1. 山本達也のUntitled
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2025-10-02 1:05:11

16_スタバの経験が導いた松本でのブックカフェ開業(ゲスト:ブックカフェ栞日オーナー兼松本市議会議員:菊地徹さん)

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この番組は、まだ言葉にしきれないアイデアや感覚、何かが立ち上がりそうなワクワクを手がかりに、ジャンルを越境しつつ、これからの社会のかたちを探っていくトークプログラムです。

 

今回は、松本市でブックカフェ「栞日(しおりび)」を営み、さらに2023年には松本市議会議員としてトップ当選を果たした 菊地徹さん をゲストにお迎えしました。

 

前編では、菊地さんがブックカフェを開業するまでの軌跡をじっくり辿っていきます。小学校・中学校・高校での経験から、大学時代に培った視点、そしてスターバックスでのアルバイトを通して得た「(サードプレイス的な)場をつくること」「人と人をつなげること」の学びが、どのように後の仕事や生き方につながっていったのか。その流れを時間をかけて深掘りしました。

 

なぜ松本という土地を選んだのか。なぜ単なるカフェではなく「ブックカフェ」という形を選んだのか。なぜそこに「本屋」を併設する必要があったのか。栞日という独自の空間が生まれるまでの思考や出会い、そして迷いと決断が語られます。

 

単に「カフェを開いた」という以上に、まちと人をどうつなぎ、本を通してどのように新しい関係を生み出そうとしてきたのか。松本というローカルな場でチャレンジを始めた菊地さんの原点を知ることで、「場を持つことの意味」や「地域に根ざすことの価値」について、あらためて考えさせられるエピソードになっています。

 

ぜひ、菊地徹さんの前編ストーリーをお楽しみください。


ブックカフェ栞日のWebサイトはこちらから。
https://sioribi.jp/

 

政治家としての菊地徹さんのウェブサイトはこちらから。
https://kikuchitoru.jp/

 

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番組への感想や質問は、いつでも大歓迎です。
メッセージが採用された方には、番組オリジナルステッカー、もしくは「Living with Nature」特製ステッカーをプレゼント。

 

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サマリー

松本市でブックカフェ「しおり日」を運営する菊地徹さんが、カフェ開業に至る経緯やスターバックスでの経験について話します。彼は地域に根ざしたカフェの重要性と、人々とのふれあいの大切さを強調しています。菊地さんは、自身の体験やスターバックスでの経験を基に、地域コミュニティの重要性やカフェの役割について語ります。また、松本市民としての思いや、故郷静岡の魅力にも触れながら、彼の哲学や価値観が伺えます。菊地さんは、大学時代のスターバックスでの経験を振り返り、松本市でのブックカフェ栞日の開業に至る道のりを紹介します。さらに、彼の教育やリーダーシップの背景を交えつつ、他者との関わりの大切さについても議論します。このエピソードでは、松本にあるブックカフェ「栞日」のオーナーである菊地徹さんが、自身のスターバックスでの経験を通じて、ブックカフェ開業の動機や松本市の魅力について伝えます。そして、筑波市との比較やカフェの理想像についても深く掘り下げていきます。松本でのブックカフェ開業に至る経緯を語るこのエピソードでは、カフェのアイデアが静岡の故郷愛から生まれ、独立出版物を扱う本屋とのコラボレーションを通じて地域に良い影響を与える場所を目指していることが語られます。

ゲスト紹介と菊地さんの経歴
スピーカー 2
名前は後から付ければいい。山本達也のUntitled、ポストの山本達也です。
この番組は、まだ言葉にしきれないアイデアや感覚、何かが立ち上がりそうなワクワクを手掛かりに、様々なジャンルを影響しつつ、これからの社会の形を探っていくトークプログラムです。
本日の収録は、長野県松本市アルプスシティスタジオからお届けします。
はい、今回のUntitled始まりましたけれども、今回の配信はですね、10月の第1週、第2週を予定していて、いつも月の初めの2週はゲストの方をお迎えしてトークをすると。
前編と後編に分けてということなので、今日は実はこのアルプスシティスタジオにゲストに来ていただいています。
今日のゲストをまず早速紹介したいんですけれども、松本でいろんなカフェありますけど、ガイドブックとかいろんなメディアで目をつけられるカフェといえば、いくつかあるうちの筆頭に上がってくるのが塩リビというカフェがあります。
ここはカフェであり本屋さんでもあるので、ブックカフェ塩リビということで、ブックカフェ塩リビのオーナーでいらっしゃる木口徹さんに今日は来ていただいていますが、木口徹さんは塩リビのオーナーでもありながら現職の松本市の市議会議員でもいらっしゃいます。
ですので今日はこの2つの属性を持つ木口徹さんをゲストにお迎えしてトークをしていきたいと思います。木口さんよろしくお願いします。
木口さんと呼んでますけど、近所に住んでいて、もう何年ものお付き合いをさせていただいており、愛称キクリンと呼ばれていますので、もしかしたらこのトークの中でもキクリンって出てくるかもしれず、それは聞いてくださっている方はこれは木口徹さんのことなんだなと。
僕以外にもキクリンってよく呼ばれてますよね。一番多い呼び名キクリンですか。松本に来てからはキクリンが定着している感がありますね。実はじゃあ昔のニックネームの返力でいくとどんな感じになったんですか。
スピーカー 1
松本 まあ小学校はキクちゃんが多くて苗字の方ですね。キクリンのキクもキクチのキクですけど。キクちゃんから始まって中学になって先輩後輩関係みたいなのができるじゃないですか。先輩からはキクチ、同級生からはキクちゃん、後輩からはキクさんになるっていう形状の変化が伴い、高校も同じままですね。
大学に入って、大学が国際関係学の学部だったんですけど、ファーストネームで呼び合うのが学部の伝統みたいなところがあって、下の名前で初めて呼ばれるという新鮮な感覚が。
先生は単純にトールって呼ばれるんですか。 そうです。呼び捨てトールが一番多い。後輩からだから引き継ぎトールさんですね。大学卒業して松本に来て初めて働いた職場でキクリンって呼ばれ始めたんですよ急に。同じ部署の先輩がキクリンってつけてくれて、それが今妻になっている、その時同じ職場で働いてた妻ですね、パートナーに伝染して。
パートナーが僕のことをキクリンっていろんなところで呼ぶもんで、それが町に広まって。だから達也さんと、今日僕も基本的に山本先生のことを達也さんっていう呼び方でお呼びしますけど、達也さんと会った時にはもうキクリンはキクリンだったんだと思います。
スピーカー 2
そうですよね。松本でキクリンなんですね。 そう、その前に住んでた町では静岡の出身で大学は筑波にいましたけど、静岡でも筑波でもキクリンって呼ばれたことは一回もなかったです。
なるほど。もうここまでの間に、たいていゲストの方をお迎えすると一番初めに簡単な自己紹介をしていただくんですけど、ちょいちょい今出てきましたね、静岡とかいろんなワードが。
そうですね。でも改めてちょっと今、一言自己紹介っていうか、今日菊池徹さんをお迎えして、今一番初めにはブックカフェのしおり日のオーナーである。ここは多分なんとなくイメージつき、松本市議会議員っていう仕事が、実際のところで何やってるかっていうのは実はわからない人っていうかいっぱいいるかもしれないけれども、
スターバックスでの経験
スピーカー 2
ただ、市議会議員という仕事があるってことはほとんどの人は知っているし、たぶんこういう仕事なんだろうなっていうふうに想像はついてるんだと思うんですけども、今ちょっとチラッとあったみたいに、松本出身ではなくて静岡ご出身だったりとか、ちょっとその辺含めて、まあまあ簡単バージョンっていうか、自己紹介みたいなのちょっとお願いできますでしょうか。
スピーカー 1
ありがとうございます。じゃあ簡単バージョンで自己紹介をさせていただきます。改めまして菊池徹と申します。ご視聴いただいている皆さんどうもありがとうございます。生まれ育ちが静岡県の静岡市です。1986年の9月生まれなので、今これ収録9月にやってるんですけど、つい先日39歳になって、いよいよ40が直前に迫ってきたなという年にいるというのが、今現在の私です。
高校卒業まで静岡県の静岡市で生まれ育ちまして、さっき筑波てちらっと出したんですけど、大学進学が筑波大学の当時第三学軍、今社会国際学軍になっている国際総合学類という、この学軍学類っていう呼び方が筑波大学の特徴でもあると思うんですけれども、
いわゆる学部学科に相当するので、第三という応用系の学類が集まった学部の国際総合っていう学科に入学したと思っていただければいいと思います。これが2005年のことですね。大学で国際関係学を学びたいと思って入学をしたんですが、国際というスケールに、国際政治学が、ご専門の達也さんの目の前でこんなこと言うのもあれですけど、
国際っていうスケールに、どこから手をつけていって、どこまで何をやったら、僕は国際っていう舞台、フィールドで仕事をしたぞっていう手応えを得ることができるのかなっていうことが、勉強し始めて結構すぐの段階で、バクとした不安を抱えるようになったっていう、ちょうどその頃に、当時つるんでいた友人たちが、結構外でご飯を食べるとか、食事をみんなで作って食べるみたいなことが好きな、食べることが好きな友達が多かった。
で、大学生になって、コーヒーとか飲めるとか、コーヒーとか淹れられるぜ俺みたいなのが、結構その仲間うちのステータスとして、コーヒーのこと知ってるとか淹れられるとか、味についてなんか語れるとかかっこいいみたいなところがある仲間うちと一緒にいたもので、結構未発行心が働いてですね。
当時まだ筑波市内に3店舗目ができたばっかりだったスターバックスコーヒーの、その3店舗目のお店オープンして、まだ半年経ってないお店に、純オープニングメンバーぐらいの間隔でアルバイトとして加えさせていただいて、以降アルバイトをスターバックスで卒業して、さらにその先まで続けることになるんですけど、このスターバックスのアルバイトが僕にとっては今の原点になっていく部分で、
それはお店のロケーションとか、オープン直後みたいな状況とかがすごく良かったなって今思い返すと思えるんですけど、住宅地にある国道沿いのスターバックスのお店で、ドライブスルーもやってるお店だったんですけど、店内でイートインするような皆さんは基本的に住宅街にお住まいの皆さんが、それぞれのペースでそれぞれのタイミングで、僕がアルバイトをしているスターバックスに通ってきてくださっていて、
いわゆるスターバックスが企業理念として提唱しているサードプレイスっていうものが、本当に体現されているようなお店だったんですよね。そういったローカルに住んでいる皆さんが、自分のペースで通ってきて、自分の何か不調とか、ちょっと心配事とかを、
なんとなく一杯のコーヒーを飲んでいる1時間なのか30分なのかっていう時間の中で、少しクリアにしていって、ちょっとだけ元気をチャージしてまた自分の日常に帰っていくっていう、日常と限りなく実続きにある非日常っていう、そういったサードプレイスを提供しているっていうことが、すごく仕事としてやりがいというか、地に足がついた感覚というか、手応えみたいなことを日々のアルバイトの中で感じる。
目の前の人が少し元気になって自分の日常に帰っていくっていうのを、なんとなく背中を押していくみたいな。で、その仕事がすごく仕事として素敵だなっていうふうに思っていったときに、手前の話、グローバルな仕事っていうものにバクとした不安を抱えていた僕だったんで、
いやこのローカルに地の足についたことを仕事にしていく、ローカルのその目の前の一人一人の幸せにちょっとお手伝いができるっていう、このカフェっていう仕事は僕にとって実はすごく賞分がいいんじゃないかっていう、賞分が合ってるんじゃないかっていうふうに思って、で、そのときにも今やってるしおり火っていう、カフェ兼ほにゃららみたいなものの事業構想というかですね、ちょっと大げさですけど、
思いついて、じゃあそれをやろうっていうふうに思ったっていうのが、これ二十歳になったときぐらいのことですね。二十歳からちょうどバイトをしてたんで。で、大学はなんとかかんとか卒業するわけですけど、スターバックスでアルバイトに明け暮れていたら、一年ちょっと棒に振った一年がありまして、一年ダブってて、三年次がダブったのかなあれ。で、卒業が一年遅れたんですよね。
で、そのままスターバックスに新卒採用される気満々で、新卒はもうスターバックスしか受けないっていうぐらいのつもりでいたら、ちょうどリーマンショック2008の煽りを受けた年が2010の新卒で、エントリーはできたんですけど、途中で企業から今年は採用しませんって、新卒採用しませんって通知がきて、で、なんかこう途方に暮れるというか、でもその当時スターバックスが、今も多分あると思うんですけど、
アルバイトから契約社員にまずなって、契約社員から正社員に上れるよっていう登用制度があったんで、それを目指そうと思って、卒業した後もそのまま働いてたスターバックスで、この時ちょっと店舗移動を1回経験してたんで、学生のうちに。
僕にとっては2店舗目のスターバックスなんですけど、フリーターとしてアルバイト勤務を続けてたんですね。ただその将来自分が自分なりのスターバックスのようなサードプレスを開きたいっていうのが自分のゴール設定だったんで、
なかなかそこで足踏みを続けていても、スターバックスの正社員になった後、またそこからっていうところで、結構時間がかかりそうな道を今自分は歩き始めたなっていう感覚が、そのフリーターになってしばらくした頃に募り始めたもので、
そこで改めて気を取り直してというか、自分なりのスターバックスを開くための道選びとして就職をし直してみようっていうふうに考えて、当時サービスっていうことに関心があって、サービス業僕はスターバックスのサービスしか知らなかったんで、
別の業態のサービス業で少し勉強したいなって思って、それで宿泊っていうものが思い浮かんで、宿泊施設、宿ですね、ホテルとか旅館で自分が働きたいようなコンセプトとか、企業理念を携えている、そういう宿でどこか働けるところがないかなと、
カフェ開業のビジョン
スピーカー 1
で、新卒のカード切り損ねてるので見事に、中途採用を今からでもしてくれるようなとこないかなって卒業して半年ぐらい経った頃に考えて、いくつかここで働いてみたいっていう宿のドアをホンホンってノックして、見た結果松本にある扉温泉病人館という宿が僕のことを拾ってくれて、一緒にやりますかっていう返事をくださったんで、やりますやりますって言って、
で、筑波から松本に引っ越してきたのが、これが2010年の12月年末ですね、そっから数えると長野県民歴はそろそろ15年、今年の冬12月で15年になる、で、そこでさっきちらっと登場してもらったんですけど、今妻になっている人生のパートナーにそこで出会って、彼女が僕の先輩で元々病人館で働いていて、
で、そこでこう出会って、彼女が今達也さんがご紹介くださった塩リビで焼き菓子をはじめとするフードのメニュー全般とコーヒー以外のドリンクメニュー全般を彼女がレシピ考案もしてくれるし作ってもくれているんですけど、彼女ももともとそういうお店っていうものを自分で持つことに関心がある彼女だったので、じゃあ一緒にお店できたら楽しそうだねっていう話に付き合い始めてしばらくした頃になって、
で、じゃあ2人で夫婦でお店やるってなったらちょっとまたその違ったスキルというか感覚が必要になるよねっていうところで、いわゆるスモールビジネスですよね、今でいうところの個人とか夫婦とか小さいチームでビジネスをやるってことのその肌感というようなものをつかんだ方が良さそうだってことになって、
で、入社してあってだった僕が車内においてまだ具体的なポジションとかも持っていませんし、逆にその妻の方はこの時まだ結婚してないですけどパートナーの方はフレンチの食事所でサービスのリーダーをやってたっていう、サブリーダーごめんなさいサブリーダーをやってたってところもあったんで、
オイソリと抜けるってわけにもいかず、僕がなので入社してまだ1年半だったんですけど転職をして、で、軽井沢にあるハルタというベーカリーで、ここも上田が本社で家族経営で今3代目っていう家業のパン屋部門で働かせていただくってことをして、
で、その子で働いた時に、とはいえそのパートナーがまだ松本に残って働いてるので、自分が勤めてた店の定休日に松本に通ってくるっていうことを週1とかでワンシーズンやってる中で、
で、明治医科で働いてた当時はちょっと感じることが十分にはできてなかった松本の街の魅力、これまた話し始めるとずずず長くなっちゃうのでここではちょっと割愛しますけど、松本っていい街だなっていうふうに思い始めて、
で、将来自分で開こうと思ってたスターバックスのようなサードプレースのいわゆる自分の店ってものを松本って街で開こうっていうふうに決めた、で、軽井沢で1年間過ごした後、2013年に松本に戻ってきました、
はい、なのでそこに松本市民歴としては1年半、1年とちょっとだけのブランクがあるんですけど、松本市民に戻ってきて、で自分の店を開けたのがしおり日を開けたのが2013年の夏ですね、はい
スピーカー 2
何月でしたっけあれ 8月17日がオープン日 ちょうどそのお盆開けたくらいの時でしたっけね
スピーカー 1
そうですそうです、ちょっとお盆の真っ只中にオープンは避けようと思って、ちょっとお試しいっていうところも、市運転っていう機関も含めて、プレオープンがでも7月中にやってたかもしれないな、ごめんなさい1週間前だから8月の10日とかにプレオープンした、違う8月17日がプレオープンだったのかな
スピーカー 2
なるほど、そんな感じなんですね、まあでもそういうことで今はとにかく松本でしおり日というカフェ兼いろんな機能を持っている、もちろん2階にギャラリーの人もいないし、イベントみたいなのもできるし、本当にいろんな機能を持っている場所をやっているわけですけれども
静岡とその思い出
スピーカー 2
なんかずっともうちょっと戻ると静岡で生まれ育った時の、静岡の18までいたわけじゃないですか、静岡の居心地とか静岡の印象とか、そういうことでどうだったんですか
スピーカー 1
静岡という故郷に対しては、今振り返ってみてもすごくいい町だったなというふうに思いますし、皆さんが頭の中でイメージするのは静岡そのものだと思います、温和な気候、温暖な気候で人も温和で争い事を避けるような性質というか気質でっていう、そういった町だったなって今は考えても思いますし
愛着も未だにあって、今もう帰るとと言いつつ、今実家がむしろ私たち家族に近づいてきて、塩尻っていう松本の隣町に今父と母が暮らして、引っ越してきて暮らしているので、今静岡に帰ると言っても実家はないんですけど、でも旧友達はもちろんいますし、
スピーカー 2
訪ねていく先もあるので、静岡戻ると戻ったでやっぱりいい町だなっていうふうには感じますね、全然あの故郷に対してネガティブなイメージは全く持ってないです、むしろ好きな町です今も
育ったのって本当に静岡の市内の静岡駅とかまでのアクセスがいいような町中に
スピーカー 1
そうですね、静岡市外も真ん中も真ん中で、特に1回僕の記憶では1回父母に言わせると2回引っ越しをしてるんですけど、最後に引っ越してそれ以降僕が静岡を離れるまで暮らし続けることになった小学校3,4年あたりで引っ越したんですけど
家というかマンションの一室は本当に静岡市外も中心市外の中に入ってるっていう場所にあって、中学は城内中学校っていう中学校なんですけど城の内側って書くんですよね
で、寸布城っていう徳川家康が晩年を過ごした城が静岡市外には中心地にあって、それも松本城と同じように山荘の堀構造になってて中堀内堀外堀って寸布城の場合呼ぶんですけど、中堀と内堀と外堀の間にある中学校に通ってました
スピーカー 2
なるほど 本当に土真ん中でしたね 土真ん中でそういう城下町の城の雰囲気を感じるような小学校エリアっていうことなんだよね
そうか、なんか幼い頃あれキクリンって一人っ子 一人っ子なんです ですよね、そうなんですよね、だから兄弟がいないから
子供たちと触れ合うときっていうのは例えばそういう保育園みたいな幼稚園みたいなところとか小学校とか中学校とかそういう学校みたいなところで
なんていうの、少年たちと触れ合うみたいな感じなんだと思うんですけど、学校以外なんかこう活動ってやってたんですか
スピーカー 1
なんかこうクラブチームに入ってましたとかマーチングバンドやってましたとか 校外での学校外での活動ってことですね
そうですね、人と触れ合うっていう意味ではピアノは習ってたけどそれはまあ人とは触れ合う場面はなくて先生とだけあの個人の先生とだったからそれは違うし
習い事って意味ではそれ以外はまあそんなに特筆すべきものはなかったかな、中高と陸上部で陸上やってるんですけど
その前段で小学校の高学年の時に市の陸上教室みたいなのには行ってたことはあるはあります
あとは家外か、家外はそんなにないな、小学生の頃に静岡市が主催の子どもミュージカルっていうミュージカル企画があって
それはあれ小学校3年か4年の時だったかな、はいは1年間通って最後は静岡市民文化会館の舞台でミュージカルに出演したみたいなことはありましたけど
まあでもその程度かその程度かね
部活動と勉強の経験
スピーカー 2
なんか今の松本の話に行く前にずいぶんと子ども時代を掘り下げるんだけれども
なんか結局いろんな人話聞いてるんですけど今やってることの原点ってどこにあるんだろうみたいなちょっと興味があって
で意外とやっぱり変わってないなっていう面って割と人多いのかななんて思っていて
その片鱗みたいなものがなんか幼い頃にあったっちゃあったのかなみたいな人が多くてちょっとなんか興味があるので
今こういう仕事をやっていて今こういうところにこだわりを持っていたりとか今こういうところの価値を大事にしてるっていう
もともとのなんか原体験みたいなのって意外と子どもの頃にあったりする人も結構話聞いてる人いるんですよね
だからそういう意味では菊林の場合って小学校の頃とかなんかどんな感じの子どもだったんですか
そのクラスの中で普通に例えばその今陸上とかってあったじゃないですか陸上級にやってみるってちなみに短距離
スピーカー 1
えっとね最初から長い距離でしたねどちらかというとでまぁ中高も専門が800メートル
スピーカー 2
いわゆる中長距離っていうところでまぁ駅伝とかもあればもちろん出て 長距離でもそういうの入ってしかも中学も高校もやろうって
それ惰性っていうよりはまあまあなんかこう自分の中での陸上だって高校の一応部活って言ったらまあまあな厳しさあるじゃないですか
いわゆる本気じゃないですかまあまあなガチな時間もね体力もいろんな意味でそこにゴンと費やすことになるから
スピーカー 1
でそれは割となんていうの意識して入ったんですか高校も そうですね中学の部活は
まあ消去法的に陸上ぐらいしか僕は得意だって自分に自信を持っているものがないなぁっていう走る長く長い距離を早く走るってことぐらいしか
他のスポーツとか文化活動とかでこれが得意って自信を持っていることがないなっていうなんか消去法的に陸上部だった
と記憶してるんですけど実際入ってやって大会とかで記録が伸びていってみたいなやっぱすごく楽しくて
であのまあまああの井の中のカーズじゃないですけどあのまあその決められた範囲の中であのエリアの中では
まああの悪くない成績をまあその自分の専門種目の中では残したりとかもしてたんで
まあ中学の途中からはまあ結構部活命みたいな中学生でしたよもうなんかそれを中心に生活が回ってるみたいな
スピーカー 2
なるほど意外とじゃあその部活にドンと入っていった時期があった今なんてあの塩リビンのねあのお店と今お住まいの場所ってちょっと離れてるじゃないですか
それで自転車で通ってきたりとかしてますけどそれってなんかその長距離走ったこととリンクするものがあるんですか
なんか無理やりこじつけたらなんかあるのかそれも全然別物みたいな
スピーカー 1
まあでもなんかよくこう体力ありますねみたいなこととかよくあのまあちなみに今ご紹介いただいた僕の自宅は中山地区と言って
まあ市街地からだと車だったらまあ10分ちょっとぐらいでアクセスはできるけれども少し高台になってるあの里山の入り口みたいなエリアなので
特に坂を登って最後は帰るみたいなところがあるんでよく中山から自転車で通勤しますね毎日みたいに言っていただくんですけど
まあなんかこうそうですねあの長距離やってたしえっとまあさっき言ったようにこう部活命みたいな感じであの結構すべてを閉じてたというか
まあいわゆる限界に挑戦するみたいなあの今だったらもうなんか昭和化みたいに鼻で笑われるかもしれないけど
でもなんかいわゆるその根性論みたいなスポ根みたいなやつはあの僕通過してきてるんで意外とその根性論が通用するんですよ僕
あの意外とと言ったのはあの多分今の松本に来てからの僕を知っている皆さんからするとなんかその菊池は根性じゃなくてロジックな人間だって
終わりがちだと思うんですけど意外と根性の人間であの気合と根性が大事だと思っているんで
なんかそこはえっとまあ中古の陸上を通じて叩き込まれた部分だったしなんか最後精神論だと思ってるんで
なんかそういうベースがあるから全然あの自転車で通勤することもあの苦ではないというかまあなんか普通のことだと思ってるっていう
スピーカー 2
こういう話が聞けるからねつい掘り下げたくなっちゃうんですよね確かに松本で菊林知ってる人って
なんかロジカルにうまくいろんなことこう先読みして設計してやってるっていうふうに見えてる人もいるかもしれないですよね
だけど割とこう昭和の色濃く残る部分もねあのやっぱり役所もそうだし
あの議員さんの世界っていうのもやっぱりいろんなこう残るしきたりみたいなものもねあって
やっぱりでも選挙通過しなきゃいけないっていうこともあるからそういう意味ではやっぱりこうかなり根性が求められる
あの気合でもう全部やったみたいなねあのそういうのが結構求められてそれが馬鹿らしくなっちゃう人だとなかなか
あのそれをねなってからおかしいなと思って変えるとかってことはそうなんだけどでも一回まずそこにたどり着かないとそのスタートの権利みたいなのがねもらえないんだとするとそこを一回それ耐えて根性でもぎ取れるかっていうのもまあなんか社会変えていく人の
だから両方持ち合わせてるっていうかねなんかどっちの感覚もわかるみたいなのっていうのは割とこう軽な
そんなに誰でもが持ってないかもしれないけどでもなんかこう昔のものとの対話もできるけれども新しいものっていうのもちゃんと見えていてそこの橋渡しをできる人のある意味の素質なのかなっていう感じもするんですよね
僕も結構ね根性叩き込まれたからね高校柔道部だったし
スピーカー 1
そうですねその話聞いたことある いやーなんかもうホントオリンピック代表選手みたいなコーチだったし本当にもう日本代表で出てるみたいな日体大の小川選手っていたじゃないですか
スピーカー 2
小川選手が日体大にいた時のその日体大の首相なんすよねそのコーチがそれが大学の体育の先生で柔道部の顧問でまあ厳しい厳しい
まあ本人にしてみれば手加減してるんでしょうけどねその別に柔道で入学したわけじゃねえけどなあとかって思いながらもまあまあなんかそういうの一応やったなあなんていうのもありましたし
まあまあそんな僕の話はいいんですけどそれであの大学をね受験するわけですよで高校でそんだけ部活ガリガリやって
いやたぶん聞くに普通普通にっていうか当たり前なんですけどそれ筑波大学に受かるんだからそれなりの勉強も時間費やしたんだと思うんですけど
スピーカー 1
それは何どの辺からでもむしろ小学校くらいから比較的苦じゃなかったですかね勉強は あのね勉強はすごく好きでしたね好きな子供でした
であのまあテストでこうなんていうかな満点目指すみたいなのもまあなんか一種のゲーム性みたいなところがあるなって思ってたんで
やっぱあのあるな当時思ってたというか今振り返るとなんかそういう感覚でやってたんだなっていうふうに思うし
なんかやっぱ知らないことを知っていくとかわからなかったあの問題が解けるようになるとかそういうのは本当こうゲーム感覚で楽しかったですね
あとまあ今にも通じている部分かもしれないですけどあの基本的に計画を立てて立てた計画の通りにそれをクリアしていくっていうことがすごい好きな勝負なんです
性格としてだから例えばテスト勉強をするという時にテストの目標点数を立ててそのテストの目標点数を得点するための計画テスト勉強計画を立てて
であの月曜日は国語は何やって卒学は何やってみたいな感じでその立てた計画の通りにクリアしていった結果目標になった点数が取れるみたいなのが
結構快感なくなったから全然だからそのテスト勉強とか受験勉強とか全くじゃなかったっていうのとあの大学受験に関してはもう部活引退してからフルスロットル入れた感じだったんで
あのさっきまでやってたその陸上に全部としてるっていうその根性論を精神論を全部受験勉強に切り替えたみたいな感じでしたね
受験勉強も本当もうあのあんなにこうなんていうかなあのまあ実際地平道は履いてないんであくまでも比喩ですけど
まあ地平道履くほど勉強したってあの今振り返ってみても自信持って言えるっていうのはもうあの時
スピーカー 2
あの時がそうですね最初で最後ですね なるほどだからバックキャスティング型なんですよね僕もどっちかというとそういうのを好きなタイプで
あの そうですよね だって最後ここ到達する時にいきなり全部フルスロットルでやっても意味なくて
菊地徹の背景
スピーカー 2
まああの1週間後にここに到達してるんだったらまず今日はここまで到達してれば十分狙える距離だなみたいな
なんとなく山登りとかのペース配分みたいなところも割と好きなんだけれどもそれに近いものがもしかしたら
あんなかもしれないですねでもそっかそこで受験で塾とかどうしたんですか塾は行ったんですか
スピーカー 1
塾はなので高校試験高校入試高校入試の時に中学3年で一旦部活引退するじゃないですか
そこで夏季講習から予備校老人生も通ってるでも現季生も行くっていう地元の予備校があって
そこに中3の夏季講習から通い始めてで高校はいわゆるその公立新学校
地域の公立新学校に進学をしたので高1からずっとその中3の夏季講習から通った予備校に現役生として高1高2高3ってずっとそれは通ってはいました
スピーカー 2
じゃあ一応その部活やりながらも一応塾とは関わり合っていてそれ辞めてからガンてフルスロットでそこ入れていくみたいな感じなんだ
スピーカー 1
塾自体は楽しかったですか 塾自体も楽しかったですねやっぱそのさっき言ったようにテストで点取るみたいなのは
ある種ゲーム性があるなというふうに思ってたんでその意味ではゲーム攻略法というか テクニックの部分はやっぱり学校では教えてもらえなくて
予備校というか塾で教わる部分だったのでなるほどという感じでそれはそれで楽しかったですね
スピーカー 2
その時に静岡からどっか大学行くぞっていう時に当然その塾の模試とかやって自分のそのいわゆる偏差地帯みたいなこととか
どういうところ狙いに行くのかとか国立なのかなとかみたいなのあるじゃないですか
その時に行く大学もそうだしだいたい分野をね選んでいくということになるんだけどで結局今お話聞くと第三学類
で今だと社会国際学軍かなっていうあたりに落ち着くのは
スピーカー 1
いつくらいにそこに狙いを定めるんですか うちの家庭は僕が一人っ子で父と母がもともと公務員というか小学校の教員になったんですよ
両親ともにで小学校の同じ学校に通ってた先輩教員と新人教員の職場恋愛みたいなところなんですけど
決してこうなんていうかなその金銭的にすごく苦しい家系ではもちろんなかった恵まれた年だったけどむしろ今思えばものすごく恵まれた家庭環境だったけれども
なんか幼な心なりにうちの家庭は別に裕福でもないっていう感覚があったもので
学校を選ぶっていう時に高校の進学の時から私立は選択肢には入ってないっていう必ず公立みたいな自分に勝手に両親からそう言われたことは一切ない
一回もないけど私立入れるお金はないから公立に進めなさいって言われたことは高校進学の時も大学進学の時も一回もないし
実際私立の大学も受けてるんですけど高校の時も受けてるんですけどでも自分としては家系に負担をかけちゃいけないから公立に進むんだって
高校の時も大学の時も勝手に自分に貸してたところがあって大学進学の時も国公立っていうのが第一志望っていうのは絶対っていうふうに勝手に自分で貸していて
でタツヤさんが今おっしゃってくださったように模子とかでいわゆる偏差値で横切りされていて自分が受けることができる偏差値域というかバンドみたいなのが出てくるじゃないですか
でさっき国際関係学が学びたくてって言ったんですけど正確に言うとどちらかというと国際開発学の方に近い部分があって
僕がやりたかったのは国際教育開発なんですよね
ブックカフェの開業
スピーカー 1
で土壌国における識字率の向上とか諸島教育とかっていうことに関心があってその国際教育開発って結構ニッチな分野だもんでやってる先生がそこそこ限られてて
で僕の偏差値バンドでいくと東大、つくば、神戸大のあたりにそのやってる先生がいたんですよ
で父親が岩手の市の関の出身なんですけどちっちゃい頃からあまり西日本の方に行く機会が少なかったもんで
なんとなくこう東日本志向が自分の中であってでまあそのじゃあってなるとこう神戸大が少し選択肢から少なくなって
でまあその東大かつくばかみたいな話になった時にまああとで何でしょうねこれなんか達也さんとちょっと話したことあるかもしれないですけど
僕はあの少しこう車に構えるというか天の弱なところがあってなんでもこうナンバーワンがそんなに好きじゃないところがあるんですよ
だからあのまあ好きなビールビールはちなみに札幌なんですけどとかあの車のメーカーで行くとあの日産とかホンダとか好きじゃないのか
あのえっとそうえっとスターバックスが新卒採用しないよって言われた時に唯一受けたのが広告業界だったんですけど
その時も電通絶対受けないと決めてて白報道受けて落ちてるんですよみたいなところがあってなんかその東大っていうブランドに正直あんまり惹かれなかった
であのなんか担任からはいや菊池頑張れば東大行けるからみたいな頑張ってくれみたいな俺の成績のために業績のためにみたいな
高校の進学実績ね大事だからね 東大進学担任ってやりたいじゃないですかあの公立進学校としては言われたんだけど
いや僕いっす東大はって言ってであの筑波にしたっていうちょっとこんなの愛情話すのは初めてですけど
スピーカー 2
でも僕もあのなんかそのバックキャスティングも似てるなと思ったけどナンバー2もすごく似ていて
スピーカー 1
あナンバーワン嫌い基本的に僕ナンバーワン嫌いで来たんだけど最近変わったのね 変わった
スピーカー 2
変わったっていうかあの世の中が変わってきたっていうかナンバー2が面白かったんですよいろんな意味で だけど今のナンバー2ってナンバー2にしかなっちゃったみたいな
例えばなんか僕今トヨタの車乗ってるけど絶対トヨタの車買うもんかってずっと思ってたんですよね
だけどそれあの電話もドコモは持たないってなったんですけどドコモに関してはちょっと松本来てね山とか行くとね本当にこれ命の危険あるのと
あとあずさでどうしてもですねこの甲府から八王子の間ってどの携帯キャリアも入らにくくなるんだけど
まあソフトバンクも全然当時ね入んなくてもうauに変えてもダメで仕方がないってドコモに変えたらまあドコモは一番入ったっていう
まあそして山でも一番入ったみたいななんかそういう松本に住んだりとかあと時代が変化してきてナンバー1っていうかナンバー2の尖った面白さみたいなものを出せてた時代のナンバー2と
今多分なんか結果的にナンバー2的なところっていうのも出てきちゃってちょっとその価値観が揺れてるところもあるんですけど
でも本質的にはみんなが行くところとかいわゆるなんかこう綺麗な放送士のナンバー1みたいなものっていうところには行かずにそうじゃないところで勝負して面白いことやってやろうっていうのはまあ僕も結構あったなって思って
今その話聞いて思い出したりしてましたねでもそんだけ頑張ってだからそういう意味では第一規模に入ったってことなんですか
そうですね自分でそこに決めて入ったけど入ってからなんか大学の勉強っていうところや国際開発教育国際教育開発の分野みたいなところも
そこまで地平土薄まで土張りしないっていう感じなのはそれはどういうことなんですか大学に入ってからの勉強みたいなものっていうのはどんな捉え方
スピーカー 1
そうですねなんかあのさっきのその原点の話で言うとあの確かに僕自身のあの今の僕がやっている塩リビっていう事業だったりだとか
まあもう一方でそのもう一足のわらずとして最近博士始めてもらったあの市議会議員っていう仕事であったりとかに
幼少期のこう原風景というかあの何かしらっていうのがつながってないわけじゃもちろんない同じ人間がやってることなんで
で例えばそれはそのまあいわゆるその今自分で会社をこうあのまあ起業してまあまあお店を開業して
それを法人化させてでまあ小さいながらに株式会社の代表取締役をやってますっていうようなことであったりとか
松本市議会議員っていうまあ市民の代弁者として31席しかないところに自分の席をいただいていますっていうような
まあこういう自分で言うのもあれですリーダー制みたいなことっていうのは多分幼少期からずっと持ち合わせていて
まあ気づいたらそのポジションに自分がいることが多いみたいな学級委員とか児童会長とか
まあ生徒会役員とかなんかそういうポジションにまあなんかこう自然と自分が座ってるみたいなことっていうのはまあ幼少期からの延長線上にあるんですけど
あのこういうこう自分で店を開けるとかそういうことの原点っていうのは限りなくやっぱ大学時代
のあのまあスターバックスのアルバイトであったりだとか まあ学生時代に訪れたそのカフェとかカフェに限らずいろんなお店っていうもの
があの僕の中では原点になっているからかなりこう今のまあ39歳の自分からしてみても比較的近いところ
20歳前後ぐらいに自分の原点今の原点を見出すことができるなというふうに思っているんですけど
それやっぱりあの大学の風に吹かれてみたいな言い方よくすると思うんですけどまあそれまでの自分の生活の
まあいわゆるライフスタイルと言っちゃえばいいんですかね生活様式と学生になってからの生活に全く違っていて
そこのこうインパクトみたいなものが僕の中ですごく大きかったもう少し具体的に言うといわゆる一人暮らしが始まるわけですよね
あの静岡の実家を離れて筑波っていう誰も知らないあの街に行ってまあ同じ高校から同じ大学に入った同期に3人確かいましたけどでも学部がそもそもやっぱり違うし
全く人誰も知らないところに自分の身一つで入っていくであの当然ながら1から10まで自分の時間管理ってものを自分でやんなきゃいけないもちろん
あの登録した大学の授業は本来受けに行った方がいいわけですよまあでも大学ってっていうところでもその後は割愛しますけど
あのやっぱこう自分で自分のその1日とか1週間とか1ヶ月とか1年を全部自分で決められるってなった時に
まあいわゆるこうまあ良くも悪くもタガが外れたというか自分を縛るものは何もないっていう自由な風に吹かれた時の僕のその
自分の体のこうなんていうかなあのまあ身体の泳がせ方みたいなものがこんなに自分は自由に泳げたんだ本当はみたいなところに気づくみたいなところがあったりとかして
やっぱその実家でそのまあ父母と一緒に暮らしていて朝起きて学校に行ってでまあさっきちょっと触れましたけど部活やってあの場合によっては塾に行って帰宅して
でまあそのずーっとその繰り返しじゃないですかまあ自宅学校加わる時は塾自宅ってこの三角形
場合によっては日によっては自宅と学校の往復だけっていうこの生活の中に例えば好きなカフェに行くとか
そういう時間ってまあもちろん今の高校生であの持ってる子たちもたくさんいると思うんです午前いると思うんですけど僕の場合はそういったこう選択肢があの頭に思い浮くことすらなかったとか
なんか友達と一緒にじゃあその遊びに行ってあのまあゲームセンターでも何でもいいんですけどカラオケでも何でもいいんですけど
あのそういうことをじゃあやろうっていう選択肢があったかっていうとこれもさっきちょうど話したところですけど
あの部活に命かけてたしその後受験勉強に命かけてたからそんな時間を作るなんてもったいないって思ってたんですよね
だからもう本当にそのこう直線の往復ないし三角形をぐるぐる回るっていうのをまあ言えば18歳までずっと続けてたっていう中にもう何でもいいです自由ですみたいな
ボーンて渡されてでまあ受けるっていう登録したあの講義があったとしても講義と講義の間に90分の時間があったみたいな
何やればいいんだろうここみたいななった時に初めてなんか友達とまあなんか遊びに街に出るみたいなこととか
カフェに行ってお茶をしてみるみたいなこととかそういうことを覚えていった時にあ、なんか生活って豊かにできるんだなーみたいなことを知って
じゃあその生活の豊かさってどこにあるんだろうって言ったらじゃあ例えば好きな人と好きな場所で好きな食べ物を一緒に食べて美味しいねっていうことだったりとか
遊ぶみたいなことに気づいたりだとか友達と夜遅くまでお酒を飲みながら将来の夢を語り明かして夜明けを迎えるみたいなことだったりとか
ここに生きてるっていう実感とかなんかそういう喜びとかがあるんだなってことに気づいたっていうのが大学入ってからだったんですよね
なるほど 僕の場合はだからやっぱそのさっきもそのスターバックスに感化されてって言ったんですけど
誰かの幸せに自分が少し背中を押して関わることができるかもしれないみたいなのもやっぱりその僕が僕のことだけ考えて
スピーカー 2
例えば大学に進学することとかを考えて生きてきたその18年間と大学に入ってから誰かとの関わりの中で誰かの幸せや僕の幸せを考え始めるようになったっていうところからはもう全然違う樋口と俺になってるっていう
大学生活の変化
スピーカー 1
別の人物が生まれてるみたいな だから大学に入って僕は2回目の誕生をしたみたいなぐらいの感覚はありますね
スピーカー 2
大学に入ってから人生の楽しみを知ってしまったんですね何がだから例えば映画の中に出てくるような人生の楽しみを描いているものみたいなのってあるじゃないですか
ああいうものに割となんかこうグイッと自分がワって開いたっていうか生きるってこういうことなんじゃないかとか人生の価値ってこういうところにあるんじゃないかみたいなのを
でも筑波で良かったですねそれね僕多分ね筑波でちょっと変わってる人も多いんですけどこれねあの高校の先生の顔立てでね東京大学行ってたらねもしかしたらちょっと違ったかもしれないですねこれはね
でも本当に良い大学でしたね学位にも本当に恵まれて そうですよねやっぱあの変わり方はあのとってもイノウエイティブな気質があるなって特別ななんか感じで
他にじゃあ同じようなところがあるかっていうと意外と思いつかないなんか筑波らしいユニークさっていうのはあるし筑波の出身者
なるほどみたいなそれも僕が勝手にステレオタイプはめてる部分あると思うけどでもやっぱりそうだよねみたいな感覚ってやっぱりあるから
どういう環境でさ身を置くかってやっぱすごく重要ですよね 特にその多感なね18歳から22歳くらいまでの間に
どういう先生に会ったりどういう環境にいたりどういう友達がいたりとかあとどういう町で暮らしているのかなんかその24時間の使い方の365日かける4みたいな
スピーカー 1
まあ菊池徹くんの場合は5だけど なんだからその後フリーターでプラス半年してたんで5年半やっぱ筑波っていう町にはお世話になりましたけど
やっぱり今の振り返ってみると静岡でねあのこう肉体としては静岡で生まれて育ってあの来ているけれどもやっぱ精神というか魂の方はまあ筑波っていう町が僕にとって故郷だなっていう
よくの第2の故郷みたいな言い方しますけど僕からすると本当にこう命実ともに第2の故郷は筑波だなっていうふうに思ってますね
スピーカー 2
まあなんかこれはあのこんな発言をするといろいろ炎上案件だってこともよくわかってるんですけどなんかでも今の菊池は松本に住んでいる
で松本には松本の魅力があるんだけどもその松本の魅力になんかこう ピッて反応する人と
筑波っていいよねっていう筑波の魅力みたいなところが僕の中でなんかこううまく結びつかない部分っていうのもあるんだけれども
それってなんか全然違う町としてあのどっちも楽しめているってことなのかいや実はみんなが思っている筑波
まあ何しても僕が思っている筑波っていうのは多分それ筑波の表面的なところで実はなんかそういう松本的なものっていうのは筑波にもあって自分はその筑波時代も自分作ってくれた
そういうまあある種の故郷の一つであるって思えるくらいの筑波の魅力みたいなもので今ちょっと菊池はどういうふうに表現できるんですかそこ
就職活動と理想の宿
スピーカー 1
あーそうですね筑波っていう町の魅力はあのもちろん一般的に言われるところの研究学園都市としての筑波もともと桜村っていう村だったところに
まあその東京教育大学前身のがまあ移転するよっていうようなまあ学生闘争の背景も背負いながらなってまあ研究学園都市がワーッと整備されていく
だからすごく人工的なあの街で京都とかあの札幌の五番の目とはまた違うんですけど
まあでもやっぱりその東西に対してあの綺麗にこう道が走ってくるでもともとそういう時代にこう計画された計画都市なのであの道幅もたっぷりあってであのまあ車にとっての便もいい
であのまあ陸のことと化していったのっていう状況だった筑波がまあ筑波エクスプレスの開業以降まあ秋葉原中心にその都心ともつながっていってベッドタウンとしての機能も今は持ち合わせているちょうど在学中だったんですよね筑波エクスプレスの開業が
その前後の熱狂みたいなのをよく見てるんですけどであのまあちょっと時代が戻って僕が生まれる直前になりますけどあのまあ科学万博があったりとかしてやっぱりその科学と科学の都市筑波っていうイメージはもちろんあると思うんですよね
そういうその一般的に言われてる筑波の高マッチの良さっていうのはもちろんあの 一般的なものとしてあの確かにあるというふうに思っていて今特にそのまあ僕はなので
筑波エクスプレスが開通してしばらくした頃につくばって街を離れているんですけどその後インターチェンジの整備と思って 今本当にこう暮らしやすい
街になってるだろうなっていう生活環境としてやっぱその計画都市なので人が暮らしやすいようにっていう意味ではその生活基盤となるような施設とか
あのこれは行政施設も含めて公共施設も含めてですけどあの一通り本当に綺麗に揃っているのであのすごく暮らしやすいっていうのがまあ一つの魅力としてあると思っていて
もう一個添えるならば僕自身が大学時代を過ごしながら感じていた今振り返ってみてもこれは松本っていう街を大きくしのいで筑波に大きな魅力があるなって感じている部分だし
生まれ育った静岡と比較してみてもこれは筑波が群を抜いているというものは都市公園の整備のされ方がものすごくやっぱり素晴らしい
筑波っていう街は南北をペデストリアンデッキっていう歩行者専用の道路が貫いていて立体交差しながら東西の車道を越えていくのが基本になっているもので
基本的にあんまり横断歩道もかませずにずっと自転車とか歩きで南北を行けるんですよね
その北の端に筑波大学があるっていう状況なんですけどこのペデストリアンデッキの今総距離何キロだったかちょっと忘れちゃいましたけど
ペデストリアンデッキがとにかく長くあるんですよ南北を貫いてその要所要所にちょうどそのお団子の櫛にお団子を刺していくような感じで都市公園が配置されてるんですよね
だから歩いていくんだけどそろそろちょっとベンチに引っ掛けたいなっていうと程よい木陰があって公園があって芝生があってそこで休むことができる
また次の公園まで歩いていけるみたいなこの公園の整備のされ方っていうのが都市公園の整備のされ方っていうのがもちろん研究都市だ
計画都市研究学園都市だからできたっていうことが大戦略としてあるんですけどあの街は本当にその意味では公園がすぐそばに
必ずワンブロックに行くまでは多分極端ですけど言い過ぎですけど本当はそれぞれの町会団員ごとぐらいにそこそこの規模の公園があって
ちゃんと市民が行こうことができるっていうのがあの街の大きな魅力だったなというふうに今思います
スピーカー 2
なるほどそれ僕はちょっと全然認識できなかったというか気づかなかったすごく面白い視点だなと思いました
でも確かに街における公園って僕もずっと気になってるテーマの一つで当然街の成り立ちによってね公園の在り方って多分いろんなものがあると思うんだけど
公園なるものとか公園が提供できる価値みたいなものっていうのはどういうふうに街の中でちゃんと位置づけられるかっていうのはすごく関心があったりします
だんだんもう時間がねいい感じの時間になってきちゃって松本にたどり着かなきゃいけないんだけどまあそれでいろんなことがあって松本で
まあさっきのお話で扉温泉の妙人館で働くっていうことになったまた中途でね雇ってくれるところだとかいくつか働いてみたいと思う旅館みたいなところで
ちなみになんかそれはこう松本があったっていうよりまずはその旅館があってその旅館がたまたまその松本にちょっと離れたところというか
まあ松本市だけれどもちょっと市外からちょっと離れたねあの扉温泉にあると他に結構どのくらいの広さでその検討したんですか北海道から沖縄までみたいな
スピーカー 1
そうですね国内 やっぱり検討したんですか北海道から沖縄まで はい北海道から沖縄まで検討しました
で当時のその僕の就職活動を振り返ってみると自分がそのさっきもちらっと触れたんですけどここで働いてみたいって思えるような
そういう思えるようなと言うとおっかましいですけど思った思えた理念というか
宿としての理念っていうものをしっかりと明確に掲げているっていうあるいはその宿っていうビジネスを通じて目指したい世界のビジョンがあるっていうような
そういうホテルとか旅館っていうふうに探していってでかつその中度採用してくれてるっていう条件が加わるわけですけど
それをザートリスト化して何かの基準で自分なりに点数みたいなそれこそおっかましいですけど点数みたいなのをつけてランキング化したんですよね
でその上位から順番に受けていくみたいな置き方をしてだから本当にもう全国北海道のホテルもありましたしリゾートホテルもありましたし
スピーカー 2
沖縄でも沖縄もあったかなありましたね なんかそれエクセルみたいなの作っちゃうんですか
作りましたねだからさっきの計画性が破棄されるわけだ 計画性が破棄されるわけだそこでずっとなんかこう
うわぁこれ立ち悪いってことも全然なくてやっぱこれすごい原動力なのはあの根性と精神力のあるロジカルシンキングやろうって
なかなかのパワーを発揮しますよね だってリスト化するのもあるし根性で全国を見ていくわけでしょ
スピーカー 1
だってそんなものをまとめてくれてるサイトないからさ そうですねあと今だいぶ和らぎましたけど
当時ほんと完璧主義者だったんで自分がここまでやり尽くしたっていうふうに納得できないと前に進めなかったんですよ
だから全部リスト化して点数化してランキング作ってだからこの一番上から受けていくんでいいんだっていうのを自分に納得させたいみたいな
スピーカー 2
ちなみにそういうのやる場所はスタバみたいなところでやるんですかそれとも家の中でやるんですか
スピーカー 1
どっちもありますねどっちもありますねその時集中できる場所で結構集中力が短めに切れるっていう自覚があるんで
ブックカフェ『栞日』の開業
スピーカー 1
例えば一つのカフェで作業やり始めても切れたなって思ったらカフェを移すみたいな2,3時間でこうやる作業する場所を変えていくみたいな
スピーカー 2
変えていくみたいなそういう時に大学の図書館とか大学の施設はあんまり使わなかった
スピーカー 1
そうですね一方でなんかカフェって面白いなって思った部分ですけど僕だけじゃないと思いますけどちょっとしたノイズがあった方が集中できるんですよね
僕もそっちのタイプなんですよ そうですよね
スピーカー 2
だから僕図書館ダメなんですよ集中する人は図書館行く人と僕はもうある程度ノイズがあって集中しちゃったら聞こえなくなっちゃうから
だったらもうどこでもいいじゃないかって思うんだけどでも周りにふっと動きがあったりノイズがあるところで集中してる自分が結構好きで
だから僕あずさの中とかもう全然ゾーンに入れるんですよね
なんか他社が緩やかに他社が周りを囲んでるっていうことに対しての社会人としての緊張感みたいなものが主なのかもなって今はちょっと自分のこと分析してるんですけど
スピーカー 1
なんかしっかりしなきゃいけないみたいなのが無意識に働くのかなとか思ったりしますけどね
スピーカー 2
そうかそれで松本で春田も経て松本で2013年に塩リビをめでたくオープンするわけですけれども
松本はどのくらいそれこそ完璧主義的なんだのかどのくらい例えばここにいい物件があったぜっていうことなのか
それとも奥様がそこにいたっていうか松本で働いてたとかって
複合要素かもしれないけどどんな感じで結局別に長野県民をそこで辞めてもよかったかもしれないわけでしょ
その時に松本で店開くっていうもうちょっとなんていうのかな
会社で働くよりも店を持つってことになるとその土地に対してコミットメントの度合いはより高まる感じなんだと思うんですよね
そこで松本選んだっていう背景はどんな感じなんですか
スピーカー 1
そうですねなので自分なりのスターバックスのようなサードプレイスを作ろうっていうことが
まずその大学2年生の秋頃からスターバックスでアルバイト始めて比較的直後って言っていいぐらい
2、3ヶ月の後にはそれを自分の大げさに言うと人生の目標として成るっていうフェーズがまずあって
じゃあそれどこでやるのかっていう話になりますよね次ねでこれがその場所の話なんですけど
さっきちょっと話したように静岡っていう自分の生まれ故郷にはむしろ愛着はある
でも一方で執着はなかったでこれも大学の風に吹かれて話なんですけど大学に入ってから結構あのまあ
車の免許取ったのは大学2年の途中だったかなぐらいなんですけど
自分の車でドライブしてちょっと行きたい場所まで行ってみて
大学生ですからね全然車中泊とかも良しとしていたんでちょっと泊まってみてとかして
いろんな町を好みで巡るというか訪れてみるみたいなことをしていたんです
それこそ授業とかそっちのけでそうするといろんな町行くじゃないですか
特にあれだ自分で自分のカフェ作ろうって思ってからじゃあどんなカフェが自分にとっては心地よいカフェなんだろうみたいな風に考えた時に
スピーカー 2
あのいろんなこうやっぱりサンプルたくさん持ってた方がいいっていうまあちょっとだからその計画性とか完璧主義性が出てくるんですけど
スピーカー 1
サンプルたくさん持ってた方がいいっていう風に思ってとにかく筑波市内のカフェはもうすべて行く
静岡から松本への道のり
スピーカー 1
であのプラス自分がこう気になったりだとか雑誌とか当時まだそこまでね sns もなければインターネットもまあ今みたいな発達の仕方してないんで
えっと2005年の話ですけどこれ56年の話か あのやっぱその情報誌とかがで特にそのカフェの情報とかだと女性情報誌ですね
具体的に名前挙げちゃうとオズマガジンとか花子とかという都心のオフィスレディ向けの雑誌が僕にとっては道しるべになって
その雑誌に載ってるカフェを目指して車3時間走らせるとか平気なやつなんですよね であの自分が知らない街に行くと
ここから多分僕の特性なんですけど街のなんか物足りないとことかネガティブなところよりもいいとことかポジティブなところの方に目が行く
いい街だなここみたいなこういうところがいいこういうところでこういうカフェもあって素晴らしいみたいなのがどの街行ってもあって
だから僕はなんか多分どの街行ってもいいところが目に留まってあんまり嫌いな街とかきっとないなっていう
でだからその静岡っていう故郷に対しても愛着はあるけどあのまあ執着はなかったどの街も静岡もいい街だし
行ってみた札幌もいい街だなっていうふうに感じるでだからその静岡に戻って塩尻尾っていう店をやるっていうわけでもなかったし自分の中で
でじゃあ筑波に留まってっていうことでもなかったでも少なくとも自分がこの街でずっと暮らし続けていきたいなっていうふうに思えた街が
あのその先どこかで出会えたならば見つかったならばその街でその街に自分がずっと暮らさせてもらうっていうことの恩返しとして
その街にとって何か良いインパクトを与えられるようなそういうこうサードプレイスそのままインパクトっていうのはその地域に暮らしている皆さんが少しその店でこう時間を過ごすことで幸せになってそのまあ幸せになってまではちょっと極端ですけどまあでも少なくとも自分をリカバリーしてリフレッシュさせてリカバリーして
でリセットして自分の日常に帰っていくっていうことを後押しできるような店を開こうっていうふうに決めてだから自分が暮らしたい街に出会うっていうステップの方が手前に用意してたんですよね
スピーカー 2
でそしたらその街にあったら良さそうなサードプレイスを作るだからまあカフェがベースにはあったのでコーヒーは入れたかったんですけど本屋の話ここまで全然してないんですけど本屋がしおり火っていう自分の店に加わったのは松本だったからなんですよね
独立書店とカフェの融合
スピーカー 1
で当時その松本に今もしおり火で主力として扱っているのは独立出版物大手出版流通から独立している本っていう定義を僕はしてるんですけど
そういった本を扱う店ってものが2013年当時正直そんなに見当たらなくて
当時あの亡くなっちゃいましたけど松本パルコの地下にあったリブロには一部取扱いがあったんですけどそれが主力っていう店セレクトブックストア
あるいは独立書店っていうものが当時の松本にはなかったんですよねで僕はその出版カルチャーが学生の頃から学生の頃に出会ってからずっと好きだったし
松本っていう街に感じる様々な文化的な要素芸術のムードとかを加味すると松本にこの独立出版物を扱っている独立書店が1店舗あっても良さそうというかないことが不思議って思ったんですよ
だからそれ自分でやるかってなっててか一方でそのカフェはすごい多様なバリエーションのカフェが老舗の喫茶店から始まって
比較的新しいスタイルのカフェでコーヒースタンドの状態はまだ当時なかったですけどひととりあったんですよね
でカフェがもう一軒この街に加わってもそんなに僕が市住民生活者としてこうなんていうかなワクワクしないな
紅葉しないなって思った時にじゃあ何が加わったら松本っていう街にこの要素が加わって自分の暮らしが少しこうなんていうかな
ポジティブによりポジティブになったなって感じられるかなって思った時にあ本屋だって思ってでカフェに本屋を加えて
ブックカフェとしての塩リビーってものが立ち上がっていってる
なるほど なのでその松本っていう街を選んだのはあのここだからちょっとこう
でもそれはあれ望みん妻が望みんって言って望みんって呼んでるんですけど望みんの存在がやっぱ大きいかもしれないですね
彼が僕と真逆で真逆って言うと望みんに失礼かもしれないですけどすごくいい意味で感覚的に生きている
人なのでそこのバランスみたいなものは望みんからこう分けてもらってるというかシェアしてもらってる部分がすごく大きい
んですねだから結構直感的に松本にずっと暮らしたいわっていうか
望みんは結構そうだったんですか 望みん自身もそうだけど望みんと出会ってから
そういう感覚っていうか 望みんに会いに行くためにその週に1回自分の当時働いてたパン屋の定休日が確か当時火曜日だったと思うんですけど
火曜日ごとに松本に通うっていうこれを繰り返して軽井沢から松本の望みんに会いに来るっていうのをずっと繰り返してるうちに
松本にずっと暮らしたいなって思ったそれは東京24区目的な軽井沢っていう少し特殊なあの町はあの町すごく特殊で
でもやっぱ軽井沢もいい町だなって今思うんですけど軽井沢っていう町と松本っていう城下町の暮らしがある
町とのコントラストが大きく作用したってところはきっとあったと思うんですけど
やっぱ暮らしがしっかり根付いていてコンパクトな城下町の中に個人で着替えを持ってというか自分がやりたいことを自分の表現としてやってる個人定住の皆さんが大勢いらして
でその皆さんがそれこそ緩やかに連帯してるような印象っていうのは当時から受けていて
このこうチームまでいかないんですけどクラスみたいなあの学校の教室みたいなところにあのクラスメイトとして僕も加われたら楽しそうだなっていう感覚
スピーカー 2
なんかすごい僕も似てるところがあったのでなんか感じるところがありますねそれで
やっと松本まで来れたので前編めっちゃ長くなっちゃったんですけど
意外に来てくれて 後編でね後編でちょっとあの松本にお店開いてからまあそれからもうあと十数年経ってるわけだけれども
その間の松本の街の変化もあるしなんかなくなっちゃったお店もあるし新しくできたお店もあるし
街自体も10年分古くなってるからねインフラとか含めてねでコロナもあったしねまあいろんなことがあったのでちょっとあの後編ではその辺の話
そしてあの今だけじゃなくてやっぱりこう未来に向けて今やること大事なことって何なんだろうということも含めて
今度は市議会議員としての木口徹さんもちょっとあの呼んできてもらってそんなあたりでお話できたらというふうに思いますということであの前編
あのありがとうございました ありがとうございました はいそれではあの木口徹さんの今前編をお聞きいただきましたけれども
来週ですねこの後編では今言いましたように松本の中でのこの十数年そしてその先の未来に向けてやるべきこと大事なことそのあたりを
木口さんゲストにお迎えしてお話ししていきたいと思います今日もちょっとあの長めの前編になってしまいましたけれどもまあ最後まで聞いてくださって本当にどうもありがとうございます
ということでまた来週お耳にかかりましょう 本日のアンタイトルドいかがでしたでしょうか
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それでは今回のアンタイトル動画このあたりでまた次回お耳にかかりましょう 番組ホストの山本達也でした
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