1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、また各業界のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、そこに燃える情熱に迫ります。
こんにちは。
こんにちは。
1%の情熱物語366回目です。
みなさんお元気でしょうか。
元気でしょうか。
これが9月の中盤に配信されているとは思うんですけど、
8月の初盤にですね、私初めてヨーロッパ、ドイツに行ってきましたっていうちょっと話をさせてもらいたいんですけど。
羨ましい。
今ね、絵馬さんにはブログ書いた記事のリンクを送ったんですけど、
ちなみにみなさんお気づきかどうかわかりませんが、絵馬さんはドイツ生まれでしたよね、確か。
そうなんです。ベルリンで生まれました。
あ、ベルリンか。俺どこなんだろうって思ってて。
はい、ベルリンで。
で、2ヶ月ぐらいいたんでしたっけ?
いや、1歳ぐらいで帰って、1年ぐらい。
あ、1歳までいたのか。
はい、はい。
あ、じゃあなんか記憶はあるの?
ないです。
まあそうだよな。
全然ないんですけど、20歳になった時に母と一緒に旅行で行きました。
あ、ベルリン行ったの。
生まれた病院とか、家とか見ました。
いや、まあ俺だから、ベルリンがどこにあるのかとかも、あまりいまいちよくわかってなかったけど、
今回、デューステルドルフっていうところに行きまして、
で、まあいろいろ地図見たりとか、ベルリンはこっち側なんだなとか、オランダはわりと近いんだなとか、なんかそういうことをね。
あと、まあ飛行機も、最初はアムステルダム経由で、デューステルドルフに行って、帰りはパリ経由で、LAに戻ってきたっていう感じで、
なんとなくこのヨーロッパの解像度がね、上がった感じがしてですね、ドイツめちゃくちゃ良かったです。
何が一番良かったですか?
いや、なんか人がみなさん優しい。
なんか日本人と似てる、気質が似てるとかってよく言われるけど、なんかそれが、その真意がわかった気がして、
なんかアメリカ人って適当な人が多いんですかね。
まあおもろいし、フレンドリーだし、いいとこいっぱいあるんですけど、そうじゃない、やっぱなんか優しい、なんていうんだろう、丁寧というか謙虚さみたいなものとかね。
そういうのをいろいろ、仕事で行ったんですよ。旅行じゃなく、半分旅行もしたんですけど、仕事で、結構ブースで立ってたので、展示会の。
いろんなドイツ人と話す機会があってですね、その時。
英語がみなさん結構通じるんで、英語で話せるんですけど、それでそういうことを感じたし、
なんかその、ソーシャルメディアとかもあんま興味がないっていうか、なんか結構みなさん普通に生活を楽しんでいるっていう感じで、バーチャルじゃなくてリアルのね。
なんかデートに行く場所もあんまりないから、散歩が基本的なデートの内容とかね、だから別にファンシーなレストランに行くわけでもなく、
遊園地とかに行くわけでもなく、川と公園がめちゃくちゃあってさ、そこをとにかく2、3時間ぐらい歩くらしいのね。
はいはいはい。
そういうデートが、いつもそういうデートですみたいなことを言ってて、なんか素敵やなーと思いました。
うーん。
みなさんのドイツの印象は?
ドイツの印象、やっぱそうですね、緑が多くて。
あと、自然体なね、方が多いですよね。
そうですね、そうそうそうそう。ほんとそう、なんか力が入ってない感じっていうか。
このみつさんのブログで、なんか川沿いで男性が裸?裸なんですか?これはどういう状況ですか?
ヌーディストービーチならぬ、ヌーディストーリバー。
あ、リバー。
川べりで。これちなみにだから、ライン川っていうあのでかい川ですけど。
はいはいはい。
そこの遊覧船に乗って、あのボートのね、川をこう、観光してたんですけどね。
よく見たらね、あのじいちゃん2人パンツ履いてなくないすか?っていうことになって。
お尻が、お尻が見えちゃってますね。
携帯でズームして写真撮ったらね、あのお尻が。
まあでも結構これあるみたいで、このドイツはそういう文化あるみたいですね。
裸で、あのサウナとかもそうだし、自然な楽しみ方を文化的に推奨してるらしいので、文句言う人いないんだろうね、きっと。
そうみたいな、なんか母から聞いた話だと、私が昔、私というか、両親が住んでた家の近くに湖があって、そこもそのヌーディストレイクらしくて。
そうなんだよね。
よく裸でいろんな人が泳いでたって言ってました。
気持ちよさそうだったもん、なんかほんとに。
相棒的にね、身も心も。
結構だから、もちろんあんまり人がいないとこですけどね、そんな人がわんさがいて、スポンポンだったらちょっと恥ずかしいと思うけど。
原っぱというか、川べりの芝生というか草が、原っぱですよね。
そこに何人かいましたね。
この僕が写真撮ったのは、おじいちゃん二人でしたけど、本読んでる女性もいたし、気持ちよさそうでしたね。
あと、ビールがおいしいですよね。
そうですね、ビールがうまい。
もう、それ。それに尽きる。
もう食事はね、ちょっと正直、あんまりおいしいって思うのはあんまなかったですけど、ソーセージもね、なんか期待してたんだけどね、こんなもんかっていう。
食のレベルは、やっぱり日本のほうが断然高いなと思うけど、ビールはうまかったね。
ビールはね、なんかこれ、ジョッキの大きさもかなり大きいですよね。
背が高いね。
やっぱ、ガツンと飲めていいなって。
そう、どこのレストランも、なんかジビールみたいな感じのオリジナルがあってね、楽しめましたけどね。
いやー、いいですね。
はい。なんで、ちょっとまたね、他のヨーロッパあんま興味なかったんですけど、なんかちょっと興味が出てきたんで、また別のとこに行ってみたいなって最近は思ってますが。
いやー、いいですね。
また、じゃあ、どこかに出張に行ったら、その話も聞けるということで。
はい。
はい、楽しみにしてます。
はい、じゃあ本編行きますか。
それではですね、本編。毎回1人の方のインタビューを4回に分けてお届けしております。
なので、家で何か作って、すごいのは作らないですけど、ちょこちょこ作って食べたりとかっていうのはしたし、
自分でね。
自分たちで。
で、すっごいレシピ本が好きで、もうひたすらレシピ本を見る。
なんかでも、クロワッサンとかなんか、お母さんが見てたなぁ、よく。
そう。で、うちの家のすぐ前に本屋さんがあったんですよね。
本もね、レシピ、昔は本でレシピを見るのは当たり前でしたもんね。
そうやって土地読みして、今は全然違うんだけど。
そう、なのでひたすら本を読んでいたり、で、母の友達が同じマンションで、
おばさんは専業主婦だったんですけど、ヨーロッパにご主人のお仕事で何年か行ってて、
で、戻ってきた時にドイツとかで、ヨーロッパのなんか、その頃すごいオシャレだなと思った、
なんかすごいビーフシチューのなんとかとか、ベランダの外でなんか釜みたいなの作っちゃって、おじさんが。
作ってたり、もう何年前?それこそ40年とかすごい経ってる。
その時は超オシャレに感じた。
洋風のすごいグラタン、なんかなんとかチーズの、お母さんが作るのとは一味も二味も違うみたいなのを出してくださったり、
で、その方からヨーロッパ刺繍?刺繍ってあるじゃないですか。
あれを教えてもらったり、なんかね、手で何か作るのはすごい好きだったと思います。
だけど器用ではないので、で、あと私左利きなんですね。
編み物とかしても自分で本を見て、全部反対。
あ、そっか。難しいんですね。
そう。で、なんかいっ時はいろんなことやらせてもらってた。木彫りとか、木彫りとかやりたくて、
で、こういうの。
彫刻刀でね。
彫刻刀で、そう、ありましたよね。
僕も大好きでしたけどね。
切れが、なんかあるんでしょうね、角度が。
あ、右と左で違うってこと?
うん。で、ハサミで紙を切っても何か作りたいと思って、小学校の時ね、やるじゃないですか。
で、まっすぐ線通りに切れない。
で、その頃は気がつかなかったんですよ。自分が左利きだからこれ切りにくいっていうのを。
あー。右利き用の人にできてるハサミとかも。
いや、50年近く前はそんな左利き用の道具とかそんなのなかったような気がするんで。
で、誰もそんなのこう。
いや、うちの親は多分気づいてなかった。で、私も気づいてなかったし。
で、とにかく。
いや、そうなの?
そんなことないですか?
いや、分からんけど。
なんか、だからとにかく自分をすごく、なんだろう、不器用?
あー、逆に、そうか。
綺麗に切れない。いいや、みたいな。
そういうことね。左だからって思わずになんか自分はそういう。
不器用なんだって。
下手くそなんだって思っちゃったんだ。
思ってた、ずっと。
ほら。
大人になって自分が子供ができて。
自分の子供3人いるんですけど、3人とも左利きなんですね。
えー、いつにするの?それって。
分かんない、多分。
で、色々子供たち、気づいて、その時もあんまり気づいてなくて。
子供たちに何かを買い与える時に、あ、左利き用ってあるんだって。
全然気づいてなかった。ニマドロンみたいな。
おっそう。
おっそうっていう。
だからもう自分はできない人なので、そこに深掘りしていかないじゃないですか。
もういいや、みたいな。
私雑だから、みたいな感じでそのまま録りすぎてたんだけど。
あれ?みたいな。すいません、全然関係ない話。
いやいやいや、おもろいですけどね。
でもジミヘンドリックスというすごいギタリストがいるんですけど、
彼は右利き用のギターを左手で弾くっていうのがすごいんですよ。
反対でして。
あ、そんなことできるんだ。
そういう天才性がありますよね、おそらく左利き用の方って。
そういううまくスイッチできてなかったのが天才ではないんですけど。
逆に捉えちゃった。
そういう人もいらっしゃるんでしょうね。
逆に捉えちゃったんだね、それ。
そっかそっか。
まあじゃあそれは何?自己肯定感というか、
私はちょっと人より劣ってるんだみたいな感じが思っちゃってたんだ。
未だにちょっと低いかも。
いやそんなに見えないけど。
どうですか?なんか夢はありましたか?
夢は、夢もだからなかったです。
だけど何かしたいなっていうか、何かしなきゃって思うじゃないですか。
中学生ぐらいになったら、文系に行くのか理系に行くんだとか、
自分の将来なんか考えるときに、じゃあ自分は何をしたいのかっていうときに、
何にも思い浮かばなかったんです。
海外青年協力団ってあったじゃないですか。
行ってみたいなってすごい思っちゃったんですよ。
何の理由もなく。
それはでもそのお母さんの友達が、
西洋とかドイツの文化を少し教えてくれたこととかが頭に残ってたのかな?
あるかもしれないです。あるかもしれない。
うちの父が消費者マンだったんですけど、
時々海外に行ったりヨーロッパに行ったりしてて、
海外に行くような仕事も楽しいよみたいな話はしてくれたり、
ちょっとこれ年がバレるんですけど、
金鷹カオル、世界の旅ってわかります?
わかりません。すみません。
一曜日か何かの朝早くに、
30分ぐらいの番組で金鷹カオルさんが世界を旅行していって、
いろんなところを教えてくれるっていうのがあったんですけど、
それを家族で見ながらご飯を食べていた。
海外に興味が?
ヨーロッパにすごく興味があって。
行かれたんですか?実際。
ヨーロッパは行きましたね。大学生3年生。
海外協力青年隊?
それは行かないです。
旅行で行かれたんですか?
大学生行ったときは旅行で行きました。
その後は?就職とか?
その後は海外協力隊に行くにはっていうので、
いろんなところで説明会みたいなのがあって、
2回行ったんですよ、高校生の時に。
そしたら、日本語教師みたいなワードが出てきて。
海外で日本語教師?
で、いろんなところで小さな子どもたちに言葉を教えるっていう。
これいいなと思って。
日本語知ってるしね。
っていうので、すごく気になっていろいろ調べたりし始めてて。
で、大学の時に受験を大失敗したんですけど、
日本語教師になれる勉強ができるようなところをいくつか選んでて、
一番最後に引っかかったところが副専攻で教員養成みたいなのがあったのでそこに行きました。
そっかそっか。日本語喋れるだけじゃ教えられないから。
全然違いましたね。
やっぱり教える技術を学ばれたっていうことですか?
そうですそうです。
で、その後行くんだ、実際。
行きました。
どこに?
台湾に行きました。
ほう、まあまあ近いですね、日本から。
大学の時に、副専攻ね。
大学の時、お勉強する、高校の大学受験の3年生くらいから、
もう全く勉強したくなくなっちゃって。
受験失敗も何も勉強しなかったっていうのもあるんですけど、
最後引っかかったところに行ったんですけど、
なんかもう全然、自分が思っていた学生生活と違うところに行っちゃったんですね。
女子大の、しかもちょっとお嬢さんたちが行くようなところで、
海外青年協力隊に行きたい人って結構野山を駆け巡るみたいな。
やったことはなかったけど、そういう感じのイメージに憧れてたんですよ。
それは海外協力青年隊ではないが、
なんとなく自分がやりたかったようなことができる。
で、サバイブした。
楽しかったです。
仕事に関してはついた初日にはしまったと思いましたけど、難しかった?
でも料理もね、たぶん口に合うものもいっぱいあるだろうし、美味しいだろうしね。
それについて言ってたら、そこでも凹んだかもしれないですよね。
絶対。
それは正しい選択でしたね。
そこからアメリカに来るのは?
そこでうちの夫に知り合ったんですね。
台湾でですか?
台湾で知り合ったんです。
そうなんですね。
うちの夫が、彼はLA出身なんですけど、
下京ですね。
中国アメリカ?
中国アメリカです。
2世?
2世です。
彼は大学を終えて、向こうでビジネス見てみたいとか、
あと言語、ここで育っているので、
故郷の?
故郷のっていうか、アジアの様子を知りたいし、
あと一応自分がチャイニーズバックグラウンドなので、
読み書きできないから、
っていうので、彼も留学、留学みたいな感じで台湾に来てて、
私は仕事で必要になったのと、
あと台湾面白い、中国語も面白いっていうのになってて、
大学に行って勉強したんですね。
彼とそこで出会ったんです。
そのままご結婚?
そのままちょっといろいろ時間がかかりましたけど、
20代後半くらいに結婚するので、こっちに来ました。
彼もまたLAに戻ってきて、
はい、そうですね。
仕事されるとか、そういう感じなんですか。
そうですね。
へー、そっかそっか。
僕、皆さんに人生の中で何か衝撃を受けた出来事や、
人生の転換期となったエピソードがあればっていうのを聞いてるんですけど、
いろんなエピソードが。
一番の転機っていうのは何か。
一番の転機は、これ一応、
今の仕事に繋がる一番の転機っていうのが、
私、来てすぐに、子供が生まれ、結婚して子供が生まれて、
アメリカに来てすぐ。
はい、LAに来てね。
で、マミー&ミーって分かりますか。
それ何だっけ、あの。
お母さんと子供が暮らすみたいな、親子暮らすみたいなの。
はいはいはい。
が、教会で。
はいはいはい。
エリアの教会であったんですね。
で、唯一そこで日本語が喋れるみたいな、
日本人のための、日本人がやる親子教室みたいなのがあったんですよ。
へぇー。
で、そこの、そこで初めてママ友みたいなのが出来て、
はい。
で、あの、その人が、その人は、
LAのダウンタウン、リトル東京にお寺がいくつかあるじゃないですか。
はいはいはい。
あそこのどこかの一つで、彼女はお味噌作りを習ってきたんです。
で、それを私たちのマミー&ミーに来た時に、
私この前味噌作ったんだよって。
うん。
味噌作れんだよっていう話になって、
作りたいってなって。
で、みんなでその時に彼女から教えてもらって味噌を作り始めた。
で、味噌って8ヶ月とかかかるんですね。
はい。
熟成させるのに。
で、開けた後にめっちゃ美味しいやんみたいな。
へぇー。
なので、私はもう定期的毎年作るようになって、
で、味噌作りを始めたんですけど。
なるほど。
それから10年後ぐらいに、までもうずーっと作ってた。
で、私教会、クリスチャンになったんですけど、その間に。
で、クリスチャンで、教会で、同じようなその日系のコミュニティみたいなところでも、
みんなに教えるようになってたんですね。
うん。
で、それで、なんだ、3番目の子供がちょうど、
うちの子たちはね、4つずつ年が離れてて、
私の30代、ほぼほぼなんかおむつ替えて、
子育てだったんですね。
で、1番下の子が預けられる年になって、
もういい、かわいいですよ子供は。
だけど、やっと。
まあ時間が、自分の時間が。
何しましょうみたいな。
で、作ることが好きで、お料理好きだし、食べることが好きだし、何かできるかなと思って、
そこを探してた時に、パサディナーとかアルタディナーで、
これちょっとチーディングですね。
Institute of Domestic Technologyっていう、
クッキングクラスなんだけど、キッチンDIYみたいな、
チーズの作り方、サワードの作り方、
それこそピクスの作り方、ジャムの作り方みたいなのを、
その人が教えるんじゃなくて、その人がプロを呼んできて、
講習会してくれるっていう場所を見つけて、そこに行ったんですね。
で、そのオーナーさんがジョセフって言うんですけど、
ジョセフのところにクラスに初めて行った時に、
みなさん周りはアメリカ、日本、アジア系の人一人もいなかったし、
なんかそういう環境だったんですけど、
一人一人ポンと行った時に、すごく興味を持たれて、
普段何してるのとか、なんでここに来たのとか、
何するのが好きなの?みたいな感じで、
リアルアメリカ情報。
このコーナーでは最新のビジネス生活情報をアメリカからお届けしていきます。
はい、お願いします。
今回はですね、ちょっと私が知りたいというのもありまして。
シカゴってどんなところっていうテーマで。
まず基本的な情報を皆さんと共有しながら私も学んでいきたいということで。
お話ししたいと思います。
ニューヨークとかロサンゼルスって、すごくみなさんね、なじみがあると思うんですけど。
第3の都市がシカゴ。
第3なの?
はい、そうです。
第3の都市がシカゴでございます。
いや、俺でも日本にいた時、正直ニューヨークもLAもどこかさっぱりわかってなかったよな。
けど、ニューヨーク、ロサンゼルスはわかってないけど、名前はみんな知ってるみたいな感じですけど。
シカゴってなると、第3だそうです。
位置的には?
中西部?
ニューヨークよりもちょっと内陸。
五大湖の一つ、ミシガン湖のほとりにあります。
そうですね、五大湖はね、ちょっと右上あたりに位置して、その下に。
そうなんです、その下にあります。
で、風の町とも呼ばれているそうで。
ウィンディーシティ。
まあ、風が実際強いからっていうのと、
あとまあ昔の、昔政治家が口先ばかりとかホラ吹きとか言われて、まあそれも由来しているという2つの説で、
ウィンディーシティっていう風の町っていう別名もあるそうです。
そうなんだ。
まあでも外散歩してみたら、確かにLAより風強いなって感じます。
髪の毛がボサボサになるぐらい。
なんでだろうね。
風が吹いています。
湖があるからか。
湖の近くだからですかね。
そうかもね。そこで温度が変わって、空気が流れていくのかな。
今、適当に言ってますけど。
ね、かもしれない。ちょっとまた調べてお伝えしますが。
かもしれないね。
かもしれない。
で、冬はとっても寒くて、体感温度がマイナス20度以下になっちゃうこともあるんですが、
夏は湖でリゾート気分を味わえたりすることもできます。
さすがにヌードの人はいないのかな。
見てないですね。
ちょっとミシガン湖のあたりを先日お散歩してみたんですけど、大きすぎて、やっぱ海みたいでした。
そうだよね。
そうそうそう。
向こう側見えないよね。
全然先が見えなくて。はい、見えないです見えないです。
海、まるで海って感じなんですけど、かやくしたりボートしたりしてる人もいて。
で、ピアーもあって、レストランとかもたくさんありまして。
じゃあ海っぽいね、ほんとに。
海っぽいです。
波はないだろうけど、サーフィンはできないと思いますが。
が広がってます。
なるほど。
あと、近代建築の聖地だそうで。
あ、そうなの?
はい。世界で初めての超高層ビルが誕生した町でもあるそうです。
そうみたいです。
そんなに別に場所狭くなさそうだけど、なんでそう縦に伸びるんだろうね。
この19世紀の末に大きな火事が、火災があったそうで、その後に再建するよって中で超高層ビルが誕生したっていう経緯があるみたいです。
で、あのクルーズ、その川をクルーズする観光船が結構有名みたいなんですけど、
それも建築クルーズっていう、アーキテクチャークルーズが有名みたいで。
建物を巡ってくれる。
そう、建物をこう説明しながら巡ってくれるクルーズ。
それが人気だそうです。
ちょっと今度乗ってみてまたお話したいと思うんですが。
いいね。
あのハトバスをお勧めしたいわ。
なんか、この間の俺ドイツもそうだったんですけど、その前のヒューストンでもそうだったんですけど、テキサスね。
ハトバスに乗って、ハトバスってあるじゃないか、2階建ての上が開いててさ。
観光バス。
そう、あれでやっぱり一周すると、なんとなく街が把握できるっていうか、なんか楽しいしね、なんかいいなと思いましたね。
めまさんもいいかもね、そのハトバスに一回乗ってみて。
そうですね、まず。
そうですね、街を知るという意味で。
乗ってみたいです。
確かにでも、LAの高層ビルってそんなに多くないくてさ、大都市というよりには、なんかだだっぴろいから。
うん、そうですよね。
シカゴの方が断然やっぱ高層ビル多いよね、そう言われると。
多いです、多いです。見る景色が全然変わりました。
あとまだ食べてないんですけど、気になってるのがシカゴピザ。
はいはいはい、分厚いやつね。
分厚くてパイみたいな、分厚いピザも有名ですし、あとなんかホットドッグも有名みたいです。シカゴ式ホットドッグ。
へー。
俺ピザは食べた記憶があるが、ホットドッグ食べたっけな。
うーん。
そうなんだね。
じゃあまたそれは、教えてください。
そうですね、あとスポーツもたくさん。
カブス、ブルス、ホワイトソックス、ベアーズ。
あーそうか、ブルスもそうか。
はい、いろいろあるんで。
カブスは誰がいましたっけ。日本人選手いますね。
はい。
名前がパッと出てこないですけど。
鈴木聖弥選手?
そうですね。
うんうん。
いいですね。球場は近いのかな。
近いんですかね、えーと、ちょっと1回は足を運びたいなと思ってるんですけど。
ね。
はい。
なんかまた新しい町に行くっていうのは、そういう楽しみがあっていいかもね。
ちょっといろいろ引っ越しも大変だとは思いますけど。
うんうん。
ね、新しい何かがワクワクするよね。
そうですね。ちょっとまたいろいろ足を運んで、最新情報をお届けできればなと思っております。
はい、ポンチキを。
はい。
ちょっと待って、今俺シカゴのウィキペディア見てるんですけど。
はいはいはい。
ポンチキの箱を手にするシカゴ元市長っていうのが出ていて、ポンチキってなんだこれ。
何ですかポンチキ。
ポーランドのペストリー、穴の開いていないドーナツ。
へー、まぁドーナツか。
いや、これもチャンスがあったら、ちょっとトライしてみてください。
ドーナツ、有名なドーナツ屋さんですか。
いや、ポンチキという食べ物みたい。
ポンチキという食べ物。
いや、シカゴのウィキペディアを見ていたら、リンク送ったけど。
はい。
歴史っていうところに、ポンチキを手にする、なんとかなんとか。
揚げドーナツ。
なんとなく味の予想はつくな。
はいはいはい。おいしそう。
おいしそうだけど。
まぁまぁ、そんなこんなもん。
はい。
また。
いろいろと試してみて、またお届けできればなと思います。
はい。
はい、ここまでリアルアメリカ情報でした。