今回はインフィニティ・ウィズ代表、J1ビザコンサルタントの安西義美さんにお話を伺っています。
今回3回目のエピソードです。
はい、えっと、なので、先週がね、おいたちからなぜアメリカに来たのか、そして結婚とキャリアみたいなね、深い話になりましたけども、
今回は仕事の掘り下げ、哲学、モチベーションとかね、その辺を伺っております。
はい、それではお聞きください。
はい、ということでですね、今からじゃあちょっと仕事の掘り下げの前にちょっと先週の続きで、
残りで、残りというか、アメリカに入住するぞと決意をして、結婚も考えてた彼ともお別れし、
第2の人生じゃないけども、ステージが変わったっていうところまで話聞いてたんですけど、
そこから独立企業をね、今されてらっしゃるわけですけど、その経緯をちょっと伺ってください。
そうですね、その経緯は、グリーンカードが取れまして、そこから3年くらい働いてたのかな、その会社に。
で、ちょうどそこの社長がもうリタイアするって言って、オーナーが変わりますっていう状況になったわけですよね。
で、新しいオーナーになりました、社長が新しく変わりました。
そうなると、やっぱり会社の中のカルチャーというか雰囲気も変わってきますよね、社長が。
もちろんね。
それもあるし、あと方向性も変わってきたりするので、その方向性がやっぱり私がやりたいと思ってた方向性と、
私やっぱりJ1ビザにどっちかというと特化したプログラムというか、そっちをすごくやりたいという意識が強かったから、
新しいオーナーたちはそうじゃない方向性っていうのがあって、
ちょっとここでやり続けるのは、私も自分もストレスになってくるなっていうのもあったり、
そこでやめようかなって思ったけど、その時に他の会社に転職するっていう方向性もあったんだけど、
起業してみればって誰かに言われたんですよね、その時に。
で、起業できるのかなと思って。
そこの時点でそういう考えが生まれたっていうか。
その時はもうちょっと方向性が違うなっていう考えだけだったんだけど、
それだったら起業したらって言われることを周りの人から言われて、
そういう選択肢もあるのか。で、できるよって言われたから、じゃあできるのかな。
で、やったことがある人が起業してる子が周りに結構アメリカって多かったから、
そういう人たちがやっぱり教えてくれたりっていうのもあったら、できるのかなみたいな。
で、同じような仕事を転職するって言ってもJ1ビザの会社ってそんなにないから。
だから転職するんだったらちょっと違うことやらないといけないかなっていうことも考えた時に、
じゃあ一回起業してみるかっていうので起業したんだよね、そのタイミングで。
オーナーさんが変わってどれくらい経った?
最近ソーシャルセキュリティの申請の仕方がちょっと変わったりっていうのもあったり、
ネタはあるんだけど、
時間は作ったらいくらでもあるはずなんですけど、
運動する時間とかペラペラする時間のほうが優先順位がなかったりしているけれども、
なんだかんだで今9年目になってるから起業して、
でもこれは本当にプレイヤーがいないから、コンペティターがいないから、
ニッチなJRビザのビジネスだから、これでも成り立ってるって感じですよね。
9年か、もう10年だ来年。
そうなんですよ。
実は僕も来年10年経つんですよ。
あれ起業した時期一緒でした?
多分ね、2016年なんですけど。
一緒。
ですよね。
16年、一緒だ。何月?
でも、1月。
じゃあちょっと私が遅い、その後だから。
起業してから会った?
そんなことないですよね。
起業する前に会ってます。
起業しますっていう連絡をいただいたから私。
そうですよね。
そしたら私その後に辞めちゃってるし。
あの辺でも絡みはちょっとありましたもんね。
そうそうそうそう。
そっかそっかそっか。
だから同じ同じ、時期的に。
じゃあ今度は10周年パーティーしましょう。
そうですね、10周年節目ですね。
そうですよ、それが経緯ですね。
じゃあそこから、そこまでで独立されたということね。
今から仕事の掘り下げに入っていきたいんですけど。
仕事の掘り下げ、OK。
まずはちょっとベタな質問。
仕事をしていて誇りに思う瞬間、嬉しい瞬間ってどんな時ですか?
これ本当にこれもベタですけど、
やっぱりアメリカに皆さん来て、
このJ1ビザで経験をされてアメリカで楽しんでる
っていう姿を見たりとか、
アメリカに来てよかったですって言われるお声だったりとか、
あとアメリカで経験した経験が日本に帰った時にも
やっぱり活かされてるとか、
やっぱりそのお客様の声が一番嬉しいですよね。
基本的にやっぱりJで来る方は1年か1年半だから、
その後は日本に帰ってこのスキルを活かして。
割合的にはやっぱり日本に帰る方が多い。
でもやっぱりアメリカに残りたいっていう方もとても多い。
みんな帰りたくないって言ってるけれども、
実情はやっぱりビザが取りにくかったり。
その後のビザサポートはしてらっしゃらないわけですよね。
私はしてないけれども、
でも3割くらいの子は結構アメリカにそのまま残ってるから、
いまいち就労ビザのサポートを企業さんからいただいたり、
インターンしてたところがしてくれたり。
インターンしてたところもあるし、
別の会社からお保護いただくっていうパターンもあるから、
やっぱりそういうお客さんがこっちでエンジョイしてるっていう声は、
一番嬉しいよね。
ありがとうございます。
じゃあちょっとこれもみんなにしてる質問。
これもしかして俺、安田さんに前にしたかもだけど、
してるな。
今、あなたにとっての仕事哲学とは何ですか?
前にしたけど、前の回答も覚えてないかな。
僕もちょっと今は覚えてないけど。
今は、今の仕事の哲学というか、やっぱり継続は力なりなんですよね。
それ哲学というか分からないけど。
いや、まあ哲学だと思うんですけど。
やっぱり結果として継続は力なりなんですよ、このJ1ビザの仕事を。
この続けられたから、これだけの経験値と知識が蓄積されている。
業界に入ってからは何年なんだろう?
業界に入ってから、だからもうほぼほぼ20年ぐらいになる。
でもその時、20年やるつもりはなかったわけだよね、その時ね。
J1ビザを20年もやりたいって思わない。
まず憧れる職業でもないし、この職業。
たまたまその時の会社の新規事業として始まったって感じでした。
そうそうそうそう。だからそのつもりはなかったけど、
でも結果としてこれだけ経験値を上げたから、
アメリカってやっぱり実力勝負だから、経験値が物を言うっていうのはアメリカは特にそうで、
日本は若い人の方が持ち上げられるかもしれないけど、
日本ってやっぱり専門性を貫いていくような、
日本じゃなくてアメリカはね、やっぱり専門性が高ければ高いほど、
スペシャリストを作っていく社会なので、
それも影響してるかもしれないけど、やっぱり継続は力がないっていうのは、
すごく自分の今の仕事というか哲学とか。
ちなみに日本の大企業で新入社員で入ると、
スペシャリスト部署が変わるのは、あれは何のために変わるんだ?
いろんな経験をするために。
あれはいろんな経験をさせるためって言っているけど、
要は会社の中の人位配置というか、バランスを取るためって言う。
バランスが取れるような男女だったり年齢だったりとか。
だから会社のためにやっていることで、
会社のためにはなってないとは言えないけど、
でもアメリカではあまりないですよね。
スペシャリストの話からいくとちょっと違いますよね。
日本はジェネラリストを育てる。
アメリカはスペシャリストを育てるっていう。
その前の教育からも。
アメリカと日本で教育の仕方が違ってくると思うけど。
前回聞いたときの仕事哲学はそんなことではなかった。
どんなことだったんだろう。
わからない。覚えてないぐらい。
何の哲学もなかったかもしれないけど。
それは独立前でしたっけ。
独立前。
聞いたのね。
うん。だからだいぶ変わってきるよね。
いろんな経験をされて。
今すぐ思うのはそうです。
ありがとうございます。
次の質問。今のあなたを作ったルーツは何だと思いますか。
過去に話したすべてですね。
幼少期の独立させられた環境ですよね。
ゼロ歳から保育所に預けられ、
離れてないけど親がいない生活をずっとしているから、
決断を子供なりにしていかないといけなかったりとか、
自分の身の回りのことをやらないといけないとか。
あとはたぶん、気づかないうちにゼロ歳から
そういう保育所とか他の子と交わってるとか、
学校の先生もそうだけど、
このコミュニケーション力っていうのがついてきてると思うんだよね。
他人とやっぱりやりとりする機会、子供なりにあるじゃん。
大人とやりとりする機会もあったってことね。
だからそのコミュニケーション力はたぶん子供のときから作られてる。
だから今この仕事をしててお客さんと対人的なやりとりをするにしても、
やっぱり苦痛がないわけですよね。
人見知りもしないし。
だからそれは子供のときからの育った過程ですよね、全部。
だと思ってます。
確かに安西さん誰とでも仲良く一瞬で慣れる気がする。
お話は普通誰とでもできるんですよね。
好き嫌いとか合う合わないはあるけど。
それは何?殺してるっていうか、抑えてる?
あるある。嫌いな人、嫌いって言ってんじゃない。
苦手な人もいるし、人を嫌いになることはしないんですけど、
嫌いっていう感覚はあまりなくて。
苦手だとか合わないっていう人はいるいる。
だけど別に合わない人でも話を合わせられるというか。
コミュニケーション力ですよね。
それは苦痛を感じないといけない。
ちなみに寂しいとか感じなかったんですか?
子供の頃。
感じてたんですか?
感じてたんだと思う。
でも感じてたのは周りにお友達がいたり、
平日はあれだけど週末は両親一緒にいたし、
必ず休みのときとか週末とかは絶対に遊びに連れてってくれたり。
お休みのときは旅行に必ず行ったりとか。
平日遊べない分、ちゃんとそこでバランスとってくれてた。
お家での旅行とかそういう機会がめっちゃ多い。
そうなんですか。
旅行は好きだったから。
だからいろんなところに行ってたっていう。
何か思い出の残っている旅行はありますか?
旅行はね、スキーに毎年行ってたんだけどね。
だからいろんなスキー、苗場行ったりとか稲橋旅行行ったりとか、
いろいろ苗場行ったりとか、
お父さんがやっぱりスキー好きだったから。
だから結構そういう旅行は、スキーに行った記憶はすごいあるね。
子供のときのね。
だからスキーもスポーツ、結構運動神経ができちゃうので、
私スキーもちょっと上手かったりとか。
逆に敵が来て面倒を見たりとかね。
そこから全部来ますよね。
独立心だったりとか、コミュニケーション的なところは。
育った環境でかいですよね、自分を作ったルーツって。
全部絶対そうだよね。
親御さんは別に自営業とかじゃないですよね。
親御さんは会社勤め。普通の会社勤め。
自営業じゃないから会社を辞めるとか、起業するとかっていう概念が。
そもそもその発想はなかった。
発想はうちの親は全然ないよね。
だから本当に日本の最後までずっと中心雇用で、
もう一つの会社で50年とか働いてましたっていう感じ。
奇跡みたいですよね。
すごいですよね。
転職1回もしないから、うちの両親。
それが普通だったけどね、昭和。
50年とかすごくないですか。
すごいと思いましたよ。僕もできないなと思って。
一つの会社で働き続けるって。
本当に継続は力なりだけど。
ファミリー感覚だと思いますけどね。
普通に会社勤めをしてた普通のサラリーマンの家庭でしたけどね。
そこからでも起業しちゃうっていうのはなかなかチャレンジ的なことですよね。
そこのマインドはアメリカに来ちゃったからそこのエキスが入ってきたんじゃないかな。
ぶっ壊れちゃったんだからね。
うちの両親は海外志向ではないからね。
雑ドメスティックな志向だから。
日本に住んでて。
じゃあ次の質問行こうかな。
ちなみに凹むことはありますか。
凹むことはあります。
起業してからそんな大変って感じじゃないって話してたけど。
大変なこともあるよ。
凹みますか。
大変なことありました。起業してから。
一時期トランプ政権の時にビザが落ちまくってた時とか。
コロナも打撃ですね。
打撃打撃。
でもコロナは国から補助金が出てそれで生活できたって。
これ多分日本だったらもうやっていけてないよねって思うよね。
補助金が出たりとかそういうね。
補助がなかったから。
だけどコロナはダメージだけどそんなに凹んでなかった。
もうみんなそうだし、なるようになればいいみたいな。
全員落ちてたからね。
だからいずれは復帰するだろうみたいな感じで途中からはやってたけど。
一番ビザが却下されて、お客さんがビザを許可されなかった時、却下された時が仕事上では一番凹む。
理由もよくわかんないってこと?
理由も明確には伝えられない。
伝えられてもそれが本当の理由かどうかはわからないから。
だからあなたは永住する意思が見えます。
どれの発言がとかわからない。
どこをどう直していいかもわからない。
だからそれをもとに結局どういう発言が疑われたんじゃないかっていうのは私たちが推測して再申請をするのかとか。
やっぱりビザが却下された後ってお客さんも結構パニック状態になるわけだよね。
そりゃそうやっぱり退金を払って会社も辞めるつもりで。
準備してね。
一年復帰して人生かけてくるわけですよね。
やっぱりビザを却下された人が経験している方はわかると思うんだけど、私もビザが却下されてるからわかるんだけど。
ビザが却下された時って結構自分も全員否定される感じで。
私ダメだったの?ってすっごいショックが起きるんですよ。
就活で泣いて取れないみたいな。
そういう感じでもあるかもしれない。
全員否定されちゃった。
就活だったら他の選択肢がまだあるかもしれないけど、結構アメリカのビザってもう他の選択肢ない。
他の国っていう選択肢あるかもしれないけど。
でもやっぱりある程度のお金がかかってたりとか人生がかかってたりするから、やっぱりダメですって突き返されたら結構な衝撃なわけですよ。
すごいショック。
だからもうお客さんもすごいパニックで連絡をしてきたりっていう。
それをやっぱり対応するのはなかなか私も精神的に結構タフじゃないと。
あとはやっぱりお客さんの気持ちもわかるし、特に却下されてるから私も。
っていうのもあるし、プレッシャーもあるし。
じゃあ次、再申請する時にどうしたら許可してもらえるかっていうのも。
これ多分他の移民弁護士さんとかもみんなこういうプレッシャーあるかもしれないけど。
でも弁護士じゃないからね。
弁護士はそれは仕事だけどさ。
でもね、やっぱりビザのサポートをしているエージェントではあるので、私が決定できるものではないっていうのは
お客様もわかっているけど。
でもやっぱりその後、何か話をしたいとかそういうところの場はエージェントになってくるから。
そうね。
とにかくビザがキャップされる。
知りませんというわけにはいかないですよね。
だからそこが一番やっぱり凹むところ。
ちょっと下世話の話かもしれないんですけど、その場合ってビジネス的にはどうなるんですか?
ビザが却下された時のキャンセル規定というのがあるから、一部はお金をお返しする。
だけどやっぱり一部は私の方で書類を作ったりとか、ある程度のサポートはさせてもらえる。
もちろん時間も使っているわけですからね。
だから一部はお返しできるけど、そんなにたくさんの返金はできないから。
でも受け入れ側もちょっとダメージ。
予定している。
人材が一人来ない。
だからトランプ政権の時にはそういうことが起こっていたので、それも踏まえて企業さんも考えて。
可能性としては追いといて。
やっぱりビザは最終的にはアメリカ大使館が判断をするものだから。
そういう時は凹むし、やっぱり私の精神的にプレッシャーがあったりとか。
っていう時期はあります。
素晴らしい。
っていうね、この聞こえはいいけどね。
僕もだって同じ気持ちでポッドキャッシュやってたりもしますし。
こっちの日本人の人で結構ね、
こういうマーケティングとかやってる人たちって
そういう気持ち持ってる人多いですよね。
日本の企業に頑張ってもらいたいとか。
それがね、ちょっと日本の人からどう映ってるのかっていうのが
ちょっとなんか、なんていうか、
微妙なところでもあるんですけど、
この思いがどう伝わっていくのか。
そうね、ほんとね。
なんか余計なお世話って思ってる人いるかもしれないもんね。
それを最近どう伝えるのがいいんだろうかって考えてますけどね。
確かに。
思ったこと言うしかないんだけど。
そうね。
じゃあ最後の質問をして、次のセクションに入りたいんですけど、
仕事や人生の中で今までにした最良の意思決定は何だと思いますか?
最良の意思決定って、私全部最良だと思ってるんで。
全ての決断は自分が決めたことなので、
それが最良だったと思ってるんで。
何が最良っていうのが何か。
とにかくポジティブですね。
独立したのもそうだし、アメリカに来たのもそうだし、オーストラリアに来たのもそうだし、
全部決めてきたのは自分なので、
後悔はないと。
後悔はしたくないし、それがその時の最良の決断だったと思ってるね。
言おうと思ったら、じゃあアメリカに彼氏を置いて来なければよかったね。
あの時日本に帰ればよかったじゃんっていうのも、
そういう考え方もあるわけじゃん。
パラリルワールドじゃないけど、
あの時結婚してたら自分はどうなってたかみたいなの考えることはありますか?
あるあるある。
あと留学の時にも、
これもまたその時に結婚しようと言ってた香港人の彼がいたわけですよ。
ずっとオーストラリアで一緒に住んでて。
その人も本当に結婚するつもりだったんだけど、結婚しなかったわけですよ、結局。
その人と結婚したら私はじゃあ今香港に住んでるのかなと思うよね。
アメリカにはいなかったのかなとか。
それは考えることはあります。
もちろんね。
あるある。
でも最終的に今のここにいるっていうのは、
それが一番自分としては最良の決断だって思う。
だから今の自分に満足しているというか、
そうね。
ってことですよね。
そう。
だからこの次の大失敗は大失敗って思ってない。
なるほどね。
大失敗ない。
OK。
ありがとうございます。
ポジティブでよろしい。
世の中の人は失敗と思うか思うこともあるかもしれないけど。
捉え方ですからね。
そうそう、捉え方なんですよ。
私はそう。
あとはね、そう思いたくないっていうのもあるんですか。
そういう考え方もあります。
そうそう。
ありがとうございます。
じゃあちょっとね、最後のセクション、未来を意識して話を聞いていきたいんですけども。
未来ですか、未来ね。
はい、結構仕事の話が多く充実してましたね。
内容としては。
いやでもさ、42歳で企業を決断っていうのがすごいなって思いましたね。
すごいですね。
まあ年齢関係ないといえば関係ないが、
何事も遅くはない?
何?ネバートゥーレイト?
的な話はありますが、とはいえだよね、とはいえ。
まあ安西さんも言ってたけど、44歳以降はもうきつくなるかなみたいなので、
急いで企業したって言ってたけど。
まあエネルギーがいりますからね。
いるよね。
はい。
とか、保守的にやっぱりなりがちな気もするしね、なんつうんだろう。
勢いがやっぱ若い頃の方がね、どうなってもいいやみたいなのが。
あると思います。
ちなみに、僕が起業したのはね、38だった気がするんだよな。
それでも遅いなと思ったけどね。
っていうか、もっと早くしてる人たちがやっぱり先輩、
年下としても先輩にあたるわけで、なんか起業が。
情報量、情報量っていうか何だろう、経験値がやっぱ高いなって思ったしね。
いやー、素晴らしい。楽しみですね、なんかでもそういうのは。
やっぱそれでもさ、側があるだけでさ、別に会社立てなくてもこういうビジネスやってみようかなとかで考えることはできるんだけど、
実際に側があるととないとで全然動き方が違ってくるしね、なんかその周りの見方もそうだしさ。
会社だったら仕事一緒にしましょうっていう人もいるだろうし、なんか信頼感みたいなのもあるじゃない。
確かに。
ね、素敵ですね。
そうですね。いやちょっと私の話になっちゃってあれなんですけど、
そう、でもね、なんか自分でやらなきゃいけないとか、なんかいろんな話もされてたんで。
そうね。
そうそう。
まあだから安西さんもね、最初からだからそういうことを考えたわけではなくて、流れというかその環境で、
まあ自分でやるかっていう話になったんだけどね。
でも全然後悔はないという感じだと思うんで。
そうね、あとその続けることで蓄積される知識と経験値って、やっぱそれは超共感ですよね、納得というか。
みつさんも同じぐらいに会社作られてるってことですもんね。
そうなんですよ、そうなんですよ。まあ年取ってるだけな気がするが俺は。
いやいやいやいや、続けることでっていう部分に共感されたところもあったんじゃないですか。
そうですね、まあでも本当にそれは、もうそれしかねえと思ってますよ。
でも続けることも大変じゃないですか。
大変ですよね。
あとその続け方みたいなのもね、なんか俺間違ってんなのかなって思いつつも、でも続けなきゃっていうちょっと変な意地張ってるところもあるんだが、たまにね。
でもやっぱり続けないとその先が見えないなと思うから、続けるしかないみたいな感じになっちゃってるけど。
それもいやいややっても続かないから自分に対してのモチベーションというか、楽しんでやれるように持っていくスキルが上がってきる気がするな。
面倒くさくてならないようにやり方を考えるみたいな。
なるほどね。
確かに、実務でどうするかだけじゃなくてこうメンタル面とかモチベーションとかも大事になってくるから。
こういうふうなやり方しとけば自分がめんどくせえって思わなくて済むなっていうやり方を発明するみたいな。
でもさ、ゆなさんテニスは何年やってたんだっけ、今はやってないんだっけ。
今は全然やってないですね、ほんとに1年に1回趣味でやるかなぐらいで。
それまでも続けてた。
それまでも十分長いよね。
大学卒業するまでなんで15年ぐらいですね。
じゃあそのアナウンサーの職歴よりも長いよね、テニスのほうが。
そうですね。
テニスやればいいのに。
いや、できるんですよ、いつでもやろうと思ったら。
なんですが疲れたくない。
疲れたくないってのがあって、ほんとにたまにやりますよ。
なんかね、アメリカ、日本もそうなのかなわかんないけど、うちの周りは結構テニスコートもいっぱいあってさ。
無料ですぐにできるからさ。
いや、アメリカそういうとこ多いですよね。
きっとね、そうだよね。
日本だったらなかなかないですね、そのテニスコートがあるような公園って。
だよね、だからそれはテニスプレイヤーにとってすごいいい環境だなと思うけど。
アメリカはいいですよ。
あと何話してたっけな、他人?
いろいろ話してました。
コミュ力みたいな話をしてたな、コミュ力ね。
コミュ力が無理に頑張る必要ないみたいな話もされてましたよね、確か。
そうですね。
そうだね、この番組とやってるコンセプトと共通する部分で、やっぱりアメリカ、海外で活躍してほしいみたいな、そういう手助けをしたいみたいなことをおっしゃっておりましたが。
そういうふうになりがちっていうか、なんか俺もそう思うんです。
ありきたりっていうのかな、なんて言えばいいのかわかんないけど、なんでそう思っちゃうんだろうね、みんな。
でもわかりますよ。
なんか、私もまだ1年半ですけど、妹も4年生の大学、アメリカの大学を出ていて。
なんか、このいい環境があることも知ってほしいみたいな、じゃないですか、もっと知ってほしい、こっちも選べたらいいんじゃないのみたいなのをみんなに提示したいみたいな、
自分が知ってるからこそ伝えたいってのはあるのかなと思うんですよね。
まあね、選択肢っていうキーワードも出てましたけど、これをだからね、おせっかいみたいに捉えられているのかもな、そうなったらやだな、みたいなこともね、なんか最近考えてて。
この間、ゆなさんにもちょろっと言ったんだけど、なんかね、それをどう伝えるのがいいのかなって思うけど、難しいな。
いやでも、たぶんね、海外で生活してる日本人の方は、やっぱりあんまり日本人の方がね、あのお話でもありましたけど、海外で生活してる人って、他の国の出身の人に比べたら少ない気がするから。
あー、それね、そうなの? 全然少ないよ。
ですよね、やっぱり中国の出身の方とか、いっぱいいるし、アメリカにも、韓国とか、それ比べると日本人が少ないから。
そういうか、海外に出てる率がダントツ少ない、日本は。まあそれぐらいいい国だってことなんだけどね。
そうなんですよね、それはそうなんですよ。
逆に言うとね。
そうなの。みんなね、自国にいても、あれだからとか、いられないから来る人もいるから。
自国なんか、自国から抜け出したいって言って、必死になってくる人が多いからね。
すごいいいことなんだけど。
まあ俺も半分そんな逃げてきたような感じもあるけど。
え?
そう。
まあまあ。
わかります。
とにかくね、発信を続けて頑張りましょうということですかね。
安西さんも頑張っているので。
うんうん、そうですね。
それを応援しつつね。
はい。
はい、じゃあそんな感じで締めましょう。
ということで来週が、なんだ?未来を意識したお話ですね。
そしてなんかちょっと、幸せって何ですかとかね。
あとあの思い出の曲とエピソードが、俺はいつも楽しみなんですけど、そんな話を伺っております。
はい、それでは次回も楽しみにしております。
はい。
リアルアメリカ情報。
よっ。
このコーナーでは、最新のビジネス生活情報をアメリカからお届けしていきます。
お願いします。
はい。
今回は、学校の話。
学校。
はい、私今大学院に通っていて。
そういうことですね。
はい。
で、なんか授業のスタイルとか、生徒のスタイルが、全然違うなっていうふうに感じたので。
それアメリカの、じゃあ日本の大学とアメリカの大学とってことですか。
そうです、そうです。
それはね。
なんかその辺も、そうミツさんともお話ししてみたいと思って。
まあ俺はね、大学に行ってないのでね、その話はできないんですけど。
いや、たぶん、なんて言うんですか、教育からなる人格みたいなのもあると思うから。
教育からなる人格。
なんて言うんですか。
なんか、じゃあ例えばなんですけど、日本の大学とか日本の学校って、基本的にレクチャースタイルで。
日本の高校とか中学校とかもそうだと思うんですけど、先生の話を一方的に聞く。
はいはいはい。
で、ノート取って、最後にテストとか、最後にレポートがあって、それで評価される。
はい。
っていうシステムだと思うんですけど。
そうね、ノート取るのを必死にノート取ってたもんな。黒板に書いたやつを。
ですよね。
今だったらシャメで一発なんだけど。
ね。
カメラで写真撮れば。
そう、でも、まあこれは自分が出てる授業とか自分が出てる学校によって違うとはもちろん思うんですけど。
はい。
今私の行ってる大学院だと、授業への参加度っていうのが、やっぱ評価の一つ。
ああ、なるほど。
で、
それは手を挙げるとかそういうことですか?
先生がお話ししてるときに手を挙げて質問するとか。
はいはいはいはい。
先生が投げかけたときに意見を言うとか。
はい。
なんか授業があんまり一方通行じゃなくて、かなり生徒からの意見もこう求めるスタイルなんですよ。
インタラクティブですね。
でもこれってどの先生もそうなんですよ。
相互性があるってことですね。
そうそうそう。
で、必ず評価の中に授業への貢献度とか参加度みたいなものがあって、
一回の授業で一人一回は発言しましょうみたいなことを言ってくる先生もいますし、
あとはプレゼンテーションも非常に数が多い。
というのはその意見を述べさせられる、発表させられるってことですか?
発表が多い。自分でスライド作ってみんなの前で話すとか、
そこまで大掛かりなものじゃなくても一人一分、この文章を読んできた感想を話すとか、
すごい参加を求められる。
で、プレゼンテーションで20%評価しますとか、最後にテストっていうのがあんまりないくて。
あ、そうなんだ。
筆記テストみたいなのがあんまりなくて、かなり違うなって思って。
日本だと意見がないって別に何とも思われないんです。
意見を言わないって、ただ言わないだけですけど、
アメリカだと意見を言わないイコール意見がないみたいな、考えていないってとられるから、
ちょっと失礼にあたるっていうか。
なんかそういうのって日常会話でもありません?
ありますね。こいつもうやる気ないっていうか、なんて言うんですかね。
極端に言うと怒ってるって思われちゃったりもする時があるよね。
喋らないと。
喋らないとですよね。
何かあいつ何かあったの?みたいな感じで。
いや別に何もないよっていう。
別に日本って意見を言わない、言うほうが逆に目立つかなと思ってて。
そうね。
すごい違うなっていうふうに思ってて。
はい。
スチューナーさん的にはどっちがいい、どっちに、どっちもいい長所短所あるのかね。
そう思います。
なんかアメリカ。
でもその冒頭に言った、ごめんなんだっけ、なんて言ったっけ、性格?人格?
ああ、教育からできる人格みたいな、性格みたいな。
それに戻すと?
戻すと、アメリカの人って、自分の意見を言うのが上手?
そうですね。
言い方が上手?
アピール上手ね。
アピール上手。
悪く言ったらというか、何にも考えてなくても何か言えるんですよ、あの人たちは。
わかりますか?
わかるよ、はったりってことでしょ、はったり状態ですよね、言ったら。
そうなんですよ、なんかすっごい中庸的なことを上手く言える。
しかもめっちゃ自信満々に言うからね。
そう、でもあの能力もう生かせるときがあるじゃないですか。
絶対それ、ビジネスとかだったら絶対有利だもん、そっちのほうが。
そう、そうなんです、だから、私は思いつかないときは本当に思いつかないんですよ。
ああ。
ああ、何だろうな、とかなるんですけど、アメリカの人たちは。
まあでもそれは真剣、真面目というか、そういう気質もあるのかもしれないね。
思ってもないこと言ってはいけないんじゃないかみたいな。
そう、でもそれはなんか、たぶん日本人は慣れないと思う。
口から出まかせみたいな、なんていうんですか、そういうのはあんま慣れてないから。
そう、そういう日本人もいるけどね。
まあまあまあ、うちもいるんですけどね。
俺もどっちかっていうと、営業トークっていう見方をすれば、口から出まかせとまではいかないけど、
なんか適当なこと言える方だと思うけどね。
うんうんうん。
まあただ、アメリカはその能力ね、かなり引き入れていますよね。
能力高いですよね。
高いですね。
全然ダメじゃんって言うときでも、めちゃめちゃ自信満々に言うからね。
そう、本当こんなこと言ったらダメなんですけど、本当に大したことないプレゼンでも、すごい堂々とやるから。
いや素敵ですよ。
すごいな、そうそうそう、その姿勢はすごい素敵と思いつつ。
まあ日本は日本でテストで結果を求められるから、それまで真面目に勉強するとか、ずっと机に座って勉強するとか、そういう能力は引い出てると思うから。
まああとそのアメリカにはない美学がありますよね、日本人はこの、なんて言うんですか、でしゃばらないとか、謙虚さ、謙遜するとか、まあそれは多分相手を敬っている部分もあるじゃない、俺がこんなこと言うことじゃないみたいなさ。
うん。
ね、それはそれで美学ですよね。
そうなんですよ。
自分の美学が、感覚がアメリカ人には難しすぎてわかんないんだと思うけど。
そうなんですよね。
っていうかそういう経験はしてないからね。
だからなんか怒ってると思われる。
そう、そうなんですよ。っていう違いがあるなと思って。
大学に行ってよかったですか?
よかったですよかったです。
まだ終わってないけど。
しっかりまずは修士号を取らなきゃってのはあるんですけど。
そうですよね。
いやよくやるね、でもそんなネイティブの前で1分間にスピーチとかしてるわけでしょ。
いやだから最初は、最初は本当に嫌だったんですよ。
嫌だって言って恥ずかしいってこと?
いやなんか大したこと言えないなとか。
あとはやっぱり正直最初の方とかはもっと英語に自信もなかったから。
なんか簡単な表現ばっかりだなとか。
本当はこういう意見があるけどこっちの方が言いやすいからもうこれでいいやみたいな。
ただの授業の議論だしみたいな感じだったんですけど。
なんかそこをみんな意外と何も考えてなくて適当に喋ってるぞとか、意外とみんな聞いてないぞとか、
そういうことをわかりだしてから、もうちょっと気楽に喋れるようになりました。
確かにな。
わかる、なんかわかる。その言葉の重さを考えすぎると出てこないんだけど。
誰も聞いてねーって思えばね。
そうなんですよ。
あとは仕事じゃないんで、あんまり学校だからそこまで責任感なくてもいいから、
みんな意外に聞いてないからいいやっていう気持ちでやるようになりましたけど。
俺も英語じゃないけど日本語で喋ってても口から出まかせじゃないんだけど、
思ったことをとりあえず言ってみると話が広がるっていう時はあるよね。
とりあえず投げちゃうみたいな。合ってるかどうだとかどうでもいいよみたいなのを。
それはそれでなんかそういうのもありだなと思うけどね。
そう思います。いろんな考え方を知れてって感じですね。
そうそうそうそう。だから本当は自分が思ってなくても、カウンターで相手と、
まあディベートってねよくあるけど、カウンターオファーというかカウンターを投げることによってその議論が深まるっていうのもあるもんね。
そうですそうです。
いやいいな俺学校にたまに行ってみたいなと思うんですけどね。
もう今さらに行かないと思うけど。
私結構学校が好きで。
いいよね。
なんか学びたいっていうのがなんかあって留学にしたっていうのもあるんですけど。
素敵ですよそのやりたいことをね。ちゃんとやって。
若い子たちとも混ざりながら頑張ってます。
まあ若いって言ったってうなさんはルックスも若いし全然違和感ないでしょ。
いやいやまあでも本当アジア人は若く見られるのかもしれないです。ずっと23ぐらいだと思われてました最初の方。
いやいやそりゃそうでしょ。
そうそうでも楽しくやってます。
素晴らしい。
学びが多いです。
素晴らしいです。またじゃあ学校の今時の恋愛の仕方とかそういう話も待ってます。
確かに話したことあります。
友達と。
またまとめてきます。
お願いします。
はいありがとうございます。
はいということでリアルアメリカ情報でした。
あ、そうでした。
では最後の質問コーナーです。
はいえっとですね、安西さんのお話があやかってでもあるんですけども、ちょっと今興味がパッと出たんですけど、
うなさんコロナ禍の時ってまだ日本だったと思うんですけど、
その時になんか打撃ってありましたか?まあ会社だったり自分のことだったりでもいいんですけど。
ありましたよ。
どんな?
私は会社員だったので、こう例えば売上がどうとかそこまではあまり関与してなかったんですけど、
アナウンサーという仕事上やっぱりオンラインで済ませられない部分がたくさんありまして、
例えば番組出演。
まあセットというか、そこで収録現場があるってことですもんね。
そうです。カメラの前に立ってスタジオでお話しするとか。
リモートワークが増えたと思うんですけど、なのでリモートで家から一歩も出ないで仕事をするっていうことはできなかったんですね。
なので会社には必要最低限の出勤みたいな感じにはなりましたけど、会社には行きましたし、
あとやっぱり一番大きかったのは東京オリンピックが無観客で開催されて、
選手への取材もほとんどできなかったことですね。
スポーツ系がやっぱり一番大きかった。スポーツが全部止まった時期もありましたし。
いやー確かにあの時無観客でやってたもんね、試合とかね。かわいそうになっちゃっただもんね。
まず一番最初、すべてのプロとか高校生の試合とか全部中止になりましたね。
全部なくなっちゃった。
そうだそうだ、あの時の甲子園の子たちとかも超悲惨じゃんと思ってたもんね。
本当にそう、本当にそうです。甲子園なくなりましたからね。
でもその次の甲子園で優勝した監督のメッセージがあって、俺は号泣した覚えがあるな。
もうそのもうとにかくだから、生徒たちがもうつらかったっていう。
本当にそうです。そういう姿を見ましたしね。
スポーツ関連が多かったから皆さんもそういう現場が多かったんだろうね。
そうです。ストップしちゃった後に再開ってなったけど、無観客だったりとか、
あと私たちもやっぱり選手のことを取材する時に対面で取材したりとか、
練習の雰囲気を見るってすごく大事な要素の一つなんですけど、コミュニケーションとって関係性を深める。
それがもう2年ぐらい、1、2年はできなかったですね。
やっぱり感染防止のために選手とは関われなかったし、
まあそうだよな。
全部リモートになっちゃったりとか、
スタジアムに取材に行けるようになっても、メディアと選手の動線が全部違うように組まれていて、
同じとこで接触しないように。
通らないように。一切顔合わせないような仕組みになってたりとか、ありましたよ。
大変な嫌な時代でしたね。
いや本当に戻ってよかったなと思いますし。
ごめんね変な話題を振ってしまった俺。
いやいやいや、でも皆さん苦労があったと思いますから。
まああったね。
特殊な経験ではありましたけど、
そうだね。
そんなこともあったなって感じで。
そうだね。
試行錯誤しながら番組も作ってました。
それでオンラインのインフラが整備されて、できなかったこともできるようになったりとかね。
いろいろ増えたけどね。
そうありますね。
俺も地元の豊田市なんですけど、愛知県豊田市のひまわりネットワークっていう地元のテレビ番組みたいなのがあって、
このインスタグラムを2年前ぐらい、この中だったかなそれこそ。
なんかやっぱりインスタライブとかで報道っていうか裏側とかを見せたりしてるのが面白いなと思って見出したりとかね。
そうそう、皆さんが裏側発信し始めたのもそういうことだと思いますし。
そうだね。
それはそれで面白いね。
そう思います。
ちょっとだらだらとしゃべってしまいましたが、何の質問してたんだっけ?
コロナ禍の打撃。
コロナ禍のダメージね。コロナのことは忘れよう。
まあまあ、いい学びになりましたね。