1. Ray Wow FM
  2. #18 TOEIC満点 本村 章さんの..
2020-01-27 32:56

#18 TOEIC満点 本村 章さんの熊本県民力

Londo-bellチーム及びゆめみ塾のコミッターを行っているUXデザイナーの本村さんが熊本県民力を使って海外留学、海外での仕事を成功した秘密に迫ります
00:05
おはようございます、Rayです。
本日も、Ray Wow FMの時間がやってまいりました。
Ray Wow FMでは、主に株式会社耳に関する様々なテーマを扱って、
時にはゲストもお招きしながら、ゆるくやっていくラジオとなっております。
では、今日は本村さんをゲストにお招きして、
留学から海外の企業で働くまでの苦労とか、
そこから日本に戻ってきて、今後の目指したいところとかを聞ければなと思います。
では、本村さん、ありがとうございます。
よろしくお願いします。
本村です。
初めまして。
今、チームとしてはどこに所属していますか?
今は、ロンドベルというサービスデザイナーです。
サービスデザインのチーム。
イメミに来て、どれくらいになりますかね?
イメミに来て、8月なので、2月で6ヶ月半です。
結構、あっという間に過ぎちゃって。
あっという間に早かったね。
元々、サービスデザインを前職でもされていたと思うんですけれども、
特徴的なのが、さっきも話したように、
留学、向こうの大学ですかね。
はい。
留学して、そこから海外というか向こうの企業で、
アメリカの企業で働いたというところがあったと思うんですけど、
さっきもちょっと話を聞いたんですけど、
親がアメリカ人とか、帰国子女とか、
全く、全く。
熊本?
2人とも熊本出身ですね。
熊本県民から生まれた、純正な日本人。
どうやって、向こうに行く?
で働くことになったのかなというところを、
ちょっと教えてもらえればなと思いますね。
はい。
きっかけとか?
きっかけは、一番のきっかけは、
高校生の時に、ちょうどなんか、
高校、公立高校だったんですけど、
100周年に向けて、
なんかちょっと、科学系の授業と、
国際系の授業をするっていう取り組みがあった時で、
僕が高校3年生の時に、2週間、
アメリカに語学留学的なのをするっていうプログラムがあって、
その1期生として派遣してもらったっていうのが、
一番の最初のきっかけですね。
じゃあ、それはもう、2週間だけ。
2週間だけで、
高校生の頃。
そうですね。
高校の、学校の中で選抜会みたいなのがあって、
じゃあ、何人かで行って。
何人かで行って、2週間、他のいろんな国の人と、
ちょっと、文化交流みたいな、
英語の研修みたいなのをしながら行ったのが、最初のきっかけですね。
03:00
それはどこに行ったんですか?
その時は、カリフォルニアの、
世界のランキングとかに出てくると思うんですけど、
バークレー。
夏講習みたいな感じで行ってました。
その時はまだ、留学しようとか思ってた?
いや、思ってはなかったんですけど、
ちょうど大学受験を控えてて、
この後どうやって生きていけばいいんだろうみたいなのがあって、
ただ、英語は話せるようになりたいなと思ってたんですけど、
じゃあ、英語で、
なんか、だけで仕事ってできるんだけどね、みたいな、
不安もありつつ、でも面白そうだから行ってみよう、ぐらいでしたね。
そこから、留学に向けての?
そうですね。帰ってきて、留学に向けて、
動き出したっていう感じですね。
そこで、語学学校に入ったんですか?
すぐに?
いや、その後も結構、うちの両親が、
学校の先生なので、
高校行ったら日本大学に行ってもらいたいみたいな、
意見とかで、うちの親戚とかも結構、
学校の教員が多い家系だったので、
日本の大学行っても、留学って交換留学でできるじゃん、みたいな話とか、
学校の先生からも、それでいいんじゃない?みたいな感じで、
実績として、留学ってあんまり取り扱われない、
公立大学に行くっていうのが、一番実績であったので、
その辺のちょっとこう、
バトルというか、
戦いを踏まえて、留学させてくれ、みたいな感じで、
やってた感じですね。
本負けした感じなんだ、じゃあ。
そうですね。だから、公立大学の一般受験もした後に、
留学するための準備をする学校みたいなのが、東京にあって、
そこに両方受けて、
両方受かったので、こっち行かせてくれることで、留学したって感じですね。
すごい。身寄りもないまま。
シャレンジャーですね。
で、向こうの大学。
東京で1年間、英語の勉強と、大学の単位を取りながら、
その後、1年後ですね。19歳の時にアメリカに留学したって感じです。
実際入ってどうでした?そんな、ついていけるもんなの?
英語の授業は、すごく楽でした。
そうなの?
大学で教えるような先生の英語って、きれいな英語が多くて、
あと、アカデミックっていう分野が絞られてるので、
何を聞けばいいかっていうのが、期待値である程度あるので、楽だったんですけど、
最初の1年目とかは、アメリカ人と雑談をするっていうのが、一番ハードルが高くて、
ディスカッションとかがちょっときつかったですね。
ディスカッション?
クラスとかで。
きつそう。
読んできた教科書の中を、自分がどう思ったかを説明するとか、いきなり話し始めて。
言ってることは分かるけど、自分なんて言えばいいんだって。
06:02
そうだよね。
結構最初はきつかったですね。
それは慣れるもんなの?
それは、アメリカ人の友達とかができ始めて、学校以外で、
一緒にいろんなところに行くようになり始めてから、成長した感じですかね。
それ至るまでは、どうしよう、もう帰りてえとか、そういうのはなかった?
いや、帰りたいとかなかったですね。
なかった?
あと、日本人の人が少ない、わりと少ない田舎の大学に行ったので、
やらないといけない。
いけない。
よくね、日本人同士でつるんじゃって、なかなか行ったほうがいいものの。
そうですね。
海外に行っても、やっぱり日本人としゃべるときは、なんとなく恥ずかしいんですよね。
横で話すのが。
なので、できるだけアメリカ人の友達を作って。
マジですごい。
みたいなので、結構無意識の中で、自分をこう、
しゃべる環境に追い込んでた感覚はないことはありません。
なんて呼ばれてたんですか、ちなみに、向こうでは。
普通に下の名前で、あきらって呼ばれてた。
あきら、そこそこ。
アニメの映画とか、あきらって言うと、あの映画の、みたいな。
黒沢とか。すごい。
じゃあ、そこは乗り越えられたんですね、うまく。
乗り越えましたね。
言葉の壁みたいなところは。
はい。
あとは、家帰った後とか、結構一人ごとで、こう、
今日、あの人こういう言い回ししてたみたいな。
っていうのを、一人ごとでずっと言ってるみたいな。
ちょっとそのあたりは、なんか別のエピソードとして、
英語の学習みたいなところは、教えてほしいなとは思う。
はい。
で、その大学で、大学では何を学んでたんですか、主に。
大学は一応、専攻がコミュニケーションデザインっていう学部で、
その中のグラフィックデザインっていう専攻をしてたんですけど、
まあ、基本的には、タイポグラフィーとか、図とかを使って、
情報を分かりやすく伝えるっていうような分野で勉強をしてました。
広告寄りではない?
広告寄りの、まあ授業もあったんですけど、
どちらかというと、こう、出版とか、webですね、とか。
そこまではっきりして、
いろんな分野に幅広く対応できるような、
なるほどね。
原理原則みたいなところの。
そうですね。そんな感じの学部でしたね。
じゃあ一応、今の仕事ともね、結構繋がっているところだったんですね。
そうですね。基本的な部分はもう全部大学で勉強してたみたいな。
それは今のキャリアを想定して、その学部に入ってた?
いや、全く想定してなかった。
たまたま?
最初、デザインに興味を持ったのも、webデザインっていうクラスをとって、
ああ。
なんかhtmlとかcssで売ったものが、目に見えるものになって、
しかもそれが人に見てもらえるっていうのが面白くて、
09:01
やったので、なんか全然何も考えてなくて、
で、デザインの学部に入った後も、なんかコマーシャルアートっていうか、
アーティストが自分のアートを売るためのこう、なんていうんですかね、
言い方変えたみたいな感じで最初思ってて、
ああ。
でもなんか、デザイン、でも自分にはそんな才能ないしとか思いながら、
なんかある時、デザインの歴史の授業をとって、
こう、ある時代からこう、デザインっていうのが確立された時代があったっていうところから、なんか
これ、いける、いけるかも。
いける。こういうキャリアがありそうみたいな。
すごい。
ちょっと、アーティストじゃない、なんかその戦略的なことができるんじゃないかみたいなので、ちょっと。
へえ、それまではこの仕事をやりたいとか、自覚ではじゃあ、なかったんですよね。
なかったですよね。デザインで何やれるの、これで仕事できるのかな、みたいな。
みたいな、ちょっと悩んでた時期はありましたね。
へえ。
で、その大学でコミュニケーションデザインを学ぶ中で、徐々に徐々に、こう、仕事の、こういう仕事をやりたいなっていうのが見えてきて、
そうです。最初、大学も、大学通いながら、学校の中の広報のデザインオフィスがあったので、そこでアートディレクターのもとで、
その時は、まあ、ポスターとか、バージョンとか、パンフレットとか作ってたんですよ。
あ、大学の広報課があって、そこを大学としてのコミュニケーションを手伝ってたのね。
そうですね。あ、普通に、あの、アルバイトで。
アルバイトで。
一応、週20時間は働いてた。
あ、結構働いてた。
それで、やってて、で、授業も、なんかいっぱい行ってたので、いろんなことをやってましたね。
へえ。
で、そこから、なんか、あの、グラフィックデザインだったりとか。
うん。
グラフィックデザインだったんですけど、こう、デジタルを扱うデザインがあるみたいだ、みたいな。
ちょっと気づき始めて、そこからちょっと、なんか、なんですかね、ウェブとかアプリとかっていうところに、ちょっと少しずつ興味持ち始めて。
うん。
で、その、就職というか、企業で働くことになったのはどういう形で?
就職、もう完全にこねえな。
こねえ。
なんか、大学の先生が、あの、
イエール大学のグラフィックデザインの修士号の修士の方で、
なんか、その経由で、なんか、こういうオフィスがあるんだけど、
なんか、サマーインターン募集してるから、行ってみるみたいな。
企業をね、実際の。
はい。
へえ。
言われて、もうそこから、もうメール飛ばして、ちょっと、やりたいんですけど、僕どうですか?って言って、ちょっと、電話でインタビューしようよって言われて、電話でインタビューして、いつから来れる?みたいな。
はははは。
卒業したら行きます。
あ、インターンはした?
最初は、サマーインターン。
行ったは行ったんですね。
行って、その後、サマーが終わった後に、その、もう、日本帰ってもよかったんですけど、続けないって言われたので、そのまま、あの、
12:04
へえ。
普通に、インターン卒業して、社員として働く。
へえ。
だいたい、なんか、デザインとかだと、それが一般的ですね。学部卒だ。
うーん。
その、イエール大学の修士号でしたっけ?
はい。
とった教授は、やっぱすごい、こう、コネがある人だったんですか?
そうです。結構、やっぱ大学、私立とか有名なところに行けば行くほど、コネがすごい強くて、そこの系列で知ってる人同士で、こう、人材をやり取りし合って。
へえ。
じゃあ、そこの先生との、こう、は仲良かったんですか?
もう、すごく仲良くて。
へえ。
普通に週末とか、泊まりに行って。
へえ。あ、じゃあ、気に入られたし。
気に入られたし。
気に入られたし。
あきらー、みたいな感じで。
どうすんだ、みたいな。将来、みたいな。
日本帰るの?
帰るの?みたいな。
いや、まだちょっと考えてるんだよねー、みたいな話をしたら。
じゃあ、いいとこあるよって言って。
アジスカ紹介してくれた。やったー、みたいな。
結構、なんか、いろんな人に救われて、繋がってきた感じですね。
でも、そんないきなり、インターンとはいえ。
デザイン関係の、ファームみたいなところですよね。
そこで、こう、働ける。これ、やれるかなって。
まあ、向こうも見るわけじゃないですよね。
こっちも、仕事、自分できるかなみたいなって。
っていうことはあったんですか?インターンとか。
大学で働いてたこともあったんで、ある程度はわかるかなと思ってたんですけど、
ソフトウェアの分野でやるっていうのは、初めてで。
今までやってきた。
紙ベースのグラフィックデザインって、全然違うみたいなところで。
びっくりして、すごく少ないオフィスで。
あ、人数が?
10名くらいのコンサルトが欲しいんですよね。
それは、スタートアップっていうよりは、シニアの人が集まってる。
シニアの人が集まって、やってる。
めちゃくちゃイケてる感じの、ファンの。すごいね。そこに飛び込んで。
ちょっと、渋い感じで、いきなり入って。
一人一人も、ちょっと、レベル高すぎて。
年も10以上。
えー。
すごく、入って1ヶ月目、2ヶ月目は、もう、なんか、
大学でこんなに勉強したのに、何もできない次第か。
みたいな感じで、挫折してた時期がありましたね。ちょっと。
その、入った時は、アシスタントみたいな感じで。
そうですね。プロジェクトの一つ一つのタスク、これちょっとやってみるとか。
一応、なんか、インターンとしての、ある程度の流れはあるんですけど、
それでも、なんか、大変でしたね。
でも、ここで働きたいなっていうふうに思って。
そうですね。
やっぱ、社長が割とすごい人で、もともと、なんか、1990年、80年か90年まで、
アップルのその、クリエイティブディレクションのうちにも、マネジメントされてた方で、
15:00
今のあの、マックのファインダーのアイコンがあるじゃないですか。
もともと、マックOSのロゴだったんですけど。
あー。
あれの、それとかもクリエイティブディレクションとか。
へー。
でも、やられてた方で。
ちゃくちゃすごい人だね。
そうですね。結構、スタンフォードとか、今でも大学院とかで教えてる方だったので、
こんな人にお金貰いながら学べるんだったら、離れるわけいかないと思って。
なんとかついていこうと思って。
頑張りました。
うーん。で、入社して、実際どれぐらい働いた感じなんですか?
結局、そのビザの関係で、1年ちょっとぐらい、バルバルアメリカで働いて、その後、帰ってきて3ヶ月ぐらい、リモートで。
リモートで仕事しながらやってたので、1年半ないぐらいですかね。
うーん。ビザの関係がなければ、もっとこう。
ビザ、いや、もともと卒業したら帰ろうと思ってたので、1年間働いたら帰ろうかなって思ってたんですけど、
スポンサー、会社にしてもらって、抽選通ってっていうプロセスがあって、スポンサーまではしてくれるよって話はでもらってたんですけど、
うん。
デザイン系だとやっぱ、なかなか通らないっていう現実があったので、ちょっと今回は帰ります。
なるほど。でもその1年ちょいというか、半と半ぐらいの経験っていうのは、すごいいい経験だよね。めちゃくちゃ。
そうです。僕にとってはもう、世界が変わるって感じの経験でしたね。
一人でこう、携わったプロジェクトもあったんですか?メインというか。
そうですね。結構、情報デザインっていう、いろんなシステムを図にしたりとか、可視化するっていうのが得意なオフィスだったので、それ関係で、なんか選挙のシステムがどうなってるとかを、クライアントと一緒に話しながら図解したりとかを、一人でやったやつもありました。
すごいよね。アメリカの選挙とかもね、すごいもんね。
結構複雑なやつでしたね。
うん。
その1年、ちょっとの中で、最初入って、すごいやっぱりこう…。
うん。
あ、全然自分わかんないみたいなね、挫折があったと思うんですけど、一番なんか苦しかった時ってのはどういう時だったんですか?
一番苦しかった時は、やっぱ卒業して、最初のサマーインターンをして3ヶ月。
あー。
そもそも最初が一番きつかったですね。
最初。
最初がもう、きつくて、大学卒業して、こう、サンフランシスコに引っ越したので、周りに友達もいなくて。
あーそっか。
で、出る人もいないみたいな。で、周りでデザインしてる人もいないってなった時ってのは、結構苦しくて。
もともとさっき田舎のね、ちょっと場所も忘れてたとこも田舎だったんですか?
もうその、めっちゃ田舎だった。
から、めっちゃ都会だけ。
もうなんか、週末も誰とも喋らないし、めちゃくちゃ寂しい思いをして。
まあでも、デザイン頑張りたいっていうのと、ちょっとこう、せめぎ合いとかだったりなんかだったりってことで。
18:02
なんか、毎週カフェに行って、勉強して。
うん。
勉強したこと書いて、みたいな感じでやってましたね。
じゃあその、本野くんの場合は、こう、困難にぶち当たった時は、なんだろうこう、どういう風に乗り切るかっていうと。
基本そのまま、突き進むっていう。
いやー、自分に向き合って、わーって頑張るっていう。
突き進んで、突き進んで。
で、なんかこう、その時も3ヶ月終わった後も、なんか2週間だけ、
日本に帰らせてもらったんですよ。
親とかと話しながら。
なんか親も、まあ苦しいんだったら、いつでも帰ってくればいいじゃん、みたいな話をしてくれて。
その時に、まあ逆に吹っ切れて。
もうちょっと頑張ってみようかなって思いました。
へー。
突き進んで、突き進んで、ちょっとこう、ふと割れに帰る瞬間があって、また頑張る。
また頑張るみたいな。
でもその、いい、いい、なんかね、バランスかもしれないね。
あーって突き進んで、3ヶ月間頑張って、ちょっとこう、日本に戻って、
俯瞰して、こう、続いて考えた時に、
よし、ここの道で行くぞ、みたいな。
結構まあ、いい進み方だったなと思います。
大学の時もね、こう一応、こう孤立系のも受験して、
留学の時も受験して、
やっぱ、ちょっといろいろ落ち着いて。
親を接触するのも。
バーってバックだったので、しばらくはまあ、普通に受験したら、みたいなところで受験してたので。
そうですね。結構、ちょっとつも惜しいというか。
ちょっとつも惜しいんじゃない?
まあ、着実に進んでいく。
うん、うん、一歩ずつね。
すごいなあ、それはでも、いい、なんかこう、乗り越え、なんかこう、
挫折でくじけたっていうところよりは、苦労を乗り越えたみたいなね、感じかもしれないですね。
結構、だから、友達とかと話してると、何も苦労してないでしょ、お前。
あ、そうか。
乗り越えたからこそ、そうなのかもしれないですけど。
もう、落ちて落ちて、なんかこう、なんかね、ゴミみたいになって、
クズ人間になったとか。
まあ、なんか、頑張ってるね、みたいな感じでは、みんな言ってくれました。
犬身の人もね、クズな生活してた人もいるからね。
挫折して、何年間も、なんか、まともな。
生活とか仕事してないみたいなね。
いろんな人がいるんで、話聞くと面白いです。
それで、まあ、日本に、じゃあ、ビザの関係もあり、でも、まあ、もともとね、期間を決めてっていうのをね、やってた、頑張ったっていうところもあって、
日本に来てからは、どういうこう、まあ、今後のキャリアというか、どういう方向性で、今までの経験を生かしつつも、
21:00
どういう方向性でも、仕事をしたいとかっていうのは、決まってますか?
そうです。今後かな。
今後ですね、結構悩んでるところもあって、まあ、ただ、クライアントワークっていうのもすごい好きなので、
多分、今後もずっとやっていくと思うんですけど、
ちょっと、なんか、大学院とかにも行きつつ、ちょっとそこで、
大学の時が、
うん。
学士論文っていうのを書くことがなかったんですよ、結局。
あ、そうなんだ。
で、自分の研究、これやった、みたいなやつがなくて、なんか、ちょっとその辺が、なんとなく、まあ、コンプレックスじゃないですけど、
やりたいっていう欲求が最近すごい強くて、まあ、なんか、新しい知識とか、体系っていうのをちょっとこう、自分なりに見つけて、
まあ、広げていくのも一つだし、
いいかもしれないね、それは。
あっては、思ってますね。
そういう学級的な、
あの、部分っていうのは、やっぱり、こう、親とか、そういう親戚の影響もあるんですか?そういうところを突き進めて。
いや、あんまり、いや、親に勉強しようとか言われたこともないですし、まあ、でも、父親がちょっと、多分、やっぱ、なんか、自分でやりたいことを、
ああ、やってる。
やってるっていうのがあるので、まあ、その辺は似てるかもしれないですね。
うーん。
ね、ちょっとまた、大学でね、アカデミックでやるデザインと、またちょっと違う部分もあるじゃないですか。
はい。
仕事。でも、そこを少し、こう、一回深ぼってみたいみたいな。
は、ちょっとありますね。
うーん。深みをつけたいみたいな感じなんですかね、他の人には。
まあ、そうですね。
ない、なんか。
多分、僕自身がそこまで、なんていうんですかね、グラフィックとか、表現っていうところが、なんか、得意なデザイナーではないので、
そうやって、あんまり日本だと、こう、ちょっと違うタイプ。
うーん。
そして、まあ、売り込みにくいんですよね。
なるほどね。
あの、多分、需要もそこまでは多くないっていうところで。
うーん。
なので、
分かりやすい何か、シンボルがあるとは言っていたんですよね。
まあ、もう一つある。
はい。
そういう、専攻していたとか、研究していたとか。
はい。
だから、そういう深みがあるから、この人に任せてられるみたいなね。
はい。それは多分、一つ大きくある。
アソリティーがね、あるといいですよね。
はい。
なるほど。でも、その指向性もあってもね、その割とこう、そういうアカデミックな部分も。
あ、そうですね。
興味がね、あるっていうか。
もう、多分、仕事で使えそうなやつを、どんどん。
ね、どんどんどんどんと。
使っていってる。
最近、いろいろとこう、アウトプットもしてるじゃないですか。
はい。
ノートとか、Twitterとか。
はい。
ああいうところでも、こう、広がりができたりしてるんですか?こう、ネットワークとか。
あ、でも、少しずつ。
うん。
そうですね。なんか、読んでもらって。
うん。
反応とか。最近、夢見入ってから、結構、読んでもらえる機会が増えたので。
うん。
なんか、一緒に飲みに、こうやってやってもらえたりとか。
うん。
夢見には、実はこういう変なやつがいる。
紹介もしながら。
紹介もしながら。
されてたりとか。
紹介とか。
ちょくちょくある。
24:00
そう言ってる自分もね、変な人みたいな感じで思われてるっていう。
はい。
なるほどね。じゃあ、まあ、そのアカデミックの分野と、仕事の分野でも、こう、実績を見ながら、まあ、個人としては、そういう、どんどん発信していって。
そうですね。はい。
一人のね、こういうデザイナーとして、やっぱり、周りからも、こう、注目されるような形を。
まあ、そうですね。
一つやっていきたいっていう。
あとは、なんか、こう、今後、ちょっとやってみたいこととか、あったりしますか?
今後、というか、今。
イメミの中で言うと、なんか、ちょっと簡単に。
イメミの中だと、そうですね、2つありまして。
はい、その、宣伝もちょっと。
まあ、チームとしては、その、まあ、体系化だったり、まあ、プロセスだったり、手法のもとで、あの、まあ、お客さんにできるだけクライアント、あの、クオリティーに差分がないようにしていきたいなっていうふうに、業務標準化ですね。
っていうのを進めたいなと思ってるのが、1点と。
1点。
で、それの、まあ、派生で。
うん。
まあ、そういう、全体的な、こう、イメミのメンバー全員の、あの、もっと学習のサポートみたいなのができる。
うん。
と、個人個人が持ってる、こう、知識っていうのが、すごいユニークなものがある。
うん。
それを、みんながこう、講師になって、みんなに教えて、逆に今度は教わった人が講師になって教えて、みたいなのを循環できるような仕組みを作ろうかなと思って、今、最近、イメミ塾っていう塾を立ち上げて、
うん。
1年ずつ活動してる段階ですね。
この間の週末に行ったロジカルシンキング。
はい。
の、ワークショップはその一環ですか?
その一環ですね。
うん。
イメミ塾だと、いろんなこう、トピックとか、まあ、設計手法だったりとかを、まあ、有志で今、基本集まってやっていて、各プロジェクトとして、あの、進行していて。
うん。
で、ロジカルシンキングがその一つで。
うん。
僕の、あの、同じチームのチームメンバーの方が、
うん。
協力されてやってるんですけど、そんな感じで、他の人に体験してもらいながら、あの、他のメンバーに広めてもらって、こう、ネズミ商法とかも参加してくれて。
確かに。なんか割とね、評判っていうか、すごい、参加者も多かったし。
あ、そうですね。今回のは、まあ、外部の講師の人もいらっしゃいしてたので、なので、まあ、デザイナーとか、エンジニアとか、営業とか、こう、垣根なくみんなで学習できるような、まあ、仕組みにしたいなと思ってますね。
ね。
うん。
そう、ロジカルシンキングって、なんか、なんとなくこう、なんとなくこういうもんだろうなっていうのはみんな分かってても、じゃあ、あれ、今までそういうものを、こう、専門的な人から、がっつりワークショップ含めて教わった経験ってあったっけ、みたいな、振り返ると、まあ、ないじゃないですか。
ね。
意外に。
意外にない。
あれ、日本のどこかの、まあ、国語とかはね、あるけれども、そういうフレームワークに沿ってなんかね。
そうですね。
意外にないな。
27:00
意外と。
多分、それをみんなでやるっていう経験はないと思うんですよ。
ね。
なかなか。
本で読んだことがある。
うん。
ある。
そう、ちょこちょこね、こういうフレームワークとか、なんか、いろいろ聞きかじったりとか、あ、なるほどって頭で理解することがあっても、いざね、そこに向き合ってやるって、ないから、あ、これを機会にっていうので、結構人気があったんじゃないのかなと思ってて。
そうですね。
そういうもの結構たくさんあるよね、意外に。
意外と。
意外とありますね。名前は知ってるけど、結局、やったことないわ、これみたいな。
なんかね、これを機会になんか、ね、やっとくと、ノリをくれずに済むみたいなね。
そうですね。
うん。教えてくれる人がいるだなみたいな感じで、土日、土曜日っていうかね、週末にもかかわらずね、みんな参加してすごいなと思って。
あれは嬉しかったですね。
うん。
っていう活動?いみみ塾っていうところ。
塾はまあ、そんな感じでやっていて。
今はまあ、社内向けとかですけど、今は社外向けとかで、少しずつ外の人を巻き込みながら、ゆめみにはこんな人がいるんだよとか、こういう考え方があるんだよとか、別にビジネスマンとか学生とか限らず、巻き込んでいけると。
確かに。
そのゆめみ、グロービルゆめみみたいな。
本当にこいつらなんかやったら、楽しそうにね、学んでるなみたいな感じが伝わるといいですもんね。
そうですね。
そっか。
今年に入って、その、ラーニングアニマルっていう称号を頂いたので。
確かに。
そんなに恥じぬように、その、ラーニングアニマル病を。
病を。こいつらやべえ奴だと思って。
ばらまいてくれないと思って。
最後に、あれですかね、なんかこう、プロフィール、プロフの方を見ていると、結構、あの、仕事に繋がるものも趣味的に。
あったりする中で、何ですかね、趣味っていうと、こう、カフェ巡り。
あ、趣味は、まあ、カフェ、カフェか、本を読んでいるか、本のスクショを撮って、友達に送って。
なにそれ。スクショ撮る?
スクショ撮るみたいな。
友達に送るんだ。
友達、友達っていうと、まあ、あの今、一緒に働いてる同僚とかに送って、これやばいみたいな、面白いみたいな。
ちょっと喋ろうぜみたいな感じ。
喋ろうぜみたいな感じで。
なんかこう、でも見てると、趣味とかね、あの、たぶんあれですよね、映画とかコメディとかのステップ書いてるけど、これ、あの、海外のドラマとかを見てるってことですよね。
映画はそうですね、コメディ、コメディ大好きで、ビジュアルコメディっていうのが好きで、あの、エドガー・ライトっていう映画の、まあ、あの、ディレクターがいるんですけど、その人のこう、編集の仕方とか、映像のフレームの撮り方みたいなのが面白くて。
いいですね。
それで笑っちゃうとか、コメディ、あとは、TVドラマとかで、こう、シットコーンとか、日常系の、まあ、アニメでもなんですけど、こう、繰り返し繰り返し起きてる中で、こう、なんていうんですかね、現れる、こう、素朴な面白さみたいな。
30:12
へー。
こう、見てて、こう、疲れない面白さみたいな、こう、結構楽しいですね。
なるほど。
なんかこう、すごくいいなと思ったのが、全般的にその遊びも、こう。
へー。
仕事を遊べないように楽しめてるし、遊びの中にも、仕事に繋がるような発見をうまく、こう、作ってたり、まあ、英語のね、その、ドラマとか、コメディとかもそうだと思うんですけど、英語の、やはり、学習、維持にも繋がるし、で、こう、一方でさっき言ったように、こう、ずっとね、詰めて、こう、わーって、一歩ずつ、こう、頑張っていく部分があるけど、ちょっと、こう、リラックスするみたいな感じで、カフェ、カフェとか、コメディとか、そういうのね、こう、ちょっと、自分なりに、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう。
ちょっと、自分なりのリラックスっていうところも、織り混ぜて、うまい具合に、なんか、やってるなって。
オンとオフにも、こう、両方、なんか、それなりの情報があるみたいな、なんか、不思議な、行ったり来たりしてますね。
ね、うん、なんか、大学の時もそうだけど、なんか、大学でアルバイトもしながら仕事に繋げつつ、ね、そういう、うまいこと、なんか、こう、うまいことやってるな、みたいな。
その、うまいこと。
うまいことやってる。
うまいことやってるな、みたいな。
そういうのが、ありますね。言われると、確かに。
意識してね、そういうのやってるのか、分かんないですけど、なんか、うん、ちゃんとオフをうまく。
そうですね。
作り込んで、設計してるなという。さすがデザイナー。
嘘、適当でしょ、デザイナー、実は。
結構適当なところはありますけど、はい。
という形で、なんかね、あの、とはいえ、まだ何歳でしたっけ。
いや、まだ25歳。
ね、また周りの人が聞いたら、嘘やん、みたいな。
もう、プロフェッサーやろ、お前、みたいな。
35歳以上でしょ、みたいな。
純教授ぐらいでしょ、みたいな。
言われないな、もう。
それしか言われない。
言われるよね、絶対。
えぇ、みたいな。飲み会に行った時とか一番びっくりされますね。
30代ですよね。
ですよね、もちろん、みたいな。
いや、いいと思います、そういう、あの、さっき、オーソリティをね、権威を作っていくっていう意味では。
まあ、ちょっとずつ。
その、武器ですよ、武器。
はい。
お客さんどこに行っても。
お客さんどこに行っても、この人、なんか、できそう、みたいな。
実はね、あの、年齢は、っていうのは、後から知る、みたいな。
そうですね。
いいかな、と思いましたね、はい。
じゃあ、今日は、あの、そういった、野田村さんの、留学から大学、仕事、ね、それから今後っていう形で、いろいろと、お話の方をしてもらって、
耳塾に関しても、ちょっとね、アピールの方をしてもらいました。
すいません。
ありがとうございました。
逆に立つ話がしたら、わかんないですけど。
いや、面白かったよ。
ありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
失礼します。
ありがとうございました。
32:56

コメント

スクロール