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2024-04-05 23:36

Vol.235 沖縄にウルトラマンの生みの親をたずねる(沖縄現地収録後編):敬和キャンパスレポ 20240405

 4/5の敬和キャンパスレポは、沖縄で行われた集中講義についてです。

 沖縄本島で行われた「情報メディア特論」という授業。5日間の日程で行われ、その最終日に学生たちで現地で収録した音源の後半をお送りします。沖縄陸軍病院や壕など沖縄戦に関する場所のほか、元は米軍施設の跡地だったという商業地を巡りました。ウルトラマンの生みの親である金城哲夫さんの資料館へ行った感想もお話ししています。この資料館へは、ある学生の提案で、急遽行くことになったそうです。提案したのは、意外な人でした。

 収録メンバーはMCの宇賀田、宮路、坂爪と番組制作メンバーの加藤と川上。案内役は番組監督一戸信哉教授。

00:03
宇賀田雛帆
敬和キャンパスレポ、この番組は、新発田市富塚にある敬和学園大学の大学生が、大学に関わるイベントや人、新発田のことなどをテーマにお届けします。
一戸信哉
敬和キャンパスレポは、実践するリベラルアーツ、敬和学園大学の提供でお送りします。
一戸信哉
皆さん、こんばんは。敬和キャンパスレポ制作監督の国際文化学科教員の一之平です。
現在、春休み中、学生たちと収録予定を合わせることができず、教員の一之平がご案内役を務めさせていただきます。よろしくお願いします。
今回は、2週連続で情報メディア特論という授業で、2月に沖縄で行った収録音声をお届けしています。
宇賀田雛帆
2024年の2月13日から17日の5日間、沖縄本島で各地を巡り撮影をしてきたのですが、最終日に5名の学生たちと収録を行いました。
一戸信哉
収録に参加しているメンバーは、2月時点の学年で紹介しますと、
普段番組MCをしている4年の宇方日那穂、3年宮地遥、2年坂爪美優の3名、宇方さんは3月に卒業しています。
この他、番組の制作メンバーでもある2年の加藤愛理、川上友也のお二人です。
那覇市内のホテルの近くにある海辺の公園での収録、聞き取りにくいところがあると思いますが、お聞きください。
後半は、葉江丸町文化センターに隣接する葉江丸郷群25郷、沖縄陸軍病院葉江丸郷の訪問についてからお届けします。
スピーカー 3
葉江丸陸軍病院、まずに行ってきました。
病院と言っても、郷ですよね。
宇賀田雛帆
郷ですね、郷の中に病院を作っていたとか。
ヘルメットして、ヘルメットして、懐中電灯を持って、中入りました。
スピーカー 3
頭ぶつかってましたよね。
宇賀田雛帆
頭ぶつけてたけど。
スピーカー 3
補強されているところもあるけど。
でもやっぱり崩れている部分はありましたよね。
宇賀田雛帆
地震来てもたんない。
順番分かりました?
順番?
重々天襲。
スピーカー 3
分かりました。
宇賀田雛帆
アイヴァルがあって、姫売りの郷。2年間の前の郷があってっていう順番。
スピーカー 3
あれは第3ですよね、姫売りの郷。
一戸信哉
3番目ですね。
宇賀田雛帆
最初に那覇市内に病院を作ったんだけど、
それが重々天襲、重々天襲で全部壊れるという。
で、アイヴァルが来て、穴の中に病院を作って、
03:01
一戸信哉
その病院は病院、穴の中、郷の中の病院はちゃんと病院ではあったけど、
宇賀田雛帆
最後は姫売りのところは病院と言っても病院の機能もなかった。
穴に隠れているという説明でしたね。
道具とかもないって言ってました。
宇賀田雛帆
中はだいぶじめじめして。
湿気が。
スピーカー 3
寒さが見えなかったね。寒っていう位置に。
患者兵隊さんが2段ベッドの2段で寝てるときに、
宇賀田雛帆
それはでも自分の名前を書いたのか、大事な人の名前を書いたのかってのは分からない。
分かりませんが、漢字。
なんて、どういう字?
まあ、朝鮮の漢字。書いちゃって。
一戸信哉
それが残ってたんですけど、
スピーカー 3
やっぱガラスで補強されてる部分が湿気でね、結露しちゃっても見えない状態だったので。
宇賀田雛帆
だいぶ消えちゃってましたよ。
スピーカー 3
その後に、
一戸信哉
これはね。
スピーカー 3
棒の中の匂いを嗅いだ。
匂いの寄せたものを嗅がしてもらったんですけど。
宇賀田雛帆
なんか、腐った匂い。
宇賀田雛帆
何の匂い?たくあんじゃなくて。
スピーカー 3
あの、濡れた靴下。
宇賀田雛帆
濡れた靴下の匂いだった。
スピーカー 3
もっときつかった気がするけど、本当に何か腐ってる匂い。
宇賀田雛帆
腐ったよね。
宇賀田雛帆
でも当時は、血の匂いとか、糞尿とかの匂いが混ざってるから、
それがもう麻痺してるから、
スピーカー 3
慣れちゃうんだよね、中の人はね。
宇賀田雛帆
本当にきつかった。
宇賀田雛帆
まあ、外で書いてるからね。逃げようがあるけどね。
スピーカー 3
いや、本当にちょっと書いてあれだから。
宇賀田雛帆
中は逃げられない。
一戸信哉
ハエバル陸軍病院号についてのお話でした。
ここは事前の予約が必要なところで、
事前予約した上で伺うと、ボランティアガイドの方が説明をしてくださいました。
最後の姫売りの資料館のところにある窯に移転するに際して、
連れて行くことができない小病変に対して、
牛乳の中に混ぜた精酸カリーを飲ませたというような証言が、
このハエバルの施設の中で証言されていて、一度衝撃を受けました。
さて、では続いて金城哲夫の資料館についてのお話です。
スピーカー 3
続きまして、金城哲夫資料館。
一戸信哉
これは河上くんになって立ての希望へ予約していきました。
06:00
宇賀田雛帆
でも面白かったです。
スピーカー 3
どうでした?
宇賀田雛帆
金城哲夫は誰?
一戸信哉
金城哲夫は脚本家で特撮作品のプロデューサーです。
宇賀田雛帆
ウルトラマンを作った人として知られています。
一戸信哉
案内してくださったのが金城哲夫さんの弟さんです。
スピーカー 3
もう78歳とおっしゃっていました。
宇賀田雛帆
あ、違うな。76歳?
スピーカー 3
9個離れたとおっしゃっていました。
宇賀田雛帆
で、今85歳とおっしゃっています。
一戸信哉
哲夫さんは生きていれば85歳です。
宇賀田雛帆
金城哲夫さんのご実家です。
スピーカー 3
弟さんがついでやっているって感じですか?
一戸信哉
そうですね。
スピーカー 3
で、ちゃんと一室?アパートの一室の部屋みたいな?
宇賀田雛帆
だから金城哲夫さんが東京から帰ってきて、離れみたいな部屋を仕事場にしていた。
どうでした?河上くん。
一戸信哉
どうでした?印象に残った。
金城哲夫館は僕が昔ウルトラシリーズを何作品か見ていたこともあったので、
気になっていた施設の一つで一つだったんですけど、
金城さんが作品の制作に利用していた所在だったこともあったので、
実際に足を踏み入れてことができて感動しました。
宇賀田雛帆
感動していたんですか?
一戸信哉
では、キングジョー。
一戸信哉
キングジョーは入口の下駄箱の上に金城さんの写真と、
その左右にキングジョーというウルトラマンに出てくる怪獣の人形が置いてあったんですけど、
キングジョーというのが金城さんの名前やあだ名が元になったので、
こういったことに彼に対するリスペクトを感じました。
スピーカー 3
すごい知ってたよね。詳しかったよね。
なんでキングジョーという名前がついたのか知ってたよね。
宇賀田雛帆
金城さんのお父さんが酔っ払ったときに言ってたよね。
一戸信哉
金城さんのお父さんが昔、よく酔っ払った状態で、
My name is King Georgeとかふざけて、
そのキングジョージを持ちって、そのキングジョーが生まれた。
スピーカー 3
お父さんの酔っ払いから生まれた名前。
それを知っててね。
お父さんも踊りに行ってたよね。
09:02
スピーカー 3
私は見てなかったけど、
全然ウルトラマン。
でもすごいわーってなりました。
宇賀田雛帆
川上くんのウルトラマン愛も急にね。
スピーカー 3
新たな一部。
宇賀田雛帆
新たな一部が分かりました。
一戸信哉
金城鉄道資料館についてのお話聞いていただきました。
ここも事前の予約が必要で、
沖縄についてから最後まで迷ったのですが、
男子学生の川上くんから是非行きましょうという意見をもらいまして、
現地についてから連絡をしてお伺いしたという次第です。
旅先にいて互いを理解するという意味では、
宇賀田雛帆
ここで他のメンバーたちの川上くんへの理解が深まったという感じもありまして、
これも良い時間となったかなと思っています。
一戸信哉
収録音声には出てきていないのですが、
金城さんは高校は本土の玉川学園高等部に在籍していて、
その時沖縄について研究した成果をまとめて、
壁新聞みたいな校内新聞を作ったようですが、
その校内新聞が残っていて展示されていました。
高等部の在籍中にこの新聞を作ったのがきっかけとなって、
玉川学園の仲間たちと先生が、
高校在学中に米軍軍政課の沖縄を訪ねていって、
いろんなことを学んできたということだそうで、
その時一緒に行った友人で森口勝さんという方がいるのですが、
この方がその後沖縄在住のジャーナリストになっていったという話も伺いました。
さて続いては那覇市内中心部にある、
瀬永亀次郎記念館・副図館を訪問した部分などをお聞きください。
宇賀田雛帆
一番わかりにくいところは日本から切り離されてしまって、
アメリカ統治のことであまり人権が認められないし、
どっちも取り上げられないし、
みんな沖縄の人にひどい目にあっている状態の中で、
アメリカの統治と真っ向から戦いを挑んだというか、
一戸信哉
不屈の精神で戦いを挑んだ人という意味で、
宇賀田雛帆
みんなに尊敬されている人たちです。
でもその時代のことを内地の人たちはあまり知らないので、
いまいち何があったのかは見ていません。
でも今朝ちょっと調べて、ここかなと思ったのは、
12:00
宇賀田雛帆
返還の時に普通に全部返せよとみんな思っていたわけです。
返還するということは基地もなくなって平和な沖縄になるということを期待したけど、
それはできなかった。
結局アメリカ軍は残り、固定化されていくわけです。
アメリカ軍のベースとなる沖縄という場所は固定されていってしまったわけです。
その時にみんなちゃんと普通に返してくれよと、
どんだけひどい目に遭ったんだ、という気持ちをみんな持っていたというのも、
それに戦いを挑んでいたという人として、
瀬永さんを思い出している、そういう話です。
次、津島丸記念館に行きました。
こっちは福津間近いからね。
スピーカー 3
瀬永亀次郎の後で津島丸に行ったら、わりとちょっと分かりました。
学童疎開の途中で起きた。
宇賀田雛帆
疎開船が沈められてしまった。
沈められてしまった船というのは、いろんなところであるんでしょうけど、
とりわけ多分、本当なのは子どもが乗った船がドーンと沈められてしまったということと、
そのことが観光令が敷かれて、誰にも言うなよという話になって、
それすらも言っちゃいけないみたいになったことといくつかそういう要素が重なっているんだと思います。
戦争の不条理というのが象徴されているということですね。
町の中にこれもあるんですよね。
一戸信哉
瀬永亀次郎記念館の話などを聞いていただきました。
米軍軍政下の沖縄で米軍支配に福津の精神で立ち向かった人、瀬永亀次郎さんについては、
宇賀田雛帆
ちょっと今回のチームは予習が不足していたかなと思います。
沖縄戦の悲惨な話に比べると、やはり言っても簡単には伝わらないんだなということがよくわかりました。
一戸信哉
いずれ今回の学生たちにも伝わる時が来ると信じたいと思います。
この周辺には琉球時代に中国からの使者とかその子孫が住むようになった
宇賀田雛帆
久明村と書いて九人田と言われる地域があるんですが、そこに作られた九人田テラスとか、
一戸信哉
それから明治政府の台湾出兵のきっかけにもなった
台湾に漂流した宮古島の人々が殺害された事件で、犠牲になった人々を弔っている墓が、なぜか那覇にあるんですけど、その墓ですとか、
それから琉球王朝時代、つまり江戸時代に沖縄に上陸した医師占教師のベッテルハイムさんを記念した記念碑とかですね。
15:13
一戸信哉
これも非常に面白いストーリーがある。
宇賀田雛帆
史跡がいろいろあるんですが、今回はあまり深掘りできなかったということで、ちょっと見ただけに終わりそうなんですが、
一戸信哉
これもいずれ学生たちが思い出して調べたり尋ねてみてほしいなというふうに思います。
敬和キャンパスレポ
続いては那覇新都心小室町周辺のお話、茶壇町アメリカンビレッジのお話をお聞きください。
スピーカー 3
もはと、シュガーローフ、最初は人だと思ってたんですけど。
宇賀田雛帆
結局シュガーローフっていうのは何のことなんですか?
パン。
パンなの?
それはなんかいろんな説があるけど。
シュガーローフっていうのはちょっと高いところになっていて、
アメリカ軍がシュガーローフって呼んでいた場所で、
そこで日本軍とアメリカ軍が何回も入れ替わる。
シュガーローフを制圧して制圧されるって何回も繰り返す激戦が行われたという場所で、
今はビルの中にスポット的にあるだけで、ほとんどわからないです。
知らなきゃいけないという場所ですね。
スピーカー 3
で、最後に県立博物館に行きます。
宇賀田雛帆
県立博物館はいろいろ見てきて、大体まとめてあって復習できる状態です。
だいぶ一日いろいろ見てる。
スピーカー 3
グッたりしてる。
宇賀田雛帆
復習するにはいいです。
で、後で調べたらそこも米軍の住宅として使われていたところが後に返還されて、
一戸信哉
県立博物館ができたり、博物館の隣にあるサンエーっていうショッピングモールみたいになってたりして、
宇賀田雛帆
大きく商業施設になっていったのは、後で返還された場所だから広いときができて、それで作られたことみたいですね。
アメリカンビレッジも行きました。
2日目の夜。
2日目の夜にステーキ食べに行ったら、最初のステーキ屋に断られて、
アメリカンビレッジのステーキ88でみんな大金を投入してステーキを食べました。
18:01
スピーカー 3
感動しました。
宇賀田雛帆
景色から一気に変わった。
スピーカー 3
キラキラだね。
本当にすごいね。
宇賀田雛帆
イルミネーションだらけで。
宇賀田雛帆
すごい広いし。
坂爪さんが惹かれるようなキラキラっとしたところとか楽しそうなところとかは、
大体みんなもともと米軍用地だった。
アメリカンビレッジもそうだし、3Aもそうだし。
大きな商業施設が入ってキラキラっとしているところは、もともとは沖縄米軍がいたところだった。
一戸信哉
そういうところだったよね。
宇賀田雛帆
アメリカンビレッジはすごいね。
ラスベガスみたいなキラキラキラキラみたいなところでした。
海外にいるかと思った。
海外にいるかと思いました。
宇賀田雛帆
人もいっぱいいて、外国人もたくさんいて。
スピーカー 3
地域の場所に行くのが大変だったよ。
どこかわからない。
どこにあるのかわからない。
一戸信哉
広すぎてね。
シュガーローフ、アメリカンビレッジなどお話を聞いていただきました。
沖縄本島にある比較的新しい、こうした商業施設、アメリカンビレッジとか、3Aの名田岳とかですね。
宇賀田雛帆
調べてみると、その多くが米軍基地として使われていた土地。
一戸信哉
これが返還されて、その後開発されていったという場所だということがわかります。
基地として使われていた場所ですから、そこの地権者というのもいるんでしょうし、
このように商業施設を作っていくのも大変だったのではないかと思いますが、
このように返還された商業地を活用するというのが、少なくともこれまでのところではうまくいっているというところも感じられるということになるかと思います。
さて、終盤徐々にオフタイムに近い話になってきていますが、
最後は国際通りや北部元部町近くの瀬底島など、そこで海に入った話なんかも出てきます。
お聞きください。
スピーカー 3
あとは?
宇賀田雛帆
あとは国際通りとかも行ったし。
スピーカー 3
国際通りは2回くらい行きましたね。
宇賀田雛帆
2回くらい行きました。
何か買いました。
チョッチュネ。
スピーカー 3
チョッチュネTシャツ、みんなでグシケンヨウコーTシャツお揃いで買いました。
宇賀田雛帆
女性メンバー4人、色違い。
グシケンヨウコーお揃いで出かけてました。
スピーカー 3
あと屋台村?
宇賀田雛帆
屋台村も行きましたね。
スピーカー 3
居酒屋がワン酒ある建物が。
宇賀田雛帆
みんなグシケンヨウコーさんは知らないよね?
スピーカー 3
知ってますよ。
宇賀田雛帆
タレントとしてしか知ってない。
活躍してたときは生まれてないです。
スピーカー 3
歌手だった?
宇賀田雛帆
違いますよ。
スピーカー 3
俳優?
宇賀田雛帆
違うよ、ボクシングですよ。
一戸信哉
ボクシング?
宇賀田雛帆
ボクシング、世界チャンピオン何回も防衛して。
スピーカー 3
それを想像させないキャラだよね。
宇賀田雛帆
そうです。
スピーカー 3
海がすごい綺麗。
21:02
一戸信哉
何島?
宇賀田雛帆
海?
スピーカー 3
瀬底島ですね。
宇賀田雛帆
瀬底島。
名古屋の方から戻ってくるときに、
瀬底島という橋でつながった島があって、
そこに立ち寄りました。
スピーカー 3
どこの海も綺麗。
宇賀田雛帆
あそこでもプライベート感ある。
今ヒルトンホテルができて、
ヒルトンホテルに泊まりながらそこで遊べる。
1泊3万円くらいでした。
スピーカー 3
1泊3万円から?
宇賀田雛帆
皆さん、自分のお金を利用してください。
一戸信哉
さて、エンディングです。
今回撮影した沖縄での映像については、
この番組が放送される頃には、
何らかの作品が生み出されているはずで、
またこれを上映するということも予定しています。
今後もこの授業の中では、
さらに次回はやり方を工夫して、
沖縄を知るというだけじゃなくて、
表現するということにこだわった授業を
展開していこうと思っています。
番組最後のメッセージは、
現地で収録した坂爪さんの音声でお送りします。
宇賀田雛帆
「敬和キャンパスレポ」は、
X、旧、Twitter、note、Instagramなどで、
番組情報などを発信しています。
番組名、「敬和キャンパスレポ」で検索してみてください。
今日の「敬和キャンパスレポ」終了の時間です。
皆さんお休みなさい。
「敬和キャンパスレポ」は、
実践するリベラルアーツ、
けいわ学園大学の提供でお送りしました。
23:36

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