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2024-10-22 51:12

#32 【熱量が高まるスイッチ】剥き出しの自分で世の中に突進 ゲスト:ひろゆきさん

グラフィックデザイナー時代/いざ、東京へ/とにかくガムシャラに/マネジメントと組織崩壊/コーチングとの出会い/独立した理由

石川寛之
ishikakko,Inc. 代表
デザイン・映像の制作会社役員を経て、2024年7月に独立。
WEBやデジタル領域でデザインからクリエイティブディレクション、制作チームのマネジメントを行う。
JCC認定キャリアコーチ養成講座 0期生。
スキルや知識だけでなく、熱量や人間性まで、全身をつかって創造する。向き合って寄り添い続けるデザイナー像。
https://ishikakko.com/

サマリー

今回のエピソードでは、ひろゆきさんが自身のキャリアの転機やデザインに対する熱意を語ります。彼が東京に移転した経緯や、業務委託としてリクルートで働く中での奮闘が描かれ、熱意が高まる姿勢が印象的です。ひろゆきさんは自社の組織運営における挑戦や成長、マネジメントの重要性についても話します。特に、熱意をもって仲間を集め、チームを形成する過程や、組織崩壊の経験を通じて学んだ教訓が強調されます。また、ひろゆきさんが東京に出てきた背景や、彼の学びの姿勢も述べられ、JCCとの出会いや東京で熱意をもって働くことの重要性が際立ちます。さらに、彼は自己啓発を通じて自身の能力を活かすための環境を求め、東京に移る決意をしたことについて語ります。自己覚醒を経験し、熱意の違いを理解することで、パフォーマンスを向上させる方法を見出しています。最後に、ひろゆきさんとの対談では、個人の目標と会社のゴールを一致させるためのコミュニケーションの重要性が議論されています。

ひろゆきの自己紹介
はい、今日のゲストは、ひろゆきさんに来ていただきました。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回、GCCのこれまで同期に話を聞いてくることはあったんですけど、ひろゆきさんはゼロ期ということで、僕の期で言うと一個先輩ですね。
うん。
の、ひろゆきさんに来ていただいて、同じように、これが同じようなキャリアとかを聞いていくので。
はい。
まあなんか、お互いそんなに喋ったことはないですけど。
そうですね。
そんなにっていうか、ほぼはじめましてぐらいに近いですよね。顔は見たことあるけどみたいな。
そうですね、こうやって対面で喋るのは初めてですね。
いや、もう本当、本日はよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
ありがとうございます。では、早速なんですけど、ひろゆきさんの簡単な自己紹介をお願いします。
はい、石川ひろゆき、43歳。
ウェブとかデジタル業域でデザイナーをやっています。
このJCCを受ける前は、15名ぐらいの製作会社で役員やっていたんですが、JCCの影響もあり、
7月に独立して、株式会社石カッコっていう自分の会社を作って、今一人会社としてやっています。
なるほど。よろしくお願いします。ありがとうございます。
はい。
名古屋から東京へ
そうか。結構デザイン系のことをやられてて、今年の7月って言うともう今で言うと3ヶ月前ぐらいですかね。
そうです。
独立して会社立ち上げられて、自分で今やってるって感じですか。
そうですね、一人で。会社立ち上げたと言ってもほぼ一人なので、一人で黙々とやってるって感じです。
なるほど。そうなんですね。そこは結構決断というか、やっぱり会社に所属して、役員とはいえやるのと自分でやるのって全然違うと思うので、
その辺りも聞かせてください。ひろゆきさんのキャリアというか、社会人始まってからみたいなところから言うとどんな感じなんですか。
そうですね。社会人始まってからは地元名古屋なんですけど、名古屋の制作会社というか、初めからデザイナーだったんですね。
そうなんですね。
その前は大阪芸術大学っていう大学で映像を学んでいて、そこで学んでる人って映像業界だったりとか、特に映画業界だったり京都の映画関係だったりとかに行くんですが、
私は映像が合わんなみたいなところもあったので、映像合わんけど、最初は映画好きなんで、映画の関係するところに就職したいなっていうところもあって、
名古屋に帰って、名古屋にずっと駅前に昔からある映画館があるんですよ。映画館を経営している会社に入って、
映画館の中で装飾だったりとか、映画のビジュアルとかイベント関係をやっているようなインハウスデザイナーになったんです。
そこでやっていたのは、映画館の中に映ってある垂れ幕だったりとか、印刷物だったりとか、いわゆるグラフィック系のデザインをずっとやっていて。
その時はウェブじゃなくて、そういうグラフィック系だったんですね。
そうです。最初はグラフィック系で、結構6、7年やってたんですね、そこで。
その中でも、ちょうどウェブがかなり来ている時代でもあったんで、すごくウェブには興味があったんですよ、ずっと。
でも横目で見つつ、会社におって。
ウェブに携わるきっかけは、大阪芸術大学の同級生だった友達が、2人で東京で会社作ったんですよ。
そこで作ったのが、1人が映像のディレクター、フリーランスの。もう1人がフリーランスのエンジニアだったんですね。
そこで2人で会社作って、会社作ったタイミングで僕も誘われたんですよ。
東京に来ないかと。その時に言われたのが、いつまで名古屋でくすぶっとんだよみたいな。
東京できたらこんな世界が待ってるぞみたいな感じで、すごいプレゼンもされて。
特にエンジニアが、会社名とか言ってもいいですかね、普通に。
リクルートだったりDNAだったりとか、大手に常駐していろいろやってるようなエンジニアさんだったんで。
大手ではこういうことが東京で起こっていて、こんな面白い人たちがいて。
一攫千金を狙えるぜみたいな話も結構されたんですよ。
なかなか上手な誘い方ですね。
ちょうどその頃はフリーランスのエンジニアさんとかが増えていたし、
当時の僕では考えられないぐらいの単価を取っているフリーのエンジニアさんとかがいっぱいいたし。
そういう話を聞いていて、すごく夢を見て、僕は上陸をすることを決断するんですよ。
なるほど。その誘いに乗って、これは行けるとかそうなりたいみたいなのがあったって言ったんですね。
まさに。でも、そのとき当時30歳だったんですが、30歳で結婚して、結婚式でもその友人たちは出席してたんですけど、
私だけじゃなくて、うちの奥さんにも、いやもう旦那さん稼がせるんで、東京来てくださいよみたいな感じで。
熱烈ですね。
すごいプッシュがあって。っていうのもあって、結婚したその年に上京したんですね。
なるほど。
で、結婚したそのときに上京したんですが、すごく夢を見て上京したんですけども、
そのときはまだ会社も本当に立ち上がったばっかで、事務所、オフィスは代表のマンションなんですよ。
よくある、本当に。マンションカンパニーからの。
そうですそうです。で、そこに行って、でも最初は仕事も何にもないんで、まず仕事ないよ、仕事も自分で取ってくるんだよ、みたいなことが、そういう状況だったんですよ。
で、それを言ってから気づいて。
なるほど。いいことは言われてたけど、そこの現実をある程度最初から言われてたわけではない。
そうですそうです。で、言ってから気づいて、これはまずいと思って、いろいろ仕事を探していってて。
で、ちょうどその時にリクルート、株式会社リクルートが、いろんな社内でサービスが立ち上がるっていうタイミングだったんで、規模の大小問わず。
リクルートでの奮闘
で、そこでエンジニアだったりとかデザイナーだったりとかを、いろんなところからたくさん集めてたんですよ。
なるほどなるほど。
で、それを知って、私はその面接を受けて、リクルートに業務委託として常駐することになるんですね。
で、そこから業務委託で入っていくんですが、もともと私、グラフィック系のデザイナーだったんで、
ウェブとか全然知らないんですよ、その時点では。
そうですよね。全然違いますもんね。
そうです。で、入っていったわけですが、その時にリクルートにいろんな人が集まっていて、
なんとかエンジニアさん、なんとかエンジニアとか、エンジニアの中にいっぱい種類あるし、
中には本とかを書いているような、業界では著名な方だったりとか、ものすごいディレクターさんだったりとかっていろいろいたんですよ。
で、その中で会議とかでも、使われてる言葉もわからないし。
なるほど。
何もわからないんですよ。でも何もわからないけど、業務委託でその当時ガッと人が集まってきてて、
だけど業務委託なんで、あ、この人ちょっとあまり力になれないなっていう人はどんどん消えていくんですよ。
そうですよね。
なので、そこで私が消えたら、東京には俺になって思って、直感的にも。
ここはもう少年場だと思って、とにかくできる自分っていうのをそこで演じたんですよ。
なるほど、なるほど。
できますと。で、相手が何を喋ってるかはその時点ではわからないけど、
聞きながらもう全部メモって言ってて、で、これできますかって振られたら、
できます、とにかくできますって言ってたんですよ。
なるほど。
できます以外の返事はほぼしてなくて。で、できますって言ってから、後で何を言ってたか調べるみたいな。
なるほど、もうやることは決めちゃって、できるように学んでいったみたいな感じだった。
そうですそうです。
えーすごいな。
で、それをやってて、で、まあ中には、あ、これ、あ、まずい、これ納期までできないかもっていうのも。
起きますよね。
で、もうそういうのがとにかくもう徹夜してて、もう、あの、もう持ち帰ってもう徹夜して、やってっていうのをどんどん繰り返していってたんですね。
で、それをやっていくと、やっぱりもうものすごく吸収も早いし、なんか、あの、できますできますと言ってたんで、
なんかあの仕事も来るんですよ、いっぱい。
集まってくる。
で、できますできます言ってたら仕事も来るし、あとその時自分は、やっぱりあの東京にいたいっていう思いがかなり強かったので、
ここであの、蹴落とされるわけにはいかないっていう思いが強かったんで、あの梶原ばかりじからで、まあ、その、業務をこなすだけじゃなくて営業もかけてたんでね。
なんか、あの、いろんなところで。
あー、はいはいはいはい。
で、なんか、まあ特に喫煙所で。
おー、なるほど。
今はね、ちょっとタバコやめてるんですが、その当時喫煙してて。
で、喫煙所行くと、なんかいろんな方が、別のチームのリーダーだったりとか、いろんな人が、もうその喫煙所におるんですよ。
で、そこでなんか次のプロジェクトの話だったりとか、デザイナー足んないんだよねみたいな話だとか。
タバコ吸いながらしてるんですね。
で、それを聞いてたらもう常に、私もデザイナーの石川というものなんですけども、
何でもやるんで、ぜひ声かけてくださいっていうのをいろんなところでやってたんですね。
で、そしたらどんどん仕事が来て。
なるほど。
うん。
喫煙所でもめちゃくちゃ前の目にいってたんですね。
あ、もうかなり。
あの、そういう、もともとラグアイに行ったときはそんな人間ではなかったんですが、むしろ人と喋るのにイケてたし、
うん、まあ本当に作業中心のデザイナーだったんですけど、
もうその時はもう無我夢中で、もう話しかけるしかないっていう感じで。
ああ、なるほど。
もう一番薄だって言って。
あ、デザイナー足りないって隣でバカしてる人言ってるみたいな。
うんうん。
で、もうとにかく話しかけるに行ってたんですよ。
いや、すごいな。
うん。
で、なんか、まあ、後々その人とお酒飲んでたりしてたときに、
いやー、なんか、あの時、めちゃ急に話しかけられて、なんだこの人って思いましたよっていう話もあったし。
うんうんうん。
でも、今の自分からしても、その時の自分ってすごい勢いあったなって思うんですよね。
うんうんうん。
で、そうしていくうちに、やっぱり仕事がどんどん集まってくるんで、
とにかくそれをこなして、で、朝から夜まではリクルートに常駐して、社内の仕事をやって、
で、その後自社に帰って、朝まで、外駐として受けた仕事をやるみたいな。
うんうんうん。
なので、常に、あの、鎮魂だったんですけど、もう家に帰らないみたいな状態が続いていたんですね。
なるほど、もう会社にずっといる人みたいな。
そうそう、もうずっといる。
で、そうしていくうちに、すごく熱量も高かったし、やはりその熱量があると仕事も来るし、
なんかその人も集まってくるっていう感じで、どんどん仕事が増えていって、
熱量による仲間づくり
あと一緒に、もう熱量高いんで、いろんな人に一緒にやりましょうよ、一緒にやりましょうよって話もしてて。
なんか明確なビジョンはなかったんですけど、
いや、あの、なんかすごくその時の感覚としては、
何の後ろ盾もない状態で、裸一貫剥き出しで、なんかでっかい世の中に挑戦しているような、
チャレンジングな思いがあったんですよね。
なので、明確にこういう世界をしたいみたいなゴールはないんだけど、
その、なんか熱量だけで、いろんな人に声かけて、一緒に働きましょう、一緒にやりましょうよって言って、
で、なんか自分を慕ってくる人っていうのもできてきて、
もうある種、自社の中に自分のチームができていったんですよ。
そこで。
で、なんかそうしていくうちに、やっぱり自分に仕事が集まってくるんで、
自社でも役員にならないかっていう話もあって、
で、そこで自社の役員になったりとか、自分の部署ができたりとか、
していって、なんかどんどんもうその時はイケイケどんどん、
もう、家に帰らず仕事をして、やればやるほど、
仕事も集まってきて、人も集まってくるっていう状態で、
もう、総状態で、回りまくっていると。
で、やっぱりその時、5年ぐらいのチームが自分にできた時に、
しかもほとんどの人が、自分が一緒にやりましょうって言って、
もう連れてきた人って状態だったんで、
もうこの5人だったら何でもできるっていう気持ちもあったし、
あともうみんな熱力が同じなんで、朝までみんなでやってるんですよ。
いや、すごいっすね。
そう。で、みんなでやっていて、で、もう象徴的には、
その時、当時、社員、自社の社員が全員、全社だったんですよ。
100パーセント。
組織崩壊の教訓
むしろ、帰県者しか入れないんじゃないかっていうぐらい。
今の時代真逆みたいな。
そうです、そうです。今では考えられないですけど。
で、それでもうめんどくさいからみんな、
当時はどんどん、ビネスもうまくいってたんで、
当初代表の家だったのが、マンション、別のマンション借りて、
事務所にしたりとかしていて、
その事務所に行くと、もう全員のディスクの上に、
専用ハイザラがあるんですよ。
でも、タバコ吸いながら、レッドブル飲みながら、
タバコ吸いながら、朝まで仕事してるみたいな。
いやー、なんか若いっすね。勢いって感じですね、ほんまに。
もう本当に勢いですね。
もう、ハイザラてんこ盛りになるぐらいまで仕事して、
寝たかったら寝て、みたいな感じで。
で、うわーってやってたら、すごく覚えてるのが、
ちょっと疲れたんで、コンビニでパスタ買ってきて、朝型に。
パスタ買ってきて、テレビつけますねっつって。
で、テレビつけたら、コース日記やってて。
で、コース日記を見て、あ、今日日曜日だったんだ、みたいな。
そこで気づくんですね。
そうです。そのぐらい時間価格なかったぐらいやってたんですよね。
その時が、とにかく楽しくて。
そういう感じでやってたら、どんどん成長していくんですが。
成長していって、20人超えたんですよね、メンバーが。
すごいですね。
20人超えた時に、一つ事件が起こってて。
20人超えた時に、組織が一回崩壊するんですよ。
それなぜかっていうと、自分もプレイヤーとして、
行くぞー行くぞーってやってたんで、
マネージメントとか、組織みたいなことが一切考えられてなかったんですよ。
職種的にはみんな、デザイナーっていう職種の方々が20人ぐらい集まってたんですか?
そうですね。デザイナー中心に、デザイナーとかエンジニアとか。
結構個々で仕事をするのが、職種的には仕事が与えられて、
その人が自分で進めていくみたいな。
そうですね。チームでもやるんですが、
それもその都度、プロジェクトによってチーム組んでやっていくっていう感じですね。
主にデザイナー一人、エンジニア一人、
ちょっとディレクションする人間一人みたいな感じでチーム組んでいくっていう。
勢いでめちゃくちゃ働いてたけど、
一回そこでマネジメントをしっかりしてたわけではなくてっていうのもあって、
組織崩壊みたいな状態に陥っちゃうんですね。
そうです。とにかく最初は自分が熱業で誘ってきた、リファラルで採用した人たちばっかりだったんですけど、
どっかのタイミングで採用、普通に媒体とかで採用するようになっていくんですか?
だけどそこには何の計画性もなく、人が足りないからこういうスキルの人を入れるっていう感じで、
今思うと本当に何も考えずに入れていってたの、どんどん。
なるほど。
一人一人はちゃんと真面目な人たちだし、すごく頑張るんですが、
そこに何の計画性もないんで、一人一人が入っていってるって感じなんですよ。
なるほど、なるほど。
そこで20人超えた時にパンクして、
パンクした時にどういう状態だったかっていうと、
全員が会社に対してエンゲージメントが低い状態ができて、
自分もいろんなことが下から来てもそれを裁けるキャパがなくて、
放置してしまうし、それによって信頼関係も失うし、
自分的にはこう動いてほしいっていうことも全然伝わってないし、
期待に応えてもらえてないっていう気持ちも湧き出てくるし、
社員は社員で、全然チームとして、会社として全然機能してないよと。
いろんな不満が溜まっていって、それでも我慢性が崩壊するっていう形ですね。
誰も指示に従わないとか、自分は前職まではこういうやり方だったからこうする、
みたいなのをみんながやり始めるとか。
なるほど。
カルチャーみたいなものが結構分散したんですよね、いろんなところで。
なるほど。
そこで、やっぱりその組織の中の空気もギクショクしていって、
お互いに悪口を言い合ってるみたいな。
いやー、なかなかそれはなかなかきついし、環境ですね。
そうですね。そうなんですよ。
そうなって、でもやっぱりその空気が嫌なんで、
やっぱりその空気だとチーム力も発揮されないので、売上も下がっていくし、
サービスレベルも下がるし、
あとその環境が嫌なんで、どんどん毎月一人ずつ辞めていくみたいな状況になってたんですね。
コーチングの可能性
で、毎月一人ずつ辞めていくと、やはりもう社内でも、
次誰が辞めるか、もう早く辞めようぜ、みたいな話ばっかりしてるんですよ。
いやー、そうなっちゃうんですね。
そうなんです。そう。で、そうなっていった時に、初めて、
あ、これはマネージメントとか、組織だったりとかっていうところに自分が目を向け出したんですね。
あ、これはまずい。何が原因なんだっていうのを突き詰めたら、
あ、そういうことか。マネージメントっていう概念があるんだと。
で、そこで何とかするために、いろんな書籍とか読み合わさったり、YouTube見たりとかしていった時に、
コーチングっていう概念、初めてそこで知るんですね。
なるほど。
で、それまでは私はもう本当にプレイヤーとしてやってたんで、
これが正しいんだとか、いや、あなたが間違っている、これが正しい、みたいなかなり強めのコミュニケーションを持ってたんです。
なるほど。あ、そうなんですね。
そうなんです。で、そこでもうかなりハウリングが起こってたし、
なんか人を生かしきれてなかった。
なので、自分の仕事もすごく、何だろうな、人に任せられないんで、
自分の仕事も常にパンパンの状態だし。
っていうのがずっとあったんですが、そこでマネージメントとかコーチングっていう概念を知って、
で、でもその時に知ったコーチングって、すごい傾聴共感だったんですよ。
なるほど、なるほど。
傾聴共感のコーチング。ただ、私としてはその傾聴共感のコーチングの概念がものすごい、
なんですかね、かなりビビビッときて、これ新しい概念だったんです、私にとっては。
で、これをやってみようと思って、かなり徹底して傾聴共感をやった時期があって、
そうしていくと、目に見えて関係値が良くなってきたんですよ。
そうなんですね。
そうなんです。
なんかすごく、いわゆる心理的安全性っていうのが、ほぼゼロの状態だったのが。
もうゼロの状態だったから、ちょっとずつ社内の心理的安全性が回復していって、
ちゃんと物も言うし、話ができる状態になっていったんですよ。
そうなんですね。
あとは離職率もそこでストップしていって。
見るからに明らかにすごくプラスに働いたんで、
この傾聴共感のコミュニケーション、コーチングってめちゃくちゃすごいなって可能性を感じて、
そこで没頭していくんですが、
ただ、傾聴共感を徹底していくと、すごく空気は良くなったけど、
決して売り上げは上がっていないし、
ある種、ぬるまいような世界みたいな、
私が常に傾聴共感をし続けないと成立しないバランス感覚みたいな。
なるほど。何かがあったら聞いてあげないといけない。
そうです。聞いてあげなきゃいけないし、
何かこれはあかんよっていうことがあっても言えないみたいな。
そうか。厳しいこと言うとまた空気悪くなったりとかしちゃうから。
なるほど。
なので、そこに対してもいいよいいよっていう感じで、
なので全然チームとしては一体感がないんですよ。
ただ、空気が良くなっただけみたいな。
なるほど。そうなんですね。
なっていたときに何かが足りない。
何かが足りないなって思って、
ただこのコーチングってすごく可能性があるなと思ってたんで、
ちゃんと学びたいって思いもあって、
いろんなところでコーチングの動画見たりとか、
本読んだりとか、
あといろんなコーチングのスクールがあるので、
スクールの体験コーチング受けたりとかしていく中で、
ただまだ自分が思っているモヤモヤを解決する域には達してないなという感じがあって、
どうしようどうしようとなっていたときに、
ゴールビーのコーチングのコーチングメソッドの動画を見て、
ちょうど軽症共感のコーチングでは、
組織の本当の問題が解決されないみたいな内容があったんで、
そこに自分が思っているモヤモヤってこれで解決できるかもと思って、
なるほど。
ゴールビーの動画にかなり没頭していくんですよ。
ちょうど自分が抱えていた状況の話が出てたってことですもんね。
共感、軽症のではダメだよっていう。
そうです。まさにここを言語化してもらえたっていう感覚があって、
ちょうど軽症共感を経由した後だったんで、
すごくそこに腹落ちしたっていうか。
もともとゴールビーの動画は、
JCCとの出会い
レッツゴーなげらさんの動画とかをすごくエンタメとして見てたんですけど、
コーチング動画ってそんな見てなかったんで、
そこでかなりビビビっときて、そこでも。
これは学びたいな、受けようとは最初は思わなかったんですが、
ゴールビーのコーチングを。
学びたいって思ってて、学ぶために動画を見てたら、
このJCCですね。JCCのゼロキー立ち上がりますっていう動画が出て、
これだと思って、もう速攻でエントリーしてっていう感じで、
これがJCCの出会いですね。
なるほど、すごいな。JCCに行くまでに結構いろんな歴史があるというか、
僕めっちゃすごいなと思ったのが、結構勢いで東京出てきた。
理想はあったと思うんですけど、勢いで東京出てきて、
そこから名古屋時代はそんなに別に仕事をガンガン取っていくみたいなことをしてなかったのに、
東京ではもうなんかそこがスイッチガチって入って、そういうことをしちゃってたってことですよね。
そうですね、かなりスイッチが入った状態になりましたね。
感覚的には生きるか死ぬかみたいな感覚があったんで。
あと、東京っていうものにものすごく憧れがあって。
そうなんですね。
そうなんですよ。もうちょっと遡ると、大学の受験失敗してて、大学では東京の大学を受けるんですけど、そこ失敗して大阪に行くんですよ。
あー、なるほど。
そうなんですよ。そこの時点でも東京に常に憧れがあったんですね。
実して30歳になって、もう遅咲きで東京に出てきて、東京に居ることを日々かみしめてたんですよ。
あー、なるほど。やっぱりそこぐらい東京っていう場所に何か憧れのようなものがあったんですね。
めちゃくちゃありましたね。もう常に毎日楽しくて、東京に居ることが。
いや、それはすごいですね。最高ですね。
リクルートのオフィスは東京駅だったんですけど、東京駅で働いてることも、ものすごい自分の中ではあがることだし。
自社のオフィスがその時、四ツ谷だったんですが、四ツ谷も昔から知ってる名前なんで。
でも、四ツ谷の街歩いてるだけでも、自分は今、歴史上の、歴史の一歩にいるという感覚があって、歴史に乗っているみたいな。
東京にいる自分の、そこで生活できてて、何かしら毎日できてるってことにもはや価値があったんですね。
そうなんです。これを手放したくない。出戻りたくないっていう思いがすごくありましたね。
なるほど。そこを、なんていうんですかね、ほんまにそれで頑張れるのはすごいなっていうのはあるのと、
さっきも言ってましたけど、やるってさっき言っちゃって後から学ぶって、なんかこう、理屈ではそうなんやって思うんですけど、
でもグラフィックとウェブって全然多分違って、しかもウェブのデザインって、こう、ツールも違えば、やり方も違えば、
で、求められてるクオリティが多分リクルートだと結構高いと思うんですよね。なんかそこに合わせていくっていうのが、ほんますごい。
で、仕事が増えるってことは、そのクオリティもちゃんと求められてる期待値に達してる、もしくは超えてるってことじゃないですか。
そこ、すごすぎるなって、ほんまに思いましたね。
その時のことを思い返すと、できてる時と、ギリできてる時と、できてない時がありましたね。
あー、やっぱりそこは、全てがまあ打ち返しつけてたわけではないっていう感じなんですね。
そうですね。ただ、そこに対しての熱量があったし、できてない時もその後のリカバリをしていたし、っていう感じでしたね。
なんかとにかく、そこの熱量に対して、いろんなチャンスを来た時に逃してなかったっていう感覚はあるなと思っていて。
なんか一つ、失敗したなっていう経験もあるんですよ、もちろん。
これは大風呂敷広げすぎて失敗してしまったなっていうところもあるんですが、その時はへこむんですけど、
ただそのへこんで、俺はダメだって言って、なんか塞ぎ込んでる時間はなかったんで、とにかく前に前にっていう感じですね。
なるほど。プレイヤーとしてのひろゆきさんが熱量で何とか仕上げて、何とかまた次仕事を取ってっていうので進んでいくのは、
東京で働くとかっていうモチベーションの火種みたいなのがあるのは、すごいな、分かったんですけど、チームが増えていくとかってなってきたら、
会社を大きくしたいとか、もっとこういうデザインに関してもこういうものをデザインしたいとかっていう他の何かが出てきたりはしなかったんですか?
そうですね。会社を大きくしたいとか、チームを大きくしていきたいっていう思いはありましたね。
そこはありました。
そこって何でそう思ったんですか?会社を大きくして、例えばなんですけど、何かビジョンがあって、これをやりたいから会社をもっと大きくしたいとかなのか、
単純に自分を慕ってきてくれるメンバーが増えていくのが何かちょっとやりがいになってたから、そういうのを増やしたいとか、何かそういう何かがあったんですか?
そうですね。その時は、その5人っていう時が今でも自分の中ですごく勢いづいてて楽しかったなって思うがあって、
特に自分が誘ってきたメンバーだったんで、が中心だったんで、すごくこのメンバーだったら天下を取れるっていう感覚があった。
何かそのビジョンとか、こういうことをいずれしたいっていうビジョンがあったわけじゃなかったんですよ。
何かビジョンがなく、ただこの状態、今の状態がめちゃくちゃ何でもできるっていうところと、
これを使って大きくしたいっていうのも、行くとこまで行きたいみたいな感覚だった。
なるほど。
どこまで行けんだろうみたいな。ある種、今の現状から見て、どこまで行けんだろうっていう視点。
何かいわゆるゴールから逆算してっていう感覚ではなかったですね。
なるほど。めちゃめちゃ仕事を受けていく中で、ちゃんと成果も出せてるし、自分が誘った人たちその5人で、
デザイナーのマネジメント
いやもうもっと行けるやろうみたいな。このまま行ったらもうもっともっと行けるやろうっていう、
その行けるとこまで一回行ってみようぜみたいな感じだったってことですよね。
そうですね。
えー、そうか。そうか。その勢いで行って、5人からさらに増えていった時に、やっぱり、
そのやっぱり5人の方は、ひろゆきさんのそういう姿を見てて、何て言うんでしょうね、
同じように働きたいとか、そこの何か熱さとか勢いに惹かれた人たちだったけれども、
やっぱり媒体とかで募集するとそうじゃないですもんね。必ずしも。
そうですね。あとは、媒体とかで募集した人たちが増えていくと、やはり、今思えば、
そこの熱要っていうところをちゃんと原告化して、やっぱりビジョンとか、分かりやすい形にして、
ちゃんと伝えるっていうことを徹底すべきだったなっていうのは、今思えばありますね。
なるほど。
なんか僕の勝手なイメージですけど、デザイナー、エンジニアのマネジメントって、
営業とかチームとかより難しいようなイメージが、やっぱ専門職だっていうのと、
デザイナーってそのこだわりがやっぱり生きる部分、その人ならではのこだわりとかが、
よくも悪くも大事になってくるみたいなところでの折り合いつけたりとか、
そういうのってすごい難しそうなイメージなんですよ。
で、やっぱりマネジメントを効かせるっていうのが難易度高いんだろうなって思ったりはするんですよね。
そこはJCCを減る前だと共感傾聴したけど、やっぱり売り上げにつながらない、
話聞くだけではダメってなった時に、そういうの感じられたりしました。
デザイナーをマネジメントするっていうのって難しいなとか。
そうですね。デザイナーをマネジメントするっていうところに関しては、
特に増えていった時に、映画屋さんとかも同じ難しさがあると思うんですが、
特にデザイナーならではの難しさは、必ずしもスキルと売り上げが直結しないっていうところ、
数字が直結しないっていうところで、いかに休業待機だったりとか評価指標を作ってるかっていうところは、
まだ今でも模索中なんですけど、そこがちょっと分かりづらいっていうか、
やっぱり評価が俗人的になってしまうから、納得感を持ってそこの評価をしていくっていうのが、
デザイナーも難しいし、さらには私自身がデザイナーなので、
エンジニアが特に難しい。
なので、私がやるべきだったのは、自分以外にエンジニアさんを評価できる人を隣に置くべきだった。
その仕様とかを作るにあたってどれぐらい時間がかかるとか、それを評価するって、
知識、自分がやったことないと、そこの見積もりすら分からないですもんね。
そうですね。見積もりすら分からないし、その人がある種、どこまでできるかと、
今どこまでできて、この1年でどこまで成長したかっていうのは、
専門性が高いので、そこはやっぱり同じ専門性を持ってる人間でしか評価できないっていう部分がありますね。
なるほど、やっぱりそうですよね。
勢いでガッっていった時の話なんですけど、
ひろゆきさんってもともとそういう、小さい時代とか学生時代とか、その他の時期でもいいんですけど、
一つのことに集中してめちゃくちゃやるみたいなことがあったんですか?それまでも。
かなり勢いでやるけど、すぐ飽きるっていう感じでした。
結構いろんな習い事を今思えば、親に自分から言ってやるんですよ。
空はやりたいとか、蜘蛛行きたいとか、水泳やりたいとか、
かなり自分から言っている子供だったんですけど、ただめっちゃすぐ飽きるんですよ。
飽きると、普通の子供では考えられないレベルでサボる。
お分かりやすく。
行ってきますと言って、別のとこ行っちゃったりとか。
本当に行かないとか。
それぐらい今やりたいっていう熱量と、もうやりたくないっていう。
そこにいわゆる熱量が発揮されているかどうかが、かなりモチベーションになっていた感じはあります。
極端ですね。
もうガーンってやりたいってなったら、もうやりたいってなるし、飽きちゃったらもういいかってなっちゃうってことですよね。
そうです。とにかく嫌だ、そこに行くのも嫌だみたいな感じが。
なるほど。
仕事で、仕事と違ってやりたいっていうより、危機感みたいなのが最初は強くて、
そこから仕事が入ってくるようになったりとか、
メンバーが増えていくっていうのは危機感っていうよりは、もっと行こう、もっと行こうっていう勢い。
そうですね。もっと行こうっていう感じですね。
あとは、東京に出る前は、自分、そうですね、名古屋で働いてたんですが、
その時は本当に社員としては、特に新人の時は、かなりウダツの上がらない新人だったんですよ。
そうなんですね。
全然仕事できないし、ミスで連発するし、とにかくめっちゃくちゃ怒られてたんですよ。
でもこれは、その診察の会社に限らず、学生時代もバイトとかでも、本当に使い物じゃなくてめちゃくちゃ怒られるみたいな。
そうなんですか。
自己啓発と環境の変化
っていう感じだったんですよね。だから仕事っていうところに関して、本当に自分は自信がなくて、
特に依頼っていうか、これをやってって言われたことをちゃんと遂行するって力がないって自分の中で思ってたんですよ。
成功体験もなかったし。
そんな中、東京行くって本当に一年発起だったんですね。
そうなんですよ。それまでは成功体験ないんで、めちゃくちゃ自分自身ないんですけど、
でもこのままじゃダメだ、もっと自分はこうなりたいんだっていう思いはめちゃくちゃあったんですよ。
なんとかしなきゃいけないと。
自己啓発文も読みまくってたし、その時。
こうなりたい、こうなりたい、なんとかしなきゃって知識ばっか集めていた。
ときに、もうこれは自分を変えるチャンスだっていう思いもあって、
飛び込んでった感じですかね、今思えば。
でもすごいですね、そこで本当に180度くらい変わったってことですもんね。
そうですね、変わりましたね。
すごい、その帯路を立つというか、東京に来るっていう環境をガラッと変えて、
しかも戻りたくない、東京にいたいっていう思いもあり、
頑張る原動力があって、本当にその通り頑張ったってことですよね。
今思えばっていう話なんですけど、何が違うのか。
名古屋でおったときと東京出てから、環境も違うんですが、
帯路を立ったっていうのも大きいですけど、何が違うのかって思ったときに、
特にJCCの3ヶ月で、いろんな人とやるコーチングのセッションの練習したりとか、
すごく自分に向き合うじゃないですか。
そのときに一つ分かったのが、自分覚醒で、
自分っていうものがむき出しの状態で、何か世の中だったりとかに対応している状態に
自分はすごく熱量を発揮するっていうところが一つ見えてきていて、パターンとして。
なので、会社の一員としては、自分が何をしているのか、
誰かに指示されてやるっていうことに対しては、本当に能力を発揮しないですよ。
本当にダメ。そこは今でもダメだと思います。
何か自分が向き出しになって、これが必要だって思ったことを自らやるっていったときに、
すごく熱量とパフォーマンスを発揮するなあっていうのは、
なるほど。そこの違いもあるんですね。
自分でっていうところか、指示されてとかやるのの違いで、かなり熱量の差が生まれる。
そうですね。熱量とパフォーマンスですね。
確かにそれは分かりますよね。
熱量とパフォーマンスの違いが分かりますね。
熱量とパフォーマンスの違いが分かりますね。
そうですね。熱量とパフォーマンスですね。
でも確かに、それは分かりやすい違いですね。
本当に自分でできて、自分で仕事を取ってこないと何もないみたいな状況になって、
初めてそこに火が付いた、東京でって感じですか?
うん。そこで何かが開化した感じがあって。
それが分かったことが、
あのその制作会社のマネジメントをどうにかしようとしてあの gcc に入った
それがきっかけで入ったんですがあの自分のそのパターンを知ることによって あの jcc 卒業する頃には独立しているっていうのもそういうことなんですよね
能力の発揮と熱量
あーそこにつながるんですねそうか その独立するにあたってのお話
もう聞きたいんですけどあの自分が 誘ったメンバーとか今のチームがあったわけじゃないですか
でそこよりも今のその自分の熱がこもるというか熱が入る パフォーマンスが高い
こともあるから独立っていう風になったんですかそうですねそれで言うとその 仲間が集まってきたという話をね
あの最初したんですがでその後に あのあったその20人超えした時の組織崩壊の状態の時に
あのその時に集まってきた仲間っても大半がもうやめちゃうんですよ あーそうなんですねそうなんですね
そこでかなり自分の中ではすごくあのまあショッキングの出来事であるし かなり今でもあの心の中につっかえている部分であるんですけど
あのなんかそこでも一人また一人とあの辞めていってまあ明らかにまああの はっきりとものを申して辞めた人もいればあのそうではない人もいるんですけど
やはりまあはっきりと言われたところではあのまあ今の石川さんにはまあずつ ついていけないしあのこの会社におっても未来がの展望がないと
なので転職しますという話は言われてなんかやっぱり自分を信じて自分の熱量を 信じてあの一緒に行ったら何か面白いことがあるんじゃないかって思って人生預けてくれた
人たちがやっぱりそこで失望して辞めていったという経験をしているので なんかそこに対してはかなり今もなんか引っかかるところがあって
でまぁそれが状態があってあのまあ自分がまあ なんかなんですかねまあそういう人たちがどんどん辞めていった時にかなりも自分の中では
傷つき 傷ついたんですよすごくやっぱり
すげー気づいて自分はやっぱマネージメントとかあの人に対して何かアプローチする関わる っていうことは苦手なんじゃないかみたいな感覚もあってあのずっと沈んでた時に
あのちょうど gcc ゼロ規制 立ち上げますの動画を見たああなるほどそのタイミングでもあったんですね
そうなんです そうかうんそこはあの
まあ向いてないんじゃないかと思いながらもそれができるようになりたいというか やっぱり見つけたいっていう思いはあったんですか
ありましたねなんかすがる思いで特にあの自信を喪失してたので 自分はまあ根本的にあの人に興味がないんじゃないかとか
うーんなんか人と接するにあたってで欠如したものがあるんじゃないかとか なんかかなり絶望的なあの思考に陥ってたんですが
ブーブー言いたい これを克服したいじゃないと自分の人生はあの次のステージいけないっていう強い思いが
あってなんとかしたいっていう時にある種はある思う あの使う思いで jcc のエントリーを落ちたって感じですね
なるほどやっぱりネガティブなフィードバックというか まあしかも直接その
ついていけないというか今の展望がないって言われたらまあ 痛い痛いですよねグサッてきますよね
うーんその状態 でわらおもつかる思いで jcc に
変化の成果と独立
た結構それで言うと jcc って激しくなかったですか そうですね激しかったですね
ブーブー jcc の激しさを感じながら
なんかまあ jcc の感想を聞くっていうのはなんか違う気もするんですけど jcc でどうどうなったんですかそこは
jcc ではある種なんかいろんなことをやってで jcc で学んでることは常に現場 あの自社にはあの落とし込んで行ってたんですよ
でそこではまあやばいじゃあの自社に合うこと合わんことってあったりとかして まあ jcc で学んだそのコーチングっていうのもマッジあのある一つ
一部を切り取ってあの自社の人たちにも展開しましたし なんかそういうこともあのなんかいろいろ
やりながらあのまあ自社のマネージメントに生かしていったというところがあります 一方であの jcc 機関の中でもあの
なじっ jcc でも何かいろんなあのフィードバックを受けたりとかであとはあの いろんな人とセッションとかワンワンをしてあの自分が本当にやりたいことだったり
とか自分のパターンというのを見つけた っていうことがあるんですが一方でまだどっかあの人に対して
あの関わるっていうところに対しては何か自分の中でもやっとしたものがある なんか本気本音で100%あの相手に向かい合っているかって言ったらそうではなくて
どっか遠慮もあるし 何か
突っ切れないものがあるなっていうとこがあってあとメンターのコーチがやっぱ jcc つくん ですがメンターにもそれを言われたりとか
ブーブーしていてあの gcc 期間中ではそこまでは抜けなかったんですよ
で抜けなかったのであの gcc 終わってからあのゴール b のあのキャリス p っていうあの コーチングの
あのサービスを jcc 終わった後に受けたああそうなんですねそう
して言って今ではあのだいぶその なんかその人に対するスタンスっていうのがあのなんか
改善改善というかあの自分の中ではあのすごくアプローチとして 確定してきて言って
なが本気であの向き合うということがあの自分と本気で向き合うということができた ことによって人ににも本気で向き合うということが今できているという状態で
そういう意味では人に向き合うけど本自分にも向き合っているので でそこであの自分がやりたいことって何かっていうと
やっぱりその向き出しの状態で常に向き出しの状態であの世の中にあの 発信しているみたいな状態を作っておくっていうことが一つ自分のパフォーマンス
を維持するために必要だということがわかったのでめちゃくちゃいいですね 今それで独立していますというところなんですが
あの今実写元の自社に対してもあの業務委託契約を結んで あのマネージメントだったりとかあの一部ディレクションだったりとか
あの業務支援というところは今でもになっているという形になっています なるほどいやすごい
すねその自分を向き出しにして本当に 世の中に突進している状態
それがもうなんていうでしょう自分を 熱量高くパフォーマンス高くできている状態でもう中自分の中での
何かを爆発させている状態ってことですね そうですねもう常にあの日ヒリヒリした状態を維持しているっていう状態ですかね
すごいなでも確かにその状態のひろゆきさんが元の元の自社というか 独立する前にいた会社でマネージメントするとやっぱりその以前とは全然違う
ような 急進力というかあひろゆきさん変わったなとか
この会社とこうなっていくんだみたいなのを感じられたりしそうですね そうですねあの一部今でもねあの
心見ている最中なのであのまあ完全に何かが変わり切ったっていうところではないんです があの一つ
あの自分のスタンスが変わったことによって変わったことっていうのがあの やはりみんなの主体性が上がったっていうところは
すごく感じていて だからこれはあのスタンスだけではなくてあのねっ
ゴール b jcc で学んだ原理原則 なんか人間の原理原則っていうところに基づいて
あのなんか組織に対しては何をしなければいけないかっていうのがあのだいぶ クリアになった
なるほど っていうところがありますでまぁそれは何かというとやっぱりそのまあゴールって言われるものです
よね ゴールを発揮する
会社としてのゴール 訂正定業だったりとかまあウティ定業はもちろん売り上げ政策会社なんで売り上げになるんです
がでも売り上げだけだとその君のテンション上がらないので うーんあの訂正としてこういうあの世界を目指すんだと
うーんあの制裁会社としてはこういうポジションを目指していくというところの会社 としての訂正定業のゴールとあとはあのチームとして役割を分担してチームを作って
チームごとの訂正定量ゴール こういうことを求めていますとでそこに対する手段はみんなで考えてもらう
コミュニケーションの基本
なるほどうんでそこに対してはあの 指定をしない自分は会議体でも意見を言わずにあのファシリテーションをする
でみんなに意見を言ってもらう みんなにまあ主役になってもらうってことですよね
あとはあのその個人のあのゴールというところに対してもワンオンとかであの聞いて いっていかに会社のゴールとあのひも付けるか
っていうところの会話を徹底していく なのでそこのいわゆる箱
の形形っていうところとあとはあのコミュニケーションをとっていくっていう だからすごく基本的なことを今までそれが見えてなかったのでなんかそれをやることに
よってなんかすごく 主体制が上がりみんなの行動がクリアになり
いう状況が今できているなっていう感じすごいですねいやもうなんか この後どうなっていくのかその会社がどうなっていくのかもめちゃくちゃ楽しみ
なんですけども今の時点で今のお話聞いてたらやっぱ変わって言ってるんだろうな っていう気がしました
うんなんか なんです結構そこまで丁寧に徹底している会社ないと思うんですよねちゃんとゴールを
設定して会社もそうですけどチームとか個人の っていうところまでやってるかちょっともうなんか全然ない気がするんでそれだけでも
ガラッと変わりそうなのとしかもこの先それがどんどんどんどん効果を発揮していき そうなんでこうこの先どうなっていっちゃうんだろうなっていう道は今楽しみ
なりません そうですね楽しみですねやっぱり問題はねでも山積みなんですがね
でもなんか目の前の問題はありつつもなんかそこのなんか大元の土台の部分は なんかすごくこれこれでやっていこうという確信が持てる形はできたなって感じは
あります なるほどありがとうございますちょっと前編後編で行きたいなと思いながら全編前編でめちゃ
めちゃ話聞けたんでありがとうございます一旦キャリアのお話 ここまでにしてまたちょっと後編別の話を聞かせてください
はいはいじゃあ一旦前編ここで締めます ありがとうございましたありがとうございました
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