1. 敬和キャンパスレポ
  2. Vol.236 バックパッカーとして..

 4/12の敬和キャンパスレポは、敬和学園大学の卒業生で、有限会社NSファクトリーで代表取締役社長をつとめている坂爪直樹さんにお話を伺いました。

 なんとこの方、今回のMC坂爪海友のお父さん!大学卒業と同時にバックパッカーとして世界中を回っていたという直樹さん。訪れた国のお話はもちろん、敬和に在学していた頃のお話や、起業までの道のりなどについてうかがいました。番組初の親子共演にも注目してみてください。

 MCは坂爪、小林。

00:03
スピーカー 1
敬和キャンパスレポ。この番組は、新発田市富塚にある敬和学園大学の大学生が、大学に関わるイベントや人、新発田のことなどをテーマにお届けします。
敬和キャンパスレポは、実践数リベラルアーツ、敬和学園大学の提供でお送りします。
皆さん、こんばんは。この番組は、敬和学園大学から大学のことや新発田、新潟のことを伝える30分番組です。
今日の進行は、英語文化コミュニケーション学科、放送時にはおそらく4年の小林和里。
国際文化学科、放送時には3年の坂爪美優です。どうぞよろしくお願いします。
今日は、家族のコミュニケーションがテーマになりそうなのですが、小林さん、ご家族での会話は変化はありましたか。
小林 そうですね。やっぱりだんだん会話が減ってきているなというのが感じますね。
私がアルバイトを始めたり、大学の方の生活が忙しくなったりして、だんだん顔を合わせる機会が減ってきていて、年々減ってきているので、もうちょっと増やしたいなと思っています。
さて、今日は、敬和学園大学2期生にあたる卒業生、坂爪直樹さんにおいていただきました。
現在、新潟市秋葉区で自動車関連事業を営む有限会社NSファクトリーで代表取締役、社長を務められています。どうぞよろしくお願いします。
スピーカー 2
坂爪 よろしくお願いします。坂爪直樹です。
スピーカー 1
なぜ家族のコミュニケーションの話題になるかというと、もしかしたら同じ名字なので、皆さん察している方がいるかもしれないんですが、坂爪直樹さんは、本日私小林とペアを組むMC坂爪美優さんのお父さんだからですね。
美優さん、今日は番組初の2世代共演会として、お父さんといつもと違った感じでお話しすることになると思いますが、どうですか?
坂爪 緊張します。硬い空気で喋ったことがないので、すごい不思議で仕方ないです。
なかなか不思議な空気感でお届けすることになるかなと思います。
では坂爪美優から、今日のゲスト坂爪直樹さんをご紹介します。坂爪直樹さんは新潟市明博のご出身で、
敬和学園高等学校をご卒業後、敬和学園大学の国際文化学科に進学され、1996年に卒業されて2期生となるそうです。
在学中は朝野先生のゼミに所属され、日本におけるリサイクルを卒業論文のテーマにされています。
また今も続く地域の皆さんと大学の交流イベント、ふれあいバラエティーの初代実行委員を務められました。
卒業後は中東やヨーロッパ、南米などをバックパッカーとして旅した後に帰国、新潟市にて中古整備工場を起業され現在に至っています。
03:08
スピーカー 1
私坂爪美優は起業して間もない時期に生まれたということかと思います。
2004年ですよね、美優さんが生まれた時期。
はい、2004年に生まれました。
直樹さん、2004年はどういう時期でしたか。
スピーカー 2
2004年は自分が30歳の時だと思うんですけど、一番車屋をやりたてで金がない時期でした。
スピーカー 1
じゃあ結構大変な時期だったんですね。
スピーカー 2
相当苦労してて、いろんな人たちによくしてもらって、車買ってもらったり、修理で車預けてもらったりして、徐々にお客さんを増え始めていった時期ですね。
スピーカー 1
会社としてはまだ間もなくて、あと美優さんも生まれたばっかりというので、結構大変な時期だったんですね。
スピーカー 2
だいぶ大変だったけど、あんまり大変というイメージはなく、楽しく明るく過ごしておりました。
スピーカー 1
いいことですね。開学して間もない時期に、敬和学園大学を卒業されていますので、さっき当時からいらっしゃった朝野先生とかはもちろんいらっしゃらないと思いますし、大学の中もだいぶ変わったんじゃないかなと思います。
当時と比較してここが変わったとか、ここは変わってないなといったところがあれば教えてください。
スピーカー 2
僕入って一つ上の先輩しかいなかったんで、全てが自分たちで作りなさいっていう風潮だったんで、部活もそうだし。
だから勝手にうちらの年代で敬和音楽部を作って、いまだにあると思いますよね。
一つ上の人がラグビー部を作って、僕もラグビーをやって。
あと本当、学園祭にしてもいろんなことを自分たちで何とか考えてやりなさいっていう風潮がありましたね。
スピーカー 1
じゃあ周りの大人に頼るっていうよりも自分たちで考えてやっていく。
スピーカー 2
そんな感じですね。自分たちで考えて。
あとでその当時松崎先生という人がいて、その先生にこれどうですかって言ってOKもらえれば、それで採用って感じですね。
スピーカー 1
松崎先生という方が結構仕切ってたという。
スピーカー 2
かなり仕切ってましたね、その時は。
スピーカー 1
ラグビー部あったの驚きでしたね。今はもうないので。
スピーカー 2
確かに。ラグビー部もかなり頑張ってやってますからね。
スピーカー 1
そうなんですね。結構強かったんですか。
スピーカー 2
まあまあそこそこ練習試合では勝ってて。
本当あの時は野球部もあったしサッカー部もあったし。
いろいろグランド出ると人がわちゃわちゃいった感じで。
スピーカー 1
運動部が結構盛んだ。
スピーカー 2
運動部は盛んで体育館がなかったから体育館はどっかの小学校行って体育やってた。
06:06
スピーカー 2
体育館なかったんだ。
体育館なかった。あそこはグランドだったから。
そうなんですね。
だから小学校まで仮に行って中でバトミントンしたり。
スピーカー 1
それ知らなかったです。もともと最初からあるものだと思ってたので。
スピーカー 2
あれは全然新しい感じで。
スピーカー 1
直樹さんが卒業されてからですか。
スピーカー 2
卒業して多分2年後とか3年後ぐらいに。
スピーカー 1
そうなんですね。初めて知りました。
ふれあいバラエティというのは2023年秋に久しぶりに開催されたということで
キャンパスレポでも取り上げましたが
最初の頃は今のやり方と少し違ったような話題が出ていたのですが
実際のところどんな取り組みをどのようにされていたのでしょうか。
スピーカー 2
今の取り組みがよくわかんないけど。
スピーカー 1
今年は多分地域の高齢者の方を呼んで
ボランティアみたいな高齢者の人と関わって
あとeスポーツってぴょぴょとかゲームとかを使ったりとか
あとは体育館を使って輪投げをしたりとか
地域の高齢者の方々との関わりを密接に行っていたみたいなんですけど
あと学園ツアーとかもしたりしたみたいで。
スピーカー 2
面白そうだ。
スピーカー 1
なので最初の方はどうだったんだろう?
スピーカー 2
最初の方は僕が割と企画した時は歌を歌うとか
あと演劇部がその時あったんで
多少の演劇と
やる側のPAとか音響の人も
ちょっとその時関わりがあった障害の人が
ズバ抜けて耳にいい人がいて
その人にみんな任せて音出ししてもらったりして
それでどちらかというと障害者の方と
あと高齢者の方を多く入れて
スピーカー 1
初めはふれあいコンサートみたいな名前でやってたけど
スピーカー 2
そのふれあいコンサートじゃねえろって言って
もっとバラエティーに富んだのがいいんじゃないかって言って
ふれあいバラエティーって名前にして
4年生の頃は新発田の文化会館かどっか借り切って
割と何百人も集めて歌を歌ったりしてやってました
スピーカー 1
大学から飛び出して文化会館に
スピーカー 2
大学から飛び出して
スピーカー 1
結構にぎわったんじゃないですか?
スピーカー 2
だいぶその時はにぎわってて
毎回俺の記録する中だと
大きなのっぽの古時計を僕が2年間か3年間続けて歌って
みんなそれで盛り上がるみたいなところがあります
09:02
スピーカー 1
一人で歌われたんですか?
スピーカー 2
一人で歌ってその時の大学の友達がギターをやりながら
アレンジを加えてやって
その後に平井健が大きなのっぽの古時計を出して
俺のパクリをしたっていうか
スピーカー 1
その時から目の付けところが
さっきの卒論の話にもつながりますけど
付けところが違うんですね
スピーカー 2
そうですね
自信感じゃないですか
スピーカー 1
さてここで1曲お届けします
今日の曲はこちら
羊文学more than words
こちらの曲はテレビアニメ呪術回戦第2期
渋谷事変のエンディングテーマとして
2023年9月にリリースされています
MVは夜の渋谷の街を舞台に
ボーカルの塩塚萌花さんが悩みや葛藤を
解放していく姿を描いているそうです
それでは聴いてみましょう
羊文学more than words
競和キャンパスレポ
さて今日の競和キャンパスレポは
競和学園大学卒業生2期生に当たる
坂爪直樹さんにおいていただいています
スピーカー 2
後半もどうぞよろしくお願いします
スピーカー 1
前半は開学間もない頃の大学の様子など
あとイベントのことなどもうががってきました
卒業後ですがいわゆる新卒で就職することはせずに
最初はバックパッカーとして数年間
世界中を放浪されていたとのことでした
思い切った決断だったと思いますが
どんな思いで決断されて
どんな日々を送られてきたのか教えていただけますか
スピーカー 2
まず4年生の卒業する間近まで就職が決まってて
もうここに行くんだぞっていうのも決まってたんだけど
NHKのテレビ見て
イスラエルの器物っていう共同しながら働きながら
世界中の人々を受け入れる場所があって
そこに行くと手っ取り早く
外国の人たちといっぱい友達になれるかなって思ったのが
だんだんフツフツしてきて
卒業する2ヶ月3ヶ月前に
やっぱ俺イスラエル行こうと思って
就職も決定
卒業式の翌々日に旅立ちました
スピーカー 1
割とすぐ
スピーカー 2
しかも卒業式の手前まで
4年生の時に80単位ぐらい取らなきゃいけなくて
スピーカー 1
結構ギリギリ
そうですよね
1年間で大体48単位取れる
スピーカー 2
フルで授業出て頑張って振り絞りながら卒業して
イスラエルに無事に旅立てました
スピーカー 1
本当に結構ギリギリだったんですか
スピーカー 2
超ギリギリ
スピーカー 1
それでイスラエルに行って
今まで自分が思ってたイメージと変わったこととかありますか
12:01
スピーカー 2
まずインターネットがない時代ってのもあって
イスラエルがどこにあるかって知ったのが
イスラエルに着いてからなんで
そうなんですか
今で言う地球の歩き方とかも一切持たずに行って
それでエジプトの上なんだと思って
じゃあ熱い国だなっていうのは思ってて
そんな安易な気持ちで
奇物っていう共同体に入って
それで思い描いた通り
いろんな国からヨーロッパや南米
南米あんまりいないな
アジアの人とかが来て働くことをする代わりに
飲食獣みんなありますよっていうスタンスで働いてました
スピーカー 1
奇物という共同団体の話が結構出てきてるんですけど
活動内容ってどういう感じだったんですか
スピーカー 2
活動内容は奇物はイスラエルに何箇所かあって
いろんな国からそういうところで働き手を提供するというか
そこで輸出する
例えば俺携わってたのがアボカド
アボカド畑で働いて
あとストラスハウスって言って
グレープフルーツとかそういうのも作ったりして
あと繊維の会社もあったんで
そういうフクダとかそういうのをみんな輸出するために
人材が必要で
その人材を外国から
ボランティアとかで集まった人たちも一緒になって
やりましょうっていう感じで受け入れてもらって
スピーカー 1
一応割とグローバルな環境で
スピーカー 2
かなりグローバルで
スピーカー 1
言語とかも皆さん違うので苦労されたんじゃないですか
スピーカー 2
言語は一応統一として英語で暮らしてたけど
働いてる時はヘブライ語を覚えて
夜はヘブライ語を覚えて
ヘブライ語で3ヶ月ぐらい経ってくると
だんだんヘブライ語も分かってくるんで
それで何とか働きながら生活もできた
スピーカー 1
そうなんですね
イスラエルの話が出てきたんですけど
他にも回られた国ってどこかありますか
スピーカー 2
イスラエルから帰りのチケットが
やっぱりイスラエルから日本に帰ると
ものすごい高い時代だったから
イギリスのヒースロー空港から
成田までっていうのが一番安いチケットで
じゃあちょっとヒースローから成田まで帰ろうかと思って
世界地図みたいなのしか持ってなかったから
世界地図で見たらこんな20センチぐらいだったから
まあ行けるろうなんて思って
行ったら2ヶ月ぐらいかかって
だいぶかかりましたね
そうですね
スピーカー 1
地図見るとここら辺ちょっと距離短いから
行けるかなって感じるけど
スピーカー 2
実際の地図はもっと長い感じで
15:00
スピーカー 2
それでかっこいいこと言ってバックパッカーだったけど
単純にお金がないから
地中海を渡ってトルコの方入って
キプロストを抜けてイタリア入ったみたいな
そんな感じでヨーロッパをぐるぐる回って
最終的にイギリスに着いて
そこから帰ったと
単純にその間にいろんな話はあるけど
するともう何時間も経つから
こんな感じです
スピーカー 1
日本に帰ろうと思ったきっかけは何ですか?
スピーカー 2
やっぱり日本が一番大好きかなっていうので
スピーカー 1
他の国を回ってみて日本の良さを
スピーカー 2
国を回ってみてやっぱり日本がいいし
やっぱり新潟が一番住みやすいし
スピーカー 1
旅から帰国して現在の仕事をされるようになったわけですが
起業されることになった経緯はどのようなものだったのでしょうか?
スピーカー 2
旅から帰ってきてまたちょっと建設現場で
アルバイトしながら働いて
それで僕が一回決った会社が
卒業前に決った会社が偶然その社長と会って
それで偶然本当に会って
お前今何やってるんだって言われて
これこれこうでって言ったら
じゃあもう一回うちに来いって言われて
3年越しぐらいで
その会社に入ることになって
初めて25歳ぐらいにして
社会人になって
サラリーマンやったんだけど
結局サラリーマンもやっぱり俺向いてないなと思って
もう2年ぐらいでやっぱり辞めてしまって
そうしたらサラリーマン向いてないってことは
ちょっと俺この先どうしようかなと思ったら
もう起業するしかないかって言って
何で起業しようと
飲食かなとか建設現場このままかなと思ったんだけど
やっぱり自分が一番何が好きかっていうと
車いじったりバイクいじったり
そういうのはもう昔からやってたから
じゃあ車やってみようっていうので
全然車屋とは関係ないところから
スピーカー 1
車屋を立ち上げました
今まで車に関するアルバイトとかお仕事も
スピーカー 2
抑えたことない
スピーカー 1
一切してないですね
スピーカー 2
趣味でいじるぐらいですか
趣味でいじってて
だから車屋の名前を決めて車屋やりだして
さあ車屋ですって言った時
名義変更ってどうやるんだろうとか
スピーカー 2
そういう事務的なことも一切知らずにやったんで
みんな行き当たりばったりで始めたという
スピーカー 1
会社立ち上げるの結構いろいろと大変だって聞くので
そこも結構苦労されましたか
スピーカー 2
苦労というより勢いしかなかったんで
勢いでやってしまえば
みんなやれるんだぞっていうことを
スピーカー 1
体で表したかなと
18:03
スピーカー 1
はいじゃあ起業した時期っていうと
ちょうどみゆうさんが生まれた時ですよね
スピーカー 2
みゆうが生まれるほんの1年ぐらい前
そうなんですね
スピーカー 1
みゆうさんお父さんの仕事について
印象に残っていることとかってありますか
私は幼い頃からきっと雨車に乗せられて
保育園とかを送り迎えをしてくれたことが
記憶に残ってます
あとはずっと家にいて
エンジンの音とかがすごいうるさいので
車とかバイクって
もうそのうるさいっていう印象しかなかったですね
あまり仕事してる姿とかは見ることがなかったので
そういう姿は思い出せないんですけど
仕事でのお父さんってより
もうプライベートのお父さんの姿
めっちゃ車乗ってましたね
でも雨車で送り迎えてかっこいいですね
スピーカー 2
古い雨車だったから途中で止まったり
あとエアコンもなかったから夏暑かったり
そういうのが時期があったから
彼女は印象が悪いんでしょうね
スピーカー 1
さびてるしね
止まってちょっと困った時ってありましたか
スピーカー 2
それこそみゆうが生まれた日に
雪が降る日に
僕の雨車降るすぎてワイパーも効かないんで
雪の降る中手でタオルでバシバシガラスをはたきながら
雪を落として何とか病院にたどり着くなっていう
300メーターぐらい手前でエンジンが止まって
それで自分の車を押しながら何とか病院に着いて
その姿を看護婦さんに見られて
私の妻に旦那さん何か車を押してましたよって言って
みゆうが誕生した日に押しながら行ったという話が
なかなかその病院内でも広まって
あの人何やってるのって感じで
スピーカー 1
噂の人みたいな
スピーカー 2
そんな感じですよね
間に合わなかったってことですか
間に合ったけど間に合うも間に合うも
生まれてしまったらOKだけ
そんな感じです
スピーカー 1
初めてみゆうさんを知りましたか
パパお父さんらしい
世界を放浪した後に起業された坂爪直樹さんに
憧れる後輩たちもいるのではないかなと思います
そんな後輩たちへのメッセージをお願いします
また勉強とダンスとラジオ番組に
何事も一生懸命頑張っている
娘さんのみゆうさんへの期待もぜひ一言お願いします
スピーカー 2
学生さんたちに言えるのは
勉強もやっぱり大切だけど
21:02
スピーカー 2
一番この年になって大切だと思うのは人間力
だから大学の時にいろんな経験もして
いろんな人や先生や友達と関わり合って
その人間力を増して
あといらない経験なんてないから
断るより何でも全て受け入れてやって
いろんな経験をぜひ積んで
この先生きていってほしいなと思いますね
スピーカー 1
いいこと言った
スピーカー 2
私は
みゆうには基本自由奔放に育ててるんで
今までダンスしか知らなかったから
ダンス以外のものなんかいろいろ経験して
いろんなことをまた
彼女のやりたいことは何でも
スピーカー 1
自分からやってくれって感じです
スピーカー 2
やります
すごい親子の会話が聞けてすごい嬉しい
スピーカー 1
さてエンディングです
ナオキさん一回日本に帰ってきた後
また南米に行かれたってことなんですかね
スピーカー 2
そうですね
日本に一回帰ってきてまたお金を一回貯め直して
今度南米のエクアドルっていうところに
もう一回行きたくて
行った理由もヘラクレスオオカブトムシ生で見てるなとか
安易な理由で
たまたまその時卒業生で
そのエクアドルに出身の子がいたので
そのつてでエクアドルに行けたってことですね
スピーカー 1
エクアドルってバナナ有名ですよね
スピーカー 2
バナナはめちゃくちゃ有名で
日本人が向こうの産生の日系人の経営するバナナ農園に
最終的にお世話になって
バナナの収穫を手伝ったり
運搬したりして手伝いはしてました
スピーカー 1
そうなんですね
エクアドルで印象に残っている食べ物とかありますか
スピーカー 2
エクアドルは印象に残っているのは
エクアドルはあんまりご飯はうまくなかったなっていうのはあって
ほとんどなんかハンバーガーとか食べてて
でもやっぱりそのフルーツがうまいし
バナナはそのままぶら下がってるバナナをもいで食うっていう
スピーカー 1
そのまま食べれるんですか
スピーカー 2
そのまま色が緑のやつはだめだけど
一番下は完熟してるから
スピーカー 1
一番下のいい色になったやつだけを取って食べてました
おいしそうですね
バナナは最高にうまかったなと
24:00
スピーカー 1
みゆうさんどうですか
エクアドルのバナナ食べてみたいですか
食べれるなら食べてみたいですね
スピーカー 2
固いんですか
いやバナナだから柔らかいし
ローソンでもエクアドルのバナナ売ってるから
スピーカー 1
皆さんちょっとエクアドルのバナナ食べてください
エクアドルで何か危険な目にあったことはありますか
スピーカー 2
危険な目にあったのはエクアドルでアマゾン川下りをしてて
アマゾン川やっぱ下ってると時々ワニがいたり
でっかいヘビもいたりして
あと釣りで鶏肉をつけてピラニアを釣って
ピラニア食べてました
スピーカー 1
ピラニア食べれるんだと
スピーカー 2
ピラニアは白身の肉なんで非常に淡白な味がして
醤油があればうまかったんだけど塩しか持ってなかったから
スピーカー 1
では今日の放送はこの辺で失礼します
ケイワキャンパスレポはxqtwitternote
インスタグラムなどで番組情報などを発信しています
番組名ケイワキャンパスレポで検索してみてください
今日のケイワキャンパスレポ終了のお時間です
皆さんお休みなさい
ケイワキャンパスレポは
ジッセンスリベラルアーツ
ケイワ学園大学の提供でお送りしました
25:37

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