2020-02-15 52:06

Vol.098: ジュン・セニサック(Hapa英会話:代表)特別編 2/4

spotify youtube

おっと、今日はバレンタインデーですね♡ アメリカ在住の男性陣は、奥様や恋人、好きな人、気になる人へ何かしらの気持ちを伝えるのを忘れずに!板倉です、こんにちは。さて「1%の情熱ものがたり」前回に引き続き、25人目のインタビュー。今回も特別編です

投稿 Vol.098: ジュン・セニサック(Hapa英会話:代表)特別編 2/41%の情熱ものがたり に最初に表示されました。

00:01
1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また、各業界のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
こんにちは。こんにちは。
1%の情熱物語98回でございます。
よっ。
Mitsuさん、Amazonでお買い物したりします?
うん、しますよ。
Amazonプライムの人ですか?
プライムの人ですね。
じゃあ、2days deliveryとか、2日以内に届くやつとか、翌日デリバリーとか。
いや、もう翌日来るよね。大抵のものが。
あ、そうなんだ。
そんなに急がなくていいよって思う。
そうなんだ。
そんなにこいつ買わないでって思う。
だから別に、だって明日来なくてもいい物ばっかりだもん。
そうね、日用品は。
明日来なきゃいけない物とかある?
今日欲しいってなって、この前。
言ってたね、でも待てない。
待てなくて、だからあれなんで、自分で買いに行く方が多いですけど。
Amazonで見つけて、今日欲しいっていうのがあって、
あと数時間以内にオーダーすれば、
今日中に、今日の9時までに届くみたいなのがあるじゃないですか。
あ、そう。
で、ちょっと10ドルとかね、多めに払うんですけど、
それでオーダーして、今日来るってなるじゃないですか。
なのに、来ないっていうことが結構多くて。
来ないのかよ。
あれ8時くらいになって、来ないなみたいな。
トラッキング見ても、まだ全然遠いところにいるぞみたいな。
で、カスタマーサポートに電話すると、
I'm sorry みたいになって、
でも届くかもよ、みたいな。
っていうのが何回かあったから、
あ、別に届くって保証されてないんだと思って。
それは何?お金は取られるの?
えっとね、その分は、届かなかった分は帰ってくるんですけど、
でもすごい期待させられてるのに届かないと。
何をそんなに欲しいわけ?当日に。
え、あの、フレンズがネットフレックスから消えちゃったから、
あ、フレンズの話ね。
ついにブルーレイを買おうと思って、
ブルーレイとブルーレイプレイヤーを買わなきゃいけなかった。
すっごい欲しかったんですけど、昨日ね。
でもまだ昨日届かなかったから、今届いてるみたいな。
03:02
これ完全に昨日じゃなくていい曲ね。
何それ?
でもね、カスタマーサポートはすごいしっかりしていて、
すぐに対応してくれるんですよ。
Amazonのカスタマーサポート。
でね、なんか10ドルギフト券あげるからこれで許してくれる。
感じで結構お金くれる。
いや、ほんと現代の子だね。
もう待てないんだ。
そうそう、待てないのよ。
タダコネちゃんなの?
タダコネちゃん。そしたら10ドルくれるみたいな。
そんなコケ使わないで。
そうですね。
みつさんみたいにゆったり待たなきゃダメね。
わかりました。
はい、じゃあ本編に入りましょうかね。
はい。
さあ、今日からは、今日もですね。
そうですね。
前回からスタートしましたスペシャルインタビュー、
葉っぱ絵会話のじゅう先生の第2回目です。
はい。
先週は本当にためのなるお話でしたが、
さおりちゃんが実践できているのかどうなのか。
はい、進んでください。
はい。
進んでください。
今日は、じゅんさんのお生まれ、
生い立ちから、
そのハーフとしてのね、
あれやこれや、
そして日本の留学と日本で住んでいた時のお話、
から独立するまでのお話ですね。
伺っております。
では早速聞いていただきましょう。
はい。
じゃあね、今からじゅんさんの過去の
生い立ちからちょっとね、
どういうふうに今こういうじゅんさんに
形作られていったのかっていうのを
ちょっと掘り下げたいんですけど、
まずね、
お生まれが、
そう、ちなみに前回皆さんに言い忘れたけど、
じゅんさんはアメリカ生まれで、
こんだけ日本語めちゃくちゃ喋ってますけど、
今日はまだ喋ってないけど、
もともと英語があれですもんね、
アクティブランゲージですからね。
第一言語って言ってたっけ?
母国語。
母国語。
そこもちょっと難しいところ。
ちょっと過去の話をしながら。
お生まれがトーランスっていう場所、
カリフォルニアのロサンゼルス近郊ですよね。
そうです。
お母さんが日本人で、
お父さんがアメリカのハーフということで、
ハパ、英会話のハパはハーフという意味ですもんね。
そうですね。
お生まれになられて、
学校は普通の英語の学校というか、
現地の学校に行くんですよね。
そうですね。
パパッと言うと、
ロサンゼルスでもちろん生まれ育ったのですが、
幼稚園から4年生までは、
06:01
こちらにある、当時あった国際学園っていう、
インターと言われるやつだ。
インターナショナル。
その国際学校があって、
そこは完全に日本語しか。
そうなんですか。
なので、僕の教育面で言うと、
一番最初が日本語だったんですよ。
そうなんですね。
その学校は、当時92年、93年の時っていうのは、
バブルの時代もありましたし、
ちょうど駐在の人たちが、
日本の企業がたくさん来てた時だ。
たくさん来てた時だったんですよ。
これすごい不思議なところなんですけど、
今って例えば駐在の方たちが、
こちらに来るじゃないですか。
子供たちがいるじゃないですか。
当たり前の考え方、教育面で言うと、
アメリカンスクールに入れることじゃないですか。
例えば、補修校で日本語学校に行かせようと。
今の駐在のスタンダードの考え方っていうのは、
せっかくアメリカにいるんだから、
子供たちに英語を学べます、
学校に行かせようと。
でも当時は、それが当たり前じゃなかったんですよ。
だから僕の通ってた国際学園っていうのがあって、
当時の考え方っていうのは、
駐在で例えば3年から5年来ると。
その間に例えば子供たちっていうのは、
例えば5歳、6歳、7歳と。
日本に帰った時に中学生、高校生になる。
その時に、ここでしっかり、
アメリカでしっかり日本語の教育をやらないと、
今度日本に行った時に、
いい中学校、いい高校に入れないと。
差をつけられちゃうよっていけないから。
受験勉強もありますし、
ここで中途半端に英語を学ぶのではなく、
ここにいる間にもしっかりと日本語を勉強して、
日本に帰った時は、
英語っていうスキルではなく、
しっかり日本語っていうのを、
他の学生と負けないぐらい身につけないといけないと。
なるほどね。
だからほとんどの人たちは現地校に入れずに、
そういったプライベートスクールに入れてたんですよね。
そうなんだ。
そこにじゅんさんは入ってたんだ。
僕ともう一人だけハーフの子がいたんですけど、
それ以外はみんな日本から来た日本人の子供たちだったんですよね。
ある意味でも本当の日本の文化に触れていたというか、
日本育ちの人たちと接触できたってこと?
すごい不思議なことに、
今こういう年になって、
例えばね、小学生の話とか昔の話をすると、
僕、アメリカ人と共感できないんですよ。
そうか。
アメリカ人が見ていたカートゥーンズであったりとか、
学校でやっていた遊びとかっていうのは、
僕、経験してないんで、分かんないんですよ。
でも、日本人だったらめちゃくちゃ共感できるんですよね。
餅つきしたとか?
そうそう、餅つきであったり。
折り紙もそうですけど、
コロコロコミックを読んだとかね、
長年ジャンプを読んだとか、
ミニ四駆を作っていたとかね、
自分の世代の子供たちがアメリカに住んでいたけど、
09:03
僕は日本に住んでいた日本人の子供たちと、
全く同じことをやってたんですよ。
すごいね、それも。
なので、変な意味で根っこの部分は、
もしかしたら日本人なのかもしれないんですよね。
なるほど。
それはそれでちょっと貴重な経験してますね。
レアですよね。
いや、レアだと思いますよ。
そこから中学校、高校に行く時は、
現地の方にシフトしていくわけですか?
そうですね。4年生の時に、
うちの両親がいきなり現地校に転校するからねって言われて、
いきなりですか?
いきなりでしたね。
なぜですか?
うちの両親が小学校、
もともと日本人学校に入れる理由っていうのが、
うちの実は母親の提案ではなくて父親の提案で、
父親はやっぱり、まず一つは、
僕がしっかりとおばあちゃん、
日本に住んでるおばあちゃんと日本語で会話ができるような
日本語力をつけてほしい。
もう一つは、これからもずっとアメリカに暮らすっていう前提だったので、
日本語っていうのは、今子供の時にしっかり教育をしておかないと、
アメリカ、英語っていうのはこれからも
住めば絶対ついてくるっていうのが、
僕のお父さんの考え方だったんですよ。
でも、やっぱり日本語っていうのは今、
僕が子供の時にしっかりやっておかないと、
やっぱり日本語力は身につかないと思っていたので、
それでまず日本語学校に入れたと。
当時、僕の4年生の先生が、
うちの両親、うちの母親に言ったのが、
4年生までの日本語力をつけていれば、
日本語の基盤っていうのはついているから、
基礎はついたぞって。
読み、書き、特に漢字の面で言うと、
4年生までの漢字さえしっかり理解していれば、
あとは週に数回継続していけば、
大丈夫ですよっていう一言を言われて、
僕のお母さんはそれを信じて、
なるほど、そういうことなんですね。
そのままそれを素直に受け入れて、
4年生にアメリカンスクールに転校したんですよ。
それはある意味、ショッキングな出来事だったんですか?
僕ね、人生で初めて親に一番反発したのが、
転校するよって言われたその日でしたね。
自分の中では日本人だと思ってたんですよ。
友達も日本人ですし、
読んでる漫画も全部日本語ですし、
見てるアニメも全部日本語だったので、
基本的に英語喋れなかったんですよ、僕。
アメリカに居ながら。
で、うちの両親がアメリカンスクールに行くよって言われた時に、
自分は日本人だからって反発したんですよね。
でもうちのお母さんが、
お父さん見てごらんって。
12:01
アメリカ人でしょって言われて、
僕はあんまり覚えてないんですけど、
本当に大泣きしたみたいですね。
それでもとりあえず行かされて、
1週間に1回は、今ある朝日学園ですよね。
補修校って言われるやつね。
補修校に行って、
最初の数年間はアメリカンスクールに行くよりも、
土曜日の補修校の方が何よりの楽しみだったんですよ。
そうですか。
やっぱりついていけなかったんですよ、学校にはね。
アメリカンスクールに。
そうなんだ。
初めて聞いた、その話。
この話だけでもね、たぶん1時間以降できるんですよ。
本当にいろんなことがあってね。
そこで結構なショックで、
そこからでもなじんでいくんですか、だんだんと。
そうですね。
本当に簡単に言うと、
日本人の自分から、
今度はアメリカ人の自分に変わっていったんですよね。
よくハーフの中であるアイデンティティの問題ってあるじゃないですか。
あれは自分自身でも経験したことで、
自分が日本人なのかアメリカ人なのか、
本当に分からない時期があったんですよ。
子供の時はね、
日本人の友達しかいなかったので、
日本人だと思い込んでいた自分も、
中学校、高校に入ると、
もう僕は日本人じゃない、
僕はもうアメリカ人だっていう、
今度変な頭の中の切り替えがあって、
もう日本語一切喋らない、
漫画を読まないとか、
そういう時期が出たんですよね。
なんか反抗期みたいな?
いや反抗期でもないんですよね。
これがまた不思議なところに、
高校、やっぱその小学校、中学校っていうのは、
僕アクセントがあったんですよ。
だから僕アメリカンスクールに行っても、
アメリカ人のクラスメイトから、
外国人扱いをされてたんですよね。
アクセントっていうのは、
いわゆる鉛じゃないけど、
日本語英語になってた?
そうそう。
ESLクラスっていう英語第二言語で勉強している
特別のクラスにも2年間通ってましたし、
今本当に振り返るとすごい不思議なんですけど、
日本人学校に最初に行った時っていうのは、
外人扱いされたんですよ。
やっぱ見た目もものすごいハーフで、
子供たちとは全然違うし、
日本語もまとめに喋ることができなかったので、
日本語学校の中でも外人扱いされて、
今度アメリカンスクールに行くと、
今度は日本人扱い、
逆に外国人扱いをされてしまって、
自分の居場所っていうのが、
本当にそれは一体私は何人になるんだ?
僕が一体何なんだ?
僕の場所はどこなんだ?みたいな。
だからアメリカンスクールに行っても、
結局、その学校に通っている日本人の生徒さんたちと、
学生と、
集まって日本語しか喋っていなかったんですよね。
最初の頃は。
でも中学校、高校になり、
どんどんどんどん自分の英語力も伸び、
自分のアクセントも抜けて、
どんどんどんどん振る舞いもアメリカ人になってきた。
馴染めてきたってことですね。
馴染めてきたんですよ。
そこで初めて、
僕は外国人扱いされなく、
一人のアメリカ人として、
アメリカ人の友達から受け入れられるようになったんですよね。
15:00
それが認められた感があったっていう感じなんですかね。
そう。
その認められるコンプレックスだったんですよね。
その当時は分からなかったんですけど、
結局高校に入った時に、
例えば小学校の時に、
友達になった日本人の友達と、
高校になってからは同じ高校だったんですけど、
通りかかって、
日本語で話しかけられて、
完全に無視したんですよ。
アメリカ人の友達がいる時は。
なぜかというと、
自分の中ではやっとアメリカ人として認められたと、
アメリカのフレンドに。
そこでここで日本語を喋ってしまったら、
僕はアメリカ人の友達からどう思われてしまうんだろうってね、
すごく不安な気持ちだったんですよね。
高校って世界共通だと思うんですけど、
やっぱりカッコつけてる自分がいたんですよね。
周りの目をすごく気にしていたし、
やっとアメリカ人として認められたから、
そこはすごく大事に守りたかったんですよ。
だからもう日本語を喋ることはやめようって、
高校に入った時に決心したんですよ。
そこからが今度アメリカ人の自分としての
アイデンティティーが生まれてきたというか、
日本人とは一切関わりがなかったですし、
基本的にアメリカ人の友達とアメリカのライフスタイルで
高校を送ったわけですよ。
関わらないようにしてたわけですね。
そういうことなんですよね。
それはなかなか、
気持ち的にあれだったんですかね、
ヘビーな。
日本人の友達とはその後、
もう話していないって感じなんですかね。
そうですね、そうなんですよ。
そうか。
いろいろありますな、若い人って。
本当に恥ずかしい話なんですけどね。
でもすごく深いお話ですよね、それって。
そっか、それでアメリカ人として今度は、
十何歳だ、卒業する。
大学にそのまま行くんですかね。
そうですね、大学に行ったのが18歳なので。
それはもうアメリカの。
アメリカの大学ですね、UCサンタバーガーってとこなんですけど。
ロサンゼルスから2,3時間車で上の方に行ったところですかね。
そうですね。
それはでも何を学びに。
一応ビジネスですね。
最初は特に決まっていたわけではなくて、
最初は特に決まっていたわけではないんですけど、
UCの中で、一つはUCに行きたいっていう。
UCLAとかUCアーバイン、サンタバーバラ、
もうちょっと上のバークレーとかだったんですけど、
自分が入学、合格できたのがUCアーバインとUCサンタバーバラだったんですよね。
UCLAは無理だったんですよ。
一つは自分の実家から離れたかったんですよ。
出たかったね。
アーバインはやっぱり近すぎ。
実家からだと車で通いちゃうから、アーバインはもう無しにして、
18:04
サンタバーバラは実家から車で2時間、2時間半くらいかかるので、
通勤できない時間なんですよ。
だからUCサンタバーバラを選んだっていうのが一つのアレなんですけどね。
僕もでも家から出たくてしょうがなかったですね。
早くどこか違う世界へ行きたいと思ってましたね。
それなぜ出たかったんですか?
なんでだったんでしょうね。
なんでなんだろうね。
あの時出たかったのはやっぱり自由になりたかったんでしょうね。
それだけだと思います。
好き勝手やりたかったってことですかね。
うちの家庭は他の家庭と比べたらものすごく良心がオープンな家庭なので、
文言とかも厳しいわけではなかったですし、
親からアダコーダって言われたわけではなかったんですけど、
やっぱり自分のスペースが欲しかったっていうのは、
当時の17歳、18歳の自分は求めていたんでしょうね。
じゃあ一人暮らしが始まったと。
そうですね。
そこから4年間ですか?大学に行かれて。
そこから4年間アメリカの大学に通っていて。
で、留学か。
そう。がちょうど大学3年生の時に留学。
日本に留学してるんですもんね。
大学名出していいのかな?
一橋大学ですね。
これはでもさっきの話の続きでいくと、
アメリカ人のアイデンティティを認められて、
アメリカ人として生きてきたのになぜ日本に留学したんですか?
不思議ですよね。多分不思議に思うと思うんですけど。
結局高校に入って大学2年生までっていうと6年間じゃないですか。
基本的に日本語から離れたのが6年間っていう期間なんですよ。
子供の時にどれだけ教育を受けて日本語を勉強したとしても、
6年間のブランクって大きいんですよね。
それは家でも使わなかったんですか?
家ではうちの母親と喋る時だけは必ず日本語だったんですよ。
これはうちの母親のルールの一つでもあったんですけど、
2人で会話をしてる時は必ず日本語で喋ると。
お父さんと他の兄弟はもう英語でしたね。
すべて英語でしたね。
うちの母親の必ず2人での会話っていうのは日本語で喋るっていうのが、
僕が日本に行くきっかけだったんですよ。
大学2年生の時に自分の母親と電話で何かちょっと相談事をしてたんですよね。
日本語で最初説明をし始めていた自分が最終的には全部英語になってたんですよ。
要するに僕も自分の気持ちとか思っていること、考えていることっていうのを
日本語で伝えることができなくなってしまっていたんですよね。
逆になおさらでも家から離れたら普段の会話が減っちゃいますもんね。
そうそう。自分の親と喋る回数も減りますし。
21:03
だから本当に自分の日本語力がどんどんどんどん落ちていって
簡単なことは言えたとしても明確に自分がどういうふうに思っているのか、
どういうふうに感じているのか、何をしたいのかっていうのを日本語で伝えることが…
口から出るのが英語になっちゃったんだ。
そうなんですよ。自然に。
それでも自分で気づいたんですか?
自分で気づいたんですよ。
その時になんかヤバいなって、せっかく子供の時に日本語を勉強してきたのに
今もう本当に喋れない自分がいるんだなと。
それに気づいた時に、ちょっと留学しようかなっていう、もう本当それだけの…
それは日本語を学びたいって思ったんだ?
その時はそうですね。
第一は日本語を学ぶ目的で日本に行こうかなというふうに思いましたね。
じゃあ2年の時っておっしゃいました?
大学2年生の時に留学をすることを決めて、3年生に行きましたね。
1年間。
東京ですよね?
東京です。
どうでしたかそれは?
多分大学4年生の中で一番印象深い、一番楽しかった1年間でしたね。
刺激に溢れる1年間で。
やっぱ不思議ですよね。
僕は結局幼稚園から4年生まで日本語学校に通っていて、
日本人の友達がいて、アメリカに住みながら日本に住んでいた自分がいたので、
やっぱそれっていうのは、例えば言語力が落ちていったとしても、
自分の中にもやっぱ残ってたんですよね。
で、日本に行って、日本の学生と今度一緒に時間を過ごすことによって、
懐かしい気持ちが戻ってきたんですよね。
なんか実家に戻るような、
実家に戻るような、
ああいう感覚ですかね。
そうそうそう。
言葉ではすごく表現しづらいんですけどね。
落ち着くなみたいな。
これだって、これすんごい懐かしいな、久しぶりに感じるなっていう、
同じアメリカ人の友達と遊んでいる時に感じるものと、
日本人だけと一緒にいる時に感じるものってまた全然違うんですよね。
なるほど。
で、それがやっぱその表現の仕方であったり、
その仕草であったり、その笑いの壺であったり、
もう全てにおいて、同じ会話をしていても、
やっぱり文化が違うことによって感じ方も違うと。
今までは結構やっぱその日本人の僕を完全に避けていたのが、
今度そこに戻ってくることによって、
日本人としての自分、こうやって日本人と一緒にいることによっての
居心地の良さっていうのをまた感じたんですよね。
また解放されたんだ。リリースされた。
そう。これめっちゃ楽しいじゃんみたいな。
なんで僕はずっとここから逃げていたんだろうっていうところに、
自分は改めて実感をすることができて、
24:00
で、もう日本語の勉強っていうよりは、
日本人の自分として、また一から見直しが始まったというか。
面白いな。
すごいね、刺激ある1年間でしたね。
でもそれってアメリカでそんだけ暮らしてて、
日本に行ったら相当違いますよね。
そうですね。
幼少期は日本人としてっておっしゃってましたけど、
やっぱり振る舞いだったり、
へこんだこととかありました?
留学しているときは正直、
ホームシックは一度もならなかったですし、
逆に戻ってくること、もう1年間あまりにも早すぎて、
戻りたくない。
もう1年、2年いたいみたいな感じの気持ちだったんですよね、
最初に1年間っていうのは。
そっかそっか。
でも、やっぱりそういった、
そういった、
そういった、
そう。
でも、やっぱりその経験を通して、
1つ、気づいたことってすごいたくさんあったんですけど、
その中でも気づいたことが2つありますね。
1つはまず言語力に関していうと、
やはり先ほども言いましたように、
自分の言いたいことが明確に言えないと、
日本語の言葉を忘れていると、
言葉に詰まってしまうということがあったのですが、
子供の時に勉強した日本語が完全に忘れていたかというと、
そうでもないってことに気づいたんですよ。
日本にいて、日本の友達とも本当に一緒にいるだけで、
その会話の中に加わるだけで、
日本語がものすごいスピードで戻ってきたんですよね。
だから、自分が昔使っていた、
完全に普段だったら出てこないような言葉が、
突然でポンと出てくるようになってきたんですよ。
タンスの奥の方にしまってたんだ、ずっと。
その引き出しがどんどん日本にいることによって出てきて、
その時に初めて気づいたのが、
やっぱり子供の時の教育ってものすごいパワフルなんだなと。
お父さん、正解だったんだなと。
入ることによって、ものすごいスピードで戻ってくると。
もう一つが、日本の文化。
僕は親も日本人ですし、
学んだこともたくさんあったんですけど、
知らないこともすごいたくさんあったんですよね。
住まないとわからないこともありましたよね。
一番の衝撃的だったのが、先輩後輩の関係だったんですよ。
先輩後輩の関係の接し方が全くわからなくて。
バディってなっちゃいますもんね。
年違ってもアメリカだと。
アメリカの場合は年齢関係なしに喋るじゃないですか。
態度もそんな変わらないですし。
もちろんものすごい年配だったら、
ちゃんと経緯を払いますけどね。
言葉はあまり変わらないし、敬語使わないしね。
僕ちょうど一年間の留学一年間の最後の3ヶ月間4ヶ月間、
日本の部活に入ったんですよ。バスケットボールの。
27:01
部活に入ればね、先輩後輩の関係って。
これはもうデカいですよ。
上下関係。
多分ね、先輩と話す方は問題なかったんですよ。
まだ年上の人と喋るっていう。
ただ、後輩が自分を先輩として呼ぶ。
先輩何々って言われると、
その後輩への接し方が僕分からなかったんですよ。
それ多分すごい不思議。
先輩らしくしなきゃみたいな。
その先輩らしい振る舞いって何なんだろうと。
後輩は僕に何を求めてるんだろう。
僕はどういうふうに後輩に喋らないといけないんだろうっていう。
その先輩に対する態度ではなくて、
後輩に対する態度が全く分からなかったんですよ。
それでも例えばどういうことだ?
なんかちょっとこれやれとか。
それ僕やっぱりできないんですよね。
指示を出すとかそういうこと。
そういうのもすごく苦手なんですよ。
指示を出すこともできないですし。
グラウンド走ってこいとかそういうのができないってこと?
そうそう。
他の例えば4年生の先輩が1年生の先輩に対して使う言葉を見ていると、
すげーと思いました。
こんなにやっぱり態度が変わるんだ、言葉遣いが変わるんだっていうのは
初めて僕自分の目で見て。
でもそんなもんなんですね。
大学でもそんな感じなんだ。
高校の野球部とかは本当にひどかったですからね。
先輩に殴られるのが当たり前で。
おかしいんじゃおかしいんですけど。
じゅんさんなんかジュース買ってきましょうかって言われても
いよいよ僕は自分で行くからっていう。
っていうのが僕の当たり前の振り舞いの仕方だったので。
それはわかっていつつ、僕のアメリカ人の自分なんだなって気づいた瞬間なんですよ。
なるほどね。
じゃあ先輩後輩カルチャーはあれは日本独特なんですね。
日本というか多分日本とか韓国とか多分そのアジア系の文化で言うと
やっぱ独特だと思いますね。
面白いですね。
パイセーンって言われるのが恥ずかしいみたいな。
でもじゅんさんお兄さんだからね。
あれですよね。
中身的には先輩な立ち位置じゃないですか。
本当はね。
うちのファミリーもほとんど女ですからね。
妹が2人いるっていうのもありますし。
うち僕とお父さんは家族の中で弱かったかもしれないですね。
先輩の位置じゃなかった。
どっちかというとジュース買ってきてって言われるほど。
妹2人いると怖いしよ。
気の強そうな妹さんですからね。
そうですか。
そんな感じで戻って来られて
でももう1回日本に行ってますよね。
もう1回来ましたね。
アメリカの大学卒業してから日本。
アメリカの大学を卒業してから日本ですね。
日本に戻りたくないという気持ち。
逆ですね。
アメリカに戻りたくない。
30:00
日本にもっといたい。
1年間交換留学をして
僕もともとはもう大学を卒業して
会計士になる予定だったんですよ。
まじで?
全然そんな。
そういう雰囲気じゃないですよね。
よく言われるんですよ。
でも僕はやっぱり先行していたのが会計学で
UCサンタバーガーで
UCサンタバーバラも会計の中では
カリフォルニアの中ではトップで言われている学校なんですよ。
そうなんだ。
トップ4でしたっけ?ビッグ4か。
会計事務所があって
UCサンタバーバラ大学の卒業生は
基本的に卒業してからビッグ4に入るっていう
会計事務所のビッグ4ですね。
入るっていう流れなんですよね。
僕も基本的に
留学をする前に
絶対に似合わない。
本当に僕は留学しよかったなって思いました。
してなかったらちょっとやばいことになっているかもしれないですね。
じゃあCPAを取る予定だったんですよ。
でも結局大学1年間留学することによって戻ってきて
本当このまま会計士でいいのかなって思い始めたんですよ。
やっぱり自分の中ではもっと日本のことが知りたいと
もっと自分の日本人のことを探って
気持ちがあまりにも強すぎて
とりあえず会計士はいつでもなれると勉強すれば
とりあえず日本に住むっていうのは
もしかしたら人生に一回できるかできないかの経験だから
大学卒業してから日本で就職しようということになって
それがJETプログラムですよね。
基本的には小学校、中学校、高校で
英語の先生、ネイティブの先生がアシスタントで入るプログラムがあるんですけど
その中にもう一つ国際交流院っていうポジションがあって
僕はその国際交流院で石川県に行くことになったんですよ。
石川県ってCVですよね。
CVですね。
その話は多分いろんなところでしていますよね、石川県のエピソード。
そうですね。また石川県は石川県でいろんな思い出深いことがありましたけど
その話は僕もハパ英会話でいろんなところでしてるんでね。
そこらへんは皆さん、純さんのポッドキャスト聞いてくれたら多分出てくるでしょうね。
いろんなところで話してますね。
今から仕事の掘り下げに入っていきたいので
2年そこで日本で暮らして戻ってこられて
そこからアーバイン純さんの元々のビジネスが始まった感じなんですかね。
そうですね。英会話学校がですね。
石川県に結果的に2年間就職をして
33:00
言おうと思えば5年間くらい入れたんですよ。
でも2年間やった後に自分の学校を始めたいなという気持ちがあり
自分の母親に電話をして
自分でアーバインの方で学校を始めたいんだけどっていう相談をしたら
一応OKが出たのでアメリカの方に戻ってきて
最初の1年半くらいはうちの母親の学校で
いろいろ学校の仕組みを教えてもらい
元々お母さんがBYBイングリッシュセンターという
英語学校をロサンゼルスでやっていらっしゃって
そこで研修というか学びに行ったわけですね。
システム的なことを全部学び
1年半後にはアーバインで自分の学校をスタート
僕もそこには何回か
僕お母さんの学校もウロウロさせてもらってたので
営業で行ってたんですけどね
お母さんもまた濃いんですけどね
その話は置いといて
そこでじゅんさんのハッパー英会話の前身となる
BYBイングリッシュセンターアーバイン校が立ち上がったと
それはまた次回にお話聞きたいと思います
まさかの最初は英語がそんなにしゃべれなかった?
まさかのだよね
すごい珍しいタイプでしょうね
だから日本に生まれてインターに行って
英語しかしゃべれない的な
なるほどね
そうしたら多分すごく自分の中で
アイデンティティの探りが出てくるのは間違いないですよね
しかも見た目がアメリカ人というか白人に近い見た目をされているので
多分周りの人からも英語がネイティブだろうと予測で話しかけられるわけじゃないですか
日本人の人にとってはね
逆にアメリカ人にとってはエイジアンに見えるから
どっちからも外国人に見られる
なるほどね
ハーフの方は多分多かれ少なかれでしょうよね
経験をされているでしょうね
サウルちゃんも
超純日本人ですからね
しかも転校したこともないしね
ずっと地元で育ってきて
知っている人しかいない
それはそれで世界が狭かったから
36:02
ぼーっとしながら楽しく育った感じですけど
いろんなことを考えていたんだろうね
途中から日本語を話さなくなるという
多分そういう時期があったからこそ今があるんでしょうね
そうですね
本当にペラペラだよね日本語
すっごい綺麗な日本語をお話になりました
素晴らしいよね
そしてすごく分かりやすい
本当に分かりやすい
そして話も組み立てが上手いというか
ポッドキャストを結構長年聞いているんですけど
上手いですよ
そうですよね
なんなんですかね
多分英語を話しても日本語を話しても
どんな言語を話しても
じゅんさんの場合は上手だったと思います
人に伝えるのが上手なのかね
私もYouTubeをよく拝見していたんですけど
教科書がそのまま伝わってくるみたいな
自分で読んでいないのに
教科書のちゃんと組み立てで教えてくれているようなぐらい
スッと入ってくる
分かりやすい話し方
声のトーンもあるのかな
低い声だから落ち着くんじゃないのか
ちょっと笑っちゃう
ダメダメ
低い声に憧れるんだよね
ちょっとやってみてください
もう嫌ですけど
でも話変わるけど
俺はポッドキャストから入った
ハナノヨ
パパ英会話ね
さっき話したけどサブちゃんはどっちかというとYouTubeの方が
それはやっぱり世代の違いなのか
世代は大きいかもですね
みつさんと私で10年くらい違うのかな
だいたい
やっぱりその10年の違いは大きいと思いますね
俺はおっさん組だから
私も30だからその下の世代って言ったら
生まれた時から
そうだよね
タッチスクリーンで生きてるじゃないですか
さっきも話してたけど
TikTokの画像の目まぐるしさについていけない
目がチカチカしちゃう
話が飛んじゃうけど
話は戻そうか
それこそさっきじゅん先生も言ってましたけど
それぞれのプラットフォームごとに対象となる人が違う
そういう意味でいろんなプラットフォームにできるだけ
リーチした方がいい
リーチした方がいいですね
何かをやる人はね
手間は増えるけれども
そうそう
もともと会計師になりたいな
会計師になろうとしてたのが面白かった
全然イメージと違う
言った方が良かったよね
でも本当に良かったですよ
きっと何しても成功されてるんですよね
と思いますけどね
英語を勉強するのに本当に
ためになることを教えてくれるから
39:00
やってくださってて良かった
本当に何人の日本人が
助けられたから
間違いないと思いますよ
本当に
面白いですね
リアルアメリカ情報
このコーナーはロサンゼルスより最新の
ビジネス情報生活情報をお届けしてまいります
今日は先ほどのインタビューの中で
お話がありましたけど
大学について
世界の大学ランキング2020というものが
出ていましたので
世界の大学ランキング2020
それは何?何のランキング?
トータルのランキングで
要するに一番良い大学
偏差値みたいなのも含めて
タイムズハイヤーエデュケーション
というところが提供している
世界の大学ランキング
2020がもう出てるの?
今の時点で
今の時点でってことかな
偏差方法としては
教育のパフォーマンスとか
リサーチ何やってるかとか
国際的な展望とかっていう
独自の採点方法があるらしいんですけど
そういうので毎年出している
ランキングの一番最新
でも問題です
世界の中で
ここのランキング上で
ナンバーワンはどうでしょう?
ケンブリッジじゃなくて
スタンフォードでもなく
バークレーでもなく
よく分からん
ケンブリッジがいい
ケンブリッジは入ってきてますよ
ケンブリッジは3位ですって
イギリスね
出ましたスタンフォード
アメリカ4位
1位はオックスフォードですって
アメリカの
オックスフォードってどこにあるの?
オックスフォード
オックスフォードって地名だっけ?
それも分かんない
オックスフォードが1位
ユニバーシティオブ
間違えたアメリカじゃない
イギリス
オックスフォードってイギリスか
相当あれだね
違う違う違いますよ
オックスフォードはイギリスだけど
オックスフォード
ユニバーシティオブ
オックスフォード
ちょっと待ってここ一回
カットしてもらっていいですか?
42:00
ちょっと待ってもう一回ここからやってもいいですか?
あれ?
カットしてません
カットして
イギリスイギリス
超イギリス
1位イギリス
オックスフォード
ここから大輔さんにカットしてもらって
1位は
ユニバーシティオックスフォード
はい
イギリスね
はい
イギリスね
そして2位は
カリフォルニアインスティチュートオブテクノロジー
え?
それなんて言うんだっけ?
これ日本語でね
UC
日本語で言うとね
カリフォルニア工科大学だ日本語は
カリフォルニア工科大学が大学
2位につけてます
そうなの?
なんですって
MITとかあっちのあれじゃないの?
そうMITはまた別に入ってて
MITはね
どこだっけ
5位
マサチューセッツ工科大学ですよね
だから今いくと
オックスフォード
カリフォルニア工科大学
ケンブリッジ
スタンフォード
マサチューセッツ
で6位が
プリンストン
7位がハーバード
8位がイエル
9位がシカゴ大学
10位がインペリアルカレッジロンド
イギリスかアメリカなんだね
そうなんですよ
アメリカが多いけれども
イギリスも入ってる
イギリスも多いし1位
ではここで
まあ金持ちが多いからね
それもあると思うんだけど
ほんとリアルに
お金がないとっていうのはあります
ではアジアの中で
一番上に来てるのはどこ?
アジア
日本じゃなくて
日本じゃなくてアジアの中で
いやもう日本の大学の順位が
どんどん落ちているということは知ってます
だけどとはいえ
京都大学
1位?
違います
えっとですね
23位が一番アジアの中で上で
中国の成果大学
まあそらそか
まあそりゃそうですよねってなりますよね
で24位が北京大学
25位がシンガポール国際大学
では日本は
何位くらいでしょ
一番上に来てるのは
60
答えはですね
35位
まあまあじゃん
まあまあまあ
で世界の中では35位で
東京大学が入っていると
京都大学じゃないんだ
京都大学は65位
あってました
ああそうなんだ
まあこういうふうに
45:00
ざっと見ていただくと分かるように
その教育レベルというのはね
経済レベル
国の経済レベルとも比例している部分がありますので
これだけやっぱり日本の位置づけというのは
比較してみたよね
1985年ぐらいとか
一番前とね
一番日本がバブってたときとか
一番最初がね
これで見れるのが2011年かな
リンク貼っておくので
もしよければ皆さん見てみてください
ね確かに
バブル時代は話は全然違ったでしょうね
世界の優秀な人も日本に来てただろうし
まあお金もあったんでね
でもいろいろ教育はね
変わりつつあるようなないような
そうですね
あってほしいなと思いますけどね
結局なんか話はそこに行ってしまうというかね
教育に戻るというか
そうですよね
結局教育がっていう部分もありますし
これもアメリカの大学とかイギリスの大学と言っていますが
とは言いつつ
そこの現地の人が流行ってるわけじゃないので
そうだよね
そう世界各国の人が通ってたりするので
そうですね
まあ一応こんな
まあでも個人的にはやっぱり
世界に飛び出てほしいなと思いますね
なんか話が
確かにね
浅はかな感じに答えになっちゃったけど
確かにね
日本の大学がこれだけ低いと
ちょっとショックだなっていうのは感じますよね
僕も一応高校は進学校だったんで
周りはもうほぼ大学に行って
僕は大学に行かないという決意というか
選択をしたんですけど
だからそれだけじゃなかったんだっていうのは
今ねやっぱり外にいるとよくわかるんで
すごい必死になってたじゃないですか
その大学
どこのいい大学に行けみたいなね
そうですね
まあアメリカ多いのは
お子さん産んでからとか就職してからとか
まず大学に行き直すというのは多いので
いろんな選択肢がありますよね
いろんな選択肢がありますね
ということで
今回のリアルアメリカ情報をお届けしました
はい
締めのコーナーです
はい
質問のコーナーを取りつぶして
沢井ちゃんが追加で話したいことがある
いやいやそういうわけじゃないですけど
話したいんでしょ
いやそう
フレンズの話とか
いやそう
フレンズの話ね
そうそうそうそう
このエピソードの冒頭部分でね
48:01
私がフレンズのブルーレイを買ったって話をしたじゃないですか
はいもう我慢できないから
今日届いてほしいって言って
そうそうそうそう
追加料金を払って
わざわざ見たいって
配達員のコキ使うっていう話だった
そうそう
ネットフリックスでのストリーミングが終わっちゃったので
もう見るところがないんですよ
フレンズがね
フレンズがね
フレンズってみんなドラマね
ドラマです
1990年代から2000年にかけて
10年くらい放送されていた
超大作ですね
アメリカの超大作のコメディーなんですけど
大好きでいつも見てるわけですよ
何十回と同じものをね
それで英語も勉強したっていうのもあるんですけど
でですね今私スペイン語を勉強してるんですよ
でもフレンズだったらずっと同じものでも見れる
これで勉強できるってことは
これがスペイン語に変わったら
スペイン語でこれをずっと見れる
勉強できるじゃないかと思ったわけです
ただネットフリックスとかでもそうなんですけど
アメリカは基本的には英語だけ
新しい作品とかっていうのは
いろんな言語の字幕と
吹き替えがあるんですけど
古いものはフレンズみたいに古いものは
アメリカは英語だけ
で日本に行くと日本語だけ
日本語と英語だけ
吹き替え版ね
字幕じゃなくて
字幕版?
どっちもあるんですけど
例えばメキシコに行ったら
スペイン語があるんですよ
でもアメリカから見れないみたいな
あーなるほど
そうそうそう
そういうのがあって
前まではいろんな方法で
サーバーをそこの国にいると見せかけて
そこのサーバーからとかっていうのができたんですけど
今の時代はちゃんと規制されてるので見れない
え、そうなの?
見れないんですよ
すごいねみんなテクノロジー燃えついていて
アメリカにいるときは
アメリカのコンテンツしか見れない
日本の時は日本っていうのがあるので
じゃあブルーレイを
と思って見てたんですけど
DVDはだいたい容量が小さいので
英語しか入ってないと
ただブルーレイはいろんな言語が入ってる
あーなるほどそういうことか
という経緯で今回ブルーレイを
スペイン語を勉強するという目的で
という口実で
でまたフレッツを見まくると
はいそういうことです
いやもう寝落ちするまで見るらしいですからね
これもねすごい英語の勉強にいいんですよ
多分人それぞれあると思いますよそういうのが
あると思います
好きなものがあれば
集中して何回でも見れるので
何回も聞くことで勝手に覚えていくので
僕はそれがゴッドファーザーだったんですよ
僕にとってはね
何回でも見れる
あれは何回でも見れる
やっぱそういうのみなさんありますよね
人それぞれね
必ず同じ場所で泣くんですよ
わかるわかる
あと笑うしの同じ場所で
何回見てんだって
51:03
ということでありがとうございました
すっきりしました
よかったですね
今回は
じゅん先生のインタビューの2回目でしたけど
そうですね
次回は3回目
どんなお話ですか
今日がね
オイタチから独立までの話でしたけども
3回目は
例によって仕事を掘り下げてます
またこれじゅんさんがね
ストイックなんでね
どういう心身でとか考えで
仕事してるかとか
その辺を掘り下げて聞いております
ということで
今週も聞いてくださってありがとうございました
ありがとうございます
来週もまたお楽しみに
お楽しみに
じゃあね
52:06

コメント

スクロール