今回は、WORKLIGHTS編集長の佐野にとって「地域に飛び込むきっかけとなった場所」茨城県結城市にて、飯野勝智さんにお話を伺いました。
茨城県結城市を舞台に活動する結いプロジェクトは、佐野にとって地域と出会いライターとして仕事をするようになるきっかけでもある団体。そのリーダーを務める飯野さんは、佐野にとって「兄貴」的な存在。
そんな飯野さんに「自分の仕事にうなづけてますか?」という問いをなげかけさせていただきました。
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サマリー
このエピソードでは、茨城県有機市のイニシアティブで活動する飯野克敏さんがゲストとして登場し、彼の仕事や有意プロジェクトへの取り組みを語ります。地域の魅力を伝え、地元の人々とのつながりの重要性に焦点を当て、リスナーに働くことの意義を再認識させる内容となっています。飯野さんの建築設計への道のりや、ゆいプロジェクトの意義も語られ、特に地域貢献のために行動を起こした理由や過程が深く掘り下げられ、独立してからの成長の実感にも触れられています。建築家の井野さんは自身の経験を通じて、シンプルな気持ちを持ち続ける重要性を語ります。特にガウディの建築について触れ、それが彼の建築観や人生観に与えた影響を考察します。自己理解と自己信頼の重要性についても語られ、特にしんどい時に最初のシンプルな気持ちを思い出すことで自分を支える方法が紹介され、ユイプロジェクトやサウナなどの自己ケアの実践も取り上げられています。今回のエピソードでは、飯野さんをゲストに迎え、仕事に対する気持ちを再確認し、意義を感じられる働き方について語ります。
ゲストの紹介
働く道しるべとなる本、WORKLIGHTS編集部プレゼンツ、ポッドキャスト。この番組は、編集長佐野とクラウドファンディングサポートの宮田が、本作りやクラウドファンディング挑戦の裏側を語っていきます。
佐野さん、今回もよろしくお願いします。
佐野さん、よろしくお願いします。
本日の収録がですね、12月27日土曜日、14時35分になります。
仕事収めも終わってからの収録です。
収まったのかな?
収まってないです。
収まったよな、収まってないよな、みたいなタイミングですが。
今日はリアル収録ということで、佐野さんとはいつもオンラインでお話しさせていただいてるんですけど、リアルお久しぶりです。
そうですね、もう何年ぶりかわかんないかぐらいのお久しぶりです。
確かに、確かに。実物だっていう感じで。
僕はAIではありません。
というところで、今日は場所なんですが、茨城県結城市にあるホテル10にお邪魔しております。
すごい素敵な場所ですよ。
ちょっとここもね、ここの話を後ほどできればなと思うんですが、今回ですね、ゲストをお迎えしての特別会になります。
ワークライズでは自分の仕事に頷ける人を増やしたいという思いを胸に活動していますが、今回はゲスト会というところになりますので、その方にですね、今お仕事に頷けてますかっていうようなお話だったり、
あとはどうやってご自身が頷けるお仕事に出会えたんですかみたいなお話をちょっとたっぷり聞いていければなと思います。
リスナーの皆さんにとってもですね、明日の働くがまたちょっと前向きになるようなきっかけになると嬉しいなと思っています。
ではですね、本日のゲストを早速ご紹介していければと思います。
地元の良さを伝え、残したい思いで人と人、人と街を結ぶというキーワードをもとにですね、
有機種で活動されている皆さん大好き、みんなの兄貴、いいのかつとしさんです。
有意プロジェクトの活動
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。こんにちは。
お願いします。
ようこそ有機。
イェーイ。
兄貴。
兄貴そうな。
いいのの兄貴。
自分としてはもう有機にいる3人のお兄さんのうちの1人みたいな感じです。
まだお兄さん枠でいいかな。
全然いいですよ。
ずっと永遠のお兄さんです。
全然いいですね。
ありがたい。
ちょっと簡単にご紹介すると、
伊野さんは茨城県有機市で、ご存知の方も多いと思うんですけど、
有意プロジェクトというのを結成されて、有市であったり、有意農土という企画運営をされているような方になります。
佐野さんからも何か補足があれば。
そうですね。
有機の街の特に北部市街地、JR水戸線から北口に出てまっすぐ行くと北部市街地という古い街並みが残るエリアがあるんですけれども、
そこを舞台に、かつては有市というアートとクラフトのお祭り、街開きのイベント、街歩きイベントをやっていて、
最近では有意農土という街を舞台にした音楽フェスをされていたり、
それだけではなくて、リノベーションとか、街に人をつないできたりとか、そういうこともどんどん取り組んでいるプロジェクトが有意プロジェクト。
自分も、今は幽霊部員みたいな感じですけど、かつてそこで一緒に活動させていただいて、実はそこでの活動が結構今につながっているというところでもあります。
素晴らしい。
さすが。
今日は里帰りした気分です。
ようこそふるさとへ。
でも佐野さんの活動の原点でもありますよね。
そうですね、本当に本当に。
クラウドファンディングのページの中でもご紹介はされてますけども、いいですね、原点に帰ってきたというところで。
嬉しいね。
ありがとうございます。
ちなみに私は、伊野さんの高校の後輩ですっていう。
改めて再確認。
実はそうだったっていう。
っていうふうなつながりになってます。
伊野さんにいろいろお仕事とか働くっていうことをちょっとお話し聞いていければなと思うんですが、
まず最初にですね、最近の伊野さんの活動について聞いていければなと思うんですけど、最近はこんな活動してます?
活動してます?仕事の方?活動の方?
どっちも。
二度としてのものと、あとユイプロジェクトだったり、むすびととしてだったり、なんかその両側面が良いかなと思ってます。
意識の中では自分のやってることとして、設計事務所としてなりわいにしてる部分と有機での活動っていうのは、
境がないっていうか、意識の中では一つの感覚でやってるんだけど、
有機のことで言うと、今3人みんないるね、このホテル展をできて今年で2年目かな。
で、この運営が安定させるってところを大事に今年はやってきたし、
仕事の方もやっぱりこういう宿を作ってみると、不思議とそういう宿を作りたいんですとか、
お民家をリノベーションして使いたいんですっていうような相談が、やっぱり今年また出てきて、
なんかすごくこう、自分の目指してる方向とか活動と仕事を、
実は交談しながらやってきたなっていう感覚ですね。
宿はなんでやっぱりやろうってなったんですか?
え、有機になかったから。
大事。
これね、でも本当、さっきユイノートの話紹介してくれたと思うんだけど、
やっぱりイベントを通して有機のことを知ってくれる方が増えてきて、
日常的に有機に来てくれても会う場所がなかったんですよね。
その中で、やっぱり自分たちも場を持たないと有機の街変わっていかないよっていう、
大先輩たちの知った劇でもあり、
やっぱり自分たちも場を持とうっていうのが、
有機プロジェクト始めて3年目、4年目くらいかな、そう思うようになったのは。
最初に作ったのが有機の輪で、
ここが有機の輪を外から来た人が初めて有機に訪れた時に来てもらう場所で、
ハブになって、そこから有機の人とつなげたりとか、
有機の輪を通して新しいことを始めたい人がチャレンジできる場を作れたら、
有機有能と目指してた世界観が、日常的にも有機の輪を介して生まれていくんじゃないかなっていうところで、
有機の輪を作ったのが2017年か。
2010年からスタートしたから7年かかって。
そんなになっちゃった。
割とそうだよね、そう思うと。
もともと有機の輪って、ひらがなの有機の輪の自分たちのアジト的なスペースを街中に持ってたんだけど、
すごく狭いスペースだったし、
作家さんにお願いしてギャラリーとして使ってもらったりとか、
夏祭りの時も自分たちでイベントやったりとかしてたんだけど、
やっぱりそんなに広いわけじゃないし、日常的に開いてる場所じゃなかったんで、
今思い出すけど、佐野くんが時々自分の作業スペースに使ってくれたりとかそういうのもあったけど、
やっぱりいろんな人が来た時にそれをちゃんと受け皿になる場所が必要だなってところで、
有機の輪をチャレンジキッチンとコーワーキング、シェアスペース、シェアオフィスっていう機能を入れた接点となるような場所を作ったのが、
ソフトから始まってハードの方に繋がっていったっていうのが一つの転機で、
宿をどうして作ったんだって話になると、有機の輪ができたことで、
普段に有機に来てくれる人を受け止めやすくなったっていうか、
すごい繋がりやすくなって、そこから視察の話もいただくようになったんで、
ユイチとかユイノートでお借りしてた場所、それこそ酒蔵だったり、味噌屋さんだったり、お寺だったり、
そういうところを案内したから、どんなふうに使ってたんですとか、
どういう関係性を持って今こういう授業やってるんですとか、
普段やってることを話しながら街案内すると、来てくれた人って、
街との接点をどう作るとか、どういう活動してるかって興味あるんで、
自分たちが普段やってることを面白がってくれたっていうか、
そういうのを通して有機を見ると、面白い街だなって言ってもらえるようになったのがだんだん分かってきて、
夜はご飯食べるし、一緒にお酒飲むし、有機すごいいいねってなるんだけど、
ビジネスホテルしかなかったんで、そこでせっかく有機の街を触れながらも、
夜は一旦そこで切れちゃうっていうか、もちろんビジネスホテルもいいんだけど、
やっぱり有機らしい宿っていうか、泊まる体験も踏まえて、
できるといいよねって言われるようになったの、来た人がすごい言ってくれるし、
自分たちも次作るのは宿だなみたいな、そういうのが出てきて、
そこから次は宿を作る構想になってたんだけど、
自分が偉そうに補足するのもあるんですけど、
時系列で言うと、まずユイプロジェクトというものが立ち上がったのが2010年とかですかね、
そこからこの街を舞台にした、さっき言った有機域から北側の街を舞台にしたユイ市というのが始まって、
その過程の中で、まず旧ユイの輪が、ひらがなのユイの輪ができあがって、
そこでアジトとして始まり、そこからまた活動を重ねていく中で、
今現在やっているアルファベットのユイの輪ができて、ちょっと外から人が来てもらえるようになり、
そこからさらにイベントを重ねたりとかしながら、
じゃあもっとこの街の中をしっかり楽しんでもらおうとか、
人との接点を作っていこうっていうのもありで、
この点のところに点ができたという時間の流れですからね。
働くことの意味
しかもその流れの中で、これは飯野さんが本業でやってることじゃなくて、
別にちゃんと本業は建築士としてあって、
その傍らユイプロジェクトという活動も続いていったってことですもんね。
でも私ユイプロジェクト、最初確かアジトのあたりで見かけるようになって、
なんかやってる人たちいるみたいな、
なんか勇気で面白いことやろうとしてる人たちいるみたいな気配を感じつつ、
でも本格化していって、どんどん仕掛けていかれたじゃないですか。
いやなんか、えぐいものが勇気で始まったみたいな、
下の世代からするとすごいことになってきた勇気みたいな、
すごいワクワクさせてもらった当時のことをすごい思い出しながら今聞いてました。
本当に兄貴って感じの気持ちですけど。
でもね、ひとみやたさん世代でもこの勇気のイベント、
茨城にはこれまでなかったなんか素敵なものが勇気の街に生まれてるみたいな、
そういう印象だったんじゃないかなって。
めちゃくちゃそんな感じですよ。
勇気なんかめちゃくちゃ身近な街だったんで、
ここでこんなおもろいことが始まってしまったんだみたいな感じもありましたし、
アーティストさんとかも私、音楽でたくさんのアーティストさん来られてましたけど、
勇気でこの人が音を奏でているみたいな。
なんだこの状況みたいな。
もうなんか本当、夢を見させてもらってたなっていうのを改めて。
めっちゃ嬉しいね。
いや本当、そう思ってる同世代めっちゃいると思いますよ。
希望をめちゃくちゃ地域に持ったっていうか。
そんな色々仕掛けてきた井野さんですが、
今のお仕事、働くってことを頷けていますか?
もうすごいね。
今日はこれを聞きますよって。
2つではないですけど。
ドキッとするよね、これ聞かれるとね。
答え方色々なんだよね。
でもやっぱり、今年も本業の方もありがたいことに忙しくさせてもらって、
やっぱりね、今は今のフェーズがあるじゃん。
独立した時の独立した時のフェーズがあって、
やっぱりその時も夢中でやってきたし、
今も関わる人も増えたし、
仕事も個人から大きい話も出てきてるので、
すごい緊張感を持ってやらせてもらってますけど、
飯野氏の建築設計の仕事
その中に自分が見受けてるっていうのは、
幸せなことだなっていうのは思う。
なかなかこういう立ち止まる機会ないしさ。
昨日一応仕事納めで、もうやりきったって思ってさ、
はぁってなるけど、
改めて、年末だからじゃないけどさ、
自分が関わってきた建築の設計の仕事をこうやって見ると、
やっぱり一つ一つ大事だし、
それを自分で独立して始めようって思った時から、
もう15年経つけど、
なんかそれを今も思えるっていうのは、
ありがたいに尽きるかな。
独立した時の思いも聞きたいんですけど、
飯野さんのことを知らない人のためにざっくり、
メインの本職としてのお仕事をざっくり話してほしいです。
本業はですね、2度1級建築事務所っていう建築の設計事務所をやってまして、
独立したての頃は新築の住宅が多かったんですけども、
そこから店舗だったりとか、
新築以外にも古民家のリノベーションとか、
そういったお話をいただくようになって、
割と最近ではですね、
縁があって福祉施設の事業なんかもやらせてもらうようになって、
本当に規模感も大きいものに変わりつつあるのと、
本当にそういう建築を軸に置いた仕事をしてます。
実際なんか建築師の方ってたくさんいると思うんですけど、
自分なりの持ち味って何か?
持ち味ですか?
もちろんお客様のリクエストにお答えしていくと思うんですけど。
スイッチ入っちゃった。
インタビュースイッチ入った。
これね、入れないように気をつけてるんですよ、いつも。
でもね、僕は本当にこの活動を通して、
自分の仕事の幅って広がっていったと思ってますし、
やっぱりこのゆいプロジェクトで始めたことから、
ゆいの輪ができて、点ができて、
自分のキャラクターが活動を通して理解されてたっていうか、
広まっていったのもあるなと思っていて、
なのでそういう今やってる仕事も、
ゆいプロジェクトの活動のキャラクターがあるからこその依頼だったり、
割とスタートアップっていうか、
これから何か始めたいっていう人の相談がやっぱり多くて、
なので、本当に例がないことが多い。
なのですごい大変だけど、
一緒に形を作る作業ってやっぱり好きなんで。
だってサウナも手掛けましたよね。
ゆいの輪のサウナもできたりとか、
それこそ小民家を使ってパン屋さん作りたいとかさ。
そこは僕じゃないんですけど、県内で話があったりとかね。
でも確かに一級建築事務所さんの方って、
普通に暮らしてたらお会いできる機会がないですよね。
あんまりないかも。
たまたま自分は身近だから、
どういう話をする人かわからないですけど。
今はSNSが普及されたから、
自分が設計に関わったものを見てもらう場って増えたし、
建築士の仕事っていうものが広がったけど、
独立した頃はまだまだ本当にSNSが始まったくらいで、
どうやって自分の仕事を広めていこうとか、
本当に一件建て終わったら内覧会を開かせていただいて、
そこに来てもらったお客さんが、
うまくいけば次のお客さんになるっていう、
本当にバックチじゃないけど、
すごい細い円を大事にしないと。
なので、なかなかね、
ホームページに載せて写真とかを見てもらって、
話をもらうっていうのは最初はなかなか難しかったです。
でも確かに違う繋がり方が、町の人たちとの繋がりっていうのは、
こういう地域のプロジェクトを通じて出てきますね。
だから最初は僕が設計の仕事をしてるっていうのは、
わりと町の人が、他の人が認知されてなくて、
相方の野口君と一緒にご一緒だから、
完全に商工会議所の職員の一人だと思って。
市の職員か。
でも俺だけいつもハーバーにTシャツで。
今はね、ハーバーじゃないけど。
年齢的にもね、ハーバーじゃないけど。
ゆいプロジェクトの始まり
なんでだよ、わりとゆるくやってると。
僕がゆいプロの時はよくその格好だったなって。
確かに、お兄さんって感じ。
ちなみにゆいプロ、本職もありつつ、
ゆいプロの活動もあると思うんですけど、
ゆいプロの地域の活動の方をやられてる時って、
働く仕事だぞみたいなモードでやってるんですか?
それとも違う感覚で関わられてるのか?
同じというか、プロジェクトの一つの意識で。
そうなんですね。
最初はね、わりと行かなくて、やっぱり夢中になっちゃうっていうかさ、
やり切ってイベントが終わると、
その時やってた仕事がスポンとなくて、
意識の中で、それがもう怖いっていうか。
それはイベントやってる時って、
本業の方までそんなに頭のリソース割けないから、
一回ちょっと頭から抜けてる状態になってるみたいな。
やっぱりそっちに集中しちゃうと、
でもそれではやっぱり自分の身が持たないっていうか、
お客さんに対しても、やっぱり常に同じ意識を持たないといけないと思って、
もう全部、活動も仕事も同じプロジェクトとして、
一つ一つ扱うようになったら、
もうただ回るようになってきたと。
めっちゃヒントじゃないですか。
意識の持ち方だけ。
飯野さんからしたら、建築設計というお仕事があって、
ユイプロジェクトっていうのをやらなくてもいいという選択肢があったわけじゃないですか。
極端な言い方をすると。
極端に言うとね。
でも、そういう活動されてるのって、
やっぱりやった方がいいだろうなっていうのが、
ご自身の中であったかなと思うんですけど。
もちろんもちろんね。
自分が生まれ育って住んできた町が、
やっぱりだんだん元気なくなってくるのを、
20代の頃、悶々と見ながら見てて、
やっぱり何かアクションを起こしたいなと思ってたし、
やっぱり実家が砂漢屋っていう建築に携わってきた仕事を見てきたので、
やっぱりそこから自分は設計の方に住んだから、
やっぱりそういうところから町を変える動きを取りたいなって。
20代の頃は悶々としてたけど、きっかけがなく、
本当に30代になる手前ぐらいで、
自分も資格を取って、
やっとちょっと地元の方に向くようかなって思ったときに、
商工会議所の中に町づくり会社があって、
そこの社長さんが、僕の実家の近所の坂屋の社長っていうのもあったんで、
井上くんじゃ何かやりたいんじゃ、企画書持ってきなよみたいな、
そういう感じで作ったのがユイプロジェクトっていう企画書を。
そういう担当だったんだ。
当時野口くんが商工会議所の中で、町づくりの方のTMO担当になったんで、
その前任の人が引き合わせてくれて、
神社でマルシャとかやりたいんだよねみたいな、そういうお二人で。
もうやろうよみたいな、盛り上がりで。
作った企画書をユイプロジェクトで、その時にユイチっていうのを一緒に考えたんで、
それをプレゼンして、
そういうイベントを引き合わせてもらって神社で、
本当に小さなマルシャだけど、
当時半年くらいかけて制作まで作ったっていうのが何より楽しかったし、
自分の表現の場を街中に持てたっていうのが、
単純その時は嬉しかったし。
みんなの大先生の小池くんも、
最初の時に僕ファミレスでくどいて、
そうなったんですね。
小池くんと一回繋がってたんだけど、
ユイプロジェクト始める時に共通の知人が、
小池くんいいんじゃないみたいな、
で改めて連絡取って、
小池くん当時子がだったから、
ファミレスで二人で会って、
ユイプロジェクトの企画書を持ってって、
勇気でやろうと思ってるんだけど、
だからラブレターみて、
しかもそれなかったら、
井野さんがくどいてくださらなかったら、
自分もユイプロ参加してなかったです。
小池さんが作ったポスター、
2013年かそれくらいのポスターを見て、
俺もここで参加したいなと思って参加した。
小池くんの参加は自分たちにとっても大きくて、
僕とか野口くんがやりたい、
形にならない思いみたいな最初、
それを汲み取って、
デザインに落とし込んでくれて、
本当に外からそれをメッセージとして、
持ってくれたっていうのは本当に感謝です。
イケイケなイベントだって思わされますもんね。
葛藤と成長の物語
言ってもそう思ったけど、
すごいな。
1個ちょっと伺っていいですか。
今日掲げているテーマの仕事に頷けるかどうかっていうことで、
今までの話の流れの中で、
3つのターニングポイントじゃないけど、
例えばもう自分は3つあるのかなと思って、
1つは伊野さんが自分は建築の道に行こうって、
建築設計に行こうって思ったのと、
独立しようって思ったのと、
あとユイプロジェクトをやろうって思ったところ、
この3つがターニングポイントかなと思って、
それぞれに自分に頷く、
この道で行こうのを頷くっていう、
心境の変化とか、
葛藤とかもあったのかなって思ったんですよ。
どうですか、最初の建築設計に行こうって思ったのは。
ご実家は左官屋さんじゃないですか。
しかもだいぶ歴史の長い。
7代先生。
長男じゃないですか。
だけど建築設計っていう。
僕は実家が左官屋で長男だったから、
やっぱり継ぐものだみたいなのがずっとあったし、
自分もそれをそういうふうに思ってたから、
勇気は出ることができないって思ってたんだけど、
自分もそう言い聞かせちゃったんだよね。
ずっと継ぐ継がないっていうのを、
中学、高校の時はずっとプレッシャーじゃないけど、
いずれは自分がやっぱりって思いながら、
一方でやっぱり親の仕事とかを見る中で、
建築って面白そうだなって思うようになって、
きっかけは中学校の時にテレビで見た、
ガウディの桜座ファミリア。
なんだこれって思って。
インパクトは大きいですよね。
そういうものが世界にあるんだと思って、
建築っていうものを初めて知った世界がガウディだった。
やっぱり高校が進学校に行ったのもあったから、
大学は建築学科に進もうって決めてたし、
その頃でもまだ実家のこともどうなるんだろうって思いながらも、
やっぱり興味がある方に進んでいったんで、
割とこっちの世界を目指そうと思ったのは、
中学校の時だけど、
ずっと実家つがない問題を悩みながら大学まで行った。
それは親からも言われてたみたいな感じなんですか。
やっぱりね、古い家だしさ、
7代続いてたから、
自然とそういう空気というかね、
長男なりに自分なりにも思ってたし。
井野さんなりの一番の葛藤のポイントって何なんですか。
やっぱりつがなきゃって。
それは自分を押し殺すみたいな感じなんですかね。
押し殺す、当時はね、どう思ってたんだろうね。
でもなんか、自分もそれが当たり前だと思った。
わかる。
うちも梨屋なんで、
3代目親だったんで、
どうすんだこれみたいな話はありましたね。
やっぱり職人一家だからさ、
家業と進路の決断
みんなでご飯食べる。
そういうのをピタッと合わせてさ。
うちもそうだった。
そういう10時と3時はみんなで茶飲むとか、
自然、当たり前の感じだった。
だから自然と自分も家族の中で育ってきたから、
やっぱり家業を大事にしてるって自分も大事に思ってるし、
それをやっぱり絶やすって自分がしちゃっていいのかなっていうのは。
激しく強化する。
本当そういうのが10代の頃の。
そっからどうやって自分の道。
大学入って外の世界が広がって、
でも学生の時の課題をこなすだけの毎日になるってさ。
本当自分はなんで設計好きになったのかって、
ちょっとこう自問自答。建築ってなんだろうっていう。
学問には入ったけど、そもそも建築ってなんだろうみたいな問いが、
学生の時にやっぱり出てきて、
いや、課題の図面を綺麗にレイアウトするだけが建築じゃないよなって、
自分で気づいたと思うようになって。
その答え探すじゃないけど、じゃあガウディに会いに行こうって。
で、スペインに。旅行だけどね。
1ヶ月はいかないくらいだけど。
当時、バッグだけ持って。
かっこいいっすね、なんか。
一回それやっとかないとって思って。
人はなんかそういうのあるよ。
でもやっぱ現物見に行くって、なんか気持ち的に違うものありますか?
そうやっぱりね、建築っていうか、
建築も好きだけど、街が好きだったから、
なんか見たいなっていうのがすごい多くて。
さくらなファミリアだけじゃなくて、その周辺に広がる街ってどういうの?
そうそう、ヨーロッパってどういう感じ?
物単体じゃなくても、雰囲気とかが好きなんですか?
ヨーロッパ行った時はやっぱ路地とか、工場とか、
そこでね、本当に自然にコーヒー飲んだりお酒飲んだりしてる。
街道芸人がね、パフォーマンスやったりとかさ、
なんかそういう豊かな感じっていうか、
そういうのがいいなと思って。
今の街づくり、めっちゃつながってますね、その感覚。
だからね、ガウディはね正直、建築なのかな?彫刻なのかな?とか。
確かにね。
実際見てみると。
すごい圧倒されたんだけど、
本当にスペイン、バルセロナから入って、
ずっと一周してさ、シチュー海の方まで行ってさ、
いろんな街見てきて、
本当それが自分の体験として、
そこから本当に色々本読んだり考えるようになって、
自分の建築って、こういう理想というか、
それがもう、そこからもう建築に行こうって決めましたね。
そこの降り落ちたポイントというか、
さっきの自分が頷くっていう言葉にしてるのも、
無理やり自分を納得させるじゃなくて、
自然に自分の中でそういうもんだよねって、
こうだよね、自分はこれがいいんだって思える感じかなと思って
頷くってしてるんですけど、
井野さんなりの、ちょっとスッと自分の中に入ってきた、
体験なのか、具体的な出会いがあったのか、
そこで言うとどうですか、職業にしていこうって。
職業にしていこう。
でもスペイン、学生から戻って帰ってきて、
大学3年の時だったからさ、
卒業設計がやっぱり大きなテーマとしてあって、
本当そこにのめり込んだというか、
勇気をテーマにしようって決めたの。
タイトルが恥ずかしいけど、都市の隙間っていう、
勇気は都市かよっていうツッコミがあるんだけど、
スペインで見た路地だったり広場っていうのが、
勇気もやっぱり路地が多いし、
自分が遊んできた神社だったり、
それこそ公民館がある竹笠川神社の公園だったり、
そのものだなって思って、
自分の建築のルートは勇気にあったんだって思った。
それがもう本当に、
そこがもう設計の道に進もうって決めて、
もう卒業設計が自分の中で答えが出なかった、
結果というか評価されなかったら、
自分は向いてないなって諦めようって思うくらいのめり込んで、
没頭しました。
あれ、もし評価されてなかったら、
盛ん屋さんになってたんですか?
それは分かんないけどね。
分かんないけど、
それくらい設計ってすごい大事。
当時CADが出始めて、
パソコンで図面を書く中に、
自分は割と急がれてたら、
手書きで書かないと図面は伝わらないので、
学生の頃、1人か2人くらいだったので、
実は卒業設計で最後に手書きをやったのが自分じゃないかと思った。
CADは使わずに手書きの図面を、
家から大学を通してたから、
自宅にこもってずっと図面を書いてた。
あれ、図面っていうのは建物の図面じゃなくて、
エリア設計みたいな感じの図面ですか?
いや、卒業設計のテーマは小学校と図書館をテーマにして、
それこそロッジとか広場を敷地の中にいっぱい敷き詰めて、
子どもたちと地域住民が出会うような場の作り方をしてたんだけど、
見てたのは街を作るような感覚で、
設計はテーマ一つの課題だから、
小学校と図書館と地域の工業スペースとかに入れながら、
設計をしたっていうのはチャレンジで。
でも大学で本当に軸定まったっていうか、
そういう感じがしますね。
バルセロナの体験
でも家業問題はどうやって抜け出したというか、
決断したんですか?
確かに忘れてたけど。
ありがたいことに弟が続くことになって、
すごい運命の動き方ですね。
悲しさしかないしね。
やっぱり図書館って大変だから、
今も一緒に設計した建物を弟が塗ってくれたりとか、
この点も弟が塗ってくれたんで、
そういう協力というか、一緒に仕事をやる場面もあるんだけど、
兄貴として申し訳ないなと思い、
自分は好きな道に進めさせてもらったんで、
やらないとなっていう感じ。
飯野さんの人生で、さっきのいえいえプロもそうですけど、
やろうかなみたいな飯野さんが成り立つと、
その周りにいろんな人が、キーマンが集まってきたりとか、
タイミングがすごいですよね。
そのお家のことも弟さんのことが決まったりとか。
覚悟を決めると何か動き出すみたいな。
そういうことなのかもしれない。
飯野さんが覚悟さえ決めれば、いろんなことが動き出す。
ゆるい雰囲気でやってるんだけど、
割と自分は結構そこを曲げないというかね。
あった時に周りが、
直せるかじゃないね、そういうタイミングで、
いろんな人と会うっていうか。
運も良さそうな感じがあるっていうか。
いや、運はいいと思う。
曲げないっていうのも、
例えば結構しっかりした、
自分の腹落ち感みたいなのがあって実行してないと、
言われた時に、
そうだよなとかって言ってやめちゃったりするじゃないですか。
でもやっぱり飯野さんなりに、
これはもう自分の中でこうするって決めて、
腹落ちしてるから絶対にやるぞみたいな、
そういう気持ちがあるんですよね。
でもやっぱりさ、僕もね、
仕事を始めて十何年やってるんで、
ユープロの活動もそうだけど、
普段やってる中で、
説じゃないけど、やっぱすごいしんどい時もあるし、
やっぱり今やってることが自分が本当に、
そっち向いてんのかなって自問自答は、
必ずどこかで出てくるけど、
必ずそういう時は、
一番最初のシンプルな気持ちを思い出すようにしようって決めて、
そこに耐えらないと、
その時のやろうと思った気持ちを大事にしないと、
そういけないなと思って、
必ずそこに戻って、
自分はこういう気持ちで建築を始めたんだな、
シンプルなところに戻してあげて、
それがちゃんと続けられる。
今それ言葉にすると何ですか、シンプルな気持ち。
ファイターは言葉にしがちですからね。
いやでも本当にガーディアンだと、
いいな、好きだなって。
そこまで登るんですね。
それも言葉、言語だけじゃなくて、体験、空気感とかね。
言葉って言うと体験だね。
そうですよね。
思い出っていうか、そうそう。
だから自分が目指している、表現している建築って、
ガーディアンのようにすごく複雑で、
創造的ではないけど、
どっちかっていうと、いろんな物事をシンプルに
作りたいなと思っているから、
割と今の状況を、
シンプルに捉えられているかなっていう、
思考も気持ちもシンプルにしないと、
やっぱりさ、いろんな見方があるし、
人と関わればいろんなことが起きるじゃん。
でもやっぱりシンプルにしないと、
自分の最初の動いた時の気持ちを、
自分が大事にしてあげないとって、
思いながら戻って、
続けられているんだと。
続けるようにしないと。
立ち返れるものって、
働く自分に頷こうっていう
合言葉を決めたんですよ。
それが結構シンプルな言葉で作れたから、
自分も一回そこが立ち返れるところになったな
っていうのはあるんですよ。
自分もこの本作りって、
納得しないまま無理矢理ずっと続けてきちゃった
自分がいて、
シンプルな気持ちを大事に
いや俺このまま続けらんねーよみたいな
ところから始まってるんですよ、実は。
ってなった時に井野さんがおっしゃったみたいな、
例えばいただいた仕事にどう答えるか
考える時もそうだし、この本に対してもそうだし、
一回なんか、人生の中の
切り離せない仕事っていうものを
どう打ち返そうかっていう時に、
俺はこれ頷けるのかなみたいな。
って考えるっていうことかなって今ね。
ちょっとだけ田中くんより早く生まれてきてるけど、
そんなにスマートにやれてないし、
いろんなところで躓いてるし、
もう本当建築向いてないかなとかさ、
へこむ時もあるけど、
最初の気持ちに戻してあげるようにして、
自分のことを自分が一番大事にするっていうか、
しかもその原点の自分を大事にしてるっていうのが深い。
そしてエモい。
なんか今佐野さんからも、
今の活動の話がありましたけど、
ゆいプロを通じてずっと知ってた佐野さんが、
いよいよ本を作り出したっていう。
その活動については、
井野さんどうやって見てるのかなとか、
そのあたりもちょっと聞いてみたいなと思ったんですけど。
佐野君はね、まさにゆいプロジェクトの生んだ。
ゆいプロジェクトを生み出した。
恐れ多いですよ。
体験したものだなって思ってて。
どういうことですか。
やっぱり俺もそうだし、
一緒にやってる野口君もそうだし、
小池君も。
やっぱりね、自分探して、
自分の自己実現がゆいプロジェクトを通してできてたから、
やっぱりすごい活動に今があるのは、
最初の頃あるし、
当時佐野君も参加してくれて、
すごいね、自分探ししてるのが佐野君だなと思ってて。
そうだったかもね。
すごい何でもできるのに、
自分は器用運動で、
本当に何ができるかわからないですよみたいな。
実際その節ありますからね、俺。
自己理解の重要性
器用運動をよく佐野さんにまつわるキーワードで聞きますね。
とりあえず何でも打ち返すっていう。
でも自分たちの活動の中で、
佐野君がどんどん中に入ってくれたのは、
佐野君のキャラクターと佐野君の持ってるスキルだったり、
そういうのはどんどん自分らが活かそうとしてくれたから、
そこから始まって、ゆいプロジェクトの活動が外に出るきっかけになって、
いろんなところから佐野君の声がかかって、
今じゃね、引っ張りだこだと思うけど、
そんなことはないですけど。
それが最初のきっかけになったのが、ゆいプロジェクトだなって言ってくれるのが嬉しい。
実際そうですからね。
確かに確かに。
ページでも今まで語られてきた言葉の中でも、ゆいプロジェクトは何回も。
有名詞で出してますから。
こんな大きい挑戦される予感はしてました?
予感ですか?
いやぁ、佐野君いつかきっとやるんだろうなぁ。
野口さんとか井野さんとか猫ゆきさんとかのすごい活躍されてる方を見てきたし、
取材でも経営者とかプレイヤーの方をずっと取材してきたので、憧れはずっと持ってましたね。
新しい世界に行くにも若くはなくなってきてしまったので、
自分で一回ドーンと始めないと、そろそろ舵取りの制限がきつくなってきたなってずっとあるんですよ。
いろんな要因含めてやってみようって感じではありますかね。
意外だったって感じでもなかったですか?このプロジェクトが立ち上がった時に。
そうだね、いよいよ感が持ち上がってきた。
ありがとうございます。
ついに動き出したかみたいな。
うわぁ、兄貴だな。
本当に意外だなってより、うわぁ、ついに来たかって。
ずっとスタートから見てきた人の言葉って感じしますね。
断片的に佐野さんのことを知ってて、
佐野さんがクラウドハンディングみたいになった時、なんだと?みたいな。
自己ケアとバランス
あのあいつがみたいな。
そんなチャレンジされるんだと思って、びっくりしてDMしたのを覚えてますけど、また違う感覚なんですね。
確かに本当に試行錯誤してますとは言ってはいなかったんですけど、
そもそもユイプロジェクトに参加したのって、外の世界をもっと知りたかったっていうのがあったんですよ。
当時は本当にどうしたらいいか何も分からなかったし、今みたいなローカルみたいな世界があることも知らなかったんで、
ボランティアだったら能力とか関係ないからいけんだろうって感じで飛び込んだっていうのもあったんですよね。
そこから本当に仲良くしていただいて、
今でも覚えてるのが、野口さんが最初訪ねて行った時に、すごい丁寧にユイプロジェクトの活動を説明してくださって。
そういうところから受け入れてくださって、ユイイチの時も結構しっかりポジションを途中から任せてくださって、
そうやって信頼していただけるのは嬉しいですし、そうなってくると面白くなって、自分ももっともっといろいろやってみようって気持ちになってきますし、
そういう積み重ねがあって、ちょっとずつ自信をつけてここまで来たんだろうな、自分はって感じはしてますね。
いい話。
でも確かにユイプロジェクトを通じて佐野さんを知ったっていう人結構多いよな。
でもそうですね、一時期僕はあれです、自己紹介の時に、僕は出身下妻なんですけど、自己紹介で面倒だったんで、ゆうきから来ましたって言ってましたね。
確かにゆうきの人かと思ってた時ありました。
その方がもう活動のことも説明しやすいし、ゆうきの街も説明しやすいんで、っていう感じでしたね。
確かにユイプロジェクトが生んだっていうのは、本当にそうかもしれない。
でもあれですよね、小池さんもすごいキーワンだなって今日話聞いてて思って、
なんかファミレスでくどかれて、ビジュアル作られるようになって、そこをきっかけに佐野さんが入ってきて、
で今本を一緒に作ってるっていう、この繋がりすごくないですか結構。
いやでも自分も、実は最初小池さんのことは本に出ていただく側で声かけてたんですけど、
そこがいろいろあって、デザイン作る側に回っていただいてるんですけど、
なんかやっぱこう一緒に活動していたからこそ、安心感と信頼感があって、
なんだろうな、良い意味で聞きやすく相談できたような感じがして、
おそらくですけど小池さんもちょっと見守ってくれる眼差しがちょっとあって、
そこに甘えさせていただきながらも、今すげーかっこいいの作って残ってるんで。
小池君もね、絶対嬉しいんだと思うよ。
素敵ー。
佐野君のチャレンジが。
小池さんもやっぱりユイプロに行った頃から結構気にかけてくださってて、
なんかこんな良いお兄さん3人に囲まれて、
確かに。
ありがたいなって。
しかしチャレンジを喜んでくださってるっていうのが何より素敵な関係ですよね。
それがなかったら違う本になってたか。
ビジュアルは確実に小池さんのね、こんな繋がりがなかったら違うものになってたかもしれないですから。
私たちは無理やり自分で本のデザインとか作ってたかもしれないので、
それはちょっと絶対に避けたい事態ではあるので。
ある意味ユイプロジェクトがワークライツを生んだ可能性さえあれば。
そうですね。
大きく言えば。
佐野巧を生んだ。
佐野巧を生み、ワークライツも生み。
それくらい言ってもらえるようにならないとですね。
兄弟プロジェクトの可能性が出てきましたね。
ユイプロジェクト、兄弟プロジェクトってめっちゃ羨ましい人多いですね。
なんかね、ちょっとどやれますね。
それはめっちゃどやれるかも。
いいですね。
じゃあたくさんお話聞かせていただいたというところで、
最後に飯野さんから、
このポッドキャストを聞いているリスナーの皆さんに、
これから働くとか仕事にうなずきたいなって思っている方もいらっしゃると思うんですけど、
そういった方々に何かメッセージをいただければなと思います。
メッセージ。
そうですね、やっぱり好きで始めたことだから、
やっぱりこう仕事にしてみて、いろんな状況変わったりとか、
今がすごい忙しすぎちゃって見えなくなっちゃう時あるけど、
さっき最初言ったような最初の気持ちを大事にしてあげないと、
やっぱり自分が一番理解者だし、
何で始めたのか知ってるのは自分だから、
自分がそう自分を裏切らないようにしてあげて、
それをまた頑張ってみようって続けられると、
絶対その時だけはしんどくても絶対いいことあるし、
長く続くからこその景色っていうか見方あると思うんで、
ちょっとだけ先に始めたものとしてはやめないって、
それは素敵なことだと思うので、
自分が好きになったものを信じてみなさん、
一緒に頑張りましょう。
頑張ってくださいっていうより一緒に頑張りましょう。
最後にこれだけ聞いていいですか?
自分を裏切らないために、
井野さんだったらどうしてますか?
どうしてますか?
でも本当そうだね、裏切らないために、
嘘はそこつけないから、
そうなんですよ。
自分は結構グーッと我慢して、
俺が我慢すればいいんだでやっちゃう方なんですよ。
っていうのは体に悪いなってよく分かってきたので、
我慢、我慢っていうのは、
例えば仕事の、
例えばですけど、得意じゃないんだけど、
やるしかないから堪えてでもやろう、
ってなって自分はそれがずっと続いていっちゃったりするんですよ。
やっぱりパフォーマンスも出せなくなっちゃったりして、
結構悪循環が起こってくるんですけど。
もちろんね、自分の能力を大きく超えた案件とかね、
お話もらったときは、
設計、建築士って今プロでは自覚してやってるけど、
それがすごく大きく超えたときのプレッシャーって強いし、
本当にこの業界は締め切りがつきものなので、
そこをきっちり守らなきゃって、
本当に大変なときもありますけど、
そういう意味ではそこは頑張っちゃうときはあるけどね。
でもやっぱり自分が嫌いにならないようにしてあげるというか、
頑張ったときは自分を許してあげて、
少し休むのも大事。
そうですね。
自分が倒れちゃうと相手に迷惑しちゃうから。
もちろんね、いろんな仕事あるし、
一つ一つね、誠実に向き合うって大事だから、
そのバランスをどうとっていくかっていうのは、
自分でうまくやるしかないんだけど、
うまくコントロールしながら自分をやっていかないと、
本当に仕事って大変だよね。
どんどん締め切りを真ん中にしちゃうとね。
バランス取れなくなっちゃうこともありますし、
自分が辛いまま仕事を続けてしまって。
オフは作るの?
作ろうとしてるんですけど、
自分の場合は本当に苦手なことを続けてきてしまったので、
オフを作りたくても作れなくなっちゃったっていうのは結構ありますね。
そういう辛さ。
でも俺はこれしかできないからやっていくしかないんだっていう、
強制的な諦めみたいな。
でも本当、自分もそうだけど、
すごい大きな趣味はないけど、
自分に帰るのに、本当サウナ好きだし、
しんどい時の対処法
お苦労すぐ入りに行っちゃうから。
身一つになれるじゃん。
スマホも持てないし。
スマホから離れて、電話もかかってこないし、
そこは自分だけの時間として、
丸々一日休みは取れなくても、
打ち合わせと打ち合わせの間で、
時間が空いたなって時は、
割と銭湯とかサウナに行っちゃう。
でもその時間、積極的に取り入れたいですね。
逃げたっていうよりも、
自分のために必要な時間だと思って、
一人になるように。
自分と向き合うのも仕事のうちみたいなね。
確かに。
でも今日のお話聞いてても、
原点に、自分の原点に帰るみたいなお話もあったじゃないですか。
私、飯野さんって本当に、
安定していつもの棟でいらっしゃる、
お兄さんっていうイメージなんですよ。
でもそのヒントって、
自分を自分で大事にしてる時間を作ってるとか、
向き合う時間を作ってるみたいなところにもあるのかなっていうのは、
それがこの安定感を生み出してるのかなみたいな。
みたいな気持ちになりました。
確かにな。
今もやっぱり終わり続けてると、
そういう時間がなくなっちゃうから、
だからちゃんと自分のタスクとして、
そういう時間をきちんと、向き合う時間を作るって大事だと思います。
うわーってなっちゃうとさ、
最後うわーって、
やりたいけど社会に来てるし、
そうなんですよね。
できないじゃん。
だからやっぱり、
自分を安定させるために、
年にやっぱり休むところは休んで、
なるほどー。
ずっといろんなことやってそうでも、
こうやっていけて。
確かに。
普通に考えたらめっちゃ忙しそうな生き方してますもんね。
でもなんかいつも穏やかだし、
いつも安定してる感じで。
行き急いでる感は出さないように。
確かに全然感じないです、確かに。
でもやってることで行き急いでる量はありますよね。
自分の機嫌を取る重要性
もうね、本業終わってプロジェクト終わって、
この後のゆず拾ったりとか。
親にね、頼まれたからゆずがこの後ね、
自覚して。
確かに。
やることいっぱいあるけど。
頼まれやすいから。
まさかに自分の機嫌は自分で取るっていう。
あーもうそこー。
まさしくそこかもしれない。
大事にしましょうよ。
ちょっとね、そこを大事にしながら。
仕事への新たな視点
ヒントにして。
じゃあちょっとエンディングの方入らせていただきます。
というところで、今回ですね、
飯野さんをゲストにお迎えして、
自分が頷ける仕事に出会うまで、
などなどですね、たっぷりお話を聞かせていただきました。
さらに何か佐野さんと飯野さんの関係性とか、
プロジェクト同士の関係性みたいなところとか、
思いとかも聞けて、
すごい良かったなと思いました。
リスナーの皆さんもですね、
自分に頷ける仕事を見つけたい。
明日からちょっとこんなことを意識してみようかなというのを
思えたんじゃないかなと思います。
というところでですね、
ワークライツでは自分の仕事に頷ける人を増やしたいという思いを
胸に活動しています。
今日のお話を聞いてですね、
皆さんが自分も頷ける働き方をしたいな、
明日からちょっと意識してみようかなと思っていただけたら、
それだけでも意味があったなと思います。
そして今日のようなストーリーですね、
働くということを詰め込んだ本、
ワークライツを、
今クラウドファンディングを通じて作ろうと頑張っています。
もし共感していただけたら、
ぜひ応援いただけると嬉しいです。
働く道しるべとなる本、
ワークライツ編集部プレゼンツポッドキャスト、
今回はここまでとなります。
ワークライツでは、
2026年1月30日まで、
本作りのためのクラウドファンディングに挑戦しています。
クラウドファンディングページについては、
概要欄にリンクがありますので、そちらをご覧ください。
それでは次回もお会いしましょう。
ありがとうございました。
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