BCB040『脳は世界をどう見ているのか 知能の謎を解く「1000の脳」理論』

Jun 21, 2022 goryugo

今回は、『脳は世界をどう見ているのか 知能の謎を解く「1000の脳」理論』最近読んだ脳関係の本では抜群に面白い一冊でした。書誌情報* 著者* ジェフ・ホーキンス* 神経科学者でりながら、起業家でもあるいかにもアメリカっぽい人。1992年にパーム・コンピューティングを設立して、「パームパイロット(PalmPilot)」を開発したすごい人でもある。* 翻訳者* 大田直子* 出版社* 早川書房* 出版日* 2022/4/20ちなみに、序文はあのリチャード・ドーキンスが書いている。構成大きく三部立て。第一部は「1000の脳理論」(座標系理論)について。第二部は機械知能について。第三部は脳と知能から見る人類の未来について。及び遺伝子 VS 知能の構図。実際の目次は、以下の通り。目次 序文(リチャード・ドーキンス) 第1部 脳についての新しい理解  第一章 古い脳と新しい脳  第二章 ヴァーノン・マウントキャッスルのすばらしい発想  第三章 頭のなかの世界モデル  第四章 脳がその秘密を明かす  第五章 脳のなかの地図  第六章 概念、言語、高度な思考  第七章 知能の一〇〇〇の脳理論 第2部 機械の知能  第八章 なぜAIに「I」はないのか  第九章 機械に意識があるのはどういうときか  第十章 機械知能の未来  第十一章 機械知能による人類存亡のリスク 第3部 人間の知能  第十二章 誤った信念  第十三章 人間の知能による人類存亡のリスク  第十四章 脳と機械の融合  第十五章 人類の遺産計画  第十六章 遺伝子VS.知識 おわりに 脳科学、あるいは認知科学の話題としては第1部がすこぶる面白い。AIの現状と未来については第2部で展開され、SF的な「人類が進む道とは?」という大きな問いが提示されるのが第3部。どれも面白い。「1000の脳」理論本書に登場する「1000の脳」理論について簡単にまとめる。まず、脳は増築された建物のように、(進化的に)古い部分の上に新しい部分が作られている。しかし、新皮質と呼ばれる高い知性を司ると言われる部分は、少し構造が異なっている。その全体が「似たような構造」ででき上がっているというのだ。視覚を司る部分と、聴覚を司る部分は「結構似ている」(もちろん、違いもある)。そのように同じものを大量に作るならば、進化的に長い時間は必要ない。コピペで作っていける。そのような大量の似た脳の部分(コラムと呼ばれる)が、さまざまな機能を担当している。しかし、その機能は「刺激に反応して運動を起こす」という単純なものではない。そうではなく、新皮質は「予測」をしている。こういう動きをしたら、こうなるだろうと予測し、実際にその通りになっったときに、非常に素早く行動を起こせるようになっている。そのような状態は進化論的に適応であろう。その予測を支えるのがモデルである。世界についてのモデル。「こうしたらこうなる」という理路があるからこそ、予測が可能となる。モデルなしでは予測はできない。私たちの脳は、常にそのモデルを学習している。適切に予測するために。そのモデルが「座標」を使っている、というのが本書の大きな胆。座標があるからこそ、多様な動きに応えるモデルが構築できる。この座標は物理的な存在の理解だけでなく、概念的なものの理解にも関わっている。私たちの概念的なものの学習においても「座標」が重要だ、という点からいろいろなことが考えられるだろう。改めて知能とは?私たち人間は、知的生命体である。生きている限り、私たちの脳は外界について学習し続けている。生きている限り、変化が起こりうるからだ。脳は学び続ける。よって知能とは、「変化し続ける世界に対応する能力」だとプラグマズティックに定義することもできるだろう。今「独学」が盛んであるが、そのように「強いて」行わなくても、脳は学習しているのだ。勉強が不得意だといっても、大きなスーパーに何度か通えば配置を覚えるし、人の性格なども把握するし、何をしたら起こられるのかも学んでいく。人間は学ぶ動物なのだ。その意味で、「生きる上で特別に必要というわけではないことを学ぶ」というのが"人間"にとっての学習であり、引いてはそれこそが「贅沢な学び」であるとも言えるだろう。 This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe

BC039「現代のインターネット環境と退屈の哲学」

Jun 7, 2022 goryugo

今回は三冊の本を紹介しました。* 『退屈とポスト・トゥルース SNSに搾取されないための哲学 (集英社新書)』* 『暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)』* 『何もしない』書誌情報はAmazonなどで確認してもらうとして、話の要旨をまとめておきます。導入なぜ「退屈」に注目するのか?「どう生きるのか」とは、「どう時間を使うのか」にパラフレーズできる。そして現代では「有意義なこと」に時間を使ったほうが言い、という風潮がある。でも、はたして本当にそうなのだろうか。そんな天の邪鬼な観点から「退屈」に注目する。一つの前提として、この社会は「資本主義」にどっぷり浸かっており、それ以外の社会をうまく想像できなくなっている、という点がある。ITツールやネットメディアは私たちに「環境」を提供してくれているが、それが「正しい」のか(あるいは適切なものなのか)は、判然としない。むしろ、あまり良くないのではないか、という懸念も多い。その観点も含めて、退屈の哲学を用いて考えていきたい。『退屈とポスト・トゥルース SNSに搾取されないための哲学 (集英社新書)』簡単にまとめれば、これまでの「退屈の哲学」を振り返りながら、現代に特有の「退屈」状況を考察し、その問題点を指摘する一冊。ポイントは、退屈にいくつかの区分を設定したこと。* 哲学の起源としての退屈* 精神分析的退屈* 政治的退屈* 「創造的」退屈* ネオリベラル的退屈一番最後の」「ネオリベラル的退屈」は、著者が本書で設定した用語。その中核をなすのが「インターフェース」という概念。IT用語としては一般的だが、著者は「入り口(しかないもの)」という含意で用いている。人を誘い込む入り口でありながら、そこからはどこにもいくことができない。人はその場所に留まり続けることになる。TwitterやYouTubeなどでも、特に何かを見たいわけではないのに、延々とスクロールしているときがある。そうしたとき、私たちはネオリベラル的退屈にはまりこんでいる。その退屈は、実際は「手持ちぶさた」なわけではない。何かをしているし、ちょっと興奮もしている(ドーパミンが出ている)。しかし、深い満足感も納得感もそこにはなく、むしろ少しのいらだちや妬みが心に忍び込んでくる。それを解消するために、再び新しい投稿を求めてスクロールしたり、いらないものをスワイプで消したりしていく。まさに現代的な「退屈」の在り方であり、そういう退屈に入り込んでいるとき、「退屈とは何か」「自分とは何か」「人生とは何か」という(哲学的な)問いに人は向き合うことがない。その意味でも、「どこにも出口がない」退屈である。『暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)』今回の中核をなす本で、面白いのでぜひ読んでいただきたい。著者はさまざまな考察を繰り広げるが、一番のポイントはハイデッガーの退屈論を引き受けながらも、それをさらに展開させている部分。ただし、そこに至るまでに「退屈」に関する前提をいくつか押さえておく必要がある。* 人類は最初移動していたが、途中から定住するようになった* 移動する生活では毎日新しい風景に出会い、認知的処理を行わなければならなかったが、定住生活ではそれが不要になった* つまり、定住生活では認知エネルギーが余ってしまう→退屈が感じられる* 私たちは「退屈」を気晴らしでやり過ごそうとする* 気晴らしは熱中できるものであれば何でも構わない(苦しいものであっても人は選択する)* むしろ、楽しいものを選ぶためには訓練された能力が必要かもしれない* かつての有閑階級はそうした能力を持っていた(暇はあるが退屈ではない生き方があった)* そうした能力を持たない人は、苦しいものを選ぶしかなくなる* ただ、どちらにせよどんな気晴らしも効果がない根源的な退屈がある* 「なんとなく退屈だ」がそれだ* それは根源的であるがゆえに気晴らしでやり過ごすことはできず、私たちはその問いに直面せざるを得なくなる* そこから哲学的な思考が始まる* だから、そうした退屈を通り抜けて決断せよ、それが人間が自由であることだとハイデッガーは言った* しかし、著者はその点を問題視した上で、さらに退屈についての論を深めていくここからの展開が非常にスリリングである。環世界と人間の自由の話も面白いので通読されたし。『何もしない』時間の関係であまり取り上げられなかったが、本書も非常に面白く、「奇妙」な一冊。「何もしない」というタイトルであるが、本当に何もしないことを(つまりサボタージュを)進めているわけではない。ある種の「効果的」な行為を行わない、というくらいのニュアンス。結局のところ「効果的」とは、ある基準で測定可能な行為であり、そういう単純な行為は容易に資本主義にとらわれてしまう。だからこそ、「何もしない」。意義ある行為をしないことで、結果的に意義ある行為にたどり着く、というちょっと禅的な感じもある。「生産性」ばかりを求めると、私たちは失敗する。考え方が単純化し、二項対立にとらわれてしまうからだ。だから、そこから距離をとる必要がある。資本主義に投げやりになるのではなく、かといってそのゲームに従順になるわけでもない。資本主義の中にいながらも、その外を想像できるようになるために。 This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe

BC038 『悪い言語哲学入門 』

May 24, 2022 goryugo

今回の本は、ブックカタリストで語ることで、ようやく全体が理解できた、という感じでした。まさに「話すことで頭が整理できる」「アウトプットが理解のための最善の方法である」というのを実感した本です。「言語哲学」と言われる、20世紀初めに起こった哲学の中でも比較的「新しい」哲学でしかもわりと「細かい」「厳密」な分野でもあるので、ざっくりと理解する、イメージするというのが難しい、ということもあるかもしれません。とは言え「言語行為論」だとか「表出型の言語行為」「真理条件的内容」みたいな難しい言葉が、最後のキレイに回収されていく流れは実に見事で、いろいろ難しい言葉がいっぱい出てきたのはこのためだったか!という納得感が高く、満足して読み終えられました。『悪い言語哲学入門 』今回の本では(全部を上手に説明できる気がしないので)テーマを絞って、主に本書の5章にある「言語行為論」と、7章の「総称文」について話しました。惣流・アスカ・ラングレーの言う「あんたバカぁ?」は言語行為としてどういう行為なのか。真面目なんだか不真面目なんだかわからないこの視点が大変素晴らしく、エヴァンゲリオンを新しい視点で楽しむためにも哲学が使える!というのは哲学を一般に広げていくにはすごく重要な視点に思えました。あの「あんたバカぁ?」ってなんなん?って議論とか、けっこうありそうな気がするんですよね。そこで哲学的知識をバックグラウンドに分析を語れれば、より深い、一段上のオタクになれる!少なくとも自分の場合、こういう視点を得たことで、マンガや小説を読むときの楽しみ方は一段深まったような気がします。もう一つ、7章の総称文に関しては、視点を変えると「英語を学ぶときにも役立つ」という実例付き。Maryl is blonde, but not a blonde.こういう文章って、英語の理解を深める、みたいな本に出てきそうな話ですが、言語哲学的にも題材になる、というのは興味深く、これまた「哲学」と「外国語学習」がつながる面白さが経験できた気がします。「左手でボールを投げた」と「左投げ」はまったくうける印象が違う。これもまた読んでみて確かにその通り、と深く納得。総称文にはこういう「怖さ」があるというのは、是非本書を実際に手に取って考えてみてほしいと思う内容です。正直、自分にはすごく難しい本で、読むのにものすごく苦労した本なんですが、だからこそ「独学した」っていう実感は強く、読みおえた満足感は非常に高い本でした。 This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe

BC037『現代思想入門』

May 10, 2022 goryugo

『現代思想入門』(千葉雅也)今回は、二人とも読了していた『現代思想入門』(千葉雅也)について二人で語りました。現代思想?フランス現代思想。1960年代〜1990年代。ポスト構造主義とも。まず「現代思想」と言うが、2020年的な現代の思想ではない。2000年よりも前である。にもかかわらず、その思想はまさしく現代を射程に捉えている。哲学者が、その時代の「現象」を深く思考している証左であろう。また、フランス現代思想は「ポスト構造主義」として説明されて、(ポストは「後の」という意味なので)、この手の本は「まず、構造主義について説明します」という段取りが一般的なのだが、本書ではずばりとデリダから説明に入っている。実に潔い。時系列を追いかける「史」の形ではなく、思想を直接的に追いかけているイメージ。また、この時系列に縛られない話の組み立ては、「ツリー構造」からの逸脱としても捉えられる。本の内容(構造)自体が、その思想を体現している、というわけだ。その意味で、非常に実践的。中心的な三人本書ではフランス現代思想を中心として、その周囲の人たちもたくさん登場するが、やはりメインに据えたいのはデリダ、ドゥルーズ、フーコー、の三人。この三人の思想は、まず「面白い」。倉下があまのじゃくなせいもあるだろうが、「脱構築視点」は実にしっくりくる。というか、この三人の思想を「脱構築」という概念で括ってみせた(因数分解のようだ)著者の手腕は圧巻と言わざるを得ない。これまでバラバラに位置づけられていた概念が、ある「図」(座標)のもとに統一されたかのような感覚がある。きりきりに冷えた炭酸のような爽快感。「知的生産の技術」の観点で言えば、デリダの脱構築は新しい概念の創出に役立つ。ドゥルーズのリゾームはネットワーク型の情報ツールの可能性を(あるいは、一人の人が多用な属性のもとで情報発信していく可能性を)提示し、フーコーはテクノロジーが持つ監視力が、個人に内面化される危険性と、それとナチュラルに寄り添う「自己啓発」の危うさを示してくれる。デカルトの『方法叙説』はライフハック本として読める、という話があるが、上記を踏まえればこの三人も実にライフハック的である(本書でも同様の視点が語られる)。個人的に特に重要だと感じるのはフーコーである。「自己のテクノロジー」は、ますます現代で重宝されるようになっている。しかしそれは手放しで喜べるものではない。拙著で「ノートを不真面目に使う」と説いたのは、自己のテクノロジーをまったく決別して生きるのではなく、しかしそれと一定の距離感を置くための一つの方策である。応用性のありかたごりゅごさんのお話を聞いて、書き手として一番「ほぉ〜」と思ったのが、具体例を提示してくれているおかげで、自分でも他のことに応用できるのではないかと考えられた、という話です。詳しく書くと長くなるのではしょりますが、この「抽象性と応用」というのは個人的な課題の一つです。つまり、ある知識はそれが抽象的であるほど応用しやすいので、できれば抽象的に伝えたいが、それではわかりにくい。しかし、具体的に伝えるとわかりやすいかもしれないが応用性がなくなる、というジレンマがあるわけです。でも、上記のジレンマは間違った構図というか、間違った問題化だったのでしょう。読み手の発想を刺激する具体性の提示の仕方があるわけです。というか、徹底的に具体的であるからこそ到達できる抽象性というのがあると捉えた方がいいかもしれません(その意味で、単に具体的であればいいわけでもない)。なんにせよ、千葉雅也さんの本には、毎回書き手として強い刺激を受けます。 This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe

BC036『CONFLICTED 衝突を成果に変える方法』

Apr 26, 2022 goryugo

『CONFLICTED(コンフリクテッド) 衝突を成果に変える方法』書誌情報* 著者* イアン・レズリー* 『子どもは40000回質問する あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力』* 翻訳* 橋本篤史* 出版社* 光文社* 出版日* 2022/2/22概要現代は、意見の対立が多い時代である。インターネットによって、コンテキストが異なる人と交わる機会も増え、統一的な価値観が崩壊しつつあるので、すべての人が同じ意見である、という状態は少なくなっている。一方で、私たちはそうした状況で「うまくやる」ための方法をほとんど知らない。日常的に訓練されることはないし、進化論的にそうした能力が獲得できるという機体も持ちがたい。意識的に取り組む必要がある。異なる意見がぶつかりあう状況(=衝突)は重要である。それはお互いの価値観を明らかにし、状況を改善し、事態を一歩前に進めるためには避けては通れない状況とも言える。むしろ、異なる意見を押さえ込んでしまうと、「問題」をただ先送りにするだけでなく、完成そのものを壊してしまう可能性すらある。お互いに率直に意見を交換できるようにすること。そのためには、以下の原則が重要だと著者は述べる。* 原則1 つながりを築く* 原則2 感情の綱引きから手を放す* 原則3 相手の"顔"を立てる* 原則4 自分の"変わっている"ところに気づく* 原則5 好奇心を持つ* 原則6 間違いを利用する* 原則7 台本なんていらない* 原則8 制約を共有する* 原則9 怒るときはわざと* 原則10(鉄則) 本音で語る大切なのは、相手を「対等な人間である」と肝に銘じておくこと。自分も感情があるように、相手も感情がある。侮辱されたら理屈なんてどうでもよくなるし、自分が正しいと思うことを目一杯主張したい気持ちを抑えるのも難しい。お互いにそういう存在なのだ、ということを理解して「コンフリクテッド」な話し合いに臨むこと。その意味で、上記の10の原則は、インターネット時代の基礎コミュニケーション技術と言えるかもしれない。倉下メモさすがにツイッター歴も長いので、いまさら「ツイッターを議論のできる場所にしよう!」という夢は抱いていませんが、かといってそれがそのままインターネットを諦めることになってしまうのはもったいないなとも感じています。文脈が異なる人が集まって、「率直な」意見交換ができる場所を作ること。これまでは、そうした活動は「できる人はできて、できない人はできない」と割り切っていたところがあるのですが、本書で「原則」としてまとめられているのをみて、少なくともある「訓練」を経ることでその能力が身に付くのではないか、という気持ちになっています。また、単に人を集めるだけでなく、「有益な意見交換(衝突を含む)」を可能にするためには、その場の方向性を明示する「ルール作り」も重要なのだと感じました。しばらくは、このテーマについて考えていきたいと思っています。 This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe

BC035 『情動はこうして作られる』

Apr 12, 2022 goryugo

今回は、ごりゅごがブックカタリストで紹介した本の中で最も分厚い本。Amazonの表記では697ページにもなる極太本でした。(片手で本が開けない厚さ。ちなみに独学大全は1064ページ)とは言っても、内容とか概念とかがすごく難しいというわけではなく、著者が言いたいことを全部盛り込んだら、何だかこんな分厚い本になってしまったぞ、というようなイメージで、正直「もうちょっとスリムにできるはず」だとは感じています。(本編でも語っているが、終盤はかなり蛇足感漂っていて、ほとんど飛ばし読みだった)序盤と終盤はわりと「かったるい」と感じた部分があるのは事実ですが、それでもやっぱりブックカタリストできちんと紹介したくなるくらい面白い本で、ごりゅごの「哲学と心理学と脳神経科学」の3つの視点から「こころ」に関する本をいろいろ読み始めるきっかけになった本でもあります。構成主義的情動理論本書で語られている内容を簡単に説明するならば、我々には「怒り」「悲しみ」なんていう本質論的な感情などというものは存在せず、脳の様々な反応を元に、後天的に学習した「情動」に当てはめているだけだ、という主張と、それに付随する情動の制御のコツなどが語られたもの。情動はそこに「ある」のではなく「構成」されるものである、という話です。そして、情動というものが後天的なものだからこそ、学習によって情動の解像度は高めることができ、解像度が高まるとこんないいことがあるぞ、というところまで話が広がっていくところが実用的な意味でも興味深いものでした。実際のところ、ごりゅごはこの本を読んでから、可能な限り感情、情動を言語化するということを意識するようになっており、それによって日ごろの日記なども少しずつ書く内容が変化してきています。BC030『パーソナリティを科学する』とも通じる内容ですが、人間の性格、特性は「いきなり大きくは変わらないけれどある程度コントロールできる」という点は希望が持てるところで、心のケアのような観点からも役に立つ本でした。また、ブックカタリストサポーターの方向けに、今回の配信に使用した台本(PDF)を同時にお送りしています。あくまでも「俺用メモ」なので、きちんと見せられる品質のものではありませんが、ごりゅごは基本的にこれだけを見て喋っています。(引用一つ一つは個別のObsidianのノートになっていて、カーソルを合わせると中身がポップアップする、という仕組み)へー、こういうの見ながら喋ってるんだっていう感じで、一つメタな視点でPodcastを楽しむのにご活用ください。(台本は存在していますが、耳で聞いて楽しんでもらうことを前提にしています。台本など見なくてもちゃんと楽しめるはず、です) This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe

BC034『啓蒙思想2.0―政治・経済・生活を正気に戻すために』

Mar 29, 2022 goryugo

『啓蒙思想2.0』もうすぐ発売の文庫版『啓蒙思想2.0〔新版〕: 政治・経済・生活を正気に戻すために (ハヤカワ文庫NF)』今回は、これまで紹介してきた本の総まとめというかHub的な位置づけとして本書を紹介しました。書誌情報* 著者:ジョセフ・ヒース*  『反逆の神話』*  『資本主義が嫌いな人のための経済学』* 翻訳:栗原百代* 出版社:NTT出版* 出版日:2014/10/24概要かつての啓蒙思想を1.0と位置づけて、あたかも図書館モデルからグーグルモデルにインターネットが転換したかのように、啓蒙思想もまた2.0へのバージョンアップを果たそう、という提言が為されている。あらためて「理性」の力やその特徴を確認し、その上で現代の環境を検査し、「理性的なもの」が力を取り戻すためには何が必要なのかが提示される。倉下メモ18世紀に盛り上がった啓蒙思想は、一定の成果を挙げたものの現代では若干不利な立場にある。その時代の啓蒙思想は「理性至上主義」とでも呼べるものであり、個人が理性の力を発揮させれば物事は合理的にすべてうまくいく、という考えを持っていたが、実際はその通りにはいかなかった。一つには、理性というものがそこまで大きな力を持っていなかったことにある。その点は、昨今の認知科学や行動経済学において確認されている。とは言え、私たちの文明は理性によって作られてきたものであり、感情的判断ではなく理性による合理的な合意がない限り成立しないものである。理性を捨てるわけにはいかない。では、どうするか。著者が目をつけるのは「クルージ」という概念だ。根本的な問題解決ではなく、その場しのぎの「うまくやる方法」。それがクルージなわけだが、たとえば私たちの記憶力を根本的に向上しなくても、ノートを使えば「あたかもそれを覚えていたかのように」振る舞うことができる。脳を変えなくても、ある種の「合理性」を手にできるわけだ。同様に、私たちそのものをどうこうするのではなく、その環境や道具(それらを外部足場と呼ぶ)を整えることで、力が発揮されにくくなっている理性を復興していこう、という計画が本書の重要なポイントになる。人を教育して理性の力を高めることもたしかに重要だろうが、それ以上に環境に意識を向ける必要があるという問題意識を著者は持っているわけだ。実際、現代の私たちの身の回りの環境は、理性の力をはぎ取るために躍起になっているといってもいい。まるで魑魅魍魎が取りついて、少しずつ衣服をはがされ、やがては皮膚すらも強奪されてしまうかのような勢いで、注意や認知資源が「ターゲット」になっている。意識的な防壁作りも必要だろうし、またメディアの情報とは距離を置いた対話空間の成立も必要になるだろう。重要なポイントは、理性は個人に宿るものではない、という点にある。『知ってるつもり』で確認したように、私たち人類は認知的分業によって発展してきた。啓蒙思想1.0が見逃してきたのもその点である(スティーブン・ピンカーも同じ点を見過ごしている)。私たちは、新しい「理性」の理解と共に、その付き合い方もまた構築していかなければならない。 This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe

BC033『積読こそが完全な読書術である』

Mar 15, 2022 goryugo

『積読こそが完全な読書術である』(永田希)取り上げた本今回は主題の本に加えて、本の中で紹介されている以下の4冊を挙げながら「本を読むこと」について二人で話をしてみました。* 『本を読む本』* 『読書について』* 『読んでいない本について堂々と語る本』あと、以下の二冊にも軽く触れております。* 『知的生産の技術』* 『独学大全』完全な読書など存在しないどうせなら本はちゃんと読みたい、という気持ちが私たちにはある。「真面目」に読書しようとすればするほどその気持ちは強まる。しかし、「ちゃんと本を読む」とは具体的にどういうことだろうかと考えてみると、途端にあやふやゾーンに突入してしまう。ざっと速読することが「ちゃんとしていない」のはわかるにせよ、一字一句飛ばすことなく読み終えたらそれで「ちゃんとしている」と言えるのは心ともない。なんといっても、一ヶ月もすればその内容をすっかり忘れているかもしれないからだ。本書は、その「ちゃんと本を読まなければ」という呪縛のような思い込みに反抗を企てる。ちゃんと本を読む必要はないし、なんならちゃんと読んでいない方がいいことすらある、と。積読バンザイ。さまざまな読書法・読書術の書籍をひも解きながら、著者は積読の良さを組み立てていく。加えて、現代における積読の有用性をも指摘する。情報過多な時代だからこそ、本を積み上げろ、と。ばかばかしいように聞こえるかもしれない。あるいは、一種の強がりのような響きもある。しかし、そこにはたしかに真実がある。何もしなくても情報が流れ込んでくる時代においては、自らの手で壁を作り上げる必要があるのだ。村上春樹は、とあるスピーチで壁に挟まれた卵の話をした。そこでの壁は、巨大なシステムを表すものであった。当然それは、可能であれば打破されるべき存在である。しかし、私たちが作ろうとしている壁はそんなに強固な(あるいはソリッドな)ものではない。本書では「ビオトープ的積読環境」という概念が提出されているが、私たちが作る壁/囲いは、強固なシステムというよりも、ところどころに穴の空いた、フラジャイルな存在である。風を通し、水が流れ、生き物が行き来する領域である。完全ではなく、不完全な領域。それを「自分の手」で作ることが、肝要なのである。なぜなら、自分の手で作ったものであれば、自分の手で作り替えていけるからだ。それはつまり──著者のもう一冊の言葉を借りれば──、その壁を「ブラックボックス」にはしない、ということである。手作りの壁。意志を持った壁作り。それこそが私たちを自由と不自由の狭間に導いてくれる。ちゃんとしていなくてよい「その本について何かを言うならば、ちゃんと読んでおきたい」という気持ちは真摯なものであり、また誠実さの一つの現れであろう。しかし、それがあまりにも強くなり、視野を狭めると困った事態になる。つまり、「ちゃんと」読んでいない人間は何一つ発言すべきではないし、「ちゃんと」読んだ自分は正しいことを言っている(そうでない意見は間違っている)、といった態度に陥ってしまうわけだ。その上、あらゆる読書が不完全なものとなると、誰も本について言及できなくなる。はたしてそれは楽しい(あるいは豊かな)世界の在り方であろうか。本についての「話題」が起こったとき、会話に参加しようとする人間を殺伐と疎外してしまうよりは、その話題が盛り上がるようにうまく立ち回るのが別の形での誠実さかもしれない。さいごに私自身は、なるべく頭から終わりまで、一字一句飛ばさず読書するタイプである。その本の著者が冒頭で好きな順番で読めばいいとか、これがわかっている人間は飛ばしてよいと書いてあってすら、極力まっすぐに(シーケンスに)読書をしていく。それはたぶん梅棹忠夫の姿勢に影響されているからだろう。著者は自分の言いたいことをうまく伝えるために、適切な順番を考えて文章を書いている。だから、読むほうもその「お膳立て」に乗っかっていく。そんな気分だ。しかしながら、本の読み方は多様である。唯一の正解など存在しない。だからこそ、読書は面白いわけだ。さて、皆さんは「本を読むこと」をどのように捉えているだろうか。どんな定義をあたえ、どんな分類をし、どんなノウハウをそこに充てるだろうか。よければお聞かせいただきたい。 This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe

BC032 『隷属なき道』

Mar 1, 2022 goryugo

今回の本は、BC026 『Humankind 希望の歴史』著者の前作にあたるものです。Humankindに大変感銘を受けたごりゅごは、その影響でもう一冊、さらに著者のルーツをたどろうと手にしたものでしたが、これが自分の心を直撃。Humankindは「人間っていいものだよね」って話だったんですが『隷属なき道』はもっとどストレートに「おれたちが変えていこう」という熱いメッセージが込められたものでした。本編では本書の一通りの部分に触れたんですが、特に印象的だったのがGDPについて書かれた5章の部分。自分がいかにGDPという「常識」に凝り固まっていたのかということを痛感させられ、この本をきっかけに資本主義や現代社会を無条件に受け入れていた自分の認識を改めることができました。あなたのような人はたくさんいる。連携しよう。図太くなろう。ほとんどの人は優しい心を持っているはずなのだ。常識に流されないようにしよう。本書の最後に書かれていたこの言葉を胸に刻み、より多くの方にこういった考えをブックカタリストを通じて「連携」を生み出していくことを、ごりゅごの今後の目標としていきたいと思います。 This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe

BC031『読書会の教室 本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』

Feb 15, 2022 goryugo

『読書会の教室 本がつなげる新たな出会い 参加・開催・運営の方法』今回は、この本をきっかけにして「読書」や「読書会」についてさまざまに考えてみました。書誌情報著者:竹田信弥*  双子のライオン堂店主*  文芸誌『しししし』編集長*  8年間で500回の以上の読書会を主宰著者:田中佳祐*  ライター、ボードゲームプロデューサー*  共著『街灯りとしての本屋 11書店に聞く、お店のはじめ方・つづけ方』出版社:晶文社 (2021/12/21) ISBN:479497289X目次* はじめに* 第1章 読書会とは?* 第2章 読書会にはどんな種類がある?* コラム はじめての海外文学(谷澤茜)* 第3章 読書会に参加するには?* コラム ビブリオバトルとは他人に本を探してもらうことである(岡野裕行)* 第4章 読書会を開催・運営するには?* コラム ビブリオバトル必勝法(安村正也)* ◇なぜ読書会を開くのか?──主催者に聞く!* ◇読書会では何が起きているか?──紙上の読書会* ◇読書と読書会について本気出して考えてみた* 付録 必携・読書会ノート──コピーして活用しよう* おわりに概要読書会に興味がある人に向けて、そもそも読書会とは何か、どんな種類の読書会があるのかを解説し、その上で参加者としての注意点や主催者として気をつけた方がよいポイントなどがまとめられている。「二人いればもう読書会」という言葉も登場するが、本を読むことを題材とした集まりならばひろく「読書会」と言える。では、その読書会の魅力とは何か。倉下らの活動を振り返っても、いくつかの点を列挙できる。* 自分が読んだ本について、自分以外の視点に触れられる* 自分が見つけられないような本と出会える* 自分だけでは興味を持たなかった本に興味を持てる* 本を読む動機づけになる* 他の人に説明しようとする中で、その本の理解が深まるこれらは一人の人間に内在する「読む」という行為をより豊かにしてくれるものだと言える。読書は基本的に孤独な行為だが、それだけで終わるものではない、ということだ。『目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)』の中で紹介されている「ソーシャル・ビュー」は、そのような豊かさを別の視点から説明してくれる例である(この本もたいへん面白い)。「本」は、お題になり、触媒になり、テーブルになってくれる。一つの「場」を生み出すきっかけとなる。そこで生み出される交流は、殺伐としがちなインターネットの交流をも変えてくれるのかもしれない。 This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe