当時はちょっと珍しい学科で、総合学科っていう学科だったんですけども、
何が普通科と違うかっていうと、普通科だと結構カリキュラムが高校生だとちゃんと決まってるじゃないですか。
みんな一緒のやつをとって、選択科目がちょっとあるかなぐらいで。
で、その総合学科は2年次からもうほぼ全部選択科目になっちゃうんですよ。
で、だから結構自分の好きなカリキュラムを組めて、それが面白いというか、
それで結構いろんな5つのユニークな系列があって、
自分のやりたい方向に進んでいくみたいなスタイルの学校で。
だから、いわゆる一般教養はやらなくてよくて、
国語算数理科社会みたいなの。
やるはやるんですよ。
じゃあボリュームが少ないってこと?
そうですね。ボリュームちょっと低めで。
で、アートを選択されて。
そうですね。やってたという感じですね。
アートの領域が結構何パーぐらいを占めてたんですか?
結構占めてたかもしれないですね。
1年生の時はもうほぼ一般教養なんですけど、
2年生になると結構半分ぐらいアート系になってたじゃないですかね。
楽しそう。
あとはやっぱり留学したいと思ったのも高校生の時だったので、
ちょっと意図的に英語のクラスを多めにしてましたね。
いいですね。
だから面白い学校でしたね、確かに。今考えると。
楽しそう。僕なんか理系で高校に行ったんですけど、
僕も途中でアメリカに行きたくなって文系変えてくれって言ったら、
そんなのダメだって言われて。
なんとか1回だけの英語のクラス一生懸命やってましたね。
そういうのいいですね、でも。
なんかね、フレキシブルですごい良かったですね。
なんかでも、アメリカに行きたいと思ったきっかけっていうのはあったんですか?
そうですね。
高校生の時に、今そのCG系の仕事をしてるんですけども、
高校生の時に高校生向けの週末のCGセミナーみたいなのがあったんですね。
で、それが教育委員会かなんかがやってたのか忘れたんですけども、
都庁だったかどうかわからないけど、どっかであったんですよ。
で、それでセミナーはちょっと面白そうと思って参加してみて、
そしたらそのセミナーを教えていた先生が、別に学校の先生じゃなかったんですけど、
その後、自分の高校に赴任してきたんですよ、その同じ先生が。
で、その先生がそのセミナーに参加して、
で、その先生はCGとかすごいやる先生なので、
じゃあうちの学校でCGやるぞみたいなことを言い出して、
で、その学校にそのCGの、本当にプロが使うようなソフトを入れたんですね。
今も使ってるソフトなんですよ。
ちなみに名前は?
マヤっていうんですけど、オートデスクマヤっていうソフトがあって、
で、それを高校生の、今だとあるのかもしれないですけど、
当時だと2002年とか2003年くらいで、
やっぱり高校の教室に全部マヤが入ってるっていうのは珍しくて。
大学みたいだなぁ。へぇー。
そうですね。
で、その先生のおかげでCGに興味を持って、
その当時、ソフトも英語しかなかったんですよ。今は日本語があるんですけど。
で、それでこういうの、トイストーリーとかああいうのも、
こういうので作ってくださいみたいなことを言うので、
じゃあちょっとCGを学びたいと思って、
やっぱり当時だとCGの本場といえばハリウッドみたいなのがあって、
今もですけど、今はもうちょっと分散してるんですけど、
そんな感じで、あとはピクサーがやっぱり好きだったので、
ピクサーがベイエリンにあるんですよ、このシリコンバレーのそばに。
なので、じゃあ近いからっていう理由で、
留学先は近いからっていう理由で。
あー、で、サンのゼを選んだんですね。
はい。
へぇー、なるほど。でもなかなかストレートに、
そこは高校卒業してすぐにもうサンのゼの。
そうですね。コミュニティカルチに最初は行ってたんですけど、
それで遷入してその後。
うーん。
でもアニメーターになるって決めたというか、
そういう高校生の時にもそれは決意というか、あったんですか?
そうですね。多分高校生の時にも結構アニメーターになりたいというのは決まってたと思うんです。
というのも、総合学科の授業の一環として、
高校生バージョンの卒業論文的な卒業プロジェクトみたいなのをやったんですよ。
おー、ほんと大学みたいですね。
論文ではないんですけど、自分で決めたときに、
研究して発表するみたいな。
本当におこちゃまバージョンの大学の卒業論文みたいなことをやるんですけども。
そこで自分すごいディズニーアニメーションに興味があったので、
ディズニーのアニメーションについて研究したんですね。
その時にちょうどアニメーターのバイブルって呼ばれてる本があるんですけど、英語の本で。
それの日本語版が出たのかな。
それでそれを買ってもらって、それを使ってそのプロジェクトをやったんですけど、
それでアメリカに留学したらその本が学校の教科書だったんですよ。
えー。
だからやっぱり興味の方向性としてはすごい合ってたのかなっていうのは思いますね、高校の頃から。
えー、そっかそっか。
もうじゃあそれでプロになるっていうイメージしながらアメリカに来られて。
そうですね。
もう本当にそこだけは決まってたみたいな感じですね。
どうでしたか、アメリカの卒業プロジェクトに関しては。
どうでしたか、アメリカの学生生活は。
そうですね、すごい楽しかったですね。
やっぱり近いからという理由で選んだんですけども、それが結構当たりで。
当たり。
やっぱり近いから、そこで働いてる人がセミナーとかしに来るんですよ、仕事が。
だから結構本場のプロの人たちがしょっちゅう学校に来てセミナーとかしたりするので、
そういうのがあると刺激がすごいもらえますよね。
でも憧れてた。
じゃないですか。
それは嬉しいし、そうですよね。
やっぱ近いっていうのはすごい良いなって思いましたね。
フィジカルに近いっていうのは重要だと。
今オンラインも発達してるのでちょっと変わってきてるのかもしれないですけども、
やっぱり当時は全然まだオンラインとかあんまりなかった。
近いっていうのは大事でしたね。
なるほどね。
なんかでも、海外旅行も行ったことないっておっしゃってたけど、なかったっておっしゃってたけど、
英語もそれまでにはもう結構喋れるようになってたんですかね。
いやー、一応高校で留学したい、コミュニティカレッジでも一応トーフルの点数は必要だったんです。
ちょっと低めだけど必要で。
500点くらいでしたっけ?450点とか。
一応500点とかな、550もなかった気がする、そのコミュニティカレッジは。
500点くらいで良かった気がするんですけど、でもそれもほんとギリギリくらいで、
一応取れたは取れたんですけどギリギリで来たらもう本当に何言ってんだかみたいな感じで。
最初、アメリカに来たその日か次の日くらいに、学校のオフィスか何かに連れてってもらって、
留学生オフィスのボスみたいな人がいて、その人とちょっと喋ったら、
あなたの英語、頑張らないとダメねみたいなこと言ってました。
そんな感じになったんだね。英語で言われたんだけどね。
英語で言われて、一人なんかちょっと手伝いをしてくれた現地にいた留学エージェントみたいなのやってた方がいて、
その方が頑張りましょうねって言われてましたね。
ああ、そういうことね。
頑張ります。
じゃあESLとかはもう行ったんですか?英語自体の勉強は。
ESL、そうですね。まず来た時やっぱりいきなり行くのがちょっと不安だったので、
一ヶ月くらい語学学校に行って、その後ESLもいくつかクラス取りましたね。大学とかコミカレで。
なんかでも、ホームシックとかなんか辛いことってありました?
そうですね、ホームシック。ホームシック、まあなんかやっぱり、
そこですね、帰りたい、なんかもう嫌だみたいにはならなかったんですけども、
ちょっとなんかそろそろ日本に帰りたいなみたいなことを思ったことはありましたけど、