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1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や企業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また各業界のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
最近でもないけど、私いつも自分の家にいるんですけど、
彼の家にね、ステイしてる時に、彼の家の周りのストリートスウィーピング、道路掃除の
あれ、トラックっていうか車がね、日にち来るよね。
そうそう、仕組みがちょっと私の家と違うなってことに気づいて、
そういえば道路掃除って日本ないなと思ってシェアしたいなと思ったんですけど。
あー、そういうことね。
何曜日っていうか決まっててね、
うちの前は木曜日に車が走ってくるんですけど、掃除用の。
そうそうそう、なんか大きいゴミ収集車みたいなトラックに、
大きな何だろう、車輪みたいなブラシがついてて、それでバーって。
モップ?
モップ車?
モップかな、なんかブラシ、丸いブラシみたいなのが車の下についてて、
道路をギュインギュインギュインって掃除しながらゆっくり走っていくから、
走っていくんですよ。
その日は、そのストリートには車を止めてはいけないんだよね。
そう、そうなんです。で、車止めていると駐車違反で切符を切られるんですけど、
そう。
なんか通常って、この右側の道路は駐車禁止だけど、反対側はOKとかじゃないですか、大体。
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あー、そうね、そうね。
そうそう、だからこの日だけは反対側に止めておけばいいとか。
そうだね。
じゃないですか。なんですけど、彼の住んでるとこすごい意地悪で、
一帯のブロックが同じ時間帯全部駐車禁止になるんですよ。
なんで、なんでそんな意地悪すんの。
すごい意地悪でしょ。だから、よく地図を見ると本当、
歩いて15分ぐらい、15分、20分行かないともう止められない、
車が止められないぐらい一帯が禁止になるってすごい意地悪な地区に住んでいて、
でもみんなどうしてるんだろうと思って、道路を眺めてたんですよ、その日。
そしたら普通に車止まってるの、その時間になっても。
で、え、これ駐車違反切られるんじゃないのと思ったら、
あまりにも多分意地悪すぎるから、警察たちも多分妥協案みたいなのを
暗黙の了解してあげてて、この掃除の車が通る真後ろに警察がついて回って、
その掃除の車の目の前に車が止まってる車だけ、切符を切るようにしてるんですよ。
だから要するに、この掃除の車が来るタイミングで車を止めていなければ
切符は切られないということで。
そういうことね。通常は朝の8時から10時までとかってなってるけど。
そうそうそうそう。決まってるんですけど。
その時間に止めてると本当は切られるんだけど、そこはじゃあ多めに見られてて。
奥は多めに見られてるので、みんな車の中で道路で待機してて、
その掃除の車が来るのを待ってて、掃除の車が来たときに一緒に動いて、
警察も後ろに並んで。
もう行ったから止めてもいいでしょみたいな感じで。
切符切れないようにしてるという、みんな大変な生活をしておりますっていう。
なんかそういうバイトありそうだね。
ありそうでしょ。車動かすバイト。
そうなんです。そんな意地悪な地区もありますっていう。
なんかでも日本の人はね、ちょっと想像しにくいかもわかんないですけど。
まず路中がないですもんね。
そうなんだよね。毎週1回道路掃除をする車が走っていくっていうね。
その日は反対側に止めないといけないんだけど、
さおりちゃんの彼のところは、両側止めちゃいけないと。
全部ロック。過去15分圏内全部禁止っていうところで。
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不思議ですね。
不思議。なんでその仕組みにしたんだってとこです。
なるほどね。
ということで本編に入っていきましょう。
はい。
毎回1人の方のインタビューを4回に分けてお届けしているこの1%の情熱物語ですが、
今回はパーカッショニスト二階堂さんのインタビューの2回目。
はい。先週はね、パーカッションとは何ぞやっていう話とかね。
あとはそのミュージシャンやエンターテイナーがコロナ禍においてやっぱきつかったよねみたいな話をしてたんですけども、
今週は二階堂さんの生い立ちからですね、北海道生まれ、
そして性格がいろいろね、お兄さんがいてとかね、そういう話とか、
どうやってボストンに来たのか、そして初めての一人暮らしが海外なんですけど、
そんな話なんかを伺っております。
では聞いていただきましょう。
じゃあ今から幼少期から今の仕事に至るまでの経緯を伺っていきたいんですけど、
まず北海道、札幌生まれ。
そうです。
というふうに伺っておりますが、どんな子供だったですか。
どんな子供だった。うるさい生意気な野郎でした。
もう落ち着きなくて、兄が僕一人いるんですけど、兄は僕と真逆の性格ですごい落ち着いてて、
静かな子だったらしいんですけど。
どれくらい年離れてるんですか。
2つですね。2つ違いなので、中学校高校では1年生3年生で重なる。
でも割と近いと喧嘩したりしません。
めちゃくちゃしました。
めちゃくちゃしました。
そっか、じゃあお兄さん静かだけど喧嘩はしたんですか。
喧嘩はしました。
なんかそうですね、友達とか人前では静かっていう感じですかね。
なんか僕はもう俺が俺がじゃないけど、もうみんな笑かしてなんもじゃないみたいな。
なんか多分そんな。
外でも明るく。
すごい明るい子でしたね。
へー。なんか運動とか。
でも7歳でパーカッションだから。
7歳って言ったら。
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小学校の2年生ですね。
でもう始められてる。
そうですね。実は僕その前がアルトサックスを。
えー。
1年だけだったんですけど、6歳でサックスを始めて。
札幌にある、札幌ジュニアジャズオーケストラっていうそのビッグバンド。
ジャズのビッグバンドがありまして、小学生、中学生向けのものだったんですけど。
そこに入ってサックスを1年間やって。
で7歳のときにパーカッションに転校をして。
それ、自分でやりたいって入ったんですか?
えっとね、それは確かそうだと思うんですけど。
兄も、兄実は昔ドラムをやってて。
あ、へー、そうなんですね。
そうなんです。兄のほうが最初に入ってたんですね、そのビッグバンド。
なるほど。
その影響もあってて。
でも、そっか、兄さんはドラムだったけど、
三階堂さん、高海さんはサックスを選んだ。
でその後、パーカッションに転校っていうのは、それなんかあったんですか?
それがですね、
アース・インド・アンド・ファイアーっていうバンド。
セプテンバーとか有名ですよね。
アース・インド・アンド・ファイアーが札幌公園で来まして、そのときに。
で、僕の両親がですね、もうアース・インド・アンド・ファイアー大好きで。
もう車ではそういう音楽をずっと聴いてた家族だったんですけど。
それでチケット取って、一番最前列で見ることができて。
僕はサックスやってたからサックスの人を見てたんですけど。
そのときにパーカッショニストが、なんかすごいこう、シンバルを蹴ったり、
スティックをすんげぇ派手に叩いてたりしてて。
でなんかもう、うわ、かっこいいってなって。
かっこいいってなって。
ちょっとサックスじゃなくて、あれらは俺っていう。
あれらは、そうなんですよ。
あれらは俺やりたいのっていうことで、パーカッションを始めました。
分かりやすいな。
分かりやすい。
単純っすね。
そうなんですよ。
そうなんだ。それはもう衝撃的だったんだ。
衝撃的でしたね。
今でも覚えてます。
でももう来たんでしょうね。ぐんぐん体の中に。
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やべぇみたいなのが、これだ!っていうのが来たんでしょうね。
痺れちゃった?
痺れちゃった。
そうなんすか。
まあでもそれも早いうちで良かったっすね。
そうですね。
サックス5年とかやってたらなんかなかなか。
ねーほんとに。
いや良かったです。今思えばほんと。
そっか、僕皆さんになんか衝撃的な人生で衝撃を受けた出来事や
転換期となったエピソードありますかって聞いてるんですけど。
それですか?もしかして。
それは大きいですね。
あとはもう一つあるとすれば、後のことになるんですけど。
キューバに一番最初に行った時はやっぱり衝撃的で、
僕が初めて行ったのが12歳の時。
早いっすね。
行ったんですけど。
しかも珍しいな、キューバに行くってのは。
そうなんですよ。
日本のパーカッショニストの方が毎年ツアーというか、
キューバが好きな人、パーカッションが好きな方をキューバに連れてって、
現地の人から色々教えてもらおうっていうようなミニツアーみたいのがありまして。
で、じゃあそこにおいでよって言ってくれて。
で、一緒に連れてっていただいて。
で、そこでやっぱりレッスン受けたりとか、
あとはやっぱり現地の人の演奏を見た時点で、
もう全然違うって、なんかもう何これってなって。
特にキューバの方たちはね、
なんかイメージ的にはもう遊びの天才というか、
仕事よりもいかに気持ちよくなるかの方がたけてる気がするよね。
ほんとそうです、ほんと。一日中やっぱり演奏して、
昼からお酒飲んで、踊ってっていう毎日なんで。
それは衝撃的でしたね。
なるほどね。
そっか、そこに至るまでに、じゃあその7歳でパーカッションを移って、
小・中・高。
そっか、でも12歳ってことは小学生の。
そうですね、小学6年生とかでしたね。
のときにキューバに行かれたんですね。
それまでずっと習ってたってことですか。
習ってました。札幌で個人レッスンをずっと受けて。
でも周りの小学生とかって、一般的にはサッカーしたり野球したり。
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でも楽器やってる人も多いか。
そうですね、でも僕実はスポーツがめちゃくちゃ好きで、
中学はバスケ部部長をやってて、
冬は山にスノーボードをしに行ってっていうのが。
北海道だしね。
北海道なんで。
もうスポーツは音楽以上にやってきたかもしれないぐらいめちゃくちゃやってました。
へー、そうなんだ。
そっかそっか、じゃあそれもやりなつつもパーカッションも。
パーカッションもやってっていう感じですね。
それは結構真剣というか、どれぐらいのめり込んでたんですか。
小学生の頃とかは全然。
習い事みたいな。
習い事ぐらいに思ってて。
で、中学校入ってバスケットボール部に入って、
出た時に同時にパーカッションもやってたんですけど、
その時にちょっと、まあキューバに行ったのもあったんで、
ちょっとやっぱパーカッションちゃんとやろうかなというか、
ちょっと真剣に。
プロを目指してみようかなみたいな。
そこまででもなかったですね。
でもまあパーカッションちょっとやってるからちゃんとやろうかなっていうぐらいで、
意識し始めたのが中学ぐらい。
で、プロでしっかりやろうかなと思ったのは高校の2年生ぐらいですかね。
まあそのときは就職のこととかも考えだすし。
それまではずっと、一応普通の大学を受験しようと思っていたので。
高校のときはバスケはやってらっしゃる?
高校はやってないんです。
そこまででも北海道にいながら。
北海道、そうですね。札幌に高校生まではいました。
そうなんだ。
そっかそっか。でもまあね、バスケも大好きだったと思いますけど、
辞めちゃわなくてよかったというか、よく続いたなっていう感じします?
そうですね。なんか切り離せなかったというか。
好きだったんですかね、単純に。
単純にやっぱ好きだったんでしょうね。
でもなんかいいっすね、パーカッションって別に楽器なくてもいけるじゃないですか。
だから例えばバスケの合宿とかスノーボードでどっか山行ったとしても、
そこら辺のバケツがあったら、ボンボンと演奏できちゃって、周りを盛り上げられるというか、
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めちゃくちゃ羨ましいなっていつも思ってましたけど。
そうですね、やっぱり練習とかするってなってもパーカッションって膝の上でできちゃったりするんで、
それはいいかもしれないですね、結構。
だから即興で机叩くだけでもかっこいいじゃないですか。
やってましたね、机をいかに綺麗に叩けるかみたいな。
綺麗な音が鳴るからね。
なんか懐かしいな、学校にあった机いい音鳴りましたね。
鳴りましたね、あれね。
あと僕すごいハマったのが、デパートの服売ってる場所行くとマネキンあるじゃないですか。
でマネキンの、ズボン用のマネキンってあるんですよ、上半身ないやつ。
下半身の足だけのやつ。
下半身だけのやつで、腰のところ真っ平になってるんですけど、あれめちゃくちゃいい音鳴るんですよ。
それはニッチだな。
めちゃくちゃ叩いてました、あのちっちゃい子が。
お母さんに怒られそうだけど。
お母さんが服とか見てる間にサーってパーって叩き、フラベして。
そう、目立ちそうですね。
なるほどね。でもね、そういうとことかね、いろんなとこ叩けそうですよね。
なんか待ってる間とかに。
そうなんですよ。いいですよ、パーカッションは。
パーカッション素敵だな。
それで、高校まで卒業。
高校卒業の時に大学はどうやって決めたんですか。
大学は、ボストンのバークリ音楽院に通ってたんですけど。
かの有名な、音楽で有名な大学院ですね、バークリ。
で、バークリに一番最初に行ったのも、実は高校の1年生の時で。
そうなんですね。
そうなんです。バークリが毎年夏に実施してる5weekっていう5週間のサマープログラムがありまして。
それが一応高校生向けというか、大学に興味を持ってる人向け。
サマーキャンプみたいな。
そうですそうです。年齢制限とかないんですけど。
で、そこに高校1年生の時に行ったのが初めてで。
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それも中学校の時にバークリのその講師陣が札幌に来て、キャンプをすると。
そのミニキャンプを。
で、それが北海道グループキャンプっていうものなんですけど。
じゃあアメリカンの子どもたちもそこに来てみたいな。
いやそれは日本人。
日本人用の。
日本人用だったんですけど。
一応そのキャンプで選ばれるとその5週間の夏の講習に招待されますよっていうのがあって。
そこで2回目受講した時に僕も賞をいただいて。
すごい。
で高校1年生の時に行くチャンスがあったので。
どうでしたかそれは。
いやもうそれもちょっとやっぱり衝撃的というか。
やっぱり他の同世代の他の国の子どもたちと接する機会がないので。
日本人で。
確かに。
でもうみんな音楽をやる子どもたちばっかりが集まってるじゃないですか。
やっぱりうまい人がもう本当に多くて。
何この人たちっていうようなレベルがレベルの子たちいっぱいで。
レベルが違う。
うわすげーなって。
言うのがもう衝撃的で。
それが。
そっか。
そうですね高校1年生の時にあって。
で高校2年生の時にやっぱりちょっとあの子1年前に経験したあれはやっぱ衝撃的だったしもう1回行きたいなって。
それはなんか日本にはもうそんな人あんまり周りにはいなかったって感じなんですか。
いやあのねすごい人たちっていうのは僕の周りいっぱいいたんですけど。
でもなかなかその一緒にやる機会っていうのはその頃になるとちょっと減ってたりしてて。
そっか。
そうなんですよね。
で改めてなんかこうすごい人を目の前にしたっていう感じで。
そっか。でもう1回じゃあそこに行きたいなと。
行きたいなっていうことで高校3年生の時にもう1回同じプログラムに参加して。
おーそうなんですね。
でそこであの高3の夏に行ったのででそこでもう受験を大学の受験をしちゃって。
そんなことできるんだ。
そうなんですよ。
えー。
でそこで合格しちゃったので。
えー。
すごい。
バークリング行こうと。
はーそうなんですね。
はい。
なんかすごいな。じゃあ高校3年間の残りはもう結構余裕でしたね皆さん。
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そうですね。
でも他の人はもうその時はもう受験終わってんのか。
いやえっとね高3だったんでみんな受験勉強の時です。
そうですよね。
はい。
だけど三階堂さんはもう決まってたんだ。
そうですね夏に帰ってきて大学決まったんでっていうことを報告して。
へー。
でも全く勉強しないで。
あとはパーカッションを叩くのみ。
パーカッションを叩くのみと。
そんな高校3年生でした。
そっかそっか。
そうなんです。
でもね小学生としてバークリングに入学っていうことだったんですか。
はいその時に小学期も一緒にもらったんですからシップもらったので。
相当優秀だったらしいね。
いやいやいや全然です全然です。
かっこいいなー。
いやいやいや。
はー。
すごいなー。
全然ですよ。
でも普通の周りの人たちからお前すげーなーとか言われませんでした?
いやーみんなはむしろ何やってんの?みたいな。
あんまりピンときてなかった?
ピンときてない。
先生もそうだったんですよ。
高校のサマープログラム行くときに一回遅刻をして行った時があって高校に。
それもアメリカの5weekのプログラムに参加するためのビザを申請しないといけなかったんで。
札幌のアメリカ領事館に行ってちょっと面接をして、ビザをもらってっていうので遅刻して2時間目とか3時間目ぐらいに学校に行ったんですけど。
その時やってた授業の先生も遅刻理由がビザの取得のためって書いてあるから、え?みたいな。
君何者なの?とかって言われて。
何者って言われても別に普通の子ですけどみたいな。
日本国籍だよね?みたいな。
いや、もちろんもちろんです。
二階堂ですよって。
よく分かってないみんなも。
全然ピンときてない。
確かにね、僕も高校の時アメリカ行きてとか言い出した時は、なんだそれ?とか言われました。
何の情報もなかったです。
どうやって行くのって聞いてもね、知らねえよそんなのって。
笑えますね。
じゃあそこから無事バークリー、ボストンでしたね。
生活が始まって、どれぐらいいらっしゃったんですか。
大学の授業を受けてたのは4年間丸々受けて、そこからもう3年、ボストンにいましたね。
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卒業してから。
卒業してから3年間。
これはじゃあ在学じゃなくて、もうパーカッショニストとして。
そうです。
海外、実際ね今まで何回か行ったことあるけど、生活してみてどうでしたか。
いやー、もうもうもう、英語は喋れない。
一人暮らしは始めて、料理はできない。
スポーツ少年でしたからね。
もう大変でした本当に。
でも大変だったけど、まあなんとかなるべっていうような、なんか結構軽い気持ちだったんで。
で、なんとかなりましたね。
でも割と、思春期っていうか、日本の友達と離れるのもつらかったんですかね。
そこはあんまりなかったかな。
こっちですぐ友達できたみたいですか。
それよりも結構こっちの友達を作るのが楽しみみたいなのが多かったかなっていう。
まあね、ちょっと先週の話にもあったけど、楽器をやれるっていうのはね、やっぱり言語の壁をやすやすと越えてくれるというか。
一緒にね、演奏するだけでもうなんか近づきますよね。
そうですね。
英語喋れなくても、演奏する機会さえあればそこで会話ができちゃうみたいな。
でもクラスってどういうふうに受けるんですか。
音楽理論とかそういうのはもう卓上でやったりする?
そうですね。
でも一緒に演奏したりすることもある?
はい。いろんなクラスがあって、演奏する授業はもう本当に演奏するだけ。
音楽理論のやつはもうテキスト、ブック見ながら問題解くみたいな。
それは難しそうですね。
いやーもうもうもう大変でしたそれは。
それが一番大変でした。
それはやっぱりさすがに英語を使うしね。
今まででも二階堂さんも、楽譜を読んでっていうよりもどっちかというと体で覚えてきたタイプなんですかね。
すごいですね、そうなんですよ。
いやなんかすいません勝手なイメージですけど。
いやいやいや、本当にそうで。
僕大学行くまで楽譜読めなかったんで。
あ、そうなんだ。
全く読めなくて。
ちゃんとそこから。
そうなんです、リズムさえも読めないみたいな。
ドレミファソラシドもわかんないし、ただそのターンタターンターンとかっていうのも全然読めないレベルだったんで。
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それでよく受かりましたね。
ねー、びっくりですよね。
そっから勉強してっていう感じですね。
じゃあまあ今はでも楽譜見たらわかるみたいな感じなんですかね。
えー。
そっか。
じゃあでもいきなり学生生活をそんな感じで終えて、いきなりフリーランスというか、ピンでやっていけるものなんですか?
いや、やっていけないもんですね。そんなに社会甘くねえぞっていう。
どうされてたんですか?どうされてたっていうか。
なんか僕の場合は。
仕事は他でもしながらってことですか?
そういう時期もありました。やっぱりレストランとかでバイトみたいなのをしながらやってた時期もありましたし。
なんか僕は幸いそのバークリーの学生時代にいろんな方と演奏する機会をもらってて。
あーなるほど。
そうなんです。で、バークリー時代に例えばツアーに行ったりだとか。
ジャズフェスティバル、インターナショナルの有名なジャズフェスティバルに出演させていただけたりとか。
っていうのをたぶん人一倍もらってたぶん学生の中で一番もらってるぐらいの、それぐらい機会をもらえてたんですよ。
それなぜなんですか?
なんでなんですかね。
それだけやっぱりプレーが良かったっていう。
そういうのもあると思うんですけど。
僕の中で嬉しかったのは、自分のメインとするものラテン音楽なんですけど、もちろん生徒でラテンの国から来ているパーカッショニストもいるわけなんですよ。
やっぱり彼らはその音楽を聴いて育ってる方々なんで、めちゃくちゃ上手かったりとかするんですけど。
でもそんな中でもやっぱりこう、よく僕のことをピックアップしてくれててみんな。
それはすごい嬉しくて。
じゃあすごいっすね。
言ったらブラジルのみんなサッカー上手いけど、一人だけ日本人がサッカー選手としてチームにプレーさせてもらえるみたいなイメージですよね、ブラジルのチームで。
もう周りはラティナの子たちと一緒に。
その血が流れてる人たちですよね。
そういう感じだったんで。
その時にいろんなコネクションとか仕事の繋がりがやっぱりあったので。
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あとはさっきちょっと紹介したミックスクラー、トリオのバンドもそうですし、いろんなバンドを掛け持ちでやってたりとかもしてたんで。
一応卒業してからも演奏の仕事はあったり。
ちなみにプロフィールにちょっと書いてあった2014年にキューバで開催された大会、フェスタデルタンボール2014にて最優秀外国人賞を受賞してらっしゃるっていう。
それも在学中にその賞を受賞されてらっしゃる。
本当に実績を残してらっしゃいますね、数々の。
今ニューヨークに移ってその後来てらっしゃるんですけど、その辺から次週お話伺っていこうかな。
それと仕事の掘り下げを伺っていきたいと思います。
はい、ということでですね、また今回BGMで後ろに流れている曲が全然違う曲。
こちらも二階堂さんが参加されている曲なんですけれども、6to11という曲名で、
タカさん、タカ・ナワシロさんというニューヨークで活動されていて、今一時告知のギタリストさんと一緒に作られている曲です。
タカさんもバークリーの音楽大学卒業されていて、
二階堂さんとデュオプロジェクトを指導して、初リリースシングルがこの6to11って感じで、
で、現在セカンドシングルも録音中ということですよ。
めちゃめちゃかっこいいよね、なんか。
かっこいい。途中からリズムが急に速くなったりするのがわくわくする。
ね、わくわくする。こういう音楽が流れてるときっとラジオっぽいんだろうな。
今、俺らこれ無音の中で録ってますけど、普段はいつもね。
いいね。
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いいね。プロたちに協力していただいているなんていいね。
でも、さおりちゃんも前職というか前は。
でも、アナウンサーとこのラジオのDJはちょっと違うか。
いやいやいや、私はもうほんと数年しかやっておりませんでしたよ。
いやいやいや。
でもそうそう、インタビューの中でね、キューバの話してたじゃないですか。
私もキューバに一度行ったことがあるんですけど、それ言われて思い出したのがね、
夜街を歩いてて、音楽が至る所から聞こえてくるんですけど、
あるお家の一角から音楽が聞こえてきて、おじさんが歌ってたか踊ってたかしてて、
着ないよ着ないよみたいな感じで、そのおじさんのお庭みたいなところに私行ったんですよね。
他の人も歌を歌ってたりして、そしたらそこにメキシコからの歌手の女の人がたまたま旅行できてて、
あとフランス人かなんかのギタリストの人もたまたまそこにいたの。
で、彼女の歌とそのギターとおじさんのパーカッションかなんかで、朝までずっと歌を聴きながら踊ってたのを思い出した。
朝まで。
そうそう、なんかそういう国にね、ちっちゃい頃にカイドウさんは行って、実際に感覚を受けてたわけじゃないですか。
そうね、衝撃を受けたっていう話ね。
その経験は、そうそうそう、大きいと思う。
ねー、本当にだからもう血に流れてるんだろうなと思うよね、やっぱりああいう人たちは。
いや、そうそうそう、本当よ本当よ。
だから、確かに日本人でもあるけれども、ちっちゃい頃からそういう感覚をね、いろんな場面で感じてるから、
カイドウさん自身もたぶんきっとそういうあるいは血が流れてる部分もあるんだけど。
だろうね。
ねー。
ねー、でも本当に、ちっちゃい頃は、最初はサックスを始めたって言ってたけど、
やっぱその7歳、まあそうか、アース・ウィンド・アンド・ファイアーっていうバンドのライブを見て、
ショーのパーカッションかっこいいってもうそっから速攻で転校したっていうね。
ちなみに、サオリちゃんって習い事とかやってましたか?
習い事をやってましたよ。
音楽系で言いますと、ピアノもやってましたし、
トランペットもやってましたし、ご存知の通りフルートもやってましたし。
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そうですよね。
こういうやってた詐欺の人も多いけど、本当にやってた人っていうのと違いますから。
まあでも、ピアノやってる子も多かったしな。
いや俺はね、楽器はね、やってないですよ。
てかもう音楽のクラスだけが大嫌いだったもん。
そういうタイプの人?
音楽以外の成績が良かったんだけど、もう音楽だけがね、恥ずかしがり屋だったのかな。
歌歌えなくてさ、人前で。
あ、そうなんだ。
その先生も嫌いだったんだよね、なんてか知らないけど。
あるある。私も数学の先生嫌いだもん。多分自分が数学嫌いなんだけど。
それによって、そうそうそうそう、それに先生のせいにしているのかもしれないんだけど。
そうそう、申し訳ないっていうね。
今思うとね、音楽大好きだし。それもあってなのかわかんないけど。
バンドも始めたりしたんですけど、まあそうね。
なんかでもさ、すごいほんとなんか元気はつらつな少年っていうイメージが、そのまんま大きくなった感じだもん。
ほんと。元気で乗り越えられてる感じ?
そう、だから一人暮らし、海外が最初の一人暮らしで、
まあね、だけど全然なんか楽しそうに乗り越えたような印象ですけどね。
ね、ほんと。
しかしあれだよね、楽譜も読めないけど、バークリー浮かるよね。
そんなパターン、いやあるの?と思って、嘘でしょ?と思って。
ある意味、これを聞いて、俺でもいけるかもって思ってほしいよね。思ってくれる人がいたらいいよね。
そういうパターンもあるんだねっていうね。
ありなんだっていうね。
でもさ、この飛び抜けてるミュージシャンって結構やっぱそうだよね。
うん、そうなんじゃないですか。
独学でやって、そうそう。
聞いて覚えちゃうみたいなね。
だってギターとかだってね、左と右っていうかその上と下逆にして持って弾いてる人とかもいるからね。
よーくそれで弾けるなと思うけども、その人はそれでやってきてるから、それを極めてるからとかね。
そうなんだ。
そういう人の方がやっぱり目立つし、面白いよね。
そうね、そうだと思う、そうだと思う。
そんな、次回はどんなお話になります?
はい、そんなね。
最後の方にも話してたけど、やっぱりね、コネクションとかね、アピール。
あとその、やっぱり人とのコミュニケーションみたいなのが、たけてるっていうか上手というか正確なのかわからないんですけど、
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その辺を生かしつつ、いろんなね、演奏会とかに行ったりとか、
あとその、ボストンの大学卒業してからニューヨークに引っ越すんですけど、その時のね、なんか面白いエピソードがあったりとかね。
あとそのミュージカルですね、最初のプロフィールで案内してますけど、オフブロードウェイミュージカル、ザ・ビジター。
これ配信される頃には、もうリハーサルやってるのかな。
10月から開演っていうかね、公演スタートらしいんですけども、その辺のまたこれも面白い話があるんですけどね。
そんなこんなを伺っております。
楽しみにしております。
はい。
リアルアメリカ情報。
このコーナーでは最新のビジネス生活情報をアメリカロサンセルスよりお届けしてまいります。
今回はですね、プレミアムスポンサー、スカイア様のご提供という形で、インターン生、OPTの方か。
インターン生ですね。
今回は、そうどっちがあるんですよね。
はい。
どっちのパターンもありますけど、今回はインターン生の方のインタビューをさせていただきたいと思います。
リオさんです。よろしくお願いします。
お願いします。
お願いします。
ちょっと軽く自己紹介をお願いできますか。
松井リオと言います。
今はニューヨークのニューヨークシティのバルーク大学でアカウンティング会計学を専攻している。
今は3年生です。
学校へ行くつもインターンをされてらっしゃる。
そうですね。
ちょうど夏休みの機会だったので、テキストから会計学を学ぶだけじゃなくて、会計の経験もしてみたいなという思いからインターンをさせていただきました。
そういうパターンもあるんだ。
メインは学生さんってことなんですかね。
そうですね。
ご自身の希望でリモートのインターンをされてらっしゃるってことで。
希望というよりは会社がミックスというかリモートとリモートでもか、
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オフィスにいても大丈夫っていう形だったんで、
その週1、約週1週に1回オフィスに出勤させていただいて、あとはリモートという形でやらせていただきました。
具体的にどんな会社でどんなことをされてたんですか。
日経、会計学専攻なので日経の会計会社さんでインターンさせていただいたんですけど、
そこではタックス、税務についてを主にヘルプさせていただいて、
内容としましては、日本に住んでいらっしゃる日本人のお客様が投資目的なりでアメリカで不動産を買う、
投資目的などで買うっていうときにやっぱり登録、レジストレーション、いろいろとビジネスをアメリカで始めるためにはやっぱり登録が一つじゃないですか。
州とガバメントに対して、そこのレジストレーション、登録の登記手続きの作成をさせていただいたり、
ビジネスを始めるっていうことはタックス納税をしなければいけないじゃないですか。
なのでそのタックスリターンに関してもちょっとお手伝いさせていただいてたりしました。
結構実践的な内容で。
させていただきました。
ちなみに期間はどれくらいなんでしたっけ。
期間はちょうど2ヶ月ですね。
6月初旬から7月末までさせていただきました。
学校で勉強していることを実践してみてどうですか。
やっぱりテキストから学ぶのってやっぱりあまり理解はできるんですけど、
あまりすんなりと頭に入ってこないといいますか、
より経験から学んだ方がより頭にすんなりと入ってきて、
っていう感じなので、今後の学生生活をまた続けるにあたっても、
社会人になってから会計事務所で働くなりにしても、
すごい自分の中で経験になったなと思います。
確かにね、一回実践していると勉強に戻った時に何を勉強したらいいかっていうのもはっきりしますよね。
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じゃあ学校に行って夏休みの期間だけインターンしようと思って、
そこから調べ始めたりとかしたんですか?
そうですね、調べ始めて、やっぱり私はその時インターナショナルスチューデントだったので、
あまりインターン先もゲットしづらいといいますか、
あと何も経験、社会人経験もなかったので、どうしようかな、
でもインターンしたいなってネットで調べた時に、
このスカー屋さんにたどり着きまして、
そのコンタクトを一度取ってみたら、すごい返信も早く返ってきて、
印象がすごく良かったので、
返信も早くて、いい会社なのかなと思ったので、そこからお願いしようかなと思いました。
そっか、留学生の場合は自分で探すっていうのは結構大変なんですね。
でもたぶん、私もわかんないんですけど、
社会人経験がある方と社会人経験がない方だと、
企業さんにとっても全然違うじゃないですか、
私はなかったので、エージェントさんを通した方がいいのかなと思い、
特にインターナショナルで海外からっていうのもあるし、
特にアメリカの会社って即戦力を求めたりもしますからね。
なかなか、そっかそっか。
良かったですね、でも見つかって。
そうなんですよ、本当に良かった。
アメリカに来た経緯って何なんですか?
来た経緯は、日本で1年半大学生をしてたんですけど、
あまり日本の大学だと、
専攻を変えるとか結構難しかったり、
自分が大学生活を送る上で、
目指していきたい将来、つきたい職業に対して、
その時に専攻していた学部が、
ちょっと合わなくはなかったんですけど、
もうちょっと深くそこに追求していきたいなと思ったの。
思ったのと、あまり専攻は変えられないどうしようっていうのと、
51:04
あとやっぱり、英語が喋れるようになりたいっていうのとが相まって、
あったら思い切ってアメリカの大学に行っちゃおうかな、
アメリカで大学生になっちゃおうかなと思って。
思い切りました。
直感で決めた。
直感で決めました。
すごいな。
大学してって感じですか?
そうですね。
大学して、また一から、
編入とかじゃなく、もう普通に一からアメリカに来て、
単位を取り直してって感じですね。
単位のトランスファーみたいなのはできなかった?
合わなかった?
トランスファー、クレディットはトランスファーできたんですけど、
やっぱり科目でやると結構3単位、
こっちでは3単位必要なんですけど、
日本の大学では2単位とか、
あまり科目でトランスファーできなくてって感じですね。
もう一回。
なるほどね。
すごい。
大学、そういうパターンの人もいるんですね。
イギリスがあったりオーストラリアがあったり、
英語圏でも他の国あるじゃないですか。
なんでアメリカにしたんですか?
わかんないです。
わかんないですけど、英語といえばアメリカだなって、
多分それだけなんですけど、
わかるわかる。
アメリカにとりあえず英語学ぶんだったらアメリカだなと思い、
ニューヨークにしたのは色々調べてて、
もともとまだ会計学っていうのはまだ何も習ったことがなく知らなかったんですけど、
とりあえず会計学にしてみたいなっていう気持ちはアメリカに来る前にちょっと持ってたんですね。
少し頭の中にあって、
会計学を専攻したらやっぱりその後のUSCPA、
公認会計士試験のことも考えるじゃないですか。
取りたいなと思うので、
そう考えた時にやっぱりアメリカのビッグシティでニューヨークかLAっていうのが私の中であるんですけど、
ロサンゼルスだとちょっとニューヨークより厳しくて、
CPAのテストを受ける応募条件がちょっと厳しくて、
ちょっとあんまり詳しくは覚えてないんですけど、
確か大学を卒業してからしか受けられない。
54:00
色々あるんですけど、何単位取ってなきゃいけないってあるんですけど、
ニューヨークの場合は120単位持ってて、
特定の科目のクラスを取ってれば受けられますよ、
グラジエットしなくてもっていう感じだったので、
私は日本の大学で1年半通ってて、
クレジットは結構持ってるので、
だったら卒業前に、
暇な時期じゃないですか、夏休みとかあるじゃないですか、
ロングタームの休みが。
なのでその時に試験勉強をしてなり、
もっと早く取れる、
もっと早くCPAを取れる方は、
CPAを取れるにはちょっとニューヨークの方が適してるのかなと思って、
それで決めましたね。
それでもう取れちゃったら卒業すると同時に仕事につけたりしますもんね。
あまりCPA持ってる持ってないが、
採用に関わる、
持ってた方がいいと思うんですけど、
持ってなくても会計事務所では働けるので、
そこはあまり気にしないんですけど、
より早く勉強できて取れたらなっていうこの願いから。
お給料も上がりそうな気はするけど。
そうなんですかね。
分かんないけど。
分かんないです。
実際にニューヨークでの生活どうですか?
ニューヨークは楽しいですね。
結構いろいろな人種がいるので、
私みたいにアジア人も結構いるので、
あんまりその、何ですかね、
蚊帳の外という、何ですかね、
あんまりその、
アウェーにいる感じじゃない。
アウェーにいる感じではなく、
ちゃんとアジア料理もあるし、
もちろんアメリカ料理も、
メキシコ料理もあるしっていう感じで、
あまりそこでそのカウチュアの違いを感じるってことは
あまりなかったですね。
ないです。
そっかそっか。
多分適応能力もあるんでしょうね。
順応性というか。
そうなんです。
そうなんです。
3年生ってことはあと1年で卒業ですか?
あと1年半ですね。
1年半か。
じゃあそろそろCPAの勉強も始めるって感じですか?
そうですね。
うわー。
どうなんですかね。
アメリカで大学を卒業して会計事務所で働くっていう時にも
インターンの経験とかっていうのは役立つものなんですか?
やっぱり役立つと思いますね。
私も会計事務所の方とインターンを通してとか
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セミナーなどを通してとか
インターンなんですかね。
なんで会計事務所で働きたいのって言われた時に
もちろん会計が楽しいからですっていうのも理由にはなると思うんですけど
やっぱり実際に会計事務所で経験をしてどうだったかっていうのが
一番説得力があるかなと思うので。
一番大事ですよね。
大事だと思う。
そっかそっか、確かに。
今までもいろんな方にインタビューさせてもらってきましたけど
インターンしてアメリカに来る人もいれば
アメリカでも学生やってて夏休みだけインターンしたりとかね
OPTで働きたいとかいろんな方がいるんですね。
では今後の展望とか将来の夢みたいなことを教えてもらっていいですか。
まあそうですね。
もちろんまだ学生なのでとりあえず
今の一番の直近の目標はEGPAでアメリカの大学を卒業するってことで
そうですねそれで最近運良くグリーンカードを取れたので
A受験を取れたので
なのでもうこれは運命だなと思い
なのでもう本当に多分アメリカ運命だなと思うので
日本じゃなくてアメリカをベースにこれから頑張っていけたらなと思っています。
会計事務所で働きたいので
そこを目指してアメリカをベースに
どうやって取れたんですかグリーンカード
A受験の抽選に当たって
すごいラッキー
聞いてる人にもお伝えしたいんですけど
アメリカにはA受験の抽選制度というものがありまして
抽選に当たるとグリーンカードA受験がもらえるという
なんじゃそりゃっていう制度があるんですよね
素晴らしい
全部の国が対応しているというかに参加資格があるわけではなくて
移民が多い国
例えば韓国とかもダメだし
メキシコとかもカナダとかも確かダメなはずで
日本は参加の資格に入っているから
1:00:01
誰でも無料で応募できるので
オリオさんみたいにすごいラッキーで
A受験をゲットできるパターンもあるんですね
人数が決まっているから抽選で当たった人だけなんですけどね
すごい
すごい倍率
じゃあこれでもうビジョンの心配もせずに
卒業したら
そうですね
よかった
じゃあ最後にこれからのインターンに興味がある方
それだけじゃなくてアメリカで働いてみたい人とかに対して
何かメッセージをお願いできますか
そうですね
やっぱり少しでも興味が
インターンアメリカ
例えば日本に住んでいる方だったら
海外で少しでもインターンの経験をしてみたいとか
少しでも興味がある人は
絶対に自分で自ら行動して
体験をしてみるということが
絶対に自分の中で
プラスに絶対につながると思うんですよ
そこはもうどうしよう英語喋れないから
とか考えるんじゃなくて
もうこっちで来て
その経験を
もらった方がいいと思いますし
こちらに住んでる人でOPTする方であっても
やっぱりインターナショナルが多いと思うんですよ
留学生
インターナショナルスチューデントだとしたら
OPTでも就職
職を見つけるって結構難しいと思うんですよ
なのでその方たちも
エージェントを通してだと
たくさんの業種から
自分に合った職業が見つかりやすいと思うので
そういう方たちにも
スカイアースさんは向いてる
いいと思います
エージェントを利用した方がいいよということですね
より早いよってことですね
でもね本当に自分で考えて
行動してるだけだと
届かないとか知らないこととかね
いっぱいあるし
その知識が積まれたところに聞くのが一番早いですよね
間違いない
最新情報いっぱい持ってるし
間違いない
自分の可能性とかね
さっきリオさんが言ったみたいな体験が得られるんだったら
使わない手はないなと
宣伝みたいなこと言いますけど
宣伝なんですけど
本当のことですからね
1:03:01
今回リオさんの話を伺ったみたいに
学生の間にインターンをする人がいれば
J1ビターで来る人もいるし
いろんな方のサポートをスカイアーさんがされているので
例えばOPTでお仕事したいという方も
ちょっとお話聞いてみてください
でですね最後に
プレミアムスポンサーの紹介ということで
スカイアーさんの紹介です
海外留学 ストリーツワー 海外インターンシップ
ジュニアキャンプ オンラインプログラムなど
グローバルへのきっかけをつくる
多選教育プログラムサービスを展開されています
詳細は
ということで今回はですね
リオさんにお話を伺いました
ありがとうございました
ありがとうございました
以上リアルアメリカ情報でした
締めのコーナーです
質問
前回に引き続き
2人の思い出の曲とエピソードを
お話しさせてもらってるんですけど
先週は
バンプオブチキンのダイヤモンド
で僕が
歌田ひかるのファーストラブ
恥ずかしい話をしたんですけど
今回第2弾ということで
またさおりちゃんから行こうかな
どっちでもいいけど
20代ということで
20代を象徴するのは
福岡でテレビ局でお仕事をさせてもらってた
3年間が非常に大きかったのですね
アナウンサーとしてね
私が担当していたのは
スポーツキャスターとして
福岡ソフトバンクホークスを担当させてもらって
3年間丸々ずっと近場にいた存在でございました
ということで
毎日聴いていた曲
というか自分で聴かなくても耳に入ってきた曲
福岡ソフトバンクホークスの
応援歌でございます
ソフトバンクホークス
と歌って
その曲を聴いて
何回涙し何回歓声を上げ
1:06:00
何回みんなと抱き合ったか
という話でございますよ
それはもう体に染み付いちゃってるねレベルだね
染み付いて染み付いて
その時にみつさんも前回の時に
思い浮かぶ情景って言ってたけど
私の場合は
福岡の当時のヤフオクドーム
今はペイペイドームになってるのかな
そのヤフオクドームの球場内の様子
3万人の人が黄色いバルーンを持って
一緒に同じ歌を歌いながら
歓声を上げて叫んで
ていうその瞬間が
もう忘れられないのと
何回もチャンスをいただいて
3万人の方がいる会場の中に
真ん中に球場で出て行って
皆さんとショーというか
3万人の人たちを目の前で
話したりとか
ファンの方とのコミュニケーション
交流時間とかもあったから
そういう経験ってなかなかできないし
情景が忘れられないなということで
チョイスしました
なかなかそれは
さおりちゃんならではの
ソフトバンクフォークスの
ファンの人はもちろんあれですけど
僕なんか全くピンとこないですから
そうでしょ
どんな歌かもよく分かって
一個不思議だったのが
ソフトバンクフォークスの担当になるまで
福岡に行くって決まるまで
全く野球は知らなかったんですけど
その応援歌だけは完璧に
1番から2番まで全部歌えたんですよ
行く前から
なんでだろうって思ってよく考えたら
私小さい頃幼稚園とか小学校の時に
近所の大英っていうショッピングセンター
大英フォークスだったのね
そう大英に通ってて
大英フォークスだった時代は
同じ応援歌がずっと毎日流れてた
だから私は小さい頃から
その歌が吊り込まれてたの
だから歌えたの
これは運命だと思うね
そんなこともあるのよと思って
それは面白いな
しかし日本の野球の応援団って
すごくしっかりしてるよね
やばいですよ
ステもいっぱいあるし
選手ごとにも応援歌
応援歌とかね
踊りとかもありますからね
1:09:01
アメリカの大リーグは大リーグの
面白さはあるけどさ
全然統一感はないから
面白いよね
僕はね
そんな面白い話
ないかもなんですけど
2曲目は
知ってる人は
ほとんど少ないと思うんですけど
ハスキング・Bっていうバンドの
86っていう歌なんですね
8.6
ピンとくる方は
広島の原爆
そっかそっか
広島出身のバンドで
パンクバンドなんですけど
僕が19歳の頃に
ほぼ初めてかな
ライブハウスで
パンクロックショーを見た時に
衝撃を受けて
衝撃っていうほど大げさなもんじゃないけど
クソ楽しかったんですよ
ライブがね
あれ? 沙織ちゃんの声は聞こえなくなったぞ
聞こえるようになったぞ
間違えてミュートにしてた
ハスキング・B
今見てる見てる
このバンドなんだ
ミスター・T・エクスペリエンス
っていうバンドが海外から来ていて
その前座でハスキング・Bっていうのが
その時にやってて
86っていう歌はその時にやったんですけど
その時は全然知らなかったんですけど
とにかく楽しくてそのライブが
僕も後に
パンクバンドを始めることになるんですけど
汗だくになって
汗びしょびしょになって
みんなで走りまくってたっていう
それが最初のライブで
その人たちは
パンクバンドのくせに
めちゃくちゃ礼儀正しくて
なんかね
こういう風でもいいんだって
思わせてくれたっていうか
なんていうんだろうな
なんでもありだぞ
自由にやっていいんだぞみたいな
メッセージをすごくそこで受けて
そっから人生が自由になれたっていうかね
そういう思い出のエピソードですね
毎年だから
8月6日になると僕はこの曲を聴いて
1:12:02
絶対泣いちゃうんですよね
これは
やっぱ地元もみつさん一緒だから広島で
間違えた
どこそれ
なんで広島って言ったんだろう
そここれカットして
ちょっとカットして
ちょっと今
体調不良ですね
すいませんちょっとウイルスが頭に入って
みつさんの出身地が入れ替わりました
何の縁もゆかりもないんですけど
広島
そうですよね
でも縁もゆかりもっていうか
奥田民雄も俺大好きだし
吉田卓郎も好きだしその辺は広島なんですよみんな
みつさん渋い系が好きなんですね
渋いっつーのかな
渋くないですか
なんか情熱の渋い感じがする
素人のイメージ
男の子はみんな好きなんじゃない
奥田民雄とかは
そうなんだ
私パンク
パンクバンドっていうのがよくわかんないんですけど
どういうものなんですか
いわゆるあれですよ
反社会的というかですね
メッセージはそう
でもこれもね面白いことに
1977年にパンクカルチャーっていうのが始まってて
学生運動とか
そういうのも同じようなもんなんですけど
政府のオーソリティには屈しないぞみたいな
そういう
なんつうんですかね
反逆精神みたいな
が始まりなんだけど
90年代に入って戦争も終わったし
もっと楽しくやろうぜ的な
ただエネルギー爆発しちゃうみたいな
思いっきり早くて
爆音を鳴らしたい人たちが
音楽を楽しむっていうような感じにはなってますよね
そうなんだ
スケートボードとかスノーボードとかサーフィンとかの
DVDとかのバックに流れてて
リズムが合うっていう
スピードがピャーって出るときに
早いビートの音楽が
流れるとなんかすげー気持ちいいっていうかね
あっていいんですよね
そういうのも
そうそしてなんか
自由な気分にさせてくれるっていうやつですね
これぐらいにしときましょうかね
1:15:00
そうか長くなっちゃいましたね
長くなっちゃいましたね
はいということで本編でインタビュー
どうぞどうぞ三木さん
だから沙織ちゃんは大英じゃないわ
ソフトバンクホークスの
応援歌
僕がハスキングビーの86という曲でしたね
ハスキングの86
みなさんはどんな思い出の曲がありますか
ということで締めましょうかね
今回インタビューでお届けした内容
またリアルアメリカ情報のインフォメーションは
ブログに掲載しております
podcast.086.com
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はい
皆さんからのお便りレビュー
そしてパトロンさんからのご支援も引き続き
お待ちしております
はい今週も聞いてくださってありがとうございました
ありがとうございます
ということでまた来週お会いしましょう
またね