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2025-07-02 34:23

山本崇雄さんとザッソウ第1回|『星野君の二塁打』(#177)

ザッソウラジオは、ソニックガーデンの代表・倉貫義人と仲山考材の仲山進也(がくちょ)が、2人の友だちをゲストにお招きし、ゆるーくおしゃべりするポッドキャストです。

ザッソウとは「雑な相談」のこと。毎月、さまざまなゲストとザッソウしています。

2025年7月のゲストは、横浜創英(そうえい)中学・高等学校の副校長、山本崇雄(やまもと・たかお)さんです。「サッカー」「教えない」という共通点でつながった、がくちょと山本さん。ザッソウラジオ調で、学校の先生や教育のことをおしゃべりしました。

★今回のザッソウ★

教えない授業とは?/『星野君の二塁打』/プロセスが大事/「どう思う?」/管理とマネジメント/令和版・星野君をつくろう

★ゲストのご紹介★

山本崇雄さん

私立の横浜創英(そうえい)中学・高等学校の副校長を務められているほか、複数の学校、企業と雇用契約を結んでいる二刀流(複業)の先生です。

「教えない授業」と呼ばれる自律型学習者を育てる授業を行っており、教育改革や子どもの自律などをテーマにした講演会、出前授業、執筆活動に取り組んでいます。

山本さんの著書リスト

★ザッソウのおとも★

『星野くんの二塁打』(青空文庫)

★おたよりフォーム★

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サマリー

このエピソードでは、横浜創栄中学高等学校の副校長である山本崇雄さんが教育改革や自立型学習者の育成について話します。実際の教育現場での経験を基に、教えない授業の意義やサッカーと教育の関係に深く迫ります。また、山本さんは教育プロセスの重要性や新しい育成制度についても言及します。リモートワークにおける育成方法や、星野君のストーリーを通じての教訓を共有し、教育現場でのプロセス指向の大切さを強調します。山本さんとの対話では、教育とマネジメントの本質について議論され、彼は教師の役割を再考し、自立した学びの重要性を強調しています。

山本さんの紹介と経歴
スピーカー 3
倉抜きです。中山です。
スピーカー 2
ザッソウラジオは、倉抜きと学長こと中山さんで、僕たちの知り合えるゲストにお呼びして、雑な相談の雑草をしながら、威力をしゃべりしていくポッドキャストです。
2025年7月のゲストは、横浜創栄中学高等学校の副校長、山本崇雄さんです。よろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
スピーカー 2
はじめに山本さんをご紹介させていただきますが、山本さんは私立の横浜創栄中学高等学校の副校長を務められているほか、複数の学校企業と雇用契約を結んでいる二刀流副業の先生ですということで、山本さんといえば教えない授業ですね。
教えない授業と呼ばれる、自立型学習者を育てる授業を行っており、教育改革や子どもの自立などをテーマにした講演会出前授業、
執筆活動を精力的に行っておられるということで、今日は山本さんはもともと学長つながりということでいらっしゃいましたが、何きっかけつながりだったとかからスタートしますか。
イベントの横浜のフラグ横浜っていう、コワーキングの施設があるんですけど、そこがいろいろイベントをやっている中に、新規事業家の森谷実さんってわかりますか。
スピーカー 3
森谷さんは僕知り合いなんですけど、森谷さんがイベントやりますって言って、Facebookとか投稿してたのを見て、
横浜駅直結だったら近いなと思い、そしてそのイベントの山本さんとコラボのイベントで、教えない授業って書いてあるって思って、青足本2じゃんって思って、イベントに行きまして。
ちょうどこの青足本2の2本が手元にあった。まだ発売前で。それで2冊持っていって森谷さんと山本さんにお渡しして、山本さんがこのタイトルを見てめっちゃ爆笑してくれたっていう感じですよね。
スピーカー 1
驚きでした。
スピーカー 3
それでつながり、3日前は山本さんが主催をしてる先生たちのオンラインのコミュニティがあって、そこにゲストで呼んでいただいて、それこそ青足本の話をしてきたところ、みたいなつながりです。
スピーカー 2
なるほど。じゃあ、教えないつながりってことですね。
スピーカー 3
教えないつながり。
スピーカー 2
お互い教えない、ご著書お互い読まれたのかもしれないですけど、共通点とか、シンパシーみたいなのは感じる内容だったんですか?
スピーカー 1
言葉は使い方は違っていても、お題設定であったりだとか、子供たちに教えないためには質のいい問いを与えるとか、目標設定に変わるような、ここ目指すんだよっていうものを明確に示すことが結構必要で、
スピーカー 2
そういうものの言語化っていうのが、おおっと、こういう表現の仕方があるのかみたいなところで、先生たちに多く読んでもらいたいなって。授業って教科書開けてって言って、じゃあ始めるよって、じゃあここまで進んだねみたいなものが僕の頃は多かったんですけど。
僕の頃もそうでした。
スピーカー 1
だけども、僕が取り組んでるのは、そもそも自分で教科書を開くとか、自分で進めていくとか、自分で管理していくみたいなところを重視していたので、そういう教育に興味のある先生たちのコミュニティを今作っていて、みんな悩んでるのはそこなんですよね。
だから問いをどう立てるかとか、勉強しなさいって言わないでも勉強するようにするにはどうしたらいいかとか、っていうことのヒントが青足本には結構満載で、僕サッカー好き、自分でもずっとサッカーしてたので、こんなにスッと入ってくる本は初めてだみたいな、そんな感覚ですかね。
スピーカー 2
じゃあそのサッカーと教育の現場って題材は違うけれども、なんか貫いてる本質的なところは近しいっていう感じだったんですね。
スピーカー 1
そうですね、僕は小学校の時、野球も実はちょっとかじろうとしたんですけれども、すごいチームプレーじゃないですか、野球って。僕そんなに上手じゃなかったんですけれども、ある時代々で出番が回ってきて、
で、ヒットを打って点が入ったんですよ。うわーって喜んでたら怒られたんですね、本当に。それはバントのサインを見落としてたっていう。
本当に気づいてないんです。だから本当に打つ気満々で打席に入ったので、もう打つことしか考えてなかったんですよ。たまにしか出番が回ってこなかったり、そのレギュラーではなかったので。
まあ習慣としてサインが出るものだとかっていう。染み付いてないけど、もう打つぞと。そういう気持ちで打席に入ったら怒られて、その意味が全くわからなかったんです。点も入って勝つことができて、で辞めたんですね。
でサッカーをやったら、なんて自由なんだろうって。まあでもそれでもなんか部活とかになっちゃうと、走れとか打てとか、コントロールしようとする監督が割と満載で。
スピーカー 2
まあだとしても、その声を届いたとしても別にそれを無視して点を取れば、それはそれで怒られることはまずなかったし。なんかその違いみたいなのを、前回中山さんの講座の中にサッカーOSと野球OSみたいな話が出てきて。
スピーカー 1
めちゃくちゃスッキリしたっていうか。そんな話題も前回あって。
スピーカー 3
僕のいつもそれを話すときに、野球やってれば野球OSでサッカーやってればサッカーOSってわけでもないっていう話があって、野球OSのままサッカー指導者やってる人は、今山本さんが言ったみたいに、ピッチの横からでっかい声で指示とか怒ったりしてるタイプだし、
あとはこういうなんか自立型の組織とか、人材自分で考えて動くみたいな話が合うタイプの人で、でも昔野球やってたんだよねっていう人が何人かいるんだけど、その人たちが全員口を揃えてバンとのサイン無視して怒られたことあるって言ってるっていう話を3日前にしたところでした。
そしたら山本さんもその例に違わずみたいな。
スピーカー 1
なんか実はこれ道徳の教材になってるらしくて、星野君の二塁打って話だったの。その時教えてもらったんですけど、別の格好の先生に。
スピーカー 2
バンと無視して二塁打を打った星野君の話なんですけども、星野君じゃないかもしれないですけど、一応その指導書にはちゃんとルールを守ることとか、指示を守ることの大切さみたいなことも書いてあって。
スピーカー 1
なんか道徳として正解がわかんないんですけども、そんな教材になってるよって話をなんか、僕はまだ見たことないんですけども。
スピーカー 2
それはもう道徳的な観点でいくなら、ちゃんと先生のバンとの指示に従ったほうが良かったねって話なのか、そのまま書く結果出て良かったねっていうかっていうと。
道徳教育と協調性
スピーカー 1
全社だと思いました。
スピーカー 2
全社なんだ。
スピーカー 1
難しいですよね、道徳の教科書なんて。
スピーカー 3
教科書から削除されることになったみたいなこと書いてありますね。
スピーカー 2
そうでしょうね、そうだと思います。今の時代はそうじゃないと思います。
スピーカー 3
慶応高校が甲子園で優勝する時代になりましたからね。
スピーカー 1
本当そうですね。
スピーカー 2
自分たちで選手たちで考えるよっていうスタンスの高校が優勝する。
僕だったらその解説を子どもたちに見せて、こういう解説だけどどう思う?みたいな授業をしたいですね。
スピーカー 1
よく解説とか、大学入試とかでもアカホンとか子どもたち解いて、自分の答えとそれを見比べて丸付けしたりだとかしてるんですけど、これ本当にこの答え合ってるかどうかって疑ったことないの?みたいな。
そうすると別の予備校が出してる回答とか、ネットに転がってる回答とか、3つ4つ並べてみると見事に結構違うんですよね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
だからそういうのを見て、じゃあ何が一番、君たちはこの模範会議の中でどれが一番得点として高いと思う?みたいな。
そういうところも疑ってほしいなって思うんですよね。先生の言うことも含めて。
スピーカー 2
それが自立みたいなところなんですけど、僕さっきの星野君の道徳の話がちょっと気になるので深掘りしたいんですけど。
スピーカー 3
今全文をディレクターさんが送ってくれたやつをざっと見てるんですけど、結果的には星野君は自分が調子に乗ってましたって、しょぼんってなって終わってますね。
スピーカー 2
しょぼんってなってるんだ。
そんなね、統制を乱してね、勝手なことをやってね、社会で役に立つためにはね、自己犠牲が必ず必要なんだから、そんなことやってちゃダメだぞ、みたいなことを言われ、調子に乗ってました?ってなってる感じ。
そうですね。これが結構僕、難しいところだなと思っていて。この道徳の話で言うと、統制は破らないように協調性を大事にしましょう、みたいなことを道徳では言ってる気もするんですけど。
なので、僕もそっちの方が二塁打打ってたからよかったじゃんっていうのも思うんだけど、一方で二塁打打を打てたらいいのかって話も本当にあるなと思っていて。
いや、もうそんな指示とか無視して、特に本当に協調性とかでなく、自立に考えて結果出したんだからいいじゃんっていうのを称賛してしまうっていうことは、これはこれで、僕は絶対そっちを賛美してるわけじゃないんですけど、怖いなと思うのは、
だとして、たまにビジネスの世界で出てきちゃうのが、「いや、僕、結果出してるんで何してもいいっすよね、この会社で。」って言ってくる人が出てきちゃうんですね。
組織において、営業の会社だとした時に、営業成績は抜群に良いけれども、他の人のフォローしないとか、それこそ会社でこういう活動した方がいいねっていうことには参加せず、
営業成績良かったからいいですよねっていうふうに、ともすれば、結果が全てみたいな、結果さえ出せばいいんですよねっていうふうになってしまうんじゃないっていう恐れもあるなと思ってるんですよ。
西野君のニルイラの話は、実は深いなと思ってるんですね。どっちかに寄せちゃいけない、中庸の部分を考えなきゃいけないとしたら、これ道徳としてはすごくいい話なんじゃないと思ったんですよね。
スピーカー 3
たぶんそういうふうには使われてはいないんで。
スピーカー 2
そういうふうには使われてないですけどね。そういうふうには使われず、統制が大事だってなってるから、なんだよって思っちゃうんですけど。
だけど、一方で統制ではないけど協調、共同、コラボレーションみたいなところに関しては、助け合いみたいなところに関しては、これは組織においては絶対的に必要なものだと僕は信じているんですね。
全てが、あらゆる個人が個人プレイで、個人主義で、分断の社会の中で生きていくっていうよりは、他者と関わりながら、協調しながら、組織同士も関係しながら、反映させていこうが良いとは思ってはいるので。
なんかそこの、なんでしょうね、当然自立はいいけど協調も大事っていうところを、なんかこの話から結構いろいろ僕は考えたなと思うんですけど、っていうもう本当に雑なフリなんですけど、どう思います?
スピーカー 1
いやもう本当、その結果が全てっていうところが、学校の中で結果が全てっていう言葉を使いたくないなって思うんですね。だからここもプロセスに注目するっていう作業が必要で、多分道徳の教科書って、なんかいろんななんか、自然愛だったり、思いやりだったり、いろんな項目育てたい項目っていうのがあって、
多分この章で扱ってるのは協調性とか、なんかそういう項目を多分扱ってるんだと思うんですよ。だからそこに注目した時に、こういう指示が出て、目的があって、その指示と自分の心を考えっていうのを戦わせて、でもこっちを選ぶっていう主体性があれば、
そこを無視して打つっていうのもありだと思うんですけども、僕の場合みたいに見落としちゃったりだとか、っていうことであれば、そこはそこだけ切り取ればミスって言えるかもしれないし、なんかその結果が全てだみたいなところから、結果はハッピーだったけども、でもプロセスにちょっと注目してみようみたいな、授業ができる人がいればいいと思うんですけれども、
育成プロセスの重要性
スピーカー 1
なんかそれってすごく、解説書にもおそらく書いてないと思うし、プロセスを重視していくみたいな流れって、まだまだテストの点数であったりだとか、その結果に保護者も生徒も先生も注目しがちなので、なんかそれは僕もそう思います。
スピーカー 2
そうですね、そのプロセスが大事っていうのが、僕も、僕らの会社も都定制度って、先ほど楽屋デスクを紹介しましたけど、若いエンジニアを育成していくのに、いわゆる研修をいっぱいするとか、マニュアルをいっぱい用意するとかではなくて、現場の中で師匠である親方と一緒に仕事する、
今時の言葉で言うとOJTですけど、OJTよりもさらにエンジニアリングの言葉なんですけど、ペアプログラミングっていって、一緒にプログラミングしてみるとか、ペア設計っていって、一緒に設計してみるとかっていう、その師匠と弟子がプロセスを一緒に過ごすことで、物事伝えていくってことを僕ら大事にして、
それを都定制度という形で名前を付けてパッケージングして、社内で制度化してはいるんですけど、おっしゃる通り、めちゃくちゃプロセスが大事だって、僕らはこの3年やってきてようやく分かってきて、
たぶん山本さんとか学長からすると、育成とか教育にかかってる方からすると当たり前のことかもしれないけど、育成するときにできたものだけ見て、うまくいかなかった当時、若者を育てるときにうまくいかなかった当時は、以前は数年前までは、若者が作ってきた成果物を先輩とか上司がレビューをして、
それでできてるかできてないか、できてなかったらできてないよって返すっていうことだけをやってたんですけど、それだと全然育たないんですよね。
で、なんとなくできるようになってくるやつもいるんだけど、それはただ勘が良かったり、レビュー通るようにだけ作れるようになってるだけで、いい仕事できるようになってるわけじゃなかった。
だけど、それで育たなかったので、僕らは今、都定制度って言って、ちょっとコストはかかるし、師匠の大変さもあるんだけど、結構、結果はともかく作ってる途中を一緒にやりましょうということを重視していて、これもううちの会社で笑い話になってるんですけど、
リモートワークで教えてた、なので今一緒に働いてるんですけど、リモートワークで師匠が弟子に教えてたときに、どうも弟子が作ってくるプログラムが遅いと。
で、なんか時間かかってるなと。すごい簡単なプログラムを書くのにも時間かかってるなっていうので、でも結果見ると、なんとか時間はかかってるけど、ものは出来上がってくると。
これどうしたら早くなるんだろうかっていうのは分からずにいたときに、あるときリモートワークじゃなくて、一回現地で一緒に仕事してみたら、若者たちがキーボードを打つときのスペースキーですね。
そのキーボードの真ん中にあるスペースキーを、ブラインドタッチじゃなくて、人差し指で押してたんですよ。
ブラインドタッチしてる人だと、もう当たり前に親指で押した方が早いのは分かってるんだけど、誰にも教わってないから、キーボードのスペースキーは人差し指で押すって人だから、それはね、遅いんですよ。
っていうのは、これ一緒にやってないと気づかなかったし、そのプロセス見ていかないと直せなかったっていう、その結果だけ育成するときに結果だけ見るって危ないな。
危ないし、無理なんだなっていう。それもあって、僕らは一緒に働くようにしたし、若い人はリモートワークじゃなくて、師匠の近くで一緒に住んで、オフィス同じところで働いて、
家庭を見るっていうところを大事にするようにしているんですね。
なので、さっきのプロセスの方が大事っていうのは、すごい今、ちょっと自分の話いっぱいしちゃったんですけど、共感するところが多かったなっていう。
リモートワークの課題
スピーカー 1
そうですね、型とか軸っていうものだとは思うんですよね、そういうものがきっと。
中山さんがよく言う、たい焼き型の型じゃない武道的な型みたいなものっていうのが、
勉強の仕方もそうだと思うんですけれども、それを知るっていうことはすごく大事で、そこのプロセスを目的をちゃんと意識しながら、
経験していくっていうことがすごく大事だと思うんですよ。
例えば単語一つ覚えるっていうことにしても、小学校の先生が100回書きなさいって言ってるから、そのままそれが習慣となって、
何が何でも全部100回書くみたいな学び方してる子がいたりだとか、その目的とそこの手段みたいなところに、
科学的な言語習得の理論だったり、そういうことをちゃんと教えるっていうか、そこは結構僕も教えるんですよね。
だから知識は教えないけれども、そのプロセスは結構教える必要があると思うんです。
そこは本当に対面じゃないとオンラインだと見えなかったりするから、子どもたちが自由に学んでいる様子を見ると、
スピーカー 2
本当にそのあたりって大事だな、プロセスを大切にしていくっていうのは大事かなと思いますね。
学長もどうですか、その辺。
スピーカー 3
え、その辺?
そうですね。
スピーカー 2
星野君にも戻って。
星野君引っかかるよね、これね。
スピーカー 3
引っかかる、引っかかる、引っかかる。
だから僕がいっつも言ってるやつとかは、星野君の、これ監督なのかな、が言っている、
社会で活躍するには自己犠牲が必要、異性心が必要だ、必ず必要、みたいなことが書いてあるけど、
でも自己中心的リターで喜んでもらえたらよくないですか?っていう活動を日々していたりとか。
スピーカー 2
いやーそうだよね。
スピーカー 3
あとはね、じゃあ結果さえ出せばいいんですか?みたいなやつは、
まあグループでバラバラに頑張っている状態だといけてないですよねっていう、
じゃいきりは絶対起こせないよねっていうチームとして擦り合った状態を作ることが大事っていう話も日々してるわけですけど、
スピーカー 2
そうするとこういう話とか問題にはもうならないんですよね。
どうしたらよかったんでしょうね、この監督は。
スピーカー 3
この監督ね、いやわかんないけど、ファシリテーター型リーダーシップだとしたら、
スピーカー 2
これどう思う?っていう振り返りを選手同士で話し合えるみたいな流れを作るっていうのが一個あるかもしれないですね。
スピーカー 3
まあでも昭和の物語。
スピーカー 2
まあね、原作はね、もともとは昭和なので。
スピーカー 3
これを令和版にするとしたらどうだかみたいなのは面白いですよね。
スピーカー 1
なんかそのどう思うっていうセリフはめちゃくちゃ大事だなって思うんですよね。
スピーカー 2
先生ってなかなかどう思うって聞けないんですよね。
スピーカー 1
正解を伝えたいってなると。
こういうふうに書いてあるけどどう思う?とか。
確かにその、時間はかかるかもしれないけれども、
この試合の後にどう思う?はすごく必要な時間だったかもしれないですね。
スピーカー 3
ちなみにこの星野くんの二塁打の一番最後のほうとかは、
スピーカー 1
そうやって星野くんが涙で光った目をあげて、「言われたことにも依存はありません。」って言って。
スピーカー 3
選手たちが半円に並んでて、しばらくそのまま動かなかった。
ギラギラする太陽の光線が人影のないグラウンドに
白く跳ね返っていたって終わってるんですけど。
スピーカー 2
これ、もうポッドキャストを聞いてらっしゃる方は是非このURLを貼っとくので見ていただきたいですけど、
星野くんこの後、罰則として次の大会に出れないっていうね。
重すぎない?ってなりますけど。
教えない授業の意義
スピーカー 2
心身。
スピーカー 3
心身です。
そしてこの重い感じで選手も動かずにいる、この感じ。
スピーカー 2
ベアバン作りましょう。
ベアバン。
スピーカー 3
あとは山尾さん、教えない授業をやられてるじゃないですか。
それで僕の青足本にも書いたけど、
そういう授業をやってる先生って、ちゃんと教えてないみたいなことを思われがちじゃないですか、みたいな話を一緒にご飯食べながらしましたよね。
その辺でもう一回ちょっと話をしていただいていいですか。
スピーカー 1
そうですね、僕が名付けたわけじゃないんですよ、教えない授業って。
予備校がつぶれ始めた時代、2000年の最初とか、その取材をしてた記者が、
僕が当時勤めてた両国高校っていうのは、予備校いらずって言われてたんですよ。
スピーカー 2
要は詰め込んで、募集たくさんやって予備校の役割を果たしてるって言うんだったんですけど、
スピーカー 1
そこで僕は一人だけ教えない授業をやったんですよ。
その記者が見学していったら、どこも予備校みたいな授業をやってる中で、僕だけ教員が後ろにいて、
生徒はグループでワイワイ楽しそうにやってるみたいな授業を見て、なんだこれはっていう風になって興味を持ってもらって、
教えてないけども偏差値とか成果が出てるみたいな記事を書いてくれて、そこに教えない授業っていうワードを彼らがつけたんですよね。
その縁で教えない授業っていうことで、いろいろ本を書いたりだとかする機会に恵まれて、
もうそのタイトルだけで教えないとは何事かみたいな。教師としてありえないだろうみたいな。
保護者もなんかそのイメージを持っちゃうっていうのは多少あって、同僚であったりだとか。
ただその目標に向かってのプロセスとして教えないっていう選択肢があるっていう、パシリテートしていくとかコーチングしていくみたいな選択肢があるってことは当時、
なかなか理解してもらえなくて。好きなことやってるっていうよりも目標達成のために僕がこういう道で教えないっていう手法で子どもたちを伸ばしてるっていうことを何回も説明して、
同時に結果も見せながらやってたんですよね。だからまあ、その言葉のインパクトみたいなところはやり始めたときはすごくあって。
なんかお金払って、例えば私立とかだったらお金払って子どもを預けてるのに、先生何もしてないじゃないかみたいな。
っていうのを理解してもらうんです。なかなか時間がかかる作業でしたね。
スピーカー 2
先生の仕事が教えることだと定義されてたっていうか、皆さんの認識がそうなってたってことですよね、きっと。
スピーカー 1
金髪先生とか学園ドラマのイメージみたいなのが強かったり、自分が今まで経験した中で、あの先生の教え方が上手だみたいな。
とか、なんかその先生が面白い話をして、黒板に美しい文字を書いて、子どもが一目散にそれを整然と映してるみたいな。
それがいい授業みたいなイメージ。
スピーカー 2
なんかそれは、たぶん、本来の先生がやるべき仕事の一つでしかないはずなんだけど、
もしくは手段として教えるってことあったかもしれないけど、先生のやるべきことが、結構その先生イコール教える人だと非常になんか賄賞化されてしまってる気がしていて、
これはなんか僕らの会社が、よく管理とマネジメント違うって言ってるんですね。
管理とマネジメントは違う。で、管理は極力なくした方がいいと思っているが、マネジメントはした方がいいと思ってる会社なんですね。
で、僕は管理ゼロで成果上がるって本も出してるんですけど、その会社で管理をしないようにしようと。
で、そうするとみんな、それこそ本のタイトルだけ読んだ方とかから、
いや、じゃあ僕ら何をするんですか?みたいな管理職の人たちから、
いや、そんなんで会社がうまくいくわけないだろうみたいなことを言われたんですけど、
いや、管理をすることがあなたたち管理職、マネージャーの仕事なんですか?って話で、
教育とマネジメントの再考
スピーカー 2
これは本来のマネジメント、それをする人をマネージャーって言ったのを日本語にするときに管理職にしてしまったので、
管理しないといけないってみんな思っちゃったんですね。
でも本来はマネージャーなので、マネージャーはマネジメントする人なんですけど、
マネジメントは何とかすることだったり、良いようにすること、活用することみたいなことの抽象的なゴールがあると考えたときに、
じゃあマネジメントするために時には管理する必要もあるし、別に管理せずに、
それこそ本人の内発的動機で仕事してもらえばよかったり、仕組みで解決できたりすれば良いはずなので、
マネジメントで考えたら管理はもう一つの手段でしかない。
で、それはやってもいいし、やらなくても良いっていう風に、
本来そうあるのに、みんな歪症化して管理するにはどうすればいいかってことばっかり考えてたところに、
僕らはそうじゃなくてマネジメントの方が大事ですよって言ったのと、
なんか今さっきおっしゃった先生が教えるって、
これ教えるは先生にとってのただ一つの道具の一つにしか過ぎないのに、
それを使うことが先生の仕事みたいに、すごく局所化された感じがしていて、
本来先生の仕事って何だったのかって言うと、山本さん的に先生の仕事とは教えることではなく、
僕から言うとマネージャーの仕事は管理することではなく、マネジメントすることですって言ってたんですけど、
山本さん的に先生の仕事は教えることではないとしたら何なのかって何かありますか?
スピーカー 1
そうですね、なんかその10年後とか20年後をどうしたいかっていうところが常に意識しているところで、
そこで自立して自分で考えて、よくどんな教育がいい教育かだっていう議論があるんですよ。
プログラミングが必要だとか、アントレ教育が必要だとか、
ちょっと前だと小学校に英語教育入れた方がいいとか、探究授業が必要だとか、
とにかく大人が勝手に良かれと思って与えすぎてきちゃったんですね。
でも本当に大事なのは、どんなに変化する社会でも、これ学びたいなって思って、
そのアントレ教育を自分で学びたいなとか、プログラミングを自分で学びたいなって選んでいける力だと思うんですね。
その機会っていうか、その訓練をしていくっていうか、目の前の2つの選択肢があった時に、
何か自分の意思で選んでいくっていう経験をたくさん積み重ねる場を作っていく、
デザインしていくっていうのが僕の仕事かなとは思う。
スピーカー 2
いいですね。自立して自己決定していける人材を育てていくことが本来の教師の仕事になり、
そのために教えるときは教えるけど、教えなくてもできるならその方がいいねっていうことなのかなというふうに僕は今理解。
スピーカー 3
教師っていう言葉で僕思い出すのが、20年ぐらい前にラグビーの平尾誠治さんの本何冊か読んでた時があって、
その中に、日本には教師はいるけど育士がいないみたいな話が出てきたんですよ。
自立した学びの重要性
スピーカー 2
教育って言うけど教師ばっかりしかいないよね。育士どこいるかみたいな。
スピーカー 3
そんな話が結構印象に残ってて。
スピーカー 2
教師って言うと、やっぱり授業をする感じあるけど、先生って言いますもんね。
教師と先生ってなんか、ちょっと先生の方が広い感じするし。
スピーカー 1
育士がどこにもいないんですね。
スピーカー 2
管理職とマネージャー的な感じの違いを感じますね。
ティーチャー、ティーチャー、そうなのかな。
ちょっと面白いな。
この言葉の違いを言い出す僕ら。
好きなやつですね、僕ら。
ということで、第1回としては、なんとなく山本さんのご紹介にもなりつつ、
僕らも興味深い話が聞けたのと、
僕は令和版の星野君をもう一度作りたいなという気持ちになりましたが、
第2回はどんな話になるかお楽しみにということで、また来週。
さようなら。
34:23

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