大きな株は抜けるのか?
ではまずはじめにそれぞれ持ち寄った話題、つまり株の種を発表して今日抜く株を決めていきましょう。
みんなどんな種を持ってきたでしょうか?
じゃあ石橋ちゃん。
私はですね、みんなにとっての作るって何か聞きたい件っていうのを持ってきました。
何かというと、今の仕事をしていて、企画の仕事と自分のSNSと。
周りにアーティストの子とか、とにかく作るのが大好きなんですみたいな子が多くて。
その子たちに比べたら私は結構戦略的に考えちゃうし、ずっと手を動かしたいとかじゃ全然ないし。
私ってギリクリエイターかもだけどアーティストとかじゃ全然ないな、みたいな相対的な感覚があった。
でもその子たちと仲良くなっていくと、結構ベースは同じというか。
日常の些細なことに喜んだり、それを記憶したりして、それを自分なりの感性と一緒に形にしていってみたいな、そのプロセス。
考えると私も企画をすることとかってすっごい楽しくて。
自分の記憶とかがピッて繋がってシナプスが発火してるみたいな感じですごい好きで。
かつ私が何かを閃くときって結構ベースに神殿があったりして、そいつと一緒にでかい声が出るみたいな時があって。
だからやっぱその子たち、作ってる子たちとパッと見は結構私はこのタイプじゃないなって思ってたけど仲良くなればなるほどベースは一緒だったんだな。
その発露の仕方とかが気持ちいいポイントとかが違ったり、その子たちはより繊細に自分のことを見てただけなんだなっていうのに気づいてから私も作るの好きなんだよねって言えるようになってきて。
そうっていう最近の変化があって。
でもそれぞれあるじゃないですかお二人も。だからなんかそれぞれにとっての作るのを聞いてみたいなと思いました。
言えるようになったら今めっちゃいい話じゃない?
ほんとだね。
捉え直しってことだもんね。
これは作る系ね。
じゃあ僕が持ってきた種は何個か用意してたんですけどちょうど前回話した種と似て繋がるものがあったので持ってきました。
いつ見ても忙しそうだよねと言われた件について話したいんですね。
これは4年ぶりぐらいに会った友人に会ったんですよ。
もうすごい長く喋ってて。
本当に気軽に、気軽というかボソッと。
ほんと大輝っていつ見ても忙しそうだもんねってポロッと言ってて普通に会話したんですけど。
やっぱそう見えるんかみたいな。
で、やってること全然違うんですよ。4年前とかの。
やっぱなんか一層それ見せてるわけでもないんですけど今これとこれとこれやってるんだみたいな。
あと日程調整とかを合わせるときにここ今予定合わないわみたいな感じでその一連の流れで多分思ったと思うんですけど。
この現象は良いのかみたいな。
なんでこういう状況になってるんだろうなとか。
状況というかこういう現象として何か捉えられちゃってるなんでなんだろうなとかをちょっとふと考えたい機会があってですね。
なんか忙しくしたいわけじゃないけどしたいわけじゃないって言ってるのも違うかもでやっぱりこうそうしてるのがすごいなんかそうしたいからやってるんじゃないかとか。
ちょっといろいろ考えていろいろ矛盾するんですよ。
前回ちょっと話した内容の一部なんですけどなんか時間が無限にというかこうあればいいのになぁとか思ってるけど一方でそう予定詰め込んだ方が自分的な幸せ感を感じてるからこうやっちゃってるんじゃないかとかそうですね。
そういうのをちょっと思ったんですよね。
ふと一文なんですけどずっと引っかかってて。
アイリーさんは?
私は恋愛ってうまくいかない前提だよね。
恋愛で何学んでる?について話したいけん。
どうしたの?話聞こうか。
これね私が今恋愛はしてないんですけど今今ねしてないんだけどいやなんか振り返ってみてもやっぱりうまくいかないもんだよなぁと思って恋愛って。
でなんか結婚は別っていう感覚があるの。
ででも完全に学ぶ学びを得るための場なんだろうなって思い始めていてとなった時にそれぞれ今までどんな学びを得てきたっていうのを聞きたいなと思って持ってきた。
うまくいかない前提なのかな。
どうなんだろうね。えーなんか毛色が違う。
結果見てってことか。
どうします?なんか毛色が違いますけど。じゃんけんとかしますか?久しぶり。久しぶりじゃないか。
いや確かにないけど。でも作る。作るはちょっともう一回言語化してみたいフェーズかもしれない。
でも私もそう思った。
作るに関して。何回かやってますよねこれね。40回おきくらい多分やってて。
ご長寿番組すぎ。
その表現するとかも入れるってことでしょうか?
作るとかその創作あとはクリエイティブみたいなところに対する何か種って結構何回かやってる気がしていて。
ちょっと久しくはあんま喋れてない気がするのでやりたいんですよね。
そうしよう。私もそれがいいと思う。
じゃあみんなにとっての作るって何か聞きたい件をやっていきたいと思います。
お願いします。
何ですか?あなたがとりとっての作るって。どうですか大輝さん。
さっきの話で言うとさっきのバッシの話で言うといろんな現象を自分が一旦受け取って自分のフィルターを一旦通した上で出力するみたいな流れがあったよね。
私自身のってこと?それとも普遍的に?
バッシとかさっきのエピソードあったじゃん。そのバッシの友人とか知り合いたちもそういう行為をして自分のフィルターを通してアウトプットを出した表現をしたものを作ると言っているっていう流れだったかな。
フィルターって言葉が正しくわかんないんだけど、一旦自分の中から吸収して出すっていう。その営みはバッシも同じことをやっている。
同じなんだと思った瞬間に私も作るって言えるようになったっていうふうな理解になるとどうだろう。
本当にごめん。似てるとか同じ感じだよね。自分の感じた感覚があって、それをできる限りそのまま差し出してみようみたいな感覚のものをオリジナリティっていうふうに思っているかもしれない。
できる限りそのままなんだ。
そうでありたい気がする。逆に僕は。
いつが一番楽しいですか?作るの中で。
一番楽しいのは2つあって、大きく分かりやすいのが結構歌なのでそれで話すと、普段なんかいろんなものを感じてますと。
さっき前回の収録終わった後に話したんですけど、生きてるって思うときって日常の中で感覚が刺激されて目の怪我をよだつときが生きてるって思うんですよ。
例えば雨上がりの匂い嗅ぎのブワーみたいなやつとか、夏の夜にパッと家からそってた瞬間の湿度から匂いから全部みたいな時にウワーってなる感覚。
その感覚をめっちゃ覚えておくっていう感じがあって、作品を作った時に一旦その感覚を思い出そうとするんですよ。
その時が最高ってなるんですよね。
まずそこが一番楽しい。
それを元にこの感覚をどうやって伝えられるかなっていう試行錯誤をして、ぼっとして。
でもそんなに時間かけるわけじゃなくて、本当に時間くらいでバーっと一旦作っちゃうんですよ。
で、そのアウトプットの完成品がこれだと思ってできたものを何度も何度も聴く時とかは一番楽しい。
その二段階がめちゃめちゃ楽しい時ですね。
それ結構匂いとか体感覚も覚えてくる感じ。
体感覚が。言葉とかもできる限りそのまま表現したい感覚があって。
自分にフィットする表現をする人とかの本とかめっちゃ読んじゃうっていうリズムがありますね。
確かに曲も自分が再現できそうだなと思うものを作っていってましたもんね、昔。
再現できるし、あとは自分の感覚とすごく合ってるというか、
同じような捉え方をする人なのかもしれないなみたいな感覚の嗅覚がめっちゃあって。
変な話。
そんな感じがあります。
面白い。
作るっていうのは表現するってことなのかな。
でもそのイメージがあります。
アイリーさんは?
でも私もそうなの。作るって表現するだよなってすごく思って。
作るってさ、言葉のイメージからして何か形になっていくみたいなイメージを抱きやすくって。
でも結構それにとらわれて疲れた時もあるなっていうのがあって。
でも同時にそれがうまくはまった時にやっぱり形に、わかりやすく形になるからすごく気持ちよさとか達成感みたいなのが生まれるなとも思うんだけど、
一方で今自分がどういう作るに一番近いところにいるかなっていうのを振り返った時に、
自分という人がいて、相手、誰か、他者という人がいた時に、
そのまんまの自分、相手もそのまんまみたいな時に、
場が生まれる時、場ができたっていう時に作ってるみたいに感じる。
面白い。
なんかそれはセッション、例えば一対一のセッションだったとしても、
割と仕事的な打ち合わせの場とかだったりしても、
あ、なんか今ちゃんと回ってる場がみたいな時に作ってる感じがあるのかもと思った。
面白い。それを作るって捉えるの面白いですね。
これは石橋ちゃんのこの株にすごい感謝で、今までそう捉えてなかったんだけど、
でもなんか私にとっての今一番すごく近くにある作るって何だろうって思った時に、
それだなって思った。作ってるなって思ったね。
なんかなるべく自分のまんまでいようとして何か操作するでもなく、
自分のまんまでいた時に何か相手もそこで開いてくれたりして、
そこで何かこう会話だったり会話じゃなかったとしても何か交換してたり、
でそれが複数人いると何かそういう交換みたいな化学反応がどんどん起きてるみたいな時に、
なんかすごく気持ちよさを感じるし。
逆に今何でまたそれを作ると感じたかっていうと、作るがなくなると私弱っていくわけよ。
前回の話にもつながるんだけど、例えば一人の時間でもちろん何か考えたり内省したりしてやったりしてるんだけど、
その時に作るからどんどんかけ離れていくとものすごいエネルギーダウンしていくっていうことにも今気がついた。
何かしらその作るがあるとちゃんと何か作るが多分自分の生きると直結してるからちゃんと動けるというか。
で多分自分の今のこの生き方の中で大きく何か占めてる作るはそれなんだけど、
でもそれをずっとできるわけでもないからそうじゃなかった時にこの前何か自分で久しぶりに何かちゃんと料理しようと思って結構凝った料理を作ってる時も結構元気になったよね。
そうそうそう。だからそれもちゃんと自分の手で作ってるみたいなのが一人でもできたから結構元気になったんだなとかって今思い出してた。
面白いですね。何かその作るって私がもともと出したものより別にアウトプットに比重は置かれてないというか。
自分がそのようであることその状態であることにかつそこにアウトプットがあるのかそれが外に出すってよりは場とか食べるものとか。
そこで満たされるみたいな感覚。
だからその時に何かすごい言葉にするのが難しいんだけど相手との間に何か本当にこう何か心が終わって開くようなもしくは温かくなるような瞬間が生まれてると何か作れてるって思うんだと思うんだけどね。
でもそれはその場では自覚してなくて終わってから振り返った時とかに今日何か作れてたなみたいなそういう感じになってる気がするんだよね。
面白い。
なんか場を作るっていう感覚があれだね。自分らしく入れられてる状態だからこそめちゃくちゃ苦なく作るって言えるし。
かつそれが何か他者も関わってるみたいなのが面白いなと思っていてね。
そこに他者が関わってることも含めて何かすごい幸せだなって思う感じがあるんですかね。
そうそうそうそうそう。
確かになんかおもろいな。
なぜかというと自分が今さっき作るって言った時は本当に自分の感覚かつアウトプットを出すっていう一旦自分に完結してる状態で色々イメージをしちゃったんですけど
その先にも何かもしかしたらあるのかもしれないなとかっていうのがアリさんの話聞いてめっちゃ思って。
なんかその私も自分で完結する作るってもっとできたらいいなとかって思って
それこそさ、絵描いたりとか声出してみたりとか楽器触ってみたりとかっていうのも一種の作るだよなって思うんだけど
でも私の場合はその時に何かこう他者の目がそこに開在してる感じが何かあるような気持ちが大きくなってきちゃったってことも多分あるんだと思うの。
で、それがなくなってそれも自分の中だからこういうもの作れるって言う風になる時もこれから来るのかもしれないけど
でもなんか今々は何か違うなぁと感じてって思ったね。
面白いですね。
アシュとか作るに対する他者の目とか他者の開在ってさどういう位置づけなんだろう?
そうですね、めっちゃあって。
ある種動画作って世に発信して再生数として出るってその表層的な作るの人柱だなみたいな感覚もあって
作るという行為が絶えず外部と接続されてるみたいな感覚がある。
私は結構一人で何かを作るということが苦手かもしれないですね。
一人完結してたことだよね。
歌を歌うとか非常に難しい。