1. 東京ぶどうの木教会 メッセージ
  2. 「輝かしい勝利を収める信仰の..
2023-07-09 29:34

「輝かしい勝利を収める信仰の為に(後編)」2023年7月9日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2023年7月9日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄
▼教会へのお問い合わせ:tokyo.vine.church@gmail.com
▼メッセージの自動文字起こしはこちら

https://listen.style/p/tokyovinechurch/od3uzctw
▼動画によるメッセージ:
https://www.instagram.com/tv/CudeFtZJnt7/?igshid=Y2I2MzMwZWM3ZA==

ローマ-39 では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方で あるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。32.わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に 渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。33.だれが神に選ばれ た者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。34.だれがわたしたちを罪に定めることができま しょう。死んだ方、否、むしろ、复活させられた方であるキリスト.イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのた めに執り成してくださるのです。35.だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。 苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。36. 「わたしたちは、あなたのために/一日中死にさらさ れ、/屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。37.しかし、これらすべてのことにおいて、わたし たちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。38.わたしは確信しています。死 も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、39.高い所にいるものも、低 い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト.イエスによって示された神の愛から、わたした ちを引き離すことはできないのです。

サマリー

ペンテコステの聖霊の降臨について話します。感謝の気持ちを持つことの重要性や、信仰生活での勝利と失敗の理由についても触れます。また、失敗意識と被害意識を乗り越える方法や、神様の信仰の祈りを信じることの重要性についても話します。罪意識と疑いを克服するために、信仰がどれほど重要であるかメッセージとして伝えます。ローマ書3章37-39節から、神の愛を信じることで輝かしい勝利を収める人生を送ることができます。

ペンテコステと教会への感謝
今日は、輝かしい勝利を収める信仰のために、先週に引き続いて、続けてメッセージを申し上げたいと思います。
ペンテコステの聖霊の降臨、本当に素晴らしいですね。
聖霊様が降られて、私たちにくださった賜物はいっぱいあります。
その中で大事なのは、教会を与えてくださったということです。
イエス様を信じて救われた、そして神の子供になった人の中には、聖霊様がおられます。
聖霊様がその心におられる人は、主の日に鐘がダーンって鳴いたら、教会に行きたくなります。
不思議なんですよ。
聖霊がその心の中にいる人は、教会に行きたくなる。
そして教会で神の子供たちが集まって、神様に礼愛する、おそれを敬う霊、聖霊様がいられされる方は、みんなこうなります。
不思議なんですよ。
じゃあ、教会です。もう一つ、聖書です。神の見事な。
聖書は、聖霊の感動によって書かれた本です。
教会と聖書がないとするなら、私たちはどのように信仰生活ができますか?
できません。信仰を持ち続けることはできません。
だから、教会と聖書が与えられたことでも、本当に感謝するべきことでしょう。
信仰生活における勝利と失敗
じゃあ、またあります。たくさんありますけど、それは信仰ということです。
皆さん、信仰は聖霊の感動、聖霊の照らしによって信仰が生じますけど、
信仰を持っている人は、この世の中が真似できない、素晴らしい働きができます。
信仰の力は物々しいものです。
ですから、私たちみんなは信仰を持って、勝利の人生を過ごしたいと願っています。
ところが、勝利の人生を過ごすキリスト社より、失敗の人生を過ごすキリスト社がもっと多いのではないかと思います。
じゃあ、なぜ失敗するのでしょう?
私たちは失敗の原因を、いつも外から探そうとしています。
しかし、外じゃなくて、私たちの中に失敗の原因がたくさんあります。
今日のローマ書8章26節から39節までは、私たちが失敗する理由、その原因を4つとして私たちに教えてください。
その初めが、敗北意識、失敗意識、2番目は被害意識、3番目は罪意識、4番目は疑いと恐れという4つです。
皆さん、これがうまく解決でき、それを乗り越えるときにまともな進行ができます。
先週は2つを分かっちゃいましたけど、今日はこの後の2つも分かっちゃいます。
しかし、先週のことを少し簡単に整理してから、今日のメッセージを申し上げたいと思います。
先週、敗北意識、失敗意識、それをどう乗り越えるかということを分かっちゃいました。
皆さん、覚えていらっしゃいますか?
人生を過ごしながら、私たちは勝利よりは失敗する時がもっともっと多いんです。
私は昔の職場の時、また昔々の私を考えるなら、いつも辛いほど失敗が多かったことが分かります。
私たちの人生、失敗意識、失敗、たくさんあります。
しかし、失敗意識にとらわれたら落胆して、私みたいに人間もいなくなったらいいんじゃないかという、それで悩みます。
特に親たちは、自分の子供が他の子供と比べて、うまくやってくれればいいのに、なぜ私の子はうまくできないのか。
それを考えたら、親の心はもう本当に辛くなりますね。
そうです。またそのために、いつも神様に祈るでしょう。
でも祈っても失敗したとするなら、神様は私を捨てたのか、信じても何もないねと思いながら、神様に寂しい心を抱くようになります。
このように失敗意識は、神様と私たちの間に働いて、私たちの信仰をためにします。
どうすればいいでしょう。
これを乗り越えなければ、いつも失敗意識にとらわれて、キリストシャッと言いながら、みんないつも悩み、心配ばかりあります。
どうここは乗り越えることができるか。
ローマ書8章26節はこう言います。
同様に、霊も弱い私たちを助けてくださいます。
失敗意識と被害意識の乗り越え
私たちはどう祈るべきか知りませんが、霊自ら言葉に表せないうめきを持って取りなしてくださるからです。
どんな意味ですか。
聖霊様は弱さを持っているゆえに、失敗するしかない私たちのために、言葉で表せないうめきを持って取りなしをしておられろということです。
皆さん、親はいつも子供たちのために祈ります。
子供のために祈らない親がいますか。
いつも祈ります。
同じように神様も神の子供である私たちのために、言葉で表せないうめきを持って取りなし祈りをしています。
皆さん、私たちのために神様が祈っておられます。
神様が。
信じますか。
これを信じるとき、失敗意識を乗り越えることができます。
それだけではありません。
聖霊様は神の子供たちが最後は優秀の美を納めるように助けてくださることも信じなければなりません。
ローマ書8章28節
神を愛する者たち、つまり御計画に従って召された者たちには万事が益となるように共に働くということを私たちは知っています。
どのようにこれができますか。
神様は全知全能です。
また私たちを一番愛しておられるお方です。
神様は私たちが行った失敗、また成功、一つ一つでも捨てることはなく、全部合わせて私たちが予測できない良い結果を作り上げてくださいます。
先週、料理のことを皆さんに申し上げたんですね。
料理に入る食材、この一つ一つ見たら皆さん、美味しいものがあまりありません。
しかし料理を完成してみれば、料理は美味しいんです。
このように神様は私たちの人生の美味しくない失敗、失敗を合わせて美味しい人生として作ってくださる人生料理人にあります。
神様は必ず全てを合わせて禅を作ってくださいます。
なぜでしょう。自分の子供だから。
自分の子供のために良いことをくださらない親がいますか。
ですから私たちはローマ書8章26節から28節までは、いつも目想しながら失敗するたびに勇気を得ることができればと思います。
2番目、被害意識。被害意識をどう乗り越えるかということです。
被害意識は私たちが信仰によって熱心に生きたのに、神様がそれにふさわしい報い、また代価をしてくれないと感じるとき生じます。
私が信仰によって生きると、いくら忙しくても主の日の礼愛をしっかり守って、
また自分なりに熱心に教会に仕え、お祈りもしたのに、神様は何にも祝福してくれないような気がする。
他の人はこれもやりました、これも祝福してくださいと明かしもするのに、なぜ私はこんなことがないのか。
そのとき皆さん、信仰生活をやっても何にもないね。
このような寂しい心が生じたら、信仰によって生きるということは無意味に思います。
これ以上信仰生活したくない、私勝手に過ごしたいと思います。
そうしたら迷い出た一匹の小一人になる可能性があります。
このような被害意識をどのように乗り越えることができるか。
ローマ集8章32節、こう言います。
私たち全てのために、その御子さえ惜しまず死に渡された方が、御子と一緒に全てのものを私たちに賜らないはずがありますか。
なぜ私たちは信仰生活しながら被害意識を持ちますか。
神様は一人子イエス様さえ与えてくださるほど、大きな救いを与えてくださったんですけど、
私たち一番必要な毎日毎日生活の中で、このような私の必要を満たしてくださるのには、無関心のように考えられるからです。
イスラル民がエジプトから出世エジプトしました。
エジプトの奴隷の生活から大きな救いをいただきました。
しかし、アラノに行って食べ物がない、飲む水もない時、神様を恨んで、そして猛瀬を避難しました。
もし彼らが出世エジプトという大きな救いを与えてくださった神様が、このアラノで飲むもの、また食べるものを与えてくださらないはずがないと思っている、
このような信仰があるとしたら、祈ったでしょう。神様は信仰の祈りを応えてくださったでしょう。
それによって驚くほどの神様を体験したはずなのに、その大きな救いは信じますけど、小さな問題解決は信じていない。これが彼らの問題でした。
信仰の先女アブラムも同じでした。信仰の先女として神の大きな招きをいただいたんですけど、
約束した子供を与えてくださらないということでつまずいている時に、神様は彼をテントから連れ出して、天の星を見ろと言います。
天の星を見る瞬間、アブラムにこう思いができました。そんなにたくさんの星を作って、この空に飛ばしておく神様が、私に一人の子供をくださらないのかという信仰、それがスーッと入ってきたんです。
皆さん、信仰は神様に対する正しい考えを持って、信仰が入ってくることです。その時に、そんな素晴らしい宇宙を作られた神様が、子供一人くださらないのかというその思いを通して信仰がファーッと入ってきて、信じますと言いました。
それが神様が彼にキッとされたということでしょう。皆さん、私たちは神様が私たちの必要を豊かに見てきてくださる、そのお方たちのことを信じなければなりません。その信仰を持って、信仰の祈りをする時に、神様が豊かに与えてくださいます。
罪意識と信仰
一人子さえ惜しまずを与えてくださった神様が、この巫女と共に全てを与えてくださらないはずがあるのか。地獄に行くべき私たちを天国にまで行かせる大きな救いを与えてくださった神様が、こんな小さな問題解決してくださらないか。
そのように考える時に疑い、心配が消えてしまって、信仰が入ってくるようになり、被害意識はサッと消えてしまうでしょう。皆さん、ぜひともこのような考えで勝ち抜くことができることを祝福します。
ここまでは先週の復習でした。これから今日のメッセージを始めたいと思います。私たちが勝利の人生を過ごすことができない3番目の理由は罪意識です。
罪を犯さない人はいないでしょう。罪意識が生えてきたら信仰はダメになります。いくら立派な信仰を持っていったとしても、罪を犯すなら信仰はダメになります。
アダム、素晴らしい神様を作られた初めの人アダム、罪を犯したら彼はダメになりました。神様を避けて自分は逃げてしまいました。
ダビデ、神様をこの神の御心にかなう本当に素晴らしい人ダビデも、罪を犯したらダメになってしまいました。
皆さん、私たちの霊的な状態が良い時は感謝と賛美をして力ある人生になりますけど、罪と過ちを犯すようになったら力がなくなります。かわいそうな人間になります。
罪を犯したらまずはじめに自分自身がわかります。私みたいな人間どうしようか。また悪魔もよく知っています。お前はキリスト社なのか、お前が宣教師なのか、お前は信者でもない。お前みたいに人間神様許されないぞ。そんな信仰やめなさい。
絶え間ない告発を持って悪魔が私たちを訴えます。そうしたら私たちの信仰はダメになり、罪意識によって苦しむことになります。
こんなになるなら私たちはどう思いやすいですか。私たちのような罪人は神様が愛してくれないんだ。これ以上私を祝福してくれない。祈っても聞いてくれないでしょう。だから信仰の確信がなくなり、罪意識だけが残ります。
私みたいな人間、教会で礼拝捧げるんだって神様は受け入れてくださるか。受け入れないでしょう。そうしながら自ら教会からだんだん離れるようになります。
だから皆さんどうしたらいいんでしょう。
この時私たちは私たちが救われまた切断されたのは私たちの良い行いによるものではなく、ただ神様の恵み、ただ信仰によって救われ信仰によって切断されたことを覚えなければなりません。
私たちの良い行いがあって神様が受け入れたんじゃなくて、罪人であった時に神様が愛してくださって私たちを恵みとして受け入れてくださり、信仰によって切断されたんです。
だからシト・パウロはそれを分かってこのように宣言しました。ローマ書8章33節34節。
誰が神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を帰都してくださった方は神様です。誰が私たちを罪に定めることができるでしょう。
皆さん通常しいかもしれないけどこのようにやらなければなりません。
なぜなら父なる神様は子供である私たちが罪意識に陥り苦しむことを願っていないからです。
早くイエス様の忠実家の父親に委ねて悔い改めて罪を清くしてもらって、神の子供らしい本来の姿に戻っていって平安と喜びに満ちあうれる生活をするように神様は願っておられるからです。
皆さん神様が私たちを罪に定めないのに誰が私たちを罪に定めることができますか。
要は8章見てますと外院の現場で捕まえた女が出ます。
この女は聖書をよく見たら婦人用と言います。夫もいるし子供もいるある婦人の方が会員してるんです。
だからその会員とした人が捕まえてくるから全世界の人々が石打ちで殺そう石打ちで殺しなさいと言います。
その時イエス様は何と言うんですか。要は8章11節。私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからはもう罪を犯さないようにしなさいよと言われます。
その会員の現場で捕まえた婦人という方をイエス様は私はあなたを罪に定めない。私が来たのはあなたを救うために来た。
皆さんこれを考えたら私たちは罪によってもう落ち込むことはないようにイエス様が救うために来られたから。
サタンは私たちの弱さ、過ち、罪をよく知っています。
昨日もお前は罪を犯しただろう。今日も過ちをしただろう。
しかしサタンが私たちの過ち、罪、弱さを知ることよりイエス様がもっともっと私たちの過ち、罪、弱さを知っています。
それにもかかわらず私たちの罪のために代わりに死んでくださり、すべての呪いを担ってくださった。
またイエス様は天に昇られ、今私たちのために取り直し祈りをしてくださるんです。
ですから私たちは私たちの罪のゆえにしばらくは悩むことはあるかもしれないけど、悔いを改めたらこれ以上悩まないでください。
神の愛を信じる
マラティン・ルータが宗教改革するとき、あちこちの宗教会議に呼び出されて尋問されるんです。
お前はどんな権威でこのことをするのか、お前みたいな罪人がどんな資格で改革しようとするのか、カソリックからひどい迫害を受けました。
だったら悪魔も共にルータの罪を責めながら苦しめます。
この世に患われる中でルータは一つ偉大な事実を悟るようになりました。
それは悪魔が私を知ることより神様が私をもっと知っておられるのに、その方は私を罪に定めないで、私を嫉妬されたということを自分は信じるようになりました。
その時ルータは大胆さを持って賛美をします。
悪魔よに満ちて、よしおとす逃亡。
その賛美を歌いながら彼は改革をし続けたんです。
神様は私たちの弱さ、私たちの過ちと罪、たくさん犯すことを全部知っておられます。
知っておられながら私たちを受け入れてくださったんです。
また私たちは罪を犯しているその私たちの王、イエス様は私もあなたを罪に定めないと言われました。
神様もイエス様も私は罪に定めないんです。
だからこれを信じるなら私たちはその信仰を持って罪意識から自由になっていきましょう。アメン。
4番目、疑いと恐れどのように乗り越えるか。
ヨアネ中古書19節こう言います。
あなた方が世に直していたなら、世はあなたたちを身内として愛したはずです。
だがあなたたちは世に直していない。私があなたたちを世から選び出した。だから世はあなたたちを憎むものです。
皆さんキリスト社たちを世の中は憎みます。
なぜならこの世に直していないでイエス様に直しているからです。
だから世が私たちを憎むからこの世の中で私たちは様々な苦しみがあります。
それによって神の愛を疑うような様々な問題が発生します。
シド行伝8書で見ていますと、ステファノ七次の殉教と共に、
イエルサレムに行ったキリスト社たちが迫害があります。
だからイエルサレムに行った違法人のキリスト社たちは、イエルサレムから全部追い出してしまいます。
だったらイエルサレムで持っていた自分の家、自分の職場、全部失って逃げなければいけなかったんです。
皆さん一日自分の家も失って財産も失って職場も失ってイエルサレムから追い出されたら皆さんどうしますか?
また福音のゆえに危険に晒され当国を殉教もされます。
その時彼らはどんな気持ちだったんでしょう?不安だったでしょう?
またそれとともに神様が私をなぜ守ってくれないのか、神の愛を訴えたんじゃないでしょうか?
私たちは神様の愛を確信する時心で命と力が満ちあうれどんな逆行も乗り越えるパワーがありますけど
神様を訴えるようになったら心に喜びが消えてしまい何より将来に対する心配のゆえに悩み続けます。
試練を通じて神の祝福を悟る
皆さん信仰がなくなったら悩みしかありません。信仰がなくなったら恐れ心配しかありません。
私たちがどうすれば神様が私を愛しておられることを確信することができますか?
お仕事がうまくできてするなら神様は私を愛して、お仕事がうまくできなければ私を愛してないんですか?
いいえ、神様はどんな場合でも私たちを愛してくださいます。
しかし私たちがまた罪人であった時、キリストが私たちのために死んでくださったことにより神は私たちに対する愛を示されたということです。
私たちが偽人ではなく罪人であった時、神様は私たちを愛してくださって一人子イエス様を与えてくださったんです。
これが神様の愛です。
ですから私たちはすべてをこの神の愛に基づいて考えなければなりません。
ここで私たちの考えが大事です。
神様が私を愛するならなぜ私にこんな試練をくださるのか?
このような考えをするなら私たちは100%つまずきます。
それより神様が私を愛してくださるからこんな試練をくださるんだと考えるべきです。
神様が私を愛してくださるならなぜこんな試練があるのかと思うなら自然に神の愛に対して疑いが生じ、恨みと不満を発するようになります。
しかし神様が私を愛しておられるからこんな試練をくださるんだと思ったら、
試練をくださる神の身分は何なのか、それを分かってそれで感謝するようになります。
皆さん、試練があってから私たちは今よりもっと高い次元の神様の愛を悟り、
試練を通して神様の祝福をもっともっと悟るようになるんです。
だからシト・パウロは神の愛を悟って5を言います。
信仰による輝かしい勝利
ローマ書3章37節から39節です。
しかしこれらすべてのことにおいて私たちは私たちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。
私は確信しています。
死も命も天使も支配する者も現在の者も未来の者も力の者も高いところにいる者も低いところにいる者も
他のどんな非常物も私たちをシュー・イエス・キリストによって示された神の愛から私たちを引き離すことはできないのです。
むしろこれらのことによって神様との愛の絆がもっと強くなるだけなんです。
高いところに誰がいますか?天使がいます。低いところに誰がいますか?悪魔がいます。
それがいくらあったとしても神様の愛から私たちを切り離すことはできない。
世の中何によっても神の愛から私たちを切り離すことはできない。
この世の中が崩れてしまうとしても私たちがしっかり使うべきことは神様は私を愛しておられる。
その証拠は何ですか?一人子イエス・キリストまで私に与えてくださった。それが確信なんです。
私たちはこの神の愛によって輝かしい勝利を収めることができます。
ペンテコストに来られた聖霊様は私たちが強い信仰を持つことを願っておられます。
だから照らしてくださり悟らせてくださりいろいろなことを教えてくださるんです。
しかしなぜできないのか?この4つ。問題がこの4つです。
敗北意識、失敗意識は聖霊様が豊かに助けてくださった。それによって勝ち抜き。
被害意識は一人子まで与えてくださった神様がその全てをくださらないはずがない。
罪意識は私たちの罪、過ちをあっても神様は私を罪に定めない。これを信じて。
また疑いと恐れは神様は私を愛しておられるんだということを信じることによって乗り越える私たちになりましょう。
そして輝かしい勝利を収める人生を過ごそうとができますように。
皆さん私たちが失敗の人生を過ごす理由はこのように大事な信仰の秘訣を知らないから。
また昔は知っていたんだけど今は忘れているから失敗の人生を過ごすことです。
ですから聖書は繰り返し私に考えなさい、考えなさい、思い出しなさい、思い出しなさいと言われるんです。
私たちお互いに助け合ってお互い勝利の人生ができるようにやっていきましょう。
また教会がこのような働きをうまく行うなら神様はその教会をどれほど嬉しく思われるでしょうか。
私たちの教会お互いに助け合って不信仰の話は絶対やめて信仰の話をしてお互いに力を与えて勝利の人生ができるように助けていきましょう。
お祈り出します。
主よローマ書8章を通して聖霊様が来られて与えてくださる素晴らしい働きを教えてくださって感謝します。
今日本では八百万の神々悪霊が満ち溢れているこの世の中で輝かしい勝利の人生ができるように私たちに教えてください。
また思い出すことができるように恵みを与えてください。
イエス様の源を通してお祈り出します。
アーメン、アーメン。
29:34

このエピソードに言及しているエピソード

コメント

スクロール