AIの役割と効率化
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回のテーマは、AIの話です。
仕事を補完するというか、パートナーと言ってもいいと思うんですが、そのAIが補完したその先に何があるかという話です。
というのも、時間が短くなりました。半分になりました。95%。何でもいいんですけど。
その後は何をやるんですか?ということを、わりと明示できません。
なぜかというと、理念やミッション、ビジョンなどが抽象化されたものであれば、それは各自考えてください。
例えば、株式会社の組織の中での話です。
今回はどちらかというと、個人が使ってどうなるかということです。
個人というと非営利、もしくは社会活動、自己実現であるとか、アートであるとか、そういうイメージもあります。
個人というのは何かというと、法人とか株式会社との違いというか、法人に対しての個人ということです。
だけど、そもそもよく考えてみると、われわれと言いますか、リスナーのあなた、僕も含めて、社会に生きているわけなので、
人が影響を受けたときに、やはり社会に対する影響もあるよねと。
それこそ、一行人がどう生きていくかというと重たいんですけども、
冒頭から重たいんですが、結局そこまで考えておかないと、何だろうね、で終わるのかもしれないなと。
ネガティブ、ポジティブなシナリオは様々あると思うんですが、ポジティブなふうにどういうふうになっていくか、
これは僕も答えはないんですが、一緒に考えていけたらいいかなと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回のテーマはAIがタスク作業を補完する、サポートする、人の作業をサポートする。
でも、その表面的とか表層的な効率化っていうのは、少しずつ確立化されてきて浸透していっていると。
で、っていうところで、その先に何があるんですかという話です。
例えば、文章作成をします、要約をします。
例えばですが、今回このポジティブなラジオで言えば、要約をダイジェスト1ヶ月分出して、これからちょっと作業はしていくんですけど、出しますと。
で、その時に要約するのは楽なわけですね。ちゃんとGPTを使っているんですけど、
既にテキストも話したものもありますから、それを見て、文字起こしでAIがずれていたら修正するぐらいがあり得ますが、ほとんどOKだと。
それによってですね、何分の1だったかな。そういうことで10分の1とか、めちゃくちゃ要約作業で楽になるわけです。
で、文字起こしをする人もない。要約を自分が、僕がする人もない。
ってなった時に、文字起こしで要約してっていうのをしなくていいわけですね、僕がね。
あとチェックすればいいと。
それを仮にやろうとしたら、時間がかかってないよね、実際はねっていう話です。
この時によく効率化されたって言うんだけど、内実と言いますか、実際は何が起きたかというと、そもそも僕がAIを使って文字起こし要約ってことができていると。
僕が文字起こししてるわけじゃないですけどね、AIがやってます。
そこをやっているからできた作業というかタスクじゃないですか。
ポッドキャストのダイジェストをテキストで文字起こししたものを要約して1ヶ月分を20本とか20何本あると思うんですが、
それを24本とかね、それを僕一人でもできるという状態になっているわけですね。
だからむしろ今までやれなかったことがやれたっていうような視点なんで、効率化されたっていう視点ではちょっと見落としがちですよね。
だから一人でITが発達して、一人株式会社みたいなものを作って、それでもできると。
例えば経理をそういうソフトを使えばできるようになりますとか、そういうちょっとぼっかりと言いますか、分かりやすいものがあったんですが、
ソフトウェアレベルとかじゃなくて、その人を代替するぐらいのレベルで一気に作業できるAIエージェントみたいなものもずつあるというところですよね。
だからここで言いたいのは、効率化するとかっていう単純なものではなく、浮いた時間があります、それを何に使うんですかっていう話になるんですよね。
だから定常業務みたいなものがあって、それがリスターのあなたにとって欠かせない外せないものじゃないなら、任せた方がいいんじゃないかとまで思いますよね、僕も。
AI面接官の可能性
一方で、例えばイラストを描いている人がスケッチっていうのをAIに任せるかっていうと、多分任せない方がいいんですよね。
どういうことかというと、スケッチをそういうことによって、例えばですよ、心をマインドフルーズじゃないんですけど、
心を回復というか癒したり、瞑想的に整えるとか、技能を上げるとか下げないみたいな。
自動運転が普及しても、運転をする人のたまに運転するみたいな話と一緒で、技能を下げないみたいなのは一定程度あるんじゃないかなって思いますし、
一定程度っていうのはその人は全部運転をやめないし、運転を絶対みんながしないってことにもならないって話ですね。
っていうのはあるんじゃないかなっていう話ですね。
例えばプロレーサーの人は多分運転し続けると思うんで、レーサーであるときね。
そういうのは起こりますよね。
だからどこまでAIが関与するのが適切かっていうところですけど、
残ってくるものは残ってくしとか、正確には予測できませんが、あるかなと。
浮いた時間っていう話でいくと効率的なものが浮いて、じゃあどうするのって話になるわけですね。
ポッドキャストであれば浮いた時間っていうのは正直ないんですけど、作ってるんで。
新たにAIでやろうとするっていうのは、どちらかというとプラスの話とか掛け算の話なんで、なかなかないんですが、
ただ一人でダイジェストを作る、誰かを雇う、もしくは誰かに任せして作る。
もしくはファンの方がいらっしゃって、お母さん作りますよって言ってくれたらやっていただくっていうのもありですよね。
ただそれも品質が気になったり、あとムラがある、やったらやらなかったりみたいなことになってくと、
別にそういう話があったりとかってわけじゃないんですけど、AIに任せたほうが早いし楽かなっていうのも正直ある中で、
そういうのを含めてAIなのかファンなのか、外駐して誰かに仕事して任せるのか、やらないのか、
もしくは今までやってきた定常業務だったらAIにするとか、要は状態によってだいぶ変わるんで一概に言えないんですけど、
そういうふうになると。ただそのダイジェストを作ることによって、それが無駄な作業じゃなさそうとか、
僕自身もヒントになるっていうのがあれば続けていくし、3月分はもちろんやっていくんですけど、
そういうことをやると何か見えてくるかなっていうのが一つの話題提供としてあります。
リスナーの後もAIを使う場合、どう使っているかが常実に個人の話のように聞こえますが、
実はそれが社会的にも役立つというか影響を与えてくるよねっていうのがありますよね。
もう一方で話が変わるかもしれませんが、AIを使うことによって人が応答しがちなことを見るみたいなのがあります。
これも最近体験したんですけど、その話は直接には触れないんですけど、
近いのはAIがということで抽象化しておくと、AI面接官みたいなのがあります。
僕自身は使ったことはもちろんないんですが、もしかしたら就活生とか転職であるのかな、
AI面接官に話をしてSFみたいな感じで、なんだろうなって思った方がいらっしゃるかもしれません。
ある記事では中国とかではすごい不人気、不評らしいんですが、
AI面接官というのは何かというと、AIが面接官をやるそうですと。
そこにリスナーのあなたが就活生であって、就職活動をするのであれば、
その企業のところにエントリーすると、AI面接官、じゃあちょっと喋ってくださいと。
で、志望動機は何ですかって言ってくるので、志望動機はカクカクしかしがこれこれですとかって答えていくと。
で、AI面接官というのだからアバターで人っぽくそれなりに実際に近づけて喋っているような感じになると。
iJuiceとかはどこまでやるかは知りませんけどね。
で、そのAI面接官ってなんだろうねって話になるわけですよ。
実際はAI面接官が判断することはないそうで、あくまでもこういう感じの人とか、
こういう人ですよねってことで、採用する会社側の、使ってる企業ってことですが、
面接とか人事の中で判断していく、人が判断するってことになる。
で、それで事例の記事を見てたときに、人間の人事というか採用側だと見落としがちなものを
AI面接官だと拾ってくることがあると。これはプラスの意味ですよね。
要は今まで人間だったら見なかったこと、今まで要は採用しなかったことが採用する人も出てくるっていうことですよね。
だから僕はそれはちょっとよく分からないのが、プラスに捉えていいのか分からなくて、
なぜなら採用の仕方によってAI面接官が入って、AIが入ることで、
求人する側はチャンス、求職ですか、就活生とかそういう側にはチャンスなわけです。
働き手にとってね。でもそれもAIがどういうふうに見てるかっていう次第なんで、
ちょっとよくわかんないじゃないですか。しっくりこないですよね。
ふわっとしてるんだけど、とりあえずAIは人間とは違うっていう前提で、
AIが挙げてくるものもあるよねっていう話ですね。
視点の拡張
将棋の話をたまにしているかもしれませんが、将棋もAIでは打てるけど、
人なら打てないよねみたいな手はまさにあるはずなんですよね。
この手は考えれば打てるけど、その瞬時に打ち出すことは無理だし、
そもそもGPUというかCPUというか人間とAIでは違うので、無理ですよね。
だから思考っていうのは、AIが人と似せてもやっぱり違ってくるよねっていうのはあると。
で、ただそのAIの手が絶対いいかというと、
AI同士で戦ったら、AIと人で戦ったらAIが勝っちゃうってことですけど、
どちらが勝つんですけど、でも人とあったらまた村というか、
人同士だったら違ってくるじゃないですか。
で、組織って会社もそうですけど、やっぱり人になるじゃないですか。
AIと人と比較するわけじゃないですよね。
で、そういう時にAIがこの人いいですよっていう風に言っても、
きっかけにはなるけど、評価するのは人ですからねって話で、
要は広げることにはなるけど、結局その多数というか
大きな影響を与えることまではならないかなって。
分かります?
要は大体方向性は一緒だけど、こういう人もいてもいいかもねぐらいの予知ができるぐらいで、
割合でいうとそれがどうなるか分かりませんけど、
10人採用しようとした時に11名というか、もうプラス1名とか2名とか、
要は1割2割の感じになるかなって話ですね。
だから意味がないとは思わないですけど、
でも10名のうちの11名がすごい幅を広げることになるかもしれませんから、
そういう意味では意味があるし、
そのAIがいいよねって言った人が入ることで全然違うことになるかもしれませんから、
一概に言えないですよね。
一概にこれでいい悪いは言えないんだけど、
そういう風に広がるよねっていうのはあるんだよなっていう話です。
だから何言いたかったかというとですね、
AIを入れることによって見えなかった視点とか、
自分が考えなかった視点を得られたっていうのはよくありますよね。
聞きますよね。
それは僕の体験からしてもあるし、あっていいと思うんですよ。
だけど結局それを評価するのは人だし、
人だしというか自分なんで、自分が作業してたのね。
それをどういう風に活かしていくかみたいな話は、
なかなかまだまだ見えてこないかなっていうところがあります。
AIの使用と心の持ち方
最近AIエージェントみたいなのを使ってまして、
それを使ってみて無料体験で遊んでたんですけど、
まだディープリサージとか調べるものの使い方がわからなくて、
何がいいんだろうなみたいなね。
そういうことを考えていました。
そうやってAIをどう使うかっていうときに、
まだまだ僕も最適解とか最適化のいい使い方がないかなって。
どちらかというとベストプラクティスですよね。
実践で使っていってこういうのがいいよねっていうのが探っているところだし、
世の中というかそんな感じかなとは思っているんですけど、
結局精神的な話になっちゃうんですけど、
使い手がいいよねとか充実したなとか、
可能性が広がる、僕は可能性が広がるって言葉が好きなんですけど、
とかないと使わないですよね。
使わないし、痛いとか悲しいというか不快というかね、
そういうネガティブなものがあると使わないじゃないですか。
道具ってそうじゃないですか。難しすぎるとか、
軌道が遅いとか、よくわかんないっていう。
不快な体験が多すぎると人って使わないよなっていう。
ツールとしてね。武器というか道具として。
クリエイティブな活用
思いますよね。
この冒頭でお話したところにAIによって整理すると、
時間が浮いたり効率化されたり、違う視点が入ったりとかね、
いろいろメリットが得られる中で、
じゃあでもAIが入っても人が評価するし、
人が見るってことになると戻ってくるじゃないですか。
前少しお話したかもしれませんが、
人、AI、AI、人みたいな感じで、
AIをブラックボックス化して通して何かやり取りしていくっていう世界が、
いいのか悪いのかが見えてない。
最初は悪い方向から始まるんで、
犯罪を冗長するようなAIとかが出てきたりして、
なんだろうねっていうことになってますが、
だからといってAIが悪いってわけじゃなくて、
使う人のマインドですよね。
まさにこの、体叩いてるんですけど、
ハートのその部分でどうなの?ってなると思いますね。
まさに倫理であり、
社会に対してどう思うかとか、
そこまで言わなくてもその人がどうありたいのか、
結局そうなっちゃうんですよね。
だから自分がどうありたいかとか、
こういうふうにしていきたいなんていうのを、
考えるのがめんどくさいというか、
方もいらっしゃるでしょうし、
このラジオ聴いてる方だと、
集国理ってことで、もしかしてどちらかというとポジティブなふうにね、
いろいろやっていきましょうっていう感じの方も、
多いかなとは思ったりしてますけど、
何かを生み出そうとね。
だから僕自身は新しいふうにして、
何かやっていこうっていうところにいたいし、
やっていきたいから、
まさにそこで、
その先はって言ったらクリエイティブですね。
想像する、何か作りたい社会ってあったり、
自分のやりたいことを実現していくっていう意味で、
AIをうまく使っていけばいいかなっていうふうに捉えてるし、
そういうふうにイメージしてやってます。
だから、
なんていうんですか、
あくまでも僕の考え方ですよね。
個人での、僕の個人での、
創造性、クリエイティブなところをサポートすると、
いうのがまずあります。
それは文章作成でもアイデアをね、
フォーサーでもいいし、何でもいいですよね。
音楽作るとか、動画作るとか、画像作るとか何でもいいですよね。
サポートされるじゃないですか。サポートしてくれるじゃないですか。
それで時間が浮いたっていうよりも、
もちろん時間は浮いてるんでしょうけど、
それでさらに作ると。
AIが入ることにできるものがあればいいし、
AIじゃなくても、さっき言ってた、
人は撮らないけど、AIだったら撮るよなっていうのもうまく、
AIと一緒にやってるから、自分の能力とかやり方も、
はっきりできたよねみたいなのがいいんじゃないかなと思うんですよね。
じゃなかったら、要はプロンプトを同じもの入れたらみんなできるものであれば、
最初はいいですよ、プロンプトはね。
でもプロンプトでできちゃうじゃないですか。
だから、全部一緒になっちゃうんで、そうじゃないよねと。
その人だから使っているやり方だよねみたいな、
人間とAIのバランス
要はプロンプトの個性みたいなものが、
プロンプトには個性はないんですけど、
プロンプト化する手前のところですね。
要は、僕だったらこういうプロンプトを入れているっていうのを、
逐次随時出していくっていうようなものとか、
あと組み合わせで全然変わってくるんで、
そこをかなとAIの組み合わせから、
プロンプトの組み合わせ、もしくは、
それこそその人の考え方、生き方みたいに入れていったら
だいぶ変わってくるじゃないですか。
そのAIにそれをやらせるっていうことよりも、
そういうデジタルツイーンみたいなものを作るっていうことじゃなくて、
どういう風に使うかってことでもだいぶ違ってくるよねっていう話ですよね。
そうやって個人のクリエイティブとか想像性を出していくことで、
結果的にはそれが、そういう風に使っていいんだ、
もしくはそういう風に使う人もいるんだってことで、
他の社会というか他の人も影響を受けたりして、
僕は影響を与えたいということはほとんどないんですけど、
そういうところで皆さんというか、
社会に生きている人のAIの使い方が変わってくるというと、
結局僕は可能性とか想像性、クリエイティブなところで変化していくってことに、
が面白いんじゃないかなっていう風に見てます。
そういうわけでですね、
簡単にまとめますと、
AIっていうのを単純な効率化とか効率を上げるみたいな風に考えると、
単に定常業務とか何かタスクをやってくれる便利なものっていう、
それだけでも最初はいいと思うんですけど、
それだけだったら結局、
定常業務ないけどどうするのってなって話は終わりません。
もしくは圧縮してはい、
じゃあ浮いた時間どうするのってなりますよね。
なので表層的というか論理的というかAIができてしまうようなところは任せますと。
そうなるとどうなるかというと、
何度も散々言ってるし、
もしくは社会的にも誰か他の方も言われてると思うんですけど、
最初の部分ですよね。
アイデア出しだったら、
違和感発想っていうものを取り上げるのであれば、
最初の違和感を持ってくるところは人間がやはりやらなきゃいけないし、
それを処理するの、分析するのはAIに任せて、
アウトプットをAIが補佐する形で出して、
でも何か違いますよねっていうので人間が見てチェックして、
最後は僕がAIを通して考えたってことで、
最初に人、そしてその中にAI、
思考を補助するAI、そして最後にAIが出したものを見る人間って感じで、
アイデア出しであればインプット、思考、アウトプットっていう流れがあるんですが、
インプットの部分はやはり人間がやらなきゃいけないし、
やり続けなきゃいけないし、
そこを重要視するか、よりやる時間をかける。
バランスがインプットの方に持ってこられる。
当然考えたり何かすることはしなきゃいけないから、
AIに全部任せて終わりってことはないんですけど、
でも補佐するところは出るし、
補佐っていうのは、
僕が文章を打つスピードよりも、
AIが打つ方が生成する方が早いわけですよね。
それはもう誰もそう言うし。
そういう記録共生におけるメガネじゃないけど、
そんな感じで、
思考の部分はやっぱりアウトプットするところをサポートするのはやっぱりAI強い。
最後のアウトプットのマナーをそのまま出すというよりも、
AIとやったものを自分で見て、人が見て、僕が見てですね。
判断してこういうものが出ましたっていう風にやる。
やっぱり最初の生活する生きるというか、
二乗生活で気づくみたいなところの感覚的なものがやっぱりより人間がやるべきことというか、
やることで、
最後のアイディアを出すところ、
実現していくところはAIがやれないじゃないですか。
AIが机上でいっても意味ないんで、それをやると。
AIエージェントになってくるとだいぶ歯車が違ってきますが、
でもまだ早い。
でももうやっていったら、どのレベルまでやれるかって話。
お店を予約するとかできてしまうので、
企画ですよね。
新しいことを見出すってことは、
AIがやれるとはあまり思わないので、
どういうものを支持するかの部分が、もはやプロンプトを打つところが企画であり、
その最初のところがどうなるかで、
勝負をしているわけじゃないんですけど、
もう決まってしまうんじゃないかなっていう風にはなります。
僕の中では。
決まるってことはどういうことかというと、最初の部分ですよね。
だから毎日どう生きて何を感じて考えて、
精神性の話で倫理だったりどう生きたいか、
冒頭から重たいっていう話はしてましたが、
その重たいというか、ちょっと深い部分ですよね。
っていうところが全くなければやはり、
アウトプットも生成するAIのところでもやっぱりないんですよね。
やっぱり材料が欲しい。
結局この材料を集めるというところに僕は集約されるというか、
になっていくんじゃないかなと思います。
誤解されないように言っておくと、
インプットが大事とかっていうと、
本を読みましょうとか、ネクストを読みましょうみたいな、
もちろんそれも大事なんですけど、
読むって結局何なのかっていうことなんですね。
分かるっていうことが何なのかとか。
僕から言えることはそんなにないんですけど、
要は自分が生きているこの社会において、
今何がどうなっているのかっていうことを知りたいっていうような興味、
関心ですかね、まずはね。
僕はあります。
その未知というか、非分野というか、
知らない人もそうですし、
知らないことに出会う、もしくは自分が知っていることをより深めていくということが
ワクワクするというかね、興味があるんですけど、
そういう興味、関心というのが純粋なとこかなと思います。
結局それは遊びであり楽しいということになるんですけど、
そういうのがあるので、
もっともっとそういうのを、
AIが入っていくことで、
より何だろうな、
自分が知っていることをより深めていく、
より濃度が濃いというか密度が濃いというかね、
分かりませんけど、
ことが求められていくんじゃないのかなというふうに思っています。
もしこの今の今回の話が、
全然ピンとこないという方は、
よくも悪くも興味、関心、トリガー、
要は自分がこれ興味あるからやってみようとか、
関心があるのでやってみようというのが薄れている方かもしれません。
たくさんいろんな興味があるし、
これもやりたい、あれもやりたいという人は、
AIを使うことで調べてくれたり、
AIの役割と人間の思考
もしくはAIを使うことでサポートしてまとめてくれたりするので、
使ったほうがいいんですよね。
だからここはミスリードというか、
誤解してほしくないのは、
AIが入ってきて、
AIをうまく使うというか、
AIを使うことで思考を奪う。
人間の感覚とか思考を奪うというのは、
やっぱり違っていると思っていまして、
それは、
もともこもないというか、
乱暴に壊れるかもしれないですけど、
それは思考ではないんですよね。
アイデアを奪うというか、アイデアじゃないんですよね。
わかりますか。
要は考えたものが、
クオリティーの問題と質の問題ではないんですけど、
すごい頑張って考えました。
よく頑張って考えたから偉いねみたいなのがあると思うんですけど、
頑張って考えることと、
アイデアとか企画の質はまた別なわけじゃないですか。
例えば1000本素振りしたから、
10本しか素振りしてない人よりパフォーマンスが悪かったら、
1000本やってもしょうがないじゃないですか。
それは才能とか努力とかいろいろあるんで、
一概に言えないんですけど、
時間をかけたからいいわけではないわけですね。
だから僕にとっては、
時間をかけたからいいものですよねっていう風に、
ものを評価してくださいっていうのは、
さすがにどうかなっていう話です。
人も、
でもあれですよ、
頑張ったことを評価するっていうところもあるわけなんで、
それを否定するわけじゃないんだけど、
じゃあいろいろ精々AIが出してきたりとか、
もしくは人間がいろいろ考えたものが、
ものすごい絶対価値があるか、
僕が言っているような話とか、
ここで話していることも全然価値があるかどうかはわからないんですけど、
本当にね、本当にわからないです。
ただ、その話聞きたかったらそういう考え方もあるんだなっていうのを、
それこそワンチャンですよね。
一つでもあればいいかなっていう風に喋っています。
っていうことを多分、
AI側はそんなことは考えていなくて、
とりあえず何か出してきたり、
それこそ人間の指示に従うっていうだけなんで、
よく言われていますが、
人間がAIを使えないときに、
それはAIが頭が悪いとかいうことではなくて、
人間側が悪いと。これは自戒を込めて。
リスナーの方が頭が悪いとかそういうことはなくて、
自分の話でして、僕がAIを使えないのは、
やっぱりAIを使えない人間であるという、
そうですね。
使い使えないってちょっと乱暴なんですけど、
うまく使えないなと思ったら、
それは自分が生かしきれていないっていう話ですよね。
これは結構いい視点だと僕は思っていまして、
学んでみたらいいんじゃないか、やってみたらいいんじゃないか。
動画生成から映画像生成から文章生成から、
僕も面白そうなものであれば触っているんですけど、
やっぱり技術というのはあると思っていまして、
うまくなります。
でも結局それを何かのために備えてやるというよりも、
ただそれだけを使うというよりも、
継続してやるには楽しんで、
それをツールとして手段としてやるというよりも、
要は画像生成AIも画像生成をただ知って楽しむというのはもちろんいいんですけど、
それを何かのために使うみたいな、
それを手段化しないと目的化だけしちゃうと、
なかなか難しいのかなというのは正直思います。
僕も次回度を込めてそれがどこまでできているかは分かりませんが、
AIを自己目的化というか、
それを使うために、
AIが面白いからAIを使うというんじゃなくて、
自分の目的化というか、
AIが面白いからAIを使うというんじゃなくて、
そういう領域の人はいいかもしれませんけど、
AIを使うことで何かに役立つとか、
自分の何かに何か手段として貢献するみたいなことを、
少しでもあれば非常にいいかなと思ったりしました。
すみませんちょっと散らかりましたけど、
今回ですね、
AIは人間の作業とかタスクとか仕事を保管するよねと、
AIによって自分が人が見えなかったこともやってくれたりする、
一部かもしれません。
でも最終的には結局、
人間側の精神とかマインドセットとか考え方、
それこそ倫理とか、
それこそ最初のプロンプトンに何を入れるか部分の、
それこそ何を考えて生きてどうしていきたいかみたいなものが問われると、
そんなことを思いながらね、
毎回プロンプトン僕が入れてるわけじゃないですよ。
だけどその抽象化したり、
まとめていったり考えていくと、
結局問われていくというか、
そのプロンプトンの何を入れてるかを履歴みたいなのがあったときに、
それは個人的な思考の情報になっていくんで、
公開しようとか取り扱う注意かもしれませんけど、
そこからいろんなものが見えてくるような気がするんですよね。
まさにそれが生き方、
プロンプトン履歴が生き方じゃないんだけど、
出てくるんじゃないかなみたいな思います。
そういう履歴を出すことは、
AIが勝手に履歴を作ってということはなく、
それこそまさに自発的に自律的に
人間らしいというか、
考えて感覚的な部分とかアート的な部分があって
動いていくんじゃないのかなということを思ったりしました。
最後にも言いましたけど、
AIがうまく使えないというときはもちろん、
AI側がうまくサポートしてくれない、
UI、UXみたいなツールの使い方の話もありますが、
基本的に出てくるものとか出せるものは
プロンプトンによって決まってきてしまうんで、
プロンプトンだったりその手前の何を
このAIにさせてやりたいかというところで、
うまく使えてない場合はやはりそれは
術者である自分がですね、
人がうまく指令できてなかったり、
あと単にやらせるようとするようなことが
AIを活用するための視点
あまりなかったりするような企画とか
アイディアとかがなかったら、
AIを使うという自己目的化ですよね。
手段化ですよね。AIを使って何か他のことをやる。
そういうふうに考えてみると何かいいかもしれないです。
今回もここまでお聞きいただきまして
ありがとうございました。以上失礼いたします。