2026-01-17 1:10:05

Vol.382 安斎佳美(代表 / J1ビザコンサルタント)2/4

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一体何人の方がこれを読んでいるんだろうか?とたまに思ったりもするが、これを書くこと自体が筋トレみたいなもので「自分のためのトレーニングと思ってやってるんだよ」と自問自答な金曜の板倉です、こんにちは。

「1%の情熱ものがたり」前回に引き続き、96人目のインタビュー。
千葉県松戸市生まれ。幼い頃から「自分のことは自分でやる」環境で育ち、現実的に物事を捉える子どもだったそう。自立心の強いお姉さん気質な彼女は、亜細亜大学在学中のアイダホ留学をきっかけに世界が大きく広がり「いつか自分の力で海外に出る」と決意。社会人として3年間働き資金を貯め、オーストラリアへ単身留学。語学学校とコミュニティカレッジを修了するも、日本とはあまりに違うスローな生活に戸惑い、帰国を選ぶ。複数社での勤務後、今の活動につながるJ1ビザインターン事業の立ち上げに携わる。自身の渡米を求められる状況となり、結婚を考えるパートナーとの遠距離恋愛へ。幾度もの選択を重ねた末、ロサンゼルスへ拠点を移しグリーンカード取得という大きな転機を迎える。
その後、42歳での起業、J1ビザコンサルタントとして1000人以上の挑戦を支えてきた。すべての決断は自分で選んだ最良のもの。そして「あなたには選択肢がたくさんあるよ」と優しい眼差しで語ってくれました。そんな安斎さんの、背中をそっと押してくれるような頼もしく力強い情熱ものがたり。

いやーほんと人生の転機やキャリアのことって悩みが尽きないのかも?とも思うし、迷いながらも進んでいくことで見えてくるものがあって、やる前とは判断基準そのものが変わってくるんだよなぁなんて、とても学びのあるお話でした。

投稿 Vol.382 安斎佳美(代表 / J1ビザコンサルタント)2/41%の情熱ものがたり に最初に表示されました。

サマリー

このエピソードでは、安斎佳美さんが自身の幼少期やアメリカでの留学経験について語り、特に千葉県松戸市での成長と独立心を育んだ家庭環境について深く掘り下げます。また、留学のきっかけや英語に対する興味にも触れています。安斎佳美さんの留学経験とキャリアがテーマであり、アイダホ州を含む短期留学やオーストラリアでの自費留学、帰国後の英語教育の仕事に焦点を当てています。 このエピソードでは、安斎佳美さんがJ1ビザとL1ビザの取得過程を語り、アメリカでの仕事や生活の変化について心境を共有します。彼女は日本での結婚の考えとアメリカでのキャリアを両立させようとする葛藤について描写し、最終的にアメリカに永住権を取得する決断に至るストーリーを展開します。 日本からアメリカに移住することで、生活や仕事に対する考え方がどのように変わったかを安斎佳美さんが語ります。特に、アメリカの自由な暮らし方や選択肢の豊かさが、彼女の自立心を育んだことについて考察します。スーパーボールのハーフタイムショーの魅力や出演者バッドバニーについての情報が共有され、アメリカのイベント文化の独自性が浮き彫りになります。また、結婚とキャリアに関する悩みや選択についても議論され、個人の選択の重要性が強調されます。 女性が子供を持つことに対する時間的制約や悩みについて考察し、新しい挑戦がどのように情報量を増やすかにも触れています。

安斎の成長過程
1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また各業界のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
話なんですけど、ちょっと最近、竹田哲哉の、竹田哲哉知ってますか?
知ってますよ。知ってますよ。人という字はですよね。
今、モノマネを声なしでしてるんですけど、誰もわかんないっていう。
声なしで?
金髪先生のなんだっけ?
なんだっけ?
何かも出てこないんで、まあいいや。
私もなんだっけ?
竹田哲哉の、なんだっけ、俺、ポッドキャスト番組があってさ。
てかラジオ番組。
三枚卸だ。今朝の三枚卸っていうのがあって。
そこでいいこと言ってたので、ちょっとそれを共有したいなと思って。
なぜって聞いちゃうときあるけど、なぜではなく、はてにすると、いいよっていう話なんですけど。
えー?
えー?
はい。
この意味はですね、
はい。
なんでって言うと、追求しちゃって、正しさを求めてしまうみたいな印象があるんだが、
はてって言うと、一緒に考えましょうっていうニュアンスがあるということで、
例えば、恋人と喧嘩したとか、なんで?とかってなった時に、
はてって言うと、俺も考えるよ、一緒にっていうニュアンスがあるっていう話をしていてさ。
確かに。なんでだと、ちょっと怒られてる要素が入ってきそうですよね。
そうそう。なんでそんなことしたの?
そこを一回立ち止まって、はてって言うと、
一緒に考えることになるらしいっていう話をしててさ。
たぶん、俺の解釈では。
確かに、なんでよりは柔らかい印象ですよね。
でも、ちょっと考えてください。
自分がめちゃくちゃイライラしてた時に、相手にはてって言われたら、ちょっと腹立ちません?
最初にはてって言われたら、余計腹立つか。
場合によりますけど、でも柔らかい印象はありますね。
それはだから、口に出さずとも、自分の中でなぜ?じゃなくて、なんで?じゃなくて、はてって、自分の中でもはてって立てることによって、
一回相手の気持ちになって考えるより安いっていう感じはあるよね。
確かに、それは思います。
ね。
単純に考えるっていう。
そうそうそう。
なぜ?だと、ただ正当性を振りかざして、向こうが言い訳を言うのを待ってるみたいな感じだけど。
確かに。
確かに。
考えたことなかったけど、でもそうですね。
この言葉一つでさ、こんなに変わるんだっていうことが言いたかったんですけど、それはすごいなと思って。
これも日本語の深さみたいな。これでも英語だとなんなんだろうね。
How come? はてってなんて言うんだろう?
はてね。
なんだろう。
How come? とか、Why? とかしか浮かんでこない。
Why? じゃなくて、Let me think. とか。
そうか。
Let's see. ってなる感じか。
でも、明らかに英語のほうが少ないからね、単語が。
そうですね。
まあいいや、こんなに話を広げても。
これは武田哲也が言っていたことなので。
ちょっと使ってみたいと思います、どこかで。
ね、そうそう。ちょっとなごむか、余計ムカつかれるか、試してみてください。
ありがとうございます。
では行きますか。
はい、こちらでは毎回1人の方のインタビューを4回に分けてお届けしています。
今回はインフィニティ・ウィズ代表、J1ビザコンサルタントの安西義美さんにお話を伺っています。
今回は2回目です。
はい、先週がね、そのJ1ビザコンサルタントとは何ぞやみたいな話をね、
あとはその安西さんの活動内容とか、まあ趣味の話とかも聞いてましたけど、
留学の経緯
今回がその老いたちですね、おてんば娘だったらしいですが、
なぜアメリカに来たとかね、ちょっとその辺をザザザッと時系列で聞いております。
はい、それではお聞きください。
まず大生まれが。
大生まれは。
どちらでしたっけ。
千葉県松戸です。
そうそう。
千葉県です。
松戸。
知ってますか、松戸。
お客様で松戸の方がいらっしゃって。
たまにいるんですよね。
よく話を聞くんですが。
たまに松戸はいるんですよ。
昔はめっちゃ田舎ですけど、最近はね、松戸って言っても東京隣なのでね、
近いんですよ結構、東京に。
便利な場所というか。
とても便利。
空港とかも。
空港も何単も1時間ちょっとで行けるから。
そう、そんな感じですよね。
そう、都内に出るのもとても近いし。
落下性がうまいと。
落下性、落下性でも千葉県ね。
松戸市の名物です。
松戸市って何が有名かって言われると、松本清氏が発祥したところ。
あ、そうなんだ。
松本清氏はそうです。
松本清氏というドラッグストアの話ね。
そうです、ドラッグストア。
あの発祥は松戸市なんです。
あ、そうなんだ。
はい。
なんでやろ。
だから松本清氏は。
松本清氏って誰かの名前ですよ。
松本清氏です。
作った人です。
松戸の方ですか。
松戸の方、はい。
あ、そうなんだ。
へえ。
なるほど。
4月だろう。でも、4月だとごめん。
でも松戸発祥、松本清氏。
あ、そうなんだ。もう全国制覇してますもんね。
今ではね。昔はね、松戸しかいなかったから。
松清といえば。
そうですね。
すごいね。
そうです。千葉県松戸市。生まれも育ちも。
どんな子供でしたか。
どんな子供でした。もうやんちゃ。おてんば。
へえ。
おてんば。もう独立、もうインディペンデントですよね。
なぜなら私はもう。
松戸の魅力
確か弟さんいらっしゃいましたよね。
弟います。2歳下にね、弟いる。私長女ですけど。
長女で、おてんばなんだ。
めっちゃおてんば。すごい活発っていう感じですよね。
もともと私は親が友働きだったので、私はゼロ歳から保育園に入っている生活をしたんです。
ゼロ歳から。はいはい。
ゼロ歳からもう親が保育園に預けて、お母さんは仕事に出てたので、その当時は珍しいんですよね。
子供を預けて友働き、お父さんもお母さんも。
なので、ゼロ歳からそういうところに預けられているから、基本的に自分のことは全部自分でやるみたいな。
結構独立心が強くなって。
お姉ちゃんだしね。
独立心がやっぱり親と離れて、もう1日毎日暮らしてたので、親がいなくてもやっていけるっていう習慣がやっぱりできてくる。
でも幼稚園終わってからはどうする?
幼稚園とか保育園はお母さんを迎えに来る。
でも小学校に上がってくると今度は学童に入る。
学童は学童から自分で帰ってくる。家に。
一人で。
弟と一緒に。
私が弟を連れて帰るっていう。
家で待つ。
家で待つ。
鍵っ子だ。
鍵っ子。だから帰ってくるのを待ってくるっていう。
おじいちゃんとかおばあちゃんとかはいない?
おじいちゃん、おばあちゃん、一応おばあちゃんが一緒に住んでたんだけど、
おばあちゃんはちょっと体が悪かったので、結構寝てることが多くて。
だから結構帰ったらおばあちゃんを面倒見てるっていうところがある。
ほとんど自分たちで全てをやらないといけないような環境で、子供の時から育ってたから結構独立心が強いし、
だいたい自分で何かを決めるっていうことができるような子になったって感じですよね。
そうなんですね。
最初にそこから。
運動好きだったので、やっぱり運動神経が良かったんですよ。
だからもうおてんば。男の子と喧嘩したりとかね。
怪我させちゃったりとか。
そういう感じですよね。
そんなに体大きい方ではないですよね。
体大きい方じゃない、ちっちゃい方で。
でも男子とやり合ってたんだ。
男子と、そうちゃんばらのように。
子供の頃はあんま関係ないかな、体の大きさは。
ちっちゃくても素晴らしこいからね。
そうですか。
そう、そんな子供でしたよね。
なんか夢みたいなのがありましたか?
子供の時?夢ね。
夢って考えたら本当なんだろうって自分で考えた、この質問を見た時に。
もっとでも現実見てた感じなのかな。
あんまりね、すごい現実的だったかもしれない。
だけど子供の頃何になりたいとかっていうのは、パン屋さんになりたいとか。
よくあるやつね。
よくあるやつね、お花屋さんになりたいとか。
そういうのはあった。
将来何になりたいとかっていうのは、夢も自分で今考えても覚えてないぐらい何もあんまりなかったかもしれない。
おてんばといえつつも普通におママがことしたりとか。
でもテレビが大好きだった。ドラマ見たりとか。
だから今もこういうおしかつしたりとかね。
テレビ見たり、ドラマ大好きだし。
子供の時からドラマ見したよね。
そういう感じだったよね。
別にそれで俳優とか女優になろうとか。
見るのは好きだったけどね。
そこで地元で中高?あ、高校?
高校まで松戸。
てかずっと松戸。
大学も松戸から帰ってたし。
ずっと帰ってた。
途中前、そうね。
高校は隣の市川市の高校に進学したけど、
ずっと松戸市のエリアで。
なるほど。
就職、その後就職ですか?
その後就職します。でも就職したらもう実家から通ってた。
そうなんだ。出たくなかったの?
出たく、その時はなかったね。
あんまり日本って就職したから出ていかないといけないって、
実家から通えたら思わないじゃないですか。
でもその後に就職した後、一旦私会社を辞めて留学をするんだけど、
3年くらいオーストラリアに行くんだけど、
オーストラリアから帰ってきた後に一人暮らしを始めたんだよね。
それまでは実家にいた。だから25まで実家にいた。
そこから留学したのね。
就職して3、4年?
うん。3年間。
で、なんでいきなり留学?
留学はその前に戻って、大学の時に、私は大学に入った時に、
留学制度があって、学校の単位になる留学、
その当時は画期的だったね。半年間アメリカ留学に希望者全員行きますっていう大学だったんですよ。
アジア大学ね。
で、その大学、それがあるからアジア大学に私は行ってるんですよ。
そういうことなんだ。
じゃあその時から海外に興味があったんですか?
そうだね。で、高校の時に英語の勉強を中学校から始めて、
高校の時も塾に通ってて、
で、その中学校の先生から英語の授業がやっぱりすごい楽しかったので、
そっから英語のやっぱり興味っていうのが強くなって、
で、高校でも塾に通ったりとか、英会話レッスンに通ったりとか。
いいですね。
なので、ちょっとその英語を使って留学したいっていう気持ちがあったんだよね、高校に。
で、大学に入って留学をみんなでしました、半年間。
それはアメリカのボイジーに行ったんだけど、
ボイジーってどこ?
ボイジーってアイダホ。
アイダホ?
一応シュートなんだけどね。田舎のね、アイダホステート。
留学の始まり
アイダホしか浮かんでこない。
アイダホステート、そうなんだよ。
アイダホに送られて、
でもそれがやっぱり半年間長期で留学するのは初めて。
だから、こんなに楽しい国はあるんだっていう。
やっぱりこんなにいろんなことができる、全然日本とは違うんだみたいな。
すごい視野が広がったわけですよね。
いろんなことで、例えば。
別にいろんなことできるって、その間それまで直に暮らしてたからさ。
初めての親から離れて、自由な。
自転車漕いだら山にもすぐ行けるし、
ショッピングモールにもお買い物行けるし、
大学のシェアメイトがアメリカ人だったけど、
そのアメリカ人とルームシェアしたりとか、
一緒に旅行に行ったりとか、
そういう経験は全部初めてじゃないですか。
一気に世界が広がっちゃった。
そうなんですよ。こんな世界があったから。
その時、
松戸しか知らなかったからね。
松戸とは全然違うぞみたいな。
そりゃそうだね。
半年間ここで行って、
それがあまりにも衝撃が、インパクトが強すぎて、
みんなで団体で行ってたから、
50人ぐらいとみんなで行ってたから。
大学にみんな。
だから今度は、
数学旅行みたいな。
その半年間みんな一緒のところではないけど、
一緒に留学するから、
ちょっとやっぱり団体行動になってくる。
オーストラリアでの経験
なんとなくわかります。
それとは別に、
個人で留学に自力で行きたいって思ったの。
それでオーストラリアに行くっていうことを、
アメリカから帰ってきたら、
オーストラリア自費留学をその後するぞって決めて、
でも自分のお金で行くぞってその時に決めて、
だから大学卒業して、
3年の間に仕事をして、
お金を貯めたんですよ。
留学資金を。
するためにね。
そのために。
3年間で辞めるってつもりで、
3年間やって、
3年後に留学するっていう、
私それ計画を立てたんです。
だから3年間しかこの会社では働かないって、
入社した時から決めてたんですよ。
その間に300万貯めるっていう目標を。
すごいね。
そうなんです。
だからオーストラリアは最終的に、
オーストラリアは安かったからそこを選んだんだけどね、
本当はアメリカに行きたかったんだけど、
ちょっと高すぎて。
なるほど。
行けなかったからオーストラリアに変えたんだけど。
そこでオーストラリアに行ったんですよね、
自分のお金で。
それこそでも本当のフリーダムじゃないですか、
自分のお金だし、
生徒、集団行動しなくていいし。
そう、もう自分一人で単体で。
勇気はあることですけどね。
だから親にも多分留学する1ヶ月前まで何も言ってないよね。
マジか。
それはなぜ?
心配するからとか?
心配するからとかじゃなくて、
別にあまり言う必要がないかなっていうか、
私が決めていくことだから、
お金も私が自分で出す。
まあまあ、文句言われる筋合いはないって。
そうそう、そんなに意地悪な印象はないけど、
でも、すべて行くことを決定して、
自己報告のようにしたかった。
びっくりしたでしょ、そりゃ。
でもね、うちの親はずっと私がそういう独立心がある子で、
すべてを全部自分で決めてたから、
何も言わないですよね。
留学行ってきます。
ああ、そうなの?って。
お金は自分で貯めました。
わかった、じゃあ行ってらっしゃいって。
どこに行くの?
オーストラリアのメルボルンに行きます。
気をつけてねって、そういう感じだった。
そういう感じだったですよね。
まあでも、お母さんとか親御さんも、
大人としてちゃんと見てたっていうところですかね。
もう基本的に私は、すべて自分でできる子だからっていう。
心配、特になかったってことだね、逆に言うと。
あなたが決めたことは、信用されてるのかもしれない。
そういうことね。
そうなんですよ。
すごいですね。
そんな感じでしたね、だから。
実際どうでしたか、その3年間?
オーストラリアは3年間楽しかったですが、
オーストラリアはもう十分かなと思って、
もう3年間いる間に、今度はもう早く日本に帰って働きたいって思って。
それってでも何?語学学校っていうか。
語学学校行って、コミカネみたいな、日本の短大みたいな。
オーストラリアは2年半通ったんですよ。
で、もういいかなと。
それで2年半のコースを終了して、
そこから働くとか、
その当時はオーストラリアのA受験も結構簡単に取れたので、
A受験を取るっていう選択肢もあったんだけど、
私はアメリカ、オーストラリアにはちょっともういられないと思って。
それでも飽きちゃった感じ?
飽きちゃった。スローすぎて。
何となく分かりました、僕ハワイに住んでた時。
もう脳みそが腐るから。
この年齢で脳みそが腐ってはまずいと思って、
ちょっととにかく頭を使って仕事がしたいって思っちゃったんだよね。
途中からオーストラリアで。
だからもうA受験なんて別にいらないし、早く日本に帰らせてくれっていうマインドだったんです。
だからもう終わったらすぐに日本に帰ってきて就職しました。
それはでも英語を使ったお仕事ですか?
日本に帰ってきたら英語を使った仕事でした。
日本に帰った時に見つけた仕事は、
日本の小中学校にALTっていうアシスタントランゲージティーチャー。
英語の先生を派遣する。
なんかいたね。
いるんですよ。
その当時派遣、そうですね、流行り始めたというか、やり始めたそういう外国人の先生を。
ネイティブの先生?
ネイティブ。一応ネイティブだったけど、今はもうネイティブじゃない中国人の人で英語を話せる人とかも、
外国人だったら誰でもよくなってるかもしれないけど、その当時は一応英語ネイティブの先生を派遣してた。
派遣する会社に?
会社に。
そうなんですね。
会社で派遣してる、あとは企業の英語研修とかをコーディネートするような会社で、
英語だけじゃないね、語学研修。
だから韓国語やったりとかインドネシア語とかやったりとか。
企業でそういう社員に向けた研修をやるコーディネーターとして入って、
あとそのALTの先生のコーディネートを。
だからALTの先生と、彼らが日本に赴任するときの赴任のお手伝いとか、
要は入居、アパートの入居のお手伝いしたりとか。
大体都内じゃないので、地方に送られるんですよね。
学校だね。
学校は栃木県担当で栃木に行って、栃木のアパート借りたときの入居、
冷蔵庫買ったりとか。
生活するまでのお手伝いってことね。
生活のセットアップもやったし、
あとは先生のとこにご挨拶に行くときに同行して、よろしくお願いしますって。
今後喋れないからね。
そうそう、小学校とかに連れて行ったりとか。
あとは都内とかは、やっぱり初日行くときに一緒に連れて行ったりとか。
そういうところで英語を使ったり。
あとはこういうことやっちゃダメよとかっていうマナーを。
やっぱりなかなか難しいんですよ、日本の小中学校。
いろいろ厳しいから。
机の上に座っちゃダメとかさ。
コーラ飲んじゃいけないとか。
そう?
そうなんです。外国人の先生でも子供たちがコーラ飲めないから、
今は違うかもしれないけど、
学校でコーラは飲んじゃダメとか。
はい。
そういうのがピアスしないでください。
コーラ大好きだもんね、アメリカ人とかって。
アメリカ外国人っていうか、他の偏見かもしれないけど。
やっぱりソーダ飲みたいよね。
だっておばあちゃんでもコーラ飲んでましたよね、こっちのアメリカ人は。
でも学校ではみんな子供たち飲めないじゃない?
そうね。
コーラは。牛乳とかしか飲めないよね。
だから先生たちも飲んじゃダメですよとか、
あとは机の上にちょっと座っちゃったりするわけですよね、外国人の先生。
そういうのもやっちゃダメですよとか、
そういうのも一応注意をされたりするし、
結構ね、いろいろ問題があるんですよ、学校の先生、小学校に日本で送ったりすると。
そうなんだ。
そういうコーディネートの会社で、2年間働いてたコーディネーター、営業兼コーディネーターみたいな感じ。
キャリアの展開
でもちょっと今の仕事に通じるところもありますね。
つながってるね。
逆バージョンとかね。
そうそうそうそう。
外国人の方を。
そう、送ってたね。
でもそこは2年間ぐらいしかいなかったけど。
そうなんですね。
そうね、そこも会社にもちょっといろいろ問題があったりね、したので。
そうなんだ。
変わってる会社だったから。
その後、留学エージェントと言われる会社に転職をした。
またより近づきましたね、今の仕事。
アメリカを専門にした留学とかインターシップの授業を新規授業でやるっていう立ち上げで、私は採用されたんだけど。
新規授業で。
そう。
それちなみに何年ぐらいの頃だろう?
えっと、2004年とかぐらいね。
結構盛んに留学生が来てた。
留学とかがやっぱり多くなってくる時期。
で、なんでその人たちが新規授業始めたのかよく分からないけど、その会社は。
でも後から、後発組ではあるけど、新規授業で。
その前の授業は何をやってる会社だったんですか?
そこの会社ね、変わってる会社で、今もあるけど、いろんな新規授業をいろいろ始めるっていう会社で、
要はベンチャーみたいな会社。
業界問わず。
業界問わず。
いけそうなところを狙ってくれた。
で、そこから派生して、今も残ってるのはヨガスタジオのラバー。
ラバーがその当時、私がいる時にラバーが立ち上がって、私はラバーのトライアルで何度も行かされたりしたね。
そうなんだ。
ホットヨガ受けに。
それもなんか流行り。
流行りだよね、その人たちが流行って。
初めぐらいですよね、きっと。
あと漫画喫茶をやってた。
それもなんかすごいね、儲かりそうだ。
ビジネスちゃんとやってますね。
あと社長が健康オタクだったので、自分たちで蜂を飼って蜂蜜作って、体に蜂蜜とか。
健康オタクだったから毎日青汁が出るのね、社内で。
毎日絞りたての青汁。
すごいまずかったの。
でもあれだってまずいって言って飲むやつですからね。
それよりも本当にまずいから、本当に経路を絞ってる。
本当に苦手。
強制的に飲まされた。
毎日出されるの。本当につらかった。
それを飲まされて、そういう会社にいたんだけど、そういう新規授業がいっぱいあって。
楽しそうだね。
その中の海外事業部で留学インターシップの授業を新規で。
じゃあ立ち上げからやられて。
立ち上げからやったんですよ。だから何にもなかったので、
J1ビザ取得の経緯
立ち上げをやる時に、じゃあJ1ビザのインターシップっていうのもやりますっていうので、
このインターシップを現地でコーディネートしている会社を紹介されて、
その人は今もつながってるけどね、アメリカにいる。
彼の会社と知り合って、J1ビザを始めたっていうのがJ1ビザのきっかけですよね。
私が始める。
それがでも安西さんは日本の勤務なんですか?
その時は日本の勤務。日本で私は送客する側ね。
現地の受ける側のエージェントさんが現地にいて、そこと提携してやってた。
アメリカのエージェントさんです。
その当時はアメリカからお客さんを取ることはできないから、
なかなか私たちがお客さんをリクルートしてアメリカに送客する。
日本でお客さんにカウンセリングをしてたという対面でね。
渋谷にオフィスがあったので。
そうなんだ。
そこに5年ちょっといたかな。
アメリカに来たきっかけは?
そこからその会社5年いて、その会社新規事業から撤退しますってなって、
そこの取引先の方からお声をかけてもらって、
その会社に入ったのがアメリカのインターシップの代理店、卸しをやっている会社で、
そこの会社に入った後すぐにアメリカのオフィスにスタッフが急に辞めちゃうから行ってくださいって、
私がいきなり送られたのがアメリカに。
それ本当は日本勤務だったのに。
そう本当は日本勤務だった。
だけど私は行きたくなかったからアメリカに。
なんで?
アメリカに行きたくなかった。日本に住みたかった。
アメリカを扱ってて海外に興味があったんだけど、その時は日本にずっと来たかったんです。
そうなんだ。オーストラリアの時とはもっと心境がまた変わってたってこと?
そう、日本で働きたかったっていう心境。
あとは日本にプライベートで日本で結婚するつもりの相手がいたわけですよ。
彼がいて。
だからちょっと今アメリカに飛ばされても結婚するっていうつもりのお年頃の、
婚約はしてないけどそういう相手がいたからあんまり行きたくないよね。
だけど行ける人が誰もいないって言って。
出張でまず3ヶ月行きますって言って3ヶ月行ったのがもう発端ですよね。
3ヶ月行っちゃうと、一応やっぱり現地で営業とかをしてたので、
お客さんとやっぱり知り合いになりますよね、現地の企業さんとか。
それロサンゼルスの事務所ですね。
ロサンゼルスの事務所で営業とかをしたりとかお客さんと知り合いになると、
3ヶ月で帰ったらまた誰もいなくなったら、このお客さんたちを誰が対応するのかっていう、
ちょっと責任感が出てしまった。
で、一回戻ったけど結局誰も採用できる人がいないし、
やっぱり日本から駐在じゃないけど誰か送らないとちょっとオフィスが回らないと。
で、また私はもう一回行くわけですよ、出張で。
で、2回3ヶ月の出張しました。
もうやっぱりビザ取らないと入国危ういぞと。
で、一回ビザ取ったんですけど、その時B1ビザっていうビザを申請したんですけど、
私キャッカーされたんですよ、その時。
そうなんだ。
うん、ビザキャッカーされたことがあって。
なぜですかね。
え、あんたが行く必要ないからって。
Bビザって短期商用ビザなので、短期間、短期商用ビザなんだけど、
要は90日以上ビザなしで日本人滞在できるわけですよね、その当時から。
90日以内だったら。
まだね、まだね。
うん、まだよ。
でもそれ以上行く人たちがB1ビザっていうのを取るの。
それ以上行く必要あらたりはないっていう。
で、判断されたの。
判断された。
現地の人でやらせればいいじゃん。
あ、そういうことね。
うん、結構B1ビザって厳しいんですよ、何か理由がないと許可してもらえない。
で、それキャッカーされて、で、じゃあどうするってなって、
もうしょうがないから、じゃあ就労ビザ取りますよって言って、
L1ビザを取ったんですよね、もうしょうがないからね、行く方法がね。
Lビザって何でしたっけ。
Lビザは企業内駐在。
企業で1年以上働いた人が企業間で駐在。
B1っていうのは投資家ビザ。
アメリカに子会社的な。
そうです、現地法人に送られて。
そうそう。
企業内の駐在ビザでL1で、それはビザが取れて来ることになって、
そこが長期で滞在をし始める、一番最初ですね。
でも彼がいたので、3ヶ月に1回私は帰りますっていう条件付きで就労ビザを取ったんですよ。
でもそれを3ヶ月に1回帰るっていう活動を3年間やったんですよ。
3年間?
やったんですよ。
しんどいね、それ。
やったんだよね。
彼も来ないんだって思っちゃうけど。来たらいいのにって思っちゃったけど。
だから私は日本にまだマンションを残して、
アメリカはいつでも帰れるようにミニマリストのように必要なものしか買ってないっていう生活を3年間送ったんですよ。
そんな生活をしたんですけど、3年で。
心の拠点はまだ日本だったわけね。
そう、去年。いかに日本に帰れるかみたいな。
でも3年で1回ビザの更新が来ました。
3年、とりあえず1回更新しました。
その更新の後ぐらいから、やっぱり日本よりもアメリカのコンフォダムになってきたわけですね。
やっぱり日本に帰るためにアウェー感を感じるというか、
日本人って楽しいのかな、働いててって思うようになって。
毎回日本に帰ると、すっごい長いミーティングだったりとか、
報告をさせられるっていう、決定するまでに時間かかるなとかね、
結構そういうのが見えてきたりして、
日本のもちろん本社で毎回帰ったらミーティングしたりするので、
結構そういうのにちょっとフラストレーションがあったりとか感じてきたわけですよ。
ビジネスのやり方が。
L1ビザとアメリカでの生活
違うよね、アメリカと。やっぱりデシジョンメイキングがアメリカ早かったりとか。
そこにちょっとイラつきが出てきちゃった。
やっぱり日本に帰った時に、電車乗ると楽しくない人たちが携帯ずっと見てたりとか、
日本人って日本に住んでて楽しくないのかなってちょっと思ったりとか。
アメリカの方が、やっぱりアメリカで仕事したらすごく楽しかったわけですよ、その時。
いろんな人と知り合いたりとか、いろんな会社の大手でも社長と知り合いになれたりとか、
結構いろんな年代の人と知り合いになれることがアメリカって。
そんなに壁がなくというか、同等にお付き合いできますからね。
結構ホームパーティーに呼んでいただいたりとか、
日本に行ったらやっぱりなかなか社長と会ったりってないじゃないですか。
結構そういう広がりだったりとか、ビジネスの広がりもそうだけど、
プライベートの人脈だったりも、こっちの方が楽しくなってきたりっていうのもあって、
しばらくやっぱりアメリカで仕事がしたいなって思うようになったの。
3年過ぎた頃から。
彼との結婚とかっていうのも、天秤的にはちょっと軽くなってきちゃった。
そうなったので、ビザの更新のタイミングで、
また更新をするのか、グリーンカードあなた取れるぐらいだよっていう、
グリーンカード取ってみてもいいんじゃないっていう弁護士さんから言われて、
どうしても取りたい人には申し訳ないかもしれないけど、
たまたま役職もあって、グリーンカードが取りやすいっていうところで、
会社に、じゃあグリーンカード取りましょうかって、
就労ビザを更新するよりもいいんじゃないですかみたいな話をして、
会社としては私がいないと困るみたいな立場だったので、
じゃあグリーンカード取ろう取ろうみたいな。
で、グリーンカードを取るっていう決断をしたときに、
彼もこっちに拠点を移すっていう決断を、そこでしたわけですよ。
それがやっぱり結構大きな転機ですね。
だから別れるっていう決断。
別れるっていう決断ですよ。
結婚して。
それはもうやめましょうっていう。
そうなんだ。
で、アメリカでもう一歩、アメリカにもう永住しますっていう。
彼は来なかったんだ。
来ないです。
そういう話にはならなかった。
えっとね、ちょっとプライベートの話も入れると。
入れてください。
彼はね、アメリカ人だったんですよ。
逆がパターンだよね。
で、アメリカ人だったらいつまでもこっちに戻ってくるんだけど。
アメリカ生まれってこと?
アメリカ生まれの。
国籍は持ってたんだ。
就労ビザを取って日本で働いてたわけですよ。
なるほど。
だけど日本の永住権、帰化したいっていう彼には目標があって、
アメリカには戻れないっていう。
すごい入れ違いだね、力がこっちから。
結婚してっていう、結婚して日本の永住権を取るっていう選択肢もあったかもしれないけど、
やっぱり自分の力で取りたいっていうね。
なるほどね。
そういうのもあったし。
で、私がじゃあアメリカに行くって言うなったら、
結婚してっていうよりあまりその話も現実的じゃなくなりますよね。
彼は日本で帰化したいって思ってる人だから。
そういうことか。
だから、このタイミングにしてもご縁はもうなかったんだなっていうことで、
私は結構スパッと終わりにしましたね。
そこでもう決断をしました。
人生の転機
永住権を取るって決めたときに、もうそこは決断しないといけないなと思って。
それはちなみに何歳頃の頃だったんですか?
それは36歳なんですよ。
まあまあで完結なんですね、それは。
まあまあできるよね。
36歳、いやもうちょっとか、38歳ぐらいか。
そうそう、まあまあな決断。
そうなんですよ。
だけど、まあそれまあまあな決断なんてすごい言われる。
そのときに、なんで今まで結婚しなかったんだよとかって言って、
ごねる女の人とかもいるじゃんみたいな。
周りからね、今までの時間返してよとかって言う女の人いるじゃんみたいなことを周りの人から言われたけど。
いるかもね。
いるよ、いますよ、女性によってはね。
結婚するって言ってたのに、みたいな。
まあでもそれは自分で選んだことだから、そこはもうね、やっぱり。
まあ安西さんはそういうことは別に文句は言わなかったってことね。
だけどまあこの先一緒に行くっていう未来はちょっとないですね。
決断して永住権をやっぱり取ることに決めたわけですよ。
だからそれがなんか天気ですよね。
なんか次の質問につながってるかもしれないけど、まあそれは天気の一つ。
そうなんだ。
まあそうね、次の質問というかもう結構な時間はあるけど。
戻ると、一旦戻ると、なんか衝撃を受けた出来事や人生の転換期となったエピソードがあれば。
それがそれ?
そうそう、だから最初の衝撃は、間ほどボイジーに送られた時の
アメリカってこんなに広いんだ、みたいな。視野が広がるんだっていう衝撃を得て
海外に留学するっていうところに。
その時の衝撃。
そうだね。
で、その後、アメリカに送られてくるっていうのは
まあ嫌々だったけど、なんか自然にそういう流れがやっぱり私には
そういう人生だったのか分からないけど。
なるほどね。
アメリカ移住の決断
で、最終的にアメリカのグリーンカードを取るっていう決断に至った。
そこがやっぱり次の天気ですよね。
でもだから、じんわりというか、3年もでも暮らしてたらそれは快適にもなるか。
でも人によるんじゃないかな。
でも嫌になっちゃう人もいるもんね。
そうそう、嫌な人もいるし。
だから、残りたくても残れない駐在の方もいらっしゃるわけだし。
まあ確かに。
でもどうしても残りたくて会社辞めて独立する人もいるし。
いるしね。
でもやっぱり3年経ってくると仕事の仕方も全然アメリカと日本で。
あと暮らし方も違うし。
やっぱりアメリカの方が自由度が高いじゃないですか。生活をする面でも。
やっぱり毎日の通勤のストレスが本当にあったんだなっていうのはこっちに来て思ったよね。
満員電車で通勤をしてたから。
だからそれがなくなるっていうのが本当に自分の時間がこんなにあるんだって毎日。
っていうのはすごい思ったし、アメリカに来て。
だから食べ物とかもやっぱりアメリカはいろんな選択肢があって、
やっぱり自分が食べたいと思えるものが結構選べるっていうのも思ったかな。
健康的なことですか、オーガニックとか。
オーガニックのものもそうだし、カスタマイズができたりとか、こういうものを入れないでくれとか。
日本はやっぱりそういう決まったものに全部なってた。
選択肢がやっぱりなかった。
日本にいたら選択肢がないっていう認識も多分それしかないからなかったと思うけど。
マナーっていうかなんか、責任体みたいなものもありますもんね。
これ入れないでくださいとか。
こんなわがまま言っちゃダメなのかなみたいな。
そうなんですよ。
だからそういう面ではアメリカに来たらやっぱりすごい健康的に暮らそうと思ったら、
それもできるし。
だからやっぱりすごい自分の選択肢が広がる。
全て仕事もそうだし、生活の仕方でも。
お金はかかるだろうし、責任も多いし、
あと実力主義っていうのももちろん裏返せばね。
自由だけど。
逆にね、自分の自己責任になったりとか、
実力がなかったらっていうのもあれだけど、
やっぱりそういうね、ある程度実力だったり。
ドライブに切られちゃいますからね。
人脈もそうなのかもしれないけど、
やっぱりそういうね、自分自身がないとやっていけないっていうのはアメリカにありますよね。
でもそういうのも含めて自信というか、
私一人でここでやっていくんだみたいな気持ちになったってことですね。
うん、そうね。
でも結婚っていうものに対して、
今の話聞いてると、
養ってもらおうみたいな考えは別になかったんですよ。
そう、だから亡くなってきちゃったってことですよね。
日本にいたらその考えがやっぱり。
それはでも世間体なの?
世間体もあるし、あと年齢が上がってきたら結婚しなきゃいけないっていう。
周りにも言われるし。
言われるし。
あとはやっぱり、自分一人で生活していけないって日本にいたら、
当然思ってたわけよ、その時は会社勤めで。
そうなんですか。
一人で生きていけないって、
なんとなく思ってたよね、日本にいた時はね。
だけど、それがアメリカに来たら、
別に結婚しなくてもやってる人たちいっぱいいるしみたいな。
あとは自立できる方法もあるんだみたいな。
そこでやっぱり選択肢が、これも選択肢の一つだよね。
なるほどね、選択肢は広いですね。
だからこういう方向性もあるんだっていうのが、
アメリカに来て見えてきたから、
別に結婚だけしなくてもいいんじゃないかみたいな、
結婚する必要があったのかっていうのもちょっと思ってくる。
それ方だから、今思うと、
もうあれは結構、世間体の結婚っていう、
結婚しなくちゃいけないっていう、
自分の中の意識しなかったら恥ずかしいみたいな。
日本にいるとそういうのありますよね。
特に昔はね、昔はっていうほど昔じゃないけど、
今でもあると思うから。
今もあるけどね。
でも今ほどちょっと自由ではなかった日本のね。
なんとなくわかりますね。
だからそれがアメリカに来てなくなってきちゃったっていう、
そうじゃなくてもいいんだっていうのが見えてきちゃったってことですよ。
ちなみにそういう考え、いろんな生き方があっていいじゃないかみたいなのも、
多分ソーシャルメディアで出てきてからだと思うから、
それも多分2008年とかだから、
多分その当時はまだないですもんね。
ないないない。
だから来てみて、住んでみて、
多分観光で来るぐらいではあんまりわからなかったと思うし、
最初の3年間ではそんなにそこまでは実感がなかった。
3年間はいかに日本に帰るかみたいな。
結構そういう感じだったけど、
ちょっとその3年ぐらいを境に、
そうなんだね。
だいぶ変わってきましたよね。
じゃあちょっと話が終わんないんですけどね。
ちょっと次のセクションに入って、
今アメリカに来たところまで、
来たじゃねえわ。
永住を決意したところまで聞いたんですけど、
その続きをちょっと次回聞いて、
仕事の深掘りに入っていこうかなと思います。
生活と仕事の違い
いやあの、安西さん、
経歴が、経歴というか道のりがすごいですね。
ここまでの。
はあ、確かに。
なんかいろんなことがありましたね。
いろんなことがあったね。
はい。
すごかったな。
でも最初というかなんだ、
大学卒業してからは就職して3年間?
あってからオーストラリア留学だもんね。
これもなかなかレアですよね。
そうですね。
でも大学時代にも留学されていたから、
そうか。
そういう目線があったんでしょうね。
海外、世界は広いっていう。
最初から3年で辞める。
3年お金を貯めてっていう考えがあったとはいえ、
なかなか仕事辞めるって大きな決断だよね。
ゆなさんも経験者だと思いますけど。
いや大きな決断ですし、
こんなこと言ってあれですけど、
今よりもきっと就寝雇用で、
っていうような考え方が多かったと思うので。
そうだよ、だって20年30年前ぐらいの話だからね、これ。
はい。
ほんとやっと最近ですよね、
転職と就業する人が出てきたっていうのも。
それがもうちょっと気軽にできるようになったっていうね。
気軽っていうかわかんないけど。
一つの選択肢としてみんなの考えにあるのは今の時代ですけど、
当時一歩を踏み出すっていうのはかなりの決断だったのかなと思いますね。
ね。
まあでもそこから3年経つ頃には、
もう日本で早く日本に帰りたいみたいな話もあったけど。
スロー、生活がスローすぎてみたいな。
まあその気持ちもどうですか、わかります?
わかる、わかる。
まあでも、俺そんなに都会が好きなタイプじゃないけど、
ユナさんはどうですか?都会好きですか?
私、都会が好きなんですよ。
なんかそんな感じは。
なので、ちょっとわかりますね。
まあ俺もでも、ハワイに6ヶ月とか住んでたことが、住んでたっていうか、
まあ長期出張みたいなので行ってたことがあって、
それはもう早くLAに帰りたいなと思ってたけど、
でもLAの人は、ニューヨークの人から見るとLAの人がすごいのんびりしてて、
スローライフに見えるらしいけどね。
サンフランシスコも、どっちかというとニューヨークっぽい都会なイメージもある。
まあ場所によるか。
場所によるけど、
南のベイエリアはちょっと違うもんね。
違うけど、やっぱカリフォルニアなんじゃないですかね。
まだゆるいってこと?
ゆるいと思います。
なんかニューヨークみたいに目まぐるしいみたいな感じはやっぱりないかもしれない。
もちろんシリコンバレーとか大きい企業いっぱいありますけど。
結構ゆなさんも今サンフランシスコで生活してるけど、
ちょっとゆるいなみたいな感じなんだ。
ゆるいなとは思わないけど、
仕事してる分には多分いいと思うんですけど、
例えば遊びに行くとか休みの日にやることってあんまもしかしたらないかもしれないですね。
それはでもアメリカ全体がそうだよね。
多分そうだと思います。
日本がやっぱり多すぎるっていうのはあると思いますけど、選択肢が。
でもやっぱり結局自然になるじゃないですか、アメリカだったらちょっと遠くして自然とか。
しかないって感じだけど。
そういう意味ではちょっと日本とは違いますよね、全然。
安西さんが言ってたのは、多分もっとだからテキパキ仕事がしたかったんだろうね、したくなっちゃったんだろうね。
マリアウーマンって言ったら怒られるの?今。
そうですか。
わからんけど。
気持ちはわからんではないよね、こんなにのんびりしてていいのかなみたいな気持ちになっちゃったんだろうなとは思うけど。
バリバリ働きたくなっちゃったんだろうね。
でもアメリカの働き方が快適っていう話もありましたからね。
そこもだから3年いて、でもその前がちょっと転機というかね、分岐点だったと思うんだけど、結婚を考えていた彼とのお別れを。
最初はだからね、野望を得ず行って遠距離恋愛をして。
3ヶ月に1回日本に帰ってみたいな話、3年間やったってすごいですよね。
僕もね、元嫁が日本にいるときに知り合ってるんで、1年ぐらい遠距離だったんですよね。
でももうそれで耐えられないっていうか、もう結婚した方が早いってなっちゃって、早いっていうか色々便利みたいな感じになって結婚しましたけど。
3年続けてたのすごいなと思う。
すごいですね。
でもそこでまた辞めて、自分はアメリカでグリーンカードしとくっていう。
ね、決断を。
決断っていうのもすごいですよね。
ね。
それぐらいLAのことが気に入っちゃった。
LAのことというか、アメリカと日本の働き方の違いで、そっち側に触れたってことですよね。
うん、すごいかっこいいです。
ね、そうやって決断できる。
子供の頃からね、自立心が強かったと言っていましたけど、そういう決断ができる女性はかっこいいなって思いますね。
仕事の哲学
かっこいいです。
本当に。
グリーンカード。
ね。
はい、そんな感じかな。
はい。
あと何の話してたかな。
そんなね、こんなでアメリカに来て、ピンで生きているという感じですけども、自立した女性っていう感じを受けますが、
来週が仕事の掘り下げですね。
どういう姿勢とかどういう哲学を持って仕事をしているかとかね、モチベーションとかその辺を深掘りをしております。
はい、次回も楽しみにしています。
リアルアメリカ情報
このコーナーでは、最新のビジネス生活情報をアメリカからお届けしていきます。
はい、お願いします。
今日はですね、スーパーボール、来月2月の8日、日曜日に行われるんですけど。
どこでやるんだ?
なんと、サンフランシスコベイエリアンのリーヴァイススタジアムなんです。
そうなんだね。
はい、そうなんです。
スーパーボールとハーフタイムショー
スーパーボールと聞いて、日本人の何割がピンとくるだろうか?
まあ、そうですよね。でも、やっぱりスーパーボールは日本でも話題になりますよ。
そうかそうか、そうなんですね。
はい、なんで話題になるかっていうと、やっぱりハーフタイムショーなんですけどね。
そっちだよね。
はい。
ちなみにスーパーボールとは何ですか?
スーパーボールはですね、NFL、アメリカンフットボールのシーズン最後の試合なんですね。
それで、年間王者を決めるみたいな形の大会ですね。
それ勝ったほうが、今年で一番強いチャンピオンだっていうような戦いなので、すっごい盛り上がるんですよね。
ハーフタイムショー、去年誰だっけ?
去年は、ケンドリックラマー。
で、私今日、ハーフタイムショーの話したいなと思って。
どうぞどうぞ。
なんか、アメフト、私もアメリカに住んでから見るんですけど、あんまりなじみないじゃないですか。
うん。いまだに俺、ルールわからん。
そうですよね。
複雑ですし。
見ないけど、周りの盛り上がりはすごいということは知っています。
すごいですよね。
ほんとチケットも超高額ですし。
で、ハーフタイムショーがあるっていうのが、やっぱり一つの高額だったり注目される理由だと思うんですけど。
なんか、ハーフタイムショー見たことありますか?
いや、それはなんつーの、テレビでとかはチラッとはありますけど、そんなにね、俺、ロックが好きでさ、
結構なんか、ダンスとかラップとかの黒人さんの方が多いじゃない?たぶん。
まあ、そうですね。パフォーマンスが華やかな方が。
そうだよね、昔でもマイケルジャクソンとか出てたっけ?
出てます、出てます。
ビヨンセとか、マドンナとか、その辺はなんとなくわかるけど、
ケンドリックラマーとか、よくわからない人も多くて、あんまりぶっちゃけそんなに見てないです。
が、はい、どうぞ。
私は結構音楽も好きで、すごく詳しいわけじゃないんですけど、
昔からアメフト全然わからない時から、日本でもハーフタイムショーは見るみたいな感じでやってて、
今年は誰になったかっていうのはご存じないですよね?
全然、ご存じあげません。
今年は、バットバニーっていう方が。
わかんないかな。バットバニー?
ですよね。
はい、っていう方が、最初の勤めることが発表されたんですけど、
もしかしたら何人かが後から来るかもしれないんですけど。
ラッパー&シンガーって書いてますね。
しかもプエルトリッコの方なんですよ。
あ、へえ。
だから、私もこの方の曲を知ったのは、
日本で活躍している外国人野球選手が登場曲で使ってるとか。
あ、へえ、そうなんだ。
なんかそういう感じで知ったんですけど、
ものすごく人気で有名な曲もたくさんある。
だからこそスーパーボールのハーフタイムショーに選ばれてる。
そりゃそうだよね。
そりゃ最高峰ですよね。
最高峰です。
いろいろ議論されてて、もしかしたらテイラー・スウィフトがやるんじゃないかとか。
やったことないんで。
あ、やったことないんだ。
そうなんですよ。
でもなんかあれだよね、彼氏が。
そう。
去年なんかいろいろフォーカスされてたよね、テイラー・スウィフト見に来てて。
常に婚約したんですよ。
あ、そうだそうだ。
アメフト選手でね、彼氏が。
なんていう人だっけな、忘れちゃったけど。
トラヴィスっていう、ちょっとごめんなさい。
トラヴィス・スコットみたいな名前だったかな。
本当に2年連続かな、3年連続かな、スーパーボールに出てるチーム。
ハンザスシティ・チーフスっていうすごく強いチームの選手なので、
そう、ハーフタイムショーやるんじゃないか、ついにテイラーがなんて、サンフランシスコ来るのではないか、なんて言われてたんですけど。
バッドバニーになりまして。
なりまして。
なりまして。楽しみなんですけどね。
ああ、そうなんだ。
なかなか見に行くのは結構な金額ですよね、チケットがね。
超高額ですよ。
ね。どれくらいなんだっけ、毎回この話してる気もするけど。
本当ですか?
いくらくらいなんだっけ、何千ドルはするんだろうな。
そう。私も、ごめんなさい、調べれば分かる。
いやでもね、こないだでもね、丸目さんがこのアメスポって言って、この番組内でちょっと喋ってくれた内容が、
なんやったっけ、WBCとワールドカップだけど、
ワールドカップですよね。
年々チケット代は上がっているっていう話をしてましたよね。
とにかくすごいと。
ビップ的なものだったらもう5、6千ドルだから100万円近くですよね。
でもスーパーボールなんてもっとだよね。
スーパーボール今パッて調べたのだと、だいたい7千ドルから2万3千5百ドルぐらい。
2万3千5百ドルか、何買えるかな。
だからまあ、数百万円ぐらい。
まあね、300万400万ぐらいですよ、350万ぐらいか。
安くても100万ぐらいってこと?
そうだね。
っていうことみたいなので、いくら近くに来ても行けないので、テレビで見ようと思うんですけど。
でも球場の外とかに行ったら聞こえてくんじゃない、なんか音がかすかに。
いやそれはあるかもしれないです。
わーって盛り上がってるの、音が。
でもやっぱりそういう大きいイベントが来ると、街中がお祭りになるので、
サンフランシスコ全体がお祭りムードになって、街中の店舗でもお祭りみたいなイベントがあったりとかするので、それは楽しみですね。
そうだよね。
あとそのスポーツバーとかで見るのもね、アメリカっぽいよね。
スッピール飲みながらみんなでワーワー言って。
なんかみんなあんま見てないみたいな感じもあるけど。
みんな酒飲んでるだけで。
いや、アメリカ人は大事な試合はちゃんと見るんですよ。
大事じゃない試合は全然見てないんですよ。
でもさ、フットボールといえばさ、興奮しすぎてテレビをぶっ壊すっていうシーンが流れてこないよ、よくインスタとかで。
そんなあるんですか。でもありそう。
負けたりしてボーンってスクリーンを殴って、周りの人がオーマイガーって何も見えなくなるっていうやつ。
見たことあります。負けてる方ですね。
そうそう。
見たことある。
怒りすぎてテレビをぶっ壊すっていうシーンがよく出てますけどね。
それぐらいみんな力入ってるんですよね。
そういうことですね。
本当に、はい。
まあ競技自体もですけど、ハーフタイムショーも楽しみだなみたいな。
年に一度のお祭りですね。
じゃあ俺もちょっとバッドバニーさんがどんな歌を歌うかちょっと後でチェックしておきます。
ぜひぜひお願いします。
はい。
以上でリアルアメリカ、どうやって終わるんだっけなこれ。
ごめんなさい、私がリアルアメリカ情報でしたって言えばいいな。
そうですね、はい。
そうですね、すみません。
ではこんなところでリアルアメリカ情報でした。
はい。
結婚とキャリアの選択
では最後の質問コーナーです。
はい質問、あんざいさんとのお話悩かってですが、
結婚とキャリア、難しいと感じることはありますか?
難しいと思います。
難しいというかなんていうか。
女性ならではの悩みっていうのもあると思いますしね。
難しいと思う。
なんか考えたことある?
考えたことはもちろんありますけど、
まだ独身ですもんね。
はい、独身です。
考えたこともありますけど、やっぱなんか長期プランで考えても、
その時によって自分のやりたいことって変わるなっていうのは思ったんですよ。
なるほど、それは実際留学してみてとかってこと?
そうですね、なんかそれこそ、
私の場合は結婚とキャリアっていうのではなくて、
自分のやりたいこととキャリア、留学とキャリアっていうので考えたことがあって、
それは社会人の6年目ぐらいの時に、やっぱり私は留学がしたいなっていうふうにずっと思っていて、
でもやっぱりここまで積み上げてきたキャリアを一回止めるとか、退社をするってすごく勇気がいて、
なんか留学して2年もしたらみんなに忘れ去られちゃうのではないかとか、
仕事ってなくなっちゃうんじゃないかとか、すごい思ったんですけど、
でもやっぱり今ずっと留学したいと思っていて、今行かなかったら、
40歳になっても50歳になっても行っとけばよかったって思いそうだなと思って、
決断したんですけど、
いざ留学してみたら、
会社辞めなければよかったって思うことってなくて、
そうなんだね。
仕事ってまた自分の新たな環境で、
きっと自分に合った道が見つかるだろうなみたいな考え方に変わりましたね。
それはなんかやっぱり広がったってことなんだろうね。
選択肢がここに戻ってこれるかなみたいな感じだったのが、
別にここじゃなくてもいいんじゃねっていう感じになったってこと?
そうですそうです。やっぱり環境を変えると新たな出会いもありますし、
こうやって働いてる人いるんだって新しい目線ができたりとかしますし、
その留学を決めたときは、大学院卒業した後何やろうかなって考えてなかったんですけど、
自分が勉強を進めていたりとか、いろんな人とお話しするうちに、
私ってこういうの好きだなっていうのがまた新しく発見できたりとかして、
最初に思い描いていたものと今向かっている先ってちょっと違うなって思うので、
なんか最初に考えすぎて一歩踏み出せないよりは、
もう今やりたいこと、安西さんもおっしゃってましたけど、今を生きるっていうのをやるべきだなっていう考え方に私は思いました。
なんかやってみる前の情報量とやってみた後の情報量全然違ってるからね。
それ考え方も変わるよなって思うけど、なかなかそれが怖くていけないかったりするしね。
まあでも今話し聞いてて、結婚とキャリアっていうよりかは、
自分のやりたいこととキャリアっていう天秤っていうのがなんか刺さりました。
っていうので、私は考えたんで、もしそれが結婚だったら、自分が結婚したいだったら結婚に行くだろうし、私は。
キャリアを捨ててってことですか?
そう捨てるっていうか、どっちが大事かなって思って結婚の方がしたいってなったら、
自然と結婚する中でどういうキャリアにしようかなになると思う。
ゼロ逆じゃないってことだもんね。
そうそうそうそう。
結婚したらキャリアが全滅かっていったらそういうわけじゃないしね。
たぶん本当にやりたいことがあったら、もうどうしようって悩まないというか、そっちになる、向かっていくと思うから。
まあイノシシ年だしね。
ここで回収するんですか。
これでも先週の話だった気がする、先週か。
そっか、先週だ。
でもだから、安西さんのキャリアというか、自分は結婚じゃなくてこっちだっていうふうに決めて、
アメリカ行くっていうのも、もうそういう運命だったというか、そうだったんだと思うから、
自分の直感に従ったんだと思うから、そうなんだと思う。
あるべきなんだろうね。
そうそうそう。
女性の悩みと時間制約
確かにね、結婚したからこれができなかったとかって後悔されてもね、結婚相手も嫌だろうし。
そうなんですよ、結局違った方を選んだとしても、また自分のやりたい方に向かっていくんだと思うから。
そこを殺して一生生きる必要はないからね。
そう思います。
でも難しいですよね、女性。深い深い話。
女性はね、でも難しいですよ。やっぱ子供が欲しいとか思ったら、タイムリミットがあるとかもあるから、悩みはつきないですけど、という感じですね。
深い話でした。
そうですね、新しいことやれば情報量増えますよっていうのも一つです、ポイントですよね。
そう思います。
はい、そんな感じでしょうか。
ということで、この番組の本編とリアルアメリカ情報の詳細はブログに掲載しています。
podcast.08rock.comまたは1%の情熱物語で検索してみてください。
はい、1%の情熱物語は、日本を飛び出し世界で挑戦していく人を応援します。ご家族、友達、同僚などへのご紹介大歓迎です。
情熱の部屋というリスナーコミュニティを作ってますので、ぜひ覗いてください。
はい、今週も聞いてくださってありがとうございました。
ありがとうございます。
それではまた来週。
じゃあね。
01:10:05

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