1. Dialogue cafe
  2. #90-1 私の後に道ができる!元..
2025-05-17 43:44

#90-1 私の後に道ができる!元祖ワーママの好き勝手パイオニア人生【いつものカフェでまちあわせ ゲスト:キャリアメンター 四方結花さん】

▼番組のnote:
Dialogue cafe | note

▼番組への質問・感想・メッセージ募集中!こちらまで

▼内容:
もはや親戚⁈メンター仲間のゆかぼしゅ/P&G出身65歳、美肌の秘訣はSKⅡ⁉/万博いつ行く?/メンター兼カフェ経営兼マーケコンサル/大学全落ち、どうしよう?/恋人が海外転勤!結婚するの?別れるの?/出戻り&ジョブチェンジ/妊婦でも出張、産後8週で完全フル復帰/35年前のワーママはムリゲー/柔軟でフェアな外資企業/娘4歳、お母さんになろう/幼稚園ママデビュー、「みんなで決める」ご作法を知る

▼出演:
ゲスト
四方結花さん(株式会社conconcom代表取締役、Treffpunkt KOBE カフェオーナー、キャリアメンター)
@treffpunkt_kobe(カフェのInstagram)

MC
田中優子(元クラウドワークス取締役、ビジネスアドバイザー、社外取締役、1児の母)
岡澤陽子(ブランドコンサルタント、戦略リサーチャー、ビジネスメンター、2児の母)


▼関連エピソード:
#2-5 マネジメントの難しさと女性が働くということ
#28-1 バリキャリママが苦悩の末に起業!かっこつけてられない超かっこいい怒涛の10年
#29-1 これが昭和の大企業!男女雇用機会均等法で訪れた、女が決断するとき
#50-1 仕事も家庭もハードモード!愛され寅子、ワーママとしての成長
#67-2 大切なことは全部あの場所で学んだ!プロを育てる人材輩出企業

サマリー

このエピソードでは、元祖ワーママの四方優花さんがゲストとして登場し、メンター活動や自身のキャリアについて語っています。彼女はP&Gでの経験を活かし、カフェを開くことでコミュニティの形成に力を入れています。四方結花さんは、ワーママとしての人生やキャリアの選択について語っています。高校卒業後、専門学校に進学し、秘書としての道を歩み始め、後にP&Gなどの外資系企業で経験を経て、自身のキャリアを築いてきました。このエピソードでは、ワーキングマザーとしての挑戦や経験が四方結花さんによって語られています。育休がなかった時代に、彼女は両親の援助を受けながら、仕事と子育ての両立に努め、多忙な生活を乗り越えました。また、育児における社会の理解や支持についても触れています。元P&G勤務の女性が、幼稚園に入園したことを機に、ワーママとしての新たな社会経験を語っています。彼女は、PTA活動を通じて異なる文化やコミュニケーションの難しさを学んでいます。

メンター仲間の紹介
スピーカー 1
ダイアログカフェ。筋書きのない対話から新しいアイディアと自分自身に出会う場所。この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
今日はですね、素敵なゲスト、赤いお飯物がとっても素敵な四方優花さんに来ていただきました。
スピーカー 2
こんにちは。よろしくお願いします。
スピーカー 1
四方さんは陽子ちゃんのメンター仲間で、メンター同期なんです。
メンターフォーっていうメンターをマッチングしている会社の勉強会で一緒にやって、
でも優花さんはその前からメンターで活動されてて、でももう一回学び直す。
スピーカー 2
そうです。2回目受けた。
同じ講座を。
スピーカー 1
2回目講座を受講されてて、私は初めてで。そこでの同期。
もう何年前ですか?
あれは4年くらいかな。
4年くらい前で、毎週夜に3ヶ月間みたいな感じの勉強コース。
3ヶ月間で勉強してたんだけど、オンラインで。
コロナの後だから。
スピーカー 2
真っ最中。
スピーカー 1
真っ最中、2021年とかでオンラインでやってて、それで4年なんだけど、
そこから勝手に私が懐いて親しくさせていただいて、
もう親戚みたいな感じなんですよね。
そうなんですよ。
スピーカー 2
それは、メンターのプログラムって、理論も学ぶんだけど、
みんなお互いにやりあいこするんですよね。
そしたらメンタリングをね、いつまでに宿題でとか、誰々と組んでっていう間に、
そのトピックが自分のことになるわけですよ。
だから進むにつれて、みんな自分のこと分かっちゃって、自分のこと言っちゃってるっていうのがあって、
いろんな意味でお互い知り尽くしちゃって、半分親戚みたいな感じ。
スピーカー 1
なるほど。何人くらいのプログラム?
スピーカー 2
20人くらいだった。
スピーカー 1
多分ワンクールそれくらいの感じ。
スピーカー 2
そうだよね。20人くらいだったと思うんだけど。
P&Gでのキャリア
スピーカー 1
それはオンラインだけど、リアルで会うこともあるんですか?
スピーカー 2
いや。
スピーカー 1
当時はなかった?
スピーカー 2
授業があるうちはなかったけど、
それが終わって、まだコロナでね、
大勢の人数の会食はダメですっていう時期に、東京でいっぺんあったじゃん。
あの時がめちゃくちゃ盛り上がったんですけど、
思ってたより大きい人とかいろいろいて。
スピーカー 1
確かにね。あるある。
オンラインだとやっぱり緊張分からないから。
そうなんですよ。で、本当それこそみんな、
コロナでずっと大勢の飲みとかしてなくて、
本当久しぶりですみたいな感じの大勢飲みをして、
ちょっとお店の人に注意されるくらい盛り上がってね。
リアル初対面だったんだけど。
じゃあそれで仲良しになって。
スピーカー 2
それで仲良しになって、私は神戸なんだけど、
東京行くたびに時々会ったりとかして。
スピーカー 1
そう、集まって。
なるほど。
ちょっとしばらく会ってないと、
最近親戚と会ってないから、親戚の集まりしなきゃみたいな感じの気持ちになるんですよね。
そうなんです。
ゆかさんは神戸にお住まいなんですよね。
はいはい。
もともと神戸出身なんですか?
スピーカー 2
もともとは奈良なんだけど、結婚する前までは。
でもそこから結婚していろんなとこ行って、
昔から子供が4つくらい、30年くらい前から奈良、神戸。
スピーカー 1
うーん、ね。
ゆかさん、失礼ですが今、ご年齢は?
スピーカー 2
いくつだと思いますか?
スピーカー 1
言っちゃった。
関西人的ドリアン。
いくつに見える?
私知ってるから。
ゆかちゃん。
スピーカー 2
いやいや、だってもうお子さんがかなり大きいというか、
お孫さんもいらっしゃる。
5歳の孫がいます。
スピーカー 1
いくつくらいかしら。
スピーカー 2
もうわかるじゃん、それ。
65歳?
たぶんそう。
スピーカー 1
だんだんわかんなくなりますよね。
スピーカー 2
だんだんわかんなくなる。
若々しいですよね。
そうですかね。
スピーカー 1
肌ツヤがなって。
スピーカー 2
それはあれなんですよ、SK-IIだから。
スピーカー 1
SK-IIだから?
スピーカー 2
うちの元会社がSK-IIで、うちのパパがSK-IIをずっとやってたんで。
スピーカー 1
そうなんですか。
スピーカー 2
P&Gに?
そうですそうです。
スピーカー 1
社内結婚なんですよね。
そうなのよ。
スピーカー 2
この2人目のP&Gゲスト。
元出身。
ふくうさんね。
スピーカー 1
ふくうさんはなんで横ちゃんつながりで?
スピーカー 2
もともと知ってた?
知ってる知ってる。
旦那さんと旦那がマーケだったから、
私も旦那さんとの方が仕事があれだったかな。
ふくうさんの旦那さん。
スピーカー 1
彼女は調査の方にいたかな、もともと。
スピーカー 2
でもだいぶ若いから、
どんだけいたのかな、わかんないけど。
でも知ってる知ってる。
旦那さんとも働いた。
スピーカー 1
そうなんだ。
狭い。
狭いね。
そうなので、ふくうさんとゆかさんとは、
私は別々に知り合ってるけど、つながってたみたいな。
そうなんだ。
女が狭いんです。
なるほど。
そうなんです。
そういうことですか。
でもね、お二人とも、福吉カップルも、
スピーカー 2
しかたカップルも。
スピーカー 1
社内で。
社内で。
P&Gのね。
スピーカー 2
みんなね、あそこしかいないからね。
連れてこられてみんな。
スピーカー 1
そうか。
そうなんですね。
結婚されて神戸にってこと?
スピーカー 2
神戸は、いつから?
P&Gがね、もともとは大阪にあったんですよ。
大阪だったんですか?
ヨードヤバシっていうところにあって、
水道筋ってあるでしょ?
スピーカー 1
うん、わかります。
スピーカー 2
あそこにあったんだけど、
神戸のロッコアイランドに自社ビルを建てて、
移ったのが1994年ぐらいかな。
そのときに合わせて、私たちも近くにマンションを買って、
移ってきた。
そっからずっと神戸なんですけど。
スピーカー 1
へー、そうなんですね。
私も兵庫県出身なんで、
なんとなく神戸にシンパシーを感じました。
スピーカー 2
全然関西弁抜けてますね。
スピーカー 1
あのね、これ使い分けです。
多分、これマイク入った場合は、今から関西弁でしゃべりましょうか。
私聞いたことないかも、兵庫ちゃんの関西弁。
あんまりわかんないよ。
私テレビっ子だから。
標準語を見てたのね。
テレビの中の言葉をしゃべってる感覚で、
だから最初から東京来たときから、全然。
標準語?
でも実家帰ったら、標準語しゃべってると、
親に魂打ったんかって言われるんで、
スピーカー 2
いやいや、打ってへん。
ね、関西の血が流れてる。
スピーカー 1
そうなんですよ。
スピーカー 2
嬉しい。
スピーカー 1
ちょいちょい出るかもね。
出るかもね。
ちょっと盛り上がってくると出ちゃうかもしれない。
スピーカー 2
なんでやねん、みたいな。
スピーカー 1
ね、なんでやねん。
さっきここで話す、万博の話をね、
いつ行くみたいな話してたんだけどね、
スピーカー 2
もうすぐ行かれると。
あさって?
あさって行くと。
スピーカー 1
4月。連休前に行かれるってことですよね。
私は連休中に行く予定があるんですけど、
ロコちゃんいつ行こうかなって。
全然行きたいなーぐらいな感じで、
全く考えてなかったんだけど、
今二人に早めがいい。
コムマインみたいなね。
コムマインに行った方がいいって言われて、
急遽日にちを決めようとね。
なるほど、なるほど。
でもなんか意外と評判いいというか、
あとなんか、なんだろう、
行ったことない国とかのファビリオとかも結構面白いみたいな話が
どこが面白かったか教えてほしいですよ。
スピーカー 2
僕からここ良かった。
ちなみに1970年は生まれてないの?
スピーカー 1
生まれてない。
スピーカー 2
まじで?
生まれてない。
私さっき行ったんだよ、遠足で。
遠足?
スピーカー 1
大阪万博ですよ。
あれ?太陽の塔?
はい。
スピーカー 2
太陽の塔は70年ですか?
スピーカー 1
1970年のこんにちはやんで。
スピーカー 2
小学校の時ですか?
スピーカー 1
小学校の時。
スピーカー 2
生まれてないの?
スピーカー 1
ないんです。
77年生まれです。
スピーカー 2
同い年?
スピーカー 1
私が上です。
スピーカー 2
私75年なんで。
でもまあまあほとんど一緒。
知らないんだ、万博。
スピーカー 1
知らないんですよ。
私太陽の塔を見に行ったことなくて、ちょっと見に行きたいんですよ、太陽の塔。
でも全然違うよ、今回の万博の会場も。
スピーカー 2
もちろん違うけど。
何年前になるの?あれ。
1970年だから。
50年前でしょ。
すごい印象、衝撃だった。小学生の私にとっては。
スピーカー 1
やっぱりそうなんだ。
スピーカー 2
じゃあ結構覚えてます?
スピーカー 1
なんとなく覚えてる。
20世紀少年っていう漫画ある?
そう、分かる。
あれすごい万博がキーになった。
知ってます?20世紀少年っていう。
スピーカー 2
ちょっと怖いでしょ?
スピーカー 1
怖いじゃない?
怖いっちゃ怖いね。
怖いっちゃ怖いんだけど、小学生の時に万博やってて、
万博に行ったか行ってないかで子供たち同士が、
俺行ったみたいな、嘘つくみたいなところから、
それが大人になっていろんなことに繋がるみたいな、そういう話なんだけど。
あの当時の盛り上がり、69年の月に行くのと、
70年の万博っていうのが当時のムードとして、
新しい時代が来る、ロックの時代みたいな、
そういうムードがあったんだなっていう漫画。
なるほどね。
今はまた随分違うけどね。
随分違うけどね。
福岡から、今日東京にいらしたんですか?
そうなんです。
東京にはちょいちょいいらしてるんですか?
スピーカー 2
ちょいちょい来てたんですけど、つい1ヶ月ちょい前ぐらいまでは。
でも最近来てなくて、ちょうど1ヶ月半ぶりなんで、すごい嬉しい。
スピーカー 1
この収録のために。
スピーカー 2
本当に?
来たくて来たくて。
そうなんですか?
スピーカー 1
呼びつけちゃったの?
こちらこそありがとうございます。
スピーカー 2
そんなので東武帰りで明日ね。
明日ね、予約があってというか、宝塚見に行くから。
直行で宝塚に行くみたいな。
スピーカー 1
戻ってすぐね。
なるほど。
メンターの講習で会ったっていうことですけど、
スピーカー 2
お仕事は、メンターをされて、それがお仕事なんですか?
今?
スピーカー 1
それも仕事。
カフェもやってる?
スピーカー 2
カフェも仕事。
仕事というか、仕事。
スピーカー 1
仕事、趣味?
スピーカー 2
趣味兼仕事。
スピーカー 1
趣味兼仕事。
どれくらい今やってること、趣味も仕事も何でもいいんですけど、どれくらい、どんなことやってらっしゃるんですか?
スピーカー 2
まずメンター、相談業というか、メンターはメンター4に登録していて、
そこから来るお仕事と、あと個人でいらっしゃる方のセッションというのがあって、
カフェもやってるんですけど、カフェも私の中ではここの延長線上なんですね。
場所があればみんな気軽に来れるじゃない、というのでカフェをしたかったから、
カフェはやってるんだけど、カフェでモンキルドとかそんなのじゃなくて、
みんなが気軽に話せる場としてやってるっていう感じなんだ。
これは一つの括りで、
あとは私はずっとP&Gという会社にいてて、
マーケット、マーケットの中でもちょっと特殊なんですが、
広告、テレビのCMを作るスーパーバイザーというかその責任、その仕事をしてたから、
広告の業界のマーケティングのコンサルまでもいかない、ちょっとそういう仕事とか、
あとは研修の先生とかをちょいちょいしてる。
そんな感じです。
カフェの意義
スピーカー 1
ゆかさんはもともとP&Gにレイリーは何回かありつつ、
スピーカー 2
足掛けなんですか?
足掛けね、多分20何年ぐらいはいるんだよね。
スピーカー 1
結構長いですよね。
スピーカー 2
1年半の7年の12年とか20年ちょいぐらいかな。
スピーカー 1
新卒で入られたんですか?
スピーカー 2
違うんですよ。
スピーカー 1
あれ新卒じゃなかったんですか?
スピーカー 2
違うよ、言ってなかったっけ?
スピーカー 1
新卒だと思ってました?
スピーカー 2
違いますよ、その前に2つ行ってるんですよ。
スピーカー 1
あ、そうなんですか?
キャリアの始まり
スピーカー 2
あ、聞いたかも。
聞いただろ?
スピーカー 1
ほんと記憶力が。
最初のキャリアはなんでしたっけ?
スピーカー 2
最初、だから私ね、すんごいもうさかのぼるよ、さかのぼるけど、
高校を卒業するところまでさかのぼるけど、そこまではすごく順調に来た人生だったの。
勉強もそこそこできて、運動もできて、
高校も奈良の県立の新学校に入ります。
バスケをずっと中高をやっていて、
高校3年の時には奈良県でインターハイ出ました、みたいにね。
ビャーって来て、みんな当たり前のように大学を受けるわけ。
で、私もどっか受かるだろうと思って受けたんです。
そんならまさかの全応中をしたんです。
で、え?ってなって、それが18の時なんだけど、そこで考えちゃったわけ。
あれ、何をやりたいんだっけ?と。
その時に、行きたいこともなくて、
なんで大学にもう一回勉強するのも、一年浪入するのも嫌だったから、
じゃあどうしよう?みたいになっちゃって、
その時に私、早く社会に出たいなと思っちゃって、
何しよう?ってなった時に、ちょっと英語が好きだったから、
英語を使った仕事をしたいって思って、
その時に、その時代ですよ?に、それで考えられるのって、
バイリンガルセクレタリー、あと外資系企業みたいなのがあってね、
それを目指そうっていうことで、大学に行かずに、
専門学校に行ったの。秘書養成学校みたいな。一年間。
親にも、あと、あのね、もう、自己承諾で。
先生も親もびっくりして、えー?みたいになったけど、
もう決めちゃったからって。
みんなが4年間、大学に行く時間を私にくれって言って、
その4年経った時には、私はちゃんと自分のやりたいことを
やってると思うとか言いながら、そっちの方に行っちゃったわけ。
そこからの始まりだから、私は高校3年生で、
どうしよう?っていうのを一番先に、
どうしよう?を考えざるを得なかったのね。
そこで、そういう道を選びました。
P&Gでの経験
スピーカー 2
で、一年間行って、その間にちょっとした留学とかもあって、
プログラムの中で、アメリカにも行ったりとかして、
帰ってきて、そこの学校から始めに行ったのが、
日本の科学会社、中堅の科学会社の社長秘書。
っていうのが一番目の仕事。
で、そこで2年間働いたんだけど、
秘書、だから外資系のバイリンガルセクタリーで言うと、
秘書なんだけど、外資系じゃないと。
で、そこをブラジルとかにも拠点というか工場があって、
時々海外のお客さんが来るんだけど、
その時だけしか英語を使わないから、
あ、違うなって思って。
で、2年間お金貯めて、
で、私またアメリカのそういうコミュニティカレッジの
秘書要請コースみたいなところにポンと行っちゃう、
サンディエゴだったんだけど、
そこで1年ぐらいやって、
しかもなんか日本人誰も来たことないみたいなところに行っちゃって、
で、そこで帰ってきた時は絶対今度は外資系だと思って、
でも大阪ってあんまりないじゃん、外資系ね、東京に比べると。
で、結局イギリスの船会社に就職したんですね。
で、そこでも外資系はクリアしたんだけど、秘書じゃないと。
で、輸出入のドキュメントを作るみたいな、そういう部署だった。
楽しかったんだけど、でも秘書じゃないと思ってたから、
ずっとそのところジャパンタイムズという英字新聞があって、
毎週月曜日にクラシファイドって言って、
あの、求人広告が出るのよね。
で、それを毎週月曜日に買って、
出てないな、出てないなと思って見てたら、
ある日、P&Gでバイリンガルのセクレタリーを募集してますって、
英字の新聞のあれがあって、来たーって言って、
で、応募して受かったから3社目なの。
スピーカー 1
すごいね。この話のすごさって、今、ゆかさんは65歳なわけですよ。
だから、当時で、今よりもアメリカで1年3年後のカレッジに行こう、
スピーカー 2
みたいなのって、すごい大変じゃないですか。
スピーカー 1
大変だけど、全然大変じゃなかったよ。大変だった。
スピーカー 2
だってその情報収集っていうか、ないじゃないですか。
ないの。インターネットもないのって。
スピーカー 1
ないじゃないですか。
スピーカー 2
85年とか?
84年に結婚したから、もっと前じゃない?
もっと前。
80年ぐらいじゃない?
スピーカー 1
80年ぐらい。
スピーカー 2
どうやって当時とか、雑誌とかなのかな?留学雑誌みたいなのがあるんですかね?
どうやったんだろう?ほんとに覚えてないんだけど。
でも、なんか知り合いがいてて、
行ってから考えようみたいな感じで探したのかもしれないし、
その人に、こういう学校があるよっていうのを見つけろと言ってもらって、
本当に今みたいに、ネットで調べればわかるとか、そういう時代じゃなかったし、
しかも、親は心配だったと思う。本当に今思うけど。
スピーカー 1
反対されなかったんですか?
スピーカー 2
全く私、本当に何事も自己報告なの。
本当にそうなのね。何事も。だから心配したと思うけど、
スピーカー 1
もう決まっちゃってるから。
スピーカー 2
もうやりたいようにさせてくれたから、それはありがたかったんですけど、
でも、両親も行ったことないところだし、若い女の子を行かせてさ、
今みたいにLINEで通話ができるわけでもないし、
スピーカー 1
行っちゃったらしばらくお一人ずつですよね。
スピーカー 2
手紙で一週間、戻ってきて一週間。
電話もすごい高いわけ、国際電話ってその頃。
だから、なかなかできないっていう中で、
信じるしかなかったって言ってましたけど、
今とは全然違うけど、行っちゃって、で、帰ってきて、
キャリアチェンジと妊娠
スピーカー 2
で、なんやかんや。だから結局、4年間くださいって言ったけど、
結局、PGに就職したのは5年目だったかな。
1年ちょっとあれだったよね。
その間にもう3社目みたいな。
スピーカー 1
すごい。
スピーカー 2
なるほどね。
すごい。
スピーカー 1
この勢い。
PGはセクレタリーで入ったの?
スピーカー 2
で入ったの。
で入ったけど、違うことやってたの?
入って、せっかく入ったんだよ。だから、希望のところに。
ただ、1年半で辞めるんです、最初。
1回目の辞めるのは1年半で辞めるんですけど、
それは、うちの夫が同じ会社で付き合ってたんだけど、
オハイオ州のシンシナテが本社なんですけど、
そこに行くっていうことが決まっちゃったわけ。
付き合って半年目。一番いい時じゃん。
で、その頃って今とやっぱ違うから、
遠距離ってなんか実現性がないというか、
スピーカー 1
確かにね。
スピーカー 2
だから2年間ぐらいだと思うんだけど、
それも待ってるかって言ったら、
なかなかね。
LINEもほんとないのよ。
ない。
ないから、だから私は半年だし、え?と思ったけど、
もう彼に決めさせたわけ。
もう行くか別れるかどっちかにしようと。
あなたが決めてくれていいと。
その時私24だし、夫も25だよ。
だからそんな結婚なんて考えてなかったと思うから、
それを無理事するのも嫌だなと思ったので、
決めさせたわけ。
はいはい。
そしたら行こうということになり、
そこで辞めたわけですよ。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
ことぶきで。
スピーカー 1
それでもようやく見つけたバイリンガルで、
セクレタリーでみたいな。
結構その後ろ髪。
スピーカー 2
全くなかった。
スピーカー 1
引かれなかったんですか?
スピーカー 2
だって一緒に行きたかったから。
その時はね。
行って2年間中妻をして、
その時行ったばっかりで子供もいないから、
私は大学行かなかったけど、
向こうで奥さんには語学の先生をつくとか、
そういうのはあるんだけど、
私はもうある程度できたから、
大学行きたいなと思って、
スピーカー 1
フルじゃなくて興味のある講座を取らせてもらって、
スピーカー 2
シンシナティ大学とかそこ行ったりとか、
あとは動物園があって、
ここでお土産屋さんでボランティアしたりとか、
そんなことをして暮らして、
2年向こうで過ごした。
なるほど。
で、帰ってきた。
同じ会社だから帰ってくるの分かるじゃない。
もともといたところから、
旦那帰ってくるって聞いたんだけど、
戻ってこないって言って、
私もどっかに勤めるつもりだったから、
探そうと思ってたから、
別に何のあれもしなくてね。
元に戻ると思ってなかったけど、
でもそういう風に言ってくれるんだったら、
戻ろうかって言って戻ったのが2回目。
スピーカー 1
なるほどね。
ちょっと違う仕事だったんですか?
スピーカー 2
いや、それは同じ仕事で戻ったんだけど、
ちょうどその次の年ぐらいに、
ビッグスっていう会社があって、
ドロップの。
ドロップの。
あそこと一緒になった。
そしたらブランドの数が割と倍ぐらいに増えちゃって、
その時に広告を担当してる私の元上司が、
一人でやってたのね、
今あるブランドの広告関係の仕事。
それが増えちゃったから、
人が足りなくなって、
よそから経験者の方とかを東京から探してたんだけど、
なかなかいなくて、
私たまたま秘書をしてたんだけど、
その人も一人でやってるから、
その人も片手間に見てたわけ。
だからどんな仕事をしてるかもちょっと分かってて、
その時、今だったら多分ないと思うんだけど、
P&Gさんではやらないって言われたの。
スピーカー 1
全く未経験。
スピーカー 2
ゆかちゃんやってみないって言われて、
私全く未経験だし、
でもすごくその時に興味があったのね。
やるって言って、手挙げちゃったわけ。
そこから今ではそんな簡単にキャリアチェンジできないのかもしれないんだけど、
ある意味スタッフ職っていうのになって、
でも本当に経験がないので、
2年間鎌持ちですね。
上司にくっついて東京行って、
いろんな広告制作っていろいろあるけど、
代理店に行って会議があったりとか、
撮影があったりとか、編集があったりとか、
音楽録音があったりとか、
いろんなところを回り回り2年間過ごし、
2年経ってやっと一人立ちのプロデューサーとしてデビューしますっていう時の、
最後の3ヶ月をアメリカ行ってこいって言われて、
向こうにも同じような立場の人がいるから何人も、
どういうスタイルで自分がプロデューサーとしてやっていくのかを見てこいと言われて、
行かせてもらったのね、3ヶ月。
で、帰ってきてさ、一人立ち?っていう時に、
妊娠が発覚したわけです。
スピーカー 1
なんでやねんって感じやねん。
スピーカー 2
30手前ぐらいですか?
スピーカー 1
30手前、29。
スピーカー 2
帰ってきた時に、妊娠が発覚して、
一時期、誰の子?っていう噂が立ったんだけど、
たまたまその間に旦那が遊びに来てたっていうだけの話で。
スピーカー 1
3ヶ月言ってたやんって。
スピーカー 2
そう言ってたじゃん、誰の子?って。
で、結局ギリギリまで、その頃育休ないんでね、
3級ギリギリまでお腹こんな大きいのに、
飛行機乗って東京行ったり来たりしてて、
その頃ね、チケットに妊婦犯行されるんだよ。
なんか知らないけど。
スピーカー 1
なんだろう、リスクがある?
スピーカー 2
リスクがあると、自己責任で乗ってねみたいな感じなんかわかんないけど、
スピーカー 1
妊婦犯行みたいなのされてさ、
スピーカー 2
で、みんな撮影行っても気を使って、
もう来ないでくださいみたいな感じになりながらもギリギリまで働いて、
で、辞めるつもりはなかったの。
それはせっかく一人立ちっていうところまで来たのに、
ここで辞めるのはないなと思ったから、
続けるっていうので頑張ってきたんだけど、
育児と仕事の両立の苦労
スピーカー 2
その頃って今と違って育休がないんですよね。
なので、P&Gさんでも結局3前6宗、3後8宗っていうのは法律で決まってるから、
それ以外ないんですよね。
だからそれ以外で休みたかったら有給って形だから、
どうしようってなって、
で、結局うちの実家が奈良だから、
両親のめっちゃ近くに移り住んで、
見てもらうっていうので、
移り住んだわけ、5分くらいのところに。
で、1月に生まれたんだけど、
4月1日から戻った。
だから2ヶ月で。
奈良から通う?
奈良から、でもその時大阪だったの、まだ。
大阪だったから通えるなと思って、奈良に移って、
で、通おうと思って。
で、したんだけど、
だから1月に生まれて4月だからまだ2ヶ月超えて、
で、母乳もあげてたし、
私どうしたらいいんだ、これ持ちながら、
削入機持ちながら行かなきゃいけないのかなと思ってたの。
で、4月1日に戻って、
4月2日に東京出張だったの。
忙しい。
代理店の会議があるから行けって言われて。
で、その日にね、止まったの。
母乳が。
母乳が?
スピーカー 1
出なくなっちゃったの。
スピーカー 2
頭が多分切り替わっちゃったの。
だから削入機、登場せずみたいな。
出番なし。
スピーカー 1
出番なし。
スタンバってたのに。
スピーカー 2
それで、よくも悪くも、
子供がいようと、仕事とあれは関係ないから、
自分の都合だからっていうので、
普通の仕事が待ってるわけよね。
で、週に1回とか2回の出張生活がそこから始まるわけ。
なので、全く私覚えてないんです、子育て。
スピーカー 1
当時、保育園は行ってたの?
スピーカー 2
保育園は1月に生まれたから、4月から入れないから、
その次の4月から入ったの。
だから1年ちょいはうちの両親が見てくれてたの。
スピーカー 1
もう家で。
スピーカー 2
その間に私、2週間も3週間も家開けて海外撮影とかある。
スピーカー 1
海外出張とかも全然普通に。
スピーカー 2
やってた。赤ちゃんの時に。
スピーカー 1
復帰した時から行ってたのか。
スピーカー 2
普通に戻った。
普通にね。
戻って赤ちゃんの時に2週間とか3週間とか、
家開けてたの。
私、同じことやれって言われたら絶対嫌だなって今思うけど、
やってくれてたの、両親が。
スピーカー 1
それは当時のね、うちの母もそんな感じで、
私の時育休なかったんで、8週間で復帰したみたいなんですよね。
まあやっぱり義理の母ですけどね。
母から見た時のうちの父の母親が同居して、
だから子供の面倒が。
私はもう保育園も行き始めたの4歳の時なんで、
3年間はおばあちゃんが見てたっていう感じなんですよ。
ずっとおむされて。
スピーカー 2
そういう家族がそうやってやってくれない限り、
続けることは無理だったの、その当時。
スピーカー 1
そうだと思う。
保育園もね、私が行ってた保育園も、
ゼロ歳とかはいなかったかな。
スピーカー 2
あまりいなかったかね。
スピーカー 1
少なかったかな。
そういうちっちゃい子を預けられるところが少なかった。
今もね、限られるけど、昔はもっともっと多分なかった。
もちろん延長保育なんてなくて、
確かお迎え4時だったもんね。
だからもう幼稚園みたいな感じだよね、今の。
休職はあったけど、
やっぱり全然、働きながら子供を育てるってことが
全く現実的じゃないというか、
よっぽど周りでいろんな人を巻き込んで、
スピーカー 2
誰かと同居してるんですね。
スピーカー 1
そういうことができなければ。
スピーカー 2
その頃って、うちのむさえ35だから35年前じゃない?
その頃は、結婚して辞める人は少なくなってきたけど、
やっぱり子供で辞める人が多かった?
スピーカー 1
だからそれのパイオニア的なぐらいの年代だと思う。
さっき記憶がね、
記憶があまりないみたいな話になるそうだけど、
で、なんか、きついとか、
このままどれくらいこれ続けられるんだろうとか、
迷ったりとかなんかするとかなかったんですか?
スピーカー 2
その頃を復帰して?
でも楽しいことの方が。
楽しいんだけど、楽しいって言っても仕事って楽しいばっかりじゃないから、
やっぱり責任が伴うから、
仕事、子供を置いて遠いところまで行って、
なんかすごい嫌な思いしたりとかすると、
何のために私は仕事してるんだとか思っちゃったりするけど、
でも結局私は、最初のスタートポイントがあるから、
やっぱりなんかの形でちょっと続けて、
ここまでやったらいいやと思うぐらいまでになりたかったから、
今じゃないなっていうのがあって、
で、続けてた。なんやかんや。
で、仕事は好きだったから、
あっちゃこっちゃ行くのもそんなに苦じゃないし、
良かった。それは本当にでも両親がいてたからできたことで、
例えば両親が遠くに行ってたりとかしたら、
もう無理だったなと思う。
スピーカー 1
それも両親が応援してくれてたってことですね。
スピーカー 2
まあ無理やり押し付けたっていうのもあるけどね。
スピーカー 1
でも両親が近くにいて、
で、しかも両親もオッケーして。
スピーカー 2
だから両親が近くに行ったみたいな。
だから本当に4時って言ってたけど、
うちの母が早めに迎えに行って、
連れて帰って、ちゃんとご飯も食べさせて、
お風呂も入れて、
で、私たちのどっちかが早く帰ってきた方が迎えに行って、
家に連れて帰るって感じだったから、
私たちのご飯まで食べて帰るみたいな。
そういう生活。
スピーカー 1
旦那さんはそれは…
スピーカー 2
旦那さんは、自分も働いてるじゃない?
だから僕は無理だよって、まず言われた。
そうだよね、と。
ただ、自分が働きたかったらこういう方法しかないと言って、
奈良に移ることとか、
うちの両親にお世話になるっていうことはしかないんだけどって言ったら、
それはそれでいいって言ったら、
ただ僕はできないって。
確かにそうだからね。
その方法を見つけるのは自分。
スピーカー 1
働きたかったら自分で見つけるっていうのをやってた。
じゃあ働くことに反対とかそういうのは全然なかった?
スピーカー 2
ないないない。
スピーカー 1
かといって旦那さんが子供を世話をするとかはしない?
スピーカー 2
土日とかはあれだけど、
結局現実的に無理じゃない?働いてたら。
スピーカー 1
そういう意味では、
夫婦との働き方みたいなのは、
子供がいる前と基本同じ状態で戻ったってことですよね。
すごいパワフル。
スピーカー 2
みんな全然違うことやってるけど、
でもフルタイムフルタイムだからそうだよね。
スピーカー 1
子育てに対しての、
そういう風に感じちゃう人もいると思うんですけど、
もっと自分がやらなきゃいけないんじゃないかとか、
子供が変わるとか、
スピーカー 2
そういう気持ちはそんなに分からなかったですか?
預けてるのが両親だったっていうのがあったかも。
すんごい安心だった。
スピーカー 1
自分から思うと、私が育てるよりも良かったんじゃないかな。
外資系企業での働き方
スピーカー 1
なるほど。
確かに保育園だけというよりも、
スピーカー 2
もうプラス両親がいててくれたからめちゃくちゃ安心だったし、
スピーカー 1
家開けるのもできたし。
周りからね、
親も応援してくれるし、
旦那さんも理解してくれる。
自分は頑張るつもり。
けど心ない周りの人でね、
お子さんが可哀想だとか、
見てあげた方がいいんじゃない、
そんな仕事してる場合じゃないとか、
あなたは贅沢だとか、
そういうことを言われることもあったんじゃないかなって思ったりするんですけど。
スピーカー 2
あったかも。
でもあったけどあんまり気にしなかったかも。
スピーカー 1
外資だからあんまりその辺のところはなかったね。
スピーカー 2
大きいかもその辺は。
みんな自分の奥さんは家に入っててとか、
働いていたし、そこに関してはすごい柔軟に、
フェアに受け取ってくれるから、
子供がいたり結婚したりするのはその個人の状況であって、
仕事にはあまり関係ないっていうスタンスでいてくれてたから、
スピーカー 1
楽では楽だったかな。
なるほどね。そうか。
そういう意味では外資の方がね、
女性が別に子供を産まないだけじゃなくても、
多分普通に就職するのだって、
日本企業だとなかなか女性が男性と同じように仕事を任せてもらえることさえ、
スピーカー 2
多分まだまだだったんじゃないですか。
そういう意味ではすごいフェアだったから、
そこの苦労はしてないんだよね、あんまり。
スピーカー 2
アメリカの本国とかで、いろんな人とトレーナーとしてお世話になったけど、
みんな家庭持ちながらやってたりとか、そういうのを見てるし、
当たり前って当たり前な感じだったから、
それは恵まれてたのかもしれない。
母親への切り替え
スピーカー 2
だからそんなに自分だけ特別っていうか、
それ感はあんまなかった。
スピーカー 1
なるほどね。
カルチャーもあるし、グローバルの先駆者が見える。
スピーカー 2
見える、いるから。
スピーカー 1
っていうのは結構大きいかもしれないですね。
なるほどね。
スピーカー 2
その生活で、お子さんは一人ですか?
スピーカー 1
一人なんです。
何年くらい生活は続けられたんですか?
4年。
スピーカー 2
4年?
2回目辞めるのが4歳の時だから。
なるほど。それはどういうきっかけだったんですか?
その間にP&Gさんが大阪からロックアイランドに移って、
本社のビルを建てたわけ。
私たちそこに奈良から通うのはちょっと遠いじゃない?
だからそれもきっかけにマンションを買って、
家と職場と保育園が5分ずつぐらいで行けるみたいなところに行けばどうにかなるだろうと思って。
で、引っ越しました。
娘をそこの保育園に入れながら、
で、私がほんと泊まりでちょっとどっか出張行くときだけ奈良から
父と母が車で来てくれて、泊まってくれるっていうようなやり方をやり始めて。
で、まあまあうまくいってたんだけど、
でも普通の日って6時までなんだよね、保育園が。
でも終わらなかった時に、とりあえず近いから、
まず6時に迎えに行って、オフィスに連れてきて、
その辺で家でも帰っとけみたいな。
で、仕事終わらせて、で、開門して帰るみたいな。
全部歩いて行けるんだけど、そういうことをやってたわけ。
そしたらもう4歳になってくると自分の意思を言うじゃない?
その時に、私はもうこんな生活嫌だって言われて。
スピーカー 1
4歳の娘に。
スピーカー 2
早く家に帰りたいんやって。
もう行きたくもない会社に行かなあかんねん。
書きたくもない8日間掛かんねんぐらいの感じで。
言われた時に、あーと思って。
それができてたからあれだけど、私甘えすぎてたなと思ったのね。
その時に、すごくそのこの4年間かな?
はいろんな仕事ができて、割と大きな仕事もしてるね。
ミラルサスンっていうシャンプーがあるんですけど、
それのローンチのコマーシャルで、
ハリウッドにずっと2週間ぐらい行って、
そのリアルなミラルサスンのコマーシャルが。
スピーカー 1
あのCM覚えてます?
スピーカー 2
覚えてます。あれをやったりとか。
その当時は本当に1億ぐらい使ってやったビッグプロジェクトだから、
それもできたし、もういいかって思っちゃったの、その時にね。
で、そう思ったら私もうそっちが良くなっちゃうから、
お母さんになろうと思って辞めたの、4歳の時に。
スピーカー 1
お母さんが35?
スピーカー 2
そうそう、34、35ぐらい。
で、辞めて、保育園に行ってたのを年中さんから幼稚園に入れて、
幼稚園ママデビュー。
で、戻るつもりもなくよ。
もうこれでいいや、私キャリア、お母さんになろうと思って辞めた。
スピーカー 1
その2回目は。
スピーカー 2
へー、結構切り替えがすごいですね。
でも、どっちかなんだよね。
幼稚園ママとしての経験
スピーカー 2
もうやり切ったなとその時思ったのよね。
思ったし、今必要としてるんだったら、
私これでこのまま甘えてね、続けてたら、
母親としてちょっと後悔するんじゃないかなと思ったから、
じゃあもうお母さんになるわって言って辞めて、
幼稚園入れて幼稚園ママデビューで、
やっぱり企業に行ってたからみんな興味津々なわけ。
なんでこの人今更幼稚園なのとか。
で、その時にまた幼稚園ママの独特の社会があるじゃん。
あれの洗礼を受けるわけ。めっちゃ面白かったんだけど。
スピーカー 1
でもなんか馴染んでいけそうだけど、
でもすごい違う世界ですよね。
スピーカー 2
全然違うよ。
最初にみんなお呼ばれというか、お茶飲みに来ないとか。
私のことみんな知ってるの。
なんで?
分かんない。
それは後から入ってきたから?
この間までP&Gにいらっしゃったんですよね、ということから始まって。
ネットワークがなって。
みんな知ってて。
スピーカー 1
分かるわ。
スピーカー 2
みんな不思議なのは、なんで赤ちゃんの時じゃなくて、
4歳になったのに今辞めるの?というのが不思議だったみたい。
でもなんで辞めたの?という2番目の質問がそれだったから。
それは答えなきゃいけないのかなと思いながら、
別に別にと思って、あ、高校でね、みたいな話してた。
ふーんってなって。
で、また全然さ、P&Gで働いてる人たちと違う人たちじゃない。
だからもう、そこですごい無防備にいろんなこと言っちゃったから、
いろいろ面白い話があってね。
あれなんだけど、こういうことなんだと思いながら学んだこともある。
スピーカー 1
妬みとか?
スピーカー 2
妬みっていうかな。みんな自分の思うこと言わないんだよ、結局。
その場では?
その場では。言ったらダメなの。
そういうことね。そういうカルチャーね。
言わないとダメなの。P&Gは言わないとダメなの。
スピーカー 1
意見があるなら言う。
スピーカー 2
意見持ってない。
何もないのは意見がないっていうことだからっていうことだから、
言うのが当たり前だし、誰が何言ったって別に受け入れられる土町だったんだけど、
こっちに来たら、言ったらダメなの、みんな。
スピーカー 1
っていうのが知らなくて。
スピーカー 2
知らない、わかんない。
わかんないでしょ。続けてたから、へーってなって。
で、私ちょうど一人っ子だし、幼稚園になった時に、PTAってあるじゃん。
みんな4月になったら、シーンってなるでしょ。誰がやるっていう時に。
私暇になったから、やりますよって言ったらみんな、
ってなって、あっ、ってなって、副会長になったわけ。
スピーカー 1
PTAの。いきなり、いきなり。1年生でいきなり。
スピーカー 2
ほんで、もう一人の人が、会長になった人が、
海外不認経験のある、外務省に行った人で、
2人でやっていこうぜ、みたいな感じ。
同じような感じの人だったらよかったの。
いろんな、バザーとかさ、やっていくと、
みんな集めながらミーティングとかすると、
あの人勝手に決めるみたいな、あれがあってね。
え?ってなって。
それがさ、本人から聞こえるんじゃなくて、周りまで聞こえるわけ。
え?って思ったから、周りまで聞こえたから、
その人のとこ行って、なんかそんな話聞いたんだけど、
どういうこと?って聞きに、素直によ。
直接言ってくれたらいいんだけど、って言ったら、泣き出すわけよ。
そしたら、鹿沢さんが泣かした、泣かした、泣かしたっていうのがさ、
わーっと広がって、え?どういうこと?って思ったら、
その友達が、そういうことは言っちゃダメなんだと。
あ、そうなの?って言って。
で、何かを決めることを決めるときも、
だれだれさんどうですか?だれだれさんどうですか?って聞いて、
一周回って何もなかったら、もう一周だれだれさんどうですか?って聞いて、
二周目回って何もなかったら、じゃあこれはいかがでしょうか?って聞くんだよって言われて、
なるほど、と思った。
それだったら、みんなが自分で決めたっていう感じになるんだけど、
何にも聞かないで、あ、ないんですか?じゃあこれどうですか?って言っちゃうと、
勝手に決めたようになるんだよって教えられた。
難しい。
難しいけど。
で、だんだんだんだんそうやってこう、あ、なるほど、と思いながら。
そういう時代もありの。
異文化コミュニケーションの学び
スピーカー 1
なるほどね。それはなかなかのこう、なんだろう、世界の差が。
スピーカー 2
でも親子が、そうじゃない?親子がさ、ペアで動くのって幼稚園の時だけじゃない?
スピーカー 1
確かに。小学校とか入ったらね。
スピーカー 2
遊びに行くのも稽古もペアなのね、その幼稚園っていうのは。
でも小学校になったら自分の好きなことを勝手に遊んだりするから、親同士もそんなに。
スピーカー 1
確かに会わなくなるかも。
スピーカー 2
だからその2年間をすごく良い勉強になったなと思ってね。
スピーカー 1
なるほどね。
そうそう。
強烈社会勉強ですね。
スピーカー 2
めっちゃ社会勉強。
スピーカー 1
まだこれでね、30代前半ぐらいの話なんで。
時勢半分ぐらい。
ちょっとまだまだこれから、まだいくつも何点も多分ね、もう1回ピアノ人に戻るんですけど。
スピーカー 2
戻るんですよ。
スピーカー 1
その話はちょっと次回聞きたいなと思います。
スピーカー 2
はい。
43:44

コメント

スクロール