1. たゆたうラジオ
  2. 話すこと聴かれること聴いても..
2024-11-09 54:14

話すこと聴かれること聴いてもらうこと

↓の2つエピソードを聴いたのをきっかけに、自分とポッドキャストについて考えたこと。

純朴声活 (89) 教えてくれよ、あんたの物語を

村音(仮) (9) 話を聴いてもらうということ


サマリー

ポッドキャストのエピソードでは、他者の意見を聴くことや自己表現の重要性について考察されています。また、田舎から都市への移住を経た自身の変化や新しい職場での役割についても触れられています。話すことや聞かれることの重要性が掘り下げられ、聞いてもらうことで自身の存在を再確認し、自由なコミュニケーションの環境を享受することが語られています。特に、環境や関係性が話すことに与える影響が大いに考察されています。このエピソードでは、学校生活や興味関心の形成についての内面的な探求が行われており、ポッドキャストを通じて自由に話すことの重要性や自分自身のライフストーリーを進める感覚についても考察されています。

ポッドキャストの意義
おはようございます。
もう昼、土曜日の昼なんですけど。
やっと動き始めて、午後出かけるので。
あー、コンタクト入れてない。
準備をしながら撮っています。
いつも音量が、ベース小さい上に、なんか機械の音とかだけ、うるさいような気がして、聴いていただいている方には、申し訳ありません。
でも、編集はしないぞ。
ということで、珍しく一応、ざっくりこういう話をしようかな、みたいなことを想定しながら撮り始めているんですけど。
前提として、2つのポッドキャストのエピソードを私が聞いた上で、自分の本筋とはちょっと離れるんだけど、自分のポッドキャスト感。
すごい、ポッドキャスト感って、ベテランのポッドキャスターみたいな感じになっちゃうけど。
そういう話が繋がってくるなって、自分においては思ったので、せっかくなのでポッドキャストでしゃべればええやんと思って撮っています。
その2つのエピソードっていうのが、それの内容については割愛というか、私がしゃべりたいだけなので、聞きたい人、もしくはすでに聞いている人は確認していただいてということで。
村尾とかっこかりーというポッドキャストのエピソード9、話を聞いてもらうということと、それを受けて、そのエピソードの出演者であり、収録配信を受けて、
純木さんが、純木生活っていうポッドキャストでお話しされているエピソード89、教えてくれよ、あんたの物語よっていうやつですね。
これはリンクを貼っておきますが、それらを聞いての感想を、テキストにちょっとしづらいなっていうのと、エピソードに対しての感想というよりかは、自分の話みたいな話なので、これでしゃべればいいかなと思ってしゃべっています。
タイトルから、なんとなくどういう…
ニューエッジ、今鳴った?
ま、いっか。
どういう系統の話か、分かりそうな感じだと思うんですけど、さっき言った2つのタイトルですね。
そういうことなんですね。
田舎からの移住
説明する手がゼロなんですけど。
なんか結構、私一番びっくりしちゃったのは、これはなんかその…なんですか。難しいな。
なんか本当に単純素朴にびっくりしたんですけど、純木生活の方で、自分の意見を表明することを望まれてないというか、求められてない立場で暮らしている人がいるんだなっていう気づきみたいな話をされてて、
そっちの…いや、分かんないんですよ。私の体感では、自分も含めて、それも別に考えたことはなかったけれど、自分も当たり前ぐらいの感覚で、自分も含めてそっちの方が私の生活圏に圧倒的に多いんじゃないかって思ったので、
そういう気づきのパターンあるんやっていう、なんか驚きありました。
あと、そういう私のいろんな…自己認識とか、環境とか、マイノリティ性とか、フェミニズムとか、そういういろんなものも多分含めてあれだと思うんですけど、
なんかそういうもんだって思ってたから。なんかベースが。
だから、そういうパターンあるんやなっていうのは結構びっくりして、だから逆にそれは希望というか、
なんかそういう主張を肯定的に受け止められるというか、そうやって安全性が確保されている上だと思うんで、
なんかその気づきがあるぐらいの場がこの世には存在していて、別にそれはそんなに遠い存在ではないんだろうなっていうのが、すごい希望がある。
なんか絶望と共に希望がやっぱりある感じが。
でも何がいいとかはね、また別の話なんですけど。
そんな感じで思ったんですよ。
ちょっとお水飲んでこれ。
今日焼け止めのクリームを手の甲に乗せたとこなんだ。
あー、おいしい。
どっかに置いとこう。
喋ってると緊張したりするとすぐに喉が渇いてくる。
えーと、どこまで話したんだっけ。
もうそうそう、そういう気づきが、人の気づきを聞いて自分に気づきがあってなんかこう、いろんな感情になったりしたんですけれども。
まあそれで言うと、
あーそうだね。
まあなんか、
いや、あれか、ちょっと待って。ちょっと巻き戻して。
まあ私は、
3、3年、
3、ん?
3年半じゃないね、2年半前?
2年半以上、まあ3年弱前ぐらいに、
えーと、
あの、線路も通ってないような、
山しかない、山と田んぼと畑しかないような、
まあしかないっていうのはちょっと誇張なんですけど。
まあね、
あの、バスが1本来るかな、1時間に1本来るかなぐらいの、
1人、人数分、大人の人数分車、大人の人数よりちょっと多いぐらいの車をみんな持ってるぐらいの、
田舎?それぐらいの田舎感ですね。
めっちゃ、あの、
西田舎じゃないと思うんだけど、それぐらいの田舎感のところに、
生まれ故郷に住んでいたんですけど、
3年弱前、
あってる?3?
そういう日本語の使い方があっているのかわからないけど、
に、状況、状況?関東、首都圏に出てきて、
今は過ごしてるんですが、
もうだいぶ世界違うなーっていうのはあって、
まあなんか、その、田舎で形成された私の、
なんか、
あれがあるという前提の、さっきのね、話だったんですけど、
田舎で8年ぐらい会社員とかをやってたんですね。
そうそう、そんなことがあったんですけど、
まあそこは置いといて、
で、なんか、その、
なんか離婚をしてちょっと自由、
気持ち的にちょっと自由になったタイミングで、
いろいろ仕事のことも考えたりして、
まあ経済的なこともあるしっていうので、
いろいろ考えた結果、
なんか、資格を取りに、
学校に入りに、
ていうか、ある意味、その、
この話をしていると長くなっちゃうな。
まあいいか。
なんか、
本当はね、もっと自由というか、
適当にフラッと首都圏に出てこようかなっていう気持ちが一瞬あったんですけど、
自分のなんか会社員経験とか、
働いてきた、あれとか、環境とか、
踏まえたりとか、
あとなんか、
物価的な問題とか、
いろいろ年齢のこととか、
総合して考えて、
まあ、
なんていうんだ、
いきなり出てきて、
納得する形で働くのは無理だろうなと思って、
戦略として学校に行ったみたいなところもあるんですよね。
出てくる、
こっちに出てくるための戦略みたいなところで、
経済的にもあったし、
まあなんか、周りの納得、
別に一人で好きにすりゃあいいんだけど、
なんか、やっぱり、
応援されてた方が何かと便利というか、
気持ち的に、
いいので、
なんか、
ある程度年齢いてから学生するとかやってて、
大抵の人はなんかすごいねって感じで、
謎のなんかね、あれがあるんで。
そういうのはちょっとね、
利用したりしながら出てきたみたいなところがあるんですけど、
まあ全然世界は違っていて、
なんか、
別に田舎が全部ダメって言ってるわけじゃないけど、
私の、
なんか、
なんか、
自分が一人の人間として生きていく上では、
なんか田舎がダメというか、
地元でありかつ田舎であるっていうのは、
あとはこう、
自分を構成する、
取り、
自分の生活を構成する、
関係者、
親族など、
いろいろ、
とかいろいろ、
いろんな絡み合いで自分にはちょっと、
う、うーん、
結果的に、
こういう形になって良かったなっていう、
日々を送っているんですけど、
新しい職場での挑戦
まあそういう、
そういうのが前提にある上で、
あれ、分かんなくなってきちゃった。
何が言いたかったのかな。
ファンデーションあるよ。
ファンデーション、今年なんか、
云々ぶりに買いましたね。
なんか、
セルフケアの一環みたいな、
私も化粧して永遠や、みたいな、
気持ちになってきましたんで、
最近ね、
あの、
ちょっと千、
30代半ばで千円ぐらいの、
あのね、
やつ使ってますけど、
えーと、それは良くて、
あのさ、
なんだっけもうどこまで話したか、
すぐに忘れちゃうんだから。
元の話に戻ると、
元の話が始まってもないんですけど、
えーと、
その気づき、
気づきを聞いて、
えー、
気づい、
気があって、
っていう話ですよね。
あ、そう。
それで、
まあ、
現状の私ってでもあれかと思って、
そうですね。
割と、
なんか、
意見を求めてもらえるというか、
それを肯定的に考えた場合ですよ。
あの、
立場になってきてるみたいなのがあって、
なんか仕事、
今、
やってる仕事においては、
まあ、
逆にまあそれがないとっていう、
難しいよねみたいな、
感じなので、
まあでも、
これは明らかに、
今までの仕事、
現場との違いっていうのは、
今まで事務経営職だったんですけど、
まあいろんな会社にいて、
いろんなタイプの仕事はあったんですけど、
まあ基本調整役みたいなところがあったので、
あとなんか、
問題が起こってからどうこうとか、
問題そのものに向き合ってどうこうとかいうよりかは、
あの、
なんだろう、
未然に防ぐとか、
あの、
何かやる上でのベースを、
こそこそと構築していくみたいな、
そういう仕事だと思ってるんですけど、
その事務系の仕事っていうのは、
まあ結果とかではね、
直結しないというか、
何かが数値的に現れるわけじゃないので、
まあそういうところもあったのかなと思いますが、
まあ明らかに一番違うのは、
なんか肩書きがあることだと思っていて、
うん、今なんかまあ学校に行った結果、
資格を取ってその資格として働いているんですが、
まあめちゃくちゃペイペイではありますが、
うん、
なんか先輩たちもすごいベテランでも、
なんか結構求めてくれるというか、
なんか世代も違ったりするし、
逆にこう、
多分学校で一番最新のことを習っているというか、
教わって勉強しているのは、
私かもしれないみたいなのもあったりして、
なんかそこは、
あとなんか節制化は節制化、
週末とかに研修を受けたりとか、
まあ一番なんか、
試験を、
最新の知見を取り込んでいかなきゃいけない立場みたいなのもあって、
なんかそういう点で、
あれか、
経験上の話があんまりできない反面、
なんか別のところで求めてもらっているところはあるんだなという感覚があり、
だからそれは今の職業として働いていて、
得られていることだかなと思うんですけど、
だからなんか思ったのは、
一つこれは本題ではないんですけど、
主題ではないんですけど、
今後私はそのいかなる話、
そういう側面においてポジショントーク、
自分が話すことがポジショントークになっていく可能性とか、
適切に素直なフィードバックをもらえない可能性がすごい高いということを認識して、
過ごしていきたいなっていう気持ちがあります。
それはちょっと副題、
副産物的なあれなんですけど、
鼻水が出るよ。
ほいで、
で、ここからが主題なんですが、
最近もそのポッドキャストを再開しようと思って、
なんか撮ったりしてみて、
いつもなんか短くしようと思いながら、
すっごいダラダラ長く喋っちゃってあれなんですけど、
過去、今エピソード4、
エピソードじゃない。
違う。
シーズン4っていう形でやっておりますけど、
1、2、3。
3はちょっとね、変わり目の時期なんだけど、
3って更新頻度めちゃくちゃ低かったんじゃないかと、
あんま覚えてないけどそう思うんですけど、
なんか、
まあいっか、前の方から喋ろうか。
エピソード1、2ぐらいの時って、
もともとそういう目的でポッドキャストを始めたわけじゃない、
なんか単に友達が欲しかったのかなとか、
なんかそういうね、
自分の居場所づくりとして、
なんでそういう目的になるのか、
なんか始めたものだったんですけど、
安心して、
仕事なり、そうじゃないことなり、
自分の日頃感じていること、
なんかモヤモヤしてることだったり、
ポジティブなことであってもそうなんですけど、
なんかしょうもないことでも、
なんか、
例えば家族が近くに住んでいても、
交際相手がいたとしても、
心から素直な状態で話せればっていうのは、
ポッドキャストの自由なコミュニケーション
何も穿つことなく、
こう言ったらこうなるかなとか、
そもそもなんか、
話すことで自分の震撃が大きくなるとか、
関係性が難しくなるとか、
そこまで深刻じゃなくても、
話したい、
なんでしょうね、
そういう感覚にならない、
人に話そうみたいな感覚にならなかったところの部分を、
フォトキャストで大変自由にやっていた、
でも最初の方はね、ちょっとなんか気取ったりしますけど、
多分声とか、
これはどの声が素の声なのかとか、
諸説あるので何とも言えないんですけど、
実際職場とかで今のテンションでは話をしたりしないので、
何が素なのかみたいなのはありますが、
かなり表面的にお化粧してたみたいな話、
発話スタイルにお化粧してたみたいなところがあったかもしれませんが、
とはいえ結構自由にやっていたので、
フォトキャストでゼロ回再生なんかもあるかもしれないんですけど、
やってたら人がちょいちょい聞いてくれたりするんですよね。
別に元々の知り合いじゃない方が圧倒的に多いけれど、
検索から来たのか、ツイッターとかから来たのか、
何をきっかけにたまたまアプリで表示されたのかわからないですけど、
他の人に紹介していただいてとか、
ありがたいこともいろいろあったりとかして、
何回か再生されてたら聞いた人、
それが冒頭10秒、30秒とかのことかもしれないけれど、
でもアクセスしてきてる人っているんやっていうのがありますよね。
あったんですよ。
だからなんか別に、
常々その頃思っていた熱動、私の今の熱動しなければ、
多分思っていたこととしては、
なんか配信する以上は一方的な発話のコミュニケーションではあるけど、
でも一応コミュニケーション聞いている人がいるというところで、
リアクションがあろうとなかろうと。
これはこれで、例えば今iPhoneのボイスメモで録音してますけど、
これをこのままiPhoneの中にただ置いておくことと、
フォトキャストで配信することっていうのは、
ちょっとまた音源の、同じ音源なんだけど、
音源のあり方が違うよなっていう、
そんな気持ちになってたんですよ。
だから非同期的なコミュニケーションが、
本来それはリアクションあって、
どこかしらで直接的なり間接的なりリアクションがあって、
やりたつものなのかもしれないけど、
でもなんか、聞かれてるんだっていうことだけで、
自分にとってはそれはフィードバックになっているので。
専門学校でのコミュニケーション
そう、そうなんです。
だから、何が言いたいかっていうと、なんだっけ。
聞いてもらうこと、話を聞かれることっていうものに、
私は、なんだろう、話しているだけ。
フォトキャストは話すことだけど、
一人でやるフォトキャストは、
ただ一人で喋ることだけど、
聞かれることでもあるよ、
思っているんです。
かつ、誰にもやっぱり邪魔されない。
まあね、世の中いろいろあるから、
邪魔される可能性もあるかもしれないけど、
自分で喋っている段階においては、
気持ち的に自由だなっていう。
別に、なんだろう、
聞かなくていいもんな、
わざわざ聞かなくていいっていうだけなので、
その気軽さがすごく好きだなと思って、
ずっとやってた感じがしますね。
っていうことを、
2つのエピソードを聞いて、
なんかフォトキャスト以前、
今はちょっと1つを横に置いといて、
以前のフォトキャストは、
私にとっては、
話すことというよりは、
聞いてもらうことだったのかもしれないっていう、
自分の存在を聞いてもらうことで、
自分も確かめられたりとか。
まあ、今と考えていること全然違ったりするんですけど、
昔話したことは、
自分以外の他者の存在があってこそ、
特に現在進行形じゃない自分っていうのは、
なんか人の記憶の中とか、
実際には音声データがあるんですけど、
音声データがあってこそ、
人の記憶の中とか、
実際には音声データがあるんですけど、
でも人の記憶の中に、
別に実際に記憶されていなくても、
何か入り込んだりすることで、
話していることを聞いてもらう、
ただ聞いてもらっていることで、
そこにあったこと、いたことが、
後になっても分かれるみたいなのが、
ありますようなと、思った次第。
で、一方で、
エピソードじゃない、また間違えちゃった。
シーズン3っていうのは、
引っ越し?住むところが変わったタイミングで、
髪の毛をクイックルワイパーしていくような、
家が変わったタイミングで、
帰っていくものなんですけど、
エピソードじゃない、間違えた。
シーズン3は、
専門学校に、首都圏に出てきて、
専門学校に通っている間、
学校の寮に住んでいたんですけど、
その期間なので、
忙しすぎて更新あんまりしなかったっていうのもあるけど、
人数のそんなに多くない同期の中で、
毎日ずっとコミュニケーション取りながら、
2年間で来たんですけど、
ほとんどの時間は学校で過ごしてた気がするので、
寮だから同じ建物の中に、
同期もいっぱいいるし、
学校終わった後に、
9時とか10時とかに家に帰ってから、
ご飯すぐ食べればいいのに、
もやもやしたことがあったりすると、
寮のフリーペースみたいなところで話を聞いたりとか、
これは自分がもうすごい助けてもらったこともあるし、
友達の話をたくさん聞いたりして過ごした時間も多かったし、
気づいたら夜中だねみたいなことも結構あったんですけど、
だから、学校の同期ですから結構思想の話というか、
学んだこととか職業に関してとか、
グループでグループワークしながらぶつかり合ったりしてとか、
グループワークがめちゃくちゃ多くて、
自分の意見をすごい言わなきゃいけない時間だったんですよね。
それは私にとってはやっぱりまだ、
自分の思っていることを言えればというよりかは、
言わなきゃいけない場みたいな、
まだそういう感じだったなって当時を振り返ると思いますが、
それはやっぱり慣れてないとかっていうのもあるし、
なんかやっぱり、
みんな学生ですから、
ない正解に向かって、
やっぱり職業柄というか目指しているものに関して、
熱い思いを持って入学してきている人も多いもんだから、
関連的なとか思想の話とか、
結構ベースにいろんなものがある思いを持っている人が多くて、
ぶつかることも相当あったんですよね。
だから腹も立つこともすっごいあったし、
助けてもらうこととか、
今後の人生にかかてないというか、
形成する一部になっていくなって感じる場面もたくさんあって、
割とグループワーカーしんどいまま終わっちゃったけど、
こんなに、
学校もいろんな年齢の人がいたので、
大学を卒業してそのままだよっていう人もいれば、
一時的には大学院みたいなもので、
大学を卒業した人が来る学校なんですけど、
専門学校なんですけどね。
20年近く、
10数年働いてきましたっていう人もいるし、
すごいいろんな人がいたんですけど、
だからこそ年齢も全然、
育ってきた環境も全然違うけど、
でも仕事じゃないから、
先輩後輩とかでもないし、
対等にやるんだよっていうのが、
取り組み方自体もすごく難しいところがあったんですよね。
うまく回り始めるまでにいろいろあったんですけど、
なんか全然違う話にされてきてる。
どうしよう。
ええか。
どうしても仕事を数年経験してきてる人って、
職種とか業種とかにもよると思うんですけど、
やっぱその仕事で育った、
グループでの取り組みへの関わり方が、
すごいいろいろすぎて、みんな面白かったんですよね。
どうしても忙しすぎて、時間がなさすぎて、
タスクの振り分けというか、
仕事みたいな感覚になってる人も多くて、
効率みたいになったりとか、
本当に時間がなかったので、それはカリキュラムな問題なんだけど、
そういうモチベーションのね、
それは均一なものではないですから、そこの違いの難しさとか、
誰の仕事量が多くてみたいな、負担が多くてみたいな話になるとか、
あんまり自分もいっぱいいっぱいで難しかったんですけど、
そんなことはありまして、
でも、まだね、
まだやっぱり言わなきゃいけない気持ちが、
途中からグループがすごい、
一回ちょっと雰囲気やばいみたいな感じで、
話し合いを設けた気がするんですけど、
その話し合いのやり方もちょっとまずかったところとかもあったりして、
全てがその後うまくいったわけではないんですけど、
テレビみたいにさ、ちょっと話し合ったらうまく回り始めましたみたいなことにはならなかったけど、
でも、何人か特に信用できる人とか、そういう繋がりはできてきて、
こうなるとちょっと変わっていくのは、その人には言えるとか、
そういうことが、話せる相手に話しながらさらにこう、
自分のことも分かってきて、
相手の考えてることも、こんな違ったりするんだみたいなことを素直に受け取れるようになったりして、
ちょっと変わったかなみたいな、
あり。
でも、私の場合はその、今、
働いてる仕事、
学校で取得を目指してる資格に関連する仕事を一切やってきていないので、
仕事の中にもさ、これまでの仕事の中にも全く関与してない人と、
ゴリゴリに関連する了解とか、
で、働いてきましたって人もかなり多かったわけですよ。
話せないことの増加
だから、そのコンプレックスとかも結構、
コンプレックスというかやっぱり、
結局現場の声みたいなのがね、自分は持っていないわけだから、
発言するのって難しいなとか、
うん、なんか現実をわかってないみたいになっちゃうよ。
っていうコンプレックスみたいなのがあったりしまって、
うーん、
ドライヤーはちょっとうるさいですよね。
あとで、濡らしちゃったけどか。
あ、サンキューこの、
先に踊ろう。
で、話を持つと、
それと同じなんですけど、
シーズン3の時代っていうのは、
忙しさ、物理的に時間が確保できないとか、
インターネット上で話せる内容があまりにも、
自分の生活の中になかったとか、
自由に発信できないことばかりの生活だったと思うので、
それであんまりポッドキャストやらなかったなっていうのもあるんだけど、
それ以上に、
聞いてもらえる環境が、話を聞いてもらえる環境があったんだなって、
環境というか関係性かな、どっちかっていうと、
環境があっての関係性なのかな、人との。
個々との関係性は、
その前にそういう関係性を築ける環境があったって思って、
あんまり考えたことなかったけど、
村を取ったと、
全国生活を聞きながら、
そういうことをちょっと自分に置き換えて考えたんですね。
お腹空いたな、なんか。
でも2時半ぐらいから遅めのランチの予定なんで、
なんかお店あるかな。
キウイとか、キウイたぶん。
ちょっと痛いな感じになってる。
だいぶ前に買った。
そんな感じで、
話せないことが増えてきたっていうのも大きかったなって思いますね。
で、それからさらに今は生きているわけなんですが、
1年ちょっと前に、
もうポッドキャストやめようってなった時に、
実際にやめますって言って、
公開してたのを非公開にしちゃった時っていうのは、
あんまり必要なかったからっていうのもあるかもしれないんですけど、
すごくどうでもいい、
ただの一個人の話をするには、
私の生活があまりに偏っている、
その食料に関することに、
プライベートでも接すること、
情報だったりとか、場所だったりとか、
考え、思想、いろんなことが完全に偏っているということ。
それ自体は悪いことではないと思うんですけど、
あと、自分の中にどんどん形成されている価値観とか思想とかっていうのが、
あとホットトピック。
私の中でのホットトピックが、
食料にすごく結びついているというか、
自身の興味関心の探求
どうしてもそうなりますよね。
興味があって、
学校行ってるわけだから、
それもね、
さっき話を忘れましたけど、
学校に行くのを決める頃の時のエピソードを聞いていただいたことがある人は、
そんな話してたなっていうのが、
昔やってたなっていうのがあるかもしれないんですが、
自分が何かに興味関心を持つっていうことが、
そもそもよくわからなかったし、
実際何にも興味関心がないわけではないんですよ。
それなりに好きなものとかありながら生きてきたけれど、
特に食料につながる、仕事につながるようなこととか。
きゅうりが一枚落ちちゃった。
っていうのは、
自分にそういう資格はないと思っていたので、
私は何か目指していいんだとか、
何かを知りたいというか、
興味関心を持ってますよみたいな表面をしてもいいくらいに、
そういう気持ちを抱いていいんだっていうことを、
ようやく何かわかってきて、
もっと好きに、
ロークを30分でね、
うるさいと思いますが、
もっと好きに、絶対に田舎からもう出れないんやとか、
思わなくていいんだとか、
そういうことにやっと気づいて動き出した、
この30歳前後だったと思うんですが、
そういうのを経てですね、逆にもう、
すごいホットトピックに偏りがありすぎて、
何かあんまり話せることがなくなってきたかなって思ったんですよね。
全世界に一応公開されている音声ファイルとして、
話せることはあんまりないかもっていうので、
あんまりあんなくなったなーって、
振り返ると思います。
ポッドキャストの役割
今もそうなんですけど、
それでもやっぱちょっと学生生活は、
勉強する場所に遊兵されてたから、
本当に物理的な、時間的に忙しすぎたので、
なんですけど、今なんか、
また世の中に戻ってきた、
社会に復帰してきたみたいな感じがあって、
それはそれでなんか、自分の仕事っていう道筋もあるし、
同時並行的に自分の人生が、
別に切り離せるものではないけど、
ライフストーリーが、
ライフステージ、ライフストーリーが、
進んでいくようなっていうのが、
メーターがまた進み始めたみたいな感覚があるんですけど、
今は別に話せることはあるんじゃないかっていうのと、
自分の思っていることを言わないといけない場、
これもネガティブな言い方にはなっちゃうけど、
が仕事とかである一方で、
自由に安心して話せるっていうものの中にも、
種類があってもいいかみたいな感覚で、
もともと本来一対一で、
話を信頼している人に聞いてもらうぐらいのことを、
逆に特定の対象がいないからこそ、
ポッドキャスでオープンに話せていったみたいなことがあって、
これは友達に話すとかだったら逆に難しかったみたいなのができてたと、
ポッドキャストでは不特定多数に聞かれてはしまうんだけど、
聞かれてはしまうと同時に聞いてもらえるっていうのがありまして、
できてたから、
自分の生活上関与しているコミュニティとか、
活動の場、家庭も含めてですよね。
わざわざ話す機会がないとか、
聞いてもらう活動ってそうですよね。
聞く側と聞かれる側っていうのが立場があるから、
そういう感覚ですよね。
自分が自由に話していい。
完全に自由かどうかわかんないけど、
少なくともこのポッドキャストだったら私の場なので、
私が話すための、私のための場であるからして、
また今日もね、長くなっておりますけど、
別にダラダラとこうやって長く話しても、
自分のことを許せなくはならないっていうことがあるので、
やっぱりある方がいいかなっていうところで、
再開した次第なんですけど、
そうですね、そうなんです。
なんかここまで話していて、
もしかしたら別に仕事の関連することがホットトピックなら、
それについてガンガン話せばいいじゃんっていう、
リアクションがもしかしたら、
誰かの心の中にあるかもしれませんが、
このポッドキャスト上で自分の食料とかを命令する予定が今のところなくて、
別にツイッターとかではガンガン喋ってますけど、
資料がすごく小さいので、
ニッチな食料だなとは自分で思っていて、
で、やっぱりちょっとね、難しい、難しいとか、
下手なこと言えないっていうのもあるし、
食料、同じ食料の人とか同士の話もあったりして、
今のところですね、
なんかそういう立場を持ちたくもないし、
なんかまだ何も知らないっていうのもあるんだけど、
なんかデメリットの方が今大きいなとは思っているので、
別にその話をするつもりはないので、
別にバレる分には構わないんですけど、
自分では何々で働いてますとか言うことはないなという感じで、
だからなんかそういう偏りを持たせたくないというか、
なんか切り離せないんですよね。
自分の個人の思想とかと立場上の話とかと役割とかはいろいろあるんですけど、
なんか難しい、難しそうだな、調整するのがと思って。
うん。
やっぱあとその思想がかなり関わってくるので、
感情的になりやすいっていうのは、
私は基本的にどっちかっていうと、
なんかポジティブな感情よりネガティブな感情の方が、
こうすごい表出しやすいというか出しやすいのと、
受け取る上でもすごいポジティブなものよりは、
ちょっとネガティブなものの方が安心できるみたいなところはあって、
インプットもアウトプットもちょっとネガ感があるんですよ。
なのでなんかその辺はちょっと難しいよなと思って。
なんかあんまりそれを強化するようなこともしたくないって自分に対して思っているので、
そこまで難しく考えているわけではないですが、
今後も好き放題気が向いた時にやっていけたらと思っているというところです。
池袋の印象
自分の中でのポッドキャストの役割というか、
ポッドキャスト感とその編成みたいなことを、
こう2つのポッドキャストのエピソードを聞きながら、
なんかああそっかこういうことだったのかなとか感じることがあったので、
撮ってみました。
以上です。
なんか以上ですって言ってたけど、
多分なんか話そうと思っていたけど話せてないことは多分あるんですけど、
もう忘れちゃってるのでいいかな。
みんながぼちぼち着替えて出るか。
今日は池袋に行くんですよ。
この間島北沢の話をしたんですけど、
島北沢はなんか昔田舎に住んでた自分の頭の中にあった島北沢という概念とようやく一致してきた感じがするんですけど、
池袋はまだなんか別物かなちょっと。
その池袋ウエストリエートパークとかです。
池袋。
ギャル図。
ギャル図とかでね。
ギャルが出てくる漫画ですけど、
出てくる池袋。
芸能人。
テレビで撮り上げられる池袋とこれから私が行く池袋はまだ一致してないんです。
別の何かだと思ってる。
新宿とかもまだね、あんまり一致してないんですよね。
渋谷とか。
そう。
タレントさんがポッドキャストとかで、
この間どこどこ行ってとか言ってるの聞いて、
赤坂っていうのが。
そう。
新宿で渋谷でとか言ったら、
その人たちがふらついてる違う、歩いてる、話してる地名と、
私がここ数年何かちょっと出かけたりしたその場は、
まだ同じものとは思えてない田舎物であります。
では、聞いてくれてありがとうございました。バイバイ。
54:14

コメント

スクロール