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おはようございます、フユコです。月曜日ですね。 フユコ時報では、月曜の朝から雨です。
なんとなくしっぽりしたスタートになっています。 境界線シリーズ第6章では、自分との境界線、
これをテーマにお話ししています。 前回は、
一番侵入しているのは自分だった、 というタイトルでした。
今日はその続きになります。タイトルは、 自分を責め続ける構造、です。
今日はね、最初に一つだけお伝えしたいことがあります。 私は、
自分を責めること、これが悪いとは思っていません。 良いとか悪いとかという話ではなくてね。
自分を振り返ること、 反省すること、
成長しようとすること、 それは人が前に進むために大切な力ではあります。
ただ、 自分を責め続けるということは全く別の話になります。
今日の結論からです。 自分を責め続ける人は自分を見ていません。
理想の自分と比べ続けています。 これに気づいている人、いるかな?
例えば、仕事で失敗をした。 そうすると、
私、ダメだなぁ、そう思う。 なんだけど、
起きた事実は、 仕事で一つ失敗をした、それだけなんです。
そこに、 私はまだ能力が足りてないなぁ、
やっぱり私は価値がないなぁ、 結局、私、迷惑ばっかかけてるなぁ、
そんな物語を作っているのは自分なんですね。 つまり、
自分責めしているようで、 本当に見ているのって今の自分じゃないんですよね。
こうあるべき自分、 ちゃんとした自分、
失敗しない自分、 そんな理想像なんですね。
そして、その理想に届かない度に、 今の自分を責め続ける。
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ここで境界線という視点で考えてみます。
もし、誰かが毎日あなたに、 もっとちゃんとしなさい、まだ足りない、
そんなあなたじゃダメ、 そう言い続けたら苦しくなりますよね。
でも、その言葉を一番近くで、 一番長い時間言い続けている人がいます。
はい、お察しの通り、それは自分自身です。
私はここにも境界線があると思っています。
もっと頑張れ、という声も自分の一部。
もう疲れたよ、という声も自分の一部。
本当の境界線とは、どちらかを消すことではありません。
どちらの声もあるということを認めながら、 最後に自分で選ぶということです。
それが自分との境界線なんです。
今日の問いです。
今日、自分を責めた場面、 これを一つ思い出してみてください。
その時、責められていたのは、 本当のあなたでしょうか?
それとも、理想と違っていた自分であったでしょうか?
今日は、自分を責め続ける構造についてお話ししました。
あすは、自己否定と境界線です。
自己否定をなくそう、ポジティブになろう、 そんな話ではありません。
自己否定とどう付き合っていくのか。
境界線という視点から一緒に考えていきます。
最後に、このシリーズで一番大切にしたい言葉を置いて終わります。
境界線は、人を遠ざけるための線ではありません。
相手の人生を相手に絶えし、 自分の人生を自分で生きるための線です。
そして、自分との境界線とは、 自分を責めることをやめるということではなく、
自分を一人の人として尊重することです。
それでは、きょうもあなたはあなたの人生を、 そしてあなた自身も大切にしながら。