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BC146『戦争の思想史』
2026-08-25 1:10:47

BC146『戦争の思想史』

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面白かった本について語るPodcast、ブックカタリスト。

今回は『戦争の思想史――哲学者は戦うことをどう考えてきたのか』について語りました。

前回から、読書自体の新しい試みとして「ごりゅごの生成AI読書術」を試行錯誤しているんですが、今回の本は非常に新しい試みを実験するのに向いている本でした。

目次に沿って、ある人物が戦争について何を考えたのかを確認し、気になった言葉を生成AIとの対話で掘り下げていく。

生成AIは、聞けばなんでも答えてくれる。しかし逆に、聞かなければ何も言わない。

この本は、一つ一つの内容が「詳しくない」が故に、自分が気になることを、気が済むまで質問するという「生成AIに質問する材料とする本」として、非常に素晴らしかったのです。

今回紹介した書籍のリンクなどはこちらから→📖ブックカタリストで紹介した本



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感想

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サマリー

今回のブックカタリストでは、中山玄著『戦争の思想史――哲学者は戦うことをどう考えてきたのか』を取り上げ、生成AIを活用した新しい読書体験について語られました。この本は、ヨーロッパの歴史を「戦争」という観点から通史的に解説しており、各時代の思想家が戦争をどのように捉えてきたかを概観しています。個々の解説は簡潔ですが、それが逆に生成AIとの対話を通じて深く掘り下げるための素材として非常に有効であると述べられています。番組では、古代から現代、そして新たな戦争に至るまでの各章で登場する思想家や概念、例えばアウグスティヌスの戦争正当化論、カントの永遠平和論、クラウゼヴィッツの「戦争は政治の手段」という定義、そしてジョルジュ・バタイユの「トウ・ジン(過剰な富)」と戦争の関係性などが紹介されました。特に、現代の紛争に対する著者の強い意見表明が、逆に多角的な視点を持つきっかけとなったことや、生成AIを活用することで難解な哲学概念への理解を深める可能性についても言及されました。この本は、知識のインデックスとして、また生成AIとの対話を通じて自身の知見を深めるための優れた教材となりうると結論づけられています。

『戦争の思想史』の概要と生成AI読書術
はい、お願いします。 クラシタさんが毎回、
1回で2冊の本を紹介するシリーズに対抗したかのように、 俺は1冊の本を2回で紹介するとかやっていたんですが、
今回は中期プロジェクト。 以前、アフタートークでは何回か紹介していると思うんですけども、
平凡社が出している中山玄さんの、おそらく何々の思想史シリーズ みたいなやつが、現在3冊出ておりまして、
戦争の思想史、労働の思想史、技術の思想史。 出た順番は確か技術が最初だったと思うんですけども、
自分が最初に読んだのは戦争の思想史というやつで、 現在のところ2冊独領している状態なんですが、
まず一つが、案外こういう本がなかったのではないかという気がしている。 このようなタイプ、種類の本が。
そうですね。いわゆる思想の本とかってもちろんいくらでもあるし、 例えば前回以前に紹介した、僕たちの戦争社会学にもみたいな意味で言うと、
戦争というものを社会学で考えてみよう。 思想の一部にも近いところはあると思うんですけども、
っていう切り口ではあるんですけど、 この何々の思想史シリーズは、
有定ヨーロッパのことっていう限定には、 ヨーロッパというか、欧米のことに限定はされるんですけども、
世界史を戦争思想という観点で見てみよう。 他の本で言うと技術の歴史を、技術という観点で世界、欧米の歴史を見てみよう。
労働という観点で欧米の歴史を見てみようという感じで、 わりと通史でありつつ思想史である。通史だから思想史でいいのか。
テーマごとの思想史、歴史になっている。
どれもバラバラにしたやつは多分、 言うたらいくらでもある気がするけど、
別に戦争の思想史だからといって、 例えばイメージで言って石壁の戦いがあって、
戦争というものがどのようなものだと考えられてきて、 今現在それについて、戦争に関する思想の変遷でもある。
人々というかこういうことを考える人たちが、 戦争とは何かをどう語ってきたかという感じ。
そうですね。いろんな要素が複合されているので、
悪い言い方をすると、結局全部2、3行しか書いていなくて、 よくわからなかったみたいな言い方もできるし。
なるほど。
これがちょうどですね、最近自分が実践している 生成AI読書と非常に相性がいいんですよ。
例えばなんだけど、やっぱり一個一個の解説が浅いんですよね。
当たり前だけど。
問題はありますからね。
当たり前だけど。
ただ、例えば何々さんが考えたこういうことについて、 戦争っていう観点でこういうふうに言ってるんだって、
例えば2、3行書いてあれば、そこから生成AIと対話することで、 いくらでも掘ることができる。
なるほど。
っていうのは、今この時代偶然自分が発見しただけで、 そういう意図を持たれていたかどうかなってことは全くわかんないんですけども、
今この時代の読書の仕方として、 非常に素材としても面白いのではないか。
ある種の知識のインデックスみたいなのを与えられて、 そのインデックスの中身は生成AIと掘り下げていこうという感じ。
そうですね。っていうやり方をすることで、 今までとはだいぶ違った読書体験ができたような感じがする。
なるほど。
なので、俺のメモにも書いてあるんですけど、 最初の頃の印象があまり良くないんですよ。
特になんですけど、この本は6章構成になってるんですけど、 1章は良かったんだけど、2、3、4とか、
4はまだ良いかな、戦争歴史やんっていう、 ほぼ思想どこにあったっていうぐらい正直少なかったという印象があって。
なるほど。
技術、労働に関しては必ずしもそうとは言えないんですけど、 やはり当たり前なんだけど、
例えば労働という観点にしても、 現代の方が考えている人というか、 残っている文献の量は圧倒的に多いんですよね。
どうしても前半は歴史的なものに比重が強く、 後半は一人の思想をちょろっと紹介して、
次に行ってしまうみたいな、 やっぱり無理がある部分はあるとは思う。
なるほど。
まあ、とはいえそれはさっき言った、 結局通しが分かればいいとか、
掘りたいことが分かればいいという観点で見れば、 大したデメリットではないし、
良い意味でも悪い意味でも、 著者独自の観点というのを押し出していないので、
目次渡したら大体想像してくれるんですよ。
目次と出てきた人の名前を言えば、
この人はこういう話してるねっていうふうに、 ある程度教えてくれてしまう。
読書のパラダイムシフトまでは言わないけど、
いろいろと価値が変わってきたということを、 体験したということを報告するみたいな話でもあるのかなと思っています。
『戦争の思想史』の構成と各章の概観
つまり、With SenseAIの読書においては、 本文よりもインデックス目次構成にバリューがあるみたいな感じ?
まあ、そう言い切ってしまうと、 一応本を書いたことがある人間としてはあまり言いたくはないけど、
まあでも、強く否定はできない。
でも逆に言うと、本文が連想されるぐらい、 しっかりとした目次案が構成されているということとも言えそうだけどね。
そうですね。あと、本の内容に関して言うと、 かなりこの人は意図的に何らかの文献から引っ張ってきて、
カッコつきで何々なのであるみたいな感じで、 その元文献の話とかをかなり強く引用していたりするので、
強く引用っていうのかな。
その辺りでちゃんと調べて書いていて、 そしてやっぱり知っていることの趣味範囲が広いなとも思うし、
構造さえあればかなり掘れるということを すごく思い知らされたという意味でもあるかな。
戦争の思想史、具体的な話なんですけども、
大雑把に言う6章構成。
1章がいわゆる戦争とはっていうので、前提になりがちな人、 著名人がどのように考えたかっていうのが何例か載っているようなイメージ。
2章を古代における戦争。言うて古代ヨーロッパなんですけど、
キリスト教からローマ帝国までぐらいの戦争感みたいなもの。
3章が中世と近世における戦争の思想。
大雑把に言うと十字軍の遠征が始まってから、
フランス革命が始まる前ぐらいまでがその大体3章の担当範囲。
4章が近代の戦争と言われるもの。
ここからがおそらく一般的に戦争感が変わったとかってよく言われていたりするようなのとか、
思想的な話がここからやっぱり実際自分の知識でもこの辺からならなんとなくいろんな人の名前浮かぶなっていうイメージがあったんですが、
近代っていうのが一応第一次世界大戦までをこの本では近代としてやっています。
5章が現代の戦争。
第二次世界大戦の話から冷戦終結まで。
めちゃめちゃ大雑把に言うと俺たちが成人するまでぐらいの時期というのが現代かな。
最後が第6章新しい戦争っていうので、
米国同時多発テロからロシア、ウクライナ、パルスチナあたりのまさに今現在にほぼ等しいところの戦争というものについての思想だったり、
どんなことがあったのかみたいな話かなと。
最後に忘れるかもしれないんでちょっとだけ言っておくと、
6章の部分はかなりここだけ著者の思想がかなり強めに感じて、
ちょっと中立とは言い難いな。
共感はできるけど、
端的に言うとパルスチナ戦争のことに関しては著者の意見がだいぶ意見が強く書かれているような印象があって。
それはどちらかの主張、立場、思想が良いだろうというようなことは言い終わされる。
というように読めてしまった。
逆に自分はそれによって逆の立場を考えてみようって思うことはできたので、
結果的には良いことではあったんですけども、
正直個人的にここだけは思想というよりはだいぶ中山原思想が入っていたのではないか。
思想イコール著者の主張が混じり込んでいると。
第1章:戦争とは何か――著名な思想家たちの見解
悪いことでは必ずしもないとは思うんですけどね。
というようなのが大体全体像。
今回は実験的にいろいろと読書メモに関しても生成AIに頼りながらやってみたりしてたんですが、
本の構成というのが割と面白くて、
第1章って出てきた後に絵付きの有名な、おそらくその章における主要な人物のイラストと、
2、3行の主張みたいなものが書かれていて、
次のページに4、5人ぐらい思想家が並んでいて、
どんな人なのかっていうのをその数行で紹介するみたいな形で、
各章2、4、6、1章が例えば9人、2章が2、4、6、8、11人、
3章も2、4、6、8、12、15人とかっていうので、
大雑把にマジで100人ぐらい名前出てくるんですよ。
本の中では2行しか出てこない人もいっぱいいるし、
全ての全てが必ずしもその思想とは関係はなかったりするんですけど、
このキーワードがあるだけでもだいぶ調べられる、学べると思いました。
たとえば1章だと出てきた人物が、これは現代が多いんですけど、戦争とはっていう話なので、
ピエール・クラストル、カール・フォン・クラウス・ビッツ、ジーク・ムーント・フロイト、コンラート・ローレンツ、マーガレット・ミード、
エドワード・エヴァンズ・プリチャード、マーシャル・サーリンズ、ジル・ドゥルーズ、ピエール・フェリックス・ガタリー、
戦争機関やもんな。
ちなみに俺はやっぱり半分しかわからなかった。
半分わからなかったかな。
人類学者が結構多いかな。
そうですね。最初に人類学でピエール・クラストルさんとかも南アフリカで進歩主義に違和感を、進歩主義を批判した人みたいな感じで、
例えばピエール・クラストルなんかの話としては、戦争っていうのはもともと国家形成を阻む仕組みだって考えたっていう感じの言い方をしていて、
これはまさに一生の戦争とはっていう考え方が、さらにこれをクラストル自体は未開の社会をフィールドワークして調べた中で、
なんでこの地域には国家がないんだろうって考えて、
それは部族同士の争いがいっぱいあったことで、
ここからこういうことがあると国家っていうのはできなくって、
逆に国家というものは戦争を防ごうとする仕組みだったんだろうな、みたいなことを考えたっぽいっていう。
もちろんピエール・クラストル自身の話で言うと、
多分メインの話とは直接は関係ないんですよね。
この辺のこういう切り取り方は非常にやっぱり著者の仕事だという感じはすごいします。
なるほど。
例えばフロイトと戦争なんて繋がらないじゃないですか。当たり前だけど。
当たり前とは言わんか。
当たり前とは言わんなお前。
少なくとも俺はフロイトと戦争をキーワードで結びつけて思想家として名前を出すということはやっぱり思いつきもしなかったことなんですよね。
なるほどね。
っていう意味で、逆に言えばなんですけど、
あらゆる思想家を何らかの観点で読んであげると、
そこから学べることとかっていうのがいっぱい出てくるよなっていう、
発見ができたそういうメタ的なやっぱり認知が多かった本かなと思いますね。
はい。
古代・中世・近世における戦争思想
当たり前なんだけど、後から出てくるカントなんかでも、
イマネール・カントも当たり前に他のことが有名すぎるから、
いわゆる戦争の話って基本的には、平均的にはあまり注目されないけど、
一般ピーポー、カジュアル哲学話題としてはあまり出てこないね。
でもその永遠平和のためにっていう本が、
実は国際連合国際連盟の大きな礎になっているみたいなこととかっていうのも、
戦争という切り口で当然説明できる話で、
戦争というと兵器を使って人間同士が戦うみたいな概念でどうしても考えてしまいがち。
自分は少なくともそうだったんですけれども、
その戦争を防ぐ仕組みも戦争思想師だし、
戦争をどうやって防ごうか、なぜ防げる、どうやったら防げるだろうか、
戦争によってどんな良いこと悪いことがあるんだろうか、
みたいなのも当たり前に戦争思想師だしっていう感じで、
色んな知ってる名前であるが故に逆に知らんかったことを、
よく気づくことができたみたいなところもあったりするかな。
なるほど。
例えばフロイトなんかでも、フロイトは一時対戦ぐらいがメインにリアルタイムに経験していたりして、
その一時対戦の機関兵がいわゆるトラウマになって、
何回もそういうかつての恐怖を繰り返し夢に見てしまうみたいなこととかっていうのも、
そこから死の欲動みたいなものがあるんじゃないかっていうようなことを観点で見てあげれば、
その戦争というものとフロイトを結びつけて考えることもできるし、
マーガレット・ミードとかもさっき言った人類学者ですよね。
この人も、戦争は発明であって生物学的な必然なものではない、みたいな言い方をしていた。
これはサモアの、なんて名前だったっけ。
英語で資料名を書いてしまったかゆえに忘れたんだけど、
サモアの女の子たちは超平和で立派だよねみたいなことを言って、
ある時期めちゃめちゃ有名になった本なんですけれども、
それなんかもその戦争がない世界というものがあるんだったら、
本来戦争って人間の本能的なものではなくて文化が作ったものだっていう考え方ができる。
こういうのもやっぱ正しい正しくないというんじゃなくて、
久しぶりにっていう言い方になるんですけど、いわゆる思想とか哲学とかをちゃんと読んで、
こうやって構造的に捉えることができる。
そして正しいか正しくないかはわからんのだけど、
考えるもととしてこういう何々さんはこういうこと言ってて、
それはこうこうこういう理由でここからこういうことを見つけたんだっていうことを積み上げていって、
答えがない答えを作ろうとするところ。
戦争なんかは特にそれが一番強いんじゃないのかなと思って、
SNS社会だと戦争はダメだ、戦争はいいんだの二極にしかやっぱりならないけれども、
そんなわけないじゃないですか。当たり前なんだけど。
そもそも言ってる人たちの戦争が何を意味してるのかすらはっきりしない。
そもそも戦争とは何なのかっていう話から始まるんですよね。ある意味で言ったら。
ロシアは確かまだ戦争してないって言ってますよね。
言ってるよね。
軍人作戦だったっけなんか。
まあっていうことを考えるとやっぱ戦争とは何かっていうことを、
いわゆる理系のサイエンスでは定義はできないから。
そうですね。
そこはやはり人文学と言われる分野のものになってくるんじゃないのかなという感じはしますね。
確かに。
こういう感じでいろいろ出てくるんですけど、
全部説明すると難しいというか結局ここは文化人類学的な観点で、
戦争って果たして人類が本能なのかどうなのかとか、
なんで戦争をしていたのかとか、
戦争というものはどういうものなのかみたいなことを言っていたみたいな感じで、
ドゥルーズの言ってることもね結局よくわからんかったけど、
ちょっとは昔よりわかるようになったかなっていうぐらいの理解はできるようになったかなっていう。
なるほど。
あの戦争機械っていう言葉とか、
正直俺キーワードでしか知らんくてもともと。
で何なのとかそのノマドとかプラトンとか戦争機械とかよくわからんかったけど、
あのなんて言ったらいいんだろう。
ドゥルーズさんが概念を言葉にしてその捉えようとするのが上手なのかなぐらいの理解はできたような気がして。
なるほどなるほど。
なんかあのよくわからんものを変な言葉で説明することによって、
なんかうまいこと丸め込むじゃないか。
なんかその新しい概念として理解できるようにしようとするっていうのかな。
なるほど。
でずっとそのドゥルーズとかは例えばちょっと話がそれるんですけど、
興味がありながらもうどの解説書を読んでも全然やっぱ興味が持てないんですよ。
でこういうなんかそのもっとね断片的なところから始めるべきなのではないかと自分はちょっと思いました。
おーなるほど。
この戦争機械って何なんていう概念だけ、
例えばそのチャットGPTに色々と聞き続けてみて、
まあこういう感じで4個ぐらいノートとかを作ったりとかしているんですよね。
なんかこのこういう学び方なら自分はちょっとドゥルーズに近づけるような気がした。
定立している概念から入る。
哲学者の人生をたどり直すとかではなくて、概念から始めるみたいな感じ。
なんかそうドゥルーズの説明書、説明書じゃないいわゆる思想書、解説書みたいなやつとかって、
あの俺の主観なんですけど、全部ねなんかあのポエムみたいな感じがしてまじでわからんのですよ。
まあ仕方がないね。
ただ例えばリゾームとか戦争機械とか機関無き進退っていう言葉は知っていて、
ただその言葉がやっぱどういうイメージのものなのかって言われると、
少なくとも今全部3つとも上手になんかぼんやりあるけど、
やっぱ上手に説明できないんですよね。
この辺の言葉っていうものを、それこそ生成愛にあらゆる切り口で解説してもらって、
こうこうこういうもんだっていうふうに理解していけば、
一歩自分はなんかドゥルーズの思想に近づくことができるという感覚はできた。
まあ興味深いね。僕はだいたい逆の逆ではないかな。
だからドゥルーズがなぜそれを考えたかったのかというところから入る方がアクセスしやすいかなとはずっと思ってたけど、
新しい学び方ではあるかもしれないね。こうやって質問できるから。
例えば戦争機械とは、これはAIに教えてもらったイメージなんですけど、
ドゥルーズの戦争機械とは国家に属さず独自に動く暴力の集団のことみたいな言い方をするんだけれども、
それは国家に対して取り込まれずに対抗し続ける場合もあるし、
そこが例えば現代のアメリカテロとかの場合で言うと戦争機械というものが、
もう機械ですらなくなってしまったというか、国家が相手にできない機械の形になってしまったみたいなニュアンスとか、
やっぱりね、すげー不得意な分野なんですよね。
なるほど。
すげー不得意な分野だけど、諦めないぐらいにはいけるようになった。
それは大切なことですな。
戦争機械という概念を理解することで、現代社会を戦争機械というメタファーから考えれば、
戦争みたいなものを理解しやすくなるための用語として戦争機械という言葉があるんじゃないのかなぐらいのイメージがやっとできるようになった。
それは結構、多分ドルーズだけど、哲学というのは概念を作る行為であると定義したのが多分ドルーズだったと思うんだけど、
そのようにして言葉を受け取った人が何らかの考えを進められるとしたら、多分哲学者妙麗に尽きるという感じがしますけどね。
おそらくドルーズはそれが異様に得意で、それが上手すぎるがゆえに俺はついていけないんだという感じがして。
なるほど。
やっぱ有名ですね。パワーワード王ですよね、ドルーズさんってイメージなんだけど。
近代とか現代に関して言うとかなり著名な、特に僕らなんか、僕らじゃないな。
日本の現代フランス思想にハマってた人はドルーズの影響が強いだろうね、きっと。
言ったらなんですけど言葉に一言に集約できてしまうし、その言葉のニュアンスがやっぱ多分人によっては違うんだろうなとは思うけれども、
そういう新しい概念を作るっていうのは強いんだろうなっていう。
この辺の哲学者みんなある程度そういうようなものを作れたから名前が残っているというか。
そうですね、手紙みたいな話とか。
デリナもやっぱり脱構築という言葉だけが一割引きして、来日わからないままに。
リゾームと脱構築って言っといたら大丈夫やったみたいなやつですよね。
その感じはあるけどね。だからそのネーミングセンスっていうのがこの社会に浸透する上での一つのスキルとしては多分求められるんでしょうね。
特に現代はそういうのが強いのかな。
ウィトゲルシュタインが言語ゲームという言葉を言ってからそうなってきているみたいなのはあるのかもしれないですね。
やっぱり現代でいうとアズマさんの語配という言葉もものすごく長く射程がある言葉として使われているから、
哲学者の一つの技のみというところなんでしょうね。こういう概念生成が。
そうですよね。漢字熟語のみのか。
というかさらに言えば語配なんて言葉はもともと存在していたわけだから。
そこに新しい文脈を載せることである種肯定的、否定的でもあり肯定的でもあるという二次の意味を載せたというのがやっぱり仕事なんでしょうね。
そうやっぱりあれかもな。自分がいわゆる哲学がわからんみたいなのはやっぱりそういう概念がよくわからんかったとかっていうのがすごくあるような気がして。
なるほど。
そのキーワードを作ってあげると考えやすくなるよみたいな概念。
確かに。
そこが言ったらここ4,5年学んできて得られた一つの成果みたいな話なのかもしれない。
なるほど。
2章から3章、4章あたりは大雑把に言うと結構歴史みたいな話になってきて。
いろんな戦争の形がありましたよっていうのとか。
かつての古代の話で言うと農耕民と牧畜民が争っていて、さらに言うと戦争だけじゃなくてこういうタイプの国家がありましたみたいな。
いわゆるエジプトの宗教の王が一番上に立って、いわゆる奴隷とか平民たちが働かされるような世界とか。
もう一個はギリシャのいわゆる鉄学、市民たちが成り立たせていく社会があったりとか。
ポリス的なやつ?
ヘブライ人、メソポタミアとかもそういうようないろいろな形があって。
そこから大雑把に言うと、
共和制のローマから帝政ローマまでっていうのが、言ったら世界の中心みたいな感じで動いていたよねっていう話になってくるんですけど。
個人的にめちゃめちゃね、確かこれはアフタートークで話してる話なんですが。
めちゃくちゃ面白かったのが、
戦争思想史の中にアウグスティヌスさんがいるんですよ。
アウグスティヌスさんはめちゃくちゃ雑な俺の理解で言うと、
ある程度キリスト教が確立してから、
最初の神はすごいんだ的な宗教、神学を確立した人なのかなっていうイメージだったんですよね。
自分の中では。
正直こいつ何も面白くねえなって思っていたんですよ。
コント好みだけの話なんですけどね。
なんだけど、この本のある意味最初のハイライト、自分的なファーストハイライトがこれだったんですけど。
すごく大雑把にキリスト教って人殺したらダメだよとか、
自分がしたくないことを人にしたらダメだよみたいなことを言っているじゃないですか。
本番の人にはいろんな怒られることがあるかもしれないけれども、自分はそういうイメージだったんですよね。
のくせにキリスト教世界っていっぱい戦争をしていたりもするわけですよ。
なんで戦争とか正義とか戦争をやるという行為を、
アウグスティヌスさんはその頃キリスト教が絶対的な価値観の中で、
戦争が行われているものをどうにかして正当化しないといけなくて、
ものすごく頑張りに頑張り続けて、いろんな正当化の理由を考え続けた。
この人がやっていたことって、めっちゃブルシッドジョブやなっていう感じがして。
戦争をやったらいかんって言われているのに、でも戦争は起こっていて、
しかも言ったら正当化せんと戦争なんてできんわけで、
これをどうやったらこの矛盾を解決できるだろうっていうことを考え続けて、
大雑把に言うと例外があるから、殺してもいいみたいなことがいいというのが、
大雑把なアウグスティヌスさんの解釈。
神の意思に沿ってない人たちを神のもとで改心させてやるんだみたいな言い方をすればいいのかな。
という理由を作ってあげれば、戦争はしてもよいという考え方を確立して、
さらにこれってとてつもなく影響力がでかいらしくて、
極端なことを言うと、現代までこの考えはずっと続いていた。
正義のためだったら人は殺してもよくって、
正しくない人たちを強制させるために使う暴力というのは神の意思に沿ったものである。
わりと我々もそれに近いような感覚が当たり前のような言い方ができてしまうに感じがちだという気がするんだけど、
でも正しい理由があったら戦ってもいいって、それは果たして正しいのかっていう。
カントならキレるでしょうね。
やっぱりそのレベルでそれは思想として人類が考えたもので作ったものだったんだなっていうのは結構大きかったんですよね。
だから文化装置としてそのような建前前提が用意されてきたってことだよね。
それを作ったのがウグツティウスさんだって言われたら、
正しいとか正しくないとか云々とか抜きにしてすごい偉業を成し遂げているんだなということは思い知らされた感じがする。
でもネクサスの話じゃないけど、
聖典そのものは変わってないのに解釈でここまでの大きな変更が起こせるというのはすごいことですよね。
人を殺すなっていう聖典があるのに解釈によって殺していいことになるんですからね。
これが人文学の強さということがここにあると思いますよね僕は。
俺は恐ろしさ強さはそうですね。
逆だって逆向きもできるわけじゃないですか。
簡単なこと言ったら。だからそういうどっち側に幅があるにしろパワフルさはありますよね。
人文学のパワフルさがあるね。
そうですね。科学の場合観測結果からひっくり返らんものはひっくり返らんではありますからね。
そこを拡張していくが科学なんだけど。
自分が認識した話で言うと結局極端なことを言うと十字軍が始まったとかっていうのもアウグステヌスがおらんかったらならんかったという言い方にもできるんじゃないのかなと。
なるほどね。
そのぐらい影響力が大きい人物だったっていう認識は自分は全然思ってもいなかったことではあって。
キリスト教の偉い人みたいな感じですよね。
クッソ堅苦しいつまらないことばかり言ってるやつっていう印象ではあったんですけど。
ブルシッドジョブから生まれた成果というものが色々と世界を変えてしまった。
あとはかつてのもう一個前のギリシャの話なんですけど国民軍みたいな市民軍だから強かったみたいな話とか古代ローマギリシャあたりの話とか色々出てくるんですけどそこは大雑把に戦争思想史入門で出てきたような話と大体同じようなことだったかなっていう。
例えばなんですけどこの出てきた名前でコルネリウス、タキトゥス、パウロ、ネロ、マルクス、トゥリウス、キケロあたりの名前は出てきたんですけど本文の中で何行あったやろうっていうぐらいしか触れられてもいなくって。
まあそうでしょうね。
このあたり戦争をしたっていうか思想家ではやっぱないと思うよねみたいな名前がやっぱりいっぱい出てくる。
まあ強いて言うならあとはマキャベリ君主論の人ですね傭兵ではダメだから国家を守るためには国民兵が必要だみたいなことを言った人この人は枠組みとしては2章の枠組みの中で出てきたかな。
後のフランスの国民軍みたいな話のことを考えるとその概念の実は走りみたいなことをやっていた人だとも言えるかなという感じです。
3章も同じく中世と近世でそのローマ帝国が左右に分裂してそこからいわゆるある意味哲学界の有名どころがいっぱい出てくる時期っていうのが中世と近世の戦争思想になってくるんですけども。
近代の戦争思想:クラウゼヴィッツと国民軍
例えばホップズとかカントルソーあたりがやっぱりこの辺の一番中心的なところなのかなという感じなんですけどここもやっぱり最初に出てくる人物名で言うと戦争を主に何て言うんだろう。
目立った人たちではあるんですけどグレゴリウス3世、エドワード7世、エドワード3世、フランチェスコ、グイーチャル・ディーニとか俺ちょっと自分でメモしたけどこの人のこと誰か未だにわからんし。
ユースティス・リプシウスとかもちょっと読んだけど読んでメモも取ったけど結局何した人かわからんかったとか。
そういう人はいろいろいたんですけどこの頃やっぱ王様とかそのあたりの人が結構名前としては残っているかなっていうイメージですかね。
アダム・スミスの名前なんかも出てきたけれどもあんま戦争の文脈で紹介されていたという印象はあんまりなかった。
でホップズ・ルソーあたりはあったんですけどもホップズが戦争と直接つながるみたいなのはある意味一番有名なところかなとは思うんですけど
番人と番人が争う自然状態というものがあってそうするとみんなが自分の資産守ることに必死にならんとあかんからそれをやめるためにその社会契約みたいなもので
みんなで戦争をやめましょう国家というもので戦争というものを考えましょうみたいな思想というのは当然大事なところなので出てくるんですけども
あとあれかな自分がちゃんと理解してなかったのがさっきも触れていたカントさんの話とか
カントの話で言うとやっぱ三大批判書というやつが有名なのでそっち系の人間の理性云々みたいな話とかの方が平均的には有名になりやすいんですけども
常備軍のやめましょうとか国際連合みたいな概念を作った永遠平和のためにという本も書いていて
ここがめちゃくちゃ実はかなり影響を与えているぞっていう話ラスターさん確か最近読んだって言ってましたよね
最近読みました見事なやっぱりその戦争の問題を指摘しつつ国家レベルの上の統治機構がないといかんともし難いよねという話と
一つ一つの国家が民主的にならないとそもそも成立しませんよねということを二段構えでちゃんと解いてて
まさに現代の構造に直接つながっている話をされてるなと思いましたね
確かその相当深読みすると現代のことを言い当てているみたいなやつも確かいっぱいあるんですよね
現代を言い当てているのか僕たちがカントの構造の上に乗っかってシステムを作っているのかはちょっと判別できないけど
非常に見事な考察をされているのとあとカントの三大批判書に比べるとめちゃくちゃ短いから
すごい読みやすいよ
確かそのいわゆる本一冊にもならないんですよね
で言ったらなんですけどだから分量で言ったら大した分量じゃないのにこれだけ影響を与えられる
ウィットゲームシュタインとかも同じか
そうですね確かに
必ずしも長けりゃいいっていうわけではなくてただ唯一その後から見たら間違いだった失敗だったかもしれないみたいなものとしての例として
出てきているのが例えばそのカントが言ってたことが戦争の費用を国民が負担するっていう体制にしていたら
戦争って起こりにくくなるんじゃないみたいなことを言っていたりもしているんですよねこのAIの平和のために
逆になんですけどあの戦争が超悲惨なものになって終わらない戦争
当時よりも遥かに酷いものになってしまった第一次世界大戦で極端なことを言えば国民が
自分たちが積極的に戦争に参加して戦争の費用というものも国家総動員体制で作るようになってしまったら
戦争は起きにくくなるっていう言い方をしていたから間違いではないとも言えるのか
怒ってしまったらとてつもなく悲惨なことになってしまうというようなことも
言い当てている読み当てているみたいなこともあるし
もう一個は結局善意ではないと戦争をしないのは
商業とか利害があれば利害がお互いにうまいこといくようになっていれば平和っていうのは起こりにくくって
戦争っていうのは起こりにくくなるよねっていう考え方とかっていうのも
結果論としては今現在つい最近まで割と通用している概念ではあるので
現段階でやっぱり非常にこれを200年300年前に言い当てていた
というのはやっぱりすごいことなのかなという
でもやっぱり実際にカントが生きていた時代っていうのは国家同士の争いが勃発していたわけで
なんか気上の空論とか雑誌に載せたい気持ちとかではなく
切実な問題意識があって考え続けていたんだろうなというのは感じますね
そうですねこの頃特にドイツとかなんて統一もされていなくて
いろんなちっちゃい国がいっぱいあってみたいな感じで
細かなそのフリドリヒダイオーとかとも確か
確かじゃないなほぼ生きている時代とか被っているから
その戦争みたいなことはずっと起こりまくっているっていう印象ですからね
だからこの永遠平和のためのこの永遠というのがキーワードで
一時的に休戦している状態は永遠平和とは呼べないというふうにカントは考えたわけやね
もう戦争は絶対起こりませんという体制まで持っていかなきゃならないという
崇高な理念がカントの中にはあったんだろうなと感じますね
すごいですよねそれを本当この人はなんか
あと善人というか立派な人やなっていう感じがすごいする
確かにそれはする
いい子ちゃんとはちょっと違うようなイメージもあって
あと同じ時期のフリードリヒ大王とかっていうのも
戦争の達人というかいわゆる軍事で大いに成果を残していて
そのくせに文学とか芸術が好きだったみたいな話で
これは確か古典ラジオとかでも主役みたいなので出てきたりしてたんですけど
知らんかったのがこのフリードリヒ大王の時代っていうのが
ある意味フリードリヒの戦争の仕方っていうのが
この後のフランス革命後のナポレオンの国民軍と
真逆のことをしていたらしいんですよ
軍隊の多くは自国の農民とか外国の傭兵で
自ら積極的に戦争に行こうってしていた人たちは全然いなかった
極端なことを言うとだから戦争なんかしたくない奴らばっかりなんですよね
フリードリヒ大王がやっていたことっていうのは
とにかく徹底的に軍隊を逃げれんようにした
例えば森の近くを通らないことで
森の近く通ると森に逃げ込んだらもう追っかけられないじゃないですか
確かに
みたいなことを逃亡を防止することを前提にした軍隊っていうので
おそらくなんだけど逃亡したら即殺されるみたいな状態だったと思うんですけども
さらに密集隊形でみんなで集まって戦うみたいなやり方で
そのやり方っていうのがこの時代うまくいって
その後ナポレオンとかフランス国民軍にボロクソに潰されることにもなるっていう意味で
大きな歴史の転換点みたいなところでもあったっていう
これ思想でもいいのかな
そういうこのように兵を管理するみたいな思想だったという言い方ができるのかな
この辺は全然知らんかった話ですかね
もう一個自分は初めて聞いた名前なんですけども
フーゴー・グロティウスという人
オランダの人らしいんですけども
いわゆるさっきのアウグスティヌスの話がようやくアップデートした人
神の名のもとの戦争とかじゃなくて
極端なことを言えば戦争はなんていう言い方をしたらいいんだろう
神がいなくても戦っていいというか
神のためじゃなくても戦っていいみたいな思想を打ち出したと言えばいいのかな
現代でも自衛のための戦争ならしてもいいという考え方がありますけど
これは別に進学的なバックボーンがなくても成立していますよね
自然法としてバックボーンとしてそういう考え方をして
いわゆる現代の人道的な国際戦争ルールみたいなところの基礎になったものっていうのを
このグロティウスさんという人が作り出したりしているらしい
だから一定のルールをそこに課すことができる
敵だから何やってもいいということから
一定の配慮があればやってもいい
みたいなルールを考え出したという言い方でいいのかな
なるほど面白いね
思想というものがそういうことも当たり前だけど誰かが考えてるんだよね
確かに
そういう発明者発見が多かったイメージですねこういう風に
なるほど
その辺で大体いわゆる近代以前か
あとはフランス革命が起こってナポレオンがフランスからものすごい世界中に攻めまくって
ちょうどその頃に多分戦争という言葉で一番有名なクラウセ・ビッツさんという方が出てきて
一番有名なのはあれですね
イメージとして戦争っていうのはあくまでも政治の一つの手段である
みたいな割り切った見方をしたと言えばいいのかな
っていうのはおそらくこれもやっぱこれまでそういう風に戦争を定義した人はいなかったという意味で
やっぱ革命的なんだろうなっていう
それまではやっぱ国家の一心を懸けた争いみたいな雰囲気が強かったのかな
おそらくなんですけどここまでは国家という概念が多分ないですね
なるほどね
領主たちが自分たちの領土争いをしていた
なるほど
そこから国民群があって国家という概念は極端なことを言えば
フランス革命が起こるまで存在していなかったぐらいのイメージなんじゃないかな
なるほどね
国家っていう仕組みになって逆に言うとその政治と絡むようになって
もともと多分むしろ領主同士の争いの方が政治だったんですよね
はいはいはいそうでしょうね
その隣同士の庭のお前んちのリンゴを勝手に食ったみたいなのの国家バージョンが起こって
お互いに自分たちで喧嘩するの嫌だから傭兵雇って喧嘩させて勝った負けたで
じゃあお前こうしたら許してやろうみたいな
はいはいはいはい
その結局何て言うんだろう話し合いだけでは解決できんから
一回暴力を返さないといけなかった
はい
みたいなことを概念としてやっぱ上手に説明したのがこのクラウセビッチさんなのであろうと
なるほど
第一次・第二次世界大戦と戦争の変容
でそこからもいろいろ有名な人たちはいっぱい出てくるんですけども
ヘイゲルが出てきてマルクスが出てきて
ウォルター・ベンヤミンという人なんかは
戦争を経験した人たちがそれによってどんなようなことを感じたのかみたいな話だったり
戦争によって我々がいろんな世界が変わってきてしまったみたいな現代的な話とかが
なんかねショーが割とショーというか時系列が割と飛んでいることが多かったりもしたんですけれども
一時対戦二次対戦ぐらいからやっぱ戦争というものが
良くも悪くもやっぱもはや人間的なものじゃなくなったみたいなことを
言っている人がものすごくたくさんいて
これも俺たちの戦争のイメージが現代からしか見えないので
多分想像できないことがめちゃくちゃいっぱいあるんだなと思うんですけど
今の戦争の今じゃないな第二次世界大戦とかの戦争のイメージって戦車がいて
機関銃があって火炎放射器があって爆弾落とされてとかって
どう間違ったって人間生き延びられんやろうっていう感じの世界なんだけど
それ以前はやっぱ死傷率みたいなものもその頃に圧倒的に低かったし
戦争をしても案外死んでいなかったっぽいですよね
どっかで手打ちを見極めてこれは無理やったら負けでいいです
領土ちょっと分けますで終わってたんやろうねきっと
さらに言うと戦争歴史的な話で言うと戦ってるのは傭兵たちなので
自分たちなんて死にたくねえんですよ
商売なので死んだら終わりで死なんために戦わないといけなかったものっていうのが
逆にフランス革命によって国民軍国家というものができてしまって
極端なことを言うとお国のために死ぬことが生き甲斐の一つみたいなことにもなってしまい
そこに同時に兵器の進化進歩によってものすごい殺傷能力を得てしまったが故に
もはや戦争というものが経験を語れなくなったみたいなことを言われていたりとか
経験が失われて体験だけになった経験が貧困化されているとか
そういう感じでこのあたりからいわゆる戦争論だけではなくて
その戦争によって人はどんな影響を受けるのかとかフロイトなんかも同じようなことだと思うし
そういう感じの思想がいっぱい出てきているようになったのが
その第一次世界大戦までの話なのかなという
もう一回言うと近代のフランス革命が起こるまでっていうところはまだやっぱ
戦争における個人がどうのこうのとか人の経験がどうのこうのみたいな概念っていうのは
基本的には存在していなかったけれども
そこから近代の世界大戦を経たことで
人間というものが人間らしさとか生きるとは何なのか経験とは何なのかみたいな概念っていうものが
ちょっとあまりにも常識から外れすぎている
我々の認知の限界を超えてしまっているがゆえに
逆に言うと生きるとは何なのかみたいなことを考えざるを得なくなってくるような世界が現れている
だから個人の生とか実存そのものが激しく問い返された時代でもあったってことか
皮肉なことに戦争という悲惨なことがあったせいで
実存を考えるということはおそらく大きく発展したのではないかという見方ができる
もちろん戦争を肯定するものではないですけどそれは
そこから第二次世界大戦あたりの話が出てくるんですけど
例えばで言うと最近だと特にロシアの話とかで言うと知性学っていう言葉とかを
よく聞くようになったイメージなんですけど
そのあたりの概念というのも実は1900年ぐらいから言われ始めた概念である
よく考えてみれば船とか飛行機揃ったのってそんな頃なんやから
そういうことかなるほど
それまで知性学という概念で戦争を考えるみたいな概念すらもやはり存在していなかった
近所の人たちと仲がいいか悪いかぐらいの話しかならなかった
隣村のあいつと戦争するぞっていうレベルのことはあるけれども
ロシアが国会を取っとかないととか不投稿を確保しないと
どうのこうのみたいな概念っていうのも結局グローバルが進まなければ
そんなレベルのことを考えりもしなかったし
そういう概念で戦争とか世界情勢を捉えるという考え方自体が
つい最近考えられたばっかりの概念である
海洋国家みたいな概念っていうのもよく考えたら日本の海軍の話とか
ちょうど明治維新あたりが海洋国家の時代だと思うんですけど
シーパワーと呼ばれるようなやつ
そんなのとかもその頃考えられてその頃一気に広まってみたいな感じで
よく考えたらフリードリヒダイオーが海軍どうのこうのとか
多分あんまり関係なかったと思うし
現代の戦争とジョルジュ・バタイユの「トウ・ジン」
なるほど
やっぱその一気に世界観が変わってくるんだよねっていうのは出てきますかね
あとアズマさんの本とかにも名前が出てきて
自分的には印象が残っているカール・シュミットさん
政治というのは基本的に究極の二項対立であり
こいつは友達なのか敵なのかだけだっていう考え方である
この概念で戦争とかも説明できるし
シュミットのこの友敵理論っていうのが
結局こういう考え方をしてしまうと平和って無理なんじゃねーみたいなことにも
なってきたりするっていう考え方が生まれてきたりとか
あとですね個人的に一番興味深かった
そして生成AIが言うにも
これは一番面白いんじゃないかって言っていたのが
ジョルジュ・バタイユさん
めちゃくちゃ上手に説明できるかというと
これも自分は難しいので
トウ・ジンっていう言葉
漢字なんて使い尽くす草冠にお湯の湯っていう文字がトウで
ジンっていうのは使い尽くすの尽くす
トウ・ジンという概念をめちゃくちゃ上手に説明できるかっていうと
なかなか難しいところではあるんですけど
過剰な富みたいなものが現れた時に
人は割とこれを使い尽くしてしまうことで満たされるとか
そんなようなイメージの言葉だと思うんですけど
戦争にもそういう概念があるんじゃないのか
っていう捉え方ができる
社会が普通に富を生み出していると必ず余剰が生まれてくる
この余剰っていうのを消費したりとか
お祭りとかで何とか余剰を使い尽くしてやらないと
トウ・ジンというものが戦争の形で現れるんじゃないのか
行き場のなくなった富が戦争で一気に消化されてしまう
っていうようなことが起こるんじゃないのか
そういうふうに考えられるんじゃないのかみたいな感じのことを言っていて
言ったらなんですけど
これは日本の江戸時代の文脈とかもあるかもしれないですけど
無駄遣い悪いことやって言われるんやけど
無駄遣いを我慢すると戦争になるってことなんですよ
この考え方が正しければ
だいぶ無茶苦茶な言い方をあえてしているんですけど
もっと引きに言うとお金がなかったら戦争できないってことだよね
奪いに行くための戦争ではなく
やっぱり余っているが故に奪いに行ってしまうというか
他国に飛ばすミサイルがなかったら戦略できひんもんね基本的に
もっと言えば本来どっちが先かっていう話になってくると思うんですけど
その馬太夫の概念だとやっぱり余るが先だっていうような
捉え方ができるんですよね
だから無駄遣いをすれば戦争なんてせんと
極端なことを言えばだから今の社会で言えばやっぱり
ワールドカップをやってオリンピックをやって
っていうのもいい意味での無駄遣いだと思うんですよね
国家の運営で言うと国民に関係したりとか文化的な政策に投資したら
国力を増強するのは無理なわけで
戦争自体はできるので全国がそれをやったら
戦争起きようがなくはなりますわな
もちろんそんな単純じゃないことは分かるけれども
でもそこに可能性はあるような気がして
消費というものの重要性とか
やっぱ贅沢自分の興味でもあるんですけどそこは
無駄遣いをするのと贅沢をするのとちょっと違うような気がして
自分は大いに違う
だからそれが当人という概念で上手に説明できるんじゃないかって感じか
なるほどね
その無駄遣いを
贅沢としての無駄遣いはいいような気がするけれどもみたいな
ストレス発散装置としての無駄遣いはやっぱり良くないような気がするし
なるほど
それを自分的な問題意識として
これを当人という概念で上手に言いくるめることができれば
この幸せみたいなところにもすごく繋がるようなと思って
なるほど
俺たちは当人するために生きるんだみたいな言い方なのかな
当人しないつまり富を蓄積していくだけでは
多分マインド的な幸せは得にくいっていうことはありそうやけどね
まだ自分の言語化はその程度ではあるんですけど
この当人というキーワードを使ってあげれば
かなり幸福に繋がるキーワードとしてヒントになりそうだなという感じがするし
社会の幸福というキーワードで言えば
その国家が当人をすることで戦争が防げるのであれば
それはなかなか考える価値があることなのではないか
暇と退屈の倫理学にも通じそうな話ですね
そうですねやっぱりあの本はすごく影響を受けましたね自分も
日本で言うとやっぱりアズマさんの話と国文さんの話とかは分かりやすく
さらに自分とも興味が近いところが多い印象がある
国文さんはドゥルーズの研究所
ドゥルーズとスピノザーの研究所を書いてありますからね
ドゥルーズの地はどっかで流れてる
だからドゥルーズは興味はあるんですよ
ずっとずっと興味はあるんですよ
面白いね
興味はあるけどやっぱまだ分からんがずっと続いている
他にもめっちゃこの辺から聞いたことがあるかもしれんみたいな
現代の紛争と著者の見解、そして多角的な視点
名前の人はめっちゃいっぱい出てくるんですけど
やっぱ1ヶ月2ヶ月レベルでは掘り切れない感じはしました
ブレンターのCASビリリオサルトルは分かるか
ヒトラーの名前が出てきてフランツファノンが出てきて
みたいな感じであったりしたんですけど
あと最後に軽くその最後の新しい戦争の話
大雑把に言うとワンガン戦争から同時と発生
ロシアウクライナとパレスチナの話みたいなところなんですけど
一般的にこれも私たちの戦争社会学入門とかと出てきた話と
近いようなところはあるので
自分的に一番印象に残ったのがやっぱそのパレスチナの話なんですけど
著者が言うには例えばなんだけど
あの人このユルゲンハーバーマスさん
ドイツのいわゆるなんて言うんだろう
今一番多分ドイツで有名な哲学者ぐらいのイメージなのかな
めちゃくちゃ雑なことを言うとこの方は
パレスチナのこととか否定的な言い方をしていないんですよね
全くもってそれといろんな哲学者が
例えばそういう政治的な発言をしてしまったがために
大学の職を追われるとかいろんな問題がある事件が起こったりしていて
まあ著者は割とそこをパレスチナ批判側の目線でいろんなことを書かれていて
これではあかんやろうみたいな言い方をしていたんですが
逆に自分はなんでこの人たちは肯定できるんだろうということが気になりまして
調べてみるとやはりこんな答えを知ってしまえば本当に何も大したことはないんですけども
基本的にやっぱドイツという国家がかつてヒトラーによる支配で
歴史的にはタブーだらけなことをいっぱいやってしまって
現代でもめちゃくちゃ強く否定されていて
世界でもハーケンクロイツとかヒトラーの仕草とかをやるだけで
社会的に抹殺するようなぐらいタブーしされているので
多分自分たちには想像ができないぐらい
ドイツの人たちというものは
独裁とか自治が犯されるみたいな民族が守らないといけないみたいな概念というのが
ポジショントークとしても信念としてもともにものすごく強く擦り込まれているんだろうなと
イスラエルの人たちもほとんどの人たちは過剰反応で
どう考えても虐殺だろうっていう言い方をしているんだけれども
そのイスラエル側の立場からすれば
まさにそのナチスドイツの時代の経験を
二度としてはいけないっていう考え方がものすごく強く残っているがゆえに
ああいう行動をしていると考えることができる
なるほどなるほど
正しいとか正しくないとか自分のスタンスということは全て置いておいて
少なくともこの本を読むまでそういうふうに自分は考えようと思ったことはなかったんですよね
なるほどね
下手に口を出すと大体全て上げ足を取られて炎上するっていう系のことなので
あんまり自分がどう思うとかっていうことは特にないというか
こういう場で述べることではないとは思うんですけども
反対側の立場で考えるというのはすごく当たり前で大事なことなのに
例えばそのイスラエルとかの話でもやっぱり片側からの意見しか自分は見えなかった
見ていなかったというのは
どちらにつくにせよ両方の立場のことを考えないといけないよねという
極めて当たり前なことをすごく思い知らされたのが
逆に最後のその著者の意見が強かったが故に気づいたところかなと
多分そこをわざと挑発的に考えたんじゃないかなという気はするね
その話の印象からしても
そこまで読んでない深読みしてないけどそうなのかもしれないですね
だってこれより以前の話は決着がついてきた話だけど
これは今ナウオンステージな話でまさに議論していかなければならないこそ
矢表に至って何かを言うということしちゃったんじゃないかなという感じはするね
なのかもしれないですね
ユルゲン・ハーワンマスターンとかも言ったら批判的に見ると
本書の価値と今後の読書への示唆
やっぱもうおじいちゃんになってボケとるんじゃねっていうような
ちょっと一貫性がない部分はあるようには見えるんですよね
自分が調べた限りで言うと
まあとはいえやっぱそういう事情があるということを
そのやっぱ知ってるか知ってないかだけでもちょっとは考え方変わるやろうっていう
確かに
まあっていうことを知ることができたのが
割と一番の大きな発見だったかなと思います
なるほどね
アウグスティヌスとハーヴァマスとバタイユかな
キーワードで人物キーワードで言うなら
結構特殊ないわゆる一般的に思いつくような戦争論とかではないということよね
まあそうですね一般的な戦争論はそのもう一冊読んでるとかもあって
やっぱちょっと知っている
うんうんうんなるほどね
その中でやっぱ特殊なパターンというものが面白かったり
相対化しやすかったりしたのかなという感じですかね
その点を考えても目次行政そのものは割と
凡庸というとあれだけどある種一般的なものであったとしても
話を聞くにこの人思想あんまり関係ないちゃうっていう脱線が入っているわけやん
そこになんか総合インデックスとしての価値があるなというふうなちょっと聞いてて思いましたね
そうですねあとは聞けなかったら自信がないまま曖昧で終わっていて
AIが忖度するという前提はもちろん考えないといけないけど
あんまり関係ないちゃうって多分そうだよって言ってもらえたのとかもでかかった
なるほどねだからモヤモヤ線で進んだということだよね要するに
モヤモヤが悪いとは限らないんですけど
でもモヤモヤに不信感に繋がるからあんまり良くないと思うんだよね
そうですねこれで言うとそうかもしれないな
例えばフリードリ被代用ってなんか思想とかってあったのっていうと
いやーちゃうとオラニエ校とかさ別にあれだよねそんな思想家なのかなっていう
だからでもそういう思想と戦争という2つのキーワードだけで
例えばGoogleって出てくる人たちが集まった本は多分あんまり面白くないというか魅力が薄くて
なんかこの人たち入ってるのっていうのが多分ね面白いとか魅力になっている気がするな
かもしれないですねあと本当に5年掘れるような気がする
うんうん確かに確かに
ここに書いてあるまず名前知らんし
未だお分からん名前だらけやし
あとどっかの本で出てきた時にあれこれ出てきたよねっていうやり方もできるので
その観点でも後からこの人こんなところで出てきてたんやっていうスタート地点にもなるかもしれない
こういう時にやっぱりリンクができるバックリンク型のノートツールを使っていると
あああの本でっていう再発見があるんでねいいですね
そうですねこの辺りはやっぱりいわゆるデータベースとまで言わんけどやっぱりリンクですね
同一の場所にまとめといてリンクとか検索で引っかかってくると
自分が忘れていた繋がりをピックアップできるんで
こういう網羅的な本プラス具体的な本とか網羅的な本3冊とか
合わせ読みする時にやっぱり力を発揮するんじゃないかなというふうには思いますね
はいということでブックカタリストは本編の他に
アフタートークとサポーター向け情報
アフタートークというものもやっておりまして
アフタートークではサポーターの方限定で
もうちょっとぶっちゃけた話とかもアフタートークではしていたりもしております
あと読書会とかもサポーター向けに開催したりしていますので
気になる方は概要欄から詳細等ご覧いただければと思います
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました
ありがとうございます
01:10:47

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