「性と幸せ」シリーズの最終回です。今日の一問は、なぜ回数を重ねても満たされないのか、ということ。一言で語られがちな性欲を、興奮と幸福というふたつの軸で静かにほどいていきます。
() シリーズの振り返り
() 興奮と幸福の違い
() 慣れる興奮、続く幸福
() 性欲を4つに分ける
() 性と幸福のつながり
() 近づく性、避ける性
✍️ 連載マガジン「伝え方の実験室」: https://note.com/keiji_goto/m/m45937bf32509
Luna代表・後藤慶士(ひの)
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感想
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サマリー
このエピソードでは、「性と幸せ」シリーズの最終回として、性欲を「興奮」と「幸福」の二つの軸に分け、その違いと関係性について深く掘り下げています。一般的に性欲と言われるものの多くは「興奮」に関するもので、これは強さがあり、慣れが生じやすい性質を持ちます。一方、「幸福」は強さを持たず、合っているかどうかが重要で、慣れにくい性質があります。多くの人が性的な満足を得られないのは、興奮を追い求めるあまり、真に求めている幸福を見失っているためだと指摘します。性的な健康は、身体的、感情的、精神的、社会的な幸福と密接に関連しており、単に回数を重ねることや行為の頻度ではなく、お互いの望む形と生きる形が合っているかどうかが重要です。さらに、性行為の理由を「近づくため」と「避けるため」に分け、前者は満足度を高めるのに対し、後者は満足度を損なうことを解説。断ることの重要性や、SMにおけるセーフワードのような心理的安全性の確保についても触れられています。最終的に、性欲の有無や強さに関わらず、自分で選択できているかどうかが幸福につながる鍵であり、相手を傷つけないためには、断れない状況を作らないこと、そして率直な対話が不可欠であると結論づけています。
シリーズの振り返りと性欲の二面性
人に言えないことがひとつもない人なんて、たぶんいません。
好きなこと、欲しいもの、寂しさ、誰にも見せてない自分、
ちゃんと生きようとするほど、僕たちは本当の気持ちをつい後回しにしてしまいます。
この番組は、世界46カ国、数十万人のマイノリティな誰にも言えない好きと向き合ってきた、
株式会社ルナ代表の後藤慶士が、恋愛や仕事、人間関係を通して、
自分らしく生きるとは何かを考えていく番組です。
ちゃんとしすぎて、疲れたあなたへ。
今日も少しだけ心の仮面を外していきましょう。
さて、こんにちは、こんばんは。
いつも聞いていただいている方、ありがとうございます。
株式会社ルナの後藤こと、ひのでございます。
さて今日はですね、第4回シリーズということで、
性と幸せについてというようなテーマでお話をしてまいりました。
今日がですね、最後の回になっておりまして、
1回目はですね、幸せ、幸福を決めているのは量ではなくて、
自分で選べているかどうかというようなお話をさせていただきました。
2回目は、続いている関係性、つまり継続している関係性っていうのと、
幸せな関係っていうのは別なんですよと。
続いているからといって幸せかどうかっていうところとかは、
別に必ずしも関係しているわけではないですよというようなお話とかをしておりました。
3つ目、日本で詰まっているのは、
伝える段階ではなく認める段階ですというようなお話でして、
結構ですね、日本人の方、なかなかこう自分の気持ちを伝えていくっていうこととかが苦手な方っていうのが多いですよねっていうお話とかをさせていただいた中で、
どこでそれが詰まっているのかっていうところのお話をさせている中で、
その中でですね、一番最初に詰まっているのが自分の気持ちを認めるところ、
自分の感情っていうものを自分で認める段階、
ここで詰まっているんだよっていうようなお話とかをさせていただきました。
今日はですね、その全部が一番出にくい場所、
つまり性の話というところをお話をしていこうかなというふうに思っております。
最初に大前提を一つ置かせてください。
性欲っていうのはまず2つに分かれますといいようなお話です。
一つが興奮でもう一つが幸福という形で、
性欲と一言で言っても興奮と幸福というものの2つに分かれるというのがあります。
これはですね、例えば分かりやすく言うと一緒にいて、
例えばね、事故とかで幸せな感覚になるみたいなところとかが幸福の話であったり、
一緒にしているときにすごい幸せだなみたいなところとかが幸福の感覚。
一方で特に男性が強かったりするんですけれども、
性欲っていうふうに一般的に言われるものっていうところとかが興奮っていうものになっていたりします。
ここはですね、結構男性女性で比べるのもあんまりね、
男女差別というか男女区別みたいなことをするのはあんまり好きではないですが、
ただやはり男性の視点と女性の視点とっていうところで、
ひそことで性欲っていう言葉を言ったとしても、
結構どうそれを受け取るのかどう感じるのかっていうところとかがだいぶ違うんだよっていうところの話を、
今日はね、メインで性と幸福っていうところの話の流れの中でしていこうというふうに思っております。
興奮と幸福の違い、慣れと持続性
僕はですね、現場と言いますか15年間ぐらいこの領域を見てきたりとか、
LUNAっていうサービス、今5年目になっていたりするんですけど、
4年間ずっとSMっていう領域でですね、ユーザーさんのお話とかをずっとお聞きをしてきました。
ごめんなさい。
だいたいですね、20〜30万件ぐらいマッチングをしていて、
人数で言うとね、約60〜70万人ぐらいマッチングを累計でしているっていうような形になっているんですね。
そんな中でですね、ここのやはりLUNAっていうのはSMのマッチングサービスなんですけど、
実はよく勘違いされがちなんですが、
SMっていうとワンナイトとか遊びみたいな感じで思われる方っていうのが多いんですけど、
LUNAというサービスの特徴の一つ、大きな特徴の一つとして、
ロングタームで、つまり長期で関係性を持っていたいっていうような方が多く使われるようなサービス、
実は7〜8割ぐらいの方が長期で関係性を持って、ちゃんと結婚や恋愛の相手として、
お相手を探したいっていう風に思って探している方っていうのがほとんどであるっていうような、
そんなサービスをやらせていただいております。
そんな中でね、やっぱり性っていうところとかをSMっていうところの側面から見ている中で、
やはりですね、ここの興奮と幸せっていうものの求めているものっていうところとかっていうのがですね、
人によってとても違いますし、男性女性によっても違いますし、
同じ性欲、同じSMっていう言葉を言ったとしても全く違うものになってたりするんですね。
それによって結構すれ違いっていうのが起きているっていうのが現状だったりしまして、
そんな現場の感覚も含めて今日はお話をしていこうかなというふうに思っております。
まず興奮っていうものに関しては強さがあります。
強い興奮とか弱い興奮とかありますよね。足りないとかっていうのがあったりします。
一方で幸福の方には強さがないんですね。
合ってる合ってないっていう人によるこの人とは幸福を感じられるかどうかみたいなところしかなかったりします。
なので幸福ってね、数えることがしやすかったりするんですね。
回数であるとか時間であるとか相手の人数であるとかっていう感じで全部数えることができたりするんですけれども、
幸福っていうものは数えることができなかったりします。
あの時幸福だったな幸せだったなみたいなこととかはあったりするっていうそういうカウントとかはできたりするんですけど、
分かりやすいカウントの仕方みたいなところとかはやはりね、なかなか一言でこれが興奮だみたいなところとかって言えなかったりしていて、
そうするとね、自分の中でこの時にすごい幸せだったなみたいなこととかは後から思い出すっていうこととかはあったりするんですけれども、
分かりやすく数えるっていうこととかって結構しづらいものだったりするんですね。
これがね一番大事なところなんですけれども、興奮っていうのはやっぱり強さとか弱さとかっていうところとかがある以上やっぱり慣れてくるんですよ。
人ってね、同じことをずっとずっとやり続けていくと当然それに慣れてくるっていうものがあって、
同じ刺激っていうものでいうとやっぱり慣れてきてしまうんですね。
だんだんだんだんとより強い刺激、より強い刺激っていう形でどんどんどんどんと刺激を求め続けるっていうような傾向があったりします。
一方で幸福っていうものの方に関してはこれは慣れにくいものだと思います。
幸福に慣れてしまうっていうよりはずっと幸福でいるっていうような感覚なのかなというふうに思っています。
なぜこの今分け方が必要なのかというか、これを喋ったのかっていうお話で言うと、
実はね、皆さんなんとなくわかるかと思うんですけれども、
世の中で性欲っていうふうに言われる性の話ってほぼ全部が興奮の話なんですね。
どうやったら気持ちよくなるのかとか、どのくらいの頻度が普通なのかとか、どれくらいが平均なのかとか、
なんかやり方とか、こういうふうにやったら気持ちいいとか、そういうね興奮の方の話だったりするんですよ。
なので自動的に性の話って量の話であるとかやり方の話とかになってくるんですね。
ここでね、ちょっと思い出していただきたいのが、第4回に分けて今お話をしているんですけども、
最初の1回目に言った時のお話なんですが、幸福を決めているものって量ではなくて自分で選べるかどうかっていうようなお話をさせていただいていました。
性でも全く同じことが起きてます。別に興奮を上げようとして幸福の方を測っている。
だからうまくいかなかったりするんですね。結構興奮と幸福っていう形で分けて今お話をしてますけれども、
両方当然混じっているわけですよ。興奮する時も幸福というふうに感じる時も両方グラデーションのように混じり合って感じているわけですね。
これがどっちが多いかどっちが少ないかみたいな話とか、そういう話なんだと思ってます。
すごく一般論、一般的な感覚のところの話をするとですね、男性の方が幸福よりは興奮というものを求める傾向が強かったりします。
これはあくまで経験値からの話になるんですけれども、やはり慣れとか、ずっとそばにいるからみたいな感じでレスになってしまったりとかするっていうのは、
男性も女性も起きる話ではあるんですけれども、興奮の方を上げようとするとやっぱり数になってしまったり慣れが起きてしまうので、性っていうところに繋がらなくなってくるんですね。
1回目でもお話をしましたし、2回目のボコロでもお話をしましたけど、長く続いているっていうところよりは、どちらかというとお互いきちんと話し合ってお互いのことをさらけ出している状態っていうところの方が、
お互いをすべて話せる状態っていうところの方が幸福度っていうところとかは高い傾向がありますよっていうようなお話とかをさせていただいてました。
なので、性っていうところにおいても実は同じ話でして、性でも全く同じものを図ってたりするんですね。
興奮っていうのを上げようとして、幸福の方を特に女性とかだと混乱しがちだったりするんですけれども、幸福の方を実は求めているのに、幸福、興奮の方を上げようとしちゃってるみたいな形。
だとすると自分は実は幸福の方を求めているのに、なんで興奮の方に行こうとしてるんだろうっていうような感じになってしまう。そうすると当然相手とすれ違いが起きてしまうんですね。
それによって、えー、なんでうまくいかないんだろうとか、なんか気持ち悪いなとか、どんなにどんなに、例えばいろんな人としても、なんか全然幸せにならないみたいなこととかが起きてしまうわけですよ。
それはなんでかっていうと、自分が求めているのは同じ性欲、性っていうものでも、幸福の方だからだったりするわけですね。
なので最初に今日の大事な話を言うんですけれども、幸せっていうものを決めているのは量ではなくて望む形と生きてる形っていうものが合ってるかどうか。
これは2回目でも3回目でも1回目の時も似たような話をしてますけども、言ってることは一緒です。
性っていうものになった時、性欲っていうものにそれが変わった時であったとしても、結局は決めているものはどれだけできるか、どれだけ回数ができるかとかっていう話ではなく、
お互いの望む形とお互いの望んでいる形、生きる形っていうものが合ってるかどうかっていうところ、これが非常に重要なポイントになってます。
これがずれてしまうと、当然幸せを願って、性っていうものを望んでたりするのに、どうしてもすれ違いが起きてしまう。
そうすると自分は求めてないのに相手の性欲、いわゆる興奮の方を満たすがために頑張らないといけない、みたいなことになってしまうことがある。
別に女性目線みたいな形で話してますけど、男性だって一緒の話かもしれないです。
なので性であっても幸せというものを求めるのであれば、それは自分で選べているかどうかっていうところとかが一番重要な話になってきます。
なんでこの話をしてるかっていう話もちょっとだけ背景をお話をすると、僕も4年間ぐらいルナっていう場所を運営してきて、交流会とかイベントとかっていうところとかも今まで多分計50回ぐらい運営してやってきたりするんですね。
現場でも例えばXでもそうですけれども、時々よく聞かれる質問っていうところとかがやはり性のところに関しての質問で、相手と性癖が合わないっていう話であったり、何が普通なのかとか。
あとはセックスする人とかだったりすると、やはりどうやったらいいのかとか、どうやったらもっと相手のことを満足させられるのかみたいな話とかになったりするわけですよ。
でもそういうことじゃないんですよね。これ量とかやり方の話に変えても別に解決しないんですよ。なぜならさっき話したように求めているものが違うからですね。
1つ目、今日3つ話をしようと思っています。1つ目、ここの2つの幸福とそして興奮っていうものをさらに分けようと思っています。
もうちょっと具体的に丁寧に分けていこうと思っています。そして2つ目、その上で量っていうのは幸福を決めるわけではないですよっていう話を改めてさせていただいた上で、
3つ目、最後するかしないかというよりはどうしてするのかっていうようなセックスをするのかみたいな話とかのその根本のところの話とかをしていければなというふうに思っています。
最悪ね、性欲なくても幸福になれるというような話だったりするので、別にね、性欲がなければダメだとか、そもそも性欲とは何みたいな話とかがあるのかもしれないんですけれども、
今日はね、そんな性欲と興奮というところとかをもっと詳しくここからはお話をしていこうと思っています。
性欲の4つの分類と性的健康
まずさっき、性欲って興奮と幸福に分かれるよっていうようなお話をさせていただいたんですけれども、研究的な学術的なところの話によると、
1つ目、性欲って性的な刺激、接触、関係を求める動機、したいと思うっていう気持ちそのものの話ですね。
そして2つ目、性行動っていう話、実際に何をしたのか、実際に行動した話ですね。実際に何をしたのか何回したのかっていうような外から数えれる話。
3つ目、性的満足っていう話、自分の性生活っていうものを自分で肯定的に評価できているか、これは本人にしかわからない話だったりします。
無理やりやってるっていう場合も我慢して求められるから頑張ってるっていう場合もあるかもしれないです。これは性的満足っていうのは本人しか評価ができない話。
最後4つ目、これが一番広い話なんですけれども、性的な幸福、これが安全であること、自分で選べること、快楽、快楽、そして自己自由、関係性全部含めていきます。
さっきの2つとどうこれが対応するのかっていう話とかをしていこうと思います。最初の2つ、性欲と性行動、つまり性的な刺激や接触関係を求める動機っていう気持ちの方ですね。
気持ちと、そしてやるっていう性行動、セックスするっていう行動、これが興奮の方、数えれる方の話です。
一方で3つ目と4つ目、性的満足っていうような自分の性生活っていうのを肯定的に評価できてるかどうかっていう話と、
そして4つ目の性的な興奮、安全であること、自分で選べること、快楽であるとか自己需要であるとか関係性全部含んでいるようなこの2つ目の4つの話。
この3つ目と4つ目っていうのが幸福という方の話になっています。結構一つ一言でですね、性欲って言ってもこんな形で4つに分かれるんですね。
性欲、性行動、性満足、そして性的幸福っていう形で大きく4つに分かれたりするわけですよ。
これをひとまとめて全部で性欲っていう風に呼んでいるのでめちゃくちゃ話が回さるんですね。
WHOでも定義をちゃんと出してます。性的健康の定義っていう形で、
Working Definitionっていう形の2006年に出しているWHOの定義では、性的健康っていうものは身体的、感情的、精神的、そして社会的幸福だと定義されています。
病気や機能障害がないことだけではなくて、その中に安全であること、矯正されないこと、快楽を得られる可能性っていうものが入っています。
安全と矯正されないっていうのが定義に入ってるんですね。僕はここがとても大事だと思っていて、快楽があって良いものとして公的に書かれているんですよ。
別に快楽を得られるっていうものはWHOがきちんと認めているものであって、
別に得られること、快楽を得るっていうことは別に何も悪いことではなく、きちんと性的興奮っていうものは人間の健康において必要なものだっていう風にWHOが証明してたりするわけですね。
世界的に証明されているわけですよ。これはもう研究としてしっかり認められているものになってたりします。
なのでそれを受け入れるっていうことは何一つ悪いことではまずないという話ですね。
分けると、これを今分けるとっていう話でお話をしていくんですけれども、分けると見えることを3つ出していこうと思います。
満たされない状況とその原因
1つ目、性欲はある、行動もしている、でも乱されてない人。これね現場で一番多いパターンですね。
何かしらやっぱり性欲って自分で持ってたりする、男性も女性も持ってたりするので、セックスしたいであるとかSMしたいであるとかっていうような、
SMと性欲は別の人もいますし、同じ人もいますけれども、こういうSM欲であるとか性欲であるとかっていうものとかが一緒になっているパターン、
性欲はあるけれども、そしてその行動もしてるけれども、でも乱されてないパターンっていう人のケース、これが一番多いパターンです。
なぜ乱されてないかっていう話でいうと、それは隠してるから、我慢してるから、望まない行為をしてるから、相手と話せてないからだったりするんですね。
つまりSMの人にすごく多いものだったりする、ルナにいる方にすごく多い方だったりするんですけれども、
自分が求めている性欲っていうもの、自分が求めているものっていうものが満たされてなかったりするわけですよ。
それが例えば性欲っていうフェチとかフェティッシュとか性の形であったりとか、もしくは安心安全みたいなものとかっていうのももちろん入ってきたりします。
何かしらの形で満たされていないっていうようなものがあったりするので、当然我慢をするっていうことになってしまうんですね。
そうすると先ほどお話しした4つありますよっていううちの、わかりやすく言うと2つありますよっていう話の幸福はもしかしたら満たされているのかもしれないけれども、
満たされてないかもしれないですけれども、幸福は少なくとも満たされてないっていうような状態。これが起きているっていうのがすごく多いです。
やっぱりね、なかなか言えない、恥ずかしいから言えない、関係性を壊してるから壊してしまうから言えない、
これは今まで4回にわたってお話をしてきた中でずっと話してきたことですけれども、やはり村組織的、すごく人間関係を壊すことがしづらいような社会の状況があるからがゆえに、
自分の好きなこと、自分がこれが好きだっていうことを非常に言いづらい状態になってしまっている。これが今起きているようなことだったりすると思うんです。
だからこそ望まない行為をしていて、そして満足につながらない、満たされない、幸せになれない、幸せを感じられない、そんな状態になってしまっている方っていうのが非常に多い状態です。
2つ目、回数はとても少ない、でも本人は満たされている状態。これは自分が望む状態と一致がしていて、親密さもあって自分を受け入れられている。
性的な興奮として成立しているし、回数少なくても興奮は成立しているっていう話。
3つ目が性欲は全くない。一切性欲っていうものをいわゆるセックスとかもしないけど、でも幸福な人、これは最後にちょっと丁寧に話そうと思うんですけれども、
でも別に性欲がなくても幸福な人って当然いらっしゃるので、別に幸福になるためにイコール性欲がなければいけないというわけではないです。
量で判定するとどうなるのかっていう話。たくさんしたらたくさん幸せだっていう風に思ってる人。
俺はこれだけセックスしたぜ何人とたくさんしたぜみたいな人とかもいらっしゃるんですけれども、量で判断するとどうなるかっていうと、
分かりやすいですよね。1つ目の人には足りてると言ってしまうんだけど、実は全然満足してなくて、実は苦しいっていう状態。
2つ目と3つ目の人には足りてないっていう風に言うんだけど、実は幸せだっていう風に感じていて、満ちてる状態になってしまいます。
これは量で判定すると逆の答えになるんですけど、でも本当は別に満ち足りてるので何の問題もないわけですね。
なのでパートナー関係、夫婦関係とかでも量で判断すると相手を誤解してしまう可能性があります。
回数が減った、だから愛が減ったっていう風に読んでしまう人もいます。男性とかって結構そういう傾向があったりしたりします。
昔はもっとしたのに、昔はもっとセックスしてたのに、なのに最近はすごくセックスの回数が減ったから、
もしかしたら愛情が減ったのかもしれないっていう風に感じてしまう。
でも性欲と性行動っていうのは満足度はそれは別なので、そうは読めないわけですね。
回数が減ったイコール必ずしも愛が減った証拠にはならないです。
もう一つ、4つを分けている聞き目があったりするんですね。
それはどこが問題なのかっていうところとかがわかるっていう話。
性欲が出てこないのか、それとも性行動ができてないのか、それとも性行動、つまりセックスですね。
性欲が出てこないのか、セックスができてないのか、セックスはしてるけど満足してないのか、満足はしてるけど安心がないのか、
どこが詰まっているのかっていうところとかがわかると、自分の心の中のモヤモヤっていうところとかが解消できる可能性があると思います。
モヤモヤとして詰まっているところがどこなのかっていうところがわかれば、当然そこに対する解消策というかアクションも変わってくると思います。
これを一言で性欲っていう風に言ってしまうと、ただただよくわからないから幸せにたるためにもっとしようとか、
なんかよくわかんないけど気持ち悪いみたいな感じでどうしたらいいかわからないでも求められるからしてしまうみたいな感じとか、
そんなことになりがちだったりしたりします。
これをね丁寧に分けていくっていうのが今回今やってることですね。
性と幸福のつながりと研究結果
じゃあ次はですね、性と幸福はつながってないのか、それともつながっているのかというようなお話とかをしていこうと思います。
先ほど性欲っていうのは興奮と幸福に2つに分かれますよっていうお話をさせていただいた通り、
実はちゃんとつながっています。これはちゃんとエビデンスもあってお話をしているんですけれども、
WHOの2004年の期刊誌に出しているもので、ボルト大学っていうところとかが約3万件ですね、
2万5千件くらいの研究から出したものっていうのをの結論からお話しします。
まず肯定的な性的健康っていうのは鬱や不安の少なさっていうところと関係をしていました。
そして生活満足度とか生活の質、ライフクオリティですね。QOLっていう風に最近言われるものですね。
そして心理的な健康であって、そして関係の満足度とも関係をしていました。
性と幸福っていうのは確かにつながっています。
2つ目、2025年に最近の研究になるんですけれども、ロチウスター大学が出しているこれは25万人くらいの人に対した研究論文になったりするんですけれども、
これも同じ方向性です。性的な満足や性欲、オーガズム、そして性的苦痛の少なさ、
これらが心理的な興奮や身体の健康、関係の満足度と結びついているんですね。
これが一番大事なんですけど、このデータの96%って同じタイミングで測ったものになるんですね。
同じ時点で測ると、もともと幸せだったのか、それとももと性的満足をしていたのかっていうところとかは因果が不明だったりします。
でも3つ考えられると思っています。1つが性が満足満たされているから幸福になったのか、
2つ目がもともと幸福だから健康だから性も充実しているのか、それとも両方が良い関係を生んで両立して両輪がうまく回っているのか、
これは区別がつかないです。なので論文自身も実際にそう書かれているんですけれども、
だから一言で言うと、別にセックスを増やせば幸福になるとは言えないわけですね。
ここにちょっと別の研究もありまして、題名がそのままなんですけれども、約3万人ぐらいを研究した研究になっていまして、
簡単に言うと、性高度の頻度はより高い幸福を予測するかどうかというような論文になっています。
結果は多ければ多いほど良いというわけではなかったです。周囲1回を超えると頻度と幸福の関係性ってもう見られなくなるんですね。
別に多ければ良いというわけではないです。周囲1っていうのがそこの限界点みたいなところで、毎日やろうが週3回やろうが週1回だろうが関係ないっていう話ですね。
ここが上限値でしたというような話です。この研究にはもう一つ大事な結果があって、これは交際している人のみでの話です。
シングルの人だとそもそも交際してない人だと頻度と興奮の関係関連そのものが出なかったんですね。
これどういうことかというと当然シングルの人でもセックスをしている人っていうのは当然その3万人いた中でそれなりの人数がいまして、
ただ何を意味しているかというと聞いているのはセックスの回数ではなくて幸せに聞いているのは関係性の方だというような話です。
結局この研究で言いたい話で言うと関係満足度っていうのが頻度と幸福の間っていうのを表していたというような話です。
ここで最初の前提に戻るんですけど、性欲って興奮と幸福に分かれますよっていうのを最初にお話ししました。
そして興奮っていうのは慣れるという話もしました。集中超えると聞かなくなるっていうのはこういう話だと思っています。
増やしているのは興奮の方なんですね。でも興奮は慣れてくるので増やしても同じだけ帰ってこないわけですよ。
増やしているのは興奮だからどんな件増やしても幸福って帰ってくるわけではないです。
でも実際に研究もそのような言い方をしてたりします。だからたくさんすればいいとかたくさんセックスすればいいとかっていう話ではないです。
じゃあどうやったら何が幸福を決めているのかっていうような話で言うと、さっき言ったように関係性これが一番大事な話ですよねっていうのがさっきの論文でお話ししてた話になります。
性行為の理由:近づく性 vs 避ける性
ずっと同じような話をしてるんですけれども、望む形と生きている形が合っているかどうか、量じゃなくてずれなんですね。
だから同じ回数であったとしてもずれていればそれが逆にどんどんどんどんマイナスが積み重なっていくことになるんですね。
週に1回自分の望んでいる人と満たされている関係と、週に3回自分の望みと満たされてない、合ってない人としている関係性。
っていうと満たされないわけですよ。不幸せになるわけですね。
同じ回数、逆に回数が多くついたとしてもそれは真逆になります。
これをなんでするかっていうものを真正面から調べた研究っていうのがありまして、題名がもう本当にそのままでその気になってやるのか済ませるためにやるのかっていうような話。
性行為をするっていう理由を2つに分けてます。
一つは人に近づくための理由、もう一つは避けるための理由っていうような話で分けてます。
どういうことかっていうことだと思いますよね。ちょっと説明していきますね。
近づくための理由を並べてきます。
相手と親密になりたい。一緒に楽しみたい。自分も興味がある。相手に尽くしたい。喜ばせたい。
新しいことを楽しみたい。試したい。愛情を伝えたい。これが近づくための理由です。
もう一つは避けるための理由。断ると相手が不機嫌になる。浮気をされたくない。喧嘩をしたくない。恋人だから応じるべき。相手を失いたくない。義務だから。
結果としてはこう。近づくための性っていうのは満足度を高めるんですね。避けるための性っていうのは当然満足度を損なっていくわけですよ。
なぜならこれ自分で選んでないからです。相手も下がる。実はこれ相手も下がるわけですよ。気取りをしないまま応じると相手の満足度も下がっていくんですね。
意外だと思うんですけど別に相手もやっぱり気づくわけですね。なんとなく気取りしてないなとか無理矢理されてるなとか愛情がないなとかっていう形で気づいていくわけですよ。
そうすると性ってねやっぱり強い自己開示なわけですよ。自分の無防備な体を全部見せて欲望も知られて反応っていうのをドストレートに受け取られるっていう話。
だから相手はやっぱり相手の反応をよく見ていることっていうのが多いんですね。
なのでなんかいつもと違うなとか相手と相手がなんか違うなっていうところとかはそういうところとかは本当はしたくないんじゃないかなとかなんか嫌がってんじゃないかなとか無理させてんじゃないかなとかっていうところとかって自分としたくないんじゃないかなみたいなところってやっぱり気づいていきます。
そうすると相手もなんか嫌だったんだなっていう形で両方とも満足度が下がっていくことになるんですね。
なので避けるための理由で行うセックスっていうのは優しさにならないことがあったりします。
これね似たような研究で自己犠牲の研究っていうところで相手の性的に相手の性欲に欲求に応えようとする動機が高い人は双方の満足度と欲求が高い。
でも自分の欲求を犠牲にする形になると逆に満足度と欲求を下げるっていう研究があったりします。
どういうことかっていう話で言うと簡単に言うと自分が我慢しながらするセックスは不満足にさせるっていうような話だったりします。
答えようとするっていうのはすごくいい話だし、それはね相手のために頑張ろうって思う気持ちっていうのはとてもいい話だと思うんです。
でもそれによって自分を不幸にするって言うとそれは逆効果になることの方が多いです。
じゃあ何が境目なのかっていう話で言うと同意よりもう一歩進んだ基準っていうのがいるんだと思ってます。
断ることの重要性とSMのセーフワード
拒否してないっていうのはそれは選んだことではないです。
自分が選ぶと幸せになりますよっていう話とかは今までずっとしてきましたけれども、自分で選ぶっていうことは同意をするっていう言葉なんですね。
断らなかったっていうことじゃないんですよ。書類ならいいのかもしれないんですけど少なくても幸福の話、自分が幸福になるためという話で言うと足りないと思います。
なぜならさっき話した避けるための理由っていうところ、相手が不機嫌になる、浮気されたくない、喧嘩を避けたい、恋人だから応じるべき、相手を失いたくない、義務だから、妻だから、彼女だからセックスする。
そういう避けるための行為って全部断ってないんですよね。でも断ってないだけで同意も同時にしてないんですよ。
大事なのは1回目で言った自分で選べているかどうかっていうところとかがとても大事です。これがないと結局幸せっていうところとかにつながらなかったりします。
断れることっていうのはとても大事な話で、選べている状態を作るのには何がいるかっていうと断れる状態関係性を作ることっていうのがとても重要だったりします。
ちょっとここでねSMの話をするんですけれども、SMにはNGワードとNGの話と同時にセーフワードっていうものもあったりします。
NGはもともと自分はこれはできません、これは無理ですっていう風に最初から断っていく話。
セーフワードっていうのはしている最中にこれはもう無理っていう風に言って断れるっていう状態。これが安全っていうものを作ってたりするんですね。
これもともとゲイコミュニティから発生したものになっていて、そこからSMコミュニティっていうところに入ってきてSMの人たちも使うようになってきた。
よくある言葉で言うと嫌だとかNOとかっていうところで言うと、もうプレイ中はそれが本当かどうか分からないって話になっちゃうので、
よく使うのはレッドとかイエローとかグリーンとかっていうような色で言ったりとかね本当にこうマジな話ドラえもんとかドラ焼きとかねそういう言葉をセーフワードに絶対言わないような言葉を使ったりするわけですよ。
そういうような形でねセーフワードっていうものを僕らはよく使ったりします。これはね心理的安全性を担保する、つまりちゃんと安全に断れる状態を作れているかどうかっていうようなことにするためには非常に重要なことになるんですね。
よりやっぱりSMって普通のセックスより一定危険なことであったり例えば拘束されたりっていう風になると自分でこう自分の意思で動くことができなくなったりするわけですね。
そうするとやっぱり何かを止める必要がある。何かがあった時にストップしてもらう必要があるっていうことがあったりするんですけどやめてじゃあ通じないことが多い関係性だったりするので、
そういう心理的安全性というか身体的安全性の担保のためにもそういうセーフワードっていう形でドラえもんとかっていうものを入れたりするっていうのが実はこれネタではなく結構本当にある話。
よくよくみんなが使う話だったりします。もう絶対言わないワードを使うっていうですね。そういうことをしたりします。
あえて空気を壊してまで止めてもらうっていう話ですね。これもやっぱり戻ってくると同じ話でして、断られない関係っていうのはもう自分の安全性っていうか心の安全っていうのが担保されてない状態なんですね。
これもう少し研究とか論文とかをちょっと見ながらお話をすると気乗りをしないまま丁寧に断る方が関係を保ちやすいっていう研究っていうのも実はあったりします。
断り方と相手への配慮
なぜかっていうと嘘は積み上がらないからだったりするんですね。2018年ぐらいの研究になったりするんですけれども、無理をし続けると相手はうまくいってると思ったっていう風にずっと思っていくことになるんです。
でもある日中、ある日急にもう無理っていう風になってしまって終わっちゃったりするわけですよ。これ相手には理由がわかんないんですよね。なんでって急になるわけですよ。黙って応じているっていうのはそれは相手に間違った情報を渡し続けることになるわけですよ。
だからそうなるとどんどん嘘が積み重なっていくんですね、相手に対して。嘘を言ってるつもりはないわけですけど、相手は大丈夫なんだ満足してくれてるんだっていう風に思ってしまって、それでずっと続けるっていうことになったりします。
片方は性欲、性行動、セックスっていうものを求めていて、片方は受け取っているものはどちらかというと性満足、性的満足っていう話であったり、幸せ、興奮、興奮より幸福という話だったりする。
そうするとそこがすれ違っているとどんどんどんどんと片方の幸福度っていうのが落ちていくんですね。相手が気づくっていう風に言いましたけど気づかない場合も当然あったりします。そうすると急に関係性が壊れたりするわけですよ。
当然壊したいわけに思っているわけではないと思うんですよ。だからこそ最初から苦手なことは苦手、ダメなことはダメ、無理なことは無理、嫌なことは嫌っていう言える関係性っていうのはとても重要になったりします。
ここで一つ大事な区別、説明をちょっと置いておきたいなと思います。よくね日本人は断る、NOというのが苦手っていう風に言われたりするんですけれども、断るっていう話と相手を否定するっていうのは別の話です。
僕らね、SMをしてる人たちって相手を否定することはやめようね、いろんなフェチ、いろんな趣味思考があるので、自分の趣味に合わないとしてもそれは相手が好きなことかもしれないので、相手のこれだけマイノリティの人たちが集まっている場だったりするので、相手の趣味思考を否定することはやめようっていう暗黙のルールっていうのがSMの世界にはあったりします。
なのでよくね、一般社会って言うとちょっとあれですけど、一般の社会で例えば飲み会とかで、俺こういうの好きなんだよねみたいなこと言うと、マジでありえないみたいなそういう反応とか、俺実はMなんだよねって言うと、え、キモマジでみたいな話とか、
そういうね、いわゆる否定っていうことをされることっていうのがよくあったりします。別に言ってる側はもしかしたらそこまで否定してるつもりはなかったりするかもしれないんですけど、でも言われてる側はそれは否定になるんですね。
否定することと断ることっていうのは違うんですよっていうようなお話をさせていただきたいんですけれども、気持ち悪いとかそれ無理とかそういうことを言うの、相手のことの人格否定とか相手の趣味思考の否定をするっていうのと、
私はあなたの気持ちはわかるけれども、でも私はちょっとそれ今日できないなとか、私はそれちょっと苦手ですっていうのはまた別の話なんですよ。これ慣れてない人にはねちょっと難しいかもしれないんですけれども、でも、えっと例えば今日はしたくないけれども明日は大丈夫だよっていうことだって全然あると思うんです。
なので、そういうね、あの否定することと断ることっていうのは別だというふうに理解をしてほしいです。だから断られ続けても関係は続けるけど続くことはできるけど、否定され続けると続かないんですよ。断り方っていうのをちょっとね、難しいと思うのでせっかくなのでお伝えをしようかなというふうに思います。
まず一つ目、えっと行為だけを断る。人には触れない。つまり人格には触れないっていう話。僕が今言った話ですね。例えばこういうプレイをしたいみたいな話とかこういうことをしてほしいみたいなことを言われたときに、いやあなたがしたいのはわかるけれども私も頑張りたいけどそれだけはちょっとできないんだっていうような行為だけを断るっていう話。
二つ目、今はできないっていうふうに言う言い方ですね。代わりを、代案を出す。例えば今は無理だけれども週末ならできるよとか、ちょっと今日体がちょっとすごく疲れていてさすがにちょっとセックスできないけれども週末なら多分体力あるし大丈夫だと思うみたいな形で代案を出すっていう話。
三つ目、気持ちは受け取ったっていうことをちゃんと伝える。求めてくれたのを嬉しいっていうのをちゃんと伝える。これはね、あの言う方も結構やっぱり勇気がいるわけですね。
セックスしたいっていうふうに言うのも慣れてないカップルであればあるほどやっぱり難しかったりするので、まずは拒否するのではなくて求めてくれたのを嬉しいっていうのを伝えるっていうのはこれ、男も女も性別に関係なく一緒だと思ってます。
気持ちは受け取って行為だけを断るっていう話ですね。なので、そうするとね、断りやすさは求める側が作れたりするんです。断る前提で聞く。したいではなく、今日どう?っていうふうに聞いたりする。これは一つ求める側ができる話だったりします。
あとは2つ目。断った時の反応を先に決めておく。断られても不機嫌になる人っていうのは、次から断られることはないです。ただ言われなくなるだけです。不機嫌になると次から関係性は壊れて、まあ嫌々ながらやっていく。そして断られないけれども、どんどんどんどんと相手は不幸になっていく。幸せになっていかなくなっていく。こうなります。
3つ目。断れたことを蒸し返さない。蒸し返すと断るってことが借金になっていくんですね。あの時断ったのにまた断るの?みたいな話とかをする。これは別に断ることがいけないわけではないわけですよ。その時たまたまその時の条件とか体調であるとか諸々があったりするわけなので、たまたま重なることだってあるわけですよ。
なので、なんでこの間はいいって言ったのにとか、この間もダメなのにまたダメなの?みたいな話とかをすると相手も断りにくくなるわけですよね。この3つをやると避けるための理由がいらなくなるんですね。そうすると相手も断りやすくなるわけですよ。これは心理的安全性、断るための心理的安全性を担保するっていう意味ではとても重要な方法になってくると思います。
性欲がなくても幸福になれるか
最後ですね、性欲がなくても幸福になれるのかどうかという話。いわゆるセックスができない人、性欲がもともとめちゃくちゃ弱い人っていうのもいます。いわゆるアセクシャルっていうような人であったり無性愛者っていうような人だったりします。デミセクシャルであるとかアセクシャルであるとかそういう人たちとかはもともと性行為っていうもの自体を望んでない人っていうのもいます。
これは実際に世の中にも一定数いたりするんですね。ルナの中にもたくさんいらっしゃいます。SMをするけれどもセックスしないのっていうふうに言うと一般の人たちはSMイコールセックスの延長上だというふうに思っている方がすごく多いのですごく不思議に思うかもしれないですけれども、でもSMをするけど性行為はしない、セックスをしないっていうのは結構普通の話でよくある話でもあったりします。
もちろんする人もいますししない人もいる。じゃあいわゆるアセクシャルの人が性欲低下とか極端な例とかというふうな形として分類をして幸せなのかどうなのかっていうところで研究した研究結果が2015年の話であります。
結論としてもちろん一般の人と同じようなものとして扱える比べられるものではないんですけれども、ただアセクシャルの人が性欲が下がって強い苦痛を抱えている人っていうのはいなかったです。
前者はつまり性欲があるけれどもセックスができない人っていうのは苦痛になるんですけど、別にもともと性欲がない人、アセクシャルの人は別に苦痛ではないんですね。なので前提が違ってきます。
最初大前提の話で性欲っていうのは興奮と幸福に分かれるっていう話をしました。アセクシャルの人は別に興奮の方はないんだけれども幸福は別に成立するんですよ。
性欲っていうもの自体は2つに分かれる。もっと細かく言うと4つに分かれますよっていう話をしましたけれども、別に興奮っていうものがなくてもセックスっていう行為がなくても性欲っていうものは存在していて、そして幸福っていうのが成り立つっていうものがあったりします。
この2つを分けてないと結構会話が混乱してしまったりであるとかすれ違ったりしてしまうっていうこととかがよくあったりします。だから性欲が強いだから健康であるとか性欲が弱いだから不健康であるとかセックスレスだから不幸であるとか回数が多いからだから関係性が良いとかこれはどれも言えるわけではないです。
もう一個大事な話で苦痛がなければ問題がないっていう話を他人が判定してはいいわけではないです。苦痛かどうかっていうのは本人しかわからないです。逆に本人が苦痛ではないっていう風に言ってないから大丈夫っていうのも違います。
言えない環境なら言えないのが普通なので第3回目でね空気感とか環境とか言ったら自分が不幸になってしまう自分の居場所がなってしまう居場所がなくなってしまうっていうような話をしましたけれどもそれと同じ話です。言えない環境では言わないのが普通になってしまいます。
もう一つ性欲の強さが違うって事自体も問題ではないんですね。そもそも完全に性欲の強さが一致してるって事自体が珍しいわけですよ。仕事であるとかストレスであるとか出産育児健康飲んでる薬年齢関係性の状態その時の体調の状態絶えず状態が変わります。
今年と去年で違うのは当たり前です。完全に一致している方が珍しいです。そして一致している事自体に満足度を上げる効果っていうものも確認はされてないという研究自体もあったりします。
なんで相手を傷つけて不幸にしてしまう可能性があるのかっていう幸福の話に戻っていくと傷つけるのは不一致を起こすっていうより話し合いができないことだったりするんですね。
ちゃんと断ることができない、ちゃんと話せない、ノーと言えない、言わせないそのような状態っていうのが相手を不幸にするというような形になってしまいます。
SMの関係でもそうです。SだからMだからMだからSの言うことは絶対に聞かないといけない。これは自分の意思を自分の意思で自分の意思を放棄しているのであればそれは自分の意思で放棄しているので問題がないんですけれども
そうではない状態で放棄をさせられるっていう状態はこれは不一致になってしまいます。
そして人格の問題にすること。例えばSMの人とかだとよく言われがちだったりするんですけどお前は気持ち悪いとかあとは性欲が強いと動物みたいだみたいな話とか
逆に性欲が低いとお前それでもなんか例えばね20代とか30代とかでもそれでも大丈夫なのとかそんな風に言われたりとかする。
それ壊れてるわけじゃないわけですよ。別に低いから高いからみたいな話とかじゃないわけです。何が好きとか嫌いとかっていう話じゃないわけですね。
人格の話にしてしまうとそこから話し合いができなくなっちゃいます。なぜなら人間性の否定をしているから。人間性の否定をしてくる人と会話はできないわけですよ。
応じる側の苦悩と求める側の責任
僕が現場でルナの中で一番見ているっていうところって高い側、性欲が高い側が我慢しているケースじゃないんですね。低い側、性欲が低い側が応じ続けているケースっていうのが一番多いです。
別にセックスしたいわけじゃないのに、セックスを求められるから頑張ってセックスを求める、セックスをするとか、相手がこれを求めるから頑張ろうという形でノーと言えない状態で頑張り続けるとか、
もしくは自分ができないことなんだけれども相手がすごく嫌がるから自分で頑張って我慢して誰にも言わなくて自分だけで抑え込めばいいやっていう形にする。これ一歩間違えるとDVになりますからね。
DVとSMの関係みたいな話の違いの話で言うと、ここで話す話ではないので、簡単に言うとSSCっていうセーフセンスコンセントっていうものがSMの中のルールであったりするんですけれども、それがあるかないかっていう話がDVとSMの違いだったりするんですが、
これもね一緒の話です。安全性とか合意とかっていうところとかがちゃんと取れているかどうかっていうことが今までずっと話してきた話です。興味ある人はSSCとかっていう感じで調べてもらえればすぐ出てくると思うので調べてみてください。
今日はちょっとそれとは話が別なので詳しい話はまた今度っていう形にしますけれども、なのでね話を戻すと、やっぱり現場で見ているとですね、応じている側は協力をしている。好きな人のために頑張る。限界まで頑張るみたいなこと。でも限界まで頑張った先にもう無理ってなっちゃうんですね。
求めている側っていうのは断られている回数っていうのが見やすいので気づきにくいんですけど、応じてもらえている側っていうのは気づきにくかったりします。だからこそ求めている側の方が確認をする責任があるんじゃないのかなというふうに思っていたりします。
ちゃんと本当に大丈夫とか今日の体調大丈夫とか、そういう相手のことを気遣いながらセックスをするなりSMをするなりプレイをするなりいう形で求めていくと相手が断りやすくなるので心理的安全性っていうものが担保されて、この人の前ではちゃんと自分のことを言っていいんだ、ノーって言っていいんだっていうのを思ってもらえる。
それが非常に大事なんじゃないかなというふうに思います。最後に3回目で渡したお話っていうのをちょっとここでしていこうかなというふうに思うんですけれども、要求と欲求を分けるという話とかをしました。
要求と欲求の分離、扱われ方の重要性
聞いてない方に関してはちょっと簡単にお話をすると何をしてほしいのかが要求、その結果何を得たいのかが欲求という話です。性の話で言うとこれが一番よく聞きます。なぜかというと行為の話で言うと飲むか飲まないかの二択になるんですね。
こういうプレイをしたい、縄したいとか無知したいとかいう話とかになってくると、無知をしたいのか縄をしたいのかっていう、するかしないかの二択になるわけですよ。でも欲求の部分、何でしたいのっていう話ですね。縄をしたいっていう理由っていうところとかを解きほぐしていくと、
よく出てくるのが縄で包まれることによって安心するっていう話であったりとか、自分がぎゅっと包まれている感じによって安心感があって自分の自由を奪われることによって、それによって自分が不自由なんだけれども、でも何もできなくなることによっての自由っていうものが出てくる。
ここまで言語ができる方っていうのは最初はなかなかいらっしゃらないかなというふうには思うんですけれども、こういう縄がなぜ好きなのかとか無知がなぜ好きなのかとかどうしてそういうものを求めるのかっていうのはまたちょっとどっかの別の機会でお話をできればなぁと思うんですけれども、そういう中身までちゃんと話していく。
縄とか無知とかはまだやったことがない人とかだとなかなか難しかったりするんですが、そういうなんとなくでいいのでどういうところに興味があるのかとかっていうところまで話を戻していくと、他の代替案みたいなものとかが出てきたりします。
例えば拘束されたいっていうだけの話、縄で拘束されたいっていう目動き取れなくされたいっていう話であったりすると、縄っていうもの自体に憧れを抱いているのか、それとも拘束っていうところに対して自分が目動き取れなくなっているかっていうところだけでも大きく2つに分かれるわけですね。
目動き取れなくなっているだけであれば、例えば僕はよく手ぬぐいとかをお勧めするんですけれども、細長いので誰でも一応安全に使いやすかったりします。手を縛ったりとかね、いろいろなところを縛るのに結構便利だったりするので、プレイの話は一旦置いておいて、そういう形で他の方法でできたりするっていうこととかもあったりします。
例えばね、中身の話っていうところまで戻しましょうっていう話をしましたけれども、一番のベースの中身の話でよく出てくる話、中身7つぐらいちょっと斜めでいきますね。
1つ目が忘れられないと確認したい。2つ目が自分が交換可能なものだとは、ものでないと思いたいっていう話。3つ目が判断を渡して何も考えない時間が欲しいっていう話。
4つ目が本気で向き合いたい。手を抜かれたくない。5つ目が弱い自分を見せても扱いが変わらないでほしい。本当の自分をさらけ出しても自分を受け入れてほしいというような話。
そして必要とされたい。役に立っていると感じたい。誰かのために、大好きな人のために自分を預けたい。自分を自分で貢献して、自分を使って貢献したい。
あとは一人の時間っていうものを咎められたくない。見てもらうとわかるんですけれども、今しゃべっていたものを思い出してもらうとわかるんですけれども、行為っていうものが一つも入ってないんですね。
全部扱われ方の話なんですよ。どう扱われたいかっていうような話です。この扱われ方って別にやり方っていかにもにでもあるんですね。
判断を渡して何も考えない時間が欲しいのであればプレイでも満たせるし、それ以外の方法でも満たせたりします。
例えば旅行の行き先を全部相手に決めてもらうっていう形でも成立するかもしれないです。プレイとはちょっと違うかもしれないですけど。
そうすると中身のやり方っていうのが増えてきます。結局相手が何を求めているのか、どういう欲求があるのかっていうところとかが一番重要なところの話であって、
それのHowみたいなところとかはただのやり方にしか過ぎないんですね。ここを意識するとすごくコミュニケーションのテーブルに乗りやすくなって、そして2人の会話っていうのができるようになります。
さて、長くなりましたけれども、今までの4回の分ちょっとまとめてお話をしていこうと思います。
シリーズ全体のまとめと自己選択の重要性
1回目は幸福を決めているのは量でなくて、自分で選べているかどうかというようなお話をしていました。
2回目は続いていること、継続している時間、関係が続いている時間っていうのは幸せかどうかっていうと必ずしもそうではなくて、
大事なのは明日もお相手に真正面に向き合うつもりだっていうふうに相手に伝わっているかどうかというようなお話。
3つ目、なぜ言えないのか、どこで自分の気持ちを言えないのかっていうところの話で言うと、
伝えられないではなくて、自分の気持ちをそもそも自分が認めていないっていう段階で止まっている可能性が高いのではないかというようなお話。
そして黙ってしまう、認められないっていうのは性格ではない、環境がそれを作っているっていうようなお話とかをさせていただきました。
そして今日最後の話は性欲と興奮。性欲は興奮と幸福に分かれるというようなお話。
世の中の話は全部が興奮の方に性欲の話をすると酔っちゃうんですけれども、でも幸福っていうのが必ず入っているんですね。
別にセックスで興奮したいがためだけにしている人っているんですけれども、特にちょっと男性女性であまり分けるのは僕は好きではないですが、
女性の方であればあるほど興奮より幸福を求める人の方が多い傾向があります。
なので大事なのは自分で選べているかどうか、幸せになるために自分で選べているかどうかっていうところとかが一番大事な話です。
最後に今日の一問置いていこうと思います。直近の行為、直近のセックスって自分で選んだものでしたか?
断らなかったのか、それとも断れなかったのか?思い出せないっていう人もいると思います。それも一つの情報だったりします。
でも思い出せないのは大抵選んでないからだったりするんですよね。自分でしたいからっていうことだって、したいからっていうことだったら大変大体覚えてたりすることがあったりします。
流されたっていうことは大体覚えてなかったり、覚えてないことだったりしたりします。なので4回に分けてお話をしてきましたけれども、最後性の話をしてきました。
結局性の話でも1回目の話でも同じことしか言ってないんですね。自分で選べているかどうか。性でも仕事でも関係でも結局自分の幸せみたいなこととかを考えると、
SMの人はね、特に自分の、本当にこう、生死みたいなところに関わる時もあったりするので、そこの自分で選ぶっていうところとかをめちゃくちゃ重視しているし、
関係性を構築するために会話っていうのを大事にしている人たちってとても多い傾向があります。だからこそ僕がね、こういう話をSMっていうものをやっている、
サービスをやっているものだからこそお話をさせていただいているんですけども、これは別にSMに限らず言える話なんじゃないかなっていうふうに思っております。
さて、今日はここまでです。いつも聞いていただいている方、長くなりましたけれどもありがとうございます。それではまた。
今日の話が、すぐに何かの答えを出すためだけではなく、自分の中のある気持ちに少しだけ気づくきっかけになれば嬉しいです。
僕たちは、ちゃんと生きようとすればするほど自分の本音を後回しにしがちです。でも言葉にならない違和感や誰にも言えない好きも、全部あなたの大切な一部です。
この番組では、これからも恋愛や仕事、人間関係を通して、自分らしく生きるとは何かを一緒に考えていきます。
今日の話が心に残った方は、ぜひ番組のフォローをお願いいたします。感想や取り上げてほしいテーマもお待ちしております。
それでは今日はこのあたりで。今日も一日、ちゃんと生きてきた自分を少しだけねぎらってあげてください。
ちゃんとしすぎて疲れたあなたへ。お相手は株式会社ルナ代表の後藤圭司でした。また次回お会いしましょう。
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