juneboku
だから、当時僕は松本市にも住んでないから、だいぶ、今はKaoriさんと2週間連続会ってるわけ。
当時は全然そういう、一切そういう、会うとも思ってない、たぶん。
r_takaishi
まあ、その時は松本に住むことになるとはまだ思ってない。
juneboku
うん、決まってはないからね。
r_takaishi
まだ、那須に行く前かな?
juneboku
どうだった?Kaoriさんが僕を認識した時は、那須塩原かどうだろうね、東京か、ちょっとわかんないね。
Kaori
防災グッズとか紹介してた。
juneboku
ああ、おつかれシャワーね。
じゃあ、それ、葛飾区だもんね。
Kaori
そうですね、新小岩ラプソディーを見ました。
juneboku
じゃあ、葛飾区の時は知ってくれてた。
r_takaishi
本当に最初期。
juneboku
じゃあ、2020年頃ですね、やっぱりね。
気づけば、もう4年ぐらいね。
ああ、そうでしたか。
r_takaishi
なるほどね。
わかってなかった、その辺。
今、わかってよかったです。
いやー、すごいな。というわけで、結構ね、キマグレエフエム昔から聞いてくれている。
ありがたい。
キマグレエフエムからすると、リスナーの一人だし、ポッドキャスト仲間的な感じだと、同期、仲間みたいなね。
そういう立ち入りってキマグレエフエムから見えてるわけですけれども。
今週と来週で2エピソード撮る予定なんですけれども、
今日はキマグレエフエム側からいろいろと河森さんに聞きたいなと思ってまして。
特にね、今日僕が聞いてみたいのは、やっぱり河森さんがこれまで住んだ場所とか、
結構いろんな場所に住まれている。海外も住んでるし、今もね、出身とは違う場所に住まれてますし。
短期間海外にね、行かれてたみたいなこともあるし。
すごい楽しそうなんで、その辺の話聞きたいっていうのと、
あと河森さんが声日記で、ホドホの毎日っていうね、声日記やってると思うんですけれども。
キマグレエフエムで少し前に、最初に一人暮らしした時の話みたいなのをエピソードで公開したんですけど、
それに対するアンサーというか、河森さんも初めて一人暮らしをした時の話をホドホドの毎日でしてくれて、
juneboku
それがロサンゼルスっていう、なかなか僕から見るとすごいぞっていうね。
r_takaishi
想像つかないもんね。
なんで最初の一人暮らしで海外選んだのかとか。
それからロサンゼルスでデザインの勉強をされたっていうことなんで、
なぜデザインの勉強を海外でしたのかとか、その辺聞いてみたいなと思っています。よろしくお願いします。
楽しみ。
Kaori
はい、よろしくお願いします。
juneboku
僕も知ってることもあるけど知らないこともたくさんあるんでね、
なんか知りたいですね。いっぱい今日は質問するぞという気持ちで着席してます。
r_takaishi
これまでどういう場所に住んできたんですか?
Kaori
住んだ町を言っていくと、大阪で育っているので大阪と、
juneboku
生まれがね、大阪生まれ。
Kaori
次に住んだって言えるのは、アメリカのインディアナ州っていうところ、わかりますか?
juneboku
インディアナ州、僕州の場所全然わかってない。
中西部って言われてるエリアで、五大湖のイメージ。
Kaori
秋田の方。
juneboku
右上の方のイメージですよ、五大湖。
Kaori
あそこにミシガン湖っていう大きい湖が一つあるんですけど、そこにちょっと面してる。
シカゴ、一番近い大都市はシカゴ?
juneboku
なんとなく地図見ながら聞いて、少しわかってました。
Kaori
そこに1年、高校生の時に出て、
でまた大阪戻って、大学で今度カリフォルニアのロサンゼルスに行って、
次に住んだのは神奈川県なのかな?仕事があった?
違うな、東京にも。
東京でも仕事してたので、神奈川県の住所としては、
職場は原宿とかだったんですけど、
原宿に住んでた時期もあったし、
で結婚と同時に中東のシリアのアレッポっていう町、北部の。
に3年ぐらいいたり。
そしてまた東京に戻り、名古屋に。
r_takaishi
名古屋?
juneboku
名古屋の話を先々したの、愛知県ですよね。
はい、名古屋時代は2年、3年ぐらい、3年になった。
言われなかったらわかんないですね、この辺で。
そこから松本にいて、今で12年ぐらい。
Kaori
多分そんな感じだと思います。
juneboku
掘りがいがありますね、これはね。
r_takaishi
すごいな。
最初にインディアナ州に住んだのは高校ってことだから、
あれって何て言うんだっけ?高校生が海外に行く。
juneboku
ホームステイ。
r_takaishi
ホームステイか。
Kaori
そうですね。
r_takaishi
ホームステイで。
Kaori
一番最初のホームステイは、
2週間くらい、サンフランシスコ公開に行った時が、
高1の終わりになったんですけど、
1年インディアナに行ったのは、
降参の途中から1年間、日本の学校を休学して、
うちの学校に交換留学して、
戻ってきて1年取って、
高1の学年と途中からやって、そっちに勉強を。
juneboku
結構、よくあるレールからは、その時点では外れてますね。
Kaori
そうですね。
juneboku
結構その時期って、周りとずれるのって怖いって思うことが多い時期でもあるから、
その時点で休学して、
言ったら日本だけで見ると留年みたいな扱いになってても、
留学っていうのは、かなり強い意思が、
何かこれをやるんだみたいなのがないと、
なかなかそうはならないんじゃないかなっていう印象を受けました。
Kaori
そうですね。全然気にしてなかったです。
juneboku
そもそも気にしてもないから。
r_takaishi
それは留年みたいな状態になることを気にせずに、
やりたかったから行ったっていうのは。
Kaori
それやっぱり大学で海外の大学に行きたいと思ったとか?
全然その時は思ってない。
juneboku
待てよ。僕らの物差しで測ろうとすると間違うから、
だいぶフラットに聞いたほうがいいな、これ。
先入観を持って質問してもずれるわ。
r_takaishi
なるほどね。てっきり大学で海外行きたいから、
juneboku
準備みたいな感じで一回行っとこうかと思ったら、
r_takaishi
そういうわけでもないんですね。
Kaori
全然ノープランですね。
juneboku
でもアメリカに行くぞっていうのあったんですか?
Kaori
そうですね。それはもう決めてて、
自分の中では中学の時に、
私たちの時代というか、
たぶんじゅんさんたちとはもうちょっと上の世代ですけど、
英会話とかACCとか、
そういうのが流行ってた?ホームステイとか。
juneboku
ああ、そっか。流行った時期っていうのがあるのか。
結構ね、ホームステイにバンバンアメリカとか行くような時代があったんですよ。
Kaori
私も高校はだから部活もやらずに、
英会話の習い事を行ったりとか、
バイトしてお金を貯めて戻っていこうと思って、
それを高1の終わり、高2の間の春休みに行くっていうのは決めて、
juneboku
一生懸命準備をして行ったらすごく楽しくて、
Kaori
これはもう1回1年くらいしっかりいきたいなって思って、
で、あの手この手で色々探ってみたんだけど、
結局交換留学でいつに行くのが良さそうだってことになって、
で、まずは交換留学。
その時は大学はまだ考えてない。
juneboku
でも行くぞっていうのは割と早い段階であったんですよね。
中学ぐらいからそういう話は。
確かにね。
そうですね。
Kaori
結構もう決めちゃうともう本当にプレーに向かっていっちゃうって感じなんで。
そうなんですね。
juneboku
でも中高生で流行ってるから行こうとかならないって思いますけどね、
ほとんどの人は。
かおりさんの中にあったんでしょうね。
アメリカなのか英語圏なのか、
そうですね。
もうちょっと日本じゃないどこかなのかわからないけど、
なんかあったんでしょうね、気持ちは。
Kaori
そうですね。流行ってたからっていうか、
流行ってたことで身近にそういったものに触れられる接点があったっていうのは大きいけど、
自分の中では英語が話せるともう違う文化圏の人とすごく話せるし知れる。
なんかそこに面白さをずっと感じたと思うんですね。
だから英語みたいな。
juneboku
英語が話せるようになりたいというよりも、その先に興味があったって感じでしたね。
それで英語圏でアメリカって選択肢ある。
そう思えば。
確かに。
r_takaishi
ルートも多そう。
juneboku
日本だとね。
そうかも。面白い。
r_takaishi
その後に特に考えてなかったけど結局大学ではまたアメリカの大学に行かれたっていう。
Kaori
そうですね。向こうの高校に1年行ったらそれがもう本当に楽しくて、
多分その文化的なところとか自分の性格とか友達との関係性とかそういったものが割とフィットしたというか、
そんなにこう辛いとかシックになっちゃうとか、やっぱり日本の方がみたいなことは全然なくて楽しめたんですよねすごく。
で、交換留学生だったので税用とかは結構好きなのを取らせてもらえるようなカリキュラムだったので、
単位取って帰るわけじゃなかったので、日本で俯学する予定もあったので。
juneboku
そっか。
Kaori
それで、コマーシャルアーツっていう授業があって、その授業を毎日2時間取る。
アメリカの学校ってターンごとに自分でカリキュラム組めるんですけど、大学みたいな感じで。
で、1時間目と2時間目をコマーシャルアーツっていう授業を取っていて、
Kaori
その時の先生がすごく、私のこともすごくよく見てくれる先生で、初めてコンピューターを導入してデザインをやるみたいなことを、
まだほんと入ってきたばっかり、93年とかだから。
r_takaishi
そっか。
juneboku
だからまだWindows95の前ってことですね。
Kaori
前です、前です。
r_takaishi
かなり先進的な方向ですね。
Kaori
その先生は、もともとニューヨークシティでデザインのこととかをやってたじゃないですか。
最先端の人だった。
なぜか、私が行ってたすごい小さな町に来てて、その先生とすごく上がって、
いろんな話したり、デザインのこととか教えてもらって、これは楽しいぞっていう。
それは楽しいぞ。
juneboku
でも、ちょっと戻ると、私は父もグラフィックデザイナーで、
それもあって、デザイン自体は身近なものだった。
日本の高校で同じように、その時点でコンピューター、グラフィックとかも込みで学ぶって、
当時だと今よりもなお選択肢が全然なさそうなイメージ。
日本だとあったんですかね。
日本でやろうと思ったらどういう選択肢があったんですかね。
Kaori
でも、父もそれまで自分の会社、デザイン事務所やってたんですけど、
お仕事一緒にやってる会社の方が内部にデザイン部を作るから、
そこにちょっと来てほしいっていうことになって、
それがちょうどMacがデザインの現場にどんどん出ていく時代だったんですよ。
juneboku
なるほど。
Kaori
まだiMacとかも出る前、パフォーマとかの時代。
ちょっと古くて、何のことかって感じかもしれないけど。
juneboku
すごい、でも最先端ですね、お父様の話も。
Kaori
父は結構コンピューターとかAppleとかデザインのこと、
juneboku
もちろん手でずっと描いてた時代の人ですけど、そこで切り替えるのも早かったし、
Kaori
すごい。
すごいそういうことを面白がれるタイプの人なので、
で、それがすごく、ちょうど父も当時はまだメールとかもない時代だったから、
国際電話とかかけて、とかエアメール?手紙?手紙とかで、
父も職場でコンピューター使ってデザイン頑張ってるみたいな話を聞いて、
juneboku
あ、そうなんだ。
Kaori
私もやりたいなーみたいな。
juneboku
家庭環境の影響は大きそうですね。
なるほど。
でもお父様が英語で喋ってるわけですよね、電話とかね。
Kaori
父は、私と父が電話で話したりする時に、
で、お父様やってるよとか。
juneboku
へー、そういうことか。
わー、面白い。
r_takaishi
なるほど、それでじゃあデザインを海外、アメリカで学ぼうって思ったんですか?
Kaori
そうですね、だから、でもデザイナーになろうとはあんまりそれまで身近な職業ではあったけど、
自分がなりたいかって言ったらちょっと分からないなって思ってたけど、
とにかくコンピューターがデザインの現場に入ってくる前の時代って、
juneboku
ものすごくやっぱり手先が器用じゃなくて、
Kaori
0.何ミリの線を書くとか、本当に手作業なんです。
juneboku
線を書く練習がありますよね。
Kaori
その姿をずっと見てたから、自分でできる気がしないって思ってた。
デザイン自体は好きだけど、そこがうまくタイミング的に重なって、
これはできるかもしれない、やりたい好きなことに。
r_takaishi
交換留学でコンピューターでデザインするっていうのを体験して、自分でもできそうだなって。
それはいいですね。
Kaori
ツールがうまくできた時代だったから、
っていう感じで1回日本に帰国して、
でもまだその時は大学をアメリカに行くっていうのはそこまで具体的に考えていなかったんですけど、
今後の相談をしているうちに、せっかく1年生きて、
juneboku
英語も勉強してきたし、そのままデザインをアメリカに勉強したらいいかなっていうのも。
それでやりました。
r_takaishi
お父さんのアドバイスもあって、最終的に決めたって。
そうですね。
なかなか自分一人だとそのコースを選ぶのって想像しづらいなって思ったんで、
Kaori
すぐ納得がきましたね。
反対とかはなかったんですか、周りの人でアメリカ行くみたいな。
Kaori
周り、親じゃなくて。
juneboku
親でも親以外でも。
単純に反対、え?みたいなこと言ってきた人はいたのかな。
Kaori
でもやっぱり当時はそんなに直接高校からメイトン大学入るとかっていうのは、
ルートもインターネットもそんなに95年、4年、5年くらいなんで、
違う、95もそのくらいなんで、
調べてもそんなにないから、
全部年間学校、大学年間みたいなのを買ってきて、調べてとかだから、
高校の先生は、私、旧姓フルヤって言うんですけど、
フルヤさんは自分でやってくださいみたいな。
juneboku
シルフレジで。
Kaori
もうちょっと進路、ちょっとわからないからみたいな。
juneboku
でもわかったふりされなくてよかったね。
わかんないって言ってもらった方が。
Kaori
だから私は一人でトーフルの勉強をしたり、
自分で大学と連絡を取って、
書いたり。
juneboku
トーフルってその時にはもうあったの?
Kaori
ありますね。
juneboku
結構歴史あるんだ。
Kaori
受験じゃないですけど、一応書類揃えたり、
アプライは全部自分で手紙、往復でやって入ったって感じ。
その時点でもう会社員1年目ぐらいの経験。
juneboku
大変じゃないんだけど手続き。
Kaori
そうですね。
だから父も母も全然留学とかやったらぐらいは言うけど、
何も本人たちはやったことはないっていうか、
英語全然別にできるとかそういう環境ではないんで、
頑張れって。
juneboku
応援してるよって。
r_takaishi
応援はしてるけど、手伝ってくれるっていうか、
やってくれるわけじゃない。
Kaori
応援はしてるよって。
juneboku
でもKaoriは言い出せたらもう止まらないから大丈夫だろうみたいな感じで。
面白い。
そこで近くに置いときたいみたいな気持ちもないわけではないだろうと思ったんで、
でも行ってこいだったのも面白いですね。
Kaori
そうですね。
でもそれはすごく感じるところはあって、
やっぱりそういうもんなんですよね。
置いときたいっていう感覚が親はあるのかな。
私は結局家庭の都合で大学は4年じゃなくて2年のところで、
ちゃんと卒業が資格が取れるところの大学に行ったんですけれども、
海外だし国費もあるし生活費もあるしってなると、
やっぱり出せる金額は2年間かなっていうので、
それでじゃあそれでっていう形でやったんですけど、
でもやっぱり帰ってきてすぐにデザインの仕事っていうと東京かなって思ったけど、
やっぱりちょっと大阪にいてほしいなみたいな気持ちを両親からやっぱり言われて、
その後ちょっと大阪で仕事してみたいな感じの時が、
あんまりいないんで私が。
r_takaishi
高校時代から結構いなかったからね。
juneboku
帰ってきたと思ったらまた、
Kaori
顔にはいないみたいな。
juneboku
どこか遠くにいるっていう。
一緒に過ごしたいはあるだろうなと思いますね。
r_takaishi
いつか展望所からいなくなるとしてももうちょっと。
juneboku
もっと早いから結構いないなみたいな。
Kaori
そうだったと思います。
r_takaishi
なるほど、そうだったんだ。
2年でコンピューターを使ったデザインの勉強を主にしてた。
Kaori
でも半々かな。
フォトショップとかイラストレーターのすごい初期の頃の授業もやったし、
同時にマーカーテクニックって言って、
日本だとコピックとかわかります?
漫画描く人とかが使うコピックとかああいうので、
昔のパッケージデザイン、香水のパッケージとか、
そういうのはマーカーの昔の皆さん、デザイナーの人が描いてた時代。
そういうテクニックの勉強とか、
カリグラフィー?
それこそカーニングって文字と文字の間とか、
そういうの全部手書きで書体を書き分ける授業とか、
そういうのもやったりしてたので、半々くらいかな。
r_takaishi
デザイン、それまでのデザインの基礎もやったし、
割と先端よりの学習もしてた。
Kaori
インターンで始まったばっかりみたいな、
そういったインターネットのホームページ作りますみたいな、
大工デザイン事務所やってるところに手伝いに行ったりとかしてました。
juneboku
おお、なんか大先輩って感じですね。
僕のカオリさんの見え方が。
Kaori
ネットスケープとかの時代で。
juneboku
そうそう。
ファイアホックスより前の時代。
IEかネットスケープみたいな時代。
そうですね。
この時代に。
Kaori
ウェブに触れても長いですね、そういう意味ではね。
そうですね。でも94、95年くらいですかね。
なんか面白い時期の面白い場所にいたんですね。
そうそう。だから結構ピクサーとかも本当始まりの時期で、
トイトーリーの一番最初のが出て目覚めちゃ盛り上がってるとか、
本屋さん行くとワイヤードっていうらしいの。
juneboku
あれが目覚めちゃ流行ってるみたいな、そんな時代で。
なんか面白いですね。今ほどテクノロジーがまだこう、
人々の暮らしに届ききってない人がね。
ちょうどやっぱピクサーも含めて新しい技術がすごい盛り上がってたタイミングだったんですね。
面白い。それをアメリカで体感できたの面白いですね。
すごく人生観に影響が大きいと。
Kaori
面白かったね。
r_takaishi
エンジニアだったのもあるんでしょうね。
まだ人生観みたいにね、大学生の頃にウェブに触れたみたいな。
juneboku
そうそうそうそう。今で言う生性愛だ!みたいになってるのも。
r_takaishi
ちょうどみんなこれが来る、これが面白いって言って熱狂してたタイミングだったっていうのは、
いやデザインがそういうのがあるのがいいですね。
juneboku
今だってもう最初からデジタルでやっちゃうってね、
それで完結しちゃう領域は増えてるだろうけど、
その半々だったっていうのは面白いですよね。
待って、まだシリアの話は何にも聞いてない。
r_takaishi
名古屋の話も気になってくる。
juneboku
シリアも聞きたいな、ちょっと。
r_takaishi
そうですね、シリアまで飛びましょうか、ギュンと。
juneboku
キマグレエフエム理科はシリアについてほとんど何も知らないと思うよ、みんな。
これ興味ありますね。
Kaori
そうですね。
結婚されたタイミングでもうすぐにシリアに引かれたっていう。
r_takaishi
一人暮らしのタイミングでアメリカに。
結婚されたタイミングでシリアに引かれたっていう。
めちゃくちゃ2つの大きい変化が同時に来てますね。
juneboku
ダーツでも投げてんのか。
Kaori
そうなんですよ、私もまさかアメリカまでは自分のコントロール下で動いてたっていう感じが。
r_takaishi
自分で決めて自分で応募してっていう。
Kaori
だけどシリアが自分の人生の中に入ってくるっていうのは本当想像が出なかったところだったんですけど、
夫が今も研究職をやっていて、自分の博士論文を書くのに中東の方の専門のことを今、今というかその当時やってて、
論文を書きに行くんだけどちょっとどのくらい行くかわからないみたいな話になって、
じゃあもう結婚して一緒に行けばいいかみたいな。
行けばいいか。
シリアに行けばいいかってなった。
なんか私も面白そうだねってなっちゃうから。
こんなことがなければ多分見ることもないし、
アメリカってやっぱりどうしても想像が、もちろん全然日本とは違うけれど、
価値観とか文化的にもやっぱ延長線上にあるというか重なる部分が大きいと思ってて。
アメリカから日本に送れてきてる楽なありましてね。
だけどイスラムがエンジンになってる社会で、
juneboku
コテンラジオみたいな話になってる。
Kaori
イスラムエンジン。
そういうとこに暮らす経験なんて滅多にない。
多分今話してて思いましたけど、もともとやっぱり英語やりたいと思った時に知りたいとか、
いろんな文化の人のもとで育った人と話してみたいとか、
そういう興味がやっぱり自分にはあるのかなと思って。
だからいかないと面白そう行くってならなかったかも。
juneboku
大変そうが先に行っちゃいそうとか心配とかね。
Kaori
そういう人のほうが多いんじゃない?
それは全然思わなかったですね。
r_takaishi
もう即答したんですか?面白そう。
Kaori
そうですね。
ちょっと考えさせてとかなかったですか?
juneboku
興味ありますね、河森さんね。
r_takaishi
すごいな。
大多数の人はちょっと考えさせてって。
juneboku
え、シリア?
r_takaishi
まずシリアってどこみたいな。
juneboku
ちょっとシリアってなんだっけ?
日本にはあんまり身近な地域ではない?
Kaori
そうですね。
しかもタイミング的に9.11の翌年、
ていうかもうほぼその同時期ぐらいだったんですよ。
だから9.11の後ってイラク戦争が始まった時、