1. そこあに
  2. そこあに増刊号「アニメと戦争..
2021-03-04 57:02

そこあに増刊号「アニメと戦争」特集 vol.54

spotify apple_podcasts

そこあに増刊号vol.54 今回は2月26日に日本評論社より発売された『アニメと戦争』特集です。著者でアニメ評論家の藤津亮太さんをお迎えして、執筆の経緯や内容についてお話をうかがいました。
『ゲゲゲの鬼太郎』、『この世界の片隅に』、『風立ちぬ』をはじめ、本書には数々のアニメタイトルの戦争描写が紹介されます。アニメにおいて戦闘シーンとは、作品の特徴づける重要な表現のひとつですが、その描写を史実の戦争と紐づけて考えたことはありませんでした。アニメの中に描かれた戦争が、時代とともにどんな変遷を遂げてきたのか。アニメは、戦争と切り離された時代を生きる私たちが戦争を知るためのとても有効な入口です。だからこそ入口だけ見て素通りしてしまわずに、「戦争を考える」ための視野を広げてくれる一冊として、たくさんの世代の人に読んでほしい本だと思います。
表紙と帯もカッコいいですね! こちらは電子書籍版には付かないそうなので、お近くの書店またはお取り寄せでのお買い求めを強くおススメします!(那瀬ひとみ)


アニメと戦争

『桃太郎 海の神兵』から『この世界の片隅に』まで、アニメに登場する様々な戦争。 その系譜をたどり、社会との関係を問い直す。

はじめに
1 『ゲゲゲの鬼太郎』という“定点”
2 『桃太郎 海の神兵』の同時代性と断絶
3 少国民世代、「戦争」を描く
4 『宇宙戦艦ヤマト』の抱えた分裂
5 誰も傷つかない「戦争ごっこ」の始まり
6 「ポスト戦後」時代の戦争アニメ
7 ポスト戦後の中の「過去の戦争」と「未来の戦争」
8 『紅の豚』の苦悩、『パトレイバー2』の現実
9 冷戦後の「アニメと戦争」を構成する三要素
10 二一世紀にアジア・太平洋戦争を語ること
おわりに

著者:藤津亮太
カバー:会田誠《ザク(戦争画RETURNS番外編)》
帯:富野由悠季
アニメと戦争 (日本評論社) Amazonで購入

■藤津亮太 Twitter https://twitter.com/fujitsuryota

■ゲスト:藤津亮太さん
■出演:那瀬ひとみ・くむP

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:00
そこあに増刊号は、HOTCAST WAVEの制作でお送りいたします。
そこあに増刊号。今回のゲストは、アニメ評論家の藤津亮太さんです。
2月26日に日本評論社より発売になりました、新刊アニメと戦争についてお話を伺っていきます。
今日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
改めまして、今日のゲストはアニメ評論家の藤津亮太さんです。よろしくお願いいたします。
藤津です。よろしくお願いします。毎度毎度、本が出るたびありがとうございます。
ここ数年、ご本が出るたびにお話を聞かせていただいているので、今回もこれは行かなければと思ってお声掛けをさせていただきました。
ありがたいことです。
ちなみに前回出ていただいたのが、2019年、もう2年前なんですね。9月12日のそこあに増刊号。
その時は、僕らがアニメを見る理由、2010年代アニメ時評という本でご出演いただきました。
2010年代の代表するアニメの時評とか濃厚なレビューが並んでいる本でも、本当に私も未だに重宝させていただいているんですけれども。
それに対して今回は、2010年代という、その10年どころじゃないスパンを抱えた本と言いますか。
戦争というともすればちょっと重いというか、大きなテーマに向き合ったのかなというふうに思うんですけれども。
初めの導入として、このアニメと戦争という本を執筆したその経緯というところから伺ってもよろしいですか。
ちょっと話すと長くなるんですけれど。
もともと一つは、自分たちがアニメファンで育ってくる時に、ロボットアニメ、ガンダムですね、ざっくり言うと。
ガンダムが人気を得たっていう、みんなに人気があったっていうのはすごく大きい出来事で。
それをどう考えたらいいかっていう、その大人になってから。
ガンダムって当時、戦争はリアルでハードなものとして描かれて、それがすごく革新的だと思って僕らは見てたわけですけれど。
一方で、戦争をある種美化してるっていう側面もあるわけですね。
ある種のエンターテインメントとしてバトルを提供しているというところもあって。
そこをどっちでもあるし、どっちでもないよなっていう、その割り切れなさみたいなのをずっと持っていて。
アニメにおいて、戦争ってどういうふうに描かれているのかなっていうのは、一個疑問というか。
ぼんやりしたテーマとしてずっとあったんですね。
で、もう一個、これはその15年ぐらい前に、今度ヤマトとガンダムの話を考えてて。
なんで考えてたかっていうか、それを考えるのが仕事なので、わりと日常的にこのアニメとこのアニメは何が、どこが共通点で何が違うんだろうみたいなことは考えること普通にあるんですけど。
ヤマトとガンダムを考えていると、ヤマトが1974年にテレビで、77年に映画。
で、79年にガンダム。
5年くらいしか離れてないんですけれど、やっぱり決定的に僕らとしてはヤマトは古臭く見える瞬間がその時あり、ガンダムは新しく見える瞬間があったよな。
03:09
何が違ったんだろうって考えた時に、太平洋戦争との距離の取り方が違うんだな。
ヤマトっていう名前を背負って、メインメカにその第二次世界大戦というか、太平洋戦争を象徴する戦艦の名前がついているっていうことと、それから架空の未来世界ですよね。
舞台にしたものとっていうことの、この間に太平洋戦争との距離がこの5年の間に変わっちゃってるんだっていうのに気が付いたっていうあたりから、これはアニメがどういうふうに戦争を扱ってきたかっていうことはすごく大きなテーマになるなぁと思って、それが大体2005年ぐらいだったんで15年前ぐらいということなんですね。
で、その後いろんな、こういうふうにしたらまとまるんじゃないか、こういうふうにしたらまとまるんじゃないかって、一回2010年頃かな、全く今と本とは違う形でアニメと戦争って本の企画書を作って、いくつかのところに出したこともあるんですね。
通らなかったですけど、そうやって何か形にしなきゃなとかって思いながら、いろいろちょっとずつ勉強というか気になる本とかを読んでいくうちに、戦争経験の戦後史という本が出会って、この本で書いてある世代の分け方みたいなものを頼りにすると、一つ背骨を通して本を書くことができるなと思って、そこから具体的にスタートした感じだったんですね。
今のお話でもある通り、今回のこのアニメと戦争っていうのは、もう何というか、歴史にある戦争という部分が大きいのかなというふうに認識しました。この概念的な戦争、こういうのはもう何でしょうね、私たちがガンダムとかがもうすでにあった状態で生まれているからこそ言える戦争アニメっていう言い方があるからかなっていうふうにも思うんですけれども、なんかあまりこう、歴史的な戦争をベースにしていないアニメがあるのが当然のところで生まれてきたもので、
今回のこの本は、実際に日本が経験した戦争っていうものが、あくまで下地にある上で書かれているんだなっていうふうには認識しました。これはあってますか。
そうですね。厳密に言うと、そこから離れていく過程を書いているっていうのが前半というか、離れていく過程を書いているのが背骨と言ってもいいのかもしれないですね。
ある時までは戦争っていうと、基本的には太平洋戦争の影っていうのを作中に引きずっている要素が大きかったんですけれど、ある時からそうではなくて、架空の戦争っていうものが題材になっていくっていうふうに切り替わっていく流れっていうのが、
今回のアニメと戦争の中盤はそこが中心になってくる。その変化が、ヤマト、ガンダム、マクロスっていく10年ぐらいの間に扱われる戦争に対する距離感みたいなものが、
全部どんどん変わっていくっていうのが、これ中盤のポイントっていうか、大きいテーマになっているところですね。
なるほど。さっき言った通り、私は今30代に当たるわけでして、戦争というものから本当に切り離された世代だなっていうふうに思っているんです。
06:08
先ほど作品名が出ましたけれど、私マクロスのショーでちょっと面白いなと思ったのが、僕たちは何もない世代だというふうに作り手たちが話しているというふうに書いてあったんですが、
私たちには何もないっていう、その感覚そのものがないっていう世代なんだなっていうふうに、そこで初めて認識した形だったんですね。
そんな、私たちっていうとあれなんですけれど、30代なり、もうちょっと上もいけるのかな、40代とか、戦争から切り離された人たちは、この本をどんな風な姿勢で読んでほしいなというふうに考えているかというところをちょっと伺ってみたいんですけれど。
どういうふうにという、決めつけたものはないんですけれど、でも自分の中にあるその戦争との距離感って、歴史的なその時代の変化の産物なんですよね。
例えば僕らは子供の頃、例えばそのロボットアニメの中に太平洋戦争扱ったエピソードが出てくるとか、あるいはその夏になるとアニメの中でも本書の中だと、
例えば巨人の星だと毎回8月頃には、戦争に絡んだ野球選手のエピソードを入れてるんですよね。
っていうようなことで、そういうのが普通にある。僕らはそれが普通だと思ってたんですよ。
だけどそれは追っかけていくと、作り手が戦争時代に、子供時代ですね、国民学校ぐらいにいるぐらいの、
要は小国民って言われてた世代の人たちが大人になって、自分たちが体験した苦労や辛い思いみたいなものを伝えなきゃっていう感じになってた時代に、そういうものが作られてるんですね。
だからそれはある種の歴史の産物なんですよね。
70年代後半から80年代にかけると、そういう人たちが児童文学でいろんな戦争体験、子供の戦争体験を書き記していくことになり、それがアニメになったり実写になったりっていう中で、
僕らは小学校、高学年から中高生ぐらいまで過ごしていくことになるんですよね。
それは本当に歴史の流れの中であったっていうのは、僕も今回情報を整理していって、初めて自分で自覚できたことなんですけど、
だから、戦争体験ってデジタルであるっていうよりは、大きく世の中が変わっていく。
それは太平洋戦争から距離が離れて、体験者がなくなっていく、減っていくっていうことと、セットになりながら起きてることなんで、
自分が大きな流れの中のどの辺に位置してるかっていうのを意識してもらうと、分かりやすいかなと思うんですよね。
そうですね。だから、私なんかは、今回この戦争の流れを年代ごとに追っかけていくわけじゃないですか。
なので、すごく遠くにあるものからだんだん自分の世代に近づいていく。
09:02
だからこう言っちゃなんですが、さっきも言ったような、マクロスぐらいから自分にもちょっと分かるっていう感覚が出てきて、
だからすごい最初のうちは難しいと思いながらちょっと読んだところもあったんです。
ただそこはちょっと一緒一緒が割と20ページぐらいで区切られているので、そこはすごい読みやすいなと思って読ませていただきました。
ありがとうございます。割とそういう意味では、なるべくアニメと戦争ってキーワードで、
ずっと戦後のアニメの、戦中からのアニメの歴史を追っかけていく。
前に起きたことが次の原因になっていくみたいな形で、アニメの歴史というとちょっと断片的すぎるんですけど、
大きな流れが分かるようには書きたいなと思っていたので、そういう意味では、
そうやって自分に近いところから分かるようになるっていうのはありがたい感想だなと思いました。
今回その戦中から現代までというかなり長期間にわたって、
戦争代々にしたアニメ作品の名前がたくさん出てくるわけですけれど、
富士山が生まれる以前の作品とかも取り上げているわけですよね。
そのあたりの取材とかはいかがでしたか。
取材というか、ただDVDになっているものとかもあるので、見れるものは基本的には見て書いたりはしたんですけれど、
大変なのは意外にそこというよりは、要は戦中なんか逆に先行している研究がいっぱいあるので、
そういうものも参考にはしやすいんですけれど、
一番大変だったのは、その時代が移り変わっていくということをどういうふうに伝えたらいいかっていうので、
5章に4章限に分かれた図を作ったんですけれど、
要は歴史から段々遠のいていって、歴史的事実から段々遠のいていって、フィクション化していく過程と、
それからお話の主眼として置かれているものが、
みんなというか、国民の物語みたいな集団を想定しているものから、もちろんどんどんキャラクターによっていって、
私とかあなたの物語になっていくっていう2つの軸を組み合わせると、
そうすると変化がある程度主観にはなるんですけど、
だいたいこの作品はこの辺って置いていくと一定の変化ですね。
歴史的でみんなの物語、戦中に作られたものはプロパガンダなので、
歴史的事実というか、今起きている戦争にのっとって、みんなの物語ですね。
このみんなでこの戦争をやり抜こうっていうことで作られているお話から、
どんどん個人的な、歴史的事実じゃなくて個人のドラマを書くものになっていくっていう、
プロセスを作れるっていうのを書いている最中に、
これはこういうものがいるんだと考えたところが一番大変だったんですよ。
それを作ったことで、これで書けるってなってて、
もともと朝日カルチャーセンターでやった講座、4回やった講座をもとに、
それをGreat Mechanicで8回に分けて、期間しなんで2年かけて原稿を書いたんですね。
そのテーマでアニメと戦争というテーマで書いたんですね。
ところが8万字あるから、これを少し手直しすれば本になるだろうと思って、
12:02
企画を通してもらったわけですけど、編集さんに。
ところがこの8回にはその全体を貫くテーマみたいなものがなかったんですよ。
なんで、それを足して背骨みたいにしてぎゅぎゅって通さないと本にならないって、
1章目、2章目ぐらいを書き終わった後に気がついて、
編集さんからも、なんか書いてあることわかるけど面白くないよねみたいな感じで返ってきて、
ラックリ言うとですね、グルーヴしてないよねみたいな感じで返ってきて、
ああ、わかるみたいな感じになって、それはなぜかっていうと、
背骨がないから、背骨があるとなぜなんだろう、それはこうだからだって言って、
問いと答えを組み合わせてその背骨に読者を導いていくことができるんですよ。
背骨がないと単なるジファクトだけで書かれていくことになるんで、
事実の並列になっちゃってグルーヴしないんで、そうか背骨を通せばいいんだ、
どういうふうに漠然とあるから、それを全体で通用する何か大きい絵を書かないとダメだっていうのが
分かったところで考えるあたりが一番大変だったんですね。
それが去年の緊急事態宣言中から終わるぐらいの頃かなって感じですね。
その図の中にマクロスの延長線上にガルパンがあるんだとか、なんかすごい不思議で、
え、そうなのって最初思うんですけど、文章をたどっていくと、
確かにって思うところもすごく面白いなと思いまして、確かにそれのおかげで
全ての章がつながっていく感覚がありましたね。
そうなんですよ、そこを見つけるのが一番大変だったんですよね。
あともう一つ、全体を貫くという意味で、私は結構第一章のゲゲゲの鬼太郎も
すごく、これはイメージする上でとっても役に立つなと思いました。
これは、よく見つけましたねって思ってしまうというか。
具体的に言うと、ゲゲゲの鬼太郎の8日のエピソードですよね。
これが全てのアニメシリーズでアニメ化されているというところから、
戦争をどのように、どの世代が描いているかっていうのを最初に導入されているわけですよね。
そうですね、これは単純に鬼太郎ロッキー楽しく見てて、8日が出てきて、
その時にはもうアニメと戦争のアサヒカルチャーセンターの講座もやってたし、
連載も書いてたので、自分の中で対抗戦争をアニメの中でどうやって扱うかっていうと、
こういうバリエーションがあるっていう知識があったわけですよね。
知識があって見ると、バッチリ戦争経験の戦後史っていう本で書かれてたものの、
現代だとこういう視点になるよねっていうのとバッチリハマる回だったんで、
これは面白いと思って、それで東映チャンネルとかで古い鬼太郎とかも見れるので、
古い鬼太郎のエピソードも全部8日アニメ化されたものはどこにあるかをチェックして、
そしたら予想通り、時代によってかなり描き方が変わってるって分かったんで、
それは連載ですね、アニメの文部位という連載で1回書いて、
15:04
あれが見取図というか、この本の全体の敷図みたいになってるので、
あれを第一章にすればいけるよねというような感じで組み込んだんですね。
でも同じエピソードっていうのはすごくわかりやすくて、
私自身もプライムビデオでいくつか見られるシリーズがあったので見させてもらったんですが、
本当に同じようかっていうキーワードというか、アイテムなのに全然、
描き方というか、同じストーリーラインなのになあ、不思議だなあ、
全然違う話に感じるなあっていうのが、何でしょうね、すごく面白かったです。
これ鬼太郎の話になっちゃいますけど。
いやいや、本当、もともとが親が死んで、親が死んで、
その南方で死んだところから花の種が飛んできて、家のベランダに花が咲くっていう
基本的なアイディアが面白い作品なわけですけど、
やっぱり時代が戦争から遠くなるにつれて、
その設定をどうやったら扱えるかっていう脚本家がいろんな工夫をするわけですね。
そのいろんな工夫がやっぱり見どころというか、
第1作から第6作まで2期だけリョーカーのエピソードがないので、
5回アニメ化されてるわけですけど、それぞれ全く違う。
特に第5期は戦争要素を外すというですね。
これはあれですね、やっぱりさすがに、
主人公周りに戦争で身内がなくなった人がいるって言っても、
もうおじいちゃんおばあちゃんの話になっちゃって、
なかなかギュエルなドラマを発生しづらいって多分考えたんだと思うんですよね。
4期の時点ですでにおばあちゃんなんですよね、当事者が。
なので、5期の時にはもう難しい。
だいたいキタロウって10年に1回ぐらいずつアニメ化されてるんで、
大変だろうっていう感じになったんだろうなぁと思って、
そこを6期でもう1回戦争を正面からやったっていうところがね、
6期のヨーカーの痺れるところで。
そういうふうに脚本家の仕事のすごさみたいなものも、
この本から知ることができるなというふうに思う。
なんですけど、6期のキタロウのヨーカーを書いたのは、
吉野ひろゆきさんなんですよ。
そうなんですね。
吉野ひろゆきさんは、クロスフロンティアとかね、
舞姫とかで知られてるわけですけれど、
吉野さんね、歴史の先生の免許持ってるはずなんですよ。
確か。
なので、たぶんすごく意図的に歴史というか、
今子供にどういうふうに戦争を語るかっていうのを意識して書いたんだと思うんですよね。
そこは、そういうところは明確に感じられる脚本だったんで、
よかったなと思うんですよね。
キタロウだけでなく、さっきからマクロスとかガンダムとか、
いろいろな作品のタイトルが上がっていて、
私今回、アニメンタリー決断であったり、
戦中とか戦後直後のアニメ作品のタイトルを初めて聞いて、
ただこれって結構見られるんですね、今でも。
18:00
YouTubeとかで、公式上げているものがあるんだなっていうのを初めて知りました。
戦中のものはパブリックドメインになっているものも多くて、
YouTubeに上がっていて、ちょっと前にふくちゃんの潜水艦が
若干ネットでバズったりしてましたけれど、
なんかも見られるんですよね。
で、アニメンタリー決断は1960年代後半、70年ぐらいかなの作品なので、
戦中じゃないですね、戦争中を扱ってるけれど。
これも普通にタツノコのプレガッチャマンの一部系の作品なので、
タツノコがああいうリアルなものを本格的にやるきっかけになった作品なんですけど、
あれもいろんな方法で見ることはできますし、
そこは意外に見ることはできるんですよ、主要なものと思えば。
全部を見るのは大変なんですけれど。
この本に出てくる作品の中で、本と並行して見ると面白いんじゃないかなって
特に思われた作品を挙げるならどれとかありますか?
1つは巨人の星何本か、戦争で亡くなって野球選手は使った話があるんですけれど、
これなんかはやっぱり作り手が8月に放送するためにやってるエピソードなんですけれど、
どれもやっぱり戦争ってものを何か伝えなきゃと思って、
野球とちょっとね、史実通りじゃないものもあるんで、
あれなんですけど逆に史実じゃない、嘘というかフィクション化してんでも、
戦争っていうのが大変なんだよっていうのを伝えたい気持ちが伝わってくるっていう意味では、
巨人の星なんかは見直してみると面白いんじゃないかなというのが1つあるんですね。
あともう1個これね、後書きに出てくるですね。
戦場でワルツオという作品があるんですけれど、
これはレバノンで起きた虐殺を現場にいたイスラエル兵たちの話なんですよね。
実はですね、そこで虐殺で起きた日の記憶がないと、
その時兵役で参加していた主人公が、その時一体何が起きてたんだっけって言って、
みんなに話を聞きに行くと、それぞれの戦争体験が出てくるみたいな話なんですけれど。
ドキュメンタリーですか?
そうです。イスラエルのアニメ作品なんですけど、
アニメーションドキュメンタリーの代表的作品として言われてるんですけど、
この作品がすごいのは加害者の視点なんですよ。
自分が直接的にレバノンで虐殺を行ったわけではないんだけれど、
レバノンの中で虐殺が発生するときに、
イスラエル軍が過激な集団と裏で手をつくんで、
襲撃を助けるために照明弾を撃ってるんですよね。
その照明弾を撃ってるところに自分はいたんだっていうことを最後思い出すっていう、
つまり当事者だったんだっていう風になってくるっていうのがあって、
日本の戦争を扱ったものの、良くも悪くもなんですけど、
それは小国民世代が中心になって語ってきたことがあって、
みんな十五の苦労が多いんですね。
要は戦争の、つまり国内にいて自分たちは無力で、
21:02
アメリカに攻撃をされたっていう、それが大変だ。
それは周り巡った結果として、そういうことが起きたんで、
戦争は良くないねっていうロジックで、
日本は多く戦争を語ってきたんですけれど、
それはそれで一つの語りなんですけれど、
戦争って純粋な被害者、純粋な加害者みたいなことってないわけで、
戦場で終わる通話は加害をした側の話なんですよね。
それを自分はどう受け止めるか、
その答えは映画の中にもうないんですけれど、
それは観客にむしろ投げかけられて終わるんですけれど、
そういうハードなものっていうのが、
つまり戦争体験っていうのをまっすぐ見つけようとした作品も、
世界にはあるんだよっていうのはすごく大きい話で、
この本の後書きに出てくるように、
日本人にとって戦争って何か、
アニメを通じて考えるみたいなのが、この本のテーマだったんですけど、
その日本の中ではなかなか出てこなかった要素、
日本というとして戦場で終わる通話があるんで、
コインの裏表みたいな感じで見てもらえるといいなと思うんですね。
さっきから私たち戦争から離れてしまった世代という言い方をしましたけれど、
戦争って何っていう時に、
かわいそうなものとか、つらいものとか、
そういう感覚でいたんですね。
それが結構一つ覆るきっかけになるのが、
この世界の片隅にもあるのかなっていうふうに思っていて、
自分たちが固定概念的に思っていた戦争から、
この世界の片隅に行って、
戦場へ終わるぞっていうふうな順番で見ると、
すごく味わい深く見られるような気がちょっとしました。
この本も出てくる順番でいうと、そういうふうに並んでいるので、
そういうふうに読んでもらえると嬉しいは嬉しいですね。
そこはこの世界の片隅にも、
わりとその十五の不幸を書いてるんじゃないかという話があるんですけれど、
非常に慎重にそうではない要素を入れようとしてるんですね。
それは原作もアニメの方もそれぞれのアプローチで入れようとしていて、
そこのところは、
あの作品はもう少しちゃんと読まれた方がいいなと思ってるんですね。
基本的に十五の暮らしっていうものが、
つまり戦争の中にも日常があるところが、
あの作品の新鮮なところだってまずは言われて、
その通りなんですけど、その先にもう少し、
一般的な意味での戦争への当事者性みたいな被害者だけではなくて、
当事者性っていうのがどうあるかっていうのは、
最後のすずさんの終戦の日の洞窟の中に入れようとしてるんですね。
そこはすごく丁寧に読んであげた方がいい作品だと思うので、
そういう風に流れとして見てもらえるといいかなと思いますね。
この本でもそこの部分は解説をされていましたよね。
すごく面白く読ませていただきました。
すずさんってすごくアイコン的に可愛らしいものに今なっているけれど、
それだけじゃないんだよっていうか、
長いものに巻かれてしまったダメな部分があったんだなっていうのを、
24:02
改めて気づかされる内容でしたね。
15年前に思いついて、何回か企画書を出して通らなかったんですけど、
結果、時間が経って風立ちぬと、
それからこの世界の片隅に行っていて、
今改めて21世紀になってから、
太平洋戦争を扱う作品が出てきたっていうのは、
すごくこの本としてはそこに触れると、
たぶん一つまとまりができるというか、
簡潔というか、主題としてすごくまとまりが生まれるポイントだなと思ったんで、
そういう意味では企画が通らなくて、
この時期に成立する感じになって、
書くべきことが、数年前だと書けなかったりしたわけですよね。
だから16年とかの作品だから、
5年前とか7年前とかに成立しちゃうと書けなかったものが、
今書けるようになってよかったなと思いましたね。
北朗であったり、あと巨人の星のお父さんの設定全然知らなくて、
戦争経験者というか、戦争から帰ってきて無念があるみたいな設定全然知らなかったんですよ。
でもそういう設定って、北朗がだんだん、
どんどん戦争経験者が身内から離れていくのと同じように、
今後は使えない手にどんどんなっていくわけじゃないですか。
こうして戦争からまったく切り離された世代がどんどん生まれていっている中で、
今後、アニメにおける戦争っていうのは、
どういうふうになっていけばいいのかなっていうふうにちょっと思うんですけれど。
難しいところで、それは日本が直接的な戦争の当事者になるかどうかで関わってくることで、
政治的緊張はまだ戦争ではないわけですよね。
それがある程度の武力行使を伴った瞬間から、
戦争って言っていいと思って、今は新しい戦争って言い方で、
テロも戦争の広い意味で戦争というふうに考えられるような状況にあるわけですけど、
幸い、日本で国内で大きな大規模なテロっていうのは、
宗教テロはありましたけど、過去にそういう意味ではないわけですね。
世界で起きてる戦争の紛争の延長前頭でのテロってのは起きてないわけで、
当事者でないから戦争を忘れていくっていうのは、
言ってしまうとそれは幸福なことなわけですよ。
いろんな政治的なバランスの中で成立した幸福なことだったと思うので、
僕はもし当事者にならずに済むんであれば、
このまんまふんわりして、徐々に徐々に戦国時代を語るみたいに、
戦争が語られるっていうふうになっちゃったほうが幸せだと思うんですけど、
という大前提で、でも世界ってそんなに平和じゃないよねっていうことですよ。
つまり、たまさか自分の国が戦争でないからといって、
じゃあ戦争というものを考えなくていいか。
これもアニメの範疇じゃないんですよ。
エンターテイメントの範疇じゃなくて、
個々の生き方の問題になってくるんであれなんで、
27:01
アニメは基本的には僕は現実の繁栄なんで、
これからはそんなにエンターテイメントとしての戦争しかないってことは、
僕は日本が平和な証だと思っているので、
それは不幸なことではない。
ただ、そうやってエンターテイメントだけで消費をすることしか考えてないと、
当事者になった時に、
現実もエンターテイメントに消費しちゃうんじゃないのっていうことですよね。
それは自分の中で、
だからこれはアニメが鍛えられることじゃなくて、
その人が世界の味方として、
エンターテイメントはアニメだけど、
そうじゃなくて、現実の戦争はこういうものだとか、
自分はそれに対してどういうことを思うのかってことを、
別腹な感じで考えておかないといかんよなーという感じがするんですよね。
だから、現状、現時点で言えば、
アニメにおける戦争っていうのは、
なんでしょう、エンターテイメント化していくと思うんですよね。
マクロスなんかはまだそれでも戦争っていう定義をとっていたけど、
ガルパンは完全にスポーツにしたわけですよね。
戦争合行にしたわけですよね。
ああいうくらい綺麗に脱臭されちゃうと、
その戦闘行為は楽しいけれど、
別に政治っていうのはいらないよねっていう、
面白いところだけ抽出されているわけなので、
ああいう形で基本的には戦争っていうのが書かれていくし、
シリアスなものは基本的には対テロ戦争みたいな書き方されるけど、
日本人にとってはそこはまだちょっとリアリティがないというか、
どっちかっていうと洋画が書いている戦争を、
日本のエンターテイメントがなぞるというか、
ヒントにして作っていくっていう形になっていくと思うんですよね。
そこで言うとすごく気になったのが、
なんで進撃の巨人には言及しなかったんですかっていうのはすごく気になって、
進撃の巨人って本当にこう、
戦争だというワードは出てくるんですけど、
ずっとこう戦争はやりたくねえなあみたいな空気がずっと流れていく中で、
苦しくてたまらない戦争なわけじゃないですか。
だからすごくこの4つの分類で言うと、
状況の戦争を伝える作品なのかなっていうふうに私は思ったんですよ。
あ、進撃は出てこなかったなっていうのはちょっと思いました。
進撃の巨人、入れようと思えば入れられたんですけど、
なぜかというと、箱庭というか、
要は架空化された歴史の、仮想の歴史の戦争なんだけれど、
戦争の嫌なところみたいな、
なぜそういうものが発生するかとか、
差別があって、その差別が戦争、
差別も戦争の中で利用されているとか、
そういうこういろんな要素が出てきたので、
入れられ組み込むことはできると思うんですけど、
そうして進撃を解説すると、
ちょっと戦争からずれるなあというところもあったんですよね。
で、あともう一個は、
網羅することがこの本の目的じゃないなと思ってて。
そうですね、確かに。
なので、なるべく、
じゃあ他の網羅しきってない作品を見ても、
大体この辺に位置できるなっていう、
置けるところを探す、
探せるようなマップみたいなものが、
30:01
だから作れればいいなと思ったので、
進撃の巨人を深掘りするとうまくはまらないっていうことを、
無理にしてはめるよりは、
大体この辺に置けるんじゃないかなと思って、
読み終わった後に、
思ってもらえればいいかなぐらいの感じですね。
そうですね、おっしゃる通りの、
わかりますって感じです。
あとあれなんですよ、
僕割と進撃の巨人はアニメで追っかけているので、
原作は、一応これアニメって戦争なんで、
アニメ化された3rdシーズン、
こないだからのスタートなんで、
描き終わった後なんですよ。
確かに、そうですね。
思いっきり戦争が始まったのは、
ファイナルシーズンですもんね。
それまでは基本的には、
戦争っぽい要素がチラチラと見えてたけれど、
具体的に何が起きてたか、
この世界で何が起きてたかっていう真実は、
ファイナルシーズンになってからなんで、
そこはちょうど描いてる時には、
アニメはそこまで行ってなかったんで、
漫画まで手を広げちゃうわけにいかないというのもあったんですね。
でもそのマップで見るときにあたって、
あ、私の進撃の巨人は、
あの世代のガンダムなんだなとか、
そういうことはちょっと分かるようになりました。
戦争がなんていうか、
作品としてエンタメとして昇華していたものが、
客観視できるようになる、
それを導く必殺になっているなというふうに思いました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
そうやってまとめていただけるといいか、助かります。
藤井さんとしては、あまり歴史にあった戦争とか、
概念的な戦争に限らず、
どんな戦争アニメが今後見てみたいなっていうのはありますか。
ハトガキでも書いたんですけれど、
意外にですね、中国戦線を舞台にした、
つまりアジア太平洋戦争の大陸という側の出来事って、
そんなに書かれてないですね。
実写映画だとちょこちょこあるし、
アニメでもその先行のナイトレードとか、
例外的な作品はあるんですけれど、
エンタメに振るうのか、
もう少しリアリズムに振るうのかは、
ものによると思うんですけど、
例えば漫画で、
これはあるいは星屑って、
聞き上げてきた兵隊の話があるんですけど、
あれは、戦友は中国戦線で戦友になってるって話があって、
そっちのエピソードもいっぱい出てくる漫画なんですよね。
なんでそういう作品なんかが、漫画があるってことは、
多分、どっかのチャンスで作る機会っていうのはあるよなと思うので、
僕は歴史の隙間というか、
なぜ太平洋戦争と本土の空襲ばかりがテーマになるのか、
太平洋側ですね、海の話、
っていう話が多いんだろうという気持ちがあるので、
中国を舞台にしたものっていうのは、
何らかの形であってもいいんじゃないかなと思ってるんですよね。
もちろんそれはいろんなハードルが高いのは、
言うまでもないことは承知ですけど、
僕はアニメというか文化の成熟度って、
自国の似顔絵を描けるかどうかっていうのがあるんですよね。
つまり、アニメ的なものってどうしてもファンタジーだよって言って、
33:02
似顔絵から離れた楽しい世界を描くんだけれど、
ある程度成熟してくると、
いやいや、我々というものを描かなくてはいけないんだっていう、
発想発見っていうのが出てくるわけですね。
日本のアニメもある時からそこをポイントポイントでテーマにするようになってきたわけですけど、
そういう意味では、中国で何が起きていたかっていうことを、
エンタメなり何なりの形で描くっていうのは、
まだやられてないことなので、
似顔絵の中でそこだけ描けてるなという感じはあるんですよね。
中国舞台って言うと、三国志とかだいぶ昔に古か最近のかになるし。
アジア大変戦争のアジア部分ですよね。
別にそんな政治的に気なくさくなくても、
例えば増田俊夫監督とか佐原和夫監督がやった大日本帝国とかって、
割と当時は抗戦的って言われていたんですけど、
今見ると抗戦的ではないんですよね。
割とただ引いた目で見てるところはあって、
タイトルがあと強烈なっていうところもあったんですけど、
ああいう塩梅で普通に書いてる作品が実写映画ではあるので、
アニメでも何らかのアプローチっていうのができるんじゃないのかななんては思うんですね。
最近こう中国アニメかなり日本にも入っているじゃないですか。
ロシャオ兵戦記をはじめ、ナタクとかも結構話題になったし、
アニメの技術も上がっているからこそ、
今こそ似顔絵的な作品を生み出してくれたら、
すごく面白そうだなというふうに思いますね。
そうですね。中国がどう書くのか。
ただ中国は政治の色が濃いので、
政治的な領域に入ると難しくなるんだと思うんですよね。
そこは実は日本はアドバンテージはあるところなので、
日本人が経験したことを、
日本人の目線で基本的には書くっていうものをどうするかっていうことだと思うんですよね。
ありがとうございました。
いやーねー、あ、クムです。
今回はね、アニメと戦争というタイトルで、
ちょうど私、パトレイバー2を見てきたばっかりなんですよ、4DX版をね。
もちろん本書の中でも取り上げられてますけども。
パトレイバー2は、そういう意味では、
現代の日本において戦争をどう扱うかっていうことに自覚せよっていう意味では、
それ以後にもない、割と唯一無二な作品であるのは確かなんですよね。
そうですね。
だからやはり、当時の若かった頃の自分にはすごく響いた作品だったなと思いましたね。
で、やっぱり私と藤井さんとほぼ同じ年代なんですけれども、
結局親世代がギリギリ、戦争を知ってるか知らないかぐらいじゃないですか、
もう世代の差ぐらいで。
36:01
うちの場合、結構後から生まれてる関係もあって、
原爆って1945年、昭和20年なんですよね。
ということは、現実に戦争を知っている世代って76歳以上なんですよ。
で、76歳は知らないんですよね、どう考えたって生まれたばっかりなんだから。
記憶に残るとして考えると、プラス10歳ぐらい。
でも考えると、86歳以上の人たちしか戦争をまともには語れないんじゃないかと。
ほとんど高齢者なんですよ。
うちの父が1941年生まれで、満州で生まれたので、
引き上げてくるとき、21年ぐらいに引き上げてくるときに、
引き上げ戦の記憶が一番古い記憶なんじゃないかって言ってるんですよね。
まあそれぐらいなんですよね。
実際やっぱりうちの場合だと、母が昭和2年生まれで、
父親は大正15年。
母はもう十何歳の頃に原爆にあってますし、長崎でですね。
だからまさにこの本の中に出てきた竹槍で撃つみたいな、
竹槍訓練みたいなものを実際にやってたっていう話も聞いてますから、
これで飛行機落とせるわけないじゃんと。
今さら本人曰く、こんなのやってたって無駄でしょみたいな話はしてたらしいんですけど、
だから意外とすずさんの話は本当で、
現場的にはこんなのやっても無駄だよねっていう意識はやっぱりあったみたいですよ。
あれなんですよね、竹槍の訓練ってもともとは、
飛行機が墜落したらそっからパイロットが降りてくるから、
止めをさせっていうのが本来の目的だったのに、
だんだんその強情主義というか、
お前らのやる気を確かめるためにやってるんだ的な、
実効性とはちょっと違う方向へ行っちゃってるんですよね。
もうわけわかんないんですよね、あの辺ってね。
実際にやらせてる側も戦争負けるのはわかってる上で、
やらざるを得ないみたいな状況になってるんですよね。
どうせ物資から何か全部どんどんどんどん減ってたっていう話は聞いているので、
本当にご飯がないっていうのは、まさにすずさんの物語と同じですよ。
すずさんって大正14年生まれなんで、お母さんと二つ上ですよね、くむさんのね。
ほぼ同世代ってことですからね。
39:02
だからちょうどあれなんですよね。
昭和2年だから1927年ぐらいですかね。
この本のアニメと戦争の前半の主人公って、
昭和30年代生まれ、小国民って言われてた世代で、
くむさんのお母さんからちょい下ぐらいの世代が前半の主人公で、
この人たちが戦後になって自分たちの苦労を語ったりなんだっていうのを、
僕とかくむさんの世代は小学校、高学年ぐらいから。
嫌なほど聞いてるんですよ。
学級文庫にも戦争書かれた本がいっぱいあって置かれていて、
それを書いてた人たちっていうのはだいたいそういう年代の人たちで大切。
そういう人たちが40代大人になって、語り継がなきゃっていう意識になって、
それは本当に世代的な産物なんですよね。
そうなんですよ。だからこれが微妙なところでね、
現実にそれを経験してる人たちの話は、
どんどんどんどん広がっていくんですよね。
何故か知らないですけどね、やっぱりね。
なので、どこまでが本当で、どこまでが虚構なのかっていうのが、
だんだんとわからなくなってくるみたいな部分っていうのは、
実際に親の話を聞いてたら思う部分があったりとかして、
現代の語り部的なものは必要なんだろうとは思うんですけれども、
どうなんだろうね。
学問的な歴史の検証を経た語りも少ないんですよね。
そうなんですよ。
体験者の語りだけがある種特権化していてね。
そうなんですよ。
でもその絵は本当にそうだったのかっていうのを見てくれる人はいないんですよね。
結局あくまでもその人の語りでしかなくて、
語りが広がっていくうちに本当にそうだったのかっていう部分を
検証できるものはないっていうことになっていくみたいな感じは、
やっぱり地元だからこそなおさら感じる部分みたいなものは、
やはりあるかなっていうふうに常に思ってる部分もあるんですよね。
この本の中でもね、そういう意味でチラッと触れたんですけど、
要は80年代入って、
世間でいうとアニメになったのはそうですけど、
アニメだとあれか。
そうですね、話の原やその後の自動文学っぽい、
カンカラサンシンとかいうもの、
津島丸とかがアニメ化された時代のものを扱ったところで、
やっぱり語りだけではだめなんだっていう批判が、
当然いろんなところから上がっていて、
しかもやっぱり語りは、
その人が確かに辛い思いをしたのは本当なんだけれど、
戦争というのは辛い、つまり大変な目にあったからだめだっていう、
ちょっとその戦争そのものからとは違う、
42:00
本当に戦争は良くないのかみたいなこととは別の次元で、
大変だから良くないとか、ひもじいから良くないとか、
人が死ぬから良くないみたいな感じになっちゃって、
本当に戦争をやろうと思ってる人には対抗できないロジックなんですよね。
これね実はね。
だと思うんですよね。
そういう欠点というのも払って、
でもそれが平和教育という形でね、
そうなんですよ。
だからもう我々はずっと小学生の頃から平和教育を受けて育って、
その平和教育に対してすごく疑問を持ちながら育った世代なんですよね。
もう常に裸足の原が毎年のように、
小学生の頃には、今はわかりませんよ。
当時はそうだったんです。
裸足の原が必ずというように、原爆の日には流されるわけですよ。
それを流されて、それを見ながらすごく嫌な思いしか残らない。
その原爆の悲惨さとかじゃなくて、
原爆で焦がされた死体の嫌な怖いものしか。
ゾンビと一緒なんですよ、我々にとって見たら。
だからそのことしか残らない。
それは果たして平和教育だったのか。
もちろん語り部の人たちが話す言葉も、
すべて怖い話しかないわけですよ。
すごい心を込めて語ってくださっているけれども、
怖いだけなんです。
それは小学生の頭に理解できるものなのか、果たして。
っていうのが平和教育だったんですよね、我々が受けた。
そうですね、そうなんですね。
それはただ怖いっていうだけっていう。
一方で大人になると、
例えば半藤和俊とかが、
なぜ日本を間違ったのか的なアプローチで書いてたりするんですけど、
半藤さんは保守派の文人だったわけですけど、
でも書いていたりするようなものと、
懐理をすごく感じるところはあるんですよね。
悲惨な体験というものが、
戦争が良くないって話と結びつきすぎちゃって、
っていう問題はあるよなと思うんですよね。
ちょっと前に広島の原爆記念館が改修されるときに、
今までってどうしても悲惨さを強調した展示が多かったんだけど、
ちょっとそういうのとは演出というかアプローチを変えた。
それはマイルドにするわけではなく、
メッセージみたいなのを強くしようとか。
今の長崎の原爆資料館もそんな感じになってます。
以前はすごく暗くて、おどおどしくて怖かったんですよ。
今はどちらかといえば、科学的に説明しようというような感じに切り替わってるんですよね。
この前初めて行って、すごい変わってるなって思ったんですけど、
やっぱり小学校の頃見たときは本当に怖かったんですよ。
すごく嫌な場所だったんですよ。
45:01
でも、これなら確かにちゃんと学べる場所に変わっているなっていう感じはあったので、
やっぱり時代に合わせて物は変わっていくつつあるのかなっていうのは、
やっと納得できるようになってきたのかなっていう感じはありますね。
そこは本当変わっていってほしいし、
ちょっとずつ変わってる気配があるよなって思うんですよね。
変わらなきゃ結局、じゃあ平和ってなんだっていう話になっていくんだと思うんですよね。
ちなみに私の父は大正生まれですけど、
あと戦争が終わるのが数ヶ月遅ければ、開店に乗ってましたからね。
クモさんがいなかったかもしれない。
そう、私いなかったんですよ、多分。開店に乗ってたら。
そうですよね。
だから結構ね、よくよく考えると、戦争近いんですよね、私ね、自分の中でいくと。
その大平洋戦争が終わるタイミング次第によっては、
1日シフトがずれていたら、まさに母は原爆で死んでいたわけなので、
本当にシフトのタイミング、運が良かっただけでしかないみたいなのとか、
戦争が終わるのが本当に2、3ヶ月遅れただけで、父が開店に乗らずに済んで。
開店ってあれですね。
人間魚雷ですね。
人間魚雷ですね、いわゆるね。
なんですけれども、今広島に飾ってあるのかな、確か。
ですよね、あれなんですけれども。
に乗る乗らないっていう状況だったっていう話だったので。
我々世代はギリギリ可能性があったんですよね、本当にね。
でもこれギリギリですからね、本当に。
体験者や戦中の貧困の話を体験として普通に聞いてる、本当ギリギリの世代で。
世代なんで。
でもそれも、どこまでかっていう感じの記憶もあるし、人によりますからね、全然。
あんま話したがらないんですよ、やっぱりどうしても。
そうですね。
で、その後来るのはやっぱり文化的にバッて広がった日本の発展なんで、
そこをやっぱり経験として、経験しちゃった以上、戦争のことは遠のいていくんですよね。
そうですね。
ホッタイヨシエという宮崎監督とかが好きな作家がいて、本の復刊をする仕事ちょっとしたことがあるんですけれど、
この人ね、確か大学受験で東京へ行った日が226の日っていう世代なんですね。
48:06
戦中が青春なんですけれど、ダンテかなんかを読んで戦中に、
35歳になって人生の半ばに来たみたいなことをダンテが書いてると。
だけど当時の自分たちとしては、20歳になるのもわからない。
35が人生の半ばなんて思えないと思って生きてたということを書いていて、
若者が数年先の未来がわからないと思って生きる国は、やはりあまりよろしくないよなと思うわけですよね。
若者命が安すぎるってことですから。
だからそこはね、いびつでどっかで破綻をせざるを得ないものがあったと思うんですよね。
ただ、そういう体験をしてる人がもういなくなっているのが現状なんでね。
しかもその子どもたちっていうのも、次の世代に移ってたりとかしますからね、やっぱりね。
ただ、最近ヨードラとか見てると、やはり戦争というよりもテロに対して、
みたいなことにどんどん物語が移りつつあるのかなっていうような気もしているので。
そこは意識的に言ったほうがいいと思ってるんですけど、
2001年以降というか、要は9.11ですね。
以降というか、そのあたりを線を引いてもいいと思うんですけど、
もうちょっと日本人は実は戦争に巻き込まれつつあるというか、
世界が常時戦争みたいな感じになってきつつあるんで、
あんまり無関係って思わないほうがいいんじゃないかなっていう気はしてるんですよね。
そうですね。テロは逆に言えば、
特に日本みたいな場所だと簡単に起こせる状況下にあるよねっていうのは、
あくまでも我々が見てるのはフィクションでしかないけれども、
そのフィクションがフィクションなのか、フィクションで済むのかっていうのは、
常に意識しておかなきゃいけないんじゃないのかなっていうのは、
ドラマ見ながらですけどね、思うことはやはりありますよね。
誰が当事者になってもおかしくない時代になりつつあるんじゃないか。
昔の戦争とはやっぱり種類が違うようになってきつつあるよねっていうのは常に思いますね。
だからそういう意味では、エンタメで楽しめるうちは幸せなんだってことだと思うんですけど、
その幸せってだけは言ってられないぐらい、世界が動いてる感じがするので、
そこはやっぱり動いてるってことは答えが見えないんで、
自分の考えというか、戦争っていうのは何かをずっと考え続けないといけない時代かなと思うんですよね。
あとは自分をいかに大事にしていくかってことも考えなきゃいけないですよね。
51:05
はい、ありがとうございました。すいません、ちょっと自分語りをしてしまいましたけれども。
でも今の話を聞くと、くむさんたちは、
戦争教育に対して嫌な気持ちになることに少しだけでも理由づけができていたのかなって感じがするのが、
私たちもたぶん戦争って辛いな、怖いな、痛いなとか、そういう感覚だけを教えられた世代なのかなと思って、
だからさっき言っていた原爆資料館が科学的なアプローチになってるっていうのはすごく納得だなと思うんですよね。
変わらなきゃやっぱりダメだと思うんですよ。
そう、いい意味で戦争を学ぶものとしていかなくちゃいけなかったはずなのに、
だからなんか、今まさに私たちがこの本は読むべきなんじゃないかなっていうのをお二人のトークですごく感じました。
ありがとうございます。
そう、なんか一番私たちがすごく勝手に敬遠している世代になってしまっている可能性があるんだなっていうふうに思ったので、
そういう意味でも30代とか40代とかの人にこの本を手に取ってほしいなと思いました。
ありがとうございます。
すごくなりましたよ、本当に。
私が知らないやっぱり、もちろん世代の話はやはり全く知らない話だったからねっていう部分もありましたし、
で、そこからちゃんとマクロスとかの流れにちゃんと行きますからね。
だからそういうのが、ガンダムからマクロスからね、もちろん知ってる作品がたくさん出てきますので、
そういう流れに、なるほどここがあったからこそなっていくんだなみたいな、
で、この辺の世代の作り手たちがこういうことをやっていたんだみたいなことになっていくっていうのは、
まさにその辺に関して詳しくこの本には描かれているので、
一冊ね、読んでみるっていうのはね、
頭に入れておくのと置かないのはやっぱり違うのかなっていう感じがするよね。
そういう意味では、僕は割とタイプとして整理屋の傾向にあって、
新しいことを付け加えるっていうよりは、
大体こういうふうになってますよねって整理することを、
割とこの本も整理をした感じなんですよ。
よく断片的に言われてるけど、アニメと戦争の関係で大体こんなふうになってますよねって整理をした感じなんですよね。
だからそのマップを一回頭に入れてもらえると、付き合い方がわかるみたいな感じになるかなと思うんですね。
すごく教科書的ではあった。
私の中ではエンタメっていうよりも教科書的な感じだなと思ってはいたんですけれども、
これで本当普通に授業受けたいわと思いながら読んでたんですけれど。
でも後半の方はね、教科書的なところはあるんだけど、
後半の方はやっぱり普通に我々がまさに大好きだったアニメたちがいっぱい出てくるわけで、
54:07
その最初の興奮っていうのはまさにその当時の自分たちは興奮した作品だったな、
その大和の特効にしても。
やっぱり当時は嬉しいというか悲しいに盛り上がっていましたよね。
もう盛り上がりました、本当に。
あの時は泣きながら帰ってきて、
なんで3機あんのかよっていうようなそんな風に思いながら、
これが商売だなとかいろいろ思うようなことみたいなこととかも含めて、
勉強にはなったなっていうね。
僕ももう普通に家にあったバトミントンのラケットを2つ抱えて斎藤の前でやってましたからね。
斎藤死ぬからね、斎藤はね。
そういうところに誕生の意味はね、子供の戦争をこうやって切るね、マインドは。
それはやっぱりね、どうしてもみんな持ってるものですからね、やっぱり男の子どうしても。
そうっていうものも含めて描いている本なので、ぜひお買い求めいただければと思います。
ありがとうございます。
すごく表紙も帯もかっこいいので、ぜひお手元にというところです。
では最後に、まだこの本を手に取っていない方に向けて一言メッセージをいただけますか。
アニメと戦争、タイトルは硬いんですけれど、読んでいただくと、
自分の知ってるタイトルのところを読んでいただけると、
自分が当時受け取ったものってこういうものだったのかなっていうのが俯瞰してわかるように書いたつもりですので、
ぜひお楽しみいただければなと思います。
特にですね、表紙カバーがですね、相田誠さんのザク戦争がリターンズ番外編という絵で、
戦争が有名な厚刀玉斎という絵があるんですけれど、
それのザクバージョンを相田誠さんが書かれたやつで、
帯が富野由悠季監督にいただいているというやつなんですが、
これはやがて電子書籍も出る可能性があるんですが、
電子書籍にはこのカバーと帯はつかないということなので。
なので、ぜひこの一番この本のコンセプトを体現しているカバー帯、
富野監督の帯と相田誠さんのカバーを手元に置くにはですね、
この紙のバージョンで買っていただくのが一番いいかなと思いますので、
ぜひ皆さんよろしくお願いします。
はい、ありがとうございました。
ということで今回はアニメ評論家の藤津亮太さんに、
新刊アニメと戦争についてお話をたっぷりお伺いしました。
今日は本当にありがとうございました。
ありがとうございました。
今回のそこあに増刊号は、
金猫さん、あの雲もって帰りたいさん、
たちぎれ線香さんのサポートにてお送りいたしました。
そこあに増刊号はホットキャストウェーブの制作でお送りいたしました。
57:02

コメント

スクロール