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7冊読んだら売りに行って、1冊買ってくるっていうのを何年か前から繰り返しています。
今日は本を15冊売ったんで、2冊買っていいってことにして、2冊買いました。
で、中古の新書を買うのが好きです。
新書コーナーに行って、新書じゃなくなった中古の新書を買うんですよ。
結構数年前に新書として出た論文みたいなのを読んで、全然違うなとか、そっちの方に行ってるなとかって思って、へーっていう感じでまたそれを売るっていう感じ。
今日はモノノ怪っていうアニメを映画館で見てきました。
ひねずみっていうタイトル、副タイトルのアニメです。
ネタバレになるので、ネタバレが嫌な人は聞かない方がいいです。
毎回内容が社会の祝図みたいな感じで、そこで出来上がった怨念を切るみたいな内容のことをテーマにしてるのかなっていう風に感じるアニメなのですが、
今回は中盤の方で組織の上の立場の老人が、俺がいなくなったらどうするんだって言ったら、中堅に当たる立場の人が上の代わりになるのはいくらでもいると。
大切なのはこれから生まれてくる子供たちだっていう風に一刀両断するシーンがありまして、大変心地の良いシーンでした。
君たちはどう生きるかっていうジブリの作品にもそういう描写がありました。
ゴールデンウィーク中に確か金曜ロードショーでやると思うので、興味がある人は見るといいかなと思うんですけど。
老人がずっと何世代にも渡って守ってきたやり方を若い世代の子供に、このやり方は必ずやらないといけない、それ以外はありえないっていうことを説くんですけど、
子供が僕は僕のやり方でやりたいって言って、今まで築いてきた均衡が崩れるみたいな描写があるんですよ。
宮崎駿がずっと自分で培ってきたアニメ界みたいな考え方を押し付けてるんじゃないかっていう風に自分で考えていて、
そうではなくて、正しくはこれから生まれてくる世代が新しい世界を築いていくことがアニメーション界の新しい自然になるんだみたいなことを言ってるのかなっていう風に私は感じました。
何年前だろう、映画館で見たから古覚えですが、そんな内容の映画だったと思います。
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私鳥が苦手で、君たちはどう生きるかやたら鳥が出てきます。
いろんな鳥が出てきて、みんな不気味に描かれています。
なのでちょっと鳥が苦手な人には苦手な映画になるかもしれませんが、
最近エッセンシャルラジオでコトリラジオっていうのを始めていらっしゃいまして、
コトリをテーマにコトリの良いところを紹介しています。
コトリを愛せなかった人たちにはひざまずいてもらいましょうみたいなコンセプトで、
私も大いにひざまずかせていただいているところがありまして、
上野博物館で先日行われていた鳥展っていうのにもおそるおそる行きまして、
鳥の偉大さを学び直したところがあります。
今名古屋博物館で確か6月までやってると思うので、
興味のある人は鳥展の方にも足を運んでみてください。
何の話してるんだっけ、もののけの話だったんですけど、
そもそももののけになる理由が何か、
人に対する恨みや怨念が形になってもののけになってしまって、
人に悪さをするというところなんですけれど、
今回のひねずみは、恨んでる相手が自分自身でありました。
本当に悔しく思っていて許せないのは自分のした行為のことであって、
自分の判断のことでした。
自分がこうしたことが悔しいというふうで、
自分自身を傷つける方向に最終的に行って、
自らを攻撃している。
それが人間にも災いしている。
それを起きる立場の主人公も、
優しさが呪いに変わることもありますというふうに冒頭に触れていて、
それが形になったもののけだったのかなというふうに思いました。
でも本人はそうするしかできなかったからそうした。
それが結果、悔しさに変わったり、
後悔に変わったりしてしまったんですが、
何回か前の番組の方でも触れましたが、
理不尽なことであるとか、
ぐるぐる何度も頭の中で思ってしまうようなことっていうのは、
そうするしかなかったからしたことだと思うんですよね。
であるし、それだけ思いが残るっていうのは、
自分の中で消化するのに時間がかかるほど、
それだけ大きな出来事だったっていうことだと思います。
そうするしかできなかったことだからしょうがなかったんだっていうふうに
受け入れることってすごく難しいことだと思っています。
なんでかっていうと、
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自分にはもっとできたはずだっていうふうに考えてしまうからです。
あそこでこうすることもできたはずだとか、
他の人ならこうできたのを私はできなかったんじゃないかとか、
もっとやり方があったんじゃないかっていうふうに考えるから、
だからぐるぐる考えるし、悔しいのかなと。
でまたエッセンシャルラジオの話になるんですが、
忘れられないような失敗談というのにも何度か触れられていて、
その中でブルースさんが一番悔しくて思いが残っていることに触れた上で、
それの考えとして、
自分の無力感にどうにも悔しい思いをしたことを忘れられないっていうふうに言っていました。
で私はその無力感っていう表現がすごいなぁと感心しました。
なぜならば、私はそこを無力感ではなくて、
罪悪感っていうふうに捉えるからです。
自分の過去について、
罪悪感は大いにあるんだけれど、
無力感っていうふうに受け入れるっていうことは、
自分ができないことを仕方がなかったことを受け入れた人だけがする表現だと思ったんですよ。
私は罪悪感が残っているっていうのは、
できたはずだ、こうできたはずだ、でもそれを私がしなかったっていうふうに、
自分はもっとできたはずだっていう前提があって、
無力ではないはずだって思いたいから、無力感っていう表現にはならなかったんですね。
私はそれに気づいて、
ブルースさんは何年か前の失敗談として触れていることに対して、
自分は精一杯やった上で無力であったっていうことを認めている、
自分で考えて認めているから、
無力感が悔しかったっていうことを忘れられないっていうふうに反省として話されているので、
これはすごく強い考え方だなと思いました。
今回、もののけというアニメを見ながら、
まさにそういう心の弱さを認めることがテーマになっていて、
消化しきれない思いが怨念という形でもののけに転化してしまって、
それを主人公がごめんって言って切るっていうところがクライマックスになる、
そういう毎回テーマのアニメなんですけど、
これは社会の中でいくらでもあり得ることで、
自分自身も消化しきれていない悔しさとか後悔とかがいくらでもあるんだけれど、
それが怨念化する前に自分の至らなかったところや、
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これは環境上しょうがなかったんだっていうところを認めたり受け入れたりすることで、
もう一歩前に進むっていう方向に行けるのかなっていうふうに考えました。
ずっとぐるぐる言うと、それが怨念っていう形になって、
悔しい、諦められないっていうふうにもののけになってしまうので、
そうするといつか人を謝ることになったり傷つけることになったりして、
それを切る立場の人にもごめんって言わせてしまうことになるのだから、
無力であったっていうことを認めることはすごく勇気のいることだけれども、
先に進むための一歩に必ず必要になる受け入れる考え方なんだなっていうふうに思いました。
じゃあ今日はこれでおしまいです。