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2024-04-12 25:37

Vol.236 バックパッカーとして世界を旅した卒業生(そしてMC坂爪のお父さん)、坂爪直樹さんインタビュー:敬和キャンパスレポ 20240412

 4/12の敬和キャンパスレポは、敬和学園大学の卒業生で、有限会社NSファクトリーで代表取締役社長をつとめている坂爪直樹さんにお話を伺いました。

 なんとこの方、今回のMC坂爪海友のお父さん!大学卒業と同時にバックパッカーとして世界中を回っていたという直樹さん。訪れた国のお話はもちろん、敬和に在学していた頃のお話や、起業までの道のりなどについてうかがいました。番組初の親子共演にも注目してみてください。

 MCは坂爪、小林。

00:03
小林和紗
敬和キャンパスレポ。この番組は、新発田市富塚にある敬和学園大学の大学生が、大学に関わるイベントや人、新発田のことなどをテーマにお届けします。
敬和キャンパスレポは、実践数リベラルアーツ、敬和学園大学の提供でお送りします。
皆さんこんばんは。この番組は、敬和学園大学から大学のことや新発田、新潟のことを伝える30分番組です。
今日の振興は、英語文化コミュニケーション学科、放送時にはおそらく4年の小林一里。
坂爪海友
国際文化学科、放送時には3年の坂爪海友です。どうぞよろしくお願いします。
今日は、家族のコミュニケーションがテーマになりそうなのですが、小林さん、ご家族での会話は変化はありましたか。
小林和紗
そうですね。やっぱりだんだん会話が減ってきているなというのが感じますね。
私がアルバイトを始めたり、大学の方の生活が忙しくなったりして、だんだん顔を合わせる機会が減ってきていて、年々減ってきているので、もうちょっと増やしたいなと思っています。
小林和紗
さて、今日は、敬和学園大学2期生にあたる卒業生、坂爪直樹さんにおいていただきました。
現在、新潟市秋葉区で自動車関連事業を営む有限会社NSファクトリーで代表取締役、社長を務められています。どうぞよろしくお願いします。
坂爪直樹
よろしくお願いします。坂爪直樹です。
小林和紗
なぜ家族のコミュニケーションの話題になるかというと、もしかしたら同じ名字なので、皆さん察している方がいるかもしれないんですが、坂爪直樹さんは、本日私小林とペアを組むMC坂爪海友さんのお父さんだからですね。
小林和紗
海友さん、今日は番組初の二世代共演会としてお父さんといつもと違った感じでお話しすることになると思いますが、どうですか。
坂爪海友
緊張します。
小林和紗
そうですよね。
坂爪海友
こんな固い空気で喋ったことがないので、すごい不思議で仕方ないです。
小林和紗
そうですよね。なかなか不思議な空気感でお届けすることになるかなと思います。
坂爪海友
では坂爪海友から、今日のゲスト坂爪直樹さんをご紹介します。
坂爪直樹さんは新潟市秋葉区のご出身で、敬和学園高等学校をご卒業後、敬和学園大学の国際文化学科に進学され、1996年に卒業されて2期生となるそうです。
在学中は朝野先生のゼミに所属され、日本におけるリサイクルを卒業論文のテーマにされています。
また今も続く地域の皆さんと大学の交流イベント、ふれあいバラエティーの初代実行委員を務められました。
卒業後は中東やヨーロッパ、南米などをバックパッカーとして旅した後に帰国、新潟市にて中古整備工場を起業され現在に至っています。
03:08
坂爪海友
私坂爪海友は起業して間もない時期に生まれたということかと思います。
小林和紗
2004年ですよね、海友さんが生まれた時期。
坂爪海友
2004年に生まれました。
小林和紗
直樹さん、2004年はどういう時期でしたか。
坂爪直樹
2004年は自分が30歳の時だと思うんですけど、一番車屋をやりたてで金がない時期でした。
小林和紗
結構大変な時期だったんですね。
坂爪直樹
相当苦労してて、いろんな人たちによくしてもらって、車買ってもらったり、修理で車預けてもらったりして、徐々にお客さんを増え始めていった時期ですね。
小林和紗
会社としてはまだ間もなくて、あと海友さんも生まれたばっかりというので、結構大変な時期だったんですね。
坂爪直樹
だいぶ大変だったけど、あんまり大変というイメージはなく、楽しく明るく過ごしておりました。
小林和紗
開学して間もない時期に、敬和学園大学を卒業されていますので、さっき当時からいらっしゃった朝野先生とかはもちろんいらっしゃらないと思いますし、大学の中もだいぶ変わったんじゃないかなと思います。
当時と比較して、ここが変わったとか、ここは変わってないなといったところがあれば教えてください。
坂爪直樹
僕入って一つ上の先輩しかいなかったんで、全てが自分たちで作りなさいという風潮だったんで、部活もそうだし。
だから勝手にうちらの年代で軽音学部を作って、いまだにあるとは思いますね。
一つ上の人がラグビー部を作って、僕もラグビーをやって、あと本当学園祭にしても、いろんなことを自分たちで何とか考えてやりなさいという風潮がありましたね。
小林和紗
じゃあ周りの大人に頼るというよりも、自分たちで考えてやっていく。
坂爪直樹
そんな感じですね。自分たちで考えて、後でその当時松崎先生という人がいて、その先生にこれどうですかって言ってOKもらえれば、それで採用という感じですね。
小林和紗
松崎先生という方が結構仕切ってたという。
坂爪直樹
かなり仕切ってましたね、その時は。
小林和紗
ラグビー部あったの驚きでしたね。今はもうないので。
坂爪直樹
確かに。ラグビー部もかなり頑張ってやってましたからね。
小林和紗
そうなんですね。結構強かったんですか?
坂爪直樹
そこそこ練習試合では勝ってて、本当あの時は野球部もあったし、サッカー部もあったし、いろいろグラウンド出ると人がわちゃわちゃいった感じで。
小林和紗
運動部が結構盛んだった?
06:00
坂爪直樹
運動部は盛んで、体育館がなかったから、体育館はどっかの小学校行って体育やってた。
小林和紗
体育館なかったんですか?
坂爪直樹
体育館はグラウンドだったから。
小林和紗
そうなんですね。
坂爪直樹
だから小学校まで借りに行って、中でバトミントンしたり。
小林和紗
それ知らなかったです。もともと最初からあるものだと思っていたんで。
坂爪直樹
あれは全然新しい感じで。
小林和紗
直樹さんが卒業されてからですか?
坂爪直樹
卒業してたぶん2年後とか3年後ぐらいに。
小林和紗
そうなんですね。初めて知りました。
坂爪海友
ふれあいバラエティというのは、2023年秋に久しぶりに開催されたということで、キャンパスレポでも取り上げましたが、
最初の頃は今のやり方と少し違ったような話題が出ていたのですが、実際のところどんな取り組みをどのようにされていたのでしょうか?
坂爪直樹
今の取り組みがよくわかんないけど。
小林和紗
今年は多分その地域の高齢者の方を呼んで、ボランティアみたいな高齢者の人と関わって、
あとそのeスポーツってぷよぷよとかゲームとかを使ったりとか、
あとはその輪投げとか体育館を使って輪投げをしたりとか、
その地域の高齢者の方々との関わりを密接に行っていたみたいなんですけど。
あと学園ツアーとかもしたりしたみたいで。
坂爪直樹
面白そうな。
小林和紗
なので最初の方どうだったんだろうと。
坂爪直樹
最初の方は、僕が割とその企画した時は歌を歌うとか、
あと演劇部がその時あったんで、演劇、多少の演劇と、
あとそのやる側のPAとか音響の人も、
ちょっとその時関わりがあった障害の人がずば抜けて耳いい人がいて、
その人にみんな任せて音出ししてもらったりして。
それでどちらかというと障害者の方と、あと高齢者の方を多く入れて、
初めはふれあいコンサートみたいな名前でやってたけど、
そのふれあいコンサートじゃねえろって言って、
俺がもっとバラエティーに富んだ方がいいんじゃないかって言って、
ふれあいバラエティーって名前にして、
島には4年生の頃は新発田の文化会館かどっか借り切って、
割と何百人も集めて歌を歌ったりしてやってました。
小林和紗
大学から飛び出して文化会館に?
坂爪直樹
大学から飛び出して。
小林和紗
結構にぎわったんじゃないですか?
坂爪直樹
うん、だいぶその時はにぎわってて。
で、毎回俺の記録する中だと、
大きなノッポの古時計を僕が2年間か3年間続けて歌って、
みんなそれで盛り上がるみたいなところがありました。
09:02
小林和紗
一人で歌われたんですか?
坂爪直樹
一人で歌って、その時の大学の友達がギターをやりながら、
アレンジを加えてやって、
その後に平井健が大きなノッポの古時計を出して、
俺のパクリをしたっていうか。
小林和紗
その時から目の付け所が、さっきの卒論の話にもつながりますけど、
付け所が違うんですね。
坂爪海友
自信家じゃないですか。
さて、ここで1曲お届けします。
今日の曲はこちら。
羊文学 more than wars
こちらの曲は、テレビアニメ呪術回戦第2期
渋谷事変のエンディングテーマとして、
2023年9月にリリースされています。
MVは夜の渋谷の街を舞台に、
ボーカルの塩塚萌花さんが悩みや葛藤を解放していく姿を描いているそうです。
それでは聴いてみましょう。
羊文学 more than wars
小林和紗
敬和キャンパスレポ
さて、今日の敬和キャンパスレポは、
敬和学園大学卒業生2期生にあたる坂爪直樹さんにおいていただいています。
後半もどうぞよろしくお願いします。
坂爪直樹
よろしくお願いします。
小林和紗
前半は、開学間もない頃の大学の様子など、
あとイベントのことなども伺ってきました。
卒業後ですが、いわゆる新卒で就職することはせずに、
最初はバックパッカーとして数年間世界中を放浪されていたとのことです。
小林和紗
思い切った決断だったと思いますが、
どんな思いで決断されて、どんな日々を送られてきたのか教えていただけますか。
坂爪直樹
まず4年生の卒業する間近まで就職が決まっていて、
もうここへ行くんだぞというのも決まっていたんだけど、
NHKのテレビを見て、イスラエルの器物という、
共同しながら働きながら世界中の人々を受け入れる場所があって、
そこに行くと手っ取り早く、外国の人たちといっぱい友達になれるかなと思ったのが、
だんだんフツフツしてきて、卒業する2ヶ月3ヶ月前に、
やっぱり俺イスラエル行こうと思って、就職も蹴って
卒業式の翌々日に旅立ちました。
しかも卒業式の手前まで、4年生の時に80単位ぐらい取らなきゃいけなくて、
小林和紗
一年間で大体48単位取れるようになりました。
坂爪直樹
フルで授業出て、頑張って振り絞りながら卒業して、
イスラエルに無事に旅立てました。
小林和紗
本当に結構ギリギリだったんですか?
坂爪直樹
超ギリギリ。
小林和紗
それでイスラエルに行って、今まで自分が思っていたイメージと変わったこととかありますか?
12:01
坂爪直樹
まずインターネットがない時代もあって、
イスラエルがどこにあるかって知ったのが、イスラエルに着いてからなんで。
小林和紗
そうなんですか?
坂爪直樹
今でいう地球の歩き方とかも一切持たずに行って、
それでエジプトの上なんだと思って、じゃあ熱い国だなっていうのは思ってて、
そんな安易な気持ちで器物っていう共同体に入って、
それで思い描いた通り、いろんな国からヨーロッパや南米、
南米はあんまりいないな、アジアの人とかが来て働くことをする代わりに
飲食獣みんなありますよっていうスタンスで働いてました。
小林和紗
器物という共同団体の話が結構出てきてるんですけど、活動内容ってどういう感じだったんですか?
坂爪直樹
活動内容は、器物はイスラエルに何箇所かあって、
いろんな国からそういうところで働き手を提供するというか、そこで輸出する。
例えば俺、携わってたのがアボカド。アボカド畑で働いて、
あとシトラスハウスって言って、グレープフルーツとかそういうのも作ったりして、
あと繊維の会社もあったんで、そういう服だとか、そういうのをみんな輸出するために人材が必要で、
その人材を外国からボランティアとかで集まった人たちも一緒になってやりましょうっていう感じで受け入れてもらって。
小林和紗
割とグローバルな環境で。
坂爪直樹
かなりグローバルで。
小林和紗
言語とかもみなさん違うので苦労されたんじゃないですか?
坂爪直樹
言語は一応統一として英語で暮らしてたけど、働いてる時はヘブライ語を覚えて、夜はヘブライ語を覚えて。
ヘブライ語で、やっぱり3ヶ月ぐらい経ってくるとだんだんヘブライ語もわかってくるんで、
それで何とか働きながら生活もできた。
小林和紗
そうなんですね。イスラエルの話が出てきたんですけど、他にも回られた国ってどこかありますか?
坂爪直樹
イスラエルから帰りのチケットが、やっぱりイスラエルから日本に帰るとものすごい高い時代だったから、
イギリスのヒースロー空港から成田までっていうのが一番安いチケットで、
じゃあちょっとヒースローから成田まで帰ろうかと思って、世界地図みたいなのしか持ってなかったから、
世界地図で見たらこんな20センチぐらいだったから、まあ行けるろうなんて思って行ったら2ヶ月ぐらいかかって。
小林和紗
だいぶかかりましたね。
坂爪直樹
だいぶかかって。
小林和紗
そうですよね。地図見るとここら辺ちょっと距離短いから行けるかなって思いますけど。
坂爪直樹
距離短い感じるけど、実際の地図はもっと長い感じで、それでかっこいいこと言ってバックパッカーだったけど、
15:01
坂爪直樹
単純にお金がないから地中海を渡ってトルコの方入って、キプロストを抜けてイタリア入ったみたいな。
そんな感じでヨーロッパをぐるぐる回って、最終的にイギリスに着いて、そこから帰ったと。
単純に、すげえその間にいろんな話はあるけど、するともう何時間も経つから、こんな感じです。
小林和紗
日本に帰ろうと思ったきっかけは何ですか?
坂爪直樹
やっぱり日本が一番大好きかなっていうので。
小林和紗
他の国を回ってみて、日本の良さを。
坂爪直樹
他の国を回ってみて、やっぱり日本がいいし、やっぱり新潟が一番住みやすいし。
旅から帰国して現在の仕事をされるようになった。
坂爪海友
旅から帰国して現在の仕事をされるようになったわけですが、起業されることになった経緯はどのようなものだったのでしょうか。
坂爪直樹
旅から帰ってきて、またちょっと建設現場でアルバイトしながら働いて、
それで僕が一回蹴った会社が、卒業前に蹴った会社が、偶然その社長と会って、
それで偶然会って、お前今何やってるんだって言われて、
これこれこうでって言ったら、じゃあもう一回うちに来いって言われて、
3年越しぐらいでその会社に入ることになって、
初めて25歳ぐらいにして社会人になってサラリーマンやったんだけど、
結局サラリーマンもやっぱり俺向いてねえなと思って、
もう2年ぐらいでやっぱり辞めてしまって、
そうしたらサラリーマン向いてないってことは、ちょっと俺この先どうしようかなと思ったら、
もう起業するしかないかって言って、何で起業しようと。
飲食かなとか、建設現場このままかなと思ったんだけど、
やっぱり自分が一番何が好きかっていうと、車いじったりバイクいじったり、
そういうのはもう昔からやってたから、じゃあ車屋やってみようっていうので、
全然車屋とは関係ないところから車屋を立ち上げました。
小林和紗
今まで車に関するアルバイトとかお仕事も押さえたことなかった?
坂爪直樹
一切してないですね。
坂爪海友
趣味でいじるぐらいですか?
坂爪直樹
趣味でいじってて、だから車屋の名前を決めて車屋をやりだして、
さあ車屋ですって言った時、名義変更ってどうやるんだろうとか、
そういう事務的なことも一切知らずにやったんで、
みんな行き当たりばったりで始めたという。
小林和紗
会社立ち上げるのも結構いろいろと大変だって聞くので、そこも結構苦労されましたか?
坂爪直樹
苦労というより勢いしかなかったんで、勢いでやってしまえばみんなやれるんだぞっていうことを体で表したかなと。
18:01
小林和紗
企業をした時期っていうとちょうど海友さんが生まれた時ですよね?
海友が生まれるほんの1年ぐらい前です。
坂爪直樹
そうなんですね。
小林和紗
海友さんお父さんの仕事について印象に残っていることとかってありますか?
坂爪海友
私は幼い頃からきっと飴車に乗せられて、保育園とかを送り迎えをしてくれた。
あとはずっと家にいて、エンジンの音とかがすごいうるさいので、車とかバイクってもうそのうるさいっていう印象しかなかったですね。
あまり仕事している姿とかは見ることがなかったので、そういう姿は思い出せないんですけど。
小林和紗
仕事でのお父さんってよりプライベートのお父さんの姿?
坂爪海友
めっちゃ車に乗ってましたね。
小林和紗
飴車で送り迎えてかっこいいですね。
坂爪直樹
古い飴車だったから途中で止まったり、あとエアコンもなかったから夏暑かったり、そういうのが時期があったから、彼女は印象が悪いんでしょうね。
坂爪海友
錆びてるしね。
坂爪直樹
錆びてるし。
小林和紗
止まってちょっと困った時ってありましたか?
坂爪直樹
それこそ海友が生まれた日に、雪が降る日に、僕の飴車降るすぎてワイパーも効かないんで、雪の降る中、手でタオルでバシバシガラスをはたきながら雪を落として、
なんとか病院にたどり着くなっていう300mぐらい手前でエンジンが止まって、それで自分の車を押しながらなんとか病院に着いて、その姿を看護婦さんに見られて、
うちの妻に旦那さんなんか車を押してましたよって言って、みゆが誕生した日に押しながら行ったという話がなかなかその病院内でも広まって、あの人何やってるのって感じで。
小林和紗
噂の人みたいな。
坂爪海友
間に合わなかった?
坂爪直樹
間に合ったけど、間に合うも間に合うも生まれてしまったらオッケーだけ。そんな感じです。
小林和紗
初めてみゆさんを知りましたか。
坂爪海友
なんかパパお父さんらしい。
小林和紗
では世界を放浪した後に起業された坂爪直樹さんに憧れる後輩たちもいるのではないかなと思います。そんな後輩たちへのメッセージをお願いします。
また勉強とダンスとラジオ番組に何事も一生懸命頑張っている娘さんの海友さんへの期待もぜひ一言お願いします。
坂爪直樹
学生さんたちに言えるのは、勉強もやっぱり大切だけど、一番この年になって大切だと思うのは人間力。
21:07
坂爪直樹
だから大学のうちにいろんな経験もして、いろんな人や先生や友達と関わりあって、その人間力を増して、
あといらない経験なんてないから、断るより何でもすべて受け入れてやって、いろんな経験をぜひ積んで、この先生きていってほしいなと思いますね。
小林和紗
いいこと言った。
坂爪海友
私は?
坂爪直樹
海友には基本は自由奔放に育ててるんで、今までダンスしか知らなかったから、ダンス以外のものをいろいろ経験して、
いろんなことを彼女のやりたいことは何でも自分からやってくれって感じです。
坂爪海友
やります。
小林和紗
すごい親子の会話が聞けて、すごい嬉しいです。
さてエンディングです。
直樹さん、一回日本に帰ってきた後、また南米に行かれたってことなんですね。
坂爪直樹
そうですね。
日本に一回帰ってきて、またお金を一回貯め直して、今度南米のエクアドルっていうところにもう一回行きたくて、
行った理由もヘラクレスオオカブトムシ生で見てるなとか、安易な理由で、
たまたまそのとき卒業生でエクアドルに出身の子がいたので、そのつてでエクアドルに行けたってことですね。
小林和紗
エクアドルってバナナ有名ですよね。
坂爪直樹
バナナはめちゃくちゃ有名で、その日本人が向こうの山西の日系人の経営するバナナ農園に最終的にお世話になって、
バナナの収穫を手伝ったり運搬したりして手伝いはしてました。
小林和紗
エクアドルで印象に残っている食べ物とかありますか。
坂爪直樹
エクアドルはあんまりご飯はうまくなかったなっていうのはあって、ほとんどハンバーガーとか食べてて、
でもやっぱりフルーツがうまいし、バナナはそのままぶら下がっているバナナをもいで食うっていう。
小林和紗
そのまま食べれるんですか。
そのまま食べれるんですね。
坂爪直樹
色が緑のやつはダメだけど、一番下は完熟しているから、一番下のいい色になったやつだけを取って食べてました。
小林和紗
おいしそうですね。
坂爪直樹
バナナは最高にうまかったなと。
小林和紗
みゆうさんどうですか。エクアドルのバナナ食べてみたいですか。
24:03
坂爪海友
食べれるなら食べてみたいですね。固いんですか。
坂爪直樹
バナナだから柔らかいし、今ローソンでもエクアドルのバナナ売ってるから。
みなさんちょっとエクアドルのバナナ食べてください。
坂爪海友
エクアドルで危険な目にあったことはありますか。
坂爪直樹
危険な目にあったのはエクアドルでアマゾン川下りをしてて、アマゾン川下っていると時々ワニがいたりでっかいヘビもいたりして、
あと釣りで鶏肉をつけてピラニアを釣って、ピラニア食べてました。
小林和紗
ピラニア食べれるんだ
坂爪直樹
ピラニアってヘビの肉なんで、非常に淡白な味がして、醤油があればうまかったんだけど塩しか持ってなかったから。
小林和紗
では今日の放送はこの辺で失礼します。
小林和紗
敬和キャンパスレポはエックス、旧Twitter、note、Instagramなどで番組情報などを発信しています。
番組名、敬和キャンパスレポで検索してみてください。
今日の敬和キャンパスレポ終了のお時間です。みなさんお休みなさい。
敬和キャンパスレポは、実践数リベラルアーツ、敬和学園大学の提供でお送りしました。
25:37

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