1. 山本達也のUntitled
  2. 02_「ALPSCITY」の原点を語る..
2025-06-26 53:24

02_「ALPSCITY」の原点を語る:都市・文明・エネルギー、そして松本へ

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この番組は、まだ言葉にしきれないアイデアや感覚、何かが立ち上がりそうなワクワクを手がかりに、ジャンルを越境しつつ、これからの社会のかたちを探っていくトークプログラムです。

 

今回のエピソードでは、ホスト・山本達也が一人語りで、「ALPSCITY」という都市概念にたどり着くまでの個人的な歩みを振り返ります。

 

高校時代に出合ったニューヨーク・シティ、9.11を機に目を向けたイスラム世界、そして新婚時代を過ごしたシリア・アレッポでの暮らし。

 

そこから見えてきた都市の持つ構造や、人間の営みを支えるインフラのあり方。中東での経験を通して学んだ、滅びた文明と今も続く都市との違い。

 

そして、エネルギーや社会システムの変化を見据えながら、これからのクリエイティブな暮らしがどんな都市を選び、どう生きていくのかを問い直します。

 

自然と都市文化が共存し、持続可能な循環型の暮らしが可能な都市。その構想の先に見えてきたのが、「ALPSCITY」でした。松本という土地との出会いを含めて、これまでの経験と思想の流れをひもとくエピソードとなっています。ぜひお楽しみください。


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番組への感想や質問は、いつでも大歓迎です。
 

メッセージが採用された方には、番組オリジナルステッカー、もしくは「Living with Nature」特製ステッカーをプレゼント。

 

感想や質問は、以下のフォームからどうぞ。
https://forms.gle/uDe7wN4bY1uVYMAXA

 

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登録は、以下の山本達也webサイトから。
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山本達也webサイト
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ALPSCITY Lab(アルプスシティ・ラボ)
https://alpscity.org/

 

AC pay(ALPSCITY pay:アルプスシティ・ペイ)
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サマリー

ポッドキャストのこのエピソードでは、山本達也が自身の背景やアルプスシティのコンセプトについて語ります。東京での生活を経て松本に移住し、都市や文明、エネルギーについての洞察を深めています。このエピソードでは、ニューヨークシティとアレッポでの生活経験が紹介され、シリアでの研究や文明の重要性が強調されています。また、エネルギーのテクノロジーとその社会への影響について掘り下げています。エネルギーのコストが都市や文明の形について与える影響や、松本での生活、都市文化と自然環境の関係についても触れられています。特に、歴史や文化を大切にした新しい都市づくりの視点が提示され、アルプスシティという新たな概念が紹介されています。また、アルプスシティという新しい都市の形から文化と自然の融合について語られ、松本での生活やコミュニティ活動に関する自己紹介が行われています。

番組の概要と自己紹介
名前は、後から付ければいい。山本達也のUntitled、ホストの山本達也です。
この番組は、まだ言葉にしきれないアイデアや感覚、何かが立ち上がりそうなワクワクを手がかりに、様々なジャンルを影響しつつ、これからの社会の形を探っていくトークプログラムです。
本日の収録は、東京品川区の島津山スタジオからお届けします。
ということで、始めていきたいと思うんですけれども、今日は初めての、いわゆる一人会というやつになります。
第1回目、近藤さんのインタビューというか、なんでポッドキャスト始めたのかなっていうところを、少しお話ししていきましたけれども、
今回2回目ということで、自分自身のちょっとした自己紹介的な内容で、そして、この番組の概要欄なんかにも書いてますけれども、
アルプスシティラボというのをやっていたり、それからアルプスシティペイというのをやっていたり、
そして東京で生まれて、東京で育っているんですけれども、なぜか縁もゆかりもなかった長野県の松本市に家族で移住するみたいなことが起きているわけですけれども、
なんでそんなことをやっているのかなっていうのは、実はなんか自分のこれまでの人生的なこととか気づきとか、そういうようなところをですね、振り返っていくと、
私自身の自己紹介みたいな感じ、山本達也ってこんな人かっていうようなことがわかっていただけるのと、この番組でも何度も取り上げていくことになるんだと思うんですけれども、
アルプスシティというようなコンセプト、そういった都市、そういった社会の在り方、ライフスタイル、そこの中に通定するような思想とか哲学とか、
そういったところにまで、今日出ないと思いますけれども、お話し進めていきたいなというふうに、この番組の中でいろいろとそんなお話もしていければなっていうふうに思ってるんですよね。
東京と松本の移住
なので、今日はイントロ的なと言いますか、自己紹介的な内容で、僕自身がアルプスシティという概念に行き着いた、こんな背景をお話できたらなというふうに思います。
僕自身は東京が生まれ故郷です。東京都の目黒区というところで生まれ育ちました。基本的には東京の目黒で生まれ育ったんですけれども、その過程で少しだけ広島県の福山市というところだったりですね。
いくつか父の仕事の関係で住んだことがある街というのはありますけれども、小学校以降は基本的に東京の目黒で生まれ育つという、そんな形です。
一番初めに海外とかに出会ったのが、実は14歳の時で中学2年の夏だったんですけれども、世の中的にはちょうどNTT株が公開されるとかですね、いわゆるちょっとバブルっぽい感じが世の中、そんな風潮があった時期かなというふうに思います。
どこで知ったのかちょっとよく、今となっては覚えてないんですけれども、ホームステイというシステムというか、そういうものが世の中にあるということを中学の時に知り、それで目黒に住んでたんですけれども、
電車で渋谷に行って、そういったホームステイとかをやってる会社っていうのがあって、そこのパンフレットを一人で山手線に乗って取りに行って帰ってきて、いろんな国が乗ってたんですけど、アメリカとかオーストラリア、ニュージーランドとかもあったかな、あとヨーロッパの国もいくつかあったような気がしますけれども、それを見ていたと。
で、僕の亡くなったおじっていうのは、そういう割と海外出張の多いおじで、ランカンの時に会ってお話ししてる時に、最近行ってよかった場所にオーストラリアがあった。
もっともおじがその時に言ったのは、オーストラリアの中でも西側にあるインド洋に面したパースという街で、そこよかったよって話だったんですよね。ただその前に東側にあるブリスベンとかゴールドコーストなんて呼ばれるようなところもありますけど、その辺もよかったよなんて話をしてくれて。
で、なんかオーストラリアいいなって思ったんですよね。あと単純にですね、夏休みに行こうとすると南半球季節が逆なので、冬っていうことになり、もしかしたらそういうのも理由の一つだったのかもしれないですけれども、ちょっと安かったんですよね。
で、行くなら長く行きたいみたいな感じがあって、丸々1ヶ月間くらい行ける割には、アメリカとか他のところに行くよりも値段が安くて、じゃあこれ行きたいなって言って、親に相談したら、もしかしたらそのバブル期だったことが関係してるのかわかんないですけども、行かせてくれたんですよね。
で、その時にオーストラリアが僕にとっての初めての海外だったんですけど、シドニーで一泊したのかな。それで次の日に自分たちが、何人かの中学生がそのプログラムに参加していて、基本的に全員同じ街に行くっていうことだったんですけども、
グレートバリアリーフっていう珊瑚礁が非常に有名な場所のタウンズビルっていう、なんかすごいちっちゃいちっちゃい田舎町っていう感じなのかな、行ったんです。
で、小さな飛行機でタウンズビルっていう空港に降り立つと、もう何て言うんですかね、ターミナルにドッキングするみたいな、ああいう飛行機乗り降りする時の直接ターミナルに入れるようなやつ、何て言うのかちょっとよくわかんないんですけど、ああいうのがなくて、普通に飛行機からパラッポ降りて行って、空港を歩いて行くくらい、なんかちっちゃな空港だったんですけど、
その飛行機を降りた時にパッて見た空の広さと青さが、もう忘れられないくらいの衝撃で、それを見た時に、うわあ世界は広いなあって思って、それがもうとにかくオーストラリアの強烈な印象でした。
あの空が青い、広い、みたいな。これで僕が今東京で見たことのないような空が広がっていて、でもなんかその空って繋がっているはず。で、それがなんか僕のこう海外に興味を持ったりとかのきっかけでしたね。
で、中学2年生の夏休みって今でも覚えてるんですけど、まだ未来系ってやつを習ってなくてですね、未来の表現がよく文法的によくわかんない状態で行くと。
アメリカでの経験
当然英語とか使ったことないのですごく苦労するんですけど、でも中学生の英語の2年生くらいまでのところでなんとなくコミュニケーション取れたり、なんとなくわかったり。で、なんか午前中は英語のトレーニングするような学校に行って、その先生がオーストラリア人の先生でしたけども、なんか英語を教えてくれるみたいな。
で、午後になんかアクティビティーが入ってるみたいな、そんな感じのプログラムだったんですけど、なんかね、わかった気になるっていうか、これ英語いけるじゃんみたいな、あの頑張ったらこれ理解できるかもみたいな感覚にちょっとなって、いやこっからやっぱり自分は海外どっか住んでみたいなっていう気持ちにものすごくなったんです。
で、近いうちに海外住むぞって心に決めて、あの目黒に帰ってくるわけですけども、なんとなくそこから日常がまた始まっちゃって、中学卒業して高校入って、高校もなんかそういえば海外行きたいなーなんて思ってたけど、高校生活もそれなりに毎日こなしながら。
むちゃくちゃ日本の高校がじゃあ楽しかったかって言われると、あんまり高校楽しかった思い出はそんなに思い出せないんですけれども、まあなんかあれよあれよという間に高校2年生が終わりそうなくらいまで確か進んでいきます。
あれ、なんか海外行きたかったんじゃなかったっけとか海外住みたかったんじゃなかったっけって。で、自分でそこで何か転機があればよかったのかもしれないですけど、僕の場合は非常に小学校の頃からもよく知ってる仲のいい友人が、高校の掲示板に貼ってあったポスター見てですね、テスト受けて合格すると交換留学で奨学金が出て留学費用を全部支払って、
そういうプランみたいなのを見つけて、これいいじゃん一緒にテスト受けようよっていうふうに誘ってくれたんですよね。で、その時僕も海外住むっていうことを何か思い出して、ああそうだと思って、いいよいいよって言って受けたんですよ。
で、何かすごく対策の勉強って言ってもどんな試験かよくわかんなかったので、何か英語のテストと面接やって、確か親同伴の面接みたいなのもあったような記憶があるんですけど、何かそんなのをやってみると、何とですね、合格をしてしまいました。
何かよくありがちの話かもしれないんですけど、その僕の友人はですね、誘ってくれた友人は奨学金には落ちてしまって、誘われた僕がラッキーに受かっちゃったみたいなことがあって、これ受かったら行くでしょうっていう感じで行きました。
アメリカのその交換留学だったんですけど、ちょうどその前年くらいだったかな、確かハットリさんって、ハロウィンの時に日本人の高校生の留学生が打ち殺されてしまうという。
ハロウィンのお菓子をもらうので、いろんなお家を渡り歩いて、変装して渡り歩いて、子供たちと一緒に、高校生の友達なんだと思うんですけど行ったところ、何かある家庭で不審者だと街が割れたみたいで、そしてその不審者に対して銃を撃つみたいなことで亡くなったっていうようなニュースが、
結構衝撃なニュースがあって、アメリカってそんな感じの国なのかとかですね、それから高校留学みたいなものをかけるアメリカってどうしてもその記憶があったりとかっていうのもあったし、僕自身がオーストラリアが初めての国だったし、行くならオーストラリア行きたいなとかって思ってたんですけど、
その奨学金はアメリカしかダメだったんですね、もうなんで、じゃあ、そうやって受かったんだからアメリカ行くかって言ってアメリカに行くことになります。
で、まあホストファミリーを選ぶというか、こちらからは選べないので、なんか自分がエッセイみたいなのを書いて、そのエッセイとか履歴書的なやつなんですかね、それをアメリカの団体の方に送って、それでホストファミリーやってもいいよっていう人たちがそういうのを見ながら、じゃあこの子だったらホストしたいみたいな感じで選ばれるんですけど、
なんで、同じ団体から行く人もアメリカ中どこに散らばるのかよくわかんないみたいな50州あるうちの、結構アリゾナ州とか行ってた人もいるし、オハイオだからインディアナ州とかですね、行ってた人もいるし、カルフォルニアだったりとかですね、オレゴンとかいろんなところがあったんですけど、僕はホストファミリーが決まったっていう通知見たらニューヨーク州だったんですよ。
ニューヨークってもう誰でも知ってる場所っていうか、ニューヨークだって思ったら、ニューヨーク州なんで、ニューヨークシティからですね、実は行ってみると3時間半とか、車で飛ばして3時間半みたいな感じで、よくアップステートニューヨークなんていう言い方されるんですけど、
オカが給料地帯が非常に綺麗なエリアでしたけども、そこに行くことになります。超田舎でみんな町の人は白人さんだらけっていう感じの町でした。アジア系なんてまず見ないし、黒人さんもほとんど見ないみたいな、そんなような場所でしたけれども、そこに1年間住むことになります。
地元の公立の高校に行くということになりました。ただその時のホストファミリーはですね、もともとニューヨークシティ出身で、それでよくニューヨークシティ連れてってくれたんですよね。
本当の子供だったら、スペイン系だったりとか、おばあさんにあたる人はポルトガル系だったりとかして、もともとニューヨークシティに住んでたし、僕のホストファザーもニューヨークシティで生まれ育ってみたいなことがあったので、しょっちゅう行きました。
それから本当の子供だったら、おばあさんにあたる人はニューヨークシティに住んでいたので、ニューヨークシティよく行きました。僕は東京で生まれ育って、世界でも人口密度なかなかすごいし、人口規模でも世界的な都市でこんな大きな都市圏ないんじゃないかっていうくらいのところで育っているので、大都市はだいたいどこも、なんていうか、そんな驚くことないだろうって思ってたんですけど、
ニューヨークシティだけはもうびっくりしましたね。初めて行った時に、夏だったんですけど、暑かったっていうことだけじゃなくて、なんかもうエネルギーがすごすぎてですね、アスファルトとかがなんかこう、わーって、もうアスファルト自体がなんかダンスでも始めるんじゃないかっていうくらいに、
とにかく街全体が蠢いていて、熱気に包まれていて、あらゆるものがあって、そしていろんなものをだんだんわかってくるようになると、芸術レベルとか、オペラみたいなものからミュージカルから、そして金融街がウォール街とかあって、そして歴史的なビルディングがあって、
エンパイアステートビルみたいなのがあったりとか、五番街とかがあったり、そしてセントラルパークとかがあってとかっていう、これに魅了されました。高校の、アメリカの高校時代っていうのもいろいろあったんですけど、都市の話に行かないとですね、なかなかこの自己紹介会とアルプスシティのコンセプト終わらないので、
アメリカの高校の話とかっていうのはもしかしたらまたどっかで別の機会にお話しすることになるかもしれないですけど、とにかく僕はそこでニューヨークシティっていうものに出会います。
ニューヨークシティでの経験
で、ホストファーミリーもニューヨークシティ大好きだったんで、しょっちゅう連れてってくれたんですよね、ニューヨークシティに。で、さっきちょっと話したように、本当の子供だったらおばさんにあたる人がニューヨークシティで一人暮らししていたので、なんかアパートがあったんです。
で、ジョン・レノンのお家の近くの本当にいいエリアですね、アッパーウエストサイドって呼ばれるようなところで、ハッドソン川の方で、センドラルパークの西側ですよね、ウエストサイドで、それで周りにはまあまあアーティストの人とか住んでるようなとっても素敵なエリアだったんですけど、
で、そのおばさんが夏の間とか田舎の方に、田舎の家の方に引っ込んで、何ヶ月だろう、なんか2ヶ月とか、なんかそのくらい過ごしたりする間、そのアパート空いててですね、そうすると、そのアパート、じゃあいいよ使っていいよみたいな話になって、こらラッキーということで、
高校時代は高校生だったので、基本的にはその自分の所属する田舎町の高校行くんですけど、その後日本の高校に戻って、でまあ卒業して、でその後大学に入るんですけど、大学に入ると休みが夏休み2ヶ月くらい、春休み2ヶ月くらいあって、
航空券も当時安いし、ちょうど格安航空券みたいなのが出てきた時期だったんですよね、それからガソリンの値段というか石油の値段も激安な時期だったので、たぶんなんかレギュラーガソリンとか、大学生の頃たぶん80円台とか90円くらいで入れてたような記憶があります。
高くても100円以下って感じ、100円って感じだったんですけど、そういう時代なんであの燃料サーチャージみたいなのもないし、でまあ普通に日本で大学生でバイトとかしていればですね、ある程度のお金は稼げて、それでチケット買ってニューヨークに行って、まあ住むところが幸いあったみたいな感じなんで、そうするとニューヨークシティに通い始めるわけです。
まあ大学の頃って2ヶ月2ヶ月休みで4ヶ月ですから、1年のうちの3分の1はもうアメリカにどっぷりハマっていたので、もちろんニューヨークシティベースに大好きだったんでよく行きましたけど、なんかシカゴとか。
ああそうそう、これってまあ多分今もうなくなっちゃったんだと思うんですけども、当時なんかユナイテッド航空でもノースウェスト航空でもどこでもいいんですけど、アメリカ系の航空会社でチケット買うと、なんかプラス1万円とかすると3年収入とかにしてくれるみたいなのがあって、なんでニューヨークに直行で飛んで、その後あのやっぱ音楽のカルチャーとかも好きなので、シカゴでブルース聴いてたんですよ。
なのでシカゴでブルース聴くぜと思ってシカゴ行って、でその後カルフォルニアの空気もとかって行ってですねロサンゼルスあたりに飛んで、でこれで3年じゃないですか、だからプラス1万するとあのその飛行機代がついてくるみたいな、そんな時期があったんですよね。
なのでそういうのを使いながらアメリカ中いろいろ旅をしました。どっぷりハマっていろんな都市を回ったりしました。レンタカーとか借りていろんなとこ走ったりもしました。小さな町から大きな大都市までいろいろアメリカの街を見る機会があったんです。
で当時やっぱり高校時代アメリカで過ごすので、なんかアメリカンな感じに染まっていくわけですけど、でやっぱりニューヨークシティが最高だって思ってて、でちょっと生意気な感じでニューヨークシティ最後の方の夜にワールドトレッドセンターという世界で当時一番背が高かった110階建てくらいの
世界だったような気がしますけど、そこの上の方になんかバーがあって、でそのバー高いんですけど、大学生なんてそのお金ないんだけど、いっぱいだけそこの夜景を見るというか、ブルックリーの方がなんか見えるバーだった記憶があるんですが、そこでいっぱいだけ飲んでまたこのニューヨークシティ戻ってくるぜって思うのがなんか最後帰る時の儀式みたいな。
そんな感じのちょっとことをやっていました。
シリアのアレッポでの生活
ところが2001年の9.11というのが起きるわけです。僕の言ってたマンハッタンの先端にあったワールドトレッドセンターに飛行機突っ込んでいって崩れるみたいな。
当時も僕は世界を理解したいとか、特に情報通信系の技術と政治とかですね、そういうようなところに関心があって、大学院に入っていましたね。その時にはもう大学院で研究者になるぞって思って、いろんな勉強してみました。
特にインターネットとかそういう情報通信の政策とか政治とか見ていたので、そうするとアメリカでインターネットすごく発達していくので、アメリカの情報通信政策とかアメリカ外交みたいなこととか、そういうのを見ていくってことをやってたので、アメリカによく行ってたってこともあるんですけど。
でも、世界を理解しようと思ったら、アメリカから世界を見てても理解できないかもって思ってですね、イスラーム側から見るとどういうことが起きるんだろうみたいなことに興味を持つようになるんですね。
あとからだんだんわかってくるんですけど、9.11のオペレーションは、かなり暗号の技術とかインターネットとかも駆使しながら、現代的な情報通信技術を駆使しながらオペレーションをやったってことがわかってきていて、
そうするとイスラーム側の人とかですね、非欧米圏の人たちもインターネットも当たり前のように使うようになるし、そういうものを使いながら平和的に使うこともできるんだけど、そういうテロみたいなものとか起きたりもすると。
なんかそんなようなことが起きていましたよね。そういうのを見ると、やっぱりすぐ現地に行きたくなっちゃうんですけども、どっかイスラム圏で行けるとこないかななんて思ってたら、なんかいろいろと紹介をしてもらえて、
で、シリアのアレッポという町に、アレッポ大学という大学があるんですけども、そこで受け入れてくれるっていうことになり、それで結局当時お付き合いしていたのが今の妻なんですけれども、
博士論文のネタが上がるくらいまではシリアでちょっと勉強してというか研究してなんていうことを言って、それで一緒に来てくれるっていうことになり、結婚をしてシリアのアレッポという町に住み始めると。で、これが僕の新婚生活みたいな感じだったんです。
で、アレッポという町はシリアの中でも2番目に大きな町で、首都はダマスカスですけれども、アレッポはその次に大きい町。で、商人の町なので、イメージとしてはダマスカスが東京だとするとアレッポが大阪みたいな、なんかそんなようなイメージかもしれません。
で、アレッポって言って、なかなかすごいなという感じだったんですね。というのは、2001年9月11日に9.11が起きて、そこからすぐ思い立ったら行動してしまう感じなので、2002年の2月、だからもう半年くらいでアレッポに住むようになりました。
で、当時のシリアのアレッポって、いわゆるスーパーマーケットみたいなのも全然なくてですね。それで、屋上屋さんとかお肉屋さんとか、なんかその専門店しかないような感じで、草木な感じだったんです。そして、僕の研究対象でもあるインターネットっていうものが解禁されたばっかり。で、今までそれまでインターネット禁止だったので、携帯電話も禁止でしたね。
それが解禁された時期で、変化が起き始めたみたいなところだったんです。で、まあ、アラビア語しか通じなくて、英語がほとんど通じないので、言語的にもずいぶん苦労しましたけれども、まあそして、途上国っていうのは途上国なので、いろいろと生活面でも苦労することがいっぱいあるんです。
ただ、だんだんだんだん町に慣れてくると、この町は奥深いなっていうことに割とすぐ気が付きます。実際に世界遺産に登録されていて、特にあの旧市街、新市街っていう風な言い方しますけれども、もともと町だったところ旧市街って言ってます。
で、この旧市街の部分は、現存してまだ人が住んでいる町、都市の中で、世界で一番古い都市のうちの一つっていうことで、首都のダマスカスと並んで、世界遺産みたいな感じになっていました。
なので、長くですね、人が住んでいると。しかも、紀元前からも人が住んでいると。これはなかなかな都市だなと思って、実際その市場の部分とかですね、歩いたりとか、もうほんと迷路みたいになってて、すごいんですよね。
で、その都市の奥深さとか魅力にすごくはまっていくのは、やっぱりシリアのアレポっていうのは大きかったのかなっていうふうに思います。
エネルギーと文明の関係
で、当時すごくよくしてくれた方が、高校学者のご夫婦が非常によくしてくれて、仕事柄ですね、遺跡の発掘とかっていうの行くんですけど、自分たちが発掘に携わった遺跡で、まだ公開されてないようなところとかも含めてですね、いろいろと連れてってくれたんですね。
で、もちろんシリアなんてメソポタミア文明とか、チグリスユーフラテス川とか。で、ちなみにアレポで僕の住んでたアパートの水っていうのはユーフラテス川の水なので、なんか水道の蛇口ひねるとユーフラテス川の水なんていうと、なんか四大文明とかって教科書に習ったような川の水で、いろんなことするのかみたいな感じで。
文明っていうものとかもすごく感じたのはその時期でしたね。で、遺跡とそれからまだ都市として機能しているその古い町であるアレポ。すごいなんか、持続可能性だから要は失ってしまうと遺跡化するし、まだ持続可能性を担保できていると、町として生き延びるみたいなこともあるわけですけど。
でもいろんな過去に滅びた文明って、あの行ってみると、なんか3世紀くらいの時代なのになんか上下水道完備みたいな、そんな遺跡とか見るとですね、当時最先端みたいなことをやってるのになぜか、あの、滅びてしまうみたいなことっていうのが起きるわけですよね。で、そっからやっぱりその文明にものすごい興味を持つようになりましたね。
滅びる文明とそうじゃない文明の違いはあって、まあやっぱり同じようなことを考える研究者っていうのはいて、その辺のなんか勉強とかっていうのもその当時、あの、しました。
で、まああと中東で政治の話とか勉強しようと思うと石油ってやっぱりすごく大きいので、石油に関するあのこともいろいろと勉強したいなと思って勉強してたりもしたんですけど、でもより本格的には、あの、シリア結局3年くらい住んだんですけど、それ日本に帰ってきてから、
割とあの東京大学とか京都大学とかの先生がで特にそういう石油の開発とかですね石油の地質学ですかねそれとか地球物理学みたいなことやってる先生たちがなんか研究会やってて、もうなんか全然専門外なんですけど、なんかすごくよくしてくれてですね。
まあ本当、耳がくむっていうか、あの話聞きながらなんとかキャッチアップしてついていくみたいな感じなんですけど、まあこの研究会定期的に呼んでくれて、あのいろいろとあの教えてもらったんですよね。石油の掘削の技術とかですね、そういうこととかっていうのをいろいろと教えてもらって、僕も元々やっぱりそういうテクノロジーは好きなので、あの情報通信のテクノロジーもちろんそうなんですけれども、全般的にテクノロジー全般非常に関心があって。
どんな技術も社会にインパクトを与えると思うんですけど、いくつかのテクノロジーは社会を根本的に変えるかなっていうふうに思ったりしています。そのうちのまあ一つというか、まあ社会を変えるテクノロジーの中にはやっぱりエネルギーのテクノロジーって大きいなっていうことをやっぱり理解するんです。
特に石油って現代的な、この僕らの近代的なというか現代的なかな、現代文明みたいなものを形作る上では非常に重要なエネルギー源なんだけれども、石油自身が地球の中にはすごくたくさんあるので、石油自身が例えばなくなって石油時代が終わるみたいなことはないと思いますけど、
僕らが持ってる技術ってやっぱりエネルギーに関しては基本的にはこのエネルギーを自然界から取り出す技術っていうのを持ってるけれども、まだ自分たちでエネルギーを作り出すみたいな技術っていうのはちゃんと実用化できてない。
その意味ではエネルギーに関しても自然の恵みの部分でしか生きられないし、文明って結局何なのかってことを突き詰めると、余剰エネルギーの範囲でしか文明って作れないわけですよね。で、その余剰エネルギーっていうのは昔はそういう化石燃料とか使ってないので、奴隷の筋肉ですよね。
それが例えばピラミッドみたいなのを作るのもその筋力で作っていくわけですけど、この筋力の元は食料だったりするわけで、この食料のカロリーみたいなものが物理的にも動かすような筋肉に変わっていって、それによって文明というのを作っていくわけですけども、いずれにせよこの余剰エネルギーの範囲を超えて文明というのは作ることができない。
これは化石燃料みたいなものに依存している今の時代でも全く同じなんだろうなと。エネルギーはあらゆるものに必要なんですけれども、それの範囲内でしか作れない。
だんだん勉強して理解してくるのは、石油自身がなくなるっていうよりも、比較的簡単に取れる石油が大量にあった時代、これEasy Oil時代とかって言われたりしますけども、そういうEasyなオイルっていうのがもうほぼほぼなくなってきたっていうか。
エネルギーコストとその影響
場所にはあってもですね、今度取りに行くのに、そしてテクノロジーはあるんですよね、技術はあるんですけど、取りに行くのにエネルギーのコストがかかるようになってくると。
なので、昔は穴を掘れば自噴してきたので、陸上の油田とかバーっと吹き出してくるみたいな感じで、比喩的には1リッター分くらい、ドリルで穴掘るエネルギーいるので、穴掘るエネルギーさえあれば、あとは自噴してくるみたいなことだと、投資効率っていうか、エネルギー上の投資効率ってものすごくいいですよね。
だってちょっとしたエネルギーで、ものすごい大量のエネルギーを得ることができると。今技術はあるし、いろんなエネルギーにアクセスはあってもですね、取りに行くのにまあまあエネルギーが必要になってくると。
それは陸上で油田掘るのとですね、例えばその海底油田みたいなところで掘りに行くんだと、あらゆる意味でいろんなエネルギーが取りに行くにも必要になってくるし、人間ってやっぱり有利なものを先に取って、だんだん不利なものを後に残すっていうこういう性質があるみたいで、やっぱり大量にあるようなでっかいところからまず取りに行って、
あるんだけれども量はすごい少なくなってくるみたいな感じの油田っていうのが大量にあるわけですよね。だからでっかい油田っていうのはそんなに数はないけど、ちっちゃい油田になってくれば大量にある。大量にあるけどまあ1回1回掘っていくけどそこから得られる量っていうのもまあ限りがある。
だからまた次を開発しに行くみたいな感じでまあいろいろやってくると。そうするとなんかイージーオイルの時代ってこのまま20世紀ずっと作ってきましたけど21世紀もまたこれが伸び続けるというかイージーオイル時代が21世紀もあって22世紀もあってっていうことはなさそうだっていうことがだんだんこう
2000年代の初頭くらいにはなんとなく見えてくるんですよね。もちろんまあ新しい技術みんな開発するのでこれもできるようになったとかってことですけど、でもエネルギー効率的にはそんなに昔のサウジアラビアとかで掘ってたような時代とは全然違ってくるっていうことになると。
で、これってどういうふうにやっぱ都市とか文明の形っていうのを変えていくのかみたいなことにものすごく関心が出てきました。多分都市の構造も変わるなとかって思ってきましたね。で、やっぱりなんか大都市、ニューヨークにすごく憧れたしニューヨークシティって僕の中ではなんか20世紀的な都市のある意味完成形態みたいな感じが
僕の中ではニューヨークシティで構想ビルもあるし、金融システムとかもそうだし、観光みたいなものもそうだし、芸術とか文化も素晴らしいものがあるし、なんかあらゆるものがファッションとかカルチャーとかいろんなものがあの都市から生み出されてきて、で、多くの人があそこを目指しあそこに住まい、で、どんどん構想化したビルとかって建ててくるから
マンハッタンってこう摩天楼なんて呼ばれたりするわけですよね。で、それって確かに20世紀的にはこういう都市って一個の完成形だなーなんて思ったんですけど、だんだんそのイージーオイル時代がだんだん終わっていきエネルギーが構造的にまた変わっていくみたいな時の都市のあり方とか
どんな都市にじゃあ今度クリエイティブな人って住むんだろうと。ニューヨークはやっぱり20世紀アーティストとかクリエイターとか憧れて住みに行くし、それは大都市ロンドンとかパリに芸術家が行くとか、場合によっては東京みたいなところにもアーティスト、クリエイター来るみたいなことっていうのはあったと思うんですよ。
なんでこのクリエイティブな人たちがどういう都市を選択するのかっていうのも含めて20世紀ってやっぱ大都市の時代だったんだとすると、21世紀ってその先に22世紀があって、22世紀にその都市をある程度パスをしていく。
その時住んでいる人たちに対して。そうでないと中東の遺跡を巡った時みたいに持続可能性を失っちゃう社会とか都市とか文明とかっていっぱいあるわけですけど、20世紀なるものをどんどん突き詰めていった先に22世紀があるように、やっぱりエネルギーの勉強とかちょっとしてみると難しいんじゃないかな。
そうならないんじゃないかなとかって思うんですよね。そうするとじゃあどうやって社会のシステムとかネットワークの在り方みたいな都市間ネットワークみたいなところを組み直していくんだろうみたいなことを考えると、ここでアルプスシティ出てくるんですけども、やっぱり自然環境と都市文化。
松本への移住とアルプスシティ
だから自然があるところで自給自足モデルみたいなことっていうのももちろん成り立つんだと思うし、そういうのがすごく合ってるっていう人は一つの生き方かもしれないですけど、僕はやっぱり東京の目黒で生まれ育ち、ニューヨークシティにも憧れ、アレッポっていう街にも住んで。
別の時にはバンコクだったりとか台湾の台南とかにちょっとだけ研究で住んだりとかっていうのもありましたけど、そういう割と大都市みたいなところが多かったんですよね。
で、それって僕がやっぱり都市文化に対してすごく好きっていうか、都市文化があるところになんか引かれてるんだろうなって思うんですけど、それがなんか大都市だけじゃないよなっていう感覚にだんだんだんだんなってきて。
で、大都市は住まなくてもいいかもなとかって思った時期があったんですよね。これからやっぱり面白い街っていうかクリエイティブな人たちがこういうところで仕事するぞみたいなこととか生活するぞみたいなところって、もうちょっと自然環境と都市文化とがいい感じでミックスされている街なんじゃないかなって思って。
で、僕はそういうことを公演とかで読んでいただくと、なんかそういうデータとかもうまく示しながらですね、これからってこういう感じの都市間移動とかになってくるんじゃないですかねみたいな話とかしている、自分が大都市に住んでるとなんかあんまり説得力がないから、自分もなんかクリエイティブなことをずっとやってたいみたいなことを思うと、やっぱり自分の拠点をどこに置こうってことを考え始めて、
そこからどの街にしようかなっていうのを家族でというかうちの妻とよく探してました。世界中探してました。いろんな街行きました。ハワイの方とか行ってみたりとか、北欧の方行ってみたりとか、ニュージーランド行ってみたりとかですね。いろんな候補があって、見てた時期っていうのがあります。
あれっぽのことについて結構重要だなと思うので思い出したのは、あれっぽを去るっていう時、日本に帰るっていう時に、妻ともいろんな思い出話も含めてあれっぽのことを話したりもしたんですけど、その時になんか決めたことがあって、夫婦間で。あれっぽの人ってあれっぽのこと大好きなんですよ。なんか住んでる自分の街のことが大好き。
あれっぽが世界で一番だくらいによく言ってて。でもよくよく話し聞いてみると、その人あれっぽ以外のとこほとんど行ったことないんだけど、でも大好きだ、一番だってこういうふうにみんな信じて誇らしげに話してくれるんですよね。
で、それを見て、うちの妻とこれからやっぱり住むときには、街の人がその街のこと大好きだって思ってるような街に住むっていうのを一個の条件にしようみたいなことを決めて、なので、街選びの時には結構その自然と都市文化のバランスも大事だったんですけど、そして食べるっていうことも非常に僕の中で大きかったので、
いろんな食べ物とか水とかですね。またこれシリアが大変なのは、夏になると渓谷断水っていうのをするんですよ。水道が止まるんですよ。で、一番水が少ない時期なんていうのは朝1時間くらい水道出るんですけど、それ以外の時間ずっと止まってるので。
なんかその水が出るっていう時にですね、一生懸命1日分の水っていうのを貯めておいて、それで生活しなきゃいけないみたいなこんなことがあって、やっぱ水ってすごい大事だよねっていうんで、水へのアクセスみたいなのも結構あの条件としては結構重要視したところがあります。
選ぶところはザーッと早送りするんですけど、いっぱいいろんなところを行って国内外行って、で最後ここいいかもって思ったのが今住んでる長野県の松本だったんですよね。
で、この松本っていう町は非常にその都市文化も素敵で、いろんなものがあって歴史があって、そしてお城もあって、お城も戦国時代に建ったお城で、それが残ってるのも第二次世界大戦中に空襲を幸運にも避けているので、
そうすると江戸時代の城下町の区画っていうのが未だに残っていたりとか、そういう歴史の連続性、これまたシリアのあれっぽとすごく通ずるというか、歴史の連続性を感じられる都市でもあるんですよね。
人がそこで息づいてきた。でまた歴史を紐解くと、松本には古墳があるんですけど、確か3世紀とかで東日本の中でも最古の部類の古墳だっていうふうに言われていて、ということはやっぱその時からその古墳作るだけの文明があった。
余剰エネルギーがあった。社会があったっていうことだし、長野のあのエリアって割と縄文の遺跡とかも出てくるんですけど、そういう時代からずっと人が営み続けてきた場所で住むみたいなことで、そういう歴史もそうだし都市文化もそうだし、そしてその周りには圧倒的ないわゆる北アルプスとかですね、
それから美しヶ原も松本の一部ですけれども、そんなような景色があって、日本の人が山の街とかって言ってイメージするときの割と典型的な風景は松本から北アルプスの方を望むと本当に山がどーんと迫っているみたいな感じがあって、この両方を見るのがすごく僕は良かったんですよね。
住むなら街中の中心市街地の歩いて住めるところに住む。もっと別の言い方で言うと、松本でどこに住むのか探すときにですね、博物館にあった江戸時代の地図っていうのを見て、それと現代の地図重ね合わせてみて、江戸時代に街だったエリアに住むみたいなのが1個なんです。
なんでそんなことを考えるかというと、別の言葉で言うと江戸時代までっていうのは100%再生可能エネルギーだけで社会を構成していたわけですよね。明治とかになって石炭とか化石燃料とか使うようになってきますけれども、化石燃料がゼロの時代に都市として成立している範囲内っていうのは、これからのその自然と都市との関係性とか、特にそのEZオイル時代みたいなのがだんだん陰りを見せて、
次の時代に向かってシフトしていくっていう時には非常に重要なことなんじゃないかななんていうのを思って、そんなようなことをしました。
で実際にその不動産とかって本当にタイミングなので、まあ縁がなければ進まないだろうなぁなんて思っていて、いたら松本に関してはあれよあれよという間に進んでいって、これまた半年くらいなんですけど、
2011年の7月の末に初めて松本っていう町に出会って、9月くらいにやっぱこの町にしようって家族会議で決め、家族会議って言ってもうちの妻と2人で、娘はまだ生まれたばっかりくらいな感じだったんで、2人で松本にしようって決めて、
でその江戸時代に町だった範囲になんか家建てられるような土地あるのかなって言ったら、まあ見つからなかったらそれは縁がなかったってことかなぁなんて思ってたら、あのすぐに初めてその土地探しに行ったその日にもう見つけ、その日の夜に電話してここ買いますって言ったら、
あのそのまま契約が済んで、で家建てるっていうところの段取りもあのうまく進んで、そんでもう次の年の4月の末ゴールデンメイクに入るくらいの時にはあの家も建ち終わって引っ越していたので、半年っていうよりはもうちょっと長かったですけど、でも1年は全然経たないくらいで、松本に出会ってからあの住み始めるまでそのくらいのスピードで進みました。
なんでそういうのも松本との運命的な出会いというか、なんかすごくそういうので縁があったのかなぁなんていうふうに思っています。
今日は松本に住むまでの話っていうのをちょっとしたんですけども、アルプスシティっていうふうに言っているのは、アルプスに代表される自然環境とシティに代表される都市文化の間に、
ハイフンとかスペースを入れなかったんですよね。まあこんなあの言葉は辞書を引いてもどこにも載ってないんですけど勝手に作った造語なんですけども、この自然と都市文化の間、人間社会の間にハイフンとかスペースを入れるのはもしかするとあの西洋的な自然感とかだったら入れるのかなーって気がしますけど、
日本的な自然感ってなんかこれ一体みたいな、自分も自然の一部みたいな、そういうのがあるじゃないですか。なんかこれからの思想とかってことを考えていくと、こういう日本が古来から持っていた自然感みたいな感覚とかっていうのも、実は世界の人にとってみても一つのモデルを提供できるんじゃないかなっていうのをすごく思っていて、
それをアルプスシティっていう造語でちょっと表現したんですね。なんでハイフンやスペースを入れてないっていうのはとってもポイントで、結構多くの人がアルプスシティペイっていうデジタル地域通貨やってるんですけど、みんなアルプスペイアルプスペイって呼ぼうとするんですけど、僕の中にはここにアルプスだけじゃダメで、
アルプスシティの魅力
アルプスシティっていうこの2つが合わさっているところがミソなんですけれども、まだそこはちょっと認知度が足りなくてですね。アルプスだと自然だけって感じになっちゃうんですけど、自然と文化と両方入っているところにやっぱりクリエイティブな人とか、これからの街の新しい形っていうのは出てくるのかななんていうのを思いながらやってます。
アルプスシティについてはですね、もっともっと深掘りしていくといっぱい語れるんですけども、今日はもう十分一人回語ってしまったので、アルプスシティペイの話とかその他の話とかまた別の機会にできればなというふうに思っています。
ということで今日はですね、結構長い長い自己紹介的な感じになりましたけど、自分とその都市との関係というかね、どんなことに興味があってとか、割とよく聞かれるのにどうして松本、縁もゆかりもないのに住み始めたんですかとかっていうのを聞いてくださる方も多いので、今回この2回目のエピソード2みたいなところでは自己紹介的なことも兼ねて、
こんなお話ができればなということでお話をさせていただきました。ということで本日のアンタイトルドはこの辺までにしたいと思います。
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それでは今回のアンタイトルドはこの辺りで。また次回お会いしましょう。
ホストの山本達也でした。
53:24

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