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まちがいを笑わない教室のつくり方
2026-09-14 07:17

まちがいを笑わない教室のつくり方

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間違いを学びの入口に変える12の方策をまとめた本の書評を取り上げます。評者は、小学1年生のときに黒板の前で恥をかいた経験から書き始めます。あの日から、人前で間違えたくないという気持ちがずっと続いた、と。著者は、成績に響かない形で間違えられる場を作ることを勧めます。わざと誤答だけを答える練習や、子ども自身に選択肢問題を作らせる活動。ただし評者は、中学生の教室では公開での誤答分析が笑いで崩れる危険にも触れています。

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サマリー

本エピソードでは、子供の「間違い」を学びの機会に変える12の方策を紹介する書籍を取り上げます。書評者は自身の黒板前での恥ずかしい経験を語り、間違いを恐れない安全な環境作りや、成績に響かない形での挑戦の重要性を説きます。特に、生徒自身に誤答選択肢を作らせる活動や、思春期の生徒が間違いを人格否定と捉えがちな点に触れ、教師の適切な関わり方と教室の空気作りが不可欠であることを強調しています。

番組紹介と書籍の概要
教育カフェテラスの時間です。進行役の水野太一です。
アシスタントの高橋紗友香です。この番組では、国内外の教育の話題を、現場の目線で一つずつ取り上げています。今日もよろしくお願いします。
今日は、アメリカのミドルウェブというサイトの、8月27日の書評です。中学校の先生向けに書かれている媒体です。
本の紹介ということですね。
間違いから学ぶ、という題の本です。子供の間違いを学びの機会に変える12の方策がまとめられています。
書者はエマキア・ペッタさん。書評を書いたのはラルフ・コビーノさんです。
書評者の原体験と「安全な露出」
どういう入り方をしているのでしょうか。
書評の書き出しが、表者自身の子供の頃の話です。小学1年生の時、黒板の前で綴りの練習をしていました。
みんなが見ている前で書くのですね。
先生が読み上げた言葉を、この子は聞き間違えます。
アルファベットの一文字のことだと思って、その一文字だけを書きました。
自信を持って書いたのでしょうか。
かなり得意気だった、と書いています。そこへ先生が、みんなの前で、ずいぶん大きな字ですね、と言いました。
からかったわけではないのかもしれませんが、その場では答えます。
その瞬間に強烈な恥ずかしさが来て、どの言葉だったのか一瞬わからなくなり、慌てて席に戻ったそうです。
それだけのことが書評の冒頭に来るのですね。
ここからの一文が、この書評の一番重いところです。
そしてそこから、人前では二度と間違えたくない、という一生分の気持ちが始まった、と書いています。
一生、ですか。
50年ほど前の一回です。それを大人になった今も覚えていて、書評の書き出しに使っています。
先生の側は多分覚えていません。
そこがこの話の怖いところだと思います。
著者はどういう立場なのでしょうか。
本の3ページ目にある言葉が引かれています。
子供が最初の間違いをする場面に、あなたは居合わせないかもしれない。
それでも、その子の不安を減らすためにできることはたくさんある。
もう済んでしまったことについても、できることがある、ということですね。
健全な間違いの文化と具体的な方策
著者が聞くと考えているのは、安全な露出です。
悪いことが起きるという恐れが、実は根拠がない、あるいは大げさすぎるとわかる場所で、繰り返し間違えることです。
怖いものに少しずつ慣れていく形でしょうか。
はい。ただし、安全であることが条件です。
5ページ目に、成績に響かない形で間違える余地があると、子供は危険を犯しやすくなり、自分に挑戦しやすくなる、とあります。
成績がかかっていると、挑戦できないのですね。
著者は、これを健全な間違いの文化、と呼んでいます。
間違いが許されるだけでなく、歓迎される教室です。
中二の方策というのは、どんなものでしょうか。
軽いものから重いものまであります。
軽い方では、当たっても外れても構わないあてっこの活動や、予想を立てさせる活動。
正解を出す前に、まず考えを出す形ですね。
面白いのが、わざと誤答だけを答える練習です。
間違いだけを言う、ということですか。
正解を探す緊張が消えるので、口が動きます。
それに、いい誤答を作るには、どこが違うのかがわかっていないとできません。
あ、それはわかっている人にしか作れません。
そこが、著者の狙いだと思います。
もう一点、私が一番試してみたいと思ったのが、誤答分析の活動です。
どんな活動でしょうか。
子供自身に、選択肢の問題を作らせるのです。
しかも、一番出来のいい誤りの選択肢を作らせます。
ひっかけを作るということですか。
作るには、人がどういう過程で間違えるかを考えないといけません。
ここで計算の順序を取り違えるだろう、ここで単位を見落とすだろう、というように。
自分がやりがちな間違いを、外から見ることになります。
表者も、この活動を高く評価しています。
作った子は、後で同じ罠にかからなくなる、という言い方です。
思春期の教室における課題と教師の関わり
先生の側の関わり方についても、何か書かれていますか。
直すことだけで終わらせず、次に進める助言をすることが強く勧められています。
特に、思春期の子供は、訂正を人格への批判として受け取りやすい、と書かれています。
私にも覚えがあります。
ここが違う、と言われただけなのに、自分は否定された気がしました。
ここまでが本の紹介です。
この書評は、その後に表者自身の流法を書いていて、私はそこが役に立つと思いました。
本に賛成しているだけではないのですね。
中学校の教室は、社会的に地雷が埋まっているような場所だ、という書き方をしています。
この年頃の子供は、自分の周りからどう見られているかに、とても敏感です。
仲間の反応が、恥ずかしさを何倍にもしてしまいます。
だから、みんなの前で事を分析する活動は、笑いが起きた瞬間に崩れます。
理屈としてはいい活動でも、笑われた子はもう出てきません。
やり方ではなく、空気の方が先にいるということですね。
それと、皮肉が入ると子供は完全に黙る、とも書かれています。
教師の皮肉も、子供同士の皮肉も同じです。
私が実習で見た中では、笑いが起きた時に先生が何も言わないと、そのまま空気が決まってしまいました。
そこが別れ目です。笑いが起きた時に何をするかを、先に決めておく必要があります。
間違いを恐れない経験の積み重ね
他に、教者が気づいたことはありますか?
細かいのですが、鋭いところがあります。
誰かの発言が褒められた後に、「あ、それ言おうと思ってた。」という子がいる、という指摘です。
わかります。よく聞きます。
あれは、自分の立ち位置を守ろうとする動きだ、と読んでいます。
言えなかったことを、なかったことにしたいのですね。
その一言が出るということは、その教室では、間違えることや遅れることが、まだ痛いということです。
私は、「間違いを大事にしましょう。」という言葉を何度も聞いてきました。
でも今日の話を聞いて、あれは声をかける話ではないのだと思いました。
成績に響かない場面を用意すること、ことを作らせること、笑いが起きた時にどうするかを決めておくこと、
全部先生が先に準備しておくことでした。
間違えていいというだけでは間違いません。
間違えても平気だった、という経験が何度か積まれて、初めてそうなります。
冒頭の1年生の話が50年残ったように、こちらの1回も多分残ります。
教育カフェテラス、今日はここまでです。
最後までお聞きくださってありがとうございました。
次回もお付き合いいただけたら嬉しいです。
07:17

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