2020-11-14 1:01:28

Vol.134: Tomo Ogino(コミュニケーション・デザイナー) 2/4

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「急がば回れ」とはよく言ったもので、慌てるのは得策ではないと分かっていても急ぎたくなる時もあるんだと、なんだか最近走りっぱなしな板倉です、こんにちは。「1%の情熱ものがたり」前回に引き続き、34人目のインタビュー。幼少期から絵を書い

投稿 Vol.134: Tomo Ogino(コミュニケーション・デザイナー) 2/41%の情熱ものがたり に最初に表示されました。

00:01
1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、また各協会のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、そこに燃える情熱に迫ります。
こんにちは。
1%の情熱物語134回でございます。
はい、収録日は10月21日、2020年ですね。
はい、ありがとうございます。
あのですね。
元気ですか、皆さん。はいはい、どうぞ。
今日、俺、お話ししたかったのは、昨日かな。
あのメールが来て、あるとあるバーチャル展示会。
これ、去年参加しようとして。
今年参加しようとして4月に東京であったんだけど。
日本のやつね。
コロナでキャンセルというか延期になったのがバーチャル展示会やってて。
そのバーチャル展示会やってるから覗きに来てね、みたいなメールがあって。
覗きに行ったんですよ。
その前にバーチャル展示会ってピンとくるかな、みんな。
いや、分かんない。
分かんない。
トレードショーとかって、物を売る人、何か売りたい人、例えばギフトだったらギフトを売りたい人がどこかに集まって。
セーラーさん、売りたい人とバイヤーさん、それを卸で買って、自分のお店で売りたい人とかね。
その人たちが出会うコンベンションってなんつうんだろうね。展示会ってある。
展示会ですね。それのバーチャルバージョン。
そう。で、それをオンラインでやりますよって話で。
で、実際に会場、本当は東京ビッグサイトとか、ああいうでかいところでみんな集まって。
アニメだったらアニメらしい。ペット協会だったらペット協会とか。
いろいろあるわけなんですけど、それのバーチャルなんでオンラインで。
だからみんなどこに、その場に行かなくても、俺もアメリカから参加できるわけで。
はいはい。
で、そこで本当はブースがバーって並んでて、みんなダラダラした人が歩き回って、興味がある人に話しかけたりして、
03:06
これ買うとかって商談をするわけですけど、それが全部オンラインでできちゃうと。
で、会社の名で検索してもいいし、商品で検索してもいいし、どういうものを探してるかで、
見つけやすいっていうのが一ついい点だなと思ったのに。
確かにね。
すげえ歩き回ってさ、沢ちゃんもナチュラルプロダクティックスとかであったけど、3時間とか4時間とか歩き回ってるわけじゃん。
そうなんですよ。
ヘトヘトになるんだけど。
で、結構端から端まで見れなかったりするからね。
そうそう、1日で見れなかったりしてね。
それがだから探しやすいっていうのと、バーチャルブースに行くとそこに動画が流れてて、
商品の紹介がサクッと見れたり。
で、実際に話したければライブでそこでチャットをしたり、オンラインで対談も商談もできるという感じでですね。
見逃してたものを見逃さなくなった利点があるなと感じたわけですよ。
確かに。
で、ちょっと早口で喋っちゃったけど、そういう時代になったなあというのをね。
コロナ。
多分これ、この流れは止まらないですもんね。
そうだ、コロナじゃなくてもいつかなってたんだろうけど、コロナでこの速度を早まってるなあと。
間違いない。
そういう感じだし。
そうすると動画で伝えるとか、デザインで伝えるというのは非常に重要になってくるから。
そうですよ。
今日インタビューで今からお話しいただく友さんがやってらっしゃるようなことはより重要になる。
そう、そのブランディングとかその本質っていうものをどう伝えるかっていうのが重要になるんだなあと。
うまいつなぎでしたね、沢ちゃん。
いや、思った。私も言おうとした。
うまいつなぎに道さんモテたなと思った。
はい。
じゃあ、うまくスムーズにつなげていきますね。
そういうことはあんまり言わないほうがよかったかも。
言っちゃうの、私たち。
ということで、本編に入っていきたいんですが、毎回1人の方のインタビューを4回に分けてお届けしているこの1%の情熱物語。今回はですね、コミュニケーションデザイナー友小木野さんの第2回目。
はい。先週ね、ちょっとサプライズがありますって言ってましたけど、冒頭に出てくる人で大したあれじゃないんですけど。
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私が驚くだけで。
沢ちゃんが。沢ちゃんが。
ということで早速聞いていただきましょう。
はい。大真似は伺ってもいいですか?
はい。実は私、山梨県甲府市なんですけど、パートナーの方がそうですよね、お仕事の。
あ、そうそう。沢ちゃんね。山梨県なんですよ。
昨日ちょっとネットで研究してるときに、あれ?同じだ!とドキッと思ったんですけど。
あれ?甲府だったっけな。ちょっと忘れちゃったけど、山梨県はそうですね。
甲府市って書いてありました。
甲府市だ。すげー。沢ちゃん喜ぶわ、これ。
よろしくお伝えください。
ありがとうございます。
なるほど、なるほど。どんな幼少期だったんですかね。
あ、声が今ちょっと飛んじゃいましたね。どんな幼少期だったか。
どんな幼少期だったか。
幼少期は、すごいインド派ですよね。
うちの息子を見ててもそうなんですよ。まさにそのままなんですけど、
もう本当に、もちろん友達と外で遊ぶってこともしましたけど、
ほとんども家で絵を描いたり、本を読んだり、本当にそういうことばっかりしてましたよね。
絵を描くことと本を描くこととかも大好きすぎて、それさえしてればよかった感じで、
うちの兄とかはゲームとかしてるんですけど、
いまだに私ゲーム機とかも触ったことないですし、この何十年も。
でも興味が全然なかった。
じゃあアナログで鉛筆とか絵の具とかで絵を描いてるってこと。
そうです。あと本を読むのが大好き。
この間インタビューのお話をいただいたときに、武道農家の方のお話を聞いていたんですよ。
歩きながら本を読んでたって話。
はいはいはい。
そうそうそうそう。
私も本当にその通り、学校から家に帰る15分が多くて、
本当にずっと読みながら、そういうことを覚えてます。
すごいな。僕本読み出したのは20歳ぐらいなんですよね。
えー。
そんな子供の頃だって、本とかすごいですね。どういう本を読むんですか?
いやーもうね、今思うとびっくりな子供なんですけど、
もうね、小学校の何年生かな?4年?5年?6年?高学年の時にはシェイクスピアとか読んでたんですよ。
09:08
はっはっは。楽しいね。理解できるんですか?それ。
いやー知ってたんじゃないですかね。シェイクスピアも読んでたし、遠慮集作とかも読んでたし、
もうちょっとすごい混ぜてて。
文学少女なんだ。
すっごい読んでてましたよね。
へー。
すごい好きで、本読むこと大好きで、ずっとそのまま大人になったんで、
もう今思うと、会社に行く時も電車で読むじゃないですか。
はいはいはい。
日本の場合はね。
はい。
その時、当時日本でサラリーマンやってたこともあるんですけど、
読んでそのまま会社に行く間が、会社から徒歩2分3分のところなんですけど、駅からね。
で、その電車に乗った後も駅から、駅の本部から読みながら会社に行ってたんですよね。
なかなかハードコアですね。
それちなみに東京ですか?
東京です。
東京でサーブジューマンです。
よく歩けましたね、本読みながら。
ねーほんとに。そんなこともしてましたよね。今聞かれると思い出しましたけど。
じゃあ結構かつじマニアというか。
そうですね、好きですね。
最近は子育てがあったんで、控えてますけど、子供を直接見なきゃいけないから控えてましたけど、
でもやっぱり根っこはすごい本が大好きですね。
なるほどね。
そうですね。でも小学校の3年とか4年くらいの時はクラスの劇の100本とか書いてました。
天才じゃないですか。
全然ですけど、好きだったんですよ、ほんとに。
親が心向けたというか、両親の教育が育ったとか、自らそうなんですか?
教育された覚えは本読みなさいって言われたことは一回もないですよね。自ら読んでましたから。
じゃあ与えてはくれたんだ、本。
そうですね。本はいくらでも買ってくれましたし、
あと父がもうすっごい本好きで、それはありましたよね。
暇さえあれば古本屋に行くような父だったんで。
そのせいかわかんないんですけど、結局結婚した夫もすっごい本が好きで、
いつも本の置き場所を困ってる感じがします。
楽しそうだな。
旦那様もね、この間僕、他のポッドキャスト番組で旦那様がインタビューされてるのを聞いて、とっても面白い方だなと思って。
12:01
ありがとうございます。
旦那さんにもインタビューしたいくらいですけど。
ぜひしてください。
今日はトムさんにフォーカスさせてもらって。
じゃあそこから。
子供時代だったんですね。
小中?
どうしようかな。小中ですよね。どんな子供だったか。本当に絵と本しかなかったんですよ、私の子供時代は。
どうなりたいかなって時に、やっぱり小さい頃って、小さい頃っていうか中学高校ぐらいの時って、絵は得意で。
だったら、絵描きにしようみたいな、単純な、一直線しかないわけですよ。
まだネットがない時代ですかね。
そうそう、ネットもないし、最近になって出た、最近じゃないですね、ずいぶん前に出てましたけど、13歳のハローワークみたいな。
仕事こんなのがありますよみたいな。あんなリソースもなかったですし。
選択肢がよくわからん時代だったね。野球選手かパン屋かみたいな。
そうそう、本当そうなんですよ。お花屋さんとかにわかりやすい感じだったんですよね。
それはわかるんですけど、今の人もそういうところもあると思うんですけど、ただ、絵が好きだったら絵描きになりましょう。
小説が好きだったら小説家になりましょうみたいな、それしかないじゃないですか。
だから私の選択肢は、そもそも絵描きになりたいか小説家になりたいかしかなかったんですよ。
二択だったんですよ。
高校生になった時に、両親に何がやりたいって言わなきゃいけないじゃないですか。
自分どこの大学に行きたいって説得しなきゃいけないんですけど、
じゃあ何がやりたいのかって選択肢、普通の高校に私はいたんで、普通の高校にいた時に何がやりたいのかっていうのを、
まず周りを見ると、みんな例えば文学科に行ったりとか、経済勉強したり、法律勉強したりとか、
私は文系だったんで、もちろん文系だったんで、そういう人ばっかりだったんですよね。
それがそのまま私のキャリアになるのかなって考えた時に、私これやりたいのかなって。
課題って小説家にどうなのみたいな、私は小説家の才能があるのかみたいなことも考えたりとか。
読むのは好きだけど、別にそこまで書くのはそんなに好きじゃないし、
自分がやってて楽しいことは何かなって考えた時に、やっぱり絵だったんですよね。
なるほど。
絵が好きだったら美大に行くしかないなみたいな感じで、
将来的に何になりたいとかそういうのは全然考えてなくて、
とりあえず美大に行けばなんとかなるだろうってところがあって。
美大に行くために挑戦するんですけど、
ある大学ね、一つの大学、結構有名な大学だったんですけど、そこは受かったんですよね、現役の時にね。
15:01
でももうちょっと、今受かった大学よりももうちょっと高いレベルの大学を始め出したいなと思って、
一番行きたかったところが武蔵野美術大学だったんで、
武蔵野美術大学に行きたいなと思ったんで、
当時私の時代は倍率がすごくて、20何倍とかだったんですよ。
それでも簡単には入れない、東大行くのと同じぐらいのレベルでしっかりやらなきゃいけなかったんで、
天才レベルですね。
すごい頑張らなきゃいけなかったんで、とりあえず一回親に泣きついてですね、
1年留年させてくれって言って、
で、浪人をしたんですね。
その当時に会った人たちがまた変わってて、いろんな面白い人たちに会ったんですけど、
浪人中に?
そうです。東京に行かないと浪人できないと思ったんで、
その時に東京に行って浪人を1年して、
いろんなネットワークができて、運良く武蔵野美術大学に入れたんですね。
で、でもその、私その後いろいろ後でお話ししますけど、
アートセンターってパサディナの美大に入ったことになったんですけど、
アメリカのね、なったんですけど、
そこに行くまでの、行ってからやっと違いが分かったんですけど、
アメリカ大学って普通は何がやりたいっていうのがあって、
学科を選んで、ここの大学のこの学科、ここの大学のこの学科って選ぶじゃないですか。
だけど日本って、今はどうか分かんないですけど、
私が当時受けた時っていうのは、その学科がどうのこうのというよりも、
とにかく武蔵野美術大学に入っておけばいい、とにかく浪人に入っておけばいいみたいなのがあって、
武蔵野美術の中じゃどの学科だったらいけるのかみたいな、
そういうレベルだったんですね。私の意識レベルがとても低くて。
武蔵野美術のこの学科とこの学科とこの学科だったらいいから、やってること全然違うんですよ。
ある学科は空間デザインやっていて、ある学科はコンピュータデザインやっていて、
ある学科はグラフィックデザインやっていて、全然違うんですけど、
そういうレベルで武蔵野美術はとたまびを受けたんですよ。
その中で受かったところが、受かって一番行きたかったところが、
武蔵野美術の資格伝達デザイン学科ってところで。
資格伝達デザイン。
そうなんですよ。ビジュアルコミュニケーションデザインって英語では言いますけど、
グラフィックが資格伝達デザインの中に入るんですね。
18:02
だからもうちょっと広い分野なんで、グラフィックデザイン学科だと専門領域になりますよね。
もうちょっと広い分野だから、いろんな人がいたんですね。
漫画描いてる友達もいたり、写真撮ってる友達もいたり、
いろんな自己表現があったんですね。
逆に言うと、分野が広すぎるから、逆に自分がしっかりしてなきゃいけないんですよ。
それが私は弱かったんで、なんとなく絵が好きで入っちゃったんで。
学校に入ったから、結構苦労したんですよ。
自分が何を撮っていいのか分かんなくて。
いろんな学校をちょっとずつ撮ってたもんだから、専門領域っていうのはなくて、
幅広い分野の理解はできたんですけど、一つの分野に対しても理解があまり深まらなくて。
広く浅くのほうだったんですね。
しかもさらに言っちゃうと、恥ずかしい話。
大学の勉強よりも、もっとコミュニケーションというのが楽しくて。
美術大学って芸術祭っていうのがあるんですけど、
芸術祭の実行委員に入って、そこで副委員長ですごいバリバリやってたんで。
一年中イベントのこと考えてるみたいな。
そうなんです。本当に一年中イベントのことばっかり考えてて、
これをどう動かしても、とにかく委員長タイプだったんですよ、昔から。
仕切りたくてしょうがない。
それで、そんなことばっかりやってたんで。
楽しそうですよね。
楽しかったですよ。すごい楽しかった。
勉強も面白いことばっかりつまみ食いしてたし、好きなことばっかりやってたんで。
逆に言うと、専門領域っていうのがないってことに気がついたのが、卒業するときだったんですよね。
ジェネラリストですね。スペシャリストではなく。
そうなんです。いろんなことは分かったし、友達もすごいいっぱい増えましたしね。
あとはコミュニケーション能力とか、プレゼンテーション能力とか、
あとはネゴシエーション能力、大学とのね。
そういうことは、人間としてのスキルは上がったね。
だけど、デザイナーとしてのスキルがいまいちだなってことに気がついて、
私、このままじゃいけないなと思って、大学の先生にノックして、
研究室に行って、どうかもう一年大学に行かせてくれませんか?
一年いたんですよ。留年じゃなくて、働いてたんですね、アシスタントで。
研究室で。
で、それはそれで、そのうち一年もしたら何かやりたいことも見つかるだろうと思ったんですけど、
そんな甘い考えで見つからなかったんですね。
21:00
それはちなみにどういう教授とか、どういう研究室の?
資格でデザイン学科の、学科の研究室だったんです。
ああ、そういうことか。じゃあその幅広い分野のまんまってことですね。
そうです。それで結局見つからなかったので、もう一回同じ先生のドアをノックして、
職場先を紹介してくださいと言って、紹介してもらった先が、マーケティング系の会社だったんですよね。
なるほど。
マーケティング系なんで、当時、もう20年くらい前の話ですけど、
インターネットとかを使って、どうやって宣伝していくかみたいなことは、会社自体はそういうメインなんですけど、
私が配属されている社はもうちょっとエッジが立っているところで、まさにこれから未来のコミュニケーションはテレビ電話だよ。
当時テレビ電話って言ってたんですけど。
まだでも携帯がガラケーの時代かな。もっと前なのかな。
そうです。ガラケーです。ガラケーの頃からもう本当に、ガラケー?
携帯でやっとテレビ電話的なものが出てきた。
iモードみたいな感じですかね。
はいはいはい。
テレビ電話はまだ当時なかったです。
おもしろい。隣の人が研究所と一緒にネットワークをつなげてやってるところが、おもしろい。
わーって感じで見てたくらいですよね。
研究してて。
そんなのやってたりとか、展示について、展示をどうやるかみたいな。
普通の森美術館のオープニングの展示を手伝ったりとか、そんなことをやってたんですね。
ただ、今聞いててわかると思うんですけど、全然デザインをやるとかじゃなかったんですよ。
デザイン。
さっき大学の話したけど、日本の会社も同じような感じで、この会社に入るって後どの部署に配属されるかわかりませんみたいなイメージありますよね。
そうですよね。
で、飛ばされたらこの仕事やるみたいなね。
アメリカと逆じゃないですか。
違いますよ。専門家だから雇わってもらうんですけどね。
それでいろいろなところに配属されたってことですよね。
配属されたというか、同じ部署なんですけど、同じ部署でいろんなことをやってたんです。
その部署が特殊だったんですよね。
ずっとその部署にいたんですけど、そこでどうしてもやっぱり自分が入りたくて入ったところじゃないから、
どうしたらいいのかなみたいな、この先みたいなことをちょっと悩み始めたんですよね。
で、アメリカにここで来るきっかけになったんですけど、
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これどうしようかなと思ってた時に、この先、私はこれをこのまま続けたいのかって質問をするんですよ、自分に。
自分に対して。
結局1日8時間以上、10時間とか12時間とか下手したら、下手したら24時間間してる時もあるわけですから。
その当時ね、20年前の話ですか。
その時にこのまま自分でこれをやりたいのかなと思った時に、なんか違うなと思ったんですよね。
それがですね、私がもう26歳から27歳になる前日だったんですよ。
誕生日の前日。
そう、27歳の前日に、私このままもうこれやってったら、なんか自分じゃなくなるなと思ったんですね。
もうね、本当にストレスだったんですよね。
面白いところもいっぱいあったんですけど、一方でやっぱりその働き方自体が私に合ってなくて、
整理も止まっちゃったりだとか、体にも出てたし、これ違うなと思って。
会社も実は傾きかけてて、その当時、民主再生になっちゃったんですよね。
結構大きな、結構大きなと言っても200人くらいの会社だったんですけど、ちょっと不祥事があって、そんなことになって。
さあ、じゃあどうするかという時に、いろんな選択肢があって、このままここにいてもいいし、他にもいろいろ選択肢があるよなということを初めてそこで考えたんですよね。
例えば、付き合いしてる人と結婚するとか、例えば実家に帰るとか、普通に考えたら転職するとか、いろいろあると思うんですけど、
じゃあどうしようかなってなった時に、私、もとはデザイナーになりたかったんじゃんって思ったんですよ。
思い出した感じなんですか?
そう、思い出したんです。それが27歳の本当にその時だったんです。
それで、起きてきました。息子が。
おはようございます。眠いね。
超眠そう。
眠いね。よしよしよし。そう、そうなったんですね。
眠いですか?大丈夫?
お母ちゃんのとこに行きたいんだよな。
眠いよね。よしよし。
そう。
抱っこされて大あくびをしてますね。
めちゃくちゃあくび。
まあでもそんなことで、27歳の時が一番転換期ですね。
それってなんかでも、影響されたんですか?自分で自らこのままじゃいかんってふと思ったのか、
何かその例えば自由に生きてる人があそこにいるんだとか、なんで私だけこんなつらいのみたいなのを他から影響を受けたのか、自分で気づいたのか。
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まあでも確かに、周りがどんどん辞めてってみんな大きな会社に入ってくるんですよね。
で、自分でじゃあそうしたいのかって自問した時に、別に私この会社に行きたいとかないなと思ったんですよ。
どこかの会社に所属して、その会社を名乗ることが私の喜びではないってことに気がついた。
人の方を見て確かにそういうふうに思ったんですよね。
なるほど。
結局27歳って、女性の27歳って実はちょっと大きくて。
というのは、その時にはっと気づいたのは、私30歳になるまでに3年しかないんだと思ったんですよね。
丸々3年。
丸々3年でどう生きるかが、この後の私の人生にすごい影響するんじゃないかなってことに気がついたんですよ。
なるほど。
で、そこの過ごし方次第で、私はこの先、人生が楽しく生きられるか、それともまた今までと同じようなルーチンでやっていくのかっていう、そこの決め手になるんだったら今しかないなと思って。
分岐点になったわけですね。
それでもう一回デザイナーになりたいなって。私もとはデザイナーになりたかったわけですから。
もちろん一番初めは絵描きですけど、大学教育を受けてデザイナーっていう仕事があるってことが気づいたんで、
デザイナーでちゃんと生きていくにはどうしたらいいかっていう時に、
むさびも経験しましたし、じゃあ世界だろうということで、アメリカの大学を調べてですね。
アートセンター大学があって、世界でも優秀な大学だから、ロサンゼルスも素敵なところだし、いかがかなと。
で、それまで私だって24くらいまでパスポート持ってませんでしたから。
アメリカに行くっていうのは結構私の中で大きかったんですけど。
それはヨーロッパではなくアメリカを選んだっていうのは、カレッジ自体が魅力的だったんですか?
カレッジ自体も魅力的だしたし、あとはもうロサンゼルスが好きですよね。
ロサンゼルスが好きですよね。旅行で来て、あ、すっごい天気いい、この。
ですよね。
このハッピーな感じをやっぱり人生に持ってたいなと思ったんですよね。
で、他のところにも旅行行って、ヨーロッパとかって結構曇ってるじゃないですか。
どんよりしてる感じがね。
どんよりしてて、ちょっと私の性格に合わないなと思ったのがありますね。
なるほどなるほど。
そうでしたね。
それでじゃあ、またそのカレッジでアートを学び直すっていうことになるわけですね。
そうなんです。それで学び直すって言っても簡単ではなくて、やっぱり親にも散々迷惑をかけてね。
30:01
2つ目の大学ですから、頭を下げてきて、1年後に帰るから、ダメだったら1年後に帰るからとか言ってね。
ここにこんなにいますけど。
そんなことを言いながらね、やり過ごしてきてこっちにいますけど、
その30歳になるまでになんとかなりたいって思った自分がいたので、
すっごい必死で勉強したんですよ。
その時に自分のなりたい理想が確定したというか、決まったってことなんですか?
そうです。会社を辞めて、アメリカに行きたいって親に泣きついて、
許してもらったアメリカに来て、英語もできなかったんで、
アドバイザーに聞きに行くじゃないですか、大学の。
ポートフィルを持って聞きに行くんですけど、何言うというか全然分からなかったんですよ。
アドバイザーの人がね、これ分かります?って聞いてくれるんですけど、
does it make sense?の意味が分からなかったんですよ。
でもそれ分かる。僕もmake senseの意味が最初分からなかった。
分からないですよね。ぼーっとしてはーみたいな顔してるから、
そうか、うちの学校は高いからねとか言って、そういうとこだけ聞こえるんですけど。
そういうことじゃないですよね。
知ってる単語はね、分かるけどね。
じゃあそこからでも、英語も学習しつつ、アートも勉強したと。
そうですね。英語ができなかったんで、1年未満かな、9ヶ月くらいでトフルを頑張ってパスして、
そしてその後に大学に入ることもできて、
大学に入ってもやっぱり2つ目の大学だからお金がものすごいかかる。
特にアメリカの大学ですからかかるんで、
うちの大学はですね、今は違うらしいんですけど、当時はですね、スカラーシップがすごいたくさん出てたんですよね。
スカラーシップは奨学金なんですけど、日本の奨学金と違って返済しなくていい、ローンではないスカラーシップをもらえるんです。
本当にもらえるやつね。
それは成績次第なんです。
自分のポートフォリオレビューというのがあって、そのポートフォリオに出した作品がどれだけ素晴らしいかによって、
そのレビューが良かったかによって点数が決まって、その点数次第でスカラーシップの額が決まるって感じだったんですね。
全員には渡せないですもんね。
そうですそうです。まずそれをもらわなきゃいけないと思って、
一番初めに実は入学するときにすでにそれをポートフォリオレビューというか、
むしろ入学書類のポートフォリオでジャッジしてもらえるんですけど、
その時点で額比が実は半額になったんですね。
すごい良かったんですけど、半額になるってことはずっと半額なんですよ。
33:05
その1学期分だけじゃなくて卒業するまで半額。
すごいことなんですよ実はそれは。
これはすごい。
その時に私は欲が出てですね、もっと欲しいと思ったんですね。
それをポートフォリオレビューというのを毎学期毎学期出すことによって額が上がっていくわけです。
だからとにかく寝ずに頑張って出してたんですよね。
それをやってる時に、ある日ポートフォリオレビューって朝からあるんですけど、
朝7時くらいに自分の作品を持って、学校に持って行ってセットアップして、
終わった30分に1時間して、朝8時によしじゃあこれ帰るぞって。
帰った後に先生たちがレビューしてくれるんですけど、学生がいない時に。
1回帰る時に、アメリカなんで車で行って、車で帰るんですけど、
車で帰る時に運転しながら赤信号で止まるんですよ。
その時にふっと気がついたのが、私今日30歳の誕生日だと思ったんですよ。
その時に、誕生日も忘れるくらいだったんですけど、その時に私この時を待ってたんだと思って。
私はアメリカに来て、デザイナーとしての一歩を踏み出すことができた。
英語もできるようになって、ここまで来ることができたんだと思ったら、本当にすごく嬉しくて。
もう寝てないしね。
3年前の27歳の前日のことを思い出したわけですね。
そうなんです。この日だったんだ、私が夢見た日の日はってね。
目が寝もして、コンタクトレンズもしない。髪の毛ボサボサで化粧もしない。
すごい格好だったんですけど、ボロボロの車に乗って、洗車もしてない車に乗って。
でも、それができたことが本当に嬉しくて。
それが人生の一番、私の中で達成したことの一つですよね。
それはそんなこんなで、本当に。
やっぱり振り返るとそこが一番、37歳と30歳というのが一番強くて。
それのおかげもあって、卒業するときにはスカラシップ全額もらって、
払わなくてもいいくらいになるくらいまで、すごいのめり込んでたんです。
でもね、そういう成功体験というか、自分で分かってるじゃないですか、自分が努力したことを。
それってすごいインパクトですよね。
人生の支えになるというか。
それは自分で自分を褒めてあげた感じなんですかね。
36:00
本当そうですね。本当に嬉しかったですね。
あの時、今でも思い出して、涙が出てくるくらい。
素晴らしい。
ありがとうございます。
今から仕事の話に入っていきたいと思います。
話に入っていきたいと思います。今ね、お子さんがね、離れないで。
自分は聞こえないから聞かせてくれる。
今一緒に聞いてますけどね。
こんにちは、じゃない、おはようございます。
Good morning.
バイバイ。
ということで、じゃあちょっと次のセクションに今から入ります。
山梨健康福祉出身ですって。
サオリちゃんが喜ぶなと。
そうです。小さな小さな町ですので、私と同じでございます。
ちょっと感動しちゃった。
すごいよね。でも同じ町で生まれてさ、異国の同じ町に住んでるんだよ、今。
そうそうそうそう。
一緒だよね。
本当ね。
そのうち。
そのうち。
結構、そのうちお会いできたら嬉しいけど、結構山梨県出身の人もロサンゼルスはいるんですよ。
ていうか、ロサンゼルスいっぱい日本人いますよね。
いっぱいいますね。1個の村ぐらいあるからね。
10万人とかは超えて、15万人とかかな。
ロサンゼルスにいる日本人ね。
アメリカ全部で40万人ぐらい。
もっといるんじゃない?
だった気がする。もっといるのかな。
確かにその数もね、正確かわからないですからね。
でも、30手前でアメリカにいらっしゃったんですね。
その27歳になる前日が人生の転機とおっしゃっておりましたが。
本当に。
実際さ、沙織ちゃんどうだった?27歳。
私がアメリカに来たのは25の時で、日本で3年働いてから来たので、
ちょうど3年働いてっていう転機の。
区切りみたいな。
区切りの人は周りにも多かったから。
でも3年か5年ってよく言われてて、3年が新卒で入ったら25で、
39:00
5年とかだとやっぱり27とかになるんですよ。
そうかそうか。
なんかでも、27、8ってやっぱりそういう人生のことを真剣に考える時期なのかなって。
僕も自分自身を振り返るとその時期だった気がするんだよね。
適当に。
それまで結構適当に生きてたから。
楽しくね、自分のやりたいことをメインに。
でもそういう時期じゃないですか。
自分のことだけじゃなくて、家族のこととかも考え始めるみたいな。
そう、結婚とかももちろん視野に入るとかね。
あとこの、社会的に自分は何のためにあるの?みたいなこととか。
確かに確かに。
それまではね、やりたい放題っていうか、それは俺の話だけど、何も考えてなかった。
それか、もう新卒で入った会社で周りについていくのに必死パターンも多いですよね。
そっかそっか。
でもね。
でも結構、20代後半でアメリカに来ましたっていう人も多いですよね。
そうだね。脱サラして思い切って来ましたとかね。
うんうん。
だし、日本は履歴書に年齢書いたりもするけれども、もちろんアメリカは年齢を書くのも、青年合併を書くのも禁止だし。
聞いちゃいけないってことね。
そう、聞いちゃいけないし、何年も友達として、お仕事として付き合ってるのに、この人の年齢知らないっていう人がほとんどじゃないですか。
そうだよね。あんま興味ないけどね、聞きもしないくなったよね。
そうなの、そうなの。あんま関係ないんですよね。
そう、でも日本だと一応先輩後輩みたいなのに、この人敬語で話すべきなのかとかさ、一応年齢を確認してさ、俺より下かお前とかっていきなり敬語じゃなくなるみたいな。
敬語じゃなくなる。それちょっと大変ね。そういう意味では英語は楽なんでしょ。誰にでもフラットに話せるから。
そうだよね。逆に年下だろうなと思っても普通に敬語で話せる。
ビジネス関係だったら、今俺はこっちで。英語だったら敬語はないけど、こちらだってそんなに上も下もないっていうか、フラットな関係で入れるっていうか。
そうですね。そこちょっと難しいとこで、こっちで英語で話してた友達と急に日本語で話し始めると、
なんか10個ぐらい渡したんだけど急に英語使わなきゃいけないみたいな。
そうだね。確かにね。
ブッキラボーに感じちゃうもんね。英語で喋ると。
そうそう。It's okayとか言ってても、大丈夫ですよみたいな。
会社の上司とかだとね。
そうそう。特にね。
42:00
ややこしいよ。
何したの?先週っていう英語で言ってもね。日本語で言ったら何なさってたんですか?
難しいね。
そうなの。そうなの。
ところでさ、俺ちょっと思ったのがさ。
でもね、デザイナーに。ん?何?何?
話が被っちゃった。
どうぞどうぞ。デザイナーに。
え?デザイナーに?
デザイナーになりたかったっていう昔の夢を改めてしっかり叶えてるっていうのはすごいですよね。
そうだよね。本当だよ。思い出して。
いや、本当よ。
うん。
全然いつからでも遅くないってことだよね。
ね。その30歳の3年後の誕生日にハッと。
思い出すというかね。気づけるっていうのはね。
でもそれすごいことだよね。3年後こんな私になってたいって。
まあ多少なりとも理想があったと思うんだけど。
それを叶えられてる。自分に気づくってのは。
本当本当本当。
嬉しいよね。
いや、俺ちょっと話したかったんだけど。
大学選びでアメリカはやりたいことが先で。
日本の人は大学名が先だとかっていう話をしてたんだけど。
そうね。
それは昔の仕事の選択肢が狭かったっていう話ともちょっとリンクしてるような気がふとして。
昔って仕事って言ったらもうこれとこれとこれとこれぐらいしか特に小さい頃は分かんなかって。
大学に入ったとしてもそれぐらいの年になったとしてもこれとこれとこれとこれぐらいなのかなみたいな。
ちょっとカテゴリーが広がった感じだったんだけど。
今ってさ、その時想像もしえなかったそのユーチューバーとか、よく出るそのeスポーツ選手だとか。
これで飯食っていいんだっつーかな。
仕事の選択肢が狭かった。
そうね。
そうね。
確かに。
何やってもいいんじゃんみたいな。
確かにね。昔はこう穴が空いてるものにはめていかなきゃいけなかったけど、今は自分で作り出すほうが多くないですかね。
そうね。
今は自分で作り出すほうが多くないですね。
そうね。
そうね。
そうね。
いいねー。
そういう意味ではもう選択肢が無限だなあと。
無限にあるねー うん。
そう ấy。
いや、ほんとだよ そういう意味ではもう選択肢が無限だなぁと
無限にあるね 思ってしまった
でもやっぱりトップに立つ人っていうのは どの世界でもトップに行けるような実力というか努力ができる人なんだなと思う
45:04
でもそれはひたすら自分を信じて ひたすらそっちで走っていかないといけないんだろうなとは思うけど
そうだよ だってあのeスポーツの人のドキュメンタリー見てたんですけど
ほんとに1日なんか20時間ぐらいゲームし続けてるからね
普通だったら怒られるもんね まぁいつまでゲームしとんじゃんって
それをでも続けていかないとやっぱ上には立てないらしい そうだよね
時代があってたんだろうね 昔だったらなかなか
ほんとに怒られて終わりだったかもしれない ではでは次はどんなお話ですか
そんな流れで次はその仕事ですねにフォーカスを置いて そのコミュニケーションデザイナーという仕事の掘り下げ
とトモさんはどういう姿勢でそれをやっているか そのプロフェッショナリズムみたいなところを伺っております
はい じゃあまた来週
リアルアメリカ情報コーナーではロサンゼルスから最新のビジネス生活情報をお届けしてまいります
はい 今回ね話したかったことが
はい いやアメリカにいてすごい嬉しいなむしろなんかアメリカにいるの一つにも入るなみたいなの
レストランでご飯食べて 食べ残します
持ち帰れますよねって 日本ってそうなんかもうこっちに慣れすぎちゃってるけど日本ってダメじゃないですか
ダメなのか
ダメだと思う
なんかかっこ悪いとかそういうことで持って帰らないとかじゃなくて
持ち帰った経験一度もないし 見たこともない
その発想がなかったね
そうか発想もないし習慣もないしもしかしたら法律でお願いすればokとかかもしれないけど
でもあれかなその持って帰ってお腹痛くなって そんなの責任取れないから持って帰らないでくださいみたいなことなのかな
そう私もねそう思って衛生面が理由かなと思ったんですけどでもそれって
都合するじゃないですか普通に持ち帰り頼むじゃないですか まあそうだね出前もするしね
48:05
そう出前も一緒じゃんって思うんですけどね
そうそうで今アメリカのその持ち帰りに関して
私初めてアメリカに来た時びっくりしたのが
みんなでラーメンを食べに行ったんですよ
ラーメン食べて食べ残ってカップくださいって言ってみんなカップにラーメンの汁とかわーって入れてするとか普通に持ち帰ってんの
あれでもここ数年じゃない
その後継 あそうなの
と思うけどねさすがにラーメンの汁だけ持って帰れなかったもん昔は
あそうなのいやーほらみつさんは10年以上いるし長いから
でもちょっとちょっと引くよね汁だけ持って帰るのって
え?いやでも
めっちゃいいじゃん日本にいたとしてそれをやったら引くよねって話
日本だったらなんでもダメですよね
そうそうそうまあラーメンはねそんなにいつも持ち帰らないとしても
例えば普通に余ったもの唐揚げ余りましたーって言って
あのお会計の時にむしろ向こうからボックスいるって聞かれたりするじゃないですか持ち帰るって聞いてくれる
それでボックスちょうだいって言うとその持ち帰り用の使い捨てパックをくれるんですよね
で使い捨てパックに入れて持って帰れると
経済的にももちろんいいし次の日のランチとか食べられるからね
そうだね
でなおかつ食べ物の無駄なもったいない
何?
うんあるね
ウェイストがなくなる
食物ロスとかそういう感じの
ロスとかロスとかなくなるわけじゃないですか
どっちでもいいし
そうそうそう二度だったらそれを全部捨てなきゃいけないわけでしょ
ほんとだよ
絶対やったほうがいいと思うんですよね
いやー
まあその持って帰る前提でちょっと多めに頼んだりもするしね
明日の弁当にしようこれ余ったらって
最初っからね
ほんとその通り
特にアメリカは一人分がすごく多いので
日本人じゃ食べきれないパターン多いですよね
だからもう前提として多く頼んどいて持って帰るっていうのもありだし
51:05
そうなんですそれでちょっとそれを調べてたらね
カリフォルニアで新しい法律が制定されてみたいな話が書いてあって
それは消費者お客さんが自分でタッパーとかを持ってって
それに食べ物を入れもらうことができるようになりますみたいな
それもエコーってことだよね
そうその通りです
今はお店から使い捨てのパックをもらってそこに入れるから
結局その使い捨てのパックはゴミになっちゃうと
持ってきたものに入れていいよっていう風になるよみたいなことが書いてあったんですけど
でもそこにも確かに問題があって
持ってきた容器だとその容器の衛生面っていうのが問われるから
そういう意味で今まではダメだったっていうか
拒否ができたみたいな感じらしいんですよお店側が
だから使い捨てで完全にクリーンなものを渡して
そこに入れてもらって持ち帰るんだったらOKみたいな感じにしてたんですね
でもやっぱりこのアメリカ特にカリフォルニアとかは
すごく先進的に環境問題を扱っているから
できるだけクラスティックの廃棄をなくそうということで
そういう自分で持ってきたコンテナに入れてもいいよみたいになったとかなるとかそういう話です
スーパーにエコバッグを持っていくのと同じだよね
昔はビニール袋みたいなのもらってたけど
今は普通に当たり前にエコバッグ持っていくもんね
そうですねエコバッグだったら日本もそうかな
日本もかなり前からエコバッグはね
あとは日本もそうなのかな
スターバックスで最近ストロークがもらえなくなったんですよね
そうそうホットを頼むと
上のところがちょこっと空いているホット容器でそのまま飲めるようになってくる
それアイスも同じ形になったんですよ
このままではストローさせてたりとかって感じで環境に配慮したものをどんどん
やっぱ日本はねでもそのレストランで残ったものを持って帰る文化にすりゃいいよね
そう本当にそれはもう
本当にもったいないもんな
もったいないは本当にあるそうなんですよ
54:00
そこはねすごくすごく訴えたい
ねどうすりゃいいんだろうね
ちょっとなんかここで訴えたらどういうふうになるかな
みんなで率先して持って帰ればいいのか
そうですねやっぱり全体的にメディアとかが日本はまだ強いから
まあね自分一人がやってもなかなか恥ずかしいしね
恥ずかしい文化だからそういう意味ではみんながやればやる文化だから
そうだよね本当そうだ
メディアが一体となってやりましょうって言ってみんながやり始めたら全員がやる
じゃあこれを聞いているメディアの方よろしくお願いします
あとは政治家の方よろしくお願いします
絶対聞いてないでしょ政治家の方
分かんないね分かんない分かんない
それは分かんない未来の政治家が聞いてるかもしれないし
そうですよよろしくお願いいたします
ということでリアルアメリカ情報をお届けしました
締めのコーナーです質問
質問最近サオリちゃんは自分を褒めてあげたことありましたか
毎日褒めてます
やばい毎日褒めてますもん
何を褒めてあげるの
いやちょっともう本当今日20分運動したよねすごい自分超すごいとか
なるほど
全部褒めたタイトルですけど
すごいなえらいなそれ何意識してんのそれ
意識してると思いますね結構
昔から
いや昔からもなんか昔からかもしれないですね
結構すごい根拠のない自信を持っているパターンタイプなので
なんかこの一人っ子の特性なのかなこれ
そうかもしれないあなたはすごいって
サオリちゃんすごいって言われて育ってきたから私すごいんだと思って
私なんかすごいんだぞってなったんじゃない
いいねいいね
一人っ子あるあるじゃん
でも本当にそうかも兄弟がいないから比べられないっていうのはあったのかも
そうねだからそこはね自分で自分褒めるしかないとかね
そうそう兄弟はね憧れるし今も憧れてるけどさ
そういう因縁はあるのかな一人っ子は
57:02
なるほど
そんなみつさんは
いや俺もね俺特にでもそういう意識してはいないんだけど
最近褒めたなと思ったのは
なんかちょっと新しいちょっと小さめの事業展開っていうか
ちょっと新しいことやってみようと思って始めて
それを無理矢理スケジュールに組み込んで走らしているんだけど
それのプロセスがなんかいちいちすげー嬉しくてさ
これできたとかね
そこでなんか自分を久しぶりに褒めた気がするな
えーなんでいつものお仕事とはちょっと違うことです?
そうそうそういつものお仕事と違うことを始めてみて
それがなんとか形になってくるっていうかさ
おーやっぱそういう意味では
ちょっと違うこととか新しいことをやるっていうのは
そう自分のサキュスファクションとかハピネスにつながるんじゃないですか?
あーそうね
もちろん辛いのも増えるんだけどね
こんなこと入れなきゃよかったとかって
時間があるのにまた入れられなきゃとか思って済んだけど
できた時におーすげー頑張ったわってなるんだよね
確かに確かにそれはありますよね
そうだな
でも新しいことやるって大事だねそうなると
いやほんとそうそうなんか私もそういえば
ここ3年ぐらいスペイン語を勉強しなきゃいけない環境に置かれてるから
スペイン語を勉強したりするんですけど
本当に喋れないともうなんか泣きそうになりながら
ただ微笑んで周りの人たちの会話を聞いてるみたいなことも多いけど
でもそれがわかるようになるとやっぱ超嬉しいし
嬉しいよね
ね自分頑張ってるとか思います
偉いね
皆さんは
私たち偉いから
前からそんなこと確か言ってたなそういうのは
大事ですよね
いやそのなんか
これなんか日本人なのか何なのかわかんないけどさ
謙遜が美しいみたいなのもちょっとあったりするじゃない
あんまり自分を上げちゃいけないとかね
それをだから
そうね
褒めてあげるといいよね
いやほんとそれ思うのが
日本人は脳あるとかは爪を隠すじゃないですか
こっちの人は脳あるとかは爪めっちゃ磨いて見せますよね
脳なくても見せるよね
1:00:00
確かにつけ爪めっちゃして見せる
だからそうスキルとか知識で言ったら絶対
自慢していいレベルなんだよね日本人って
いろんな分野で
なんか今音がしてきた
まあまあ締めに行きましょうか
はいということで
いきなりごめんなさい
ということで今回お届けしたインタビューの内容と
リアルアメリカ情報のインフォメーションはブログに掲載しております
podcast.086.comまたは1%の情熱物語で検索してみてください
皆さんのレビューとお便りコメントなどお待ちしております
ということで今週も聞いてくださってありがとうございました
ありがとうございます
また来週お会いしましょう
じゃあね
01:01:28

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