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2023-07-02 27:25

「輝かしい勝利を収める信仰の為に(前編)」2023年7月2日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2023年7月2日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄
▼教会へのお問い合わせ:tokyo.vine.church@gmail.com
▼メッセージの自動文字起こしはこちら

https://listen.style/p/tokyovinechurch/45yomr0e
▼動画によるメッセージ:
https://www.instagram.com/tv/CuLb6HQJ_F9/?igshid=Y2I2MzMwZWM3ZA==

ローマ-39 では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方で あるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。32.わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に 渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。33.だれが神に選ばれ た者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。34.だれがわたしたちを罪に定めることができま しょう。死んだ方、否、むしろ、复活させられた方であるキリスト.イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのた めに執り成してくださるのです。35.だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。 苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。36. 「わたしたちは、あなたのために/一日中死にさらさ れ、/屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。37.しかし、これらすべてのことにおいて、わたし たちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。38.わたしは確信しています。死 も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、39.高い所にいるものも、低 い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト.イエスによって示された神の愛から、わたした ちを引き離すことはできないのです。

サマリー

今日のポッドキャストでは、信仰の態度を持つことの重要性について触れます。ペンテコステの時に聖霊様が来られたことに関して、一番大切な賜物は教会であると考えます。教会は信仰と密接に結びついており、信仰が生まれる瞬間から私たちはさまざまな問題を乗り越えることができます。この過程で、私たちは立派な信仰を持った人になることができます。

信仰による勝利の人生
今日は 輝かし勝利を収める信仰のためにという態度を持ってメッセージを分かち合いたいと思います。
ペンテコステの時に聖霊様が来られました。 聖霊様が来られて私たちに与えてくださった賜物はたくさんあります。
その中で何が一番大きい賜物でしょうかといったら、いろいろありますけど、その中で私は教会ではないかと思います。
イエス様を信じて救われた神の子供たち。 どこで保護され、どこで養われることができますか。
教会でしょう。 教会はエクレシアト。
世の中から呼び出されて選ばれた人たちの集まり。 その集まりをどうして神様がどうされるのか。
教会は神様の希望です。 教会、それは聖霊様が作ってくださった素晴らしい共同体です。
もう一つは神様の御言葉、聖書を 聖霊の感動によって書かれて私たちに与えてくださったことです。
教会と聖書がなかったら 私たち信仰生活できますか。
何に基づいて、何にどのようなことを目指して私たちがこの信仰生活をしますか。
教会と聖書、すごいもの、それは聖霊様が与えてくださいました。 また、聖霊様は私たちに信仰を与えてくださいます。
私たちが本を読んで信仰を持つこともできるんですけど、 それだけではできません。
ですから弟子は学んでできますか、照らされてできますかといったら、 学ぶことも必要ですけど、
聖霊によって照らされて弟子ができるんです。
聖霊の感動、照らしによって信仰を持っている人たちは、 この世の中の人々が真似できない大きな主の御業を呼び起こします。
ですからヘブラリー書中1章では、 信仰によってアブランモア、信仰によってモーセワ、信仰によってヨーシュワワ、
神の人の前に信仰によって、信仰によって、これを全部付け加えて私たちに紹介しています。
皆さん考えてみてください。 モーゼは200万人のイスラエル人たちをエジプトから連れ出して、
それで航海という海を分けて乾いた地のように、それを何かを渡ることができました。
何によってですか? 私たちの力ではできません。信仰によってそれができた。驚くことでしょう。
ヨーシュワワ、ヨルダン川を渡ったんですけど、 エリコに入ったらエリコ城とナンコウフラークの城がありました。
そのナンコウフラークの城をどのように攻撃して取り壊すことができたんですか?
神の見声を聞いてしたかったら取り壊されたんです。 信仰によって。だから私たちは信仰によっていかなければなりません。
信仰は驚くほどの力です。 その信仰によっていかなければ、私たちは世の中の人々とただ変わりがない、
かわいそうな人に過ぎません。 私たちは必ず信仰によっていかなければなりません。
しかし悪魔は私たちが信仰を持つなら大事になるから、
絶対信仰を持つことができる、できないように私たちを妨げをしています。
私たちはみんな信仰によって勝利の人生を過ごしたいです。 ところが勝利の人生より失敗の人生を過ごす時がもっと多いでしょう。
なぜ失敗するんですか? 人々は失敗の要因を外から探します。
私は環境が良くないから、私はお金がないから、私は親がもう何の力もない人を助けられなかったから、私は失敗するしかなかった。
しかし本当に失敗の人生をする要因は外部からではなく、私たちの内部的な要因がもっと大きいのです。
今日の聖書は私たちが失敗の人生を過ごすようになる内部的な要因が何なのか、
それを乗り越えて本当に勝利の人生を過ごす秘訣を教えてくださるのです。
ローマ書8章26節から39節まで、私たちが失敗する内部的な要因を4つで教えてください。
1つは失敗意識です。敗北意識。
2番目は被害意識。 3番目は罪意識。
4番目は疑いと恐れです。
これがどのようにそれを乗り越えて、私たちは輝かしい勝利の人生を過ごすことができるか、
ローマ書はそれを私に教えてくださるのですけど、私がそれを朝何回何回読んでみますと長すぎる。
だから今日は4つの中で2つだけ皆さんに紹介して、残りの2つは来週皆さんに紹介したいと思います。
私はこの内容は非常に大事なので、ぜひ今週と来週のメッセージを聞かれて、
ぜひとも勝利の人生を過ごす私たちになれればと思います。
敗北意識を克服する
じゃあ今日始め。 敗北意識です。
失敗意識。それをどのように乗り越えることができるか。
人生を過ごしながら私たちは勝利よりは失敗する時がもっと多いです。
受験生。皆さん何回も受験されたんですか。
中学校、高校、大学、そして大学まで受験をいっぱいやりました。
そこでうまくできればいいんですけど、うまくできなかった時には、はぁーと言いますね。
また就職活動。皆さんどうでしたか。
また会社に入って、それで終わりですか。
会社は平社員から、課長代理、また課長、また部長代理、
あとは次長、また部長、その上で取り締まる役、
また常務理事、専務理事、副社長、社長、副会長、会長まで、
皆さん段階がたくさんあります。
それですぐすぐ昇進されてもいいんですけど、それができなくて、
また他の同期よりは遅れたりするなら、皆さんどう思いますか。
落胆します。私のダメだと悩みますね。
特に親たちの気持ち、ご存知ですか。
他の子供たちはうまくやっているのに、自分の子供はうまくできない。
なぜ私の子供は他の子供よりうまくできないんだろうと思った時に、
親の心が痛くなります。
じゃあこんな時、世の中から皆さん学んだことは、前向きの考え、積極的な考え方。
失敗は失敗と思わないで、もっと大きな成功のために、
いい勉強したと思っていいでしょう、と言いながら前向きの考えをします。
しかし敗北意識、それを前向きの考えで乗り越えるのは本当に難しいですね。
特に信仰を持っている人は、皆さんある段階に難しいことがあったら、神様に祈るじゃありませんか。
祈っても負けた、祈っても失敗したと言ったら、皆さんどう思いますか。
神様が私を捨てたかな、見捨てたかなと思いながら、
神様に対して寂しい思いをすることがあります。
このような敗北意識、失敗意識が、神様と私たちの間に働いて、私たちの信仰をためにしておきます。
どうすればいいでしょう。
ローマ書8章26節は、この解決案として私たちが思うべきことをこう言います。
8章26節に同様に、霊も弱い私たちを助けてくださいます。
私たちはどう祈るべきか知りませんが、霊自らが言葉に言い表せない呻きを持って、取りなしをしてくださっています。
敗北意識を持って失敗意識を持っている人は、祈りがなかなかできません。
なぜなら、神様に対して失望しているからです。
この時、霊様は失敗している私たちの弱さをよくわかって、私たちのために言葉に表せない呻きを持って、取りなし祈りをしておられるということを私たちは知って、それを信じなければなりません。
神様が祈っています。私のために。
私が失敗して弱さを持って行って、また倒れた、また倒れたと言った時に、私じゃなくて神様が私のために、取りなし祈りをしてくださいます。
立派なことがこれからあるべきでしょう。それをまず考える。これが大事です。
また、それだけではありません。
最後は必ず勝利を収めるしかないと聖書は教えてくださいます。
ローマ1章28節
神を愛する者たち、つまり後継学に従って召された者たちには万事が益となるように共に働くということを私たちは知っています。
私たちの人生は失敗の連続、また苦しみ、挫折の連続だった時、神様が私たちのこのような一つ一つの失敗、挫折を合わせて善を作ってくださるということです。
どうしてこんなことが可能ですか。神様は私たちを愛しておられます。
神様は善知善能です。神様は絶対善です。
神様は私たちが行ったことを一つも捨てることなく、すべて合わせて私たちが予測できなかった善を作り上げるお方です。
皆さん、もし皆さんのお家にお客さんが来ました。皆さんが美味しい料理を作ってお客さんにおもてなしをしたと思いましょう。
お友達がそれを食べてから、美味しいね、いやーこの料理なんで作ったの?と言ったら、皆さんどう思いますか。
事実、料理に入る材料、人参とか、なんとかね、もうなんかまあ私、これは名前よくわからないから。材料は美味しくないんですよ。
美味しくない材料を合わせて、本当に美味しい料理ができるんです。
美味しくない人生の失敗失敗を合わせて、神様は美味しい人生を作ってくださる。
神様は人生料理人ですよ。神様は失敗を通して美味しい料理を作るのだ。
必ず美味しい料理を作ってくださるんだということを考えてください。 私たちの中で子どもたちのために心配する方がいますか。
今見える子どもの姿、どうですか。 親が嘆きをするほど姿ではありませんか。
親の期待に及ばない子ども。 どうしたらいいんでしょう。また私の子どもだけ見えるんじゃなくて、ほとんど他の子どもが見えちゃうから。
この子ども、他の子ども、うまくやってるのに私の子はなぜなんだろう。 考えたら辛いでしょう。
この時、神様を信じて神様に祈りで任せましょう。 神様は私の子どもの弱さ、私の子どもの失敗を料理をして美味しい料理を作るお方。
美味しい人生を作ってくださるお方です。 いつも申し上げるんですけど、私はアグスティン、みなさんアグスティン、また出てくるんだと言われるかもしれません。
アグスティンの母モニカはいつも子どものために祈っていました。 ところがアグスティンは
母親の祈りと正反対の道にいつも行くんです。 不良児のように過ごし、教会に来てくれればと思ったんだけど、教会に来ないでマニギョンという他の宗教に行きます。
ある日、アグスティンは熱病を患っている時に、お母さんが教会の神父さんを招いて、祈って、そして癒されました。
では息子は教会に行くべきではありませんか。挨拶のためにも教会に行くべきでしょう。
彼は病気から癒されて再びマニギョンに行きます。 お母さんモニカはどれほどかっかりしたんでしょうか。
しかしお母さんはいつもいつもいつもと同じように祈りに行かれます。 アグスティンもお母さんが祈りに入ったことを分かっていけながら自分の道に行きます。
その後アグスティンはマニギョンでは真理がないということを分かります。 それでアグスティンは
母親が祈った通り戻ってきて偉大な神学者、 教父アグスティンになります。
みなさん勝手に落胆しないでください。 現実がいくら私が望むことと異なっても
反対に向かっていくんだとしても 失敗ばっかりすっているんだとしても
生きている限り希望はあります。 絶対諦めないで祈りましょう。
失敗失敗の材料を合わせて一番立派な料理を作ってくださる 善を作ってくださる神様に祈りましょう。
信じる私たちが持つ確信は何ですか。 この世でどんな失敗をするのだとしても
神様は良い計画を持ってすべてを合わせて 善を成し遂げてくださるということです。
これが信じる人の土権、 精霊様が成し遂げてくださる祝福です。
被害意識を克服する
アメン。 二番目
被害意識をどのように克服するべきか。 敗北意識とともに私たちを悩ませるのは被害意識です。
被害意識ということは私たちは信仰によって熱心にやったんだけど 神様はそれにふさわしい報い
代価をやってくださらないという感じるとき 被害意識が私たちの中で生じます。
すなわち私が信仰によって生きるんだって 体が辛くても疲れていても主の日の礼拝を守って
またお友達に集まる時にみんなお酒を飲むのに 私はなんとかお酒飲まないようにとしながら信仰を守るのに頑張っているんだけど
そうするので神様がああお前うまくやったと言ってすぐすぐ いい答えをくださればいいのに
くださらないような気がする また祈ったのに何の答えもないような気がする
熱心に信仰生活していっているのに他の人は 旦那さんも子供たちもうまくできて誇ることがいっぱいあると言っているのに
私は誇ることが何にもない 私の家庭は何の祝福もいただかないと感じるとき
信仰生活を熱心にやっても何にも意味がないね 被害意識に落ち込んでしまいます
被害意識にとられてしまうなら喜びと感謝が消えてしまう 神様に対する苦い根が生じられます
信仰によって生きるんだということを無意味に思われ これ以上神様のために行きたくない
これから私勝手に行きたい そのような気持ちになります
皆さんこの被害意識をどのように乗り越えることができますか
ローマ1章8章32セティこう言います 私たちすべてのためにその巫女さえ惜しまず死に渡された方が
巫女と一緒にすべてのものを私たちに賜らないはずがありましょうか 私たちのために巫女イエスキリストを与えてくださった神様が
アブラハム 信仰の瞬間
巫女イエスキリストと共にすべてを与えてくださらないかということ聖書を教えています
私たちはどう思いますかああわかってますよ 巫女イエスキリスト私のために与えてくださったということをわかっていながら
相変わらず被害意識に悩まされます 神様大きな救い
イエス様を通して与えてくださったことはわかるんだけど 今私の人生の中で行われる小さなことごと
そこには神様無我心でないか そのように思われるからです
だって見たらこの小さなこともやってくださない神様 大きな救いも本当なのかって自分自身が疑ってしまう場合もあります
イスラル民は神様の大きな努力愛によって シュチエジプト奴隷の生活から大きな救いを与えられました
しかしアロナに出てみれば食べ物もなく水もなく 本当に難しいことがあったときに神の愛を疑えて
そして疑えて亡者を避難しました もし彼らがシュチエジプトという大きな救いを成し遂げてくださった神様が
あれので私たちが担っているこの食べ物飲むもの この小さなものはやってくださるはずじゃないかという信仰があったとするなら
恨むよりは神様に祈ったでしょう そうしたら彼らが祈りの力を体験し神に栄光を与えたはずだったんです
私たちは大きな救いをくださった神様が 私たちの小さな必要をよくわかって
私たちが祈るなら必ず与えてくださることを信じなければなりません
もし私たちが祈っても神様をくださらない理由が2つあります 一つはまだ時になってない
もう一つは与えられたらむしろ私たちに良くない結果が出るとき 神様すべてわかっておられるからくださらない場合もあります
これをもって首都薬部はこう言いました 薬部4章2節3節です
得られないのは願い求めないからで 願い求めても与えられないのは自分の楽しみのために使おうと間違った時で願い求めているからだと言いました
ひとり子イエス様さえも惜しまず与えてくださった神様が どうしてそのひとり子イエス様と共にすべてを賜物として与えてくださらないか
これを私たちが目指してそして信じるとき 私たちを悩ませた被害意識は消えてしまうでしょう
皆さん創世紀14章15章に アブラハムはいつ信仰が入ってきたんでしょう
創世紀14章で老いロトを救うために 318人の自分の家で育てられた人たちを連れて
戦争に参加します 当時上の4つの国がソドムとコウモラのこの隣の5つの国と戦争をしたんです
ソドムに住んでいるロトが捕虜になって連れて行った その話を聞いてその6つの国の連合国に向かって318人を連れて戦争に参加したんです
参加して勝利しました それで老いロトを取り戻すことができたんです
その後アブラハムがテントに生活しているときに 自分の中で心配がパーッと入ってきます
4つの国の戦いで自分は勝ったから それで勝利は良かったんですけど
この後もしかしてこの4つの国が自分を向かって狙って攻撃していたら私はどうするかと思った
私の周りの人がいない また私の子供がいない 私の保護膜がないんじゃないかと思った時に
テントの中で悩み悩み悩み心配ばかりしています その時神様は来られてテントの中で悩んでいるアブラハムを連れ出して
天の空を見ろ 星が数えられるか
私はあなたにこの星の数よりもっと多い あなたに民を与えるから
その時アブラハムは何を考えたんでしょう アブラハムがこんな大きな星を
このテンでたくさん作ってそのまま飛ばせているじゃないですか その星を作られた神様が
私にこの子供一人与えられることができないのか そのような考えがファッと入ってきた時に信仰がファーッと入ってきました
こんなこともサザリク神様が小さい これを比べたら小さい一人子供を与えてくださらないかと思った時に信仰がファッと入ってきて
信じますと言った 神はそれをきっとされたと言います
皆さん大変なこと大事なことこれ 敗北意識をいつ乗り越えることができるか信仰が入ってくる時に乗り越えること
信仰による勝利
また被害意識 こんな大きな救いを与えてくださった神様が私のこの小さな問題問題解決してくださらないかと
それを思った時に皆さん信仰がファッと入ってくるんです 失敗意識は神様が
言葉で言い表すほどうめきをもって私のために祈ってくださる 誰が神様が
周りの人ではないんですよ神様が私のためにうめきをもって祈ってくださる
神様がと思った時にこれが乗り越えられます また神様が私らがいくら失敗したとしてもそれを全部合わせて
美味しい人生美味しい料理を作ってくださる立派な料理人だということを分かった時に信仰が入ってきて
敗北意識を乗り越えることができます また被害意識は
神様の一番大切な一人子まで私のために与えてくださった神様が このイエス様と共に全てを与えてくださらないかという信仰が入ってきている瞬間
それが成し遂げる 皆さん私たちが考えること私たちの心
これが信仰とつながるんですよ その考えを持つ瞬間信仰ができますから
信仰ができる瞬間皆様それができたと思って与えられたと思っていいでしょう 私たちはどうすればこの世の中のいろいろな問題を乗り越えて
信仰を持って輝かしい勝利の人生を過ごすことができるか これは神様が精霊様が照らしてくださるこの神様に対するこの知ること
信仰によることです 今日2つを一緒に考えてみました
残り2つも大変なことですが大事なことですから来週楽しみしながら ぜひとも皆さんの中で敗北意識があったら
これを乗り越えていきましょうまた被害意識 神様のためにこんなに頑張ってたのに私の小さな問題
これを解決してくださらないのか 恨みが出てきたら皆さん負けます
そうじゃなくてイエス様も与えてくださった神様がこんな小さいものをくださらないはずが ないと思って信じますと言ったら皆さんこれができてしまいます
この信仰 信仰を通して私たちはこの世の中の一つ一つの問題を乗り越え乗り越え乗り越えていく間
立派な信仰さんになっていくでしょう 神様はそのために私たちに試練をくださる場合もあります
ぜひとも負けないで信仰によって勝ち続けていきましょう 来週も勝ち続けていきましょう
じゃあお祈りいたします 神様ありがとうございますイエスキリストの十字架を通して
私たちの罪から清めてくださり 清くなった私たちの心に聖霊様を送ってくださったことを感謝します
聖霊様は私たちをどれほどたくさんの賜物を与えてくださるのでしょう 毎週毎週聖霊様がやってくださることを学び感謝してやり続けたいと思います
たくさん教えてくださいそして大きな信仰を与えてください 世の中の小さな問題で患う私たちはなく
大胆に乗り越えて神様を喜ばせ勝利の人生を過ごす私たちにならせてください イエス様の皆を通してお祈りいたします
アーメン アーメン
27:25

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