2025-09-13 1:02:20

Vol.366: ラム前田庸子(HAKKO 主宰/麹の学校 認定講師)2/4

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やっぱりあれよね、人が作ってくれた想いが込もった食べ物ってとっても優しい味がするんだよね。誰かのために優しい食べ物を作れるような人になりたいなぁなんて思った金曜の板倉です、こんにちは。

「1%の情熱ものがたり」92人目のインタビュー、最初のエピソード。
奈良県出身。左利きだったからか何故か自分は不器用だと思ってしまった子供の頃。母の友人や父の影響もあり海外には興味があった。大学在学中のヨーロッパ、その後の台湾での日本語教師経験を経て、結婚を機にアメリカへ渡ることに。そして異国の地で改めて出会った“麹”が人生の転機となる。味噌、醤油、甘酒、漬物──祖母の記憶とともに甦る発酵の香りが、心の中で眠っていた何かを蘇らせた。気づけばワークショップの講師となり、ロサンゼルスを拠点に日本の発酵文化を伝える「HAKKO」の活動をスタート。今では、料理人やシェフたちとも手を取り合い、伝統を守りながらも進化する“新しい発酵”に挑戦中。地味で目立たず、でも確実に人の心を動かす──そんな「発酵の力」を、世界に届けたい。“Just do it, Why not?” そう笑顔で語る庸子さんの、心も体も優しく温まるような情熱ものがたり。

左利きであることによって苦労したエピソードもありましたが、人と違うことってやっぱり個性であり特異点になるので希少価値が高いんだ!ってなんか納得。良き出会いこそが人生を好転させていくんですねー、しみじみ。

投稿 Vol.366: ラム前田庸子(HAKKO 主宰/麹の学校 認定講師)2/41%の情熱ものがたり に最初に表示されました。

サマリー

今回のエピソードでは、ラム前田庸子さんが発行との出会いについて語り、彼女の幼少期や家族との関わりを通じて情熱がどのように育まれたかを探ります。また、ドイツでの文化体験や料理への興味についても触れ、彼女の人生観や仕事に対する考え方が明らかにされます。ラム前田庸子さんは自身の海外経験と日本語教育への情熱を語り、特に台湾での教育活動や味噌作りを通じてコミュニティとのつながりを深めたエピソードを紹介します。さらに、ラム前田庸子さんが麹の魅力やその学びについて語り、海外での経験や味噌作りの大切さについても触れています。彼女はHAKKOを主宰し、麹の学校の認定講師として活動しており、味噌作りや日本文化についての交流が語られます。シカゴの情報も紹介され、地域の特性や食文化について探求する内容になっています。また、発酵食品としての味噌作りやその人気が取り上げられ、日本の味噌屋が開催するワークショップが特に注目されています。

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1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、また各業界のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、そこに燃える情熱に迫ります。
こんにちは。
こんにちは。
1%の情熱物語366回目です。
みなさんお元気でしょうか。
元気でしょうか。
これが9月の中盤に配信されているとは思うんですけど、
8月の初盤にですね、私初めてヨーロッパ、ドイツに行ってきましたっていうちょっと話をさせてもらいたいんですけど。
羨ましい。
今ね、絵馬さんにはブログ書いた記事のリンクを送ったんですけど、
ちなみにみなさんお気づきかどうかわかりませんが、絵馬さんはドイツ生まれでしたよね、確か。
そうなんです。ベルリンで生まれました。
あ、ベルリンか。俺どこなんだろうって思ってて。
はい、ベルリンで。
で、2ヶ月ぐらいいたんでしたっけ?
いや、1歳ぐらいで帰って、1年ぐらい。
あ、1歳までいたのか。
はい、はい。
あ、じゃあなんか記憶はあるの?
ないです。
まあそうだよな。
全然ないんですけど、20歳になった時に母と一緒に旅行で行きました。
あ、ベルリン行ったの。
生まれた病院とか、家とか見ました。
いや、まあ俺だから、ベルリンがどこにあるのかとかも、あまりいまいちよくわかってなかったけど、
今回、デューステルドルフっていうところに行きまして、
で、まあいろいろ地図見たりとか、ベルリンはこっち側なんだなとか、オランダはわりと近いんだなとか、なんかそういうことをね。
あと、まあ飛行機も、最初はアムステルダム経由で、デューステルドルフに行って、帰りはパリ経由で、LAに戻ってきたっていう感じで、
なんとなくこのヨーロッパの解像度がね、上がった感じがしてですね、ドイツめちゃくちゃ良かったです。
何が一番良かったですか?
いや、なんか人がみなさん優しい。
なんか日本人と似てる、気質が似てるとかってよく言われるけど、なんかそれが、その真意がわかった気がして、
なんかアメリカ人って適当な人が多いんですかね。
まあおもろいし、フレンドリーだし、いいとこいっぱいあるんですけど、そうじゃない、やっぱなんか優しい、なんていうんだろう、丁寧というか謙虚さみたいなものとかね。
そういうのをいろいろ、仕事で行ったんですよ。旅行じゃなく、半分旅行もしたんですけど、仕事で、結構ブースで立ってたので、展示会の。
いろんなドイツ人と話す機会があってですね、その時。
英語がみなさん結構通じるんで、英語で話せるんですけど、それでそういうことを感じたし、
なんかその、ソーシャルメディアとかもあんま興味がないっていうか、なんか結構みなさん普通に生活を楽しんでいるっていう感じで、バーチャルじゃなくてリアルのね。
なんかデートに行く場所もあんまりないから、散歩が基本的なデートの内容とかね、だから別にファンシーなレストランに行くわけでもなく、
遊園地とかに行くわけでもなく、川と公園がめちゃくちゃあってさ、そこをとにかく2、3時間ぐらい歩くらしいのね。
はいはいはい。
そういうデートが、いつもそういうデートですみたいなことを言ってて、なんか素敵やなーと思いました。
うーん。
みなさんのドイツの印象は?
ドイツの印象、やっぱそうですね、緑が多くて。
あと、自然体なね、方が多いですよね。
そうですね、そうそうそうそう。ほんとそう、なんか力が入ってない感じっていうか。
このみつさんのブログで、なんか川沿いで男性が裸?裸なんですか?これはどういう状況ですか?
ヌーディストービーチならぬ、ヌーディストーリバー。
あ、リバー。
川べりで。これちなみにだから、ライン川っていうあのでかい川ですけど。
はいはいはい。
そこの遊覧船に乗って、あのボートのね、川をこう、観光してたんですけどね。
よく見たらね、あのじいちゃん2人パンツ履いてなくないすか?っていうことになって。
お尻が、お尻が見えちゃってますね。
携帯でズームして写真撮ったらね、あのお尻が。
まあでも結構これあるみたいで、このドイツはそういう文化あるみたいですね。
裸で、あのサウナとかもそうだし、自然な楽しみ方を文化的に推奨してるらしいので、文句言う人いないんだろうね、きっと。
そうみたいな、なんか母から聞いた話だと、私が昔、私というか、両親が住んでた家の近くに湖があって、そこもそのヌーディストレイクらしくて。
そうなんだよね。
よく裸でいろんな人が泳いでたって言ってました。
気持ちよさそうだったもん、なんかほんとに。
相棒的にね、身も心も。
結構だから、もちろんあんまり人がいないとこですけどね、そんな人がわんさがいて、スポンポンだったらちょっと恥ずかしいと思うけど。
原っぱというか、川べりの芝生というか草が、原っぱですよね。
そこに何人かいましたね。
この僕が写真撮ったのは、おじいちゃん二人でしたけど、本読んでる女性もいたし、気持ちよさそうでしたね。
あと、ビールがおいしいですよね。
そうですね、ビールがうまい。
もう、それ。それに尽きる。
もう食事はね、ちょっと正直、あんまりおいしいって思うのはあんまなかったですけど、ソーセージもね、なんか期待してたんだけどね、こんなもんかっていう。
食のレベルは、やっぱり日本のほうが断然高いなと思うけど、ビールはうまかったね。
ビールはね、なんかこれ、ジョッキの大きさもかなり大きいですよね。
背が高いね。
やっぱ、ガツンと飲めていいなって。
そう、どこのレストランも、なんかジビールみたいな感じのオリジナルがあってね、楽しめましたけどね。
いやー、いいですね。
はい。なんで、ちょっとまたね、他のヨーロッパあんま興味なかったんですけど、なんかちょっと興味が出てきたんで、また別のとこに行ってみたいなって最近は思ってますが。
いやー、いいですね。
また、じゃあ、どこかに出張に行ったら、その話も聞けるということで。
はい。
はい、楽しみにしてます。
はい、じゃあ本編行きますか。
それではですね、本編。毎回1人の方のインタビューを4回に分けてお届けしております。
ラム前田庸子の幼少期
今回は発行ワークショップ主催、高知の学校認定教師でいらっしゃいます、ラム前田陽子さんにお話を伺いました。
はい。先週がね、発行文化を伝えるという活動内容とかね、いろんな食べ物ありますよね、みたいな話をしておりましたが、
今回が、おいたちから、いろいろあって、発行に出会う。
出会い。
出会い、この発行自体というか、やっぱり人との出会いが、僕はなんかすごい印象的だったなっていうのがあるんで、その辺をちょっとね、そういう視点で楽しんでもらえたらなと思いますが。
はい。それではお聞きください。
まず奈良県のご出身ということで、どんな幼少期を過ごされましたか?どんな子供でしたか?
多分、家族は生意気だな。
あんまり親の、なんかもう。
ご兄弟は違う?
私が真ん中で、年子の姉がいて、ちょっと下の弟がいますね。
年子の姉がいて、ちょっと下の弟がいる。
真ん中って、自由な感じ?
そうですね。
生意気なんですね。
なるほど。
だったと思います。
勉強、運動、どっちが好きでしたとか。
勉強も運動も得意ではなかった。
そうなんですか。
得意なことがあんまりなかった。
だからすごくお勉強できないとかでもないけど、すごくできるわけでもなく、運動に関してはほぼほぼダメ。
何が好きだったんですか?
趣味がなかったかな。
そうなんだ。別に料理とかでもなく。
でも、うち母が、私が小学生になった時に、母薬剤師なんですけど、
私が小学校入った時に、ちょうど弟が保育園に入れる年とか、そんな感じで、タイミングよく子供たちから手が離れるみたいな感じになったので、
母が仕事に戻ったので、家にほとんどいなかったんですね。
料理と文化の影響
なので、家で何か作って、すごいのは作らないですけど、ちょこちょこ作って食べたりとかっていうのはしたし、
自分でね。
自分たちで。
で、すっごいレシピ本が好きで、もうひたすらレシピ本を見る。
なんかでも、クロワッサンとかなんか、お母さんが見てたなぁ、よく。
そう。で、うちの家のすぐ前に本屋さんがあったんですよね。
本もね、レシピ、昔は本でレシピを見るのは当たり前でしたもんね。
そうやって土地読みして、今は全然違うんだけど。
そう、なのでひたすら本を読んでいたり、で、母の友達が同じマンションで、
おばさんは専業主婦だったんですけど、ヨーロッパにご主人のお仕事で何年か行ってて、
で、戻ってきた時にドイツとかで、ヨーロッパのなんか、その頃すごいオシャレだなと思った、
なんかすごいビーフシチューのなんとかとか、ベランダの外でなんか釜みたいなの作っちゃって、おじさんが。
作ってたり、もう何年前?それこそ40年とかすごい経ってる。
その時は超オシャレに感じた。
洋風のすごいグラタン、なんかなんとかチーズの、お母さんが作るのとは一味も二味も違うみたいなのを出してくださったり、
で、その方からヨーロッパ刺繍?刺繍ってあるじゃないですか。
あれを教えてもらったり、なんかね、手で何か作るのはすごい好きだったと思います。
だけど器用ではないので、で、あと私左利きなんですね。
編み物とかしても自分で本を見て、全部反対。
あ、そっか。難しいんですね。
そう。で、なんかいっ時はいろんなことやらせてもらってた。木彫りとか、木彫りとかやりたくて、
で、こういうの。
彫刻刀でね。
彫刻刀で、そう、ありましたよね。
僕も大好きでしたけどね。
切れが、なんかあるんでしょうね、角度が。
あ、右と左で違うってこと?
うん。で、ハサミで紙を切っても何か作りたいと思って、小学校の時ね、やるじゃないですか。
で、まっすぐ線通りに切れない。
で、その頃は気がつかなかったんですよ。自分が左利きだからこれ切りにくいっていうのを。
あー。右利き用の人にできてるハサミとかも。
いや、50年近く前はそんな左利き用の道具とかそんなのなかったような気がするんで。
で、誰もそんなのこう。
いや、うちの親は多分気づいてなかった。で、私も気づいてなかったし。
で、とにかく。
いや、そうなの?
そんなことないですか?
いや、分からんけど。
なんか、だからとにかく自分をすごく、なんだろう、不器用?
あー、逆に、そうか。
綺麗に切れない。いいや、みたいな。
そういうことね。左だからって思わずになんか自分はそういう。
不器用なんだって。
下手くそなんだって思っちゃったんだ。
思ってた、ずっと。
ほら。
大人になって自分が子供ができて。
自分の子供3人いるんですけど、3人とも左利きなんですね。
えー、いつにするの?それって。
分かんない、多分。
で、色々子供たち、気づいて、その時もあんまり気づいてなくて。
子供たちに何かを買い与える時に、あ、左利き用ってあるんだって。
全然気づいてなかった。ニマドロンみたいな。
おっそう。
おっそうっていう。
だからもう自分はできない人なので、そこに深掘りしていかないじゃないですか。
もういいや、みたいな。
私雑だから、みたいな感じでそのまま録りすぎてたんだけど。
あれ?みたいな。すいません、全然関係ない話。
いやいやいや、おもろいですけどね。
でもジミヘンドリックスというすごいギタリストがいるんですけど、
自己肯定感と出会い
彼は右利き用のギターを左手で弾くっていうのがすごいんですよ。
反対でして。
あ、そんなことできるんだ。
そういう天才性がありますよね、おそらく左利き用の方って。
そういううまくスイッチできてなかったのが天才ではないんですけど。
逆に捉えちゃった。
そういう人もいらっしゃるんでしょうね。
逆に捉えちゃったんだね、それ。
そっかそっか。
まあじゃあそれは何?自己肯定感というか、
私はちょっと人より劣ってるんだみたいな感じが思っちゃってたんだ。
未だにちょっと低いかも。
いやそんなに見えないけど。
どうですか?なんか夢はありましたか?
夢は、夢もだからなかったです。
だけど何かしたいなっていうか、何かしなきゃって思うじゃないですか。
中学生ぐらいになったら、文系に行くのか理系に行くんだとか、
自分の将来なんか考えるときに、じゃあ自分は何をしたいのかっていうときに、
何にも思い浮かばなかったんです。
海外青年協力団ってあったじゃないですか。
行ってみたいなってすごい思っちゃったんですよ。
何の理由もなく。
それはでもそのお母さんの友達が、
西洋とかドイツの文化を少し教えてくれたこととかが頭に残ってたのかな?
あるかもしれないです。あるかもしれない。
うちの父が消費者マンだったんですけど、
時々海外に行ったりヨーロッパに行ったりしてて、
海外に行くような仕事も楽しいよみたいな話はしてくれたり、
ちょっとこれ年がバレるんですけど、
金鷹カオル、世界の旅ってわかります?
わかりません。すみません。
一曜日か何かの朝早くに、
30分ぐらいの番組で金鷹カオルさんが世界を旅行していって、
いろんなところを教えてくれるっていうのがあったんですけど、
それを家族で見ながらご飯を食べていた。
海外に興味が?
ヨーロッパにすごく興味があって。
行かれたんですか?実際。
ヨーロッパは行きましたね。大学生3年生。
海外協力青年隊?
それは行かないです。
旅行で行かれたんですか?
大学生行ったときは旅行で行きました。
その後は?就職とか?
その後は海外協力隊に行くにはっていうので、
いろんなところで説明会みたいなのがあって、
2回行ったんですよ、高校生の時に。
そしたら、日本語教師みたいなワードが出てきて。
海外で日本語教師?
で、いろんなところで小さな子どもたちに言葉を教えるっていう。
これいいなと思って。
日本語知ってるしね。
っていうので、すごく気になっていろいろ調べたりし始めてて。
で、大学の時に受験を大失敗したんですけど、
日本語教師になれる勉強ができるようなところをいくつか選んでて、
一番最後に引っかかったところが副専攻で教員養成みたいなのがあったのでそこに行きました。
そっかそっか。日本語喋れるだけじゃ教えられないから。
全然違いましたね。
やっぱり教える技術を学ばれたっていうことですか?
そうですそうです。
で、その後行くんだ、実際。
行きました。
どこに?
台湾に行きました。
ほう、まあまあ近いですね、日本から。
大学の時に、副専攻ね。
大学の時、お勉強する、高校の大学受験の3年生くらいから、
もう全く勉強したくなくなっちゃって。
受験失敗も何も勉強しなかったっていうのもあるんですけど、
最後引っかかったところに行ったんですけど、
なんかもう全然、自分が思っていた学生生活と違うところに行っちゃったんですね。
女子大の、しかもちょっとお嬢さんたちが行くようなところで、
海外青年協力隊に行きたい人って結構野山を駆け巡るみたいな。
やったことはなかったけど、そういう感じのイメージに憧れてたんですよ。
日本語教育との出会い
まあサバイバル能力が。
を高めたいみたいな。
全然世界が違って、学校行きたくない感じ。
もう面白くない。勉強してても面白くなくて。
もうみんななんか当時ね、バブルの最後の時期なんですけど、
今日終わったらどこに踊りに行くとか。
繰り出そうかみたいな。
それが面白くなかったんだ。興味なかった。
もう全く興味がなかった。
けど女子大ですごくちっちゃい赤だったので、周りがもう全部そんな雰囲気なんで。
なのでもうミニマム、ミニマム。
その副専攻も途中でもうドロップしちゃってたし。
で、いざ日本ってあれじゃないですか。
2年生の終わりぐらいになったら就職活動して、3年生でギッチリ就職活動してみたいな。
なんかそういう流れが当時はあったんですけど、
もうそれに乗るのがもうすごく無理。
どうやって。
逆流したくなっちゃう癖があるのかな。
みんながやってると。
みんなが、うんそうですね。
それもあるし、なぜ20歳になったら
みんなが同じ服を着て、髪型を変えて行かなきゃいけないのかっていうのはもうずっとあった。
タンクですね、でも。
地味にね。
で、どうしようかなと思った時に、やっぱり一回やりたいと思って。
ここに来た目的はそれだったから、クラスはドロップしたけれども、別の方法でなんとかその仕事につく。
一回ついてみようと思って。
で、3回生の時に一生懸命アルバイトしてお金貯めて、
4回生、みんなが就職活動の一番忙しい時に、
私は専門学校に、大学行きながら専門学校に行って、
日本語教員のなんかあるんですね、一応何百時間。
で、そこで1年終えて、そこで就職合戦してもらって、
ドイツに行くか、台湾に行くか。
ちょっと遠すぎるのが心配だったので。
あと英語じゃないし、どっちもそうか。
私、でも英語も中国語も得意じゃない。
どっちもどっちだな。
とりあえず初めて、家からずっと大学に帰ってたので、
いきなりバンって行く勇気は。
一人暮らしが。
最初の一人暮らしが台湾だったんです。
ドイツよりはちょっと安心感ありますよね。
2時間とかで帰ってこれるし、
新しい日本語学校で1000人で仕事だったので、
やってみようかなと思って。
で、小さい子供たちのをメインに教えてほしいって言われたので、
何にも考えずにOKって言って、めっちゃ喜んで行きました。
それは楽しかったですか?
楽しかった。
何年くらい?
3年半くらいいました。
それでも日本語だけで行けるんですか?
行けなかったですね。
やっぱり現地の。
子供たちに教えてくださいって言って、
立ってて2,3年目の学校だったんですね。
ものすごく外国人、台北の外国人が住むようなエリアの
割といい高級住宅地の中に立っている日本語学校だったんだけど。
インターナショナルな感じなんですか?
めちゃくちゃインターナショナルな感じ。
で、周りに住まれている台湾の人たちも割と裕福な方たちで、
子供たちにエデュケーションいっぱいお金払えるような方たちなので、
送り込んできてましたけど、
子供たち全然分かんないんで、
媒介語、真ん中に入れる言葉っていうのでやっぱり北京語がいるんですよ。
なので、やばいじゃんって。
勉強した?
勉強しました。
味噌作りとコミュニティの形成
それは海外協力青年隊ではないが、
なんとなく自分がやりたかったようなことができる。
で、サバイブした。
楽しかったです。
仕事に関してはついた初日にはしまったと思いましたけど、難しかった?
でも料理もね、たぶん口に合うものもいっぱいあるだろうし、美味しいだろうしね。
それについて言ってたら、そこでも凹んだかもしれないですよね。
絶対。
それは正しい選択でしたね。
そこからアメリカに来るのは?
そこでうちの夫に知り合ったんですね。
台湾でですか?
台湾で知り合ったんです。
そうなんですね。
うちの夫が、彼はLA出身なんですけど、
下京ですね。
中国アメリカ?
中国アメリカです。
2世?
2世です。
彼は大学を終えて、向こうでビジネス見てみたいとか、
あと言語、ここで育っているので、
故郷の?
故郷のっていうか、アジアの様子を知りたいし、
あと一応自分がチャイニーズバックグラウンドなので、
読み書きできないから、
っていうので、彼も留学、留学みたいな感じで台湾に来てて、
私は仕事で必要になったのと、
あと台湾面白い、中国語も面白いっていうのになってて、
大学に行って勉強したんですね。
彼とそこで出会ったんです。
そのままご結婚?
そのままちょっといろいろ時間がかかりましたけど、
20代後半くらいに結婚するので、こっちに来ました。
彼もまたLAに戻ってきて、
はい、そうですね。
仕事されるとか、そういう感じなんですか。
そうですね。
へー、そっかそっか。
僕、皆さんに人生の中で何か衝撃を受けた出来事や、
人生の転換期となったエピソードがあればっていうのを聞いてるんですけど、
いろんなエピソードが。
一番の転機っていうのは何か。
一番の転機は、これ一応、
今の仕事に繋がる一番の転機っていうのが、
私、来てすぐに、子供が生まれ、結婚して子供が生まれて、
アメリカに来てすぐ。
はい、LAに来てね。
で、マミー&ミーって分かりますか。
それ何だっけ、あの。
お母さんと子供が暮らすみたいな、親子暮らすみたいなの。
はいはいはい。
が、教会で。
はいはいはい。
エリアの教会であったんですね。
で、唯一そこで日本語が喋れるみたいな、
日本人のための、日本人がやる親子教室みたいなのがあったんですよ。
へぇー。
で、そこの、そこで初めてママ友みたいなのが出来て、
はい。
で、あの、その人が、その人は、
LAのダウンタウン、リトル東京にお寺がいくつかあるじゃないですか。
はいはいはい。
あそこのどこかの一つで、彼女はお味噌作りを習ってきたんです。
で、それを私たちのマミー&ミーに来た時に、
私この前味噌作ったんだよって。
うん。
味噌作れんだよっていう話になって、
作りたいってなって。
で、みんなでその時に彼女から教えてもらって味噌を作り始めた。
で、味噌って8ヶ月とかかかるんですね。
はい。
熟成させるのに。
で、開けた後にめっちゃ美味しいやんみたいな。
へぇー。
なので、私はもう定期的毎年作るようになって、
で、味噌作りを始めたんですけど。
なるほど。
それから10年後ぐらいに、までもうずーっと作ってた。
で、私教会、クリスチャンになったんですけど、その間に。
で、クリスチャンで、教会で、同じようなその日系のコミュニティみたいなところでも、
みんなに教えるようになってたんですね。
うん。
で、それで、なんだ、3番目の子供がちょうど、
うちの子たちはね、4つずつ年が離れてて、
私の30代、ほぼほぼなんかおむつ替えて、
子育てだったんですね。
で、1番下の子が預けられる年になって、
もういい、かわいいですよ子供は。
だけど、やっと。
まあ時間が、自分の時間が。
何しましょうみたいな。
で、作ることが好きで、お料理好きだし、食べることが好きだし、何かできるかなと思って、
そこを探してた時に、パサディナーとかアルタディナーで、
これちょっとチーディングですね。
Institute of Domestic Technologyっていう、
クッキングクラスなんだけど、キッチンDIYみたいな、
チーズの作り方、サワードの作り方、
それこそピクスの作り方、ジャムの作り方みたいなのを、
その人が教えるんじゃなくて、その人がプロを呼んできて、
講習会してくれるっていう場所を見つけて、そこに行ったんですね。
で、そのオーナーさんがジョセフって言うんですけど、
ジョセフのところにクラスに初めて行った時に、
みなさん周りはアメリカ、日本、アジア系の人一人もいなかったし、
なんかそういう環境だったんですけど、
一人一人ポンと行った時に、すごく興味を持たれて、
普段何してるのとか、なんでここに来たのとか、
何するのが好きなの?みたいな感じで、
味噌作りの魅力
で、いつも何作ってんの?みたいな感じで聞かれた時に、
DIYのクラスだし、私は味噌作るのが好きで、
日本食が好きだからとか言って、味噌作るの好きなんだよって。
彼からしたら、なかなかレアなキャラだったわけですかね。
彼は獣医師なんですけど、アジアにすごく興味があったり、
彼のパートナーは日本に昔、同じ獣医師の方ですけど、
政府から呼ばれて、こう…なんだっけ?
操り人形じゃない?パペットショーじゃない?
やだ。
パペットショー?
こうなんか、日本人形のようなやつを、
あれ、カットしてください。
パフォーマーで日本の政府から呼ばれて、
お勉強しに行ってたって。
日本にものすごく伝統的なものに、ものすごく興味を持っている2人だったんですね。
で、女性部は特に彼女は職に興味がある。
そういうものをやってたので、味噌みたいなのをめっちゃ習いたいって感じになって、
逆に向こうが習いたい?
教えろと。
で、その時、教会で定期的に白食、味噌とかちょこちょこやってた時に、
麹に対する理解
ちょうどやるから、じゃあ来てって言って、
日本人のおばちゃんの中にジョセフ一人混じって、一緒に味噌を作ったんですよ。
そしたら、めっちゃおもろいやんってなって、
で、僕のここで教えてくれと。
講師として招きたいと。
招きたいと。
で、そこで初めて、
もうちょっとしっかりお金をいただく先生側になったっていう。
長いですね、私の話。
それが今の仕事につながる転機だったわけね。
それでも出会いが重要だしたね。
ものすごく重要だったし、
彼の好奇心と興味を持つところっていうのが伝統的なところ。
これ喋り続けても大丈夫ですか?
あれご存知ですか?グランドセントラルマーケット。
あそこをリノベされたんですよね、10年近く。
彼が?
彼はアドバイザーというか、
どういう風に、この歴史ある場所じゃないですか。
この歴史ある場所をどのように保存して、プリザーブして、
新しいものを持ってくるかみたいな感じで、
中のベンダーとか入れるのも彼らが、
コンサルしたみたいな。
キュレーターっていうんですか、
そんな感じの仕事をされるような人で、
ものすごくLAのヒストリカルなものにも興味があるし、
その他以外の文化、
食文化の伝統的なものっていうのに、
ものすごく興味があるし、
これはって言って、ものすごく後ろから押してもらった。
私その時使っていた麹っていうのは、
普通の日系のマーケットで売られてたんです。
もう当時から売られてたんです、乾燥の麹っていうものが。
私も味噌の作り方は習って、
日本に帰った時もいろいろ回って教えてもらったけれども、
じゃあこの麹が一体何なのかっていうところまでには、
深く掘れてなかった。
これがいります、麹がいります、豆がいります、塩がいります。
できたら豆はオーガニック、塩もいいのがあったらいいよね、
みたいな感じだったんですけど、
説明しないといけないからね。
だけど、それ10年ちょっと前なんですけど、
海外生活の影響
あんまり文献とかもなかったし、聞かれた時に、
一体何なんだと。
自分自身も答えられない時に、
行けと、勉強しろって言われて、
これ深く掘った方がいいんじゃないのっていう感じで、
彼からすごく後ろ押してもらって。
それを促されたわけだ。
そうですね。
でもそう聞かれたから、じゃあ説明したいしっていう。
そう。で、やり始めるとものすごく大切なことだなって、
私にとってはすごく大切なことだなって思った。
なるほど。
なんかでもそれって素晴らしいですね。
導かれたっていう感じですね。
本当に、彼の存在はもうすごい大切ですね。
天気ですね。人生にとって大切な出会いだったわけですね。
ちなみに麹って何ですかって聞かれたら、
1分で答えると何て答えますか?
30秒。
カビです。
カビです。
で、日本の食文化になくてはならないカビで、
あと一言、日本の国の黒菌です。
黒菌?
国の菌。
それは日本特有なの?
えっと、日本特有。
あ、そうなんだ。
でも、コロナの時にいろんなのがワーッと一瞬に世界に広まったように、
日本以外でも見つかってるみたいですけど、
日本で日本食の必要な大切な日本の菌ですっていう意味で、
黒菌ですね。
合ってるかな?
チーズとかワインとかも似た部類。
日本ではないところで麹の位置に、
同じポジションにあたるものなんですか?
発酵ですからね。
発酵と言えばそうなのか。
でも麹っていうのはそれとはまだ違うんだね。
あ、でも一緒なの?
麹は…
麹はカビだもんね。
あとキノコとか同じような部類に…って言われてますよね。
面白いですよね、でも。
最近働いてもらうっていう感じだもんな。
そうなんですよ。
働いてもらう…そう。
どうやって元気に動いてもらうかっていう。
やべえ、進行を進めないと。
もういろんな話が出てくるでしょ、私。
じゃあ一旦話を戻しますと、
海外生活ってちなみにどうでしたか?
イメージしてたものと。
良かった?悪かった?
台湾がとっても楽しかったですね。
アメリカは?
うんとって感じですね。
もともとあんまり来たいなと思う場所ではなかったんで、
台湾で中国語も学んだんで、
日本語と中国語ができて、
うちの旦那さんが英語と中国語ができるので、
私たちが生活しやすいところってどこって、
香港とかシンガポールとか行けたらいいなっていうのは
ちょろっと話はしてたんですけど、
いろいろありまして、LAに戻ってきて。
あんまり好きじゃないところで生活してるけども、
そうなんですね。
そうなんです。
アメリカはお好きですか?
僕大好きです。
僕はサーフィンが大好きなんで、
カリフォルニアの波はいいので、天気もいいしね。
まだ海いい感じですか?海の様子は。
いい感じです。
本当ですか?
どういうこと?
気候が変わって、なんだろう。
温暖バトルと?
いろいろありますよ。問題はありますし、
ポリューションとかもありますし。
LAの海はめっちゃ汚いって私子供に言っちゃってるんですけど。
僕はもうそこに飛び込んでいけば、
たくましく育つだろうと。
金に打ち勝てと思ってますからね。
そうですね。
良い人を見にも悪い人を見にもありますけどね。
そうなんですね。
今まで仕事に至るまでの経緯を伺ってきましたので、
今から仕事の掘り下げですね。
さらに工事とはとか、
哲学的なところを今から聞いていきたいんですけども。
今から仕事の掘り下げのお話に入っていきますが。
ワマートも、そしてジョセフさんとの出会いがあって、
導かれてきたんですね。
それですよ。
やっぱり人生の大事な転機って、
人との出会いだよなって思うよね。
ジョセフさんとの出会い。
発行はね、もともと日本ではすごい盛んだったし、
おそらく味噌汁とかそういうのは普通に作ってたと思うんですけど、
それを教えてみないかっていう風にね、
背中を押してくれたっていうのはね、
それがなんか不思議ですよね。
外国の方がそういう風に言ってくれて、
その道に進んでいくっていう。
子供の頃はあんまりやりたいこととか、
全然なかったっていう話もありましたけど、
そうやってふと。
この左利きの話が、
左利きの話が俺、面白いっていうと言い方違うんですけど、
興味深かったなと思って。
左利きの人っていたじゃない、周りにも何人か。
少数だけどさ。
この洋子さんが言ってたのは、
左利きで不器用。
自分は不器用なんだと勘違いし思い込んじゃってたというかね。
ある意味勘違いだと思うんですけど。
それって、
左利き不利だよなって思うと、
同時にレアキャラだから、
強いよなって思っちゃうっていうか。
言ってること分かりました?今。
レアキャラ。
レアキャラじゃん。
個性というかね。
個性だよね。
さすがにそれは使いにくいわね。
右手用にできてるハサミとかさ。
あと、別に普通に字書くもんだって。
右に書く人は、
書いてる文字がこっちで見えながら、
右に移動できるから横書きだと。
左の人ってさ、めっちゃ書きにくいと思うんだよね。
自分の手で見えなくなっちゃってさ、書いた文字が。
汚れそうでしね。
めちゃくちゃいろんな意味で不利っていうか、
不便だからほら不器用って思っちゃう。
でもおかしくないよなって思うんだけど。
あと、俺は初の野球とかやってて、
右のグローブがほぼなのよ。
右器用のグローブだから、
左手はめるやつ。
だけどたまに、
左利きの人がいて、
グローブが右利き用しかないときに、
無理やりつけるんだけどさ、
なんかそういうのとかでも、
なんか違う生き方してくんだろうな、
そういうの積み重ねがいっぱいあるわけでしょ。
面白いなって思っちゃったんですけどね。
大変だろうけども。
なんか私は右でしか書けないので、
左利きかっこいいなって思ってましたけどね。
確かにね、
左利きの人は右手も使える人も多かったよね。
左でも右でも両方いけるみたいだね。
両方いけるって方もいらっしゃいますよね。
あとサッカーもそうだけどな。
いやーなんか面白いな。
あと何でしたっけ。
あとなんか控えめな印象?
そういう前に出る方ではないみたいなことを
おっしゃってたような気もするんですけど、
の割に、
自由なやっぱり生き方してるなっていうか、
我が道はちゃんと進んでるというか、
就活も別に他の人と同じようにやらずに、
でね、仕事も、
ここでもドイツが出てくるか、
ドイツか台湾か、
で台湾を選んだみたいな。
なかなかレアな生き方してますよね。
日本語教師の仕事ね。
そうそうそうそう。
ね、なんかだから、
んー、
斜めから見てる感じがするんだよな。
視点が、視点が。
ちょっと違った視点で、
ものを見るみたいな。
そういう、
柔らかさを持っているっていうかさ。
右利きの人が、
10人中8人いたとして、
2人は違う視点でものを見てる可能性があるじゃないですか、
左利きの人は。
そういう感じ。
多角的な。
はいはいはい。
物事の捉え方をして。
そうそうそう。
そういうのが、もう生まれつきできるような感じになってんじゃないのかなって、
なんか思ったりもする。
確かにそうかもしれないです。
うん。
んー、
確かに就職活動の時とか、
私は、
私は、
なんだろう、
特に何にも疑問を持たず、
頑張ってたタイプなので。
んー。
うん。
そうですね。
いろんな視野でその時は見れてなかったかもしれないです。
うん。
なんかそういう、論文とかないのかね、
統計とかその左利きの人。
え、でもアメリカ人はどれぐらいの比率なんだろう。
割と左利き多いもんな。
どうなんでしょうね。
母、私の母も左利きだったそうなんですけど、
右に強制されたみたいな話を聞きました。
うん、でもそういう人多いよね。
うん。
橋とか。
うん。
味噌作りの交流
お箸が特に多いよね。
橋を右に強制される人。
うん。
あ、でもアメリカの左利き比率も約10%前後だって。
多分日本もそうだよね。
おー、
はいはい。
もっと少ないかもしれないけど。
うん。
で、エマさんの子供とかは、
そういうのっていつ分かるんだろうね。
そうですね、まだ分からないですね。
でもなんか、顔の向きはいつも右向いてることが多いなーって感じで、
でもまだ何言い聞きかは分からないです。
ただなんかボールとか飛ばしてるだけなんで。
それってでもなんかあれなんか、
遺伝子に入ってんだったっけ?
なんか螺旋の向きが、
はい。
逆なんだっけ?
なんかそんなような話、
あ、そうなんですか。
言いたいな気がするんだけど。
えー、まあね、私も夫も右利きなんで。
あー。
どうなんでしょうね。
左になるんですかね。
分かんないです。
いや、面白いよね。
でもなんか、
うん。
10%だけが違うっていうのはさ。
まあまあ、そんなこんなでね。
結局でもまあ、
あの旦那さんと台湾で出会って、
結婚して、
エレイに来て。
エレイに来て。
で、マミー&ミーでできたママ友に、
お味噌作りを教えてもらったっていうことですけど。
はい。
これ、エマさんもね、
これ、エマさんもそういうの、
マミー&ミーみたいなのに今後参加していくんだろうね。
ね、するんですかね。
ちょっとこれからあるかどうか探して、
あったらぜひ参加したいですね。
あ、でもあれか。
でも、所属してるわけじゃないもんな、
どこにも、今のところは。
旦那さんの仕事場はね。
でも教会とかでやってるっておっしゃってたから、
それなら、そういうイベントなら参加できるかなと。
それはいいかもね。
まあちょっと宗教が、
ね、あれだけど、
キリスト教じゃないよね。
じゃないです。
あ、でもあれ、イベントとかって。
まあ別に行ってもいいと思うんだけど。
行っても大丈夫ですよね。
まあまあ、
そうだよな。
まあそういうとこ行かないとね、でも逆に、
友達できない。
なんかヨガとかのクラスとかも、
なんかやってるみたいなので、
ちょっと落ち着いたら行きたいな。
ストアを広げたいなと思ってるんですが。
いいですね。
そこでこのね、味噌作りを教えてあげられたりしたら、
なんか友達できそうだよね。
まあ別に味噌に興味ある人はどんだけいるかって話だけど。
でも日本の文化とかに興味持ってくれる人はいますよね。
話しかけてきてくれたりして。
まあでも結構でも、
そうなあ、味噌なあ。
まあ味噌スープとかはもう完全に浸透してると思うけど、
どれぐらいのアメリカ人が味噌を好んで食べるのだろうか。
興味深いですが。
ねえ、そうでしょ。
まあまあそんなこんなでですね。
八甲と出会ったよう子さんなんですけども。
次回があれですね。
仕事の深掘りみたいな話になってきますが。
あと何だったかな。
もうね、途中からね、
インタビューをしていることを忘れてきている自分に気づきましたけど。
話がいろいろ面白くてですね。
のめり込んで八甲の世界へ。
楽しかったですっていう感じですかね。
また深い話が聞けるということで。
はい、次回もお楽しみに。
シカゴの基本情報
リアルアメリカ情報。
このコーナーでは最新のビジネス生活情報をアメリカからお届けしていきます。
はい、お願いします。
今回はですね、ちょっと私が知りたいというのもありまして。
シカゴってどんなところっていうテーマで。
まず基本的な情報を皆さんと共有しながら私も学んでいきたいということで。
お話ししたいと思います。
ニューヨークとかロサンゼルスって、すごくみなさんね、なじみがあると思うんですけど。
第3の都市がシカゴ。
第3なの?
はい、そうです。
第3の都市がシカゴでございます。
いや、俺でも日本にいた時、正直ニューヨークもLAもどこかさっぱりわかってなかったよな。
けど、ニューヨーク、ロサンゼルスはわかってないけど、名前はみんな知ってるみたいな感じですけど。
シカゴってなると、第3だそうです。
位置的には?
中西部?
ニューヨークよりもちょっと内陸。
五大湖の一つ、ミシガン湖のほとりにあります。
そうですね、五大湖はね、ちょっと右上あたりに位置して、その下に。
そうなんです、その下にあります。
で、風の町とも呼ばれているそうで。
ウィンディーシティ。
まあ、風が実際強いからっていうのと、
あとまあ昔の、昔政治家が口先ばかりとかホラ吹きとか言われて、まあそれも由来しているという2つの説で、
ウィンディーシティっていう風の町っていう別名もあるそうです。
そうなんだ。
まあでも外散歩してみたら、確かにLAより風強いなって感じます。
髪の毛がボサボサになるぐらい。
なんでだろうね。
風が吹いています。
湖があるからか。
湖の近くだからですかね。
そうかもね。そこで温度が変わって、空気が流れていくのかな。
今、適当に言ってますけど。
ね、かもしれない。ちょっとまた調べてお伝えしますが。
かもしれないね。
かもしれない。
で、冬はとっても寒くて、体感温度がマイナス20度以下になっちゃうこともあるんですが、
夏は湖でリゾート気分を味わえたりすることもできます。
さすがにヌードの人はいないのかな。
見てないですね。
ちょっとミシガン湖のあたりを先日お散歩してみたんですけど、大きすぎて、やっぱ海みたいでした。
そうだよね。
そうそうそう。
向こう側見えないよね。
全然先が見えなくて。はい、見えないです見えないです。
海、まるで海って感じなんですけど、かやくしたりボートしたりしてる人もいて。
で、ピアーもあって、レストランとかもたくさんありまして。
じゃあ海っぽいね、ほんとに。
海っぽいです。
波はないだろうけど、サーフィンはできないと思いますが。
が広がってます。
なるほど。
あと、近代建築の聖地だそうで。
あ、そうなの?
はい。世界で初めての超高層ビルが誕生した町でもあるそうです。
そうみたいです。
そんなに別に場所狭くなさそうだけど、なんでそう縦に伸びるんだろうね。
この19世紀の末に大きな火事が、火災があったそうで、その後に再建するよって中で超高層ビルが誕生したっていう経緯があるみたいです。
で、あのクルーズ、その川をクルーズする観光船が結構有名みたいなんですけど、
それも建築クルーズっていう、アーキテクチャークルーズが有名みたいで。
建物を巡ってくれる。
そう、建物をこう説明しながら巡ってくれるクルーズ。
それが人気だそうです。
ちょっと今度乗ってみてまたお話したいと思うんですが。
いいね。
あのハトバスをお勧めしたいわ。
なんか、この間の俺ドイツもそうだったんですけど、その前のヒューストンでもそうだったんですけど、テキサスね。
ハトバスに乗って、ハトバスってあるじゃないか、2階建ての上が開いててさ。
観光バス。
そう、あれでやっぱり一周すると、なんとなく街が把握できるっていうか、なんか楽しいしね、なんかいいなと思いましたね。
めまさんもいいかもね、そのハトバスに一回乗ってみて。
そうですね、まず。
そうですね、街を知るという意味で。
乗ってみたいです。
確かにでも、LAの高層ビルってそんなに多くないくてさ、大都市というよりには、なんかだだっぴろいから。
うん、そうですよね。
シカゴの方が断然やっぱ高層ビル多いよね、そう言われると。
多いです、多いです。見る景色が全然変わりました。
あとまだ食べてないんですけど、気になってるのがシカゴピザ。
はいはいはい、分厚いやつね。
分厚くてパイみたいな、分厚いピザも有名ですし、あとなんかホットドッグも有名みたいです。シカゴ式ホットドッグ。
へー。
俺ピザは食べた記憶があるが、ホットドッグ食べたっけな。
うーん。
そうなんだね。
じゃあまたそれは、教えてください。
そうですね、あとスポーツもたくさん。
カブス、ブルス、ホワイトソックス、ベアーズ。
あーそうか、ブルスもそうか。
はい、いろいろあるんで。
カブスは誰がいましたっけ。日本人選手いますね。
はい。
名前がパッと出てこないですけど。
鈴木聖弥選手?
そうですね。
うんうん。
いいですね。球場は近いのかな。
近いんですかね、えーと、ちょっと1回は足を運びたいなと思ってるんですけど。
ね。
はい。
なんかまた新しい町に行くっていうのは、そういう楽しみがあっていいかもね。
ちょっといろいろ引っ越しも大変だとは思いますけど。
うんうん。
ね、新しい何かがワクワクするよね。
そうですね。ちょっとまたいろいろ足を運んで、最新情報をお届けできればなと思っております。
はい、ポンチキを。
はい。
ちょっと待って、今俺シカゴのウィキペディア見てるんですけど。
はいはいはい。
ポンチキの箱を手にするシカゴ元市長っていうのが出ていて、ポンチキってなんだこれ。
何ですかポンチキ。
ポーランドのペストリー、穴の開いていないドーナツ。
へー、まぁドーナツか。
いや、これもチャンスがあったら、ちょっとトライしてみてください。
ドーナツ、有名なドーナツ屋さんですか。
いや、ポンチキという食べ物みたい。
ポンチキという食べ物。
いや、シカゴのウィキペディアを見ていたら、リンク送ったけど。
はい。
歴史っていうところに、ポンチキを手にする、なんとかなんとか。
揚げドーナツ。
なんとなく味の予想はつくな。
はいはいはい。おいしそう。
おいしそうだけど。
まぁまぁ、そんなこんなもん。
はい。
また。
いろいろと試してみて、またお届けできればなと思います。
はい。
はい、ここまでリアルアメリカ情報でした。
手前味噌の由来
締めのコーナーです。
はい、質問なんですが、ようこさんの話にもあやかってなんですけど、
手前味噌っていう。
手前味噌って、ちなみに普段使いだとさ、
なんつーの、自分をちょっと謙遜したっていう時に使うじゃない。
はい。
そんなあんま使わない。
手前味噌ですがーって。
そうそうそう、あんま使ったことないけどさ。
そうですね。
あのー、ただそれの由来というのが、
あのー、自画自賛とか自慢といった意味で現代では使われているが、
昔は一般家庭で味噌を作っていて、
で、そこに個性が出て、
それを自慢したことから、
ま、その家のね、オリジナルの味噌ができるわけで、みんな。
はいはいはい。
私の味噌は美味しいですよ、私の味噌は美味しいですよっていうのを、
からその手前味噌という言葉ができているようなんですけど。
はいはいはい。
で、自家製味噌って作ったことありますか?っていう質問。
とりあえず投げてみたいなと。
あー、作ったことないです。
ないよね。
はい。買ってますけど、興味はあります。
なんかやってみたいですね。
ね。
どういった違いが出るのか。
あと、まあ俺もないんですけど、
いや、でも知り合いに納豆を作っている人がいたりとか、
まあ一回食べさせてもらったけど、めちゃくちゃ美味しかったんだけど、
自家製納豆ね。
あとか、
はい。
味噌作りの人気
あとヨーグルト作っている方も割と多いよね、その。
はい。
あの、何て言うんだっけ?
母株的なものをもらってきて、牛乳と混ぜてヨーグルトを発酵させるみたいな。
はいはいはいはい。
割といるっちゃいるけど、
味噌作っている人あんまりいないよな。
うんうんうんうん。
でもね、なんかそういう味噌屋さんが日本の、何て言うお味噌屋さんだったかな。
ちょっとこの、あの、僕が今読んでいる本にも出てくるんですけど、紹介していただいた。
えーっとね、何て言う味噌屋か忘れたんだけど、
味噌屋さんがその味噌作りを教えるワークショップを日本でやっていて、
なんかそれがすごい人気みたいで、
それもその発酵ブームみたいなのも、なんか影響しているみたいですね。
うんうんうんうん。
だから、面白いかもよ。
まあシカゴもね、もちろん日本食屋はいっぱいあると思うんだけど、
高いだろうしね、味噌買って普通に日本で買うよりはね。
はい。味噌一回作って、その8ヶ月間、混ぜたりする、なんか面倒を見るんですよね、きっと。
いやでもそんなに、手間かかんないっぽいようなことを言ってた気がするけど。
あーそうなんですか。
ぬか漬けみたいな、毎日毎日混ぜたりしなくてもいいと思う。
へー、そうなんですね。
こう自然に発酵していって、
はいはい。
だから、
お仕事をしてくれるんですね。
そうそう、だからこそ流行ってるみたいなんだよね。
割と放置してっていうか、そんなに手間かかんないくて、できるから。
だから、俺もちょっとやってみたいなって、興味を持ち始めてるんですけど。
あーそれは、手間暇かかりそうだなっていうね、イメージがあるから。
そうなんだよね。
あったんですけど。
そういうイメージがあるんだけど。
多分やってみたら、楽しくなっちゃうみたいで。
その、何ヶ月後かに食べるのがね。
はいはいはいはい。
だから、そんな気になって見ちゃうんじゃない?
どうなってるかなーって。
どうなってるかなーって。
なるほど。
ちょっと味噌作り始めたら、教えてくださいまた。
ね、ちょっと俺も、もうちょっと前のめりになってみようかなと思って。
手前味噌ですがっていう時に、それを本気で使えるっていうね、その手前味噌ですが。
そうですね。本当に味噌を作って。
そうそう。
はい。
言ってみたいよね。
うん。
はい、そんなお話でございました。
リスナーへのテーマ
じゃあ、今回お便りのテーマは?
そうですね。なので、手前味噌を作ったことありますか?
もしくは、発酵食品自分作ってますか?っていう感じですかね。
はい。エピソードなど、どしどしお寄せください。
番組のホームページのメールフォームからお待ちしております。
はい、お待ちしてます。
はい、番組内で紹介された方には番組ステッカープレゼントです。
はい。
名前と住所、書くのを忘れないようお願いいたします。
お願いします。
インタビューとリアルアメリカ情報をブログに掲載しています。
podcast.086.com、podcast.086.com
または、1%の情熱物語で検索してみてください。
はい、1%の情熱物語は、日本を飛び出し世界で挑戦していく人を応援します。
ご家族、友達、同僚などへのご紹介、大歓迎です。
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お便り、レビューもお待ちしてます。
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詳細は、ウェブサイトを見てね。
今週もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございます。
では、また来週。
んじゃれ。
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