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2023-09-29 1:44:25

049. 可能性の扉は「遊び」が開く

@kUtsunomiya さん(Shhh inc. ・取締役・デザイナー)をお迎えして、ちょっと変わった経歴・仏師へ師事したことの経緯や当時の思い、そして次のステージとしてウェブの世界に足を踏み入れた話、なぜディレクターとして働くことになったのか、身体も心も限界まで追い込んだディレクター時代を経てフリーランスになった話、自分のやりたいことと向き合った結果がデザイナーだった話、日本の季節の移り変わりのような繊細な美しさに惹かれる話、グローバルにフラット化が進む世界の中で自分がどうあるべきか、デザイナーの作家性や属人性について考えていること、遊びがあるからこそ開かれる世界の話、最近自分の役割を見つけたように感じる話、オンライン講座を持つことになった話などお話しました。


* 好きなことを突き詰めたら仏師だった

* 仏師に師事したことで得られたもの

* 注意深く観察することで得られるもの・見つかるもの

* なんの経歴もないなかでなんとか就職

* 自分にはセンスが無いと決めつけてしまっていた

* 十分なインプットがあって初めて生まれるものがある

* 無理がたたって心身ともに限界になったディレクター時代

* 自分の好きなことを突き詰めて行き着いた答え

* フリーランスであることを活かして実績を積んだ

* はじめて自身でデザイナーを名乗ったとき

* 日本的なデザインの源泉はどこにあるのか

* AI がもてはやされる時代のデザイナーに必要なもの

* 偶然性を楽しむことができるより自然に近い感性

* 最近メディア等への露出が増えている話

* 最近見つけた自分の役割

* 教える側の立場に立って得られるもの

* ブランドの「らしさ」を体現するWebデザインプロセス - Coloso

* Shhh inc.

* KATSUAKI UTSUNOMIYA - PORTFOLIO '23


## show notes


* 経歴や現在に至るまでの経緯

* なぜデザイナーを選んだのか

* 新しいことを始めるとき、なにが自分を突き動かしているか

* 「人に教える」ということについて


サマリー

今日のゲストは、株式会社Cのデザイナーでいらっしゃる宇都宮勝明さんです。宇都宮さんの経歴は、物資の彫刻職人からウェブのディレクターになり、現在はデザイナーとして活動されています。1990年代後半のディレクターとしての経験から、宇都宮さんは自分のセンスや表現力に自信を持てなくなり、黒子のように仕事をこなしてきました。しかし、30代後半の時に体とメンタルの限界を感じ、フリーランスに転身したことで仕事と人生が結びつきました。自分自身が初めて向き合ったテーマとともに、働くことと生きることの関係を考えた宇都宮さんは、過去の経験や好きなものに戻り、デザイナーとしての道を歩んでいます。彼がウェブデザインにこだわる理由や日本的な美意識について話されます。日本人的な美意識を表現したものづくりは、世界の中で自分を位置づける基盤となります。プロジェクトの中に自由な遊びを取り入れることで、作られるものの可能性が広がり、豊かな結果を生むことができます。宇都宮さんが開催されるオンラインのコーヒーサービス『コロソ』での視覚デザインの講座について話し合い、デザイナー志望の皆さんを支援する取り組みについて検討されます。スクールを始めた時は緊張しましたが、毎年変化を求めながら楽しみながら行っています。受講者には100点を与えることはできませんが、平均点を上げるように努力しています。Podcastの収録は終了し、ノーマライズFMではリスナーからの感想をハッシュタグで募集しております。感想のツイートが少ないため、リスナーの本当の反応が不安になっています。

00:18
始まりました、normalize.fmの第49回です。
最近、webから結構遠いゲストの方が多かったのですが、
今日はwebとの関わりも深いゲストの方に来ていただいていますので、
普段webの界隈でやっている方たちはみんなお名前を知っているのではないかと思います。
本日のゲストは、株式会社Cのデザイナーをされています宇都宮勝明さんに来ていただきました。
宇都宮さん、今日はよろしくお願いします。
宇都宮さん、よろしくお願いします。
全く面識ない状態で、今日いきなりあのゲストに呼んでしまったんですけれどもね。
ありがとうございます。
今、緊張されていると思うんですけど、私もちょっと緊張しておりますけれどもね。
楽しくお話できたらなと思っておりますので、早速始めていきたいと思います。
宇都宮さん、最初にまず簡単にで構いませんので、ご自身の方から簡単な自己紹介をお願いできますでしょうか。
改めまして、デザイナーの宇都宮勝明と申します。
株式会社Cという名前のデザイン会社の取締役で、あとはデザイナーを務めているというような感じですね。
フリーランスとしてのデザイナーの活動を今約5年間ぐらいですね。
得た後に2019年にデザイン会社Cを共同設立しまして、現在4期目にあたるというような形ですね。
今日は不慣れなところもあるかと思います。よろしくお願いいたします。
そうですよね、緊張しますよね。みんな緊張すると思うんですけど。
ノーマライズFMは本当はね、リスナーの皆さんの中でも割とノーマライズFMって格式高いものになっちゃってる気がするんですけど。
そうなんですよ。
でも、私本人の気持ちとしてはね、結構雑談をラフにするところがいいところかなとは思ってはいますので。
お仕事の話ももちろん聞いてはいくんですけども、いろいろちょっと今日もね、ラフに雑談できたらなーなんて思ってるんですけど。
宇都宮勝明の経歴
まずはちょっと最初に、宇都宮さんのことをもともとご存じの方にとっては当たり前というか、周知の事実なのかもしれないんですけど、
結構経歴が割と変わってるかなっていうのがあるので、ちょっとその辺りを聞かせてもらえたらなと思うんですけども。
今現在はデザイナーさんされてるってことだと思うんですけど、その前がウェブの製作会社のディレクターさんになるんですかね。
そうですね。
そのさらに前が、私が知っている言葉で言うと、いわゆる物資の方に入門といいますか、弟子入りしていたみたいな感じだったんですよね。
そうですね。
ちょっとその辺りを知らせていただいてもいいですか。
そうですね。大きく今、杉本さんおっしゃっていただいた通り、物資への支持の期間というのと、ウェブのディレクター時代というのと、あと今であるデザイナーの時代という感じで、3つ大きく分かれていまして。
ちょっと話していくと長くなっちゃうんですけども、なるべくかいつまみながらお話ができればと思います。
まず一番初めの物資への支持という時代ですね。
まず仏像を彫る職人のことを物資と呼ぶんですけれども、その物資に大学の卒業後にまず弟子入りをするという形で支持をしまして、仏像ですとか、あといわゆる木彫刻を彫るみたいな形の仕事からキャリアをスタートしていきました。
それはなんでなんですか?そういうことに興味があったっていうことなんですか?
そうですね。大学卒業する間際にどういう仕事をするみたいなことってやっぱり考えると思うんですけれども、その時に子供の頃から遡っていって、自分が何が好きだったのかみたいなことを一回紙に書き出してみたんです。
そうすると子供の頃からでいうと、学校の授業とかでいうと図工が好きだったな、みたいな。その中でも木彫刻が一番好きだったな、みたいなですね。そんな感じで出てきました、キーワードですね。
で、同じようにその子供の頃自分がグッと来てたものみたいなものをまあいろいろ書いていくわけですよね。そうすると書いていくと仏像っていうキーワードも出てきて、で、あ、仏像と彫刻を物資だ、みたいなですね。そんな感じで決めたみたいなのが当時の考えだったんですよね。
うーん、なるほど。じゃあ結構なんかその今はこの今話していただいたテンションは結構ノリで決めちゃいました、みたいな感じの温度感ですけど、当時はちゃんと真剣に考えた上でやったってことなんですよね。
うーん、当時の自分なりには多分真剣に考えてたと思うんですけれど、なんというか今から見ると物事の決め方として、なんというかそんなパズルみたいなね決め方ってどうなんだろうと思うところもありますね。
うーん、なるほど。なんかでも私はちょっとわかるような気がするっていうか、結構私は中学生ぐらいの時にまだ将来の夢も何も決まってないような頃に、結構なんかもうまさしく中学生だなっていう感じの考えなんですけど、なんかかっこいいからっていう理由で刀鍛冶とかどうやったらなれるのかなとかそういうふうに考えたりとかして、
で、あの図書室とか図書館とか行って、刀鍛冶になるにはどうしたらいいのかみたいな感じで調べてみたりとかしてたことがあるんですよね。なんというかわかるような気もしますけどね。
でもそういう感覚ですね。それがいい大人になってどうなんだっていう話ではあるんですけど。
でもなんかあれじゃないですか、私なんかも思い返すと結構そういうこと多いんですけど、その当時は割とちゃんと考えてそういう選択をしたなって振り返ると感じることって私はいろいろあるんですけど、当時はいろいろ偶然もあったのかもしれませんけど、そういう中で自分で進んで選んだ道ってことですね。
そうですね。そこだけはちゃんとあるんですけどね。
実際どうだったですか、そのお仕事的には。
仕事的には、まずはじめはやっぱり何もできない状態なので、もう本当になんというか見習いみたいな感じなんですね。
一番初めは彫刻を掘るときって大体100本ぐらいの実を使うんですけど、それをまず研げるようになることから。
なるほど。
100本の実の研ぎ方がやっぱり違う。
なのでもう朝から晩まで研いでるみたいな感じですね。最初の1、2ヶ月ぐらいはですね。
でも研ぎ終えたらやることないんで、とにかくお館にくっついて何をやってるかを見るみたいな感じですね。
あのあれですね、落語とか多分、そういう伝統芸能の世界に近いかもしれないんですけど。
養われた訓練
とにかくお館の後ろについてやってることを見て、そこから何かこう学んでいくみたいな。
考えて学ぶみたいな感じですね、多分ね。そんなようなことをしていましたね。
で、だんだんこう少しずつ小さいものから掘らせてもらうようになっていって。
で、ちょっとずつちょっとずつ掘っていくと。掘れるようになっていく。
で、仕事も終わった後とかね、週末とかなんかはやっぱり自分でも見よう見までで掘って。
それをお館だったりに見てもらって。みたいな感じでちょっとずつこう掘れるようになっていったら、そこから任される仕事も増えていくみたいな。
そんなような感じで進んでいった感じですね。
なるほど。実際それをお仕事にされていた期間は長かったんですか?
3年半ですね。3年半ですね。
3年半だとまだ一人前になれなさそうな感覚がちょっとありますけど、どうなんですか?
そうですそうです。まさに一旦区切りとしては5年っていうところが当時は言われていたんですけど、
ただ5年経ったところで独立される方も一部はいるんですけれど、やっぱり多くの場合は10年ぐらいは親方の下でそのまま働かれて、その後で独立みたいな方が多い傾向があった気はします。
なるほど。結構同門というか、お弟子さんたちいっぱいいる感じの場所だったんですかね。
私いた時は、その時にいた兄弟子はお一人だったんですけれども、そこから先輩にあたるような兄弟子ですね。独立されているような方も何人かいらっしゃったような子たちですね。
でも、少ない方だったとは思います。多いところですと、その一箇所というか一時に10人ぐらいのお弟子さんが抱えてらっしゃるような大きいところもあったりもするんですけれども。
すごいな。全然想像がつかないけど、結構いるもんなんですかね。まったくどんな業界、業界って言っていいのかわかんないけども、どういう世界なんだろうっていうのが想像つかないですけど。
でも要は伝統工芸の職人さんみたいな感じですもんね。
はい、まさにそういう感じですね。おそらくですけど、今は本当に多分少ないんじゃないかなと思いますね。
当時も新しく入ってくる人、やっぱり減ってるって話はよく聞いていたので。
なるほど。なんかどうなんですか。その頃の経験が今となっては実は何かの役に立ってるとか。
そうですね。多分でもいくつかあると思うんですけれど、1個はやっぱり見て学ぶというか、基本的には教えていただくことっていうのはないんですよね。
やってることを見て、何でそれをやってるのかとか、何かどこに力を入れてて、だからこうなってるのかみたいな、力の入れ具合だったりもそうなんですけど。
そのやってる行為をすごく注意深く見るっていうところですね。そこから自分が感じ取って学び取って、それを自分でやってみる。
で、親方に怒鳴られてきたんですね。そういう自分で考えるっていうことをすごくしていくっていう訓練は、養うことができたんじゃないかなというふうにはすごく思うところはありますね。
あとは、やっぱりすごい厳しい親方だったんで、めちゃくちゃおっかなかったんですけど。
基本的にはやっぱりその、「はい!」とか、「ありがとうございました!」くらいしか自分は言葉を発してないんですよ。その3年半くらいの間。
基本的にやっぱりその、親方が言ったことをそのまま丸呑みするというかですね。
何か、やっぱり初めのうちっていうのは特にそうだと思うんだけど、何も型がないような時というのは、先人が積み上げてきたものっていうのをそのまま丸ごと受け取るというかですね。
何かそういう体験って、なかなか少ないじゃないですか。
そうですね、そうですね。
もちろんそれが現代的じゃないところがすごくあるんですけれど、ただ何というか、そういうのをやってみて気づいたこともいっぱいあったなっていうのは、今から振り返ることですけど。
何かわかる話かな。私はやっぱり剣道とかもやってたし、武道の世界もそうなんですよね。やっぱり何か手取り足取り教えてくれる。
部活、せいぜい部活だったので、そういう意味では先輩方が手取り足取り教えてはくれるんですけど、先生とか師範みたいな人たちはあんまり手取り足取り教えてくれなくて。
とにかく先生に向かって休みなく突っ込んでいかなきゃいけないみたいな空気があって、突っ込んでいくんですけど、先生たちはいなしてるだけで、
あんた方は疲れなくていいよな、こっちは全力で突っ込み続けてるからもうヘトヘトだよって思いながら突っ込み続けていくんですけど。
そういうのも現代的ではないですよね。でも私は結構学生時代を思い返してみると、ああいう育て方されたのは別に今となっては経験値としては良かったのかなって思っちゃいますけどね、なんとなく。
たぶんこれ後になって振り返ってわかることみたいなところってすごくあるんじゃないかなと思ってて、
肩みたいなものって、初めはあんまりしのごの言わずにやるみたいな、それによって体に覚えさせるじゃないけど、一旦まず理屈は抜いておいて、まずそれをひたすらやってみる。
やってみて体に覚えさせて、だんだんその肩が自分に馴染んできたら、だんだん自由になれるというか、そういう段階みたいなものはあるんじゃないかなっていう気もしていて、それはもちろん後になって気づくことなんですけれど、
特に後になってというか、今から思ってぐらいのレベルなんですけどね。そうですね。
なので、やっぱりその昔から続いてる教え方というか学び方には一見非合理、一見合理的じゃないと思うけれど、でもなんだかんだ実は理にかなってるものもあるんだろうなーみたいなのは改めて思いますよね。
そうですよね。私は本当におっしゃってることすごいわかる気がします。部活でむちゃくちゃさせられたから、大概のことは大丈夫だなって思えちゃうし、あれができたんだからまあ大丈夫だろうみたいな感覚はあったりするし、
ディレクターとしての黒子生活
その経験って人生トータルで見たときにプラスなのマイナスなのって言われるとちょっと判断難しいんですけど、でも乗り越えてきたなっていう自信にはなってるような気はするんですよね。だから、前時代的だし、現代ではね、それこそやっちゃいけないと思うんですけど。
でも私は結構肯定的に捉えちゃうというか、自分がそういうところに身を置いてきたっていうのもあると思うんですけどね。割とそういうやり方も正解ではないにせよ、一つ何か得られるものはあるなーとはやっぱ思いますかね。
なるほど。でも結局3年半で離れてしまったのはなぜだったんですか、それは。
それがですね、やっぱり始めたきっかけがさっきちょっとお話したような、「そんな決め方していいの?」みたいな決め方だったので、今から思うと本当に恥ずかしいんですけれど、仏像を彫りたいっていうことぐらいしか本当に考えてなかったんですよね、当時は。
大変だったし、しんどかったですけれど、仏像を彫っていること自体はすごく楽しかったので、そこについては何らないんですけれど、やっぱり始めてみるとだんだんこう、実情がわかってくるというかですね。
特にあの、親方のお仕事の状況、受注状況ですとか、あとは独立された兄弟子のお仕事状況とかですね、こう、だんだんわかってくるんですね。
そうですね。
これは生活していくのはかなり厳しいぞということを、だんだん不安を感じ始めてしまいまして。ただ、本当は今、これも今思えばの話なんですけれど、そこでベースとなるような技術をきちんと身につけておけば、それはその、例えば領域は自分でいくらでも変えられるじゃないですか。
はい。
なので、その、ああもう木彫刻の業界終わったみたいなですね。思い込む必要って本当は全くないし、むしろ自分が身につけた技術を違う形に転換できる、ある意味チャンスみたいなところもあるわけなんで、本当はそんなに不安がある必要はないんだよっていうふうに、今だったら言ってあげられるんですけれど。
そうですね。
当時は本当に、特にあの、修行していた頃、師事していた頃というのは、もう本当に閉じこもっていて、全く親方と兄弟子以外の方とは会わずに、ひたすら彫ってるっていう、かなり堅いことで生活をしてたんですよ。
はい。
なので、やっぱり視野が相当狭くなってたっていうのは、やっぱりあるかなと思っていて、その、これはやばいぞって思い始めてしまったら、ああちょっと何とかしないと何とかしないとみたいに、ちょっと変な思考にぐるぐる回り出しちゃって、
まあちょっと仏像は諦めようというふうに判断しちゃったみたいなところが当時だったんですね。
いやでも結構、結構な決断だったんじゃないですか、それ自体は。
そうなんですよね。
なんかその、その先がだって、想像できないまま辞めるしかないですもんね、そういう場合って。
そうなんですよ。
その先どうしようっていうのが。
いや本当にそうなんですよ。
辞めるにせよ、何をするっていうことも全く決めてなく、当然ながら就職先も決めてなく、ただちょっとこのままじゃやばいみたいな、本当に正体不明な不安だけですよね。
実態のない不安だけがある状態で、まあ渡るようにっていうとちょっとあれですけれども、やっぱりちゃんと腰をすげて考えた上で辞めるっていうところに立っていなかったんで、当時は。
お先真っ暗みたいなところはありましたね。
そう、今だから笑って振り返れるけどね、多分当時はちょっと結構な決断だったんじゃないかなと思いますけどね。
特にその3年半の間ってもうこもりにこもっていたので、全く情報にも何も触れてないくらいこもり方だったんですよ。
親方もとても厳しい方だったので。
はい。
なので、なんていうか浦島太郎じゃないですけれども、かつ今後の自分もよくわからないみたいなんですね。本当に真っ暗な状態でしたね、当時は。
なるほど。そこからもういきなり自分なりに考えて職探しとか、いろいろ経た上でウェブ系に行くって感じなんですか?
そうですね。半年ぐらいはやっぱり何も決まらずフリーターみたいなことをしてたんですよ。
そうするうちにネットを徘徊するようになりまして、そこでウェブサイトっていうのが当時いろいろ作り始められつつあったみたいなところの存在を知って、
中村雄吾さんのモナリザですよね、フラッシュサイトの出会いまして、めちゃめちゃ衝撃を受けたんですよね。
何このかっこよさっていうかっこよさで、いまだにウェブサイトで言うとあの時の衝撃を超えるような出会いというのはないくらいの衝撃度で、しびれてですね。
ちょっとこういうことに関わる仕事がしたいなと、その時に思いまして、デザイン会社に応募をしまくり、案の定大量に落とされまくりみたいなですね。
あった後で、本当にすっごく小さなデザイン会社に、なんというか、強いて言うならアシスタントみたいな形で何とか盛り込ませていただくことになったんですね。
そこからアシスタントのディレクターみたいな形になっていって、だんだんディレクターみたいな立場を埋め直していただくようになって、ちょっとずついろんな経験させていただいて、
そこからいろんなウェブのプロダクションですとか、広告の代理店ですね、みたいな形に移っていきながら、本当にわゆるコーポレートサイトの政策ですとか、ウェブの広告のキャンペーンサイトとかですね、
そういったもののディレクションに携わるようになっていったみたいな。それが大体10年ぐらいの期間あったというような感じです。
たぶんその生涯のキャリアの長さで言うと、ディレクター時代が一番長い感じなんですか?
そうなんです。ディレクター時代が一番長くてですね。
これは本当にちょっと失礼に聞こえてしまったら申し訳ないですけど、今初めて宇都宮さんと対面、対面ではないんですけど、ブラウザ越しに今やり取りさせていただいている感じは、物越しは確かにディレクターさんっぽいっていうか。
そうですか。
たぶんこういう感じでプロジェクトを進行していくんだろうな、この柔らかい感じで進行していくんだろうなっていう感じはしますけどね。
そうですか。それはでも嬉しいですね。
私なんかは結構、こういうノーマライズFMとかはまだいいんですけど、仕事で誰かと打ち合わせってなると結構むすっとしちゃうっていうか。
そうなんですか?
ちょっとクールぶっちゃうような感じのところがあるんですけど。
結構ディレクションされる方たちってみんな優しいというか柔らかいような感じのオーラを持ってる方が多いなっていう気がするんで、そういうものを宇都宮さんの振る舞いの中に感じたような気がしたんですけど。
ありがとうございます。
でもディレクター自体、別に制作自体をしたいっていうよりは、もうディレクション自体で全然当時は不満がなかったというか楽しくお仕事されてたみたいな感じですか?
これも今から思うとではあるんですけど、基本的に私の人生は今から思うとの連続なんですけれど。
一番初め、なんでデザイナーじゃなくてディレクターになったのかっていうところから、ある意味道を間違えてしまったというかですね、ところがあるんですけれども。
センスの不安と道を見失う
初めてその、特に最初のアシスタントで入った時とか何も当然できない状態なので、この人はじゃあ何が得意そうなのかなみたいなところを含めて、まずとにかく何でもやる、何でもやらされるっていう状態ではあったんですね。
で、その時にちょっとじゃあこれ例えばデザインしてみてみたいに言われて、やってみてひどかったんですよ。まあひどい、本当にひどいですね。当時の自分が見てもひどいと思うぐらいひどいので。
まあちょっと君はデザインはダメだねと、やめた方がいいねというようなお話をいただいて、まあおっしゃる通りなんですね。で、自分には多分向いてないんだなとか、自分にはそもそもセンスっていうのがないんだなみたいに思い込んでですね。
それで、そちらの表現に関わる方には自分はいかないようにしようみたいな形で、すごく早い段階で自分の道みたいなものを結構決めてしまったんですよね。
これも今思えばすごく当たり前の話というか、表現ってある一定レベルのやっぱりインプットが必ず必要で、優れた表現をしていくためにはですね。
一定レベルのインプットがあって、その蓄積があった上で、それをどう組み合わせていくかみたいなところがやっぱりすごく大事になってくると考えると、当時って何も始めたばっかりで、特に何も学んでもいないし、デザインへのインプットも何もしてないような状態だったので、できるわけがないですね。
ただ、それってその後自分自身がやりたいと思うなら、ちゃんと根気強くインプットをして、いろいろ試したりしながら学んでいくっていうことをすれば、道は本来はあるはずなんだけれど、自分は多分そういうことに気づけていなくて、周りも言ってくれる人もいなかったっていうのもあるんですけど、
なので早々と、あ、向いてないんだ、自分はセンスがないんだ、みたいなですね。センスも結局先天的なものじゃなくて後天的に作られるものだったりするんだけれど、そういうことすらも当時はよく分かっていなかった。
なのですごく単純に、じゃあ自分は黒子のようにこれから生きていこう、みたいなですね。すごく単純な思い込みでディレクションをしていくと。ディレクションも特に、いろんなタイプのディレクターの方っていらっしゃると思うんですけど、自分はもうひたすら黒子に徹するという。
みたいな感覚でディレクションをしていた。
なんかあんまりこう、制作人たちに口出ししないで進行だけに集中するみたいなイメージですか。
そうなんですよ。なのでそういう意味だと、当時は自分なりには楽しんで仕事してたと思うんだけれど、やっぱり仕事と好きなこととか、そういうものはちょっと分かれてたんですよね。
ある意味、仕事と自分の人生をちょっと分けて生きていた、みたいなところはあったなというふうに思いますね。
なるほど。今のお話を伺った感じだと、逆に今は仕事が好きなことになってるっていうことなんですか。
そうですね。そういう意味だと本当にやっと合致してきてる。
フリーランスへの転身
やっと合致してきてる。なるほど。
その転換期にもまた何かあったんですよね。
いわゆるディレクターとしてずっとやってきて、それこそ10年とかやってきて、
でも自分がやりたいことはこれじゃないかもしれないなっていうことに改めて立ち返った何かがあったってことなんですよね、たぶん。
そうなんですよね。これは多分多くあるケースだと思うんですけど、体を壊すっていうケースね。
30代後半ぐらいですね。基本30代後半には関わらないかな。
当時特に広告業界って結構ブラックな環境だったんですよ。
連日のように会社に泊まりみたいなですね。結構それが当たり前みたいな感じではあったんですけど、
そうするとやっぱり定期的にやっぱり体を壊すとかメンタルを壊すとか結構繰り返してたんですよね、その当時は。
特にもうプロジェクトがちょっと一段落すると必ず寝込んじゃうとかですね。
そういうのもあったりして、それを繰り返し続けてたんですけど、30代後半、37の時にかなり大きく体とメンタルと両方壊しちゃってですね。
仕事できない状態になっちゃったんですよね。
その時にもう会社は嫌だと思いまして。
フリーランスになろうと思って、37歳の時にフリーランスのディレクターという形で独立をしたんです。
1年目は結構順調にお仕事もいただけてて、自分でやっぱり仕事もコントロールできるので、だんだん体調もメンタルも持ち直してきてたんですね。
1年経って、これで本当に良かったんだっけって、その時初めてちょっとふと思ったんですね。
体とかメンタルが多分落ち着いてきたからっていうのもあるかもしれないですけれども、結局フリーランスっていう立場に変わっただけで、
やってること、自分の人生を使ってやってることって、当時も変わらずウェブ広告だったりを中心としたディレクション業に、本当に黒子のように結するような人生ですね。
ある意味その仕事と人生ってやっぱり切り分けて生きていたんですね。そこは変わりはなくて。
デザイナーへの道
本当にこれでいいのかなっていうのを改めて、そこで初めて多分、働くこととなったテーマと、自分自身が初めて向き合ったんですね。
めちゃめちゃ遅い話なんですけれども、38なのでですね。
なので、そのタイミングで、やっぱり働くことと生きることって、やっぱり切り分けられるもんじゃなくて、実績なものじゃないですか、本当は。
なのでそこを切り分けて生きるのはしんどいなっていうのと、やっぱりそれを一つにしていきたいなっていうのを改めて思ったんです。
そうしないとやっぱり幸せに生きられないなと改めて思ったので、それであるならやっぱり作るっていうね、そのシンプルなところに自分はやっぱり戻りたいなと思いまして、
そこでデザイナーっていう職能が浮上してきたというかね。
じゃあやっぱりその小学生の時に図工が好きだったなぁみたいなお話が最初にあったと思うんですけど、そこがこうなんかまた戻ってきたというか、そこに立ち返ったみたいなイメージですか。
そうですね、やっぱりシンプルなところに戻ろうというか、自分が好き、自分がその好きなこと、自分がやっていて時間を忘れるものとか、自分がやっぱり見ていて楽しいと思うものだったりとか、そういうところを中心に考えたいなって思ったっていう感じですね。
なるほど、それは結構なんかパッともう思い浮かんだというか、例えばなんかちょっと立ち返らなきゃなぁみたいなところから長かったですか、それとも結構もうデザインだなってすぐパッと転換できましたか、考え方を。
そうですね、当時ぐらいの感覚で言うとなんですけれど、まだあまり職能ってばっつり本当は分かれていなくて、結構そのディレクターであってもまあいろんなことってしてたんですね。
で、その当時もちょっと今年をいじるみたいなこともしてたりはしてたんで、作業の中では一番楽しかった。
なるほど、なるほど。
ちょっとしたところにお手伝いをするとか、ちょっと修正をするとかですね、それぐらいのレベルなんですけれど、それでも楽しかったんですね。
で、たぶん自分がこういうことがやっぱ好きなんだろうなっていうのは多分奥底では分かってたんだと思うんですよ。
なんだけれど、自分は表現に関わるような世界は多分向いてないんだろうなっていうのは結構ずっと呪いのように持ち続けてたんで、切り分けて考え続けちゃったんですね。
なんだけれど、やっぱりだんだんだんだん、切り分けて考えるのをやめていこうってなっていくと、やっぱりどんどん素直になっていくというか、自分の好きなものに対して素直になっていくっていうところがあるんで、
やっぱりじゃあ作るのが好きなんだろうなっていうのを普通に自然に受け入れられたというか、っていうふうな感覚はあったような気がしますね。
なるほどな、でもなんかそういうふうにじゃあ、なんか一種のちょっと悟りに近い感覚というか、気がつけたとして、
でもそこからまたちょっと現実的な問題とかがいろいろ起こってきますよね。
デザインの志向性
自分はこれが好きなんだな、楽しいんだなって分かったっていうところまでは全然ハッピーな話なんですけど、それで食っていくぞっていうところにまたでかい壁があるわけじゃないですか。
そこはどうだったんですか。
これもでもなんていうか、幸いなことにフリーランスだったので、自分が受注してくるようなお仕事っていっぱいあったわけなんですね、その当時、ディレクターとしてですね。
で、その受注してきた仕事みたいなところを少しずつ細分化していって、この単純なこのタスクは俺やろうみたいなですね。
で、ここの部分は外部の方にお願いしようとか。
で、外部の方にお願いしたデザインだったりを見ながら、ああこうやるのかみたいな感じで覚えていったりとかですね。
ちょっとずつちょっとずつ学んでいきながら、で、だんだんこうデザインのタスクの部分を高めていって、で、ちょっとずつそのフリーランスの一応デザイナーみたいな形の見え方で実績をちょっとずつ積み上げていくみたいなことをしてたんですね。
で、デザインを始めようと思ったのは38だったんですけども、そこから2年ぐらいかな、そんなような期間を得て、40ぐらいになったタイミングで、すごいおそろおそろだったんですけど、当時は。
肩書きに初めてデザイナーとか。いいんだろうか、俺。
でもそこはまあ嬉しさもあったんじゃないですか、そこは自分なりに。
そうですね、そうだと思います。もう名乗ってもいいかもしれないなみたいな風に、でもいいんだろうかみたいなものの半々ですよね。
いやわかる気がする。なんか私も自分がプログラマーって名乗っていいかすごい悩んだ時期がありましたね。なんかこれも結構ノーマライズFMで話してることではあるんですけど、私はその全然違う業界で働いてたときに趣味でプログラミングをしていて、
WebGLの人みたいな感じで有名になっちゃったとき、なってきたときはまだ全然プログラマーではなくて、サンデープログラマーだったので、仕事としてプログラムを書いてる人ではなかったから、実際にその肩書きいつから名乗っていいのかって、なんかすごい考えてしまったような時もあったんで。
周りはなんかすごい、あのWebGLの杉本さんですかって周りは言ってくれるんですけど、いや俺なんか普段フォークリフト乗ってんだけどなーみたいな感じで。
わかる気がします。なんかその、デザイナーって名乗っていいのか、いやでもここは名乗らなきゃダメだなみたいな気持ちもやっぱ同時にあるじゃないですか。
そうなんですよね。
やっぱ自分なりにけじめじゃないんだけど、ちゃんと肩書きを書いて。
名乗ることでね。
そうですね。名乗ることで本当にそうだと思います。
なるほど。じゃあそういった感じで、だから多分フリーランスだったのが宇都宮さんの場合は結構よくプラスに作用したというか、自分でハンドリングしながら少しずつ比重を変えていくことがうまくできて、
その40の時にデザイナーと初めて名乗って以降はもうずっとデザイナーさんとして現在に至るって感じですか。
そうですね。そういう感じですね。
なるほどなぁ。なんかすごい、何だろう、過剰書きにして経歴を拝見するとすごいなんか不思議な感じなんですけど。
この分断は何なの?
そうですね。でもお話聞きながら振り返ってみると、なんかちゃんと繋がってんだなっていう感じはしますけどね。
いいことばかりではなくてもちろんトラブルだったり体が壊されたりってあったと思うんですけど、ちゃんとその理由があって今に至ってるんだなっていうのはすごく分かりました。
なるほどなぁ。
じゃあ今はご自身では結構なんかその満足されているというか、デザイナーとしてどうなんですか。今もやっぱ修行している感覚なのか、毎日楽しく過ごしているみたいな感覚なのか、どういう状態なんですか。
楽しいは楽しいんですよね。やっぱり自分の生活っていうところと仕事っていうところと人生みたいなところがちゃんと地続きになっている実感はあるので、そういう意味ではとても満足度の高い状態にはあるだろうなというところなんですけれども。
ただね、それはそれとしても、もちろん自分が至らない部分っていうのはたくさんあるわけなので、SNSを見てすごい実績をね、へこむみたいな。
ありますね。
日本的な美意識
俺向いてないわみたいなですね。そういうところはやっぱり毎日のようにありますよね。
まあそうですよね。多分そういう感じだから日々努力し続けられるっていうのもあると思うんで、大事な感覚だとは思いますけどね。
楽しいっていうのはでもありますよね。基本的にはデザインしてると結構時間を忘れちゃうので、多分そういうところはすごくいいところなんだろうなと思いますね。
手がけられてるのは結構ウェブのデザインっていう感じですか?
そうですね。もちろんロゴですとか、ビジュアルアイデンティティとかグラフィックみたいな事例もあるんですけれども、でもウェブのやっぱりデザインっていうのが8割ぐらいとかかなぐらいは占めているところもあるので、
あと自分自身もやっぱりウェブのデザインが一番好きなんですよ。デザインしてて一番楽しいなって思うところでもあったりして、もちろんそれぞれやればやるだけ面白さっていうのは見つかるんですけれども、
ウェブはすごく好きなので、その意味ではやっぱり比重も高いかなとは思いますね。
なるほど。今回宇都宮さんをゲストに呼ぶにあたって聞いてみたいなと思ってた部分なんですけど、ポートフォリオとか株式会社Cのコーポレートサイトなんかもそうだと思うんですけど、結構縦書きをよく使ってらっしゃるイメージがあって、
なんでもかんでも縦書きにしてるっていうことではなくて、たぶん自分の裁量が広い場合にデザインの候補の一つに縦書きが入る感じなのかなって思ってるんですけど、
なんか私の勝手な先入観ではその物資の経験があるとかそういうところからなんか和のテイストがめちゃくちゃ強い人なのではみたいなジャスをすごくしてたんですけど、
なんか今お話聞いてみると別にそんな感じでもないなっていうのがあって、だとするとあの縦書きにこだわったデザインとか、何があれを生み出してるのかなっていうのがちょっと気になってて、
っていうのはその前にバケモノの遺跡さんがゲストで出てくれたときに、結構その日本人の感性が今後世界で認められることってあるかもしれないよねみたいな話をするときに、
縦書きで右から左に流れていくみたいなことだったりとか、そういうのって結構日本人の方が感性的に世界で優れてるんじゃないですかねみたいな話を当時したことがあって、
結構それ私の中で忘れられない話っていうか、本当にあるんじゃないかなってずっと思ってた部分があったんですね。なので宇都宮さんのポートフォリオサイト拝見したときに、これなんかその答えにかなり近いのかもしれないって、
私は全然デザインとかわかんないんですけど、当時拝見したときはその遺跡さんと話したことを思い出したんですよね、あのサイトを見たときに。だからなんかその、これもしかしたら私の勝手な印象なのかもしれないですけど、
その宇都宮さんの中に結構その日本的なものとか、和のテイストを感じるものっていうのが結構強く意識されたりするのかなーっていうのはちょっと伺ってみたいなと思ったんですよね。
おだしょー ありがとうございます。見ていただいてめちゃくちゃ光栄です。
そうですね、まず至高という意味ではすごくあります。
特に日本の芸術ですね、とても個人的にやっぱり好き、ずっと好きだっていうところがやっぱりあるんですよね。それはなんというか、ごく自然に受け入れられる美しさというものがあると思っていて、
特にやっぱり日本は四季がね、最近はちょっと春とか秋とかほとんどなくなってきちゃってはいるんですけれど、やっぱりその四季がちゃんとあって、その季節の移り変わりがあって、その移り変わるっていうところの中に美を見出すというかですね。
そういう感性、とても繊細な感性ですよね。そういうところってすごく自分自身が一番惹かれる部分っていうところがあるので、そういう美意識への自分の意識はとても、多分これは変わらずずっと持ち続けているものなんだろうなと思うんですね。
根底として多分あるような、ある種自分が最も憧れるような感受性というか、持っていたい感受性だなというのはすごくあるっていうのが一点と、あと一方でその表現っていうところに転換したときに、それまさに多分先ほどの伊関さんの話に多分通ずるところがあると思うんですけど、
やっぱりその良くも悪くも表現ってやっぱりグローバル化に伴ってフラット化していってる部分ってあると思うんですね。これはデザインで限らず、あらゆる表現に通ずるものだと思うんですけども、そのフラット化している状況っていうところの中で、
日本人が作ってもアメリカ人が作ってもドイツ人が作ってもベトナム人が作っても変わらないようなものっていうところの中ですと、それなんていうか、すごく自分自身をどう世界の中で位置づけるかっていうところの中でやっぱり埋没してしまうっていうところはすごくあるなーっていうところはずっと考えてはいたんですね。
日本人的な美意識と多様な表現
そう考えていくと、やっぱり自分は日本人であるし、特にその日本的な美意識みたいなところにとても惹かれるっていうところがあるわけなので、そこに従ったものづくりというかその表現ですね、をしていくというのが多分世界の中でどう自分を位置づけるかっていう中では、多分ベースになるんだろうなーっていうのはとても意識はしてるんですね。
なるほど。
で、そういう意味でその表現が日本的なモチーフを用いるとかですね、そういったところっていうのはやっぱり出てくるんだろうなーっていうのもあるし、意図的に使ってるっていうところもあったりします。
なるほど。これ多分人によって答えも違うし取り組み方も人それぞれだと思うんですけど、結構宇都宮さんの中ではやっぱりデザインの中に自分自身の表現っていうのが結構強めに入ってるというか、しっかり表現したいなーっていう気持ちがちゃんと奥底にあってデザインされてるっていう感じなんですね。
そうですね。厳密にはクライアントワークではほぼ何も出してなくてですね。
自分では出してないつもりですけど、ちょっと分からないですけど、出ちゃってるかもしれないんですけれども。
Cのコーポレートサイトと自分自身のポートフォリオサイトの2つに関しては、ある意味自由にやっていい領域なので、そこだけ自分がぼんやり考えていたところをある種ちょっとぶつけてみるというか試してみる場としてはすごい合っていたので、そこでやってみたみたいなところはありますね。
ただクライアントワークではやっぱりそのもちろん目的が違ったりとか当然するので、そこはあまり出てくるところは多分ないんじゃないかと思ってるんですけれども。
そこは多分やっぱり人それぞれだったり、あるいは組織とかチームの目指しているところによって変わってくると思うんですよね。
例えばチームラボさんみたいなところって、もうチームラボだなってパッと見で分かるというか、たとえそれがクライアントワークであっても自分たちのカラーをちゃんと落とし込んだものが多分アウトプットされることが多いと思うんですけど。
でも結構ウェブの制作だとやっぱりクライアントワークだったらクライアントさんありきで動くべきだなっていうことが多いと思うし、一方でクライアントワークであっても滲み出してきてしまうあの人たち感みたいなのもあるじゃないですか。
たぶんそこはどういう感じの方向性でやっているかによると思うんですけど、宇都宮さんご自身はそこは結構しっかり切り分けているというか、クライアントワークはあくまでもお客さんありきみたいな感じは結構徹底されている感じですか。
いやーこれもそのこれすごい大事なテーマだと思っていて、やっぱり自分のその先ほどの話を振り返ってもそうなんですけど結構その自分の思い込みによってあの自分はこうこういう役割でこう動くべきだとかですね結構自分で決めちゃうというか自分で枠を決め過ぎてしまう嫌いっていうのはやっぱり多くあったんですよ。
たぶんそのちょっと昔のタイプの人間だからだと思うんですけど私が、なんか変に真面目すぎるというかですね、型に合わせようとしすぎるみたいなところも傾向があったので、ある種そのデザイナーはクライアントワークに対してプロとして結果を出すべきみたいなですね。
ある種のその思い込みに近いような部分というか、そういうところにやっぱり縛られてきてしまっている部分がすごいあるなっていうのはすごい実感はしてるんですよね。
一方でその人が何かを作る、あるいはそのクライアントも人なのでその人と自分とが出会ってものが作られるっていうところで、その場でしかできないものができるはずなんですね。
本来はクライアントとか受注者発注者みたいな関係は超えて、本来はもうちょっと溶け合うものだろうなと思ってるんですよ。
で、ちょっとそういうふうなものづくりの仕方っていうのはもっとできるはずだし、たぶんそういうふうにしていかないと、何ていうか、豊かなものにたぶんならないんだなっていうふうにちょっと思ってるんですね。
プロジェクトと遊びの関連性
すごい理想論なんですけれど、でもある意味そのAIがやっぱりどんどん進化していけばいくほど、アウトプットっていうのはたぶん一定レベルのものって高いものが作れる状態になると思うんですよね。
で、対してその自分のやってる仕事っていうのは、ある入力インプットに対してこういうふうに変換して、こういうふうに出力するっていうその3段階だと思ってるんですけれど、出力するっていうところがいわゆるデザインみたいに捉えられがちだったとは思うんですけれど、
実際のところはすごく肝になってる。そのある入力に対して、こう変換、こう解釈してこう変換するっていうところだったりするんですよね。出力っていうのはある意味、結果みたいなところもあって、
そのこう変換する、こう解釈してこう変換するっていうところって人間の部分じゃないですか、すごく。かつすごく俗人性の高いところだと思うんですね。その人じゃないと、その人だからこういうふうに解釈したとか、あるいはこういう入力、こういう人と出会うことによって初めてこう変換されたみたいなところもすごく偶然性の高いところもあったりするところがある。
なんというか、そこに目を向けていった方がいいんだろうなと思ったんですね。そうすると、そのクライアントと自分たちのようなデザイナーとの関係性みたいなものとか、あとはプロジェクトの進み方とかプロジェクトの作られ方とかですね。
なんか多分、もっと溶け合うようにしていった方が多分いいんだろうなみたいなのは結構感じるようになってきていて、特にここやっぱり数年になって感じるようになってきていて。で、やっぱりたまにそういうプロジェクトに近いようなものがあったりするときもあるんですね。
プロジェクトっていうのはやっぱりこうあるべきなんだろうなというか、そのものが作られていくことって多分そういうことなんだろうなみたいにだんだんちょっと思うようになってきていて、ちょっとそのプロジェクトのなんていうか、あり方の試行錯誤をこれからしてみたいなってちょっと思ってたりするんですね。
そうすると多分、すごい俗人的になっていくはずなんですよ。自然と特にデザイナーでよく言われる話として、その作家性みたいな言葉ってあると思うんですけれど。
それってそのなんていうか、ある意味その人らしさというか、その人じゃないとできないものみたいなところだと思うんですね。そういうところがやっぱり高まれば高まるほど、その人が仕事をする意味とか、その人が社会にいてその人が働く意味とか、なんていうか、もっと個人が多分浮き立つはずなんですよね。
そうするとやっぱりもっと豊かなものに多分なるはずだと思うんで、なんかそういうものづくりってもっとできるんだろうなーっていうのをちょっとぼんやり思ってるんですね、最近。
うーん、なるほど。今のお話ちょっと伺ってて思ったんですけど、うちのみなさんが多分、普段からこういうことずっと考えてるんだろうなっていうのはわかりました。
たとえば今お話いただいたことって、即興で作れるような順度の磨かれ方じゃなかったなって感じたというか、やっぱり普段から自分に対しても周りの周辺に起きてることに対しても常に気を配って観察して考えてって、繰り返してる人にしか喋れない話だったなって今の話を思うので。
たぶん世の中の平均は言われたことをやるだけが平均だと思うんですよ、基本的に人間の多くのどんな職業でもだいたいそういう人が平均だと思うんですけど、たぶん今の話はなかなか聞けない。
たぶんここの順度まで持ってってる人なかなか見つかんない系のやつだなって思いました、話聞いてて。
いや結構私とかも、なんだろう、日常的にぐるぐる考えちゃうことっていろいろあって、AIの登場に対して感じることとか、自分の職業に対して感じることとかいろいろあるわけですよね。
やっぱCGも、それこそAIの得意領域っていうか、人間いらないんじゃないっていうふうになりがちな職業かなと思うんですよね、グラフィックス関係って。
でもそういう中でも、じゃあ自分たちの価値ってなんだろうとかっていうことを、考える人と考えない人っていう線引きがまずあると思ってて、考える人の中にもやっぱりどこまでそれを突き詰められるかっていうところに個人差があると思うんですよね。
柔軟な思考と伸びしろ
私は結構そういうの考えちゃうんですけど、宇都宮さんの今のお話は結構潜ってんなって思いましたね。結構深いところまで行っちゃってんなって思いましたけど。
なるほど。やっぱ複雑なところの味わいっていうんですかね。それが今たぶん豊かっていう言葉で表現されたと思うんですけど。
ただ単に条件反射で入力に対して、統計的にこれが答えだからってパッて返ってくるような、そういうロジカルなものではなくて、もっと複雑回帰というか、そこがたぶん豊かってことだと思うんですけど。
そういうところをもっともっと探求していけたらなみたいなとこなんですね、たぶん。
なんていうか、できてみないとわからないけど面白いなって。
最近クライアントワークとかでも、あんまり提案を、例えば提案を通すみたいな考え方って、なんていうか、やっぱりつまんないなって思ってて。
初めこういう案を作ったんだけれど、できたらものはあら違うわみたいなんですね。でもこっちのほうがいいかもって結構最近増えてきていて、そういうほうが楽しいなって思うようになってきたんですよね。
それってその担当者の人がいて、自分が出会って初めてできたものじゃないですか。
それってすごい価値あることだよね。
いやー、やっぱ日本人っぽいな。そういうのをちょっと日本人っぽい感じがする。
あんまり、なんだろう、うまく言語化できないな。
よく言われるのが、わびさびみたいなことよく言われると思うんですけど、それに近い日本的なものを感じる気がするな。
何なんだろうな、ちょっと私がうまく言語化できないですけど、たぶん宇都宮さんの中にあるアイデンティティがやっぱりちゃんとしっかり日本人的っていうか、そういうところがあるのかな、なんか考え方が。
まあ私も結構日本人的考え方すぐしちゃうっていうか、結構古い人間だからっていうのもあると思うんですけど。
わかります。たぶん自動化されないことっていいなと思っていて、自動化されないっていうことは予定調和でないっていうこともあるし、すごく偶然性に左右されるものだと思うんですね。
そういうところの中にある揺らぎみたいなところの中に楽しさとか豊かさを見つけるみたいなところの感覚ってすごく日本人の自然感みたいなところに多分重なるところもあると思うし。
そうですね。本当おっしゃる通りだと思います。なんかやっぱり季節を感じて、なんとなくぼんやりしただけで過ごしちゃう時間とか、すごい大事ですもんね。
やっぱそういう時間ない毎日を過ごしちゃうと、本当になんか豊かじゃないって。なんか豊かって言葉ばっかり使っちゃってあれなんですけど、心がやっぱり豊かじゃない状態になっちゃうなっていう、私の経験的にもそんな気がするし。
なんかこう外とか星景色とかぼんやり眺めてるだけみたいな時間って結構大事かなって最近よく感じることではあるんで。
なんかキーワードは遊びってことかなと思ってて、揺らぎがあるってことは遊びがあるってこともあるじゃないですか。
そうですね。
で、楽しいっていうところも遊びみたいなところあったりするじゃないですか。だからその、なんというか、きっちりネジが締まりきってない感じというか。
たぶんその遊びがあるから、作られるものもいろんな可能性が開かれてるんですよね。
たぶんそういう状態をプロジェクトの中にどう組み込むことができるかとかですね。
デザインのプロセスでもどういうふうにその遊びの部分を持たせられるかとか、人との協業の仕方とかもそうだと思うんですけど。
そういうふうにもうちょっと自分が柔軟にあれたら、たぶんもっとなんか伸びしろがあるんだろうなあっていうのを見ていて。
まあでもやっぱりその、私もすごく頭の硬い人間で真面目に生きてきちゃったんで。
昔からの考え方、特にやっぱり植え付けられてしまったような、こうでなければならないみたいなですね。職業観に結構やっぱり縛られてるんですよね。
そこをちょっとずつ、もうちょっとやっぱりちょっとずつという意味で開放していけると、たぶん今後も楽しんだろうなあって思いますね。
いやーなんかちょっと私がちょっとその宇都宮さんの純度に唐突できてない感じがして、なんかちょっと申し訳ない気持ちがしますね。
同じレベル感になってなかったら話が通じないじゃないですか、そこって。
だからちょっと私が宇都宮さんレベルにまでちょっと純度が高められてないのが申し訳ない感じがしますね。
まあでもこれは本当になんというか、単なるまだ妄想みたいなところで、こうあったらいいなぐらいぼんやりしたものなんですよね。
まだ実態が伴っているものではないので、むしろね、実際のリアルな経営者の方々とかって、やっぱり日々そういうことと向き合われてると思うんで。
逆にそういう方と話をもっとしないとなーみたいなのは思ったりもしつつ、結構こもっちゃうタイプなので。
でも最近結構いろんなところでインタビューだったり対談だったりとかされてるイメージですけどね。
ここ数ヶ月かもしれませんね。やっぱりディレクター時代の10年にわたる黒子生活というものがすごく染み付いていてですね。
なるべく表に出ないというかですね、なるべく奥に奥にいるようにしようみたいな意識がすごく強くて。
それであまり接する機会というのが少なかったことがあるんですけれども、本当にどんな偶然かちょっとわからないんですけれども、
たまたまお声がけいただくような機会がちょっとずつ最近急にいただくことも出てきて、
自分なんかがみたいな意識がすごい高かったんですけど、これは今日もこのままだったんですけれどもね。
何というか、やってみると実は苦手だったんじゃなくて、これは慣れの問題だったんだなみたいに思うこともこの年にしてようやくわかってきてですね。
本当にノーマライズFMはそんな格式高いものではないんで、絶対いいんですけど。
ただ宇都宮さんがおっしゃってることもわかるんですよ。
私も結構最初、勉強会のゲストに登壇してもらえませんか?みたいに言われたときは、え?ってなりましたもん。
自分なんかが人に公釈を垂れる側をやるんですか?みたいな感じの感覚はすごいわかるし、
さらにその先の、やってみたらこれ意外とやればやるだけできるなみたいな感覚だったりとか、
あとはやってみた結果起こるプラスの作用みたいなものって、やってみないとわかんないじゃないですか。
なんかすごく巨大な壁のように感じてるけど、思い切って飛び越えてみたら、実は思ってたよりそんな壁高くも分厚くもないし、
実は越えた先にすごくいいこと、いろいろ自分が想像してなかったような広がりがあるじゃないですか。
たぶん私も宇都宮さんに声かけたかどうかって関係してると思うんですよ。
最近よく見るなってことは、声かけたら出てもらえるかもなっていう思考はたぶん私の中でも働いてたはずなんですよね。
やっぱ露出が増えることって、自分が想像している以上に社会に大きく、実は薄く広く広がってるっていうか影響が、
そういうのあるなって私自身は感じることが多いですよね。
だからWebGL総本山とかノーマライズFMとかやってると普段本当にこんなことやってて何の意味があるのかなって思うことが多いんですけど、
でもたぶんこれがあったことで起こったことってすごくいっぱいあるのかなって私は思うんで。
間違いなくそうだね。
だからたぶん宇都宮さんご自身が殻を破ってじゃないですけど、
最近いろんなところで活動されたり、例えばインタビューとか対談に応じたりみたいなこともすごくプラスにせよしてんじゃないかなって私は思いますけどね。
一つちょっと役割を見つけたみたいなところが最近あってですね。
呪いを解くというかですね。
例えば自分で言いますと38歳でデザインをいきなり始め、デザイナーと名乗り始めるのが40歳からみたいな。
結構ちょっと珍しいタイプのキャリアだと思うんですよ。
デザイナーというのはある意味一般的な見え方みたいな形で言ってしまうと、
感性がすごく大事で、センスがとても大事で、それは若い方が担わないとダメなもので、
年を持った人は早々に引退して若い人に譲り渡してみたいなですね。
そういうある種の呪いみたいなものってあると思うんですよね。
そういう呪いを自分の1個のサンプルがあると楽になる人が多分いるんじゃないかなと思ったんですね。
そういう人が今度は違う呪いを解くみたいになってくると、
多分いろんな人がデザインをやれるような環境が作られてくる未来もあり得るんじゃないかというふうに最近ちょっと思うようになったんですね。
そう考えると、何か非難するという意味じゃないですけど、東京、青山、イケメン、オシャレみたいなね、
ある種の王道的な肩にはまったイメージみたいなものからどんどん派生した、
いろんなこういう人もいる、こういうデザイナーもいる、みたいな状況ってすごく豊かになるはずで、
そういう役割の呪いを解く係りの年齢版みたいな。
役割であれば、これまですごく自分も一人でずっとやってきたので、
何かに対して、このウェブのコミュニティに対してもそうですし、貢献をしてくるってことは一切してきてないんですね。
杉本さんがされていらっしゃってきてるようなことですとかもそうだと思うんですけど、
ある種のフリーライドみたいな形で自分も来ていたので、こういう役割であったらもしかすると自分は、
なんていうか、恩を返すとは言わないですけど、何かできることはあるかもしれないなぁみたいなのは最近ちょっと思うようになってきて、
そういう役割としてノーマライズFMを出ていけばいいかなみたいなのはすごく悩んだんですけど、思ったところはあったんです。
はいはい、なるほど。
いやでも、それは多分すごく勇気づけられる人とかは絶対いるだろうなと思うし、
私もそうなんですけど、始めるのに遅いってないなっていうふうに思ってらっしゃるんじゃないかなと思うんですけど、私も結構そう思ってて、
私自身もね、まったく外野のところからFGLでWebの世界に入ってきたっていうところはちょっと異色と言えば異色だと思うし、
なんていうか、もう30代だからやっちゃダメって誰も決めちゃいなくて、自分で決めちゃってるんですよね、だいたいそういうことって。
そうなんですよ。
だから多分そういうことを、もっと気持ち次第だよとか踏み出せば変わるかもしれないよっていうことをすごく伝えたいなぁみたいなことは私も思うことがあるし、
前例があるっていいですよね。
わかる気がしますね、すごく。
宇都宮さんのデザイン講座
なんかその最近、コロソで講座を始められるみたいなお話も私拝見したんですけど、それも何かそこと何か地続きの部分なんですか?
そうなんですよ。まさにおっしゃる通りで、たまたま時期がなぜかよくわからないんですけど、面白いですよね、偶然って何か重なるというか。
お話をいただいたら、いや自分は何も知られることないんですけどというのも思ったんですけども、
でもこれもなんていうか、そういうサンプルが一人いるっていう、やっぱりその実際にそういうことをしてる人がいるって、もうそれだけで道が開けるというか、楽になる部分ってあると思うんですよね。
あ、こんな人もいるんだったら俺もやれるかなみたいに思ってもらえるというか。
なんかあの講座はちょっと全然分からない、文脈分からない方もいると思うんで、ちょっとどんなものかっていうのを簡単にご紹介いただけますかね。
はい。コロソという名前のオンラインのコーヒーサービスですね。
そこで視覚デザインというジャンルがありまして、視覚デザインの中のウェブデザインみたいな領域の中で宇都宮さんがやってきたことの中で教えられることみたいなものを講座としてまとめてほしいというお話をいただいて、
自分が実際にサービスとして配信されるのは来月の20日以降ではあるんですけれども、内容としてはウェブのデザインのプロセスですね。
特にデザインのプロセス、先ほど少しお話しさせていただいた入力があって変換があって出力があるみたいなところでいくと、入力と変換の部分、ざっくり言ってしまうとですね。
どのようにインプットを得て、それをどのように解釈して、企業ですとか商品やサービスのブランドが持っているらしさとかありたい姿みたいなものをどう表現していくかみたいなプロセスの一連みたいなところを解説していくような講座みたいな形でやらせていただいた。
なるほど。じゃあ結構デザイナー志望の入門向けみたいな感じになるんですかね、そうすると。
そうですね。対象者はやはりデザインを始められた1年目、2年目の方ですとか、あるいはアートディレクターみたいなところを目指されているような方ですとかですね。そういったような方に向けたものになるかなと。
なるほど。なんかすごいなって単純に思っちゃいましたけどね、その話見た時は。そんなやってんだ、すげえって思っちゃいましたけど。
いや、これも数ヶ月前の自分では本当に想像もしなかったことを今していて、ずっと一人でやってきていたので、何かの偶然が今、重なっている時期なんだろうなというふうには思ってるんですけど。
何かの流れみたいなものに、これまでは結構自分の自意識みたいなものとかによって、いやいや自分なんてみたいにしり添えていたと思う。ちょっとずつその流れにはあまり逆らわないように生きていこうかなみたいな、最近になってちょっとずつ思えるようになってきて。
教えることについて
無理ない範囲でやれることをやっていきたいなみたいな、ちょっとずつ変わってきてるみたいなところがあるかもしれないですね。
私も一応スクールみたいな取り組みはやってるんで、誰かに自分の知識を与えると言うとちょっとおこがましい言い方にはなっちゃうんですけど、形の上では教えてるわけなんで、与える形になってるんですけど。
そういう活動で難しいことも結構いろいろあるなって思うから。そういうのをされてる方たちは本当にすごい。私自身もやってる側ではあるんですけど、すごいなって思っちゃいますよね。
もちろん金銭的な対価もらえたりするケースももちろんいろいろあると思うんですけど、とはいえ結構自分の持ってるものを人に渡していくのって、自分の武器を分け与えていくことなんで、そういうことされてる方々って本当にすごいなって私は思っちゃうんですよね。
杉本さんは始められた時もそうだと思うんですけれど、やっぱり人に教えるって今まさにおっしゃっていただいた通りで、すごくその決断としても大きいものだともちろん思いますし、特に継続されてって、継続していくことってまたさらに多分、自分には想像つかない大変さがあると思うんですけれど。
そこで先ほど自分では想像もしなかったような道が開けていくとかですね、想像もしなかったようなことが起きていくみたいなプラスのこともおっしゃっていただいたと思うんですね。
その、まだ自分は教えるみたいなことは、まだ入り口にちょっとだけ片足入れたぐらいのものではあるんですけど、こう教えていくみたいなことによって、どういうふうに杉本さんの地平みたいなものは変わっていったのかとか、逆に今すごい楽しいとかですね、楽しみ、生まれてきてる楽しみとかですね。
何かあったらちょっとお聞きしたいなと思ったんですね。
お話ししている中で、教えるスクールみたいなこととかやってみたらどうですかみたいに多分言われたことが一番最初のきっかけではあったと思うんですね、そのストーリー仕立てで言うと。
ただ多分、今になって振り返ってみると、結構私は小さい時から、いわゆる地域のちびっこたちをまとめる係として生きてたりとか、兄弟、いとことか、自分の年下がかなりいっぱいいるような環境で育ってきていて、
割と人の前に立ってっていうことが立場的には多かったんですよね。
なので、学級委員長的なと言いますか、人に対して頼られる立場であることに安心するんですよね、自分が。
だから多分そういう本質的な部分も結構向いてるんだろうなって、職場として向いてるんだろうなっていうのは思うんですね。
スクールの始まり
要は人から教わるのも別に嫌じゃないんですけど、どっちかっていうと自分で何でもやりたくなっちゃうし、
で、人に教えてくださいって言われても別に嫌じゃないし、教えてあげるのも多分たまたまなんですけど、上手だほうだとは思うんですよ。
多分その教えてあげたくてもうまく教えられない、スキルが伴わないっていうことも世の中にあると思うんですけど、
多分私の場合はスキル伴ってんじゃないかなっていう感覚が自分の中にはあるので、
それはお話をしててもよくわかります。教えられるの多分すごい上手い方なんだろうなって思いますね。
結構アドリブで返せるかどうかだったりとか、落ち着いたトーンで喋れるかどうかみたいなことって、
そうですね。
肯定的に身につけられるスキルではあると思うんですけど、とはいえ自然にできる人とできない人って多分いると思うんですよね。
私の場合はたまたま偶然そこが普通にやれば普通にできるっていうことだっただけだと思うんですけど、
なのでできるかもなって安直に、でもどうだろうな、私なんかが案件ではありましたね。
その一番最初はやっぱり人集まらなかったらどうするのみたいなとこもありますし、
当時たぶん今ほどWebGLの人ではなかったと思うんだけど、でもやってみようかなって思うぐらいなんで、
それなりに自分はWebGLで名前を知られてるとは思ってたとは思うんですけどね。
でもすごく勇気のいる決断ではあったんじゃないかなと思いますけどね。
最初の、一番最初の踏み出すとき、やっぱりすごくありますよね。
そうですね、確か10人ちょっとぐらいだったと思います。
初めてスクールやるぞって言ったときは、それぐらいの人数が集まってくれて、
でも年々どんどん人数が増えていって、やっと最近頭打ちというか、たぶんこれぐらいが平均なのかなっていうのはなんとなくわかるようになってきたんですけど、
でももっと早く終わっちゃうと思ってたんで、WebGLの流行がピークを迎えてだんだん下がっていくって私は思っていたので、
こんなに長く続けられるとは考えてなかったんですけど、
でもなんですかね、なんか続けられてますね、今でも。
若干自分でも理由はわかんないんですけど。
楽しみみたいなものって今はどんなことがあったりします?
普段、私はさすがにもう10年とかやってるんですよね。
WebGLスクールも今年やったので10期目だったんで、振り返れば10年経ってるっていう感じで、
そうなると結構さすがにルーティンワークとまでは言わないんですけど、
今年もやるぞっていう出来事ではあるんですよね、一つの。
変化と楽しみ
その中で、じゃあ毎年やってて何か得ることあるんですかとか、やってて楽しいんですかみたいな感じの問いに対してどう答えるかで言うと、
やっぱり毎年なんか不良のことが起こるんですよ、絶対に。
想定していなかったことが起こったりとか。
あと、当然毎年参加されてる方々は全然違う人たちが入れ替わって入ってくるので、
テンション高い人がいるかいないかとか、ちゃんとコミュニケーション取りたい人の割合がどれくらいかとか、
ただ黙々とインプットしたいだけの受講者さんとかもいらっしゃるんで、
そういう方たちはあんまり声をかけてきたりはしないんだけども、しくしくとやってるタイプの人とかもやっぱりいて、
その割合とかも毎年違うんですよね。
だから、絶対不良の事故というか、事故ではないんだけど、想定していなかったことっていうのが起こるんですよ。
例えば、私が提供しようと思っていたカリキュラムに入ってないんだけど、
受講者さん的にはこういうのって将来終わるまでに出てくるんですか?みたいな感じで。
軽めのテンションで質問としてそれが出てきた時に、
いやー、それやる予定はないんですよね。
でも、どうしても知りたいなら頑張ってそれを実装しますけど、みたいな感じで。
終わるまでに頑張って追加で作ったりとかして。
結局そういう体験って、私自身の成長にもなってるんですよね。
そういう意味で、不良の事故というか、予測できないことを自分自身は楽しみながらやってるところはあると思うんですよ。
さっきの話に進んでいきますね。
毎日をなんとなく過ごしてるわけじゃないけど、
どうしても毎日って繰り返しだから、
自分で変化つけようと思ってつけられる変化のレベルって、
言って自分でつけてる変化だから予測できちゃうことでしかないんですよ。
所詮どこまで変化をつけたところで。
そこにやっぱり強制的に外側から突きつけられる何かがあるっていうことは結構私の中では大事だったりもするんですよね。
だから普段のお仕事の中で、お客さんだったり同じチームの仲間だったりが、
当然自分の予測できなかった何かが、っていうことはもちろん仕事の中ではあるにはあるんですけども、
でもやっぱなんかこの、教える側と教わる側の間で起こる科学反応みたいなのは、
多分教えるという行為の中での楽しい部分だとは思いますね。
いやーいい話だなー。
教える行為の楽しさ
いやーわかんない。結局だから一番難しいなって思うのは、
相手側がどう思ってるかは割とわかんないっていうか、
その文句があったとして文句を言ってくれる人はまずいないっていうことなんですよ。
スクールやってて思うのは、何か自分の求めてたものじゃなかったなーとか、
思ってたより全然何か面白くねーなーとかっていうそういうネガティブな反応って、
まあまず出してくれる人いないので、絶対いるはずなんですよねって思ってやってます、私は。
絶対100点ではないなって思います。
まあこれはでもあれですよね、もちろん気にしちゃうんだけれど、多分気にしないがいいんでしょうね。
そうなんですよね。だからそれ気にしすぎると何の変哲もない教科書通りのことしかできなくなっちゃうから、
どんどん平均値に行ってしまうので。
だからよくある話かもしれないですけど、全員にとっての100点は絶対にできないと思っているので、
それなら少しでも平均点が高くなるように自分なりに毎年模索してるっていう感じですかね。
だから一回やらなくしたものをもう一回やるようになったりすることもありますし、
今年はこれ削ってこういうことやってみようかなみたいなことをやることもあるし、
本当に結構いろいろ変えたりしながらなんだかんだ10年やってるっていう感じですかね。
参考になるな。多分これは変化をどう捉えるかというか、変わることをどう考えるかみたいな話だと思うんですよね。
意図的に自分で作る変化もあると思うし、でもそれだけでは足らなくて、さっきの話で言うと遊びですよね。
遊びの部分を設けることで偶然性みたいなところを持たせて、
そこで起きる不良にあわあわしながら対応することをむしろ楽しむというか、
それによってまた変わっていくみたいなんですね。そういうことですよね。
だからなるべくやっぱり受講者さんたちをできれば一人残らず拾いたいし、
一人残らず満足させたいっていう気持ちはありますよ。
やっぱりつまんねぇなとかお金無駄にしちゃったなみたいな感覚は絶対味わってほしくはないわけですよね。
だから頑張るのは頑張るんですけど、やっぱり現実問題としては、
それはいろんな性格の人、いろんなものを求めてる人がいるわけで、
私がやったものがすべての人に100点満点には絶対にならないっていうのは、
現実問題としては受け入れるしかないんで、その中で何ができるかなみたいなことはやっぱり考えますね。
難しい…っていうか答えはないと思ってはいるんですけど。
だから毎年楽しみながらやってるっていうのはそういうところなのかもしれないです。
たぶんこれがもう1回作ったテキストを毎年同じように話して、
同じサンプル提供してってやってたらたぶんつまんなくなっちゃうんですけど、
毎年全部ではないですけど作り直すところがあって、
カリキュラーの内容が変わって10年間来ているので、
そういうところを自分なりには楽しんでいるかもしれないですね。
ちなみに私、今回の先ほどのコロソのお話でちょっと言うと、
もう講座納品し終わっちゃってるんですけれど、
後で考えて、これあれだなみたいに、
自分の過ちではないんですけど、ここが足らなかったとかですね。
これはたぶん人が見たら突っ込まれるとこだなみたいに、
後で気づくことって、やっぱり教えるっていうことの性質上あるとは思うんですけれど、
すごい悶々としてるんですよ。日々。
結構、それはあれですね。やっぱりリアルタイムでやれないタイプのやつだと難しいですよね。
そうかそうか、そういうことか。
私の場合は結構リアルタイムにやるようなスクールなんで、
その場で突っ込み受けて恥ずかしい思いをすることは毎年1回か2回ぐらいありますね。
知ったかぶりしてしまって、コメントで突っ込みが入って、
すいませんでしたみたいになっちゃうことももちろんあるし。
でもその場でなるべく軌道修正できるというか。
できるものはしますね。
たぶん私の今の宇都宮さんの経験に私の中で一番近いのはむしろあれですね。
たぶん書籍の書き方っていうか、本になっちゃってるじゃんっていう。
そうですよね。
その後から突っ込まれたときに、
例えばなんか明らかに間違ったこと書いてて、
それ突っ込まれるとしたら、たぶんその当時の私が知らなかったっていう、
ただ単にごめんなさい案件なんですけど、とはいえ本はもう出ちゃってるので直せないっていうパターンもあるし、
あとは思想的にわかりやすさを重視して書いたつもりが、
読者によってはわかりやすく書いたことを違うじゃんって言ってしまうみたいなことも起こり得るわけですよね。
私の場合後者ですね。
そういうふうに言われてしまったときに、
そこわかりやすくしたかったからこういうふうに表現したんだけどなみたいなふうに思うことはもちろんあるんですけど、
でもとはいえ本の中にそういう注釈は今更入れられないので、
自分との折り合いのつけ方かなみたいな。
だからあんまり気にしすぎちゃいけないなって思うので、
なんかそういう気持ちになりたくないから結構頑張ります、最初に。
作るときに頑張りますね。
なるべく突っ込まれないように。
突っ込まれないようにっていうのは違うな。
その正しい知識をちゃんとお渡しできるようにっていうところで、結構頑張っちゃいますね。
今年のWebGLスクールは結構仕上がってる人たちが多い、割合が多い年だったんですよ。
だから、たぶんこんだけ仕上がってる人たちに有益なものを渡すってなったらっていうふうに、
すごい襟元をただすような気持ちになったというか。
毎年一生懸命やってはいるんですけど、
今年の不良の事態だったんですけど、こんな仕上がってる人たちが受けちゃうの?みたいな感じになって、
これはいつもの年よりも襟元たださないとやべえぞって思ったんですよね。
毎年そういう気持ちでやれよって話ではあるんですけど、
ただそういう自分の中で不足の事態が起こったときに、やっぱり変化が起こるんだなっていうのは今年も思いましたね。
だから、宇都宮さんの講座もどれくらい続くのか、あるいはこれからどうなっていくのかわからない部分は、
ご自身で決められることではない部分もあると思うんで、わかんないところではあると思うんですけど、
ちょっとなんか楽しみですね。どんな感じで。
なんかレスポンスとかはあるんですか、受けた方からの。
いや、基本的にはないんですよね。
どなたが買われたかとか、どなたが受講されたかみたいなことってわからないんですよ。
講師側には知らされないので。
その方とのコミュニケーションも取れない状態ですね。
Podcastの収録終了
じゃあ結構一方的に出すだけのプラットフォームの形なんですね。
そうなんですよ。YouTubeとかの感覚ですよね、きっと。
それだとやっぱなんかちょっともやもやしそうですね。
そうなんですよね。反応がわからないというか、どう理解していただけたのかとか、どう伝わったのかとかがちょっとわからないので。
それはちょっと私もなんかそれだと不安を感じるかもしれません、すごく。
いやどうなんですかね。なんかちょっと怖いですね。
でもなんか今日いろいろお話聞いてきた感じだと、なんて言うんですかね。
多分ちょっと私は聞いてみたいなと思っちゃいますけどね、講座の内容気になるなって思いますけどね。
ただそのプラットフォーム上にフィードバックを返す仕組みがないっていうのはちょっとドキドキするなという気がします。
いやそうなんですよね、本当に。だから本当に自己満足になってなければいいなっていうところだけが本当に気になるってことですね。
そうですよね。いやなんかね、わかりますよ、なんかスクールも本当になんか感想とかなかなか、まあみんな言ってくれる人はね言ってくれるんですけど、
全員が教えてくれるわけではないんで、多分その言ってくれない側の人たち、感想寄せてくれない方々ってどんなこと考えてたのかなってすごい。
毎年気になるし、ノーマライズFMも滅多に感想とか来ないんで、みんなどんな気持ちで聞いてるのかなって、いつも不安に思ってますけどね。
やっぱりでも仕事をしながら聞かせていただくことが多いですね。
どうなんですかね、みんな楽しんでくれてるんだったらいいんですけど、一応なんかそのポッドキャストの登録してくれてる人の数は増えてってるような気がするんですけどね。
ただまあ劇的にドカーって増えたりはしないんで、みんなどんな感想を持ってるんだろうなって思っちゃいますけど。
やっぱり普段、実績とかでしか知らない方の話が聞けるってすごく楽しいんで、純粋に楽しく聞いてますね。ありがたいです、本当に。そういう機会ってなかなかないですからね。
いや本当そうですよね。たぶん今回の宇都宮さんの話も、たぶんいろんな人の中で、ああこんな人なんだっていうことが起こってると思いますけどね。
意外と声だけで人間性って結構伝わりますよね。
ああそうですよね。
こんな感じの人なんだって、喋ってる様子だけ聞いてても感じるなって思うんで、なんかポッドキャストってそこが面白いところだなと思いますけどね。
そうですね。なんていうか、やっぱり声って嘘をつけないっていうか、偽ってもやっぱり出ちゃうところがあるんで、そこが面白いし怖いし。
そうですね。
いやー。
いやー怖いな。
大丈夫だと思います。
楽しくね、いろんな話聞いてきたんですけども、だいぶ時間が経ってしまったので、今日のところはね、この辺りで終わりにしていこうかなと思います。
はい、宇都宮さんちょっと今日初めてこうやって対面で話すっていうような状況ではあったんですけど、本当になんかいろんな、他の方では多分聞けないだろうなっていう話がいろいろ聞けたのでね、最高に面白かったなと思いました。本当にありがとうございました。
いやー楽しかったです。ありがとうございました。
ちょっとまた、あれですね、なんかどっかで会うことがあったりとかしたら、今日聞けなかった話もあったりをするんで。
感想のハッシュタグ募集
ちょっと最近またね、コロナがぶり返してきてる感じがあるんで、またちょっと落ち着いたらね、どっかでご挨拶とかできたらいいなと思うんですけど。
めちゃめちゃお話したい。
ちょっと途中ね、Colossalの講座の話とかも出ましたけど、これからもちょっといろいろな活動されていくと思うんですけど、私も陰ながら応援しておりますので。
ありがとうございます。
また機会がありましたらお声掛けしますので、ぜひよろしくお願いします。
ありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
はい、ではあと最後、ノーマライズFMのいつものお知らせになりますけれども、ノーマライズFMではハッシュタグノーマライズFMというそのままのハッシュタグで皆様からの感想など随時募集しております。
最近本当にね、全然なんか感想のツイートとか全然見ないので、本当にどう思われてるのか不安になっちゃう部分もあるんで、皆さんね、本当に気軽にちょっとした感想でもいいんで呟いてもらえたら嬉しいなと思っております。
はい、じゃあ今日はこれで終わりにしたいと思います。最後まで聞いてくださってありがとうございました。
01:44:25

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