1. アスカの毎日がHAPPYBIRTHDAY!!!
  2. #4 初ゲスト登場!台湾茶研究..
2023-12-18 32:49

#4 初ゲスト登場!台湾茶研究家 彩波さん〜前半〜

記念すべきゲスト第一弾です! 「この人無くして私の台湾留学あらず!」な台湾茶研究家 樺島彩波(かばしま いろは)さんにお越しいただきました。 私とのつながり、彩波さんと台湾について、なぜ今の道に進まれたのかなどなどた〜くさんお話していただきました!ということで今回は前半戦です。 みなさん耳の穴かっぽじって聞いてください〜!

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現役大学生アスカが聞いたあと『何かちょっと生まれ変わったかも?』とその瞬間から元気になれるようなマシンガントークをお届けします!

そんな仕事があるのか〜!こんなキャリアもあるのか〜!といろんな人生の選択肢をご紹介していきます⭐️

ポッドキャストでお話してくれるゲスト大募集中です!

話している人も聞いている人もちょっと元気になれるような場所を目指しております。


〜自己紹介〜

名前: アスカ

2022/9~2023/6 約1年間 国立台湾大学へ交換留学。中国語を中心に言語学・文学・社会学など幅広く勉強中。

台湾留学中に東日本大震災発生の際の台湾からの支援に対して感謝を伝える日台友好活動である«謝謝台湾»に参加し、第12回目の副代表を務める。

留学中に得た経験から、将来は女性や子どもをエンパワメントできる人になりたいと思っている。

趣味は料理すること・ラジオを聞くこと(話すこと)・読書・散歩・ときどきカメラ。

▶︎アスカのInstagram

⁠@asu_wan0077⁠

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00:02
おはようございます、アスカです。
アスカの毎日がHAPPYBIRTHDAY!!!、本日も始めていきたいと思います。
今回は、私のポッドキャスト第4回目となるんですが、
第4回目にして、記念すべき第1回目、何か分からない。
初めてのゲストをお呼びすることができました。
私のこのポッドキャストのテーマと言いますか、始めた理由が、
毎日が生まれ変われるような、これを聞いたらちょっと生まれ変われるような、
そしてちょっと元気が出るようなお話を、私のお話だけじゃなくて、
いろんな方にゲストに出ていただいて伝える、配信するっていうのが、
私のこのポッドキャストの目標でありテーマなので、
こうやって1回目のゲストをお呼びできたことが本当に嬉しいなぁと思っております。
今から、ゲストがお呼びして話を伺ってきた内容を配信というか流すんですが、
第1回目のゲストは、私の台湾留学をずっとサポートしていただいてて、
プラス、いろいろ話を聞いていくと、
こんなキャリアあるってびっくりするような方が、
こんな人が身近にいたかと改めてびっくりするような方で、
本当に素晴らしい女性です。
ぜひその対談内容、お話し内容を聞いていただければと思います。
結構ですね、たくさんお話ししていただきましたし、私もたくさん聞いてしまったので、
2回に、今回と次回に分けて配信したいなと思ってます。
ぜひよくよく聞いていただけると嬉しいです。
どうぞ!
本日は記念すべき第1回のゲストに来ていただきました。
第1回目のゲストを誰にしようかなとかいろいろ考えるにあたって、
私自身この人なくして私の台湾留学はなかったなと思う方に来ていただきました。
ではご紹介させていただきます。
かばしまいろはさんです。
お願いします。
そんな素敵な紹介されちゃったら恥ずかしくなっちゃう。
記念すべき第1回にありがとうございます。
かばしまいろはと申します。
いろんなことしてるんで自己紹介本当に困るんですけど。
03:00
それがすごいです。
今日の自己紹介はあすかさんつながりということで、
あすかさんと同じ大学の博士課程の大学院生ですとしておきます。
主には台湾のお茶の歴史の研究をしているんですけど、
私は社会人6年を経て大学院に進学したので、
自分でお仕事というか研究だけじゃなくて、
台湾茶の資格というのを持っているので台湾茶の教室したりお茶会したりしています。
すごいです。
私が台湾に留学に行ってすごい良かったなと思うのが、
いろんな選択肢の幅が広がったというか人生のって思ってて、
いろいろ考え直してみたときに、
いろはさんに私は一番最初に台湾留学の中で出会った人って言ったら一番最初に出会ってるんですけど、
出会った件はこの後お話しするんですけど、
いろはさんが一番こんな選択肢があるんやを見せていただいている方だなと私自身思ってて、
私なんか参考にして大丈夫ですか?
本当にすごいので、今からお話ししていただきたいと思います。
はい、恐縮です。
はい、ではまず私といろはさんのつながりからお話ししたいと思います。
先ほどちょっとお話しいただいたんですけど、
私の大学の先輩になりまして、
私が台湾に留学に行くって、交換留学で行くって決まったときに、
大学の制度、サポート制度みたいなので、いろはさんが私についてくださって、
台湾留学にこれ持って行ったらいいよとか、銀行口座の開設の仕方とか、
留学で台湾ではこういうことに気をつけた方がいいとかっていうのを、
LINEでお通していろいろお話はさせていただいてましたよね。
そうですね、薄手の服の方が乾きやすいからいいよとか言ってたのを覚えてます。
めっちゃ覚えてます。
あとなんか、台湾は湿度が高くて乾きにくいから、
布よりもポリエステロやら、プラスチック製の服の方が持って行くのに絶対いいよとか。
それ絶対に大事なんですよ、本当に洗濯物苦労するので。
苦労してました。
週1で洗濯物は回せるので回してたんですけど、毎回乾燥機にかけに行ってて、
でも乾燥機にかけても乾かないみたいな日も何回かあって、懐かしい。
06:05
私のアドバイスで一番役に立ったのはそれじゃないかなと思っているので。
いやいや、そんなことないです。
ご役に立ってよかったです。
ありがとうございます。
でも本当にそういう、ネットで調べるだけじゃあんまりわからないような、
それこそ蚊がいなくなるスプレーを持って行った方がいいとか、殺虫剤系とか、
やっぱり湿度が高いのでいっぱい虫もいるので、
そういう生活のこまごましたことを留学前は教えていただいてて、
プラス留学が決まって、だから2022年の9月に行くってことが決まったんですけど、
その前に私はちょっと中国語に自信があんまりなかったので、
半年間くらいオンラインで中国語レッスンをやっていただいてました。
お世話になっておりました。
こちらこそ楽しく授業させていただきました。
本当に週1で台湾の教科書とかそういうのをちょっと使って、
会話の練習とかさせてもらってました。
そのレッスンを受けてたので、やっぱり結構行ってから、
ほんまにこういうふうに質問されるんだとか、
これ言ってたわーとかっていうのが何回かあって、
本当に絶対レッスンやっててよかったなって思ってます。
本当ですか、そう言っていただけるとすごい嬉しいです。
私学部の時に留学した時にそういうのを何も受けずにぶつけ本番で行って、
泣く思いをしたので、その経験が少しでも役に立ってくるならすごい嬉しいなと思います。
本当にありがたいです。
で、私が渡航した後は、いろいろ行く前に台湾ではたくさん日本人もいるからっていう話とかもいろいろしていただいてて、
いろんな方とか紹介していただいた上で渡航して、
それからはあんまり連絡は取ることはなかったんですけど、
インスタグラムでつながってお互い、私もそれまでお茶会を開かれてるとか、
お茶の研究をしてらっしゃるっていうのは知ってたんですけど、
そこまでやってるとはっていうくらい本気で台湾茶に取り組まれてるのをインスタで拝見してて、
今もすごい台湾でお茶工場行ってるとか拝見しております。
ありがとうございます。
いろはさんも私のインスタとかチェックしてもらってて、
で、この前ほとんどオフラインで会ったことがなかったんですけど、
09:00
そうですよね。
そうなんですよ。
一回留学前に一回会いましたっけ?会ってないか?
会ってないです。台湾で一回会いましたでも。
あ、あれが初か。
そうですね。今年の1月に私が研究でちょっと行ったときに。
あれが、そっか。初めてだったのか、対面は。
そうなんですよ。
そんな気してなかったけど、そうですね。
そうなんですよ。
そんな感じで、帰国後もこの間お会いして台湾茶も飲ませていただいてっていう感じの関係なんですけど。
そんな関係はないですけど。
いけてるかな?
で、ここでですね、私はいろはさんにたくさん聞きたいことがございまして。
はい。
大丈夫ですか?
はい。
はい。じゃあまず、いろはさんは学部のときに一度台湾に行かれてて、
で、今も台湾とつながりを持ってらっしゃるんですけど、
どうして台湾に、台湾で何をされてたのかなって、
ちょっと大まかで、大丈夫ですね、キャリアをご説明というかお話しいただけると嬉しいです。
はい、わかりました。
台湾2回長期では行っていて、
1回目が大学生のときの語学留学で1年、
で、もう1回が台湾にお仕事で駐在で2年行っていました。
で、留学の方は、なぜ台湾かって絶対あすかさんも聞かれますよね、いろんな人に。
もうめっちゃ聞かれます。
なんで中国じゃなくて台湾なんてめっちゃ聞かれますよね。
どうですか、めっちゃ聞かれる。
その質問いいよってぐらい聞かれるんですけど。
私の場合は交換留学ではなくて、
休学して、自分で留学先を好きに選んでいくタイプの留学でした。
交換留学だと先に行く大学決めて、決まってると思うんですけど、
私の場合そうじゃなかったので、
1年留学行く前の年に、大学2回生、2年生の夏に、
中国に1ヶ月サマープログラムで語学短期研修に行ったことがあって、
それで、中国語って頑張ればできるようになるかもしれないっていう謎の感覚がありまして、
あなたなんか向いてるというか、好きというか。
で、1ヶ月行ってみてそんな感じだったので、
1年しっかり留学して中国語できるようになりたいなと、その時に思いました。
初めは中国の大学検討してたんですけど、
交換留学じゃないし、いろんなとこ行けるので、台湾も行ってみたいなと。
台湾語っていうか台湾の中国語って、
中国の方とは発音もちょっと違うし、漢字もちょっと違うし、
違います。
文化も全然違うと思いますし、
12:01
なのでちょっと台湾行ってみようかなと思って、
軽いノリで台湾って決めたんですけど、
なので一番初めの計画は、数ヶ月は台湾最初に行って、
それから台湾に引き続きいるなり、中国に帰るなりしようって思ってたんですね。
なるほど、そうやったんや。
そうなんですよ、交換留学じゃないし、
やっぱりこの中国語をやるなら中国本土の方がいいのかなっていう感覚がやっぱりちょっとあって、
分かります。
だったら1年台湾で先に決めなくてもいいかなっていう、
ちょっと優柔不断じゃないですか、流動的な感じで台湾に行ったんですけど、
初めはその知り合いのツテでホームステイをもう初めからしていて、
それも結構面白いですけどね。
台湾あるあるで知り合いの友人のツテみたいな感じで、
普段はこの留学生を受け入れてホームステイしているような家庭じゃない、
普通のご家庭にお邪魔させていただいて、
そのご家庭が本当に素敵な方達で、
すごい。
本当に家族のように接してくださって、
車で旅行に連れて行ってくれたりとか、
親族の集まりに連れて行ってくれたりとか、
おばかまいりまで一緒に行かせてもらったりしたんですけどね。
その家族のことが大好きになっちゃって、
それも大きかったんですけど、それに加えて、
2011年の2月の末から台湾に行っていて、
2週間、3週間ぐらい?
留学して1ヶ月経ったないうちぐらいに東日本大震災が起こったんですね。
このあたりで年齢がバレてきますけれども。
考えないように。
当時の、あすかさん確か小学生とおっしゃってましたね。
小学校3年生でした。
私大学3回生でしたけれども。
なので当時の台湾の日本に対する支援ってすごかったんですよ。
国を挙げて日本を応援するっていう感じで、
街角で募金活動してくださっている方が本当にたくさんいましたし、
私が日本人ってわかると、大丈夫?って応援してるよってたくさん声をかけていただきましたし、
そういう台湾の温かさというか、
ホームステしてたっていうのと東日本大震災っていうのを通して、
すごく台湾の温かさに触れて、台湾大好きになっちゃって、
あの日乗りで台湾に行ったのに、
ドハマリしちゃって、それで結局1年、留学の期間1年全部台湾で過ごしました。
15:02
っていうのが、留学先の決定の話ですね。
はい、ありがとうございます。
すごい、そもそもホームステの話に戻るんですけど、
台湾ってあんまりホームステとかなくて、
借りるなら自分の、自分で探して借りるっていう感じが主なんですけど、
それでね、そんな人に出会ってっていうのも、
でもこれもすっごく台湾らしいなって思ってて、
そうで、留学してお家を探すってなった時に、
知り合いが、母の知り合いが昔台湾で働いていたことがあったので、
母の友人の、友人の台湾人を紹介してもらったんですよ。
お家探しをするのに、中国語全然話せないので、
そうですね。
母の友人の台湾人に、お家探しを手伝ってもらう時に、
その友人の台湾人が一緒に来たんですよね。
はい。
台湾はあるあるで、初対面の場なのに、
友人、彼氏かもしれないっていうのあるじゃないですか。
あります、あります。
その時は両方女性の40代、50代くらいのおばさまだったんですけど、
で、一緒にいろいろお家を探してもらって、
やっぱり台湾って家賃結構高いじゃないですか。
台北は高いです。
台北、そう台湾じゃない、台北高いんですよね。
はい。
あんまり綺麗じゃないけど、そこそこ値段するみたいな。
します、します、します。
そういう感じですよね。
で、一緒にお家を探してもらってる時に、
いや、この値段でこういうところなんだったら、
うち来る?みたいな、そういうノリで。
で、母の友人の、友人の台湾人の友人が、
来てくれたその友人が、うちおいでよって言ってくださって。
すごい。
お互い会わなかったら、出てきていいし、
あなたも会わなかったら出て行ってくれていいから、
はじめちょっとうちに来てみる?みたいな、
そんな感じで誘ってくださって。
で、本当に素敵なママだったんですよ、その方が。
で、やっぱり中国語ができるようになるのってね、
日本語を使わない環境に行くのが一番かなと思って。
そうですね。
あの家庭は日本語も英語もそんなに、
日本語は一切できなくて、っていう家庭だったんで。
すごい。
これはこんないい話はないぞと思って、
入り着いた結果、1年結局私が座り、
今もずっと連絡は取り合ってて。
すごい。
ホームステのホームストファミリーの妹ちゃんの結婚式があったんで、
台湾に結婚式参加しに行ってました。
周り誰も泣いてないのに、私号泣しそうに。
18:02
どれだけ泣いてるんだろうね。
でも、その家族との出会いがあったからこそ、今もあるみたいな感じですよね、てことは。
そうですね。なので、普通にね、あすかさんみたいに留学されてはもちろん台湾大好きになったと思いますけど、
あちらに家族がいるって思うと、
はい。
なんでしょう、もう第二の故郷感が寄りますというか。
めちゃくちゃわかります。
本当にありがたい経験だったなと思いますね。
なるほど、なるほど。
すごいですね。ありがとうございます。
話が長くなるんですよ。
大丈夫です、全然。嬉しい嬉しい。
で、その1年の最初の語学留学の後は就職されたんですよね。
そうですそうです。普通に1年の語学留学だったので、
で、日本に帰ってきて普通に就活して、新卒で国立大学の事務に就職をしましたね。
で、そこだけ聞いてて、あ、そうなんですねってなって、台湾じゃどこ行ったみたいな話になるんですけど。
そうですよね。今やってることと全然違うんですけど、
台湾じゃは、ちょっと話が前後しますけど、台湾じゃは留学中に出会って、
で、もともと私茶道をずっと好きでやっていて、日本の表選挙で習ってたんですけど、
留学した時に、せっかく留学するなら言語だけじゃなくて何か文化もやりたいなと思って、
で、大極拳と、昔ちょっと武道やってたことがあって、大極拳と茶道をやってたので、
茶芸、台湾茶で迷い、で、大極拳朝早いから無理っていうことで台湾茶を選んだんですけど、
で、それで台湾にすごく、台湾のウーロン茶がすごく美味しくてハマって、
で、まあ、趣味の範囲でずっと帰国してやってはいたんですけど、
それをお仕事にするってね、なかなか難しいじゃないですか。
そう、だからお仕事にされてるっていう感じですけどね、こっちからしたら。
なので、なんか初めはお茶の売り屋さんとかもありかなと思いもしたんですけども、
やっぱりその、ちょっと公益とか公のために働きたいみたいな貢献したいという思いも結構あったのと、
やっぱり安定したお仕事っていうのを新卒の時は思っていたので、
普通に公務員系で選んで国立大学の事務をしました。
はい。
4年大学で勤めて、すごくやりがいもありましたし、コツコツした仕事って向いてたんですけど、
大学って、今はいろんな考え方があると思うんですけど、
一般的には何でもできる、幅広くできるジェネラリストが求められる傾向にあるんですね。
21:04
はい。
人事もできれば会計もわかったりとか。
なるほど。
そういう、大学事務って普通の公務員と同じなので、あらゆる事務仕事を、
全部。
そうそう、幅広い理解が求められると。
そっかそっか、なるほどなるほど。
それはそれでやりがいあったんですけど、
いろいろ考えると、私って何かの専門家になりたいなって、ずっとあってですね。
なるほど。
大学事務にいると当たり前ですけど、大学が職場じゃないですか。
はい。
ので、研究者の先生方と触れる機会とかがたくさんあって、
そこでやっと自分がこういうジェネラリストじゃなくて、何かのスペシャリストになりたいんだなっていうのがだんだんとわかってきて。
なるほど。
元々、
ジェネラリストじゃなくてスペシャリスト。
元々勉強好きだったので、大学院行きたいなって大学卒業するときは思ったんですけど、
特に何か研究できるものもないし、みたいなを思ってたんですけど、
やっぱ大学にいると大学院生とか研究者の先生とかを間近に接していて、すごい羨ましかったんですよ。
へー。
研究してていいなって。
で、私これ一生人を羨んでしまうのかなって、1年経ったぐらいで悩み始めて。
それから3年悩んだんですけど、で、やっぱり何かの専門家になりたいから、ちょっと違うの考えようかなって思いました。
すげー。
なんか安定職に就きたくて、公務員系選んだのにおいおいみたいな感じなんですけど、
でも、
ごめんなさい。
いいえ、ごめんなさい。
大学に、私その話を今日初めて聞いたので、大学に行ってたので働かれてたのは知ってたんですけど、
大学に行ってなかったらまた何かその大学院生の方とか教員の方とかと身近に接することもなかったので、
今のいろはさんはなかったのかなと思ったり、すごいなーって聞いてます。
そうですね。
あとね、民間企業とかですと、
なんかさっき話が飛んじゃいましたけど、台湾でアスカさんもしてたシェイシェイ台湾っていう、
そうです。
イベントをして、
これまたすごい話。
どうしよう、話が長くなっちゃうけど。
とりあえず後で。
後で。
イベントをしてたので、国際会議の運営の会社とか、
すごいなー。
イベント系にちょっと興味があったのと、
そういう国際会議とかだとちょっとこう、なんですか、公のに近い、
サミットの運営とかもいれば学会の運営とかもある、
そういう国際会議運営の会社みたいなちょっと興味があって、
そこから内定とかもらったんですけど、
24:01
でもやっぱり安定職がいいなと思って、
で、大学専門にしちゃったんですけどね。
そんなこんなでやっぱりスペシャリストになりたいっていう思いが強まってきたときに、
自分がなんか専門ですって言えるものが何もなかったんですよ。
で、私って何もこれが得意ですとか、これが専門ですって言えるものがないんだと思って、
いや、これはなんか私の目指している理想の人生じゃないとか思い始めて、
で、そこでじゃあ何が専門としてできるかなって思うと、
私の中で残ってたのがそのずっと好きで続けてたお茶、
サドルとタイマーチャと、あと中国語っていうの。
うんうん、そうや。
って言ってたんですよ。
で、結構私飽き性であんまり物事が続かないタイプだったんですけど、
その2つだけずっと残ってたんですね。
いや、てかもうそれしかなかったんですよ、消去法で。
いや、でもそれが続いてるっていうことですね。
そうそうそう、だからこれだけ続いてるって結局好きなんだなと思って。
で、中国語は台湾に1年学生の頃に留学しただけで、
もっと極めたいなというか、本当にもっとペラペラになりたいっていう風に思ってたので、
どっかでもうちょっと長期で中国か台湾が行きたいなと思ってて、
で、国立大学のいろんな制度で中国に行けるかもっていう話はあったんですけど、
いろいろタイミングとかが合わなくて、結局行けないってなった時に、
台湾についたお仕事の募集を見つけて、台湾に駐在できるっていうのを見つけて、
で、もうこれは今行かないと、やっぱ語学って若いうちの方がいいじゃないですか。
行かないと伸びないし。
そうそうそうそう、でもこのチャンスは逃しちゃいけないなって直感的に思って、
で、台湾茶を極めたいなって思いもしていたので、駐在で台湾に行って、
その仕事が任期付きだったんですね、期間が決まってるお仕事だったので、
とりあえず行って、台湾茶の勉強しながら中国茶の勉強もしつつ、
ずっとやりたかった日帯交流のお仕事もできると、
こんなに今の私の人生の方向転換をするには良い職だなと思って、
転職をして台湾に行ってしまいました、安定職をして。
いやいやいやいや、素晴らしい。そこの思い切りがすごいですよね。
でもそこの思い切れたっていうか、思い切ってもないのかもしれないですけど、
安定職してて、行こうってなって、で多分そこで台湾でまた色々お仕事されて、
プラスお茶の研究もされて、で今に繋がってくると思うんですけど、
27:01
その思い切れた理由とか。
えーなんか自分でもびっくりなんですけどね、なんであんなに思い切っちゃったんだろうっていう、
いろんな人によく安定職してたよねって言われるんですけど、
なんというかその自分の理想像、具体的に何でしょう、やりたい仕事とかが明確にあったわけではないんですけど、
40代50代になった時の自分を想像した時に、
はい。
ジムのお仕事をずっと続けていて、こうゼネラリストになっている姿があまり私の素敵だなって、
自分にとっては思えなかったんですよ。
もちろん素敵な先輩とかたくさんいました。
尊敬もしてましたけど、
自分はこう何か、自分が誇れる自分でありたいなって思った時に、
やっぱりその何か専門が欲しいっていう、なんかそこ、なんでそこにこだわったかわからないけど、
それあったんですよね。
大学にいながら大学院に行くとか、いろんな選択肢もあったんですけど、
結構こう見えて真面目なタイプなので、
いや真面目です。見てもそうですし、中身も本当に真面目です。
2つのことを同時にするっていうのがあまりできないタイプだったので、
大学で働きながら趣味のお茶を極めるとか、できないだろうなと思って、
排水の陣じゃないですけど、もうこれに集中しないといけない状況を作ってしまったら、
それに真面目に取り組んで何とかなるかなみたいな、
すごい怖がりで、あまりチャレンジングなことができないタイプだったので、
もう自分を追い込んでしまったら、
なるほど。
そういう感じでしたね。
すごい。でも追い込んでっていうのはすごいわかるというか、
結構こないだもお会いして、いろはさんとお話しさせてもらうときに、
ちょっと似てるなと思ってて、
私もだからそれこそ怖がりやし、チャレンジングじゃないんですよ。
そういうふうに見られることが多いですけど、全然違うので、
だからこそ、これやりますとか、できるかもわからないけど言うみたいな。
そうそうそう。言ってしまったらね、やらざるを得た。真面目なので。
そう、やらないと。
そうそうそう。
本当にそうですね。
なるほどなるほど。
それで台湾の3年間ほどの駐在期間を経て、
日本に帰国されて、その後院に進学された。
そうですね。
正確に言うと、大学時も辞めようかなって思ってるときに、
大学で働きながら大学院に行くっていうことが一応できるはできたので、
とりあえず大学院受けようかなと思って、大学院受けて、
30:02
それと大学院の勉強してるときに、台湾の母子を見つけたので、
かつ両方買っちゃったので、大学院休学して、
台湾に駐在2年行ってたんですけど、
その間に自分のこの研究のテーマも見つけられたらいいなっていうのもあって、
先生に入学届と休学届を一緒に出すっていうことをして、台湾に行っていました。
はい、ありがとうございます。
これ全時間があれですね、あと10分?
そうですよね。
とりあえずじゃあ1回、何回かポッドキャスト分けようと思ってるので、
1回ここで止めてもらって、ちょっと次は大学院に進学されて、
今やってることをお話ししていただいて、
ちょっと先生、台湾の話も挟み、最後に向かいたいと思います。
そうですね、ごめんなさいね、なんかダラダラになっちゃって。
いやいやいや、もうだって話せるものなら多分もう全部、
2、3時間くらい喋れるくらいのポテンシャルはあると思います。
ではでは、次回にまた回したいと思います。
はい、いかがでしたでしょうか。
そうなんです、かばしまいろはさんにお越しいただき、たくさんお話をしていただきました。
今は多分台湾、日本に帰国した後の話はまだ聞いてないと思うんですけど、
すごいですよね、そもそもなんかこう、
なんかやっぱり面白いな、こんな道があるのかっていうのを教えていただいている、
身近で教えていただいている方だなと本当に思います。
素敵な女性です。
はい、次回はですね、先ほどもお話しした通り、
日本で今やられていることとか、ちょっとだけ先生、台湾のお話もさせて、
本当にちょっとだけさせてもらって、
いろはさんが最後にですね、心がけていることとか、
これこう生きてくれて大切にしていること、
人生の選択で迷った時にどうしているかっていうのもお話ししていただきましたので、
ぜひ次回もお楽しみに、楽しみにしていてください。
はい、では皆さんの明日が、というか今日これを聞いた時からちょっとでも元気になりますように、
皆さんの毎日の生活応援しております。
はい、ではではまた。
バイバイ。
32:49

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