小川美穂の紹介
みなさん、おはようございます。野菜が繋ぐ人と人、ハーティッチファーム代表 もとです。本日も、農業と学びで心も懐も豊かにするチャンネル、始めていきたいと思います。
この番組は、国内最大手エンジニアイング企業で、17年間世界を飛び回っていた企業選手香川基文が、40歳を機に脱裸収納した経験をもとに、
農業、ビジネス、キャリア、学びなどについて話しチャンネルです。
みなさん、おはようございます。今日は久々に、キラ農さんいらっしゃい!のコーナーでございますが、今日も農家の方ではございません。
私の住んでいる栃木県もうか市、その同じもうか市内で、子どもたちの教育の場をいかに作るかとか、そういう行動をされている素敵な女性を今日はお呼びしております。
ということで、小川さん、今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
じゃあ、まず最初に自己紹介から簡単にいただいてよろしいでしょうか。
小川美穂と申します。1980年、兵庫県生まれなんですが、5歳のときに栃木県もうか市に移り住んできて、その後も麻糸町に住んでいたりもしたんですけど、もうか女子校出身です。
仕事は子どもの居場所づくりというか、多様な学びの場、あとは先日の補欠選挙で市議会議員。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
今や市議会議員さんですよ、小川さん。先生、よろしくお願いします。
先生ではないです。小川さんでよろしくお願いします。
ありがとうございます。
今日はね、ちょっとその小川さんにいろいろと今まで仕事のことも含め、前職ね、普通に一般の会社で仕事されてたそこを含め、今の活動に至る経緯なども聞いていきながらということにしたいと思いますが、なんとなく前半後半の2回ぐらいに分けられればなと思っておりますので、皆さんお付き合いいただければと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
学生時代の経験
それじゃあちょっと最初に年代を追ってね、ちょっとお話聞いていこうかなと思うんですが、今の小川さんの思想の土台を作るであろう学生時代とかね、その頃の話を聞いていきたいなと思うんですが、まずちょっと学生時代の頃か。
もう小川女子校出身。そこから私調べによると。そこから新潟大行かれたんですね。
はい、そうです。
新潟大。何勉強されてたんでしたっけ。
法学部。
新潟大の法学部に進学されて。
国際人権法とかをやってました。
国際人権法という。そういう法学部なんですね。
はい。
それでちょっと履歴を見ていて、おっと思ったのが、その新潟大時代にイギリスに留学されてんですね。
はい、そうなんです。
すごい。
すごくないんですよ。
すごいじゃないですか、留学するの。これは小学生かなんかで行ったんでしたっけ。
うちにはお金がないからっていうのが父から言われて、留学に行きたいんだったら、何か奨学金とかを自分で探してきたらいいよっていう話だったんです。
ロータリー財団さんが。
ロータリー財団の。
くださるっていう返還する義務のないお金をくださる給付型の奨学金があって、それに応募して留学できるっていうのがあって。
すごい。
それだとロータリー財団だと、あちらにもロータリークラブっていうのがあるので、そこでお世話になってホームステイしたりとか、それこそイギリスのクリスマスを一緒に過ごしてくださったりとかして。
ただ学生として留学行くだけじゃなくて、そこの土地に住んでる方と一緒にいろんなことができるっていうプログラムでした。
ロータリークラブって国際的な組織なんですか?
そうなんですよ。インターナショナルロータリークラブ。
全然知らなかったけど。
世界各地にあるんですよ。
そうなんですか。
すごい。そこで財団を持っていて、そこの留学のための給付型のプログラムもあったと。
もともと留学はしたいと思って。
したかったです。
したかったんだ。高校時代からそれは思ってたんですか?
そうですね。もう大学生になったら絶対に海外に行きたいとは思ってました。
思ってたんだ。
私もね、留学っていう文字があったけど、それよりも英語喋れないし、怖い、おい、行かないっていう。
結局は仕事するときは英語使ってっていう仕事に行きましたけど。
かっこいい。
ただ学生時代の時はその勇気なかったなって思うから、留学する人すげえなって思うんですけど。
何年くらい行ってたんですか?
1年です。
これ1年の留学だったんですか?
そうなんです。
そのイギリスのウェールズ大でしたっけ?
ウェールズ大で留学をした時に、ここも法学部で。
ウェールズ大学カーリフ法学部っていうのがあって、そこで国際法とか国際人権法を勉強してました。
これはじゃあ新潟大で勉強していた、それの同じ分野でも留学した。
なるほど。
この留学した頃の思い出みたいなのがあるんですか?
私は何かの手違いで寮に申し込んだんですけど、大学の寮に。
女子寮に申し込んだ予定だったのに、私男子寮に入ったんですよ。
え?
みほがわかんない。どうしてそんなことが起こったのかわかんなくて。
名前見ればわかりそうなものもあるんですけどね。
この人はわかんないか。
私が何かメイルフィーメルを間違えたのかわかんないですけど、男子寮に入ったんですよ。
ちょっと待って、それは行ってみたら?
行ってみたら、男しかいない寮なの。
そう。アパートみたいな、1階2階3階4階5階みたいなところでフラットって言って、キッチンだけ共有で、自分の部屋にトイレがあって、学習するスペースがあってベッドがあるっていうようなのなので、別に男の子の寮とは限らないんですけど、でも一応男の人しかいない寮だったんです。
入居者は本当は男の子だけで固めてるはずなのに。
女子寮に私一人女がいて。
向こうもびっくりしますよね。
私もびっくりだし、向こうもびっくりですよね。
おかしいと、私は女子寮に入りたいんだって言ったら、ここが日本と違うところで、1週間待てたか1ヶ月待てたかとにかく何日間か待ちなさいと言われるんですよ。
とにかくそこに過ごしてたら、他の男の子たちはよくしてくれるので、どこに移るかわからない。全然違うところにまた自分で引っ越さなきゃいけないから、ここでいいやって言ってそこに住んだんですよ。
結局。
結局。
結局引っ越さずに。
引っ越さずに。
敷地の中に何個も建物があって、目の前は女子寮なんですよ。
いくつもあるから、帰ってくる部屋がちょっと違うだけで、そんなに不都合はない。
お風呂も自分の部屋にあるし、キッチンだけが男の子たちと一緒っていう感じだったんです。
女子寮だとしても同じ敷地内の別の建物っていうだけなの?
そうです。
そういうこと。
キッチンが女子だけなのか男子だけなのか、混ざってるところもあるんですけど、大抵男女で分かれてたところに私が男の子のところに一人。
インド人がいてとかドイツ人がいてとかいうところに日本人の女がいるっていう感じでした。
なるほど。
これ何十年ぶりに話したけど、そんなことがあったなって。
でも別に個別の部屋だし、そんな不都合はなく。
不都合はないです。シャワーも自分の部屋にあるので何もないんですけど。
そんなアバンチュールもない?
何もない。
そういうのはない。
何かあっても話せない。
そうですか。なるほど。
でもその時、英語は自信がある状態で言ってたんですか?
全然。今だってないですよ。今だってないですけど。
しかもイギリス英語って難しいじゃないですか。
しかも法律だから。もっと分かんない。
もう絶対無理、俺。
多分、なんでお前いるんだくらい。そんな感じだと思います。
やっぱり授業を聞いても半分聞き取れないみたいな。
全然分かんないけど、分かってるふりしてる。
そうかもしれないけど、論文書いたりとかテストだったり、それは大変じゃないですか。
大変でした。だからずっと勉強してました。
やっぱりそうなんだ。
勉強してるのと、あとご飯はできるだけ。
でも男の子がやっぱり、インド人の男の子がダーって言ってくるのがちょっと辛い時期とかがあって。
とにかくインスタントラーメン作って、すぐ食べるみたいな。
どんどん太っていったっていう。
インスタントラーメンと勉強みたいな。
もう受験勉強みたいな。
そうそう。すっごい勉強しました。
やっぱそうなんだ。すごーい。
全然日本の大学の雰囲気と海外イギリスとかの大学の雰囲気って全然違うんですか。授業の進め方とか。どうなんだろう。
日本語だっていうのもあったし、1年生と2年生と3年生と4年生ってちょっとやっぱり違うじゃないですか。授業の取り方とか。
そうなんですけど、イギリスの方がもう本当にいくつかすごく少ない教科を一生懸命学習するっていう感じでした。
日本の大学だと1年これ取って2年取っていろんな授業があるんだと思うんですけど。
単位埋める項目としてあるけど、イギリスの留学の時には単位これだけみたいな。
そう、そんな感じで。
それと授業にゼミがついてるみたいな感じで。
でもそうすると1週間とかの中で、ほんと講義っていうのは、例えば1日1時間講義あるかないかっていう。
そんなだったと思います。あんまりうろ覚えですけど。毎日行ってるっていうよりは図書館で勉強してるとか。
出された課題を届かないでやってる時間の方が多いみたいな。
よかったイメージです。
でも1単位じゃそうだよね。
何個かしか取らなかったはず。私は留学だったので。
大学の意味ではほとんど勉強してたって。
ただ他の生活は、例えばお買い物だったりとか、夜のパーティーだったりとか。
そういうのもあるんじゃないの?向こうの大学は。
私はやっぱり、これ録音されてあれですけど。
ヨーロッパの人たちとアジア系ってやっぱり差があったり、それこそ街で歩いてたら差別を受けたりとかしたので。
私は中国の方とか韓国の方とか台湾の方とか、アジア系の人とすごく過ごすことが多くて。
すっごいお金持ちで中国人の方が。
そうなの?
私は寮に奨学金もらってやっと入ってましたけど、
中国のお金がある人は一軒家借りてて、そこに遊びに行ってご飯食べさせてもらうぐらいでした。
すげえ。そういう友達もいるんだ。
さすがだなあ。
そうなんだ。
まあでもね、そんなんで1年間のイギリス生活をやったと。
でもやっぱり留学はすべきだと思いますか?どうなんですか?
私はその後に大学院で国際開発研究科っていうところで、
子どもの貧困とかそういうのをやりたかったので、そっちに行くためにはやっぱりイギリスの生活みたいなのも勉強になったなと思います。
なるほど。じゃあその頃から留学とか考えてた頃から、ゆくゆくは国際人権とかそういうのを考えるっていうのは。
法学部でも国際人権法学だからね。もともとそういう見積みやすいものをやってて、思ってて。
そのためにもやっぱり留学っていうのは必要だなとは思ってた。
なるほどね。そういう意味でね、帰ってきたら大学院として名古屋大の国際開発研究科っていうところに行ったと。
その頃からこういう世界に行きたいとは思ってたんですね。
それはそういうところに興味を持ったのか。国際開発とか人権とかね。どこで興味を持つんですか?
留学の意義
わかりますよ。結構学生の頃から貧困な国の支援とか国連とかそういうところに就職したりとかっていう人もいますけど。
私自身考えて、自分の人生の中でそれどこで出会ったのかわからない。
そういう意味で何で学生時代にそれを学ぼうとする。そこの根本は何でそこに道に進もうと思ったんですか?
私はあんまり母にいろんなことを教わったことはないんですけど。
母がいつもあの当時小学校とかの時の24時間テレビとかをよく見ていて。
私が2階にいるにもかかわらず、読んでこのテレビを見なさいっていう親だったんですよ。
勉強するとかあんまりいろんなことを言わない母だったんですけど、そのテレビだけは見なさいって言って。
それこそ黒柳哲子さんがどこかケニアに行ったとか、そういうのは見ていたんですよね。
そういうのが多分興味があったんだと思います。
その小さい頃から24時間テレビを見ているような、こういう国もあるんだみたいな。
そこが自分の現体験っていうか、あるんかなみたいな。
何かやってみたいってあったんでしょうね。
思い返せばですけど。何かがあるとするならば。
24時間テレビを見てて、俺は全くそう思わなかった。
やっぱりそこは引っかかるポイントの違いなんですね。
こんなのまとめちゃったけど大丈夫かわからない。
いいと思います。
いいですか。
そういうね、何だろうなって言って掘り下げたところがきっとそうだ。
なるほどね。
それで大学院、国際開発関係で大学院を修了して、
そうするとやっぱり就職先っていう意味でも、何かそういうところに行きたいなというところで探しはすると。
最終的に今就職したのが流通大手の流通グループで。
イオングループに就職したってことで。
これはそこで入りたいっていうのがあったんですかね。
本当はJICAとか国際機関とかそういうところで働きたかったんですけど、
まず国際機関っていうのは社会人経験があってから入れるっていうのがあったので、
どこかで積まなきゃっていうのがあって、JICAには入れなかったので。
ずっとNPOとか国際開発みたいな仕事をしているときに、
なかなかお金にならないなとか社会人経験が必要だなってなったときに、
社会貢献をしている企業に入りたいと。
例えばイオンだったのは環境財団で、木を植えていますみたいなことをやっていたり、
いろんな大手の企業だと社会貢献部っていうのがあって、
そこで働かせてくださいって言って就職活動をしてたんですよね。
そこからのきなみ落ちて、イオンに拾ってもらったという感じです。
君面白いねって言ってくれたのはイオンくらいで。
社会貢献部でやりたいって言って、いろんな世界有数な企業にいっぱい社会貢献部があるんですけど、
何言ってんの?みたいな。
本業うち違うけど?みたいな。そういう感じだから。
なんで本業じゃないこっちに目指してきてる子がいるの?みたいな感じなんだ。
うちである必要があるので。それはそうなんですよね。
文系の大学2卒の女。
はじかれてたんですけど、イオンは拾ってくれたっていう。
そういう意味ではすごいね、イオンさん。
本業じゃなくても、ちゃんとそういうことに興味を持ってくれる人材を取ろうとする姿勢はすごい。
社会貢献活動の重要性
取ってくれましたね。
そうなんだ。大手の企業とかでもやっぱりどっちかというと、
福祉とか国際のそういうところに助けるというのはどうしてもやっぱり本業の付属みたいな感じになっちゃうんだよね。
一般企業としてはね。
なるほど。それでイオングループさんの環境財団というところにね。
一応興味を持って入社して拾ってもらった。拾ってもらったというかね、ちゃんと入社をしたと。
ところがっていう感じ?
もう新入社員だったらお店からです。それこそ肌着売り場とか肉とかいろんなところやりました。
これイオングループさんで働きだした。私が知っている限りでは新潟の店舗で最初は働いてたんですか?
本社に行く前が新潟だったので、千葉で1年間1回ずつぐらい転勤してくるんですよ。
千葉の玉谷店から柏店1年で移動して、新潟県の十日町市に行って、次から本社でした。
日本全国1年ぐらい転勤転勤で最初の数年はやるんだ。
そうなの?
新潟代だから新潟の店舗から、全然関係ないんだ。
千葉県玉谷っていうところで行きました。
採用は本社採用なの?
本社は全国で採用になって。
総合職みたいな感じ。
関係ないんだね、地域とか。
全国で店舗ポンポンと?
でした、私の時は。
今はちょっとずつ、その働き方が新道行きといって、エリアごととかも多分あると思うんですけど。
関東だけとかあると思うんですけど、私は全国。
最初千葉、そして新潟。
千葉、千葉、新潟。
千葉、千葉、新潟。
で、また千葉の本社に帰ってくるっていう。
なるほど。千葉が本社なんですね、日本産は。
それで4年後に本社に帰ってくる。
売り場、最初はまさか売り場に立つとは思ってなくて、やっぱりそういう時に入ってんすか?
そうですよね。
そういう時の極端な話で、私環境をやりたいのにとか。
でも普通に売り場に立たされるわけじゃないですか。
モチベーション大変じゃないですか?
びっくりでしたよね。
もう配属されて新入社員なのに、そこのコミュニティさんっていうんですけど、パートの方たちが。
もう上司みたいな感じで、一番便利なのが私。
上司呼んできますみたいな感じで。
もうなんか、なんだろう、ちょっと後ろに下がってる場合じゃないっていうか。
もう本当、2日目くらいにクレーム受けるぐらい。
今上司呼んできますって。
私ってすいません、みたいな。
でもその売り場に社員さんは一人だからってこと?
私の上司が一人いたんですけど、同じ時間に働いてるわけじゃなかったりもするから。
もうその時間帯は社員は一人で、その時はもちろん大川さんだけっていう時があったりして。
もうだから逃げてる場合じゃないっていう。
もう責任者って言ったら行かなきゃいけないですよね。
そうです。もうお母さんみたいな人に呼ばれて年齢は自分の年よりだいぶ上の部下ができるっていうところでした。
でもね、最初はモチベーション大変だじゃん。
でもそれはそれでなんとか。
そうです。国際機関で働くにも何にするにもとにかく3年は社会人経験を積まなきゃって思ってたので。
もうそこはもう、だって他に受かったとこないから。
もう逃げ場がないみたいな。
逃げ場もない。ここでやるしかないって言って。
その後国際っていうのは絶対そこに行くっていう。
行けたらいいなって思ってた。
思ってるけど、そのためにもとりあえず今この時期は耐えなきゃいけないっていうそういう気持ちで3年頑張るみたいな。
でも3年は頑張んなきゃと思ってたしね。
3年は頑張んなきゃって思ってた。
いやすごい。だって最近の若い人たちは違うなって言ったら1年くらいで辞めちゃうんじゃないですか。
超氷河期ぐらいだったじゃないですか。私たちのとき。
もうのぎなみ落ちて。本当に落ちて。
人材育成の取り組み
もう人間失格って言われてるなぐらいな。
なんで君は大学院まで行ったんだとか。
それこそ多分嘘だと思うんですけど、こんなに優秀な人はうちの会社にはいらないねとか言われて。
そんなことまで言われるんだと思いながら。
どこもダメだと思って。
でも私の同級生とかはやっぱりちゃんと受かっててるんですよね。
私はあんまり全然受かんなくて。
あ、そうなんですか。
あ、私受かんねーよなと思って。
あ、もうちょっとそこで自己敬語の頃がね。就活の時は。
ありがとうって。私を取ってくれたありがとうなんですよ。
あ、もうそこは。
ヨアンさんありがとうの気持ちがある。
もうとりあえず取ってくれたヨアンさんのために。
頑張んなきゃ。
まず3年は頑張んなきゃと。
なるほどね。
のぎなみ落ちたんで。本当に落ちたんで。
そうなんだ。
そういう時代でした。
まあね、だってうちらの頃もそう。
私の一つ世代、上の世代ぐらいが、
うちの会社いたところも一番少ないぐらいで。
で、私も他の同業他社はみんな採用してなくて、
うちだけやってたみたいな時期だったから。
ほんと一番親友者が少ない頃の数年ですね。
そうですね。私のすぐ上が五高上とかで、
5年取ってなかったところの採用始めた年とかだから。
グループもそんな感じだったんですか?
5年とか、はい。なので。
もうこの上がぽっかりいないみたいな。
ぽっかりいない。
あ、そうなんですか。
だから、やっと取ってもらったっていう感じでしょうね。
なるほど、なるほど。
多分ここ200人ぐらい取ったんだと思うんですけど、
その間全然いなくて。
同じ世代で200人ぐらいの同期がいるんですか?
多分いたんだと思います。
じゃあもう相当取ってなかったから、
やべえ取んなきゃっていうような時期だった。
そうだと思います。やっぱり人材育成とか、
技術の継承じゃないけど。
いや、5年取ってなかったらやばいですよ。
確かに。
多分5年だったと思います。
4、5年取ってなかったら会社として結構怖いですね。
なるほど。
それでとりあえず3年は頑張ろうと。
でもその後本社の方に戻った時には、
この時には店舗というより人事の仕事として戻ったと。
そうです。
それは人事部に行きたいという感じで仕事を出したんですか?
そうです。
その3年間の間にイオンビジネススクールって言って、
勉強させてもらえる、手挙げて試験通ったらっていうようなのがあって、
それに応募したっていうのがあります。
それでたぶん引っ張り上げてもらえたんだろうなと思うんですけど。
そういう社内にそういうスクールがあるんですね。
教育のイオンだなと思ってて。
それはすごい。
そうなんです。
じゃあどんな部門にいてもみんな手は挙げられて、
受けたいところは受けられるんですか?
試験に受かれば。
受かれば。
ちゃんと勉強してとか。
でもその勉強の時間も本当に仕事がきついから。
やりながらだとね。
やりながらだとっていうところはあると思うんですけど。
店舗の時間、働き方っていう意味では、
あの頃はブラックなんですか?
朝早くから夜11時、12時までやらなきゃみたいなそういう感じですか?
そういう働き方はしちゃいけないけど知っているような人も大きな声で。
でも人事になるとそういうのは絶対ダメだよって言って、
いう感じにはなるんですけど。
じゃあそこの本社に行くときの人事は一応自分で希望して、
人事はやってみたいみたいな感じで。
あるいは人事とは言わなかったけど、
人事として採用、配属されたっていう感じなんですか?
はい、そうです。
そっちなんですね。
でもそこでね、結構人事の面白さもわかった。
みたいなそういうのは記事で読んで。
何が面白いですか?人事。
人のことなので、
あとなんだろうな、人が楽しく働くにはどうしたらいいかっていうところだと思うんですよ。
あとは教育も携わらせてもらったので、
どんな年齢になっても教育を受けると知らないことが知れたりとか、
仲間が増えたりして楽しいなと思ったのと、
人事って本当に懲戒とか、退職とか、
例えばいなくなってしまうとか、
そういういろんなことが本当にあって、
それが面白かったというか、責任も重大だけど、
今までと全く違う仕事だなと思いました。
なんかこういろいろ聞いてると、
人のことを考えるとか、
人がいかにやりやすくとか、
そういうのを求めたがる性格なんですね、多分ね。
心を大事にする働き方
というのは、この後イオングループから別の会社に移動するような時でも、
新しくそこでカウンセラーの仕事とか資格も取るような感じだったじゃないですか。
それもね、そういう意味では、
この産業カウンセラーという資格も、
これも人事の仕事の関係で取っていくことになる。
そうです。
これは産業カウンセラーという資格が必要だなと思ったきっかけはあるんですか。
働いている人の心がどんどん暗くなったり、
というのを側面していたので、
やっぱり人って心を大事にしたいなとか、
人として大事にされる環境で働いてもらいたいなとか、
というのがあって、産業カウンセラーになりたいなと思ってやりました。
そういうのも含め、さっきのね、
人のことを考えてというのもあるんですけど、
イオンのビジネススクールしかり、
今回の産業カウンセラーしかり、
自分で身につけなきゃ、この環境をどうにかするために身につけなきゃ、
そのステップすごいですね。
その足の軽さ、腰の軽さというか、
そこで自分で学んで身につけようとするって、
働きながらだとその一歩が踏み出せない人って結構多いじゃないですか。
いつもの仕事を忙しくていて、
そこを忙しくても一歩踏み込めるのって、
やっぱりエネルギーがあるんですね。
なんだろう、そのエネルギーはどこからくるんですかね。
知識欲、それともどっちかというと人のことを考える、そっち?
人のことなのかな。
人のことっていうとちょっと偽善っぽいからあれなんですけど、
産業カウンサラーとの前とかは、
私って心がなくなればいいのにと思いながら仕事してたんですよ。
悲しいことがいっぱいあって。
でもそれってすごく悲しくないですか。
私たちはロボットじゃないのに。
あと泣きながら仕事している同僚の人とかを見ると、
ああもう絶対違うと。
人の心を大事にするっていうのがやりたいなと思って、
ちょっと勉強してみたらみたいなことを言われたのもあって、
やってみようと思ったっていうのがあります。
本当にちょっとあんまり悪く言うのはあれだけど、
そこの最後に働いてた企業だと、
本当心がなくなればいいのに、
私たちロボットだったらいいのにねって同僚の方と言うぐらい。
もう完全に個人としての心は。
もうなくしたい。
イオンじゃない方で。
名誉のために言うと、今ちょっと話飛んじゃってますけど、
今の最後の会社っていうのはイオングループとは別にね、
旦那様と結婚を機に儲かに言う単で戻ってきた後の
軽食先の会社なんですよね。
それが外資系だから。
外資系の会社だから、
やっぱりもう完全に個人の心どうだとかこうだとか、
全くそんなのはっていう感じのスタイルなんですか。
だったのか、その会社が。
それ外資系だからって言っちゃちょっと語弊があるか。
その環境とか人なのかわからないんですけど。
そういう状況がやっぱり耐えられなかったというか、
なんか変えなきゃって思ったんですね。
すごいですよ。
でもそういうのをなんか変えなきゃって思って、
行動できるのは本当にすごい。
いやいやいやいやいや。
ありがとうございます。
今その産業カウンセラーとしての資格は?
はい。
あれも何ですか?
毎年毎年更新みたいな?
そうなんです。
だから講義を受けて、時間取れば更新みたいな感じなんですか?
講義は受けなくていいんですけど、会議を払って。
そういう資格なのか。
でもそちらがね、そんなになんていうか、
仕事としてはもうこっちはそんなにやってなくて、
でもいろんないいスキルを学んだの。
経営長とかその方が喋っていることの、
どこが心が現れている表現なのか、
みたいなのがすごく学べて、
20時間くらい実技でいろんな人の話を聞くって、
どうやって返答するかとか、
本当にこの人が言いたいことは何だったのか、
みたいなことが学べたんですよね。
そういうのを見つけられるんだ。
そうやりました。
私この資格を取って、
そういう技術というかスキルもあって、
これが絶対今の活動に生きているんだろうなとは絶対に思うんですけど、
そういう意味ではやってきたことが全部、
誰かの生活しやすいとか、
いろんな環境を育てるための一ステップステップだったんだなと、
ここにつながっているんだなとは、
本当にこれを読みながら思っているんですけど、
そういう意味でさらに栃木に戻ってきて、
あることをきっかけに今のハロハロラボというのを立ち上げる、
今の活動につながっているということですが、
これは今の活動の詳細は後半のほうで聞かせていただこうかなと思いますので、
また後半もよろしくお願いします。
ハロハロラボの立ち上げ
よろしくお願いします。ありがとうございました。
ありがとうございました。
ここまでお聞きいただきありがとうございました。
明日の放送でこの後半部分、
ハロハロラボの具体的な取り組みなんかもお話ししようと思いますが、
ぜひとも明日の放送もお楽しみにしていただければと思います。
概要欄のほうにハロハロラボでの活動などを紹介したホームページを貼っておこうと思いますので、
ぜひともそちらも覗いてみてください。
それでは今日も良い一日をお過ごしください。
またね。