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#60 不安に自分の人生を握らせない
2026-07-26 1:13:17

#60 不安に自分の人生を握らせない

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不安の種類っていろいろあるよね / 不安という感情は強い / ポジティブに転換する場合と追い詰められる場合/ 人生を不安という感情に握られたくない / 自分の外側で起きていることへの不安 / 自分の中で勝手に作り上げている不安/ どこまでが「本物の」不安?/ 内側にどんどん潜り込んで増えていく感情としての不安 / そもそも何が最初の不安だったのかわからない / 大きくなりすぎる手前でできること / 結局時間が解決するのを待つ / 一人暮らしと不安の悪循環 / 不安な自分が不安なまま書いている / 別の認識・別の考え方がポイント / 「相談の場」を設定するハードルの高さ / アドバイスを求めている前提がちょっと違う / 大人になって無くした「目的のない集いの場」/ 知らないけど繋がっている感覚 / あのさ、のサイトもふらっと立ち寄れる場所にしたいよね


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[収録日:2026年6月14日]


感想

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サマリー

このエピソードでは、不安という感情との向き合い方について掘り下げています。不安の種類は多岐にわたり、時には人生の選択を左右するほどの強い力を持つことが語られます。外的な要因による不安と、内的に作り出してしまう不安の区別が難しいこと、そして不安が大きくなりすぎる前にどう対処できるかについて考察します。特に、一人暮らしによる不安の悪循環や、他者との関わりを通じて不安を軽減する可能性、そして大人になって失われた「目的のない集いの場」の重要性についても触れています。最終的には、不安を抱える時に他者の視点を取り入れることの重要性が強調され、オンライン空間での新たなコミュニティ形成の可能性についても言及されています。

不安との向き合い方:テーマの導入
こんにちは、麦穂です。 りょうこです。
ポッドキャスト、あのさは、日常の些細なことから社会のこと、自分自身や人との関係性にまつわることなど、結論も解決策もないけど、そんなグレーな話をそのままに語っていこうという番組です。
はい、始まりました。 始まりました。今日も。
今日も。今日の収録は、前回からあんまり期間が空いていないから、めちゃくちゃ久しぶりっていう感じでもなく、むしろもう、この間やったばっかりっていう感じがする。
早い。
ねー、ねー、あっという間だった。
なんか、空いたからね、最初。まあ、この間の収録やるときまでが、2ヶ月多いぐらい空いてのだったから、本当にこの間はお互いめっちゃ久しぶりっていう感じだったけど。
ね、そう。
だから、久しぶりにいろいろ話せてよかったし、収録後もちょっとまた雑談したりとか、いろいろ緊急報告みたいのできてよかったっていう感じね。
ねー。
今日からちょっと、まあいつものテーマ、テーマごと、テーマ収録みたいなの戻る感じで、
今日は? りょうちゃん?
りょうちゃんの。
今日は、私が提案したテーマなんだけど、直近のテーマというよりかは、出したのも3ヶ月弱ぐらい前だし、
まあでもなんかその、時期限定のものっていうわけじゃなくて、割と常につきまとうものとしてテーマを出したのが、
なんか、不安の感情とどう付き合うのかっていうこと。
いろんな不安が日々あるなと思っていて、
なんかまあ世界情勢のこともそうだし、私だったら日本の社会の中のこともそうだし、
まあそれにもろ影響を受ける自分の日常の生活のいろんな不安もあるし、
今現在自分自身が置かれている状況そのものもあるし、
あとはなんかまあ去年今年とうちの実家にいるペットたちがちょっと病気がわかったりもして、
なんかそういう不安もあったりして、
なんか結構いろんな不安にこう、なんだろう、押しつぶされそうな時もあるし、
なんかこう不安の感情ってすごい強いものだなと思っていて、
なんか不安によって、まあポジティブな意味でいろんな何かをやり始めるきっかけになることもあるけど、
逆になんかこう不安で焦っていろんなことを追い詰められちゃって、
勝手に追い詰められちゃって、
なんかそれによって身動きが取れなくなったり、逆にいろんなものに手を出しすぎてしまったりとかして、
なんかその感情としてものすごい強いものだからこそ、
なんか自分自身で自分の人生のいろんな選択肢を選んでいるというよりかは、
やっぱり不安によって選ばされているみたいな側面も少なからずあって、
でまあそれを完全になしっていう風にするのはまあできないと思うけど、
でもなんか自分の人生の舵を不安という感情に取らせないには、
どうしたらいいんだろうっていうのをまあ3月ぐらいに考えていて、
まあなんかこうなんだろ、すっきりと解決してくれるものがあるとは思わないけど、
なんかどういう日常の小さな実践とかがそういう不安の感情をちょっと落ち着けたりとか、
あるいはなんかその不安によってこう動かされすぎないようにするにはどうしたらいいんかなみたいなのを考えてて、
まあそれをムーちゃんと一緒に考えられたらなと思ってテーマを出したっていう経緯です。
不安の正体:内なる創造と外なる現実
そうね、不安、なんか最初テーマ提案してくれた時なんかやっぱ不安めっちゃあるなと思った。
なんかその今リョウちゃんがいろいろ、まあそのリョウちゃん自身のこととかまあそれよりもまあ大きい世界情勢だったりとか、
まあそういう自分の生活よりも結構大きい場所にあるそういう不安だったりとか、
まあいろんなタイプとかいろんなスケール、いろんな形の不安みたいなのがあるよねっていうところで、
なんかそもそも不安って、なんかあってないようなものだなっていうのはすごい思って、
なんかあるんだけど、なんか同時にそれって自分が結構作り出してるみたいなところもあったりして、
まあ私は個人的にはそれすごい、なんか自分の中でいろいろ作り上げてる不安みたいなのもたくさんあるな、
自分自身のそういう、まあ今までのことを振り返ってみても思うから、なんかその不安って、なんかその自分の中から、
まあもちろんその外に、外で起こっていること、自分のまあそういう外側生活、まあ世界、社会で起こっていることに対しての不安っていうのも、
まあもちろんあるけど、なんか同時になんか自分の中でなくても、まあなくてもいいっていうわけではないけど、自分の中でこう作り出してる、なんかそのなかったのに、
そこにあることにしてしまっているもの、イコール不安みたいなのもすごいあるなと思って、なんかそこのなんか何、
境目というか、なんかそのどっちがその自分がただ作り上げてる不安で、なんかそのどこからがなんていうか、まあ本物って言ったらあれだけど、なんかほんと実際にまあその、
まあ目の前で今例えば起こっていることだったりとか、まあその今すぐその生活に直接的に関わっているようなことに対してのそういう不安っていうものだったりとか、
なんかその、そうね、なんかその辺の線引きみたいなのが、なんか私はすごく難しいなって個人的には思ってて、
だからなんかその不安っていうもの、まあそのことを考えたときに、なんかすごい実態のない、なんかなんかうまくつかめない感情みたいなのはすごく自分の中であって、でもなんかだからこそ、なんかその不安と向き合うっていう風に
なんか話したりとか思ったりしたときに、どのあたりが不安なのかみたいなのをまず自分の中で明確化するのが、なんかまず第一歩かなって私は結構、自分のそういう経験とかを振り返ると、
ああ、そういうのが、それが最初の一歩だなみたいなのが結構あって、そう、なんか不安ってめっちゃ難しくない?難しい私は、なんかそのこれが不安みたいなのを結構、なんていうの、特定するっていうか、
なんかすごいわかるし、なんか結構私も、なんか不安が暴走してるっていうか、なんか一つ、なんかまあ何かしらのまあ事象に対して不安の感情が湧き起こること自体は、まあ自然なんだけれども、
なんかそれがだんだん暴走し始めて、実際に最初感じた不安よりもどんどんどんどん大きくなったり、別の不安と組み合わさって、なんかすごい手に、自分じゃ手に負えないみたいな感じで、すごい大きくなっちゃうことが私もすごいよくあって、
で、なんかある程度自覚はしてるの、その自分自身の中で必要以上に不安に思いすぎてるなとか、なんかなんだろう、そこまで実際不安にならなくても、まあそのどういうものに対して不安を感じているかによるけど、
物によってはある時期を過ぎたらパタッと終わるものもあるだろうし、何らかのアクションを着実にやっていけば、なんかそこまで不安に思わなくても大丈夫になるものっていうのも多くあるっていう認識も一方でありつつ、
ただ感情ってそんなに自分でコントロールが完全にできるものではない?ある程度、いわゆるアンガーマネジメントみたいな感じで、なんかこうなんだろ、怒りそうになったとか怒鳴りそうになった、イライラしちゃうみたいな、それをぶつけそうになったってなったら、6秒待ってみるみたいな、なんかそういうなんか方法みたいなのよくあるじゃん。
だからなんかそういう感じである程度、なんかそれも怒りっていう感情をなくすっていう意味でのコントロールではなくて、あるにはあるけど、なんかそれを表に出さないためのコントロールみたいなものとしてあって、だからなんかそういう意味でのコントロールだったら、もちろんある程度はできるかもしれないけど、不安とかってなんかそれを外に表出するものってよりかは、
自分の内側にあって、いつの間にかなんかどんどんどんどん巨大化していくみたいなものだなと思ってて、なんかそれに対してコントロールできたら望ましいのかもしれないけど、なんかやっぱりさっき言ったみたいに一方でなんかそれが自分の癖だったり、なんか過剰に不安に思いすぎてるみたいな認識がありつつも、やっぱりなんか勝手にどんどん増殖していってしまう感情みたいなものもあって、
なんかなんかコントロールが効かない部分、なんか理性としてはわかるみたいな感覚がありつつ、感情面をそれ理性によってコントロールするっていうのもやっぱり難しいなと思ってて。
不安の増幅と悪循環:内への沈潜と時間の経過
そうね。なんか今リョウちゃん言ったのすごいなんかわかるって思ったのが、なんかその怒りとかって、今リョウちゃん言ったみたいに外に出すとかっていうのをある程度自分が、例えばそういうふうにちょっと深呼吸して待ってみるとかっていうことによって、それをある程度こう収めたりとか、
そこに乗っている何かをもうちょっと特定できたりとかってあるけど、なんかその不安ってうちにどんどんどんどん潜っていくような感じで増幅するから、なんかその自分の中にどんどん深く潜り込んでしまって、なんかそう沼りすぎてその不安に自分がはまり、そこから誰もその引っ張る術がないっていうかさ、
なんかその自分自身も何を、もうそこまで行ってしまうと自分自身も何がそもそも不安だったっけ、どこからスタートしたんだっけっていうところもわからなくなって、それで今そのハマってる不安っていうのがそもそも何なのかもあんまりわからなくなって、でもなんか本当にとにかくいろいろなことが不安で、
で、まあそのさっきリオちゃん言ったみたいにいろいろな不安がこうくっつくじゃん、いろいろな形でこう結びつきあって、なんか何の不安なのかもよくわからないみたいな形になる場合もあって、なんかそういうときにこう誰かにその不安を説明するとかっていうのもなんかめっちゃ難しかったりするから、なんかその不安に対しての、
例えばその外から誰かがこう手を伸ばそうとしたとしても、なんかその何に対して手を伸ばしているのか、何からそのなんていうのかな引き出そうとしてくれてるのかっていうのもあんまりこう外側からもわかりづらかったりとか、それを外に説明したり出しにくかったりするから、なんかめっちゃこう複雑というか、なんか本当さっき言ったみたいになんかつかめないし、なんか自分でもつかめないし、
なんか外から見ても、なんかそこまで不安が増幅してからだと、なんかこうどうそこから抜け出していいのかわからないみたいなのはすごくあるなと思ってて。
なんかそこ、そのステージに到達する手前、前にある程度何かできないだろうかみたいなのは考えるよね。なんかそこ、そのなんか結構不安が大きくなってしまったところまで行くと、なんか結構そこから抜け出すのって自分は個人的には難しかったりしたなっていうのはすごい経験としてあるから、
なんかその、そこに行く前に何かどうにかしたいみたいなのはあるかも。でもわかんない、それがどういうことをしたら、なんかそこに行く前に何かこうまあちょっと歯止めを聞かせることができるのかみたいのはちょっとわからないんだけど、なんかあったりする?りょうちゃんとか。
なんかやっぱりその大きくなっちゃうと本当に手に負えないっていうか、なんかそれによって体調を崩したりとかするから。
そうそうそうそう。
なんかやっぱそこまで行くと本当にやっぱり日常生活もしんどくなってくるし、でもなんか自分でもなんかそれをどうしたらいいのかがわかんない。
そもそも何に不安を感じて、なんか一番最初の最もその時点から見れば小さかったはずの不安がどこにあったのかも、もはや大きくなりすぎてわかんなくなったりとか。
でなんかもう本当に具合悪いみたいな状態だと、なんかそこから抜け出す思考を思考にこう移り変わっていくの自体がやっぱり難しくなってっちゃって、なんかどんどん悪循環のサイクルにハマるのがまあよくあって。
で、なんかでもそれそっから結局まあちょっと回復するっていうのが、私の場合には結局なんかもう時間がどうにかするしかないみたいな経験ばっかりで、なんか時間によってなんかある程度落ち着いてきたりとか。
あるいはそもそも期限が決まっているものに対する不安とかだったら、期限が終わればちょっと軽くなるから、なんかそれによってちょっと回復していくみたいなプロセスが私の場合はあったなとは思ってて。
時間に身を任せるというか。
そう、だけどなんか、それってでも結構かけっていうか、時間に。
保証ないもんね。
そう、神頼みじゃないけど、ほんと時間頼みみたいな感じで、なんか本当に時間の経過で良くなるものなのかも最初からはやっぱわからないし。
そうだよね。
だから本当にそういう風に大きくなって、自分の手に負えなくなる手前でどうにかできたら一番いいんだろうなとは思ってて。
一人暮らしと不安の連鎖:他者との関わりの必要性
なんか多分前々からというか、割となんかむーちゃんにも言ってるし、なんか他の友達にもぼやいてるんだけど、なんか私一人暮らしもういいやみたいな最近マインドになっていて、なんかそれももう一人暮らしもう10年以上になったんだけど、
なんかずっとやっぱり逆にその一人暮らしするまでが一人の時間がなかったから、なんか一人の時間があるっていうことによって救われた側面とかすごい励みっていうよりかは、なんか一人の時間があることによって安定した側面っていうのはすごいあったなと思ってるんだけど、
なんかやっぱ最近ここ3、4年とか、なんかやっぱりそのこの不安の感情との付き合いにおいて、なんか一人でいるとなんかどんどんシェアが狭くなっていっちゃって、なんかそれこそ最初はそんなになんか具合悪くなるほど不安にならなくていいようなことまでも、なんか一人でいるとなんかどんどん考えすぎちゃって、
で多分だんだんその自分の思考の癖みたいなのが多分あるから、なんかそれによってドツボにはまるじゃないけど、なんかどんどん毎回毎回似たようなプロセスを繰り返してるなと思ってて、
なんかちょっと不安に思うと、なんかそれがどんどん自分の中で肥大化してっちゃって、具合悪くなってしばらくうなだれて、時間の経過とともにちょっとずつ起き上がれるようになっていくみたいなことを繰り返してて、なんかそれがあんまり自分の中で良くないなと思っているんだけれども、
なんかさっきも言ったみたいに、認識の上では自分がこういう癖が多分あるんだろうなみたいなのを思ってても、感情の手に負えなさみたいなのがあって、なんかそれが一人でいるとやっぱ閉じられた空間にずっといて、
なんか私は日常的に会社に行って、いろんな人たち、まあ良いも悪いもいろんな人たちとの関わりがあってとかじゃないから、本当に文字通りずっと一人でいるみたいな感じの時間がすごい多くて、
なんかそうなるとすごいどんどん自分が勝手にこう螺旋階段を下っているみたいな状況になることがすごい増えてきたなと思ってて、でなんかそれこそ5月とかも多分ムーちゃんとLINEしながらそういう状態にもなってたんだけど、
なんかそれの時に、なんかちょっと母と連絡をたまたま別の用事で取った時に、なんか一個ほんと小さな不安を話したら、なんかゴワーってなんかいもずるしきに全部話して、でもなんかそしたらなんかそこまでなんか思わなくていいんじゃないみたいな、こういう言葉ではなかったんだけどニュアンス的にはなんか考えすぎてるみたいなことを言われて、
まあなんか母の性格的にも結構タフだし、割とこう、まあなんだろ、そんなに重く考えすぎないみたいな多分側面もあるから、なんかそういう感じでまあちょっと励まされ、でもなんかその励まされたことが良かったというよりかは、なんか自分の中で永遠にぐるぐるしていたものをなんか別の人に話して、
なんかそれをなんか自分の中だとこんなに大きく感じてたみたいなものが、いざ外に出してみたらこんな大きくはなくて手のひらサイズだったみたいな感じの、なんかこう受け止め方をちょっと違う人に受け止めてもらって、なんかその大きさのギャップを確認するみたいな作業をすることによって、
なんか自分の中ではめちゃくちゃ重くて大きかったものが、なんか別の人に提示してしたことによって、まあ自分も言語化して自分の外に吐き出しているから、なんかそれによってなんかすごい大きかったものがそこまでではなかったみたいな、なんか認識のなんか再確認みたいなものをやったことによって、なんか不安がちょっぴり減ったりとか、
なんか不安でパンパンになってた自分のこう、なんか心の中みたいなものにちょっと余白ができるみたいなのがあるなと思って、だからなんか別にその誰でもいいんだけど相手は、なんか自分ではない別の人に話すとか、
あるいはもう話せる状態じゃなかったら、なんか一緒にいてなんか別の話をするとかでも全然多分いいと思ってて、なんか要はなんか一人の空間になりすぎないことが多分不安がある状態の時はいいんだろうなっていうのが、
自分自身のなんかこれまでの経験を見ると、なんかそうなんだろうなっていうのを最近感じ始めている。
なんかその外に出し、まあその話すっていう行為はまあその外に、りょうちゃんのその心の外にそういうものを出すっていうことだけど、なんかやっぱりその誰かがいる外に出すとか、まあその違うことをするじゃないとやっぱり意味がないっていうわけではないけど、
なんかやっぱりその自分、まあ一人で例えばまあ関係ないこと、まあその不安に思っていることとは全然違うことをする、まあ一人でやるとか、あとは何、まあそれこそ文章に書き出すとか、まあそれって全部まあ一人で完結することだけど、なんかやっぱりでもそれだとやっぱりちょっと違うっていう感じ。
やっぱりその誰かとか人がいるみたいなところが結構ポイントだったりするのかな。
そうだね、なんかそれこそ紙に書いたりとかも、もちろん場合によっては私の場合はなんかそれでもちょっとすっきりみたいなこともあるけど、
なんかやっぱりその、なんだろう、出したものに対してどういうふうに別の人が受け取るかみたいなものを、なんかちゃんとその他の人の認識を自分が認識するみたいなのが私にとっては結構重要かもと思っていて、
っていうのもなんか自分の中でどんだけ吐き出してそれを可視化したところで、なんかそれに対する認識って自分を超えないっていうか、結局出したものに対してじゃあ自分がその出したものをこんなもんかって思えなかった場合、結局やっぱ出したとてやっぱりすごいそれに対して強い不安を感じてしまうってなった時に、
なんか自分がそうやって不安を感じてるから、その不安を感じる、感じない別の考え方みたいなのが自分の中からはやっぱり出てこないから、そういう意味でのなんか他者性が重要っていう感覚があって、
そうそうだからなんか別になんかその不安の内容を直接話さなくてもいいってさっき言ったけど、なんか多分その自分とは全く違う考え方に触れるとか、認識の仕方によってその自分の内側にちょっと風通しの穴を開けてもらうじゃないけど、
なんかそういうのがなんか私にとっては結構重要かもっていうのに、最近なんか気づき始めたっていう感じ、だからなんか一人で暮らしてるとやっぱりなんかなんて言うんだろう、友達とかに話すことももちろんあるんだけど、なんか話しますっていう感じで、
そうではね、それまでの過程でね、なんかもういろいろこう段階を踏まないと、でもその時点でいろいろこう何、プランじゃないけど、なんかこういう風にこれを話すとか、なんか自分の中である程度固めてしまうというか、
だからなんか、そもそも約束を取り付けるっていうこと自体が負担に思うこともあるわけで、だからこの人に話を聞いてほしいってなると、まず約束を取り付けるっていうのもそうだし、なんかその相談したいことがあるっていう前提になってしまうから、
なんかそれはそうなんだけど、その前提で会うと話さなきゃ話さなきゃみたいな感じになって、もちろんそういう場において、なんかちょっとすっきりしたかもっていうポジティブな後味を覚えることもあるけど、そこに至るまでがすごいハードルが高いなって感じちゃって、
逆になんか日常的にそういうわざわざ話すっていう状況を作らなくても、なんか会話が生じる状況があるとか、なんか存在を生活の空間の中に感じるレベルだと、なんかその、そのことについて話さなきゃっていう風にも多分ならないし、
まあなんかね、常にいるっていうことへのストレスはまた別の話としてあるかもしれないけど、なんかそういう自分が不安でこうわーってなっちゃってる時は、なんかまあ私の場合にはだけど、
そういう風に誰か別の人、自分ではない人がいて、なんかその人に話すとか、その人と別のなんか普通の会話をするみたいなことがなんか結構大事だなっていうのを思った。
他者性を取り入れる難しさ:相談のハードルと大人の集いの場
うん、そうね、確かになんかその違う、結局その文章で書いたとしてもさ、それ読むの不安な自分じゃん。だから全然、不安な自分が不安をめっちゃ書いてるのを不安なまま読んでっていうサイクルだから、結局なんかそのぐるぐる状態は変わらないというか、
まあなんかそれが可視化されたかどうか、形を持ってるかどうかみたいなのの違いで、結局そのそこになんか全く違う何かを持ってくるっていうことはなかなか一人でやるのは難しいから、確かにっていう感じ。
なんか本当に全然違う人の反応とか、まあ視点だったりとか、まあそれこそ本当に、なんかそういう時なんか本当人の話を聞くだけでも私は救われるというか、なんか本当にその全く違う世界とか、まあそういう生活をしている人の日常の話を聞くとかだと、
なんかもう本当にその自分だけとか、まあその自分の世界みたいなところから全く違う場所に自分を引っ張っていってくれて、まあそれによって、なんか自分では意識してなかったけど、まあその人の話を聞くことによって、自分の中でのまあそういう再認識だったりとか気づきみたいなののきっかけになったりする場合もあるから、なんかもう本当に必要だよね。
なんかそういう時になんか無理矢理でもいいから、なんか本当にもう本当に外からの何かをっていうのは結構、特にそういう不安が暴走してしまっている時とかは重要だなって今そう話聞いてて思ったし、私自身も結構、
まあ今はパートナーと2人で暮らしてるけど、まあそれまでもずっとそのシェアハウス的なところに住んでて、一人暮らしだから一人で完全に暮らすみたいなことはしたことなくて、ずっとそういうシェアハウス的な環境にいて、
やっぱそういうところで、まあもちろんその、まあ誰かと生活する、見知らぬ人たちと生活するっていうことへのストレスみたいなのもあるけど、なんか同時にこう自分と全く違う仕事をしている人とか、まあそういう違う、自分と全く違う業界でこう生活している人が、
本当に身近にいるって結構まあ大きいなっていうのはあって、まあそれまでは家族とだけ暮らしてたから、まあその家族っていうこう閉ざされた空間の中で自分の中でこうぐるぐる考え続けてしまうみたいなのも結構あって、
でもなんかそのシェアハウスをするようになって、本当にまあ私が住んでたときは、なんかその学校の先生してる子と、あとまあその大学院で研究してる人と、あとまあそのシェフ、まあ自分でなんかその何、ベーカリーみたいなのをやってる人と、まあその4人、私を含めて4人でシェアハウスをしてて、なんか本当にこの生活、日常生活のこうパターンとかも全然違うし、
それぞれがこう直面する問題とかも全然私とは違って、でもなんかそれが逆に、まあ本当それこそそれぞれがまあ夕飯作ってるときに、なんかその今日の話をするとかっていうところからも、なんか自分の中で、まあその自分の中の不安がなくなるわけではないんだけど、なんかそれに対しての見方みたいなのが、なんかちょっと違う見方をちょっとできるような、ちょっと角度を変えることができるとか、
ちょっとそのズームしすぎてたレンズをもうちょいちょっとズームアウトできるとか、なんかそういう感じの調節が聞きやすい、なんかそういうふうに周りにそういう人たちがいることによって、だからなんかやっぱりそういう他者性ってすごく重要だなって個人的にもすごく思うし、
なんかそういう、まあそういうものをでもどうやって、まあ私はたまたまそういうまあシェアハウスという環境があったからこそこう経験できたことではあるけど、なんかやっぱりその日本とか、まあそういうシェアハウス文化があんまりこうメジャーじゃない場所だったりとか、あとはまあそういう他者性的なものを求めるときに、なんかどういう形でそういうまあ場というか場とか、
状況、環境に出会うことができるんだろうみたいのもすごい難しいなって今話してて思って、そうね、なんかそのリョーちゃんさっき言ったみたいに、まあもちろんその友達とかとも話すみたいのもあるけど、なんか私もさっきちょっと言ったけど、なんかその、
その会うまでの時間に自分の中でこうある程度のシナリオじゃないけど、なんかどうやって話すかとか、なんかその自分の中で結構その不安自体に対しての何、なんかちょっとそれを編集して、こう話しやすい形にしてしまったりとか、でなんか実際その自分が話したかったまあそういう不安の複雑さとか、
なんかみたいなそういうニュアンスだったりをこう伝えるみたいなのが結構難しく、それがなんかこうなくなってしまうみたいなのもちょっと自分は個人的にはあって、なんかその相談するみたいに構えてしまうのが、なかなかこうそれによってなんかこう不安のまあそういうニュアンスみたいなのがなくなってしまうみたいなのもあるから、なんかその、
もちろん話すことによって相手からこういう風にしたらいいんじゃないとか、アドバイスをもらう機会もあるから、それはすごくありがたいと思ってるし、あのまあその場合によってはそれがすごく救いになる場合もあるけど、でもなんかその同時にすごく不安が暴走してる時って、なんかどれが不安、これ一つが不安っていうあれじゃないから、なんかこれも不安であれも不安で、でなんかその不安からまた不安が出てきてみたいな感じの、
なんかめっちゃこうたくさんのものがこうぐちゃぐちゃにこうあの混ざってる感じがあるから、なんかそれを綺麗にこう、なんていうのかな、相手にこう話すとか伝えるみたいな感じにしちゃうと、なんかその何、カオスの状態みたいなのがあんまり伝わらなくて、
なんかその自分的にはなんかちょっと解決した部分もあるけど、なんかでもなんかちょっとまだこう突っかえてる何かがあるみたいなのもあったりして、そうだからなんかそのね難しいし、なんかどういう状態とかどういう風にそういう、
なんていうかな、そういう他者性を取り入れる、そういう時にあの他者性をどういう風に取り入れていくのがいいんだろうかみたいのは、なかなか難しいよねっていう話なんだけど。
なんかやっぱその、そうなんだろう、多分私もこう自分のなんかいろいろ相談っていうか、なんか友達に何かこう不安に思っていることとか話すっていう時も、まあおそらく別に希少点決のある一貫した話し方なんて絶対できていなくて、
なんかできていないんだけれども構えとしては、なんかやっぱり相手に伝わるように話さなきゃとか、なんかこういう原因があって自分はそのことにこう不安を感じてみたいな、分かりやすい形で出さなきゃ伝わらないっていう風に思っているから、
なんかやっぱりそれを考えるっていう手間もあるし、でもそれで出来上がったものが結局自分の抱えていたモヤモヤからずれているニュアンスが違うみたいなのもやっぱり出てくるよなぁと思うし、なんかそもそもなんか相談って言っちゃうと相手に何かアドバイス求めてるみたいな感じになっちゃって。
別にそういうわけじゃないの、なんかなんだろう、もちろん何かアドバイスがあってそれによってなんかめっちゃ楽になるとかなら、そりゃいいけど、でも大抵のことってそうならないし、なんか言ったらただ自分の中にあるものを吐き出させてもらう、あなたに吐き出させてくださいみたいな感じ。
でもなんかやっぱりそういう風に言うっていうのも結構ハードル高いっていうか、相談だったらなんかまだなんだろう、人によっては相談も聞きたくないとかあるかもしれないけど、なんかただ単に自分のこのモヤモヤを吐き出させてってなると、
そう、それだとなんかちょっと相手を軽んじてる感じも場合によってはあるかもしれないし、なんか相手もやっぱそう、なんか自分も自分でその不安をどうにかしたいとか、このわーって積み重なっちゃった感情をどうにかしたいっていう感情あるんだけど、なんかそれをそのまま誰かにぶつけて、なんかそれによって相手が負担になったりとか、
なんかその人もなんかぐったりしてしまうみたいな状況にさせたいわけじゃないわけ。だからなんかそう思うと、なんかどんどんあえて話そうっていう機会を作ること自体がなんかやっぱすごい難しいなーって思って、
それもあってなんか私は結構一人でぐるぐる考えちゃうパターンがすごい多くて、結果的にぐったりなんか具合悪くなってしまうみたいなことが多発してるのかもっていうふうに思ってて、
そうだからなんかどういうふうにその他者性と出会う機会を作るかみたいなのが、なんかそのわざわざ話す機会を作る以外の方法としてすごい難しいなーと思ってて、
特になんかなんだろう、日本ってさなんか結構前というかずっとむーちゃんもなんかいろいろこうなんだろう住居の話とかしてた時によく、やっぱりその日本だと単身で部屋借りるって割と当たり前っていうか、なんかそんなハードルが激高みたいなことではないわけじゃん。
で、単身用の住まいだってそもそもたくさん用意されてるわけで、だけどなんかそのニュージーランドとかオーストラリアとかだとそれがないみたいな話だったじゃん、そもそもシェアハウス、そうそうそうそう、だからまあシェアハウス選ぶしかないみたいな状況だったと思ってて、
だからまあそれはそれで大変な面もあるじゃん、一人とかいいっていう面もあると思うけど、逆になんか一人でいることも、なんか一人で生活するのがまあ普通みたいな状況の中で、なんかあえてシェアハウスを選ぶっていうのも、なんかまあお金的にコストが一人暮らしより安くなる場合があるっていうのを除けば、
わざわざそれを選ぶっていうことは、めっちゃ人と暮らすのが好きな人とか意外なかなかないんじゃないか、とか思うんだけど、
だし、なんかやっぱ結構日本ってさ、なんか一人で完結できることが多くて、なんかそれはすごい、まあ私も一人行動結構好きだし、なんかそれはすごい助かる面もいっぱいあるの、
なんか飲食店とかもさ、なんかお一人様みたいなお店、そもそも2人以上で行けない店とかもあるし、一人で楽しむことが前提のバーとかもいっぱいあるし、なんかその複数人でいるとか、なんかそれこそパートナーと一緒にじゃないと、とか家族じゃないと、みたいな友人も複数いないと、みたいななんかそういうのではなくて、単身でできることがすごいいっぱい用意されてるっていうのを感じてて、
でもだからこそ、なんか全部一人で完結できちゃうから、ここでどうやってなんかこう、他者と出会う機会を作るかとか、自分以外の視点を取り入れる機会を作るかっていうと、なんか逆に難しいかもって思っちゃった。
そうだよね、なんかわざわざ自分でそれを見つけに行かないといけない感はめっちゃあるかも、なんかその他者を求めてみたいな、なんかそれこそリョウちゃん言ってるみたいな、そのシェアハウスとかも、結局はそのコスト面を除いては、なんかそのメリットっていう面で、なんかやっぱりその、何、社交的な、なんかこう人と過ごしたいみたいな人が行く場所みたいな的なイメージもあるし、
だからなんかその、わざわざそれを選択してるっていうのじゃん、その他にその一人で暮らせるオプションがあるのに、あえてそれを選ぶみたいな感じの状態だから、だからなんかその、逆にそれを求めないといけない感っていうか、なんかその他者を求めて、例えばそういう、何ていうか、集まるに行くとか、なんかそういうのを自分で、
こう、なんか積極的にやらないといけないみたいな感じのはすごくあって、だからなんかそうだよね、しかも大人になるとめっちゃ難しいよね、なんかその、例えばもう小学校の時、私がよく思い出すのは、なんかその小学生だった時に、なんかあの児童館ってあった?
私はなんかその、結構東京、東京の方の、あの、に住んでて、なんかその学校、小学校の真ん前にその児童館があって、なんかなんかその、学校が終わった後に、なんかみんなその一回家帰って、自分の自転車に乗って児童館にやってきて、もうほんと児童館でこう、まあ本読んだりとか、あの、まあ適当にこうブラブラ過ごすみたいな空間が結構あって、なんかその例えば公園で遊ぶとかもそうだけど、
なんかその、特にその目的があって、そこに集っているわけではない、ほんとにただブラブラしに来てるみたいな感じ、でもなんかそのブラブラしに来てる中で、なんか例えば違うクラスのことあったりとか、なんかそのたまたまその、会った人とこの遊びをしてみたとか、なんかそういう、まあ自然な出会いというか、なんかその、その誰々ちゃんと遊ぶからここに来てるみたいなのもあるけど、
でもなんかそれって結構その友達の家に遊びに行くときとかっていう感じで、なんかその、何、公園とか児童館みたいなそういう空間に来るときって、なんかそこまでこう、これっていう目的があって行ってる感じではなかったなっていうふうに思って、なんか本当にめっちゃブラブラするのが目的で来て、なんか適当にその時たまたまいた人とまあ話して、なんかちょっとゲームをするなり何かをして帰るみたいな、
のが結構、まあ学校の後、よく日常としてあったなあっていうのを思い出し、なんかそういう空間を大人になって、なんかあるかなって思ったときに、なんかなくない?みたいな、なんかめっちゃそういう、何、出会い方っていうか、まあそういう関わり方って難しいなあってすごい思って、ないよね、なんか思い浮かぶ?
えー、ブラブラする回。
なんか目的なく自然と集まる場所とか空間っていうのが基本的になんかなくないか、公園とかくらいしか思いつかないんだけど、でも公園に行ったとて、そこって誰かと交流する場ではなくて、なんかそれぞれがそれぞれで来てる場で、視覚的には別の人たちがいるなっていうのは認識できるけど、
なんかそれってその人たちと話したりとか何かしらの関わりがあるとかではないわけだから、なんか目的なく誰かと会う場とかない気がしていて、もしあるとしたら目的なく集うことを目的にして集まる回とかだからあるかもしれないけど、でもねそれもやっぱ目的があるっていう。
そうだよね、だからなんかすごいそれって特に大人になってからめっちゃ難しいなって思うし、なんかまあみんなそれぞれ多分そういう仕事とか生活があるから、なんかその自分で、なんかそのそうなんかそれがね私も個人的にはちょっとすごい難しいなって思ってて、大人になってこう友達を作るとかもそうだけど、
なんかそのあえ、わざわざ特にその場によってはお金を払ってとか予約をしてとかで、そういうワークショップだったりとか、読書会だったりとか、まあそういう場所に行くにしても、なんかそのいろいろなそのさっきリョウちゃん言ったみたいなそのまあ人と会う約束とかもそうだけど、そのステップ、そのそれまでのそのステップとかハードル、それこそそのワークショップとかによってお金を払うとか、
そういう金銭的なものも発生してきて、なんかその本当になんかまあブラブラするのが目的じゃないけど、なんか本当に何も考えずにこうふと思った時に行っていた人と話すみたいな場所って、なんか大人になってないよなって思うし、なんか逆にそういう場所があったら、なんかどれだけ救われるだろうかみたいなのもすごく思う。
他者との出会いの場:カフェの工夫とオンライン空間
なんかその、なんかやっぱりそういうある程度の目的を持って行く場所だと、なんかそういう似たようなこうまあ思考を持っていたりとか、まあそういう趣味だったりとかっていう人がとも出会えるっていう、まあメリット的な面でそういうこともあるかもしれないけど、なんかその例えば全然違う人と違う世界とか社会とか分野とか仕事をしている人と出会うっていう風なので、
言うとなかなか難しいんじゃないかなって思うし、なんか結局そういう似たようなサークル、似たような空間にばっかり行ってると結局こう同じ、まあそれこそまた同じ人と会う可能性もあるだろうし、なんかそういう場でたまたまであって気があってっていう、まあそういう出会いもあるからいいかもしれないけど、なんかその
なんていうのかな、こう
ね、なんかそういう場所があったら逆にどういう感じになるんだろうとか思うけど
うん、確かに
だってなんかそのよくさ、出会う機会がないとか言うけど、出会う人、その数としてはめっちゃいるわけ、人って
だけどなんかその人たちが集まったところで、なんかそこに会話が発生するかって言うとしなくて、私なんかこう話さない、こう知らない人に話さないことがお互いにマナーであって、なんか突然話しかけてくる人はなんか変人なんじゃないかとか
誰?
おかしいんじゃないかみたいなとか、でもやっぱり自分もそれされたら、やっぱりちょっと警戒心が勝つじゃないけど、なんかなんだろうって思っちゃう面がやっぱりあるから、なんか本当にやっぱりその新しく、なんかたまたま会った人と喋るとか、そこで新しい関わりが生まれるとかっていうのがないよね。
目的なく集まる場所でそれってないっていうか、目的があればその目的に沿ってその人と話したりとかあるけど、目的がなくたまたま集まっちゃったみたいな、なんだろう、渋谷の八甲前でめっちゃ人いてぇとか、なんかそういう感じで、人はいっぱいいるがその中で知らない人と突然喋るっていうのはイコールなんかナンパかみたいな感じになってしまうみたいな。
なんかめっちゃ難しいなと思うし、なんかその、こう、なんかそういう、まあその目的がないみたいな感じの場所ってこう、それこそ多目的な場所でないとならないみたいなのもあるかなと思って、なんかそのいろんな人がそれぞれのいろいろなことをして、を同じ場所でするみたいな感じの空間。
が一番それこそいいのかなと思ったりもするけど、なんか本当にその、まあそれこそこう、あの、市がやってる場所だったりとかっていうのも、結局なんかその、閉ざされた空間じゃないけど、ある程度のこういうゴールがあってそこに集うみたいなのはやっぱりこう決まっている感じはあるから、なんかその本当に本当の意味でこう開かれた場所みたいなのって、
存在しないじゃないかって思うし、なんかそれが、そういう場所をこう存在させることって、なんかそもそも可能なのだろうかみたいなのも、今この社会で特にそういうふうにこう、なんていうのかな、やっぱり何でも一人で完結できてしまう社会において、あえて誰かに声をかけるとか、なんかわざわざその、
なんかもうそれって結構な労力じゃないけど、なんか何でも一人で完結できるのに、なんでわざわざその誰かに話さないといけないのかみたいなのも、そうなんかこう難しいなあって思うし、なんかその、ねえ、なんかすごい、今話してて思い出したのが、なんかそのたまたまサブスタックで読んでた記事の一つで、
なんかカフェ、なんかどっかアメリカにあるカフェなんだけど、なんかそのまあお金払って、何かオーダーして、こうなんかWi-Fi?Wi-Fiがあるのかな、カフェになんかWi-Fiがあるらしいんだけど、なんかそのWi-Fiのパスワードを、あのまあその店員さんに教えてくださいって言ったら、なんかその知ってる人に聞いてっていうんだって、
で、なんか知ってる人っていうのはそのお客さん?なんかその、なんかまあそれこそカフェの中でもまあそのパソコンで仕事してる人とかいて、なんかその知ってる人はいるから、知ってる人に聞いてっていう風に言われるんだって、でそれで、なんか結局そのそこにいるお客さん?誰か?まあその知ってそうな人、それこそなんかまあパソコンで仕事してる人じゃないけど、なんかそのWi-Fiを使ってそうな人に声をかけて、まあ本当に見知らぬ人に声をかけ、
そのWi-Fiのパスワードを教えてもらうみたいな感じの、なんかそういうシステムを作っているカフェがあるらしくて、なんかそれこそ他のなんかトイレもなんか鍵がかかってるかなんかで、パスワードかなんかで、で、なんかそのトイレに行きたいってなった時も、なんかトイレのそのパスワードを聞いたら、
なんかその知ってる人いるから、知ってる誰かに聞いてって言われて、結局そのお客さんの誰かに話しかけざるを得ない状況をこうカフェが作り出しているみたいな感じので、なんかそれめっちゃ面白いなって思って、なんかそのあえて、なんかそれってさ、こうまあ怪しくないじゃん。
まあ聞いてることとしては、あの別にそのなんかその急に突然ナンパしてるとかでもないし、なんか変な話をしてるわけでもなく、何かしらのそういう、まあきっかけじゃないけど、なんかパスワード教えてみたいな感じの、で、なんかその毎回そしたら自分がそれでパスワードを知ったら、次来たお客さんが今度自分に聞くみたいな、そういう感じのこうまあサイクルを作っているカフェみたいな感じのがあるっていうのを読んで、
なんかこういう感じで、まあなんかその、なんか目的っていうほどの大きなものではないけど、なんかその、まあ必要なもので、あえてそういうふうにそれをまあその他者に渡すことによって、そこでこうつながりとか、まあその誰かに話す、本当に見知らぬ人に話すっていう訓練的な面からしてもすごく、
いいんじゃないかみたいなすごく、そう思って今すごい思い出したんだけど、なんかね、そういうまあ工夫じゃないけど、なんか場所はカフェっていう感じで、まあそのみんなお金を払って何かをオーダーして、まあそこにいるっていう面ではまあ共通しているものがあるんだけど、
なんかあえてそこにこう、一つ工夫という何か、そういうきっかけ的なものを、まあ散りばめるじゃないけど、みたいな感じのことはできるんじゃないかなっていうのは、うん、思ってね。
なんかちょうどいいね。
そう、ちょうどいいなって思った。
そう、なんか目的は目的であるけど、なんかその目的によってそのカフェに集まってるわけではないじゃん。
うん、そうそうそうそう。
別に目的があって、まあそこのカフェでゆっくりしたいとか、何食べたい、何飲みたいとか、まあちょっとその飲みながら仕事したいとか、なんかそういういろんなそれぞれの目的があって、そこに集まってきて、その中のほんのちょっとの目的のために、そこをきっかけに誰かと話して、
でももちろんその目的がこう遂行されて、もう終わったら、なんかもうそれで終わりっていうことももちろんあるだろうけど、なんかそこで喋り出したことをフックに、ちょっと会話が弾むかもしれないし、なんかそういうなんか可能性は残っているから、なんかすごいちょうどいいなと思って。
ねえ、すごい、なんかすごいいいって思ったし、なんか本当に、そう、なんかその目的がないけどあるみたいな、なんか本当にみんなその共通した、こう、まあみんな必要なものに対してのなんか目的じゃないけど、なんかそこにこう、そこをフックにするみたいなのはすごいいいなって思ったし、
なんかそういう形で小さなきっかけだからをそういうふうにまあ、そういう空間に散りばめることができたら、なんかもう少しね、なんかそのりょうちゃんみたいに必ずそれが何かにつながるわけではないし、なんかまあそれがね、教えてもらったらそれで終わるっていうパターンももちろんたくさんあると思うけど、
なんかその本当にもう自分の訓練的な面からもうなんかそういう誰かにこう何かを聞くとか話すみたいな、こう、練習としてもうすごくいいんじゃないかって思うし、
だからなんかそういう場所をこう人なり空間なりが作り出すことも可能ではあるっていうのは多分あるから、なんかなんかそういう場所なり空間なりを、なんかどういう形で表現できるかみたいなのも結構こう考えるから、なんかその一つ私が思ったのはそのオンラインゲーム。
例えばなんかそのオンラインゲームとかでこうオープンワールドでみんなそれぞれがこうそのワールドに入ってプレイする話すみたいなのも結構なんかいろんな意味でそういう何もちろんそのねあの面識もない本当全く見知らぬ人とこう例えばたまたま同じチームに入って協力して何かをするみたいな。
なんか本当その何、何分かとかの間にこう一瞬だけ重なった人たちとかとのまあそういう出会いっていうのも結構あのなんか似たようなものがあるなと思ってて、なんかその本当になんかまあそれがたまたま本当にそのゲームを遂行して、
まあ目的達成して、はいさようならっていう場合もあるかもしれないけど、なんかそういうオンラインでの出会いをきっかけに何かまあちょっとなんか今ちょっとこれやってて、なんかねうまくいってないんだよねみたいな会話につながることもあるから、なんかそういうのをまあ私、私のパートナー結構オンラインでそういうゲームをするから、なんか本当に全然知らない人と話すみたいなのも結構あって、
なんか知らない人とめっちゃなんか、なんかこう会話、会話をするというか、なんかこう自分のまあちょっと日常のことを話したりとかっていうのも結構まあ長くやってて、なんかそういうまあ出会い方とかそういうオンラインでのそういう空間もあるなっていうのはすごいあるし、なんかそういう面でから言うとまあもちろんその目的的なものはあるけど、
なんかその話すの目的に集まってるわけではないから、なんかそれが別にその思い何かになるわけでもないし、そうだからなんか探せばあるのかなとも思うしそういう場所って、でもなんかそういう場所とかきっかけを自分たちで作り出すことも可能なのではないかみたいなのも思ったりもして、
だからなんかどうなんだろう、でもなんかやっぱり直接話すっていうのは大きいかも、なんかその声だけでもだけど、なんかやっぱりオンラインももちろん例えばツイッターとかなんかそういうタイムライン的なものとか、ディスコードのコミュニティ的なものってたくさんあるし、なんかそれこそディスコードとかまあそのやりとり、オンラインでのやりとりみたいな文章でのやりとりみたいなのもたくさんあると思うんだけど、
なんかやっぱりこう、相手の声とかをリアルタイムでリアクションとして聞くとか、誰かに話す、自分が直接声を出して話すっていうのと、それをただ文章で送るとか投稿してそれにリプライをもらうとかっていうのはやっぱりそのちょっとコミュニケーションの、
ラグ的な面からしても、なんかちょっとやっぱり話すっていうのが重要だったりするのかなって思う面はあるから、そこはなんかねオンラインでのそういうの、空間を作るのは難しいなって思ったりもするけど、
めっちゃわかる、なんかその、なんだろう、声とか身体とか、そういうなんか意外と物質的な面っていうか、なんかテキストとか、そこで意味内容はわかるけど、なんか多分そこが重要じゃないんだなみたいなのは、
ツイッターとかから離れ始めてからやっぱすごい思うようになったというか、なんかよくうちらも昔の、うちらが結構こう頻繁に利用してた頃のツイッターとかの話とかするけど、なんかその時もやっぱテキストではあるんだけど、なんかもうちょっと会話として成立してた感があったし、
なんか当時やっぱりそういうコミュニケーションツールとしてのSNSがまだ出始めてそんなに時間経ったのもなかったし、似たようなサービスっていうのもそんななかったから、私なんかこうある意味自分の日常とは別の空間としてあるものだったけど、今はあまりにも日常になりすぎているし、
なんかそこってもうコミュニケーションの場ではなくなったよなーっていう感じもあり、なんかやっぱすごいリプライとかもらえるのも、なんだろう嬉しいには嬉しいんだけど、会話にはなっていかないっていうか、なんか当時のツイッターとかもやっぱり、まあ結局声で話すよりは劣るかもしれないけど、
でもなんかこう会話が続いたりとか、全然第三者、第三者っていうか共通のフォロワーとかが入ってくるみたいな、
そうそうそう、一対一じゃなくて、そうそうそう、ある種開かれたコミュニケーションだからこそ、なんかそこに自分も話したいその内容みたいな感じで入って知らんうちに出てくるみたいな感じの流動的な会話の場所みたいな感じになってて、
そういう面に結構自分は居場所を見出してたっていう、当時そういうのもあったなーと思って、でもそれって今同じことをしようとしてもやっぱりその時期だからこそできたことでもあるんだろうなと思ってて、今逆に同じことをやろうとしてもまあ難しいかなって思ってて、
そういう意味で結局原点回帰じゃないけど、そういう物質性というか、なんか直接声のやり取りがあるとか相手の姿形を見るなり、なんか声のやり取りはそんな多くないけど同じ空間にちゃんとこう身体を持ってくるじゃないけど、
なんかそこに一緒にいるっていうことから始まるなんかものもあったりして、なんかそこがなんか結局なんか大事なんだなーみたいな一周回ってそういうふうに思うようになって、そうそうそう。
物理的・精神的な繋がり:大人版児童館とウェブサイトへの期待
ねー、なんかどういうとこだったら、なんか大人版児童感とかあればいいの?あ、もう児童じゃないけど。
何感になるんだろう。
大人。
大人版。
大人版児童感って、なんかねー。
ない。結局、そうね、なんかそのすごい、本屋さんとかいいなーって思うけど、結局本屋さんとかも結構割とこうイベントとかで、なんかそのイベントに参加するために来るとかで、
なんかその結局本屋さんはみんなそれぞれ自分たちや本を見るみたいな感じの空間になっちゃうから、なんかその本屋さんでカフェでなんかワークショップとかできて、なんかそういうのが全部こう一つになってる場所みたいなの。
まああるんだろうけど、特定の場所だからやっぱりそこを目的にやっぱり行かない。そこを目的にして行かないといけないっていう面から、やっぱりハードルが高いとか、そういう場所が身近にないとかってなると、なんかやっぱり結局本末転倒だなーって思うし、なんかその身軽さみたいなの結構重要っていうか、
パッてそういう場所に行けるとか、そういう他者性を取り入れることができる空間とか機会が身近にあるじゃないと、結局さっき言ってたみたいに、なんかそこに行く準備をするとか、なんかその手間、そういうステップを踏まないといけなくなってくると、なかなかやっぱりそういうの難しいなーって思うし、
なんかオンラインで何らかの形でそういうものができるようにまたなればいいのにとか思うし、なんか初期のツイッター楽しかったって今いろいろ思い出してるけど、めっちゃなんかリプライとかさ、すごいなんかあそこでもほんとほぼリアルタイムの会話じゃないけど、
どうやったら、その時代に戻ることはできないけど、それをまた違う形でできないだろうかみたいなのも考えたりするけど、なんか昔とかだったらチャットルーム的な感じ、なんかオンラインチャットとかなんかそう、こう掲示板とか、なんかやっぱりラグがあったりするから、なんかそのだいぶ前に投稿したりとか、
投稿したものになんかだいぶ後になって、なんか誰かが返信するみたいなこともあったりするけど、なんか、ねーなんだろう。
ねー、まあオンラインゲームとかも相手が誰かによってかなり左右されそうではあるけど、なんかそのゲームを一緒にやるっていうある種目的があって、なんか関係性のとっかかりみたいな部分があるから、始めやすさみたいなのあるかもしれないね。
あとなんかそこまでシリアスじゃないというか、なんかゲームだから一応楽しめに来てるわけだから、なんかそれにめっちゃそのなんかこう、まあそれこそリラックスしてゲームをしながらまあ適当に誰かと話すじゃないけど、なんかそういう面から、なんかゲーム、オンラインゲームでのこうゆるい会話じゃないけど、
なんかそういうのもあるのかなと思って。
うんうん。
おかしいね。大人になるの大変。大人でいるの大変。え、何の話してたんだっけ?不安の話?
全然それだよね。
ちょっと待ってなんか今、なんか最初何の話で始まったんだっけと思った。
ね、なんか私はどこに話を戻すんだっけって考えてた。
そうね、なんか不安の話からめっちゃなんか、まあでもその他者性をどう取り入れるか的な感じの話になり、まあそういう空間がないよねっていう。
そうそう、なんかその結局不安もなんか自分の中で、まあ完結できるものならいいけど、大抵の不安ってそうじゃないから、分かんない、めっちゃポジティブな人とか全然そんなんじゃないかもしれないけど、
まあなんか私とかは結構不安が降り積もって、なんか一人で勝手に悩んで勝手に深刻になってるみたいなところがあるから、まあそうならないためには、なんか誰かがなんかやっぱり必要っていうか、なんかそれ聞いてもらうとかだけじゃなくて、
なんかぶんちゃんもさっき言ってたけど、なんか別の人の別のこう話でもよくって、なんかとにかく別の視点を取り入れるみたいなのが結構重要だなと思って、なんかやっぱり完全にイメージとしてやっぱ不安で苦しんでる時とかって、なんかその密閉容器の中にいるみたいな感覚なの。
だからなんかそこにブスブスって感じで、飾らないろんな人のいろんな視点で開けてもらうことによって、なんかもうパンパンになったその容器の中をちょっとずつ出していくみたいなのが、結局なんか不安に思ってることって自傷としては存在してるわけだから、その自傷自体どうにかできるような類のものであればいいけど、
まあそれがさ、なんかそれ自体はどうにもならんっていうことのが大抵はそうだと思うから、なんかそれに対してどう自分の認識の中で変えていくかみたいなのって、やっぱり自分一人でそれについて考えてても自分以外の考え方は自分の中から出てこないわけだから、なんかそういう意味でやっぱ他者性とか、その複数の視点っていうのはめっちゃ重要なんじゃないか。
っていうことだったんだと思う、今までの話は。
今までの話はそういうことで、そうだね。
なんかまあ何らかの形で、なんか私たちも、オンラインでのまあそういう場を、まあ例えばそれぞれが見つけたとしたら、まあお互いにこう場所があるよみたいなお話あってもいいし、そういう場所に自分たちもこうなれたらいいなっていうのはすごいあるから、なんかその、そうだね、それがどういう形でオンラインでこう、
現実化するかはわからないんだけど、なんか私もそういう場所をやっぱりいろいろ求めている人もいると思うし、自分自身も求めているから、なんかやっぱりこう、
なんていうのかな、まあ物理的な空間でそういう場所を提供しているところもあるかもしれないけど、やっぱりこう制限されてしまうし、なんかこのどこにいるかによってそれにアクセスできるできない人がいるっていうのはやっぱりそういう面からすると、
オンラインってそれだいぶこう広い範囲、広範囲でこういろいろな場所にいる人に届くから、なんかそういう面からオンラインでそういう場所が見つけられたらいいなっていうのはすごい個人的に結構思ってて、だからなんかまあ見つけたらそういう場所があるよっていうのを知ってる人がいたら教えてほしいし、
こういうことをオンラインでやってるよとかっていうのもあったら教えてもらったらね、いいなって思うし、そういうのを紹介して、まあそれぞれが見つけたら紹介していけたらいいなと思うし。
私なんか今の時点でさ、構想があるわけではないけど、なんかそのうちらのその前回も告知したそのあのさんのサイトとかも、なんかまあうちら2人の作ってる場所ではあるけど、なんかそれを閉じられた空間にしたいみたいなわけではなくて、
なんかもうちょっとこう他の人も何らかの形で関わりを持ったりとかして、なんかできたらねみたいな話を多分一番最初の方にしてた記憶があって、
だからまあそれをどういう形にできるかとか実現できるかわからないけど、なんかそういう風な場所は作りたいよねっていうのは多分共通してるかなと思って。
だからまあいつか行く行くわっていう感じで、やっぱりそういうのが自分たちの根源にあるというか、やっぱりそういう場所欲しいよねみたいなのは結構思ってるところはあってね、だからまあ他にもそういう場所を知っている人がいたら、
みんなでシェアできたらいいと思うし、自分たちのその今あるウェブサイトとかもそういう場にいつか、まあどういう形でかはわからないけど、そういう場所にしていけたらなっていうのは思ってるけどね。
今日はそんな感じ?
そんな感じかな。
はい、じゃあ今日はそんな感じで、また次回。バイバイ。
01:13:17

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