1. おおきなかぶは抜けるのか?
  2. #113 自分の深掘り方について..
#113 自分の深掘り方について聞きたい件
2026-05-23 1:05:50

#113 自分の深掘り方について聞きたい件

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前回の収録後、3人がそのまま話し込んでいたことから生まれた今回のかぶ。


人に「光を当てる」コミュニケーションって、本当に相手のためになっているのか? 優しさや性善説のメガネを通して人を見ることは、実はその人の光を信じきれていないことの裏返しではないか? 


自分の信じるストーリーと事実を混同すると、相手のことも自分のことも、本当には見えなくなっていく。真に自分や相手を深掘るとはどういうことか、なぜ必要なのか___。


幅広い方に聞いていただきたい、ディープな回になりました。

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年齢も性別も環境も異なるちょっと不思議な関係の3人が、日常で起きた些細な悩みや出来事、つまり「おおきなかぶ」をそれぞれの視点から深堀り紐解く番組です。


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ゆるくてあたたかいコミュニティ「おおきなかぶ農場」も是非覗いてみてください🎵⬇️

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▼石橋

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2001年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。フリーランスとしてインフルエンサーの活動と企画の仕事をしています。MOROHAと西加奈子さんと仏教が大好きで、みんながBIG LOVEマインドとたのしみを持って生きられる世界をつくるのが夢。


▼たいき

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1999年生まれ。早稲田大商学部卒業後、日系企業で働き始めた新人社会人。高校時代は春日部共栄高校の野球部、現在は軟式社会人野球、東京ヴェルディ・バンバータの投手として在籍しながら、仕事、野球、勉学、生き方に向き合っています。


▼あいり

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石橋、たいきとは一回り以上年齢が離れている人。雑誌編集者として約20年活動し、独立。言葉を通して自分らしさを見つける対話型セッション、”孤高のヒーローインタビュー”の活動のほか、企画、プロデュースのお仕事をしてます。

感想

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サマリー

今回の「おおきなかぶ」では、「自分の深掘り方について聞きたい件」というテーマで、MCの3人が自身の内面と向き合い、自己理解を深める方法について語り合いました。特に、大輝さんが自身の「優しさ」や「性善説」に基づいたコミュニケーションスタイルが、相手を本当に理解することに繋がっているのか、それとも自分の作り出したストーリーに相手を当てはめているだけなのかという疑問を投げかけました。石橋さんは、勝ち負けにこだわる自身の深層心理に「名前を見てもらえるのが嬉しかった」という幼少期の体験が繋がっていることを発見し、大輝さんの「光を当てる」というアプローチが、時に相手を自分の解釈の枠に押し込めてしまう可能性について議論しました。番組では、人は皆、自分なりのストーリーや意味付けを通して世界を認識していること、そしてそのストーリーが人生を豊かにする一方で、事実や素材を見えなくしてしまう危険性についても触れました。最終的に、自分自身のストーリーをメタ認知し、事実とストーリーを区別しながら、他者との真の対話を目指すことの重要性が語られました。

幼少期の夢とその深層心理
始まりました。おおきなかぶは抜けるのか。この番組は日常で起きた一人では消化できない些細な悩みや出来事をおおきなかぶとして、ちょっと不思議な関係の3人がうんとこしょどこいしょと引っ張って見登ったキャスト番組です。お送りするのは石橋と
大輝と
愛理です。よろしくお願いします。
みんなちっちゃい時の夢は何でしたか?
インディアンになること
インディアン?
特殊
特殊やな
なんで?
あのね、明確に覚えてるんだけど、これインディアンって今ちょっと半分差別用語みたいになっちゃってるからあんまり言えないんだけど、ちっちゃい時はインディアンって認識してて、幼稚園大嫌いだったんだけど、唯一、唯一楽しかった記憶が、夜の催しで、なんか幼稚園に泊まって、遠いところからインディアンの人たちが来てくださいましたって言って、みんなで大きな、なんだっけ、キャンプファイヤー?
したの。で、もう本当に暗闇の中で肌が真っ黒い、もう半裸な人たちがたくさん来て、で、もう寄生とか言ってあげながら踊ったのね、輪になって。もうそれがこれだって思って、で、インディアンになりたいっていう夢ができたの。
すごいイベントやな、どういうこと?
で、その前からでもピーターパンでもインディアンの部族が出てきて、ピーターパンと絡むシーンがあるんだけど、それ見ててもすごく自分の中では印象的で、で、わーって思ったんだけど、後日インディアンが不敬だったっていうのを知って。
エセインディアンが。
でも真っ黒に塗ってるから。
本気です。
全然、もちろんちっちゃいし、完全にインディアンだと思ってて、でもその火を囲んで、真っ黒な火だけ見て、もう本当に気勢上げて、大声出して踊るっていうのが、これだったみたいな。
でも不思議なことに、その、だから30年後ぐらい、35年後ぐらいに、私は実際アメリカのセミノール民族っていう、まあ言ってみればインディアンの人たちに会って、私の人生変わるから、だから、まあなんかご縁があったんだよね。
へー。
っていうね。
面白い。
深掘りたくなったけど、大輝さんは何でしたか?
僕もプライケーション選手でした。
その頃から?
うん、3歳。
まじ?
早。
早。
はい。疑わなかったですね。プライケーション選手になりたいとかじゃなくて、なるっていう頃だと思ってましたね。
すごい。
なってるしね。
なってないですよ、なってないですよ。
プライケーション選手にはなれてないんで。
野球は続けてる。
野球。
まあ野球。
私なんか、あゆりさんのその、もう縄文とかともなんか関係ありそうな、その根源的に。
そうなんだよ。
面白い。
不思議だよね。
ずっと小さい頃の記憶とかって結びついてるんだなって。
自己分析の難しさと「自分の深掘り方」
なんでかっていうと、前回話した、自責を辞めたら楽になった件を聞いていただくと分かるんですけど、深掘って深掘って、まだ分かってないところがあるんじゃないか、私の中に。
何かがいるみたいな話だと思ったんですけど。
それで、なんか承認欲求みたいな。
なんだろう、目立ちたいみたいな気持ちがあるなって思うんですけど。
私の小っちゃい時の、まあいろいろコロコロ変わってるんですけど、一番最初の夢は、その選挙カーに乗ってる政治家の人が自分の名前を言ってるのがずるいって思ったという。
特殊すぎるね。
で、そいつがでも今もいる気がするの。
ちょっとダサいと思って隠してたけど、なんか、でかい声でなんか言いたいみたいな気持ちがあるから。
みんなどうなのかなと思ったら、めっちゃその今、色濃く出てますね。
それぞれ出てる。
めっちゃ面白い。
出てる。
絶対どっかにあるもんね。
思ったより色濃くて面白かったけど、それぞれ。
だから、私も多分インディアになりたいって、様子を見て言ってるだけだから、それを紐解いていくと、もう大きな火に近い状態でいれる人たちなんだとかさ。
あとワーキャーするとかも非言語で。
そうそう、非言語で。
一緒に共鳴する。
そう、共鳴できるんだとか。
自由に輪になって、反乱になってもいいんだとかさ。
そういうところに価値を感じてインディアになりたいって言ってるだけだからね。
意外とある、すでに。
そうそうそうそう。
面白いですね。
ではまずはじめに。
ちょっと待ったー。
新しい。
止められた。
新しいよ。100回超えて。
新しい展開だよ。
このモードの私だって。
前回、さっき言ったね。
自責を辞めたら悪になった件で、自分の中にまだ分からないところがあるんじゃないかみたいな話をしてましたね。
で、その収録後、我々はまずお腹が減りすぎて、そこに出たら、
ポッドキャストバーにいるんですけど、そこにいた初対面の方が、腹減りでウロウロしてる我々。
カレーが売り切れててね、見ず知らずの我々にお土産を恵んでくださり、
ありがとうと大声で叫び、バクバク食べ。
で、バクバク食べて、食べながら話してたことが何かというと、
私もそういう負けず嫌いな部分も解像度低くそのままであったし、
大輝も大輝で、私に対するコメントから伺うに、
生前説じゃないですけど、なんか綺麗にまとめようとするところがあるよねっていうのを長老からプスプスいただき、
という流れで。
アイリーさんが言ってくださる、こうってことはこうじゃないかみたいな思考の仕方を、
社会的に学んでたんだよね、二人とバクバク食いながら。
難しいけどね、本当に。
だからもうこれを喋ったらいいじゃんと思うんだよ。
そうだわ。
私は。
なので、自分の深掘り方について聞きたい件を話したいんですけど。
ありがとうございます。
話そう。
ありがとうございます。
話そう。
かつこれ本当に、特に若い、みんななのかな?
すっごい意味があると思う。
だって、周りの就活した子の話とか聞いてると、やっぱり企業に向けて自己分析を基本するから、
やりたいことを本当にきれいにフォーマットにはめようとするけど、
それってどんどんずれていく。
めっちゃ知りたいと思うし、
しかも多分大人になればなるほど、役職とか、外的お金とか、いろんなのにひも付けて、
じゃあ自分はこうしたいんだ。月に100万あればいいんだ、みたいな深掘り方になっていくから、
あらためて内面と向き合うみたいなのを、
そわゆりさんがさっき教えてくれたやつが、すごい、なるほどって感じだったんで、
考えたいなと。
どうでしょうか。
「優しさ」と「性善説」のジレンマ
ちょっと待ったまわりですよ。
私は、面白いなって思ってるけれども、
どうなっていくか本当に見えないからね、今日話しながらね。
実際霊王だし、一番不安そうなのが大気で。
もうさ、不安なんだよね。
これさ、すごくいいんだ。
不安に感じるときって、自分のまだ見えてないところに触れそうな予感があるから不安でしょ。
だから、すごくそれっていい傾向だなって思うんだけども。
そもそも、深掘るかつ、なんだろうな、
この思考法じゃダメなのか、あえて見ないことをすることによって、
何が悪いのかっていうそもそも論にもやもやしてます。
最高!
僕の場合は、人を優しいだったり生前勢に立ったってことを問題的にされてますけど、
そうやって思い込んじゃったほうが、僕的には世界がすごいプラスになって、キラキラ見えるようになる。
かつ、それでプラスなフィードバックがたくさんあったから、
なんでこれを変えなくてはいけないのかっていうところ。
最高!
最高!
かんかんかんかんかんかんかんかん
シャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャ
わかる!確かに本当じゃないかもしれないけど、
この世の中には本当のことがあるのかどうかっていう。
それはすべて意味の構築の仕方の問題であって、
そこに人は介入できるのかとか、それが客観的に正しいって何で言えるのかっていうのが、
分からなくてもやむやしてます。
ぶつかるってことで。
やってこーやってこー
顔がやっぱ違った。
おかしいあんた!
モジモジしてさ、
でも私も、これやりたいって思ってガガガガって横目たら、
モジモジしてるから邪魔くねーみたいにさ、
大丈夫?心配か?ごめんねっていう気持ちに。
ごめんね水に突っ走っちゃって。
でもそう考えると、なんか見せたくない部分もあるんでしょうね僕もね。
なんかよく見せるとか言ってるけど、やっぱ人ってあるんだろうな。僕も多分ある気がする。
どうします?深掘るとしたら、サンプルは私は何でも言っていいと思っているが、多分私はそもそも論の話をするってなると。
あのー。
あ、でもじゃあ逆に分かんない。バッシーもあれだけど、僕のあれは本当にあると思う。優しく整然してみちゃってみたいな。
逆に認知が歪み、なんかそうじゃないんだよね、みたいな受け取り方をされることもたくさんあるけど、極論僕分からないと思ってるというか、人の気持ちが。
人のことが分かんないから、僕はプラスに捉えてた方が物事うまく進むんじゃないかなって思っちゃってるから。
そこです。
はい。そこが分からないんですけど。
それは使ってこう。
なんか分かりやすいと思う。全然いいっす。何でも話しますけど。
本当に?不安じゃない?
大丈夫。僕大丈夫。
面白い。結構確信な気がする。
そうだよね。これ、なんか要はシンプルに言うなら、優しいって思ってるだけで別に損ないじゃん。いいことじゃんっていうことだよね。
おっしゃる通り。
簡単に言うとね。
損ないし、逆に言うと、なんかプラスになってる部分とかが、フィードバックで結構人生の中で多くあって、僕はこれデフォルトになっちゃったって感じかな。
じゃあ仮にさっきも石橋ちゃんをすごく優しい、前回聞いていただければ分かるけれども、石橋ちゃんが自分の中で、石橋ちゃんが使った言葉として勝ち負けにこだわっていてっていうところがあったけれども、石橋ちゃんは別に人を任したいと思ってる人じゃない。優しいじゃんっていうところ。
競争もいいことだし、そのプロセスはいいことだし、根本は私はそうじゃないという感じでしたね。
しかし優しい、石橋ちゃんは優しい人として、大輝くんの中では認識しようとしていたよね。
そうですね。
っていう中で、大輝くんが得てるものは何?石橋ちゃんを優しい人として見ることで。
確かに得てる、得てない。何だろう。前向きな状態になるというか。
大輝くんが?
いや、この関係性というか、なんか違う当て方をするみたいなイメージ。光を当て方をするみたいな。こういう見方もあるよっていう部分のページをデフォルトでいろんな人にやってるから。
もうなんか、自分にとって当たり前の、だからその行為はこういう意味もあるんじゃないの。だから、だと思うっていうよりは、そういう見方もあるんじゃないのっていう、何だろうな。提案、提示に近いというか。
面白い。じゃあ優しいということが明るさなのか?
バッシー。
だから、1個の事象があって、両面で見るみたいな話に通じると思うんですけど、それがすごい悪いものだと思ってるけど、でも実はプラスな意味もあるんじゃないのっていう光の当てるっていう行為をコミュニケーションの中でしようって意識をしているかもしれない。
その時の光がとても限られてるんだな。大木くんの光の当て方の光。それが、でも大木くんに言ってもらった方がいいね。光ってどういう風に捉えてる?光を当てるって。
でも、その人が気づいてないであろう、でもまあ、僕の価値観の中でのプラスなことかな、やっぱり。
っていうことだよね。
僕の価値観の中でのプラスなこと。
僕が純粋に素敵だなって思うこと。
っていうのが、石橋ちゃんの場合だったら優しいだったよね。
優しい。
あの場だとね。
とにかく善意というか、プラスな意味の、僕が感じるプラスな意味、素敵だなって思うところの意味というか価値を転換して伝えてるっていう感覚。
伝えてる、でも、あのまあ、どっちかというともうさ、伝えてるだけじゃなくて、いやこうじゃないっていう感じだったじゃない。
石橋ちゃんは優しいとこあるじゃん、優しい人じゃんっていうのを、
まあ確かに。
提案というよりは、もうそうでしょみたいな。
そうそうそうそう。もうだから、自分のその光を当ててる状態に何とかはめたいっていう感じだったと思うんだけれども。
でも実際、まあ、伝えてるだったとしても、じゃあ体育にとってはその優しいとするということが光を当ててる状態でポジティブな状態だと思っている。
だから要は相手がネガティブな状態でポジティブな状態にしたいと思ってそれを言ってるよね。
うーん、確かに。うんうん。
で、体育の中での明るさっていうのは、ちょっともう一回復習になっちゃうけれども、の価値観っていうのは優しさであったりとか、ポジティブな状態、体育にとってポジティブな状態っていうことだよね。
で、まあ、今日のテーマに戻るとその優しさとか性善説っていうところを持ってちゃいけないのかっていう話だけれども。
で、石橋ちゃんの話に戻る。で、石橋ちゃんの場合はさっきは勝ち負けにこだわってるっていうところの話だった。
で、そこに対して優しさっていう言葉がタイ君が来たわけだけども、ひも解いていくと勝ち負けにこだわっていたけれども、
でも、勝ったときに、まあさっき小テストの例が出たけど、100点を取れたときに他者比較で勝ったような感じがしたって言ってたけど、
それをひも解いていくとテストで100点取れると名前が貼られるんです。その名前を見てもらえるのが嬉しかったっていう石橋ちゃんが出てきた。
単純に勝ち負けで人を任すっていうところじゃなくて、より深い部分の石橋ちゃんが出てきた。
で、なったときに名前が貼られることに嬉しさを感じてる石橋ちゃんと単純に優しい石橋ちゃんってさ、かなり乖離してない。
ただ僕はそれが正解っていうよりは、そこに固定、勝ち負けイコール相手を任すとかっていうその負のイメージから一旦引き剥がそうと反対の意見を出してるだけで、
それが石橋ちゃんであるっていうのを確定それでそうだろうって押し付けてるわけでは全くなくて、脱高築のあくまで営みとしてそういう言動をしていて、
で、それによって違う意味があるのかもしれないって言って、別にそれを受け取るか受け取らないか石橋ちゃん次第で、そうじゃない、違う意味があるっていう可能性がある。
発生した瞬間にあれじゃあ違う意味があるんじゃないか探り出すってその思考がスタートする。その脱高築のするために僕はいるっていう感覚。
でもその脱高築させたいときに基本ベースとして優しさとか一般的にポジティブな考え方であるかどうかっていうのを結構大事にしてるよね。
それは確かに。
っていうところがすごくポイントだと思う。で、脱高築するだけだったらじゃあきっかけとして出して相手からいろんな例が出てくるじゃない。
じゃあこういう幅があるんだ人のあり方としてっていうのを知っていくことができると思うんだけれども。
でも大輝くんから出てくる脱高築の仕方としてはやっぱり人に対していやでも優しいじゃん。
人を任すことないじゃんっていうところの人がいい状態であるっていうのを何とかそれを明るさとして見せようとしてるってやり方だと思う。
確かに。
だから大輝くんは人がそうであるっていうことを信じたいんだよね。
確かに確かに。
というように感じる。
まさに信じたいですね。
でも一方でそれを信じたいっていうことはその人のポジティブさを信じたいっていうことは逆に言うとある意味信じられてないっていうことでもある。
ストーリーと事実の境界線
なるほど。
つまりはさ優しさとかポジティブさとかが根底にある。
極端に言うと私は根底にもあると思ってる人は。
だからわざわざそれを当てる必要もないと思ってる。
だけど大輝くんはどこかで信じきれていないからそこを何とか人を通して当てようとしてる。
やばいこれ絶対恋愛だ。
やばいこれは絶対そうだ。
崩壊。
やばいこれ絶対そうだ。
だからもう過去に家庭環境めちゃくちゃ悪すぎる子とかと付き合うことがめっちゃ多くて。
だから信じてないというか。
逆に言うとそういう人は逆に伝えないと全然無理だから。
その時は何とか伝えることで良くなっていたという。
良くなってるというかデフォルトで認知の構造的にネガティブな思考回路になっちゃってる部分をどうにかしてこじ開けたいっていう思考錯誤をめちゃくちゃした経験が多分6年くらいあるから。
かな。
だから信じてないっていうのは確かにあるかもしれない。
光を当てているようでわりと北風伝うような北風側な感じがしますよね。
逆に言うと優しいんだよっていうのは優しくないっていうことを言ってるようなものだからね。
私がそれを受け取った時は強烈に反発したい気持ちが結構あって。
分かんないけど大輝さんなりにやってくれてることはすごくわかる。
ベースの善意とか優しさみたいなのがすごい伝わるからという前提の上で言うけど結構大輝さんの解釈の箱に押し込められる感じがした。
で嫌だっていう自分が出てくることが結構あります実は。
大好きだし友達だし本当にその前提の上で言うけど。
それが大輝さんの信念ゆえなんだろうなっていうのも伝わるし。
そこをそうじゃないと何とかそう見ないと自分の信念が壊れちゃいそうな部分があるんだと思うの。
人が優しいポジティブであるっていうことを信じないとね。
恋愛なんですか?
いや分かんない。
めっちゃきついと思うな。
どこかでそこを光と言っているっていうことはそうなのよ。
例えば石橋ちゃんの例で言うならば石橋ちゃんにとって例えば仮に本当に光を当てるとするならば
もう勝ち負けのところに本当に立って
なんで勝ちたいんだろうっていうところを見続けるみたいなことが光なんだよね。
なるほど。
同じ目線に立って同じ方向に。
そうそうそうそう。
まさにそれが大輝くんが2回ぐらい前に話してたそれが思いやりでもあると思う。
思いやるっていうのは相手を思うことであるから。
これ厳しいフィードバックができない問題とかにも肝ついてますよね。
本当に相手に大事なことっていうところを責められない。
っていうことになってくる。
優しさとか性善説っていうところがやっぱりかなり肝だと思うから
そこをちょっと今日はもうちょっとそこに集中しながら肝解いていきたいんだけれども。
優しさっていうものが本当にいいのかっていうところだよ。
本当は思いやりを持って接したいって感じているのにもかかわらず
じゃあ石橋ちゃんとのそのさっきの話で言うならば
石橋ちゃんと同じ土俵に立って話はできてないよね。
っていうところで大輝くんが本当にやりたい世界からちょっと脱してしまっている。
なんなら大輝くんらしくないことをしてるよね。
そこの自分が信じる光。
かつその光はかなり限られている。
優しさと人はいいはずだという。
でもいいというのも何を持っていいかっていうところがかなりかなり狭いんじゃないかと思う。
特にその優しいっていうのはわかりやすい表現ではあるよね。
かつそこのかなり絞られた条件でその光を定義しているっていうことは
そこが光と信じ続けなきゃいけない自分っていうのがいるっていうことだね。
そうすると何が起きるかっていうと
つまりもう光というものは自分自身と本当に向き合うということではなくて
それが本人にとっては辛かったとしてもね。
じゃなくてあなたはいい人だよ。
絶対いい人。優しいよって言い続けることがいいとしちゃうと
大工はその光を与え続けなきゃって思ってるから
逆に言うと
さっきみたいに恋愛でちょっと半分崩壊してたけれども
その優しさがないような人であったりとか
要はそのいい人だよって言い続けられる人を求めちゃうよね。
その光がはまる人を求める。
っていうふうに現実が変わっちゃう。
そういうふうに現実を作り出してしまう。
確かにな。
光を当てるっていうことはそれが闇だと言ってるってことだからね。
自分は光を今当てたい。
でも相手は闇であると認めているということになっちゃうから。
確かに。
ネガティブな感情になんだなっていうところを闇と捉えるとそうですね。
だからそこがポイント。
勝ち負けも
さっきの石橋ちゃんの例で言うなら
勝ち負けはネガティブな感情なのかっていうこと。
そこがすごく大輝くん的なストーリーがすごく入って
物事を捉えてるんじゃないか。
だからそこをなるべく自分が作り出したストーリーが
ストーリーがそこに混ざっていないかっていうのを見ていくっていうのが
すごく重要だと。
特にネガティブっていう風に感じる
きっかけ、フック、トリガーみたいなものが結構あるんじゃないかと思うのね。
それを見ていってもいいと思うんだけど。
だって勝ち負け実際悪くないって言ってたじゃない?
だけど光を当てたいって思ってるわけだから
何か勝ち負けにネガティブなものを感じてるわけよ。
ネガティブなことを察知したって感覚が強いかもしれないね。
それは大輝くんのストーリーが発動してるわけ。
どこに感じたんだと思う?
ネガティブなストーリーをどこで感じたんだろうか。
勝ち負けの話を聞いた時に。
純粋に僕がって言うよりは
バッシーがそこに対するきつさがあったのかなっていうところを察知した。
そこがすごい多分さらにポイントで
きつさがあった時に
大輝くんは相手がきつそうって思った時に
そこにネガティブなものを何か感じる。
そうすると自分のポジティブさ
それが光として
いい人だよ優しいよとかっていうところを当ててあげようとする。
でもきついって感じてる時って
相手が何かしら感じて自分でもがいてる時だから
それこそその子にそこを存分に体験させる必要が本当はある。
それは本人しかできない。
でもそこを味わわせる前に
いやもうこっちこっちこっちのポジティブな方来た方がいい。
っていう感じで緊急避難させてるような感じ。
長い目で見るとってことですよね。
長い目で見ると
本人にとってのことをしてないっていう。
目先の苦しみを逃れるかわかんないけど
本当に応急処置してるぐらいな。
かつそれは応急処置ではないわけだよね。
なぜなら自分の中にはめてるわけだから。
だから一旦その応急処置のはめ方問題はちょっと一旦置いておきつつも
自分の光を当てなきゃいけないってなった時の
自分のその多分とっさに反応してると思うんだけど
そこがなんでそこまで反応してしまうのか
でもおそらくすごくネガティブな感情と
自分のなんか過去のいろんな物語ストーリーとかを組み合わせて
それはきついはずだっていうのを
何か勝手に大輝くんのストーリーにしちゃってると思うんだけど
じゃなくて
今ただ相手はその勝ち負けのこと記憶を思い出して
ただ今ギュッとなってるだけだなとかっていうのをただ見る。
むしろそれを一緒に感じてあげることが何なら本当は応急処置ではあるよね。
そうかどういうふうにきつかったのとかさ。
なぜならきついと感じることは決してネガティブなことではないから。
そっから気づきが絶対にあるからね。
なぜなら感じきらないとポジティブにも反転できない。
なるほど。
確かに。
言葉を変えると真に相手を観察するじゃないですけど
相手と同じ目線に立つっていう
もちろんポジティブな方向づけっていうのは大輝さんの人生にとってもいいし
もちろん私もいいことだと思うけど
さっき有里さんが言ってたのと近いけど
根底にそれはあるものだと捉えるならば
それをわざわざ自分が光として提示するっていうよりは
その相手の奥底の光を見ながら
相手をじっと見てなんでみたいな
興味を持つじゃないけど
みたいな転換の仕方なのかな。
人を真に信じるっていうことだね。
自己のストーリーと他者への影響
人を真に信じてたのならば
生前説も出てこないね。
そうあるべきみたいな
感情もないフラットな女でなる。
優しいからとか
いい人だからとかって言う必要さえない。
もともと別にそうで人は。
で、今何か出来事があったりして
今揺さぶられているだけであるから。
かつそれはそれぞれの人生の旅路の中で
それぞれの中で起きていることであるから。
そこに関与することはできない。
一緒に味わうこと、見ることはできるかもしれないけれども
無理やりその道から剥がすこともできない。
他人はね。
だから大輝くんの中で
その光を当てたいっていうのは
そうなのよ。
ある意味その人に今光がないというのを
認めてしまっていることになる
もっと言うと大輝くんが
その人の光を信じきれていないとも言える。
確かに。
でもこれは
もう散々これだけ接してきて
大輝くんの根からの明るさだったり
優しい人が人を思う気持ちだったりとか
っていうのが分かった上で言っている。
でもどこかで何か
何か信じきれない部分があるんじゃないか。
そういう人をね。
人が持っている根っこの部分。
かつ
苦しんでいる姿みたいなところを
苦しみと捉えたときに
そこを
そこさえ信じて
あげた方がいい。
本人にとっては楽だと思うんだけれども
でもその苦しみも超えられると
信じきれていないっていうのもある。
確かに。
何だろうな。
対他人になるとそうなっちゃいますね。
確かに。
だから一番最初の大輝くんの
それって何か
このまんまでも別に困ることないじゃないですか
っていう問いに答えるならば
もちろんその優しさとかで見ていけば
そういうふうに優しく捉えてくれるんだとか
優しい人だねって認識してくれたりするけれども
でも一方で
こういうふうに今の石橋ちゃんと大輝くんの
この冒頭の話であったみたいに
もう自分のフォーマットで
人を見てしまうから
本当の本当の相手の部分っていうのと
向き合えない状態で終わってしまう。
要は自分の囲いの中で常に人を
見てるっていう状態だから
真に相手と向き合えないよね。
確かにな。
でもそれは多分大輝くんが
きっと求めてることではないから
人とすごく向き合いたい人じゃない?
すごく向き合ってるとも思うの。
だから唯一というかそこが
何かあるっていう感じだよね。
石橋ちゃんね。
はい、思います。
何でだろうね。
多分最初からじゃないと思うんだ。
何かきっかけがあったと思うんだけど
絶対に優しいって思わないと
耐えきれない時があったんだと思うんだけどね。
優しいという設定というかな。
根っからそうと思うんではなくて
いや人は優しい。
優しいはず。
気づいてないだけっていう風な
設定をやり方というかな。
それを今すぐ出さなくてもいいかもしれないけれども
その設定を続けるか
でも何かもしかしたら自分で無理矢理何か
作り出した設定で
いい部分もあったけど
何か取りこぼしてるものもあるかもって感じるのであれば
ちょっとそこを置いて
見てもいいのかなという気はするね。
確かに。
ただ見るっていうことかな。
ネガティブかポジティブか明るいくらい
っていうことではなくてね。
確かにですね。
何がその人にとって本当なのかってところを
考え続けるべきだな。
そもそもそこが
解像度が低かった気がするし。
でね、何が相手の本当かなんて分かんないよ。
他人は。
だからそれよりも
自分が
これすっごい難しいけど
自分が言ったことをやってることに
もう自分のストーリーが乗ってないかっていうところかな。
見ていくとしたら。
事実とストーリーのバランス
だから例えば私が
すごいさっきも気をつけて発言したんだけど
明るい大輝くんとかって
例えば私は仮に言ったとして
それは私が
大輝くんを明るいって思ってるっていうストーリーが乗ってるわけよ。
だから話の中でついちゃうときはあるけれども
私の主観としてね。
でもその時に
本当は何をもって明るいと感じたかっていう事実があるわけじゃない。
でもその事実抜きに
自分で感じたことだけ言っていくと
それがストーリーになってっちゃうわけよ。
事実から離れていくわけ。
そうすると
もう本当主観と主観でぶつかり合って
同じ言語を話していても
何かこう噛み合わなかったり
それぞれのフィルターで見てる状態になってるから
本当に真の意味で対話ができなくなっていく。
だから例えば
明るいもさ
私が明るいと感じた
大輝くんはね
明るいと感じた理由も
事実だけ
もうストーリーではなくて
事実だけ
なるべく抽出しようとするならば
どんな時にも
自分の言葉で
自分の思いがちゃんと乗り切ってるかっていうことを
大輝くんは自分に集中して喋る。
自分が話す時に
ちょっと今例ができらないんだけど
印象じゃなくて
その人がちゃんとやっている事実だけ見ていくみたいなことか。
行為を。
そうそう行為を見ていく。
でもどうしてもこの社会の中で
物語だらけだから
ストーリーだらけだからさ
優しそうな人、怖そうな人とかもストーリーだし
人の主観が入ってる時点でね。
だから
もうそれが癖になってくんだけど
ストーリーはもう癖づいてますね。
間違いなく。
ちょっとやっぱ
中学高校ぐらいの時とかには
人に見られすぎて
新聞とかにも乗りすぎて
かな。
ちょっと
そういう部分が
デフォルトになっている部分があるっていうところ
かつ
ストーリーによって
自分の人生って
すごい
彩りのあるものにもなるというか
結局人ってストーリーでしかないのかなっていう部分もあって
そこを引き剥がして
考えていくことももちろん大事だけど
結局は人って自分の人生に
意味付けをつけて
生きていくしかない。
それを他者に押しつけるっていうのは
絶対違うと思うんだけど
事実はストーリーによって
自分の人生を
ブーストさせていくみたいなところは
そういう考えもあるんじゃないかなっていうのは
率直に思ってるから
ストーリー
まさにブーストって言ったじゃない
ブーストなの
スパイスなの
意味付けっていうのは
軸ではないの
本体ではない
ストーリーだからね
演出だから
だから
ストーリーによって
自分のやる気を
向上させることもできるし
逆にモチベーションを下げることもできるし
いかようにもそれは自分でできる
だけど
その角の部分を
見ていくときに
ストーリーとセットで見ていったら
要はスパイス含めて見ているようなもんだから
素材の味が分からなくなるみたいな感じ
めっちゃ分かりやすい
それって
本当に難しいことじゃないですか
難しいね
普通に
どの学校でも教わらないし
めっちゃ難しいですよね
難しい
だからこそ知る意味があるというか
私は
やっぱりこの大きな株は
やっぱりずっとその
もちろん
ストーリーをどういう風に作っていくか
っていう話も会によってはしてると思う
けれど
その素材をどうやって見ていくか
っていう話をずっとしてると思う
いや
確かに
抜き合うべきというか
そうですね
そうなのよ
本当にその
本当の素材
事実だけを見ていくっていうことって
むしろそこから
いかに引き離して
ストーリーで人を動かすかっていうことしかない
ぐらいのこの世界だから
ものすごい
意識してやっていかないと
本当に難しいと思う
でも本当に他者の
視点に立っちゃうと
そこから人が見てるのって
基本意味
ストーリーじゃないですか
ってやった時に
なんだろうな
どうしてもそのニキじゃなくて
ストーリー返上になってしまう
事実なんだろうな
すごい負担がかかるし
疲れるし
時間に対する
リターンとかもちょっと分からない
とかってなった時に
難しい
でも
そこ見てないといけないな
っていう気持ちも分かるから
この事実も
自己理解と自己受容への道
極端に他者
視点、他者起点になっている
っていうところの表れなのかなと思う
それを考えすぎているからこそ
本当にストーリーの中で考える
っていうことを
息吐くようにしている気がする
そうだね
本当におっしゃる通りで
基本的に
ストーリー中心で
回ってる世界だからね
その中で
事実だけ、素材だけを
見ていくってきついよ
事実僕が多分そうかも
僕がストーリーを
出してるか知らないんですけど
ストーリーだけで評価されることがあって
基本的に誰からも
理解されてないと思っちゃってる
実は
孤独だったりするし誰も
分かってくれないし
本当に何を見てるのか
っていうのは変な話
自分がパフォーマンスしてるから
見られたように見られてるから
目的叶ってるはずなんだけど
本当に自分のことを理解してくれる人って
いないなとか
思ってるから諦めて
じゃあ意味の世界で生きていこう
みたいなところがあるかも
諦めてるかもそういう意味で
それに対して
虚しさも感じなくなっちゃったし
前提人は虚構の中で
生きているんだなっていう
本当に諦めて
この世界、本世、現世は
虚構の中で生きている
だったら
世の中
僕が思うポジティブな
世界で
あふれてると
少なくとも
僕が見てる世界は
すごい楽しくなって
死ねるんじゃないか
とか思ってるかも
思ってるかも
明らかに僕が
ストーリーっていうところに向き合いすぎてる
デフォルトで人のことを
盛り上げるとかできます
こういうストーリー付けの順番で
提示すれば絶対人が
引き込まれる
ってことが理解
っていうか息吐くようにしてて
自分の話をするとき
どの順番で
どう自分を落として
それを上げていくとか
あとは完全張枠じゃないけど
そういう多分いろいろストーリーの
型があると思うんだけど
そこを
息を吐くようにできている
で、たまに現れる
本質をえぐるような人は
天敵だとみなして
自分の人生から退ける
っていうことを
私が脱落する
違うの
本当に天敵と認識するんです
天敵
小動物みたいな
人が来たみたいな
ピュアだね
でも
その通りだと思っていて
そう
正直そう
僕のことを完全に理解している人はこの世に誰もいないのかな
って親でさえ思っている
で、人は認識
すごい歪むし
っていう部分で
思ってる
かつそれをでも無意識に
自分もやってるというか
でもそれを別に悪度も持ってなくて
そういうもんだしみたいな
別に僕がいくら頑張っても無理だって
諦めもあっちゃったりして
逆に言うと人を理解することをやめてたのかもしれないですね
これ自由だからね
自分がどう生きるか
だからストーリーの中だけで生きていってもいいし
正直
素材を見ながら
ストーリー抜きで見ていくのは
しんどいよ
しんどい
そしてとても
孤独でもあるね
その道は
だけど
でもそこに立ったときに
本当に
初めて
感じられる
他者の
意味であったりね
なるほどね
世界の見方があるね
うん
だし
ストーリーのまんまで
よかったら
まあ大輝くんにもこの質問を
投げかけてないわけで
まあ石橋ちゃんも
私も
ストーリーを完全に手放してはいないが
でも本質を
見ていこうぜ
っていう
きつい道を
選んでいる仲間ではあるから
僕はストーリーというか
深掘りの重要性と今後の展望
そういう
意味付けは
本質だと思ってたんだけど
俺はあくまで社会構造の話であって
僕は本質だと思ってたことを
社会構造はこうである
社会の動きとか力学はこうであるってことを
純粋に本質と勘違いした
に過ぎないっていう感覚かもしれない
うん
事実でも
ストーリーで人は大衆というか動いてしまう
なんかその力学
しかもそれよりお金が動く
もちろんそうよ
もちろんそうよ
そういう構造
そういう制度なんだなっていうのを
たぶんすっごい理解して
いやをなく理解させられて
生きてきた感覚があって
そうなったね
でもその上でどう?
そのままずっと
何十年も生きていきたい?
いや
見つめなくちゃいけない
ですね
難しい
難しい問題だな
あのね全部なくそうと
しなくていいよ
本当にこの世はストーリーだし
だって
自分で
ストーリーの中にいて楽しんでる時とか
私もあるよ
全部をとにかく捨てるではなくて
でも
その時にあくまで
自分の素材は
ここである
として見ながら
スパイス浴びたりして
たまにストーリーの中で楽しんだりして
でまた自分のところに戻っていく
っていうようなことでいいんだと思うの
全然捨てる必要ないし
でストーリーの中でしかいない人たちとの会話で
時に苦しいこともあるかもしれないけど
でもなんかまあ
それも楽しんでみるってこともあっても
いいかもしれないし
そうですよね
なんかでもストーリーが全て嘘っていう感覚もないんですよ
なんでなら
自分というこの体だったりとか
このバックグラウンド
によって
このストーリーが生まれてるっていう
本当にオリジナルのものであって
それはいわゆる作品みたいな感覚
だから結構誇らしい
作品
アウトプット
な感覚があるから
やめるとかそういう話じゃないんですけど
でもやっぱそういう
本当に
思考癖というか
そういう物事の認知の仕方の
癖があるんだなっていうのを
メタ認知して
いやなんか
改めてそう
でも会ったのは気づいてたんですよ
僕はもうそういう傾向のある人間だって気づいてたけど
でも事実なんか
それで見つめてなかったというか
すごいポイントだと思う
自分の
ストーリーを作ることで
自分がいい思いをしてきた部分もあるし
実際
ストーリーによって
自分が努力できたりとか
した部分があるから
そこを完全に否定できない
そこをまた
否定しなきゃいけないのかも
って思うと
そもそもストーリーから脱することも
結構きつくなったりするから
全然あっていいのそれは
さっきみたいにスパイスブーストしてくれる
役割だから
だけどそこが単純に
そこだけそれがメインになっていくと
あくまで
素材じゃなくて
ストーリーだから
もともとの味付けじゃないところに
いっぱい足していくとさ
素材の味わかんなくなっていっちゃうじゃん
みたいな
柔軟さがなくなっていくの
だから肩にはめて人を見ようとしたり
こういうパターンだみたいな
そうそう社会はこうであるとか
こうですみたいな
構造
受け入れられなくもなっていく
とかその自分のストーリーの中に
人をはめようとして見てしまうこともある
そうするとすごく
自分の世界が狭まっていくよね
おっしゃる通りですね
事実でもその
全然あると思うし
あるし
するしされるし
本当根源的なものだな
隙間を取っていくものですね
スタンスのあれだな
話になっちゃうな
そういう選択をしてるからこういう風な
思考という習慣になってると思うんだよね
その根本見つめないと
ここは
でもすごくそこで
大工の場合は
とてもわかりやすい基準になるのは
大木くんとやっぱりすごい
体感覚がものすごく正直なの
体って
嘘つけないから
大木くんってすごくあるじゃない
その香りとか感覚とかね
その触覚とかもね
味覚とかもあるかもしれないけれど
だから色々振り返ったりした時に
さっきみたいに
何にも考えずに自分ができちゃった
行っちゃったみたいな時とかは
体が勝手に動いてくれてるわけじゃない
それはもうストーリー抜きの話だよね
とかめちゃくちゃこれ気持ちよかった
とかもストーリー抜きの話だし
本当にね
ガッといきたいみたいなね
そうそうそうそう
だからそういうところをなるべく
まずちょっと見ていってあげたりすると
これは
頭で作ったストーリー抜きに
これ自分だなみたいな
っていうのを
それも
数回前のエピソードともつながるけれども
そういう自分を認めていく
みたいなことだと思う
めちゃくちゃ面白い
他人から評価
自分は絶対されないっていう
理解されないっていうのもたぶん根本があっちゃって
ってなったら
誰からも理解されない自分を別に理解する必要ないんじゃないか
ってなって
本当の自分とかを考える
癖を
今度は原理的に考えるというか
目の前の機会にとって
必要だったら考えるとか
ぐらいのはなってるけども
本当の強度で考え抜いていくっていうところは
やっぱできてない気がする
でもその根本は
やっぱ人
そうだな
自分のことを理解してもらった
って思った経験がない
のかも
諦めてるのかもしれないですね
この世界に
世界に
そういうもんだと
納得しきっちゃって
それに適応しちゃってる
カスタマイズされて生きてます
多分純能力とか
めちゃくちゃ高いんですよね
僕の性格的に
すぐ環境が変わると
最初きついけど純能してっちゃう
そこにPDCAめっちゃ回しちゃうから
環境ってすごく大事なんですけど
そういう状況だからこそ
高校の時に
めっちゃ取り上げられたんですよ
新聞で
周りの大人たちの期待
記者が書きたいもの
その記者は
全国の人の大衆の目を見て
一番部数を発行できる
タイトルとか内容にするから
結構あることないこと
プラスな面でめっちゃ書かれて
美化されて書かれて
僕の相談
こんなに
ストーリーって綺麗になるんだとか
これでこんなに騒がれるというか
逆に言うとこの記事で
本当のこと
事実は本当なんだが
見せる見せないっていう部分の
主催選択がすごい上手くて
ストーリー作り
それによって
こんなに全国の人って
反応変わるんだっていうのも
目の当たりにしちゃって
悪い気分はしなかったんですけど
こういうもんなんだ社会は
ってなっちゃって
そこから
それがすごい強烈だったのかもしれなくて
正直言うと
人は別に
自分が出してることで理解してるから
みたいな
出してること出さないことも
こっちのした選択の度合いだし
自己開示する部分しない部分も
こっちの選択肢があるし
その出すことによって
人は判断しちゃうからこそ
本当の自分を理解する人は
誰もいないっていう
そういう感覚かも
本当の自分を出さないから
誰にも理解してもらえない
っていうのもすごく
その負の巡回になっちゃうよね
そうすると
そのまま信じてもらえない
自分を知らない
だからそのストーリーの中で
生き続けるっていう風になってしまうよね
でもそこで
本当の自分を掴んで
本当の自分を出してみたら
変わってく世界が
あるかもしれないよね
ありがとう
今の大輝さんが
その
めっちゃ新聞とかで
言われてた時の大輝さんを
見たら
何を言いますか
うーん
そうだな
不の感情ではないな
なんか世の中こういうもんだよ
っていうすごいシビアな
シニカルな
意外に冷めた
ことを言うかもしれない
そういう意味で他人に
期待してるようで
期待してなくて
この世界を信じてるようで
信じてなくて
めちゃくちゃ気持ち悪い
って感覚だな
っていうことが見えましたね
だからこそまだ
うん
いやーでも事実そうなんだよな
すっごい不思議な感覚です
うん
うん
意外というか
すごい
冷めてるのかもしれないね
わかんない
うん
だったらなおさらあれかもね
ちゃんとフラットに見れる
ソジューがあるかもしれない
ちゃんと本質を
うん
ストーリーに傾倒してるわけじゃなくて
どっかでめちゃくちゃメタ認知してて
そうだって
ストーリー作りで本気になってる
ってわけじゃなくてちょっとどっかで
俯瞰してるというか
ここを出したら人はこうやって感じるだろうな
とかを
デフォルトで考えているレトリックをね
考えている
部分もあったりとかして
うん
でもねそれが
そこまで全部意識的にやってない感じもするから
もうかなり染み込んじゃったよね
そのテクニックが
デフォルトで
出すからこそ
スピード
なんか話せば別に言葉は上手くないんだけど
もうなんか
人をこうパッと
引きつけることをできる
そういう自覚がある
なんかちょっと今ね見たら
時間がすごい過ぎちゃってたから
あのあれだけど
おすすめしたいのは
事実だけ書く日記をやってみてもいいかもしれない
解釈じゃなくて感情とか
感想
感情も抜き
もう見えたものだけ
この
例えば机
例えば机で
こういう色の机
ここのガラス
コップどれくらい入ってるかとか
感情を載せない
見えたものだけ
本当に観察日記みたいな感じ
っていうのを
やってみてもいいかもしれないね
何にも載せない
むしろそれ例えば読み返して
あの感情とか
ストーリーが
もう多分無意識で入れたくなっちゃうと思うから
それが入ってるかどうかを
自分で検索したりしてみてもいいか
逆にその入っていることを
とてもせいだと思っていたというか
それによって人生の彩りが
フェールからイコール豊かになる
っていう風に思って
いたというかいる
まだその気持ちが変わらないので
だからそこの
もちろんそれが彩りなんだけど
彩りだからね
まあそっか
角じゃないですね
プラスのものだよね
でもその角を見ていったときに
もしかしたら自分が彩りとか
物語と思っていたものじゃない
本当の感覚が出てくるかもしれないよね
例えば
青くて美しいと感じる自分がいるみたいな
めちゃくちゃストーリーじゃない
でも空の青
とかも
じゃあこういう青だったとか
っていうのを書いていたときに
この青美しくないかも
みたいな
じゃあなんで美しいって感じでないのかな
とかさ
そこのフォーマットにはめていくと
自分の気持ちにも気づけなくなっていくから
実は
だからとにかく
とにかく
自分で添削していく
でも基本
それは仲間よ
この
そうね
それぞれきっと
言葉にしきれてない
それぞれのつらい道のりがあるよ
この素材を見ていくときに
だからそれぞれ
大変だし共有できないつらさもある
けど
そこをでも
やってるんだなって思うとさ
確かに
行こうかね
ここでお知らせです
ぜひお気軽に農場へ遊びに来てください
あなたの株の種お待ちしてます
今日の株
どうだった?
いやちょっとこれ
本当に放送したくない
でも出します
っていうのは
これ根源だと思います
なんで深掘りをしなくちゃいけないのかって
そもそも
分かってない人もたくさんいるからこそ
必要性を感じないから
人間ってやらないはずなので
だし
うまくもいかないはずで
その目的を考えていく
っていう部分では
とてもいい
きっと僕だけじゃないはずだな
って信じて
出したいですね
ちなみに
その辺の穴に入りたかったです
たくさん
あと普通に申し訳ないっていう気持ちがたくさんあって
何かっていうと
僕善意でやってるのに
それが回り回って
人を傷つけたりとか
してる可能性が出てきたっていうのが
ちょっと悲しいですよね
でも
確かに本当のことしかないので
それを引き受ける強さというものがありますよね
今後の人生絶対ポジティブになるじゃん
大輝さんの言葉で言うなら
より自分にも
解像度を上げていくことで
フックアップしていくみたいな
ポジティブにしていくみたいなのは
病でできる
確かにそうだね
その関連
筋トレみたいな
心の筋トレ的な
感じ
確かに
衝撃ですよね
はい
今回は
締めようかね
ありがとうございました
では次回も
一緒に大きなカバンを抜きましょう
またね
01:05:50

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