よろしくお願いします。
よろしくお願いします。こんにちは。
お願いします。
ようこそ有機。
イェーイ。
兄貴。
兄貴そうな。
いいのの兄貴。
自分としてはもう有機にいる3人のお兄さんのうちの1人みたいな感じです。
まだお兄さん枠でいいかな。
全然いいですよ。
ずっと永遠のお兄さんです。
全然いいですね。
ありがたい。
ちょっと簡単にご紹介すると、
伊野さんは茨城県有機市で、ご存知の方も多いと思うんですけど、
有意プロジェクトというのを結成されて、有市であったり、有意農土という企画運営をされているような方になります。
佐野さんからも何か補足があれば。
そうですね。
有機の街の特に北部市街地、JR水戸線から北口に出てまっすぐ行くと北部市街地という古い街並みが残るエリアがあるんですけれども、
そこを舞台に、かつては有市というアートとクラフトのお祭り、街開きのイベント、街歩きイベントをやっていて、
最近では有意農土という街を舞台にした音楽フェスをされていたり、
それだけではなくて、リノベーションとか、街に人をつないできたりとか、そういうこともどんどん取り組んでいるプロジェクトが有意プロジェクト。
自分も、今は幽霊部員みたいな感じですけど、かつてそこで一緒に活動させていただいて、実はそこでの活動が結構今につながっているというところでもあります。
素晴らしい。
さすが。
今日は里帰りした気分です。
ようこそふるさとへ。
でも佐野さんの活動の原点でもありますよね。
そうですね、本当に本当に。
クラウドファンディングのページの中でもご紹介はされてますけども、いいですね、原点に帰ってきたというところで。
嬉しいね。
ありがとうございます。
ちなみに私は、伊野さんの高校の後輩ですっていう。
改めて再確認。
実はそうだったっていう。
っていうふうなつながりになってます。
伊野さんにいろいろお仕事とか働くっていうことをちょっとお話し聞いていければなと思うんですが、
まず最初にですね、最近の伊野さんの活動について聞いていければなと思うんですけど、最近はこんな活動してます?
活動してます?仕事の方?活動の方?
どっちも。
二度としてのものと、あとユイプロジェクトだったり、むすびととしてだったり、なんかその両側面が良いかなと思ってます。
意識の中では自分のやってることとして、設計事務所としてなりわいにしてる部分と有機での活動っていうのは、
境がないっていうか、意識の中では一つの感覚でやってるんだけど、
有機のことで言うと、今3人みんないるね、このホテル展をできて今年で2年目かな。
で、この運営が安定させるってところを大事に今年はやってきたし、
仕事の方もやっぱりこういう宿を作ってみると、不思議とそういう宿を作りたいんですとか、
お民家をリノベーションして使いたいんですっていうような相談が、やっぱり今年また出てきて、
なんかすごくこう、自分の目指してる方向とか活動と仕事を、
実は交談しながらやってきたなっていう感覚ですね。
宿はなんでやっぱりやろうってなったんですか?
え、有機になかったから。
大事。
これね、でも本当、さっきユイノートの話紹介してくれたと思うんだけど、
やっぱりイベントを通して有機のことを知ってくれる方が増えてきて、
日常的に有機に来てくれても会う場所がなかったんですよね。
その中で、やっぱり自分たちも場を持たないと有機の街変わっていかないよっていう、
大先輩たちの知った劇でもあり、
やっぱり自分たちも場を持とうっていうのが、
有機プロジェクト始めて3年目、4年目くらいかな、そう思うようになったのは。
最初に作ったのが有機の輪で、
ここが有機の輪を外から来た人が初めて有機に訪れた時に来てもらう場所で、
ハブになって、そこから有機の人とつなげたりとか、
有機の輪を通して新しいことを始めたい人がチャレンジできる場を作れたら、
有機有能と目指してた世界観が、日常的にも有機の輪を介して生まれていくんじゃないかなっていうところで、
有機の輪を作ったのが2017年か。
2010年からスタートしたから7年かかって。
そんなになっちゃった。
割とそうだよね、そう思うと。
もともと有機の輪って、ひらがなの有機の輪の自分たちのアジト的なスペースを街中に持ってたんだけど、
すごく狭いスペースだったし、
作家さんにお願いしてギャラリーとして使ってもらったりとか、
夏祭りの時も自分たちでイベントやったりとかしてたんだけど、
やっぱりそんなに広いわけじゃないし、日常的に開いてる場所じゃなかったんで、
今思い出すけど、佐野くんが時々自分の作業スペースに使ってくれたりとかそういうのもあったけど、
やっぱりいろんな人が来た時にそれをちゃんと受け皿になる場所が必要だなってところで、
有機の輪をチャレンジキッチンとコーワーキング、シェアスペース、シェアオフィスっていう機能を入れた接点となるような場所を作ったのが、
ソフトから始まってハードの方に繋がっていったっていうのが一つの転機で、
宿をどうして作ったんだって話になると、有機の輪ができたことで、
普段に有機に来てくれる人を受け止めやすくなったっていうか、
すごい繋がりやすくなって、そこから視察の話もいただくようになったんで、
ユイチとかユイノートでお借りしてた場所、それこそ酒蔵だったり、味噌屋さんだったり、お寺だったり、
そういうところを案内したから、どんなふうに使ってたんですとか、
どういう関係性を持って今こういう授業やってるんですとか、
普段やってることを話しながら街案内すると、来てくれた人って、
街との接点をどう作るとか、どういう活動してるかって興味あるんで、
自分たちが普段やってることを面白がってくれたっていうか、
そういうのを通して有機を見ると、面白い街だなって言ってもらえるようになったのがだんだん分かってきて、
夜はご飯食べるし、一緒にお酒飲むし、有機すごいいいねってなるんだけど、
ビジネスホテルしかなかったんで、そこでせっかく有機の街を触れながらも、
夜は一旦そこで切れちゃうっていうか、もちろんビジネスホテルもいいんだけど、
やっぱり有機らしい宿っていうか、泊まる体験も踏まえて、
できるといいよねって言われるようになったの、来た人がすごい言ってくれるし、
自分たちも次作るのは宿だなみたいな、そういうのが出てきて、
そこから次は宿を作る構想になってたんだけど、
自分が偉そうに補足するのもあるんですけど、
時系列で言うと、まずユイプロジェクトというものが立ち上がったのが2010年とかですかね、
そこからこの街を舞台にした、さっき言った有機域から北側の街を舞台にしたユイ市というのが始まって、
その過程の中で、まず旧ユイの輪が、ひらがなのユイの輪ができあがって、
そこでアジトとして始まり、そこからまた活動を重ねていく中で、
今現在やっているアルファベットのユイの輪ができて、ちょっと外から人が来てもらえるようになり、
そこからさらにイベントを重ねたりとかしながら、
じゃあもっとこの街の中をしっかり楽しんでもらおうとか、
人との接点を作っていこうっていうのもありで、
この点のところに点ができたという時間の流れですからね。
あのあいつがみたいな。
そんなチャレンジされるんだと思って、びっくりしてDMしたのを覚えてますけど、また違う感覚なんですね。
確かに本当に試行錯誤してますとは言ってはいなかったんですけど、
そもそもユイプロジェクトに参加したのって、外の世界をもっと知りたかったっていうのがあったんですよ。
当時は本当にどうしたらいいか何も分からなかったし、今みたいなローカルみたいな世界があることも知らなかったんで、
ボランティアだったら能力とか関係ないからいけんだろうって感じで飛び込んだっていうのもあったんですよね。
そこから本当に仲良くしていただいて、
今でも覚えてるのが、野口さんが最初訪ねて行った時に、すごい丁寧にユイプロジェクトの活動を説明してくださって。
そういうところから受け入れてくださって、ユイイチの時も結構しっかりポジションを途中から任せてくださって、
そうやって信頼していただけるのは嬉しいですし、そうなってくると面白くなって、自分ももっともっといろいろやってみようって気持ちになってきますし、
そういう積み重ねがあって、ちょっとずつ自信をつけてここまで来たんだろうな、自分はって感じはしてますね。
いい話。
でも確かにユイプロジェクトを通じて佐野さんを知ったっていう人結構多いよな。
でもそうですね、一時期僕はあれです、自己紹介の時に、僕は出身下妻なんですけど、自己紹介で面倒だったんで、ゆうきから来ましたって言ってましたね。
確かにゆうきの人かと思ってた時ありました。
その方がもう活動のことも説明しやすいし、ゆうきの街も説明しやすいんで、っていう感じでしたね。
確かにユイプロジェクトが生んだっていうのは、本当にそうかもしれない。
でもあれですよね、小池さんもすごいキーワンだなって今日話聞いてて思って、
なんかファミレスでくどかれて、ビジュアル作られるようになって、そこをきっかけに佐野さんが入ってきて、
で今本を一緒に作ってるっていう、この繋がりすごくないですか結構。
いやでも自分も、実は最初小池さんのことは本に出ていただく側で声かけてたんですけど、
そこがいろいろあって、デザイン作る側に回っていただいてるんですけど、
なんかやっぱこう一緒に活動していたからこそ、安心感と信頼感があって、
なんだろうな、良い意味で聞きやすく相談できたような感じがして、
おそらくですけど小池さんもちょっと見守ってくれる眼差しがちょっとあって、
そこに甘えさせていただきながらも、今すげーかっこいいの作って残ってるんで。
小池君もね、絶対嬉しいんだと思うよ。
素敵ー。
佐野君のチャレンジが。
小池さんもやっぱりユイプロに行った頃から結構気にかけてくださってて、
なんかこんな良いお兄さん3人に囲まれて、
確かに。
ありがたいなって。
しかしチャレンジを喜んでくださってるっていうのが何より素敵な関係ですよね。
それがなかったら違う本になってたか。
ビジュアルは確実に小池さんのね、こんな繋がりがなかったら違うものになってたかもしれないですから。
私たちは無理やり自分で本のデザインとか作ってたかもしれないので、
それはちょっと絶対に避けたい事態ではあるので。
ある意味ユイプロジェクトがワークライツを生んだ可能性さえあれば。
そうですね。
大きく言えば。
佐野巧を生んだ。
佐野巧を生み、ワークライツも生み。
それくらい言ってもらえるようにならないとですね。
兄弟プロジェクトの可能性が出てきましたね。
ユイプロジェクト、兄弟プロジェクトってめっちゃ羨ましい人多いですね。
なんかね、ちょっとどやれますね。
それはめっちゃどやれるかも。
いいですね。
じゃあたくさんお話聞かせていただいたというところで、
最後に飯野さんから、
このポッドキャストを聞いているリスナーの皆さんに、
これから働くとか仕事にうなずきたいなって思っている方もいらっしゃると思うんですけど、
そういった方々に何かメッセージをいただければなと思います。
メッセージ。
そうですね、やっぱり好きで始めたことだから、
やっぱりこう仕事にしてみて、いろんな状況変わったりとか、
今がすごい忙しすぎちゃって見えなくなっちゃう時あるけど、
さっき最初言ったような最初の気持ちを大事にしてあげないと、
やっぱり自分が一番理解者だし、
何で始めたのか知ってるのは自分だから、
自分がそう自分を裏切らないようにしてあげて、
それをまた頑張ってみようって続けられると、
絶対その時だけはしんどくても絶対いいことあるし、
長く続くからこその景色っていうか見方あると思うんで、
ちょっとだけ先に始めたものとしてはやめないって、
それは素敵なことだと思うので、
自分が好きになったものを信じてみなさん、
一緒に頑張りましょう。
頑張ってくださいっていうより一緒に頑張りましょう。
最後にこれだけ聞いていいですか?
自分を裏切らないために、
井野さんだったらどうしてますか?
どうしてますか?
でも本当そうだね、裏切らないために、
嘘はそこつけないから、
そうなんですよ。
自分は結構グーッと我慢して、
俺が我慢すればいいんだでやっちゃう方なんですよ。
っていうのは体に悪いなってよく分かってきたので、
我慢、我慢っていうのは、
例えば仕事の、
例えばですけど、得意じゃないんだけど、
やるしかないから堪えてでもやろう、
ってなって自分はそれがずっと続いていっちゃったりするんですよ。
やっぱりパフォーマンスも出せなくなっちゃったりして、
結構悪循環が起こってくるんですけど。
もちろんね、自分の能力を大きく超えた案件とかね、
お話もらったときは、
設計、建築士って今プロでは自覚してやってるけど、
それがすごく大きく超えたときのプレッシャーって強いし、
本当にこの業界は締め切りがつきものなので、
そこをきっちり守らなきゃって、
本当に大変なときもありますけど、
そういう意味ではそこは頑張っちゃうときはあるけどね。
でもやっぱり自分が嫌いにならないようにしてあげるというか、
頑張ったときは自分を許してあげて、
少し休むのも大事。
そうですね。
自分が倒れちゃうと相手に迷惑しちゃうから。
もちろんね、いろんな仕事あるし、
一つ一つね、誠実に向き合うって大事だから、
そのバランスをどうとっていくかっていうのは、
自分でうまくやるしかないんだけど、
うまくコントロールしながら自分をやっていかないと、
本当に仕事って大変だよね。
どんどん締め切りを真ん中にしちゃうとね。
バランス取れなくなっちゃうこともありますし、
自分が辛いまま仕事を続けてしまって。
オフは作るの?
作ろうとしてるんですけど、
自分の場合は本当に苦手なことを続けてきてしまったので、
オフを作りたくても作れなくなっちゃったっていうのは結構ありますね。
そういう辛さ。
でも俺はこれしかできないからやっていくしかないんだっていう、
強制的な諦めみたいな。
でも本当、自分もそうだけど、
すごい大きな趣味はないけど、
自分に帰るのに、本当サウナ好きだし、