1. 35歳、右に行くか左に行くかAge 35 Which Way To Go?
  2. #228- ないちゃん人生史パー..
2025-10-12 42:22

#228- ないちゃん人生史パート2

#214から始まった研究者ないちゃんの海外サバティカルを巡る人生史シリーズです


前回のパート1では、前途多難すぎるないちゃんのサバティカルの幕開けをお届けしましたが、最近もともと有望候補だった海外の大学へ出張してきたないちゃん。

そこで色々な人や出来事との巡りあわせが✨

動き出したないちゃんのサバティカルの方向性について、是非お聴きください💁‍♀️


特に今後海外サバティカルの計画がある方は、どのくらいのタイミングからどんなアクションをするのか一つ参考になると思いますので、このシリーズをフォローしてもらえると嬉しいです🙌


「私はこうだったよ」や「2人のこんな話を聞いてみたい」などご意見がありましたら、以下のリンク内のGoogleフォームからご連絡お待ちしています📩

https://lit.link/35migihidari


その他、X(旧Twitter)やinstagramで#35右左 でポストや@35migihidari のリンクを貼ってもらえれば、すぐに飛んでいきます!

もちろん、リポストやコメントなども大歓迎です。

エピソードと共に、X(旧Twitter)とInstagramも更新します。@35migihidariをフォローしてください!


#podcast #ポッドキャスト #podcaster #35歳、右に行くか左に行くか #35右左 #35migihidari

#社会科学系研究者 #女性研究者 #ワーママ #中小企業診断士 #アメリカ駐在 #駐妻

#ないちゃん人生史 #サバティカル #アメリカ

サマリー

ポッドキャスト『ないちゃん人生史』の続編では、まきとないちゃんが彼女たちの35歳からの人生の変化や、研究活動における新たな挑戦について話し合っています。また、アメリカのUCバークレーでの出会いやネットワーク形成が、彼女たちの今後の研究に与える影響についても説明しています。UCバークレーでの研究活動やコミュニティ交流について考察され、学校の受け入れ体制や治安の問題、生活環境の魅力についても触れられています。特にサンフランシスコ近郊の良好な雰囲気が紹介されています。ないちゃんの人生史パート2では、彼女のアメリカ出張や言語の壁との戦い、新しい人との交流による信頼関係の構築について話されています。文化や言語を超えたコミュニケーションの重要性や、国際的な出会いがもたらす新しい視点についても考察されています。ないちゃんの出張体験を通じて、プランニングやネットワークの重要性が語られ、サバティカル取得に向けた準備や計画の必要性についても触れられています。

イベントのお知らせ
京都初のポップキャスト配信サービス、リッスン主催のオブラインイベント、おまつりっすん2025開催。
10月25日、京都は三条、喫茶多聞を貸し切って、トークとともに素敵な時間を楽しみましょう。
時間は11時から17時。
共に盛り上げてくれるゲストは、
しゃべりの相談室から、早坂まき子さん。
三島車ラジオから、三島さん。
植坂あゆみの、私より先に丁寧に暮らすな、から、うかいよしきさん。
桃山翔司から、森田さん。
株式会社、雑談特勤マッシュから、しぶちゃんです。
ポッドキャスターがスタッフとして立つ、喫茶ブースもお楽しみいただけます。
チケットは、ワンドリンク付き3000円。
さらに、ライブ配信並びに、アーカイブ視聴が可能なオンライン視聴チケットもございます。
すべては、リッスンイベントページにて好評発売中。
ポッドキャスターもリスナーも、ぜひ京都でお会いしましょう。
まきとないちゃんの人生史
35歳!
右に行くか!
左に行くか!
共働き、ワーキングマザーで会社員のまき。
社会科学系の研究者で、パートナーと二人暮らしのないちゃん。
10代で出会ったまきとないちゃんが、ライフステージの変化を感じた35歳から始めたポッドキャストです。
家族や子育て、パートナーとの関係など、素敵でオープンな近況報告を繰り広げています。
いやいやいや。
久しぶり。
ただいま。
おかえり。待ってたよ。話したかった。
久しぶりだね。なんだかんだ。
1ヶ月ぐらい会えたんじゃない?そうだよね。
会えた気がする。なんかないちゃんと喋りたい欲がもう、たまりに溜まってたから。
いや、私もめっちゃ溜まってた。なんかもう、伝えたいことが多すぎて。
ないちゃんからいっぱいトークテーマ案が送られてきてさ、いっぱいあると思って。
私が9月の中旬から下旬にかけて、大規模な出張をすることによって、
結構大変だったよね。
大変だった。収録の時間が取れないっていうので、結構前倒しでワーッと撮ってたわけよ。
で、ワーッと撮ってる中で、私本当に日々何にも動きがないなってことに気づかされる。
えー、そう?
そうそう。なんか、まきは国立公園に行ってたりとか、結構こう…
確かにね。
まき主導のネタが結構続いてたんだ。
そうだよね。まきの人生史からね。
そうそう。国立公園の時の話をした時も、
私ばっかりでいいのかな?みたいな感じのことをまきが言ってて。
ああ、いつだっけ。
そうそうそう。で、とはいえ、私なんかあるかって思うとそんなにないから、
なんかないなと思って、これはちゃんと日々気づいたことを書き残さねばと思って、
それで気づいて、これ話そうと思ったらトークテーマあって送るようにした。
あ、そうだったんだ。なるほどね。
そしたらさ、後で帰っても、もう一回それ思い出せるから、
ああ、こんな話したいと思ってたな、みたいな。
うんうんうんうん。いや、なんかいろいろでも気になるトークテーマが珍しいので。
でね、でね、今日はね、
それこそナイちゃんの、まあ少し前に収録して、
もうあの流してる人生史1の続きとして、
最近起こった人生史2を、ぜひぜひ話していただきたいなと思います。
はい。で、まあその人生史1が、あの何を話したかっていうと、
私のサバティカルどこに行くのか問題が発生したわけですよ。
ほんとそうだよ。
で、そう、で、その私の調査地、調査国も、
政治的な事情で私は長期体制が難しいと言ったとしても調査ができにくいと。
で、それだったらポリティカルサイエンス、私社会科学の研究者なんで、
で、そこに標準を当てたら、まあそれが一番メッカ、発達してるのはアメリカだから、
じゃあアメリカに行こうっていうのが、まあ念頭に結構あったんですよね。
だからマキが行くってなった時も、大丈夫私行くからってすぐ言ったの。
そうよ、私の原動力となっていたその言葉。
なんだけど、そのちょうど1を廃止した前後ぐらいで、
トランプ政権が誕生し、一気に保護主義政策が進んだわけよ。
で、そうすると、まあ私は自分のバジェットを持って行くから、
例えば切られるとか、滞在で死にくくなるとか、
そこの不安は実はそんなになかったんだけれども、
私がアメリカに行く期待地の一つとして、
まあもちろんそのポリサイのトップなものを学べるっていうのも1個だけど、
もう1個が、今行けなくなった私の調査対象地から来てる人、
そのコミュニティだったり、そことの繋がりをより持てるんじゃないかって思ってたわけ。
結構そこがポイントだったんだよね。
そうそうそう、私も博士の時にアメリカに旅行した時には、
それが結構大事だったんだよね、アメリカにいて。
一番こう得たものでそこだったから、
その人たちがもう来られなくなっちゃってたりとかしたら、
私行く意味の半分そがれるやんってなってて、
で、だったらちょっと変えようかなっていうので、
イギリスとかオーストラリアとかそこら辺は考えてたわけですよ。
結構あの時点ではさ、もう本当に9割方もう諦めるしかないみたいなアメリカはね、
もう別でみたいな、なんかそういうトーンだったよね。
私はそんなトーンで受け取って、
まあでもしょうがない、でもそれはそうよねって、
ナイちゃんの人生を考えたらっていう感じだったんですよね。
そうなんですよ。
それが人生史1だったのよね。
UCバークレーでの出会い
1だったの、そう。
でも私もロンドンの物件を見たりとか、
どこら辺に住むのがいいのかなとか、
で、チャット実験を頼りながら、
そうそう、なんかどこら辺に住んだら、
なんかヨーロッパの国内住居もたくさんできてみたいな、
みたいなことをめっちゃこう調べて、
なるほどね、パディントンが、パディントンステーションがいいのか、
みたいなことを見ながらね、思ったりしたわけ。
なんだけど、なんかこう100%しっくりは来てないわけよ、私としては。
かつ別に知り合いのカウンターパートが向こうにいるわけでもないから、
イギリスとかにね。
誰に対してどうやって送ればいいんだろうとか、
どうやったら私の研究対象のコミュニティにつながれるんだろう、
みたいなことが結構こう、
まあ行ってからわかるかぐらいのそんな感じだった。
でもイギリスに行く機会もそんなないし、
まあどうしようかな、みたいな感じだったの。
それで、今回の出張の一発目が、
結構Xとかでもつぶやいさんだけど、サンフランシスコに行きまして、
アメリカね。
で、アメゴさんにね、会ったりとかして、
でその、サンフランシスコにUCバークレーっていう就立の大学があるんですよ。
有名ですよね。
そこに私は毎年行く機会があって、行ってるんだけど、
今年2年目で。
で、そこに行って、いろんな人と話をして、
で、まあもちろんアメゴさんから、
そこのアメリカの大学で働く大変さみたいなの聞きつつ、
で、自分の研究領域の人たちとも結構いろんな人に会えたの。
へー、よかったね。
で、一番びっくりしたのは、
なんか私がさ、マキについていくよって言った時に、
なんか、マキは今あるところの地域A地点にいるけれども、
そこから他のB地点とかに移る可能性があるみたいな話があったじゃない?
その駐在帯同中に。
で、そのB地点の候補地がいくつもあるみたいな。
そうね。
で、その一つがテキサスだったんだよね。
あー、そうだね。それもあったね。
そう。
今ね、だいぶ変わってるからね。
そう、だいぶ変わってると思うけど、その当時はテキサスみたいな案が出てて、
結構濃厚みたいな話が当時はあったわけ。
で、テキサスかと思って、テキサスだったらいけそうって思ったの、自分はね。
で、なぜかというと、
ユニバースティオブテキサスオースティンっていう、
それも州立のすごい有名な大学があって、
そこに一人、この人いい研究者って私は知ってる研究者の人がいたわけ。
そしたらさ、
郵政バークレーに今いんのよ、その人が。
へー。
で、びっくりして、
え、ちょっと待って、この人の名前、
なんか、その、なんていうの、私が受け入れてほしい、
そのセンターがあるのね、バークレーの中で。
で、そこのバーベキューがあるから、
もし時間があれば来ちゃいなよ、みたいな。
来て、そこでこう、笛機見て、
で、コネクションとかつなげてみたなって言われて、
めっちゃいいね。
あ、だったら行きたいですって言って、バーベキュー行って、
そしたらその先生がいるわけ。
え?って思って、
え、なんでいんだろう、みたいな。
私にとっては、
University Texas of Austinにいる先生なんだけど、みたいな。
で、そしたら、ちょうど今年から、
リタイアメントする先生がいて、
バークレーの、すごい有名な先生なんだけど、
その先生の後の公認者として入る。
へー。
あ、じゃあ本当にこのタイミングなんだ。
そうなの。
本当にこのタイミングに入るってことが決まって、
で、私からしても、えーって感じなのよ。
そう。え、めっちゃラッキーじゃんって思って、
で、即挨拶して、いや、私こういうものですと。
で、こういう研究してて、
で、2年ぐらいにちょっとサバティカルリーブを考えていて、
で、バークレーが第一候補なんですって話をしたら、
あ、いつでも僕がスポンサードになるから、
えー、すごい。
っていう、
ゲストさんのね。
まず、面識を得たわけよ。
その先生と、あ、ないちゃんっていう研究者が日本にいるっていうふうに思わせたっていうのが1個ね。
いいじゃん。うんうん。
これ1個でかいじゃん。
運命、運命、なんか感じる。
それで、その後にそのセンターのビジティングの人とかとも結構話をして、
で、やっぱり私の対象国の人は数としては減ってると。
だけども確実にコミュニティーは存在してるからって話をされて、
しかもなんかもうそこの、私が行きたいセンターのビジティングの人たちとつながれたってことが結構私の中で財産で、
いや、その雰囲気もいいね。
これこれみたいな。
うん、すごいね。
そう。
しかもそういう会を開いてくれるセンターっていうのが私の中ですごいポイント高いわけ。
確かに。なんか慣れてんだろうね。
やっぱり、そう、行った時にそういうコミュニティーが1個ないと、
結構その人と仲良くなるタイミングがマジでないっていうか、
いや、そうだよ。うんうん。
そう、だからなんか、そういうのがあるっていうのとか、
っていうのを知れるのが結構私としてはすごい重要で、
で、まあもちろん日本研究者ネットワークともつながれてるから、そこも安心だと。
なんか何かこう、最初行ったばっかりのときの引っ越しの不安とか、
それを言語的なサポートしてくれるとかね、
とかもあるから、なんかそれも不安が1個ない。
だから要はこう、最初に入ったときのアドベンチャー感は確かにちょっと減退するかもしれないけど、
それ以上に早めにその生活にフィットできるなっていうのはすごいいいなって思ったんだよね。
で、実際その日本研究者ネットワークでつながった方が、
私の対象国の研究をしてる研究者のその対象国の人が、
そのUCバークレーで教員になっていて、
そうそう、その人はポリサイじゃなくて、ローデパートナメント、工学部なんだけどね。
で、その人とつなげてくれて、
だからもうすでにネットワークがそこで、わーってつながりつつあるのよ。
なるほどね、すごいね。
そしたらこれをルーズして行く必要ってあんの?っていうのが結構私の中であって、
で、もちろんトランプ政権の政策は日々コフコフと進化してるから、進化というか変化してるから、
だからどうなるかはちょっとまだわかんないけど、
第一候補においてもいいんじゃないかっていうところに来てて、
で、2年間フルフルでそこにいるのもいいし、
例えば1年間UCバークレーに行って、1年間スタンフォードに行くとか、
研究活動とネットワーク
そういう振り分けをしてもいいしって思ったりして、
UCバークレーでスタンフォードって結構車で1時間半ぐらいかかるから、
確かに。
だからそれはしなくて、もうUCバークレー在籍だけして、
例えばスタンフォードの先生とかにも定期的に会いに行くとか、
そういうネットワークを開拓するみたいなことをしてもいいのかなって思ったりしてさ、
絶対そこも近いからさ、同じ州にあるから交流する機会とかすごいありそうだけどね。
そうなんだよね。私が留学してたところの地域では、
いくつか名門大学がボンボンボンボンってある地域だったの。
いわゆる学園都市みたいなところで、
そこは多分先生の尽力のおかげっていうのもすごいあるんだけど、
3つぐらいの大学が州に1回集まって、
同じテーマで研究してる人たちが、大学院生とかが、
それでワークショップみたいなのを毎週毎週開催したの。
そういうのがあればめっちゃいいんだけど、
でもそれはちょっと調査しなきゃいけないし、
かつその新しい先生が入ってきてるから、
その先生のスタイルもあるじゃん。どうしたいのかみたいな。
だからそこら辺もあるから、そこも聞きながらって感じだけど、
そういう多くのコミュニティに関われたらいいなっていうのが現状で、
ちょっとかなり角度が上がって。
それは大変喜ばしいことです。私個人的にも。
そうだよね。しかもセンターのアドミンの人?
事務職の方?
でも事務職って言っても向こうでは非常に位が高いディレクターなんだけど、
その人に、私こういう考えがあって、みたいな。
だけどこういう懸念点もあって、その点についてどう思う?みたいな話をしたら、
その懸念点はすごいよくわかるよ、みたいな。
だけど、うちのセンターではとりあえずウェルカムは絶対するし、
治安と生活環境
そこにあんまり競争はそんなにないから、自分でバジェット持ってるのであれば。
だからあんまり心配しなくて、アプライしていいよ、みたいな。
しかもアプライの方法はこうこうこうで、みたいな。
で、カチッと例えば6月まで9月までって決まってるわけじゃなくて、
年中アプリカントは来ていいってなってるから、
あなたのタイミングで、みたいな。
そしたらその、2026年度末、要は1,2,3月、
2027年の1,2,3月になるのか、
2027年の4月以降になるのか、ちょっとまだ読めないんだよね、みたいな話をしたわけ。
そしたら、大丈夫、大丈夫。
4ヶ月前までに申請してくれれば、全部もうちゃんとできるから、って言われて。
すごい。
ありがてぇ、みたいな。
さすが、もう受け入れがもう慣れてるね。
安心だね、そういう意味ではやっぱり。
そう、そうなのよ。
しかもさ、そのさ、私もその出張でさ、やっぱり東に普段は住んでるけれども、西に行くじゃん。
行った時の、なんかね、もうやっぱアジアフレンドリー感とか、
まあそもそもいる人種の比率とか、アジアの比率が格段違うし、
そのなんか受け入れ具合、なんかすごい雰囲気が全然、なんか受け入れます、みたいな。
アジア人とか受け入れます、みたいなね。
すごいなんか全然違うなと思ったから、
なんか、その生活のしやすさっていう意味では、なんかハードルが低い気がするね。
まあそれはそうだね、あとまあ日本からもすごい近いし、直行便とかもバンバンバン出てるから、
そこらへんは、まあいいなーって思ったりして、そうね。
いいじゃん、いいじゃん、いけいけゴーゴー。
でも私からするとさ、やっぱりちょっと治安の不安は一定程度あるのよ、エリアからして。
やっぱり外にね、いらっしゃるね、外さんと外君がね、たくさんいるから。
だから、しかもこうなんていうの、いわゆる治安がいいエリアって言われてるエリアの中にある公園にも、
うわーってテントが建ったりだとか、だけどなんか話を聞くと、
いや本当にここ2,3年なんですって言ってて、コロナ禍以降もういる場所がないから、数が増えちゃって。
だからこう染み出してるみたいな、その治安の悪いとこから染み出しちゃってて、
で来てるって言ってて、でもなんか時折行政が一掃するみたいな、むしろ怖いとか言ってて、
あーなるほどなーって思いながら、でもまあそういう人もいるけど、
まあなんかそんなに治安の不安を感じたことはそこまでないよ、みたいな話を聞いて、
で、しかも今回そのまあ5日間ぐらいいたから、結構いろんな場所に行けたわけ。
研究の将来
大学近郊だけじゃなくて、そのバーベキューをしに、大学の北の方にあるちょっとなんかマウンテンエリアっていうか、
ちょっとこう坂を登るの。サンフランシスコすごい坂がもうアップダウンが激しいから、
そうそう、ちょっと坂のこう上の方にあるところに行ったら、めっちゃ雰囲気が良かったの。
へー、いや絶対いいよ。
それがこう私大きな安心材料っていうか、私このエリアに住もうみたいな。
あーそうなんだ。
もう本当に、なんていうの、日曜日、まず土曜日かわからないけど、
それでもう子供たちがめっちゃ自由に遊んでて、
へー。
で、なんかこうバースデーパーティーとかもやってて、で、変な人一人もいないみたいな。
おーいいね。
多分、そう、で、いろいろ聞いて、え、なんでこここんな治安いいのって聞いたら、
なんか、プロフェッサーアビニューとかあるぐらい大学関係者がめっちゃ住んでるエリアなんだって。
うーん。
で、まあその山の上の方から高級住宅街で、そこにかつては、
フルプロフェッサーの人が家をどーんって構えて、もうなんか3LDK、4LDKみたいな。
うんうん。
なんだけど、地下の上昇に伴い、それがこう、あの、アップヒルからどんどんこう下がってっていると。
うんうん。
だから今のそのプロフェッサーは、このちょっとこう、なんていうの、坂を降りたところぐらいに家を買うみたいな感じになってるんだけど、
要はこの一面が、山一面が、大学関係者が物件を持ってるってエリアなんですね。
へー、いいじゃん。もうそこだね。
これが理由かも、みたいな感じに言ってて。
あ、ここ、ほんとにその雰囲気が良かったのマジで。
いや、いいよ。
お天気だったってのもあるかもしれないけど。
いや、でもお天気はもちろんいいし、サンフランシスコの、私空港しかこう寄ってないけど、めっちゃ雰囲気良かったもん、なんか。
だし、私がこう見てる。
私空港は別に雰囲気良いと思わないけど。
え、ほんと?
いや、だってさ、もうだって空港内にベトナム料理とか寿司とかも売ってんだよ。もう最高じゃんって思ったし、
あとなんかサンフランシスコの地元のなんかアーティストの雑貨屋さんみたいなのも置いてあって、
なんかこれは幸せを感じてる人しか作れない作品だったのよ、もう見た時に。
いや、まきはさ、もうサンフランシスコって人間じゃん。
なにそれ。
ハッピーラッキーみたいななんか。
いや、めっちゃいいよねーと思って。
いや、そっち側で生活したらどうなるんだろうと思って。
そう、だからもしね、なんか機会があるなら西に住んでみたいよね。
だからね、その次の第二地点目が西だったらさらにいいなって思うけど、
まあいろいろ候補があるからね、なかなかね、あれだと思うけど。
だし、そんな多分すぐに動かない。
そうだね、あんまり決定しないって感じだよね。
そうそうそうそう。
でもなんかサンフランシスコからまきのところも直行便番号が出てるから。
あ、そうなの!サンフランシスコならあるのよ。
そうそうそう。
だから行きやすいわ。
ね、いっぱいあるよね。
そうそう、だからまあそれも踏まえて、まあなんかすごいいいなと思って。
なんかその、町の雰囲気で自分がこう、ここだったらいいかもみたいなところ見つけられたのも結構でかかったっていうか。
それはでかいよ、うん、安心。イメージができるもん、一気に。
そう、ここ、ここやだなーとかさ、ここかーみたいな感じだったから、
ここだったら、このエリア、この北のこのエリアだったらいけそうみたいな。
へー、よかったー、嬉しい。
いやー、アメリカが戻ってきて、かなり嬉しいでございます。
しかもこう、もうメールもして、その会った先生とかに、
で、結構まあ、いつでも、何かあったら言ってくださいみたいなことを、
いいじゃん。
もう確約も取ったから、まあだからまあ角度高く申請できそうだなっていうのがあって、
いやー、本当に何も。
ここまで、ここまで進んでたら、うちの研究所に対しても申請がしやすいのよ。
確かに確かに。
なんかうちの研究所はもう、とりあえずその受入先の承諾を得てますか、みたいなのを書かなきゃいけない。
へー、そうなんだ、もう得たじゃん。
でも実際、行く時期がよくわかんないから、承諾ってどのレベルっていうのが結構問題になってて、
なんかね、今の時点でもう結構承諾得たって書けるレベルっぽくって、
そしたらさ、なんかもう他のとこ探すのはもうめんどくさいわけよ、今年からすると。
ここまで実際にあって、コミュニティも持ってて、
え、もうそれ以外なんかある?みたいな感じで、私からすると。
しかもなんかその、ディレクターの人と話した時に、
いやなんか、私はもし次サバティカルに行くんだったら、
もう一発目、もうついてすぐぐらいに自分のリサーチをプレゼンテーションしたいと。
で、そういう機会ってあるの?みたいな話を聞いたの。
そしたら、いや、コロナの前は実はあったって言ってて、
なんだけど、やっぱりみんなそんなにやりたがらないと。
そうなんだ。
ビジティングの人たちは、英語への不安とか、
なるほどね。
私からすると、え?ってなって、
いや、だってもうフェローじゃないし、私の場合行くんだったら、
もう本当に利益目的で行くしかないじゃん。
え、どういうこと?フェローじゃないしっていうのは。
フェローだったらさ、まださ、研究自体がすごく発展段階だから、
フェローって何?博士課程みたいなこと?
あ、そうそう。博士課程の学生が例えば行くときには、
ビジティングスカーラーにならないでしょ?フェローになるから。
あー、そういうことか。
スカーラーだと、ほら、ファカルティメンバーだってことは結構大事だからさ。
あー、そうなんだ。
本国で。
はいはいはい。
で、学生だったら、まだわかるのよ。
だけど、なんか、ただ来て、ただいて、で帰るんだったら、
文字意味なくない?って私は思っちゃってて。
で、特にやっぱ、私がもといたところのイメージはすごく強いんだけど、
もといたところは絶対に、そのスカーラー、ビジティングスカーラーの先生たちが、
絶対に発表しなきゃいけない。どこかで。
それを最初にやる人もいたら、最後にやる人もいるわけ。
英語力の不安からね。
あ、なるほどね。
でも、比較的そのある大学のファカルティメンバー結構巻き込んで、発表会をやるわけよ。
だから、向こうの大学の先生方も認知してくれるわけ。
あ、この人はこういう研究してるんだ、とか。
で、結構こう、なんていうの、面倒見てくれたりすることもあるんだよね。
そのアメリカの本国の大学の先生とつながる機会みたいなのを結構作るっていうのがあったわけ。
前の私がいたところには。
で、その文化がちょっとなくなってるっていうのを聞いて、
いや、私が来たらまず一発目にやりたいって言ったわけ。その先生に。
それで、この先生とこの先生を呼びたい。
うん、すごいいいじゃん。めちゃくちゃアグレッシブじゃん。
そう、めっちゃアグレッシブなやつじゃん。恐ろしいぐらい。
で、それでその話をしたら、もう来て絶対、あ、もうあなたがもう本当にもう、
来たほうがいい。
なんていうの、ビジティングの人たちの先頭に立って、もう引っ張ってってほしいみたいな。
いいじゃん、いいじゃん。
私もね、受かってもないしみたいな。
アメリカ出張の経験
私は本当に、過去の事例があるから、当たり前だと思ってそれ聞いたら、
いや、もうあなたはもうリーダーになって引っ張ってってみたいな。
いいじゃん、いいじゃん。いい感じじゃん、めちゃくちゃ。
そうそうそう、だからなんかそのディレクターの人たちもすごいいい人で、
そうそう、なんかこう、バイブスが合う感じの人たちだったから。
いや、大事よね、話してみたさ、その窓口の人かもしれないけど、
そこの人とまず話が普通に合うかとか、サポーティブかどうかとか、
やっぱそれで結構印象変わるからね。
めちゃくちゃいいじゃん、えーよかった。
そうなのよ。だからなんかもう、自分からね、こう固めにいったんだけど、
私の印象よ、周りがどんどん固めてくるみたいな、
恋みたいなのを固めてきてる感じがして、
じゃあここだなみたいな。
いやーおめでとうございます、これでアメゴさんとかもこれで初めて知るみたいな、今のないちゃん。
あ、知ると思う、そうそう、アメゴさん会ったの1日目だから。
あ、そっかそっか、え、すごいいいな、ちょっとぜひアメゴさん、ないちゃんよろしくお願いします。
そうそう、だからその時はまだなんかいやーちょっと厳しいんですよね、みたいな感じだったから。
あーそっかそっかそっか、そうだよね、これから、
来たいのは来たいけど、みたいな。
そうだね、確かに。
その後ね、ババババババって決まって。
確かに確かに、アメゴさんとのそのコラボ、アメゴさん側のそのやつも聞いたけど、
そういう感じだったもんね。
そうそうそうそう。
いやーすごいすごい、いや嬉しいし、私もサンフランシスコめっちゃ行きたいから遊びに行くわ。
っていうか来年の誕生日、私もそっちで合流できたらいいよね。
一人で。
なんでさ、あなたの誕生日限定の。
いやだって中村さんと同じ誕生日だから、来年は無理か、再来年とかね。
あーそっかそっか。
あーそうねそうね。
面白いな、いるかわかんないけどね。
確かに確かに、いるかわかんないけどね。
面白いなと思って。
そう、そんな感じで、私の人生史パート2ということで、なんとか行くところ決まりそうだよっていう。
素晴らしい。
だからあとはあれだよね、本当にそのアメリカの今の政府のその状況というか、ビザの発行とかさ、
なんかその外国から来る人たちに対しての受け入れみたいなところで、なんか変なことがなければいいね。
そこだよね、本当そこだけ。
本当に、そうそうそう。
いやー。
どうなるか。
私さ、ほら、出張でさ、その後さ、私の研究対象地、7年ぶりに行ったわけですよ。
7年ぶりか、しかもシリーズだったんだね。大変だったよね、シリーズでさ、アメリカから。
そうそうそう、シルディスに行ったから。
言語とコミュニケーションの壁
大変。
時差も大変だったし、
そう、マジで体バキバキだったけど、でもやっぱなんか、楽しかったね。
楽しかった、結構限界体制ではあったけどね。
そう、そんなにいろいろこう、いっぱい行けるわけでもないし、決まった工程をこなすみたいな感じで、
だけどやっぱりなんかこう、その言語も、最初しどろもどろすぎるっていうか、全然こう、口に合わないっていうか、
しかもその前さ、英語話してるから、
そうだよね。
もう英語からさ、日本語でも結構しどろもどろになるのに、そこから飛び越えてもう一つの言語に飛ぶじゃん。
もうなんか、しかも時差もあって、もうわけわかんなくなってて、
紅葉状態。
だけどまあまあ、そうそう、でもなんかやっぱり本当に自転車の筋力のように、
まあ3日経てば聞こえやすくなってきて、
でも聞こえやすいっていうか、マジで言語のコツってさ、いかに予想するかって大事だと思うの、その話のストーリーラインを。
どういう展開になりそうだっていうのを知識でカバーするっていうか、
そうね。
そしたらそこに出てくる、ボキャブラリーって結構限定されるから、
確かに確かに。
何にもわからない、無限大にある言語の中からどの会話をしてるんだろうっていうふうに思うよりも、
もうスコープを狭めて、ここでしょっていうところで言語を取ってった方が、ストーリーラインが見えてくるっていうかさ、
いや、わかるわかる。絞って、予測して、絞って、
そしたら、絞った中でどこがポイントかっていうのを、さらに当たりをつけて、そこを中心に聞くとか、しゃべるとかっていう感じだよね。
確かに。
そうそうそうそう。だからそれがだいぶこう、できるようになって3日目ぐらい。
すごいじゃん、早いじゃん。
これだこれだ、この感覚、この感覚、みたいな。
それをシャワーのように浴びてるからね、その時に。
自分も何か話さなきゃいけないし、みたいな。
何か一つね、フックをね、掴み取って返さないと、みたいなね。
すごい、一生懸命やってる。
無言でいるっていうのが、耐えられない人間だから。
わかる、それでさ、無言でさ、出た会議の後とかも、なんかこう絶望感というかさ、
何なんだ、私なんだこれ、みたいなね。
申し訳なさ、自信もすっごいなくなるし、
わかる。
それだったら、もう聞き取りづらい、わけわかんないこと言ってるのは、
でも何か言ったってことの方が、絶対次につながるから。
つながる、つながる、それは間違いないよ。
恥は捨てて、恥よりかもね。
恥は捨てて、そうそう。
何か言う、ポイントほんと単語だけでもいいし、
何か言うっていうのをしていかないと、言語上がんないから、
だからなんか、
なんか言語もそうだしさ、
とりあえずそれをするっていう。
関係性もそうだよね。
特にさ、出張とかで新しい人と出会っていくみたいな中で、
何も言わなかったら、完全に忘却されるわけよね。
だけど何か言ったら、
あん時のあの人ね、とか、
あれを言ってた人ね、っていうさ、
とかさ、この人、
変なこと言ったとしても、面白いこと言うな、みたいなさ、
記憶にさ、残るじゃんか。
それで、なんかこう、信頼関係の、
本当に序の口の序の口だけど、
なんか爪痕は残せるからね。
そのメンタリティだよね、やっぱり。
そう。
分かる。
でもそこで、なんとなくこう、分かってくれれば、
あとこうさ、遠方からのコミュニケーションで、
メールベースとかメッセンジャーベースとかになるじゃん。
そうそうそうそう。
スムーズ。
そしたらもうこっちは強いわけよ、
ちょっと自閉ティングだから。
もう何でも来いよ、みたいなね、感じだよね。
何でも来いよじゃん。
そうそう。
だからいかにそこでフックを作って、
分かる。
覚えてもらって、
次に繋げるかが結構大事だから。
大事。
そう、だからそこら辺は結構意識して、今回は動いたよね。
特にまたすぐに行けるかどうかは、まだ分かんない国だからさ。
確かに。
新しい出会いと信頼関係
私が行ったところって。
だから、やっぱりそこでこうコミュニケーションして、
次、日本に来てもらうだったり、
あるいはその第三国で開催される国際学会に一緒にパネルで出すだったり、
そういう風にしてコミュニケーションするタイミングを作っていかないと、
一生何も動かないから。
そうだね。
だから一人、本当に一人だけど、一人の先生がピーンと来た先生がいたのに、
この先生いいみたいな。
いいね。
その先生がめっちゃ積極的に言って、
国際学会パネル出しましょうみたいな。
私が積もるんだよみたいな、他のメンバーを。
すごい。
それはいいねみたいな感じだったから。
いいじゃんいいじゃん。
でもそこでも本当アグレッシブ発揮を大発揮。
いやすごいすごい。
いやいいね。
よかったね。
ミノリアルじゃあかなり出張だったんだね。
そうそうそう。そうなのよ。
最後に友達に会って、アメリカ人の友達でその子は。
私が最初に語学で留学したときに同じクラスにいた子だったの。
その子がその後そこに住んで移住しちゃって、現地の方と結婚されて、
それでもそこで働いてるんだけど、
働き先も大学のディレクターみたいな職種なんだよね。
だからなんかいろいろこう話して、
すごい面白いなと思ったのが、
私本当にガチのアメリカ人の友達ってあんまりないわけ。
なんかそのハーフとかABCとか。
アメリカで生まれて、アメリカで育ったホワイトみたいな方と知り合う機会ってあんまりなくて、
アメリカに行ってもアメリカ人コミュニティとそんなにガッチでつるむことは私なかったから、
自分の研究所ね。
結構イミグラントの方が多かったっていうか。
そういえばこの子アメリカンだったなと思って。
それでその子と基本的には英語ベースで話してたんだけど、
本当にくだらない話をしたわけ。
YouTubeの動画でニキビをつばす動画とか見ちゃうよね。
本当にくだらない話とか、耳かきの動画とか何であれ見ちゃうんだろうねみたいな話をしてて、
その時にふと、この人アメリカ人だったってことに気づいたわけ。
どういうこと?アメリカ人って気づいてなかったってこと?
いや、なんて言うんだろうな。
なんかやっぱりさ、文化が違うから、
アメリカ人はアメリカ人的コミュニケーションがあるだろうっていう先入観が私の中にまだあるっていうか、
これだけ英語を勉強してるのに。
分かる。How are you?とかね。
から始まるみたいなね。
もう絶対にデイティングカルチャーなんでしょみたいな。
付き合ってくださいって言わないんでしょみたいな。
そういう超先入観。だからあんまり共通の話題が備えないみたいな。
感覚としてね。感覚として。
そういう思いがある。先入観がまだまだあるのよ。私は根強いのよ。
しかも見てきたものの文化も違うし、
スターウォーズを全シリーズ、生まれながらにして英才教育を受けた人と全然通ってないみたいな。
それだったらミトコも見てましたみたいな人とは感覚が違うじゃん。
それは違うよ。
っていう先入観、いまだに拭いきれないわけ。
なんだけどふとした時に、YouTubeのグロースなやつ、なんであれ見ちゃうんだろうねみたいな。
あれアディクションだよねみたいな話を普通にしてて、
やっぱりアメリカで生まれ育っても人間は人間なんだって気づかされるっていうか。
だから言語とかカルチャーの壁を越えてつながってる人とはそういう感覚に陥られるんだみたいな話?
なんかもう全然頑張ってない自分もいて、
それすごいなと思って。
すごいよ。ないちゃん私がすごいなと思ったのは、
だって留学って10年前以上だよね。10年前ぐらいとかだよね。
友達とつながっているのがすごいわ。ちゃんと連絡があってさ、会えるっていう環境になっているのが。
そうだよね。確保してる人間だもんね。
そんなに真面目にやらないからさ、
いやでも違うよ、私この前高校の友達とアメリカ出したからね。
そういうかなりレアな友人もいるんですけども、ないちゃん結構そういうのいっぱいある気がするから。
でも確かにそうだけど、かつその子の場合はちょっとレアで、
そのアジアの国に留学したのは、12年前ぐらいなんだよね実際。
それで8年前ぐらいに、たまたま彼がディレクターとして勤めている大学で開かれた会議があったわけ。
で、私そこに彼が勤めてるなんて一切知らないんだよ。
それで行って、そしたら、え?ジョンじゃない?あれ?みたいになって。
え?あれ?ジョンじゃない?みたいになって。
それで、え?あなたジョン?って聞いたの。
で、私はあのクラスにいた、そうそうないちゃんだけど、みたいになって。
ないちゃーん!みたいになって。
で、なんて偶然なの?みたいな。
で、そこからなんかこう、それこそLINEを交換して、
で、こうグリーティング挨拶とかは、なんかこう豆に来るみたいな。
出張体験とネットワークの重要性
へー、なるほどね。
そうそうそう。っていうね、感じよ。
でも、なんかそんなにちゃんとさ、こうコミュニケーションずっとしてるっていうよりも、
多分会う人の量が人より多いんだと思う。会ってる人の量がね。
そうか。いやでも豆だと思うな。
し、なんかすごいこう積極的に、そうやってこう、なんかこう入ってくところがやっぱりないちゃんは強い気がするわ。
なんか私めんどくさがっちゃうから。
私やっぱりその、こっちでもやっぱりお家に早く帰りたい主義というかね。
やまい派。
やまいっていうか、もうそういう人種だから。
そうそう。だからやっぱりこう、もちろん頑張らなきゃいけないところは最低限頑張るんだけども、
仕事でね、とかそのネットワーキングとかやるし、
やるけれども、なんかもうオフはオフみたいな感じで結構パシッとこう切っちゃうから。
だからそのないちゃんそういうのやってて偉いなと思った。
まあまあまあまあ。
まあよかったよかった。
言ってますよ。
お疲れ様でした。
まあ結構人とのつながれがね、重要な触手だったし。
そうだよね。そうだよね。もう個人事業主みたいな感じだからね、その働き方としてもね。
ネットワークをどんどん自分で開拓してつなげていかないといけないしね。
そうですか。
今回普通に出張行って思ったのがさ、なんかめっちゃこうちゃんとプランがあった出張だったわけ。
なんかそんな感じだったよね。
そうそう、用事がこの時に確約してされてあって、それはアメリカもアジアの国もどっちもそうで、
マジでつらかったわけそれが。休めないみたいな。
そうなんだ。
しかもそのアジアの国の予定はもうほんとギリギリに決まったみたいな感じだよね。
まあそのお国柄なんだけど、ギリギリに決まって、
もうほんとにそれがつらかったの。毎日毎日なんか外食外食外食みたいな。
確かにね、そうなんだよね。
そう。だからそれを考えると、マジで一人で行く方が楽だなと思ったけど。
私はそっちをあんまり経験したことがないから、
そういう一人で全部プランニングして自由に決める出張みたいなやつがさ、
イメージができないけどね。
でもそう確かに、拘束時間は長いというか、
合わせなきゃいけないというかね、人にいろいろあるよね。
だから気を使って大変でした。
そうね、お疲れ様でした。長かったし、無事に帰ってきてよかったわ。
まあそんな進展があった出張のお土産話。
いやーよかった。大成果じゃないですか。これは。
大成果大成果。よかったよかった。
お疲れ様でした。楽しみにしてる。で、いつ来るの?
えっとね、だから2026年度末なので、2027年の1,2,3,4ぐらいで行きたい。
なるほど。じゃああともう1年、今日ぐらいですかね。1年半ぐらいですかね。
なるほど。
だから逆に言うと、このぐらいから計画しなきゃダメよサバティカルってこと。
あーそういうことね。1年半前ぐらい。
2年3年前から、2年3年前ぐらいからちゃんとこの時期にサバティカルを取ろうって、
結構照準を定めて、逆算して計算、計画立てていかないと結構厳しいよっていう。
そうね、それ大事なポイント。
ことも言えるのではないかっていう。
普通さ不妊だったら、ほんと数ヶ月前に事例が起きてポンっていくけど。
まあね、でも普通なんかちゃんと計画的にされたら、ほんとは1年前とか研修とかもあったりするけど、
だけどうちの人とかは半年切ってたみたいな感じだから、
そういうこともあるからね、企業とかでは。
そうそうそう。
でもこっちはもう自分で全部さ決めていかなきゃいけないから、どこに住むとかも含めて全部。
手当がどのぐらい出るのかっていう調査もそうだし、
それは本当にマジで前倒し間お出しで考えていったほうが。
それがもういつ行くかわかんないけど、ポテンシャルでいろいろ言っといたほうがいいと思う。コネクションを。
確かに確かに、いや本当に今回のナイちゃんのケースもやっぱり行ってわかるみたいなのがあるからね。
行ったその時に感じた雰囲気とかやっぱ大事じゃん。
情報をさ、なんかこうインターネットとか見てるのとまた違うね、
ものが自分の一時情報として得られるっていうのはすごいなんかこう決めるときに大事な気がするので、
そういうことですって、研究者の皆さん。
じゃあ次は、これはワンポイントですね。
またちょっとそのサバティカル準備の動きに進展があったら、
そうだね、次申請書書いて通ったかどうかぐらいで話そうかなと思います。
いやいやマジ頼む、このままスムーズにいってくれ、お願いです。
はい、じゃあということで、お疲れさまでした。
サバティカル準備に向けての計画
ご意見やご感想は概要欄のリンクからググってください。
また次回の動画でお会いしましょう。
さようなら。
お待ちしてます。
42:22

コメント

スクロール