板東英二さん死去
2026-07-29 10:08

板東英二さん死去

歴史、文化的視点からプロ・アマ問わず、スポーツ界の話題をスポーツ文化評論家・玉木正之がコメントします

田畑竜介
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サマリー

スポーツ文化評論家の玉木正之さんが、先日亡くなった板東英二さんについて語る。板東さんは満州生まれで、第二次世界大戦終結時のソ連侵攻から逃れる壮絶な体験をしており、その経験は自伝的小説「赤い手」に描かれている。この本は、高倉健さんが題字を書き、黒柳徹子さんが推薦文を寄せるなど、多くの著名人が関わっており、戦争の悲劇と人間の強さを伝えている。

板東英二さんの訃報と満州での壮絶な体験
この時間は、日替わりコメンテーターが独自の切り口で、多様な視点を提案するCatch Up。 水曜日は、スポーツ文化評論家、玉木正之さんです。 玉木さん、おはようございます。
はい、おはようございます。今日はね、ちょっとワールドカップのこととか、いろいろ喋ろうかと思ってたんですが、板東英二さんが亡くなられました。
亡くなられましたね。
これでね、私、ちょっとお付き合いがあったもんでね、喋らせていただこうと思うんですけれども、いろいろ新聞報道とかネットとかも見ましても、出ていないことがあるんですね。
そうなんですね。
そういうのは、彼は満州生まれなんですよね。で、満州生まれで、その話をちょっと聞いたんですけれども、
満州に、第二次大戦の終わりの時に、ソビエトが攻め込んできた時に、それから逃げるのに大変だったということを言われてまして、
山崎豊子さんの小説で大地の子という小説があるんですけれども、戦争故事で中国に残された子供、それの小説があって、それを板東英二さんは、あれは自分のことだというふうにおっしゃってましたね。
それで、本人が赤い手という、これは自伝的小説なんですけれども、自伝小説、自伝と言ってもいいくらいなんですけれども、なぜ赤い手かっていうと、ソビエトの兵隊から逃げるために、お母さんの腕を、手をゾーっと握りしめていて、
それでお母さんもそれを手を握っていて、手が真っ赤になったという。それでお母さんが、こんなに強く握ってごめんねって言ったっていう話も出ているんですけれども。
その必死さが現れている。
そうなんです。必死どころではないと言いますかね。満州鉄道の無害貨車ですね。屋根のない貨車に乗って、動いたり止まったりする電車の中で、逃げてきたということなんですけれども、時々止まったときに、そこから降りて待っていたら、
電車が動き出して、それで必死になって走って追いかけて飛び乗ったときに、手を握りしめて助かったというようなことも書かれています。
それからソウェートの兵隊たちが、いろいろ防虐を尽くしたんですけれども、それで家に入ったときなんかは、お母さんを守るために、お風呂場の中にいるお母さんの上で、子どもが泣いているずっと、それで兵隊が来るのを守る話とかね。
もう大変だった、満州生活のことが書かれているんですね。
壮絶な体験をされていたんですね。
彼はこの満州で生まれて、4人兄弟の一番下だったもので、そのお母さんもこれは中国人に預けた方がいいんではないかというふうに思って、それで何度か中国の人の方に売られそうになったときに、それでも手を握りしめて、その時も手が真っ赤になったというので、この赤い手という言葉になっているんですね。
この小説、本当に戦争というもの、もうすぐ終戦記念日がまた訪れますけれども、それを聞きかかりにぜひとも読んでほしい。
これは青山出版社というところから出ている本なんですけれども、万能さんの自伝的小説で、この赤い手というタイトルの文字は高倉健さんが書かれた文字で、一緒にお仕事をされたときに頼んだと。
それから黒柳哲子さんが推薦文を書いておられて、野球選手の時、万能さんは日本中を熱狂させた選手であった。でもこれほど強烈な人間ドラマがその裏側にあるとは夢にも思いませんでした。
赤い手には私の知らない万能さんがいたと。この本を読んでもう万能さんの悪口を私は絶対に言わないことにすると心に決めましたと。そんな推薦文を書いておられますね。
私は大阪のテレビ局の毎日放送の知人VVなんかでよく一緒にいたもので、そのときに万能さんが甲子園で活躍されたとき、うち電気屋でしたから。
万能さんが富山の糸井川商工へ行くと延長18回、なんかも決めましたよって言ったときに、そのとき君何歳だったのって言うから、ちょうど6歳でしたら、僕は6歳のときに来ましたよって話になって、それから会うごとにいろいろその話をお伺いしたんですね。
だから万能さんがいつもにこにこされている顔がありますよね。あれはもう本当に逃げるときにいろんな人から食べ物をもらった、そのときの顔がずっと残ってるんだよなんて笑っておられたこともありましたね。
それだけ壮絶な人生を歩んでこられた野球選手が、また引退後に日本アカデミー賞の受演団優勝をもらうほどの演技を見せられたりとかですね、すごい努力家の方だったんですね。
この赤い手という万能さんの書かれた本は本当に一人でも多くの人に、特に今また終戦のことを振り返らなきゃいけない、戦争のことを振り返らなきゃいけないときにはぜひでも読んでいただきたい本で、万能さんの笑顔の後ろにこんな人生があったのかっていうことを驚くぐらいの本になってますね。
これは素晴らしい一冊だと思います。
本当にそういう体験された方の声を聞くっていう機会がどんどん減っている中で、こうやって残してくださるのはありがたいですよね。
「赤い手」の背景と著名人からの推薦
私の両親も徳島の出身でして、実は。
そういう声もあるんですね。
そうなんです。それを言ったらまた喜んでいただきまして、万能さんから。
それでテレビ屋なんかで会うたびに、そんな話を少しずつ聞かされたと言いますか、いろんな素晴らしい話を聞いたんですけれども。
4人兄弟の一番末っ子で満州でお生まれになって、ご両親は大きな寮邸を経営されてたんですね。
ですから、ほんの少しの間はいい生活だったんだよ。
はははははなんて笑いながら。
その後にソビエト軍が攻めてきたとき、それからがもう大変だったという。
それで徳が日本に洋々の形で日本に帰ってこられて、
それでまた徳島のかつてのドイツ人の捕虜収容所の中にが引き上げ者の収容所になってまして、
そこにずっと入っておられたりしたという。
とにかく苦労の連続だったという。
ただその苦労の連続をあの笑顔で顔に出さないというのも、また満州での生活が僕を決めたんだよなんて言って笑っておられたのが今も残ってますね。
ですからそういうことを表に出さずに暮らしておられた万能さんですけれども、
歓歴を超えたときにこの一冊の本を書かれたんですね。
これでやっぱり人生をまとめておきたいというふうに思われたみたいです。
これ私この本にサインももらったんですけれども、本当に素晴らしい一冊です。
万能英二さんの赤い手という小説、これはぜひとも読んでもらいたいと思います。
板東さんの人生と「赤い手」の意義
はいわかりました。玉木さんありがとうございました。
はいどうも失礼しました。
この時間は玉木雅之のキャッチアップお送りしました。
10:08

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