調べ物をして調査をして考えたつもりになってる人がすごく多いんじゃないのかなっていうふうに僕は思ってるんですよね。
頭を使いましたって変っていう作業を、なんかカッコつけてAIを使ってまとめてそれを提示することが考えたことになってるというふうに感じるんですよね。
それで考えるんじゃなくて、人様の考えを自分のものに横取りして提出しただけですよね。
自分の考えじゃないですよね。
ここなんかすごく分けたほうがいいなっていうふうに思いませんかね。
それぞれの違いをまず触れたいと思います。
調べるっていうのは、もうすでにどっかにある情報、もうすでに世の中に流通している情報をこちらの手元に持ってくる作業ですよね。
それって時刻表を調べる、天気を調べる、地図とか固定された情報を調べるっていうのが調査じゃないですか。
これは客観的な情報を調査するっていうのが一つあります。
プラス他人の意見を聞く、要するに取材とかですよね。
取材って現地とかに行って何が起きたんですかとか、この件についてどう思いますかとかテレビとかで聞くじゃないですか。
取材って調査ですよね。
それも他人の意見を聞く、すごいと思いましたとか、びっくりしましたとか、信じられませんとか、
そういう取材で出てくる情報っていうのは、他人の意見を手元に持ってきて、自分の何かの素材として使っていくのが取材ですよね。
これも調査の一形態だと思います。
いずれにせよ、集める情報の形態は様々あると、共通する部分には、
他人の情報を何かしらの手段を持ち、持ってくるっていうのが取材、調査なんですよね。
これは別にAIがどうとかネットがどうとかじゃなくて、昔から今まで変わっていません。
手段が変わっただけで、原理原則の部分、要するに他人から持ってくるというのは何も変わっていません。
これポイントとして言い換えると、自分で考えるって作業してないですよね。
聞くっていうのは、要するに尋ねる、答えを得る、手元に持ってくるっていう作業だけなんで、これってすごく機械的なんですよね。
質問をすれば答えられる、質問をすれば答えが得られる、現地で確認すれば答えが得られるっていう、そういう単白な作業なんで、何かクリエイティブな要素はないんですよね。
何を調べるかっていう選択はありますけど、調べること、行為そのもの自体は簡単にできますし、
であるがゆえに誰かにこれを調べてくださいって頼むこともできます。
まさにAIってそれじゃないですかね。
AIってこれについて広く調査してとかよく言いますよね。
それも同じで、調べるっていうのはすごく作業的性質が強い分、人に任せたり、大規模に、大規模にっていうのは要するにアンケートとかですよね。
アンケートって大量に配って、紙でも電子的でも何でもいいんですけど、大量に配って大量に回答させて、大量の回答を取得して統計的に何かまとめるってよくやるじゃないですか。
それが可能なのは作業としての性質が強い分、複製したり、大規模にスケーリングすることがすごく調査、調査調べるっていう点においてはすごく有利というか、そういうのがかみ合いやすいというのがあります。
これが調べるですよね。
ここに対峙したいのが考えるっていう仕事なんですよね。
考えるっていうのは調べることではありません。
考えるっていうのは何かアウトプットを出す前提で自分の頭を使うことですよね。
これって調査とか調べ物とかと決定的に違うのは、別に何か外の情報をこちらに引っ張ってくるっていうことは関係ないんですよね。
とにかく頭を使って何か言う、頭を使って私は〇〇だと思いますとか、そういう話を自分の頭を出すっていうのは考える仕事なわけじゃないですか。
これって何かイエス、どうでもそうですよね。
これについてどう思いますかっていうふうに対して、ことに対して私はイエスだと思います、私は〇〇だと思いますというポジションを取る。
ポジションを取るのが考えるっていう仕事のアウトプットになります。
これは調査とは関係ありません。
当然、意見を出すときにイエスだと思います、〇〇だと思いますという意見を出すときに調査の情報が前提になることも当然ありますけど、それは必須じゃないんですよね。
仮説的情報、間違えた、仮説的な意見、何となくの意見、直感的意見っていうのは意見として成立しますし、それは変なことではありません。
なんか将棋とかチェスみたいなもんで、将棋とかチェスって一手打つときに別に何か調査しませんよね、いちいち。
あの盤面を見て、確かに盤面を見るんですけど、そこに何かアルゴリズム的な要素はないですよね。
何となく次の一手はこれがいいはずだっていう直感に頼って次の手を打ちますよね。
それが意見の提出っていうのとすごく似てて、
私がそう思ったからこうしたっていうのが要するに考えるっていうことなんですよね。
これが直感的要素が強いっていうのはまずあります。
だから正解も不正解もなくて、思ったからそう思いました、それで本当にいいんですよね。
だから駆動用ですけど、調査の内容を反映することはあるが、それは必須ではないっていうのが考えるっていうことなんですよ。
そうすると考えるって別に時間をかけないとできないとか、たっぷり考える時間を取らないとできないっていう感じはしなさそうじゃないですか。
考えるって意見を考えるイコールポジションを取る、考えるイコール意見を出すという風に考えるというか設定するならば、極論すると数秒でできそうじゃないですか。
これってどう思いますか?に対して私はイエスだと思いますとかどうだと思います?
多分限りなく短い時間で速答できそうじゃないですか。
だから考えるっていうのはスケールとはあまり関係ないんですよね。
時間を10倍にしたら10倍になる、リソースの投下を10倍にしたら10倍になるという性質ではありません。
これ調査とか調べるとは対照できる。
さっきも言ったんですけど、調査っていうのは大規模にしやすい、拡大しやすいっていう性質があるってさっき言いましたよね。
ただそれは考える作業っていうのはちょっと違くて、これは考える時間を10倍にしたら10倍になるとか、
もしくは逆に、他人に考える作業を依頼するっていうのはすごくできないんですよね。
調査の依頼はできるけど、思考の依頼はできないんですよ。
何でかっていうと、仮にこれについて考えてくださいっていうふうに、
これについて考えてくださいっていうふうに誰か他人にお願いして、
実際にそれをしてくれたとしてもそれって自分の考えにはならないんですよ。
他人の考えなんですよね。
他人の考えっていうのは、確かにそれを釈用してこちらの手元で使うことはできますけど、
それって要するに調査の結果じゃないですか。
他人の意見を釈用して調査の結果として利用するっていうのは、
それは自分で考えたことにならないんですよね。
これが重要な点の一つで、考える作業を代行できないんですよね。
考えるっていう仕事は自分しかできないと。
だからであるがゆえに、考えた結果っていうのは絶対に、
例外なくオリジナリティが出てきます。
他人と似た考えになるっていうことになりますけど、
必ずぴったり100%重なるっていうのは原理上ありえないことなんですよね。