2025-11-15 1:15:45

Vol.374 青柳寛子(カリフォルニア州ライセンス助産師)2/4

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ソーシャルメディアのフィードに出てくる内容ってほんと盗聴してるんか!?って疑いたくなるよね。「口に出せない事がある、口に出しちゃいけない事がある」そんな昔の長渕剛の歌を口ずさんでみたりする金曜の板倉です、こんにちは。

「1%の情熱ものがたり」94人目のインタビュー、最初のエピソード。
東京生まれ横浜育ち。7歳の頃にアメリカで1年過ごした経験が良い思い出となり、結果的に今の暮らしや仕事に繋がっていく。苦労はしたがやり切った高校での1年間の留学、得意の英語を活かしてクリアした大学受験、楽しかった大学生活。その後、なんとなくで進んでしまった就職、働き過ぎで心身ボロボロになった3年間の社会生活。結婚、出産、アメリカ移住、3児の母としての慌ただしい暮らし。そんな人生のうねりの中で出会った“自分が本当にやりたいこと”。40代での大きなキャリアチェンジ。家族の支えと、魂の声に従うような直感を信じて、一歩を踏み出した。それが、助産師という道。
生まれることも死ぬことも家の中で日常と共にあったひと昔前とは大きく変わったこの時代に、命に寄り添い、心を育て、明日を照らす。人間の本来の強さと優しさを信じ、直感に耳を澄ませながら、人と人が支え合う“現代の寺子屋”を目指す。200件を超えるお産の現場に立ち会い、尊い命と向き合ってきた寛子さんの優しい眼差し。そんな心が温まるような情熱ものがたり。

良き思い出として残っている7歳の時の1年間のアメリカ生活。大変だった高校生の時の1年間のアメリカ生活。そして超楽しかった!という大学生時の1年間のアメリカ生活。環境やタイミングによってこうも変わる、そして人生も然りですなー。

投稿 Vol.374 青柳寛子(カリフォルニア州ライセンス助産師)2/41%の情熱ものがたり に最初に表示されました。

サマリー

今回のエピソードでは、カリフォルニア州でライセンス助産師として活躍している青柳博子さんの過去や経歴が語られます。子供時代からの貴重な体験や、アメリカに来た経緯、さらに助産師になった理由など、心に響くストーリーが展開されています。青柳寛子さんは、カリフォルニア州での留学経験を通じてアメリカの教育文化の違いについて話します。また、上智大学での比較文化学部に進学した経緯や、海外青年協力隊への関心についても触れています。このエピソードでは、青柳寛子さんが自身のキャリアや結婚、アメリカへの移住、そして出産経験を語ります。特に、彼女が直面した日本の教育システムへの疑問や、初めての出産に伴う不安を率直にシェアしています。青柳寛子さんは、自身の出産経験を振り返り、医療現場での出来事や感情についても話します。彼女は助産師としての視点から、日本とアメリカの出産環境の違いや、自分の経験からどのように学びを深めているかを述べています。このエピソードでは、助産師としての経験や働き方についても青柳寛子さんが語り、赤ちゃんの出産に関する心配やドキドキ感、さらには不審な自動電話やテキストメッセージの増加に関する最新情報が共有されます。青柳寛子さんは、アメリカでの大失恋後の困難な経験や、トヨタ自動車での労働を経て、自身の人生を前向きに捉え直す様子について話します。彼女は、厳しい時期を乗り越えながら、バンド活動や仕事を両立させる姿も描かれています。

青柳博子の背景
1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、また各業界のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、そこに燃える情熱に迫ります。
1%の情熱物語374回目です。
みなさん、お元気でしょうか。
元気ですかね。もうすっかり冬になりましたかね。
寒くなってきた感じですかね。
シカゴはどうなんですか、ちなみに。
だんだんと明けめてまいりました。今22度ですね。
22度って言われても、あんまり俺わかんないんだよな。
まあでも、まあまああったかいんじゃない、それ。
まだ。
寒くはないけど、涼しくなってきたなみたいな感じです。
そうね、まあちょっとこれ収録してるのがね。
一番過ごしやすいかも。
まだ10月の中盤なのでね。
はい。
17日、え、今日何日だっけ、17日じゃない。
はい、10月17日です。
これが配信されてる頃には、もうすっかり冬かと思います。
うん、もっと寒いと思います。
はい、そんな中、なんかありましたか、最近。
あ、先日、ミシガン湖クルーズしてきました。
おー、言ってたもんね、前に。
ミシガン湖のちょっと周辺をぐるっと回って、戻ってくるクルーズで、
いろんな種類があるんですけど、ランチクルーズって言って、
中でランチ食べながらクルーズ回れるっていうのに乗ってみました。
いいね、なんか。
なんで乗ったかっていうと、誕生日だったっていうのと、
結婚記念日があったので、乗ってきました。
そっかそっか、おめでとうございます。
ありがとうございます。
あ、結婚記念日も近いの?
えっと、前日に。
誕生日の?
前日が結婚記念日です、そうです。
あー、それは。
というのも、29歳だったからっていう。
おー。
10月7日が誕生日だったんですけど、6日が29歳だったんで、いりいり。
そこに席を入れたってことね。
席入れて、
29歳のうちに。
そうです、そうです、そうです。
まあ、じゃあ一緒に、
覚えやすくていいかなっていう。
合わせて祝えるからいいかなっていうので、しました。
そっかそっか。
イメージしてたのが、日本のクルーズみたいなのだと、
ちょっとおめかしして、おいしい料理を静かに食べるみたいな感じかなと思っていたら、
思ってたよりパーティー感が強くて、昼間だったんですけど、
夜はパーティー感強いかなって思ったんですけど、
昼だったけれども、ポンポンポーンっていう音楽が流れてました。
DJみたいな人がいて、
なんかお誕生日とかお祝いごとで乗る人が多いみたいなんですけど、
誕生日の人みたいな感じでDJの人がいて、
みんな立ち上がって、
おめでとうみたいな。
一人ずつ誕生日の人の名前読み上げて、
みんなで握手して踊ってみたいな感じで。
驚きましたね。
もうちょっと静かな感じのイメージしてたってことね。
かと思っていたら、ダンスフロアみたいになってて、途中。
みんな踊ってて。
すごい、これがアメリカのお誕生日の祝い方かと思って、
眺めておりました。
そこはもうベイビーもいたんだよね?
いました、いました、いました。
それもなんか耳カバー要りそうだよな、先週の話。
そうなんですよ、持ってけばよかったと思って。
そんなにパーティーパーティーしてると思ってなかったから、
持ってってなかったんですけど、
でも、結構騒がしかったから、
ベイビーがちょっと泣いても、全然みんな聞こえないみたいな感じだったかもしれない。
そうなんだ。
ベイビーにしてはちょっとうるさい。
早く帰りたいと思ってただろうね。
そう思います。
驚きました。
こういう感じなんだ。
夜はもっとディスコみたいな感じになってるよって、
サーブしてくれた人が言ってました。
あなたたちも踊っていいからね、みたいなこと言われて。
じゃあ、エマさんも誕生日の名前呼ばれて、お祝いしてもらったってこと?
そう、みんなに、はい、コングラチュレーション。
あと、そう、アニバーサリーも。
アニバーサリーもそうだし。
いいですね。
楽しそうやな。
面白かったです。
シカゴを満喫してますね、いろいろ。
今週はね、スタジアムに行ったという話がありました。
はい、そうなんです。
クルーズは、そう、冬になっちゃうと凍っちゃうから、
今のうちに行ったほうがいいよっていうのを、
シカゴ歴長い方に教えてもらって、
じゃあ、早く行こうっていうことで予約しました。
それって、ちなみにランチを食べるテーブルとか、ダンスフロアっていうのは外にあるの?
それとも室内というか。
中です。
中にあるのね。
してない、はい。
で、外出たい人は、外出ていいよって。
はい、がんばるというか。
川じゃないから、流れもないし、揺れとかもなさそうだし、なんか気持ちよさそうだね。
でも、意外に揺れました。
あ、ほんと?
はい。
なんでだろう?波があんのか、多少。風で。
波打ってる感じしましたね。揺れてました。
普通に海をクルーズしてるような感覚でした。
あ、ほんと。
なんか釣りとかしてる人とかもいるのかな?
釣りあんまり見ないですね。でも、奥の方にいるのかな?
クルーズの船乗る側では、釣りしてる人は見ないですね。
なるほどね。
まあまあ、でかい湖をちょっと体験してきたと。
はい、体験してきました。
いいですね。
なななな、シカゴ情報が増えてきたな。
なんとなくイメージがね、膨らんできていいですね、でも。
そうなんです。また何か体験したら、お話しします。
ということで、本編に入ってまいりましょう。
アメリカでの経験
毎回1人の方のインタビュー、4回に分けてお届けしています。
1%の情熱物語。
今回はカリフォルニア州ライセンス助産市の青柳博子さんにお話を伺いました。
はい、博子さんのね、先週は、
キンドレッドスペースというバースセンターでのお話とか、
博子さんがやられているブルーウィローバースというね、
ビジネスの活動内容みたいな話をしてたんですけど、
今週は、なので例によって、
老いたちからなんでアメリカに来て、
なんで助産市になったとか、
42歳から学校に行き始めたという話があるんですけど、
右を曲折と言っていいと思うんですが、
いろんなね、体験談の中にその結構、
心に刺さるような話が多いかなと思うんですけど、
そんな感じになっております。
はい、それではじっくりお聞きください。
はい。
じゃあちょっと今から過去の話を聞いていきたいんですけど、
まずはお生まれが東京生まれ、横浜育ち、
どんな子供でしたか?
どんな子供だったんだろうね、
自分ではあまりよくわかんないんですけど、
私今でもそうなんですけど、
外向的に見えて割と内向的っていうか、
でも友達に聞くとすごいほがらかで、
いつもニコニコしてる感じとは言われ、
僕もそんな印象はありますけど。
でも意外と自分の中では割と内向的な部分も、
人見知り的な。
人見知りとか緊張しだったりとかもするし、
そんなに人がすごい大勢の人が来たりとかそういうのはないので、
自分の中では割と外向的っていうイメージはないんですよね。
だから両方持ってるのかな。
だからちっちゃい時はそういうふうに見えてるところもあったと思うけど、
学校では手を挙げられないとかそういうのは多分あったと思う。
目立つ方ではない?
ないと思います。
ちなみにご兄弟は?
弟がいます。3つ下に。
運動とかはやってたんですか?
運動は全然ダメで、私超運動ウォンチで、
だけど水泳だけはずっとやってたので、
泳ぐのが好きでやってましたね。
勉強は好きでしたか?
勉強は好きではないんですけど、
割と親が教育熱心で、中学受験とかもしたので、
好きじゃないけどやらされてたっていうか、
塾とかそれこそお受験とかそういうのはやってて、
好きかって言われると、
本当そういうレールにいわゆるあの時代のレールに乗っかって、
中学受験、高校受験、大学受験ってやったっていう感じ。
でもそんなに勉強が得意とかっていう感覚はないかもしれないね。
プロフィールを見るとね、
7歳の時に父の仕事でノース・キャドライナーに1年。
この時の記憶ってありますか?
結構すごい強烈な記憶っていうか、
7歳って言うと小学?
1年生とか。
でも1学年下げて入ってたかな、もしかしたら。
2年生だけど1年生とかそんな感じだったと思うんですけど、
でも全然日本人がいないエリアだったんで、
小学校の中にアジア人が私1人みたいな感じだったから、
全く英語も喋れないで、
普通の現地校に入って、
現地の子たちもアジア人見るのが珍しいし、
割と良い経験というか良い思い出。
年齢も良かったんだと思います。
まだ可愛らしくワイワイやってる年齢だから、
あんまり弾くよりもワーって来て、
私が今日ひろこを面倒見に来てるバンドじゃないけど、
私がひろこと遊ぶバンド。
割とそういう感じで来てくれて、
あとは父の会社が英会話の先生とかも付けてくれたりしてたので、
学校とは別に?
学校とは別に。
だから学校の例えば社会とか、
英語でか分かんないと意味ないようなクラスは、
その家庭教師の先生が学校に来て英語を教えてくれてるみたいな。
でも年齢が7歳とかだとものすごい英語を体得するのが早いので、
もう2,3ヶ月くらいで多分英語は喋れるようになってたんじゃないかなっていう。
あんまりそんな難しい言葉も必要ない年齢だったりする。
あと女の子だし。
自然に吸収しちゃってる感じ。
そうですね。
ザ・アメリカ、82年とかなんで。
いわゆるアメリカの時代で、
ほんとマイケル・ジャクソン、
マイケル・ジャクソンはもっと後か。
でもETとか、
アニーとか、
割と有名な映画がバーンってすごく出てくるような。
タント・バイミーとか、
そういう時代だから、
強烈にそういうアメリカンカルチャーを
吸収したっていう
覚えがあって、
ちょうどノース・キャロライナーの大学に
マイケル・ジョーダンがいる時代だった。
私全然覚えてないんですけど、
すごい盛り上がってたんですよね。
ノース・キャロライナー州も優勝したとか。
大学リーグのバスケが強かったってことね。
州自体がバスケのチームを応援して盛り上がってるし、
そういう子供ながらに、
ハロウィンとかクリスマスとか、
学校でそういうパーティーとかイベントとか、
いろんな行事に出て。
楽しそうだな、そりゃ。
その年齢だから楽しいって思ったんだと思うんですよね。
それって1年間ってことですよね?
そうなんですよ。たったの1年間なんですけど。
それで戻った時はどうなんですか?
助産師への道
逆カルチャーショックみたいな。
逆カルチャーショックと、
横浜って言っても、
割と田舎の方の横浜なんで、
そういう駐在に行って帰ってきたみたいな人もいないような。
そうなんだ、じゃあ目立ちますね。
すごい英語を喋ってとか言われてすごい嫌だ、
なんとなく嫌だったイメージみたいなのも覚えてるし、
1年だけどそういうアメリカの学校での生活を知っちゃったがために、
その差みたいな、日本のあの窮屈な感じ、
すごい理不尽だなって思ったりとかしたのを覚えてますね。
前に習えってやつですね。
そういうのが好きなタイプでも、運動神経も良くないし、
結構寒いのに、
体操服でね、あれマジでなんなんだよと思うんですよね。
スモックしかないし上着。
クソ寒いのに。
ブルマで。
めっちゃ鳥肌立ってましたもんね、あれ。
そう。
なんなんすかね、あれ。
暑い中朝礼とか。
今はないのかな、どうなんだろうね。
多分そんなね、タイム良くなってると思うんですけど、
すごい先生が怖いとか、
そういう感じだったんで、
なんかこう、変にちょっと遠くから見て、
なんだこれって思ってるような感じもあったと思いますね。
子供の頃の夢みたいなのは、何かになりたいなみたいな。
割と動物関係が多いんですよね。
滅ごろ王国っていう番組やってたじゃないですか。
滅ごろ王国に。
それは僕も見てましたよ。
行きたかったです。
行きたいと思って。
滅ごろ王国ってどこにあるの?
北海道。
北海道の。
そっかそっか。
よしよしよしよし。
あそこに行って、職員に言うか、動物を見る。
割とそういうのとか、獣医とか、イルカの調教師とか、
そういう感じのことをやりたい。
なんとなく今の仕事と遠からず。
そうかもしれないですね。
近からず、遠からずって感じですね。
そうなんだ。
で、中学高校。
高校の時にまた留学ですか?
そうなんですよ。
ずっとアメリカまた戻りたいなみたいなのが。
そう。で、ずっと親が私の英語の吸収力にすごい驚いて、
なんか多分無くなっちゃうのももったいないって思って、
だから帰ってきてからもすごい英会話とか、
ずっとやってたんですよね。
そういうのもあって、なんかいつか行きたいっていうのもあったし、
あとやっぱ高校で一応進学校入ったんですけど、
全然勉強してなくて、もうほんと全然できない。
入ってから。
入ったはいいけど。
でももうサボったりとか、
言い放題やってたんですよね。
そういう時期なのかもね。
本校期じゃないけど集中が途切れちゃう。
何のためになってるんだろうみたいな。
そう、なんかあんまり勉強も全然入ってこないし、
やる意味もなんか分かんないし、
満たせない。
でもなんか周りを見たら、
もう高校2年くらいで、
だんだん大学のこと考えてかなきゃいけないじゃないですか。
受験とかね。
どうするかとか。
これはもう間違いなく大した大学に入れないなって分かったんですよね。
どの科目を見ても。
順位が出ちゃうとか、センター試験とかそういうのまで伸びたり。
もう全然点数も悪いし、
今から世界史とか日本史とか、
あと文系だったんで、
古文とか、
もう全然ダメだなって思って。
で、なんか、
どういう大学に入れるかって考えた時に、
たまたま同じ高校の後輩のお兄ちゃんが、
私が入った大学に行った時に、
大学に行った人がいて、
普通の受験じゃなくて、
こっちのSATとか、
TOEFLとか、
エッセイとかで入れるルートがあるんだよって。
ちなみに学校名出していいですよね。
上智大学なんですけどもね。
その比較文化学部っていうのは、
また大学の中でもちょっと変わってて、
比較文化学部っていうのはね。
英語で全部授業なんですよ。
へー、そうなんだ。
その学部だけ入り方が、
入試のあれが変わってる。
だから英語ができれば入っている。
そうなんです。
だから英語だけで行けるっていうのも気づいて。
これなら行けるだろ。
その後輩のお兄さんは留学をしてから、
高校で留学をして、
で、帰ってきてそれを受けて入ったみたいな。
で、それだみたいな。
なるほどね。
それしかないみたいな感じで。
だから英語もできたっていうか興味が。
英語しかできないくらいの感じだったんで。
へー。
それに行こうと思って。
で、高校で留学期間みたいなのに、
それもアプリケーションなんですけど、
送って、それでカルフォルニアに。
それはなんか奨学金が出るとかそういうプログラム?
なんか費用はあるんですけど、
受け入れてくれる家族がボランティアなんですよ。
へー。そういうのがあるんだ。
だからお金はそんなに高くない。
奨学費だけ払って。
そう。あと親がお小遣いを払うくらいで、
ホストファミリーが持ってくれるっていう。
素敵。
カルフォルニア州なんですね。
そうなんです。でもカルフォルニア州なんですけど、
ベイカーズフィールドっていう。
まあまあ田舎の方ね。
はい。に1年間。
でもいいですよね。
行こうと思えばロサンゼルスにもちょっと遊びに連れて行ってくれたりとか。
そうですね。何回かでも行きましたけど、
連れて行ってもらったりとか。
でも、すごいギャップでした。
自分の持ってたアメリカと、
このベイカーズフィールドがあまりにも楽さがあって。
それはそれで結構、この高校で行った1年間は結構辛かったですね。
そうなんだ。思ってたっていうのはどういうイメージなの?
上智大学の進学経緯
屋敷があってビーチがあってみたいな。
そういうのもあるし、あとなんかやっぱり高校生だから、
特に行ったのがもう死に合いやっていって、高校最後の年だったんですね。
だからもう友達とかも全部できてるし。
グループがあるみたいな。
グループもあるし、もうあと1年で終わりみたいなところだから、
すごい友達作るのも苦労して。
外国からなんか来たぞみたいな。
ちゃんと留学生を受け入れてくれるような体制になっている学校じゃなくて。
そうなんだ。違う。
いるねぐらいな。
なんか急にアジア人1人いるねみたいな。
アジア人もちょこちょこはいるし、別にすごい珍しいわけでもないから。
あんまり注目もされないしね。
注目もされずに。
小学校の時はめっちゃ注目されたのに。
そうそうそうそう。
勉強はすごいついていくのも大変だしね。
そっかそっかそっか。
いきなりなんか全く分かんない高校3年の英語みたいな。
あ、そうなんだ。
さすがにそのレベルの英語ではないじゃないですか。
それぐらいだとあんまり助けてもくれないのかなと思う。
そうなんですよ。
だから一番下っていうか英語は本当にレベルがあるんですよね。
一応やっぱり英語あんまり苦手な子たちもいるから。
一番下のクラスに入れられてすぐな不良の中に入れられて。
そうなんだ。
英語の授業を受けたり。
でもまあなんか同じ学年じゃないけど1個下の学年の子とか。
それなりには頑張って友達もできてやってたけどすごい苦労はしました。
そっか。
まあでもそれも1年間だったんだね。
それも1年間なんですよ。
まあなんとかやり切った感じで。
やり切って帰ってきて。
もう日本でも卒業してる後に帰ってきてるので。
あ、そうなんですね。
3月とかじゃないのかなって。
3月とかじゃないのかなって。
6月とかにアメリカで学校が終わって帰ってくるから。
もうみんな卒業してる後に帰ってきて1人で卒業証書を書いてもらって。
で、残りの半年とか受験勉強っていうか。
じゃあ1年遅れてってこと?
はい。1年遅れて入ったみたいな。
目論み通りに。
はい。
上智大学。
それ以上遅れずに一応。
まあでも友達のお兄さんが行ったルートで行けたってことですね。
はい。そのままもうそれしかなかったです。
でもすごいですよね。それで無事行けたっていうのは。
そう。わりと必死でしたけどね。
チャレンジャーですよね。
みんなと違う道を1人だけ行ったってことですからね。
そうですね。
あんまり知る人。だからわりと帰国子女とか、
あとインターに出る人とか、
あと海外の留学生とか、
あとはまあそういう私みたいに留学して帰ってきてみたいな人がみんな受けるような。
非日本人もいっぱいいるってこと?
いっぱいいますね。
いい環境ですね。
そうですね。だからバックグラウンドがいろいろ違うところで。
それはグローバルな。
そうですね。だからそれはすごい自分に合ってて、
高校とかもあんまり自分に入ったけどあんまり合わないなっていう感じが日本の高校はしてたので、
やっとなんかこう自分と似たような経験をしてる人と学校行けるみたいな感じではあったかな。
比較文化学っていうのはいわゆる文化の違いを学ぶってことですか?
海外への挑戦
違うんですよ。でもその中でもいろんなメジャーがあって、
文化を比較することを前提にビジネスだったりとか、
いろんな社会学部とかいろんな専攻、メジャーがいろいろあって、
英語を通してみたいな感じの、そういう意味での比較文化だったりもするので、
私はなんか言語学メジャー、日本語の言語学の専攻だったんで、
英語で日本語言語学をやるみたいな感じで。
ややこしい。
ややこしいけど面白そうって面白い。
でも結構オファーしてるクラスとかは面白い授業もありましたよね。
その時まだ11さんとか、先ほど六五郎王国の話で。
それはもうその頃には全然で、
でもそのぐらいの時はあんまりこれになりたいっていう明確なことはわりとなくて、
キャンバスライフをエンジョイしてた。
いわゆるザ日本の大学生みたいな感じだった。
とりあえず遊びもするし。
遊んでもいたし、そんなに就職のこととか考えてなかったんですけど、
でもわりと海外の社会貢献みたいなのとかには興味があって、
例えば海外青年協力隊とか、そういうのはやりたいって思って、
昔知り合いというか、水泳のコーチがそれでバングラデシュかな、神奈川に行ってたコーチがいて、
水泳教え人?
いや、たぶん学校、本当に学校作るとかバングラデシュに学校作るとか、
そんな感じのレッスンに行ってた人がいて、
そういうのがいいなって漠然に思ってたんですけど、
なるほどね。
それでまたもう一回在学中にUC Irvineに一年留学というふうに考えてますけども、
これは何かきっかけがあったんですか?
それは、もともとアメリカの大学にちょっと行きたいっていうのもあったし、
だけどやっぱりハードルが高いじゃないですか、
こっちに来てまた大学受験っていうのと。
で、なんか親も結構もうちょっといい加減にアメリカ全部行っちゃうみたいな話もあって、
じゃあ、うちの大学が、日本の大学は結構ちゃんとそういうつながりがある学校っていっぱいあるんですけど、
UCとつながってる大学だったので、
だからUCの学生も大学に来るし、
大学に来るし、いわゆる交換留学制度っていうのがあって、
で、行ってる間の単位も全部カウントできる。
だから授業料も日本だけで払ってればいいっていう制度だったんで、
それならやらないのももったいないなっていうので。
そうか。
それはでも経験した方がいいですね。
結構周りもそれやってる人が学部の中で多かったんで、
私も受けてみようみたいな感じで。
キャリアの転機
それはなんか楽しそうだな。
それはめちゃめちゃ楽しかったよ。
ですよね。
めちゃめちゃ寮の生活とかも経験して。
大学生だし。
そこもなんかいろんな国から来てる留学生とかと友達になったりして、
またその時の友達と合流があったりして。
いいですね。
そこから卒業してソフトウェア会社のマーケティング。
そうなんですよ。
この辺って超就職氷河期なんですよ。
だからどこ受けても落ちまくりっていう、
もう何個受けたかわからないみたいな。
そもそも多分こういうふうに仕事をしたいとか、
ちゃんとビジョンがあればそこまで落ちまくらなくても済んだのかもしれないんですけど、
そもそもやりたいことが海外青年協力大学だから、
それをやろうと思ったんですよ。
もう就職せずにお金を貯めて、
派遣課なんかとりあえずちょっとやってから、
それに行こうって思ってたんです。
でも決めてたんですけど、
親にそれを言ったらとんでもないと。
今までいくら学費払ったか思ってるな。
そんなことをさせるために。
なんでボランティア行ってんじゃないぞって。
そう、そうって言われて。
せめて3年間は普通の企業で働きなさいって感じで、
なんか言われて。
渋々やってるからもう全然受からないし、
最初出版社とか受けてたんですけど、
全然受からないし、
もう本当に最後の最後。
どこでも言えるみたいな。
全然興味ないのに。
全くわからないけどみたいな。
ちょっと親のツテもあったりして。
そうなんだ。
IT系で。
でもその頃のIT系ってバブってる感じじゃないですか。
そうなんですよ。
だから一番、
氷河期だけどITだけバブルだから。
そうですよね。
2000年前後?
そうです。99年とかですね。
ちょうどまたぐときに。
めちゃめちゃいい時代。
すごいバブリーな会社に入ったんですよね。
それもその年が新入社員一番最多の会社の年で、
170人、180人ぐらい新入社員がいたんですよ。
それは良さそうだけど、
企業名は出さないがブラックだった。
ブラックな時代?
時代か。
もしかしたらIT系時代がバブリーな時代だから、
そもそも働き方改革なんてないし。
やればやるだけの仕事なんかあると。
やれと。
死ぬまでやれと。
だから毎日終電で帰ってましたね。
毎日終電の後にタクシーで帰ってました。
飲みとかじゃなくて仕事で?
仕事もそうだし、
マーケティングだから仕事半分の飲みみたいなのもあったり。
営業的なこともやってたってこと?
ビジネスカンファレンスをやってる部署だったので、
簡単に言えば超巨大な文化祭をやって、
打ち上げがあったり、
やってらんないから上司も飲みに行ったりとか。
マーケティング部って営業さん盛り上げるみたいな感じもあったり、
イベント会社から営業される側だったりとかもするので、
そういう関連の飲み会みたいなのも飲み会要員じゃないんですけど、
まだ新入社員なんで。
そしてボロボロになり退職って書いてあるんですけど。
もう本当に自律神経がおかしくなって。
本当にもう心身共に。
終わった後の、忙しい間はいいけど、
それが終わるともうちょっとオート社みたいな感じ。
スイッチ切れちゃったみたいな。
そうですね。
多分3年間が限界だったんでしょうね。
それでも自らもう退職しますって言って。
そうなんですよ。
その後どうしようとか、転職を考えて。
何も考えてなくて、とりあえず辞めてから考えればいいやぐらいの感じで、
辞めたら、そのぐらいの時期にちょうど結婚も、
同じぐらいの時期に結婚をして。
でもこのまま行ったらやばいって感じだった?
そうですね。
そもそもすごい興味がある商品とかでもなかったりもするし、
親の3年、最低3年。
それは結構頭に当たる。
それもあったと思いますね。
あとタイミングっていうか、いろんなタイミングもあって。
結婚の話も出てきて。
じゃあそのまま結婚して。
結婚して、別に全然そこからちょっと違うキャリアとか考えようと思ってたら、
妊娠したんで、そのまま出産し、
本当パートみたいな感じで、その昔のつながりで、
ちょっとしたマーケティングのお手伝いとか、
あとマーケにいた時に、
アメリカへの移住
ウェブサイトとか編集したりとか、
その当時ってガリガリHTMLを書くような作り方だったんで、
それで裏で書くみたいな仕事もやってたんで、
そのちっちゃい企業のウェブサイトの更新したりとかする仕事を子育てしながら、
家でやったりしてたんですよね、リモートで。
リモートワークね、今で言うね。
いやでも本当最先端っていうか、その頃に活躍してたのが堀江門とか、
そうかもしれないですよね、超テックな人たちなんで、
私はインターフェースよりももっと書いたりする方の仕事が多かったんですけど。
その後2005年にアメリカに旦那さんの仕事を機にという。
そうですね、結局一人子供を産んで、日本で病院で産んだんですけど、
3歳になるくらいの時まで日本にいたんですけど、
もう幼稚園とかっていうことを考え始める時期じゃないですか。
その当時大田区の下町の大森とか、下町の方に住んでたんですけど、
どこで子育てしようかなっていうか、いわゆる学校入って、
幼稚園入って、学校入って、どこで子育てしていくのがいいんだろうみたいなのを考えた時に、
自分の経験で考えると、日本の学校システムみたいなのが、
もう自分自身が無理っていう感じが、いわゆるその公立の学校システムの感じが、
義務教育だね。
うーんっていう、合ってるのかなっていうちょっと疑問があって、
その当時住んでるところでずっと子育てしていくっていう感じが見えなくて、
じゃあ日本国内で引っ越すのか、だからといってお金がいっぱいあるわけじゃないから、
そんな良いエリアにも住めないし、もうなんか近郊に引っ越すかみたいな感じになってくるじゃないですか。
でも通勤も大変だしとか、いろんなそういうこの満員電車の生活を続けていくのかとか、
うちの旦那さんも。
海外で、うちの夫もテネシーで高校行ったりして、
日本人なんですけどテネシーで2年半ぐらい高校行ってて、
同じ大学だったんですよ。
だから割とバックグラウンドも似てて、
アメリカの雰囲気は分かってると思う。
うーんっていう、
アメリカじゃね?みたいな話になりそうだね。
これだけずっと英語でいろんなことやってきたの、このままずっと日本に住み続けるのかとか、
いろんなことを考えてて、
でもじゃあどうやって海外に行くオプションみたいなのを探すかとか、
日本なのかとか色々模索してる時に、
その夫の仕事は一応海外事業部みたいなところにいたので、
いつか海外で働くチャンス欲しいです、みたいなことも言って入ってたんですよね。
だからそれでなんかこう、
これを押してどっかに行くしかない、みたいな。
転勤させてくれとか。
すごい掛け合って、そういうチャンスがあったら行かせて欲しいっていうのをずっと上司に言ってたんですよね。
そしたらちょうど2005年ぐらいに、
ロサンゼルスでアメリカのヘッドクォーターを日本の会社なんですけど、作ると。
で、偉い上の人たちが先に行ってて、
平社員第一号じゃないですけど、
その平社員が行く段階になってから、
今立ち上げたから後はこっちを回してくれと。
っていうのでチャンスが巡ってきたんですよね。
めっちゃラッキーですね、でも。
そうですね。
でも本当にラッキーだったというか、
私がUCアーバイに行った時の友達とかも、
遠くないしね。
ロサンゼルスに住んでる友達が多い。
だってそれこそね、
ノースカルライナーとかテネシーとかに行っても、
ここかってなりそうじゃないですか。
LAに行ってこいっていうのはめちゃめちゃラッキーですね。
そう、だからあんまり抵抗もなく。
でもヨーロッパもありかもとか、
いろんな話もあったんですけど、
でもたまたまそのチャンスはロサンゼルスで。
あったらいいよねって感じですよね。
それでも何年とか決まってたんですか?
いや、もう転席扱いで、
駐在ではなく、
アメリカ法人の社員になる。
完全にこっちにトランスファーしてくるってことだったんで、
戻るっていうのはヨーロッパの関係にないっていう感じで来たんですよね。
でもそういう素養があったというか、
やっぱり英語もできたし、
それもあったと思います。
任せられるかなっていうとこだったってことでしょうね。
そうですね。
あとたまたま来たばっかりの、
ここに立ち上げたばっかりの時の
入るポジションがあったっていうか、
なるほど。
そうかそうか。
出産体験
その後、まだ2人目3人目をアメリカで出産という話なんですけど、
その前に、1人目のご出産の時に、
ちょっといろいろと大変そうだったという話が
ウェブサイトにもあって、
それを少しだけ聞いて
次のセクションに入っていこうかなと思うんですけど、
その時の出産というのはどんなものだったんですかね?
結局私、
1人目の出産28だったんですけど、
全然何の知識もなくて、
初めての出産で何も分からなくて、
あんまりそんなに
いろいろ探さなきゃいけないとも自分では思ってなく、
病院とか?
そう、親に聞いて
親の知り合いに紹介してもらった病院で産んだんですけど、
横浜の。
横浜の。
多分最初からあんまり自分の
どこかでもやもやした気持ちがあるまま、
ここでいいのかなとかそういうこと?
ここあんまりとか思いながら、
そのまんまずっと
例えばお医者さんが
目を見て離してくれないとか、
積み重ねてくれないとか、
そのまんまずっと
例えばお医者さんが
目を見て離してくれないとか、
いつもこうやってて
パソコン?
パソコンブアイズみたいなそれも、
でもこんなもんなのかなとか
思ってあんまりそれもやもやするけど、
あんまり疑問に思わず、
結局39週の検診に行ったときに、
要は内診っていうのをするんですよね。
39週って何か月目ですか?
40週が予定なんですよね。
もう1週間前に検診に行った。
全然まだそういう
うむ症候とか何も出てないんですけど、
検診行ったときに内診をされて、
子宮口がどれくらい開いてるかとか
いうのをチェックしたりするんですよね。
全然開いてないから、
そのときにお薬を入れて
柔らかくして
開くようにしますって言われたら
そうですかって言ったら
そのときに破碎しちゃったんですよ。
破碎っていうのは
赤ちゃんって腰膜の
子宮の中に腰膜があって
腰椎の中に赤ちゃんがいるんですけど、
その膜が破れると
その中にある腰椎が出てきて
破碎っていう風に言うんですよね。
もう出ちゃうよってことですよね。
そうですそうです。
そうするともう産ませなきゃいけなくなっちゃうので、
腎痛が自然に来てなくても
腎痛促進剤っていう薬を使って
出産のアクシデント
腎痛を起こさせて
出産させるっていう風に
しなきゃいけなくなっちゃうんですよ。
まだ早いのにね。
まだ早いのに。
それは後から分かったんですけど、
その内心して
その薬を入れて破碎することって
ほぼない。
ほぼありえない。
私も今の受産師だから分かるんですけど、
それを破碎させるっていう意思がない限り
そんなアクシデントで破碎することって
ほぼほぼないんですよ。
よっぽどインビースになって
それは医療ミスということですか?
やっちゃったってこと?
やっちゃったっていうことなんですよね、多分。
なんで?
早く産ませたいから。
そういうこと?わざとやったってこと?
そうとしか考えられない。
その時はその理由としては
破碎しちゃいました。
みたいな感じなんですけど、
でも普通に私の受産師の中には
すごい地球溝が閉まっていて
まだ開いていないので
柔らかくするために薬を入れるのに
そんなにアクシデントに破碎ってしないので
破碎させるためにというか
そうか。
無理やりやらない限り
それは何かミスを入れるとか
何なんですか?
その薬を奥まで押し込んだ時に
引っ掛けたかどうか
そうなんですよね。
でもそれをアクシデントでやるっていうのは
あんまり確率的にないので
私が助産学校に入って
その話をしたら周りの
知識のある助産師が
それわざとだよねって後から言われたり
でもなんとなくもやもやした
その時の看護師さんが横にいる
看護師さんがあってすごい声を上げたりとか
え?って思うような
その時の記憶っていうのは
なんとなく覚えてた
すごい痛かったりとかしたので
おかしいだろ。
でも日本人特有の
聞けないとか聞く雰囲気じゃないとか
いろいろあるじゃないですか
すごい大きなことがあったわけじゃないし
赤ちゃん、娘も無事に生まれたんですけど
でも例えば苦しんで腎痛の時に
お医者さんが看護師さんと
どうでもいい話をしてたりとか
世間話的なことね
本当に何かくだらないような
笑い話みたいなのをしてたりとか
あとその当時っていうか
今でもあると思うんですけど
母子別出
お母さんと子どもが別々の部屋に
だから生まれたら赤ちゃんは
赤ちゃんがわーって並んでるところに
ドラマとかで見たことあるけど
割と昔なのに
なんでなんだろうと思うけど
名前変えたってね
そういうところに連れて行かれちゃって
私は自分の部屋にいて
そうなるって思わなかったんですけど
すごい離れたことがショックだったんですよね
なんでこんな気持ちになってるんだろう
っていうのもわからなくて
そういう風になってるし
いろんなことが
自分の感情とされてることが合わなくて
すごい幸せな
良いお子さんだったっていう記憶はないんですよね
健康で無事だし
何も問題はなかったんですけど
なんかもやもやしたってずっと思ってて
産後に日本でも友達から話聞いても
女参院で産んだんだとか話をしてる
え?みたいな
そんなオプションあったの?
そんなオプションあったの?っていう
知らなかったってことね
びっくりして
すごく自分が勉強不足だったこととか
ナイイブだったこととか
親の知り合いとか
親の知り合いとかだけに聞いて
判断したことをすごく後悔したんですよね
その時ってちなみにインターネットで調べたりは
あんまりないですよね
一応ウェブサイトはあるけど
そうなるよね
親戚とか両親に聞いて
そうなんですよ
だから今ほどそういうリソースがないっていうのは
もちろんあったんですけど
すごく後悔して
考えれば考えるほどあれはおかしい
おかしいぞと
私の思ってたのは正しかったんだと
そんなはずじゃないと
筋肉で体でその感覚っていうのを記憶した
そういうことね
それは人間の本能のなせる技というか
本能というか損失的なところね
そうなんですよね
そうなんですよ
すごく危険を感じて
やっぱりお医者さんだけじゃなくて
看護師さんとか日本全員そうじゃないと思うんですけど
すごいスパルタで怖い看護師さんとか
優しくないってことね
ベテランの
こうやってやらないといけないよ
怒られながら
なんで怒られるんだろうっていう
うわー絶対嫌だな
そういうボール絶対嫌だな
なんでこんな怒られながら
泣きながらおっぱいあげなきゃいけないんだろうとか
最悪だな
そういうのがあったんですね
人口的に出産も多かったのかな
流れ作業的にも
第二次ベビーブームですからね
でも多分
日本でも珍しくないと思うんですよね
そうなんですね
割とそういう
アメリカもそうですけど
僕も助産師という
単語は知ってても
よく違いが分かってなかったですしね
どうなるのか
そういうものがあるんだなっていうのは
わかんないですよね当事者にならないと
そうなんですよ
そのもやもやしたまま
もう何年もしてたところもあって
そうなんですよね
それで2人目は
自宅で出産しようという決断に至るんですけど
アメリカでの経験
そろそろ次のセクションに入るんで
その辺もちょっと後で続きは聞いていきたいと思うんですけど
7歳の時にアメリカに行った経験が
今アメリカにいるってことに
大きく見ると繋がってるのかな
って感じました
そうですね
ノースキャロライナ州に1年
お父さんの仕事っていうふうにおっしゃってたと思いますけど
それがすごいいい思い出って言ってましたね
子供ながらに
周りの人が
珍しがってくれたというか
しかも英語もすごいスピードで
大得したという話があったけど
そりゃあね
子供の方が断然早いよな
習得するスピードを
ねえ 羨ましい
羨ましいです
そこから
高校と大学でも1年ずつ留学って言ってましたね
それもカリフォルニア州
英語吹きに大学に入り
そうだね
その前にあれだ
その続きで
ムツゴロー国に行きたかったみたいな話もあったけど
ムツゴロー国って知ってる?えまさん
知らなかったです
知らないよな
だって俺が子供の頃の
記憶だもんな
変なおじさんがいてさ
ムツゴロー国調べてもらえたらね
面白いと思うんだけどね
ムツゴローさんが設立した施設
ムツゴローさんは知ってます
あ そうなの
ムツゴローさんはわかります
ムツゴローさんってまだテレビ出てんの?
最近出てないんですかね
あれ ムツゴローって出てこないんだな
後はマサノリさんですね
あ 2007年に閉園してるんですね
とにかくね よしよしよしって言って
ルーツを撫でてる
ムツゴローさんが建てた
テレビによく出てたんだよね
当時は
面白い人ですよね
そんなものに憧れつつも
大学は城地大学に
不思議なルートでというか
受験を回避して
入るって
ありますよね でも
チャレンジャーだけど
英語と小論文で入れるみたいな
入試も割とあります
だから英語できれば
パスできる
でもその頃にはムツゴロー王国は
忘れてたというか
なくなっていったという感じでしたけど
そっからなんだったっけ
働き方の変化
ソフトウェア会社で
いわゆるブラック企業
ブラック企業というか
その時代がもうブラックっていうかね
多分
みんな死ぬほど働いてたんだろうなと思うけど
そうですよね それが当たり前だった
という感じですよね
でもね 終電後って
終電後にタクシーで帰ってって言ってたけど
どんだけ働くんやと思うけど
そんなことはあった?
働き方
働き方
毎日毎日じゃないですけど
たまにはあったって感じですね
でもテレビ局って
とかね 芸能系は
時間が合ってないような感じも
するもんね
そうですね
終わるまでやるしかねえみたいな
自分で特集とか企画とか出したら
忙しいので
その時は
遅くなると決まりました
でもどっちかというと
やりたくてやってたっていう感じ
そうですね
企画をやりたくて出すから
それも疲れるけど
達成感はあるっていうか
そうだよね
そうじゃないのが一番つかない
そうじゃないのが一番つかない
でも
そうじゃないのが一番つらいよね
やりたくもないのにさ
やらされて
っていう仕事は大変ですよね
これはもう心もぶっ壊れてくるよね
まあでもなんとか3年間耐えて
辞めたって言ってましたけどね
で 一人目のご出産があり
そうですね
どこまで話したっけ
だからそれが
そうね だからいまいち
先週だったっけ
ヘマさんの話でもあったけど
ちょっとなんかあれみたいな
大丈夫?みたいな
瞬間が
ひろこさんの場合はもう終始あったみたいですけど
なんかおかしいぞと
そうですね 確かに
わかんないよね
そういうもんだと言われれば
そういうもんだと思うしかないだろうし
比べる人は
いないっていうか
最初だったから
なんかこういうもんかなって思っちゃったっていうのを
わかります 私もなんか
よく比較対象がないから
そうね
特にヘマさんなんて
こういうものなのかなみたいな
外国に来てね
病院行ってるわけだから
アメリカではこうなのか
とか思っちゃうこともあるだろうしね
どうなんでしょうね
でも母子別室だったっていうことですけど
私の病院は母子は同室でした
それも病院とか
その施設の方針によるのかもしれないんですけど
いやでもなんかそれもなんか
昔の話のような気もすんだけどね
昔のなんかドラマで
赤ちゃんがなんかずらっと並んで
名前ついてたり
名札つけられてて
なんかさなんかのミステリー小説じゃないけどさ
赤ちゃんがずらっと並んで
名前ついてたり
名札つけられてて
赤ちゃんがすり替えられていて
あ〜
確かにありますね
出てきそうな話の映像
時代あったのかな
もっといっぱいさ
流れ作業みたいになっちゃってたんじゃないのかなって
想像するんだよ
だから次から次からやらないといけなくて
わからん
なんでかわからんけど
でも私も母が
この手伝いに
お医者さんのとき来たときに
ずっと母子同室なんだみたいなことは言われました
あ、ほんと
お母ちゃん引き取ってくれないのみたいな感じで
言われたんですけど
助産師としての経験
こういうもんなんじゃないの
って感じで
いやでも一緒にいたいよなと思うけどね
心配になっちゃうじゃんね
確かに
いたらいたでずっと泣いてるから
大変は大変なんですけど
自分もずたぼろで
隣でずっと泣いてるから
大変は大変でしたけど
いやでもその
赤ちゃんをすり替えられたりしないかって
心配になっちゃう
ドラマとか小説の
どうしてるかなってね
心配になりますよね
まあね
そういう経験をしたからこそ
今があるわけですけども
なので次回の話がそこまで
エレに引っ越して
2人の3人目とね
出産をされていくんですけども
そこでもまた
人払う
払うんじゃないけど
いろいろあったりしつつの
しつつのほうだからね
まだ助産師になってないんで
あれなんですけど
その辺からの話と
あとは助産師としての働き方とか
その辺から
の話と
あとはその助産師としての働き方とかね
働く姿勢みたいなところを
これもねもう
なんか話が面白くてさ
あのついつい
いろんな世界に行ってしまうんですけどね
じゃあまだまだたくさんのエピソードを
聞けるということで
はい
楽しいと思います
じゃあ来週も
お楽しみに
アメリカの詐欺事情
リアルアメリカ情報
よっ
このコーナーでは
最新のビジネス生活情報を
アメリカからお届けしていきます
はいお願いします
今回はですね
不審な自動電話とか
テキストメッセージに注意しましょう
っていうお話を
シェアしたいと思います
なんと過去
6年間で最高水準
一番多い
ですって今
来ます?
来ますよ
怪しい
来ますよね
もう来ますよ
どれくらい来ます?
言っても
1日に1回
とかはどうだろうな
2、3日に1回とか
もうちょっとかな
会社のメールには
詐欺っぽいのもいっぱい来るしね
はいはいはい
これはでも最近
スキャンじゃないの
スキャンだと思うよって
書いてあるじゃんね
だから
楽になってきたけどね
でもどういうものだ
みんな想像ついてるのかな
わかるよね
この詐欺の電話とか
テキストメッセージが
アメリカで急増してるそうで
今年の1月から9月までの間に
月の平均
25億6千万件
アメリカ全体での
自動電話
ロボコールを受けた
という統計になっていて
去年は
2024年は月間
21億4千万件だったそうなので
4億2千万件増加してる
これが過去最高
6年
統計取り始めた
過去6年間の中で
最高だそうです
金融情報を抜き取ろうとか
金融情報を抜き取ろう
っていう詐欺の
連絡なんですけど
よくあるのが
銀行とかクレジット会
カード会社を装って
疑わしい
メールとか送って
リンクとか貼ってあって
ここにどうぞみたいな
誘導してあったり
あと配送
お届けに上がりましたが
配送に問題がありましたので
こちらに連絡してください
みたいな感じで
クリックしちゃうと
金銭支払うように
要求されたり
そんなことがあるみたいです
これなんで増えてるか
っていうのが
AIを使って
AIのボットが
一度に数千人に
詐欺メールをバーッと送れて
電話とかも
メールを使って
政府関係者ですとか
警察ですとか
偽造を作って
騙すことができちゃうから
これが増えてる
っていうことなんですよね
それだけ増えてて
騙される人の件数も増えてるのかね
引っかかってしまう件数
実際にでも
効果っていうか
詐欺集団
詐欺師側からしたら
成果が出るから
やってるわけだもんね
それの数も知りたいけど
分かる人は
こんなに騙されないぞ
とは思ったりもするんだけど
たまに
危ねえっていうときあるもんね
俺も一回
騙されそうになったときは
日本に急ぎで
送らないといけないときとかに
送って
直後に
直後か
2,3日した後だったかな
住所が
間違ってると思います
みたいな
さっき山さんが言ったのに近いけど
そこでログインして
住所
修正してくださいみたいな
来るんだけど
なぜかクレジットカード番号
聞かれたりとかして
なんかおかしいよなあ
URLとかも
ドメインとかも
怪しいやつなんだよね
巧妙になってきているけど
そういうやつとか
会社の
ビジネスやってる人だと
会社の当期の
リニューアルの時期だから
早くこれ
アップデートしないとダメだよ
サも
政府から送られてくるような感じで
来たりとか
あと
ウェブサイトの
ドメインの
リニューアルの時期だよとか
ここにお金
振り込んでください
みたいなやつとかね
めちゃくちゃいっぱい来るんだけどね
それは
そっちの方が
だまされそうにもなるけどね
本当にこれは
政府から来てるのか
みたいな
そうですよね
日本語だった
日本に
いた時ですけど
年金の目は
未払いがありますみたいな
来て
早く払って
残っとけみたいな
思っちゃって
払え
一瞬払い
あれ?
思って
払うよ払うよ
そうなんです
しかもそんな高額じゃない
払わないと
みたいなね
期限を切られて
特速
急いで払いなさい
みたいな
罪になります
みたいな書いてあって
期限を過ぎると
だまされるような
人もいるだろうな
なんかだまされてたのかな
って思うこともあるしね
俺も
なんかその
本当ですか
はい
いや
なんかあるんだよね
その
ウェブサイトに使ってる写真が
著作権違反してますとか
これフリードのやつ
はずだけどな
とかさ
いろいろそういう
どっちかわからない
みたいな
そういう
どっちかわからん
みたいなのも
あったりするから
どんどんね
巧妙化してますよね
いや
ほんと
やめてほしい
そんなに
気をつけよう気をつけようとね
25億って言った?
件数としては
25億6千万件
なんかそのパワーを
何かしら違うものに
変換できないものでしょうかね
それで
でもこれもあれじゃないですか
AIで
AI使ってるから
電力めちゃくちゃ
使ってると思うけどね
AIで
一斉に送信
してるんでしょうけど
その
なんか
ねえ
パワーを
何か違うものに
使ってくれよ
と思って
本当にそうですよね
まあでもそれは
アメリカの
みならず
全世界で
それはね
起こってることだと
思いますけど
たまにはでもこういうね
注意喚起というかね
僕もね
ウェブサイト
会社のウェブサイトの方には
こういう詐欺ありますから
注意してください
こういうのも来ました
注意してください
みたいなのは
なるべくアップデート
するようにしていて
ブログ書いたりもしてるんで
まあ
ちょっとでも
そちらもぜひ
そうそう
それを別に
見てというか
ちょっとそういうこと
書いてる方も
いっぱいいるので
ちょっと怪しいなと思ったら
調べたら
これは詐欺ですって
書いてある場合も
たくさん出てくるので
そうそうそうそう
ちょっと調べるっていうのはね
大事だと思いますね
焦ってても
うんうんうん
ちょっと検索すればね
これは詐欺です
詐欺でしたみたいな
出てきてこれから
疑って
一旦調べてみる
っていうのはありですね
そうですね
気をつけましょう
はい
みなさんお気をつけください
ここまで
リアルアメリカ情報でした
詐欺に注意しよう
はい
締めのコーナーです
はい
えっとですね
用意していた質問が
ちょっとしゃべっちゃったんですけど
さっき軽く
ボロボロになるまで
働いたことってありますか
ありましたか
みたいな質問を
ちょっとしようかなと思ってたんですけど
さっきね
山さんは
自分で企画出して
自分で仕事増やしてた
みたいなね
それはだから
前向きに
はい
ボロボロに
でもボロボロっていう
言い方ではないのか
それは
はい
まあ
残業は増えるけど
ボロボロ
なんかでも
まあ
心がすさんでた
みたいな時期ある
気持ち
なんて言うんだ
心がすさんでた
はい
やってらんねーわ
みたいな
やってらんねーわ
人生
クソだ
みたいな
ウソだ
ウソだ
あんまり
そういうのはないか
まあ普通に
体力的に疲れたな
みたいなのは
ありますけど
そういう
精神的に
みたいなのはな
あんまり
少ないかもしれないですね
そうすか
うん
いや俺はね
なんかこれ
こういうの
人生のどん底みたいな
ことで思い出すのが
はい
名前出すのもあれだけど
トヨタ自動車の
僕は地元トヨタ市なんで
はい
ただその時の状況的には
俺は19歳
何歳だっけな
19か20
20くらいで
失恋と労働の苦しみ
大失恋をして
その彼女
高校から付き合ってて
4,5年付き合ってたのかな
まあまあ
好きだったんですけど
その彼女に振られた
ショックの大きさと
トヨタ自動車
まあアメリカ行こうと思ってたから
お金貯めなきゃと思って
トヨタ自動車の機関工っていう
季節労働者
まあラインですね
いわゆる
工場の一番下っ端の
で働いてた時期
その仕事も
もうめちゃくちゃ辛くて
1日それこそ
10何時間
同じ作業を
ロボットのようにさせられる
っていう
すごい音がガンガンガンガン鳴ってて
誰とも話もできないし
もうなんか
ただ1日中ネジ打ってて
手は検証員になり
朝の味噌汁が震えて飲めない
とかね
なんか手が震えてきた
そういう時期があったんですけど
なんかそれは
まあまあでも1年も
そこにはいなかったっていうか
100万円貯めて
とりあえずもう
あの
辞めるっていう
目標があったから
行けたんですけど
でその
振られた彼女がさ
知ってる友達と
付き合い始めて
それが
街で見かけたりするのよ
ダブルダメージ
まあそう
なんなんと思いながら
生きてたけどね
ダブルパンチ
なるほど
そりゃ
メンタル的にも苦しい
体的にも
いや非常に
フィジカルも
辛かったっすね
どっちも
働きながら
俺教習所も行っててさ
自動車教習所の免許
今思うと
あんなの行かなきゃよかったな
と思うんだけど
それも忙しいし
眠てぇしさ
なんであいつと付き合ってんだよ
とか思いながら
っていう
ボロボロな話でした
前向きな生活
ボロボロな話
まあでもそれ以降もね
なんか
それ以降は
エマさんが言ってたように
アメリカ来てからですけど
もうボロボロになっても
でも前向きにめちゃくちゃ
もう寝なくてもいいから
やりたいみたいな感じで
バンドもしながら
仕事もしながらっていう時期も
そこもボロボロと言えば
ボロボロなんだけど
めちゃくちゃ前向きで
死んでもいいや
ぐらいな感じだった
前向きだったんで
なんかいろいろあるよね
ボロボロと言っても
ボロボロと言っても
いろんな種類が
いい経験だったと思いますが
そういうことで
みなさんもボロボロになった時期
ありますかっていう
ボロボロになったこと
ボロボロ募集します
ボロボロ
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お聞きいただきありがとうございました
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