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1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また各業界のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
この番組の動画とか、ショーノートみたいなのをブログで書いてるんですけど、
一応、ノートっていうサービスあるじゃないですか。
ブログとはちょっと違うんだけど。
あそこにも載せてて、そこに記事にいいねをしてくれたっていうか、
それ知ったんですけど、無名人インタビューっていう企画をやってる人がいて、
無名人ね。なしの名前の人。
全然有名じゃない人。
そうそう。有名人の反対なんですけど、
そのコンセプトは有名人の話し聞くだけが面白いわけじゃない、
人間は誰しも面白いみたいな。
ちょっと違うかもしれないんだけど、そんな感じのコンセプトで。
本当に一般の人がインタビューしてるんですけど、
面白い。
面白いんですよ。で、面白いなと思って見ていて。
インタビュアーも募集してたりとかして、
インタビューされたい人も募集してて。
面白いなと思って、サポートできるんで、
お金や金銭的なサポートですね。
それで一回僕サポートしたんですよ。面白いなと思って応援したいなと思って。
03:01
で、したらお茶会をやるっていうお誘いメールが。
何それ。
投稿を見たんです。
投稿を見たんです。で、お茶会に参加したんですよ、実は。
えー。
でね、やっぱ面白いなと思って聞いてたんですけど、
インタビューを、この番組でもインタビューしてるんだけど、
することでやっぱりみんな、自分の頭の中整理されたりとか、
なんていうのかな、気が楽、気持ちが楽になるとか、
孤独から解放されるとか、
癒しになるとか、
カウンセリングとかまではいかないけど、
そういう効果がありますよね、みたいな話があったりとか、
その他もいろいろなかなか奥深い話があったんですけど、
なんか、有料で話を聞くサービスとかもあるみたいなんだけど、知ってる?サポート者。
知らないけど、でも、
でも、みつさんがやってることとか、
無名人インタビューの方とかって、話を聞いてその人の人生を振り返ってもらうってことだから、
セラピーに近いものはありますよね。
そう、まあ、そうやって言ってくれる方も割と多いんですよね。
インタビュー終わってから、自分の頭整理されたとかね。
だから、そういう、もちろん効果というか、あるんだろうなぁと思って、
お金、1時間話を聞くのに2000円ですとかってやってる人もいるらしくて、
それは、それかなる人いるんだなぁとかね、なんか面白い気づきが。
あと、レジメの代わりになるみたいな、なんかね、
そう、そのインタビューをやっぱり聞くだけで、その人のことだいぶわかるよねって思ってさ。
うん。ほんとおっしゃる通りで、
私、みつさんはね、対面したりズームだったりでインタビューを直接されてるんですけど、
私は音声だけで聞いてるじゃないですか。
でもね、それだけでもその人の声の発声の仕方とか、声質とか雰囲気っていうのがもうすごく伝わってくる。
会ってるような感覚になりますね。
人柄がわかるし。
多分だからさ、ちょっと俺もその話聞きながら思ってたのは、レジメの代わりになる。
今後、履歴書、学歴とかさ、そういうものはもう関係なくなったとしてさ、
記憶能力とかさ、そういうのが、
関係なくなったとしてさ、記憶能力とかさ、別にいらなくなってくるわけでしょ。
で、じゃあ何がクリエイティブな、想像力が大事だとかって、もしなったとして、
じゃあどうやってその人の能力を知るかって言ったら、そういうインタビューを聞いた方がさ、レジメ見るよりさ、
この人を雇いたいとか、一緒に働きたいとかって思うんじゃねえかなみたいな。
06:05
面白ーい。
将来的に履歴書がインタビューになったら面白いなって思ったっていう話でした。
じゃああれですよ、みつさんの次のサービスに加わるのは、
あなたの音声レジメ作ります。
でもそれいいかもね、まじで。
面白いかも。
ちょっと考えてみよう。
できたらここで発表してくださいね。
面白いな。
面白い。
っていう気づきがあって面白かったっていう話です。
名人インタビューで多分検索したら出ると思うんで、別に僕全然関係ないっていうか、
あれなんですけど、面白かったので紹介してみましたっていう。
いろいろありますよね。
面白い。
さあ、では本編に入っていきましょう。
はい。
毎回一人の方のインタビューを4回に分けてお届けしているこの1%の情熱物語ですが、
今回はですね、ハワイでヨガ指導者をされている藤原陽子さんのインタビューの2回目です。
はい、陽子藤原。
藤原陽子じゃなくて、陽子藤原なんですって言ってたけど。
そうなんだ。
それは別に。
アメリカ海外で住んでいるというカタカナ書きでね、陽子って棒の中伸ばして陽子と書くんですけど、
これもなんかね、こだわりというか、面白いというかなんていうのかな。
そういう風に表記してるんで、僕もちょっとあえて、ちょっとあの、なんだ。
敬語じゃなくてなんて言うんだっけ。
なんとかを略して陽子藤原と呼んでますけども、
なんとかを略して。
なんて言うんだったっけその、なんとか様とかあの、なんとかを。
継承?
継承、継承略。
ごめんなさい、なんか日本語が全然出てこないですけど。
わかんない、私も合ってるか。
そういうやつです。
そういうやつから、なかなかショッキングな話であったり、
陽子が私を変えてくれたみたいな話だったり。
それもね、でもなんかやっぱちょっとこう、面白いんですよ。
ちょっとごめんなさい、言葉足らずであれなんですけど、聞いてもらった方がいいと思います。
では聞いていただきましょう。
はい。
まあチラッとさっきね、陽子さんからも出たんですけど、
09:04
実は元IT系ソフトウェアエンジニア。
はい。
ちょっとね、まあ今ロックスがみんなに見れてないんであれですけど、
今の陽子さんから想像がつかないような過去をお持ちでいらっしゃるということで。
ちょっとね、その辺の幼少期から日本でね、そういう、
エンジニアとして働いてた話、そして今の仕事に至るまでの経緯をね、
ちょっと次回伺っていきたいと思います。
幼少期から行きますか、幼少期から。
いやでもね、幼少期からじゃあ行きますよ。
ざっくりと、私結構すごいです。
すごいからね、えーって思うと、実は。
あのね、私ね、幼少期はですね、
一番最初に、私のきっかけとなる人生の大きなところっていうのは、
私、母を早く亡くしてるんですよ。
私7歳の時に母が亡く、死んでるんですね。
で、そう、うちの母ね、
私がこんなに健康でも、すっごい健康なんですよ、私。
全然もう病気とかしないし。
なんだけど、うちの母は病弱で、
で、だったら、まあまあらしくって、
それでまあまあ早くいなくなったんだけど、
まあそんなのがあって、そこからまあうちの父が、
その、私が10歳、9歳、10歳ぐらいの時だったかな。
再婚したんですね。
で、まあ再婚した今のお母さんっていうのが、
実はフランス人の方なんですよ。
で、もう本当にフランス、パリから来たもうフランス人の人なんだけど、
まあ日本語ずっと喋ってる方なんだけど、
で、まあまあ彼女がまあ母に、お母さん、ママ母になったってことで、
子供の頃から外国人のつながりって多かったんですよ。
なるほど。
そう、だからうちの夜とかにディナーとか行って、
いろんな英語喋る人だとか、フランス語喋る人だとか、
もちろん日本人の人も来るけど、やっぱり外国人とかのつながり、
なんだろう、外国人の出会いが多かったんですよね。
だからね、もうね、小学校5年生ですよね。
多分それぐらいで、5年生の時ぐらいで、
だからまだ中学校のABC習ってないじゃないですか。
英語とかやってないじゃないですか。
でもあの時点で、英語を絶対喋りたくなりたいって思ってたんですね。
で、もうだからもう、中1でみんながThis is a painやってる時に、
もう本気で私絶対英語喋れるようになってやるっていう気持ちでやってたんですよ。
だからね、そこがまず私の多分ちょっと変わってるとこかなっていうのがあって、
で、だから私別に学校もずっと公立の中学で、高校もそうだったし、
で、大学実は私建築学行ってるんですよ。
理系なんですよ。建築。
建築ね。
そう、で、行ってて、だからね、別に英語とかは全然やってないんですよ。
全然英語の関係とかじゃないんだけど、
これも今のままに大学の進学の時も、
12:00
やっぱり英語の学校行こうかなって言ってた時に、
いや英語、なんかね、語学っていうのは世界を広くするもんよ。
手に触葉つけた方がいいわよっていうことを言われたのね。
英語を喋るだけじゃ仕事にならないよっていうことですか?
仕事にならないよっていうよりも、
でもやっぱり英語っていう、
彼女的にはどういう意味で言ったのかわかんないけど、
でもやっぱり英語っていうのは世界を広げるものであって、
やっぱり技術とは違う。
技術でもあるかもしれないけど、
そんなことを言われた時に、
そうだよなと思って、英語はだから英語だけでちゃんと勉強し、
自分で喋れるようになれればいいからって思って、
技術として建築行ったんです。
なるほど。
それでそこから建築学科行ったんだけど、
英語が喋りたいがいっぱいで、
私ね、当時ね、大学の頃4年間ね、
ハードロックカフェってあるじゃないですか。
はいはいはい。
ありますよね。
ロックが流れてるレストランね。
そうそうそう。
レストランですよ、あそこレストランですよ。
あれに4年間私働いてたんですよ。
ウェイトレスやってたんですよ、あそこで。
で、あそこだとそう、
ハードロックカフェだと外国人の出入りがする。
結構多くじゃないですか。
だからあそこで英語を覚えてやりたいと思って、
外国人が出入りするところっていうので、
大学1年生の時に、
友達とレストラン、そういうハードロックカフェに
行こうよみたいな、
かっこいいから行こうよみたいな感じで行った時に、
ここで働くと思って、
そこで働いたっていう。
そこで4年間やって、
そこで英語をちょっと、
身につけたっていうか、
現場でもう叩きの、
英語を習ったっていう。
それってどれくらい、
もちろん知らない人のために言うと、
世界中にありますよね、ハードロックカフェって。
ハードロックカフェ世界中にあります。
観光地によくあるのかな。
観光地にある。
東京にも。
そこにお客さんは、
みんな知ってるから、
外国から来た人もそこに
飯食いに来るってことですよね。
どれくらいの割合でいるんですか、
外国人とか。
割合、あの時ってどのくらいだろう。
日本人と比べても、
でも多分3割くらいはいたんじゃないかな。
じゃあサービスする時はもう英語で。
もう必ずだから毎回私、
もう平日も多分、
確か入ったけど、
週4回ぐらいやってたのかな。
でも結構私本気でやってた。
本気でやってたっていうか、
すっごい楽しかったんですよ。
めちゃくちゃ楽しかったから、
もう学校そっちのっけじゃないけど、
で、そこで、
週末土日は必ず入ってたし、
で、
そうですね、
でもテーブルサービスしてても、
なんか、
今日は誰も外人来なかったなーなんて日は
多分ないぐらい。
あーなるほど。
自分がサービスしたテーブルには
必ず1個のか2個はテーブルは
外国人いたんじゃないかなっていうぐらい。
じゃあ結構積極的に話しかけたりして、
英語、
しゃべらせるみたいな。
そう。
でも最初はだから、
15:00
オーダー取る英語をこうやって
鳴らしてて、
そしたらお客さんとかが、
えー何やってんのーって言って、
学生やってるんですって、
自分の自己紹介ができるようになって、
みたいな。
で、話しかけてることが外人の子とかが
いたりとかするから、
そういう話と友達になったりとか、
日本語しゃべれるから、
みんなしゃべれるんだけど、
自分の中だったかな。
うん、なるほどねー。
で、まあそんなんで、
ここの土地にちょっと横道進めましたけど、
で、
そこで大学まで行って、
そこから、
大学から、
そう私ね、でもね、
その当時はね、やっぱりね、
すごく私ヨガやって成長したんですよ。
これはね、ヨーギーの時代も結構言ってることなんだけど、
私ね、結構人が全然違う。
まあまあ外から見たらそんなに変わんないのかもしれないけど、
だけど、結構私中身は全然自分変わってると思ってて、
で、だからね、大学の時って、
逃げの生き方だった。
逃げるまでは言わないけど、
なんかね、大学も受験とかじゃなくって、
推薦で行けるぐらいの、
推薦でやったら受験しなくていいから、
あのちょっと低めの大学でいいわ、
みたいなね、
っていう、
逃げたような。
要領が良いというか。
うーん、
よく言えば。
で、
大学まだ4年間やった。
ちなみにその時はヨガはやってないってことですよね。
まだやってないです。
ヨガはまだ来てないです。
ヨガをやる前の陽子藤原ってことですね。
そうですね、その時は藤原陽子でした。
まだ藤原陽子の時ね。
で、
で、
大学その4年終わって就職になりますと、
どうするかって言った時に、
またやっぱりそこダサン的なんですよ。
で、建築業界って、
当時はだから、
私のバイブルがもう終わって、
で、
で、
建築業界って厳しいんですよ、あそこって。
最初下積みがすごく多くて、
なかなかもう目が出ないっていうかさ、
で、
休みも安くて、長く働いてみたいな。
しかも、
その当時まだ、
女性のポジションっていうのもね、
建築業界がどうだったのか分からないですけど、
厳しそうな話ですけど。
ね、
あの時はでも女性そんで気にならなかったんだけど、
私自身は。
でも、
そんなのも色々思ってて、
どうしようかなと思った時に、
留学しようかなとか、
いろいろそんなことも考えてて、
最終的に思ったのが、
その時にやっぱりコンピューターもちょうど出始めのところで、
ですよね、大学の時に。
で、私たちのコンピューターで、
プログラミングのクラスっていうのがあったんですよ。
それなんかプログラミングのクラスって、
今ほどかっこいいやつじゃないと思うんだけど、
で、
黒い画面にね、
こういってなんかイフ、
漢語なんとかしてなんとか、
でもあれ結構私、
ロジックがすごい好きな人だから、
ロジカルな人だから、
ああいうのって、
18:01
ヒントくるんですよ、ああいうのとか来て。
で、これ面白いな、
面白いとは思わなかったけど、
これ私できるなって思った。
結構自信があって、
できるなと思ったから、
建築はちょっと厳しいかな、
長い道のりと思って、
またダサン的に、
で、就職のなんか面接とか行ったら、
受かって、
じゃっつってそこに入ったっていう。
ああ、
プログラムの学校行くとかじゃなくて、
いきなり就職でそのポジションがあって、
そう。
私やりますみたいな感じで、
そこでやっぱり研修させてもらって、
終えて、
ああ、
それはソフトウェアエンジニアとしての
ポジションだった。
そうですね。
それ一回転職して、
その会社で、
でもその会社では、
次の会社行ったときは、
当時結構、
私が英語がしゃべれるっていうので、
結構、
英語ができるからっていうので、
うまく使ってもらって、
うちの上司が出張するときとかに、
一応プログラマーだから、
プログラマーのノウハウは分かってたじゃないですか、
こうやって作らなきゃいけない、
中身が分かってて、
英語も分かるから、
いろいろミーティングのとき、
こういうのが欲しいとか、
ああいうのが欲しいっていうのが、
私が英語でやった、
通訳もやらされた、
やらせてもらったっていう、
そんなのが、
最後の会社、
日本でやった会社で。
海外出張とかも結構あったってことですか?
海外出張も結構してましたね、
そのときは。
かっこいいなあ。
終わりキャリアウーマンじゃないですか。
そうなんだ。
いやあ、
全然バリバリ。
話戻すと、
幼少期のときとかって、
なんか夢みたいなのあったんですか?
私ね、
幼少期のときはね、
動物、
こんなこと言ったらおかしいコミもあるけど、
動物すごい好きで、
犬すごい好きで、
大きくなったら犬になりたいって思ってたけど、
そういう夢があった。
今は猫ですけどね。
今は猫か。
今ね、画面に猫ちゃんが可愛くて、
気になってるんですけどね。
お昼に入っちゃった。
寝てるけど。
そうなんだ。
その英語を使いたいなという気持ちはずっと持ちつつ、
プログラマーになって、
一旦それを、
辞めたわけですよね、
その会社を。
そこ大切なところが、
実は入ったには入ってやってたんだけど、
会社もすっごいたんですよ。
上司とかも働いてる仲間とかも、
すっごいみんな仲良くて、
すっごい楽しかった。
会社好きだったんだけど、
実はプログラミングあまり好きじゃなくて、
こんなこと言ったらおかしい。
あんまりやってない。
だからもう通訳で連れてかれる方が嬉しかった。
21:02
なるほどね。
そう。
プログラマーはもう、
どっかでも辞めたいっていうのも、
正直言ったら多分そうだったのかもしれない。
これやっててもなーっていうのもあったけど、
なんとなくね、
これ言うとヨガと比べて言うと、
やっぱりプログラミングとか、
コンピューターすごい好きな人ってやっぱりいるの。
あの人たちは仕事じゃなくて、
でしょ、
雑誌とか買ってきて、
最新の何とかがとかやってるのを見てて、
そういうの見てて、
全然ついていけないとか思って、
全然私も今のままで止まっていたいのに、
みたいな、
っていう私が、
ヨガで今感じていることと、
同じようなことをやっている人がいて、
やっぱりそういう目で見ても、
やれって言われた、
今目の前にあることはできるかもしれないけど、
やっぱり私は、
この世界では通用しないなっていうのは、
自分でちゃんと分かってた。
分かってたところがあって、
これいつまでやるんだろうなっていうのはありながらも、
でも、
会社の仲間たちがすごい好きだったから、
だから辞めるとも言いたくないし、
なんかもう、
自分の中の葛藤、
この人たちと一緒に仕事したいけど、
でもプログラミングはない、
みたいなこう、
出会った時に、
ハワイに引っ越しますよっていうことになって、
じゃあこれだったらもうしょうがないよねって言って、
心置きなく、
辞めますって辞めてきたんです。
それハワイに引っ越しますよは、
どういう理由なんですか?
そう、で、それなんですけど、
で、そのちょっと坂を登ると、
坂を登ると、
ハワイアンドロックカフェの時、
まあまあそこら辺でも、
いろいろ外国人の人がいたじゃないですか、
で、そこで、
前の、
結婚したんですけど、
そこで旦那になる人と出会ってるんですね、
で、その人と結婚していって、
そう、
で、結婚して、
そこから、
その人がハワイで仕事が決まったんで、
仕事にこっちに来るってことになったんで、
来た。
ヨガをやったのは、
ちなみにヨガを入れていくと、
あの、
2社目ですね、転職して、
今すっごい楽しいって言ってるような仲間たちがいる
ところの会社のところで、
ヨガを始めて、
で、ヨガすげえ面白いけど、
でも、
そこで私だから、
日本とかでも育成いろんなとこあるの、
なんかもっと勉強したかったら、
やっぱり育成ぐらいしかないんですよ、
あの、
指導者育成みたいなところしか、
その当時、
やっぱり20年ぐらい前って、
仕事も辞めて、
ハワイに引っ越して、
何にしようかな、
ヨガしようって言って、
ここに引っ越して、
インストラクター育成に入って、
自分がなったって話。
なるほど、
今までの話聞いてると、
ずっとハッピーな、
もちろんね、
お母様をなくされてるってのはあるんですけど、
24:01
学校だったり、
ハードロックカフェの仕事だったり、
あとその後の就職、
仕事環境とかが、
すげー楽しそうな、
あの、
話が続いてたんですけど、
なんかね、
イメージ的には、
なんか挫折だったり、
仕事が苦しくて、
メンタル的にちょっと、
弱ってヨガを始めてみました、
みたいな話が、
スムーズな感じするんですけど、
そういうわけではないってことですね。
全然期待外れで。
いや、
期待外れというか、
僕の偏見かな、
なんかそういうのがあるんですけど。
あー、
ないですね。
ずっとハッピーというか、
なんていうか、
環境的にはずっと楽しかったって感じなんですね。
いや、
どうだろうな、
いや、そう、
これはね、
例えば一つ、
母の話からすると、
母の話からすると、
ある意味、
あのね、
私ね、
嫌な記憶を抹消する能力が多分、
高いんだと思う、
っていうのがあって、
いや、ほんとこれ、
これ冗談みたいに聞こえるけど、
子供の頃に母亡くしたじゃないですか、
ほんとね、
ここ10年ぐらいまでね、
ちょっと記憶喪失だったの、
その母のことに関して、
なんかね、
思い出しても辛いだけだからって、
埋めといたんですよ、ずっと。
で、なんかこれ、
昔の思い出箱の箱じゃないけど、
そこに入ってるじゃないですか、
でもこれ開けて、
どうせお母さん帰ってこないのか、
開けたって悲しいだから開かない、
つってこうやってずっとやってたんですね。
だからある意味、
記憶を封じ込めてるっていうところがあって、
その記憶に触れないようにしてたみたいな。
そう、で、
10年ぐらい前に、
ほら、
日本とかだと精神科に会いに行くとか、
頭おかしい人みたいな感じがあるかもしれないけど、
こっちって普通にセラピストとか会いに行ったりとかするじゃないですか、
私もそれでね、
10年ちょっとぐらい、
何年か前ぐらいに、
それでちょっとなんかやっぱり自分の中で変化があったりとかして、
で、会いに行ったりとか話してた時に、
これ開いてもいいんだっていうのにやっと気づいて、
で、なんかこう開いて、
いろんなこと思い出したりとかして、
で、なんかすごい母、
それまでだから私ね、
そういう話をして、
こう普通にね、
三つさんとかでもこうやってインタビューとかでも、
母が子供の頃亡くなってって、
うって涙ぐんだりとかしちゃうような感じだったの。
それまではやっぱりこう、
すごい晴れ物に触るじゃないけど、
でも開いたら、
あ、そんなになんか、
あ、すごい楽しい思い出たくさんあったじゃんっていうのを思い出したから、
だから、
なんか痛いものじゃなくなった、その経験が。
っていうのがあるから、
だから、
そういうのも自分の中で分かってて、
自分どうなんだろう、
27:01
つらい経験もあったことはあるんだろうけど、
あんまりそれを何度も何度もこじくだして、
こう思い出さないから、
あんまりこう、
何々がありました、
人生のこう経緯があった時に、
あんまりそこが突き出てない感じなのかな、
思いましたら。
今、話を聞いていたら、
その楽しい環境がずっとあったんではなくて、
それは陽子さんが楽しい環境をしてたんだ、
ということに今気づいたというか、
だから、
なんて言うんだろう、
その捉え方ですよね、
だって、
最悪って思うか、
この会社最高って思うかって、
同じ場所に行ってもね、
違うふうに感じる人がいるわけで、
それをずっと楽しいって感じて、
感じられたってことなのか、
陽子さんは。
うーん。
そうなんですかね。
なんかね、
自分でこれを話してて、
なんか私頭悪いから、
なんか痛いこと考えられない子みたいな。
いやいや、
そんなつらいこと考えなくていいんだけど。
それなりの凹むこととかもいる。
もちろん私は、
旦那の前の話だけは旦那の話もあるけど、
やっぱり離婚したりとかもしてるし、
そういうのとかもなんだろう、
前の旦那はもう外人だし、
日本語分かんないから、
たぶん、
ここで陰口じゃないけど言っても
変わらないから、
分かんないから、
やっぱり10年実は結婚したんですよ、
私その人と。
10年付き合って。
10年結婚したんですよ。
でもね、
こんなこと言ったらね、
聞いてる皆さんには、
えーって思われるかもしれないけど、
私ね、
正直ね、
全部終わって、
離婚でも全部終わって思うのは、
私ね、
最初から好きじゃなかったなと思う。
だけど、
なんかね、
人がすごい変わったっていうのもあるんだけど、
でもなんかね、
いろんな意味で、
子供の頃から母が亡くなったりとか、
ことがたぶん一番最初の経験から
いろんなことが人生の中で起こってる時に、
結構ね、
自分の責任だって思ってるとこがある。
なんか、
私があれだったから、
私がっていう、
勝手にかわいそうな陽子ちゃんを演じるのが
すごく好きだったのね。
演じるの大好きで、
それで、
私全然しかも泣き虫陽子ちゃんだったのね。
だから、
みんなが何か言った時に、
涙流すと、
陽子ちゃん今傷ついてるからって、
みんなが大人とかがこうやって、
優しくしてくれるじゃん。
それが私の武器だったの、昔は。
そう。
マジですか。
今だと想像できない退職の位置な気がするけど。
そうで、
前の旦那と結婚してて、
最初から好きじゃないかったっていうのも、
それなりの好きはあったんだろうけど、
だけど、
この結婚がうまくいかないのは、
私のせいだと思って、
一生懸命自分をこう、
30:01
頑張って頑張ってって、
自分を一生懸命立たせて、
振り立たせてっていうか、
その結婚生活を続けて、
最後の最後には無理。
ヨガやって、
最後の最後はインドまで行って、
ヨガやって、
そこで、
やっぱりもう吹っ切れたっていうか。
頑張って続けることじゃないっていう。
自分にもう嘘つけなくなっちゃったっていう感じ。
あー。
なるほどなー。
おー、なんかちょっと。
ねー。
変わる前の私っていうね、
さっき言葉に出てたけど、
それは変えたのはヨガなんですか?
やっぱりヨゴさんを変えたのは。
ヨガですね。確実にヨガです。
あー、そうですか。
いや、それが大変だからね、
最初のヨガの練習の話に戻ると、
やっぱりね、
マインドってすごい関係。
マインドと体ってやっぱり絶対つながってるから。
うんうんうん。
で、あとね、
人間ってこう、癖ってあるじゃないですか。
習慣みたいな。
うん、習慣もそうだけど、
癖っていうのも、
例えば、
ヨガやってて、
あるポーズができないと。
で、生徒さんによっては、
なんか悲しくなっちゃう人、
やっぱり私できないって悲しくなっちゃう人もいるし、
なんでできないの?って怒り出す人もいるし、
なんか、なんで先生やって教えてくれないの?
じゃないけど、
とか、なんかもう何もいずれも黙々に、
もう10回でも20回でも、
もうできるまでやるみたいな、
もう一生懸命やる人もいるしっていうのって、
これって、
癖ってどういうことかっていうと、
人生の生活の中でも一緒なんですよ。
だから、仕事しててもできなかった時に、
やっぱり私ダメだって諦める人と、
もうできるまで何度も何度もやる人もいるし、
あるいはできないことに腹を立てる人とかって、
いるじゃないですか。
ああいうのって、
仕事してても人間関係でもヨガやっても
同じなんですよ。
癖だから、パターンだから。
で、それをヨガマットの上で練習してると、
私もだから、
イラッとくるじゃないですか。
イラッとくるじゃないですかって言って、
私がなったときに練習してる。
で、なんでできないんだろうとか、
あとできなくなって、
私がうるーとか悲しくなった時に
自分とか見て、
え、なんで私今ここで泣くとこなんだろうとか、
っていうのを冷静に外から見れるようになるじゃないですか。
ああ。
そうすると、自分の毎日の生活の中でも、
あ、私同じことしてるわっていうのに、
こう気づいていくんですよ。
はいはいはいはい。
で、じゃあどうするかって言ったら、
ヨガマットの上でやってることを変えると、
生活も変わっていくんですよ、これ。
これね、面白いの。
本当に面白いの、この心理って。
はあ。
いやだから、なんかよくある言葉ですけどね。
言葉を変えたら何とか変わるとか、
何とかが変わったら何とかが変わるみたいなやつですよね。
そうそうそう。
言葉を変えたら、考えを変えたらとかでしょ。
ああ。
いや、私だからその時に、
やっぱりこのハワイで出会ったすごくいい先生がいて、
で、その先生がね、
33:01
一つね、すごい、
私がね、もう、
まさにこの泣き虫ヨーコちゃんが抜けた瞬間がある、
ストーリーがあって、
これもうね、笑えるからね、
もう本当是非、笑ってもらいたいのが。
で、もうこれ離婚した後なんだけど、
まあその後にね、
ある人と付き合ってた彼氏がいたんだけど、
その人と別れることになったと、
別れすることになって、
で、私もね、
で、まあその時もまだちょっとなんか、
かわいそう泣き虫ヨーコちゃん、
かわいそう演じるヨーコちゃんがいて、
悲劇の人に好きなヨーコちゃんがいて、
で、まあそのヨガ練習するじゃないですか、
毎日こう練習が終わった後に、
シャバーサナってこうね、
あの仰向けになってね、
こうお休みする時間があって、
で、こう涙が出てくると、
それを毎日やるとね、
そうすると私の先生が、
あのね、慰めてくれるんですよ、
優しいから、
優しくて、大丈夫?ってこうやってね、
話聞いてくれたりとかしてね、
それをね、しつこいからね、
1ヶ月ぐらい、1ヶ月は多分やったと思うな、
毎日ほぼやってた。
しつこいよね、自分でもね、
もうね、毎日やってるから、
やってることだから、
なんかね、どこで止めていいのかわからないし、
向こうも毎日慰めてくれるから、
どうかなーみたいなところに
ちょっと自分でこう感じきて、
ちょっと私これしつこいかなって
自分で思い始めた時に、
その先生と仲良くお友達もあったから、
そろそろしつこい、
もうそろそろしつこいよねって言ったら、
そろそろ言おうと思ってた。
言われた時にぐっさーって来て、
あ、やっべ、この悲劇の広い演じてるの
バレてると思ったら、
なんかそれから、
それが起こったら、
なんかね、下手なドラマ見てるのと同じで、
演技の下手なさ、
もう見てらんないじゃん、
もう嘘泣きやめてくんない、
見てらんないじゃん、
もうチャンネル変えたくなっちゃうやつ、
もうあの状態になっちゃって、
その一見があってから、
また何かがあった時に、
いやーもう悲しいと思って、
涙いつも通りに、もう癖だから、
もうなんか悲しいと思って、
うるうるーとか言って泣いて、
泣いてるしとか言って、
自分で泣いてる自分に笑えてきちゃって、
それから、
たぶんね、
自分の中で、
どんこちゃんになっちゃって、
映画とかで、
みんなが感動する映画の中で、
みんな泣いてるのに、
やっべー、
私一人泣けねーと思って、
どうしようとか思うような、
それは逆に、
泣いてる自分がおかしくなっちゃうから、
泣けないと、
泣いてる自分見ると、
また演じちゃってみたいな、
なんかね、
外から、
浮かんないと、
私じゃやめときなよ、
って言う、
泣いた瞬間に冷静になっちゃう。
【田中】違う言い方にすると、
冷めてたみたいな感じなんですかね。
【森】冷めてたの……
冷めてた気はないんだけど、
たぶんその、
36:01
【田中】客観的に自分を見ちゃってたんですね。
【森】そう、客観的に見てて、
客観的な自分が、
演じてる自分、
本当に悲しい涙とかで出してるかもしれないけど、
もしれないんだけど泣くっていう行為が やっちゃってっていうのがあれはもう
なんかねー あれはすごい衝撃の一事件ですよ私の人生の中で面白いなぁ
それ 今でも私あんまり泣かないんですよ
はぁ もうそこで泣き虫横ちゃんはもうどっか行っちゃったんだ
どっか行っちゃったんですよ泣き虫横ちゃん出番なくなってきちゃってもう そう
どこ行ったんですかね 役を下ろされちゃってるんですよ
だからダメ あんたダメって もうバレてるし
どうですか いやー面白いエピソードばかりで止まんないんですけど
ちょっと次そろそろ次のセクションに入っていきたいんですが まだ大丈夫ですか
大丈夫です じゃあねちょっと今から仕事の掘り下げをしていきたいと思います
はい いや面白くてずっと聞きたいみたいな
面白いよね 面白いっていう 話し方が多分面白いんでしょうね
さすがだからその先生っていうのもあるんだろうな そうねそうね飽きないと思いますよ
横さんの講義とかがあったとしても いやー何から話せばいいんだこれ
なんかなんだろうな私もすごいお話を聞いてて気がついたのは
どこに行ってもすごい良い仲間と巡り合えたとか 良い経験ができたとか
そういうことを基本的にお話しされてるじゃないですか
でもちろんいろんなことがあるはずなんだけど そういう思い出をピックできるっていうのは
多分自分でそういうふうに無意識ながら 良いことをちゃんと記憶に残そうとしてるんだろうなと思うんですよね
ねそうだからね 話にも出てて僕もねだからそのなんか人生ずっと上々なような印象をやっぱりそこで受けて
そういう質問の仕方になったんですけど 実はねこのインタビューの後に
陽子さんがアップしてる youtube の 予議への道の
39:01
中でね辛い時の話だったかななんかそんなようなタイトルでね話をされていて その
まあお母さんのね亡くなった話とかその辺の話そしてインタビューを受けた後の 陽子さんの感情みたいな話をしてらっしゃってね
それはそれでまた 僕もねなんか言葉を選ぶわけじゃないんだけどなんかいろんなこう
印象的にはそう受けたんだけどまぁあの確実に辛かっただろうし あのそれをだからなんていうのかな
あの人が変わったって陽子さんおっしゃってましたが表に出さないっていうのは なるほどね
なんかやっぱそこは こうそういうふうに選択してるんだろうなという部分もなんか感じますけどねその人に
そういう話したってさ よりもさ明るい楽しい話のがやっぱり
まあいいというかねエネルギーが そっちの多いと思うから
なんか言ってること伝わってるかわかんないけど あのねすごくわかりますすごい私そのね一所をピックして一所を話そうとしている
すごい良いなと思っていて人によってはすごいネガティブな人って とにかく悪いところばっかりをピックアップするから
上げ足取るみたいなね悪いとこ探しちゃうみたいなね 多分ね無意識かもしれないけどその人の記憶の中にもそれが残ってて
でもそういう人ってどこに行ってもそういうふうな記憶しか残らないんですよ その反面このヨコさんみたいなもしかしたらね隠してるって部分あるかもしれないけど
だとしてもいいところを残してるっていう人ってこう人に話しててこういう風に話聞いててもなんかすごいこっちがいい気分になる
ねエネルギーもらえるよね そうそうそうすごい素敵だなと思う
ね本当に あとそのヨガが私を変えたって言ってた話の延長で
そのマインドと体をつながっていて その癖が人にはあってそれが結局だからヨガのマットの上でやることを変えることによってもう生活が変わって人生が変わってくるみたいな話
それがねだから一見なんかよくある話のようなんだけどめちゃくちゃ深いなぁと思って それを聞いてさその毎日3、4時間ヨガの
瞑想したり練習をストイックにしているっていうのは 人生の達人のような
境地だよねっていうか
修行僧みたいなことをしてる そうそうそうそう
それは
42:02
もうなんていうかね
達人だよねやっぱり うん
ストイックだなーって感じ受けますね
まああとハードロックカフェで働いてたってのはなんか今の印象とちょっと違うけど 今のイメージと
なかなか面白いお話でしたけどね 確かに
ね
いやー それでそれで次回はどんな話ですもうね奥深いんですけどまぁ次回がまたさらに
その仕事の 哲学ですね仕事を掘り下げ
そして僕が聞きたかった ヨガとビジネス金儲けってちょっと対局にあるような気がするんですけどその
辺のお話とかね ちょっと奥深く突っ込んだ話を
ちょっとセンシティブな話になりますけど聞いております 楽しみにしております
リアルアメリカ情報 よっ
このコーナーでは最新のビジネス生活情報をアメリカロサンゼルスよりお届けしてまいります 今回はお引っ越しシリーズ第2弾私お引っ越ししました
どんな感じだったかお届けします はい前回はね前編ということでクレジットスコアのお話でしたけど
今回はどんなお話ですか 今回は中編ということでさあアメリカでお引っ越しするぞってなった時にまずどうするか
どうするか 家を探すわけですよね
あの日本の場合はですね 例えばそのなんていうのかなアパートメント探し会社
不動産屋じゃないの普通に そうなのよそうでした不動産屋さんがあってその地域の不動産屋さんで見たりとか
多分ウェブサイトとかで見たりとか あれじゃないなんかスーモとかああいうのじゃないの
多分そういうのだと思いますねでこうやって見て問い合わせてっていう風に まあ俺もでも日本に行った時は不動産会社に紹介してもらったね
まあもちろんネットがなかったからなんだけど そうかそうか今はそういういろんなサービスがあると思うんですけど
あるだろうね こっちにもそういうのがありまして
アメリカにねまあアメリカの方が断然発達しているイメージはあるけど って思うじゃない
45:05
はい 発達はしてるんですけどもですよ
今回使ったのはZEROと
アパートメント.コムと
ホットパッズというこの3つのサービスを使いましたと なるほど
まあスーモみたいな感じですね 物件が紹介されてて
そうそう 検索できる こういう条件でこれぐらいの金額で今開いてて
最初にパッと見た時に住みたい地域とか金額とかサイズ感とかで すごい量出てきたわけですよ
空き状況もいっぱいあって なんだ簡単に探せんじゃんみたいな
はいはいはい で多分10個ぐらい
ここのところボタンを押すと連絡をするみたいなボタンがあるので
このボタンを押すと簡単にそのサービスから そのアパートメントの管理組合とか
アパートメント自体とかに連絡がつくっていうので ポンポンポンポンって何個もボタンを押して
内検しに行きたいですみたいな 送りましたと
一件も返ってこない 返事が?
まったく マジ?なんでそれ?
なんじゃこりゃと思って え?と思ったんですけど
それでなんかちょっと間違いかなと思って また何回も送ったわけですよ
それは何? イメールアドレスとか出るとかじゃなくて
そのサイトのアプリを通して向こうの連絡先は出ないけど フォームに書くと向こうに届くよっていう感じのものなの?
そう その校舎の漢字が多くて サービス内のフォームから連絡がすぐ
登録してある自分の情報がすぐみたいな漢字のやつをやっても まったく連絡がなくて落とし方もなくて
なのでそこに載ってるイメールとか電話とかを調べたんですよ
調べる?
そうね 載ってたりとか載ってなかったりとか 別のところから調べたりとかして
電話しても全然出ない
どういうことだよ
電話にも出ないし メールも返ってこないし 本当多分15件ぐらい出ましたと思うんだけど
まったく落とし方なくて なんじゃこりゃと思って もうかけまくったらやっとたまに出るみたいな
で これで見たんだけど この家内勤行きたいんだけど 開いてないよ じゃあねとか言われるんですよ
要するにそういうところに載ってる情報は正しいものもあるけど
めっちゃ古い情報がそのまま載ってるパターンがあるということなんですよ
それちなみに有料のサービスなの?
多分ね どっちもあると思いますよ
48:01
有料でも無料でも多分投稿できるやつで
じゃあ前に載ってたやつがそのままになっちゃってるのね
そう なってたり なのか更新されてるって書いてあるのに
前日 何年間前に更新とか書いてあっても 電話したら え?とか 開いてないよとか
すごい素敵なところとか いっぱいあったから 一生懸命連絡してたんですけど
全然本当に連絡が返ってこないわけですよ
出た アメリカと
マーケットのバランスがそういう状況だからってことなのかな
で 思って友達に聞いたら そんなもんだよ 全然基本返ってこないって言われて
で 2週間後とかに たまにポロッと返ってきたりするよとか言われたんですよ
要するにですね このアメリカの社会は日本の社会のようにちゃんとしていませんで
そんなちゃんと電話に出てくれたりとか 対応してくれたりとかっていうのが少ないわけです
ということで ここで方法を変えました
なるほど
アメリカっぽく 行く
開いてなくてもとにかく行って 鍵があった瞬間に中に入って聞くみたいな
それはでもリースとかしてるよとか 看板は出てなくても
出てなくてもなんか出てとうだったりとか
うん そう そう もうとりあえず行ってみる
はいはいはい
で すごいオシャレなところの オシャレな写真で新しいようなマンションがあったから
ここの部屋に住みたいと思って ここの管理事務所のところまで行って
住人が出てきたから その間にちょっと入れてって そこの管理事務所のところに行って
ドドーンってやったわけです
そしたら女の人が どうしたの?みたいな感じで
すごい 電話ずーっと鳴ってても気にしないみたいな感じです
対応は良かったんですけど
え なんかここのところすごい空いてるって 空き状況がいっぱいあるっていうふうに書いてあるんだけどみたいな
あ うん えっとね それウェイティングリストだから名前入れとくとか言われて
へー
待ち ウェイティングリストっていうのは何て言うのかな
順番待ち?
なので 入れとってって言ったら じゃあ64番目ねって言われて
はい
ちょっと待って どういうことですか?
何年待ちそれ
何年待ちとかって言うのとか
あと行ったら OK OK じゃああなたの情報ちょうだいとか言われて
大体収入どれくらいかなとか言われて こう言ったら
あーダメだねって言われて
え 足りないのかなと思ったら
あ ちょっと高すぎるって言われて
私全然別にすごい稼いでるわけじゃないのに
そこは実は低所得者向けの人しか入れない場所
ダスタとかね
そういうの何にも情報載せてくれないのよ オンライン
早く先に書いとけよみたいな
先に書いてって
51:00
それで他のところも何件も電話しても出ないから
物撃で行って空いてるみたいなのとか
空いてなくても中にちょっとこそって入って
ここの雰囲気見て うん ここは違うなとか
なるほどね
で すごいいいなと思ってたところに
電話を何回もしても出なかったんだけど
留守電残してくれって言われて
まあ帰ってこないだろうなと思ったけど
一応留守電を残したわけですよ
そしたらたまたま次の日に折り返しがあって
ちょうど部屋が空いてるんだけど明日見に来るって言われて
OK 明日朝一で行くって言って
朝一で行ったところが
結局住むことになる場所なんですよ
すごいすごい
本当にラッキーでタイミングがあって
タイミングだね
向こうの人も仕事のやる気がたまたまあった時で
みたいな状況が重なって
でもここしかないって言って
すぐ申請書
アプリケーションを出すわけなんですけど
その時に前回話したクレジットスコアとか
今までの住所とか過去2ヶ月分の給与明細
収入働いてる場所とかいろいろ書いて出すと
というような感じになりました
そんな大変だったかな
おじさんの今のお家どうやって探しました?
でも俺はねあれなのよね
妻がほぼ決定権を持っていたので
妻の方がそういうの得意というか好きだったんだよね
家を払拭するのがね
その時使ってたのはウエストサイドレンタルズっていうウェブサイトで
有料で確か60ドルとか払うと
何日間だったっけな
2ヶ月とかは有料プランで使えて見放題で
連絡先も書いてある
無料の場合は連絡先書いてなくて
さっきみたいなフォームを通してしか連絡ができないから
直で連絡がついて何件か見に行って
普通に楽しかったけどね見に行くのが
アップを取るとこまでも多分妻がやってたから
俺は別に彼女が選んだところを
行こうかって一緒に行って
僕の条件はガレージがついてるってことだった
それはクリアして
妻はキッチンがこうじゃないと嫌だとか
全部そこのクオリファイ
お互いの条件があるところだけをピックしてアップ取って
苦労してたというか楽しんでやってた記憶があるけどね
54:00
素晴らしい奥様ですね
確かに一番最初に俺アメリカ来たときは
歩いてノックして探した記憶はあるね
ここに住みたいと思って
人海戦術でね
確かに確かに
特にあれかもしれないですね今の時期がちょうど
コロナが落ち着いてきてみんなすごい引っ越す時期って
だから売り手市場じゃなくて
売り手市場か
向こうの方が立場上になっちゃってるのかもしれないね今は
そうかもですね
ちょっと前だったらねもう入ってくださいみたいな
1ヶ月分無料にしますみたいな看板よく出てたけどね
特にコロナ始まった直後とかは
友達もねすごい安い価格でビバリーヒルズに
入ったりとかしてたのかな
そうかもですね
変わるよね
そうそう結構変わる
だいぶね
まあ良かったですね
気に入ったとこに住めたとね
そうですそうです
中編の話はそんな感じ
後編最後はどの話になるんだろう
どの話かな
だいたい話しちゃった気がするな
そうなんですか
とりあえずじゃあ今の状況を聞きましょうかね
どんな部屋なのかとかね
そうですね
ということでリアルアメリカ情報をお届けしました
次のコーナー質問
質問
陽子さんのお話にもあやかってなんですけど
アルバイト
ハードウォークカフェでバイトしてたって話だったんだけど
アルバイトの思い出って何かありますか
アルバイトは私は一番長くしていたのはパン屋さんですね
えー聞いたことあったっけ
どこの
行ってなかったかもですね
高校生から2年
山梨の
東京です
東京の
あそっか東京
高校はもう東京か
高校から東京なんですけど
パン屋さん朝のバイトなので朝5時ぐらいから
早いよね
でそこでパンの美味しさを知りずっとパンを食べ
かなり太ったんじゃないかな
あーパン屋さん太りそうだね
美味しい
57:00
日本のパン屋さんのパン美味しいもんな
フランスパンとかがパキパキって焼きたての弾けた音がした状態のものを
手に抱えて並べたりとかするわけです
はー
最高でしょ
それは朝のパンのいい匂いの中なんか気分が良さそうだね
そうそうそうとても
そしてみつさんは何のバイトをしてたんですか
俺はね一番最初焼肉屋の皿洗いで
あとはまあ居酒屋ですかね大阪に住んでた時は居酒屋ですねずっと
でも中部中の人でしたね
中の人なんだ
じゃあ作ってたんですか
作ってたというかもう言われたことをやってただけなので
作ってたという意識はないんですけど
このオーダーが入ったらこの袋に入っているものをここに入れてみたいな
そういうのとかねあと宴会場がある居酒屋みたいなのもあって
そこでなんか宴会の準備とかもねなんかサボりながらやってたな
えー
適当にやってました
体育会系というか体を動かす系?
めっちゃ仕事早いねとかってすげー褒められてさ
めちゃくちゃ適当なんだよもうすっごい早く終わらせたいから
ブワーって箸とかナプキンとかを
いっぱい100輪ぐらいの
わーそっか
並べるんだけどさ
めちゃくちゃ早いのをね適当にやるから
で外に出てタバコ吸って隠れてみたいな
そうだけど
なんかちょっと絵を思い出しましたね今
確かにバイトの話とかするといろいろ出てきますよね
いやーあとその居酒屋の時もさ厨房の中から
ゴキブリが張ってるのが見えたりして
それを中の人同士であやばいこれ今お客さんの方行っちゃうこれやばいやばいみたいな
そういう話とか面白かったけど
いやー
どうするどうするみたいな
上板に原地掛けにイカ刺してその間にパシッて殺すみたいな
そういうのもありますよね
居たじゃん絶対
絶対居た居た
私もカフェでバイトしてる時にネズミとか出てましたよ東京
どうしようもないもんねあれは
そうなんだよ
バレないようにさえどうやってこれをやるかっていうね
食べるのも知らないほうがいいしね
本当知らないほうがいいよね
知らないほうがほとんどいいもんね
1:00:01
そうそうだいだいまだ身分かんない
っていうね
面白いいいですね
バイト話はい
ということで本編でお届けした内容と
リアルメカ情報でお届けしたインフォメーションは
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ということで今週も聞いてくださってありがとうございました
ありがとうございます
また来週お会いしましょう
じゃあね