じましたよ。
遠山の金さんとか。
お前これが目に入ったということは?みたいな。
あとそうなるよねみたいな感じがすごい日本の時代劇っぽさも感じましたよね。
まあそもそもお話が完全懲悪ではあるっていうところ。
土台としてそのまあ少なくとも彼の板家の下りのところは完全懲悪ではあるというか、
悪側のロバートパティンソンがだいぶ引っ張るんで。
そこでこっちはストレスを溜めながら見続けて最後にそれをすっきりさせるっていう展開になってる。
まあ元々の話もそうだと思うんですけど。
ところとかはまあそこにアクションのカタルシスというよりも、
帰ってきた時の帰ってきたぞでカタルシスを設けるところはそうですよね。
なんか時代劇っぽさは感じますよね。
あと僕あのノーランってアクションの作家というか絵の作家だと思うんですよね。
画面で見せる作家だと思うんで。
なんか確かにアクションすごいって思ったことはない。
絵はすごいと思ったことあるんですけど、アクションすごいってあんまないかもなとは思って。
ただやっぱ絵がいいんですよ。
今回って基本的にラストに至るまでは基本的に一方的に死にかけ展開が続くじゃないですか。
死にかけ展開の絵はむちゃくちゃいいんですよ。
怪物に追いかけられたり、でっけえ兵士に追いかけられたり、嵐で死にかけたりとか。
あの歌めっちゃよくて、僕そっちで満足してたなと思って。
戦争をかっこよく見せないっていうのも割と本作は意図してるっぽくあるので、それ含めて僕はアリかなと思いましたね。
あとあの映像に注目するかストーリーに注目するかなんですけど、
特にクリストファー・ノーランはここを深むというか、切り分けるのが難しいと思います。
そうですね。どっちかだけで語っても明らか語っておちになると思うんで。
本作は特にストーリーテラーの面出てますからね。
僕も喋りたいことはそっちのテーマ設定とかストーリーの方かなとは個人的に思ってるんですけど、
そのストーリーが大昔の古代ギリシャの話だけどめちゃくちゃ今に通じてるよねみたいな話の方がしたいかなと思ったんですけどすごく。
映像もすごい楽しんではいますけど。
だから絵作りはそうなんですけど、やっぱり最後のセリフで言葉はなくなっても歌は残るみたいなセリフありましたけど、
最悪映像はなくなってもストーリーは残るって思ってたかなこの人って思って。
その辺はシャマランぽいんですけど。
あれって自分のことどっちかと思ってると思います?
それね、難しい問いですよ本当に。
またあれですか?ノーラン自分重ねてんちゃう問題が出てますかこれ。
オペンハイバーの時話しましたけどそれ。
それは重ねてるでしょ。
今回でもあんまりそこはどうなんだろうな。
確かに自我が少なめではあるかもしれない。
少ないとは思いますよ。
そうなんですよね。それもすごく見やすくて僕は良かったポイントだと思ってるんですけど、
オペンハイバーは絶対重ねてるじゃんってこっちからジャスイモ込みですよ。
で、思っちゃうじゃないですかあれって。
それがかっこつけしいだなって思うわけですけど。
そこがめちゃくちゃいいところでもあるんですけど、
今回そういうのがないというか、あんまりこれでかっこつけられてもちょっと困るなっていう話でもあるように作ってるなと思ったんですけど。
そうですね。だからストーリーテリングという意味で多分重ねてるのは原油詩人だろうなって私は思ってて。
そうですね。
オディスセンスには重ねてない気がするんですよね。
それはそうやと思います。
そうそうですね。
だいぶ主人公とは逆体化されている。
だから一番最初にそれこそ原油詩人が話を始めるところからこの物語が始まる通りで、
ストーリーテラーであるっていうところに徹したのがむしろ今回の映画なのかなっていう。
なるほどね。
確かにね、今回もそうというか、2000年以上前からあるジョジシを語り継いでるだけとも言えるんで。
そうですね。
もちろん自己解釈はありますよ。
でもそれってあらゆる神話文はジョジシも絶対解釈を変えながら変わっていくもんだから当然そうだと思うんですよ。
オディスセイヤーが初めて語られたときと途中で語られた間、絶対違う話じゃないですか。
今ノーランが語って、当然今までと違うんだけどやっぱりそれはオディスセイヤーではあるから、
あくまで自分はパイプではあるとは言ってるとは思うんですよ今回は。
あんま字が見えないっていう。
特にジョジシを描く以上、字があんま出てないなっていう。
だからね、以前ちょっとアカネ話の話しましたけど、古典落語だなって思いました。見てて。
そうですね、古典の話ですよね。
ノーランという落語家が古典落語をやってるなって感じがすごいするというか、
俺の解釈だとオディスセイヤーはこういう落語になるぞみたいな感じでやってる感じがすごいして、
その楽しさはあったかなと思いますね。
はい、では次行きましょうか。マリノさんお願いします。
はい、ポーゲさんからいただいてます。
オディスセイヤー109シネマ大阪エキスポのアイマックスで2度鑑賞。
すごい。
すごい、2度見たらすごいな。
映画が始まる前にある制作の映像でよく見かけるTSGエンターテイメントのあの斧に矢を放つやつ、これが求めるかと唸ったり。
これはわかる人にはわかるんですけど、僕もすごい思いましたね。
今回ノーラン監督作品にしてはかなりわかりやすいぞと思える作品。
鎧の巨人のところで木々が地面ごと動いているのを見たときは何事かと驚いたけど、
ノーラン監督ならばやるか。
バックルームズを同じ日に見たのもあったせいか、帰国の旅もどこか彼を攻め立てる夢の旅にも思えたり。
鎧の巨人のところも初め子供が出てくるところもトロイの木馬作戦で犠牲になったシノンの子供時代とダブらせてきているのかなと思ったら、
その後まんま冥府からやってくる展開で少し意外でした。
また魔女のキルケも戦争による被害を受ける女性というのも、
終盤にあったトロイの戦争でたびたび襲われている一般市民の女性のところでの印象を際立たせていたように思えます。
しかしキルケの一連のサスペンス感とホラーじゃない作品で出てくるおぞましいものを見せられる感じがすごかったです。
今回全編アイマックス撮影だったこともあり、
テネットの時に感じたようなシーンとシーンをまたいだ時の画面サイズがコロコロ変わるような部分がなく
シームレスに見れるようになったのはとても良いです。
皆様の感想を楽しみにしています。
ありがとうございます。
やっぱ見やすかったですね、今回。
確かにキルケのところめっちゃ良かったですよね。
あそこね、僕CGじゃないのめっちゃ良くて、
結構あそこCGだとどっちが開けてたなと思うんですけど、
形が変形する何か物理的なものを使って変身を表現しつつ、
カメラを横に動かしてキルケをまたぐ度にだんだん変化していってるっていうね、
これが映画ですよ!と思って。
あれをやるのが、物自体で表現するんじゃなくて、
撮り方で表現するのが映画だなと思って。
良かったですね、あれ。
カメラのフレームで嘘をつくっていうね、そこが今回上手かったですよね、ほんとね。
上手かったし、ちゃんとマガマガしいし、
すげーもう見てるなって思いましたよ。
本当に口の中に腕入れてるみたいな時とか、
おいおいやりますねみたいな、すごいじゃないですかみたいな。
全体的に特撮っていう表現であってるかわかんないですけど、
CGはあまり使わずにやってる。
キュークロップスのところとかも結構でっかいものを作ってやってるとか、
だから実際そのキュークロップス自体にあんまりカメラ自体は当たらなくて、
結構後ろの方でうごめいてる何かとして追っかけてきてるとかっていう、
いやでもそれによってむちゃくちゃ緊迫感出てたなと思うんですよね。
あそこがむっちゃ良くって、ほんとに。
ピンボケの後ろから迫ってくるところの怖さたるやですよね。
見れないですよね、実際追われてたら。
あれはね、見れない。
ちょっとだけそれこそ初代ゴジラでそういうショットあったなとか思い出しましたもん。
物語構造と意味の伏線
だから怪獣映画としてというか、モンスターパニックとしても結構よくできてるところはこの作ありましたよね。
見ててそこはすごい楽しかった。
あとお便りに書いてある感じだと、最初の方に出てきたものが後々聞いてくるような感じに作りとしてなってるというか、
結構トロイヤ戦争の下りって結構細切れに出してるというか、何回もリフレインしながら出してるというか、
同じシーンとかも含めて出してるのが後々色々重なってきたりするというか、
本当にシノンが冥府にまた出てくる時に出てくるとか、
キルケとあとあれですね、ゼンデイヤがやってた役というか、アテナの姿というかね、
はやっぱ重ねてるよねとか、
本当にお前がやったことを思い出せっていう映画だと思うので。
そうですね。
それは随所にあそこがあれで、みたいなのがどんどん思い出していくみたいな感覚もあるし、
映画的に見てるという意味では伏線が繋がっていくような感じじゃないけど、
意味の伏線が繋がっていくような感じにもすごいなってて、
編集も際立ってるというか、編集というか脚本の段階なのかな、わからないですけど、
確かにそれはすごく、結構ストレートにやってる感じはすごいしましたね。
だから今回も時系列っていう意味では割とバラバラと情報は出されてるんですけど、
そもそも2軸あって、息子の視点からオデューステウスの現状を辿るっていう話の方での時間軸の減り方と、
オデューステウス自身が思い出すっていう時間軸の減り方があるんで、
そんなにそこは変じゃないというか、時間軸を跨いで情報を出す。
これもそもそもオデューステイヤー自体がそういう話っていうのはあると思うんですけど、
っていうところがすごい自然にできてるなって感じがあって、
やってますぜじゃないのが今回はすごく良かったと思いますね。
確かにお便りの中にもある通りで、結構モチーフと、
あとは結局最終的にはトロイア戦争のことを食いているっていう話に全部見えてくるっていうところ。
彼の旅そのものがっていうのとかもやっぱり上手い具合に、
たぶん本来のオデューステウスというかオデューステイヤー自体のお話の中では、
そこまでその要素って多くないんじゃないかなと思うんですけど、
そこをうまく編集してるなと思って。
オデュッセウスの戦争責任と現代性
僕が調べた限りだと、もともとがオデューステウスの帰っていく旅路っていうのも、
途中で自分で語ってるものであるから、どこまで本当かっていうのの確かさが曖昧ではあるから、
兵士たちが死んだことの責任とかを、
オデューステウス自身がどこまで本当に語ってるかっていうのがわからないみたいな視点はあるっぽいんですよ。
なるほど。
だから実際オデューステウスがやったことのせいで兵士死んでるなっていうシーン結構あるじゃないですか。
ありますね。
その責任っていうものを、どこまで本当にオデューステウスの責任なのかなっていうののわからなさみたいなのはあるらしいんですよね、もともと。
ただ今回はよりそこの責任っていうものを、さらに戦争責任っていう捉え方にしているなって思ったんですよね。
実際にオデュースセイヤー自体をベトナム機関兵の精神のありをとして捉えるみたいな見方もあるらしいんですよね。
ずっと国に帰れないのは自分の国に帰れないベトナムに来た兵士の心情を表しているとか、
途中でやるのは戦争犯罪のことなんですよね。
帰りたいけど帰れないとか、あるいは罪を背負ってしまってるみたいな、
そういうものをオデュースセイヤーの帰りの旅路の中で表現しているみたいな視点は実際にあるものらしくて。
魔女のキルケーのところが、戦争によって被害を受けた女性の話だっていうのも割と最近になって出てきたものらしくて。
なるほど。
元々は単に魔女だし、結構長いこと滞在してるらしくて。
そうですね、1年くらいいたらしいですよね、本当はね。
映画では半日くらいだったじゃないですか。
一瞬で。
そんなんならオデュースセウスも豚になったっていうのも女子誌のバージョンによってはあるくらい。
なるほどね。
そこの見たては面白いし、そこをやっぱり今回拾ってきてるじゃないですか。
オデュースセウスのキロは、自分自身の戦争犯罪と向き合う旅路でもあるっていう側面を帯びているっていう。
戦争の中で暴力によって相手を貶めたこと、あるいは市民を虐殺したり虐奪したりしたこと。
あるいは自分の判断によって部下を死なせたこととか、いろんなものを含んだ旅路になっているっていう。
そこは今回すごい強調したし、やっぱオッペンハイマー後の視点だなっていうのは思いましたね。
ゼウスの掟でしたっけ?今回結構キーワードになってると思うんですけど、
来たものは拒んじゃいけないっていう。
基本的にはその人から帰るって言わない限りは追い出していけないみたいな、確かそんな決まりだったかと思うんですけど。
ゼウスの掟というものを悪用したのがトロイの木馬なわけですよねっていうのは解釈としてあって。
そこは本当にオッペンハイマーの科学を純粋に突き詰めた結果、良かれと思って原爆作っちゃったみたいなのが多分近いんですよね。
その結果しかも自分たちの故郷である伊達島ではあんな感じになってしまうわけですけどっていう。
なんかその辺のこうやってしまったことの取り返しの疲れさみたいなことを描いてるのはすごいオッペンハイマーっぽいし、
ある意味そのやってしまった後、もう世界はもう不可逆に変わってしまうのだっていうことへのなんか絶望感とかはすごい現代的なテーマ性でもあるよなっていうのはちょっと見ながら思ったよりはしてました。
そうですね、そこはなんかオッペンハイマーはなんかそれを自分が全てその状況を作り出した感があるから余計なんかカッコつけてるな感が出たと思うんですけど、
今回って別になんか全てがオデュッセウスが作り上げたものではないじゃないですか。
その伊達の王の、その伊達の国か、での腐敗も別に彼がいないことによって起こってはいるんですけど、
いわゆるそのゼウスの掟がなんか破られつつあるみたいなのって、まあ要はそれなんていうか、すごい現代っぽいなっていうのはなんか人々の良心とかないんかみたいな話、
結構最近多くないですかみたいなのを多分感じてるからこそ描けるよなと思ってたんですよね、なんか。
それはなんか一線超えちゃダメじゃないですかみたいなのをみんな平気でやるようになってる世界、
まあそれはなんかいつの時代もあったと思うんですけど、生きていけば生きていくほどに、あれ?なんか良心のライン下がったみたいな感覚を受けるようなことって結構多いと思うんですよね。
世界情勢とか見てもいいんですけど、なんでもいいですけど。
なんかそこにめちゃくちゃ今回ダイレクトに差しに来てるな感はすごいあったんですよね。
まあそもそもトロイア戦争っていうのがすごいなんかまあ対外的な意味でなんかすごい俯瞰良さバンバンあるような話でもあるっぽそうだしなみたいなとこもあるし、
なんかそういう良心をつけ込んだかのような展開ですよね。
なんかそういうのってまあなんかすごいSNSにはびこるなんかハックしてやったぜ感みたいなのをすごい僕は見ながら連想したりとかして、
いやお前のハックってそれ良いことかねみたいなやつあるじゃないですかみたいなっていう部分にもすごい似てるなと思ったし、
なんかすごい現代的に多分アレンジというかなんか意味こもるようにしてるなあというのはすごい感じましたね。
それこそいたけど旧婚者たちのねあのハックしてるぜ俺たちは感ね。
すっごいっすよね。
まあだから最後気持ちいいんですけど。
本当にオデュッセウスがトロエンの木馬によってある種この世界が良きとしてきたもののルールを変えてしまったっていう、
それが法則においては神の怒りっていう言い方をされてるとは思うんですけど、
それ世界のルールが変わることを神の怒りであるっていう言い換えてるとも言えると思うんですよね。
実際その訪ね人は歓迎しなければならないっていう今まであったはずのルールに裏切られ続けるわけじゃないですかずっと何回も何回も。
でもまあ本当ありますよねそれなんか1個ハックによって得したと思ってるけど世界全体ではマイナスに働いてるでしょそれみたいなことっていうのがあるじゃないですか。
めっちゃありますね。
それを一つのオデュッセウスという英雄的な存在のジョジシに預けてるけど、
でもみんなあるでしょっていうあなたが今ズルして手に入れたそれによって世界全体は悪くなりましたがみたいなのは全然あるとは思うんですよね。
すごいその本当に偶意にともと言っていいと思うんですけど、
素直によくできているっていう。
そうなんですよね。だから結構しっかり社会派っぽくはもう見えるというかより、
別にオッペンハイムもすごい社会派ではあると思ってたんですけど、
すごく今の世界の感じにダイレクトに繋がってる感じがすごいしたというか、
いろいろメタファーとか読み解きがしやすい話ではあったのかもしれないんですけど、
でもなんかそういうの念頭に置いていろいろ作ってそうな気はするんだよなっていう気はしたんですけどね。
あとこの時代特有のというとあれですけど、
女性キャラクターと現代的な視点
今作に描かれる女性たちの扱いとかもすごいやっぱ酷いじゃないですか。
ヘレネとかの扱いというか、なんかああいうのもちゃんと描こうとじゃないですけど、
触れてるあたりとかもまあなんかちょっと変わってきてるのかなノーラもみたいな風にちょっと思ったりしましたね。
確かに。
今作結構女性キャラクターは印象的に扱われてますからペナロッペもそうですし、
結構そのもちろん権力という意味ではというか、主権という意味ではあまり持たされてないということではあるんだけど、
それこそオディスセウス二人の20年間はペナロッペが支えてきたわけで、このイタケオっていうくだりがありますけど、
なんかそこもしっかり描けてるというか、
なんかね、テレマコス、トム・ホランドに出てるテレマコスがね、ちょうどよく情けなさそうなのがまたよくて、
こいつには任せられないってなってるアン・ハザウェーがまたいいんですよね、この作。
はい、じゃあ我々からトピック出していきましょうか。
一個触れたいことがあって、エンドロールなんですけど、
キャストが出るところ、今回オーダー・オブ・アピアランスだから登場順で出るじゃないですか、
一番上がね、バードだから、銀夕詩人なんですよ。
そうですね。
クールだなと思って。
そうですね。
しかもそれこそエンディングのラップを歌ってるのはその銀夕詩人ですからね。
そうですね、トラヴィス・スコットですね。
このジョジ氏は銀夕詩人から始まる、クールですねって思ったんですけど。
確かに。
そうですね、それでその役に当て込んでるのが、現代の銀夕詩人は誰かって言ってトラヴィス・スコットっていうあたりの、
もう、もうみたいなね、いいじゃないですか、その構造の使い方というかね、やりますねって思いますよね。
多分あそこ一番本格で格好好きなところかもしれないですよね。
あと僕格好つけてそうなポイントあれですかね、総大将の鎧のデザインですか。
ああ、あれね。
アガメウノンウォで。
かっこいい、かっこいいじゃん。
バットマンやん、あれ。
あれはバットマンでしょうね。
ごついバットマンやん、みたいな。
うん。
めちゃくちゃかっこいいですよね。
あの、こう、トロイの門がバッて開けるときにあいつが真ん中にいるじゃないですか。
もうバットマンみたいな。
あれバットマンだよねなあと思って。
バットマンだよ、みたいな。
クソかっこいいじゃないですか、みたいなね、と思いましたよ。
あれね、リチギですよね。
あそこであの門に対してあの距離感でずっと立ってたかって思うとリチギだなあと思って。
基本ね、あんまり彼がこう活躍してるとかアクションしてるところはないんですけども、
なんか存在でね、まさにそのバットマンが存在を恐怖としてゴッサムシティに焼き付けるんだっていうところで彼がなってきますけど、
ほんとそういう感じというか。
あのデザインだけはノーラン自身が描いたらしいっていうのは聞きましたね。
あ、そうなんだ。
うん、らしいですよ。
いいじゃん。自画だしてるじゃん。
あれは自画だなって思って。
いいじゃん。
あとその鎧の話で言うと、ビジュアル的にすごいわかりやすかったなあと思って。
トロイアの兵士が白で、こちら側のギリシャの兵士は黒っていう。
で、その後迫ってくるキュプロスとか、あるいは少しこう背の高い巨人軍とかも見ててもちょっと白色なんですよね。
だからトロイアの時のトラウマっていうものを重ねてるようにも見えるし、
単純にそのペネットの時もそうですけど、
わかりやすくするというか、色でどっち組かわかりやすくするみたいなことをしてるのかなっていうふうに思って、
あの辺とかもすごい見やすい一個の工夫だなと思いました。
確かにね。
あともう一個ビジュアル面で思ったのは、トロイの木馬でけえって思いましたけど、
あんなでかかったの?っていう。
なんかあんな塩で埋まる場所に置かんくてもよくねってずっと思ってて。
そうですよね。あそこで待機するの大変だろうなとか思いましたし、
あとあの木馬のデザインにわざわざ車輪を付けないという辺りに自我が出てると僕は思いましたけど。
運ばせる?
車輪付けるだろ?とか思って。
あの距離をね。
贈り物としてあまりに配慮がないですよね。
そうなんですよね。
そうなんだよ。
運ぶ側のこと何も考えてないですよね。
考えてねえなって思うんですけど。
入る側のことしか考えてないからね。
でもかっこいいじゃないですかみたいな。
かっこいい。それはかっこいい。
車輪を付けたデザインで絶対したくないぞっていう意思が読み取れましたっていう。
でもあとちょっともっと見たかったなっていうところで言うと、スケーラーですかね。
あー。
ちょっとなんかよくわからなすぎたっていうのはありましたね。
怖いんですけどね、めっちゃね。すごく良かったではあるんですけど。
ちょっと全体像見たかった感はありましたかね。
なんか藤坪みたいな感じになってきましたもんね。
そうそうそう。あれはあれで怖いんですけど。
やべえもんがあそこにいるぞってなるんですけど。
確かにな。怪獣描写結構そういうことあったけど、スケーラーは確かにちょっと見づらかった感はあったのと。
精霊園も若干こうぼやっとはしてた。精霊園はな幻みたいなもんだから。
見える距離に行っちゃダメっちゃダメで。
まあそうかもですね。
ただちょっと面白かったのが、精霊園の岩場にめっちゃアザラシいませんでした。
なんかいるなと思ってました。
だから多分一説にアザラシを見間違えてるみたいな話があるからなのかなと思ったんですけど確か。
なるほど。
ちょっと曖昧なんですが記憶が。
そうなんかめっちゃアザラシと一緒にいるなと思って。
そこちょっとだけ和んじゃいましたねあそこね。
あそこでオデュッセウスが耳塞がずに自分の体縛って撃ったわざわざ聞いたのってあれって好奇心ですか?
英雄たん増やそうと最初は思ったんじゃないですかっていう風に思ってたんですけど、
どちらかというと結局あの描写って自罰というか自分の罪に向き合うみたいな描写ですよね多分。
なんかそんな感じでしたかね。
見てる印象は。
実際多分あのあそこで歌聞いた後むちゃくちゃダメージ食らってましたけど、
なんかあの一番欲しいものはもう手に入らないものとかちょっとあの正確なところ覚えてないですけど、
でも多分あれって別にあの歌聞かなくても彼の中にあったものだと思うんですよね。
あれ自体が。
すでにあったものを思い出させられただけで、むしろあの旅の間ずっとそれに苛まれてたはずだと思うんで、
なんかまぁちょっとわかりやすくする感じかなっていうあのあそこで。
そうですよね、だからあれ特に映画の後半もうだいぶ思い出してきたあたりで語られるっていうのもあって、
結構テーマ性がもう真ん中にきつつあるような感じで見れますよね。
あとそうだ、野良っぽいなって思ったポイントなんですけど、
ちょっとした小物にいろんなもの託すじゃないですか。
ペネロペからもらったアテナの像もそうですし、
あとはあのロバートパティンソンの弟のクジのあれとか、
ああいうのに物語のという、結構キーアイテムを使って託すのとかめっちゃ野良っぽいなと思って見てました。
確かに。
やるよねっていう、インセプションのあれとかコマとかだよねみたいな感じで見てましたけど。
でもなんか意味がこもってるものってなんかね、それだけで交渉のものに見えるからねっていう。
今回の本とかのロバートパティンソンの悪役っぷり結構好きなんだよなっていう、小物っぷりというか。
結構ロバートパティンソンが小物やってる映画大体面白いやつが多いんですけど、
これ全部ネットフリックスで見れるやつとかであるんですけど、ザ・キングって映画だったかな。
ティモシー・イシャラメが主人公のなんかそういうちょっと中世のなんかみたいなやつで、
そのなんか他国から攻めてくる王みたいな、すんげえ行きつけねえ、今回みたいな役みたいな。
すごいネチョットした感じも含めて常に似てるなとかあったりとか。
あとこれトム・ホランドが主人公で出てるやつで、悪魔はいつもそこにあった。
それもネットフリックスとかかな。
タイトルだけ。
あれにも出てるんですけど、あれの時のネチッコさともすごい通じてますね。
なんかね。
ロバート・パティンソンのネチッコい演技すごいいいです。
ネチッコいし、ちょうどよく小物だしっていう。
そう。そこでめっちゃうまいんですよね。
それこそ最近だとドラマの2人、ゼンレイヤーと共演してるやつありますけど、
あれもね、小物だなーってなってくんで、なんかね、いいんですよねロバート・パティンソン。
顔は整ってるんだけど、なんか小物だなって感じが。
うん、わかる。
もう最後の立ち回りの時とかも、なんか自分は一切出てこずに。
ほら、いやー落ちてきた、意味落ちてきたぞーって言うだけっていう。
やれやれーってしか言わない。
だってあいつ夢のチャレンジすらやってないですから。
ほんとそうですよね。
俺もう多分無理やからとか言って。
お前、やってみーやみたいな感じのね。
あいつ何もしないからなっていうね。
いやほんとね、ちょうどよくこいつってなるんだよなって。
素晴らしい。
素晴らしかった。
悪役アンティノースとカタルシス
結構あいつの存在、この映画で大事だなと思っていて。
まず一つが、タイムリミットとしての役割がある。
だから、オデュッセイス早く帰ってきてっていう、見てる方のこっちのカウントダウンとして働いてる。
だから、そこにフックがあって、それの原動力に結構映画を見れると思うんですよね。
あともう一つ、悪役がいないと結構オデュッセイス悪くねっていうのが強く見えすぎると思うんですよ。
実際そのオデュッセイス自身の判断ミスみたいなものは結構重要なファクターだと思うんですよ。
元のジョージ氏の時点からそうだしたら、音楽作の映画の中でもオデュッセイスがああしていなければっていうのは結構連続だからこの映画って。
そこでオデュッセイスにヘイトまで言ってしまうと結構映画として見にくくなると思うんですけど、
とはいえこいつ悪いでしょっていう奴がいてくれるのはかなり見やすさだったんじゃないかなとは思って。
だってキュクロプスに矢を打つのとか、それあかんやろって思ったと思いますもんあれ。
あれはね。
矢のことしてるなって。
ですよね。
余計なことしてるなって思いましたよね。
確かにな。だからちょうどよくヘイト処理もして見れるっていうところの抑えなんですねあいつはね。
あいついなくったらむちゃくちゃスッキリしない話なんですよこれ。
確かに確かに。
めちゃめちゃ彼がになって役割が大きいなって思いましたね。
でもなんかスッキリしない話でよかった気もしてるんだけどなこれってちょっと思いがあるんだよなって思って。
まあ難しいとこですね。
最後の大立ち回りでなんかちゃんとかっこいいじゃないけどなるのっていいんかなってちょっと若干思いながら見てまいりまして。
なるほどね。
若干なんか英雄たんにまだちょっとすがってる感じしますけどみたいな。
お前すがっちゃダメくねみたいな話というかテーマに設定してるから、
え?いいかなこれとかちょっと思ったりしました。
たぶんねそこがシャマランならやらないところで。
シャマランはやらないかなどうかな。
なのかなってちょっと思いますけど。
元がそうだからとか言われたらそうなんですけど。
そうそのオデュースセイウス自身の英雄という側面とその責任と過ちを背負った一人の人間っていう側面のバランスだと思うんですよね。
そもそもオデュースセイヤーって。
それを元のジョジシの時点からあった側面をノーランなりに仕上げてるのが今回。
やっぱね最後に大立ち回りの背脂みたいなの乗せちゃうのがノーランだと思うんですよね。
ちょっとこれだと食べ応え足りない気がするなと思って動物性の脂を最後に乗せてちゃんとこってりとした食べ応えを乗せてしまうのがノーラン。
エンタメ作家としての誠実性って意味ですかねある意味ね。
これダークナイト三部作だったら飲み込めるじゃんみたいなというかバットのヒーローだし一応みたいな。
構造としてはもうすごいダークナイト三部作っぽいなって思ってたんですけど。
昨今むしろ脱カタルシスの話はめっちゃ増えてるような気はしてたのでそのゆり戻しもあるのかなとちょっと思っちゃいましたけど。
あえてというかいややらんとスペクタクル映画とはならんやろうみたいなね。
そうそうそう例えばねグラディエーター2とかもうとことんまでカタルシスを除くじゃないですか。
まあそうね。
でもそれはそれで意味があるというか明らかな意図があるなと思って見てたんですけど。
本作はやっぱりそこに対していやでもお客さんはある程度は楽しめた方がいいでしょっていう感じで出してきたものなんだなっていう。
で楽しいしでもその楽しさの裏側というか奥の方にしっかりとしたメッセージもある。
読み取ろうとすれば読み取れるからなんかやっぱり丸めてパッケージして出したんだろうなっていう感じがするんですよね。
だからストーリーテラーとしてそこが政治じゃないっていうのもおっしゃる通りな気もするんですけど。
エンタメ作家ではあるっていう自我なんだろうなそれはっていう。
その分アクションはちょっと見づらく撮ったんでちょっとそこで総裁しておきますみたいな。
あんまり気持ち良さをちょっと抑えておきますんでっていう。
まあそういう意味なのかわかんないんですけどね。
そもそもimaxカメラがでかすぎるからあんまうまく撮れないってこともあるんでしょうけど。
多分そっちの方な気がしますけど。
どうなんでしょうね僕。
ノーランって定番を描きたい作家じゃないような気がしていて。
基本的に背脂こってりラーメンの食べ応えを楽しんでほしい人なんじゃないかなっていう。
ただ実は素材の味も効かせてますよっていうのはブランディングの一つであって。
彼の本質は背脂をのせたいなんじゃないかなって気がしているんですよ。
ただその背脂こってりの奥に素材の味がある方がいいですよねっていうのをわかってる人。
ガッツリだけじゃないですっていう。
なんかそれを自分自身にブランディングしている人っていうイメージだと思うんですよ。
でそのテーマを語りたいなったらもうちょっと複雑に置いとくんじゃないかなと思って。
彼はとっくにその領域にいないとも言えるんですけど、映画界全体背負ってるから本当に。
まあそうですね。
その判断の段階にいないとは言えると思うんですけど、
やっぱなんか複雑さよりは絵が面白いとか、
考えてほしいよりも楽しんでほしいが勝ってる人かなっていう風に僕は受け取ってるんですよね。
なんかわかりますね。
確かにそうか。
だからそれこそ歌を作るのであれば歌詞よりもメロディーから作るタイプだろうなって感じですよね。
ただ歌詞がいい方が当然いいよねって思ってる。
だからもちろんキャッチーなメロディーに後でどういう歌詞をつけるかも最近考え始めましたよっていう感じの映画作家だなっていう。
確かに確かに。
なんかその辺がうまくいったのがやっぱオッペンハイマーだったんじゃないっていうか思うんですよね。
昭和でいっぱい撮りましたけどあれでみたいな。
だから意外とさっき言ったあの、シャモランはサンボマスターなんじゃないか、
割と間違ってなかったかなって今言い手で思いましたけど。
結構多分ロックミュージシャンというか、なんかラットウィンプス的な感じというか。
なんかねちょっとそういう感じがする。
すごいノーランとシャモランの関係をラットウィンプスとサンボマスターに例えられている。
いいのかなこれ。
いいのかわかんないですけどね。
そうね。
まあねあの、僕ノーランと会ったことないからわかんないですよそれは。
まあそうですね。
そんなこと言ったら僕シャモランとも会ったことないですよ。
誰とも誰とも会ったことないんですけど。
ただまああの実際に出された料理を見て感じるのはそれなんですよ僕。
ノーランが作った料理を見て僕はそう思うなとは思っていて。
ただ僕今回がなんかバランスは一番好きだったかもしれないです。
そのあたりの。
ちょっとわかりますそれ。
素材の味と背脂のバランスが。
なんか一番うまくまとまっているし、
一番誰もが楽しめるところに落とし込めてるなっていう感じはしましたね見てて。
2026年のホメロスとしてのノーラン
それが2000人以上前から続くジョジシが原作だからっていう。
自我が載せようがないっていうのかもしれないなとはちょっと思ったりしてましたね。
そうですね。原作あるからっていうので全部いけたっていう。
なんか余談なんですけど、ジョジシに対して原作っていうのってあってるのかなってちょっと思って。
まあ確かにな。
そうですね。
どうなんすかね。わかんないな。
どの段階のものがオリジナルとかそういうものでもなくないって気もしていて。
そうですね。
それこそホメロスという人がいたわけですらないかもしれないって言われてるぐらいですもんね。
ホメロスというなんか遠絡みたいな感じらしいですもんね。
特定の個人じゃないんじゃないみたいな話は言われてますよね。
1000年ぐらいしたらね、ノーランもホメロスの一部になってるかもしれないじゃないですか。
まあそうでしょうね。
だから今回エンドロールでね、ベースドオンホメロスオジュセイって出てくるじゃないですか。
ちょっと笑っちゃって、知らんやつおらんやろと思ったのに。
確かに。そう言ってるし。
いやでもある種、ジョジシの原作とはみたいな深みがあるような気もして。
あれを見てね、これそもそも原作って言うのかなみたいな。
まあね、語り継いだ瞬間それがオリジナルなのではみたいなのも思って。
ちょっとね、1000年後のホメロス・ノーランってちょっとだけ面白いなと思いました。
まあでも確かに、2026年段階でのオジュセイヤはこうなっているっていうことですもんね。
こうですよっていうふうにノーランは言っちゃったわけですからね。
そうですね。それを全世界で見て伝播してるわけですから。
まあホメロスですよね、そういう意味ではノーランもこれで。
字が載ってんな、そう考えたら。
我はホメロスなりみたいなもんですか。やだー。
ベースドオンホメロスオデュセイって出たことで僕逆に字がめっちゃ感じて。
言わんでええやろみたいな。
言わんでええやろ。
なんかこいつ一部になりに来とるなみたいな思ったんですよ。
まあでしょうね。
我はノーラン、現代のホメロスなりと。
いやでもそれは。
いいじゃないですか。
いいと思います。
まあもういいですもん。
いやそうですよ。だって手つけようと思えばだれだれできたわけですよ、ある意味ね。
それをまあ本当真っ正面からやりきったわけですから、それを名乗っていいですよねっていう。
彼なりのすごいなんというかパワフルさで、
全部アイマックスやりますみたいなとこも踏まえて全部やりきってるので、
まあそれは全然言えますよねっていう。
実際今から10年はオデュセイヤって単語が口に出たら、
それノーランのオデュセイヤのことになりますからね。
そうですね。
しばらくはもうだれも手触れられないですからね。
いやー、銀庸詩人になったのか。
いやーすごいですね、そう考えたら。
こんだけ字化がない話でもやっぱり字が出てるわっていうのは。
オデュセイヤっていうここで出た段階で、やるんだっていう字が確かに感じてましたからね。
まあそうですね、挑戦すること自体は字がですからね。
これだけの痛みに挑むのは間違いなく彼の強い字がに根出しているはずだから。
できるだけのね、みんな納得してくれる人がやっぱそのだけノーランをついてるからね。
番組からのお知らせ
はい、ではそんな感じでオデュセイヤの話は終わっておこうかなと思います。
お知らせになります。
映画の話したすぎる場、次回開催日は9月26日土曜日になります。
場所は大阪南森町、週間曲がり中副城オープン20時、3時クローズです。
またこの番組ではお二人を募集しております。
番組全体や次回トークテーマ、今回のトーク内容への感想など、ご自由にお送りくださいませ。
番組内で取り上げさせていただきます。
バーの最新情報、次回テーマ、Xおよびインスタグラムにて告知しております。
各語の内容や番組説明文をご確認くださいませ。
さらにこの番組のジンの通販を開始しました。
初めてのリスナー向けオススメ回編、神回事前多選編の2種類です。
よければぜひお買い求めください。
それでは映画の話したすぎるラジオ第277回、おじゅせいやの回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。
57:52

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