1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.54「不安から動かない」
2017-04-06 41:50

Vol.54「不安から動かない」

イデアトランスレーター、林ゆう子さんのインタビュー(1回目)。
会社員時代の仕事と全く違う分野で独立したゆう子さんが、
どんな風に経験を重ねていったか、
また「不安に目を向けるとどんどん大きく」なることから、
どう気持ちを前向きに切り替えたか、
などご自身の経験からお話してくださっています。

オープニングでは、1週間の東京滞在で気づいたことパート1です。


00:00
こんにちは、アキです。
今日も、パリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
さゆみさん、今日もどうぞよろしくお願いいたします。
お願いいたします。
先週もお話ししたんですけども、
ポッドキャスト配信1周年を記念して、
今後の方向性をこのリスナーの皆さんと考えていくために、
アンケートを募集しています。
このアンケートに答えてくださった方には、
音声をプレゼントすることになっています。
まだテーマは決まってないんですけど、
そのアンケートは数分で終わるので、
ぜひ皆さんの声を伺えたらと思います。
ということで、まずはお知らせからだったんですけども、
実は3月、日本に行ってまして、
そうですね、1週間。
いろんなことがありました。
どんなことが?聞きたいです。
いろんなことが。
なんていうのかな、ちょっとカルチャー的な話でね、
2、3週間前に、鼻をすする話をしたじゃないですか。
はい、覚えてますよ。
フランスでは鼻を噛むっていう、すする人がいなくて、
突然噛むの困るって話をしたと思うんですけど、
日本に行ったら、花粉症の真っ最中で、
周りがみんなすすってたんですよ。
噛む人はいなかったんですか?
ゼロですね。
そうなんですか。
少なくともパブリックの場所で、私が見た限りではゼロ。
私、なんかもうね、実は噛むのに慣れちゃって、
こちらのジビカのドクターも噛みなさいって言うので、
日本でもブーブー噛んでます。
だからね、びっくりされると思いますが、それ。
どうなんでしょうね。でも子どもたちも同じですよ。
ブーブー噛んでます。
だから、たぶんその感覚で、私もすごく不思議なんですよ。
フランスにいればいると、噛むっていうので、
あまりにも音が大きいからね、びっくりしちゃうっていうのはあるんだけど、
今度、日本に行ったら行ったで、
すするっていうのを、しばらく聞いてないじゃないですか。
ちょっと違和感がね、ありますよね。
もうね、一回耳に入っちゃうと、
もう気になってしょうがなくなる。
本当に花粉症がすごくひどかった時期なんですよ。
だから、もう電車の中、皆さんマスクしてるけれども、
もうその中でも、じゃんじゃんすすってるわけですね。
で、一人は、すすり方が普通ってぐらいで終わってくれればいいんだよね。
尋常じゃない。
尋常じゃない、すすったら噛んで、みたいな。
そう、本当にそういう方がいらっしゃった。
花の中の梅菌を出しましょうって感じですよね。
そうね。
だから、私はどちらにも属してないんだなっていうのがちょっと分かりましたね。
日本にいればいたで、違和感を感じ、
で、フランスにいたらいたで噛むっていうのもちょっと慣れないみたいな。
03:03
だからね、それはね、まず一つ。
あとね、カフェとか、完全な禁煙のところもあるんですけど、
基本、分煙してるけど分煙になってない。
煙が来ちゃうとか。
来ちゃう。
で、フランスは、完全にああいう、ほら、建物の中は全部禁煙になってるじゃないですか。
ダメですよね。
だから、外タバコの人がすごく多いから、あればあれで苦しいんですけど、
でも日本は、まだまだね、喫煙っていうものがこう、なんていうの。
ゆるいですか。
ゆるい。ゆるいし、ガラス張り1枚でやってても、
私すごく敏感な人なので、すぐ分かっちゃうんですよ。
だから、喫煙室の近くに座っている禁煙でも、もうダメなんですよ。
漂ってきちゃうんですよね。
そうなんです。感じちゃうんですね。
で、結構、レストランとか行っても、普通に、
特にお酒が入るところは、普通に吸えるような環境なので、
当たり前にもうこんな感じなんだっていうのが、ちょっとびっくり。
フランスとはやっぱ違うんだなと思いました。
フランスもすごく喫煙者多いじゃないですか。
多いですよ。
だけど、一旦決めたら、もう早かったですよね。
一応ね、文句文句は言ってましたけどね。
だけど、今カフェに行くと、大体もうテラス席は喫煙者じゃないですか。
じゃないともう、そこしか場所がないのでね。
だからもう私、テラスほとんど座ることがなくなりました。
喫煙者ばっかりなので、煙もくもく。
本当にすごいからね。
だからそうなると、もう中に入った方が空気はクリーンですよね。
で、案外中の方が少ないんですよね、人がね。
特にお天気とか良くなると、みんなテラスに行きたがるし。
そうですね。
だからね、またちょっと次回の時も感じたことを話そうと思ってますけど、
この鼻を噛むってことと、この分煙のスペースに関しては、
あーやっぱちょっと違うなーっていう。
鼻の話題続きますね。
まだ匂い系ですよね、匂い。
匂いと鼻。
鼻系がちょっと続きますね。
ということで、また次回ちょっと気づいたことをお話してきたらなと思います。
それでは本編スタートです。
はい、それでは今回は毎月恒例のインタビューなんですけれども、
今回はイデアトランスレーターの林優子さんという方にお話を伺ってきました。
このイデアトランスレーターって何?っていう、
意味も最初わからなかったんですけど、
ご本人の口から後から聞けるので、ぜひ聞いていただきたいんですが、
林優子さんは、私もほんと5、6年以上かな、ずっと知ってる方なんですけど、
06:06
本当に面白い方で、話をぜひ聞きたいっていうか、皆さんに聞いてほしいと思って、
今回パリにいらっしゃった時にインタビューをお願いしました。
それでは1回目のインタビューを聞いてください。
ゲストをお迎えしています。
イデアトランスレーターの林優子さんです。
今日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
優子さん、今パリにいらっしゃって、ニューヨークからパリにいらっしゃったということなんですが、
ニューヨーク、パリって来て、ニューヨークとパリの違いってどんなふうに感じられました?
違います。一言で言うと、どうなのかしら、エネルギー感が違いますね、やっぱり。
なんなんだろう、でもパリの人とかオシャレだわ。
例えば何がオシャレなんでしょう?
普通の格好してる人がオシャレ。
それは何、男性とか女性問わず?
うん。
その年代も問わず?
うん。なんかね、何気ない格好がオシャレな感じがします。
例えばどういうところに出るんですか、そのオシャレ感が何気なさに。
色味のトーンとか小物の使い方とか、あと男性で綺麗な靴を履いてる方が多い気がするの。
あー、なるほど。その革靴とかそういう靴がっていうんですか。綺麗な靴っていうのは?
靴が綺麗。
磨いてあるっていう?
そういうのもあると思うんですけど、オシャレだわ。
オシャレな靴ってことなんだ。
そして、なんだろう、えっとね、視線が柔らかいっていうのかしらね。
視線。
なんかそんなような感じはいたします。色々と、そうではない。洗礼もいたくさん。
ね、ありますけどね。
ありますけどね。
視線が柔らかいってどういうイメージなんですか?
なんかね、特に男性がふわっと見てくださるっていうのも。
なるほどね。
なんか、ニューヨーク、別にほら、私がそういう対象になるわけじゃないから、
あれですけど、他の方に向ける眼差しとかを感じると、なんというのか、獲物を見るみたいな感じ。
鋭いんだ。
なんか、なんていうんだろう、慈しむっていうかね、そんな感覚とはちょっと違うかもなって、ちょっと思ったりした。
あるいは、だからその獲物って感じではないんだ、その眼差しが。
その話をね、富山さん、一緒にニューヨークから来たお友達ともしてたんですけども、
09:00
例えばレディファーストとかに言っても、こちらの男性の方、本当に女性を大事にしてどうぞっていうような声をかけてくださるような感じを受けるんですよね。
なるほどね。
なんか、やっぱりそういうの一つでも、欧米と一括に日本ではやってしまうけども、ちょっと違うんだなっていう気がしました。
それとも外観が違うじゃないですか、この無機質なビルディングと、
そうね、高い感じのビルのニューヨークと。
この歴史あふれるというか、街を歩いてても、本当に楽しいところですね。美しいですし。
久しぶりなんですよね、ゆう子さん。
30年ぶりです。
やっぱり変わってないんですか?
いや、変わってない。何て言うんでしょう、ほら、街が変わらないじゃないですか。
そうなんですよね。
だから、何かが大きく変わったかも私は全く分からないんですけども、
思い変わらず綺麗な、見ごたえのあるところだなと思いました。
なるほどね。
じゃあ満喫されてらっしゃるっていう。
歩いたわ。
いっぱい歩いてますよね。日本では歩かないような感じで歩いてませんか?
すごい歩いてます。日本でも歩く方ではあると思うんですけど、今回は本当歩いてます。
素晴らしい。健康にもいいですよね。
はい。
このまず、イデア・トランスレーターって、後でまた詳しくお聞きしたいんですけど、
一言で言えないかもしれませんが、敢えて簡単に言うと、何なんでしょう、これは。
イデアっていうのは、理想とかね、そういうものを指すキリシャ語かしらなんですけれども、
結局その方々って、この世の中に生まれてきた魂の目的っていうのがあると思うんです。
それに対して、それが何かのコンセプトで目的を果たせる人がいれば、もちろん果たせない人もいると思うんですけど、
そこに向かって成長していくっていうことが、生きていくってことなんじゃないのかなって思っているんですよ。
なるほど。
こういう話をすると、ちょっと怪しいとかスクリーチャルって呼ばれるかもしれませんけど、
私の目的は、人よりも少し先の未来をどうやら見てるらしいんですね。
最近それは気がついたことなんですけれども。
先ってどれくらいの先なんですか?
人によるのかもしれませんけど、大体見てると2,3年くらい先な感じ。
早い方だとそれが前倒しになったりとかするので、もう少し早くなるけれども、
そこを見ながら話をお聞きしたりすると、なぜそれで今悩んでるんだろうって思ったり、
いやいや、この人そうじゃなくてもっとこういう方向だよねっていうふうに思ったりすることが多いんですね。
12:08
やってみれば、その方の今の状態の最高最善をたくさん、未来って一つではないんですよ。
これだって決まってるわけではなくて、本当に可能性って無限に広がっているんです。
そこの中からその人の今の最高最善を読み取る感じなんですよね、エネルギーと。
まだここには現れてないものじゃないですか。
ですからその方にとっても意識上にも昇っていないし、
考えなんてとても考えつかないようなことなのかもしれないんですけど、
それを向こうの未来から読み取って、それを翻訳しているみたいな感じですかね。
こういうことですよって。
私はすごくですね、その方の今の現状とその未来のエネルギーを読んだ時の違和感を感じるんですよ。
違和感を読み取って、この違和感を埋めるためには何をしたらいいのかっていうふうなことをお伝えしたりするわけなんですね。
違和感はユウホさんの中では見た感じで、あるいは喋った感じでもうすぐ感じるものなんですか。
人による?相手の人によるってこと?
そうですね、たぶんですね、どう言えばいいんでしょうね、試してるわけではないですが、
稽古を見ますと、私が好きな人だったら見える感じがする。
どうでもいいと全く見えないっていうか。
やっぱりそのユウホさんの興味関心とかエネルギーを向けたい相手には、やっぱり違和感はすぐわかるっていう。
今のそういうお仕事っていうか、どれくらいやってらっしゃるんですか。
この名前をこだねっていうふうについたのは本当に僕最近なんですけれども、仕事的には多分無意識でそれをやっているんですよね。
今回ニューヨークからご一緒させていただいた津田井まゆみさんって、ニューヨークでボーギングのコンサートもされていらっしゃって、
そして最近はイメージコンサートをして活躍されていらっしゃるでしょ。
彼女のこととかもちょっとお話をしたときに、またこういうことを自分がしているとは気がつかなかったというか。
なんですけども、たぶんまゆみさんが今やっていることは、たぶんちょっと違っていて、私が見えているものをお伝えしたらいいかしらっていうふうにお話させていただいたのが、
15:05
おととしの夏前なんですよね。
年弱ってことですよね。
で、そこでお話をしたことをすぐにまゆみさんは受け入れられて、大体の方はあまり受け入れられないんですよ。私が見ているものを。
その違和感を。
を信じられないっていうんですよね。
あまりにも違いすぎるっていうか。
そう、そんなふうになれるわけないじゃないみたいなこととか。
で、でもまゆみさんはそうなんだって言ってすぐに応答されたんですよね。
で、そこからそのイメージコンサルの勉強しに大阪までニューヨークから通われて。
で、ガラッと変わりましたでしょ。
すごく、もともと素敵な方ですけど、さらに輪をかけて素敵に、本当に花開いていったっていうふうに感じるんですけどいかがですか。
うん、感じます感じます。全く変わっちゃいましたよね。
そういうウォーキングだけではなくて、そういうお仕事もスカイプなどを通じて全世界的にやってらっしゃいますでしょ。
本当にね、良かったなって思うんです。
そういうのはもう無意識で、自分の仕事っていう感覚じゃなくて、ゆう子さんの中ではずっとやってきてたという感じですか。
もちろん仕事でコンサルをする時にもそういう風にしてたんだと思うんですけど、根拠がないんですよね。
違和感だからね。
なぜそれなのって、なぜかわからないですけど、でもこうなんです。
でもその違和感は確信をすごくゆう子さんの中では持ってらっしゃってきている。
面白いですね。
だからそこに、なぜそうなのっていう風なのを求める方には向かないですけど、
ロジックとかそういうのを求める方には。
でも早く自分を変えていくというかね、もちろん自分は行動していっているんですけどもね、そういう感覚的な方には良いのかもしれない。
ゆう子さんは元々どんなイデアトランスレーターになるまでっていうか、元々はどういうことをされていったんですか。
大学卒業してからはすぐに外資系のコンピューターの会社のIPMって会社に15年くらいSE職で働いておりましたんですね。
中にいた時はSE職ではあったんですけれども、どちらかというと新規事業の開発ですとか、そういう仕事をずっとしてきたんですよ。
じゃあ本当にコンピューターに毎日向かってという感じですか。
そうですね、SEという中の何か書いてあるとかそういうのではなくて、企画を作っているので、今でも普通ですけどパワーポイント作ったりだとかいろんなことをしていましたけれども、
18:14
もちろんずっとコンピューターに向かっている生活でしたし、ただ他の同じ会社の人たちよりも変わったことをさせていただいていたと思います。
変わったことってどれくらいですか。
そうですね、例えば今日本とかだとローソンというコンビニの中にロッピーというチケットとかを発見できる機械があるんですね。
あれの前身が某コンビニさんであったんですね。それのシステムを作る画面の部分を作るチームに入ってたりとか、いろいろありましたよ。
IBMってパソコンは後発だったのよね、日本では。一般的なユーザー向けのパソコン教室の立ち上げだったりだとか、人事と組んで退職したSEさんをもう一回インストラクターとして雇用するプログラムを作ったりだとか、いろんなことをしました。
15年生まれですかね。
辞めまして。
何か辞めるきっかけはあったんですか。
話すとどうなのそれって思われると思うんですけど、昔ですね。
辞める2、3年前に、日本でもすごい有名な先生術の先生にたまたま見ていただく機会があったんですよ。
その先生が横浜市に辞めるんだったらここで辞めないとだよって言ってたのが、99年の4月だったかなとかなんです。
でもその時に何も辞めて何かする気も全くなかったので、えーそうですかってスルーだったんですよね。
その時仕事に対しては疑問を感じ始めて、そういうのはなくて。
全然。
普通に楽しく。
楽しく仕事してました。
しんどかったですけど、仕事がやだと思ったことないんですよ。
なるほど。
その後も全然別の政治家さんとか見てる企画の先生が。
全然別の方。
全く同じこと言われたんです。
えーって思ってましたけど、でも何かがすごいやりたいとかっていうのがあったわけじゃないのでスルーだったんです。
でもなぜかいろいろといろんなことがございまして、辞めるような運びになり。
それがもうそういうタイミングでそういう感じになって。
どうせ辞めるんだったら、みんなに言われてるこの99年の4月で辞めるかということになり、何をするとか決まってないように辞めてしまったわけですよ。
21:06
辞めるって思った時に、よこさんの気持ちの中では次決まってないし、なんとかなるさみたいな感じなのかちょっと不安になりながら辞めるんだから、どうにかなるか。
ちょっとねいろいろあって、とにかくもうまず辞めようみたいな感じでね。
まず辞めてしまおうと。
会社が嫌とかそういうのではないんですけども、もちろん不安もありましたよ。だって何していいかわかんないですし。
25年も働いた会社ですもんね。
ほらやりたいことがあるわけでもないじゃないですか。
お料理が好きだったから料理の勉強にでも行こうかなと思ってたんです。
ところが私が辞めるっていうのを聞いたある方が、自分が会社を作るからよかったら来ないかって話をしてくれたんですよ。
でもその方が会社を作るって言ったのはちょっと先だったのね。数ヶ月先で。
そうすると、例えば海外とかに行ったりすると、なんかね。
ちょっとハンパー。
それでまあじゃあ行くのはやめようって思って、じゃあどうしようかなと思ってて。
ちょっとですね、ボディワークにすごい興味があったんですよ。
それも趣味じゃないけど、興味っていう範囲で。
会社を辞める前に、あれご存知かした?オーラソーマンっていうね。
カラー…
ボトルに入ってるやつ。
あれをね、学んでて。
え、ヨコさんは?
そうなのよ。
ヨコさんいろいろやってらっしゃるのね。
まだね、日本には6人ぐらいしかティーチャーがいない時代だったんですけど、
走りも走りぐらいだったのね。
目つけるの結構早いですね。
早いんですよね。
その時に結構あちこちに呼ばれて、カウンセリングって言うんですか?
セラピーみたいな。
言ったりもしてたんです。
でもやはりあの当時っていうのはまだね、そういうものに間口が狭くて、
スプリチャンなんていう言葉が市民権をまだ持ってない時代でした。
そうですよね。ちょっと半分オカルト入ってるみたいな感じの時ですね。
怪しいものは全て宗教みたいなね。
そう、わかります。
そういう感じだったですから、それでちょっと分かりやすいボディとかそういうものをやってみた方がいいのかなって。
しかも私、一家の一代いたらいいよねっていう、
スッてやるとね、ポイントに手がすいついちゃうっていうの。
なんかこう後ろに立って私が肩をスッと。
そこに。
そこそこっていう風に。
一発で。
そうそう。
なんか変な特技がありまして、ちょっと面白そうだなと思って行ったのが最初リフレクソロジーだったんですよ。
それも結構走りじゃないけど。
そうなんですよ。
当時のことを考えたら。
そうなんですよ。そして、そのことで学んでる最中に、その会社を作るって言った方が、
24:01
ヘッドハンっていうのに会って他の会社に行っちゃうんです。
私が?みたいな。
でもね、それをクヨクヨしててもしょうがないじゃない。
だからもうすぐ切り替えて、じゃあ自分でやるかって思ったんです。
そのボディーワークを?
そうそう、リフレクソロジーを。
はいはいはい。
最初はクラス40人ぐらいいるのね。
そのクラスの中でちょうどその子に目を向けて、会社でも作ろうかなと思ったの。
なるほどね。一緒にね。
なんだけれども、ちょうどその時にIDバブルが弾けて、
そういうのできるベンチャーとかに入っていこうかなと思ったんですよ。
それがちょっとダメだなこれって思ったので、
すぐにこれ自分でやるしかない会社で切り替えたんです。
なるほど。
そうすると私、代々木公園の近くのマンションに住んでるんですけれども、
足立てでマンションの上に上がってこないなって思ったのね。
なるほど。
もちろんロベンテンとかを借りる資金なんかないから、
自分の自宅でするしかないからっていうところがベースなんですけれども、
それですぐにね、ハワイにロミロミを習いに行ったんです。
それも走りですね。
そうです。
それはね、何で偶然見つけたんですか?
その学校がたまたまロミロミの講座を始めたところだった。
その情報はどうやってキャッチしてたんですか?
たまたま?
たまたまなんですよ。
で、行きました。そして帰ってきました。
それどれくらいの期間だったんですか?
えっとね、もう電気集中みたいな。
もう一気にやってしまうっていう。
で、ああいうものって結局、皆さんほら多いと思うんですけども、
やって、習ったばっかりだからできないとかって教える方って多いじゃない?
だけども、やらなかったらいつまで経ったってPPじゃない?
新人はね、初心者ってずっと生きてもしょうがないし。
1分1秒早くやらなかったらいつまで経ったってPPじゃない?って思うわけですよ。
その通りですね。
なので帰ってきて、翌週から大体オープンしたらこれくらいの規格で撮るかなって半額を取って、
そしてモニターでそこだけは知り合いにお願いして、
どなたか紹介してくれない?っていうのを紹介していただいて、
で、その間に手順だとかね、問題だとかを全部潰していって。
そしてオープンっていうふうにしたんです。
その間ってどれくらい期間?
2ヶ月くらい。
2ヶ月で準備して。
でもですね、もちろん当時はまだネットが普及している時代ではございませんでしたし、
27:04
SNSはないし、ブログもありません。
一人一台とかになるかならないかぐらいの時代ですよね。
それでもまだネットのアナログとかそういう感じの時代ですよね。
はい、そんな時だったんですね。
ですからすぐにお客さんが来るとは全然思っていませんし、
来ないのは当然だと思っていたから、
もちろんその間は普通に友達の会社を手伝ったり、
私パソコンのインストラクターの資格も持っていて、
教えるというよりはインストラクターになる人を教えたりすることをしたり。
先生たちの先生みたいな。
そんなこともすることもあったりしていたので、
そういう専門学校で教えたりとかもしつつ、
結局そのベースの最低限のお金を得れるような状態を作っておいて、
プラスアルファの部分だと土日だとか夕日とかにその仕事をしていけば心は安定していますよね。
だからそんなすっごい稼がなきゃとか、
プレッシャーも。
じゃなくて、それは自分のコントロールですよね、不安のコントロール。
一人で仕事をしているので多分それがすごい大事だと思うんですけれども、
それをすぐにここまで稼がなきゃとか、
会社員の時と同じくらい稼げないとかって、
それやっていたら当たり前だと思う。
そうですよね。
そういうものを見るんじゃなくて、
少しでもこういう風なところがうまくいっているというところを見ながらやっていくしかないと思う。
それでもあの当時本当におかげさまでという話なんですけど、
全国どころか海外からもお客様が来てくださっていて、
それは口コミですか?それともやっていたんですか?
ホームページが手書きというのを手作りで、
当時のね、ああいう感じで作れるホームページ。
作っていたんですけれども、それを見て来てくださっていたんです。
それはロミロミとリフレクソロジーを混ぜた感じで色々やっていたということですか?
そうですよね。
そのうちだんだんとこうシフトしていくんです。
どういう風にシフト?
なんかもうリフレクソロジーってちまちまやってて面白くないからやめようとかね。
色々改善していくわけですね。有効。
違うものにオリジナル。
でも10年やりました。ボディの仕事はね。
だけど自分自身が手術をすることになって、
それがきっかけでやめなきゃいけなくなった。
その10年の間に完全にそっちの方、最初の方はイントラクターのイントラクターやってた時期から
完全にそっちだけでいたのか?
次の年には完全にシフトしてました。
10年のうち9年はほぼその仕事でずっとやってらっしゃったということなんだ。
それが手術というきっかけで
違う仕事に切り替える。
30:00
その時も結局そこそこ稼いでいたわけじゃないですか。
それを本当にゼロにしなきゃいけませんでしょ。
今からまた何するの?って。
その前の転職の時と同じ話ですよね。
どうするの?っていう話なんですけど。
でもね一つだけ決めたことがあって、
それは不安から絶対に動かないっていうことなんです。
動かないってどういう意味ですか?
不安だから何かを探しに行くとか、不安から決めるとかね。
そういうようなことを絶対しないようにしてたんです。
でもね不安はゼロにはなんないんです。
絶対にゼロにはなんないね。
だから昨日よりもちょっとマシだったらいい。
あの当時は本当に毎日散歩、読書、妄想を2ヶ月、3ヶ月近くしてたと思う。
その不安を、だからそのお散歩とか妄想とかやりながら、
ゼロにはならないけども、どうやってゆう子さんの中で意識的にされてたんですか?
まずですね、やっぱり一番はお金の不安でしょ?
貯金があるわけじゃなくて私キリギリス派だから。
それなりに稼いでたけど残ってなかったんだ。
だからどうだろうな、どうしようっていう不安に目を向けると
どんどん不安が大きくなっていっちゃいますよね。
だから不安があるのはわかってるけど、そこに目を向けるってことはしないようにしてましたね。
それに私すごい思うのは、綱渡りをしてるような感覚だと思う。
それって、綱を渡ってるとき、綱が渡ってるのは知ってるけど、
綱を意識したら怒っちゃうような気がする。
そう、下を見たらね、よくそう言いますよね。
だから渡った先を見てたら、
怖くないって言いますよ、確かに。
綱渡りはしたことないんですよ。
だけれども、同じで不安はある。
でも不安は見てしまったら怖くなって、動けなくなってしまうけれども、
不安じゃなくて、あるのは知ってるけど、その先にこうなりたいとかこうしたいとかっていうものを見て、
そこを見て今日できることをするっていう、そういう感じ?
なるほどね。
で、その先にゆう子さんは何を見てたんですか、当時。
次のステップについて。
本当にそういう意味では、何をしていいか分かんなかったからぼんやりでした。
ぼんやりだったけれども、
でも、ボディのときっていうのは1対1で関わりますでしょ。
だからそうではなくて、もっとたくさんの方と関われる、
そして自分の能力を余さず使うことができるような仕事で、
33:02
喜んでいただけるものをしてたらいいなっていう。
その自分の能力を余すことなくっていうのは、
ご自身の中でも認識されていらっしゃいました?
どんな能力かっていうと、全然です。
みんな多分そこが分からなくて、
それもプラスアルファで不安の要素になっていくっていう人も多いと思うんですけど、
ゆう子さんの中でどうやってそれらを。
なんかですね、私いつもあまり考えてないんです。
会社辞めるときもそうですし、
セラピストになってしまったときもそうですし。
ある意味その時の行き当たりばったりとは違うけど、
その時に起こったタイミングと、
そういう感じで動いてらっしゃるって感じですね。
そしてその時もですよ、結局どうなっていったかっていうと、
その時にたまたま入っていたビジネスの塾みたいなのの課題で、
昔、今でもあるのかしら、
フェイスブックとかのアプリってありますよ。
あれを簡単にシステムを作った人がいて、
一人一個アプリを作ろうみたいな。
イエスモードで答えていくと、
心理テストみたいな感じの。
そういうのを作って、
その受け皿にステップメールみたいな、
メールで来るみたいなものの仕組みを作るみたいなのがあって、
で、やったんですよ。
その時にやったのが、
引き寄せ温度診断とかっていうもので、
引き寄せられるかどうか。
あなたはそれはどうかしらっていう。
引き寄せの法則とかはありますけど、
アプローチはちょっと違ってたと思うんですけども、
それに対しての受け皿のメールを
21回分書いていった時に、
私こういうことが伝えたかったんだって。
書いててもね、
お尻が決まってるから、
もう書かなくちゃみたいな感じですよね。
書かされたっていう感じでした。
そして書いたものを見て、
こういうことが伝えたかったんだっていうのを思って、
そこから講習業に移っていくんです。
その伝えたかったことって何だって気づいたんですか?
あのですね、
自分で人生って選択できるよねって。
今嫌だと思ってても、
結局それあなたが選んでるのねっていう。
嫌なんだったら、あなたが変えればいいじゃない。
そうなんですよ、まさにおっしゃる通り。
それを気がついてもらって、
36:00
じゃあどうやって変えるかっていう、
思考をチェンジするやり方をそこで作っていって、
お伝えするようになったんです。
それをしながらしていく中で、
そこまで一人で仕事してるわけじゃないですか、
結構そこを普通に稼いでるので、
そういう一人で仕事したい人の仕事塾みたいなのを
してもらえませんかとかいう話があったりとかして、
コンサル業みたいなことをするようになって、
だんだんそういう風に流れていったんですね。
はい、ゆう子さんの1回目のインタビューでしたけれども、
結構面白い経歴の方でしたよね。
そうですね、IBMの社員だったと。
そこからまたオーラソーマ、リフレクトロジー、
ロミロミ、ボディーワークからスタートされたんですよね。
まつ毛パーマもやってましたよね。
すごいですよね。
本当にいろいろとこれって思ったらすぐに行こうと。
そう、すぐに学びに行っちゃうって言ってましたもんね。
されてる身軽さが私はすごいなと。
やっぱり全職に、今までの経験に全然こだわらないというか、
この経験を生かさなくちゃとか、
そういう感じもないですよね。
ないところが。
しがらみとか、がんじがらみになってる感も全くなくて、
自由にやってらっしゃいますよね。
だからそういう身軽さであり、
自分の感覚を信じてるところが、
彼女の良さというかすごさなのかなっていうのを感じましたね。
お仕事を辞められたとき、
IBMのお仕事を辞められたときも、
なんで辞めたの?みたいな。
ご本人もなんていうのかな、
仕事に対して不満も全くなかったと。
すごく楽しかったと。
おっしゃってたので、
私すごく思ったんですけど、
全く執着心のない方なのかなと。
そうですよね。
それがいいのかなっていう感じもしますね。
だからやっぱりとらわれてないんですよね、そういう意味で。
だからといって、
一緒に仕事をしようと思ってた人がヘッドハンティングされて、
結局一緒に仕事を変わっちゃったっていうところでも、
ちょっと次のことに行っちゃってる。
この感覚は本当にすごいなと思いますね。
本当ですね。
執着心がない。
それってすごいこと。
ある意味そうですよね。
あとは、同じビジネスをやってる中として感じることでもあるんですけど、
39:00
自分の心の安定をちゃんときちんと作っておく。
上着いてる感じだけじゃなくて、感覚で動いてるんだけど、
ちゃんとベースのお金を作ろうとか、
そういう現実に足をつけてるところも、
彼女のすごさっていうか、そのバランス感覚っていうんですかね。
だから不安から動かないようにして、
自分のベースを、お金をインストラクターやりながら作りながら、
かつ自分のやりたいことでビジネスをするっていうのはすごいなと。
そうですよね。
で、また9年経って、10年近くが経って、
手術のためにまた仕事を変えなきゃいけなくなってしまったということで、
またそこもすんなり移行していったっていう感じで。
身軽に移行されてますよね。
全く不安が彼女もなかったわけではないと思うんですよね。
やっぱりそこを見て怖がる方じゃなくて、
少しでも楽しむ方にやっぱり切り替えていってるっていうところが、
すごく皆さんにも参考になるところかなっていうふうに思いましたね、私は。
人生は自分で選択できるっておっしゃってましたもんね。
そこを伝えたいっていうことから、
方向転換をされて講師とかコンサル業の方に移っていったということですね。
次回はその講師業のゆう子さんの目から見た、
今の人たちの考え方とか、大きな流れの話をちょっと伺おうと思ってます。
次回も大変面白い話なので、ぜひ楽しみに聞いてください。
この番組は毎週金曜日を目途にお届けしています。
確実にお届けするための方法として、
iTunesやPodcastのアプリの購読ボタンを押していただければ、
自動的に配信されますので、ぜひ購読のボタンを押してください。
また皆様からの質問・感想をお待ちしています。
パリプロジェクトで検索していただき、そちらのお問い合わせからPodcastを選んでいただき、
質問や感想を送ってください。
どしどしご応募お待ちしています。
また来週のパリから学んだぶれない自分の作り方をどうぞお楽しみに。
さゆみさん、ありがとうございました。
ありがとうございました。
秋でした。
41:50

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