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  2. BC044 『アトミック・シンキン..

面白かった本について語るPoadcast、ブックカタリスト。本日は、いつもより早いタイミングで本を紹介させていただきます。

今回は、ごりゅごが2022年頭から書き進めた本『アトミック・シンキング: 書いて考える、ノートと思考の整理術』が8月11日に発売となるので、その本について自ら語らせていただきました。

かつてBC017で倉下さんが自分の本を紹介して以来の、セルフ・カタリストです。

BC017『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』 - by 倉下忠憲@rashita2

本編の中で倉下さんが「感想戦」ということばを使っていたのですが、今回話した内容は、まさに将棋の感想戦のような「書いた本について他の選択肢を検討してみる」という実に面白い、興味深い体験でした。

今回できあがった本はこういう形になったけど、他にもこういう書き方もあったかもしれない。そうすると、こう展開が変わって、こんな人にも面白がってもらえるような書き方ができたかもしれない。

感想戦を終えてからこれを家に持ち帰って「研究」し、次の対局(執筆)ではそれを踏まえた成果を披露できるようにする。「正しい本のプロモーション」としては、やはり「この本はこんなすごい本です!こういう効果があります。読めばこんなすごいことができますよ」ということを話すべきかもしれないんですが、それよりも、次にもっといい本を書けるようになりたいという思いが強く、結果として「感想戦」は非常によい体験になりました。

まあ、そう言っておきながらも終盤は(できるだけブックカタリスト本編では突っ込みすぎないようにしている)デジタルツールの話なんかも盛り上がったりしてしまったわけですが、たまには、一応今回は特別な回ということで、生暖かくお聴きいただけましたら幸いです。

本に関する意見、感想、質問などありましたら、別ニュースレターになりますが、質問用の場所も設けております。

『アトミック・シンキング』に関する質問スレッド - by goryugo - ナレッジスタック

内容に関しては、ここで可能な限り全力でお答えさせていただきます。また、いただいた感想には、可能な限り全力でハートボタンをクリックさせていただきます。是非こちらもお気軽にご利用ください。



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サマリー

本日のポッドキャストでは、アトミックシンキングについて解説し、書くことと考えることの関係性について語られています。第1部では、書くことの重要性と経験に基づいた書き方の方法が紹介されます。第2部では、アトミックなノートの作り方とその利点について話されます。第3部では、アトミックノートをまとめるトピックノートの重要性について言及されます。このポッドキャストエピソードでは、「アトミック・シンキング: 書いて考える、ノートと思考の整理術」についての話題が取り上げられており、具体的な単位でアウトプットすることと、それをまとめて活用することがアトミック・シンキングのポイントであると述べられています。

目次

アトミックシンキングの紹介
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、第44回の本日は、アトミックシンキングについて語ります。
はい、よろしくお願いします。
アトミックシンキングとは何ぞや?
今回はですね、前回、だいぶ昔の倉下さんのお話に続いて、俺が自分で本を書いたので、自分で自分のポッドキャストで本を紹介しようという試みです。
自分で本を書いたっていうのは、この場合はセルフパブリッシング、もうちょっといったらKDP。
はい、そうですね。実質、Kindleでしか買えないので、KDPですね。
放送されている頃には発売されているはずと。
そうですね。根性で発売日に間に合うように編集して出そうと計画しています。
サブタイトルが、書いて考える点、ノートと思考の整理術ということで、なんとなくノート術っぽい話かなというのがタイトルから伺えますね。
そうですね。いきなりぶっちゃけな話をすると、そもそもそういう意味で言うと一番伝えたかったというのは、Atomic、タイトルまんまなんですけど、一つのことを考えるということが最も言いたかったことで。
ただ、それって、なんて言うんだろう、分かりにくいと思うんですよね。
一つのことを考える。
ことが大事であるっていう本って、なんかこう分かりにくいような気がして。
で、そのどういう切り口で紹介しようか、紹介というかどういう切り口で書こうかということを、何回も書いては書き直して、書いては書き直してということを繰り返して、ようやくまとまったのがさっきの副題みたいなやつ。
書いて考える思考の整理法。結局書くことなのか考えることなのか、どっちが重要だって一つのことにはできてなかったんですよね。よく考えてみると。
Atomic Thinkingというのが一つのことで、それを説明するのに書いて考える整理の方法と言えばいいのかな。
一番ベースにあるのは、ここ1年、ここ2年ちょっとぐらいですかね。
Obsidianというものを使い始めて、同時にこれのおかげで、読んだ本についてきちんと書いて考えるということができるようになって。
それと同時に、そこにBook Catalystを始めたということも絡んできているんですけども。
そのあたりの、読んで書いて考えるサイクルがすごく自分の中でうまく回るようになって。
10何年ぶりに、これは人生を変え得る巨大な重要なことだなということを思い知っていたのがこの2年ぐらい。
そういうことをノートに書いているうちに、一つのきっかけは前回の倉下さんの本の話。
ノートを書きましょう。そして一つのゴールが本を書くことなんですよね。
あれも結構きっかけになっていて、あと俺もそのことについて本を書かないといけないなというようなことを思うようになり。
そこから3、4ヶ月後ぐらいですかね。書こうと思って書き始めた認識があるのが。
期間で言うと結局ほぼ1月から始めているので、半年以上8ヶ月ぐらいかかってようやく出来上がったのがこの本です。
トータルの文字数的に言うとだいたい。
確か5万6万文字ぐらいだったと思うんですけど。
今からでも無限に時間があれば、もっとボリュームを増やすことができるし絞ることもできるかなという気はするんですが。
やってみて分かったのが、本当に真の100%を目指したら終わらないので、どこかで終わらせないと、むしろ次に行けなくてそれはそれで困ってしまう。
今できる全力ではあるけれども、今考えればもっとよくできるという思いは確かに今でもあるかもしれないですね。
それは次にもまた書ければいいかなというふうには思っています。
アトミックシンキングというタイトルで、書いて考えるノートと思考の整理術ということで、ノウハウ本のようなタイトルがついているんですが、一応読者の理解としてはノウハウを紹介する本という理解でいいですかね。
そうですね、そういう感じでいいと思います。
書き方、考え方をあまり具体化させずに、できるだけ幅広い場面で使えるように、自分にとってこれがベストだと思う距離感なんですけれども、具体的すぎるものは他で応用がきかない。
あまりにも抽象的すぎるものは今度はどう真似したらいいのかわからない。
抽象的になりすぎずに、でも汎用的にできるように、最初に何で書くことがこんなに大事だと自分が思うようになったのか。
書くということがどれだけ偉大なことなのかというところから入って、実際に書いてみましょう、ノートを書きましょう、まとめましょう、みたいな流れで一冊の本にしています。
書くことの重要性
なるほど。
ちなみにイメージされていた対象読者、こういう人に読んでいただけたら良いのでは?あるいはこういう人がぴったりなのではないかというイメージ像とかってありますかね?
一言で言うならば、文章を書くのが苦手だという言葉を口にしたことがある人。
なるほど。
多分そういう言葉を口にした人というのは、一度以上は書くことの必要に迫られており、ただしいざ書いてみようと思ったらそれがすごく大変で、すごくおそらく嫌な思い出として残っているのではないかなと。
はい。
そういう人に対して、まず第一歩として苦手意識があるというのは、能力が足りないのではなくて経験が足りないのだっていうのが自分の中のまず大きな主張で。
はい。
その経験がないということが分かれば、練習したらできるようになるじゃん。というか、練習したらできるようになる可能性がめっちゃあるじゃんっていうふうに思っているんですよね。
それは自分の中で、もっとみんなが書けるようになると幸せな世の中になるのではないかと思っているという部分もあるかもしれないです。
なるほど。
しかも本文でもちょっと触れてたりするんですけど、ちょっと前までは電車に乗ると電話してる人ってめっちゃよく見たんですけど、こいつらマナー悪いなって思ってたんですが、気が付けばもう誰も電話しなくなってしまいます。
そうやね。
みんな文章でやりとりしてるんですよね。
確かに。
だとするならば、この21世紀、2020年代というものは、俺たちが大学生だったとか10代、20代だった頃に比べてはるかに書くということの重要さは何十倍にも増している。
以前はコミュニケーションの手段としての書くことってすごく少なかった。
特に俺たちの世代が一番手紙もなかったし、電話が中途半端に発達していて、でもメッセージのやりとりはそこまで頻繁ではなかったという、一番書くことをそういう意味でも経験しなかった世代なような気がして。
コミュニケーションとかで言うと、僕らが高校生ぐらいの時はポケベルっていうのがあって、数字売ってましたからね。
それ以降、携帯電話、携帯のメール、SNSっていうふうに、徐々にその辺の世代から日常のコミュニケーションで言葉を打つっていうことが増えてきた。
そういう10年、15年やったっていうことですね。
それは踏まえると、やっぱり書くことができるようになるということが、非常にこれまでの全ての時代の中で最も書くことが重要だと言える時代になっているのではないかというのは思うんですよね。
なるほど。
それだったら、できたほうがきっといいことは多いから、ちょっとぐらい練習してもいいんじゃないのかということも思うし。
なるほど。
さらに言うと、長寿社会、年金がいつもらえないかわからないような俺たち世代というものは、働く期間というものもすごく長くなっているので、
根本になるスキル、能力みたいなものを長く使えるスキルを手に入れることが、今現在最も重要なことだというふうにも考えていて、
その観点から見ても、書くことを書いて考えるということが、多分AIがすごく進歩して仕事がいろいろ大きく変わったとしても、
そのことの重要性というものはおそらく変わらない、通用できるはずだということも考えていて、
その点から見ても、書くことというのがすごく大事だということを、第一部、全部を使っていっぱい書いています。
タイトルの選択とマーケティング
パッと思ったんですけど、書くことが苦手な人に向けて書かれている本なんですが、タイトルを見るとあんまりそういうニュアンスがちょっと伝わってきにくいかなというのを聞きながら思って、
もちろんね、書くことイコール考えることだから、どちらをメインに持ってきても間違いではないけど、書くことが苦手な人やったらアトミックライティングの方が、
むしろ、こういうちっちゃく書けばいいんだっていうふうに思ってもらえた可能性もあったかなと今ちょっと話を聞きながら思いました。
そうですね。言われてみると、俺は書くことのことばっかり今喋ってますよね。
そうそう。だから、考えることが苦手な人向けやったらこのタイトルでいいし、もちろんさっきも言ったように書くことと考えることはイコールだけど、タイトルから第一印象が形成されることを考えると、
そのシンキングにするのかライティングにするのかっていうのはちょっと選択肢としてはあったかなというのをちょっと聞きながら思ったところです。
そうだな。でもね、本の中で画像を出しているんですけど、アトミックシンキングというものはアトミックライティングのもう一個幹の部分、中心に位置するものがアトミックシンキングなんですよね。
さらに言うと、あわよくはこのシリーズは今後10年規模で続けられるプロジェクトだと自分の中で思っていて、このアトミックシンキングというものをベースにして結構いろんなことを書こうと計画しているんですよね。
なるほど。
だとすると、やっぱり一冊目はそういう意味で言えばシンキングの方がいいんじゃないかなとは思います。
ああ。だから二冊目にアトミックライティングとかアトミックホニュララとかいう感じで展開することも可能だと。
かなと言われて後から今考えた話ではあるんですが。
まあね。いや、別にこのタイトルが間違ってるというわけじゃなくて、ちょっと想定読者とマーケティング的な兼ね合いが悪いんじゃないかなと思っただけの話です。ただ。
そうですね。言われてみると、やっぱりその辺が一人で考えているだけではなかなか思い至れないところというか。
実際、このタイトルにたどり着くまでもノート術とかいろいろありましたもんね、広報が。
そうですね。最初はノート術だと思っていたし、ノート術である側面は全く否定できないんですよね。
はい。
そういう意味で言うと、まあでも一番の根幹にあるのはノート術よりもやっぱシンキングだよなっていうのは書いて思ったというか。
うーん。なるほど。
書いてたんだけど、書くことを通じて考えてたんですよね。やっぱりやっていたことは。
はいはいはいはい。
それで言うと、なんて言うんだろう。さっき言った、例えば人とメッセージをやり取りする時なんかにしても、ほとんどの人は3行より長いようなメッセージなんて送らないと思うんですよね。
そうですね。
そうだとすると、書くことというものがどちらかというと、やっぱり書いて残ったものを元にして考えるということの方ができることが多いというか。
はい。
そういう意味でも観点としては、最初に俺は今書くことが苦手な人に向けてって言っておいてなんですが、やっぱ書いたものを使ってそれをより良くする過程において考えていこうという思いが一番あるのかなと思います。
タイトル付けは難しい。でも、そういうことを抜けば、このタイトルのゴロの感じとかキャッチーさっていうか、どういう人に読んでもらいたいのかっていうのは明確に伝わってくるタイトルだとは思いますね。
ただ、やっぱ思考術よりに見えてしまうなというところがあって、その辺がどう出るかですね。
そうですね。見えているのは思考術で、実際にやっているのも思考術なんだけど、手段がノウハウ術なんですよね。
そう、そのブリッジするのがこの本のタイトルで。だから、世の中の人においてシンキングのノウハウを欲してる人が多いのか、ライティングのノウハウを欲してる人が多いのかによって、プロモーションというかマーケティングの性比が変わってくるし、
その辺は史上データは持ってないからわからないんですけども、一応内容的には当然ある全ての核がアトミックシンキングだから、タイトルに間違いはないですが、お客さんが看板を間違えないで入ってくれたらいいなというところですね。
おだしょー その辺で言うと、一応自分が今までKDPで出したものとかでもずっと意識はしてるんですけど、Amazonの紹介って、ページ紹介って、本の紹介って、おそらくあんまり知らない人が多いんじゃないかと思うんですけど、マックス4000文字入るんですよね。
大抵の本って、紹介文と目次と始めにが4000文字ぐらいでは収まると思っていて、ただ一般的に商業出版で出てる本って、そこまで内容がわかるものを書いていなくって、帯よりも情報量少ないやんみたいなものとかも結構いっぱいあったりして、あれはね、すげー書いづらいんですよね。
じゃあ、例えば出版社のページに行ったら情報あるかもしれないけど、そういう努力をする人も少ないし、ずっと可能な限りそこにできるだけ4000文字がっつり情報を詰め込もうと思っていて、今回も始めにを一応ほぼ全部読めるようにしているんですよね。
で、そういう点で間違えて買う人は少なく会ってくれるだろうなという期待はあります。
アトミック・シンキングとは
なるほどね。だいたいそれが外側で、さっき第1部の話をしていただいたんですけども、章立てに沿って大まかに内容を、著者5本編から紹介。第1部はさっきの話で、それで4位であれば、それで補足があれば補足していただいて、あと残りの2部の話もいただけたらと思いますけども。
そうですね。さっきも最初に軽く言ってたんですけど、大きく何か途中から章じゃなくって部の方がいいなって思い始めて、1部2部3部っていう構成にしたんですが、一部がアトミックシンキングの全ての根本になる書くということについて、書くことが何でいいのかとかっていうところから始まって、実際に書くことは我々は経験が足りていないっていうことを踏まえて、
こういうことを練習してみたらいいんじゃない、みたいなのを3つ紹介しています。それを踏まえて、第2部がもうちょっと本のタイトルと密接に関連してくる、本のタイトルと関連してくるような、アトミックにするって何なんっていうのと、アトミックなノートを書くっていうこと。
今までずっと、これも部でいうと、やっぱりこれも一個の大きな言いたかったことで、まず最初にこの概念に自分が興味を持ったきっかけが、多分、エヴァーグリーンノートとかを書いていた人のフレーズだったと思うんですけど、
ナレッジワーカーと呼ばれる人たちが文章を書いて、例えばそういうライターとかが文章を書いていたりするのに、その文章って使い捨てになっててもったいなくね、みたいなことにめっちゃ感銘を受けて、そういえば俺ブログ書いたけど、自分が書いたブログの記事とか全然上手に活用できていなかったって思って、この概念というものに興味を持ったんですよね。
なんで自分の書いたブログが自分で書いておきながら使い捨てになってしまうのかっていう原因を考えていくと、やっぱりごちゃごちゃしたいろんなことがたくさん詰まりすぎているから、使い回すことができないという言い方になるのかな。
なので、それを回避するための方法として、そのエバーグリーンノートという概念で学んだことというのが、簡単に言うと、書いたものをバラバラにして一個一個のパーツにしてあげれば、もう一回その概念というものを他で使うことができるようになるよっていうイメージのことなんですよね。
じゃあ、そういう概念をよく読むと、もうこれができたら、あとは今までの細かいノートだけくっつければ、いくらでも無限に文章を作れるぜ、イエーイみたいなことがすげえいっぱいそこら中に書いてあるんですけど。
ナレッジマネジメント界隈ではそういう考え方が結構多いっていうことですか?
っていう印象があったんですけど、自分がやっても全然そんなんできないですよね。
なるほど。
そんなくっつけるだけでできるわけねえじゃんってめっちゃ思ってたんですけど、本を書いてみると、いろんな点で身に染みてわかったところが、
一回書いた内容に関しては、文脈の中でめっちゃスムーズに書けるんですよ。
例えばそこで筆が乗ってくる、筆が乗ってきてガーって書いて、このことについても書こうって思うんだけれども、
その新しく思いついたことのノートを今まで書いていなかったりすると、何かで途端に文章が下手くそになってくっちゃぐちゃになって上手く書けないんですよね。
そういうことを繰り返してわかったのが、組み合わせるだけで使えるというニュアンスは多分だいぶ違って、
アトミックなノートを書く
一回練習して書いたからもう一回すぐに使えるみたいなことがよくわかったんですよね。
それを突き詰めていくと、結局考えるということとか思考の整理とかとつながっていて、
一回自分がそのことについて細かく分けて書いたことによって、自分の脳内でその物事がものすごく整理された。
おかげで物事がすごく整理されているから、もう一回必要になった時にはすごくスムーズにそのことについて文脈に合わせて簡単に書き換えて翻訳して書き直すことができる。
これを一回も経験していないと書く時ってめっちゃ大変なんですよね。
なるほど。
自分がかつて本を書いていた時に苦労していたこともまさにそれで、本を書くのが苦労するということって、
少なくとも自分の場合、何が難しいかって、タイピングが遅くて書けないということは限りなく存在しなくて。
そうでしょうね。
結局書いたのに変だから直したり戻ったりして、同じところを全く進んでいかないことが問題なんですよね。
こういうことを書こうというものが大雑把にイメージさえできていれば書けるかと思ったんだけれども、そのことが結局本当にもう一段階ちゃんと分かっていないと、こういうことだけでは分かっていなくて。
もっとそのことについて詳しく説明できるバックグラウンドの知識がないとそれが書けない。
そのバックグラウンドの知識を作るということが結局は戻り戻って一回書くことだったんだっていうことに気がついたと。
という話が大雑把に言うと第2部ですかね。
主に英語サイトを漁って読んでいて、そんなうまくいくわけないじゃんばっかり思っていたやつをようやく自分なりに理解して落とし込めたのがこの第2部ではないかなと思っていて。
でも英語のサイトで言ってるのはだいぶ嘘ですけどね。
みんな嘘とは言わんけど、すげえいっぱいあるんです、そういう記事が。あとはもう簡単で、もうイージーっていう言葉が露骨に出てきますからね。
【おだしょー】How to take smart notesでも、君が本を書くときには素材があるから、あとは順番を考えるだけでいいよねみたいなことが書いてあるんですけど。
それはさすがにないやろうとは僕も読みながら思ってましたけど、それは別の作業ですからね。
そこはそこで、しんどさは絶対にあるけども、先ほどゴルゴさんが言われたように、1回書いてるから概念を記述する部分は簡単にできる。
その代わり、その文章の中の順番をどうするとかは別途考えながら。これは当然のことであって。
だから作業の分割が行われてる、あるいは作業を先払いしてるっていう感じかな。概念について考える作業を先払いしてるから、執筆のときにちょっとないし結構楽になるっていうぐらいで、執筆が楽になることはないですよね。
【おだしょー】なんて言うんだろう、ビフォーアフターで考えたら一応比較要素で言えば楽にはなったじゃないですか。
【おだしょー】でもそのこと自体が簡単ではない。
結局残ったものも簡単ではないし。結局分割払いしてるだけだから苦労を。苦労を分割払いするとやる気になる程度の苦労になるから進みやすくなるという効果は確実にあるけど、執筆が楽になるという楽園へのお誘いは全般的に嘘やし、嘘って思っとかんとやっぱ苦労するから絶対に。
楽と思って飛び込んで苦労したらやっぱり人間一番挫折感を感じるんで、苦労はするっていうことは代わりにないでしょうね。
【おだしょー】そうですね。それで言うと、How to Take Smart Notesは散々夢は見させてくれる本でしたね。
【おだしょー】そうそう、それは間違いない。
【おだしょー】ただ実際、その夢を踏まえて今回書いてみたけれども、予想通りそんな簡単ではない。
【おだしょー】そんな簡単ではないですね。そんなに簡単ではないから価値があるっていうところを僕は言いたいよね。
【おだしょー】こういう文章に価値、バリューがあるっていうのは、その著者の苦労があってこそ、苦労したから偉いということじゃなくて、苦労っていう知的労働が行われてるわけじゃないですか、そこに。
【おだしょー】その知的労働に対する対価が本のお金とかになるわけですから、苦労せずに作れるっていうのはだいぶまやかしを含んでますよね。
【佐藤】そうですね。まさに苦労の分割払いという言葉が一番しっくりくるなというのと、それで言うと確かにアトミックなノートを書いている段階で、本を書くのはすでに進んでいたのかもしれないなっていうのはちょっと思いますね、そういう意味で言うと。
【おだしょー】それは確実にそうだと思います。だから、ある意味で本のどこかに書かれるはずの概念について検討してるわけで、ここが非常に重要で、僕も最近メルボガンで書いてるんですけど、本の本文を分割的に書いてるわけではないんですね、これ。
【佐藤】うん、それはね、英語のサイトを見るとみんなそうやって書いてある、そういうふうにしか受け取れない書き方がされているんだけど。
【おだしょー】だから、細かく分割して書いたものを集めたら本になるわけではないけども、でも、その本に書かれる概念については書いてるから、書いてるってことは考えてるってことで、むしろ書いてるというよりも考えてるから、本を書くときにその考える部分が一回パスできる。
で、本の中にも書いてあるけど、書くっていう行為はいろんな考えるが内包されてて、それを一気にやらなあかんから基本的に人を破綻すると。で、やっぱその概念について考えるっていうことは、脱文脈的にできる、多分唯一のことやねんな、文章を書くことについて。基本的に文章っていうのは流れで書かれるから、文章を書くまでは書けないことっていっぱいあるわけですよ。
うーん、順番の入れ替えは書いてなかったら絶対できないですからね、考えるとか。
想定読者がずれると、この語彙とか例えが変わってくるじゃないですか。
うーん。
だからその辺はもう絶対にその文章を書くっていう段階でないと書けないですけど、扱う概念そのものについて考えるということは脱文脈的に行えると。それを、そのことに関しては初めて先払いできるし、まあやっておいた方がスムースには進むでしょうと。その代わり、本に使わない概念についても考えることになるから、その無駄も当然起こる。
うん、あのね、そういう意味で言ったらそうですね、たぶん、貯めたノートの割合で言ったら、ノートを作っていてその中からいるものが出てくるっていう感じだから、まあ1割2割とかでしょうね、おそらく。
アウトラインを作って苦労しながら書くと、そういう無駄はないわけじゃないですか。その代わり逆に言うと、ストックもゼロですよね、要するに。
うん、そうそう。
積まれるストックもゼロなので、毎回毎回自転車創業のようにやっていかなあかんことを考えると、長期的にその本を書くという行為をしていくなら、やっぱりこの手のストックをある部分無駄であっても増やしていくっていうことを欠かせないでしょうね、きっと。
そう、で、ぐるっと回ってきて、そのエバーグリーンノートの概念がようやく理解ができて、書いたものが再度利用できていないことが問題なのではなくって、再度利用できる状態じゃないまま書いてしまっているというのかな。
その順番が逆だったというか、使うための素材を集まらずに書いているから書くときに苦労して、で、書いたらその使い捨てになってしまっている。
だから多少ストックにどこかで、特に最初期におそらく大変な思いはするんですが、書いておくことによってストックができるので、そこから常に進められているというのかな、一歩半歩先ぐらいまで。
だから、いざ何かを書く必要になったときにも、ゼロからに比べて数倍早い。早く書ける。その辺りがメリットにはなるけれども、人によってはそれはひょっとしたら効率が悪い、無駄なことをいっぱい残している考え方なのだという言い方もできるかもしれないですね。
たとえば、明日死ぬんやったら無駄なことは大量にしてますよね。それは間違いなく。
ただね、自分の話でいうとね、圧倒的に趣味として楽しいんですよね。
そうですね。それは間違いない。
知らなかったことをメモって書いておいて、しかも書けば書くほど分かるようになる。これはその第3部のアトミックノートをまとめるトピックノートという話とめっちゃつながってくるんですけど。
たとえば、特に影響が大きかったのが本のメモなんですけど、難しい本であればあるほどすげえいっぱい読書メモを書いていて、それをすげえいっぱいアトミックノートにたくさん分けているんですよね。
書いた内容を1個1個はなんとなく分かった気がする。それをあるテーマみたいなもので切り出して、そのテーマに沿ったノートというものを並べてみると文字通り新しい世界が開けるんですよね。
こんなに分かるようになるのかって思った経験が1度や2度ではない。
本を書いている最中でパーツパーツはちょっと分かった気になっていたけれども、やっぱり分からなかったこととかっていうのは結構あったんだけれども、
もしくは本を読んで、一応読書メモをまとめてみたんだけど、なんか分かった感じがしないなみたいなものとかっていうのも、
切り口を変えてまとめてみたらすげえ分かるようになって、そういう体験を踏まえて2段階分けてからもう1回集めることによってめっちゃ分かるようになる。
これは単純に文章を書く場合じゃない用途だとしても、すごく役に立つと思っていて。
第2部の話のさっき話してたことで言うと、やっぱそのなんか執筆をする人前提みたいな言い方、ニュアンスになりかねないと思って、
実際そういう人たちに効果が高いということは確かだと思うんですけども、そんなことを抜きにして何か新しいアイデアを得る必要があるだとか、
ただ単純に学ぶことが楽しい、読学が楽しいみたいな、読学を実践する手段としても単純にそのノートを分けて、
アトミックノートの重要性
分けたものをあえてもう一度いろんな切り口でまとめてみるということをやってみることで、理解が深まるということはこういうことなのかということが初めて体験できた。
おだしょー なるほど、だから読学法の一種としてもこのAtomicノート&Topicノートは使えると。
大平 そうですね、キーワードとしてそういえば読学みたいなのを入れるの忘れたなって今喋ってて思ったんですけども。
おだしょー そうそう、タイトルにそれ出てないしちょっともったいないなと思いながら聞いてたけど。
大平 そうですね、悪く言うとやっぱり欲張りすぎてね、いろんなものを考えすぎてしまっていたとは言えるんですよね。
おだしょー これはでもねよくあると聞きますよ、ゴリゴリさんはこの本が一冊目ではないでしょうけど、いわゆる一冊目?
処遇作と呼ばれているものってその著者のカテゴリーが全部凝縮されている本になりがちっていう話はよく聞きますね。
おだしょー それで言うとね、めっちゃ久しぶりに自分一人で書いたのとか5、6年ぶりぐらいなので、気分的には初めてですね。
大平 なるほど。
おだしょー っていうことを考えるとそうかもしれない。
おだしょー もっとよくできたみたいな話で言うと、何人かの人に指摘してもらったんですけど、体験談的な要素がもうちょっとあってもいいんじゃないかみたいなことを言われたりもして、
それもねやっぱね、自分の考えをまとめるのに精一杯で体験談を盛り込んだ方がわかりやすいというところまでできていなかったんですよね。
おだしょー それはだから結局その体験、日々の体験を文章の形で記録してこなかった?あるいはそれが少なかったんじゃないですか?
大平 それで言うとあれかな、足りてなかったのは事実ですね。考えたことを学んだことを書くことはすごくいっぱいあったけれども、体験したことをアトミックなノートにしていたかと言われると日記にしかなってないですね。
おだしょー いわゆる独学大全の一番最後の技法がメタノートっていう技法なんですけど、自分の勉強の学習ノートじゃなくて自分の勉強のノートを取るという方法が開示されてるんですけど、まさにそれですよね。
おだしょー それがあればより、というか実際今自分がオブシリアンを使い始めてこうこうこうなったとか、ブック語る人でより本を読めるようになったっていう話がオープニングにあったら、もっとこうえーってなると思いますよ。今の話聞いてて。
おだしょー やっぱそうかな。やっぱそうかな。
おだしょー そうじゃなくて、自分が例えばこういうのは全然してこなかった。これをするようになってこうなりました。こういう経験を自分はしてきました。これを紹介しますっていうと、読者がなぜ今そのアトミック審議について聞かなければならないのかっていうのがもっとわかりやすくなる。
おだしょー 感情的に同期しやすくなるっていうのはあるみたいな指摘をこの時点でしても遅いやろうなと思っても僕は指摘しなかったですけど。
おだしょー そう、体験談が弱いというのは言われてそのね、直そうともしつつ、なんていうんだろう、やっぱね、そこまでエネルギーが回らなく、力が回らなかった。純粋に言えばね、それで言うと素直に力不足を認めるしかないっていう感じで。
おだしょー いや、それはそれで一つの決断だと思いますよ。結局、後からこうした方がいいって、いや、無限に言えちゃいますから。そんなことを気にしてても仕方がないというか、全力尽くしたら別にいいですけど、そういう世界線ももちろんあったかなっていう考え。
おだしょー 特に、だから、例えば、似たようなノウハウ本を2冊目書かれるんだれば、そういう点を意識した方が、読者との目線を合わせやすいっていうのがありますね。
おだしょー ビフォーアトミックシンキングとかでいいかな。小冊子にして、なぜ私はアトミックシンキングを始めたのかみたいな。
おだしょー PDFとかで自由にダウンロードできるとかはいいかもしれませんね。それはそれで。
おだしょー 今思いついたけど、それもそれでありかもしれないな。そういうのだったら、ある意味、今回の挑戦で言うとやっぱりそうだったのかも。
おだしょー 体験談なら簡単に書けるんですよね。自分の。俺の場合、自分の体験談を書くことだけだったらすごく簡単にできて。
おだしょー なんかね、謎の挑戦心みたいなのがあってたのかもしれない。それで言うと。
おだしょー それは大切なことだと思います。やっぱり、一冊ごとに何かしらのチャレンジをしない限りは、やっぱり時間とともにスキルが衰えていってしまうので。
おだしょー 今回、ちょっと淡白というかね、その概念を説明するっていうスタンスで望むっていう。
おだしょー で、それにチャレンジしてみて、その結果どうやったっていうのは、後でフィードバック返ってくると思いますけど、悪くは全然ないと思いますよ。
おだしょー 編集者として言うなら、そういうことが言えたっていうだけの話だって。別にいいか悪いかの話ではないです。
おだしょー かもな。言ったら、例えば体験談を踏まえれば、倍量ぐらいにすることは簡単というのはおこかましいけど、でも少なくともこんなに苦労をせずに倍量にできるんですよね。
おだしょー 確かに言われてみると、そうしないことは認識はしていなかったけど、目指していたような気がする。
おだしょー そこはそれでいいと思いますよ。極力、本、本来おかしいな。例えば次の本やるときはもうちょっと企画案の段階で言語化するっていうこと。
その本の内容だけじゃなくて、読者にどう読んでもらいたいか、そのために文章を何を使って何を使わないかっていうことをあらかじめ考えておくと、指針が得やすい。文章を決めやすくなってきますね。
そうか、だから目次案のメタ目次案みたいなやつですよね。
おだしょー そんな感じ、そんな感じ。
どういうことをどう届けるか。
おだしょー そのためにどんな内容とか文体が必要で、逆に選択しちゃいけないものは何かっていうのをあらかじめ考えておくと、実際その通りに書けるとは限らないですけど、
ジャッジに困ることってあるんですよね、文章を書いているときに。こうも書けるし、こうも書けるし、こうも書けるなみたいなときに、指針になるものがあると進めやすくなったりしますね。
言われてみるとなんですけど、そういう目線で書いたことはないかもですね。
おだしょー なるほど。
少なくとも、たった一度の人生を記録しなさいとか、理系の料理とかは、全部体験談の本なので。
それを誰にとかではない、基本その目線を持って書くということを今まで意識したことはないかもしれないですね、そうやって考えると。
おだしょー でもノウハウを誰かに伝えたければ、その視線は必要ですね。
誰に届けるかみたいなやつは。言ってみれば、薄く意識はしていたというか、さっき言った文章が苦手な人というのがまず第一ターゲットとしてあってっていうのはあったんですけど、書いてない。
おだしょー そうだね、書いてない。
それを書かないとダメですよね。
おだしょー だから最後まで書き終えた後に改めてこうやなって思ったら、それに合わせて再編集みたいなこともあってもいいし、タイトルも書き換えてもいいしっていうところで。
今回はお盆前に発売っていうタイトなスケジュールがあったから、それはもうどうしようもないというか、世の中の本もだいたいそういうタイトなスケジュールで。
絶対どこかで切るしかないので。
おだしょー でもこうやって乾燥戦じゃないけど、こうやって考えたほうがよかったんじゃないっていうのを振り返っていくことって非常に有意義だと思うから、いちいち思ったこと言ってますけども。
そうですね。小さくはコンセプトを練って作れるなとは思っていて、そういう意味で言うと。今のところ考えているのは学習術みたいなやつ。デジタルなツールを使うことで学習というものはすっげえ変わったぞっていうのはめっちゃ思っていて、英語にしてもだいぶ聞き取れるようになったんですよね。
おだしょー すごいね。
テストとか統一とかはやってないんで、他人に説得力がある意見が言えないんですけど、ただ映画みたいなものにしても、アメフトだったりF1だったりを見ていても、読学によって毎日の隙間時間を有効に使ってという言葉が一番的確だと思うんですけど、使って英語ができるようになったという実感はあって。
これはしかも自分が、これもつい数年前は全く知らなかったことだったので、これもやっぱり言わなければならないというのはあって。
アマゾンでググったんですけど、デジタル勉強法っていうタイトルの本はないですね。結局出版社は紙の本をベースに売るから、
おだしょー デジタルと相性が悪いんだ。
だから電子書籍を当たり前に読める人に向けての勉強法というような感じで、頭にデジタルと勉強っていうのをくっつけると、今のところブルーオーさんのキーワードに広がっているように見えましたね。
おだしょー 一応ね、アトミックシンキングは同じフレーズはインターネット上には全然見つからなくて、そういう意味ではちゃんと一応そのあたりはウェブ慣れしていて狙ってはいるんですよね。
なるほどね。
おだしょー なので、なんてタイトルにしようかとか、そういう根本なところはまだまだ考えないとなんですけど、それは次にはいかせるかなと。
体験談の追加
おだしょー ここまでの話を踏まえてなんですけども、僕よく本を書いたし聞くんですが、この本を採点するとしたら、100点満点でも5つ星どっちでもいいんですけど、どういう評価になりますかね、ご自身で。
めっちゃ困るな、それは。書き終えた瞬間には100点なんですけど、もう100点じゃない。
おだしょー そうでしょうね。
いや違うな、書き終えた瞬間95点くらいかな。でも今だと90点とかもうちょっと下がるかもしれない。
おだしょー なるほどね。
1年経ったら80点くらいになると思います。
おだしょー それはでもね、いいことですよね。誰かどっかの本で言ってましたよね。去年の自分の考えがあれや、変わってなかったら成長してない証拠やっていうような話をどこかで、どこかでしましたよね。
うん。
おだしょー 進化源に出てきたやつですね、それは確か。
おだしょー だから、年が経つと点数がそれほど高く、もちろん下がっていくっていうことはあるでしょうか。
例えば3年経った時に旧代点である60点を割る可能性はあります?それともそこは絶対に超えている?
今なら絶対に超えていると言える。
おだしょー なるほど。
まあそれが3年経ってどうなのかは、もちろんわからないですけど。
それでいうと、やっぱり書き方としてすごく学べたのが、今までに書いたことがあったものは常に90点以上で書こうとしていたんですけど、
今回の本はまず60点から70点を書いて、次は80点ぐらいにして、次は90点を超えるみたいなことを目指す書き方をして、
これが精神衛生上の良さというか、進まない感がなかった。
ほぼクラシタさんが言っていたバザール執筆法をコピーしているようなやり方なんですけど。
僕がその方法をやっているのも全く同じで、止まるとまずいっていう。
手が止まるのがメンタル的に一番まずいから、どうしたら手は止まらないようにできるかっていうのを考えた末に出てきた手法で、まさにその効果を実践されているなという感じですね。
おだしょー その書き方って要するにアトミックシンキングなんですよね。
執筆法の改善
そう、そういうことだと思う。
おだしょー まず書いて、書いてからじゃないと良かったか悪かったか評価できないんで、90点の文章をいきなり書こうとしたらダメで、まず30点でいいんですよね。
そう、そこが感覚的に難しいんですね。不完全な文章でいいっていうことをよくよく言いますけど、それでもその点数そのものが本人の基準やからっていうことなのか、やっぱり書こうとすると無意識に90点以上の文章書いてしまうのか。
おだしょー 90点未満のものは俺じゃないと思う。じゃないかな、なんか結構。こんなものは本当の俺の文章ではない。
アイデンティティと癒着しちゃってるわけですね。
やっぱりその完全思考やとこの手の段階的ライティングは上手くいかないんですね、結局。そこをどう乗り越える。本人の中にもありますけど、デジタルっていくらでも書き換えられることが最大の魅力、メリットなわけで、それを存分に活かすためには30点執筆法を。
おだしょー 30点執筆法でいいかもしれないフレーズとして。
身につけるのが一番デジタルの力を活かすんですね。90点執筆法って要するに原稿用紙時代の執筆法じゃないですか。で、原稿用紙時代には確かにそれは効率的ですよね。
おだしょー 全部書き直さないといけなかったりしますからね。
おだしょー そこのアナログからデジタルにスイッチ。これもデジタルノーティングと言ってもいいじゃんね、この本の内容っての。デジタルノート術と言ってもいいし、書かれる次の方がデジタル勉強法って言ってもいいですけど、アナログ時代に身につけた作法とかを一回アンラーニングしてデジタルにいくっていう。
アンラーニングも使えますね、キーワードとして。
おだしょー っていうのがこのシリーズの多分肝になっていくんじゃないですか、きっと。
ちょっと今思いついたのが、フリーライティングというやつは30点執筆法をさせてくれるやつなんですよね。
おだしょー ってかもうほぼ0点とかの文章しか書けない。
そうそう、0点でいいんですよね。日記で30点を60点にするぐらいの練習をして、読書メモで60点を90点ぐらいにすることを目指す。その数値化は今思ってできたかもしれないなって思いますね。
おだしょー だからこうやってね、いろんな人に説明したほうがいいね。
まあね、まあね。
おだしょー それで自分のその例え力が磨かれていく。で、同じ人に説明すると同じ例えしか出てこないから、方向性の違う人らと喋っていくと実りがある。
これはもうね、僕は最近意識してる、執筆法じゃないけど、執筆全段階法、種巻き段階での話。
やっぱりある概念について自分一人でじっくり考えて本にしましたというのでは、ひょろい。非常にひょろい。表現が豊かではないっていう感じだから。
この辺は、デジタルほにゃらなほうかどうかも知らんけど、他人を有効に使う方法やね。地の共有術みたいな感じ。
なんかあの、やっぱね、ちょっとアナログなところに帰ってくる感じがするんですよね。
おだしょー それは絶対いるね。
人と集まって、雑談というかこうやって、これ雑談に近いニュアンスなんですけど、こういうことを話していて、なんか新しいことが思いついて、いいじゃん、それって言ってやろうっていう感じにできるみたいなのは。
おだしょー だから、雑談って非常に僕好きな言葉なんだよね。雑っていう言葉が。つまり秩序の反対ってことですよね、要するに。
つまりこれはトップダウンじゃないですよね、雑談っていうのは。だからアイデアが生まれるのは常に雑談なんですね。これ会議やったらやっぱ違うんですよ。会議やったらちょっと違うんですね。
会議は決めないといけないですからね、何かを。
おだしょー だからこのトップダウンではない形のノートの書き方とか会話の仕方っていうもので初めてネットワークが広がっていくっていう体験。それをデジタルとかインターネットが初めて可能にしてくれたっていう大きな絵が描けるんですが、それはあんまり関係なく。
一応聞いておきたいんですが、本を書こうと決意する内緒やその目次案を立てるから完成しましたっていう間のプロセスの進め方と使ったツールを大雑把にでも教えていただければ。
まず最初に思いついたときにはおそらく昔と同じようにアウトライナーワークフローにいわゆる目次案みたいなやつを考えました。
いわゆる目次案みたいなやつで文章にはなっていないまさにフリーライティングレベルでの内容をざっとまとめたものとかまで作って、スクリブナーで最初は書いていました。
文章をスクリブナーで書いてた? そう、原稿を作っていました。ただ、確か2021年末にスクリブナーの本も読んでやる気満々になっていたんですが、何度やってもプレーンテキストじゃないエディターがやはり結局性に合わないということが判明し、
そこからどういうきっかけだったかはしっかり思い出せないんですけども、もうObsidianでいいやって思ったんですよ。 スクリブナーを使っていた理由が、自分の場合9割がファイルの順番を自由に入れ替えられること。
ドラッグドロップで順番を入れ替えてあげると、原稿の順番を並び替えられるということが、スクリブナーを使う最大の理由だったんですよね。
あれ、それってObsidianで目次ノート作ったらほぼ同じやんと思って。 さらに目次ノートはいわゆるスクリブナーの原稿が並ぶのと違って、間に文章も入れられるし。
Obsidianって左右にページ開けるんですよね。2つ以上。
とすると一番左が目次ノートだったら、雰囲気はスクリブナーと変わらんやん。
どころかプレーンテキストで書けるし、順番の入れ替えもショートカットキー当ててるんで、キーで上下やればできるし、思いついたことはそこのページに直接書けばいいし。
あれ、こっちのほうがむしろ自由度高くて便利じゃねえっていうことに気がついて、そこからは実質Obsidianしか使ってないですね。
Obsidianで例えばAtomic Thinking Noteっていうものが目次代わりになるページをAtomic Thinking目次ページと暫定的に呼びますけども。
他のページのリンクが並んでいたり、文章が書いていたりすると思うんですが、リンク張られているページの流度はどんな単位ですかね。
イメージとしては一節。
一見出し分っていうのかな。
ところどころ短すぎたり長すぎたり、2個に分かれたりはしたんですけど、そのあたりも自由に調節できるから、割とどうでもいいやというか。
あんまりこだわってはない。
あんまり良くも悪くも苦労もこだわりもなかったですかね。
あんまり極端に長い、例えばこれだったら一部○○がファイルになっているってことはない?
断言できるけどないですね。
そのやり方で1個気になるのは、例えば全体を通して読みたいなっていうときはどうされるんでしょうか。
それがですね、ちゃんと必殺技がありまして、オブシディアンってリンクの先頭にびっくりマークをつけると、インラインになりますよね。
つまりですね、一括時間でリンクの先頭にびっくりマークをつけてあげれば、もう全部読めるんですよ、頭からトムシで。
普段編集操作するときは、びっくりマークがなしの状態で、いわゆる普通の行が並んでいる状態だけど、プレビューしたいときにはその操作をして、目次インデックスページに本文が全部並んでいる状態にできちゃうと。
できます。で、文章の順番も入れ替えるだけでいいし。
なるほど。
日常で言えば、ホバーするとプレビューできるんですよね。
それで、特に1000文字、2000文字ぐらいなら、スクロールもページ数で言って2、3ページ相当のスクロールっていうのかな。
で、だいたい全体は把握できるので、基本的にはそれで困らない。
初期にそうやって困るときは、びっくりマークをつけてインラインにしてPDF書き出しももちろんできるので。
見栄えはちょっと劣るんですけど、初期に全体確認することに関して言えば、何も困らないに等しいんじゃないかぐらいですかね。
それ、びっくりマークエンベッドしたときって、ノートの文字数にカウントされるんですかね。つまり総文字数を知りたかったときどうするかっていう疑問がある。
だからね、毎回ラシタさんに聞かれて、よくわからん。たぶんこんくらいっていう答えしかできないんですよ。
特に把握せずにやってたってことか。
オブシディアンを使った執筆ワークフロー
総文字数で言うと、少なくとも自分の今の環境ではパッとわかるものがないんですよね。
そんなに求めてない?
今回のセルフパブリッシングで言うと特に求めていない。
別に何文字書くほうがこっちの好き勝手に進めるから。
進捗管理っていうのはおかしいけど、全体のどんな作業が残ってて、次どうしようとか、今これしてるっていうような把握は、その目次ノート以外で別にツール使ってたりとかノート作ってたりとかってありました?
目次に大きな、目次は基本的に変わらないこと。
途中からなんですけど、ログシークの作業記録というところに、アトミックシンキング、今日は何をやったっていうのを書いていって、それで結構便利になりましたね。途中からだけど。
いわゆるイメージされるタスクリスト、パート1のこれを書くみたいなタスクリストは作ってない?
タスクリストじゃなくて逆ですかね。やったことリストから次のタスクが出てくるので、昨日ここまでやったって書いてあるから、今日はここをやるとか、あと昨日の段階で明日これをやるって書いてるとか。
そういうニュアンスで、例えば自分のタスクまでやったことの記録は残っているんですけど、毎日のリピートタスクはアトミックシンキングっていう名前しかついていない。
何をやるかは、ログシークの作業記録に次にやることとか、今までやったことが書いてあるっていう感じですかね。
それやと、たとえば普通とかしてるけど、ノーマルな執筆を仮に考えたときに、10万字書きましょうということで、今僕は5万字書いてます。つまり進捗率は50%ですっていう割合が把握できるじゃないですか。
その5653スタイルでは基本的にはできないわけじゃないですか。そういうときに、ああいうパーセンテージっていうのは、今これだけ進んでるぞ、あと残りこんだけやっていうある種のモチベーティブに貢献するたびに、ああいう割合が表示されると思うんですけども、そんなの全く必要なかったですか。
今回で言うと、やっぱりそういう書き方じゃなかったんですよね。
一回書いて、ダメだからもう一回書いて、そういう意味で言ったら文字数の大半はもう3月に終わってるんですよ。
それから考えたら逆に多分それをやっていたら、5万文字から6万文字まで増やすのに5ヶ月かかって、むしろ精神衛生上悪かったんじゃないかとも言える。
むしろ減ったりするしね。余計なこれいらんわって消したりするとむしろ減って。
思い出したんですけど、スクリブナーで最初は毎日の書いた文字数とか見てました。
あ、2000進めたからいいやとか、ちょっと1000いけないとこれはまずいんではないかとか思っていたけれども、少なくとも今回自分が書く話で言ったら文字数は二の次という言い方はあれかもしれないけど二の次だったかな、やっぱ。
それは結構重要な話で、この手の進め方をするとさっき言った古典的な進捗管理がほぼ用をなさなくなるんですよ。
人と進めるときに相手が困るんですよね。それは一応頭ではわかる。
この辺の割り切りっていうかな。僕のバザール執筆法もいわゆる何回目で完成するかがわからないから、進捗の完成点地ってわからないんですよね。
昔はこれをどうにかうまいことできないかなって思ったんですけど、最近は諦めましたね、僕も。
諦めたっていうか、さっき言ったようにバザール執筆法というのは手を止めないことがポイントで、つまり外部的なモチベーティブが特に必要ないんですよね。
言われてみるとね、何もいらなかったですね。
やっぱりあれは精神的に難しい局面に差し当たっても、こぶしてくれる存在があるおかげで何とか進んでいけるみたいなイメージなんですけど、
バザール執筆法は毎日ただ書くっていう、言葉にするとバカみたいなことをし続けるだけなんで。
だからね、案外これはいらない。僕がいらないし、ゴリゴスさんが別に必要とされなかったら、たぶんこの執筆法ではそれがいらんだろうなっていうのが一事例として増えました。
同時に思い出したのが、スクリブナーで書いた時は気にしてたんですよね。
おー、なるほど。
おそらくなんだけど、進んでいる実感を得たいから気にしていた。
進捗管理の必要性
そうでしょうね、きっと。
で、たぶんオブシディアンで書くようになったら、忘れてましたね。
なるほど。
だから、大事ではない、どうでもいい、そうじゃないところにモチベーションが持ってた?
っていうことでしょうね、きっと。
ただ言えることが、今回はゼロからオブシディアンで作ってないんですよね、そういう意味で言うと。
なので、それも踏まえて、さらに言うと、自分が書いた本がアトミックにしたノートを元にして、アトミックで本が書けるということが成果としての実証でもあるとは思っていたんですが、もう一冊書かないと実証できないなというのは思っていて。
うん、うん、なるほど。
今回は書き方についての書いた本なので、やっぱちょっとズルだよねって思うんですよね、そういう意味で言うと。
ほら、書けるでしょうとは言えないと思うので。
なるほど。
なので、次はオブシディアンで文字数とかをそういうふうに考えるやり方ではなく、他のツールを使ったらいけないわけではないんだけれども、そこをベースにゼロから作り上げるというのをやっていきたいなと思ってますね。
なるほど。
ちなみに、一番最初にパークロリティを立てた目次案も3部立てでした?
全然そんなんじゃなかったです。
ほう、もっと細かい分け方やったのかな?
えっとね、今振り返ったらなんですけど、上手に分けられていたと思わない?
うーん、なるほど。
すげえ大きなことを言うと、書くことが大事、書きことを練習すること、アトミックなノートを書くこと、アトミックなノートをまとめる、だから4つとも言えたのかな?
はいはいはい。
ただ、最初の最初で言ったら多分、アトミックなノートを書くことと、それをまとめて活用することの2つしか多分なかったような気がするし。
スクリブナーの時は4部立てやった?それとも4部立て?
スクリブナーはね、4と3の間ぐらいで困って、もう嫌だから辞めたみたいな感じで。
そう、スクリブナーってアウトライナーと違って、例えば4部立てと3部立てを変えるとすごくめんどくさいことになるんだよね、あれ。
思ったより自由じゃなかったんですよね、そういう意味で言うと。
そうそう、あれは結構固い。プロセス型よりはプロダクト型に近い。
最終形をかなり意識させられてしまう。
それはある。
Obsidianを使った執筆活動の効果
で、一時、縦書きができるから縦書きいいかもとか思ったんだけど、結局縦書きはスクリブナーのせいで書きにくくって。
そうだね。
仮に最後までObsidianで書いた文章は?
もう100パーとは言わないのか、最後までObsidianでパッケージングだけPandocを使っているので。
PandocでPDFないしはEPUBを作った?
作った。細かいこと言うと、例えば確認とかなんかにVS Codeを立ち上げたりはしてますけど。
文章を書くことには使ってないと。
そうですね。目次ページを常に…常にじゃないんだけれども、目次ページというものをベースに書いたという言い方でいいんですかね?
細かい話になるけど、Atomic Thinking目次.mdはどういうフォルダじゃないの?あれ何だったっけ?
Vaultに入ってるのかな?
Obsidianの普段使っているVaultの中にフォルダだけ作って、原稿となるものだけそこに移動させるっていう感じ。
それでよかったのは、いらないものは、よしこれは今後のネタとして使おうみたいなこともやりやすいし。
そのフォルダから大きなフォルダに移動させることによって見えなくするけど捨ててはいないと。
捨ててないですね。未使用が活かせる感じになる。
全文検索も、デフォでパスだけ指定しておいて、このフォルダの中のフレーズで検索するみたいなことをやれば、そんな不便ではなかったんですよね。
それはScrivenerとかVS Codeでもできるか。原稿の中の特定の文字だけ見つけるとか。
Obsidianで不便なことがあんまりなくて便利になることが多かったので、結果これになった。
大体の人のものの選び方はそうか。
Obsidianは正規表現による知観は働くのかな?
できないので、それが必要だったらVS Codeです。
そこだけはネックやな。
別にObsidianをファイルをVS Codeで開いたらいいだけの話だから、問題ないというよりも問題ないか。
自分の中でそこは最終工程になってくるので、ほとんどの場面で使わないんですよね。
それよりも普段からObsidianを開いていて、Obsidianのワークスペース機能というやつ。
このファイルとこのファイルを開いてサイドバーには何を表示していてみたいなやつを覚えておけるので、
Atomic Thinking Workspaceがあるんですよね。
それを使えばObsidianを開いていると、2タップぐらい、2アクションぐらいで各状態に移れるので、
そっちの方が重要度が高かったというのかな。
それはVS Codeも一応できる。
もちろんもちろん。
保護派ではないけど。
日常とリンクしているところですかね。
派閥がいろいろあると思うんですよ。
わざわざ書くと気合を入れないといけないとか、
なんとなく書いてたらそのまま原稿が書けるようになったと。
今の自分はなんとなく書いてたらそのまま原稿に移れるぐらいのモードの方が相性がいいかなという感じで。
そうするとObsidianを開いていて、よしやろうって思ってたわ。
さらっと入れるんですよね。
普段Obsidianは開きっぱなしなわけだな、当然。
ほぼこれでだけですね。
スクリブナーのときはスクリブナーを起動して、しかもスクリブナーってちょっと重くて1秒では開けないんですよね。
確かに。
その間に結構書かないとっていうニュアンスの雰囲気になってきて。
よしやろうから3秒でちょっと熱意が下げられるんですよね。
が1秒かからないのはでかいんじゃないかなと。
普段起動してるアプリケーションと連続性があるシームレスっていう点はやっぱ重要じゃないですかね。
僕のVS Codeは一応作業記録をVS Codeのテキストファイルで書いてるから。
執筆書くときはワークスペースを立ち上げたらそれが開くっていう感じになってて。
新規アプリケーションの立ち上げではないし、気分が作業記録と実続きである点はありますね。
ワークフローに使ってる人はすべてが実続きじゃないけど、あれはあれで実続きすぎかなっていう気もして。
ちょっとの切り替えがあったほうがいいような気がしないで、この辺は人の好みでございますが。
自分の場合に言うと、ログシークとオブシディアンと2個あってちょうどいいぐらいかな。
ちょっと思いついたこととかはあえてノートにするんじゃなくて、ログシークに書いておくぐらいがちょうどよくって。
作業記録みたいなやつとかはログシークで一覧性がないと、昨日のやつを書いたか書いてないかをいまだにしょっちゅう忘れるので。
せめて次の日に一応見直すことは無意識で毎日できるので、見直してあれ昨日やったこと書いてねえじゃんと思って。
せめて昨日の分を翌日に取り返せばすごく元が取れるんですよね。
そこはオブシディアンのデイリーノートというものはやめてしまいましたね。
全然脱線してるけど、やっぱりログシークのすごいところっていうかな。
昨日以降の日付に遡るのがスクロールだけで済むっていうのがあって。
人間って例えば昨日のおとついのファイルの日付を開くのためにタップするっていうだけでもちょっとめんどくさいんだよ。
そう、なんか嫌なんですよね。
嫌というか、わざわざやらないんですよね。なんかわからんけど。
でもスクロールって暇な時に指ぷわっと動かしてるだけで目に入るっていう感じで昨日のが見れるっていうところがあれはちょっとオブシディアンとかとは違う。
ログシークとかロームリサーチのすげえところですね。
そこはもう完全にそうですね。割り切れたというか。
細かい点でやっぱりログシークの方が不満点は多いんですけど、こっちにしかできないこともやっぱり当然いっぱいあるので。
脱線しすぎましたが、一応こんなもんかな本については。言っておきたいこととか。
言い残すではないんですが、今回が初めて終わったけど次がもうやりたいと思っている人生初の体験なんですよね。
そういう意味で言うと、もちろんこれはこれで全力を尽くしてぜひ読んでほしいと思うんですけども、同時に次のやつも早くやりたいなと思えていて。
いいことです。
これは最初の話に戻ってくるんですけど、オブシディアンを使ったりアトミックに書くということをやるようになったらできるようになったことで。
なるほど。
そうじゃなかったら多分書こうとまず思ってなかったと思うんですけど。
そういう意味でもアトミックシンキングという名前をつけたんですけど、それが自分にもたらしてくれたものは割と大きいし、生き方が変わったと言えるぐらいの影響のある方法論なんじゃないかなと思っています。
なるほどね。
考えることが苦手な人向けの思考法
だからアトミックシンキング的なもので本を書くと、さっきも言ったように使われない材料までたっぷりあるから、それは次の本も書けるよねっていうこと。
ネットワークを広げてるから、一部をツリーで切り取ったとしてもいくらでも残りは残ってると。
だからそれまでは本を書くためにまずツリーを作って、そのために必死こいて材料を集めてたから使い切ったら終わりやったのが、
地のネットワークが広がってるっていうのがもう土台にあるから、一冊書いても多分次がある。
その一冊書いてる間にもまたいろいろアトミックなのとは増えていくから、だから執筆活動が止まることがおそらくはなくなるだろうというふうには、僕自身がそうですからね、そういうふうに思いますけど。
そうですね、止まることがなくなったは言えるかもしれないですね。
特に本を一冊のメッセージに収めようとすると、どうしても言いたいけどこの本には書くべきではないなみたいなことがいくつも出てきて、
結局一冊の本を書いたら書いたで、言いたいことが増えてるっていうことが普通にあるので、執筆は続きますし、
続けられるような体制がここで整えられてるんであれば素晴らしいですね。
そうですね、やっぱり根本はそれで言うと、やっぱり言いたいことがあるっていうことなんだろうなって。
言いたいことが生まれるのは読んで書いたからでもあって、どっちが先かって言われると言われてみたら意外と難しいのかもしれない。
人によるか相乗効果か。
相乗効果なら間違いないですね、自分の場合は。
漠然と本を書きたいと思っている人がどのぐらいいるのかわかんないんですけれども、もしそう思っている人がいたら断言できるぐらい良い方法だと思います。
あとやっぱり言われたように、書くことが苦手な人向けと著者は言ってますが、でもやっぱりこれは考えることが苦手な人向けの本だと思いますよ、むしろちゃんと。
そのつもりだと思うんですけど、大抵の人は考えることが苦手だという概念を持っていないんじゃないかと思うんですよ。
だから考えることが、ビジネス書風につけるならば、自分が考えることが苦手だなと思ったときにテニトル本みたいなタイトルがピッタリかなという。
どう考えたらいいのかがそもそもわからないっていう人がわりかし多くて、むしろ自分は十分考えられてると思ってる。
でもそれは結局、いわゆる無知の地に至ってない。
ダニング・クルーガー効果なんですよ。
になってるっていうことなんだよね。
やっぱり考えるってことは結局小さく考える、分解して考えていく、考えを組み立てていくっていうプロセスを絶対に取る。
これはもう世界各国どこでもこのプロセスを取るはずで、日本人でも論理的と言われないようにその形を取らなければならないし。
案外倫理の授業はあるけど、論理の授業ってあんまりないんだよね。
まあ論理、一応多分ジャンルで言うと国語なんですよね。国語と数学の相の効果でも本来は。
本来はそっちで、それ結構中途半端なんだよね。
だから言葉を作って数学的に論を重ねていくっていうことがなかなか練習しないから、
基本的に思いつきの連鎖を口にすることを考えると思ってる人が多いんだが、
アトミックシンキングの授業化の必要性
まあそうではないし、だから世の中のほにゃらら思考法ってあるじゃないですか。
あるいは何々シンキングっていう、水平思考とかいろいろありますけど、
そういう発想法としてじゃなくて、自分の小さい考えをちゃんと固めていくっていう、
そういうベーシックな思考法、思考術として本書は授業されるんじゃないかなとは思いますけども。
そう取っていただけると一番ありがたいですかね。
やっぱそうですね、それでいうと書いてみて思ったのが、
なんていうんだろう、やっぱ人は簡単に天狗になって自分はできると思い込んでしまうので、
そう思わないためにも、こうやって書いてみたことは良かったかなと。
ちょっと昔よりは謙虚になれたんじゃないかなと思います。そういう意味で言うと。
まあね、本を書くたびに己の無力さを痛感するということはありますね。
今回のお便りやお感想もお待ちしております。
Twitterではハッシュタグ、ブック型リストをつけてツイートしていただくか、
ブック型リストのメール登録していただけるとお便り用のURLというものもそっちに書かれておりますので、
よかったらそちらからお便りなどもよろしくお願いします。
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございます。
01:14:33

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