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スピーカー 1
それはオンラインだけど、リアルで会うこともあるんですか?
スピーカー 2
いや。
スピーカー 1
当時はなかった?
スピーカー 2
授業があるうちはなかったけど、
それが終わって、まだコロナでね、
大勢の人数の会食はダメですっていう時期に、東京でいっぺんあったじゃん。
あの時がめちゃくちゃ盛り上がったんですけど、
思ってたより大きい人とかいろいろいて。
スピーカー 1
確かにね。あるある。
オンラインだとやっぱり緊張分からないから。
そうなんですよ。で、本当それこそみんな、
コロナでずっと大勢の飲みとかしてなくて、
本当久しぶりですみたいな感じの大勢飲みをして、
ちょっとお店の人に注意されるくらい盛り上がってね。
リアル初対面だったんだけど。
じゃあそれで仲良しになって。
スピーカー 2
それで仲良しになって、私は神戸なんだけど、
東京行くたびに時々会ったりとかして。
スピーカー 1
そう、集まって。
なるほど。
ちょっとしばらく会ってないと、
最近親戚と会ってないから、親戚の集まりしなきゃみたいな感じの気持ちになるんですよね。
そうなんです。
ゆかさんは神戸にお住まいなんですよね。
はいはい。
もともと神戸出身なんですか?
スピーカー 2
もともとは奈良なんだけど、結婚する前までは。
でもそこから結婚していろんなとこ行って、
昔から子供が4つくらい、30年くらい前から奈良、神戸。
スピーカー 1
うーん、ね。
ゆかさん、失礼ですが今、ご年齢は?
スピーカー 2
いくつだと思いますか?
スピーカー 1
言っちゃった。
関西人的ドリアン。
いくつに見える?
私知ってるから。
ゆかちゃん。
スピーカー 2
いやいや、だってもうお子さんがかなり大きいというか、
お孫さんもいらっしゃる。
5歳の孫がいます。
スピーカー 1
いくつくらいかしら。
スピーカー 2
もうわかるじゃん、それ。
65歳?
たぶんそう。
スピーカー 1
だんだんわかんなくなりますよね。
スピーカー 2
だんだんわかんなくなる。
若々しいですよね。
そうですかね。
スピーカー 1
肌ツヤがなって。
スピーカー 2
それはあれなんですよ、SK-IIだから。
スピーカー 1
SK-IIだから?
スピーカー 2
うちの元会社がSK-IIで、うちのパパがSK-IIをずっとやってたんで。
スピーカー 1
そうなんですか。
スピーカー 2
P&Gに?
そうですそうです。
スピーカー 1
社内結婚なんですよね。
そうなのよ。
スピーカー 2
この2人目のP&Gゲスト。
元出身。
ふくうさんね。
スピーカー 1
ふくうさんはなんで横ちゃんつながりで?
スピーカー 2
もともと知ってた?
知ってる知ってる。
旦那さんと旦那がマーケだったから、
私も旦那さんとの方が仕事があれだったかな。
ふくうさんの旦那さん。
スピーカー 1
彼女は調査の方にいたかな、もともと。
スピーカー 2
でもだいぶ若いから、
どんだけいたのかな、わかんないけど。
でも知ってる知ってる。
旦那さんとも働いた。
スピーカー 1
そうなんだ。
狭い。
狭いね。
そうなので、ふくうさんとゆかさんとは、
私は別々に知り合ってるけど、つながってたみたいな。
そうなんだ。
女が狭いんです。
なるほど。
そうなんです。
そういうことですか。
でもね、お二人とも、福吉カップルも、
スピーカー 2
しかたカップルも。
スピーカー 1
社内で。
社内で。
P&Gのね。
スピーカー 2
みんなね、あそこしかいないからね。
連れてこられてみんな。
スピーカー 1
そうか。
そうなんですね。
結婚されて神戸にってこと?
スピーカー 2
神戸は、いつから?
P&Gがね、もともとは大阪にあったんですよ。
大阪だったんですか?
ヨードヤバシっていうところにあって、
水道筋ってあるでしょ?
スピーカー 1
うん、わかります。
スピーカー 2
あそこにあったんだけど、
神戸のロッコアイランドに自社ビルを建てて、
移ったのが1994年ぐらいかな。
そのときに合わせて、私たちも近くにマンションを買って、
移ってきた。
そっからずっと神戸なんですけど。
スピーカー 1
へー、そうなんですね。
私も兵庫県出身なんで、
なんとなく神戸にシンパシーを感じました。
スピーカー 2
全然関西弁抜けてますね。
スピーカー 1
あのね、これ使い分けです。
多分、これマイク入った場合は、今から関西弁でしゃべりましょうか。
私聞いたことないかも、兵庫ちゃんの関西弁。
あんまりわかんないよ。
私テレビっ子だから。
標準語を見てたのね。
テレビの中の言葉をしゃべってる感覚で、
だから最初から東京来たときから、全然。
標準語?
でも実家帰ったら、標準語しゃべってると、
親に魂打ったんかって言われるんで、
スピーカー 2
いやいや、打ってへん。
ね、関西の血が流れてる。
スピーカー 1
そうなんですよ。
スピーカー 2
嬉しい。
スピーカー 1
ちょいちょい出るかもね。
出るかもね。
ちょっと盛り上がってくると出ちゃうかもしれない。
スピーカー 2
なんでやねん、みたいな。
スピーカー 1
ね、なんでやねん。
さっきここで話す、万博の話をね、
いつ行くみたいな話してたんだけどね、
スピーカー 2
もうすぐ行かれると。
あさって?
あさって行くと。
スピーカー 1
4月。連休前に行かれるってことですよね。
私は連休中に行く予定があるんですけど、
ロコちゃんいつ行こうかなって。
全然行きたいなーぐらいな感じで、
全く考えてなかったんだけど、
今二人に早めがいい。
コムマインみたいなね。
コムマインに行った方がいいって言われて、
急遽日にちを決めようとね。
なるほど、なるほど。
でもなんか意外と評判いいというか、
あとなんか、なんだろう、
行ったことない国とかのファビリオとかも結構面白いみたいな話が
どこが面白かったか教えてほしいですよ。
スピーカー 2
僕からここ良かった。
ちなみに1970年は生まれてないの?
スピーカー 1
生まれてない。
スピーカー 2
まじで?
生まれてない。
私さっき行ったんだよ、遠足で。
遠足?
スピーカー 1
大阪万博ですよ。
あれ?太陽の塔?
はい。
スピーカー 2
太陽の塔は70年ですか?
スピーカー 1
1970年のこんにちはやんで。
スピーカー 2
小学校の時ですか?
スピーカー 1
小学校の時。
スピーカー 2
生まれてないの?
スピーカー 1
ないんです。
77年生まれです。
スピーカー 2
同い年?
スピーカー 1
私が上です。
スピーカー 2
私75年なんで。
でもまあまあほとんど一緒。
知らないんだ、万博。
スピーカー 1
知らないんですよ。
私太陽の塔を見に行ったことなくて、ちょっと見に行きたいんですよ、太陽の塔。
でも全然違うよ、今回の万博の会場も。
スピーカー 2
もちろん違うけど。
何年前になるの?あれ。
1970年だから。
50年前でしょ。
すごい印象、衝撃だった。小学生の私にとっては。
スピーカー 1
やっぱりそうなんだ。
スピーカー 2
じゃあ結構覚えてます?
スピーカー 1
なんとなく覚えてる。
20世紀少年っていう漫画ある?
そう、分かる。
あれすごい万博がキーになった。
知ってます?20世紀少年っていう。
スピーカー 2
ちょっと怖いでしょ?
スピーカー 1
怖いじゃない?
怖いっちゃ怖いね。
怖いっちゃ怖いんだけど、小学生の時に万博やってて、
万博に行ったか行ってないかで子供たち同士が、
俺行ったみたいな、嘘つくみたいなところから、
それが大人になっていろんなことに繋がるみたいな、そういう話なんだけど。
あの当時の盛り上がり、69年の月に行くのと、
70年の万博っていうのが当時のムードとして、
新しい時代が来る、ロックの時代みたいな、
そういうムードがあったんだなっていう漫画。
なるほどね。
今はまた随分違うけどね。
随分違うけどね。
福岡から、今日東京にいらしたんですか?
そうなんです。
東京にはちょいちょいいらしてるんですか?
スピーカー 2
ちょいちょい来てたんですけど、つい1ヶ月ちょい前ぐらいまでは。
でも最近来てなくて、ちょうど1ヶ月半ぶりなんで、すごい嬉しい。
スピーカー 1
この収録のために。
スピーカー 2
本当に?
来たくて来たくて。
そうなんですか?
スピーカー 1
呼びつけちゃったの?
こちらこそありがとうございます。
スピーカー 2
そんなので東武帰りで明日ね。
明日ね、予約があってというか、宝塚見に行くから。
直行で宝塚に行くみたいな。
スピーカー 1
戻ってすぐね。
なるほど。
メンターの講習で会ったっていうことですけど、
スピーカー 2
お仕事は、メンターをされて、それがお仕事なんですか?
今?
スピーカー 1
それも仕事。
カフェもやってる?
スピーカー 2
カフェも仕事。
仕事というか、仕事。
スピーカー 1
仕事、趣味?
スピーカー 2
趣味兼仕事。
スピーカー 1
趣味兼仕事。
どれくらい今やってること、趣味も仕事も何でもいいんですけど、どれくらい、どんなことやってらっしゃるんですか?
スピーカー 2
まずメンター、相談業というか、メンターはメンター4に登録していて、
そこから来るお仕事と、あと個人でいらっしゃる方のセッションというのがあって、
カフェもやってるんですけど、カフェも私の中ではここの延長線上なんですね。
場所があればみんな気軽に来れるじゃない、というのでカフェをしたかったから、
カフェはやってるんだけど、カフェでモンキルドとかそんなのじゃなくて、
みんなが気軽に話せる場としてやってるっていう感じなんだ。
これは一つの括りで、
あとは私はずっとP&Gという会社にいてて、
マーケット、マーケットの中でもちょっと特殊なんですが、
広告、テレビのCMを作るスーパーバイザーというかその責任、その仕事をしてたから、
広告の業界のマーケティングのコンサルまでもいかない、ちょっとそういう仕事とか、
あとは研修の先生とかをちょいちょいしてる。
そんな感じです。
スピーカー 2
で、一年間行って、その間にちょっとした留学とかもあって、
プログラムの中で、アメリカにも行ったりとかして、
帰ってきて、そこの学校から始めに行ったのが、
日本の科学会社、中堅の科学会社の社長秘書。
っていうのが一番目の仕事。
で、そこで2年間働いたんだけど、
秘書、だから外資系のバイリンガルセクタリーで言うと、
秘書なんだけど、外資系じゃないと。
で、そこをブラジルとかにも拠点というか工場があって、
時々海外のお客さんが来るんだけど、
その時だけしか英語を使わないから、
あ、違うなって思って。
で、2年間お金貯めて、
で、私またアメリカのそういうコミュニティカレッジの
秘書要請コースみたいなところにポンと行っちゃう、
サンディエゴだったんだけど、
そこで1年ぐらいやって、
しかもなんか日本人誰も来たことないみたいなところに行っちゃって、
で、そこで帰ってきた時は絶対今度は外資系だと思って、
でも大阪ってあんまりないじゃん、外資系ね、東京に比べると。
で、結局イギリスの船会社に就職したんですね。
で、そこでも外資系はクリアしたんだけど、秘書じゃないと。
で、輸出入のドキュメントを作るみたいな、そういう部署だった。
楽しかったんだけど、でも秘書じゃないと思ってたから、
ずっとそのところジャパンタイムズという英字新聞があって、
毎週月曜日にクラシファイドって言って、
あの、求人広告が出るのよね。
で、それを毎週月曜日に買って、
出てないな、出てないなと思って見てたら、
ある日、P&Gでバイリンガルのセクレタリーを募集してますって、
英字の新聞のあれがあって、来たーって言って、
で、応募して受かったから3社目なの。
スピーカー 1
すごいね。この話のすごさって、今、ゆかさんは65歳なわけですよ。
だから、当時で、今よりもアメリカで1年3年後のカレッジに行こう、
スピーカー 2
みたいなのって、すごい大変じゃないですか。
スピーカー 1
大変だけど、全然大変じゃなかったよ。大変だった。
スピーカー 2
だってその情報収集っていうか、ないじゃないですか。
ないの。インターネットもないのって。
スピーカー 1
ないじゃないですか。
スピーカー 2
85年とか?
84年に結婚したから、もっと前じゃない?
もっと前。
80年ぐらいじゃない?
スピーカー 1
80年ぐらい。
スピーカー 2
どうやって当時とか、雑誌とかなのかな?留学雑誌みたいなのがあるんですかね?
どうやったんだろう?ほんとに覚えてないんだけど。
でも、なんか知り合いがいてて、
行ってから考えようみたいな感じで探したのかもしれないし、
その人に、こういう学校があるよっていうのを見つけろと言ってもらって、
本当に今みたいに、ネットで調べればわかるとか、そういう時代じゃなかったし、
しかも、親は心配だったと思う。本当に今思うけど。
スピーカー 1
反対されなかったんですか?
スピーカー 2
全く私、本当に何事も自己報告なの。
本当にそうなのね。何事も。だから心配したと思うけど、
スピーカー 1
もう決まっちゃってるから。
スピーカー 2
もうやりたいようにさせてくれたから、それはありがたかったんですけど、
でも、両親も行ったことないところだし、若い女の子を行かせてさ、
今みたいにLINEで通話ができるわけでもないし、
スピーカー 1
行っちゃったらしばらくお一人ずつですよね。
スピーカー 2
手紙で一週間、戻ってきて一週間。
電話もすごい高いわけ、国際電話ってその頃。
だから、なかなかできないっていう中で、
信じるしかなかったって言ってましたけど、
今とは全然違うけど、行っちゃって、で、帰ってきて、
スピーカー 2
その頃って今と違って育休がないんですよね。
なので、P&Gさんでも結局3前6宗、3後8宗っていうのは法律で決まってるから、
それ以外ないんですよね。
だからそれ以外で休みたかったら有給って形だから、
どうしようってなって、
で、結局うちの実家が奈良だから、
両親のめっちゃ近くに移り住んで、
見てもらうっていうので、
移り住んだわけ、5分くらいのところに。
で、1月に生まれたんだけど、
4月1日から戻った。
だから2ヶ月で。
奈良から通う?
奈良から、でもその時大阪だったの、まだ。
大阪だったから通えるなと思って、奈良に移って、
で、通おうと思って。
で、したんだけど、
だから1月に生まれて4月だからまだ2ヶ月超えて、
で、母乳もあげてたし、
私どうしたらいいんだ、これ持ちながら、
削入機持ちながら行かなきゃいけないのかなと思ってたの。
で、4月1日に戻って、
4月2日に東京出張だったの。
忙しい。
代理店の会議があるから行けって言われて。
で、その日にね、止まったの。
母乳が。
母乳が?
スピーカー 1
出なくなっちゃったの。
スピーカー 2
頭が多分切り替わっちゃったの。
だから削入機、登場せずみたいな。
出番なし。
スピーカー 1
出番なし。
スタンバってたのに。
スピーカー 2
それで、よくも悪くも、
子供がいようと、仕事とあれは関係ないから、
自分の都合だからっていうので、
普通の仕事が待ってるわけよね。
で、週に1回とか2回の出張生活がそこから始まるわけ。
なので、全く私覚えてないんです、子育て。
スピーカー 1
当時、保育園は行ってたの?
スピーカー 2
保育園は1月に生まれたから、4月から入れないから、
その次の4月から入ったの。
だから1年ちょいはうちの両親が見てくれてたの。
スピーカー 1
もう家で。
スピーカー 2
その間に私、2週間も3週間も家開けて海外撮影とかある。
スピーカー 1
海外出張とかも全然普通に。
スピーカー 2
やってた。赤ちゃんの時に。
スピーカー 1
復帰した時から行ってたのか。
スピーカー 2
普通に戻った。
普通にね。
戻って赤ちゃんの時に2週間とか3週間とか、
家開けてたの。
私、同じことやれって言われたら絶対嫌だなって今思うけど、
やってくれてたの、両親が。
スピーカー 1
それは当時のね、うちの母もそんな感じで、
私の時育休なかったんで、8週間で復帰したみたいなんですよね。
まあやっぱり義理の母ですけどね。
母から見た時のうちの父の母親が同居して、
だから子供の面倒が。
私はもう保育園も行き始めたの4歳の時なんで、
3年間はおばあちゃんが見てたっていう感じなんですよ。
ずっとおむされて。
スピーカー 2
そういう家族がそうやってやってくれない限り、
続けることは無理だったの、その当時。
スピーカー 1
そうだと思う。
保育園もね、私が行ってた保育園も、
ゼロ歳とかはいなかったかな。
スピーカー 2
あまりいなかったかね。
スピーカー 1
少なかったかな。
そういうちっちゃい子を預けられるところが少なかった。
今もね、限られるけど、昔はもっともっと多分なかった。
もちろん延長保育なんてなくて、
確かお迎え4時だったもんね。
だからもう幼稚園みたいな感じだよね、今の。
休職はあったけど、
やっぱり全然、働きながら子供を育てるってことが
全く現実的じゃないというか、
よっぽど周りでいろんな人を巻き込んで、
スピーカー 2
誰かと同居してるんですね。
スピーカー 1
そういうことができなければ。
スピーカー 2
その頃って、うちのむさえ35だから35年前じゃない?
その頃は、結婚して辞める人は少なくなってきたけど、
やっぱり子供で辞める人が多かった?
スピーカー 1
だからそれのパイオニア的なぐらいの年代だと思う。
さっき記憶がね、
記憶があまりないみたいな話になるそうだけど、
で、なんか、きついとか、
このままどれくらいこれ続けられるんだろうとか、
迷ったりとかなんかするとかなかったんですか?
スピーカー 2
その頃を復帰して?
でも楽しいことの方が。
楽しいんだけど、楽しいって言っても仕事って楽しいばっかりじゃないから、
やっぱり責任が伴うから、
仕事、子供を置いて遠いところまで行って、
なんかすごい嫌な思いしたりとかすると、
何のために私は仕事してるんだとか思っちゃったりするけど、
でも結局私は、最初のスタートポイントがあるから、
やっぱりなんかの形でちょっと続けて、
ここまでやったらいいやと思うぐらいまでになりたかったから、
今じゃないなっていうのがあって、
で、続けてた。なんやかんや。
で、仕事は好きだったから、
あっちゃこっちゃ行くのもそんなに苦じゃないし、
良かった。それは本当にでも両親がいてたからできたことで、
例えば両親が遠くに行ってたりとかしたら、
もう無理だったなと思う。
スピーカー 1
それも両親が応援してくれてたってことですね。
スピーカー 2
まあ無理やり押し付けたっていうのもあるけどね。
スピーカー 1
でも両親が近くにいて、
で、しかも両親もオッケーして。
スピーカー 2
だから両親が近くに行ったみたいな。
だから本当に4時って言ってたけど、
うちの母が早めに迎えに行って、
連れて帰って、ちゃんとご飯も食べさせて、
お風呂も入れて、
で、私たちのどっちかが早く帰ってきた方が迎えに行って、
家に連れて帰るって感じだったから、
私たちのご飯まで食べて帰るみたいな。
そういう生活。
スピーカー 1
旦那さんはそれは…
スピーカー 2
旦那さんは、自分も働いてるじゃない?
だから僕は無理だよって、まず言われた。
そうだよね、と。
ただ、自分が働きたかったらこういう方法しかないと言って、
奈良に移ることとか、
うちの両親にお世話になるっていうことはしかないんだけどって言ったら、
それはそれでいいって言ったら、
ただ僕はできないって。
確かにそうだからね。
その方法を見つけるのは自分。
スピーカー 1
働きたかったら自分で見つけるっていうのをやってた。
じゃあ働くことに反対とかそういうのは全然なかった?
スピーカー 2
ないないない。
スピーカー 1
かといって旦那さんが子供を世話をするとかはしない?
スピーカー 2
土日とかはあれだけど、
結局現実的に無理じゃない?働いてたら。
スピーカー 1
そういう意味では、
夫婦との働き方みたいなのは、
子供がいる前と基本同じ状態で戻ったってことですよね。
すごいパワフル。
スピーカー 2
みんな全然違うことやってるけど、
でもフルタイムフルタイムだからそうだよね。
スピーカー 1
子育てに対しての、
そういう風に感じちゃう人もいると思うんですけど、
もっと自分がやらなきゃいけないんじゃないかとか、
子供が変わるとか、
スピーカー 2
そういう気持ちはそんなに分からなかったですか?
預けてるのが両親だったっていうのがあったかも。
すんごい安心だった。
スピーカー 1
自分から思うと、私が育てるよりも良かったんじゃないかな。
スピーカー 2
もうやり切ったなとその時思ったのよね。
思ったし、今必要としてるんだったら、
私これでこのまま甘えてね、続けてたら、
母親としてちょっと後悔するんじゃないかなと思ったから、
じゃあもうお母さんになるわって言って辞めて、
幼稚園入れて幼稚園ママデビューで、
やっぱり企業に行ってたからみんな興味津々なわけ。
なんでこの人今更幼稚園なのとか。
で、その時にまた幼稚園ママの独特の社会があるじゃん。
あれの洗礼を受けるわけ。めっちゃ面白かったんだけど。
スピーカー 1
でもなんか馴染んでいけそうだけど、
でもすごい違う世界ですよね。
スピーカー 2
全然違うよ。
最初にみんなお呼ばれというか、お茶飲みに来ないとか。
私のことみんな知ってるの。
なんで?
分かんない。
それは後から入ってきたから?
この間までP&Gにいらっしゃったんですよね、ということから始まって。
ネットワークがなって。
みんな知ってて。
スピーカー 1
分かるわ。
スピーカー 2
みんな不思議なのは、なんで赤ちゃんの時じゃなくて、
4歳になったのに今辞めるの?というのが不思議だったみたい。
でもなんで辞めたの?という2番目の質問がそれだったから。
それは答えなきゃいけないのかなと思いながら、
別に別にと思って、あ、高校でね、みたいな話してた。
ふーんってなって。
で、また全然さ、P&Gで働いてる人たちと違う人たちじゃない。
だからもう、そこですごい無防備にいろんなこと言っちゃったから、
いろいろ面白い話があってね。
あれなんだけど、こういうことなんだと思いながら学んだこともある。
スピーカー 1
妬みとか?
スピーカー 2
妬みっていうかな。みんな自分の思うこと言わないんだよ、結局。
その場では?
その場では。言ったらダメなの。
そういうことね。そういうカルチャーね。
言わないとダメなの。P&Gは言わないとダメなの。
スピーカー 1
意見があるなら言う。
スピーカー 2
意見持ってない。
何もないのは意見がないっていうことだからっていうことだから、
言うのが当たり前だし、誰が何言ったって別に受け入れられる土町だったんだけど、
こっちに来たら、言ったらダメなの、みんな。
スピーカー 1
っていうのが知らなくて。
スピーカー 2
知らない、わかんない。
わかんないでしょ。続けてたから、へーってなって。
で、私ちょうど一人っ子だし、幼稚園になった時に、PTAってあるじゃん。
みんな4月になったら、シーンってなるでしょ。誰がやるっていう時に。
私暇になったから、やりますよって言ったらみんな、
ってなって、あっ、ってなって、副会長になったわけ。
スピーカー 1
PTAの。いきなり、いきなり。1年生でいきなり。
スピーカー 2
ほんで、もう一人の人が、会長になった人が、
海外不認経験のある、外務省に行った人で、
2人でやっていこうぜ、みたいな感じ。
同じような感じの人だったらよかったの。
いろんな、バザーとかさ、やっていくと、
みんな集めながらミーティングとかすると、
あの人勝手に決めるみたいな、あれがあってね。
え?ってなって。
それがさ、本人から聞こえるんじゃなくて、周りまで聞こえるわけ。
え?って思ったから、周りまで聞こえたから、
その人のとこ行って、なんかそんな話聞いたんだけど、
どういうこと?って聞きに、素直によ。
直接言ってくれたらいいんだけど、って言ったら、泣き出すわけよ。
そしたら、鹿沢さんが泣かした、泣かした、泣かしたっていうのがさ、
わーっと広がって、え?どういうこと?って思ったら、
その友達が、そういうことは言っちゃダメなんだと。
あ、そうなの?って言って。
で、何かを決めることを決めるときも、
だれだれさんどうですか?だれだれさんどうですか?って聞いて、
一周回って何もなかったら、もう一周だれだれさんどうですか?って聞いて、
二周目回って何もなかったら、じゃあこれはいかがでしょうか?って聞くんだよって言われて、
なるほど、と思った。
それだったら、みんなが自分で決めたっていう感じになるんだけど、
何にも聞かないで、あ、ないんですか?じゃあこれどうですか?って言っちゃうと、
勝手に決めたようになるんだよって教えられた。
難しい。
難しいけど。
で、だんだんだんだんそうやってこう、あ、なるほど、と思いながら。
そういう時代もありの。