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横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
本日は9月の7日、土曜日。
時刻は夜の8時30分を過ぎました。
というか、もう45分を過ぎましたね。
えーとですね、今私は、ちょっとね、用事をしに外にコンビニに出まして
帰りにね、うちのマンションの入り口で、そうだと思ってね
ちょっとおしゃべりをしてから帰ろうかなと思って、お話を始めたところです。
えーちょっとね、座って話そうかなと思ったんですけど
あまりにもこの、何虫さんかわかんないんですけどね
この虫さんのお声が非常に大きい、はい座ろうと思ってたところがね
あまりにも虫さんの声が大きいので、やめました。
はいもうちょっとね、虫さんにBGMを控えていただけると
座ってお話できるんですけど、まあしょうがないですね。
あ、マリさんこんばんは、アキですね。ほんと、アキの虫の声ですよ。
はい、ね、すごい賑やかなんですよ。
私がね、聞こえますか?こんなに近くで喋ってるのに、全然鳴き止む気配がない。
はい、でね、えーと今日はですね、朝7時30分より
9月のマルゲンフェス、はい、歌を歌わせていただきました。
歌とおしゃべりね、30分間、朝のお忙しいお時間ね、皆さんお付き合いいただいた皆さん。
はい、そしてアーカイブで聞いてくださった皆さんありがとうございました。
いつも通りですね、マルゲンフェスは週末、今日明日残して
あとはURL限定の方に格納していきたいと思います。
コメンティニューはね、一応残す予定でおります。よろしくお願いします。
今日ですね、先日ね、カナダに在住の50代、コジラ製女さんですね、はい。
Lさんですね、コジラ製女王のLさん。
お住まいで、夏の間に、すいません皆さん、救急車の、
虫の声だの、まあ騒々しい地域ですね、ここら辺はね。
すごい、すごい目の前通っていきましたけど大丈夫かな。
どなたかどうされたんでしょうね、はい。
でね、そのコジラ製女王のLさんが、
ご自身のご自宅にですね、中学2年生のね、男の子、
はい、思春期、真っ只中、中二病真っ只中の思春期コジラ製男子と、
そのお母様がね、ホームステイをされた、2週間だったかな、
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されたということの記録をですね、Lさんが毎日お話をされていて、
私それを楽しみにね、聞いているんですけれども、
それでね、こうなんていうのかな、初めてその中二男子君は、
カナダという土地に来て、日本語ではない場所で、母国語以外のところで、
母国の文化以外の文化に触れるという機会を得て、
彼自身がね、中学2年生の男の子といってもね、難しい年頃ですよ、はい。
それがね、どのようにね、彼がカナダの大自然の中でホームステイを通して変わって、
少しずつ変わっていくのかっていうお話を聞いてね、
なんだか自分のね、小さい時の体験がフラッシュバックしてしまって、
それをね、少しお話ししてみようかなというふうに思っていました。
なかなかね、そういった機会がなかったんですけど、
ちょっとね、ライブではありますが、お話ししてみようかなと思います。
思い出せるところだけなんですけどね。
私は、このタイトルにもあるように、小学6年生の時ですね、
小学校6年生なんで、何年前になるの?
ちょっと計算がパッとできないぐらい恐ろしいぐらい昔ですね。
今のうちの息子ぐらいの年齢なので、もう30年以上前になるんじゃないかな。
怖いですね。次引いて怖い。
30年以上前ね。
中学じゃない、小学6年生の時ですね、私と2つ年下の弟ですね、
2学年下の小4の弟と2人でアメリカに2週間行ったことがあるんです。
2人だけで別に旅行に行くっていうわけではなくて、
アメリカにですね、父の友人がホームステージじゃなくて、
単身婦人じゃないな、単身じゃない。家族で駐在?そうだ駐在ですね。
駐在をされていて、もう何年もアメリカにその時住んでいらしたんですけれども、
その年でもう日本に帰ってくるというので、最後に遊びに来ないかというふうに言ってくれたんですよね。
ただ一番下の弟がまだたぶん小さかったのと、
母は一番下の弟を連れて行くのはちょっと難しいということと、
父も仕事が都合がつかなかったんでしょうね。
家族全員ではなくて、じゃあ子供をね、うちの長男と長女を2人で行かせるから、
お前よろしくね、ということでですね。
12歳、11歳かな、12歳かな。
小6の私と小4の弟を2人にね、お前たちアメリカに行ってこいということになったわけですよ。
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お前たちアメリカに行ってこい。
まあうちの父のやることですからね。
アメリカってどこ?って言ったらミッキーマウスの生まれた国だよとかって言われてね、
ああそうなんだ、じゃあ行くぐらいの感じで。
私も弟もアメリカだ、アメリカだ、やったーみたいなね、夏休みはアメリカだーみたいな感じでね、
喜びさんでね、2人で行くことになったわけですね。
あ、わるまるさんこんばんは。
今日はですね、Lさん、コジラス女王、この前ね、大人の生物学でね、大鳥を飾ってくださいましたL女王様ですね、
の配信をね、聞いて私がちょっと、自分のね、少女時代の思い出というかね、記憶を呼び覚ましたので、
あ、すいませんここに来ると聞こえなくなっちゃうんですね。
聞こえたかな?聞こえますか?聞こえないかな?ちょっと待ってくださいね。
これでどうですか?これで多分聞こえるようになったんじゃないかなと。
あ、そうですよね。すいません。あのね、場所によってマンションのですね、
共有部に通っているWi-Fiに接続したり、接続しなかったりっていう境界線になっちゃうので、そうすると途切れちゃうんですよね。
よかったよかった。
それでね、カナダのね、Lさんのご自宅に中二の男子くん、コジラセ、真っ只中の中二の男子くんがホームステイをしていたっていう話を、
1日ずつね、Lさんが、彼がね、最初はニコりと申しなかった、彼が少しずつ心をね、
カナダの自然の中で、いろんな体験を通す中で、心を打ち解けてくれたっていうね、
そういった様子を1日ずつ配信してくださっているんですけれども、
それを聞いてね、自分が小学校の6年生、
そして弟が小学4年生の時に、2週間ね、アメリカにあるうちの友人のお家に兄弟で2週間ホームステイした時のことを、
なんとなく思い出してね、そんなお話を今度してみようかなと思ってたので、ちょっとだけね、お話ししてみようかなと思ってライブを立ち上げました。
よかったよかった、聞こえましたね。
それでね、そのおじさん、そのお家というのは、私と同年代とか、
あちらもね、3人兄弟で、父の友人のね、お家が、父の友人は日本人でしょ、日本人のご夫婦で、
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日本人の、一番上が男の子、下2人が女の子っていうね、我が家と私の兄弟というね、逆ですね、私が長女で弟が2人なので、
3人兄弟、5人家族というところに、アメリカのお家にね、1週間はホームステイ。
そして1週間はですね、なんと、確か1週間だったと思うんですけども、
現地のね、アメリカの現地のYMCAのキャンプに参加させていただいたんですね。
そのお家の子供たちと一緒に。
でね、じゃあね、なおちゃん先生ね、小学校6年生にして、英語がどれくらいだったの?と思われる方、
はい、大きな誤解です。はい、私はね、ハローぐらいしか言えませんでしたね、その時は。
あのね、ホームステイなさってたっていうほどのあれじゃないんですよ。
父のね、友人がアメリカに住んでいて、外資の企業に勤めていて、アメリカに住んでたんですよ。
そろそろ日本に帰ることになるから、その前に家族で遊びにおいでよって夏休みに言われたんですよね。
ただ、父と一番下の弟と、うちの母はいろいろあって、大変だからちょっと行けないということになって、
じゃあ暇なね、暇な小学6年生と暇な小学4年生ね、どうせ夏休みぶらぶらしててやることもないというね、
家にいても喧嘩ばっかりするこのうるさい長女とね、その弟をですね、アメリカに派遣してしまおうということで、
お前らアメリカ行ってこいって言われて、はいじゃあ行ってきます。アメリカってどこ?って言ってね、
ミッキーマウスの生まれた国だぞって言って、うわぁそうなんだ、じゃあ行ってきますぐらいの感じで行ったんですよ。
すごくないですか。
ちなみにそのご家族と交流があったかというと、私はそのご家族に会うのがアメリカで初めて、
初めての親戚でもない、会ったことない親のお友達のうちに1週間ホームステイ。
さらに1週間はそこのうちの子供たちと会ったこともないね、子供たちと一緒にアメリカ人しかいない現地のMCAのキャンプに行くというね、
今考えてもね、なかなかワイルドな小学校6年生の夏休みでしたね。
そうなんですよ、それで行くことになっちゃったわけですね。
これね、小学校6年生だから30年前の記憶って感じになるわけなんですよね。
30年って言っちゃ聞かないかもしれない。
この時のことはね、人生においてどんなに昔のことであっても、印象的な記憶っていうのは覚えているものなんですよね。
それでね、まず最初に覚えているのが、弟と2人で行かなきゃいけない。
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親は成田空港でさよならなわけですよ。入国審査、手荷物のチェックがありますよね、最初。
あそこの前でもうお父さんとお母さんはさよならなわけですよね。
よしお前ら頑張って行ってこい、みたいな。
写真だけもらって、当時はねまだスマホなんてもないですから、スマホもないしメールとかもないから、
行く前に現地のおじさんと電話でお話をして、私が迎えに行くわみたいなおばさんとお話して、顔の写真を見せてもらって、
うちも写真を、子どもたちこういう顔してるからみたいな感じで送ってですよ、送って。
送るなんてもうメールとかじゃないですよ、写真を送って。
まあね、その父の友人というのはですね、私の教えて!スタッフプロの人の父との対談、今はURL限定になってますけど、
後半戦を聞いてくださった方は、うちの父がどういう人生を歩んできたかっていうのをね、多少後半戦でお話ししてるので、
聞くとわかると思うんですけど、うちの父はですね、半世紀前にイギリスのケンブリッジに留学してたんですね。
ケンブリッジと言っても、別にケンブリッジ大学に行ってたわけじゃなくて、ケンブリッジの語学校に行ってました。
その時のお友達なんですよ。すごいですよね。その時にできたお友達が、いまだにお友達なんですよ。
ずっと子どもができてもやり取りをずっとしていて、とても仲がいいおじさんなんですよ。
だから、向こうのおじさんおばさんは、私が生まれた時も知ってるわけですよ。
なおちゃんも一生持ち担いで、汚い畳の上をよちよち歩いてたね、みたいな話をされても全然わかんないよ、こっちはみたいな。
そんな感じですよ。向こうからしたらね、親友の子どもですからね。
やっぱり、アメリカ来るの?ウェルカムウェルカムみたいな感じなんですよね。
ですが、私はほぼ初対面っていう感じでしたね。
すごいですよね。そうなんですよ。30年前の話ですからね。
エアメールが一番早い時代じゃないかな。
はい、そんな感じでしたね。
それでね、成田でね、お前たちよし、頑張っていってこい、みたいな感じでスーツケースとでっかいリュックも出されて、
荷物はね、お姉さんここで預けるんだぞ、とか言ってね、預けてね。
英語も何もわからないのにね。
まずそこから、成田空港から大冒険。成田空港でね。
で、あのね、今そういうサービスがあるかわかんないんですけど、私ね、生涯でただ一度だけです。
この時だけビジネスクラスに乗ったんですよ。
ビジネスクラス。何でかって言うと、ビジネスクラスは子供は半額だったらしいです、その時は。
子供半額で、さらに、えっとね、そのフライトアテンダントのアテンドサービスっていうのがあったらしいんですよ。
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今わかんないですよ、あるか。わかんないですけど、だからそのサービスを申し込むと、
この入国審査のところで、もうここから先は出国する人以外入れないっていうところあるじゃないですか。
荷物のセキュリティチェックするところね。
あそこから、もう専用の人というか、キャビンアテンダントの方、地上グランドホステスって言うんですか。
グランドサービスの人が一人ついてくださって、飛行機まで案内してくださるんですよ。
飛行機の乗り場で、今度キャビンアテンダントにバトンタッチして、キャビンアテンダントが席まで連れて行ってくれて、
アメリカに到着したら、現地のアメリカのグランドスタッフに飛行機から引き渡して、出国ゲートまで連れて行ってくれるというね、
そういうサービスがあったので、父はビジネスクラスにしたっていうふうに言ってましたね。
そうなんですよ。そう、〇〇さん、最初で最後です。
後にも先にも、ビジネスクラスに乗ったのは生涯で、たぶんね、あれがただ一回だったと思います。
〇〇さん、こんばんは。ありがとうございます。
そうなんですよ。フルアテンダントですよ。
まあしょうがないですよね。なんでだって、英語もハローぐらいしかわからない小学6年生と小学4年生が2人でアメリカの地に降り立つわけですから、
英語も地上、国内だったらなんとか飛行機に乗るぐらいまでできたと思うんですよ。
だけどやっぱり向こうに着いてから、英語をほとんど読めないし、
ゲートでどこを出たら待ち合わせのおばさんが待ってるのかとかもわかんないからね。
そして私は姉なので、弟が頼りない弟なんですよ、これが。
器用で優しい子なんですけど、器用でね。
だから弟の手前、お姉ちゃんはなんとしてでもしっかりしてなくてはいけないという感じで、
もう頼もうぐらいの感じで、本当に江戸城の松の廊下を歩く男ですね。
そんな感じで歩いてましたね。
こんばんは、ありがとうございます。
ケーキママさんで大丈夫ですか?
はい、すいません、今私外でちょっと暗いところで話してるので、
もしお名前間違えて言いましたら大変申し訳ありません。
来ていただいてありがとうございます。
今ですね、30年以上前にですね、私が弟と小学校6年生の弟と2人で、
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アメリカにホームステイをしたというね、アメリカの父の友人のお宅にホームステイをしたというお話ですね。
そこで一番まず印象的だった出国のところをお話ししています。
今はね、モニターがエコノミークラスでも専用のモニターが座席の前についてるじゃないですか。
当時ね、あれは確かビジネスクラスしかなかったんですよね。
それまでにも飛行機に乗ったことあったんですけど、各自にモニターついてるビジネスクラスなんてね、初めてですから嬉しくてね。
13、14時間のフライトだったと思うんですけれども、ほとんど寝ないでね、起きてるし、
なんでいったって子供2人の旅だから、キャビンアテンダントのお姉さんたちもすごく、
何か困ってることない?とかね、何飲む?とかね、お腹空いてない?とかね、いろんなことを気にかけてくださって、
もうね、本当にね、なんだろう、素晴らしいサービスをしていただきましたね。
子供で体も小さいから、変な私に体育座席みたいな感じにすれば、
普通にね、心地よくビジネスクラスに寝れるんですよね。
そうそう、成田は出国時、登場月までアテンダントしましたね。
そうなんですね。ホームステイはね、そんなに大した期間ではないです。
小学生の夏休みの間の2週間ですね。1週間は、その父の友人のアメリカのどこだったっけな、
ワシントン州だったと思うんですけど、ワシントン州の本当にお家、ザ・アメリカな感じのお家にホームステイさせていただいて、
1週間はそこのうちのお子さんたち3人と一緒に現地のYMCAのキャンプに参加をする。
ハローしかわからないのね。ハローとワン、ツー、スリーぐらいしかわからないのに、現地のキャンプに参加しましたね。
そうなんですね。アメリカの入国時の税関が、いやです、人間として扱われないような感覚とか。
そうなんですね。私はですね、アメリカの本土を踏んだのは、この時が最初で、今のところ最後だったんですよね。
その後、ヨーロッパ、アジア、あとは世界一周とかもしましたけど、アメリカの本土を踏んだのは、本当にこれが最初で、最初で今のところ最後ですね。
その小学生2人の時は、パスポートチェックの時も、グランドスタッフの方がついてくださるんですよ。
それこそ、高いところからバンってスタンプを押してもらうじゃないですか、入国スタンプね。
そこもね、やっぱり小さいと届かない方にするので、それもついてくださって、
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その方がね、パスポートチェックの人とにこやかにお話しながら、バンって押して、はい、いいわよ、みたいな感じで。
その空港のお迎えのところで、迎えてくれている私の父の友人の奥さんですね。
奥様が迎えに来てくださってて、その方に引き渡すまで、現地のアメリカ人のですね、
グランドスタッフの方が私たちを誘導してくださいましたね。
私は本当にね、全然英語わかんないから、この人に騙されてたらどうしようとかね。
姉として弟を守らなければならないとかね、いろいろ思ってたんですけど、すごい言い方で。
はい、眠くない?とか疲れてない?とかね、そういう感じでね、すごく子供2人に気を遣ってくださっていましたね。
以前オーバーブックでファーストクラスに座ったら、余ったシャンパンを注ぎまくらいました。プチ飲み。
なんかね、そういうオーバーブッキングとかダブルブッキングとかでね、たまにそういう何カップみたいな処置っていうのはあるみたいですよね。
そうそう、それがね、まず最初の強烈な現象でした。
で、アメリカの父の友人のお家のお宅というのは、めちゃくちゃ本当にザ・アメリカーな、アメリカのホームドラマみたいな見るような感じのちょっと郊外で、
ダーッと芝生があって、そこにぽつんぽつんと一軒家が並んでるみたいな感じのお家で、隣の家の敷地との囲いみたいなのが、あんまりはっきりしてないような感じだったんですよね。
私も記憶の中ですよ、定かじゃないんですけど、多分敷地との囲いはあるんだろうけどもちろんね。
ただね、隣の家に犬が住んでたっていうのが変だけど、隣のお家の方が犬を飼ってまして、パグちゃんだったんですけどね。
名前なんて言ったかな、パグのケビンだったかな、なんかね、パグちゃんがしょっちゅうホームステージ先のお家に遊びに来るんですよ。
だからね、気がつくと犬がいるみたいな、パグがいるみたいな感じで、すごくその子がしょっちゅう遊びに来て可愛いなって思っていながら、
それでその隣の家の子がね、またうちの犬がそっちに行っちゃったってね、すぐ追いかけてきて、なんだかんだ行って、
そのお家で一緒に遊んで帰っていくみたいな、そんな構図のことが毎日のように繰り広げられていましたね。
まずアメリカに行って、一番最初に私が驚いたことは、トイレでしたね、トイレ。
またトイレの話かって感じなんですけど、空港のトイレでもそうだったんですけど、なんで下こんな空いてんの、
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こっから人出入りできるやんけ、みたいな感じのね。
そして便座がやたら高い。便座がやたら高い。すべてが高いっていう感じだったのを覚えてますね。
これね、今となってはもちろん慣れましたけど、オランダに行った時が一番衝撃的で、
オランダのトイレ、またトイレの話しますけど、
オランダのトイレの手を洗うところがあるじゃないですか、手を洗うところの鏡。
鏡がですね、私身長154×くらいなんですけど、おでこしか映らないんですよ。
もし私コンタクトだったら、コンタクトいらんないなっていうレベルで高いんですよね。
そうなんですよ。私の知ってる子はですね、男性の立ってする便器があるじゃないですか、
あれも高くて背伸びしないと届かないみたいなことを言ってましたね。
えー、みたいな感じでしたけど、それがやっぱりびっくりしましたね。
ホームステージ先のお家はもちろん日本人の家庭なので、
本当にね、そんなに特に暮らしぶりで驚いたっていうことはそんなになかったんですけど、
覚えてる中ではね。
でもなんかその、やっぱり窓から見える景色っていうのが、
いろんなものが広大で、まあ郊外だったのもあって、
家と家の間隔とかもそうだし、非常に大きいなっていう印象がありました。
それで、その滞在している1週間の間に、いろんなところに、
そのうちの奥さんと子どもたちと一緒に連れて行ってもらったんですけれども、
1個ね、非常に覚えているのが、ハーシーチョコレートわかりますかね、皆さん。
チョコってやつですよね、銀色のやつ。
おでこしかメイクできないんです、そうなんですよ。
そのね、ハーシーチョコレートのテーマパーク、
ハーシーパークっていうのがありまして、だから今考えると、
場所のどこにホームステージしてたのか全然思い出せないんですけど、
ハーシーパークの近くでしょうね、きっと。
ハーシーパークの、ハーシーのチョコレートのキスチョコって、
なんか銀色のスライムみたいな形してるじゃないですか。
ハーシーパークの近くになると、街灯ありますよね。
道の車道のところに立っている街灯ですね。
街灯の上にでっかい、街灯の上の部分がキスチョコのオブジェなんですよ。
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だからキスチョコが、大きいキスチョコが街灯の上に乗っているような感じで、
すごく初めて見て、すごく衝撃的でしたね。
それが面白いなって思いました。
そしてハーシーパークってのは、ただのテーマパークというかアミューズメントパーク?
言ってみれば遊園地なんですけれども、そこで走行が非常にアメリカってワイルドだなって感じたところでしたね。
とにかくね、すべてのものが大きいし、なんか、大らかだし、
一番びっくりしたのが、UFOキャッチャーが初めの頃だったと思うんですけど、クレーンゲームってやつですね。
クレーンゲームのクレーンの部分が、アームっていうんですか、腕のところですね。
あれが日本のクレーンゲームって、基本的に右と左の2本ですよね。
2本のアームが動いて、パカって左右に割れて、下に降りて、なんか物を掴むみたいな感じだと思うんですけど、
あれがね、アームがね、4本5本あるんですよ。
だからね、まあまあ取れる。まあまあいろんなものが取れるんですよね。
これ取れたら困るなっていうレベルのでっかいクマのぬいぐるみとか、これ日本の家だったらどこに置くんだよみたいな巨大なオブジェみたいなのを、
巨大なアームでみんなが釣って、テーマパーク中を、なんか小さい子供とかだったらもう背中、自分より大きいんじゃないかぐらいのぬいぐるみとかを担いでるわけですよね。
なんかあの光景はアメリカだなーって今思い返して思いますね。
あとはね、やっぱりドリンクのサイズがバカみたいに大きかった。
ペンシルバーグのアリスバーグかな。持って帰ることに考えてない。
そうですよね。そうだと思います。
で、あと飲み物のバラエティーの少なさよ。はい。飲み物のバラエティーの少なさよ。
あれにも驚きましたね。甘くない飲み物が水しかないみたいな状況。
あれはびっくりしましたね。
炭酸があんまり好きではなかったし、スプライトかコーラかダイエットコーラかオレンジジュースかレモネードっていう謎の飲み物か、それか水しかないみたいな。
水が一番高いぐらいの感じで、Sサイズでも日本のM以上あるみたいな。
Lとか頼んだ日には牛乳パックみたいなので来るみたいな感じで、全然飲めなくて。
我が家はですね、マクドナルドとかのジュースとかも残したら、次はないと思えって言われる家だったので、自分がオーダーしたものは絶対に残すなっていう家だったので。
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頑張ったけど、ごめんなさい飲めませんでしたって最初に連れて行ってくれたおばさんに、本当泣きそうになりながら言ったんですけど、
いいのよ、この国の飲み物は残すのが普通だからって言われて、すごいホッとしたことを30年経った今でも覚えています。
そうそうそう、キャラクターがね、いまいちかわいくない海外のキャラクター、そうなんですよね。
ということでですね、今どこにいるんだっていうLINEが入りましたので、そろそろ帰りたいと思います。
懐かしの小学校の時のアメリカのホームステイ2週間の体験を、後半はまた終了。
ライブか何かわかんないですけど、またちょっと経ったら話したいなと思っています。
まるまるさん、そして静かに聞いてくださった方、本当にありがとう。お付き合いありがとうございました。
はい、それではまたもしどなたか興味があるようであれば、続きをまたお話ししたいと思います。
YMCAのキャンプの思い出とかね。
はい、どうもありがとうございました。ローガンさんもどうもありがとうございました。
はい、ありがとうございます。
はい、まるまるさんもありがとうございました。
それではこちらで失礼いたします。
じゃあね。