2024-06-01 37:15

番外編 16:松立美香(CPB-Certified Professional Bookkeeper) おまけのおしゃべり?

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過ぎてしまえばあっという間だから。実は待ち遠しくて楽しみでワクワクドキドキしてる時間の方が大切にすべきなのかと思ったりしてそれって不確実な未来を楽しむ能力だなとか訳分かんないこと考えてる金曜の板倉です、こんにちは。

先週までのVol.301 〜 Vol.304 の4回にわたって配信させていただいた松立美香さんとの収録でおさまりきらなかったおしゃべり部分を公開!なかなか破茶滅茶、怖いものなしの20代!って感じのパワフルなエピソード。

それでは、お楽しみください!

投稿 番外編 16:松立美香(CPB-Certified Professional Bookkeeper) おまけのおしゃべり?1%の情熱ものがたり に最初に表示されました。

00:01
1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また、各協会のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
こんにちは。
1%の情熱物語、今日は番外編、16回目の番外編になりますが、
ちょっとだけ最近読んで面白かった本の紹介をして、
あと、この4週にわたってインタビューさせていただいた
松立美香さんの番外編ですね。
カナダ、モントリオールにワーホリで行って、
語学学校に行って、
会計士を目指すまでのちょっとはちゃめたストーリーみたいなのが
後半に流させていただきたいと思いますけども、
ちょっとね、最近読んで面白かった本が、
これ多分知ってる人も多いと思うんですけど、
というのが本屋大賞を受賞していますので、
2024年本屋大賞、ナルセは天下を取りに行くっていう本なんですけど、
それが多分大賞を取ってて、次に出てるのが
ナルセは信じた道を行くっていう本で、
僕がちょっと今ナルセは天下を取りに行くを読み終わって、
ちょっと1週間前ぐらいですけど読み終わったところで、
なんか痛快な感じですかね、すっきり爽やか面白い。
さらっとというか軽快なリズムで読めるし、
中学生、2年生のナルセ、
アカリさんという方が主人公で、物語は始まっていくんですけど、
いろんな場面、切り取り方をしていて、
滋賀県のですね、琵琶湖の近くの滋賀県の
大塚っていうところのお話で、
青春小説と言っていいと思うんですけど、
03:00
我が道を行くというナルセ、アカリさんの
痛快な生き様を表している小説で、
なんか僕も年取ってきて、
そういう、なんていうのかな、
誰の目も気にしないで我が道を行くみたいな
勢いが減ってきてるなって思ったりする時もあるので、
怖さもあったりね、いろんなことを知りすぎてるのも
かもしれないっていうのもあるかもしれないですけど、
多分そういうことを感じているおじさんも多いと思うんですが、
まだまだやらなきゃいけないぞと、
やりたいことをやればいいっていうのを、
やっぱりそれは経験値になるし、
難しくって言うか、考えなくていいと思いました。
ぜひ勢い欲しいなっていう人はこの本を読んでみて、
刺激を得られると思います。
ナルセは天下を取りに行く。名前もいいですよね。
僕も次のナルセは信じた道を行くを
今から読んでみたいと思ってます。
今から松立美香さんの、
カナダで会計経理代行をサービスとしている事務所を
運営している松立美香さんの番外編のお話を
お楽しみください。
松立美香さんの番外編は、
18歳高校卒業して1人だけ、
みなさん仲間の他の生徒たちは進学する中、
美香さんだけ就職して、
花の覆える生活ですか、このバブリーな。
毎日飲み歩くという。
カナダはどこですか。
カナダは最初に入国した、
空港に飛行機でカナダに入ったところは
モントリオールという街、東の方の街に入ったんですよね。
それはバンクーバーではなくモントリオールに行ったんですよ。
そのあたりも板地で、
板地食がもう出まくりですね。
自分が行きたかったのは、本当に行きたかったのは
06:01
アメリカなわけなんですよね。
でもアメリカに行くっていうきっかけっていうか、
どうやったらアメリカに行けるかっていうのが
その時はわからなかったから、カナダに行ったら隣の国で近いから
という感覚なんですよ、私からしたら。だからカナダに行きたいではなかったわけですよね。
まあ、しゃあないからカナダに行こうっていうところで、
じゃあカナダに行ったらどこに行くって言っても
ピンとこないわけですよ。
みんなカナダって言ったらバンクーバーに行くんですよ。
バンクーバーっていう名前が嫌いだとかわけのわからないことを
言われるっていう名前がかっこいい。だから私はモントリオールに飛ぶんだみたいな。
っていう感じでモントリオールに行くんですよね。
で、モントリオールに行ったら
ケベック州っていう州なんですけど、
カナダは英語とフランス語、2カ国語が公用語の国なんですね。
で、ケベック州っていうのはその中のフランス語圏という
言われているフランス語がとても強い州なんです。
なので、空港降りたらいきなり
英語がないんですよ。出口がどこかがわからない。
EXITっていう文字が見当たらないんですよね。
どこに降りちゃったんだろうって感じですね。
で、そんなことぐらい調べとけよっていうことを毎日飲み遊んで
カナダ行くぞ、イエーイ!って来てるから知らないんですよね。
出口がどこかもわからない。
で、フランス語でしゃべりかけられるんだけど、
英語が聞き取れないって自分の中では思ってるわけなんですよ。
フランス語なのに英語だと思って。
そういう中で一人で空港に降りて、
せめて一泊目泊まるホテルぐらい決めとけばよかったのに、
行ったらなんとかなるわと思ってたので、ホテルも決めずに行ったんですよ。
当時、地球の歩き方っていう、
ワーホリー全員が持ってた教科書みたいな本があったんですけど、
僕も持ってました。
地球の歩き方カナダっていう。
ないですないです。1996年ですから。
地球の歩き方カナダっていう本一冊を持って、
09:01
そこにドミトリーとか、
安いホテルの名前が載ってるわけですよね、住所とか。
それを持って、ここに行きたいって言ったら、
多分空港着いたら、タクシーかなんか。
いろんな乗り物とかがあると思うじゃないですか。
と思って行ったら、空港降りたら、夕方6時ぐらいだったんですけど、
ちょっと薄暗くなり始めてて、誰もいないし、
めっちゃガラーンとしてるんですよ。一人一人いないみたいな。
両外所の人もガシャガシャガシャってシャッター閉めかけようとしてて、
もう閉店みたいな。どうしようってなって、
どこ行ったらいいかわかんないし、全然わかんないみたいな。
両外所の閉めかけたシャッターの人に、すいません、
ここに行きたいんですっていう本の住所が書いてある、
安いドミトリーみたいな、安いホテルが載ってるページを、
両外所の人に見せようと思うんですけど、両外所って
ガラスのみたいな、ガラス張りの囲いがあって、
喋れるところも、ちょっとだけ穴がプツプツって開いてるところから
喋る程度しかないわけじゃないですか。それ越しに、
こっちは本を片手に必死で見せて、向こうも何か言ってくれるけど
私わかんないし、よくわかんないけど、とりあえず
あっちに行けみたいな、タクシーあっちだみたいなことを言われたような、
指を指してあっちって言われたので、とりあえず指の向いてる方向、
あっちかと思って、あっちに行って、あっちに行って、とりあえず
誰でもいいから、人がいないんですよ。
タクシーみたいな人がいたから、その人にここに行きたいって言って、
私があんまりにも何もできない小娘で、その時21歳だったんですけど、
もう誕生日もあって21歳になってたんですけど、
21歳の小娘が、大きいスーツケース持って、
泊まるところもなさそうで困ってそうだから、
いろんな人が助けてくれましたね。
タクシーというかバスみたいな感じだったのかな、
バスまでも大きくないけど、あい乗りで10人くらい乗っけて、
シャトルバスみたいな感じのやつに乗って、
スーツケースとかも全部フロントデスクまで
おじさんが運転席から降りて持ってってくれた。
めっちゃ優しいですね。
その受付の人にも何か言ってくれてたような気がする。
12:03
こいつ多分、英語しゃべれないしフレンチもしゃべれないから、
泊まらせてやってくれみたいな。
そう、多分そんな感じで。
それがLAとかニューヨークとかだったら、
もっとやばいことになったかもしれないですね。
もうこの世に私はいないかもしれない。
そのワガホリは働いてたんですか、その期間は。
その期間は、一応そうやってカナダに行く気がないとは言えども、
カナダに行くから、ある程度予定は立てて、
とりあえずモントリオールという町の名前が響きが好きだったから、
モントリオールに行こうと思って、そこに1ヶ月行って、
その間はブラッとしようと思ってたんですよ。
ちょっと日本でバタバタ忙しい生活してきたから、
ちょっと1ヶ月ぐらい何も決めず、ぼーっとするんだと思って行くんですけど、
まあその寂しいこと、今となればぼーっとし方が分かっているから、
ぼーっとする時間があったら嬉しいんだけど、
その当時とかって知らない土地で、たった一人ぼっちで、
誰も私のことを知らないところで、ぼーっとしろと言われても、
ぼーっとするしかないところで、ぼーっとしろと言われることが苦痛で苦痛で、
すごいつらい、つらかったですね、あの時ね。
で、その後、
うちだったらほら、動きたいしね、もっと知りたい。
そうそうそうそう。
でも誰に連絡するもないわけじゃないですか、
今だったら携帯があるから、
SNSでLINEで友達に暇とか言って何もすることないとか言って送れるけど、
当時はそんなものもないし、
国際電話を親に無事着いたってかけるだけでも、
なんか、テレフォンカードが、
どうやって電話かけてたのかな、今も覚えてないけど、
結構難しかったですよね、国番号を入れて。
アロカンに来てね、なんか。
そうそうそうそう。
ありましたね。
で、そんなんだったから、
結構なんか、本当に身近に隣にいる人と話ができなかったら、
誰とも話ができないみたいなぐらい、
繋がりがない時代だったから、そうですね。
で、そういう中で、モントリオールで過ごし、
その後、適当にそういった安くで泊まれるようなところに泊まってるから、
ビルボード、掲示板のところにいっぱいいろんな情報が貼ってるんですよね。
15:06
コミュニティで、日本人のこういう会がありますっていうのがあったりとか、
図書館で何かやってますとか、美術館で何かやってますとか、
家も探さなきゃいけないから、
ワンベッドルーム500ドルで貸し出しますとか、
そういうのを毎日毎日見て、
ここに今日は電話かけてみようとか、ここに行ってみようみたいな感じで、
そうやって適当に暇をつぶすかのように、
いろんなところに顔を出してはいろんな人と知り合っていくんですけど、
そうしているうちに1週間か2週間、
1週間ぐらいしたら適当に友達ができたのかな、
仕事もあんまりにも暇だから、ちょっとやってみようかなと思って、
日本食のレストランでバイトもしたんですけど、
2日ぐらいで辞めちゃったんですよね。
ちょっと日本の企業っぽかったっていうか、
せっかくカナダまで来たのに、何か日本の企業みたいな感じで、
私はそんなことをやりに来たんじゃない、みたいな感じで、
もうすぐ辞めちゃって、
その後、語学学校に行こうっていうのはもともと決めてたので、
5週間ぐらいの大学、4月にワホリ、
私、モントリオールに行ったんですけど、
4月にワホリに行ったんですけど、
5月の半ばぐらいから大学生とかって、
もう夏休みに入っていくのかな、
キャンパスが開くところが語学学校になるんですよね。
住み込みの住み込みっていうか、
全寮制みたいな感じの語学学校があって、
それはニューブランズウィッグ州っていう、
またケベックよりももう一個左側の州、
そこは英語圏なんですけど、カナダにある、
そこの語学学校に5週間行こうって決めてたので、
とりあえず住むところも一緒に確保されてないと、
住むところもないわけじゃないですか、
実家から通うとかっていうわけじゃないので、
そこに申し込んでて、それが始まるから、
今度は学校に行って、
全寮制の学校に入るんですけど、
これがまた厳しい学校で、母国語禁止なんですよ。
そこに日本人も3、4、5人くらいは、
2、3人はいたのかな。
ほとんどの人はケベック州から来るフランス語圏、
カナダの中のフランス語圏に住んでる人たちが、
18:00
英語を学ぶために来るのが、
メインになっているような学校だったんですよ。
なので、夏休みの5週間とかみたいな感じで、
隣の州からたくさんのフレンチカナディアンと言われる、
カナディアンの同じ歳ぐらいの高校生、大学生ぐらいの
子どもたちがいっぱい来る学校で、
その人たちもフランス語はしゃべっちゃって、
日本人は日本語しゃべっちゃダメみたいな感じで、
母国語は一切禁止の学校で、
夢も英語で見ろと。
どっかで手をバーンってぶつけたら、
痛いじゃなくてアウチって上みたいな。
上って言われてもなかなかあれだけど。
そう、徹底されてて。
そこで、英語しかしゃべっちゃいけない。
全寮制で英語の学校だから、
何か言わなきゃいけないわけですよ。
朝昼晩って、ご飯も食べなきゃいけない。
カフェテリアみたいな、学食みたいなところで、
ご飯も食べなきゃいけないし、5週間もあるし、
同い歳の子たちが、何百人っていましたね。
何人いたんじゃないのかな、生徒が。
ワイワイして楽しいんだけど、
そこで英語を学ぶんですが、
英語を学ぶっていうよりか、
厳しい中で、英語しかしゃべっちゃダメって言われて、
じゃあ英語がしゃべれるのかって言ったら、
人間そんなしゃべれなかったものが、
できるものじゃないじゃないですか。
閉めつけでは能力が生まれ出すっていうものではないので、
できないものは、いつまで経ってもできないわけですよ。
できることが、今まで表に出せてなかったものが、
出せるようになるだけなんですよね。
なので聞き取れない英語は、
聞き取れない英語は、ちょっとずつ聞き取れるようになってくるかもしれないけど、
聞き取れない英語の単語は、わからないままなんですよ。
どこまで言ってもわからないままなんですよね。
なので、そんな単語は使えるようにはならないんだけど、
自分の知ってる単語しか使えないから、
自分の知ってる単語をとりあえずひたすらしゃべり続けるっていう訓練にはなるんですよ。
そのときに、その学校で学んだことは、
英語を学んだというよりか、
相手が何を言ってるのかは、私と知ったことではない、わからない。
でも私の言いたいことはこうだっていう、
自分の自我みたいなものが100%表に出て、
21:00
対話にならないわけだから、
向こうが言ってることがわからないけども、
私はこうだみたいな、向こうが何か言ってくるんだけど、
よくわかんないから、わからないけどこうだみたいな、
その会話が成り立てたのかどうなのかは、今となってはわからないけど、
とりあえず、間違ってもいいし、わからなくてもいいけど、
とりあえずなんでもいいから、しゃべらなきゃいけないっていうことを学んだんですよね。
しゃべることが恥ずかしいじゃないですか、日本人って。
しゃべったときに間違えてたらどうしよう、
間違えてたら恥ずかしい、
間違ったことを言ったらもうダメだみたいな感じで、
思うからしゃべれなくなるじゃないですか。
そこのからはもう100%出ましたね。
恥ずかしがってないで発言をするっていう能力がついたと。
そうそう、間違ってたら間違ってるよみたいなことを言われるわけじゃないですか。
じゃあ仕方がないから間違ってたんだみたいな感じで言い直すとか、
そこでなんでもいいからとりあえず自分のしゃべれることを、
単語と単語をくっつけて文法とかもどっちでもいいんですよ。
なんでもいいから言っちゃえみたいなっていう。
なるほど。
っていうことを学びましたね。
ありがとうございます。
じゃあちょっとね、そこから会計師になるまでの道のりがまだ長そうなんですけど、
時間がね、結構狭くていてですね。
とりあえず会計師になるきっかけは何だったんですかね。
そうですね。
会計師になるきっかけはやっぱり最初に就職したときに、
経理部に入りたいと思ってたけども入らせてもらえなかったっていうので、
やっぱり仕事、ワーフリーのときはそうやって学校にも行ったり、
ちょっとバカなことをしたり、
泊まるところも見つけずいきなりカナダに飛び込んでて、
語学学校に行きました。
その後ファームステイをしたりとか、
スノーボード大好きだったスノーボードとかでウィスラーに住んだりとかして、
そこで経験を積むわけですけど、
ワーフリーって1年間で終わるプログラムなので、
その後最長で私も観光ビザに延長したけど、
1年半、18ヶ月で国を出なきゃいけないわけですよね。
もうビザがないので。
なので、日本に帰ってくるってなって、日本に帰ってきて、
そこから数年はまたカナダに遊びに行ったりとか運ながらあったんですけど、
とりあえずそんなバカなことをしているのも、
24:02
もうそろそろ期限切れかなっていうところで、
2年、2年半ぐらい、
そうやってカナダで遊んで、
日本でちょっと真面目に仕事でもしてみようかってなったときに、
就職する先を探すわけですよね。
で、その時はもうバブルもはじけて、
就職なんがもう一番ひどく始まってた時だったんじゃないかな。
正社員がもうみんな細って首を切られて、
派遣社員、派遣社員って言って、
契約社員がもういっぱい、
採用されている時期で、
日本でもう正社員で仕事に就くのは無理だよと、
仕事が欲しいんだったら契約社員になった方がいいよっていうことで、
人材扱い会社みたいなところにまず登録しなきゃいけないんですよね。
自分の履歴書を書いて、
自分は何ができます、どんな職歴があります、
こんなことできます、みたいなことを書くんですけど、
自分の履歴書を見た時に、
18歳で高校卒業してOL3年やって、
2年ぐらい海外で遊んできましたっていう人の履歴書の薄っぺらいこと、
もうね、普通免許書ぐらいしか書くことがなくて、
何にもないんですよ。
で、自分の中では、
私はもっとできると思ってるのに、
全然評価されないわけですよね。
その薄っぺらい紙切れ一枚を持って、
仕事を探しています、私は何でもできます、みたいな顔をしていても、
ああ、まあね、みたいな。
ワンフォリーって何してたのって、
今話したような家庭のことしかしてないので、
大したことしてないわけですよ。
英語はどれぐらい喋れるの?英語はどれぐらいできるの?って言っても、
もうそんな通訳ができる程度、
喋れるとか、
もうトイックでも900点取れるとかっていう風だったら、
英語できるのねっていう、
ちょっと見てあげてもいいかな、だけど、
そんな日常会話で、
とりあえず、
相手が何言ってるかわからないけど、
自分は英語で何かわかること喋り続けられます、みたいな、
英語力なんてどこも相手にしてくれないわけですよね。
で、そこでぶち当たるわけですよ。
やっぱり、
そこからさすがに大学に行こうとは思わなかったわけですけど、
その時に、やっぱり資格かって思ったんですよね。
で、
経理の仕事もしたいし、
資格がやっぱ必要なんだな、みたいなことを考えて、
でもまた今度どこから始めたらいいかわからないっていう中で、
たまたま派遣会社も10社ぐらい登録してたのかな、
登録してる中で、
一人の派遣会社を経営している女社長の方だったんですけど、
27:04
その人がすごい私のことを気に入ってくれたんですよね。
で、
私をすごい圧戦してくれてて、
ちょっと私があなたに経理の仕事がしたいんだったら、
私があなたに経理の仕事を見つけてあげるわ、みたいな感じで、
大阪の岸和田の近くの鉄工業の会社だったんです。
鉄工廠の会社だったんですけど、
そこが経理を募集してるから、
あなた、あそこ行きなさい、みたいな感じで、
で、圧戦してくれるわけですよ。
で、でも私経理の経験ないから、
履歴書には経理の職歴はないわけなんですよね。
で、その社長と、
経理の仕事を見つけてあげるわけなんですけど、
で、その社長と、
その会社の経理部長の方が、
その方がまたいい人で、
で、またたまたま、
私の近所のおっちゃんだったんですよ。
同級生で、1個年上の、
近所に住む、1個年上の息子さん。
それは、
その息子さんがとても賢い息子さんだったから、
息子さんのことは多分、
同じ住宅地の中で全員してたんですけど、
全然顔見知りではないんですけど、
東京大学に合格された息子さんだったんですよね。
東大に行ってた人で、
だから、近所では有名だったんですよ。
あそこの息子さん、東大よかったで、みたいな感じで。
で、そこの息子さんのお父さんが、
そこの経理部長だったんですよね。
で、私からしたら、
金網のおっちゃんや、みたいな感じだったんですけど、
向こうは知らなかったけど、
同じ住宅地に住むそんなんで、
っていうところを組んでくれたのかわからないけど、
経理の事務も教えたらできることばかりやから、
事務職の経験が昔あるんやったら、
それでいいよって言って採用してくれたんですよ。
そこがきっかけで、経理の事務をすることになって、
始めるんですけど、
結局、事務作業って言っても、
一部しか見ないわけなんですよね。
あなたの事務作業はここだけ、みたいな感じで、
でもすごい面白くて、
いろんな人にも質問して、
なんでこうなん?なんであれなん?って言って、
で、経理のことも全然わからなかったけど、
そこで経理の質問とかもいっぱいして、
募金みたいな感じの勉強を、
部署の中でいろいろ教えてもらったりとかして、
で、やっぱ経理面白いなって、
やっぱ私がやってみたいなって思ってた仕事、
ここかもしれへんって、
なんとなく自分の中でつながっていくんですよね。
そうやって経理を楽しんでる中で、
30:01
ある日、朝日新聞に来て、
朝日新聞の見開きを見たら、
米国公認会計師、世界で仕事するんやったら、
この資格が今一番光ってるみたいな、
そういうデカデカした広告が出てたんですよね。
で、そこで、米国公認会計師、
海外に行って経理の仕事ができたら、
それは私の仕事やん、みたいな感じで、
そこに来て、
で、もうこれしかないって思って、
その学校に申し込んで、
オンラインの学校だったんですけど、
そこで当時はビデオテープですよね。
今みたいにそんなオンライン発信があるわけじゃないんで、
ビデオテープがガッサリ家に送られてきて、
それをカチャンって入れて、
早送りとか巻き戻しとかしながら。
2000年くらいかな?
2002年くらいかな?
2000年くらいかな?
2000年前後、もうちょっと前。
えっとね、2000年前後ですよね。
それくらいだと思います。
それで、米国公認会計師の勉強を始めて、
そこからは足を突っ込んでしまったから、
抜けられないっていうやつですよね。
結局5年かかって、その資格を取るわけなんですが。
そうですね。
めちゃくちゃ勉強しましたね。
日本にいながら勉強したってことですよね。
最初は日本にいながらにして勉強して、
その経理部署をあっせんしてくれた派遣会社の社長も、
そこの派遣会社には結局半年派遣でいたのかな?
1年くらいはいたのかな?
でも1年くらいしかいないんですよ、結局。
その契約で更新更新していくわけですけど、
多分半年くらいの契約更新で2回更新して、
多分1年くらいでやめて、
次は私は税理士事務所に行きたいって言ったのかな?
向こうが税理士事務所とかで働いてみないかって言ってくれたのかな?
たまたまそれは社長の家族つながりだった事務所のつながりなんですけど、
そっち側にあっせんしてくれて、
大阪の税理士事務所で働くことになるんですよ。
そこに2年いたんですけど、
そこの税理士事務所で今度は税理士の事務作業をしながら、
アメリカの公認会計士の勉強をオンラインでするっていうのを2年続けて、
2年経ったところで、
33:00
その時に付き合ってた彼氏、今の夫ですけどがいて、
それがもともとカナダに最初にワーホリデ行った時に、
ウィスラーで知り合った彼氏だったんですよね。
そのままずっと続いてて、
遠距離だったり、向こうもワーホリデ日本に来たりとかして、
遠距離と一緒に住むを交互にしながら、
なんとか遠距離も続いて6年ぐらい付き合ってたのかな。
でもさすがに税理士事務所も2年勤めた後で、
3年目になってくると自分の中で、
だんだん私の責任が大きくなってきてるかもっていうところが見えてきて、
このまま日本でここで仕事を続けるのか、
それか彼氏とのことも結婚するのかという話もチラホラ出てきてたので、
どうするのかってなったところで、
結婚するんだったらことぶき大社っていう綺麗な名目、
26歳ぐらいだったのかな、私も。
それで退職できるけど、相手が結婚する気がないんやったら、
もうその彼氏とは別れて、日本の税理士事務所で働き続けようと思ったんですね。
そこでその当時の彼氏に聞いたら、
よっしゃ、ほんじゃ結婚しようやってなって盛り上がって、
じゃあ結婚しようってなって、その税理士事務所は辞めるんですよ。
で、カナダに戻ってくる。
そのままでも米国公認会計士の資格の勉強は続けるっていう形で、
そこからカナダの生活が始まるんですけど、
で、そのまま仕事は辞め、
で、カナダに結婚してやってきたのが2002年、
22年前ですか。
なるほど。
独立は2003年に到着した?
独立したのは2011年です。
あ、11年。
それまではほんまのところで働いてたんですか。
そうそう。最初、結婚してカナダに来て、
でも最初はビザもないわけですから、そういった申請云々をして、
米国公認会計士に晴れて合格したのが2005年だったと思います。
2005年に米国公認会計士合格して、
それをもって地元の会計士事務所にアプライして、
36:04
そこで採用されて、そこでまた2年、
今度はカナダの会計士事務所で2年働くんですけど。
はい、皆さん番外編いかがだったでしょうか。
今日はね、もう5月も終わりっていうところなんですけど、
うちの前ではソフトボールの試合が行われており、大盛り上がりしております。
ちょっと僕は今からご飯、腹が減ってきたので、
ご飯を食べようかなと思っているところですが、
何を言うこともないんですけども、
いつも聞いていただいてありがとうございます。
それではまた6月も、この間収録終わったんですけど、
すごく楽しい収録になってますので、皆さん楽しみにしておいてください。
いんじゃれ!
37:15

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