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#91 AIが語学力を代替するという話は本当なのか
2026-08-26 10:29

#91 AIが語学力を代替するという話は本当なのか

AIが台頭するから人間の語学力は不要になります、という話はもうそこかしこで擦られまくっている言説です。今回のエピソードでは、AIが語学の運用で役に立つということはあるが、ことのすべてを解決してくれるわけではない、という程度の話をしています。


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そっちゃそ(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠@trans_souta⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠)。フリーランス産業翻訳者。東京工業大学(現:東京科学大学)大学院修了。2019年よりフリーランス産業翻訳者として開業し、現在に至る。専門は技術、IT全般。副業として語学指導や発音指導も手掛ける。ご意見・ご感想は⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠公式HP⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠のお問い合わせフォームからお気軽にどうぞ。ライオン君との共同ホストPodcast番組、『⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠円卓上のイエティ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠』にもレギュラー出演中。


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サマリー

AIが語学力を代替するという言説に対し、スピーカーはAIが機能的な側面で役立つ一方で、人間の語学力全てを不要にするわけではないと主張します。特に、情緒や個性が前面に出る場面ではAIの限界が露呈し、時には逆効果になることさえあると指摘。日本語のAI活用事例やイラストの例を挙げながら、AIの得意な領域と人間が個性を発揮すべき領域の使い分けの重要性を説いています。

はじめに:AIと語学力の代替論
こんにちは、そっちゃそです。 この番組そっちゃその語学ラジオでは、語学学習というテーマを軸に、 その本質やあり方について哲学的に考えていきます。
ここで扱うエピソードは、もともとYouTubeに公開した内容をもとに、 音声コンテンツとして再編成したものです。
映像がなくても理解できるように設計していますので、 通勤中や作業中など、長ら時間にぜひお楽しみください。
それでは今回のテーマに入っていきましょう。
こんにちは、今回もポッドキャストの配信を始めたいと思います。 今回は多分主に語学の話にメインになると思うんですけど、
今回はまあよくある、最近多くの人が言及している AIがなんとかなんとかって話になると思うんですけど、
これはまあほとんど全ての人が聞いたことはあると思うんですけど、 AIで英語の学習がいらなくなるってもうなんかみんながそこかしこで言ってますよね。
AIが翻訳やら通訳やら、もしくは英文の生成やらをやってくれるから、 プロンプトでこういう英語を書いてって確かに書いてくれるじゃないですか、
それは確かにごもっともというか、まともな英文ですし、 プロンプトの意図通りになっているはずですし、
実際それをメールとかにコピペして使ってますみたいな人も多分いると思うんですよね。
もしくはウェブサイトの英語を、プラグイン的なやつで英語を日本語に翻訳して読んでるとか、 そういう人は一定数いると思うんですよね。
ただそれって、であるがいえに英語はいらなくなりますっていうのは、なんか論理の飛躍な感じがしませんかね。
で、これは多分納得できるというか、まあなんとなくそう思うんですよね。
なんかこの人たちは英語を使わなくてもいい部分を使わなくてもいいっていうのは、
要するに自分で考えなくても良くなった部分を確かに強調してるんですけど、
なんかそれって、であるがいえに全ていらなくなるって言うと、 なんかちょっと論理の飛躍な感じがしませんかね。
今回はこの疑問を出発点にして、
英語の能力全てをAIで大体できるようになりましたって言い切るのは、 ちょっと飛躍が過ぎるのではないかっていうのは僕の話をしたいと思います。
AIでは代替できない「もう一方」の領域
僕自身、このAIを駆使して英語を操っていくっていう風潮がどんどん強化されていくとは思ってないんですよね。
なんか限界天井のようなものがあって、じゃない方っていうのが存在するんですよ。
要するに、どう足掻いても大体できないっていう要素は確かに存在するんですよね。
存在するんですよとか、存在すると思ってるんですよね。
だから技術は云々の話じゃなくて、根本的に違うことをしているっていうのが多分要素はあるんですよ。
そのじゃない方っていうのをお話ししたいと思います。
日本語におけるAI活用の事例と限界
なんでそのように思っているか、そちら側がそのように思っているかっていうのは、
これ日本語を日本語で出力する人に、日本語を日本語で出力する、日本語を日本語のプロンプトで綺麗なかっこいい日本語を生成して使う人っていう風に読み替えてもほとんど同じことが言えるんですよね。
さっきメールで使えますとか、ウェブサイトの翻訳で使えますとか言ったんですけど、
それって確かに日本語でもやってる人に、例えば、カッチリした文章を書かないといけないシーンとか、目上の人に書く文章を提出するシーンとか、あるいはレポートを使うシーンとかで、
多分、AIに日本語をチェックさせる日本人って多分いますよね。
実際それやってる人って思うんですよね。
また英語で言ったことと同じことを。
それもいるじゃないですか。
僕は実際確認したわけないのでわかんないんですけど、多分いますよね。
日本語のチェックをAIでさせてますっていう人は、一昔前からいると思います。
メールとかって、今、Gメールとかを使うときって、別にこっちが頼んでもないのに、オートのサジェストが出てきますよね。
テニオ派の助動詞がおかしいですよとか、サジェストしてくれるじゃないですか。
それは実際僕も使ってます。
日本語を書くときに。
結構役立つなって思ってます。
それはできることですよね。
まったく同じことが、さっき言った、できることに注目する人がすごく多くて、できないこと、限界があることに研究しない人があまりいないっていう話を英語の話でしたんですけど、
まったく100%同じことは日本語でも言えます。
普段の会話とか、おしゃべりとか、そういうの全てを日本語でだいたい、日本語の全てをAIでだいたいしようとする日本人ってまだ実現してないじゃないですか。
それって、暗示的というか、匂いのようなものがあって、
みんな分かってるはずなんですよね。
この部分では、大いに日本語の運用においてAIを活用した方が良さそうだっていう部分と、
ここで活用すると逆効果あるいは無意味だなっていうのは、本人が薄々感じながら使い分けてるかもですよね。
AI生成記事の「つまらなさ」と逆効果
象徴的な事例っていうのが、ノートの記事だと思います。
ノートってブログサービス、ノートありますよね。
それって、最近なんですけど、AIで書いた風の文章の数がものすごい増えてる、僕は気がするんですよね。
箇条書きチックな文章とか、やたら解読が多いとか、ポエムっぽいやつ、結局何が入っているのかよくわかんない日本語文章とか、たくさんあるじゃないですか、ノートに。
それって、基本的には読み手には警戒されてるはずなんですよね。
要するに、一言で言うとつまらない文章なんですよ、AIの文章を調べて。
それが、象徴的事例になると思うんですけど、何か、さっき逆効果って言ったんですけど、逆効果ってのはこれですよね。
AIを駆使して、大量にですよね、コストが低いですから、大量に文章を作ってばらまく行為が逆効果、要するにユーザー視点から見た場合、邪魔でしかないっていうのは多分あるんですよね。
それはノートに主張的に使って読んでる人からも、まあその通りだというふうに思っていただけると思うんですけど、
それが、さっき言った、AIを駆使しない方がいいんじゃないのっていう場所の領域の一つの例です。
で、こういう部分があるっていう事実をまず抑える必要があると思うんですよね。
AI活用の「できること」と「できないこと」
AIを駆使したらうまくいく部分と、AIを駆使したら逆効果になる部分が存在しますよと、逆効果になる部分の具体例がノートでAI記事を書いてしまう人たちっていうのがあります。
とすると、これって英語でも全く同じことを還元できそうじゃないですか。
というのも、英語学習とか文脈において、みんなできることばっかり、AIでできることばっかり強調するんですよね。
ネイティブ表現を生成してとか、ロールプレイをしてとか、単語を生成してとか、そういうことをみんなできることばっかり強調するんですけど、できないことは言及しないんですよ、誰も。
こういうことはできません、こういうことはできません。あるいはこういうことをすると、やろうとすると逆効果になりますとかいうことを言及してくれないんですよね、言ってくれないんですよね。
それは何でかというと、そっちはあまり注目を集めることができないからなんですよね。
みんながみんな言ってるのは、できることができるようになったよっていうことばっかりしか言ってくれないんですよね。そこがカギになると思います。
機能的価値と情緒的価値の対立
英語はどうこう、日本語はどうこうに、はい、話じゃないと思うんですよね。
自分でやった方がいい部分、AIをプロンプトなんかを使ってAIを使うと逆に悪くなるというのは、
英語、日本語に限らずいろんなことに出ると思います。例えばイラストとかもそうで、イラストって単に情報を伝える、キクトグラム的なやつで単に情報を伝える、
絵的に伝えるのであればそれはAIでいいと思うんですけど、じゃない方って、例えば情緒的価値って、AIだとそれこそ全く同じロジックで逆効果ですよね。
ガッカリしますよね。情緒っていうのは作った人の思想が、こういうイメージ性を持ってこの絵を伝えたいっていうのはある意義でイラストに抽象化されますから、
それをよくわかんないものに見せつけられても逆効果なわけですよ。なんかガッカリした気分になるわけですよね。
それってユーザー側の期待の話で、さっき言ったキクトグラム的なやつで単に情報を伝えたいのであれば、
要するに単に情報が欲しいのであればそれはそっちでいいんですけど、そっちっていうのはAIでいいんですけど、情緒が絡む部分っていうのは、
AIで何とかしようとするには限界があるということですよね。それはみんな薄々気づいてるんですよ。薄々気づいてる割には言わないんですよね。
繰り返しになりますけど。で、それは全く同じなんですよ。機能と情緒っていうのは対立があって、
機能100%、要するに便利で役に立つっていう要素は、前面に来るのであればそれはAIでいいんですけど、実際みんなそうやってるんですけど、
情緒が前面に来る場合って、全てをAIで解決できるわけがないんですよね。それはAIの文章だろうが、アニメだろうが、動画だろうが、イラストだろうが全てに通用すると思います。
語学運用におけるAIの役割と人間の個性
どっちが前面に来るかっていうのはそれこそケースバイケースであって、もっと大事なこととして、語学の運用において情緒や意味が前面に出てくる場合にAIは多くの場合でかみ合わないっていうのがあります。
AIで代替できるシーンっていうのは、こちらがクロコになって、要するに個性やキャラがあまり前面に出てこないシーンで、純粋に機能的な役割を果たせばいいっていう場合には大いに活躍するんですけど、
そうでない場合っていうのは多いんですよね。
そういう事実を踏まえた上で、じゃあどこに役立てた方がいいか、どこに自分の個性を発揮した方がいいかっていうのが大事になるんじゃないのっていうのが僕の意見であります。
まとめとエンディング
今回のエピソードのお話は以上になります。次回のエピソードもぜひよろしくお願いします。
最後までお聞きいただきありがとうございました。
ノートやKindleでもこのラジオで扱っている内容をより体系的に整理したコンテンツを発信しています。
さらに深く学びたい方は概要欄からぜひチェックしてください。
また、英語発音講座の無料体験を常時受け付けていますので、こちらもお見逃しなく。
詳細はエピソード説明欄、まつりのリンクからご確認ください。
オンライン完結ですので、ご自身のペースで取り組むことができます。
それではまた次回お会いしましょう。
10:29

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