自己紹介とキャリアの始まり
おはようございます。こちらは、アウトプット雑談プログラムとして、書くことで穏やかに暮らしたい私が、ジャーナリングのように雑談するラジオです。
今日は私がずっとやりたかった、ふつうの人インタビュー、別にふつうの人ではないんですけれども、私の周りのちょっとすごい人をお話し聞きたいなと思ってお招きしております。
私の友人でもある笹本綾子さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。笹本綾子です。
ありがとうございます。
あやちゃんと私は、今からどのくらい前に会うんですかね?7年?8年くらい前に?
こすたで講座って会うんですけど、そこからのお付き合いをしています。
私がちょっとあやちゃんに何でお話を聞きたいかっていうと、とにかくパワフルな方なので、そういうお話とか、今のお仕事につながるまでどうやって生活してきたのかっていうのを、実は知ってるようで知らない気がするので、そういうお話を聞ければいいなと思っています。
さて、ではあやちゃん早速ですが、あやちゃん今の仕事を教えてください。
はい、私は今フィットネスのインストラクターをしています。
もともとエアロビクスのインストラクターの資格を取ったところからなんですけど、今はピラティスとギャムなボディーローリングっていう、ボールを使って体をほぐしていくワークをミックスさせて、そしてオンラインでコミュニティを作って、日々皆さんと一緒にボディケアをしています。
ありがとうございます。なんかこのあれですよね、きっと今まで、最初からこの仕事やってたわけじゃないんですよね。
そうですね、この仕事を始めたのは25年前ですが、その前は大学を卒業して、普通に会社に勤めました。
ちなみに大学では何を勉強されてたんですか?
大学は外国語学部に行ってたんですよ。もともと5歳くらいから英語で劇をする英語塾みたいなところに通っていて、イヤイヤながらでしたけど、
いろんな物語と演劇をしていくことで、すごく語学に興味を持ち、そこから中学校の時にホームステ行ったり、高校の時に留学したりとか、
あと高校もそういう英語コースみたいなところに進んだので、そっちの道に進む流れだったんですよね。
最初に就職した会社も英語系?
そう、統一区運営委員会という英語の社員が運営するところに、たまたまなんですけど。
そこは何年くらい勤めてるんですか?
6年。
大学時代と就職活動
辞めたきっかけは何かあるんですか?
辞めたきっかけは、もうそろそろ結婚するだろうから、辞めて一回実家に帰りたいなって思ったんです。
そうか、東京にいたから、ご実家の佐賀ですもんね。
そう、実家の佐賀に、たぶんもうこのまま結婚したら一生親と住むことはないなって思って、
一度もう仕事を辞めて帰って10ヶ月一緒に過ごしたんですよね。
10ヶ月過ごしてまたこっちに戻ってくるんですか?こっちっていうか、関東に戻ってくる。
そう。
じゃあそれからご結婚されて?
そうです、そうです。
今の仕事になるきっかけって何かあります?
もともと、高校で1年間留学させてもらったんですけど、向こうで太って帰ってきたわけですよ。
母が、部活の助け部の先生も、なんでそんなに太って帰ってきたんだとかって言って、
で、高校3年で海外行って帰ってきて、すぐ受験生だったんで、
そこからやっぱり受験のストレスでまたモリモリ食べて、
そしたら母がもう受験が終わった途端に、私をスポーツクラブに連れて行ったんですよね。
それで、ちょっとあなた痩せなきゃって言って、太っていく娘を近くで見ながらぐっと堪えてたんだけど、
もう受験終わったらちょっと運動させようっていうのがあったんですよね。
ジムに行ったら、エアロベキスのスタジオに入って、
そしたらマイクつけて、音楽とともにインストラクションするエアロベキスのインストラクターがすごいかっこいいなって思って、
私ももともとマイケル・ジャクソンとか大好きだったから、ノリのいい曲とか好きだったんですよ。
あと実家がディスコやってたりとかしたんで。
すごいね。
だからそのバイブレーションに本当に見せられて、
どうやったらインストラクターになれるんですかって、高校3年生の時に。
もうその時点でちょっと興味持ってるんですね、このインストラクター系の仕事に。
その後普通に大学のために佐賀を出て関東の方に来て、
普通に部活やったり大学生やって、
そこからたまに自分のためにジムに通ってエアロベキスのレッスンを受けてたんですよね。
自分も受けてたんだ、エアロベキスのレッスンを。
大学時代にってこと?
大学時代に。
かっこいい大学生。
本当だね、ジムに行ったんだ。
大学生なんかいなくない?
いないよ。
私の周りではいないね。
バイトもしないで、部活とジムがよい。
裕福なうちの子じゃん、ただの。
お金足りなくなったら仕送りをちょっと追加でお願いしますみたいな。
めっちゃいいうちじゃない?
お金持ちのうちの子ですよ。
そう考えたら恐ろしいですね。
すごいすごい、でもそういうことがあってエアロベキスに通えて。
そう、通ってて。
大学4年間、ラクロス部に所属してたんですけど。
ラクロス部?
まあまあ強いところだったんで、外国語学部ラクロス学科みたいな状態で。
ちょっと待って、なるほどね。
部活がメインになるというか、なる感じですか?
真っ黒に日焼けして、
そして就職活動をしました。
でも本当は就職活動は全然しない、みんなが決まってたんですけど、
私はアメリカにスポーツトレーナーの資格を取りたいから、
海外に留学するって言って、就職活動しなかったんですよ。
4年生になって、とある方に相談っていうか、これでいいのかなっていう思いもあったし、
ちょっと迷ってたんだと思うんですよね。
みんな就職している、しかし私は就職活動をしていない。
留学したいと思っている。
海外の大学ってどうやって入るんだろうって。
思いと行動が一致していなかったんですよね。
相談したら、今すぐ就職活動をして、決まったところに就職した方がいいというアドバイスをいただいて、
それ誰に言われたの?
私の尊敬する師匠みたいな。
まずは就職せよっていう話をされるわけだ。
そうです。
えーって、みんな終わって、
4年のいつぐらい?
4年の春ぐらいかな。
早いんじゃない?
4年の春ってみんな、
決まってる?
決まってる。
決まったのはかなりギリギリだったか。
4年の春はまだ終わってなかったか。
私よりもあやちゃんの方がちょっと上だから、
まだそんな早期じゃない。
早期の人もいたけれども、
そこまでじゃない。
でもすごい氷河期じゃない?多分。
すごい氷河期。
就職ももう諦めてたんですよね。
僕もあんなに考えないで、
なーって思うんですけど。
若さ、若さ。
いや、私そんな人間だったんだって、
今ちょっと自分で振り返って。
面白い。
そういうところあったんだって、今気づきましたね。
でもそんなギリギリな感じで、
就職活動して、一応身近るじゃないですか。
英語系のところにね。
そこで、
勤め始めてどんな感じなんですか?
そこはもう本当に超恵まれてて、
すごい可愛がってもらって、
私が真っ黒に日焼けした部活やって、
部活しかやってないこの私を、
一つのことを一生懸命、
勉強もしないでやってたっていう、
その話がすごく良かったって言われて。
フィットネスへの道とインストラクターへの転身
学知家だ。
学生の時に力を入れたことは何ですか?
のところの、
それで評価されたみたいで。
ちなみにごめんね、さっき話を戻します。
急に就職ね、思想的な人から就職した方がいいよって言われて、
留学を諦めるっていうか、
一回そこで選択が入るじゃないですか。
留学するか就職するかで。
あっさり就職に行けるもんなんですか?
それが、
普通はいけないと思うんですけど、
やっぱり言われた、すごく尊敬してる方だったし、
言われたようにやってみようって思ったんですよ。
そこは素直に言ってみたんですか?
ちょっとね、え?って、今更?今から?って思って、
本当は無理無理無理って思ったんですけど、
でも、言われた通りにやってみようって思った。
だから、すぐ動いたんですよ。
早いね、そこもね。
履歴書書き始めて、
早いね。
だから、結構貿易系の会社とか受けましたよ。
やっぱり海外と何か繋がってるようなお仕事を探してたってことですか?
そうですね、なんか語学を、
語学関係、ずっと語学がメインでやってきたんで、
そうだよね。
だから、それしかないかなって思って。
じゃあ、私はあやちゃんの日本語しか聞いたことないけど、
実はペラペラってことですか?実は。
ペラペラではないんですけど、
日常会話ぐらいは?みたいなやつですか?
多摩の遠い田舎で、
常に私はこの田舎を飛び出したいっていう思いで、
生きてたんですよ、子供のとき。
だから、海外に出たいみたいな。
へー。
発明者になったんだと思うんですよ。
この田舎から私は出たいみたいな。
へー。
で、出てきて就職決まりますよね。
で、いい会社じゃない?周りがこう、
あやちゃんのこれまでの人生を評価してくれて、
勤めて。
お仕事的には?
仕事的には面白いんですか?
そう、なんか、雑誌みたいな、機関誌みたいなの作ったり、
広報みたいなことだったりとか、
そういうお仕事だったので、
で、あと、ヒューマンリソースマネジメントって言って、
グローバル人材をどう育成していくかみたいな。
もう20年、もう結構前なんで、
そのときは、育てようって、
日本人をグローバルな人材として育成しようみたいな、
今はもうそうですけど、
当時はそこに力を入れていたので、
教育の受験者も汚れでしたし、
どうやったらグローバルな人間に育つかっていうのを、
いろんな会社の人に、社長さんとかに話を聞かせてもらいに行ったりとか、
インタビュー記事を書いたのを私が構成するとか。
面白そう。
そんなお仕事でした。
それは6年ぐらいで辞めて、
サーバーに戻り、また戻って、結婚する。
今の仕事はいつからやってるの?
今の仕事は、新入社員でありがたい環境で、
ぬくぬくとやってたんですけど、
女性がすごいたくさんいて、
みんな保育園に子供預けたりしてる先輩が、
直続の先輩とか見てて。
パイカラだよね、その時代にそういうことやってる人って。
そうそう。
横浜の方から赤坂三つ家まで、
子供を預けて、急いできて、
また急いで迎えに帰るみたいな。
すごくかっこいいなって思う一方で、
私はこの生活は無理だなって、
1年目に思ったんですよね。
だから、私は自分が結婚して、
子供を産んだ時に、仕事を失わないようにというか、
自分が好きなことで、
マイペースに仕事できるように、
手に食をつけておきたいなって思って、
そこから自分が好きなことを探し始めたんですよ、いろいろ。
私が得意なことって何だろうとか。
だから、すごい通訳になろうとか思って、
通訳の資格の勉強もしたし、
でも、楽しいのかなって思って。
これが通訳になるっていうことが?
うん。
自分が好きなことって言ったら、体を動かすことかなって。
スポーツジムも通ってたし。
そういえば、私、あの日、あの時、あの場所で、
高校生の時に母に連れられていた、
エアロビクスのスタジオでの感動ですね。
思い出して、私、あれやってみたいって思ったんです。
エアロビクスのあの感じをね。
そう、あの仕事やってみたいかもって思って、
そこから色々調べ始めたんですよ。
今、大手のスポーツクラブもいっぱいあって、
そこにもいっぱい資格を取れる養成コースはあったけれども、
一つだけすごく高いところがあったんですよ。
値段がってこと?
値段が。
養成講座の値段が?
でも、先生に電話をした時に、
なんかここは違う気がする。
ここはすごい他と違うなって思ったんですよ。
違うっていうのは、あやちゃんの中でないなってことじゃなくて、
別と他とは特別かね?
他の大手で働かされるインストラクターを育てる養成コースとは、
ここはちょっと違う、本気の本物だなって思ったんですよ、電話で。
すごいね。
で、そこはもう全然値段が違ったの。
新入社員の私には高いなって思ったんですけど、
今の旦那さん、その時はまだ付き合ってる状態だったんですけど、
それを相談したら、値段で決めない方がいいよって言われたんですよ。
めちゃくちゃいいやつじゃん。
それで、一回来ました、スタジオに。
先生が話されてることがある。
なるほどをまとえてるし、すごくポリシーがあるし、
ここにしようと思ってそこに。
中目黒の養成講座を決めたんですよ、養成学校。
社会人として何年目くらいなんですか?
社会人1年目です。
早い。
で、週3回、日と日入れたら4回、
会社が終わったら中目黒のスタジオに行って、
レッスンも受けて、
で、また翌日会社に行ってみたいな。
そうそう。
すごい。それ何年くらいあるんですか、その養成講座。
その養成講座が初級、中級、上級とかあるじゃないですか。
プロフェッショナルなコースとか、とにかくずっと階段を登ってきたんですよ。
学んでも学んでも奥が深くて、すごく高かったんだけど、
そこに費やしたい、学びを追求したい気持ちで、
とことんやりました。
何年か、何年かと言われれば何年だろう。
でも6年で辞めてるってことは、その間ってことだよね。
1年目から6年までの間ってこと?
そう。もうマックス5年は行ってます。
そうなんだ。
6年、もうギリギリまで行ってます。
お給料は養成講座のためにじゃないけど、ってことだ。
そう。
かっこいいね。
それでフリーのインストラクターのお仕事もしながら、週末は。
そうなんだね。今で言う副業みたいな感じってことですか。
もう丸々1年でデビューできたから。
そうなんだ。
養成講座行って、1年で講師としてはデビューできて、
そこからも自分の中で深めていくために、
講座を受けながらインストラクターもやってたってこと?
で、会社員もやってたってことでしょ?
そうです。
すごいね。
でもね、楽しくて。
いいね。楽しいってやっぱ原動力になるんだね。
そこの先生が教えてくれた、運動のプログラミングのやり方が今にも生きてるんですよ。
もう繋がってんだね、そこから。
だから、やっぱり私は生き方にも繋がってるんですけど、
フリースタイルって、エアロビクスでもいろんなスタイルがあるんですけど、
そこはフリースタイルっていう名前で、
とにかくどんどんどんどん、その場で運動を選んでいくんですよ。
その時の雰囲気とか、受講者さんの感じとかを感じ取りながらってことですか?
普通のエアロビクスは、もうプログラムはバッチリ決めて、
お客さんがついて来てようが来てまいが、
このコリを、動きを決めたものを教えてって、
最後はそれをみんなに覚えさせるっていうスタイルなんですけど、
私が習ったのはフリースタイルって言って、
もう純粋なウォーキングから全部展開していくんですよね。
この場で音楽に合わせて。
すごい。
その音楽が、もちろん洋楽なんですけど、
いろいろなハワイアンとか、本当にいろんなジャンルがあって、
ロックだったり、
でもそのビートと音楽と自分の選ぶ動きを、
いかにマッチさせるかがお客様が気持ちがいいっていうのを、
そこをマスターしていく沼にはまったんです。
すごい。
結婚、出産、そして筑波での活動
なるほどね。
聞けば聞くほど今のやってることにつながってるなって、
私はあやちゃんの仕事も知ってるから思うけど、
じゃあまず結婚するじゃん。
一回やめちゃうじゃん。
やめちゃうっていうか、お休み期間に入りますよね。
またこのインストラクター業みたいなのを再開させるわけじゃないですか。
休んでた期間もあるでしょ。
それで実家に帰る前に、
サガでもフリーのインストラクターとして働けるわけじゃないですか。
ちょうど私が帰るって決めた時に、
新しく家のすぐ近くにでっかいスポーツジムができたんですよ。
すごいね。
そこでオーディション受け、
毎日のようにそこに自転車で行って、
実家に住みながら、
あげぜんすえぜんしていただきながら、
最高だね。
スポーツクラブに生徒ではなく、
インストラクターとして寄る日々だったんですよ。
雇ってもらって?
だから今思えば、全部すごくスムーズなんですよね。
10ヶ月はお家に行って、サガでやるじゃない。
帰って戻ってくるじゃん。結婚するでしょ。
結婚してしばらくやってるんですか、またそれの仕事は。
帰ってきて、筑波にもスポーツクラブあるじゃないですか。
茨城の筑波の話ですね、今の話はね。
あ、ごめん。
違うの?
帰ってきますね。
帰ってくる時には、すでに東京の生活はもう嫌だと。
そういうことなんだ。
ここは私の中で仕事をする場所であり、
結婚して過ごす場所ではないから、
ちょっと田舎に行きたいっていう話で。
結婚したら田舎に住みたいってこと?
だから私がサガにいる間に、
旦那さんにちょっと、どっか近くの田舎に探して、
家を決めておいてもらってもいいかなって。
すごい話だね。
一人だけ筑波にちょうどエアロビクスの先輩がいたんですよ。
そうなんだ。
スタジオの。
筑波いいよって聞いてたから、
筑波っていうところがあるらしいんだけどって言って、
筑波に行ってもらって旦那さんに。
そしたらもう、1個アパートを決めたっていう。
えーすごい。
その先輩に感謝の目じゃんね。
そうですね。
その先輩なかったら、私とあやちゃん会ってないね、これね。
そうですね。
すごい。
こだわりはなかったんでしょうね。
田舎で、でも都会、東京にも近い。
つながれそうなとこね。
そういう経緯で筑波にお家を構えられて。
そうです。
あれじゃないですか、あやちゃんお子さん3人いらっしゃるけど、
またエアロビクスのインストラクターを筑波でも始める。
こっち筑波で結婚生活が始まるっていうときに、
いろいろオーディションを受けて、
オーディションを受けて受かってるんだけど、
妊娠が発覚したわけですよ。
そしたらやっぱり、できないなってなって、
しばらく妊娠するまではやってたんだけど、
すぐもうやめることになりました。
あーそうなんだ。
それでそこから、
一人目のときは休んでたね。
でも連れてってやってたみたいな時期もあるよね。
子供がお兄ちゃん一番上の長男が生まれて、
私がその子を産んだのが助産院で産んだんですよ。
助産院で産んだときに、
先生があなた資格持ってる?持ってるんでしょ?っていう。
妊娠のときにインストラクターやってましたみたいな話をしたから。
先生がそれを覚えてて、
この助産院で赤ちゃん連れのママたちに
運動を教えてあげてくれるっていう話をいただいて、
そこから私も血の実を抱えて、
週1回助産院でヨガマットを引いて、
運動を教える仕事を始めたんですよ。
ちなみに3ヶ月未満ってこと?
1歳未満から始めてるってこと?
うん。
えーすごい。
そうそうそう。
そこからもずっと助産院で、
しばらくやってるんだよね。
しばらくやってます。
それで2人目の妊娠のときも、
お腹がパンパンになりながらやり、
3人目も。
エアロビをやってるの?
その時は赤ちゃん連れだからみんな、
親子ビクスみたいな資格も取りに行ったんですよ。
おじいちゃんがまだ赤ちゃんのときに。
すごい。
病間で。
親子でできるエクササイズみたいなものを、
今思い出したら大変だったなと。
そうだね。
旦那さんに上の子を預かって、
上の子とか赤ちゃんを預かってもらって、
私は東京に行って。
またそこでスキルアップして。
そうですね。
赤ちゃんと一緒にできるのをお伝えして。
それ何年くらいあるんですか、親子ビクス。
ピラティスとヤムナ・ボディローリングへの移行
親子ビクスは、
私が知り合った頃もやってたかな。
それも結構長かったよね。
長かったよね。
私、ピラティスに移行したのは、
そこから行くか。
3人目。
3人目が生まれてから。
ということは、今から10年くらい前?
うん。
その子が生まれて、
私、2人上がいながら、
3人目を育ててたので、
体もガチガチだったし、
精神的にも追い込まれてて、
1人になりたかったんですよね。
それで、家の近くにどこか、
運動できる場所がないかなと思って、
探したら、
日曜日に朝6時半からやっている
ピラティススタジオがあって、
そこに通い始めたんですよ。
それは純粋に講師とかじゃなくて、
自分のためにってことですね。
そしたら、朝6時半だったら、
まだ寝てるから、
旦那さんに、
起きてもよろしくねって言って、
私は朝早く行かけて行って。
1時間。
うん。みっちりと。
それが幸せで。
その1時間がね。
ピラティスがすごく良くて、
体がどんどん蘇ってきて、
ほぐれていって、
力を抜く感覚とかも、
ずっと力が入ってたことに気がついて、
そこから、その先生が、
ピラティスのインストラクターになりませんか?
って声かけて。
すごいよね。
私がしょっちゅういるもんだから。
また動けるからね。
きっと先生もこの人いける。
インストラクター経験もあるしね。
この人なんかやってる人だろうな、
っていうのがあったと思うんですよ。
それで、
撮ってみますって言って。
その先生が厳しくてね。
その先生の元で撮るんですか?
そうそうそう。
そうなんだ。
その先生のピラティスが、
その先生自体が理学療法師で、
ピラティスさんが作ったピラティスとは、
また自分の理学療法師的な要素を入れたやつだったんで、
普通ピラティスってめちゃめちゃしんどいんですよ、本当は。
でもそれって私も
真っ当なものを受けたことあるんですけど、
これはね。
できる人にしかできないから
挫折することが多いんですよ。
でもその理学療法師さんが考えたピラティスは
すごい良かったんですよ。
そうそうって、
私がやっぱりエアロフィクスの時に
体に植え付けてもらった
これは体が喜ぶという感覚を
そこのピラティスの先生も
ピラティスで体現してたんですよ。
今回は通じるものがあったってことですね。
そう。
ピラティスはいつから?
10年くらい前から始めてて、
インストラクターになったのもそのくらい?
もう8年くらいは。
あ、経つんだ。
私が会った時はすでにピラティスの先生だったから。
今は全く別のことをやってるじゃん。
そこからずっと助産員だけですよ、仕事は。
そうなんだ。
週1回とか子供が。
ピラティスも教えてたってことですか?
途中から皆さんに
エアロフィクスやろうって思うと立ち上がるじゃないですか。
立ち上がった瞬間に子供って泣くんですよね。
ママーって。
ママは捕まり立ちされた子供を抱っこして受ける。
そうすると余計腰とか痛くなっちゃうから。
だからやっぱりピラティスをお伝えしようと思って
ピラティスはヨガマットで寝てるし
それでお伝えしてたんだけど
ピラティスもガッチガチの体でやると
ただただしんどいエクササイズになっちゃうんです。
どうしても。
もっと赤ちゃん連れだしリラックスして
楽にやってもらいたいなって思って
その時も既に自分が生徒として受けてた
ヤムナボディーローリングをやりたいなって。
ピラティスでやってからヤムナでやるんだよね?
そう。
それはピラティスの勉強しに静岡に行った時に
一緒に静岡から東京に帰ってくる時に
一緒に帰ってきた東京のインストラクターの人が
実は私ヤムナのプラクティショナーなんですよっておっしゃったんですよ。
その時にヤムナってもしかしてあのボールですかって言って
そのボールのことだけを知ってたんだ。
そうなんだ。
その人がその人をきっかけに
ヤムナをやり始めたんです。生徒として。
そうなんだ。
そこからはやってないんですけど
ヤムナどっぷり入っていくじゃないですか。
それ何が良かったんですか?
ありえないぐらいほぐれる。
ボールを使ってやることで。
しかもすごく解剖学そのものなんで
ボールを当てる位置とかここの骨に当ててとか
なんでここの骨に当てるのかっていうのも
ちゃんとここにこの筋肉が始まってるからとか
そしてここからここまでその筋肉が伸びてて
そこまでくっついてるからここまでボールを転がすんだとか
その理論がやっぱりまた
自分を納得させてくれたんですよね。
気持ちがいい理由を知れたっていうか。
それはすごいことだ。
あとやっぱボールに体をうずめとくだけでほぐれるって
これ何なのこれっていう。
あとヤムナさんっていう方がまだご健在で
すごいよね。まだご健在なんだもんね。
健在でリアルなんだよね。
誰にも変えられてないっていうか。
平手さんはいらっしゃらないけれども
ヤムナさんまだいらっしゃって
ライブでヤムナさんが見れる生きてる人って
すごいなっていうのがあって。
じゃあ平手とヤムナと両方ともインストラクション
プロテクショナーっていうんだっけ?
プラクティショナー
ヤムナも先生というスタンスではなくて
プラクティショナーっていう呼ぶんですよ。
それがプラクティス一緒に
生徒さんと一緒に私もプラクティスしていく
そのスタンスも素敵だなって思った。
いろいろありますね。考え方みたいなのがね。
私も一応資格は取っても
同じ人間の体で
不調もあるし痛くなる時もあるし
でもそれをずっと
なんでこうなったのかなって探索していく。
それは皆さんと一緒にプラクティスしていくと
自分でも自分の体のことが分かっていくし
その分かったことを皆さんに
こう感じません?って
感じしません?っていう
自分の体感を伝えれば
それが正解だっていうことが
すごい私は好きだったんですよ。
ヤムナだけじゃなくて
オンラインでの活動とアプリ開発
ヤムナとプラティスを混ぜた
あやちゃんなりのレッスン方法みたいな感じで
レッスンを提供して
これやり始めてどのくらいになるんですか?
もう5年ぐらいです。
そこの流れがものすごいこの10年ぐらい
下の子が生まれてからの10年ぐらいって
ものすごい密でバババっていってる感じしますよね。
そうですね。コロナ禍に
そうだ。
ヤムナの資格を取りに
そうなんだね。
勉強して
そこからもコロナになって
対面レッスン
助産員でレッスンができなくなったから
オンラインに切り替えようって言って
オンラインで始めた。
朝のレッスンとかやってる時もありましたもんね。
日曜にね。
その時はまだプラティスだけだったのかな?
そうですね。
今からコロナの前ですね。あれがね。
画面越しに
皆さんにうまく伝えるにはやっぱり
ツールがあるといいなって思うんですよ。
ここにボール当ててゴロンってしてみてくださいって。
そしたらやっぱり
私が言葉で伝えるのにプラスして
ボールが仕事をしてくれるから
皆さんも体感しやすい。
すごい。
今はお仕事としては
ヤムナとプラティスを組み合わせたレッスンを
オンラインで展開しながら。
そうですね。
最初は1時間とかレッスンしてたんですけど
やっぱり自分も子育てしてて
すごく忙しい中
逃げるようにプラティススタジオに
通ってたわけじゃないですか。
週1回の1時間を楽しみに。
きっとそういうお母さんたちが多いんだろうなって思って
じゃあみんなが起きてこない朝の時間にレッスンしようと思って
コロナ禍にそういう要望もあったから
朝5時からやり始めたんですよね。
みんながコロナ禍で家にステイホームだった時に
唯一自分の時間を持てるのが朝5時だと。
じゃあ5時にやろうって。
ずんぶつないで5時に運動しようみんなでってなって
この5時のオンラインレッスンが始まって
最初は1時間くらいやってた時期もあるんですけど
やっぱり1時間もしてるとみんな子供たち起きてきちゃうから
30分っていう感じで。
でね、オンラインのサロンみたいな感じにして
会員さんを集めてやっていらっしゃる。
すごいですよね。
なんかあやちゃんの知らないところを知った気がします。
普段はね、今のあやちゃんしか私は知らないので
せいぜい知ってても7、8年前からしかわかんないから
すごいいい話だった。ありがとうございます。
ありがとうございます。
ちなみに最後にご自身の今の活動で宣伝したいことがあれば
どうぞ。
今までZoomとFacebookとかInstagramとかの
SNSのツールを使ってレッスンしてたんですけど
やっぱりSNSに慣れてない方もいらっしゃるから
自分でスマホとかタブレットでアプリにしようと
アプリ化しました。
すごいよね。
SNSはレッスン受けようと思って
Instagramをポチって開けたら
いろんな人の動画が出てきて
それを見始めちゃって2、30分みたいな
そこからレッスン受ける時間なくなっちゃったって
なっちゃうので
アプリはもうポチってすれば
すぐレッスンを選べる状態になってるんですよね。
5分のものだから40分ぐらいのものまで
いろいろ長さも取り揃えていて
皆さんが日常で選んで
取り込んでいただきやすいような
仕組みにしています。
そこでジャーナリングっていうのもやっていて
千春ちゃんに部長をやってもらって
体はヤムナーブとピラティスで
心はジャーナリングで
自分でメンテナンスしていくっていう
そんなサロンをやっております。
気になる方は是非見てもらいたい。
概要欄には彩子ちゃんのホームページとか
SNSとか貼らせてもらおうかなと思います。
ありがとうございます。
まとめと今後の展望
今日は初回でした。
彩子さんのお話が聞けて
私はとても嬉しかったんですけど
良かった。
私を初回にしていただいて
恐縮ですがありがとうございます。
思い出したこともたくさんあったのかなと思って
そうですね。
嬉しかったです。
分かりました。
笹本彩子さんでした。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
私の友人でもある
ピラティスのインストラクターと
ヤムナボディーローリングの
プラクティショナーをされている
笹本彩子さんのお話を聞きました。
私の周りで
すごい人って実はたくさんいて
こういう方々のお話を聞きたいなって
ずっと思っていて
それを聞いたものを何かに
出したいなって思ってたんですけど
それが今日叶ったなと思っています。
彩ちゃんと私は今から
7年か8年くらい前に
子育て講座を通して知り合うんですね。
その時は私よりも
少しお姉さんなんですけど
とてもそんな風には見えない
何かやってるんだろうなっていう
その時から感じていたんですけれども
お話を聞いてね
インストラクターだってことが分かって
なるほどなって思ったのを
今でも覚えています。
今日お話を聞いてね
彩ちゃんが今まで
どういう風にして仕事をしてきたのかとか
どういう生き方をしてきたのか
みたいなのがお話を伺えて
私は彩子さんの
なんていうのかな
今のレッスンに全部それが
息づいてるっていうか
生きてるなって思いました。
彩ちゃんの朝のレッスンを
私も受けさせていただくんですけど
ほんと生物な感じがするんですよ。
その時の雰囲気
画面から伝わる受講生さんの雰囲気とか
もしくは彩ちゃんの体調とか
そういう季節的なものとかも含めて
その時々でレッスンを
組み立てていってるんですって
その場で。
今日はエアロビ時代から
そういうことをされてたっていうのが
分かってね
私はとても嬉しく思いました。
彩ちゃんの活動であるとか
あとはヤムナボディローリングとかね
今日初めて聞いた方もいらっしゃると思うので
彩子さんのホームページ
SNSを概要欄に
貼っておこうと思います。
ぜひご興味を持たれた方は
一度覗いてみてください。
こんな感じで
頻度はちょっと分からないんですけれども
私の周りの
普通なんだけどすごい人
普通じゃないですけどね
すごい方をこういう風にしてお話聞いていきたいなと思ってますので
今後も不定期にはなりますが
更新していこうと思います。
今日も最後までお聞きくださりまして
ありがとうございました。
ではまた