なんでかっていうと、前回話した、自責を辞めたら楽になった件を聞いていただくと分かるんですけど、深掘って深掘って、まだ分かってないところがあるんじゃないか、私の中に。
何かがいるみたいな話だと思ったんですけど。
それで、なんか承認欲求みたいな。
なんだろう、目立ちたいみたいな気持ちがあるなって思うんですけど。
私の小っちゃい時の、まあいろいろコロコロ変わってるんですけど、一番最初の夢は、その選挙カーに乗ってる政治家の人が自分の名前を言ってるのがずるいって思ったという。
特殊すぎるね。
で、そいつがでも今もいる気がするの。
ちょっとダサいと思って隠してたけど、なんか、でかい声でなんか言いたいみたいな気持ちがあるから。
みんなどうなのかなと思ったら、めっちゃその今、色濃く出てますね。
それぞれ出てる。
めっちゃ面白い。
出てる。
絶対どっかにあるもんね。
思ったより色濃くて面白かったけど、それぞれ。
だから、私も多分インディアになりたいって、様子を見て言ってるだけだから、それを紐解いていくと、もう大きな火に近い状態でいれる人たちなんだとかさ。
あとワーキャーするとかも非言語で。
そうそう、非言語で。
一緒に共鳴する。
そう、共鳴できるんだとか。
自由に輪になって、反乱になってもいいんだとかさ。
そういうところに価値を感じてインディアになりたいって言ってるだけだからね。
意外とある、すでに。
そうそうそうそう。
面白いですね。
ではまずはじめに。
ちょっと待ったー。
新しい。
止められた。
新しいよ。100回超えて。
新しい展開だよ。
このモードの私だって。
前回、さっき言ったね。
自責を辞めたら悪になった件で、自分の中にまだ分からないところがあるんじゃないかみたいな話をしてましたね。
で、その収録後、我々はまずお腹が減りすぎて、そこに出たら、
ポッドキャストバーにいるんですけど、そこにいた初対面の方が、腹減りでウロウロしてる我々。
カレーが売り切れててね、見ず知らずの我々にお土産を恵んでくださり、
ありがとうと大声で叫び、バクバク食べ。
で、バクバク食べて、食べながら話してたことが何かというと、
私もそういう負けず嫌いな部分も解像度低くそのままであったし、
大輝も大輝で、私に対するコメントから伺うに、
生前説じゃないですけど、なんか綺麗にまとめようとするところがあるよねっていうのを長老からプスプスいただき、
という流れで。
アイリーさんが言ってくださる、こうってことはこうじゃないかみたいな思考の仕方を、
社会的に学んでたんだよね、二人とバクバク食いながら。
難しいけどね、本当に。
だからもうこれを喋ったらいいじゃんと思うんだよ。
そうだわ。
私は。
なので、自分の深掘り方について聞きたい件を話したいんですけど。
ありがとうございます。
話そう。
ありがとうございます。
話そう。
かつこれ本当に、特に若い、みんななのかな?
すっごい意味があると思う。
だって、周りの就活した子の話とか聞いてると、やっぱり企業に向けて自己分析を基本するから、
やりたいことを本当にきれいにフォーマットにはめようとするけど、
それってどんどんずれていく。
めっちゃ知りたいと思うし、
しかも多分大人になればなるほど、役職とか、外的お金とか、いろんなのにひも付けて、
じゃあ自分はこうしたいんだ。月に100万あればいいんだ、みたいな深掘り方になっていくから、
あらためて内面と向き合うみたいなのを、
そわゆりさんがさっき教えてくれたやつが、すごい、なるほどって感じだったんで、
考えたいなと。
どうでしょうか。
ちょっと待ったまわりですよ。
私は、面白いなって思ってるけれども、
どうなっていくか本当に見えないからね、今日話しながらね。
実際霊王だし、一番不安そうなのが大気で。
もうさ、不安なんだよね。
これさ、すごくいいんだ。
不安に感じるときって、自分のまだ見えてないところに触れそうな予感があるから不安でしょ。
だから、すごくそれっていい傾向だなって思うんだけども。
そもそも、深掘るかつ、なんだろうな、
この思考法じゃダメなのか、あえて見ないことをすることによって、
何が悪いのかっていうそもそも論にもやもやしてます。
最高!
僕の場合は、人を優しいだったり生前勢に立ったってことを問題的にされてますけど、
そうやって思い込んじゃったほうが、僕的には世界がすごいプラスになって、キラキラ見えるようになる。
かつ、それでプラスなフィードバックがたくさんあったから、
なんでこれを変えなくてはいけないのかっていうところ。
最高!
最高!
かんかんかんかんかんかんかんかん
シャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャ
わかる!確かに本当じゃないかもしれないけど、
この世の中には本当のことがあるのかどうかっていう。
それはすべて意味の構築の仕方の問題であって、
そこに人は介入できるのかとか、それが客観的に正しいって何で言えるのかっていうのが、
分からなくてもやむやしてます。
ぶつかるってことで。
やってこーやってこー
顔がやっぱ違った。
おかしいあんた!
モジモジしてさ、
でも私も、これやりたいって思ってガガガガって横目たら、
モジモジしてるから邪魔くねーみたいにさ、
大丈夫?心配か?ごめんねっていう気持ちに。
ごめんね水に突っ走っちゃって。
でもそう考えると、なんか見せたくない部分もあるんでしょうね僕もね。
なんかよく見せるとか言ってるけど、やっぱ人ってあるんだろうな。僕も多分ある気がする。
どうします?深掘るとしたら、サンプルは私は何でも言っていいと思っているが、多分私はそもそも論の話をするってなると。
あのー。
あ、でもじゃあ逆に分かんない。バッシーもあれだけど、僕のあれは本当にあると思う。優しく整然してみちゃってみたいな。
逆に認知が歪み、なんかそうじゃないんだよね、みたいな受け取り方をされることもたくさんあるけど、極論僕分からないと思ってるというか、人の気持ちが。
人のことが分かんないから、僕はプラスに捉えてた方が物事うまく進むんじゃないかなって思っちゃってるから。
そこです。
はい。そこが分からないんですけど。
それは使ってこう。
なんか分かりやすいと思う。全然いいっす。何でも話しますけど。
本当に?不安じゃない?
大丈夫。僕大丈夫。
面白い。結構確信な気がする。
そうだよね。これ、なんか要はシンプルに言うなら、優しいって思ってるだけで別に損ないじゃん。いいことじゃんっていうことだよね。
おっしゃる通り。
簡単に言うとね。
損ないし、逆に言うと、なんかプラスになってる部分とかが、フィードバックで結構人生の中で多くあって、僕はこれデフォルトになっちゃったって感じかな。
じゃあ仮にさっきも石橋ちゃんをすごく優しい、前回聞いていただければ分かるけれども、石橋ちゃんが自分の中で、石橋ちゃんが使った言葉として勝ち負けにこだわっていてっていうところがあったけれども、石橋ちゃんは別に人を任したいと思ってる人じゃない。優しいじゃんっていうところ。
競争もいいことだし、そのプロセスはいいことだし、根本は私はそうじゃないという感じでしたね。
しかし優しい、石橋ちゃんは優しい人として、大輝くんの中では認識しようとしていたよね。
そうですね。
っていう中で、大輝くんが得てるものは何?石橋ちゃんを優しい人として見ることで。
確かに得てる、得てない。何だろう。前向きな状態になるというか。
大輝くんが?
いや、この関係性というか、なんか違う当て方をするみたいなイメージ。光を当て方をするみたいな。こういう見方もあるよっていう部分のページをデフォルトでいろんな人にやってるから。
もうなんか、自分にとって当たり前の、だからその行為はこういう意味もあるんじゃないの。だから、だと思うっていうよりは、そういう見方もあるんじゃないのっていう、何だろうな。提案、提示に近いというか。
面白い。じゃあ優しいということが明るさなのか?
バッシー。
だから、1個の事象があって、両面で見るみたいな話に通じると思うんですけど、それがすごい悪いものだと思ってるけど、でも実はプラスな意味もあるんじゃないのっていう光の当てるっていう行為をコミュニケーションの中でしようって意識をしているかもしれない。
その時の光がとても限られてるんだな。大木くんの光の当て方の光。それが、でも大木くんに言ってもらった方がいいね。光ってどういう風に捉えてる?光を当てるって。
でも、その人が気づいてないであろう、でもまあ、僕の価値観の中でのプラスなことかな、やっぱり。
っていうことだよね。
僕の価値観の中でのプラスなこと。
僕が純粋に素敵だなって思うこと。
っていうのが、石橋ちゃんの場合だったら優しいだったよね。
優しい。
あの場だとね。
とにかく善意というか、プラスな意味の、僕が感じるプラスな意味、素敵だなって思うところの意味というか価値を転換して伝えてるっていう感覚。
伝えてる、でも、あのまあ、どっちかというともうさ、伝えてるだけじゃなくて、いやこうじゃないっていう感じだったじゃない。
石橋ちゃんは優しいとこあるじゃん、優しい人じゃんっていうのを、
まあ確かに。
提案というよりは、もうそうでしょみたいな。
そうそうそうそう。もうだから、自分のその光を当ててる状態に何とかはめたいっていう感じだったと思うんだけれども。
でも実際、まあ、伝えてるだったとしても、じゃあ体育にとってはその優しいとするということが光を当ててる状態でポジティブな状態だと思っている。
だから要は相手がネガティブな状態でポジティブな状態にしたいと思ってそれを言ってるよね。
うーん、確かに。うんうん。
で、体育の中での明るさっていうのは、ちょっともう一回復習になっちゃうけれども、の価値観っていうのは優しさであったりとか、ポジティブな状態、体育にとってポジティブな状態っていうことだよね。
で、まあ、今日のテーマに戻るとその優しさとか性善説っていうところを持ってちゃいけないのかっていう話だけれども。
で、石橋ちゃんの話に戻る。で、石橋ちゃんの場合はさっきは勝ち負けにこだわってるっていうところの話だった。
で、そこに対して優しさっていう言葉がタイ君が来たわけだけども、ひも解いていくと勝ち負けにこだわっていたけれども、
でも、勝ったときに、まあさっき小テストの例が出たけど、100点を取れたときに他者比較で勝ったような感じがしたって言ってたけど、
それをひも解いていくとテストで100点取れると名前が貼られるんです。その名前を見てもらえるのが嬉しかったっていう石橋ちゃんが出てきた。
単純に勝ち負けで人を任すっていうところじゃなくて、より深い部分の石橋ちゃんが出てきた。
で、なったときに名前が貼られることに嬉しさを感じてる石橋ちゃんと単純に優しい石橋ちゃんってさ、かなり乖離してない。
ただ僕はそれが正解っていうよりは、そこに固定、勝ち負けイコール相手を任すとかっていうその負のイメージから一旦引き剥がそうと反対の意見を出してるだけで、
それが石橋ちゃんであるっていうのを確定それでそうだろうって押し付けてるわけでは全くなくて、脱高築のあくまで営みとしてそういう言動をしていて、
で、それによって違う意味があるのかもしれないって言って、別にそれを受け取るか受け取らないか石橋ちゃん次第で、そうじゃない、違う意味があるっていう可能性がある。
発生した瞬間にあれじゃあ違う意味があるんじゃないか探り出すってその思考がスタートする。その脱高築のするために僕はいるっていう感覚。
でもその脱高築させたいときに基本ベースとして優しさとか一般的にポジティブな考え方であるかどうかっていうのを結構大事にしてるよね。
それは確かに。
っていうところがすごくポイントだと思う。で、脱高築するだけだったらじゃあきっかけとして出して相手からいろんな例が出てくるじゃない。
じゃあこういう幅があるんだ人のあり方としてっていうのを知っていくことができると思うんだけれども。
でも大輝くんから出てくる脱高築の仕方としてはやっぱり人に対していやでも優しいじゃん。
人を任すことないじゃんっていうところの人がいい状態であるっていうのを何とかそれを明るさとして見せようとしてるってやり方だと思う。
確かに。
だから大輝くんは人がそうであるっていうことを信じたいんだよね。
確かに確かに。
というように感じる。
まさに信じたいですね。
でも一方でそれを信じたいっていうことはその人のポジティブさを信じたいっていうことは逆に言うとある意味信じられてないっていうことでもある。
なるほど。
つまりはさ優しさとかポジティブさとかが根底にある。
極端に言うと私は根底にもあると思ってる人は。
だからわざわざそれを当てる必要もないと思ってる。
だけど大輝くんはどこかで信じきれていないからそこを何とか人を通して当てようとしてる。
やばいこれ絶対恋愛だ。
やばいこれは絶対そうだ。
崩壊。
やばいこれ絶対そうだ。
だからもう過去に家庭環境めちゃくちゃ悪すぎる子とかと付き合うことがめっちゃ多くて。
だから信じてないというか。
逆に言うとそういう人は逆に伝えないと全然無理だから。
その時は何とか伝えることで良くなっていたという。
良くなってるというかデフォルトで認知の構造的にネガティブな思考回路になっちゃってる部分をどうにかしてこじ開けたいっていう思考錯誤をめちゃくちゃした経験が多分6年くらいあるから。
かな。
だから信じてないっていうのは確かにあるかもしれない。
光を当てているようでわりと北風伝うような北風側な感じがしますよね。
逆に言うと優しいんだよっていうのは優しくないっていうことを言ってるようなものだからね。
私がそれを受け取った時は強烈に反発したい気持ちが結構あって。
分かんないけど大輝さんなりにやってくれてることはすごくわかる。
ベースの善意とか優しさみたいなのがすごい伝わるからという前提の上で言うけど結構大輝さんの解釈の箱に押し込められる感じがした。
で嫌だっていう自分が出てくることが結構あります実は。
大好きだし友達だし本当にその前提の上で言うけど。
それが大輝さんの信念ゆえなんだろうなっていうのも伝わるし。
そこをそうじゃないと何とかそう見ないと自分の信念が壊れちゃいそうな部分があるんだと思うの。
人が優しいポジティブであるっていうことを信じないとね。
恋愛なんですか?
いや分かんない。
めっちゃきついと思うな。
どこかでそこを光と言っているっていうことはそうなのよ。
例えば石橋ちゃんの例で言うならば石橋ちゃんにとって例えば仮に本当に光を当てるとするならば
もう勝ち負けのところに本当に立って
なんで勝ちたいんだろうっていうところを見続けるみたいなことが光なんだよね。
なるほど。
同じ目線に立って同じ方向に。
そうそうそうそう。
まさにそれが大輝くんが2回ぐらい前に話してたそれが思いやりでもあると思う。
思いやるっていうのは相手を思うことであるから。
これ厳しいフィードバックができない問題とかにも肝ついてますよね。
本当に相手に大事なことっていうところを責められない。
っていうことになってくる。
優しさとか性善説っていうところがやっぱりかなり肝だと思うから
そこをちょっと今日はもうちょっとそこに集中しながら肝解いていきたいんだけれども。
優しさっていうものが本当にいいのかっていうところだよ。
本当は思いやりを持って接したいって感じているのにもかかわらず
じゃあ石橋ちゃんとのそのさっきの話で言うならば
石橋ちゃんと同じ土俵に立って話はできてないよね。
っていうところで大輝くんが本当にやりたい世界からちょっと脱してしまっている。
なんなら大輝くんらしくないことをしてるよね。
そこの自分が信じる光。
かつその光はかなり限られている。
優しさと人はいいはずだという。
でもいいというのも何を持っていいかっていうところがかなりかなり狭いんじゃないかと思う。
特にその優しいっていうのはわかりやすい表現ではあるよね。
かつそこのかなり絞られた条件でその光を定義しているっていうことは
そこが光と信じ続けなきゃいけない自分っていうのがいるっていうことだね。
そうすると何が起きるかっていうと
つまりもう光というものは自分自身と本当に向き合うということではなくて
それが本人にとっては辛かったとしてもね。
じゃなくてあなたはいい人だよ。
絶対いい人。優しいよって言い続けることがいいとしちゃうと
大工はその光を与え続けなきゃって思ってるから
逆に言うと
さっきみたいに恋愛でちょっと半分崩壊してたけれども
その優しさがないような人であったりとか
要はそのいい人だよって言い続けられる人を求めちゃうよね。
その光がはまる人を求める。
っていうふうに現実が変わっちゃう。
そういうふうに現実を作り出してしまう。
確かにな。
光を当てるっていうことはそれが闇だと言ってるってことだからね。
自分は光を今当てたい。
でも相手は闇であると認めているということになっちゃうから。
確かに。
ネガティブな感情になんだなっていうところを闇と捉えるとそうですね。
だからそこがポイント。
勝ち負けも
さっきの石橋ちゃんの例で言うなら
勝ち負けはネガティブな感情なのかっていうこと。
そこがすごく大輝くん的なストーリーがすごく入って
物事を捉えてるんじゃないか。
だからそこをなるべく自分が作り出したストーリーが
ストーリーがそこに混ざっていないかっていうのを見ていくっていうのが
すごく重要だと。
特にネガティブっていう風に感じる
きっかけ、フック、トリガーみたいなものが結構あるんじゃないかと思うのね。
それを見ていってもいいと思うんだけど。
だって勝ち負け実際悪くないって言ってたじゃない?
だけど光を当てたいって思ってるわけだから
何か勝ち負けにネガティブなものを感じてるわけよ。
ネガティブなことを察知したって感覚が強いかもしれないね。
それは大輝くんのストーリーが発動してるわけ。
どこに感じたんだと思う?
ネガティブなストーリーをどこで感じたんだろうか。
勝ち負けの話を聞いた時に。
純粋に僕がって言うよりは
バッシーがそこに対するきつさがあったのかなっていうところを察知した。
そこがすごい多分さらにポイントで
きつさがあった時に
大輝くんは相手がきつそうって思った時に
そこにネガティブなものを何か感じる。
そうすると自分のポジティブさ
それが光として
いい人だよ優しいよとかっていうところを当ててあげようとする。
でもきついって感じてる時って
相手が何かしら感じて自分でもがいてる時だから
それこそその子にそこを存分に体験させる必要が本当はある。
それは本人しかできない。
でもそこを味わわせる前に
いやもうこっちこっちこっちのポジティブな方来た方がいい。
っていう感じで緊急避難させてるような感じ。
長い目で見るとってことですよね。
長い目で見ると
本人にとってのことをしてないっていう。
目先の苦しみを逃れるかわかんないけど
本当に応急処置してるぐらいな。
かつそれは応急処置ではないわけだよね。
なぜなら自分の中にはめてるわけだから。
だから一旦その応急処置のはめ方問題はちょっと一旦置いておきつつも
自分の光を当てなきゃいけないってなった時の
自分のその多分とっさに反応してると思うんだけど
そこがなんでそこまで反応してしまうのか
でもおそらくすごくネガティブな感情と
自分のなんか過去のいろんな物語ストーリーとかを組み合わせて
それはきついはずだっていうのを
何か勝手に大輝くんのストーリーにしちゃってると思うんだけど
じゃなくて
今ただ相手はその勝ち負けのこと記憶を思い出して
ただ今ギュッとなってるだけだなとかっていうのをただ見る。
むしろそれを一緒に感じてあげることが何なら本当は応急処置ではあるよね。
そうかどういうふうにきつかったのとかさ。
なぜならきついと感じることは決してネガティブなことではないから。
そっから気づきが絶対にあるからね。
なぜなら感じきらないとポジティブにも反転できない。
なるほど。
確かに。
言葉を変えると真に相手を観察するじゃないですけど
相手と同じ目線に立つっていう
もちろんポジティブな方向づけっていうのは大輝さんの人生にとってもいいし
もちろん私もいいことだと思うけど
さっき有里さんが言ってたのと近いけど
根底にそれはあるものだと捉えるならば
それをわざわざ自分が光として提示するっていうよりは
その相手の奥底の光を見ながら
相手をじっと見てなんでみたいな
興味を持つじゃないけど
みたいな転換の仕方なのかな。
人を真に信じるっていうことだね。