1. ラジオ産経ビジネスジャーナル
  2. 「夢は外国航路の船長」しかし..

起業時の教室は地元の会館、宣伝は町内の回覧板、テキストはなし。
今回の経営者インタビューは大阪を拠点とする総合学習館「イング」の創業者で名誉顧問の青木辰二さん。
第2回目は、青木さんはどのような幼少期をすごしたのか。青木さんのご両親の教育方針を打ち明けます。

【聞き手】安本寿久(産経新聞大阪本社・編集委員)


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00:00
改めまして、今晩のゲストは、株式会社イングの創業者で、名誉顧問でいらっしゃいます、青木達通さんです。青木さん、こんばんは。
こんばんは。
先週について、今夜もよろしくお願いします。
こちらこそよろしくお願いします。
先週、イングの躍進の秘密のようなものを伺いました。
今晩は、その躍進につなげた創業者、経営者としての青木さんの老いたちに迫ってみたいと思っております。
資料をちょっと読ませていただきますと、7人兄弟の生育校でいらっしゃったわけですよね。
はい、そうです。
家庭のこと、あるいはご両親の教育方針なんかについて伺えますか。
はい。家のほうはですね、兼業農家でですね、農業と、それからよろず屋ですか、雑貨屋さんですかね、今のコンビニ的なものですね。
両方をやっておったんですね。
堺でされてたんですね。
親は2人とも明治の人間で、朝早くから夜遅くまで一生懸命働いている姿はずっと見とったんですね。
私も手伝いながらやってきました。
特にお袋なんかは近所の人のお世話までしてと。
親の頑張る姿ですか、これを見てきたんで、反対にこの母親からは我慢しなさいということ、
それから自分のことは自分で決めて自分でやりなさいという部分。
それから絶対休んだらダメっていうことで。
休んだらダメ、はい。
一個も休ませてくれなかったんですよ。
風邪行こうが、ちょっと怪我しようが。
病気でも休めないんですか、学校。
だから僕は小中高、ずっと戒禁症でした。
そういう部分が親の教えで親を見とって、そういう習慣がつきましたね。
なるほどね。
お父さんとお母さんで、例えばよろずやさんのような店をやっておられるときの役割分担みたいなものはされてたんですか。
親父はほとんど農業ですけどね。
農業は。
母親は漁をやったりとかやってましたけどね。
なるほど。
そうなるとお父さんの方が外に出てることが多いので、
青木さんとしてはお母さんの背中を見ながら、あるいはお母さんの話を聞きながら育ったという部分が結構大きいですか。
大きいですね。
なるほど。
お母さんの教育のたままかもしれませんね。
長兄兄弟の末っ子ということなんですが、お兄ちゃんお姉ちゃんたちとの関係はどうだったんですか。
かなりかわいがってもらった、あるいは厳しくされた、どちらだったんですか。
あんまりね、かわいがってもらって、あんまり何も言われなかったですから。
言われなかった。
僕はどっちかというと、僕は自分で近所の人と遊んどったという感じですね。
だからあんまり兄弟で一緒に遊んだりとかはなかったですからね。
年が離れてとかそういうこともあるんですか。
それもありますね。上がほとんど女だったんで、姉だったんで、一番上がだいぶ年が離れてますね。
そういう部分で、なんか自分で遊ぶ習慣がつきついてましたね。
じゃあ近所の子供たちとよく遊んだということでしょうね。
03:02
次に学校時代のことを伺いたいんですが、普通で小学校、中学校、高校といくわけですが、小学校時代はどんなお子さんだったんですか。
小学校時代は本当にもう外へずっと夕方まで遊んでましたね。
それから昔で言うベッタですか、面子、それからB男とか、ああいうことをよくしたりケンパしたりですね。
とりあえず外で遊んでました。
あまりその時は例えば、学校の勉強しろとかそういうことはお母さんは言わないんですか。
親は一切ね、勉強しなさいとか言わなかったですね。
勉強はお好きでした。
いや、でもそういうのは嫌じゃなかったけど、センター監督は自分でしただけで。
中学になるとどうなりました。
中学になってですね、いろんな友達ができてという部分で、友達との遊びがやっぱり多かったですね。
ただクラブ活動もやってたりとか、勉強も一生懸命するようになりましたからね。
中学から。
はい。
ちなみにクラブは何されてたんですか。
もうね、2,3入って、陸上部入って、そこからテニスちょっとやってとか、それからちょっと体操部やったりとか。
もうすぐちょっと飽きてやりましたけどね。
でも体を動かすことは好きだったんですね。
そうです。大好きだったんですね。
陸上なんていうのはスポーツの王道みたいなものですから、そこもやられてるということですもんね。
中学の時、体操でも校内大会で大車輪にやってましたからね。
ブロッド回りですね。
アンナもしてましたんで、だいぶ運動が好きだったんですね。
なるほど。そこから高校ということになるわけですが、いつ頃から例えば職業のことを意識されました。
高校入った時はこんな仕事つきたいなみたいな気持ちは育ってたんですか。
中学3年生の時の担任の先生が、たまたま英語の先生で、よく授業中にお話をしてくれたんですよ。
どんな話かというと、外国航路の船長さんのお話をしてくれたんですね。
外国の船長だったら、いろんな国に行って見れるし、楽しいお話をしてくれたんで、船長に憧れたんですよ。
小船高校へ行こうと思って憧れたんで、ただ視力が全然ダメだったんで、担任したんですけども、
ただその先生によって英語が大変好きになって、高校になって英語のESSクラブに入ろうという部分で入りました。
先週から伺っていると、英語との出会いと英語を武器にしてということで、青木さんの人生はかなり成り立っているんですが、
その最初の道をつけてくれたのは、この中3の時の担任の先生ということになりますか。
その先生の話が大好きだったんですよ。授業中でもその話ばっかりだったんで。
06:04
いかに英語話できたらいいかということを言っていただいたんです。
英語の高揚を教えてくれたわけですね。
でも、船長というのがなかなかいいような気がしますね。男の心をつかみそうなテーマですもんね。
その先生は亡くなっておられるんでしょうけど、かなり歳をとってからも。
ずっと交流されています。
高3になった時に受験勉強があったんですけども、僕の人生の中で高3が一番充実した年かなと。
なんでかというと、遊びもやって、受験も勉強して、いろんな一生懸命やったんで。
受験勉強じゃなかったんですね。
じゃなかったんですね。ただ勉強するときも、家なんか空欄はその当時はありませんので、
よくナンバーの喫茶店でずっと何時間も喫茶店で勉強したのを覚えています。
僕なんか田舎の出でしたんで、田舎にはないような勉強方法ですね。
大学生の勉強の方法のような気がしますが、そういった意味では都会の高校生だなという気がしますね。
念願通り受験は成功されたんですけど。
それでね、大学受験で日本一周しようと。
受験で一周するわけですか。
ということで、事務局の方に額割り賞ですか、当時はね。
18枚もらったんかな。
あんたはこんなの初めてよ、こんな行産。
18枚ということは18校は受けるわけですね。
15校以上はね。
で、僕も考えて、昔は国立一期校、二期校ありまして、
この地方の一律大学ですね、一生懸命日程の違うところ探していう部分で、
関西、それから東京とか北海道も出しましたし、北九州大学も出したし、行産出したんですよ。
島根農大もね、あんまり農大も出したんですよ。
受けられるとか全部受けようということですね。日程的に。
日程的に。
結局はどこもほとんど行かなかった。
行かなかったんですか。
初めに、初っ端が今僕が通った間額が一番最初にテストがあって、
それが通ったんで、親はもうそこにしてって言って、どっか行ったらダメって言われて。
お金もかかりましてね。
でも、18受けてみたかったっていうのは、この中3の時の船長さんの話が結構影響してるような気がしますね。
今どうですか、実際受けてたらどうなっただろうな、みたいなこと考えられます?
あんま考えないですけど、最後一番2期校が新州大学受けようとして、
新州のお袋に受験行くけども一緒に旅行行こやということで言ったけど、ダメ言われたんで行けなかったですけどね。
それが普通だと思いますよ。
親御さんとしてもついて行って、息子は受験に行ってるわ、自分その間何するかということになりますから。
09:04
でもその発想が面白いですね。受験をなんとなく楽しんでおられたような気がしますね。
そうですね、あんまり苦痛ではなかったですね。
少なくとも悲壮感はないですね。
全然ないですね。
そういう、僕は言わせていただくと楽天的な性格っていうのはやっぱり親御さんの教育とか、
その末っ子で育ったこととかそういったことも影響されてるんでしょうか。
親が全然僕にこれしなさいとかダメとかほとんど言わなかったですからね。
だから高校決める、大学決めるのもそれから就職も一切相談しなかったです。
だからもう自分で決めて自分で考えて、ここに行きますとかいう部分で、それでOKだったんですからね。
非常に良い法人主義という感じがしますね。
大らかな教育を受けられたということだと思います。
後半はいよいよ英語との関わりに絞って伺おうと思いますので、よろしくお願いします。
はい、ここから後半ですね。
尾崎さんのいよいよ大学時代の話を伺おうと思いますが、
高校時代からESSに入られていたということで、英語との関係は非常に深いわけですが、
大学に入られてもこのESSは続けられたんですか。
はい、続けていました。
そこはもう進学した時から迷いなく。
迷いなく、はい。
大学のESSと高校のESSはだいぶ違いましたでしょうか。
全然違いますね、やっぱりね。
レベルも違いますよね。
レベルも、はい。
高校の時は僕も部長をしたんですけども、自分で考えていろんなのをしたんですけども、
大学はいろんなすごい校務が集まりますので、
スピーチやったら、スピーチする校ばっかりとか、英語劇する校とか、新聞のニュースペーパーを作る校とか、
いろいろそれぞれ分かれてましたからね。
その中でどこの部分を選ばれたんですか。
だから僕は、ノンセクション、どこにも入らない。
ノンセクションですね、どこにも入らない。
入らない、全部。
でも関わってて、英語劇にも出たし、そういう人間の集まりを僕らまた友達作ったんですよね。
1個に縛られるのは嫌だという部分で、そういう集まりのグループを作ってやってましたね。
なるほどね。
それは例えば、将来的に英語を活かす仕事に就きたいなということは、もう頭の中にあったんですか。
いや、あまりなかったです。
船長はもう断念してますよね。
それはまだなかったです。
じゃあその時は英語を何とか勉強だけはしたいという。
英語を続けたいという部分で、はい。
こういうことを伺うのは、例えば何かをする時も目標があった方が続けやすいじゃないですか。
例えば、僕は法学部に行きましたけども、弁護士になりたいと思って法学を勉強するのと、何となく入って法学を勉強するのは全然違うわけですから。
そうですね。
ある程度職業のことを考えられていたんじゃないかなと思ったんですか。
12:03
いや、ちょっとは考えたんですけど、会計士になりたいとかですね。
そういうのは小学部だったんで、そういうのになろうかな、英語も好きやしとかいう部分で。
ただ、どれにしようというのはあんまりなかったですね。
だからどっちかというと、あんまり一生懸命これに向かってするようなことはしなかったですね。
でもその時は十分喋れる、会話できるという。
英語はある程度まで会話できましたけどもね。
そこは結構すごいなと思います。
目標を設定せずに能力が上がるというのはなかなかできないことだと思いますが。
なるほど、わかりました。
ここはもう4年間いらっしゃったわけですよね、ESSは。
はい、そうです。
4年間でこれやったESSというものがありますか。あるいは成績を上げたとか。
それは1個もないです。
1個もないですか。
ただ入って、友人が将来ずっと今までに続いている、すごい友達がずっと今も続いている。
なるほどね、これ同行の死と言ったらいいかもしれませんね。
そういう人たちを作れたことは財産かもしれないですね。
なるほど。
そのうちに4年生になるわけですが、就職先は、先週伺いましたけど貿易会社だったわけですね。
これはどういう経緯で選ばれたんでしょうか。
これもですね、あんまり自分自身就職活動しなかったんですよ。どっか行ったらええわっていう感じで。
夏休みもキャンプ行ったりとかいろんなの遊んでましたしね。
でもやっぱりちょっと入らなかった。
でも英語を使えるっていうのは貿易会社がいいかなっていう部分で、とりあえず貿易会社に行こうかなっていう考え的な部分が一番ありましたね。
でも英語という武器を持っていてその自信はあるわけですよね。
少しはね。
少しはね。
なるほど。
23歳で起業されましたので、1年いたかいないかぐらいですか。
1年ちょっとです。
1年ちょっと。
はい。
入られた時の感想、あるいはそこで身につけられたものというのはどういったものがありますでしょう。
そうですね。やっぱり会社入って、ただ僕は同期で入った社員がありますね。
やっぱりどうしても自分が比べてしまうんですね。比べてはあかんのですけど、なんでこいつと同じ給料なんかなとかね。
はいはいはい。
単純に思った時がありましたね。そんなのも思って。
でも英語も使えそうであまり使う機会がなかったんで、ペーペーなんで別に英語を使う機会もなかったので。
外国人との商談があるというのはどこまでまで言っているんですかね。
どこまでまで言っていませんからね。
なるほど。
じゃあ、入ってみたけどもちょっと期待発生だったというところはあるんでしょうか。
それは少しあって、ただ自分は英語が好きだったという部分があったんで、子供も好きで英語も好きで、
なんか英語でする部分が、やっぱり英会話しかないなと教えることしかない。
15:03
そっちが強かったですね。
だからどっちかというと会社が嫌でと言うんじゃなしに、そっちの英語の英会話スクールをやりたいという思いが強かったですね。
なるほどね。ただ普通の人だと1年ぐらいではやっぱり不安ですからそっち側先だってね、なかなか飛び出せないもんだと思いますが、
飛び出せたのはなぜだと思います?
でもね、そのとき要は脱サラって言われたんですね。今でこそ企業化ってかっこいいんですけども、脱サラで、
僕らどっちかというと職業欄はないんですよね。
だから僕、従業でずっと書いてましたわ。
会社にお勤めのとき?
会社終わってから従業って書いておって。だから会社にあんまり会社へのなんか執念なかったですね。
夜幅退職のおかげってないわけですね。
なるほど。
これはなかなか自信がないとできないことだと思うんですが、そういったところに、たとえばお母さんの3つの教えとかそういったものは生きていたでしょうか?
ないと思います。
お母さんが教えてくれたことさえ守っておけば、なんとかなるという部分でしょうか?
どっちかというと身についたというかね。そういう部分で身について、自分も一生懸命するとか、諦めないとか、そういう部分がありましたね。
なるほど。あと一つ、子供がお好きということ、今初めて出てきたわけですが、この子供との関わりをしたいというのはいつ頃から心の中にふつふつと湧いていたような?
大学時代に家庭教師もやってましたので、そのときに子供の面倒を見とっていう部分とか、それから地域の部分の子供会の部分とか、子供との接する機会があって、
これも純粋でいいなという感じで思ってましたね。
なるほどね。この子供との関わりが、この後、青木さんの藩床をずっと一緒にパートナーのように歩く相手になるわけですが、
そのお気持ちは今、お年を召してからでも変わらないですか?子供が可愛いとか、子供に教えてやりたいといった?
変わらないですね。ただ、僕は変わらなくても、向こうが嫌がるか分からない。おじいちゃんという感じですからね。
それに関して、これはコミュニに挟んだというか、4,5年前に教壇にたたいたんですね。社長あるいは創業者という立場でいながら、教室に行って教壇にたたいたわけですよね。
そのときは全て英語で授業されたということ?
ちょうど時代の波で、学校の先生も英語で授業をセンター館というのをあまりしていなかったんですね。
やっぱり、オールイング室で、中学1年生の初めのときから、一回オールイング室でやってみようという部分で、
18:07
自分がセンター館から、自分とうちの先生何人か、4,5人、それぞれのクラスでオールイング室でやろうということでやったんですね。
生徒たちの反応はどうでした?
やっぱりね、初めはやっぱり恥ずかしがって、あまり喋ってこないんですよね。
オールイング室の先生が喋るだけじゃなくて、向こうも英語で返さなきゃいけないわけですからね。
そう。でもだいぶ慣れてきてね。やっぱり、生徒とはやめないんですよ、先生から。
初めはなかなかね、接触がね、僕はいろんな言うてもなかなか来ないとか、返事が返ってこないとかありましたけども。
でも授業中もやっといて、だんだんわかってくれたでしょ、中身の部分で。よかったと思いますよ。
そこでは、おじいちゃん先生だから、敬遠されることはなかったわけですね。
いや、どっかで敬遠されてたと思うよ。
ただ、僕の場合は、保護者に授業風景を見てもらってとか、そういうのもやりましたからね。
実際の授業を見ていただいてとか。子供もそうだから、たぶん、ノーって言えないでしょうね。
そこのところでね、僕は塾というものを肯定的に捉えてるんですよ。
学校よりも小回りが効いて、これからの時代はこれをしなきゃいけないというときに、ほとんど縛りなくできますよね、先生、あるいは経営者の人たちがこうやろうというところで。
学校はなかなかね、ルールがあったりとか。そこのところで、塾だからこそできた、身軽だからこそできたというメリットを感じられることはないんですか。
子供たちにダイレクトに必要なものを与えられるということだと思いますか。
それは絶対ありますね。だから思って、子供たちにとっていいやり方は何なのかとかですね。
これはすぐ出せますからね。でも学校先生はやっぱりちょっと無理だと思いますよね、ルールがあってとか。
だからそういう部分でいろんな、反対に我々教えるものが、子供たちがどうしたらやる気を起こしたりとか、理解すると、やっぱり工夫していろんなやり方をするんですよ。
だからそれは面白いですね、反対に。一つのパターンじゃなしに。だからそういう部分では塾のある意味での良さじゃないですかね。
伺っていて、経営者と同時に教育者だと僕は思うんですが、学校の先生じゃなくて、この塾をされたのが一番良かったような気がしますが、その辺を振り返っていかがですか。
自分自身は縛られるのは嫌いな性格だと思いますので、かえって自由にできたかなと。そういう意味で幸せだなというふうに思います。
これはね、生徒さんとか保護者の人たちにも受け入れないというところが一番大きいんですよね。わかりました。今晩もそろそろ時間ですので。
今日は塾の話と最後にしたのは、学校教育と塾との関係ということを来週はちょっと考えてみたいんですね。時代によって対立してた、あるいは補完してたといろんな関係があると思いますが、
21:08
僕は日本の教育に塾は欠かせなかったものだと思ってますので、その辺りの話を来週深めていければと思いますので、3週目になりますが、青木さん、来週もよろしくお願いします。
はい、ありがとうございます。よろしくお願いします。
また、アップルポッドキャストでは高評価とレビューをお待ちしております。ぜひ皆様のご感想をお聞かせください。
21:57

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