人に言えないことが一つもない人なんて、たぶんいません。
好きなこと、欲しいもの、寂しさ、誰にも見せてない自分、
ちゃんと生きようとするほど、僕たちは本当の気持ちをつい後回しにしてしまいます。
この番組は、世界46カ国、数十万人のマイノリティな誰にも言えない好きと向き合ってきた、
株式会社ルナ代表の後藤慶士が、恋愛や仕事、人間関係を通して、
自分らしく生きるとは何かを考えていく番組です。
ちゃんとしすぎて、疲れたあなたへ、今日も少しだけ心の仮面を外していきましょう。
さて、改めまして、株式会社ルナ代表の後藤こと日野でございます。
いつも聞いていただいている方ありがとうございます。
そして、今日初めて聞いていただく方、初めましてですね。
この番組は、セクシャリティとどう生きるのかをテーマにお話をさせていただいております。
僕がSMという領域でマッチングサービスの授業を行っていたりするので、
そこからいろんなお話やご相談をいただいていたりしております。
今回はですね、全部で4回に分けて幸せと正義についてというところでお話をしていきたいなというふうに思っておりまして、
これは第3回目のものでございます。
前回の続き、聞いていない方のために20秒くらいでちょっと簡単におさらいをしていきたいなというふうに思っております。
前回はですね、関係というね、人と人との人間関係ですね。
これを決めているのは質であって、たくさん年数を重ねているわけではないですよっていうようなお話とかをさせていただいておりました。
一言で言うとですね、ちゃんと毎日毎日明日も私はこの人と向き合うつもりだ。
そして相手も自分と向き合ってくれてるつもりだっていうようなことを理解している、できる、そういう状態であるっていうところとかがね、
関係の質を高めているというようなお話とかをさせていただいておりました。
今日はですね、その関係の質みたいなところの話なんですけど、
そこのね、もうちょっと深く入っていった、どうしてその関係の質っていうのが大事なのか、どうしてその人と向き合うのが大事なのかっていうようなところ、
言ってみれば当たり前やんみたいな話なのかもしれないんですけれども、
でも改めてね、ちょっと分解して丁寧にお話をそのあたりをしていきたいなというふうに思っておりますので、
いつものようにラジオ感覚で聞いていただけたらなぁと思っております。
たぶんね、まずは一番初めに話すのは、多くの人が心当たりがあるんではないかなというような場面から入らせていただきたいんですけれども、
本当はあなたはどうしたいの?っていうふうに聞かれて、答えられないことなかったですか?っていうようなお話です。
これは特にね、仕事じゃなくてどちらかというとプライベートの方の話でして、
彼氏であるとか彼女であるとか奥さんであるとか旦那さんであるとかっていう時に、
本当はどうしたいの?っていうふうに聞かれて、
自分ってどうしたいんだっけ?っていうのが表面的な話とかであればね、結構簡単なものとかであれば答えられるとは思うんですけども、
よりこう自分の心の深いところに入っていけば入っていくほど、なかなか答えていくことが難しい質問になっていくんではないのかなというふうに思っています。
一番はね、具体的に言うとどうやったらあなたは幸せになるんですか?みたいなこととかってすごく大事なことだと思うんですけど、
なかなかすっと出てくる人っていないんじゃないでしょうか?っていうこととかが一番わかりやすい話なのかなというふうに思っていて、
これね、別に答えられないからといって隠してるわけではないわけですよね。本当に出てこないわけですよ。
これもう本当に、なんだろう、結構ね、日本人特有っていうところとかがもしかしたらあるのかもしれないんですけれども、
これはね、一定仕方がない部分があるのかなというふうに思っています。
基本的に日本の教育みたいなところの話で言うと、自己主張を言うっていうような教育の仕方をされてこなくて、
どちらかで言うとみんな平等で、みんなが思うようにみんなと同じように動いていこうね、みんなと同じように足並み揃えようねっていうような教育のされ方を
ずっと幼稚園から高校、大学に至るまでずっとされてくるわけですね。
そこで急に社会に出て、社会でも場合によっては足並みを揃えようねっていうのをずっと言われ続けるっていうことになってくると、
自分の本音ってなんだっけっていうところとかがやっぱりわかりづらくなってしまったりするわけですよ。
ここが結構ポイントだったりしていて、別に考えてないわけではないんですけど、なかなか考える気がないっていうところとかが大きい話だと思います。
僕も結構、もともと海外に行ったりとかしたりしたこともあって、
日本人ってね、自己主張が下手くそだっていうふうに言われたりするということとかっていうのがよくあったりします。
SMにおいても海外のSMと日本のSMって全然違うものだったりするんですね。
SMってイコールAVみたいなこととかを思われる人っていうのもとても多かったりすると思うんですけど、
そうじゃないんですよみたいな話とかはちょっと別の機会にしようかなというふうに思っておりまして、
自己主張は非常に重要なものになっていたりするんですけど、
日本人ってね、やっぱりそこがすごく下手くそだったりするっていうふうによくよく海外の人からは言われたりします。
例えば日本のマゾの人たちと海外のマゾの人たちでいうと、
マゾとかMとかってね、自分の主張はしちゃいけない。
Sの言うこととかね、ご主人様の言うことは絶対だみたいな形で思っている人とかっていうのが結構ね、日本では多かったりするんですけれども、
海外のマゾの人たちとかってめちゃくちゃ自己主張をするんですね。
俺はこれが嫌だ、私はこれは無理、それをやらないでくださいみたいな感じで、
どっちが上なんだろうかみたいな感じになるぐらい、めちゃくちゃ自己主張をする人が多いっていうような形になってたりします。
結構このあたりはね、ちょっと僕がSMっていうところにいるからこそ、
すごいそれの最たるものというか、上下関係が明らかに決まっているものみたいなものだったりするので、
そういうところをね、プライベートであってもそういうのをはっきり言うっていうところとかはすごくこうね、
カルチャーとして違いとして出ているのかなというふうに思ってたりします。
ただね、これね別に日本人が自己主張が下手くそなのかっていうと、そうではないと思うんですよ。
能力が低いとかやり方がわからないとかそういう話とかっていうよりは、
どちらかというと自分の欲求を発見して主張をする筋肉よりも、相手の欲求を察して自分を調整する筋肉の方が鍛えられてきただけなんですね。
いわゆる人の顔色を察するとか、人の空気感を察するであるとか、TPOみたいな話であったりとか、空気を読むっていう話であったりとか、
相手の考えを察するみたいな話であったりとか、こういうね、日本でいうね、阿吽の呼吸みたいな話になるのかもしれないんですけれども、
そういうところの筋肉の方が鍛えられ続けてきたっていうのが先ほど話したような、
幼稚園、小学校、中学校、ずーっとこうね、他の横の人たちの顔色であったり、
そして足並み、考え方、答え方、みんなそういうものを揃えて生きていこうね、
みんな平和に同じような考え方で同じようにしていこうね、みたいなこととかも教育されてきたので、
そっちの筋肉の方が明らかに成長しているわけですね。
自分の心に自分の意思を向けて、自分は何を考えているんだろうっていうところの筋肉って、またそれと別の筋肉なわけですよ。
そこの部分ってね、海外とかだったりすると、かなりやっぱり教育の中で、あなたは何がしたいの?どうしたいの?
これは何をして、どういうことを主張しているの?っていうこととかを、もう子供の頃からずっとずっと言われ続けるわけですよ。
そうすると自分はこうしたい、ああしたいっていうところの、自分の中の欲求っていうものを主張する、発見する、そういう筋肉っていうのがすごく発達するんですね。
一方で相手の顔色を察するとか空気を察するみたいなところとかは、逆に日本人と違って弱かったりするわけですよ。
こういうね、鍛えてきた筋肉が違うっていうところだけっていうのが一番大きなポイントなのかなというふうに思っています。
なので、今日言いたい話で言うと、別に日本人の人だって、別に何か今日、例えばあなたは何したいの?っていうふうに聞かれたときに、
何もしたいわけではないとか、何も出てこないかと、何も出てこないとしても、別に何も思ってないわけではないはずなんですよ。
それをうまく言葉にできてないだけだったりするわけですね。
言葉にするときに、たまに罪悪感になっちゃったりするわけですよ、それが。
何でかっていうと、相手がその言葉を聞いたときにどういうふうに思うんだろうか。
どういうふうに自分は思われるんだろうか。
こういうね、相手の気持ちみたいなものとかを無意識にすごく想像してしまって、
それがリアルでなくて、本当に想像レベルでもそこで止めてしまって、罪悪感というものに変換されてしまう。
それによって、言わない方がいいかもしれない。
って思ってしまったりすることもあったりするわけですね。
何で僕がこの話をしているかという話で言うと、
僕は先ほどお話ししたように、SMっていうすごく人に言いづらい思考や考え、趣味、思考を持つ人たちが集まる場所っていうものを今4年間ぐらいずっと経営させていただいて、
コミュニティとしても運営させていただいております。
世界中で言うとですね、ウェブサービスなので169ヶ国ぐらいからアクセスされていて、
日本だけでも約10万人から11万人ぐらい、もうすぐ12万人ぐらいですね。
ぐらいの人が集まっているような、日本最大級っていう風に言ってもいいような、そのくらいの規模のSMコミュニティマッチングサイトっていうものを運営させていただいております。
そういう人たちがですね、僕らイベントを毎月、月3回か多いと4回ぐらいやってたりするんですけれども、
そこに来てる人たちって人に言えないことを持っている人たちの集まりだったりするんですね。
で、実際交流会とかイベントとか、そういうね、僕らイベントって言っても普通にお話をするだけの交流会的なものとかピザパーティーみたいなものとか、
でも今は推しとかっていう言葉になってたりしていて、一つのもうでかいカルチャーになっているわけじゃないですか。
なので別に何か人が何を好きなのかっていうところって別に誰に迷惑をかけるわけでもなければ、別に法律に違反するわけでもなければ自由だと思うんですね。
もちろん人に迷惑をかけたりとか法律に違反するのは問題外の話として、それはオタクであってSMであって全部一緒なんですけれども、
自分が何が好きなんだろうかなんて別に誰に迷惑をかけるわけでもないので、自由なはずなんだけれども、
それが世間の目みたいなものを通した時に気持ち悪いもの、頭がおかしいもの、怪しいもの、
一時期オタクが犯罪者予備軍っていう風に言われてたように、僕らSMをやってる人たちもたまに犯罪者予備軍みたいなこととかで言われたりするわけですよ。
そういう誤解であるとか、実際のものとかを知らないままそういう目を向けられるっていうこととかがずっとあって、
そういうことをしてるとやはり話せなくなってしまう。これがすごく大きいポイントだと思ってます。
なんで今日お話ししたい話で言うと、大きく3つの話をしたいなと思ってます。
1つ目はいわゆる自分の中の自己検閲みたいなところですね。どこでストッパーをかけているのかっていう話。
そして2つ目としてはなぜ話さない方が、黙る方が正しくなるのかっていう話。
最後3つ目、結局我慢をするっていうような選択肢になってしまうと思うんですけど、我慢と愛情っていうものがつながってしまうっていう仕組み。
これをね、3つちょっと今日はお話をしていこうかなというふうに思っております。
まず1つ目、欲求っていう言葉はですね、言葉になる前に消されてしまっているっていうようなお話をしていこうと思うんですけれども、
まずどこで詰まっているのかっていうところをお話、考えていこうかなと思ってます。
本来であればこういう順番なはずなんですよ。
1、欲求を感じる。
2、欲求を理解する。
3、言葉にする。
4、伝えるっていう形で、自分の中の欲求を感じて、それを自分で理解をして、自分で言語化をし、それを相手に伝えるっていうようなものの、
4段階で本来であれば、欲求っていうものって外に出てくるはずのものになるんですね。
でも実際に起きているのはこういう形だと思ってます。
1、欲求らしき違和感を感じる。
2、それが迷惑かわがままか非常識かを判断する。
3、問題がありそうであれば意識から追い出すっていうような形になっていると思うんですね。
なんで、詰まっているのは伝える部分、つまり自分の意見を言うっていう部分じゃないんですね。
もっと手前の部分の、本来であれば欲求を理解するっていう部分のところで、
これはもしかしたら理解してはいけない部分、触っちゃいけない部分なのかもしれないっていう形で、
もしくは場合によっては現実逃避みたいな形で別の相手や別の場所に強く惹かれるという形になったりとか。
例えば、いわゆる試し行動みたいな形で相手に気づいてもらえるかというのを試し始めるとかですね。
これってね、全部自分の気持ち、欲求を言えなかったものの出口になってるんですね。
言えなかった欲求って消えずに不機嫌として出てくるんですよ。
溜めていけば溜めていくほど爆発するものになったりするんですね。
例えば、わかりやすく恋愛の場面のお話をすると、
本来であれば寂しいから今週どこかで2人の時間が欲しいっていうことを言えばいいところを、
最近仕事ばかりだよね、みたいな形で言ってしまう。
それを相手が察せないと私のことを大切にしてくれてないっていう風に感じてしまう。
これは欲求が要求ではなくて皮肉に変換されてしまってるんですね。
確かに気づけよっていうのは日本の文化ではあるのかもしれないです。
よく最近仕事ばかりだよねっていう風に言うのの裏側って、
私のことを大切にしてくれない、私をもっと構ってほしい、もっと私との時間を作ってほしい、そういう思いがあるっていうのを言われたりします。
例えばもっとわかりやすい話で言うと、部屋に2人でいてちょっと寒くない?みたいなことを言ったら、
じゃあ冷房を下げるねとかっていう形で冷房を下げるような行動をするっていうのって、これ結構日本特有だったりするんですね。
海外であると直接冷房を下げてくださいっていうお願いをするんです。
それは察しろっていう部分みたいなものとかが当たり前に日常の中で起きてしまっているので、こういう形になっているんだと思います。
前回聞いていただいた方だと、ここで前回の話とつながる形になるんですけれども、
聞いていたのは関係性っていうものを続けていくためにすごく聞いていたのは、
理解をされているっていうのと受け取れているかどうかというような話をしました。
自分が相手から理解をされている、自分の気持ちが受け取ってもらっている、これを感じ取れているかどうかっていうところで、
そこの2人の関係性っていうのが幸せなものっていうところにつながっていくんですよっていう話を前回させていただきました。
でも自分が何をしてほしいのか、何を理解してほしいのか、それがわかっていないと理解されたかどうかも判断ができないわけですね。
なので、理解をされたかっていうことを判定するためには、まずは自分の望みがマストで必要になったりします。
これがですね約1万7000人ぐらいの方を対象に39カ国で測ったものになっておりまして
結果としてはですね北米西ヨーロッパ中南米っていうのは非常に高い形でした。
新しいつまり人間の関係性を結び直せる選び直せる度合いっていうのが非常に高いっていうような形ですね。
イメージしやすいとイメージするんだとするとわかりやすいかもしれないです。
さっきみたいな転職みたいな話で言うと結構ね北米もちょっとこう横のコミュニティに行ったりとかするとか
例えば州をまたえたりとかするとすぐにコミュニティ変わったりとかしますし当然会社も変わったりするっていう意味で
ヨーロッパもそうですよねEUっていうような人潜りっていうものがあったりするので結構ね
飛行機で1時間とかですぐ隣の町に行けたりとかする。
そこで言葉も通じるけれども環境とカルチャーとかも全然違ったりするわけですよ。
そこでこう新しい人間関係というものを選び直せる作り直せるというようなこととかがあったりします。
一方で東アジアとか中東とか北アフリカとか南アジアとか日本も入るんですけれども東アジアにこういうところとかはすごく低い方でした。
これもね日本でのイメージをしていただくとさっきと同じようなイメージしていただくとわかりやすいんですけれども
やはりとても村組織的なイメージであったりであるとかコミュニティが小さいものがたくさんあってそこからなかなか抜けないみたいな感じであったりとかするっていう傾向って
多分皆さんの頭の中にもなんとなくイメージはつくと思うんですよ。
これがね特徴であるっていうのはお話です。
ここがね決定的な話もう一本あるんですけれどもこれだけだとねただじゃあ文化だけで終わっちゃうね文化の違いですねっていうような話になっちゃうんですけれども
北海道大学の研究の方である研究になるんですけれども
日本人はアメリカ人より親しい友人に自己開示をしないっていう結果っていうのが前々からずっとありましたと。
この研究はなぜそれがなぜ起きるのかっていうようなものを調べた研究になっています。
サイクロジカルサイエンスの2010年に載っている2020年2021年に載っているものになってたりするんですけれども
ここはですね日米の自己開示の差っていうのは関係流動性の近くに触媒されていたみたいなこととかを言われてたりするんですね。
ちょっと難しい言い方しちゃったんで言い換えていくとですね
この差っていうのは別に日本人だからっていうようなわけではないんですよ。
本人がこの関係は抜けにくいと感じているかどうかっていうような話だったりするっていうような意味です。
なので原因は国籍とか社会とかではなく本人がどう感じているかっていうところの話になっているんですね。
この研究しかもですね文化の間の差だけではなくて文化の中の差でも同じ形で説明をしています。
同じ日本人の中でも抜けやすい人と感じて抜けやすいと感じている人はやっぱ開示しているわけですよ。
自己開示をしているわけですよ。
自己開示して合わなかったなと思ったら違うコミュニティにすぐに行くみたいなことをしている人っていうのも同じ日本人の中でもいます。
一方で同じ日本人の中でも抜けにくいと感じている人、村組織だしなすぐバレるしな自分のことを言ってしまうとすぐ伝わってしまうしな
特に田舎とかだったりするとすぐ横に横のコミュニティでつながっていってどんどん話が広がってしまうしなみたいな
そういうようなことを感じている人たちってここの抜けやすさっていうところとかをやっぱりこう抜けにくさっていうのをすごく感じていたりするんですね。
なんでそうなるかっていう話になるんですけれどもこれはね損得の計算っていうのがやっぱり変わってくるんですね。
本音を言って中が深まる得っていうのと本音を言って居心地が悪くなる損っていうところとかがあったりします。
もし抜けられる関係性簡単に抜けられる社会であればじゃあ合わなければ次に行けばいいっていうような話になるわけですよ。
だから自分の本音を言って本来の自分ってこういう人間なんだ自分はこうなんだっていうことを言う方が得が大きかったりするわけですね。
その方が自分のことをさらけ出して自分のことを理解してもらえてその上で受け入れてもらえるってすごくやっぱり楽な状態なわけですよ。
隠す必要がない自分自身の本音とか本心とか自分らしさっていうもの自分の好きなものっていうものを隠す必要がないわけですよ。
でも言わないと関係が成立しない何も言わなければ他の人が選ばれる抜けにくい社会だと逆になっていくんですね。
こう会社家族地域同じ人と長く付き合い続ける同じ小学校同じ中学校同じ高校ここまで結構あると思うんですよ。
で場合によって同じ大学もあるかもしれないです。地域から出なかったら同じ会社っていうのもあるのかもしれないです。
家族もなかなかそこから家から出ないっていうところとかもよくあると思います。地元実家からずっと出ない。
生まれてからずっと死ぬまで同じ地域で同じ人とずっと長く付き合い続ける。
そうなると本音を言ってしまって居心地が悪くなってしまうと逃げ場所がなくなっちゃうんですね。
そうなると黙る方が正しいわけですよ。自分の居場所が悪くなる自分で自分の居場所を壊してしまうことになってしまうので
そうすると自分が生きる居場所がなくなってしまうわけですね。
今日一番言いたいこととの一つとしては黙っている。
つまり自分の言いたいことを言った方がいいっていうのはもちろん僕が言いたいことではあるんですけど
でも言わないのであれば言わない理由があるわけですよ。黙っているのは別に弱いからではないわけです。
環境的に黙る方が合理的だから人間がそうあなたの頭の中で判断しているわけですね。
これ自分を責めている人にこそ届いてほしい伝えてほしい伝えたい言葉であって
自分の気持ちを言えない自分の素直な気持ちを人に伝えられないっていう風に思って
自分が悪いんだ自分が言えないから悪いんだ自分が我慢してるからちゃんと自分の気持ちを伝えないから悪いんだっていう風に思っている人ってすごく多いと思うんです。
会社とかだとすごくそうだと思います。ちゃんと言わないといけないんだけども言えないとか言ったら
もしかしたらちゃんと自分の気持ちを言えよとかちゃんとそれを伝えるべきだよみたいなこととか
そんなのねみんな言うわけですよ。仕事の関係性の中でそれ思ってるんだったら言った方がいいよみたいなこととかをすごく言われたりするわけですね。
でも言えない自分が悪いわけではなくてそういう環境だからなわけですよ。
なのでこれは性格というよりはどちらかで言うと環境として抜けにくいからっていうような理由の方がすごく多いです。
僕はねルナをやっていてルナに来る人を見ていて一番感じるのはここなんですよ。
みんなSMっていうもの自分はMですとかSですっていうものって家でも職場でも言えないんですね。
なぜなら当然そんなこと言ったらお前気持ち悪いとか本当に人によってはユーダさんからお聞きしたんですけれども
人間関係人間性自体を否定されて犯罪者扱いされるとか別にそんなわけではないわけですよ。
別にSMやってたから犯罪者なわけではないわけですよ。Mだから犯罪とかそんなことはないわけですよ。
ただの変形なんですね。でもそれを職場で言うとそういうことになってしまうわけですね。
だからみんな言えないんですね。なので抜けても大丈夫な場所を一つ持ったりすると急に話し始めたりするわけですね。
それがルナだったりします。ルナっていう自分の好きなもの。
自分はこういうものを好きなんだ。自分はこういう性癖なんだ。フェチなんだ。こういうことが好きなんだ。
これを安心して話せるっていうところだけで別にみんな性の話ばっかりしてるわけじゃないんですよ。
すごく普通に漫画の話もするしアニメの話もするし趣味の話もするしバイクの話もするし釣りの話もするし
いろんな話をするんだけれどもその根底にあるのはこの人に話しても自分は否定されないっていう
自分らしさっていうものとかをそこで話せるから出せるから。だから話せるわけですね。
本人は何も変わってないんですよ。環境が変わっただけなんです。
もう1つ目ですね。日本特有の形があります。これは我慢と愛情が結びついてしまっているっていうところの話です。
相手のために我慢をする。家族だから受け入れる。不満を表に出さない。
自分より子供や配偶者を旦那さんや奥さんを優先する。関係を続けること自体に価値がある。
これは他者を思いやる力。先ほどお話ししましたけど思いやりであるとかおもてなしであるとか
人の気持ちを推測するであるとかっていうところに関してはめちゃくちゃ優れている話になります。
これは本当に日本人として誇るべき力であるし他の国と比べても圧倒的に日本が
よく日本人のモラルであるとか例えば日本人の倫理観であるとかっていうところとか
ルールを守るみたいなところであるとかっていうところってすごくしっかりしている。
例えば電車で並ぶとかあとはワールドカップの後に綺麗に清掃して帰るっていう話であったりとか
ロッカールームめちゃくちゃ綺麗にして帰っていく選手たちとか
こういう人たちってね日本人の本当にこうそういう気持ちが行動に現れている人の形だと思っていて
これは悪いという話では全くないです。めちゃくちゃいい話だと思っています。
めちゃくちゃいい話だと思っている一方で一方でですよ
一点だけ問題があります。自分の欲求を言葉にして調整してしまうことによって
欲求を消すということが成熟だと思われやすいということです。
つまり我慢すれば我慢するほど大人になるんだっていう風に勘違いしている人がいるっていうことですね。
大人になるっていうことは自分の思いであるとか感情であるとか欲求であるとかっていうこととかを
我慢することだっていう風に勘違いしている人っていうのがすごく多いと思います。
これは人を思いやる力っていう話と自分の欲求を消すっていう話は全く別の話です。
人を思いやるっていうことはすごく大事なことです。
でもそれと同時に自分の欲求を消さないことだってできるはずです。
我慢した側っていうのは無意識に同じことを相手にも同じ我慢を相手にも求めるんですね。
私はあなたのために我慢したのだからあなたもさして我慢すべきだみたいな形で
これね交換取引なんですよ。でも契約が原稿化されてないんですね。
勝手にあなたが我慢、ちょっとひどいことを言うと勝手にあなたが我慢して勝手に考えて勝手に動いたのに
それを無意識に相手にも勝手に求めるっていうのはそれは相手にはさすがに伝わらないです。
原稿化されてない、ドキュメントされてない契約っていうのは当然相手にも届かないです。
なので片方は支払ったっていう風に思っている取引のものなんだけれども
片方は請求書とかドキュメントすら見てないっていう状態。
そしてある日何年も何年も経っていきなり回収しに来るんですよ。
私は何年も何年もこんなに頑張って我慢してあなたのために尽くしてきたのに
あなたは何もしてくれなかったみたいな感じで急に来るわけですね。
相手からするとめちゃくちゃ突然のことになるわけですよ。
これねちょっと整理して順番に並べていきますと
日本で起きているこのすれ違い、欲求が生まれるっていうのをまずわがままだと思ってないんですね。
相手が察するっていうことを期待して、そして察してもらえず傷つくっていう状態になります。
そうすると不機嫌や距離として表現をする形になってきます。
相手は理由がわからず防御するっていうような形になっていく。
最終的には言ってないけども言ってもわかれない、わかってくれないっていう形で諦めていく。
そして限界になって別れるみたいな形になったりします。
一方で抜けやすい社会、先ほどの言った欧米とかEUであるとかっていうところとかってこうなります。
自分の欲求を確認する、そして私はこう感じると明示する、相手に伝える、相手が受け入れられる条件を応える。
条件を交渉して両立しなければ再検討するというような形になります。
これは候補者の方がなんかすげービジネスチックだなとか冷たく見えるっていうこととかもあるのかもしれない。
実際そう感じる人も多いかもしれないんですけれども。
そして向こう側にも弱点もあったりします。
私がこうしたいっていう人の思いが強すぎたりすると関係の調整が弱くなる、難しくなるみたいなこととかもあったりします。
なのでそのあたりはね、当然すごく言えばいいとかっていう話ではなかったりするので、
どううまく相手のことを受け入れるかっていうところとかが重要なポイントにはなってくるんですけれども、
ただいずれにしろね、欲しいものは言えてもその根っこにある不安まではわかってないっていうこととかが起きたりするっていうのが、
向こうのね、その関係調整の弱点だったりするんですね。
なので日本人はそこがすごく得意なわけですよ。
これを言ってくれる、そしていろんなことを今まで言ってくれていた、そこの根っこにある不安っていうところとかをある程度想像できる。
日本人とか、日本人ってちょっと大きくくぐっちゃってますけども、
僕らね、そういうところとかがやっぱり得意な人種なんだと思ってます。
僕も日本人なので。
だからこそね、そこの中間を取るっていうのがすごくいい方法だと思っていて、
自分の欲求とかっていうものを無条件に押し通すんではなくて、
そして相手のために自分の欲求を消すんじゃなくて、
両方をちゃんとテーブルに置いて交渉する。
消すのでも、無理やり通すんでもなくて、両方を置くっていうのがとっても大事なことになります。
日本ではね、欲求っていうもの自体に否定的な響きがあったりするんですよ。
欲深いとか、わがままとか、自分勝手とか、煩悩とか、身勝手とか。
一方でね、思いやり、遠慮、我慢、無欲、道徳的っていうものは肯定的に捉えられたりするんですね。
だから混ざっちゃったりするんですよ。
欲求を持つことっていうのは別に何の悪いことでもないです。
でも、欲求を相手に強制することが問題だったりするわけですね。
別に欲深いことは何の悪いことでもないわけですよ。
人間なんで生きてるんだ。生きてるんで、自分の欲ってあるわけですよ。
それがむしろ生きてる理由だと思うんですね。
それがなければ、生きてる理由がなければ、そのまんまだけど生きてる意味がなくなるわけじゃないですか。
なので、自分の生きてる意味、生きてる理由みたいなところを大事にすることって、すごく意識をした方が僕はいいと思うんです。
自分の欲、わがまま、自分勝手、別にいいじゃないですか。
自分の中で思っている分にはいいじゃないですか。
それをさっき言ったように、なんとなくもやっと思っている。
そして言語化する。そして伝えるっていう時に、ちゃんと順番を追って相手に伝えられるようにテーブルの上に置くっていうこととかがまず大事なわけですね。
別に強速球で相手にぶつけるわけじゃないんですよ。
勘違いされがちなんですけど、欲は強速球で相手にぶつけるものじゃないんですね。
ちゃんとテーブルの上に置いて、相手とディスカッションをするために持つものっていうのが自分の欲求なわけです。
本来、欲を持つ、欲求を認識する、欲を伝える、相手に要求する、相手の同意なく実行する。
これ全部別のことです。今言った通りです。
強速球で欲求を持つから、相手の同意なく実行するっていうところまで、強速球でボールをぶつけないでください。
欲求を持つことと、欲求を強制することは全く別のことです。
日本で足りてないのは、僕らが苦手だっていうふうに思っているのは、多くの人が苦手だと思っているのは、実行する自由じゃなくて、
まず自分の中にその欲求があるということを、善悪を決めずに認める段階だと思っています。
別にSMでどういうことが好きだっていうふうに思ったっていいわけじゃないですか。
自分の性っていうものに対して、性欲っていうものに対して、今地球に60億人、70億人くらいいるわけじゃないですか。
全員同じ欲求があると思いますっていう話で、性行為みたいなものとかを考えた時に、みんな同じことをするわけですよ。
全員同じことをするわけですね。
それって今の多様性みたいなものとかが散々叫ばれている社会の中で、本当にそんなことってあり得るのかっていう話ですよ。
いろんな欲求、いろんな思い、いろんな好き、性っていうものだけでも一括りにできるわけではないわけですよ。
食、例えばね、食、住みたいなものとかがある中とか、性欲とか睡眠欲とかあるわけじゃないですか。
食欲とかね、あるわけじゃないですか。
そういう時に例えば食だっていろんな種類があるわけですよ。
睡眠もいろいろな研究がされているわけですよ。
性っていうところに対してだけ、いきなり多様性がなくなるわけですね。
みんな同じようにしようぜ。
そんなことってあり得るの?っていう話で。
だから今トランスの方とかね、LGBTの話とかっていうのもあったりするんですけれども、
性欲と性別、混ぜちゃいけないみたいな話とかもあるので、ちょっとその辺は一旦置いておいて。
いずれにしろね、性っていうことに対して64人全員が全く同じことを全く同じように好きっていうことっていうのって、
僕は少なくても想像ができないんですよ。
これだけいろんな人が生きている中で、そこだけみんな一緒っていうのはどう考えたって違和感があって、
絶対にみんな欲望とか欲求とかをそこに持っているはずなわけですよ。
別に性の話だけではないです。
僕はたまたま性っていう領域で、性無っていう領域でお仕事をしているのでこういうお話をしているんですけれども、
それが一番わかりやすいからそれを例に出してたりします。
自分の中に欲求を持つっていうことは誰も傷つけてるわけではないわけですね。
思った時点で悪いことにはならないわけですよ。
それを誰かに何かをして誰かを傷つけるっていうこととかは、
それは法的に違反をするであるとか、相手を傷つけるみたいなことがあるのであれば、
それは良くないことなのかもしれないです。
まあ良くないことでしょうね。
なので実行するかどうかは別の話です。
でも自分の欲求って何だろうっていうことを自分の中で認識して自分から見つめるっていうのはめちゃくちゃ重要な話だと思っています。
そろそろ最後にちょっとまとめをしていこうかなというふうに思うんですけれども、
今日一番実用的な道具、方法、howをちょっとお話ししようと思います。
欲求と要求を分けるというようなお話です。
大抵の人はですね、言葉がないので手段の方しか出てこないんですね。
具体的に言いますと、毎日連絡してほしいとか、他の人と会わないでほしいとか、
予定を教えてほしいとか、一人にしてほしい、もっと会いたい、仕事を減らしてほしい、週一で会いたい、
そういう具体の話しか出てこないわけですね。
でもそこの奥にあるのは、毎日連絡してほしいっていうのの奥にあるのは忘れられてないと確認したいっていう話。
他の人と他の人と会わないでほしいっていうのは自分が特別だと感じたいっていう話。
予定を教えてほしいっていうのは、知らないことによっていきなり不意に傷つけられない安心が欲しいという話。
一人にしてほしいっていうのは、感情を自分の中の感情を整理する、自分だけの時間が余白が欲しいというような話。
もっと会いたいっていうのは、相手にとっての大事な時間をいただくことによって、それを愛情として受け取りたいというような話。
仕事を減らしてほしい、忙しい忙しいと言って仕事仕事って言ってるけれども、仕事を減らしてほしいというのは別に仕事をするなと言ってるわけではなくて、
その奥にあるのは自分や家庭も重要だというような意思表示を示してほしいというような話だと思います。
これが欲求と要求ですね、を分けるというような話です。
欲と要求です。これを分けましょうというような話です。何をしてほしいのかが要求、その結果何を得たいのかが欲求です。
これが何で効くのかという話になると、シンプルに要求でぶつけるとイエスかノーかの二択になるんですね。
例えばもっと会いたいって言われても、いやちょっとこれ以上時間作るの無理とか、毎日連絡してほしいって言われても、いやちょっと毎日はちょっと時間ないから無理とかっていうような話で、
イエスかノーの話になってしまうんですよ。そうするともう断りようがないんですね。
でも、飲むか飲まないかっていう二択にするのではなくて、例えば欲求まで話を戻すとやり方が複数出てきます。
例えば忘れられてないっていう風に認識したいのであれば、それは毎日でなくても何か形があるかもしれないです。
中身が同じなのであれば形は変えることができます。
もう一つ、欲求を断られると人って人格を否定されるように感じるんですね。
でも、要求を断られると人格を否定されるように感じるんですね。
毎日連絡してほしいってところに対して、いや無理だよっていう風に言われると、じゃあ私のこと大事にしてくれてないんだみたいな感じになっちゃったりするわけですよ。
でも、欲求の方は断りようがないんですね。感じてることなので。
欲求についてそこに対して否定をするっていうことは、それは別れる前提であれば話は別なんですけれども、
ちゃんと繋がっているというか、ちゃんと関係性をつないでいこう、紡いでいこうというような話であれば、断りようがないわけですよ。
じゃあどうしようか、どうやったらそれがあなたにとって身のなる時間というか、理解してもらえるような形になるんだろうかというようなことになるわけですね。
これはね、前回の話とも繋がっています。なので、聞いていたっていうのは、やっぱり前回から話してた通り、理解されていると受け取られているかどうかっていうような話だったりするわけですよ。
これはね、欲求だけを喋っていると相手は手段しかわからないわけですね。だから当てに行くしかなくて外すっていうこととかが起きます。
でも、欲求まで話すと相手は狙うところがわかります。
最後に、恋愛の欲求、抽象化するとだいたい5つに集まるというふうに言われています。
安心したい、特別になりたい、理解されたいというところが1つ。自分らしくありたい、深く関わりたいという話。
そして、ごめんなさい、5つって言ったんですけど、安心したい、特別でありたい、理解されたい、自分らしくありたい、そして深く関わりたいというこの5つですね。
なので、そして恋愛が難しいのはこの5つがお互いに衝突するからなんですね。特別でありたい、自由がありたいというのが衝突するわけですよ。
全て知りたいと自分の領域を持ちたいというのが衝突するわけですね。だから幸福な関係っていうのはどっちかの欲求を消した関係じゃないんですよ。
お互い話し合って、そこの矛盾した欲求というのを2人で言葉にして、それをうまく擦り合わせる関係性だったりするんです。
なのでちょっと今日は長くなっちゃいましたけれども、まとめです。
1つ、詰まっている。相手に伝えるということで詰まっているっていう段階っていうのは、自分の言葉でする段階ではなくて、どちらかというと自分自身の中の欲求っていうものを認める段階です。
自分の中の欲求は消えているわけではないです。だからこそ不機嫌や皮肉として出てきちゃってたわけですね。
なので欲求をきちんと伝えるっていうのはすごく大事な話です。
2つ目、黙っているっていうのは性格ではないですとお話をしましたけれども、環境っていうところとかがすごくそれに影響していて黙る方が合理的だからと頭で判断しているから黙っちゃうわけですね。
3つ目、我慢が愛情と結びつくと言語化されていない契約っていうのが出てきちゃいます。
でもそれは相手に届いてないです。なのでちゃんと伝えるということが大事です。
自分の欲求、これを認識するっていうことは誰にも傷つけることではないです。
それをやっているのがSMっていうものであって、そこで2人で話し合って、自分はこれが好きなんだこれが好きなんだって、そこが完全にマッチすることって絶対あり得ないわけですよ。
めちゃくちゃ何千パターンもののシンプルなSとかMとかの関係性ではないので、何百パターン何千パターンの趣味思考っていうところとかがあって、そこのすり合わせをしまくっていくっていうことが最初にやることになるわけですね。
これをやらないとまず始まりにすらたどり着かないわけですよ。僕らはこれをやっているような人たちであったりします。
だからこそ僕はね、こういうSMっていうすごいコアなところの観点からどう恋愛であるとか、そして人と人との関係性を作っていくべきなのかっていうところとかの話をさせていただいています。